2025年01月22日
名もなき世界のエンドロール 行成薫 集英社文庫
名もなき世界のエンドロール 行成薫(ゆきなり・かおる 男性) 集英社文庫
『俺』キダちゃん(亡くなったキダタローさんを思い出しました):30歳過ぎの男性。ビビリ症。183cm、80kg。運動はできる。
澤田マコト:『俺』の同級生。小学一年生からの付き合いがある。変人。俺がつくったニックネームが、『ドッキリリスト』。現在は、ワイン輸入代行会社の社長。アルコールを扱う仕事なのに下戸(げこ。酒を飲めない。そんな人がこの仕事に就けるとは思えません。メロンソーダが好きだそうです)。体格は、キダちゃんと比べるとかなり劣る。でも、神経はキダちゃんよりずいぶん太い。
はじまりから何度も、『煙草(たばこ)を吸う話』ばかりです。なんだかなあ。現代社会は禁煙の世の中です。
セリフで話をつないでいく文章の表現方式です。
俺は高校時代、野球部員だった。甲子園を目指していたが、地方予選であっさり負けた。
14ページまで読んで、煙草と酒の話が多いので、もう読むのをやめようかなと思う。
だらしない人間の手記のようです。
15ページになって、『この一本を吸い終えたら、煙草をやめることになる(禁煙する)』という文章が出てきたので読み進めることにしました。
その後、『俺』は、いなか道にある押しボタン式信号が青になったので、道を渡ろうとしたら、信号無視の猛スピードで走ってきた黒いステーションワゴンにはねられそうになりました。『俺』の命はかろうじて助かりました。(この部分は、未来で起きることの暗示です)
『硬直した世界とナポリタン』
◇半年前 三十歳
ミルキー・ミルキー:ファミリーレストランの店舗名
タバスコ:とうがらしでつくった赤くて辛い(からい)ソース
ブート・ジョロキア:世界一辛いとうがらし
リサ:真っ赤なスポーツカーを運転している。マコトの彼女。大手飲食店グループの社長の一人娘ファッションモデルをしている。知名度あり。ワガママ娘
『断片(1)』
どういう形式の文章なのだろうか?
『捻じ曲がった秩序とコーラ(ねじまがったちつじょとコーラ)』
◇十三年前 十七歳
高校三年生二学期。俺とマコトの日々
ヨッチ:男ふたりの同級生女子。小学校5年生の2学期途中に転校してきた。親がいない(施設からの通学だろうか。なお、マコトも俺も、親がいないらしい。ヨッチは、背はそんなに高くない。かわいくはないけれどブスでもない。やたら体が細い。金髪
楠田(くすだ):ニックネームが、「クソ田」。体罰をする小学校の女教師。三十代なかば。三人の思い出話に出てくる。こどものころ、楠田に仕返しをした。コーラ缶を振って、楠田にぶちまけた。
(なかなかおもしろい。わたしが小学校低学年のときは、児童間のいじめよりも教師の体罰がひどかったことを思い出しました。合法的な暴力です。親も助けてくれません。むしろ、親は、暴力を振るう先生の味方をしていました。女性の教師でもひどかった。授業中にクラスメートがパンパン連続でビンタされると、自分がたたかれているようで悲しかったことを覚えています。半世紀ぐらい前までは、先生は神様か聖職者扱いでした)
なんだか、せつなそうな展開になりそうです。
(つづく)
『断片(2)』
とくにコメントはありません。
『憂鬱な雨と不法侵入』
◇七年前 二十四歳
佐々木:マキシマムフードサービスの経営者
キダ(城田):佐々木に殺し屋と間違えられるが、殺し屋ではない。「交渉屋」である。
佐々木に、女と別れてくれと交渉する。
う~む。この小説は、どうしたいのだろうか。
『断片(3)』
さきほどの女が、「リサ」だと判明する。
う~む。なぜもう終ってしまった昔のことばかりにこだわるのだろう。過ぎてしまったことは、過ぎてしまったことです。(読み終えて、こだわらなければならないのでした)
『赤い傷痕(きずあと)とチキン・レース』
◇十年前 二十歳
澤田マコトが働いている店の「有限会社宮沢板金塗装」という看板を、「AUTO SHOP JIM(オートショップジム)」に変える。JIMは、洋画、「理由なき反抗」でジェームス・ディーン(車で事故死した。24歳没)が演じた主役のジムのこと。(なつかしい。1955年昭和30年の作品です)
生きていくために必要なもの(勇気、想像力、少しの金。引用は、洋画チャップリンの「ライムライト」から)
バカ女が出てきます。金さえ出せば、なんでもできると思っているバカ女です。
リサです。
『断片(4)』
わたしからのコメントは、とくにありません。
『生きる意味とエンドロール』
◇五ヶ月前 三十歳
㈱川畑洋行(かわばたようこう)の川畑:交渉屋の城田(きだ)に仕事を回している。
城田は、仕事をするにあたって、リンゴがほしい。川畑からもらう。(リンゴは、比喩(ひゆです。何かをリンゴにたとえている)
ヨッチは、中の上の高校へ進学した。
城田とマコトは、底辺から少し上の高校へ進学した。
ヨッチ(女子)には、病死した実父(本パパと呼ぶ)と、母親再婚後の継父(偽パパと呼ぶ)がいる。
ヨッチの母親は、こどもよりも男を取った。
ヨッチは、母方祖父母に引き取られた。ヨッチが小学5年生のときだった。
ヨッチは、映画が好きだ。映画のエンドロールを見ることが好きだ。(エンドロール:関係者名簿)
『生きるということに理由が必要なんじゃなくて、みんな自分が生きていることに理由をつけたいだけなんだよ……』(昨年暮れのM-1を見ていたら、出場したコンビのひとりが、『人生に意味なんていらないんだ!』と言ったところで爆笑しました。確かに、人が生きていくうえで、『意味』はいらないのです。意味:内容、概念がいねん。形、説明)
『断片(5)』
道路で、犬が車にひかれて、死んでいます。
小学生のヨッチが、犬のそばにしゃがんていた。朝からずーっと、学校にこないで、しゃがんで、犬のおなかを指先でなでていた。
そのうち、回収業者が来て犬を回収していった。
『夕暮れの海と約束のフィルム』
◇十六年前 十五歳
作者は、青春の残像(思い出)を描きたいのか。
三人はいつもいっしょにいる。
三人とも、実親がいない者どうしだから、気持ちが通じ合うものがある。
城田(キダ)とマコトは、親戚の家に預けられている。ヨッチは、母方祖父母の家に預けられている。おとなの顔色をうかがいながら生活していたと話がある。
『親が死んでさ、自分の根っこを失くしたんだと思うんだよ』
男ふたりは、ヨッチに会うまで、笑うことがなかった。ヨッチは、根っこがなくても笑う人だった。いっしょにいて、救われるものがあった。
マコトは、ドッキリ企画が好きである。
ドッキリを仕掛けて、相手が驚いた顔を見たい。快感がある。
148ページあたりが、この小説の主題(テーマ)か。
女子であるヨッチの話です。
『(自分がそこにいるという)存在を消されるのが怖い(こわい)』
小学生のときにいじめにあった。
最後は存在を消された。存在を消された時が、一番つらかった。
(だから、映画のエンドロールを自分の人生として、関係者名簿であるエンドロールに、自分の名前を載せたいという願望があるのでしょう)
『最後はさ、無いもの扱いされる。教室にある自分の名前が書いてあるものが消されて、椅子も机もなくなって、誰も話しかけてくれないし、教室に居場所がなくなって、あたしは、床に座って何もせずに過ごすしかない。先生も助けてくれなかった……』
『いじめられる方が悪いなんてことは、一ミリたりとも、絶対にねえんだよ』
いじめた人間たちは、今もどこかで生きていて、平気な顔をして暮らしている。
いじめられた人間は、一生、いじめた人間のことを忘れない。(この小説のテーマが、『復讐(ふくしゅう。仕返し)』です)
三人は、ヨッチをいじめた男たちに話をしに行って殴り合いのケンカになります。
『断片(6)』
また、煙草の煙を吸っています。(禁煙して幸せになりましょう)
『見下ろす夜景と見上げる灯り』
◇四ヶ月前 三十歳
小野瀬(おのせ。マコトの苗字(みょうじ))
ボブ:黒人
ジジイ:会社社長。ワインの輸入業。金持ち。末期がんで余命半年。家族に逃げられた孤独なジジイ
JIM:澤田マコトが働いていた店の「有限会社宮沢板金塗装」の変更後の店名のこと。「AUTO SHOP JIM(オートショップジム)」。JIMは、洋画、『理由なき反抗』でジェームス・ディーンが演じた主役のジムのこと。
澤田マコトは、JIMを半年前に退職して、東京へ行った。城田(キダちゃん)は、東京へ行き澤田マコトと再会した。澤田マコトは、黒人のボブに顔をなぐられて、顔がはれていた。
プロポーズ大作戦:婚活のことだろうか。派手なモデルみたいな女、『リサ』と結婚したいということだろうか。ちょっと今は意味がわかりません。
澤田マコトは、4500万円用意して、お金持ちのジジイからジジイの会社を買いたい。
ワイン会社だが、澤田マコトは、お酒は飲めない。
<186ページ(全体で339ページ)まできましたが、いったん一部分を整理してみます>
なぜ、こんなに、昔の部分にこだわる書き方(レイアウト)をしてあるのだろう。今はまだわかりません。
① 半年前 30歳(年齢は、語り手の城田ちゃん(きだちゃん)、小野瀬マコトとヨッチ(女性)の年齢。三人は同級生。
② 7年前 24歳 リサが登場する(お金持ちのわがまま娘。小野瀬マコトは、リサと結婚してお金持ちになりたい)
③ 10年前 20歳
④ 5か月前 30歳
⑤ 16年前 15歳
⑥ 4か月前 30歳
⑦ 7年前 24歳
⑧ 13年前 18歳
(読んでいる部分に戻ります)
リンゴ:リンゴがこのあと鍵を握るようです。(リンゴ=爆弾)
IPO:Initial Public Offering 新規株式公開。企業が初めて株を市場で売り出す。
192ページから深い話になります。
小野瀬マコト(いつの間にか苗字(みょうじ)が、澤田マコトから小野瀬マコトに変わっています。201ページに種明かしがあります)の話です。
マコトはリサと結婚したい。リサはわがままで勝手な性格だから、まともな男では、結婚は長続きしない。リッチなリサの父親は、娘婿(むすめむこ)に次のことを期待する。自分の手足になってくれる若い男に娘を押し付ける。娘婿をいろいろ利用しよう。(それが現実だ)
リサは、金や物はたっぷり与えられたが、純粋な愛情を与えてもらえない立場だ。父親にとって娘は、自分が商売をしていくうえでの道具だ。
『断片(7)』
学校のことです。教頭の訓示のような話があります。
(教頭は、生徒のために話しているのではない。話をしている自分が教育熱心という印象をもたれたいから話している)
この部分を読んで自分なりに思い出したことがあります。
学校時代、教師から、おまえたちは、そんなふうでは、社会に出てからちゃんとやっていけないぞとよく叱られました。もっとまじめにやれと教育されました。
社会に出たら、まわりは、いいかげんな人でいっぱいでした。人をだまして、人がかせいだお金を横取りしようとする人がいっぱいいました。うそつきがいっぱいいました。何度もだまされました。
『(人を)信じる』ことは大事ですが、同時に、『疑う』ことも大事です。学校で、きれいごとだけを教えられたら、こどもの心は社会に出たら、へし折れます。
そんなことを思い出しました。
いいなあと思ったセリフです。
『私たちには、無限の未来なんかありません……』
なかなか良くなってきました。今年読んで良かった一冊になるかもしれません。
『沈黙の銃とアイデンティティ』(アイデンティティは、自分の信念、価値観、自分の社会的役割、自分の根っこ。自分とは何かという問いに対する答(こたえ))
◇七年前 二十四歳
交渉屋:城田(きだ)のこと。
ID:アイディー。アイデンティティ
『つまり、僕は、存在ごと売却されたわけだ……』(この話の肝(きも。肝心なところ)かもしれない)
『自分って、いったいなんなんだ……』
『自分は何のために生きてるんだ……』(哲学的です)
『そういうこと考えると、死にたくなるだろ……』(でも、たいていは死なない)
株式会社川畑洋行:輸入代行業。輸入以外にもいろいろやっている。
この時城田は21歳だった。
城田の両親は、城田が9歳の時に事故死した。
(両親がいなくなってから、城田はどんな気持ちで生きてきたのだろう。自分の存在をどのように定義してこの世に存在してきたのだろう。この世に、いてもいなくても良い存在だったのかもしれないという雰囲気があります)
『必然性と理由があれば……』(人殺しもありか)
ときおり、『ドッキリ』の話が出ます。どっきりカメラのどっきりです。
びっくりする。びっくりさせられる。びっくりさせる。
『この世界を回している人間は、九十九パーセントが嘘つきだからね……』(同感です。世界は、誤解と錯覚で成り立っているのです)
『……自分を放棄して待っていた……』(自分を放棄する)
運び屋:運搬専門
親がいないこどもの人生は、もう消えてなくなっているようなものだそうです。
『断片(8)』
世の中は、非情です。
『マチルダ』
◇十三年前 十八歳
マコトが、『どっきり』にこだわる理由:マコトの母親が、(心の病が原因で)しゃっくりがひどかった。母親のしゃっくりを止めるために、こどもだったマコトは、母親にどっきりをしかけることを覚えた。マコトの父親は、女をつくって家から出て行っていた。マコトにとって、母親は唯一の頼れる存在だった。どっきり=びっくり(しゃっくりが止まった)。でも、母親は失踪して、マコトの前から消えた。
『誰かに、何かを伝えるって、難しいね』
『さびしい、ってかさ、さみしい』
城田ちゃんの両親は、城田ちゃんが小学校にあがる数日前、ふたりで買い物に行った。ふたりが乗っていた車に、トラックの荷台から数トンもある鋼材が落ちてきて、両親の体は一瞬でつぶれてしまった。両親が死んだというよりも、突然いなくなった。城田ちゃんは、叔父さん伯母さんの家で育てられた。
『両親のことを思うと、さみしいというよりは、懐かしいという、気分になるよ』
自分の人生にリアリティがないと城田ちゃんが言います。俺は、『俺』という人間をずっとうしろからながめながら生きている。(なかなか書けることではありません)
自分の人生を他人事のような立場でながめている。
同じく親がいないヨッチが言います。『あたしたちは、やっぱりちょっと、何かが欠けている』
洋画、『フォレスト・ガンプ』の話が出ます。名作です。わたしも何度も見返しました。
無粋(ぶすい):微妙なやりとりがわからない感覚。やぼ。融通がきかない。ユーモアを受け入れない。男女のことがわかっていないなど。
繊細です。(せんさい:微妙で感じやすい。かぼそい)
『運命』とか、『宿命』を感じます。『恋愛ドラマ』、『人生ドラマ』です。
洋画、『レオン』(観たことがあります。すさまじい撃ち合いシーンがあった記憶です。マチルダという少女が出てきます。少女が、殺し屋を味方につけて、ギャングと戦います。少女はギャングに殺されそうなのです)
ヨッチが、小学校でいじめられた話が出ます。
ヨッチは、マチルダだった。マコトと城田が、殺し屋だった。ヨッチは、マコトと城田に救われた。三人とも親がいないこどもだった。
優しい物語です。今年読んで良かった一冊になりました。
『運命に従う』
『俺は、遅かった……』
詩を読むようです。
『断片(9)』
とくに書きたいことはありませんが、『一日あれば、世界は変わる。二日あったら、宇宙がなくなってもおかしくない』という文章が、この物語の鍵を握るようです。ヨッチの本パパ(実父)の日記に書いてあったそうです。
『十年間と地下駐車場』
◇前夜 三十一歳
ここまで読んできて、ちょっとわからないことがあるのです。(最後まで読んで、わかりました)
澤田マコトは、小野瀬マコトになり、『プロポーズ大作戦』とやらで、財閥の娘真っ赤なスポーツカーを乗り回すわがまま娘と結婚して入り婿(いりむこ)になりたい。
ヨッチは、自分の結婚相手として、マコトか、城田(きだ)か、どちらの男でもいいと思っていて、先に自分にプロポーズしてくれたほうと結婚すると決めていた。
ふたりのうちで、先にヨッチにプロポーズしてくれたのは、マコトのほうだった。
すると、マコトは、重婚状態になってしまうのです。
わたしの理解が間違っているのだろうか。
(259ページで、マコトは、ヨッチと築15年のアパートで暮らすことにしたとあります。アパートの部屋でクリスマス会をやる。参加者は、マコトとヨッチと城田とサエキとコンちゃんとミチルとコジケン)
ジェームス・ボンド:1953年(昭和28年)に誕生したシリーズの主人公で、スパイ。コードナンバーが、『007(ダブルオーセブン)』
リング・ピロー:指輪をのせる小さな枕(まくら)
『断片(10)』
アパートに、ヨッチが帰ってきません。
大粒の涙をぼろぼろと零す(こぼす)
『小さなリングと白い聖夜』
◇十二月二十四日 三十一歳
クライマックスです。激しい。
復讐劇です。
殺せばいいとか、(自分が)死ねばいいとか。今どきの、『無敵』みたいではある。
う~む。殺せばいいとか、死ねばいという理屈は社会では通用しません。安全のために、罪を法令で整理せいとんするのがベターな手法です。
親がいないから、自分がこの世にいなくてもいい存在になってしまったという感情をもつ人間になってしまったということを表現してある小説でした。
いいなあと思った文節として、『……脳が疲れた……』
シルバー・ベルズ:クリスマスソング
ビング・クロスビー:アメリカ合衆国の歌手、俳優。1977年(昭和52年)74歳没
カサブランカ:洋画。1942年(昭和17年)
ハンフリー・ボガード:アメリカ合衆国の俳優。1957年(昭和32年)57歳没
パソコンのインターフェイス:パソコンと周辺機器を接続するための端子、手段
PA:イベントで、音響機器担当。パブリックアドレス
『あたしは、死ぬ必要がないから生きてるし、生きてる必要がなくなったら死ぬんだよ、きっと』(あたしの命は、あたしではなくて、運命とか、宿命とか、そういった目には見えないものが決めるのよと受け取りました)
じっさい、ニュースを見ていると、『ひき逃げ』というひどいことをする人はあんがい多い。
救急車を呼んでいれば、助かる命もあるにちがいない。
お金持ちが、権限と権力をもつ役所の人間に働きかけて、罪や罰を握りつぶす。
人に迷惑をかけることをなんとも思っていない人間がいます。
自分は何をやっても許されると思っている人間がいます。
近づかないほうがいい。
十年かけて、復讐した。
物語づくりの基本は、『忠臣蔵』です。
人は、死んだあとのことを考えます。
この時代の地球上に、自分という人間が存在していた証拠を残しておきたい。
なのに、それを拒んだ(こばんだ)人間たちがいた。
お金持ちや権力を握っている人間たちが、ヨッチの存在を地球上から消した。
ヨッチは、この世にいなかったものとして扱われた。だから、マコトとキダは、復讐するのです。
そして、マチルダ(洋画レオンに登場する少女)です。
『メリークリスマス』(これを書いている日がたまたま2024年12月25日水曜日です)
なんともいえない終わり方です。
『世界の終わりと冬の青空』
◇十二月二十五日 三十一歳
隠遁(いんとん):世間と関わらずに心安らかに暮らす。
もうすぐ読み終わりますが、『リサ』の人物像の描写が薄かったかなあ。
このかたまりの部分の記述は、いらなかったんじゃないかなあ。
この前のかたまりの部分の、『説明』になっています。
『プロポーズ大作戦』というのは、仕返し大作戦ということだったのか。
最後の最後はちょっとひっくりかえしあります。じょうずです。
おもしろいなあとは思いますが、そこまでしなくても……
『ポケット』という短いかたまりの作品がくっついていました。
まあ、タバコ小説ですな。
『冬なんてさ……亀でも熊でも(家に閉じこもってじっとしている)』(最近のクマは、冬でも人里に降りてきて、食料を狙うようになりました。先日のテレビで、食べ物があれば、クマは冬眠しないと説明がありました)
違和感がありました。
自動車の板金塗装業をしているマコトが、押しボタン式信号のボタンを押すような状況になることはないと思うのです。
自動車関係の仕事をしている人は、移動手段はたいてい車です。小説を読んでいて、マコトが徒歩移動をすることが不自然でした。
いい文章だと思ったのが、(ヨッチの気持ちとして、マコトとキダがこの世からいなくなったら)『……二人がいなくなった世界には、きっと色がない……』
『機関銃の斉射(354ページ)』は、『機関銃の一斉射撃(いっせいしゃげき)』と書きたかったのではなかろうか。
『(洋画)俺たちに明日はない』をたとえにして、『俺たちには明日があるだろ』(ありません)
悲しいお話でした。
『俺』キダちゃん(亡くなったキダタローさんを思い出しました):30歳過ぎの男性。ビビリ症。183cm、80kg。運動はできる。
澤田マコト:『俺』の同級生。小学一年生からの付き合いがある。変人。俺がつくったニックネームが、『ドッキリリスト』。現在は、ワイン輸入代行会社の社長。アルコールを扱う仕事なのに下戸(げこ。酒を飲めない。そんな人がこの仕事に就けるとは思えません。メロンソーダが好きだそうです)。体格は、キダちゃんと比べるとかなり劣る。でも、神経はキダちゃんよりずいぶん太い。
はじまりから何度も、『煙草(たばこ)を吸う話』ばかりです。なんだかなあ。現代社会は禁煙の世の中です。
セリフで話をつないでいく文章の表現方式です。
俺は高校時代、野球部員だった。甲子園を目指していたが、地方予選であっさり負けた。
14ページまで読んで、煙草と酒の話が多いので、もう読むのをやめようかなと思う。
だらしない人間の手記のようです。
15ページになって、『この一本を吸い終えたら、煙草をやめることになる(禁煙する)』という文章が出てきたので読み進めることにしました。
その後、『俺』は、いなか道にある押しボタン式信号が青になったので、道を渡ろうとしたら、信号無視の猛スピードで走ってきた黒いステーションワゴンにはねられそうになりました。『俺』の命はかろうじて助かりました。(この部分は、未来で起きることの暗示です)
『硬直した世界とナポリタン』
◇半年前 三十歳
ミルキー・ミルキー:ファミリーレストランの店舗名
タバスコ:とうがらしでつくった赤くて辛い(からい)ソース
ブート・ジョロキア:世界一辛いとうがらし
リサ:真っ赤なスポーツカーを運転している。マコトの彼女。大手飲食店グループの社長の一人娘ファッションモデルをしている。知名度あり。ワガママ娘
『断片(1)』
どういう形式の文章なのだろうか?
『捻じ曲がった秩序とコーラ(ねじまがったちつじょとコーラ)』
◇十三年前 十七歳
高校三年生二学期。俺とマコトの日々
ヨッチ:男ふたりの同級生女子。小学校5年生の2学期途中に転校してきた。親がいない(施設からの通学だろうか。なお、マコトも俺も、親がいないらしい。ヨッチは、背はそんなに高くない。かわいくはないけれどブスでもない。やたら体が細い。金髪
楠田(くすだ):ニックネームが、「クソ田」。体罰をする小学校の女教師。三十代なかば。三人の思い出話に出てくる。こどものころ、楠田に仕返しをした。コーラ缶を振って、楠田にぶちまけた。
(なかなかおもしろい。わたしが小学校低学年のときは、児童間のいじめよりも教師の体罰がひどかったことを思い出しました。合法的な暴力です。親も助けてくれません。むしろ、親は、暴力を振るう先生の味方をしていました。女性の教師でもひどかった。授業中にクラスメートがパンパン連続でビンタされると、自分がたたかれているようで悲しかったことを覚えています。半世紀ぐらい前までは、先生は神様か聖職者扱いでした)
なんだか、せつなそうな展開になりそうです。
(つづく)
『断片(2)』
とくにコメントはありません。
『憂鬱な雨と不法侵入』
◇七年前 二十四歳
佐々木:マキシマムフードサービスの経営者
キダ(城田):佐々木に殺し屋と間違えられるが、殺し屋ではない。「交渉屋」である。
佐々木に、女と別れてくれと交渉する。
う~む。この小説は、どうしたいのだろうか。
『断片(3)』
さきほどの女が、「リサ」だと判明する。
う~む。なぜもう終ってしまった昔のことばかりにこだわるのだろう。過ぎてしまったことは、過ぎてしまったことです。(読み終えて、こだわらなければならないのでした)
『赤い傷痕(きずあと)とチキン・レース』
◇十年前 二十歳
澤田マコトが働いている店の「有限会社宮沢板金塗装」という看板を、「AUTO SHOP JIM(オートショップジム)」に変える。JIMは、洋画、「理由なき反抗」でジェームス・ディーン(車で事故死した。24歳没)が演じた主役のジムのこと。(なつかしい。1955年昭和30年の作品です)
生きていくために必要なもの(勇気、想像力、少しの金。引用は、洋画チャップリンの「ライムライト」から)
バカ女が出てきます。金さえ出せば、なんでもできると思っているバカ女です。
リサです。
『断片(4)』
わたしからのコメントは、とくにありません。
『生きる意味とエンドロール』
◇五ヶ月前 三十歳
㈱川畑洋行(かわばたようこう)の川畑:交渉屋の城田(きだ)に仕事を回している。
城田は、仕事をするにあたって、リンゴがほしい。川畑からもらう。(リンゴは、比喩(ひゆです。何かをリンゴにたとえている)
ヨッチは、中の上の高校へ進学した。
城田とマコトは、底辺から少し上の高校へ進学した。
ヨッチ(女子)には、病死した実父(本パパと呼ぶ)と、母親再婚後の継父(偽パパと呼ぶ)がいる。
ヨッチの母親は、こどもよりも男を取った。
ヨッチは、母方祖父母に引き取られた。ヨッチが小学5年生のときだった。
ヨッチは、映画が好きだ。映画のエンドロールを見ることが好きだ。(エンドロール:関係者名簿)
『生きるということに理由が必要なんじゃなくて、みんな自分が生きていることに理由をつけたいだけなんだよ……』(昨年暮れのM-1を見ていたら、出場したコンビのひとりが、『人生に意味なんていらないんだ!』と言ったところで爆笑しました。確かに、人が生きていくうえで、『意味』はいらないのです。意味:内容、概念がいねん。形、説明)
『断片(5)』
道路で、犬が車にひかれて、死んでいます。
小学生のヨッチが、犬のそばにしゃがんていた。朝からずーっと、学校にこないで、しゃがんで、犬のおなかを指先でなでていた。
そのうち、回収業者が来て犬を回収していった。
『夕暮れの海と約束のフィルム』
◇十六年前 十五歳
作者は、青春の残像(思い出)を描きたいのか。
三人はいつもいっしょにいる。
三人とも、実親がいない者どうしだから、気持ちが通じ合うものがある。
城田(キダ)とマコトは、親戚の家に預けられている。ヨッチは、母方祖父母の家に預けられている。おとなの顔色をうかがいながら生活していたと話がある。
『親が死んでさ、自分の根っこを失くしたんだと思うんだよ』
男ふたりは、ヨッチに会うまで、笑うことがなかった。ヨッチは、根っこがなくても笑う人だった。いっしょにいて、救われるものがあった。
マコトは、ドッキリ企画が好きである。
ドッキリを仕掛けて、相手が驚いた顔を見たい。快感がある。
148ページあたりが、この小説の主題(テーマ)か。
女子であるヨッチの話です。
『(自分がそこにいるという)存在を消されるのが怖い(こわい)』
小学生のときにいじめにあった。
最後は存在を消された。存在を消された時が、一番つらかった。
(だから、映画のエンドロールを自分の人生として、関係者名簿であるエンドロールに、自分の名前を載せたいという願望があるのでしょう)
『最後はさ、無いもの扱いされる。教室にある自分の名前が書いてあるものが消されて、椅子も机もなくなって、誰も話しかけてくれないし、教室に居場所がなくなって、あたしは、床に座って何もせずに過ごすしかない。先生も助けてくれなかった……』
『いじめられる方が悪いなんてことは、一ミリたりとも、絶対にねえんだよ』
いじめた人間たちは、今もどこかで生きていて、平気な顔をして暮らしている。
いじめられた人間は、一生、いじめた人間のことを忘れない。(この小説のテーマが、『復讐(ふくしゅう。仕返し)』です)
三人は、ヨッチをいじめた男たちに話をしに行って殴り合いのケンカになります。
『断片(6)』
また、煙草の煙を吸っています。(禁煙して幸せになりましょう)
『見下ろす夜景と見上げる灯り』
◇四ヶ月前 三十歳
小野瀬(おのせ。マコトの苗字(みょうじ))
ボブ:黒人
ジジイ:会社社長。ワインの輸入業。金持ち。末期がんで余命半年。家族に逃げられた孤独なジジイ
JIM:澤田マコトが働いていた店の「有限会社宮沢板金塗装」の変更後の店名のこと。「AUTO SHOP JIM(オートショップジム)」。JIMは、洋画、『理由なき反抗』でジェームス・ディーンが演じた主役のジムのこと。
澤田マコトは、JIMを半年前に退職して、東京へ行った。城田(キダちゃん)は、東京へ行き澤田マコトと再会した。澤田マコトは、黒人のボブに顔をなぐられて、顔がはれていた。
プロポーズ大作戦:婚活のことだろうか。派手なモデルみたいな女、『リサ』と結婚したいということだろうか。ちょっと今は意味がわかりません。
澤田マコトは、4500万円用意して、お金持ちのジジイからジジイの会社を買いたい。
ワイン会社だが、澤田マコトは、お酒は飲めない。
<186ページ(全体で339ページ)まできましたが、いったん一部分を整理してみます>
なぜ、こんなに、昔の部分にこだわる書き方(レイアウト)をしてあるのだろう。今はまだわかりません。
① 半年前 30歳(年齢は、語り手の城田ちゃん(きだちゃん)、小野瀬マコトとヨッチ(女性)の年齢。三人は同級生。
② 7年前 24歳 リサが登場する(お金持ちのわがまま娘。小野瀬マコトは、リサと結婚してお金持ちになりたい)
③ 10年前 20歳
④ 5か月前 30歳
⑤ 16年前 15歳
⑥ 4か月前 30歳
⑦ 7年前 24歳
⑧ 13年前 18歳
(読んでいる部分に戻ります)
リンゴ:リンゴがこのあと鍵を握るようです。(リンゴ=爆弾)
IPO:Initial Public Offering 新規株式公開。企業が初めて株を市場で売り出す。
192ページから深い話になります。
小野瀬マコト(いつの間にか苗字(みょうじ)が、澤田マコトから小野瀬マコトに変わっています。201ページに種明かしがあります)の話です。
マコトはリサと結婚したい。リサはわがままで勝手な性格だから、まともな男では、結婚は長続きしない。リッチなリサの父親は、娘婿(むすめむこ)に次のことを期待する。自分の手足になってくれる若い男に娘を押し付ける。娘婿をいろいろ利用しよう。(それが現実だ)
リサは、金や物はたっぷり与えられたが、純粋な愛情を与えてもらえない立場だ。父親にとって娘は、自分が商売をしていくうえでの道具だ。
『断片(7)』
学校のことです。教頭の訓示のような話があります。
(教頭は、生徒のために話しているのではない。話をしている自分が教育熱心という印象をもたれたいから話している)
この部分を読んで自分なりに思い出したことがあります。
学校時代、教師から、おまえたちは、そんなふうでは、社会に出てからちゃんとやっていけないぞとよく叱られました。もっとまじめにやれと教育されました。
社会に出たら、まわりは、いいかげんな人でいっぱいでした。人をだまして、人がかせいだお金を横取りしようとする人がいっぱいいました。うそつきがいっぱいいました。何度もだまされました。
『(人を)信じる』ことは大事ですが、同時に、『疑う』ことも大事です。学校で、きれいごとだけを教えられたら、こどもの心は社会に出たら、へし折れます。
そんなことを思い出しました。
いいなあと思ったセリフです。
『私たちには、無限の未来なんかありません……』
なかなか良くなってきました。今年読んで良かった一冊になるかもしれません。
『沈黙の銃とアイデンティティ』(アイデンティティは、自分の信念、価値観、自分の社会的役割、自分の根っこ。自分とは何かという問いに対する答(こたえ))
◇七年前 二十四歳
交渉屋:城田(きだ)のこと。
ID:アイディー。アイデンティティ
『つまり、僕は、存在ごと売却されたわけだ……』(この話の肝(きも。肝心なところ)かもしれない)
『自分って、いったいなんなんだ……』
『自分は何のために生きてるんだ……』(哲学的です)
『そういうこと考えると、死にたくなるだろ……』(でも、たいていは死なない)
株式会社川畑洋行:輸入代行業。輸入以外にもいろいろやっている。
この時城田は21歳だった。
城田の両親は、城田が9歳の時に事故死した。
(両親がいなくなってから、城田はどんな気持ちで生きてきたのだろう。自分の存在をどのように定義してこの世に存在してきたのだろう。この世に、いてもいなくても良い存在だったのかもしれないという雰囲気があります)
『必然性と理由があれば……』(人殺しもありか)
ときおり、『ドッキリ』の話が出ます。どっきりカメラのどっきりです。
びっくりする。びっくりさせられる。びっくりさせる。
『この世界を回している人間は、九十九パーセントが嘘つきだからね……』(同感です。世界は、誤解と錯覚で成り立っているのです)
『……自分を放棄して待っていた……』(自分を放棄する)
運び屋:運搬専門
親がいないこどもの人生は、もう消えてなくなっているようなものだそうです。
『断片(8)』
世の中は、非情です。
『マチルダ』
◇十三年前 十八歳
マコトが、『どっきり』にこだわる理由:マコトの母親が、(心の病が原因で)しゃっくりがひどかった。母親のしゃっくりを止めるために、こどもだったマコトは、母親にどっきりをしかけることを覚えた。マコトの父親は、女をつくって家から出て行っていた。マコトにとって、母親は唯一の頼れる存在だった。どっきり=びっくり(しゃっくりが止まった)。でも、母親は失踪して、マコトの前から消えた。
『誰かに、何かを伝えるって、難しいね』
『さびしい、ってかさ、さみしい』
城田ちゃんの両親は、城田ちゃんが小学校にあがる数日前、ふたりで買い物に行った。ふたりが乗っていた車に、トラックの荷台から数トンもある鋼材が落ちてきて、両親の体は一瞬でつぶれてしまった。両親が死んだというよりも、突然いなくなった。城田ちゃんは、叔父さん伯母さんの家で育てられた。
『両親のことを思うと、さみしいというよりは、懐かしいという、気分になるよ』
自分の人生にリアリティがないと城田ちゃんが言います。俺は、『俺』という人間をずっとうしろからながめながら生きている。(なかなか書けることではありません)
自分の人生を他人事のような立場でながめている。
同じく親がいないヨッチが言います。『あたしたちは、やっぱりちょっと、何かが欠けている』
洋画、『フォレスト・ガンプ』の話が出ます。名作です。わたしも何度も見返しました。
無粋(ぶすい):微妙なやりとりがわからない感覚。やぼ。融通がきかない。ユーモアを受け入れない。男女のことがわかっていないなど。
繊細です。(せんさい:微妙で感じやすい。かぼそい)
『運命』とか、『宿命』を感じます。『恋愛ドラマ』、『人生ドラマ』です。
洋画、『レオン』(観たことがあります。すさまじい撃ち合いシーンがあった記憶です。マチルダという少女が出てきます。少女が、殺し屋を味方につけて、ギャングと戦います。少女はギャングに殺されそうなのです)
ヨッチが、小学校でいじめられた話が出ます。
ヨッチは、マチルダだった。マコトと城田が、殺し屋だった。ヨッチは、マコトと城田に救われた。三人とも親がいないこどもだった。
優しい物語です。今年読んで良かった一冊になりました。
『運命に従う』
『俺は、遅かった……』
詩を読むようです。
『断片(9)』
とくに書きたいことはありませんが、『一日あれば、世界は変わる。二日あったら、宇宙がなくなってもおかしくない』という文章が、この物語の鍵を握るようです。ヨッチの本パパ(実父)の日記に書いてあったそうです。
『十年間と地下駐車場』
◇前夜 三十一歳
ここまで読んできて、ちょっとわからないことがあるのです。(最後まで読んで、わかりました)
澤田マコトは、小野瀬マコトになり、『プロポーズ大作戦』とやらで、財閥の娘真っ赤なスポーツカーを乗り回すわがまま娘と結婚して入り婿(いりむこ)になりたい。
ヨッチは、自分の結婚相手として、マコトか、城田(きだ)か、どちらの男でもいいと思っていて、先に自分にプロポーズしてくれたほうと結婚すると決めていた。
ふたりのうちで、先にヨッチにプロポーズしてくれたのは、マコトのほうだった。
すると、マコトは、重婚状態になってしまうのです。
わたしの理解が間違っているのだろうか。
(259ページで、マコトは、ヨッチと築15年のアパートで暮らすことにしたとあります。アパートの部屋でクリスマス会をやる。参加者は、マコトとヨッチと城田とサエキとコンちゃんとミチルとコジケン)
ジェームス・ボンド:1953年(昭和28年)に誕生したシリーズの主人公で、スパイ。コードナンバーが、『007(ダブルオーセブン)』
リング・ピロー:指輪をのせる小さな枕(まくら)
『断片(10)』
アパートに、ヨッチが帰ってきません。
大粒の涙をぼろぼろと零す(こぼす)
『小さなリングと白い聖夜』
◇十二月二十四日 三十一歳
クライマックスです。激しい。
復讐劇です。
殺せばいいとか、(自分が)死ねばいいとか。今どきの、『無敵』みたいではある。
う~む。殺せばいいとか、死ねばいという理屈は社会では通用しません。安全のために、罪を法令で整理せいとんするのがベターな手法です。
親がいないから、自分がこの世にいなくてもいい存在になってしまったという感情をもつ人間になってしまったということを表現してある小説でした。
いいなあと思った文節として、『……脳が疲れた……』
シルバー・ベルズ:クリスマスソング
ビング・クロスビー:アメリカ合衆国の歌手、俳優。1977年(昭和52年)74歳没
カサブランカ:洋画。1942年(昭和17年)
ハンフリー・ボガード:アメリカ合衆国の俳優。1957年(昭和32年)57歳没
パソコンのインターフェイス:パソコンと周辺機器を接続するための端子、手段
PA:イベントで、音響機器担当。パブリックアドレス
『あたしは、死ぬ必要がないから生きてるし、生きてる必要がなくなったら死ぬんだよ、きっと』(あたしの命は、あたしではなくて、運命とか、宿命とか、そういった目には見えないものが決めるのよと受け取りました)
じっさい、ニュースを見ていると、『ひき逃げ』というひどいことをする人はあんがい多い。
救急車を呼んでいれば、助かる命もあるにちがいない。
お金持ちが、権限と権力をもつ役所の人間に働きかけて、罪や罰を握りつぶす。
人に迷惑をかけることをなんとも思っていない人間がいます。
自分は何をやっても許されると思っている人間がいます。
近づかないほうがいい。
十年かけて、復讐した。
物語づくりの基本は、『忠臣蔵』です。
人は、死んだあとのことを考えます。
この時代の地球上に、自分という人間が存在していた証拠を残しておきたい。
なのに、それを拒んだ(こばんだ)人間たちがいた。
お金持ちや権力を握っている人間たちが、ヨッチの存在を地球上から消した。
ヨッチは、この世にいなかったものとして扱われた。だから、マコトとキダは、復讐するのです。
そして、マチルダ(洋画レオンに登場する少女)です。
『メリークリスマス』(これを書いている日がたまたま2024年12月25日水曜日です)
なんともいえない終わり方です。
『世界の終わりと冬の青空』
◇十二月二十五日 三十一歳
隠遁(いんとん):世間と関わらずに心安らかに暮らす。
もうすぐ読み終わりますが、『リサ』の人物像の描写が薄かったかなあ。
このかたまりの部分の記述は、いらなかったんじゃないかなあ。
この前のかたまりの部分の、『説明』になっています。
『プロポーズ大作戦』というのは、仕返し大作戦ということだったのか。
最後の最後はちょっとひっくりかえしあります。じょうずです。
おもしろいなあとは思いますが、そこまでしなくても……
『ポケット』という短いかたまりの作品がくっついていました。
まあ、タバコ小説ですな。
『冬なんてさ……亀でも熊でも(家に閉じこもってじっとしている)』(最近のクマは、冬でも人里に降りてきて、食料を狙うようになりました。先日のテレビで、食べ物があれば、クマは冬眠しないと説明がありました)
違和感がありました。
自動車の板金塗装業をしているマコトが、押しボタン式信号のボタンを押すような状況になることはないと思うのです。
自動車関係の仕事をしている人は、移動手段はたいてい車です。小説を読んでいて、マコトが徒歩移動をすることが不自然でした。
いい文章だと思ったのが、(ヨッチの気持ちとして、マコトとキダがこの世からいなくなったら)『……二人がいなくなった世界には、きっと色がない……』
『機関銃の斉射(354ページ)』は、『機関銃の一斉射撃(いっせいしゃげき)』と書きたかったのではなかろうか。
『(洋画)俺たちに明日はない』をたとえにして、『俺たちには明日があるだろ』(ありません)
悲しいお話でした。
2025年01月21日
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 茨城県息栖神社
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 茨城県虹の塔から息栖神社(いきすじんじゃ) TVer
■<霞ヶ浦>沿いをパワスポ街道124キロ■<牛久大仏>に寄ってゴールは東国三社の<息栖神社>ですが■モグライダー芝&柏木由紀がパワー全開!ヤバイよヤバイよSP
茨城県にある湖の霞ケ浦をぐるーっと回っていくコースです。
地元住民のみなさんは、おとなしい人たちが多い。
風景を見ていると、日本列島中国地方の日本海側、島根県とか鳥取県の風景に見えます。ゲストで、鹿児島市出身の柏木由紀さんは、自分の実家のまわりの風景に似ているとお話されていました。どちらも、身近に里山が見える緑が広がる風景です。
冒頭あたり、モグライダー芝さんが、水が多いれんこん畑の中にいて、出川さんを沼地に引き込んで、倒れて、水びたし、泥付きの体になるあたりのくだり(アクション。ひとつの出来事)は、ムダな時間帯に思えました。わざとらしい。
だけど、出川さん始め内輪では、あれは良かったとあとから話が出ていました。まあいいか。
映像で、れんこん畑というものが、どういうものかがわかったことは良かった。
水戸黄門の諸国漫遊のような番組です。黄門さんにあたるのが、出川哲朗さんです。
ゲストの柏木由紀さんが、運転免許をとって、一度も車を運転したことがない。バイクも運転したことがないと言うので、だいじょうぶだろうかと心配しました。いなかなので、車が少ない道を自転車のように進むのでだいじょうぶでした。
食事は、ラーメンを大量に食べました。
そばを食べて、うなぎを食べました。とんかつもありました。
わたしも働いていた時は、たまにうなぎ(ひつまぶし)を食べに行くことが楽しみでした。
おいしいものを食べると、今までいろいろ苦労があったけれど、生きていて良かったなーーと思うことが何度もありました。
また、このごはんを食べるために、いっしょうけんめい働こうと、食べることが、働くことを継続する動機になっていた時代がありました。
おいしいごはんは、だいじです。
土地の人たちがざっくばらんです。変な見栄(みえ。いばっているとか、自慢するとか)はありません。ありのままです。
充電させてもらった家で、ごはんをつくろうかとか、そうじをしようかとか、みなさんリラックスされています。
この番組を知らない店主の方だったみたいで、充電させてくださいと頼まれて、ケータイ電話の充電だと思った人がいました。おもしろかった。
土方ディレクター(ひじかたディレクター)は、あいかわらず、まわりにいる人の話を聞かないマイペースな方(かた)でおもしろい。
柏木由紀さんは、鹿児島から東京へ出てきて、なんだかんだあって、今は、友だちと呼べるような友だちはいないそうです。まあ、芸能界は、ライバルが多いからたいへんそうです。
柏木さんは、ロケの現地では、知名度がない部分もあるのか、人々は、出川さんめあてに集まって来ており、ときおりゲストの柏木さんが置き去りみたいな状況になっていました。柏木さん、がんばりましょう。
牛久大仏(うしくだいぶつ)の建築年について、出川さんが勘違いをしていて、奈良の大仏みたいに、何百年も前に建った大仏だから、体内にあるエレベーターを後付けだと思っていたことがおもしろかった。牛久大仏は、1993年(平成5)年の建築でした。32歳ぐらいですな。
出川さんが、『(牛久大仏は)オレより年下』と言ったシーンがおもしろかった。
車の展示がありました。
集まった人たちが、出川さんたちを囲みながら、手を伸ばして、スマホを自分の頭の上に掲げて動画を撮影している風景は、さすがに異様に見えました。
直接自分の目で見て、記憶に焼き付けておけばいいのになと思ったのですが、撮った動画を人に見せたいわけかと考えを察しました。スマホがなかったころは、そんな光景は見ませんでした。なにか変です。
お食事処の複数が営業をしていません。店舗の建物が古くなっています。
やはり地方はさびれています。
柏木由紀さんが、優柔不断で、物事を決められない人だということがわかりました。う~む。いい歳(とし。30過ぎぐらい)なんだから、自分で考えて、自分はどうするのかを決められる人になってほしい。
神社のおみくじで、柏木由紀さんが、『凶(きょう。何をやってもうまくいかない)』を引きます。この番組で、凶が出たのは初めてのような気がしますが事実はわかりません。
神社というのは、江戸時代は、旅館のような役割を果たしていたのでしょ。お寺もそうでしょう。なにせ、建物の中には畳がいっぱい敷いてあって、たくさんの人が泊まれそうです。
■<霞ヶ浦>沿いをパワスポ街道124キロ■<牛久大仏>に寄ってゴールは東国三社の<息栖神社>ですが■モグライダー芝&柏木由紀がパワー全開!ヤバイよヤバイよSP
茨城県にある湖の霞ケ浦をぐるーっと回っていくコースです。
地元住民のみなさんは、おとなしい人たちが多い。
風景を見ていると、日本列島中国地方の日本海側、島根県とか鳥取県の風景に見えます。ゲストで、鹿児島市出身の柏木由紀さんは、自分の実家のまわりの風景に似ているとお話されていました。どちらも、身近に里山が見える緑が広がる風景です。
冒頭あたり、モグライダー芝さんが、水が多いれんこん畑の中にいて、出川さんを沼地に引き込んで、倒れて、水びたし、泥付きの体になるあたりのくだり(アクション。ひとつの出来事)は、ムダな時間帯に思えました。わざとらしい。
だけど、出川さん始め内輪では、あれは良かったとあとから話が出ていました。まあいいか。
映像で、れんこん畑というものが、どういうものかがわかったことは良かった。
水戸黄門の諸国漫遊のような番組です。黄門さんにあたるのが、出川哲朗さんです。
ゲストの柏木由紀さんが、運転免許をとって、一度も車を運転したことがない。バイクも運転したことがないと言うので、だいじょうぶだろうかと心配しました。いなかなので、車が少ない道を自転車のように進むのでだいじょうぶでした。
食事は、ラーメンを大量に食べました。
そばを食べて、うなぎを食べました。とんかつもありました。
わたしも働いていた時は、たまにうなぎ(ひつまぶし)を食べに行くことが楽しみでした。
おいしいものを食べると、今までいろいろ苦労があったけれど、生きていて良かったなーーと思うことが何度もありました。
また、このごはんを食べるために、いっしょうけんめい働こうと、食べることが、働くことを継続する動機になっていた時代がありました。
おいしいごはんは、だいじです。
土地の人たちがざっくばらんです。変な見栄(みえ。いばっているとか、自慢するとか)はありません。ありのままです。
充電させてもらった家で、ごはんをつくろうかとか、そうじをしようかとか、みなさんリラックスされています。
この番組を知らない店主の方だったみたいで、充電させてくださいと頼まれて、ケータイ電話の充電だと思った人がいました。おもしろかった。
土方ディレクター(ひじかたディレクター)は、あいかわらず、まわりにいる人の話を聞かないマイペースな方(かた)でおもしろい。
柏木由紀さんは、鹿児島から東京へ出てきて、なんだかんだあって、今は、友だちと呼べるような友だちはいないそうです。まあ、芸能界は、ライバルが多いからたいへんそうです。
柏木さんは、ロケの現地では、知名度がない部分もあるのか、人々は、出川さんめあてに集まって来ており、ときおりゲストの柏木さんが置き去りみたいな状況になっていました。柏木さん、がんばりましょう。
牛久大仏(うしくだいぶつ)の建築年について、出川さんが勘違いをしていて、奈良の大仏みたいに、何百年も前に建った大仏だから、体内にあるエレベーターを後付けだと思っていたことがおもしろかった。牛久大仏は、1993年(平成5)年の建築でした。32歳ぐらいですな。
出川さんが、『(牛久大仏は)オレより年下』と言ったシーンがおもしろかった。
車の展示がありました。
集まった人たちが、出川さんたちを囲みながら、手を伸ばして、スマホを自分の頭の上に掲げて動画を撮影している風景は、さすがに異様に見えました。
直接自分の目で見て、記憶に焼き付けておけばいいのになと思ったのですが、撮った動画を人に見せたいわけかと考えを察しました。スマホがなかったころは、そんな光景は見ませんでした。なにか変です。
お食事処の複数が営業をしていません。店舗の建物が古くなっています。
やはり地方はさびれています。
柏木由紀さんが、優柔不断で、物事を決められない人だということがわかりました。う~む。いい歳(とし。30過ぎぐらい)なんだから、自分で考えて、自分はどうするのかを決められる人になってほしい。
神社のおみくじで、柏木由紀さんが、『凶(きょう。何をやってもうまくいかない)』を引きます。この番組で、凶が出たのは初めてのような気がしますが事実はわかりません。
神社というのは、江戸時代は、旅館のような役割を果たしていたのでしょ。お寺もそうでしょう。なにせ、建物の中には畳がいっぱい敷いてあって、たくさんの人が泊まれそうです。
2025年01月20日
JAFを初めて使ったこと 車のバッテリーあがり
JAFを初めて使ったこと 車のバッテリーあがり
JAFの会員になってから、かなり年数が経ちます。会員証では、30年間ぐらいになっていますが、たしかその前も断続的に会員だった記憶があります。
JAF(ジャフ):一般社団法人。日本自動車連盟
これまで車の故障でJAFを呼んだことはありませんでした。
会員証は、各種割引で利用していました。博物館見学とか飲食店の利用です。
車に不具合があった時は、販売店に連絡して対応してもらっていました。
ところが、今年のお正月にバッテリーがあがってしまいました。
最近は車利用の距離が少なくなって、ほんの近くのスーパに買い物に行くぐらいでした。荷物になる食材等を車に乗せるために、近くても車で行っていました。
きっと充電が不足したのでしょう。
お正月であり、どうしようかと考えたあげく、そういえば、自分は長らくJAFの会員だったと思い出しました。
わたしは、スマホにいちおうJAFのアプリを入れてありました。
アプリを使って、今いる場所とか(地図で示す)、車のバッテリーあがりの状態を入力して、『JAFを呼ぶ』みたいなところをタップした覚えがあります。
JAFの受付担当から電話がかかってきて、状態や場所を聞かれて、何分ぐらいで行けるかの連絡がありました。
その後、来てくれる担当者からも連絡がありました。
わたしは、自宅の駐車場で、充電してもらうための用意をしておこうと思って、ボンネットをあけたのですが、エンジンルームをいくらながめても、バッテリーがどこにあるのかがわからないのです。
たしかこのあたりにあるはずだが……
ないのです。
JAFの担当者が到着して、ざっと状況を説明して、ものの2分ぐらいでエンジンがかかりました。
ありがとう。助かりました。
ハイブリッド車のバッテリーは、車の後部にあるそうです。知りませんでした。その後、確認してバッテリーの位置がわかりました。
スマホにアプリを入れることで、なんでも便利になったなあと感心する今日この頃です。
なお、費用は無料でした。長年納めた会費がたまっているのでしょう。
JAFの会員になってから、かなり年数が経ちます。会員証では、30年間ぐらいになっていますが、たしかその前も断続的に会員だった記憶があります。
JAF(ジャフ):一般社団法人。日本自動車連盟
これまで車の故障でJAFを呼んだことはありませんでした。
会員証は、各種割引で利用していました。博物館見学とか飲食店の利用です。
車に不具合があった時は、販売店に連絡して対応してもらっていました。
ところが、今年のお正月にバッテリーがあがってしまいました。
最近は車利用の距離が少なくなって、ほんの近くのスーパに買い物に行くぐらいでした。荷物になる食材等を車に乗せるために、近くても車で行っていました。
きっと充電が不足したのでしょう。
お正月であり、どうしようかと考えたあげく、そういえば、自分は長らくJAFの会員だったと思い出しました。
わたしは、スマホにいちおうJAFのアプリを入れてありました。
アプリを使って、今いる場所とか(地図で示す)、車のバッテリーあがりの状態を入力して、『JAFを呼ぶ』みたいなところをタップした覚えがあります。
JAFの受付担当から電話がかかってきて、状態や場所を聞かれて、何分ぐらいで行けるかの連絡がありました。
その後、来てくれる担当者からも連絡がありました。
わたしは、自宅の駐車場で、充電してもらうための用意をしておこうと思って、ボンネットをあけたのですが、エンジンルームをいくらながめても、バッテリーがどこにあるのかがわからないのです。
たしかこのあたりにあるはずだが……
ないのです。
JAFの担当者が到着して、ざっと状況を説明して、ものの2分ぐらいでエンジンがかかりました。
ありがとう。助かりました。
ハイブリッド車のバッテリーは、車の後部にあるそうです。知りませんでした。その後、確認してバッテリーの位置がわかりました。
スマホにアプリを入れることで、なんでも便利になったなあと感心する今日この頃です。
なお、費用は無料でした。長年納めた会費がたまっているのでしょう。
2025年01月18日
すぐに忘れてしまう
すぐに忘れてしまう
加齢で物忘れをすることが多くなりました。
しかたがありません。
どんな人でも、そうなるのです。
歳をとる前はできていたことが、歳をとってから、できなくなってきていることが自分でわかります。
わたしは、ずいぶん前から、『メモをする』ことを習慣にしています。
着用している洋服の胸ポケットに、折りたたんだA4サイズ白紙のメモ用紙とボールペンが入っています。
忘れないようにといろいろとメモをしています。
アルツハイマー型認知症を扱った名作に、『明日の記憶』があります。もうずいぶん前に読みました。主人公の男性が、自分の記憶が消えていくので、メモ魔になるのです。
読書感想メモが残っています。2008年(平成20年)に読みました。2004年出版の作品で、渡辺謙さんの主演で映画化もされています。
『明日の記憶 荻原浩 光文社文庫』
物語の主人公である佐伯部長は自信過剰でエネルギッシュです。典型的な会社人間です。アルツハイマーの彼が運転する車は怖い。(こわい)
やさしい奥さんには拍手を送りたい。読み手である自分がもし徐々に記憶を失う病気にかかったらどうしようかと腕を組みながら考え込みました。読み進むけれど、哀しくて(かなしくて)、つらくて、そしてスリルもあります。
日記の日付が進むのが怖い。10月9日から始まる。そして、4月27日が最後となる。だんだん破滅が近づいてくる。ホラー(恐怖)小説のようでもある。佐伯部長は悪あがきをしている。
記憶が消えるので、佐伯部長は、めったやたらとメモをするのです。でも、病気は進行して、最後は、奥さんのことがわからなくなって、自分が誰なのかもわからなくなるのです。
たとえばわたしの場合は、今考えていたことが、わずか5分後には、頭の中から消えています。
次はこうしようとかああしようとか思っても記憶が消えるのです。記憶が消えたことはわかります。自分はさっき、何かしようとしたけれど、何をしようとしたのかを思い出せないのです。
最初の頃はあせりましたが、今は、まあいいか、そのうち思い出すだろうとのんきに構えるようにしました。たいしたことではないのです。そして、しばらくするとふと、思い出すのです。
あせらない、あせらない。ゆっくりていねいに、やり忘れたら、思い出した時にやればいい。
最近は、物忘れをなるべく防ぐ(ふせぐ)ために、思いついたときに、その場ですぐにその行為をするように心がけています。
加齢で物忘れをすることが多くなりました。
しかたがありません。
どんな人でも、そうなるのです。
歳をとる前はできていたことが、歳をとってから、できなくなってきていることが自分でわかります。
わたしは、ずいぶん前から、『メモをする』ことを習慣にしています。
着用している洋服の胸ポケットに、折りたたんだA4サイズ白紙のメモ用紙とボールペンが入っています。
忘れないようにといろいろとメモをしています。
アルツハイマー型認知症を扱った名作に、『明日の記憶』があります。もうずいぶん前に読みました。主人公の男性が、自分の記憶が消えていくので、メモ魔になるのです。
読書感想メモが残っています。2008年(平成20年)に読みました。2004年出版の作品で、渡辺謙さんの主演で映画化もされています。
『明日の記憶 荻原浩 光文社文庫』
物語の主人公である佐伯部長は自信過剰でエネルギッシュです。典型的な会社人間です。アルツハイマーの彼が運転する車は怖い。(こわい)
やさしい奥さんには拍手を送りたい。読み手である自分がもし徐々に記憶を失う病気にかかったらどうしようかと腕を組みながら考え込みました。読み進むけれど、哀しくて(かなしくて)、つらくて、そしてスリルもあります。
日記の日付が進むのが怖い。10月9日から始まる。そして、4月27日が最後となる。だんだん破滅が近づいてくる。ホラー(恐怖)小説のようでもある。佐伯部長は悪あがきをしている。
記憶が消えるので、佐伯部長は、めったやたらとメモをするのです。でも、病気は進行して、最後は、奥さんのことがわからなくなって、自分が誰なのかもわからなくなるのです。
たとえばわたしの場合は、今考えていたことが、わずか5分後には、頭の中から消えています。
次はこうしようとかああしようとか思っても記憶が消えるのです。記憶が消えたことはわかります。自分はさっき、何かしようとしたけれど、何をしようとしたのかを思い出せないのです。
最初の頃はあせりましたが、今は、まあいいか、そのうち思い出すだろうとのんきに構えるようにしました。たいしたことではないのです。そして、しばらくするとふと、思い出すのです。
あせらない、あせらない。ゆっくりていねいに、やり忘れたら、思い出した時にやればいい。
最近は、物忘れをなるべく防ぐ(ふせぐ)ために、思いついたときに、その場ですぐにその行為をするように心がけています。
2025年01月16日
ドラマ、『ライオンの隠れ家』
ドラマ、『ライオンの隠れ家』 動画配信サービス
NHKドラマの、『団地のふたり』とか、『3000万』とか、『宙かける教室(そらかけるきょうしつ)』のほうに目がいっていたので、以下の民放ドラマ3本は見落としていました。
動画配信サービスでざーっと見てみます。ドラマ、『ライオンの隠れ家』と『無能の鷹』と『海に眠るダイヤモンド』です。
今回は、『ライオンの隠れ家』の感想です。
『ライオンの隠れ家』 TBS金曜ドラマ 午後10時から。わたしは、TVer(ティーバー)で観ました。
小森洸人(こもり・ひろと):柳楽優弥(やぎら・ゆうや)。市役所福祉課職員
小森美路人(こもり・みちと):坂東龍汰(ばんどう・りょうた)。小森洸人の弟。自閉症スペクトラム症あり。
橘愁人(たちばな・しゅうと):佐藤大空(さとうたすく)。彼が、タイトルにある『ライオン』という存在です。まだ幼児です。テレビで最初に見たときは、4歳児か5歳児に見えました。(子役さん本人は5歳児)。家庭に恵まれないこどもという設定で、小森兄弟の家に住みつきます。
第1話の全編と、第1話から第6話までのダイジェスト版(各10分ぐらい)を観ました。
わたしには、合わない作品だと感じました。
役所モノ、福祉モノ(DV家庭内暴力とか障害とか、貧困とか)です。
動物図鑑のエピソードが良かった。(同じ本が2冊あった)
『プライド』という言葉が良かった。『そのプライドは安全ですか』(プライドは、ライオンの群れという意味)
親の役割を果たせない親の話です。こどもが迷惑をしています。
現実社会でも、親の役割を果たす能力をもちあわせていない親はいます。
親であるご本人が努力してもどうしてもできないのです。しかたがありません。
ドラマでは、そこをなんとかしようとするのですが、むだです。(わたしは、割り切る人間です)
こどものめんどうをみることができない親に対して、こどもの立場にある者から言わせると、『サヨナラ』です。もうめんどうをみてもらわなくてもいいです。自分でなんとかやっていきます。
こどもというのは、いつまでもこどもではありません。こどもでいる時間・期間は案外短い。すぐに成人して、社会に出て、あっという間に、三十代になっていきます。そして、すぐ四十代です。自分で自分のことがやれるような年齢になります。親を頼り過ぎないほうがいい。自分のことは自分でやるのです。
『第10話 愛の掛け違い』
テレビで観ることができました。
血のつながりについて、DV男が主張します。自分とこどもは、血のつながりがあるから、他人のおまえは関係ない、あっち行け!という主張です。
血のつながりがあるからといって、暴力をふるわれて、ケガをさせられたり、殺されたりしたらたまりません。わたしはあなたの所有物ではありませんと反論します。あなたに(親に)、支配される筋合い(合理的な理由)はございません。わたしはわたしという人格、あなたはあなたという人格です。
血がつながっていても、こどもが親を親だと思わなければ、その人は親ではないのです。
血がつながっていなくても、こどもが親だと思えば、その人は親なのです。
毒親がいます。
子離れができない親です。
いつまでたっても、こどもを支配しようとする親です。
長いこと生きてきて思うのは、親は次のシーンでは、こどもの意見や意向に反対しないほうがいい。うまくいかないと、さきざき親子関係がかなりこじれます。修復不可能なくらい対立します。深刻です。
シーンとして、進学先の決定、就職先の決定、結婚相手の決定のときです。親はこどもの希望を受け入れるべきです。
たとえば、父親というのは、娘が結婚したい相手として、どんな男を連れてこようが、『おめでとう』と言うしかないのです。それが、父親の役目なのです。
ドラマでは、ライオンを演じるこどもさんが可愛い。
現実のちびっこは、映像にあるような物言いや行動はしてくれませんが、ドラマはいい雰囲気でした。
親というものは、自分が育ててもらったように自分のこどもを育てます。こどもの育て方を教えてくれるのは、自分の親です。なかなか子育てはむずかしい。
NHKドラマの、『団地のふたり』とか、『3000万』とか、『宙かける教室(そらかけるきょうしつ)』のほうに目がいっていたので、以下の民放ドラマ3本は見落としていました。
動画配信サービスでざーっと見てみます。ドラマ、『ライオンの隠れ家』と『無能の鷹』と『海に眠るダイヤモンド』です。
今回は、『ライオンの隠れ家』の感想です。
『ライオンの隠れ家』 TBS金曜ドラマ 午後10時から。わたしは、TVer(ティーバー)で観ました。
小森洸人(こもり・ひろと):柳楽優弥(やぎら・ゆうや)。市役所福祉課職員
小森美路人(こもり・みちと):坂東龍汰(ばんどう・りょうた)。小森洸人の弟。自閉症スペクトラム症あり。
橘愁人(たちばな・しゅうと):佐藤大空(さとうたすく)。彼が、タイトルにある『ライオン』という存在です。まだ幼児です。テレビで最初に見たときは、4歳児か5歳児に見えました。(子役さん本人は5歳児)。家庭に恵まれないこどもという設定で、小森兄弟の家に住みつきます。
第1話の全編と、第1話から第6話までのダイジェスト版(各10分ぐらい)を観ました。
わたしには、合わない作品だと感じました。
役所モノ、福祉モノ(DV家庭内暴力とか障害とか、貧困とか)です。
動物図鑑のエピソードが良かった。(同じ本が2冊あった)
『プライド』という言葉が良かった。『そのプライドは安全ですか』(プライドは、ライオンの群れという意味)
親の役割を果たせない親の話です。こどもが迷惑をしています。
現実社会でも、親の役割を果たす能力をもちあわせていない親はいます。
親であるご本人が努力してもどうしてもできないのです。しかたがありません。
ドラマでは、そこをなんとかしようとするのですが、むだです。(わたしは、割り切る人間です)
こどものめんどうをみることができない親に対して、こどもの立場にある者から言わせると、『サヨナラ』です。もうめんどうをみてもらわなくてもいいです。自分でなんとかやっていきます。
こどもというのは、いつまでもこどもではありません。こどもでいる時間・期間は案外短い。すぐに成人して、社会に出て、あっという間に、三十代になっていきます。そして、すぐ四十代です。自分で自分のことがやれるような年齢になります。親を頼り過ぎないほうがいい。自分のことは自分でやるのです。
『第10話 愛の掛け違い』
テレビで観ることができました。
血のつながりについて、DV男が主張します。自分とこどもは、血のつながりがあるから、他人のおまえは関係ない、あっち行け!という主張です。
血のつながりがあるからといって、暴力をふるわれて、ケガをさせられたり、殺されたりしたらたまりません。わたしはあなたの所有物ではありませんと反論します。あなたに(親に)、支配される筋合い(合理的な理由)はございません。わたしはわたしという人格、あなたはあなたという人格です。
血がつながっていても、こどもが親を親だと思わなければ、その人は親ではないのです。
血がつながっていなくても、こどもが親だと思えば、その人は親なのです。
毒親がいます。
子離れができない親です。
いつまでたっても、こどもを支配しようとする親です。
長いこと生きてきて思うのは、親は次のシーンでは、こどもの意見や意向に反対しないほうがいい。うまくいかないと、さきざき親子関係がかなりこじれます。修復不可能なくらい対立します。深刻です。
シーンとして、進学先の決定、就職先の決定、結婚相手の決定のときです。親はこどもの希望を受け入れるべきです。
たとえば、父親というのは、娘が結婚したい相手として、どんな男を連れてこようが、『おめでとう』と言うしかないのです。それが、父親の役目なのです。
ドラマでは、ライオンを演じるこどもさんが可愛い。
現実のちびっこは、映像にあるような物言いや行動はしてくれませんが、ドラマはいい雰囲気でした。
親というものは、自分が育ててもらったように自分のこどもを育てます。こどもの育て方を教えてくれるのは、自分の親です。なかなか子育てはむずかしい。
2025年01月15日
ドラマ、『海に眠るダイヤモンド』
ドラマ、『海に眠るダイヤモンド』 動画配信サービス
2024年秋のドラマで評判のいい3本です。
NHKドラマの、『団地のふたり』とか、『3000万』とか、『宙かける教室(そらかけるきょうしつ)』のほうに目がいっていたので、以下のタイトル3本は見落としていました。動画配信サービスでざーっと見てみます。『ライオンの隠れ家』と『無能の鷹』と『海に眠るダイヤモンド』です。
今回は、『海に眠るダイヤモンド』を観てみます。
長崎県にある、『端島(はしま。軍艦島)』は、わたしがこどもの頃から知っていた炭鉱です。もう半世紀ぐらい前から自分にある知識です。なぜ、いまさらという気持ちも湧きます。また、自分自身が、こどものころに福岡県、熊本県、茨城県の炭鉱町で炭坑長屋(炭住たんじゅうと言っていました)で過ごしたことがあるので、ドラマを観ると、なんだかなあという気持ちになりそうです。過去にじっさいあった現実とは、かけ離れているのだろうなあという気持ちです。(まだ見ていませんが)。見ながら感想をつぎ足していきます。
『海に眠るダイヤモンド』
昔は、『石炭』のことを、『黒ダイヤ』と呼んだものです。お金になるのです。
TBS日曜劇場。夜9時
『第1話 地底の闇を切り開く』
1955年(昭和30年)春。長崎端島(軍艦島。石炭採掘産業のための島)です。
玲央(れお):ホスト。神木隆之介
いづみ:謎のご婦人。宮本信子。(わたしは、昭和三十年代に端島(軍艦島)にいた草笛リナ(歌手。池田エライザさん)か、百合子(炭鉱夫の娘。土屋太鳳(つち・やたお)さん)ではなかろうかと第一話を観てピントくるものがありました。うまく話がつくってあります。(推理ははずれました)
宮本信子さんを見ていると、NHK朝ドラ、『あまちゃん』の夏ばっぱを思い出します。のんさんのおばあちゃん、小泉今日子さんの母親役、『天野夏』です。
『炭鉱員』と表現してありますが、当時は、『炭鉱夫(たんこうふ)』と言っていました。
荒木一平:炭鉱夫。国村準
荒木鉄平:一平の息子。神木隆之介(ふた役。昭和30年の人物。もうひと役は、現代のホスト玲央の役。じょうずに設定してあります。現代に生きるご婦人いづみとセットにしてあります。セリフに過去と現在の交流・交差があります)
荒木進平:鉄平の兄。斎藤工(さいとう・たくみ)。第二話でわかるのですが、結婚していた奥さんえいこさんは、台風の時に海に流されて行方不明になったそうです。(亡くなっている)
荒木ハル:一平の妻。鉄平と進平に母親
鷹羽鉱業:炭坑の持ち主。経営主体の会社
大学卒という設定が不可解ではありました。当時、炭鉱労働者のこどもで大学へ行ける人はいなかった記憶です。高校もなかなか行けなかった。親世代が中学卒で、親が教育に対して理解がなかった時代でした。
義務教育を卒業したら、炭鉱へ就職して肉体労働をしたか、都会へ出て住み込みで働いたか、ぐらいでした。集団就職でした。NHKドラマ『宙わたる教室(そらわたる教室)』の登場人物であった長嶺省造(ながみね・しょうぞう、演者:イッセー尾形)さんの立場です。
炭鉱夫を管理・監督する立場である炭坑経営者の側(がわ)の家のこどもだったら大学へ進学できたでしょう。
賢将(けんしょう):鉄平の幼なじみ。鉄平と賢将と百合子は、長崎大学の同級生。同時に卒業して端島(はしま。軍艦島)に戻ってきた。清水尋也(しみず・ひろや)
辰雄:賢将の父。鷹羽工業所の職員。沢村一樹(さわむら・いっき)
百合子:土屋太鳳(つちや・たお)。炭鉱夫の娘。母親はメンタルの病気があるようです。宗教に洗脳されているようなようすもみられます。
朝子:食堂で働く娘。杉咲花さん
草笛リナ:歌手。池田エライザさん
長崎市の街並みが映像に出てきました。
なつかしい。最後に行ったのは何年前だろう。思い出してみました。7歳の時、19歳の時、28歳のときに行きました。7歳の時は両親と、19歳の時は高校の友だち数人と、28歳の時は、妻と義父母と観光旅行をしました。妻のおなかの中にはこどもがいました。親戚の結婚式にも顔を出しました。もう義父母もあの世の人になってしまいました。
長崎ですから、キリスト教の教会が映像に出てきます。
『あなたがたは、世の光である』。宗教的なメッセージが流れました。
端島の炭坑は、1974年(昭和49年)に閉山したと出ました。
昔の端島を再現するわけか。
明治時代から1955年代(昭和30年代)に栄えた。以降全国にたくさんあった炭鉱の閉山は続きました。たくさんの労働者が仕事を失い、家族は転々と日本各地を引っ越しました。そういう時代がありましたが、もうそのことを口にする人は少なくなりました。苦労した思い出ですから、思い出したくないのです。
地下600m以上の深い場所で働く。8時間労働の3交代制で、24時間稼働する。(かどう:働く。機械も動かす。現代のコンビニみたいです)。劣悪な労働環境です。恐怖感には慣れるのでしょう。
現代の女性相手のホスト(玲央役の神木隆之介)と、昭和30年の炭坑職員(一平役の神木隆之介)をどうつないでいくのだろう。この物語におけるひとつのポイントです。
『人生で、さからうとは』。さからうことがない人生。さからったことがない人生を否定します。さからいなさい!です。
ビジネスの話です。
雇う者と雇われる者がいます。人間です。基本的に上下関係はありません。
でも、現実は違います。
女性差別がきつい時代です。職業差別もあります。
炭鉱夫以外でも、いくらでも差別があった時代です。
会社のえらいさんに、『たかが端島(のくせに)』とばかにされます。
『言い返しても良かったんじゃないですか』という声があります。
まあ、会社のえらいさんには、すけべオヤジもいます。頭の中は、女性のおっぱいとおしりのことばかりです。部下も困ります。でもさからえません。ひどい世界です。
労働者は、労働組合をつくって、雇用主と話し合います。そういうシステムができつつあった時代でもありました。
さだまさしさんが住職の役で出てきたので端島にお寺があったのだろうかと疑問をもちました。調べたらありました。すごいなあ。やはり、人間にとって宗教はだいじなのでしょう。
『人生を変えたくないか、ここから変えたくないか』(このあたりのセリフ回しがうまい)
炭鉱町に映画館、あったなあ。炭坑ではありませんが、栃木県の山奥にある銅山の町で暮らした時は、プロレスの興行とか、歌謡ショーとかもあった記憶です。まだこどもだったので、記憶はあやふやですが、労働者家族へのサービスイベントがよくありました。運動会とかお祭りとか。楽しみでした。
白洲次郎さんという人の本を思い出しました。炭坑とは関連がありませんが、労働者をだいじにした人でした。
『プリンシプルのない日本 白洲次郎 新潮文庫』
「プリンシプル principle」 著者本人が記した言葉ですが、文中で本人はどう訳せばいいのかわからないと言明しています。「原則」だろうかという解釈になっています。
あたりまえのことをあたりまえにやりましょうと呼びかけておられると思います。彼の考えの背景には、正直者が馬鹿をみる世の中にしてはいけませんという正義感があります。若者に対する教育に情熱がある人です。
『風の男 白洲次郎(しらす) 青柳恵介 新潮文庫』
戦後の新しい日本を築くことを目的として吉田茂首相の側近にいた重要人物という位置づけです。白洲氏の信条として紹介されている「自分で見て、自分の頭で考えて、自分が責任をとる」、ともすれば、だれしもが、「力が強いと思われる他人にやらせて、その人に責任をとってもらう」となりがちです。その信条は、本人の気質でしょう。
若い男女が複数いるので、三角関係になりそうです。じっさいは、四画関係みたいで複雑です。
映像では、海の夕映えがきれいです。
途中、炭鉱の立て坑(たてこう)の映像が出るのですが、福岡県田川市にある石炭・歴史博物館で見学したことがある立て坑にそっくりでした。たぶんそこからひっぱってきてある映像なのだろうと勝手な推測をしました。
動画は、1話から3話まで、ダイジェスト版があって、第7話とあります。第8話はこれから放送です。見ることができる部分だけ見て感想を終えるつもりです。
『第2話 スクエアダンス』
う~む。想像していたものとなにか違う。なんだろう。なんか、ゆるいのです。(進行とか、内容とか)
炭鉱の話ではないのだろうか。今回は、『恋愛』と『水』の話です。
昔はよく停電しました。だから、劇中台風で停電するのですが、映像にあるような大騒ぎはしませんでした。電気がなくても生きていける。台風が去るまでのがまんでした。
さしあたって、『人生変えたくないか? ここから、変えたくないか!』(これが、ドラマ全体を貫くテーマ(主題)でしょう。
ホストの売掛金の話が出ます。しばらく前に社会でいけないこととしてニュースで流れたことです。女の人がホストに入れ込んで支払いができなくなって、売春したり、取り立てが、女の人の実家まで押しかけたり、そんな話がありました。
端島(はしま)では、男女関係の赤い糸がもつれています。いわゆる三角関係っぽいものがあります。
以下は、わたしの予想です。あたりはずれがあるかもしれません。
草笛リナ:歌手。池田エライザさんは、やがて、荒木進平:鉄平の兄。斎藤工(さいとう・たくみ)と男女の仲になるのでしょう。
朝子:食堂で働く娘。杉咲花さんは、荒木鉄平(神木隆之介)が好きですが、荒木鉄平はまだそのことに気がついていません。
百合子:土屋太鳳(つちや・たお)さん。炭鉱夫の娘は、賢将(けんしょう):鉄平の幼なじみ。鉄平と賢将と百合子は、長崎大学の同級生。同時に卒業して端島に戻ってきた。清水尋也(しみず・ひろや)とできているように見えるが実はそうではない。賢将は、朝子(杉咲花)が好きだとわたしは見抜いているつもりです。そして、百合子は、自分が賢将に愛されていないことを自覚しているのです。
(現代の)玲央(れお。ホスト。神木隆之介)は、昭和30年の端島(はしま)にいる荒木鉄平(神木隆之介。炭坑で働く労働者とその家族の世話役。労務管理の職務を担当している)
片桐はいりさんが、映画館のもぎりをされています。
片桐はいりさんが書いた本を昔読んだことがあります。
『もぎりよ今夜も有難う 片桐はいり 幻冬舎文庫』(石原裕次郎さんの歌曲「夜霧よ今夜も有難う」にあやかったタイトルでしょう。もぎりは、映画館の入場券のはしっこを切り取る動作です。
映画好き、を超えて、映画館好き、雑然とした暗い映画館の中にある雰囲気が好きな女子の思い出と映画に対する愛着・愛情の記録です。60代の方が読むと共感が生まれるでしょう。
最初のほうでは、18歳から7年間、アルバイトで映画館の入場券もぎりをしていたことが、東京銀座の映画館「銀座文化劇場(現在のシネスイッチ銀座)」を舞台に熱く語られます。片桐はいりさんはやがて、映画を観る立場から出る立場(女優)に変わって、もぎりの仕事がやりにくくなり、やめてしまうのですが、心中(しんちゅう)では、一生「もぎり」をやりたいのです。
スクエアダンス:アメリカ合衆国のフォークダンス。4組のカップル、8人でダンスをする。指示者の合図に合わせながら隊列を変化させていくそうです。
『水』の話が出ます。端島では、長崎から毎日、一日三回、船で水が運ばれてくるそうです。
思い出してみると、島でなくても、昔の炭坑では、水道は、炭鉱住宅があるひとつのかたまりに水道の蛇口が1個あって、共同で使っていたことがありました。
それから、井戸です。手押し式のポンプが集落にいくつかあって、共同で使っていました。
いずれにしても、バケツでくんだ水を自宅の台所にあるコンクリート製の甕(かめ)に溜めて(ためて)使っていた記憶です。
あとは、里山に湧き出る水があると、バケツをもって汲みに行っていました。小学生でも水くみが仕事でした。
そんなわけで、衛生上はよくない水の使い方でした。今は本当に便利になりました。
まあ、なにをやるにしても昔は共同でした。がまんして協力して分担された仕事をやらないと生活がやれないということはありました。お互いに助け合うという仲間意識は強かったと思います。
端島での住宅の部屋割りは、公営住宅の抽選みたいです。
昔は、公営住宅に入りたい人がとても多かった。
今はどうかわかりません。家賃が安い民間アパートも増えました。
『第3話 孤島の花(桜のことでした)』
1957年10月、昭和32年です。端島に水道が開通しました。長崎県からパイプでつないだのでしょう。昭和32年だと、まだ、上下水道が未整備の島はたくさんありました。
ウソの映画撮影、オーディションの話があります。
いずみ(宮本信子。現代のおばさん)と婚約者の玲央(れお。現代。神木隆之介。昭和30年代の荒木鉄平と二役)です。
なんというか、設定があまりにも極端です。78歳ぐらいのいずみと28歳ぐらいの玲央が婚約中とは思えません。おばあさんと孫の年齢です。
ドラマは、『炭坑』の話ではないようです。『恋愛』と、『お金』、そして、『家族とか家庭』のお話です。
『気持ち』をだいじにしようとしています。
現代にいるホストの「玲央」は、昭和30年代にいる炭坑労務管理職員の「荒木鉄平」の孫だろうか。
現代にいる「いずみ(宮本信子)」は、昭和30年代にいる「朝子(杉咲花。食堂の娘)」本人だろうか。
第4話以降は、TVerで見ることはできませんでした。ダイジェスト版を見てみます。
『第1話から第5話までのダイジェスト版』
冒頭、女とあかちゃんが、端島を脱出・脱走するように小舟で海を陸へと渡るシーンが出ます。女はだれなのか、そして、あかちゃんはだれなのか。
炭鉱ですから、労働者と経営者で対立します。昭和30年代ですから暴力も起きます。そういう時代背景でした。昭和40年代になると大学生が暴れます。激しい学生運動がありました。
昭和の時代の職場でよく用いられた言葉に、『なになに一家(いっか)』というものがありました。「なになに」の部分には、会社名とか、所属名とかが入りました。職場のメンバーは、家族の集まりなのです。協力して仕事を仕上げていくのです。
こちらのドラマでは第五話で、『一島一家(いっとういっか)』と表現されました。
第4話では、わたしは観ることはできませんでしたが、『精霊流し(しょうろうながし)』が描かれました。わたしは、実際に精霊流しを12歳のときに熊本の離島で観たことがあります。病死したわたしの父親の精霊舟でした。さだまさしさんの歌曲、『精霊流し』を聴くとそのときのことを思い出して、胸にこみあげてくるものがあります。
やっぱり、朝子(杉咲花)さんが、いずみでした。
第6話はわたしの契約の場合動画配信サービスを見ることができないので、次は第7話を観てみます。
内容は、今の若い人が見たら感動するのでしょう。
過去という歴史の事実を体験した高齢の世代が見ると、こんなだったかなと首をかしげるでしょう。
日本人の生活のしかたが、かなり変化しました。
『第6話 希望の種』(パス)わたしは観ることができませんでした。
『第7話 消えない火』
荒木進平とリナが夫婦のようなものになっている。1歳の息子がいる。
進平と鉄平の両親である荒木一平とハルは、孫の誕生も含めて喜んでいる。
賢将と百合子は結婚している。
鉄平と朝子は、結婚待ちの状態にある。
でも、海底深くにある炭坑の穴の先端で、ガス爆発が起きます。
炭鉱の事故で、わたしが自分の人生で知っているところでは、わたしがこどものころにあった、福岡県大牟田市にあった三井三池炭鉱の爆発事故が1963年(昭和38年)でした。死者458人、一酸化炭素中毒が約839人と記録が残っています。
同じく、福岡県にあった三井山野炭坑(当時の稲築町(いなつきまち)、現在の嘉麻市(かまし))の爆発事故が1965年(昭和40年)で、死者237人、負傷者38人と記録が残っています。
1984年(昭和59年)福岡県高田町(現在は、みやま市)三井三池炭鉱有明坑で火災が発生し、死者83人が出ています。
人間は、生きているのが一番です。
生きているだけで、家族は安心です。
映像を見ていて思ったのですが、小学生ぐらいのこどもは、『いってきまーす』と言って学校へ行って、『ただいまーー』と言って帰って来てくれたら、何も言うことはありません。勉強ができるとかできないとか、運動ができるとかできないとかは関係ありません。
ドラマでは、火災をなかなか消火することができません。
進平とリナのこどもであるあかちゃんの演技がよかった。『ごちそうさまでした』の両手あわせのあいさつがじょうずでした。
いろいろ思うのですが、『産業構造の変化に逆らうことはできません。石炭の時代は終わっていくのです。坑内の火災を消火できてもできなくても、炭鉱は閉山へと向かっていくのです』
ちょっと気になったのは、女性は坑内に入ることはできなかったというドラマ内の説明でした。
端島はそうだったのかもしれませんが、福岡県内にある筑豊地区の炭坑では、たしか、明治時代のころから女性も坑内の作業をしていました。労働は過酷で、坑内で出産する女性もいたと聞いたことがあります。(戦後、法令の規制が入ったのだろうか。調べてみました。労働基準法がつくられて、女性やこどもの重労働が制限されたようです)
自宅の本箱にある一冊の本のページをめくったら、記事がありました。『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録 山本作兵衛 講談社』、100ページに、「それにしても一番ひどかったのは、女坑夫であります…… 短い腰巻き(女性の下着)一つになって、スラを曳いたり(木製の箱型そりをひいたり)、セナを担うたり(運搬用の籠(かご)をになう(かつぐ))、命がけの重労働です……」とあります。
本の内容はおもに、明治・大正時代の炭鉱の記録です。山本作兵衛さんは、独学で絵を勉強して描かれています。克明な記録です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の『世界記憶遺産』に指定されています。
『第8話 ダイヤモンド』
『推理』が主体の内容です。
苦言を書かせてもらえば、演者がセリフをしゃべっているときに背後で流れる歌詞入りのBGM(バックグラウンドミュージック)がわずらわしい。
神木くんのひとり語りが長すぎます。聞いていて疲れて暗い気持ちになります。
わけありのあかちゃんは、戸籍がないようです。救済措置はあるような気がします。だから、めげてはいけない。ドラマでは不正な取り扱いがなされています。戸籍がないならないと言って、正直にやればいいと思います。
秘書のおじいさんが関係していたのね。
『第9話 あの夜』
名探偵コナンの推理みたいです。
『第10話 記憶は眠る』
尻すぼみか。人間はもっと自由に生活できます。う~ん。どうかなあ。意図的に一定の枠にあてはめようとしています。
『外勤(がいきん)』という言葉がピンときませんでした。
外勤:事務室、事務所の外で働く。営業とか、作業とか。
鉄平さんのお仕事は、社員のために、社員のことを考えながら働く、人事・労務管理を中心とした総務の仕事でした。
まあ、正直にいろいろ書いてみました。
2024年秋のドラマで評判のいい3本です。
NHKドラマの、『団地のふたり』とか、『3000万』とか、『宙かける教室(そらかけるきょうしつ)』のほうに目がいっていたので、以下のタイトル3本は見落としていました。動画配信サービスでざーっと見てみます。『ライオンの隠れ家』と『無能の鷹』と『海に眠るダイヤモンド』です。
今回は、『海に眠るダイヤモンド』を観てみます。
長崎県にある、『端島(はしま。軍艦島)』は、わたしがこどもの頃から知っていた炭鉱です。もう半世紀ぐらい前から自分にある知識です。なぜ、いまさらという気持ちも湧きます。また、自分自身が、こどものころに福岡県、熊本県、茨城県の炭鉱町で炭坑長屋(炭住たんじゅうと言っていました)で過ごしたことがあるので、ドラマを観ると、なんだかなあという気持ちになりそうです。過去にじっさいあった現実とは、かけ離れているのだろうなあという気持ちです。(まだ見ていませんが)。見ながら感想をつぎ足していきます。
『海に眠るダイヤモンド』
昔は、『石炭』のことを、『黒ダイヤ』と呼んだものです。お金になるのです。
TBS日曜劇場。夜9時
『第1話 地底の闇を切り開く』
1955年(昭和30年)春。長崎端島(軍艦島。石炭採掘産業のための島)です。
玲央(れお):ホスト。神木隆之介
いづみ:謎のご婦人。宮本信子。(わたしは、昭和三十年代に端島(軍艦島)にいた草笛リナ(歌手。池田エライザさん)か、百合子(炭鉱夫の娘。土屋太鳳(つち・やたお)さん)ではなかろうかと第一話を観てピントくるものがありました。うまく話がつくってあります。(推理ははずれました)
宮本信子さんを見ていると、NHK朝ドラ、『あまちゃん』の夏ばっぱを思い出します。のんさんのおばあちゃん、小泉今日子さんの母親役、『天野夏』です。
『炭鉱員』と表現してありますが、当時は、『炭鉱夫(たんこうふ)』と言っていました。
荒木一平:炭鉱夫。国村準
荒木鉄平:一平の息子。神木隆之介(ふた役。昭和30年の人物。もうひと役は、現代のホスト玲央の役。じょうずに設定してあります。現代に生きるご婦人いづみとセットにしてあります。セリフに過去と現在の交流・交差があります)
荒木進平:鉄平の兄。斎藤工(さいとう・たくみ)。第二話でわかるのですが、結婚していた奥さんえいこさんは、台風の時に海に流されて行方不明になったそうです。(亡くなっている)
荒木ハル:一平の妻。鉄平と進平に母親
鷹羽鉱業:炭坑の持ち主。経営主体の会社
大学卒という設定が不可解ではありました。当時、炭鉱労働者のこどもで大学へ行ける人はいなかった記憶です。高校もなかなか行けなかった。親世代が中学卒で、親が教育に対して理解がなかった時代でした。
義務教育を卒業したら、炭鉱へ就職して肉体労働をしたか、都会へ出て住み込みで働いたか、ぐらいでした。集団就職でした。NHKドラマ『宙わたる教室(そらわたる教室)』の登場人物であった長嶺省造(ながみね・しょうぞう、演者:イッセー尾形)さんの立場です。
炭鉱夫を管理・監督する立場である炭坑経営者の側(がわ)の家のこどもだったら大学へ進学できたでしょう。
賢将(けんしょう):鉄平の幼なじみ。鉄平と賢将と百合子は、長崎大学の同級生。同時に卒業して端島(はしま。軍艦島)に戻ってきた。清水尋也(しみず・ひろや)
辰雄:賢将の父。鷹羽工業所の職員。沢村一樹(さわむら・いっき)
百合子:土屋太鳳(つちや・たお)。炭鉱夫の娘。母親はメンタルの病気があるようです。宗教に洗脳されているようなようすもみられます。
朝子:食堂で働く娘。杉咲花さん
草笛リナ:歌手。池田エライザさん
長崎市の街並みが映像に出てきました。
なつかしい。最後に行ったのは何年前だろう。思い出してみました。7歳の時、19歳の時、28歳のときに行きました。7歳の時は両親と、19歳の時は高校の友だち数人と、28歳の時は、妻と義父母と観光旅行をしました。妻のおなかの中にはこどもがいました。親戚の結婚式にも顔を出しました。もう義父母もあの世の人になってしまいました。
長崎ですから、キリスト教の教会が映像に出てきます。
『あなたがたは、世の光である』。宗教的なメッセージが流れました。
端島の炭坑は、1974年(昭和49年)に閉山したと出ました。
昔の端島を再現するわけか。
明治時代から1955年代(昭和30年代)に栄えた。以降全国にたくさんあった炭鉱の閉山は続きました。たくさんの労働者が仕事を失い、家族は転々と日本各地を引っ越しました。そういう時代がありましたが、もうそのことを口にする人は少なくなりました。苦労した思い出ですから、思い出したくないのです。
地下600m以上の深い場所で働く。8時間労働の3交代制で、24時間稼働する。(かどう:働く。機械も動かす。現代のコンビニみたいです)。劣悪な労働環境です。恐怖感には慣れるのでしょう。
現代の女性相手のホスト(玲央役の神木隆之介)と、昭和30年の炭坑職員(一平役の神木隆之介)をどうつないでいくのだろう。この物語におけるひとつのポイントです。
『人生で、さからうとは』。さからうことがない人生。さからったことがない人生を否定します。さからいなさい!です。
ビジネスの話です。
雇う者と雇われる者がいます。人間です。基本的に上下関係はありません。
でも、現実は違います。
女性差別がきつい時代です。職業差別もあります。
炭鉱夫以外でも、いくらでも差別があった時代です。
会社のえらいさんに、『たかが端島(のくせに)』とばかにされます。
『言い返しても良かったんじゃないですか』という声があります。
まあ、会社のえらいさんには、すけべオヤジもいます。頭の中は、女性のおっぱいとおしりのことばかりです。部下も困ります。でもさからえません。ひどい世界です。
労働者は、労働組合をつくって、雇用主と話し合います。そういうシステムができつつあった時代でもありました。
さだまさしさんが住職の役で出てきたので端島にお寺があったのだろうかと疑問をもちました。調べたらありました。すごいなあ。やはり、人間にとって宗教はだいじなのでしょう。
『人生を変えたくないか、ここから変えたくないか』(このあたりのセリフ回しがうまい)
炭鉱町に映画館、あったなあ。炭坑ではありませんが、栃木県の山奥にある銅山の町で暮らした時は、プロレスの興行とか、歌謡ショーとかもあった記憶です。まだこどもだったので、記憶はあやふやですが、労働者家族へのサービスイベントがよくありました。運動会とかお祭りとか。楽しみでした。
白洲次郎さんという人の本を思い出しました。炭坑とは関連がありませんが、労働者をだいじにした人でした。
『プリンシプルのない日本 白洲次郎 新潮文庫』
「プリンシプル principle」 著者本人が記した言葉ですが、文中で本人はどう訳せばいいのかわからないと言明しています。「原則」だろうかという解釈になっています。
あたりまえのことをあたりまえにやりましょうと呼びかけておられると思います。彼の考えの背景には、正直者が馬鹿をみる世の中にしてはいけませんという正義感があります。若者に対する教育に情熱がある人です。
『風の男 白洲次郎(しらす) 青柳恵介 新潮文庫』
戦後の新しい日本を築くことを目的として吉田茂首相の側近にいた重要人物という位置づけです。白洲氏の信条として紹介されている「自分で見て、自分の頭で考えて、自分が責任をとる」、ともすれば、だれしもが、「力が強いと思われる他人にやらせて、その人に責任をとってもらう」となりがちです。その信条は、本人の気質でしょう。
若い男女が複数いるので、三角関係になりそうです。じっさいは、四画関係みたいで複雑です。
映像では、海の夕映えがきれいです。
途中、炭鉱の立て坑(たてこう)の映像が出るのですが、福岡県田川市にある石炭・歴史博物館で見学したことがある立て坑にそっくりでした。たぶんそこからひっぱってきてある映像なのだろうと勝手な推測をしました。
動画は、1話から3話まで、ダイジェスト版があって、第7話とあります。第8話はこれから放送です。見ることができる部分だけ見て感想を終えるつもりです。
『第2話 スクエアダンス』
う~む。想像していたものとなにか違う。なんだろう。なんか、ゆるいのです。(進行とか、内容とか)
炭鉱の話ではないのだろうか。今回は、『恋愛』と『水』の話です。
昔はよく停電しました。だから、劇中台風で停電するのですが、映像にあるような大騒ぎはしませんでした。電気がなくても生きていける。台風が去るまでのがまんでした。
さしあたって、『人生変えたくないか? ここから、変えたくないか!』(これが、ドラマ全体を貫くテーマ(主題)でしょう。
ホストの売掛金の話が出ます。しばらく前に社会でいけないこととしてニュースで流れたことです。女の人がホストに入れ込んで支払いができなくなって、売春したり、取り立てが、女の人の実家まで押しかけたり、そんな話がありました。
端島(はしま)では、男女関係の赤い糸がもつれています。いわゆる三角関係っぽいものがあります。
以下は、わたしの予想です。あたりはずれがあるかもしれません。
草笛リナ:歌手。池田エライザさんは、やがて、荒木進平:鉄平の兄。斎藤工(さいとう・たくみ)と男女の仲になるのでしょう。
朝子:食堂で働く娘。杉咲花さんは、荒木鉄平(神木隆之介)が好きですが、荒木鉄平はまだそのことに気がついていません。
百合子:土屋太鳳(つちや・たお)さん。炭鉱夫の娘は、賢将(けんしょう):鉄平の幼なじみ。鉄平と賢将と百合子は、長崎大学の同級生。同時に卒業して端島に戻ってきた。清水尋也(しみず・ひろや)とできているように見えるが実はそうではない。賢将は、朝子(杉咲花)が好きだとわたしは見抜いているつもりです。そして、百合子は、自分が賢将に愛されていないことを自覚しているのです。
(現代の)玲央(れお。ホスト。神木隆之介)は、昭和30年の端島(はしま)にいる荒木鉄平(神木隆之介。炭坑で働く労働者とその家族の世話役。労務管理の職務を担当している)
片桐はいりさんが、映画館のもぎりをされています。
片桐はいりさんが書いた本を昔読んだことがあります。
『もぎりよ今夜も有難う 片桐はいり 幻冬舎文庫』(石原裕次郎さんの歌曲「夜霧よ今夜も有難う」にあやかったタイトルでしょう。もぎりは、映画館の入場券のはしっこを切り取る動作です。
映画好き、を超えて、映画館好き、雑然とした暗い映画館の中にある雰囲気が好きな女子の思い出と映画に対する愛着・愛情の記録です。60代の方が読むと共感が生まれるでしょう。
最初のほうでは、18歳から7年間、アルバイトで映画館の入場券もぎりをしていたことが、東京銀座の映画館「銀座文化劇場(現在のシネスイッチ銀座)」を舞台に熱く語られます。片桐はいりさんはやがて、映画を観る立場から出る立場(女優)に変わって、もぎりの仕事がやりにくくなり、やめてしまうのですが、心中(しんちゅう)では、一生「もぎり」をやりたいのです。
スクエアダンス:アメリカ合衆国のフォークダンス。4組のカップル、8人でダンスをする。指示者の合図に合わせながら隊列を変化させていくそうです。
『水』の話が出ます。端島では、長崎から毎日、一日三回、船で水が運ばれてくるそうです。
思い出してみると、島でなくても、昔の炭坑では、水道は、炭鉱住宅があるひとつのかたまりに水道の蛇口が1個あって、共同で使っていたことがありました。
それから、井戸です。手押し式のポンプが集落にいくつかあって、共同で使っていました。
いずれにしても、バケツでくんだ水を自宅の台所にあるコンクリート製の甕(かめ)に溜めて(ためて)使っていた記憶です。
あとは、里山に湧き出る水があると、バケツをもって汲みに行っていました。小学生でも水くみが仕事でした。
そんなわけで、衛生上はよくない水の使い方でした。今は本当に便利になりました。
まあ、なにをやるにしても昔は共同でした。がまんして協力して分担された仕事をやらないと生活がやれないということはありました。お互いに助け合うという仲間意識は強かったと思います。
端島での住宅の部屋割りは、公営住宅の抽選みたいです。
昔は、公営住宅に入りたい人がとても多かった。
今はどうかわかりません。家賃が安い民間アパートも増えました。
『第3話 孤島の花(桜のことでした)』
1957年10月、昭和32年です。端島に水道が開通しました。長崎県からパイプでつないだのでしょう。昭和32年だと、まだ、上下水道が未整備の島はたくさんありました。
ウソの映画撮影、オーディションの話があります。
いずみ(宮本信子。現代のおばさん)と婚約者の玲央(れお。現代。神木隆之介。昭和30年代の荒木鉄平と二役)です。
なんというか、設定があまりにも極端です。78歳ぐらいのいずみと28歳ぐらいの玲央が婚約中とは思えません。おばあさんと孫の年齢です。
ドラマは、『炭坑』の話ではないようです。『恋愛』と、『お金』、そして、『家族とか家庭』のお話です。
『気持ち』をだいじにしようとしています。
現代にいるホストの「玲央」は、昭和30年代にいる炭坑労務管理職員の「荒木鉄平」の孫だろうか。
現代にいる「いずみ(宮本信子)」は、昭和30年代にいる「朝子(杉咲花。食堂の娘)」本人だろうか。
第4話以降は、TVerで見ることはできませんでした。ダイジェスト版を見てみます。
『第1話から第5話までのダイジェスト版』
冒頭、女とあかちゃんが、端島を脱出・脱走するように小舟で海を陸へと渡るシーンが出ます。女はだれなのか、そして、あかちゃんはだれなのか。
炭鉱ですから、労働者と経営者で対立します。昭和30年代ですから暴力も起きます。そういう時代背景でした。昭和40年代になると大学生が暴れます。激しい学生運動がありました。
昭和の時代の職場でよく用いられた言葉に、『なになに一家(いっか)』というものがありました。「なになに」の部分には、会社名とか、所属名とかが入りました。職場のメンバーは、家族の集まりなのです。協力して仕事を仕上げていくのです。
こちらのドラマでは第五話で、『一島一家(いっとういっか)』と表現されました。
第4話では、わたしは観ることはできませんでしたが、『精霊流し(しょうろうながし)』が描かれました。わたしは、実際に精霊流しを12歳のときに熊本の離島で観たことがあります。病死したわたしの父親の精霊舟でした。さだまさしさんの歌曲、『精霊流し』を聴くとそのときのことを思い出して、胸にこみあげてくるものがあります。
やっぱり、朝子(杉咲花)さんが、いずみでした。
第6話はわたしの契約の場合動画配信サービスを見ることができないので、次は第7話を観てみます。
内容は、今の若い人が見たら感動するのでしょう。
過去という歴史の事実を体験した高齢の世代が見ると、こんなだったかなと首をかしげるでしょう。
日本人の生活のしかたが、かなり変化しました。
『第6話 希望の種』(パス)わたしは観ることができませんでした。
『第7話 消えない火』
荒木進平とリナが夫婦のようなものになっている。1歳の息子がいる。
進平と鉄平の両親である荒木一平とハルは、孫の誕生も含めて喜んでいる。
賢将と百合子は結婚している。
鉄平と朝子は、結婚待ちの状態にある。
でも、海底深くにある炭坑の穴の先端で、ガス爆発が起きます。
炭鉱の事故で、わたしが自分の人生で知っているところでは、わたしがこどものころにあった、福岡県大牟田市にあった三井三池炭鉱の爆発事故が1963年(昭和38年)でした。死者458人、一酸化炭素中毒が約839人と記録が残っています。
同じく、福岡県にあった三井山野炭坑(当時の稲築町(いなつきまち)、現在の嘉麻市(かまし))の爆発事故が1965年(昭和40年)で、死者237人、負傷者38人と記録が残っています。
1984年(昭和59年)福岡県高田町(現在は、みやま市)三井三池炭鉱有明坑で火災が発生し、死者83人が出ています。
人間は、生きているのが一番です。
生きているだけで、家族は安心です。
映像を見ていて思ったのですが、小学生ぐらいのこどもは、『いってきまーす』と言って学校へ行って、『ただいまーー』と言って帰って来てくれたら、何も言うことはありません。勉強ができるとかできないとか、運動ができるとかできないとかは関係ありません。
ドラマでは、火災をなかなか消火することができません。
進平とリナのこどもであるあかちゃんの演技がよかった。『ごちそうさまでした』の両手あわせのあいさつがじょうずでした。
いろいろ思うのですが、『産業構造の変化に逆らうことはできません。石炭の時代は終わっていくのです。坑内の火災を消火できてもできなくても、炭鉱は閉山へと向かっていくのです』
ちょっと気になったのは、女性は坑内に入ることはできなかったというドラマ内の説明でした。
端島はそうだったのかもしれませんが、福岡県内にある筑豊地区の炭坑では、たしか、明治時代のころから女性も坑内の作業をしていました。労働は過酷で、坑内で出産する女性もいたと聞いたことがあります。(戦後、法令の規制が入ったのだろうか。調べてみました。労働基準法がつくられて、女性やこどもの重労働が制限されたようです)
自宅の本箱にある一冊の本のページをめくったら、記事がありました。『画文集 炭鉱(ヤマ)に生きる 地の底の人生記録 山本作兵衛 講談社』、100ページに、「それにしても一番ひどかったのは、女坑夫であります…… 短い腰巻き(女性の下着)一つになって、スラを曳いたり(木製の箱型そりをひいたり)、セナを担うたり(運搬用の籠(かご)をになう(かつぐ))、命がけの重労働です……」とあります。
本の内容はおもに、明治・大正時代の炭鉱の記録です。山本作兵衛さんは、独学で絵を勉強して描かれています。克明な記録です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の『世界記憶遺産』に指定されています。
『第8話 ダイヤモンド』
『推理』が主体の内容です。
苦言を書かせてもらえば、演者がセリフをしゃべっているときに背後で流れる歌詞入りのBGM(バックグラウンドミュージック)がわずらわしい。
神木くんのひとり語りが長すぎます。聞いていて疲れて暗い気持ちになります。
わけありのあかちゃんは、戸籍がないようです。救済措置はあるような気がします。だから、めげてはいけない。ドラマでは不正な取り扱いがなされています。戸籍がないならないと言って、正直にやればいいと思います。
秘書のおじいさんが関係していたのね。
『第9話 あの夜』
名探偵コナンの推理みたいです。
『第10話 記憶は眠る』
尻すぼみか。人間はもっと自由に生活できます。う~ん。どうかなあ。意図的に一定の枠にあてはめようとしています。
『外勤(がいきん)』という言葉がピンときませんでした。
外勤:事務室、事務所の外で働く。営業とか、作業とか。
鉄平さんのお仕事は、社員のために、社員のことを考えながら働く、人事・労務管理を中心とした総務の仕事でした。
まあ、正直にいろいろ書いてみました。
2025年01月14日
ドラマ、『無能の鷹』
ドラマ、『無能の鷹』 動画配信サービス
NHKドラマの、『団地のふたり』とか、『3000万』とか、『宙かける教室(そらかけるきょうしつ)』のほうに目がいっていたので、民放で放送された以下のタイトル3本は見落としていました。動画配信サービスでざーっと見てみます。『ライオンの隠れ家』と『無能の鷹』と『海に眠るダイヤモンド』です。
今回は、『無能の鷹』です。
TBS金曜ナイトドラマ 23時15分から。
わたしは、TVer(ティーバー)、ABEMA(アベマ)で観ました。
鷹野ツメ子(菜々緒):見た目は仕事ができそうな人間に見えるが、中身はなにもできない女性。無能な鷹野さんです。(どうして採用試験に合格したのか観ていて不思議です)、普通なら解雇対象の社員です。採用してはいけません。
鶸田(ひわだ)(塩野瑛久しおの・あきひさ):鷹野ツメ子の同僚・同期。まじめで努力家だが、ひ弱。
ふたりは、ITの会社(システムを売り込む会社)で働いている。『ひわ』という鳥の分類があるそうです。
第一羽 『無能ですが何か?脱力系オフィスコメディ爆誕(「話」を鳥にたとえて、「第一羽」としてあります)』を全編観ました。おもしろい。
菜々緒さんの役柄は、『成瀬は天下を取りに行く 宮島美奈 新潮社』に出てくる主人公の、『成瀬あかり』のような風貌(ふうぼう。姿かたち)、イメージです。でも、小説に出てくる成瀬あかりは、有能です。東京大学や京都大学に合格できるほどの学力をもっています。ただ、奇人です。でも、善人です。そういう人って、現実にもいます。いい人です。
ぎこちない部分はあります。話のもっていきかたがむずかしい。
本来ならやれないこと、できないことを、うまくまとめようとしていく話の流れです。
バカリズム脚本作品とか、NHKドラマの、『正直不動産』と似た雰囲気があります。
ビジネスのことを知っている人、ビジネスが好きな人が観るとおもしろく感じる作品です。
まあ、好みが分かれます。
ラブコメディみたいな部分もあります。
『会社を辞めない』ということが主題のドラマです。
いったん採用した正社員を解雇することは容易ではありません。
第二羽 『優しい人が損をする、それが会社である』
パソコンを使えない鷹野ツメ子です。
パソコン操作をいまどきの人たちはどこで覚えるのだろうかと思うことがあります。学校がすべてを教えてくれるとも思えませんが、けっこうみなさんおじょうずです。
わたしたち前期高齢者の世代は、1995年のウィンドウズ95が出たあたりからパソコン教育が熱心になりました。わたしは、自費で自分の仕事が休みの日に(当時は、土日出勤、平日に二日間休みでした)アビバとかいうところに習いに行って、タッチタイピング(キーボードを見ずに文章作成をする)ができるようになりました。あとは、名古屋にある大須商店街のパソコンショップに行って、部品を買ってきて、デスクトップパソコンのふた(カバー)を開いて、グレードアップのために部品交換をしながら装置について学びました。そのころのパソコンはNECの箱型の大きなパソコンで、自分でふたを開けて中身をいじることができました。
そんな体験があるので、ドラマに出てくる鷹野ツメ子が、パソコンができないのは当然ではなかろうかと推察するのです。自分から積極的に学ぼうとしないとパソコン操作は身に付きません。
ゆえに、番組中のパソコン操作にまつわる笑い話エピソードは好印象でした。
なお、業務を電算化(IT化)するということは、その分、人員を削減するということです。労働者にとってはいいことばかりではありません。人間が機械に職を奪われてしまいます。
映像に東京駅丸の内出口あたりの風景がときおり出てきていいなーーという気分になります。
ときおりの東京見物に行ったときに、たまに自分が歩くあたりです。ビルばっかしです。
それでも、自分が行ったことがある場所がテレビに出てくるとうれしくなります。
なぜかしら、鷹野ツメ子が、指先を使ってのボールペン回しに熱中します。できるようになるのかと思ったらできませんでした。なんだったのだろう。(その後、できるようになったようです)
BGM(バックグランドミュージック)が、やさしい音色(ねいろ)で、とてもいい感じです。
第三羽 『野望と愛欲に塗れた社内相関図』
菜々緒さんがかっこいい。
ITシステムを売り込む会社なのに、パソコンのことを知らない無能な社員の菜々緒さんです。
どうやって、相手に提案を受けてもらえるかの、『営業手法』を提案するドラマです。
あわせて、心が折れそうになる営業現場のストレスを解消するドラマでもあります。仕事のストレスがある人が見るとスカッとするドラマです。
まあ、全体的に不思議な雰囲気がただようドラマでもあります。
『自由』とは、『勝手なことをする』ということではありませんというアピールがあります。
演じているのは、NHK朝ドラ『虎に翼』に出ていた土居志央梨(どい・しおり)さんです。朝ドラでは、がんこで強気な弁護士志望の山田よねという女性を演じておられました。
博多華丸・大吉さんと鈴木奈穂子アナウンサーがやっている朝のNHK番組、『あさイチ』に土居志央梨さんがゲストで出ておられましたが、役とは、まるっきり正反対の性格の方でその差があまりにも大きくてびっくりしました。明るくて、おしゃべりで、よく笑う人でした。
土居さんは、こちらのドラマでも、やっぱりきついへんてこりんな女性を演じておられます。
義務教育のゆとり教育のためなのか、IT授業の浸透が原因なのか、昭和の時代みたいにがむしゃらに働くことがいいこととはされない世の中に変化してしまいました。
番組内容を見ていると、出世を希望しない社員が増えたというような印象の内容でした。むしろ、出世をしたい社員にとっては、出世しやすいというチャンスの時なのでしょう。
ふりかえってみれば、わたしが働き始めたころは、勤務時間というものは、『だいたいの目安(めやす)』でした。始業時刻の30分ぐらい前には職場に着いて、ぞうきんとバケツをもって、自分やみなさんの机をふいていました。女子はお茶くみの用意なんかをしていました。終業時刻になっても、30分ぐらいはだらだらとみんなとおしゃべりをしながら職場にいて仕事をしていました。サービス残業(無給)です。そんな時代がありました。
第四羽 『地雷を踏まない会社の歩き方』、第五羽 『愛される老害になるためには』、第六羽 『会社に行かない主義の君へ』、第七羽 『恋をするとはキモくなること』の放送はわたしが契約している動画配信サービスでは設定がありませんでした。TELASA(テラサ)で見ることができるようですが、あいにくわたしには契約がありません。
最終羽(第八羽) 『無能は世界を平和にする!?』こちらは、わたしの現在の契約で観ることができました。
鷹野ツメ子が、株式をやると言います。
でも、ボタンの掛け違えのように、株式投資と㈱を間違えています。社名㈱の表示を、株をやるとう意味にとっています。なんとも不可解な内容ですがおもしろいなあという気分になれました。
人間関係が濃密でべたべたしていた昭和の時代を思い出すようです。今は人間関係が薄くなりました。
昭和の時代は、チームワーク重視でした。どこの職場でも派閥のようなものがあって、グループには、「村長」がいて、村長を中心にまとまる「村人」がいました。「番頭さん」という言葉もよく使いました。まとめ役が必要なのです。社員は、「家族」でした。会社が、「家庭」でした。そういう時代がありました。それで、わりとまとまっていました。勤務時間外でもみんなでだれかの家に集まって、マージャンをやったり、バーベキューをしたり、それぞれの車に分乗して泊りの旅行に行ったりもしました。
好景気の時代でした。メンタルの病気になる人は少なかった記憶です。力不足の人でも役割を果たせるようなすきま仕事がありました。電算化・IT化で、いっけんムダに見えるすきま仕事が減りました。科学の発展が、すべての人にとっていいことだとは言い切れません。むずかしいところです。
鶸田(ひわだ)(塩野瑛久しおの・あきひさ)さんの演技は、名作、『北の国から』に出てくる純くんの演技に似ていました。黒板純(吉岡秀隆さんのこども時代)、黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんと令子(いしだあゆみ)さんの長男です。純君は、うじうじしていて、はっきりしない男なのです。
最後のほうの20分間ぐらいは、創作として力尽きたのかなあ。時間を埋めるための過去のふりかえりとハッピーエンドでした。
全体的にマンガのような仕上りのドラマでした。(原作はマンガです)
NHKドラマの、『団地のふたり』とか、『3000万』とか、『宙かける教室(そらかけるきょうしつ)』のほうに目がいっていたので、民放で放送された以下のタイトル3本は見落としていました。動画配信サービスでざーっと見てみます。『ライオンの隠れ家』と『無能の鷹』と『海に眠るダイヤモンド』です。
今回は、『無能の鷹』です。
TBS金曜ナイトドラマ 23時15分から。
わたしは、TVer(ティーバー)、ABEMA(アベマ)で観ました。
鷹野ツメ子(菜々緒):見た目は仕事ができそうな人間に見えるが、中身はなにもできない女性。無能な鷹野さんです。(どうして採用試験に合格したのか観ていて不思議です)、普通なら解雇対象の社員です。採用してはいけません。
鶸田(ひわだ)(塩野瑛久しおの・あきひさ):鷹野ツメ子の同僚・同期。まじめで努力家だが、ひ弱。
ふたりは、ITの会社(システムを売り込む会社)で働いている。『ひわ』という鳥の分類があるそうです。
第一羽 『無能ですが何か?脱力系オフィスコメディ爆誕(「話」を鳥にたとえて、「第一羽」としてあります)』を全編観ました。おもしろい。
菜々緒さんの役柄は、『成瀬は天下を取りに行く 宮島美奈 新潮社』に出てくる主人公の、『成瀬あかり』のような風貌(ふうぼう。姿かたち)、イメージです。でも、小説に出てくる成瀬あかりは、有能です。東京大学や京都大学に合格できるほどの学力をもっています。ただ、奇人です。でも、善人です。そういう人って、現実にもいます。いい人です。
ぎこちない部分はあります。話のもっていきかたがむずかしい。
本来ならやれないこと、できないことを、うまくまとめようとしていく話の流れです。
バカリズム脚本作品とか、NHKドラマの、『正直不動産』と似た雰囲気があります。
ビジネスのことを知っている人、ビジネスが好きな人が観るとおもしろく感じる作品です。
まあ、好みが分かれます。
ラブコメディみたいな部分もあります。
『会社を辞めない』ということが主題のドラマです。
いったん採用した正社員を解雇することは容易ではありません。
第二羽 『優しい人が損をする、それが会社である』
パソコンを使えない鷹野ツメ子です。
パソコン操作をいまどきの人たちはどこで覚えるのだろうかと思うことがあります。学校がすべてを教えてくれるとも思えませんが、けっこうみなさんおじょうずです。
わたしたち前期高齢者の世代は、1995年のウィンドウズ95が出たあたりからパソコン教育が熱心になりました。わたしは、自費で自分の仕事が休みの日に(当時は、土日出勤、平日に二日間休みでした)アビバとかいうところに習いに行って、タッチタイピング(キーボードを見ずに文章作成をする)ができるようになりました。あとは、名古屋にある大須商店街のパソコンショップに行って、部品を買ってきて、デスクトップパソコンのふた(カバー)を開いて、グレードアップのために部品交換をしながら装置について学びました。そのころのパソコンはNECの箱型の大きなパソコンで、自分でふたを開けて中身をいじることができました。
そんな体験があるので、ドラマに出てくる鷹野ツメ子が、パソコンができないのは当然ではなかろうかと推察するのです。自分から積極的に学ぼうとしないとパソコン操作は身に付きません。
ゆえに、番組中のパソコン操作にまつわる笑い話エピソードは好印象でした。
なお、業務を電算化(IT化)するということは、その分、人員を削減するということです。労働者にとってはいいことばかりではありません。人間が機械に職を奪われてしまいます。
映像に東京駅丸の内出口あたりの風景がときおり出てきていいなーーという気分になります。
ときおりの東京見物に行ったときに、たまに自分が歩くあたりです。ビルばっかしです。
それでも、自分が行ったことがある場所がテレビに出てくるとうれしくなります。
なぜかしら、鷹野ツメ子が、指先を使ってのボールペン回しに熱中します。できるようになるのかと思ったらできませんでした。なんだったのだろう。(その後、できるようになったようです)
BGM(バックグランドミュージック)が、やさしい音色(ねいろ)で、とてもいい感じです。
第三羽 『野望と愛欲に塗れた社内相関図』
菜々緒さんがかっこいい。
ITシステムを売り込む会社なのに、パソコンのことを知らない無能な社員の菜々緒さんです。
どうやって、相手に提案を受けてもらえるかの、『営業手法』を提案するドラマです。
あわせて、心が折れそうになる営業現場のストレスを解消するドラマでもあります。仕事のストレスがある人が見るとスカッとするドラマです。
まあ、全体的に不思議な雰囲気がただようドラマでもあります。
『自由』とは、『勝手なことをする』ということではありませんというアピールがあります。
演じているのは、NHK朝ドラ『虎に翼』に出ていた土居志央梨(どい・しおり)さんです。朝ドラでは、がんこで強気な弁護士志望の山田よねという女性を演じておられました。
博多華丸・大吉さんと鈴木奈穂子アナウンサーがやっている朝のNHK番組、『あさイチ』に土居志央梨さんがゲストで出ておられましたが、役とは、まるっきり正反対の性格の方でその差があまりにも大きくてびっくりしました。明るくて、おしゃべりで、よく笑う人でした。
土居さんは、こちらのドラマでも、やっぱりきついへんてこりんな女性を演じておられます。
義務教育のゆとり教育のためなのか、IT授業の浸透が原因なのか、昭和の時代みたいにがむしゃらに働くことがいいこととはされない世の中に変化してしまいました。
番組内容を見ていると、出世を希望しない社員が増えたというような印象の内容でした。むしろ、出世をしたい社員にとっては、出世しやすいというチャンスの時なのでしょう。
ふりかえってみれば、わたしが働き始めたころは、勤務時間というものは、『だいたいの目安(めやす)』でした。始業時刻の30分ぐらい前には職場に着いて、ぞうきんとバケツをもって、自分やみなさんの机をふいていました。女子はお茶くみの用意なんかをしていました。終業時刻になっても、30分ぐらいはだらだらとみんなとおしゃべりをしながら職場にいて仕事をしていました。サービス残業(無給)です。そんな時代がありました。
第四羽 『地雷を踏まない会社の歩き方』、第五羽 『愛される老害になるためには』、第六羽 『会社に行かない主義の君へ』、第七羽 『恋をするとはキモくなること』の放送はわたしが契約している動画配信サービスでは設定がありませんでした。TELASA(テラサ)で見ることができるようですが、あいにくわたしには契約がありません。
最終羽(第八羽) 『無能は世界を平和にする!?』こちらは、わたしの現在の契約で観ることができました。
鷹野ツメ子が、株式をやると言います。
でも、ボタンの掛け違えのように、株式投資と㈱を間違えています。社名㈱の表示を、株をやるとう意味にとっています。なんとも不可解な内容ですがおもしろいなあという気分になれました。
人間関係が濃密でべたべたしていた昭和の時代を思い出すようです。今は人間関係が薄くなりました。
昭和の時代は、チームワーク重視でした。どこの職場でも派閥のようなものがあって、グループには、「村長」がいて、村長を中心にまとまる「村人」がいました。「番頭さん」という言葉もよく使いました。まとめ役が必要なのです。社員は、「家族」でした。会社が、「家庭」でした。そういう時代がありました。それで、わりとまとまっていました。勤務時間外でもみんなでだれかの家に集まって、マージャンをやったり、バーベキューをしたり、それぞれの車に分乗して泊りの旅行に行ったりもしました。
好景気の時代でした。メンタルの病気になる人は少なかった記憶です。力不足の人でも役割を果たせるようなすきま仕事がありました。電算化・IT化で、いっけんムダに見えるすきま仕事が減りました。科学の発展が、すべての人にとっていいことだとは言い切れません。むずかしいところです。
鶸田(ひわだ)(塩野瑛久しおの・あきひさ)さんの演技は、名作、『北の国から』に出てくる純くんの演技に似ていました。黒板純(吉岡秀隆さんのこども時代)、黒板五郎(田中邦衛たなかくにえ)さんと令子(いしだあゆみ)さんの長男です。純君は、うじうじしていて、はっきりしない男なのです。
最後のほうの20分間ぐらいは、創作として力尽きたのかなあ。時間を埋めるための過去のふりかえりとハッピーエンドでした。
全体的にマンガのような仕上りのドラマでした。(原作はマンガです)