2024年12月06日
ハロウィン 洋画 2018年
ハロウィン 洋画 2018年(平成30年) 1時間45分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。次に、『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、その次に観たのが、『悪魔の棲む家』で、今回は、こちらの『ハロウィン』を観ました。やはり、『死霊のはらわた』が一番怖かった。
わたしの動画配信サービス契約の場合、1978年の映画は、新たにサブスクリプションの契約申し込みが関係してくるので、それはやめて、2018年のものを観ました。
内容は、1978年の続編という位置づけで、殺人鬼が刑務所から移送中に職員を襲って脱走し、再び連続殺人を開始するというものでした。
前回から40年が経過しているという設定で、前回対立した、マイケル・マイヤーズ(別名ブギーマン。服役中の移送時に脱走した。わたしが観ていて思ったのは、「殺人鬼」というよりも、「殺人者」あるいは、「殺人ロボット」のように感じました。なにせ、何もしゃべらないのです。個性がありません。しわがたくさん入った白いマスクを顔にかぶると人殺しになるというマスクの効果がありました)が、40年前に闘った女子高生ローリー・ストロードと40年ぶりに闘うのです。
女子高生だったローリー・ストロードは、当然60歳近いおばあちゃんですし、おばちゃんと娘と孫娘の三人が、殺人鬼であるマイケル・マイヤーズ(ブギーマン)と、どったんばったんしながら、やりあうのです。
ハロウィン:毎年、10月31日に開催されるお祭り。わたしは、妖怪祭りだろうかと思っています。秋の収穫を祝う。悪霊を追い払う。アメリカ合衆国のこどもの祭り。仮装、コスプレ、家を回ってお菓子をもらう。
かぼちゃの風船がだんだんふくらんでいく最初あたりのシーンがいい感じでした。
なんだか、最近の中国みたいなことを話している会話です。(ナイフを持った人間がナイフを振り回す)。日本も似たようなことがあります。ぶっそうな世の中になりました。
わたしは、映画のつくり手の立場に立ってホラー映画を観るのでこわくはありません。
言葉数は多い。音楽はそれなりにおそろしく流れています。筋立ては、スムーズすぎて物足りない。(されど、最後のどんでんがえしはとても良いつくりでした)
トイレでしゃがんでいるときに襲われる。(こわいなーー)(むかーし海外旅行に行ったときに、ハンバーガーショップでトイレに入ろうとしたら、店員にトイレの鍵を渡されて、気をつけて入ってくださいと言われたことを思い出しました。外国は治安が良くありません。日本は住み心地の良い国です。日本に生まれて良かった)
おそろしい男が出て来たゾーイ!
まあ、これはひどい。血まみれですな。(つくりものの血ですが)
時間の経過が短く感じます。緊張する時間が続くからでしょう。
ハロウィンの仮装集団の中に、白い顔のマスクを付けた連続殺人犯がいます。スリル(身震いするような感じ。戦慄(せんりつ)。おそろしい)があります。
むごい。
昔、中学生ぐらいの時にテレビの洋画劇場で観た、ボニーとクライドの、『俺たちに明日はない』を思い出しました。ギャングのカップルが、ラストシーンでは、機関銃に打たれ続けて、体がハチの巣のようになります。
若い人が観る映画だなあと思って観ていましたが、おばあちゃんががんばります。やっぱり高齢者が観ても楽しめます。ホラーですが。
カメラワークを観察します。(動き、被写体のレイアウト(配置)、光景の構図など)
映像の中では、部屋の電灯をつけてくれないので、常に部屋の中は暗い。
ブギーマンが、人を殺す動機がわかりません。殺したいから殺す。脳みその病気ですな。
市街地でもバンバン発砲するのね。
流れ弾が関係ない人にも飛んできそうです。
殺人鬼には、銃でしか対抗できないのか。
『助けて!』の声ばかりです。(みんな助からない。映画ですから)
いまどきの映画です。スマホ、メール、連絡がとれないという話ばかりです。
なんだか、見たことがあるような地下室風景です。
『13日の金曜日』でも別荘の地下室がありました。そこにある井戸から悪魔が出たり入ったりしていました。
もうひとつ、死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年(昭和56年)でも山奥の別荘に地下室があって、オソロシイものが棲んでいた(すんでいた)記憶です。地下室は、こわいよーー
みんなで殺人鬼を倒すのね。
なんと、医師が(犯人を担当する精神科の主治医が)警察官を刺しました。(自分が担当する特殊な患者を研究のために生かしておきたいらしい)
助けてーーばかりです。たまには、自分でがんばってほしい。
家が要塞です。敵と戦うための構造物。
暗くてよく見えない。
よく叫ぶ人たちです。
続編をつくらなければならないので、殺人鬼をこの世から消滅させてはなりませぬ。
仕掛け、罠(わな)があります。(なるほど)
最後のシーンでは、わたしが、十代のときに、映画館で観た洋画、『風と共に去りぬ』を思い出しました。火災発生です。風と共に去りぬでは、壮大な大火災で大きなお屋敷が燃え落ちました。
現代的なホラー映画でした。(恐怖映画)
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。次に、『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、その次に観たのが、『悪魔の棲む家』で、今回は、こちらの『ハロウィン』を観ました。やはり、『死霊のはらわた』が一番怖かった。
わたしの動画配信サービス契約の場合、1978年の映画は、新たにサブスクリプションの契約申し込みが関係してくるので、それはやめて、2018年のものを観ました。
内容は、1978年の続編という位置づけで、殺人鬼が刑務所から移送中に職員を襲って脱走し、再び連続殺人を開始するというものでした。
前回から40年が経過しているという設定で、前回対立した、マイケル・マイヤーズ(別名ブギーマン。服役中の移送時に脱走した。わたしが観ていて思ったのは、「殺人鬼」というよりも、「殺人者」あるいは、「殺人ロボット」のように感じました。なにせ、何もしゃべらないのです。個性がありません。しわがたくさん入った白いマスクを顔にかぶると人殺しになるというマスクの効果がありました)が、40年前に闘った女子高生ローリー・ストロードと40年ぶりに闘うのです。
女子高生だったローリー・ストロードは、当然60歳近いおばあちゃんですし、おばちゃんと娘と孫娘の三人が、殺人鬼であるマイケル・マイヤーズ(ブギーマン)と、どったんばったんしながら、やりあうのです。
ハロウィン:毎年、10月31日に開催されるお祭り。わたしは、妖怪祭りだろうかと思っています。秋の収穫を祝う。悪霊を追い払う。アメリカ合衆国のこどもの祭り。仮装、コスプレ、家を回ってお菓子をもらう。
かぼちゃの風船がだんだんふくらんでいく最初あたりのシーンがいい感じでした。
なんだか、最近の中国みたいなことを話している会話です。(ナイフを持った人間がナイフを振り回す)。日本も似たようなことがあります。ぶっそうな世の中になりました。
わたしは、映画のつくり手の立場に立ってホラー映画を観るのでこわくはありません。
言葉数は多い。音楽はそれなりにおそろしく流れています。筋立ては、スムーズすぎて物足りない。(されど、最後のどんでんがえしはとても良いつくりでした)
トイレでしゃがんでいるときに襲われる。(こわいなーー)(むかーし海外旅行に行ったときに、ハンバーガーショップでトイレに入ろうとしたら、店員にトイレの鍵を渡されて、気をつけて入ってくださいと言われたことを思い出しました。外国は治安が良くありません。日本は住み心地の良い国です。日本に生まれて良かった)
おそろしい男が出て来たゾーイ!
まあ、これはひどい。血まみれですな。(つくりものの血ですが)
時間の経過が短く感じます。緊張する時間が続くからでしょう。
ハロウィンの仮装集団の中に、白い顔のマスクを付けた連続殺人犯がいます。スリル(身震いするような感じ。戦慄(せんりつ)。おそろしい)があります。
むごい。
昔、中学生ぐらいの時にテレビの洋画劇場で観た、ボニーとクライドの、『俺たちに明日はない』を思い出しました。ギャングのカップルが、ラストシーンでは、機関銃に打たれ続けて、体がハチの巣のようになります。
若い人が観る映画だなあと思って観ていましたが、おばあちゃんががんばります。やっぱり高齢者が観ても楽しめます。ホラーですが。
カメラワークを観察します。(動き、被写体のレイアウト(配置)、光景の構図など)
映像の中では、部屋の電灯をつけてくれないので、常に部屋の中は暗い。
ブギーマンが、人を殺す動機がわかりません。殺したいから殺す。脳みその病気ですな。
市街地でもバンバン発砲するのね。
流れ弾が関係ない人にも飛んできそうです。
殺人鬼には、銃でしか対抗できないのか。
『助けて!』の声ばかりです。(みんな助からない。映画ですから)
いまどきの映画です。スマホ、メール、連絡がとれないという話ばかりです。
なんだか、見たことがあるような地下室風景です。
『13日の金曜日』でも別荘の地下室がありました。そこにある井戸から悪魔が出たり入ったりしていました。
もうひとつ、死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年(昭和56年)でも山奥の別荘に地下室があって、オソロシイものが棲んでいた(すんでいた)記憶です。地下室は、こわいよーー
みんなで殺人鬼を倒すのね。
なんと、医師が(犯人を担当する精神科の主治医が)警察官を刺しました。(自分が担当する特殊な患者を研究のために生かしておきたいらしい)
助けてーーばかりです。たまには、自分でがんばってほしい。
家が要塞です。敵と戦うための構造物。
暗くてよく見えない。
よく叫ぶ人たちです。
続編をつくらなければならないので、殺人鬼をこの世から消滅させてはなりませぬ。
仕掛け、罠(わな)があります。(なるほど)
最後のシーンでは、わたしが、十代のときに、映画館で観た洋画、『風と共に去りぬ』を思い出しました。火災発生です。風と共に去りぬでは、壮大な大火災で大きなお屋敷が燃え落ちました。
現代的なホラー映画でした。(恐怖映画)
2024年12月05日
悪魔の棲む家(あくまのすむいえ) アメリカ映画 1979年
悪魔の棲む家(あくまのすむいえ) アメリカ映画 1979年(昭和54年) 1時間57分 動画配信サービス
動画配信サービス画面に、『超異常現象ホラー映画』と紹介がありました。
されど、観終えて、なにせ、古い映画です。45年ぐらい前の映画です。当時は、すごいと感じるものがあったのでしょうが、
今では陳腐(ちんぷ。古臭い)な映像でした。されど、積み重ねの歴史は大事です。経験が未来に向かって内容を濃くし、充実したものに伸ばしてくれます。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、今回がこの映画、『悪魔の棲む家』を観ました。これまでだと、やはり、『死霊のはらわた』が怖かった。
大きな雷の音で始まります。のちに後半再び雷の音のシーンが出ます。雷で始まり、雷で終わりにする。最初と最後のシーンをそろえるのは、映画製作の基本的なパターンなのでしょう。
一戸建ての家で一家皆殺しの殺人事件が起きるのです。長男が、家族6人を刺殺します。
その家が、事故物件として安価で売りに出るのです。大きくて立派な二階建ての家です。そばに湖があるように見えるのですが、作中では、川があると紹介されます。
その家を買ったファミリーが災難に遭う(あう)のです。夫婦とこども3人(男の子2人と女の子1人)、それからワンちゃん(犬)が1匹います。
夫婦のふたり劇を中心軸にして、キリスト教の神父とか、警察、親族、友人などがからんできます。
現実と過去(殺人事件のようすと呪われた(のろわれた)過去です。家が建っている土地に暗い歴史があったのです)が、交互に映像で出てきます。
悪魔の憑依(ひょうい。のりうつり)があります。
神父の祈りがあります。
あんまり、コワイとは思えません。
日記のように、時系列の順番で出来事が紹介されていきます。
規則的なので、先が読めて、退屈です。正攻法なのでおもしろくないのか。宗教色が強い。魔女狩り裁判、悪魔崇拝、生贄(いけにえ)、エネルギーは形を変えて蓄積(ちくせき)される。十字架をかざして立ち向かう。
夫はそれほど悩むことでもないことで悩みますし、妻は悪い夢を見て夜中に叫びます。
しかけは単純です。
車のハンドルがうまく動かなくなる。ハエがたかる。お札が消える。鍵がないのにドアがあかなくなる。窓が突然締まる。なにもかもが古い。ダイヤル式電話機、パタパタと時刻表示の数値が変わる時計など。細工の規模が小さいので、今となっては迫力がありません。
観ていて楽しい映画ではありません。なんだかつまらない。理屈が成立しない話の運びです。
<あの家には、邪悪(じゃあく。人の道からはずれている)なものが棲みついている(すみついている)>ホラーハウスです。
神父は熱演です。(観ていて、がんばれと応援したくなります)
地下室になにかある。
井戸が悪魔の通り道。
(こんな家、買うんじゃなかったな。不動産を買う時はよく考えたほうがいい)
(そして映画は、家族がお化け屋敷から引っ越しをして終わりました。あっけなかった)
動画配信サービス画面に、『超異常現象ホラー映画』と紹介がありました。
されど、観終えて、なにせ、古い映画です。45年ぐらい前の映画です。当時は、すごいと感じるものがあったのでしょうが、
今では陳腐(ちんぷ。古臭い)な映像でした。されど、積み重ねの歴史は大事です。経験が未来に向かって内容を濃くし、充実したものに伸ばしてくれます。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を最初に観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。その次に、『エルム街の悪夢』を見て、今回がこの映画、『悪魔の棲む家』を観ました。これまでだと、やはり、『死霊のはらわた』が怖かった。
大きな雷の音で始まります。のちに後半再び雷の音のシーンが出ます。雷で始まり、雷で終わりにする。最初と最後のシーンをそろえるのは、映画製作の基本的なパターンなのでしょう。
一戸建ての家で一家皆殺しの殺人事件が起きるのです。長男が、家族6人を刺殺します。
その家が、事故物件として安価で売りに出るのです。大きくて立派な二階建ての家です。そばに湖があるように見えるのですが、作中では、川があると紹介されます。
その家を買ったファミリーが災難に遭う(あう)のです。夫婦とこども3人(男の子2人と女の子1人)、それからワンちゃん(犬)が1匹います。
夫婦のふたり劇を中心軸にして、キリスト教の神父とか、警察、親族、友人などがからんできます。
現実と過去(殺人事件のようすと呪われた(のろわれた)過去です。家が建っている土地に暗い歴史があったのです)が、交互に映像で出てきます。
悪魔の憑依(ひょうい。のりうつり)があります。
神父の祈りがあります。
あんまり、コワイとは思えません。
日記のように、時系列の順番で出来事が紹介されていきます。
規則的なので、先が読めて、退屈です。正攻法なのでおもしろくないのか。宗教色が強い。魔女狩り裁判、悪魔崇拝、生贄(いけにえ)、エネルギーは形を変えて蓄積(ちくせき)される。十字架をかざして立ち向かう。
夫はそれほど悩むことでもないことで悩みますし、妻は悪い夢を見て夜中に叫びます。
しかけは単純です。
車のハンドルがうまく動かなくなる。ハエがたかる。お札が消える。鍵がないのにドアがあかなくなる。窓が突然締まる。なにもかもが古い。ダイヤル式電話機、パタパタと時刻表示の数値が変わる時計など。細工の規模が小さいので、今となっては迫力がありません。
観ていて楽しい映画ではありません。なんだかつまらない。理屈が成立しない話の運びです。
<あの家には、邪悪(じゃあく。人の道からはずれている)なものが棲みついている(すみついている)>ホラーハウスです。
神父は熱演です。(観ていて、がんばれと応援したくなります)
地下室になにかある。
井戸が悪魔の通り道。
(こんな家、買うんじゃなかったな。不動産を買う時はよく考えたほうがいい)
(そして映画は、家族がお化け屋敷から引っ越しをして終わりました。あっけなかった)
2024年12月04日
エルム街の悪夢 ホラー洋画 1984年
エルム街の悪夢 ホラー洋画 1984年(昭和59年) 91分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
そして今回は、『エルム街の悪夢』を観てみました。ちょっとこどもっぽかったかな。
女子高校生ふたり、男子高校生ふたりの合計4人が犠牲者になります。
夢の中に鉄の爪(刃物)をもった気持ちの悪い、は虫類みたいなおじさんが出てきて攻撃してくるのです。おじさんのお名前が、『フレディ』です。フレディがやって来るのです。
女子高校生の名前が、『ナンシー』と『ティナ』、男子高校生の名前が、『ロッド』と『グレン』で、ナンシーのパパは警察官です。
では、時系列の順番に感想です。
危険な爪をもつおじさんは、さいしょは、わたしにとっては、プロレスラーのイメージでした。
たしか、そういうプロレスラーがじっさいにいました。
『フリッツ・フォン・エリック 1997年(平成9年)68歳没 アメリカ人 身長193cm』
だけど、映画を観たら、化け物は、エリックさんには似ていませんでした。
わたしは、ホラー映画を始め、各種映画をつくり手の立場になって観ます。
だから、残虐シーンがあっても気持ちが悪いなあとは思いますが、怖くはありません。
なぜなら、撮影中、監督が、『カーット』と声をかけると、死んだはずの役者さんが生き返って、『さあ、休憩休憩、おやつは、何食べる?』とか話していると想像するのです。
だから、怖くないのです。
映画の映像のほうは、恐怖感を演出します。
映像が暗い。影があって、光があります。赤い血も出てきます。
恐怖を強調する。
観ている人を怖がらせるために、不安をあおる音と音楽が流れます。
眠っているときに殺人行為があるそうです。
たまたま今わたしが読んでいる本が、『儚い羊たちの祝宴(はかないひつじたちのしゅくえん) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 新潮文庫』で、最初の短編、『身内に不幸がありまして』で、眠っているときに夢見るように殺人行為をする人物が出てきます。縁がありました。本と映画の内容が重なりました。
刃物の爪で、布を引き裂く。
叫び声が響きます。女の人の叫び声なのか、あかちゃんか、ネコが鳴く声にも聞こえます。
まあ、夢の中のことなんですけどね。目が覚めると、体の一部が切られて、出血があったりもするのです。
まあ、若い男女ですから、エロい話もあります。盛りがついた高校生男女です。元気がいい。
黒電話(加入電話)の時代です。
ファッションもなつかしい服装です。
いつでも、怖いものを見に行くときは、男が先頭にさせられます。(女子はうしろです)でも、女子よりも気が弱い男子はいます。
しょせん夢の中のことか…… そのへんが、表現として、中途半端でした。現実と夢が交錯するのですが、いまいち明瞭な線引きがありませんでした。
舞台は、つくったセットであることがわかります。
化け物のフレディおじさんがですね、弱そうなのです。
こちらが、武器を持って、闘えば勝てそうなヨロヨロのおじさんなのです。フレディおじさんは、ムダに、両手が長かったりもするのです。まあ、おじさんは、おばけです。
そんなふうにフレディおじさんをばかにしながら観ていたら、女子の体がベッドの上に浮いて回り出しました。うわー、エクソシストみたい。
たいへんだーーー
どこまでが夢なのかよくわかりません。
現実と空想が入り混じっています。
ナンシーの母親が、母親に見えません。(若い)。母親はどうもアル中のようです。
『見えない力』が強調されますが、そんなものはこの世にはありません。
こどもじみている。こどもっぽい。
キモイ。は虫類のようなバケモノフレディおじさんです。
爪がとんがっているというか、刃物を指にくくりつけている。
刃物は、親指には付いていない。ほかの4本の指に付いている。
あの程度の武器なら怖くない。
どうしてこうなっているのか(夢の中のバケモノの行為で体が傷つく)原因を突き止めて、フレディおじさんと闘わねばなりません。
まあ、シンプルな台本ではある。
緩急(かんきゅう。強く弱く)を繰り返す進行が続きます。
やりたい放題の構図です。
ドリフターズか、志村けんさんのギャクコントのようでもあります。
女の幽霊は、こっけいで、笑えました。
逃げてばかりではダメだ。
闘うのだ。
あんがい勝てそうです。
あんがい、相手は弱いに違いない。
母と娘が対立するのですが、理由がわかりませんでした。
母親はフレディを知っていたというのが種明かしでした。
昔実在した殺人鬼だったそうです。町の人たちでやっつけて死んじゃったそうです。
厚みがない話です。
まあ、すごいシーンもあります。映画です。
だれかのセリフです。『(けが人を運ぶ)担架(たんか)よりも、(血の海を掃除するための)モップが必要だ』。
最後は、じょうずな終わりかたでした。
恐怖度指数はそれほど高くはありませんでした。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
キョンキョンが、いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
次に、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
そして今回は、『エルム街の悪夢』を観てみました。ちょっとこどもっぽかったかな。
女子高校生ふたり、男子高校生ふたりの合計4人が犠牲者になります。
夢の中に鉄の爪(刃物)をもった気持ちの悪い、は虫類みたいなおじさんが出てきて攻撃してくるのです。おじさんのお名前が、『フレディ』です。フレディがやって来るのです。
女子高校生の名前が、『ナンシー』と『ティナ』、男子高校生の名前が、『ロッド』と『グレン』で、ナンシーのパパは警察官です。
では、時系列の順番に感想です。
危険な爪をもつおじさんは、さいしょは、わたしにとっては、プロレスラーのイメージでした。
たしか、そういうプロレスラーがじっさいにいました。
『フリッツ・フォン・エリック 1997年(平成9年)68歳没 アメリカ人 身長193cm』
だけど、映画を観たら、化け物は、エリックさんには似ていませんでした。
わたしは、ホラー映画を始め、各種映画をつくり手の立場になって観ます。
だから、残虐シーンがあっても気持ちが悪いなあとは思いますが、怖くはありません。
なぜなら、撮影中、監督が、『カーット』と声をかけると、死んだはずの役者さんが生き返って、『さあ、休憩休憩、おやつは、何食べる?』とか話していると想像するのです。
だから、怖くないのです。
映画の映像のほうは、恐怖感を演出します。
映像が暗い。影があって、光があります。赤い血も出てきます。
恐怖を強調する。
観ている人を怖がらせるために、不安をあおる音と音楽が流れます。
眠っているときに殺人行為があるそうです。
たまたま今わたしが読んでいる本が、『儚い羊たちの祝宴(はかないひつじたちのしゅくえん) 米澤穂信(よねざわ・ほのぶ) 新潮文庫』で、最初の短編、『身内に不幸がありまして』で、眠っているときに夢見るように殺人行為をする人物が出てきます。縁がありました。本と映画の内容が重なりました。
刃物の爪で、布を引き裂く。
叫び声が響きます。女の人の叫び声なのか、あかちゃんか、ネコが鳴く声にも聞こえます。
まあ、夢の中のことなんですけどね。目が覚めると、体の一部が切られて、出血があったりもするのです。
まあ、若い男女ですから、エロい話もあります。盛りがついた高校生男女です。元気がいい。
黒電話(加入電話)の時代です。
ファッションもなつかしい服装です。
いつでも、怖いものを見に行くときは、男が先頭にさせられます。(女子はうしろです)でも、女子よりも気が弱い男子はいます。
しょせん夢の中のことか…… そのへんが、表現として、中途半端でした。現実と夢が交錯するのですが、いまいち明瞭な線引きがありませんでした。
舞台は、つくったセットであることがわかります。
化け物のフレディおじさんがですね、弱そうなのです。
こちらが、武器を持って、闘えば勝てそうなヨロヨロのおじさんなのです。フレディおじさんは、ムダに、両手が長かったりもするのです。まあ、おじさんは、おばけです。
そんなふうにフレディおじさんをばかにしながら観ていたら、女子の体がベッドの上に浮いて回り出しました。うわー、エクソシストみたい。
たいへんだーーー
どこまでが夢なのかよくわかりません。
現実と空想が入り混じっています。
ナンシーの母親が、母親に見えません。(若い)。母親はどうもアル中のようです。
『見えない力』が強調されますが、そんなものはこの世にはありません。
こどもじみている。こどもっぽい。
キモイ。は虫類のようなバケモノフレディおじさんです。
爪がとんがっているというか、刃物を指にくくりつけている。
刃物は、親指には付いていない。ほかの4本の指に付いている。
あの程度の武器なら怖くない。
どうしてこうなっているのか(夢の中のバケモノの行為で体が傷つく)原因を突き止めて、フレディおじさんと闘わねばなりません。
まあ、シンプルな台本ではある。
緩急(かんきゅう。強く弱く)を繰り返す進行が続きます。
やりたい放題の構図です。
ドリフターズか、志村けんさんのギャクコントのようでもあります。
女の幽霊は、こっけいで、笑えました。
逃げてばかりではダメだ。
闘うのだ。
あんがい勝てそうです。
あんがい、相手は弱いに違いない。
母と娘が対立するのですが、理由がわかりませんでした。
母親はフレディを知っていたというのが種明かしでした。
昔実在した殺人鬼だったそうです。町の人たちでやっつけて死んじゃったそうです。
厚みがない話です。
まあ、すごいシーンもあります。映画です。
だれかのセリフです。『(けが人を運ぶ)担架(たんか)よりも、(血の海を掃除するための)モップが必要だ』。
最後は、じょうずな終わりかたでした。
恐怖度指数はそれほど高くはありませんでした。
2024年12月03日
13日の金曜日 ホラー洋画 1980年
13日の金曜日 ホラー洋画 1980年(昭和55年)公開 1時間35分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
今度は、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
タイトルは、昔よく聞いたフレーズです。宗教が由来なのか、13日の金曜日満月の夜に恐ろしいことが起きるのです。
場所は、クリスタルレイク:呪われた(のろわれた)キャンプ場です。コテージ(小屋)に泊まります。
犠牲者は、若い男女のグループです。
時代は、1958年(昭和33年)です。
さあ、連続殺人が始まりました。
夜は部屋の中、みんなで輪になって、ギターを伴奏にしながら、フォークソングを歌います。
まあなんというか、さかりのついた元気で健康な若い人たちです。
カップルが複数います。
<ひとりずつ殺されていくのだろうか(殺されていきます)>
加害者の姿は、映像にはなかなか出ません。
加害者の視線で観える映像で殺人が進行していきます。
心をかきむしる音楽が流れ続けます。
シンプルな演劇のような始まりと流れです。
実体のある事件を、『呪い(のろい)』のせいにします。少年が池で溺死した。助けてもらえなかった少年の無念が、怨念(おんねん。復讐心。うらみ)になって、キャンプ場に遊びに来る客の命を奪い続ける。
頭のオカシイ人が何人か出てきます。おとりです。真犯人ではありません。
音楽と犯人目線の映像、そして逃げる若い女性の姿で、怖さを表現します。
殺し方もむごい。
連続殺人犯の犯行です。
<視線による恐怖感の演出>があります。
犯人はだれだろうか。
『お~れは、神の使いだ』という男性老人が現れます。
不謹慎(ふきんしん。ふまじめ)ですが、わたしは、この世に神さまはいないと思っている人間なので、あなたが(男性老人が)神の使いであるはずがないと冷ややかに(ひややかに)男性のお年寄りを見てしまいます。(自分もお年寄りですが……)
長い間生きてきてわたしは気づいたのです。神さまや仏さまにすがるような気持ちでお参りをしたことがこれまでに何度もありましたが、老いてみて、この世には神さまというものはいないのだとわかったのです。『神さまというものがいる』ということにしておけば、都合がいいということが多々あるのだということに気づいてしまったのです。
わたしは知ったのです。困難にぶつかったときは、神さまに頼らずに、自分でがんばるしかないのです。自分自身が神さまなのです。わたしは神だーーー わたしならできる!
映像は急に天気が悪くなって嵐の風雨が始まりました。
カップルで観る映画なのでしょう。怖くなったら、お隣に座っている異性のお手手(おてて)をぎゅっとにぎるのでしょう。
モノポリーというゲーム:ボードゲーム。人生ゲームみたいでした。相手を破産させるらしい。映画では、負けると服を脱ぐのです。大昔、お笑いコンビのコント55号(欽ちゃんと二郎さん(萩本欽一&坂上二郎))がテレビでやっていた野球拳(やきゅうけん)を思い出しました。ジャンケンで負けたら服を脱いでいく罰ゲームなのです。(今思うと、よくあんなことテレビで放送できました)映画のなかの男女は楽しそうに服を脱いでいきます。まあ、カップル向けの娯楽恐怖映画です。
ちょっと怖いシーンあり。(じょうずです)
キモイ。(でもじょうずです)
間(ま)をつくって映画鑑賞者に恐怖心を芽生えさせる。
不穏(ふおん。おだやかではない)な空気になる。
むごいシーンが飛び出てくる。(映画鑑賞者を恐怖におとしいれる)
最後はどうまとめるのだろうか。
犯人を退治して完了だろうか、それとも全員死亡だろうか。
こういう映画の場合、悪は生き続けたほうがいい。
(まあ、映画はそのような、予想した流れになりました)
警察を呼ぶけれど、警察は頼りにならない。
警察の仕事内容は、事後処理をすることがメインの仕事です。記録を残しておくだけです。
13日の金曜日、満月の夜には、殺人事件が起きなければならないのです。
いずれも『死』のシーンが一瞬です。短時間です。
もう少し長く引っぱるほうが効果的なのに。
(わたしは、つくり手の立場で映画を観る人間です)
そうか、13日の金曜日はだれかさんの誕生日だそうです。
そういう動機か。
最後のほうは、遊園地のお化け屋敷状態です。
刑事ドラマ、『相棒』みたい。動機は、『復讐』です。
この映画を観たときに観ていたNHK土曜ドラマ、『3000万』のフライパン振り回しシーンに似たシーンが出てきました。
フライパンみたいな形状のものは武器になるのです。
こういう終わり方か。
自分のことは自分で守る。
アメリカ合衆国らしい意識の持ち方でした。だから銃社会なのです。
助けは来てくれないから、自分が勇気をふりしぼって、敵に立ち向かっていく。
この形で終わったら、物足りない。
(もうワンシーンありました)
もう45年ぐらい前の映画です。
あのころの時代背景がなつかしい。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
いちばん怖かったという、『死霊のはらわた』を先日観ました。
今度は、こちらの『13日の金曜日』を観てみました。やはり、『死霊のはらわた』のほうが怖かった。
タイトルは、昔よく聞いたフレーズです。宗教が由来なのか、13日の金曜日満月の夜に恐ろしいことが起きるのです。
場所は、クリスタルレイク:呪われた(のろわれた)キャンプ場です。コテージ(小屋)に泊まります。
犠牲者は、若い男女のグループです。
時代は、1958年(昭和33年)です。
さあ、連続殺人が始まりました。
夜は部屋の中、みんなで輪になって、ギターを伴奏にしながら、フォークソングを歌います。
まあなんというか、さかりのついた元気で健康な若い人たちです。
カップルが複数います。
<ひとりずつ殺されていくのだろうか(殺されていきます)>
加害者の姿は、映像にはなかなか出ません。
加害者の視線で観える映像で殺人が進行していきます。
心をかきむしる音楽が流れ続けます。
シンプルな演劇のような始まりと流れです。
実体のある事件を、『呪い(のろい)』のせいにします。少年が池で溺死した。助けてもらえなかった少年の無念が、怨念(おんねん。復讐心。うらみ)になって、キャンプ場に遊びに来る客の命を奪い続ける。
頭のオカシイ人が何人か出てきます。おとりです。真犯人ではありません。
音楽と犯人目線の映像、そして逃げる若い女性の姿で、怖さを表現します。
殺し方もむごい。
連続殺人犯の犯行です。
<視線による恐怖感の演出>があります。
犯人はだれだろうか。
『お~れは、神の使いだ』という男性老人が現れます。
不謹慎(ふきんしん。ふまじめ)ですが、わたしは、この世に神さまはいないと思っている人間なので、あなたが(男性老人が)神の使いであるはずがないと冷ややかに(ひややかに)男性のお年寄りを見てしまいます。(自分もお年寄りですが……)
長い間生きてきてわたしは気づいたのです。神さまや仏さまにすがるような気持ちでお参りをしたことがこれまでに何度もありましたが、老いてみて、この世には神さまというものはいないのだとわかったのです。『神さまというものがいる』ということにしておけば、都合がいいということが多々あるのだということに気づいてしまったのです。
わたしは知ったのです。困難にぶつかったときは、神さまに頼らずに、自分でがんばるしかないのです。自分自身が神さまなのです。わたしは神だーーー わたしならできる!
映像は急に天気が悪くなって嵐の風雨が始まりました。
カップルで観る映画なのでしょう。怖くなったら、お隣に座っている異性のお手手(おてて)をぎゅっとにぎるのでしょう。
モノポリーというゲーム:ボードゲーム。人生ゲームみたいでした。相手を破産させるらしい。映画では、負けると服を脱ぐのです。大昔、お笑いコンビのコント55号(欽ちゃんと二郎さん(萩本欽一&坂上二郎))がテレビでやっていた野球拳(やきゅうけん)を思い出しました。ジャンケンで負けたら服を脱いでいく罰ゲームなのです。(今思うと、よくあんなことテレビで放送できました)映画のなかの男女は楽しそうに服を脱いでいきます。まあ、カップル向けの娯楽恐怖映画です。
ちょっと怖いシーンあり。(じょうずです)
キモイ。(でもじょうずです)
間(ま)をつくって映画鑑賞者に恐怖心を芽生えさせる。
不穏(ふおん。おだやかではない)な空気になる。
むごいシーンが飛び出てくる。(映画鑑賞者を恐怖におとしいれる)
最後はどうまとめるのだろうか。
犯人を退治して完了だろうか、それとも全員死亡だろうか。
こういう映画の場合、悪は生き続けたほうがいい。
(まあ、映画はそのような、予想した流れになりました)
警察を呼ぶけれど、警察は頼りにならない。
警察の仕事内容は、事後処理をすることがメインの仕事です。記録を残しておくだけです。
13日の金曜日、満月の夜には、殺人事件が起きなければならないのです。
いずれも『死』のシーンが一瞬です。短時間です。
もう少し長く引っぱるほうが効果的なのに。
(わたしは、つくり手の立場で映画を観る人間です)
そうか、13日の金曜日はだれかさんの誕生日だそうです。
そういう動機か。
最後のほうは、遊園地のお化け屋敷状態です。
刑事ドラマ、『相棒』みたい。動機は、『復讐』です。
この映画を観たときに観ていたNHK土曜ドラマ、『3000万』のフライパン振り回しシーンに似たシーンが出てきました。
フライパンみたいな形状のものは武器になるのです。
こういう終わり方か。
自分のことは自分で守る。
アメリカ合衆国らしい意識の持ち方でした。だから銃社会なのです。
助けは来てくれないから、自分が勇気をふりしぼって、敵に立ち向かっていく。
この形で終わったら、物足りない。
(もうワンシーンありました)
もう45年ぐらい前の映画です。
あのころの時代背景がなつかしい。
2024年12月02日
死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年
死霊のはらわた(しりょうのはらわた) 洋画 1981年(昭和56年) 1時間25分 動画配信サービス
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
いちばん怖かったのが、『死霊のはらわた』だったそうです。
さっそく観てみました。
わたしはつくり手の立場で観るので怖くはありません。
5人の学生風若者たちです。
男がふたり、女が3人。大きなアメ車で、山の中の古い家屋に到着しました。別荘だろうか。
危機として、途中、山道で中型トラックみたいな車と、①正面衝突しそうになりました。
犠牲者たちです。映画館で観たほうが、怖い(こわい)だろうなあ。
主人公男子 アッシュ
アッシュの姉 シェリル
アッシュの恋人 リンダ
アッシュの友人 スコット
スコットの恋人 シェリー
危機として、②車が橋から落ちそうになりました。③無音の画面、④ゴンゴンと繰り返す音、⑤午後5時52分に掛け時計の針が止まりました。⑥絵を描いていたら、勝手に手が動き出して、オバケの絵を描いてしまったようです。⑦地下へつながる階段がある木造の床のフタが動きました。以降、いろいろあります。
いきなり何かが起きる。そーっと何かが起きる。危険があります。
推測→笑い→恐怖の流れです。
ゆっくり、ていねいにつくってあります。ゴリラみたいな、悪魔の顔の彫り物、ガイコツ、しゃれこうべ(頭蓋骨(ずがいこつ))。オープンリールテープのテープレコーダー、1970年代(昭和45年代)という時代を感じます。
遺跡とか、死者の本とか、悪霊が生き返るとか、呪文を唱える(じゅもんをとなえる)とか。
白い煙が出て、夜空に月が浮いて、ルーペ(虫メガネ)のようなペンダントがあります。
いっぱいのヒモで体中を縛られる(しばられる)。
(まあ、すごいことをなさるのね)
シンプルなつくりです。悪霊が追う。悪霊から逃げる。犠牲者が出る。
鍵が開かない(あかない)。あせる。鍵があっても、助けにならない。
車のエンジンがかからない。うまくいかないことが続きます。
橋が落ちている。町には戻れない。<大地震のあとのようでもあります>
ヒットした邦画、『カメラを止めるな!』にも似た雰囲気があります。
憑依(ひょうい。悪魔が体に入りこむ)があります。洋画、『エクソシスト』みたい。
痛い! これは怖い。本物の悪魔です。すごいなあ。
『恐怖』が歩いている。
『恐怖』が追ってくる。
逃げられるだろうか。
『(こっちに)来るんだ!』と悪魔が叫ぶ。
悪魔は、笑っているのか。叫んでいるのか。わからない。声はする。声は聞こえる。
うわーっ これは怖い!
血が流れる。
なんじゃ、こりゃーーー
サンキュー(サンキューという言葉が怖い)
武器がいります。
悪魔に立ち向かうために武器がいる。
グロイなあ。(グロテスク)。つくりものの血が大量に流れます。
がんばれ悪魔くーんと応援したくなる。(悪魔のほうの好演技を期待する応援です)
かなり、いい感じです。
まあ、ボロボロですなあ。
悪魔は、死なないと思う。
Hit it!((武器で相手を)やるんだ!)
すさまじい。力作です。(これは夢じゃなかろうか。夢であってほしい)
ちょっと、こどもには見せられない(映画です)。
生き物は、いつかは死ぬ。最後は死ぬ。埋葬する。
海の波が次から次に押し寄せるように、恐怖という波が押し寄せてきます。
みんなゾンビみたいになっちゃった。
なんだか、認知症になってしまった人のようでもある。意思疎通ができません。されど、『共存』の道を選ぶしかありません。
姉さんをどうする。
びっくりしたなあもう。そっちもかい。コワイ、コワイ、コワイ。にぎやかではある。
主人公男子のアッシュは忙しい。たいへんな目にあっています。
気持ち悪い。パワフルな女悪魔です。手も足もつかまれた。さて、どうなる。クライマックスですなあ。みなさん熱演です。
もうがんばらなくていい。そんなにがんばらなくていい。アッシュにかける言葉です。
目が開いたり(あいたり)、閉じたりの演技が恐怖を生みます。
けっこう怖い。古いけれど、いい映画です。傑作です。優れています(すぐれています)。
すごい→すばらしい恐怖の演出です。小泉今日子さんお勧めのホラームービーです。恐れ入りました。(まいりました)。
うまいなあ。よくねりこんである演出です。
今年観て良かった一本になりました。
ち密に事柄が積み重ねられています。
言葉のやりとりは少ない。『恐怖』に言葉はいらない。世界共通の感覚があればいい。
時間が戻りました。(掛け時計の針)。過去へ戻って終わりか。(そうはならない)。
キモイ。
朝が来ました。もうひと動きあります。
終わり方はこれでいい。
特殊撮影を楽しむ映画でもありました。
先日読んだ本が、小泉今日子さんが書いた、『黄色いマンション 黒い猫 新潮文庫』でした。
若い頃、ホラー映画にはまって、よく観ていたそうです。
キョンキョンのお勧めホラー映画です。
1978年(昭和53年) ハロウィン
1979年(昭和54年) 悪魔の棲む家(あくまのすむいえ)
1980年(昭和55年) 13日の金曜日
1981年(昭和56年) 死霊のはらわた(しりょうのはらわた)
1984年(昭和59年) エルム街の悪夢
いちばん怖かったのが、『死霊のはらわた』だったそうです。
さっそく観てみました。
わたしはつくり手の立場で観るので怖くはありません。
5人の学生風若者たちです。
男がふたり、女が3人。大きなアメ車で、山の中の古い家屋に到着しました。別荘だろうか。
危機として、途中、山道で中型トラックみたいな車と、①正面衝突しそうになりました。
犠牲者たちです。映画館で観たほうが、怖い(こわい)だろうなあ。
主人公男子 アッシュ
アッシュの姉 シェリル
アッシュの恋人 リンダ
アッシュの友人 スコット
スコットの恋人 シェリー
危機として、②車が橋から落ちそうになりました。③無音の画面、④ゴンゴンと繰り返す音、⑤午後5時52分に掛け時計の針が止まりました。⑥絵を描いていたら、勝手に手が動き出して、オバケの絵を描いてしまったようです。⑦地下へつながる階段がある木造の床のフタが動きました。以降、いろいろあります。
いきなり何かが起きる。そーっと何かが起きる。危険があります。
推測→笑い→恐怖の流れです。
ゆっくり、ていねいにつくってあります。ゴリラみたいな、悪魔の顔の彫り物、ガイコツ、しゃれこうべ(頭蓋骨(ずがいこつ))。オープンリールテープのテープレコーダー、1970年代(昭和45年代)という時代を感じます。
遺跡とか、死者の本とか、悪霊が生き返るとか、呪文を唱える(じゅもんをとなえる)とか。
白い煙が出て、夜空に月が浮いて、ルーペ(虫メガネ)のようなペンダントがあります。
いっぱいのヒモで体中を縛られる(しばられる)。
(まあ、すごいことをなさるのね)
シンプルなつくりです。悪霊が追う。悪霊から逃げる。犠牲者が出る。
鍵が開かない(あかない)。あせる。鍵があっても、助けにならない。
車のエンジンがかからない。うまくいかないことが続きます。
橋が落ちている。町には戻れない。<大地震のあとのようでもあります>
ヒットした邦画、『カメラを止めるな!』にも似た雰囲気があります。
憑依(ひょうい。悪魔が体に入りこむ)があります。洋画、『エクソシスト』みたい。
痛い! これは怖い。本物の悪魔です。すごいなあ。
『恐怖』が歩いている。
『恐怖』が追ってくる。
逃げられるだろうか。
『(こっちに)来るんだ!』と悪魔が叫ぶ。
悪魔は、笑っているのか。叫んでいるのか。わからない。声はする。声は聞こえる。
うわーっ これは怖い!
血が流れる。
なんじゃ、こりゃーーー
サンキュー(サンキューという言葉が怖い)
武器がいります。
悪魔に立ち向かうために武器がいる。
グロイなあ。(グロテスク)。つくりものの血が大量に流れます。
がんばれ悪魔くーんと応援したくなる。(悪魔のほうの好演技を期待する応援です)
かなり、いい感じです。
まあ、ボロボロですなあ。
悪魔は、死なないと思う。
Hit it!((武器で相手を)やるんだ!)
すさまじい。力作です。(これは夢じゃなかろうか。夢であってほしい)
ちょっと、こどもには見せられない(映画です)。
生き物は、いつかは死ぬ。最後は死ぬ。埋葬する。
海の波が次から次に押し寄せるように、恐怖という波が押し寄せてきます。
みんなゾンビみたいになっちゃった。
なんだか、認知症になってしまった人のようでもある。意思疎通ができません。されど、『共存』の道を選ぶしかありません。
姉さんをどうする。
びっくりしたなあもう。そっちもかい。コワイ、コワイ、コワイ。にぎやかではある。
主人公男子のアッシュは忙しい。たいへんな目にあっています。
気持ち悪い。パワフルな女悪魔です。手も足もつかまれた。さて、どうなる。クライマックスですなあ。みなさん熱演です。
もうがんばらなくていい。そんなにがんばらなくていい。アッシュにかける言葉です。
目が開いたり(あいたり)、閉じたりの演技が恐怖を生みます。
けっこう怖い。古いけれど、いい映画です。傑作です。優れています(すぐれています)。
すごい→すばらしい恐怖の演出です。小泉今日子さんお勧めのホラームービーです。恐れ入りました。(まいりました)。
うまいなあ。よくねりこんである演出です。
今年観て良かった一本になりました。
ち密に事柄が積み重ねられています。
言葉のやりとりは少ない。『恐怖』に言葉はいらない。世界共通の感覚があればいい。
時間が戻りました。(掛け時計の針)。過去へ戻って終わりか。(そうはならない)。
キモイ。
朝が来ました。もうひと動きあります。
終わり方はこれでいい。
特殊撮影を楽しむ映画でもありました。
2024年11月28日
大鹿村騒動記 邦画 2011年
大鹿村騒動記 邦画 2011年(平成23年) 1時間33分 動画配信サービス
観終えて、来年はどこかの時期に、東京の歌舞伎座や新橋演舞場などで歌舞伎を観たくなりました。
銀座の歌舞伎座は見学したことがありますが、お土産(おみやげ)売り場と建物の屋上にある展示やお庭を楽しんだだけです。
こちらの映画を観て、きれいな舞台を一度観てみたいという気持ちになりました。
映画のほうは、ローカル感ただよう長野県の山の中です。
紅葉しているのに、台風が来るという、ちょっと季節が違うのではないかという違和感がありました。
認知症みたいになっている記憶障害の女性が、おかしくなったり、正常になったりして、おもしろかった。
映画の素材となった村の歌舞伎は、300年の歴史があるそうです。さかのぼって、西暦1700年ぐらいだと江戸時代ですな。
設定として、リニア新幹線の建設が地中であるそうです。賛成・反対両方の意見があるようですが、映画にはあまり影響がありませんでした。話題です。
ゆったり流れる時間が心地よい。日本各地の山奥にある暮らしぶりです。
いなかの人たちは、幼なじみが多い。都会のように、自分と関係ない人間は石ころと同じという扱いではありません。
人妻と駆け落ちの過去ありです。夫婦と妻を奪った男の関係は、三人とも幼なじみで、仲間で、昔は、鹿牧場の共同経営をしていた人たちです。よくある三角関係です。
恋をして、好いた(すいた)、惚れた(ほれた)と、いろいろあります。そして、恋愛が成就しても、たいていは、女も男も、こんなはずじゃなかったと思うのです。(そこを乗り越えてからが、人間づきあいとしての男女関係の本番なのです)
記憶障害が、万引きという行為につながるそうです。認知症のおばあさんみたいです。
それぞれ事情がある人たちが、チームワークをつくって、歌舞伎を完成させて上演します。万雷(ばんらい。盛大な)の拍手です。
地上デジタル放送普及の話題があります。(そういうことがあったなあ。今から20年ぐらい前のことです)
映画では、演劇の楽しみがありました。暴風雨の台風が去って、いいお天気の映像です。
華やかな、『美(び)』があります。
『かしこ・まって・ござります』というセリフ付近のリズム感あふれるやりとりが楽しかった。
衣装は、金ぴかキラキラで、マツケンサンバみたい。
赤色、朱色、黄色、黒、白、キラキラできれいです。
緑色した松の木の絵が映えています。
歌舞伎の上演は、共同作業です。
それぞれが、自分の役割を果たしていきます。
『怨み(うらみ)は、これまで』
暗闇の中の鹿の瞳が良かった。
おもしろかった。
観終えて、来年はどこかの時期に、東京の歌舞伎座や新橋演舞場などで歌舞伎を観たくなりました。
銀座の歌舞伎座は見学したことがありますが、お土産(おみやげ)売り場と建物の屋上にある展示やお庭を楽しんだだけです。
こちらの映画を観て、きれいな舞台を一度観てみたいという気持ちになりました。
映画のほうは、ローカル感ただよう長野県の山の中です。
紅葉しているのに、台風が来るという、ちょっと季節が違うのではないかという違和感がありました。
認知症みたいになっている記憶障害の女性が、おかしくなったり、正常になったりして、おもしろかった。
映画の素材となった村の歌舞伎は、300年の歴史があるそうです。さかのぼって、西暦1700年ぐらいだと江戸時代ですな。
設定として、リニア新幹線の建設が地中であるそうです。賛成・反対両方の意見があるようですが、映画にはあまり影響がありませんでした。話題です。
ゆったり流れる時間が心地よい。日本各地の山奥にある暮らしぶりです。
いなかの人たちは、幼なじみが多い。都会のように、自分と関係ない人間は石ころと同じという扱いではありません。
人妻と駆け落ちの過去ありです。夫婦と妻を奪った男の関係は、三人とも幼なじみで、仲間で、昔は、鹿牧場の共同経営をしていた人たちです。よくある三角関係です。
恋をして、好いた(すいた)、惚れた(ほれた)と、いろいろあります。そして、恋愛が成就しても、たいていは、女も男も、こんなはずじゃなかったと思うのです。(そこを乗り越えてからが、人間づきあいとしての男女関係の本番なのです)
記憶障害が、万引きという行為につながるそうです。認知症のおばあさんみたいです。
それぞれ事情がある人たちが、チームワークをつくって、歌舞伎を完成させて上演します。万雷(ばんらい。盛大な)の拍手です。
地上デジタル放送普及の話題があります。(そういうことがあったなあ。今から20年ぐらい前のことです)
映画では、演劇の楽しみがありました。暴風雨の台風が去って、いいお天気の映像です。
華やかな、『美(び)』があります。
『かしこ・まって・ござります』というセリフ付近のリズム感あふれるやりとりが楽しかった。
衣装は、金ぴかキラキラで、マツケンサンバみたい。
赤色、朱色、黄色、黒、白、キラキラできれいです。
緑色した松の木の絵が映えています。
歌舞伎の上演は、共同作業です。
それぞれが、自分の役割を果たしていきます。
『怨み(うらみ)は、これまで』
暗闇の中の鹿の瞳が良かった。
おもしろかった。