2024年12月07日

日本武道館に、『第18回 徹子の部屋コンサート』を見に行く。

日本武道館に、『第18回 徹子の部屋コンサート』を見に行く。

(以下の文章は、2024年9月1日・日曜日の朝に書きました)
 昨日のことです。
 11月下旬に愛知県東海市のホールである舞台、『峠の我が家(仲野太賀、二階堂ふみ、柄本時生、岩松了ほか)』を観ようと、午前10時からの申し込みにネットでチャレンジしましたが、瞬間的につながらなくなり、3分後に全席売り切れの表示が出てしまいました。朝ドラ、『虎に翼』に出ていた仲野大賀さんを観てみたかった。
 しかたがない。では、第二候補だと、次は、タイトルにある徹子さんのコンサートを申し込みました。ネットで先行販売と書いてあるページを見つけて、ネット申し込み手続きがにがてなわたしが四苦八苦しながら会員登録をして申し込んで、チケットを手に入れました。さあ、これでよし! 楽しみです。ゲストは、岩崎宏美・良美姉妹、平原綾香さん、松平健さん、コロッケさん、美川憲一さん、南こうせつさんです。
 松平健さんは今年7月に東京明治座で舞台劇とマツケンサンバの歌謡ショーを観ました。一年に二回も本物のマツケンサンバを観ることになるとは、今年のお正月には想像もしていませんでした。日本武道館の中に入るのも初めてです。
 老後を楽しむぞーーー 体が動くうちに、やりたいことをやっておくのだーーー
 死ぬときに、ああすれば良かった、こうしておけば良かったと、なるべく後悔しない人生を送るための終活です。

(その後、『峠の我が家』のほうは、追加公演が設定されたようですが(昼公演が終わったあと、夜公演が追加された。その回は、先着順ではなく、事前申し込みの抽選になったようです)、わたしは、徹子の部屋コンサートのチケットがとれていたので、『峠の我が家』はあきらめました)

 もう40年近く前になりますが、自分が30代のときに、黒柳徹子さんの講演を講演会で聴いたことがあります。
 90分間、機関銃のようにおしゃべりをされて圧倒された記憶があります。テーマに沿いながら、ユニセフの親善大使をしていることを中心にしてお話をされていました。
 長い年月(としつき)が流れて、またご本人を見ることができて、ちょっとした感無量的な気分があります。かんむりょう:感慨無量。人生を、よくここまでやってくることができたというしみじみとする深い気持ち。黒柳さんは本当に長生きでお元気な方です。人類の中で選ばれた人なのでしょう。


(観に行ってきました。以下は、2024年12月2日月曜日に書きました。コンサートは、11月29日金曜日に東京の日本武道館でありました)












 会場の中の写真は、開幕の15分ぐらい前のようすです。わたしたち夫婦の席はうしろのほうだったのですが、舞台に向かって正面だったので見やすかったです。
 おおぜいの人たちが観覧に訪れておられました。
 年齢層は高く、七十代の人たちが多かった雰囲気でした。女性が多かったですが、男性もそこそこおられました。ご友人たちやご夫婦など、みなさん、なごやかな人たちです。
 午後5時30分に始まって、午後7時半ぐらいまで演奏と対談、休憩を25分ぐらいとって、再び演奏と対談、最後は出演されたみなさん総出で、『マツケンサンバ』を歌って踊って、午後9時過ぎに幕を閉じました。とても良かった。観に行って良かったと、終わったときに思いました。冥土(めいど。天国)へ旅立つ前のいい思い出ができました。
 思い出すままに、感想を並べてみます。

 始まって、いきなりハプニングが起きました。(予想外の出来事)
 広い舞台の上に、バンドメンバー用のいくぶんこぶりのステージ(台)がつくってあったのですが、向かって左手から岩崎宏美さんが演奏に合わせて出てきて、ワンテンポ間があって、右手から岩崎良美さんがマイクをもって出ようとしたときに、(おそらくまだ一歩も歩いていなかった。ふわーっと広がった白くて長いスカートが、バンドメンバー用のステージにひっかかったのではないか)ものすごい勢いで、前方に良美さんの体が飛び(スーパーマンのように手を伸ばして、空中を飛びました)大きな音をたてて、前のめりに床に落ちられたのです。お顔は床にはあたらなかったようですが、相当痛かったのではないかと思います。出演者始め、何千人ものお客さんが、ぼーぜんとしました。
 次の瞬間に、岩崎良美さんがしゅっと立ち上がって、まるで、何もなかったかのように、歌い出しを始められました。(曲はすでに始まっていたと思います。歌詞は、途中からの歌い出しだったと思います)
 まあ、びっくりしました。
 このことは、なかったことにして、そのあと進行するのかと思ったら、黒柳徹子さんがおおいに受けて、笑いが止まらないような状態で、最後の最後まで、岩崎良美さんが、コンサートが始まっていきなり転倒したという話が続きました。ステージにいて、右手横で椅子に座って舞台を観ていた徹子さんのお話だと、岩崎良美さんの全身が、2mぐらい、空中を飛んで行ったそうです。いやー、たしかに、すごかった。
 次に出て来たゲストの南こうせつさんが、ころばないようにおおまたでゆっくり足を運んだり、その後出てきたコロッケさんも、良美さんがころんだことをネタにして笑いを誘ったりしていました。
 あの転倒は、なかなか良かった。お笑いの話題づくりにつながりました。

『岩崎宏美・良美姉妹』
 最初に、ザ・ピーナッツの歌を歌われました。なつかしかった。わたしがまだ小学校低学年のころ、白黒テレビの前におちゃんこして(正座して)、祖父母と歌番組を観ていたことを思い出しました。ザ・ピーナッツは、わたしの中では昭和三十年代(1955年代)の歌手というイメージがあります。
 岩崎姉妹始め、この日のゲストのみなさんは、声の張りと伸びがありとても感心しました。心地よい歌唱が続きました。歌を聴きながら、歌と共に、同じ時代を生きてきたという共感と郷愁が湧きました。岩崎宏美さんの、『思秋期(ししゅうき)』という歌を聴きたかったのですが、あいにく今回の歌唱はありませんでした。残念。

 徹子さんとおふたりの対談では、なにせ、徹子さんの話術が巧み(たくみ。うまい)でさすがでした。頭で計算されてお話をされているのではなく、天性のものなのでしょう。徹子さんは、話題のネタをじっくり温めて、時間をかけて、前振りを続けて気分を溜めて(ためて)、ここぞという時に、話を転換させたり、ポンと盛り上げて、ひっくりかえして、オチをつくって(話の締め)大爆笑を誘います。すごいなーー
 ふつうなら話題にしにくいのですが、何千人もいるお客さんの前で、宏美さんは2回離婚した。良美さんは1回離婚した。わたしは1回も結婚しなかったと話を出して、『まあ、いいじゃないの』で締めます。徹子さんだからできる技(わざ)です。

『南こうせつさん』
 マイクを通してですが、生歌(なまうた)で、『神田川』を聴けて良かった。銭湯に通う歌です。貧乏暮らしです。半世紀ぐらい昔は、自宅にフロがある家は少なかった。銭湯や会社の共同風呂でした。わたしも銭湯通いを長いことしました。働き始めたときも、職場の独身寮から銭湯へ行っていました。そういう時代でした。独身寮は6畳一間(ろくじょうひとま)でした。寮に食堂はありました。朝食と夕食は事前に頼めば出ました。
 歌曲、『妹よ』も良かった。妹の結婚式に当たって、兄が妹のことを大事に思う歌です。何か事情があって、兄が親代わりのようなものなのでしょう。妹のことを心配する気持ちに、兄の愛情がしみじみと胸に広がります。
 ほかに歌われた歌も含めて、歌詞がきれいです。メロディーは、同じメロディーが繰り返されるのですが、心地よくて、いつまでも、いつまでも聴いていたい。

 ステージ前の席は、高齢の方たちが多いらしく、そんな話を南こうせつさんがされていました。
 昔話もはずんで、わたしは話の内容から、以前見学したことがある、『NHK放送博物館の展示』を思い出しました。虎の門ヒルズの駅あたりから歩いて見学に行きました。年配の人たちにとっては、思い出多い展示です。お若い頃の黒柳徹子さんが写っている写真も展示してありました。

 南こうせつさんは、今年の紅白歌合戦では、自分が最年長の出場者(75歳)になるのだけれど、北島三郎さんのような華やかさは自分にはないとか、自分の葬儀では、自分がつくった寂しげな曲で、棺桶のお見送りをされるのであろうとか、そんな話をユーモアたっぷりにお話しされていました。おもしろかった。

『美川憲一さんとコロッケさん』
 コロッケさんは、もう何十年も前になりますが、三重県にある長島温泉のステージを観たことがあります。なんというか、ものまねはおもしろかったのですが、観ていて、やっぱりニセモノはニセモノなのだなと少しがっかりしました。歌で人の心や気持ちを感動・感激させるという極み(きわみ。頂点)はないのです。
 その後、ものまねのやり方を転換されて、似てはいないけれど、似ているような雰囲気の世界をつくりあげられました。物まねタレントではなく、アーチスト(芸術家)になられました。
 コロッケさんの、『ロボット五木ひろしさん』を、じかに見ることができて良かった。
 それから、コロッケさんが岩崎宏美さんの歌物まねを始めたときに、本物の岩崎宏美さんが舞台横から出てきて、わたしの顔はそんな顔じゃありません!みたいにプンプンで文句を言われたシーンがおもしろおかしくて楽しかった。

 美川憲一さん(みかわ・けんいちさん)は、年齢のせいか、途中で、(たぶん)新曲の作詞だったか、作曲だったかをしてくださった人のお名前が口から出てこなくなり(ど忘れ)、だいぶ、言葉が詰まった時間が続きました。しかたがありません。だれでも歳をとるのです。歳をとると、顔はわかるけれど、思い出せない人の名前やお店の名称などの固有名詞が増えます。だれでもそうなるのです。

 徹子さんを含めた3人で、コロッケさんが太った話が続きました。コロッケさんは遠目から見ても、かなり太っておられます。100キロはないそうですが、ほんとかなあ。100キロ以上あるように見えるお体です。

 コロッケさんがやった武田鉄矢さんの物まねがおもしろかった。
 ほんの少し、5センチぐらいの段差につまずく物まねで、つまずいたときには、武田鉄矢さんは、怒っている最中(さいちゅう)という設定なのです。武田鉄矢さんが、何度もこけるまねをしていたコロッケさんでした。

*ゲストとのやりとりをしていて、ゲストの交代時に、つぼいさんというアナウンサーさんが、タイムキーパー役(時間の管理)として、ヴァイオリンを弾いて、『ゲストが交代のお時間ですよーー』を教えてくださるのですが、ヴァイオリン演奏がとてもお上手で驚かされました。たいしたものです。なにかしら、楽器演奏の下地があられるのではないかと思いました。

『平原綾香さん』
 本職は、サックス奏者という気持ちでいますということでした。師匠は、亡くなったお父さんです。親子の絆(きずな)が強いと感じました。まじめな方でした。『(人生の困難を)メロディーに助けられる』というようなご発言があった記憶です。
 ご自身は、ミュージカルに出演している。声楽は習ったことはない。独学で歌っている。歌う時の息づかいは、サックスを吹く時の、息の吹込みを利用しているということで、かなり細かく、息の吐き方・声を出すやりかたを教えていただきました。まじめな人だなあと強く感じました。
 マイクを通してですが、生歌(なまうた)を聴けて良かった。歌曲、『Jupiter(ジュピター 木星)』の歌い出しの低音では、鳥肌が立つほどの感情表現が伝わってきました。『生きるんだーー』という気持ちをこめての歌い出しなのでしょう。『エブリディ アイ リッスン トゥマイハート ひとりじゃない……』です。

 お話をされるときの声と歌う時の声がまるっきり違っていて(落差がある。しゃべるときは、かわいらしい高い声をされていました)驚きました。

『松平健さん』
 安定感があります。わかりやすい。17歳のときに、愛知県の豊橋市から俳優になることを夢見て上京して、勝新太郎さんほかの先輩たちにお世話になって、若い頃から、侍(さむいらい)将軍ドラマ『暴れん坊将軍』の主役(江戸幕府第八代将軍徳川吉宗)をやらせてもらって、とても長い間続いていると、徹子さんとお話をされていました。
 ちょんまげ姿、お着物姿のゲストで楽しい。ラストは、マツケンサンバの総踊りで盛り上がりました。最後に、パーンと大きな音がして、金色のテープが天井あたりから大量に客席に落ちてきて、華やかに盛り上がりました。実物のマツケンサンバを観るのは今年二回目で、7月に東京日本橋にある明治座で観たときに買ったサンバ棒を持ってくれば良かったと後悔しました。

 コンサート全体をとおしてですが、『継続』がキーワード、そして、テーマになっていました。
 みなさん、長いこと歌手生活、芸能生活を続けておられるのです。そして、番組も来年で50周年なのです。
 『継続』は、『信用』につながります。
 わたしは若い頃先輩から、『仕事は自分から辞めてはいけない。相手が辞めてくれと言ったら退職を考える。だけど、それでも辞めてはいけない。「給料が安い」は仕事を辞める理由にはならない。仕事とはそういうものだ。仕事があるだけでありがたいと思いなさい』と教わりました。また、『銀行は、1回来て100万円預ける客よりも、毎週1000円ずつでも、1年間続けて預金してくれる人間を信用する』とも教わりました。
 人間としての信用を築くためには、同じことをずーーっと続けることです。
 今回出演されている方々を観て考えたことです。みなさんそれぞれ長期間働いてきた実績をもっておられる方ばかりでした。
 『(仕事について)これしかできないからこれを続けている』ということはあります。ゲストである芸能人の皆さんが、事務仕事や営業回り、製造業や運転手などの労務作業をできるとは思えません。
 繰り返しになりますが、自分は、これしかできないからこれを仕事にしているのですということはあります。そばで見ていて、あのようなことをよくやれるなと思われることでも、本人にとっては、どうってことなくやれることを仕事にしているのです。仕事は、才能と努力、そして人間関係です。

(付け足しとして)
 ものすごい数の観客が一つのところに集まっているので、それなりにたいへんなこともありました。
 座席はクッション性があまりなく、長時間座っていると、お尻が痛くなるので、ときおり腰を浮かして痛みを和らげました(やわらげました)。座席の前後の長さが、男性だと足りないので、長時間は座りにくいということはありましたが、ステージの演奏や対談のようすに気持ちが入りこむので、苦痛にまでは至りませんでした。
 
 途中休憩25分間のときには、男子も女子もトイレ待ちの行列がものすごく長くて、みなさんご苦労されていました。男性はそこそこ行列が動く流れがありましたが、女性の列は最後尾がどこにあるのかもわからないような状態だったと思います。後半の始まりに間に合わなかったり、最初から行くのをあきらめたりした人も多かったと思います。
 日本武道館という古い建物の構造上、しかたがないのだろうなあと思いました。

 なにせ年配の人が多かった。だから、安全だったような気がします。終演後は、地下鉄『九段下』の駅まで、みなさん、土俵上のおすもうさんがすり足をするように、ゆっくりと前へ進んでいかれました。若い頃に、おおみそかに、友だちとふたりで名古屋の熱田神宮に行って、午前0時ごろ、大群衆の行列に並んでなかなか初もうでの列が進まなかったことを思い出しましたが、今回は、そこまでの苦痛はありませんでした。
 もうヨロヨロの高齢者の方も何人かお見かけしました。奥さんがだんなさんの手をとったり、逆にだんなさんが奥さんの体を支えたり、なかには、お孫さんがおじいさん・おばあさんの手を引いたり、大群衆でしたが、それぞれ助け合ってゆっくり前へ歩いておられました。それはそれでいい思い出になりました。みなさん、ご苦労を重ねて、人生の終盤までたどりつかれたのです。人生は楽しいこと半分、苦労半分、合わせてプラマイナスゼロでよしです。

 この夜は、地下鉄『永田町駅』の改札内にあるお店でラーメンを食べました。
 午後10時ぐらいだったのですが、日本の政治の中心地、『永田町』で働く優秀な男女である二十代の若い人たちが、食事をしながら元気よくおしゃべりを楽しんでおられました。みなさん、仕事や婚活にいっしょうけんめいなようすで感心しました。
 東京は、夜10時ごろでも人がいっぱいいてびっくりします。

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