2020年08月19日
高円寺純情商店街 ねじめ正一
高円寺純情商店街 ねじめ正一(ねじめ・しょういち) 新潮文庫
1989年(平成元年)直木賞受賞作だということはあとで知りました。
東京都杉並区にあるJR中央本線高円寺駅前での視聴者インタビューTV番組を見たあと、手元にあった古い東京都の地図をながめていて、高円寺駅のそばに商店街があって、この小説があるということを知りました。
本の最初には、商店街のお店の名称と並びが図で紹介されています。おそらく作者の実体験からつくられた短編群が6本あります。作者のお店は、江州屋乾物店(ごうしゅうやかんぶつてん)で、作者はまだ小学生です。
読み終えてみて、そうか、こういう時代が確かにあったと思い出しました。ていねいに書かれた風俗記録日誌小説で、お見事なできあがりです。
2020年時点でのグーグルマップを見たら、こまかな家屋の商店はなくなって、その代わりにビルが建っていました。昭和30年代であろう物語の中の小規模店舗が並んでいる商店街は、今はもうないようです。
「天狗熱」
乾物屋の倅(せがれ)として生まれてきた正一少年の鰹節削り(かつおぶしけずり)づくりの紹介があります。小学四年から家の手伝いをしているそうですが、成長するにつれて、その作業に嫌気がさしてきます。今は中学一年生ぐらいです。
お店の店主は祖父です。道具のひとつには、『江州屋 昭和廿四年十二月四日』(しょうわにじゅうよんねんじゅうにがつよっか)と記されています。
職人でもあり、商人でもある職業です。名物『江州屋の削りがつを』です。
細かく丁寧に、鰹(かつお)の加工の工程が書いてあります。
商売屋の暮らしがていねいに描かれた作品です。
正一の父親は俳句をやる道楽者のようで、家業の手伝いは力不足で、それでも、家族には気を使っています。
商売敵に仕事をとられそうになって、江州屋はピンチを迎えましたが、なんとかしのぎきりました。
正一の父親としては、自分の居心地の良い居場所がなくなることは望んでおらず、さしあたって、妻と母親に気を使います。『天狗熱(てんぐねつ)』は本当は、『デング熱』が正しいのですが、妻と母は間違って『天狗熱』と覚えています。父親は、その間違いを正してはいけないと息子の正一にアドバイスを送るのです。
男(正一の父親)は、いろいろなバランスを上手に保つために、女(妻、母親)にうそをつくのです。
デング熱:正一の父親が戦地で感染した。デングウィルスで感染する。数日間の発熱で治癒することが多い。熱帯地域の病気
「六月の蠅取紙(ろくがつのはえとりがみ)」
なつかしい言葉がいくつか出てきます。昭和30年代の日本の日常風景です。月は六月で、正一君は中学一年生でしょう。そして、お隣で魚屋を営む魚政の娘さんが三歳年下ですから、小学小学四年生で十歳のケイ子ちゃんです。ちなみに、正一君は六月生まれだそうです。
蠅取り紙:はえをつかまえるためのつるしたべとべとの紙
ハイミス:物語では、35~36歳の設定になっています。婚期を過ぎた年齢ということでしたが、いまの世の中では、『ハイミス』は、死語になっているような感じがします。
長袖(ながそで)のルパシカ:ロシアのシャツ。ゆったりしていて頭からかぶる。
いたちの最後っ屁:いたちのさいごっぺ。最後の手段。「セミのションベン」も類似の意味でしょう。
おたんこなす:人をののしる言葉
乾物屋と魚屋の比較があります。夏と冬の過ごし方の違い、店内の色彩、色調の違い。そんな比較が、蠅取り紙につかまる蠅の数の比較から始まるこどもどうしの話です。
六月生まれの正一君が産婦人科で産まれた話です。やはり、都会は違うなあという印象をもちました。昭和三十年代の田舎では、自宅出産、産婆さんにお願いが一般的でした。
お話の構成は三段階の「序破急」で進んでいきます。
父親はかっこつけです。だから、正一君が産婦人科で産まれたということもあります。されど、父親は、乾物屋、商売屋であることに劣等感ももっています。父親は、アーチストでいたかった。俳句をつくる俳人です。文化人になりたかった。
変わった父親です。生まれてくる家を間違えた。それでも、父と息子は仲がいい。息子は父を誇りに思っている気配があります。息子もまた文化人をめざすのか。
泣き笑いの生活があります。どうにもならないことのやり過ごし方、苦難を正面から受け止めない手法が表現されていました。
「もりちゃんのプレハブ」
親戚のもりちゃん(五十嵐盛義理(いがらし・もりかず))22歳が、江州屋のプレハブ小屋で住み込み就労を始めたのですが、知的障害があるらしきグラマーな女子カズ江21歳にひきつけられて、結婚の申し込みをして受け入れられたのですが、カズ江は優しくしてくれる男にはだれでもついていく習性があることが判明します。結婚したいもりちゃんとそうはさせたくない親族一同の厳しい闘いが始まります。
もりちゃんの口癖が、「女はカラダだ」です。そこに思春期を迎えた中学生正一少年の微妙な心理がからんできます。
単純明快に言うと、「あんたが、結婚するといっている女は、ほかにも性体験をもっている男が複数いるんだぜ」という話です。それでもいいとなれば、結婚は両性の合意だからと結婚が成立することもあるのかもしれません。ただ、女性だけでなく、男性の側にも、判断能力がなさそうな気がします。戸籍の届を出さなくてもとりあえず同居してということも考えられますが、こどもができたら、こどもが不利な思いをします。
なかなかむずかしい。物語は昭和三十年代ですから、周囲の親族は必死に結婚話をつぶしにかかります。
商店街にすむメスの野良猫トラの観察話になります。年に二回、どこのオス猫の子かわからない子を産む。商店街の人間が生まれた子を捨てに行く。しかし、トラを殺して処分することはしない。「おとなになった猫は殺すもんじゃない」というおばあさんの言葉があります。
たまたまこの日、洋画「愛を読む人」を観ました。15歳の少年が、文字の読み書きができない30代なかばの女性に恋をして肉体関係をもちます。最初は女性の体にひかれ、少年は彼女を自分の理想の女性と思い込みます。映画に出ていた女性ハンナとこの短編のカズ江が重なりました。恋は盲目です。
「にぼしと口紅」
同じく昭和三十年代の商店街の風景を描いた漫画、日本映画で、『三丁目の夕日』の世界があるのですが、それと似ていて、そうではない表現があります。人間の微妙な心の動きです。道徳的ではありません。ねたんだり、うらやましがったり、いじわるしたくなる心理があります。
乾物屋の隣が空家だったのですが、駅前の化粧品店が改装オープンするまでの間、仮店舗として利用することになりました。店員の女性たちに近所の男どもはメロメロになります。女性たちも化粧をして若返り喜びます。商店街が年末の好景気もあって華やかな雰囲気になります。
人々は、仮店舗での営業が終わるころ、化粧品店はかなり儲けているということに気づきます。熱気が冷めていきます。しょせんは、お金なのです。
化粧品店で、美容部員をしている店員さんのうち、一番若いのが美智代さん、その次がゆかりさん、三十歳を過ぎているらしいのが田所さん、そして、経営者の奥さんがいます。
この本は、実際にあったことが下地になっているのだろうなあと推察しながら読んでいます。もう小説のモデルになった人たちはご存命ではないのかもしれません。
ゆっくりていねいな文章が心地よい。
正一君のおばあさんが髪を染めて、お化粧をして、とても若返ったシーンがよかった。さらに、着物もいいものに変えようかと、なんというか、生活に張りが出るほど、化粧の効果は抜群でした。心の健康に良い。
男たちには表裏があって、化粧品店のことを悪く言いながらも、美容部員の前ではそのお色気に参ります。男は美人に弱い。
「富士山の汗」
富士山は銭湯の浴室の壁に描かれた絵です。中学生である正一君の同級生女子宮地サンが銭湯の経営者の娘であり、番台に座っています。宮地サンの胸はふくらみかけています。
記述を読みながらなつかしかった。昔は家にフロがなかったので、銭湯とか、親が働く会社が用意してくれた社宅のなかの共同浴場とかに長い間、何度も通いました。人と人の距離が近かった時代のお話です。
今だと、レジャー目的が強いスーパー銭湯が代わりの入浴場所なのでしょうが、昔の銭湯は日常生活をおくるために必要な場所でした。
文章は、「正一はフロがきらいだ」から始まります。おもしろい。
板を踏んずけて入る五右衛門風呂もなつかしい。こどもだと、やけどしないかと、とても怖いです。小さいころ、一度だけ入ったことがあります。
良かった部分として、女湯からの声として、「おとうさん、出るからね」
正一君は、宮地サンに対して、「好き」とまでの感情はありませんが、年頃の女子なのに、男たちのぶらぶらするおちんちんを見なければならない家業なので、ほのかないたわりの感情があります。人の小さな心の動きを描写する文章を書くことがうまい作家さんです。
「真冬の金魚」
乾物屋のお向かいにあるメガネ店が火事です。正一の父親が発見して消火活動で大騒ぎになります。
昭和三十年代ながらの消火風景と人々の心もちがあります。消防隊には消してほしくないのです。水を勢いよくかけられてお店に並べてある商品をだめにしたくないのです。だから、バケツリレーでがんばります。
商店といっても全部に人が住んでいるわけではなく、半分は通いだそうです。大変です。
家業を継いだ元プロ野球南海のピッチャーだった現在水道屋の水谷さんという男性がいます。体重90キロです。消火活動で大活躍をします。
用水桶にボウフラよけのために金魚が飼ってありました。用水桶から消火のための水をくんだときに、金魚たちはそのへんにばらまかれて、大部分の金魚が死んでいました。そのなかの生きている金魚を正一君とケイ子ちゃんが拾ってバケツに戻します。
この部分をどう感じとれるかで、読み手の感情の豊かさが試されています。
1989年(平成元年)直木賞受賞作だということはあとで知りました。
東京都杉並区にあるJR中央本線高円寺駅前での視聴者インタビューTV番組を見たあと、手元にあった古い東京都の地図をながめていて、高円寺駅のそばに商店街があって、この小説があるということを知りました。
本の最初には、商店街のお店の名称と並びが図で紹介されています。おそらく作者の実体験からつくられた短編群が6本あります。作者のお店は、江州屋乾物店(ごうしゅうやかんぶつてん)で、作者はまだ小学生です。
読み終えてみて、そうか、こういう時代が確かにあったと思い出しました。ていねいに書かれた風俗記録日誌小説で、お見事なできあがりです。
2020年時点でのグーグルマップを見たら、こまかな家屋の商店はなくなって、その代わりにビルが建っていました。昭和30年代であろう物語の中の小規模店舗が並んでいる商店街は、今はもうないようです。
「天狗熱」
乾物屋の倅(せがれ)として生まれてきた正一少年の鰹節削り(かつおぶしけずり)づくりの紹介があります。小学四年から家の手伝いをしているそうですが、成長するにつれて、その作業に嫌気がさしてきます。今は中学一年生ぐらいです。
お店の店主は祖父です。道具のひとつには、『江州屋 昭和廿四年十二月四日』(しょうわにじゅうよんねんじゅうにがつよっか)と記されています。
職人でもあり、商人でもある職業です。名物『江州屋の削りがつを』です。
細かく丁寧に、鰹(かつお)の加工の工程が書いてあります。
商売屋の暮らしがていねいに描かれた作品です。
正一の父親は俳句をやる道楽者のようで、家業の手伝いは力不足で、それでも、家族には気を使っています。
商売敵に仕事をとられそうになって、江州屋はピンチを迎えましたが、なんとかしのぎきりました。
正一の父親としては、自分の居心地の良い居場所がなくなることは望んでおらず、さしあたって、妻と母親に気を使います。『天狗熱(てんぐねつ)』は本当は、『デング熱』が正しいのですが、妻と母は間違って『天狗熱』と覚えています。父親は、その間違いを正してはいけないと息子の正一にアドバイスを送るのです。
男(正一の父親)は、いろいろなバランスを上手に保つために、女(妻、母親)にうそをつくのです。
デング熱:正一の父親が戦地で感染した。デングウィルスで感染する。数日間の発熱で治癒することが多い。熱帯地域の病気
「六月の蠅取紙(ろくがつのはえとりがみ)」
なつかしい言葉がいくつか出てきます。昭和30年代の日本の日常風景です。月は六月で、正一君は中学一年生でしょう。そして、お隣で魚屋を営む魚政の娘さんが三歳年下ですから、小学小学四年生で十歳のケイ子ちゃんです。ちなみに、正一君は六月生まれだそうです。
蠅取り紙:はえをつかまえるためのつるしたべとべとの紙
ハイミス:物語では、35~36歳の設定になっています。婚期を過ぎた年齢ということでしたが、いまの世の中では、『ハイミス』は、死語になっているような感じがします。
長袖(ながそで)のルパシカ:ロシアのシャツ。ゆったりしていて頭からかぶる。
いたちの最後っ屁:いたちのさいごっぺ。最後の手段。「セミのションベン」も類似の意味でしょう。
おたんこなす:人をののしる言葉
乾物屋と魚屋の比較があります。夏と冬の過ごし方の違い、店内の色彩、色調の違い。そんな比較が、蠅取り紙につかまる蠅の数の比較から始まるこどもどうしの話です。
六月生まれの正一君が産婦人科で産まれた話です。やはり、都会は違うなあという印象をもちました。昭和三十年代の田舎では、自宅出産、産婆さんにお願いが一般的でした。
お話の構成は三段階の「序破急」で進んでいきます。
父親はかっこつけです。だから、正一君が産婦人科で産まれたということもあります。されど、父親は、乾物屋、商売屋であることに劣等感ももっています。父親は、アーチストでいたかった。俳句をつくる俳人です。文化人になりたかった。
変わった父親です。生まれてくる家を間違えた。それでも、父と息子は仲がいい。息子は父を誇りに思っている気配があります。息子もまた文化人をめざすのか。
泣き笑いの生活があります。どうにもならないことのやり過ごし方、苦難を正面から受け止めない手法が表現されていました。
「もりちゃんのプレハブ」
親戚のもりちゃん(五十嵐盛義理(いがらし・もりかず))22歳が、江州屋のプレハブ小屋で住み込み就労を始めたのですが、知的障害があるらしきグラマーな女子カズ江21歳にひきつけられて、結婚の申し込みをして受け入れられたのですが、カズ江は優しくしてくれる男にはだれでもついていく習性があることが判明します。結婚したいもりちゃんとそうはさせたくない親族一同の厳しい闘いが始まります。
もりちゃんの口癖が、「女はカラダだ」です。そこに思春期を迎えた中学生正一少年の微妙な心理がからんできます。
単純明快に言うと、「あんたが、結婚するといっている女は、ほかにも性体験をもっている男が複数いるんだぜ」という話です。それでもいいとなれば、結婚は両性の合意だからと結婚が成立することもあるのかもしれません。ただ、女性だけでなく、男性の側にも、判断能力がなさそうな気がします。戸籍の届を出さなくてもとりあえず同居してということも考えられますが、こどもができたら、こどもが不利な思いをします。
なかなかむずかしい。物語は昭和三十年代ですから、周囲の親族は必死に結婚話をつぶしにかかります。
商店街にすむメスの野良猫トラの観察話になります。年に二回、どこのオス猫の子かわからない子を産む。商店街の人間が生まれた子を捨てに行く。しかし、トラを殺して処分することはしない。「おとなになった猫は殺すもんじゃない」というおばあさんの言葉があります。
たまたまこの日、洋画「愛を読む人」を観ました。15歳の少年が、文字の読み書きができない30代なかばの女性に恋をして肉体関係をもちます。最初は女性の体にひかれ、少年は彼女を自分の理想の女性と思い込みます。映画に出ていた女性ハンナとこの短編のカズ江が重なりました。恋は盲目です。
「にぼしと口紅」
同じく昭和三十年代の商店街の風景を描いた漫画、日本映画で、『三丁目の夕日』の世界があるのですが、それと似ていて、そうではない表現があります。人間の微妙な心の動きです。道徳的ではありません。ねたんだり、うらやましがったり、いじわるしたくなる心理があります。
乾物屋の隣が空家だったのですが、駅前の化粧品店が改装オープンするまでの間、仮店舗として利用することになりました。店員の女性たちに近所の男どもはメロメロになります。女性たちも化粧をして若返り喜びます。商店街が年末の好景気もあって華やかな雰囲気になります。
人々は、仮店舗での営業が終わるころ、化粧品店はかなり儲けているということに気づきます。熱気が冷めていきます。しょせんは、お金なのです。
化粧品店で、美容部員をしている店員さんのうち、一番若いのが美智代さん、その次がゆかりさん、三十歳を過ぎているらしいのが田所さん、そして、経営者の奥さんがいます。
この本は、実際にあったことが下地になっているのだろうなあと推察しながら読んでいます。もう小説のモデルになった人たちはご存命ではないのかもしれません。
ゆっくりていねいな文章が心地よい。
正一君のおばあさんが髪を染めて、お化粧をして、とても若返ったシーンがよかった。さらに、着物もいいものに変えようかと、なんというか、生活に張りが出るほど、化粧の効果は抜群でした。心の健康に良い。
男たちには表裏があって、化粧品店のことを悪く言いながらも、美容部員の前ではそのお色気に参ります。男は美人に弱い。
「富士山の汗」
富士山は銭湯の浴室の壁に描かれた絵です。中学生である正一君の同級生女子宮地サンが銭湯の経営者の娘であり、番台に座っています。宮地サンの胸はふくらみかけています。
記述を読みながらなつかしかった。昔は家にフロがなかったので、銭湯とか、親が働く会社が用意してくれた社宅のなかの共同浴場とかに長い間、何度も通いました。人と人の距離が近かった時代のお話です。
今だと、レジャー目的が強いスーパー銭湯が代わりの入浴場所なのでしょうが、昔の銭湯は日常生活をおくるために必要な場所でした。
文章は、「正一はフロがきらいだ」から始まります。おもしろい。
板を踏んずけて入る五右衛門風呂もなつかしい。こどもだと、やけどしないかと、とても怖いです。小さいころ、一度だけ入ったことがあります。
良かった部分として、女湯からの声として、「おとうさん、出るからね」
正一君は、宮地サンに対して、「好き」とまでの感情はありませんが、年頃の女子なのに、男たちのぶらぶらするおちんちんを見なければならない家業なので、ほのかないたわりの感情があります。人の小さな心の動きを描写する文章を書くことがうまい作家さんです。
「真冬の金魚」
乾物屋のお向かいにあるメガネ店が火事です。正一の父親が発見して消火活動で大騒ぎになります。
昭和三十年代ながらの消火風景と人々の心もちがあります。消防隊には消してほしくないのです。水を勢いよくかけられてお店に並べてある商品をだめにしたくないのです。だから、バケツリレーでがんばります。
商店といっても全部に人が住んでいるわけではなく、半分は通いだそうです。大変です。
家業を継いだ元プロ野球南海のピッチャーだった現在水道屋の水谷さんという男性がいます。体重90キロです。消火活動で大活躍をします。
用水桶にボウフラよけのために金魚が飼ってありました。用水桶から消火のための水をくんだときに、金魚たちはそのへんにばらまかれて、大部分の金魚が死んでいました。そのなかの生きている金魚を正一君とケイ子ちゃんが拾ってバケツに戻します。
この部分をどう感じとれるかで、読み手の感情の豊かさが試されています。
2020年08月18日
鬼滅の刃 吾峠呼世晴 1巻~3巻
鬼滅の刃(きめつのやいば) 吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる) 1巻~3巻 集英社
世間ではやっているようなので、とりあえず、どんな内容なのか、さわりの部分を読んでみます。
「第1巻 残酷」
登場人物として、物語の始まりで、
竈門禰豆子(かまど・ねずこ):竈門炭治郎(かまど・たんじろう)の妹。鬼に襲われたが、なんとか息があった。だけど、人喰い鬼になった。でも、人間に戻ることができるらしい。
竈門炭治郎(かまど・たんじろう):禰豆子の兄。鬼殺の剣士(きさつのけんし)になりたい。
鬼狩り様(おにがりさま)
母ちゃん:竈門炭治郎の母親。死んでた。
竈門花子:竈門炭治郎の妹。死んでた。
竈門竹雄:炭治郎の弟。死んでた。
竈門茂:竈門炭治郎の弟。死んでた。
竈門六太:竈門炭治郎の弟。死んでた。
その後の展開において、
鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ):狭霧山(さぎりやま)の麓に住んでいる。
冨岡義勇(とみおか・ぎゆう):炭治郎の敵にあたるのだろうか。剣に秀でていて強そう。
鬼殺隊(きさつたい):鬼を殺すための集団。何百人もいる。入隊するためには、次の育手(そだて)のもとで修業をして、藤襲山(ふじかさねやま)で行われる最終戦別で生き残ることが条件。
育手(そだて):鬼を殺す人間を育てる師匠。鱗滝左近次のポジション
錆兎(さびと):竈門炭治郎が闘った相手。孤児。鱗滝左近次の弟子
真狐(まこも):錆兎の知り合い。可愛らしい女子。腕はいい術の使い手。おそらく孤児。鱗滝左近次の弟子
鋼鐵塚(はがねづか):刀鍛冶らしい。
鬼舞辻無残(きぶつじ・むざん):竈門炭治郎が倒すための目標とする相手。彼が竈門炭治郎の妹である竈門禰豆子(かまどねづこ)を鬼にした。
我妻善逸(あがつま・ぜんいつ):眠ると強くなる男
*なんだか、漢字検定みたいな合成の名前が続きます。
雪が降る風景、山村です。
いきなりのページには、意識がなさそうな禰豆子をおんぶする炭治郎の姿がありました。
人喰い鬼が出ます。
『生殺与奪の権(せいさつよだつのけん)』生きる。殺す。与える。奪う。
ゾンビみたいな。
『人情』と『成長』の物語です。
この物語の場合、『鬼』は、なにを表現しているのだろうか。考えなければならないポイントです。
鬼は、人間を主食としている。太陽に光に弱い(バンパイア、狼男みたい)、首を切り落とさないと死なない。トカゲのように体が再生する。やはり、ゾンビのようなものです。
タイトルは思い出せないけれど、展開は過去のいくつもの作品にあったパターンだと感じました。
登場人物はこどもが多い。おとなが「鬼」の設定だろうか。まだわかりません。
鬼たちとの闘いが始まりました。
時代設定は、大正時代です。1912年-1926年
竈門炭治郎と人喰い鬼との戦闘シーンに、本作品の「売り」になる要素があるのでしょう。迫力とか、キャラクターの言い回しとか。
「第二巻 お前が」
鬼との闘いが終わって、生存者は竈門炭治郎を含めて四人です。(実は五人)
これで、竈門炭治郎は鬼殺隊(きさつたい)に入隊できました。
階級は十段階あります。
「第三巻 己を鼓舞せよ」
日本刀を振り回す殺し合いです。斬られて(きられて)、生首が地面に落ちます。自分の好みには合わない内容です。
それとも、桃太郎の鬼退治のようにとらえれば、楽しめるのか。自分には、ちょっと無理です。
しゃべるスズメとしゃべるカラスになにか秘密が隠されています。
大正時代へのこだわりあり。
強そうな敵が次々と現れます。独特な絵柄がこの物語の特徴で、そこが楽しめる部分です。
イノシシ人間というか、イノシシ鬼というか、おもしろい。鬼たちは個性的で狂っています。
とりあえずは読みました。
なんともいえない感じです。
アニメ放映映像だと、また感じが違うのかもしれません。
世間ではやっているようなので、とりあえず、どんな内容なのか、さわりの部分を読んでみます。
「第1巻 残酷」
登場人物として、物語の始まりで、
竈門禰豆子(かまど・ねずこ):竈門炭治郎(かまど・たんじろう)の妹。鬼に襲われたが、なんとか息があった。だけど、人喰い鬼になった。でも、人間に戻ることができるらしい。
竈門炭治郎(かまど・たんじろう):禰豆子の兄。鬼殺の剣士(きさつのけんし)になりたい。
鬼狩り様(おにがりさま)
母ちゃん:竈門炭治郎の母親。死んでた。
竈門花子:竈門炭治郎の妹。死んでた。
竈門竹雄:炭治郎の弟。死んでた。
竈門茂:竈門炭治郎の弟。死んでた。
竈門六太:竈門炭治郎の弟。死んでた。
その後の展開において、
鱗滝左近次(うろこだき・さこんじ):狭霧山(さぎりやま)の麓に住んでいる。
冨岡義勇(とみおか・ぎゆう):炭治郎の敵にあたるのだろうか。剣に秀でていて強そう。
鬼殺隊(きさつたい):鬼を殺すための集団。何百人もいる。入隊するためには、次の育手(そだて)のもとで修業をして、藤襲山(ふじかさねやま)で行われる最終戦別で生き残ることが条件。
育手(そだて):鬼を殺す人間を育てる師匠。鱗滝左近次のポジション
錆兎(さびと):竈門炭治郎が闘った相手。孤児。鱗滝左近次の弟子
真狐(まこも):錆兎の知り合い。可愛らしい女子。腕はいい術の使い手。おそらく孤児。鱗滝左近次の弟子
鋼鐵塚(はがねづか):刀鍛冶らしい。
鬼舞辻無残(きぶつじ・むざん):竈門炭治郎が倒すための目標とする相手。彼が竈門炭治郎の妹である竈門禰豆子(かまどねづこ)を鬼にした。
我妻善逸(あがつま・ぜんいつ):眠ると強くなる男
*なんだか、漢字検定みたいな合成の名前が続きます。
雪が降る風景、山村です。
いきなりのページには、意識がなさそうな禰豆子をおんぶする炭治郎の姿がありました。
人喰い鬼が出ます。
『生殺与奪の権(せいさつよだつのけん)』生きる。殺す。与える。奪う。
ゾンビみたいな。
『人情』と『成長』の物語です。
この物語の場合、『鬼』は、なにを表現しているのだろうか。考えなければならないポイントです。
鬼は、人間を主食としている。太陽に光に弱い(バンパイア、狼男みたい)、首を切り落とさないと死なない。トカゲのように体が再生する。やはり、ゾンビのようなものです。
タイトルは思い出せないけれど、展開は過去のいくつもの作品にあったパターンだと感じました。
登場人物はこどもが多い。おとなが「鬼」の設定だろうか。まだわかりません。
鬼たちとの闘いが始まりました。
時代設定は、大正時代です。1912年-1926年
竈門炭治郎と人喰い鬼との戦闘シーンに、本作品の「売り」になる要素があるのでしょう。迫力とか、キャラクターの言い回しとか。
「第二巻 お前が」
鬼との闘いが終わって、生存者は竈門炭治郎を含めて四人です。(実は五人)
これで、竈門炭治郎は鬼殺隊(きさつたい)に入隊できました。
階級は十段階あります。
「第三巻 己を鼓舞せよ」
日本刀を振り回す殺し合いです。斬られて(きられて)、生首が地面に落ちます。自分の好みには合わない内容です。
それとも、桃太郎の鬼退治のようにとらえれば、楽しめるのか。自分には、ちょっと無理です。
しゃべるスズメとしゃべるカラスになにか秘密が隠されています。
大正時代へのこだわりあり。
強そうな敵が次々と現れます。独特な絵柄がこの物語の特徴で、そこが楽しめる部分です。
イノシシ人間というか、イノシシ鬼というか、おもしろい。鬼たちは個性的で狂っています。
とりあえずは読みました。
なんともいえない感じです。
アニメ放映映像だと、また感じが違うのかもしれません。
2020年08月17日
出川哲朗充電バイクの旅 桜島から美しき天草(あまくさ)
出川哲朗充電バイクの旅 行くぞ鹿児島&熊本“絶景ロード”290キロ!桜島から美しき“天草(あまくさ)”ぬけ名城“熊本城”ですが竜兵さんプンプンでヤバイよヤバイよ テレビ番組
番組のルートは、かなりの長距離です。たいへんだったことでしょう。
ルートにある熊本県天草下島(あまくさしもじま)で、もう半世紀ぐらい前に、しばし過ごしたことがあったので、なつかしく拝見しました。当時は、天草五橋(あまくさごきょう)という橋もまだかかっておらず、九州本土に行くには船に乗船でした。
当時の島には、まだ、江戸時代のような雰囲気が残っており、自分は、まだこどもでしたが、死者を土葬にするための葬式行列の先頭に、位はいをかかげて参加したことがあります。
漁業、農業で生活を営んでいて、自給自足とか、物々交換の風習も色濃く残っていました。
水道はまだ完備しておらず井戸水や山の湧き水を使っていました。
たしか、母親たちは、近所のみんなで集まって、川へ洗濯をしに行っていました。
番組で現在の映像を観ましたが、広くてきれいな道路も整備されて、快適な環境になったことがわかりました。
出川哲朗さんと上島竜兵さんのふたりが途中で立ち寄った下田温泉(しもだおんせん)の映像では、もう50年以上前のことですが、毎月父親が給料をもらうと、家族そろって路線バスに乗って、下田温泉へ行っていたことを思い出しました。自分はまだ就学前のこどもでしたが、幸せな時代でした。
充電バイクで走りながら美しい風景が目の前に広がります。
住んでいたときは、ことに、夕日とか夕映えが美しかった記憶が残っています。今回の映像でもその美しさに変わりはありませんでした。
夏の朝に、海面でジャンプするトビウオの群れを見たことがあります。
島内の川で、大量にとびかう蛍の光とか、野原で、空いっぱいに広がる赤とんぼの群れもきれいでした。
テレビの映像を見ていて、そんな大昔の思い出がよみがえりました。
土地の人たちの人柄がおもしろくて、温かい。
いなかの人たちは、こどもさんたちからお年寄りまで、自然に囲まれて、地道に生活されていることがわかります。
コスモスの花が群生しているのもきれいでした。2016年11月11日が訪問日だったようです。
このあと長崎へ行くと言っていた自転車をこぎながら旅をしているオランダ人男女を見て思ったのですが、江戸時代の鎖国中でも長崎の出島ではオランダ人商人が出入りしていましたし、たぶんそのあたりの関連でオランダ人の男女は、日本のこの地域を訪れていたのだろうと予想しました。オランダの人は日本人に好意的です。
番組のルートは、かなりの長距離です。たいへんだったことでしょう。
ルートにある熊本県天草下島(あまくさしもじま)で、もう半世紀ぐらい前に、しばし過ごしたことがあったので、なつかしく拝見しました。当時は、天草五橋(あまくさごきょう)という橋もまだかかっておらず、九州本土に行くには船に乗船でした。
当時の島には、まだ、江戸時代のような雰囲気が残っており、自分は、まだこどもでしたが、死者を土葬にするための葬式行列の先頭に、位はいをかかげて参加したことがあります。
漁業、農業で生活を営んでいて、自給自足とか、物々交換の風習も色濃く残っていました。
水道はまだ完備しておらず井戸水や山の湧き水を使っていました。
たしか、母親たちは、近所のみんなで集まって、川へ洗濯をしに行っていました。
番組で現在の映像を観ましたが、広くてきれいな道路も整備されて、快適な環境になったことがわかりました。
出川哲朗さんと上島竜兵さんのふたりが途中で立ち寄った下田温泉(しもだおんせん)の映像では、もう50年以上前のことですが、毎月父親が給料をもらうと、家族そろって路線バスに乗って、下田温泉へ行っていたことを思い出しました。自分はまだ就学前のこどもでしたが、幸せな時代でした。
充電バイクで走りながら美しい風景が目の前に広がります。
住んでいたときは、ことに、夕日とか夕映えが美しかった記憶が残っています。今回の映像でもその美しさに変わりはありませんでした。
夏の朝に、海面でジャンプするトビウオの群れを見たことがあります。
島内の川で、大量にとびかう蛍の光とか、野原で、空いっぱいに広がる赤とんぼの群れもきれいでした。
テレビの映像を見ていて、そんな大昔の思い出がよみがえりました。
土地の人たちの人柄がおもしろくて、温かい。
いなかの人たちは、こどもさんたちからお年寄りまで、自然に囲まれて、地道に生活されていることがわかります。
コスモスの花が群生しているのもきれいでした。2016年11月11日が訪問日だったようです。
このあと長崎へ行くと言っていた自転車をこぎながら旅をしているオランダ人男女を見て思ったのですが、江戸時代の鎖国中でも長崎の出島ではオランダ人商人が出入りしていましたし、たぶんそのあたりの関連でオランダ人の男女は、日本のこの地域を訪れていたのだろうと予想しました。オランダの人は日本人に好意的です。
2020年08月16日
天才スピヴェット フランス・カナダ洋画DVD
天才スピヴェット フランス・カナダ洋画DVD 2014年公開
いい映画でした。今年観て良かった1本です。
おもしろくて、楽しくて、悲しいこともあって、じんとくる映画でした。絵本みたいな映画でした。
主人公の10歳の少年スピヴェットは、アメリカ合衆国大陸横断鉄道に乗って旅をします。
スピヴェット少年は、アメリカ合衆国西部モンタナ州ディバイドの北、パイオニア山地の谷間にあるコパートップ牧場で、両親と姉とタピオカという名前の犬、それから、ヤギのスティンキーたちと暮らしています。スピヴェット少年にはふたごの弟がいましたが、ウィンチェスター銃の暴発事故で亡くなっています。
スピヴェットの弟の名前がレイトンで、ふたりのきずなは強かった。レイトンは肉体派、スピヴェットは知能派を担当していました。頭脳が天才のスピヴェットは、目の前に起こる事象を数値化していきます。
レイトンが銃の暴発事故で事故死した原因は、ふたりで実験をしていた時のことなので、スピヴェットは責任を感じています。
ぎくしゃくした家族関係があります。
スピヴェットは、父さんに優しくしてもらいたい。お父さんは、スピヴェットよりも肉体派の事故死した弟のレイトンのほうが好きだった。
少年でも銃にさわれてしまうというアメリカ合衆国銃社会の問題点が隠されている作品です。
スピヴェット少年は、あたたかい家族のなかにいたかった。
家族というのは、むずかしい。
10歳の家出少年誕生です。スピヴェットはひとりで鉄道に乗り、アメリカ合衆国を横断しながらニューヨークをめざします。
世の中には、親切な人がいます。
おかあさんの言葉がよかった。
「こどもがいなくなったら、世界が止まります」
「こどもがいなくなったら、正気ではいられません」
「あなたは、わるくない」
「だれのせいでもない」
「(銃の暴発は)事故だった。ただ、起きただけ」
「(家に)帰ろう」
いい映画でした。今年観て良かった1本です。
おもしろくて、楽しくて、悲しいこともあって、じんとくる映画でした。絵本みたいな映画でした。
主人公の10歳の少年スピヴェットは、アメリカ合衆国大陸横断鉄道に乗って旅をします。
スピヴェット少年は、アメリカ合衆国西部モンタナ州ディバイドの北、パイオニア山地の谷間にあるコパートップ牧場で、両親と姉とタピオカという名前の犬、それから、ヤギのスティンキーたちと暮らしています。スピヴェット少年にはふたごの弟がいましたが、ウィンチェスター銃の暴発事故で亡くなっています。
スピヴェットの弟の名前がレイトンで、ふたりのきずなは強かった。レイトンは肉体派、スピヴェットは知能派を担当していました。頭脳が天才のスピヴェットは、目の前に起こる事象を数値化していきます。
レイトンが銃の暴発事故で事故死した原因は、ふたりで実験をしていた時のことなので、スピヴェットは責任を感じています。
ぎくしゃくした家族関係があります。
スピヴェットは、父さんに優しくしてもらいたい。お父さんは、スピヴェットよりも肉体派の事故死した弟のレイトンのほうが好きだった。
少年でも銃にさわれてしまうというアメリカ合衆国銃社会の問題点が隠されている作品です。
スピヴェット少年は、あたたかい家族のなかにいたかった。
家族というのは、むずかしい。
10歳の家出少年誕生です。スピヴェットはひとりで鉄道に乗り、アメリカ合衆国を横断しながらニューヨークをめざします。
世の中には、親切な人がいます。
おかあさんの言葉がよかった。
「こどもがいなくなったら、世界が止まります」
「こどもがいなくなったら、正気ではいられません」
「あなたは、わるくない」
「だれのせいでもない」
「(銃の暴発は)事故だった。ただ、起きただけ」
「(家に)帰ろう」
2020年08月15日
ウェディング・プランナー 洋画DVD
ウェディング・プランナー 洋画DVD 2001年公開
結婚式場で、結婚式のコーディネーターをしている女性の結婚話でした。予想どおりの設定でした。この設定だと、ご本人の結婚話になるのが定番です。
ロマンチックラブコメディです。
作品としての出来栄えは疑問が残るところです。名作「卒業」の焼き直しのようにも思えました。
女児の結婚式おままごとシーンからスタートです。
次に画面が変わって、主人公メアリー・フィオーレという式場で働く女性が登場して、そこに運命の人とされる小児科医スティーブ・エディソンという男性が出てきて、双方に、別の男と女が付いて、三角関係のような、四角関係のような複雑な男女関係ができて、さらに、彼女の両親が、彼女が好きでもない男と結婚するようにと強い圧力をかけてきます。
公園にスクリーンを広げて映画を観るシーンがあります。なつかしい。こどものころ、夏に、そうやって映画を観たことがあります。
うーむ。シーンがわざとらしい。
一夫多妻制のイメージが湧いてきます。
1983年のオリビア・ニュートン・ジョンの曲を結婚式で流すカップルは離婚率が高いそうです。ジョークだと思います。代わりに彼女の歌声がしっかり十分流れます。
メアリーの両親は古いタイプで、結婚は、結婚式の日まで相手の顔を知らなかったなどとおっしゃいます。日本でもそういうことはあったそうですが、結婚は相手を知って、愛し合ってするものです。両親は、知らない者同士でも、「感謝」が「尊敬」になり「愛」が生まれると娘を無理やりのように説得します。
「(好きでもない男と結婚する)お祝いの裏には、さみしい話もある」という展開です。その点では納得できます。
映像にあった夜景がきれいでした。それから、ディズニーランドのシンデレラ城が見えるような風景も良かった。
結婚は好きな人とするものだし、好きだと思っても縁がなくて結婚できなかったら、すっぱり気分転換をして、次の人を探せばいいと思います。次はもっといい人が現れるかもしれません。恋人と仕事は変えるたびにレベルが下がっていくという人もいますが、全部が全部そうとも限りません。
俳優さんたちの演技はみなさんお上手でした。
後半はドタバタしますが、前半でばらまいた伏線の回収はきれいになされていました。
結婚式場で、結婚式のコーディネーターをしている女性の結婚話でした。予想どおりの設定でした。この設定だと、ご本人の結婚話になるのが定番です。
ロマンチックラブコメディです。
作品としての出来栄えは疑問が残るところです。名作「卒業」の焼き直しのようにも思えました。
女児の結婚式おままごとシーンからスタートです。
次に画面が変わって、主人公メアリー・フィオーレという式場で働く女性が登場して、そこに運命の人とされる小児科医スティーブ・エディソンという男性が出てきて、双方に、別の男と女が付いて、三角関係のような、四角関係のような複雑な男女関係ができて、さらに、彼女の両親が、彼女が好きでもない男と結婚するようにと強い圧力をかけてきます。
公園にスクリーンを広げて映画を観るシーンがあります。なつかしい。こどものころ、夏に、そうやって映画を観たことがあります。
うーむ。シーンがわざとらしい。
一夫多妻制のイメージが湧いてきます。
1983年のオリビア・ニュートン・ジョンの曲を結婚式で流すカップルは離婚率が高いそうです。ジョークだと思います。代わりに彼女の歌声がしっかり十分流れます。
メアリーの両親は古いタイプで、結婚は、結婚式の日まで相手の顔を知らなかったなどとおっしゃいます。日本でもそういうことはあったそうですが、結婚は相手を知って、愛し合ってするものです。両親は、知らない者同士でも、「感謝」が「尊敬」になり「愛」が生まれると娘を無理やりのように説得します。
「(好きでもない男と結婚する)お祝いの裏には、さみしい話もある」という展開です。その点では納得できます。
映像にあった夜景がきれいでした。それから、ディズニーランドのシンデレラ城が見えるような風景も良かった。
結婚は好きな人とするものだし、好きだと思っても縁がなくて結婚できなかったら、すっぱり気分転換をして、次の人を探せばいいと思います。次はもっといい人が現れるかもしれません。恋人と仕事は変えるたびにレベルが下がっていくという人もいますが、全部が全部そうとも限りません。
俳優さんたちの演技はみなさんお上手でした。
後半はドタバタしますが、前半でばらまいた伏線の回収はきれいになされていました。
2020年08月14日
うろんな客 エドワード・ゴーリー
うろんな客 エドワード・ゴーリー 柴田元幸・訳 河出書房新社
エドワード・ゴーリー:1925年(大正14年)-2000年(平成12年)75歳没。アメリカの絵本作家
調べた言葉として、「アナグラム」。ある語の文字を入れ替える。すると、異なる意味をもつ語になる。そういう言葉遊びをアナグラムという。アルファベットだとつくりやすい。TOKYO→KYOTO
(1回目の本読み)
おとなが楽しむための絵本です。
タイトルにある「うろんな」は、自分なりに、ぼんやりとしたとか、はっきりしない、ふんわりとしたイメージというようにとらえました。
白黒のエッチング版画のような絵本の絵です。
奇妙な生き物が登場します。
カラスのようにくちばしがあるようで、くちばしが長くとんがっています。カラスのように羽はなくて、かわりに手があります。
絵本に出てくる古い西洋風の屋敷には、家族がいて、おじいさん、夫婦、幼稚園年長さんぐらいの男の子がいます。
おもしろい。
だれも変な生き物を怖がりません。
変な生き物は、比喩(ひゆ)で、なにかを変な生き物にたとえてあります。
変な生き物は、食卓テーブルのイスに座って、家族といっしょに食事をとります。
家族の変な生き物に対する反応は、良くもなく悪くもなく、なんとなく、ペットのような扱いです。
へんな生き物はやんちゃです。家族を困らせるようないたずらに近いような遊びをしています。
へんな生き物は、ぐうたらおやじのようでもあります。
へんな生き物が屋敷に来てから17年が経ちました。
(2回目の本読み)
訳者の文章を読みました。本の後半に付いています。
よくわかりました。
「うろんな客」は、こどもなのです。こどもが誕生して、17歳までのことが、この大人むけ絵本にしてあったのです。おもしろい。楽しい。
(3回目の本読み)
文語調の日本語と英語の言語の部分を読みました。
文語調の日本語はセンス(感覚)がいい。七五調の訳です。たしかに子育てをするおとなのための絵本です。意味の趣旨がよく伝わってきます。
英語の方は、半分わかって、半分はわかりませんでした。
エドワード・ゴーリー:1925年(大正14年)-2000年(平成12年)75歳没。アメリカの絵本作家
調べた言葉として、「アナグラム」。ある語の文字を入れ替える。すると、異なる意味をもつ語になる。そういう言葉遊びをアナグラムという。アルファベットだとつくりやすい。TOKYO→KYOTO
(1回目の本読み)
おとなが楽しむための絵本です。
タイトルにある「うろんな」は、自分なりに、ぼんやりとしたとか、はっきりしない、ふんわりとしたイメージというようにとらえました。
白黒のエッチング版画のような絵本の絵です。
奇妙な生き物が登場します。
カラスのようにくちばしがあるようで、くちばしが長くとんがっています。カラスのように羽はなくて、かわりに手があります。
絵本に出てくる古い西洋風の屋敷には、家族がいて、おじいさん、夫婦、幼稚園年長さんぐらいの男の子がいます。
おもしろい。
だれも変な生き物を怖がりません。
変な生き物は、比喩(ひゆ)で、なにかを変な生き物にたとえてあります。
変な生き物は、食卓テーブルのイスに座って、家族といっしょに食事をとります。
家族の変な生き物に対する反応は、良くもなく悪くもなく、なんとなく、ペットのような扱いです。
へんな生き物はやんちゃです。家族を困らせるようないたずらに近いような遊びをしています。
へんな生き物は、ぐうたらおやじのようでもあります。
へんな生き物が屋敷に来てから17年が経ちました。
(2回目の本読み)
訳者の文章を読みました。本の後半に付いています。
よくわかりました。
「うろんな客」は、こどもなのです。こどもが誕生して、17歳までのことが、この大人むけ絵本にしてあったのです。おもしろい。楽しい。
(3回目の本読み)
文語調の日本語と英語の言語の部分を読みました。
文語調の日本語はセンス(感覚)がいい。七五調の訳です。たしかに子育てをするおとなのための絵本です。意味の趣旨がよく伝わってきます。
英語の方は、半分わかって、半分はわかりませんでした。