2024年12月14日
宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) NHKドラマ10
宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) NHKドラマ10 毎週火曜日午後10時放送 全10話
『第8話 メテオライトの憂鬱(ゆううつ)』(メテオライトは、宇宙から地球に飛来した隕石(いんせき)の総称。大学教育者から定時制高校教師になった藤竹先生のお悩みということでしょう)
『第9話 恐竜少年の仮説』
『第10話最終話 消えない星』
『第8話 メテオライトの憂鬱(ゆううつ)』
がっくんの昔のワル仲間が定時制高校に押しかけて、がっくんたち科学部の活動を邪魔するのです。
(柳田岳人は、本を読んだ時は、たしか読み方が、「やなぎだ・たけと」でしたが、愛称は、がっくんなのでしょう)
言いがかりをつけてくる若者男子は、がっくんがまともになることがうらやましい。研究設備を壊すことで人が不幸になることがうれしい。心意気が屈折しています。
『おいがっくんどこだよ!』
がっくんにいいがかりをつける演者の方の演技がうまくない。一生懸命なのはわかるのですが、この物語の雰囲気に合っていない。
物語全体の流れをつかんで演じるのがいい。もっと静かに演じたほうがいい。力が入り過ぎています。とがり過ぎです。がんばりすぎなのです。
本を読んだ時は、自分なりに頭の中で、登場人物たちの顔や姿、スタイルなどを想像して、ストーリーの進行を楽しみました。
そうやって自分の脳みそにできたこの小説のイメージとドラマの映像は違います。みなさん、かっこ良すぎるのです。お顔もきれいな人が多い。自分の想像の中の登場人物たちは、ふつうの顔と姿、どこにでもいる人間のスタイルをしています。話し方も、ぼそぼそっとしたものです。ドラマのように、はっきり強く言い切る形ではありません。
イッセー尾形さんのお話がとてもいい。
社会の現実を語っておられます。
きれいごとを言っていては、生活していけません。
世の中では、不公平、不条理、不合理、理不尽があたりまえなのです。
そういうものだと、心の中で、気持ちに折り合いをつけながら生きていくのです。
(藤竹先生がイッセー尾形さん(役名は、長嶺省造)にかけた言葉)『空中分解寸前ですわ』
イッセー尾形さんの言葉の趣旨です。
身の丈(みのたけ。生まれ、境遇、才能など)に合わない理想はいずれあきらめることになる。
私はそれなりに世の中のことは知っているつもりですけれど……
想像以上に甘くないよ。
エリートは、「蹴落とす人たち(けおとすひとたち)」である。
夢が破れたときの心の傷は深い。どこまで落ちていくかわからん。(柳田岳人を心配しての言葉)
本当にいいのかね。
彼にこれ以上期待させていいのかね。(自分がもしかしたら研究者になれるかもしれないという未来への夢(かなうはずがないという断定があります))
(柳田岳人)『オレ、タバコやめたんだよね』(いいことです)
『金貯めて(大学へ行きたい)』
『(でもいろいろ無理そうなことがわかって)がんばったことをあきらめるのはつらい』
学ぶ(知らなかったことを知るようになった。読めなかった文字を読めるようになった。(識字障害ディスレクシアであったことがわかって改善された))。
柳田岳人のセリフからは、気持ちがよく伝わってきました。
『第9話 恐竜少年の仮説』
失意に沈む藤竹先生です。定時制高校科学部がうまくいきません。
思い出話です。
藤竹先生は、アメリカ合衆国アリゾナへ研究のために行ったことがある。出世ではありません。むしろ左遷(させん。地位が落ちる)です。上司にさからったのです。(ドラマでは、高島礼子さんが演じる研究者のボスに、はむかっていった)
藤竹先生を演じる窪田正孝さんの演技がうまい。
名取佳純を演じる伊藤蒼さんの演技もうまい。伊藤さんはさきざきNHKの朝ドラの主役を演じるのではないかと期待しています。静かな演技が光っています。大声をあげて感情表現をする演技はむずかしくはありません。静かに淡々と自分の気持ちを整理して話す演技が観ている者の気持ちを豊かにさせてくれます。
イッセー尾形さんもうまい。さすが高齢者の言葉と、納得させられます。
『人間は、「気持ち」で生きている』
『人はそれぞれ、「夢」をもっている』
藤竹先生は、日本での研究者の世界に失望した。
学歴差別があった。
藤竹先生が支持していた高専(高等専門学校)の生徒が、団体のトップに差別された。研究に貢献してくれたのに、学歴が格下だからという理由で、発表の場で存在を排除された。
他者の成果を自分の手柄にする上司っています。みんなから嫌われます。でも、反発はしません。人事とお金の権力をもっている上司にはさからえません。頭のいい人たちは、知ってて知らん顔をします。心の冷たい人たちです。
組織のトップとそのとりまきたちは、『形を整える』ことにこだわります。中身はありません。形があれば、中身にはこだわりません。かっこうがつけばいいのです。
藤竹先生が上司に抗議します。『科学の前では、だれであろうとみんな平等のはずです!』
差別された人は、今回はあきらめて引き下がりましたが、現実社会では、差別やえいひいきをされて、引き下がらない人もいます。恐ろしいこと(おそろしいこと)が起きる原因にもなります。
がっくん(柳田岳人。小林虎之助さんが演じる)の友は、がっくんがねたましい。(自分もがっくんのようになりたいけれどなれない)。
やりたいことがある。やりたいことをしているということは、ステキなことなのです。
『科学(研究)の世界は開かれている。だれも拒んではいない。(こばんではいない)。科学はいつだって、きみを受け入れてくれる』、シンプルです。舞台劇のようなドラマです。
貧乏人のこどもだから頭が悪いということはありません。貧乏人の家にも、学力や能力が高いこどもは生まれます。
『育てる(そだてる)とか、育む(はぐくむ)』を主題にしたドラマです。
藤竹先生も、ひよわなひとりの人間です。
『勝手に終わらせてんじゃねぇよ!』(そのあとみんなに謝る(あやまる)柳田岳人(やなぎだ・たけと)です。
『ここは(定時制高校科学部)は、あきらめたものをとりもどす場所なんじゃないのか!』
『「科学」は楽しいものなんだ』
『第10話最終話 消えない星』
名取佳純(なとり・かすみ)を演じる伊藤蒼(いとう・あおい)さんの演技がうまい。
朝ドラ、『虎に翼』の主役を演じた伊藤沙莉(いとう・さいり)さんもうまいけれど、同じぐらい伊藤蒼さんもうまい。
静かな状態での演技が絶妙です。何も言わなくても気持ちがじわーっと伝わってきます。
仕事を見つけるときには人間関係が大事です。
だれかの推薦で仕事が見つかることが多い。
雇うほうは、『保証』が欲しいのです。推薦人が保証人のようなものです。
藤竹先生の次の仕事が見つかりました。(この部分は原作にはなかったような)
ほかにも小説にはなかったような部分が出てきますがかまいません。
ちょっと自分の記憶に自信がありませんが、名取佳純の姉の支援、過剰に薬を摂取する松谷真耶の立ち直ったその後、科学部チームが、JAXA(ジャクサ。宇宙航空研究開発機構)の研究に誘われる。同研究に、科学部チームがつくった、『重力可変装置』が使われる。
みなさんいい作品に出られました。
上品で上質な学園モノに仕上がったドラマでした。
柳田岳人(やなぎだ・たけと)を演じられた小林虎之助さんの自然な演技が光っていました。
イッセー尾形さんの藤竹先生に対する言葉です。
『あんたーー 食えん男だな(ずるがしこい男、狡猾(こうかつ)な男、悪賢い(わるがしこい)男』
なかなか良かった。
『第8話 メテオライトの憂鬱(ゆううつ)』(メテオライトは、宇宙から地球に飛来した隕石(いんせき)の総称。大学教育者から定時制高校教師になった藤竹先生のお悩みということでしょう)
『第9話 恐竜少年の仮説』
『第10話最終話 消えない星』
『第8話 メテオライトの憂鬱(ゆううつ)』
がっくんの昔のワル仲間が定時制高校に押しかけて、がっくんたち科学部の活動を邪魔するのです。
(柳田岳人は、本を読んだ時は、たしか読み方が、「やなぎだ・たけと」でしたが、愛称は、がっくんなのでしょう)
言いがかりをつけてくる若者男子は、がっくんがまともになることがうらやましい。研究設備を壊すことで人が不幸になることがうれしい。心意気が屈折しています。
『おいがっくんどこだよ!』
がっくんにいいがかりをつける演者の方の演技がうまくない。一生懸命なのはわかるのですが、この物語の雰囲気に合っていない。
物語全体の流れをつかんで演じるのがいい。もっと静かに演じたほうがいい。力が入り過ぎています。とがり過ぎです。がんばりすぎなのです。
本を読んだ時は、自分なりに頭の中で、登場人物たちの顔や姿、スタイルなどを想像して、ストーリーの進行を楽しみました。
そうやって自分の脳みそにできたこの小説のイメージとドラマの映像は違います。みなさん、かっこ良すぎるのです。お顔もきれいな人が多い。自分の想像の中の登場人物たちは、ふつうの顔と姿、どこにでもいる人間のスタイルをしています。話し方も、ぼそぼそっとしたものです。ドラマのように、はっきり強く言い切る形ではありません。
イッセー尾形さんのお話がとてもいい。
社会の現実を語っておられます。
きれいごとを言っていては、生活していけません。
世の中では、不公平、不条理、不合理、理不尽があたりまえなのです。
そういうものだと、心の中で、気持ちに折り合いをつけながら生きていくのです。
(藤竹先生がイッセー尾形さん(役名は、長嶺省造)にかけた言葉)『空中分解寸前ですわ』
イッセー尾形さんの言葉の趣旨です。
身の丈(みのたけ。生まれ、境遇、才能など)に合わない理想はいずれあきらめることになる。
私はそれなりに世の中のことは知っているつもりですけれど……
想像以上に甘くないよ。
エリートは、「蹴落とす人たち(けおとすひとたち)」である。
夢が破れたときの心の傷は深い。どこまで落ちていくかわからん。(柳田岳人を心配しての言葉)
本当にいいのかね。
彼にこれ以上期待させていいのかね。(自分がもしかしたら研究者になれるかもしれないという未来への夢(かなうはずがないという断定があります))
(柳田岳人)『オレ、タバコやめたんだよね』(いいことです)
『金貯めて(大学へ行きたい)』
『(でもいろいろ無理そうなことがわかって)がんばったことをあきらめるのはつらい』
学ぶ(知らなかったことを知るようになった。読めなかった文字を読めるようになった。(識字障害ディスレクシアであったことがわかって改善された))。
柳田岳人のセリフからは、気持ちがよく伝わってきました。
『第9話 恐竜少年の仮説』
失意に沈む藤竹先生です。定時制高校科学部がうまくいきません。
思い出話です。
藤竹先生は、アメリカ合衆国アリゾナへ研究のために行ったことがある。出世ではありません。むしろ左遷(させん。地位が落ちる)です。上司にさからったのです。(ドラマでは、高島礼子さんが演じる研究者のボスに、はむかっていった)
藤竹先生を演じる窪田正孝さんの演技がうまい。
名取佳純を演じる伊藤蒼さんの演技もうまい。伊藤さんはさきざきNHKの朝ドラの主役を演じるのではないかと期待しています。静かな演技が光っています。大声をあげて感情表現をする演技はむずかしくはありません。静かに淡々と自分の気持ちを整理して話す演技が観ている者の気持ちを豊かにさせてくれます。
イッセー尾形さんもうまい。さすが高齢者の言葉と、納得させられます。
『人間は、「気持ち」で生きている』
『人はそれぞれ、「夢」をもっている』
藤竹先生は、日本での研究者の世界に失望した。
学歴差別があった。
藤竹先生が支持していた高専(高等専門学校)の生徒が、団体のトップに差別された。研究に貢献してくれたのに、学歴が格下だからという理由で、発表の場で存在を排除された。
他者の成果を自分の手柄にする上司っています。みんなから嫌われます。でも、反発はしません。人事とお金の権力をもっている上司にはさからえません。頭のいい人たちは、知ってて知らん顔をします。心の冷たい人たちです。
組織のトップとそのとりまきたちは、『形を整える』ことにこだわります。中身はありません。形があれば、中身にはこだわりません。かっこうがつけばいいのです。
藤竹先生が上司に抗議します。『科学の前では、だれであろうとみんな平等のはずです!』
差別された人は、今回はあきらめて引き下がりましたが、現実社会では、差別やえいひいきをされて、引き下がらない人もいます。恐ろしいこと(おそろしいこと)が起きる原因にもなります。
がっくん(柳田岳人。小林虎之助さんが演じる)の友は、がっくんがねたましい。(自分もがっくんのようになりたいけれどなれない)。
やりたいことがある。やりたいことをしているということは、ステキなことなのです。
『科学(研究)の世界は開かれている。だれも拒んではいない。(こばんではいない)。科学はいつだって、きみを受け入れてくれる』、シンプルです。舞台劇のようなドラマです。
貧乏人のこどもだから頭が悪いということはありません。貧乏人の家にも、学力や能力が高いこどもは生まれます。
『育てる(そだてる)とか、育む(はぐくむ)』を主題にしたドラマです。
藤竹先生も、ひよわなひとりの人間です。
『勝手に終わらせてんじゃねぇよ!』(そのあとみんなに謝る(あやまる)柳田岳人(やなぎだ・たけと)です。
『ここは(定時制高校科学部)は、あきらめたものをとりもどす場所なんじゃないのか!』
『「科学」は楽しいものなんだ』
『第10話最終話 消えない星』
名取佳純(なとり・かすみ)を演じる伊藤蒼(いとう・あおい)さんの演技がうまい。
朝ドラ、『虎に翼』の主役を演じた伊藤沙莉(いとう・さいり)さんもうまいけれど、同じぐらい伊藤蒼さんもうまい。
静かな状態での演技が絶妙です。何も言わなくても気持ちがじわーっと伝わってきます。
仕事を見つけるときには人間関係が大事です。
だれかの推薦で仕事が見つかることが多い。
雇うほうは、『保証』が欲しいのです。推薦人が保証人のようなものです。
藤竹先生の次の仕事が見つかりました。(この部分は原作にはなかったような)
ほかにも小説にはなかったような部分が出てきますがかまいません。
ちょっと自分の記憶に自信がありませんが、名取佳純の姉の支援、過剰に薬を摂取する松谷真耶の立ち直ったその後、科学部チームが、JAXA(ジャクサ。宇宙航空研究開発機構)の研究に誘われる。同研究に、科学部チームがつくった、『重力可変装置』が使われる。
みなさんいい作品に出られました。
上品で上質な学園モノに仕上がったドラマでした。
柳田岳人(やなぎだ・たけと)を演じられた小林虎之助さんの自然な演技が光っていました。
イッセー尾形さんの藤竹先生に対する言葉です。
『あんたーー 食えん男だな(ずるがしこい男、狡猾(こうかつ)な男、悪賢い(わるがしこい)男』
なかなか良かった。
2024年12月13日
バスVS鉄道対決旅 第22弾 阿蘇くまもと空港→大分宇佐神宮
バスVS鉄道対決旅 第22弾 バス9勝 鉄道12勝 舞台は九州の名湯!勝つのはMr.バス旅太川か?軍曹村井か?阿蘇くまもと空港→大分宇佐神宮 テレビ東京
びっくりしました。こんなことって、起きるんだ。
村井美樹さんが、電車を乗り間違えました。
ピンチだったのが、うまくいって、有頂天になってしまいました。気持ちがゆるんでしまいました。
やっちまいました。
スコーンと抜けてしまいました。
しょうがない。
間違えることもあります。
鉄道旅だけでなくて、じっさいの仕事でも、まさかそんなことが、そんなポカが起きるのかということがあります。新人だけではなくて、ベテランでもあります。魔が差すのです。一瞬の判断ミスです。
勝利の旗を手に取るまでは、全身で喜びを表現してはいけないのです。がまんがまん。
村井美樹さんは、あろうことか、大分駅で降りた同じ電車に、数分後また乗り込んでしまいました。折り返しの電車です。電車は、再び元の方向へ戻っていきました。村井さんとゲストの三人は、車内で浮かれて、終点まで、自分たちが、また元の方向へ戻っていることに気づけませんでした。(まあ、スタッフも教えなかったのでしょう。教えてはいけないのです)。びっくりです。
太川陽介バスチーム:鏡優翔(かがみ・ゆうか)パリオリンピックレスリング76kg金メダリスト 久保田磨希(くぼた・まき)女優
村井美樹鉄道チーム:迫田さおり(さこだ・さおり)ロンドンオリンピックバレーボール銅メダリスト 高橋光臣(たかはし・みつおみ)俳優
自分も訪れたことがある九州各地の景色を映像で見ることができて良かったです。
鉄道チームは宿命として長い距離を歩かなければなりませんが、今回はバスチームもたくさん歩かれました。
ゲストの人たちが歩きを嫌がるのが不思議でした。スポーツマンでも得手不得手があるようです。
レスリングの鏡優翔(かがみ・ゆうか)さんの自分を励ます言葉が、『かわいい』で、そういえば、パリオリンピックのレスリングの時にマウスピースに、『カワイイ』と文字が書いてあったことを思い出しました。
鏡優翔さんは、食欲旺盛で、食べ物を食べるチャレンジの時に実力を発揮されていました。食べっぷりがいい。
川の中にある温泉、『ガニ湯』がおもしろかった。同じような形態で、伊豆の修善寺とか、岐阜の下呂温泉にも川の中に温泉があった記憶です。
チェックポイントでのチャレンジとして、食事のこと、おふろのことなど、課題がパターン化されてきましたが、出演者のみなさんは一生懸命で好感をもちました。
別府の遊園地、『ラクテンチ』で、ケーブルカーが、日本で一番短い鉄道だそうで、バスチームは鉄道に乗れないルールなので、ケーブルカーに乗れず、タクシーで大まわりをしながらアヒルの駆けっこ競争場所まで行かれました。太川さんが不満を並べていましたが、まあ、ケーブルカーは鉄道なんですね。
太川さんたちがチャレンジした、アヒルかけっこ競争で、太川さんたちが1番になると選んだ緑のリボンを付けたあひるの活躍が良かった。楽しめました。ギャンブルですな。
山の上にあるラクテンチのおふろからの景色がとてもきれいでした。絶景です。別府湾の青い海を見下ろすことができていい気分です。
まあ、村井美樹さんはいろいろあせりました。
あせりまくって、連続で失敗しました。ラクテンチを駆けおりようとして行き止まりにあたりまた元の場所へ戻りました。(今回は、複数回そういうことがありました。それでは太川さんには勝てません。ただそういうことはわたしもよくあります。こないだ東京にあるJR有楽町駅あたりで、迷いに迷いました)
ものすごくハードなチャレンジです。
太川さん10勝、村井さん12勝です。いい感じになりました。一方的に太川さんが負けていましたが、少しずつ挽回してきました。
(答え合わせ TVer 『たびりす』というキャラクターが解説してくれます。ゲストは負けた村井美樹さんです)
ゴールの大分県宇佐神宮に、わずか8分差の到着で、村井さんが負けました。村井さんが勝てていた勝負でした。村井さんはかなりへこんでいます。
宇佐神宮は、昨年別府に行ったおりに寄るか寄るまいか迷って寄らなかった(列車の時刻の都合で)ので、映像を見て楽しめました。
ルート検証があります。
一日目のルート選択はバッチリです。
二日目はいろいろ選択肢がありました。
電車を乗り間違えたときに、電車で戻らずに、タクシーで次のチェックポイントである別府に行けば勝てた可能性があったと話がありました。
そういえば、別府と湯布院の間なら、車だとそれほど時間はかからなかった記憶です。
村井さんはもうパニックになっていたので、落ち着いて判断する心の余裕がなく、流されるままにまた、電車に乗って大分駅を目指したのでしょう。しかたがありません。次回は、落ち着いて、がんばってください。なにせ連敗してしまったのですから、3回目は勝たねばなりません。
村井さんにとっては、勝てていた試合を落としてしまった、残念な回になってしまいました。
びっくりしました。こんなことって、起きるんだ。
村井美樹さんが、電車を乗り間違えました。
ピンチだったのが、うまくいって、有頂天になってしまいました。気持ちがゆるんでしまいました。
やっちまいました。
スコーンと抜けてしまいました。
しょうがない。
間違えることもあります。
鉄道旅だけでなくて、じっさいの仕事でも、まさかそんなことが、そんなポカが起きるのかということがあります。新人だけではなくて、ベテランでもあります。魔が差すのです。一瞬の判断ミスです。
勝利の旗を手に取るまでは、全身で喜びを表現してはいけないのです。がまんがまん。
村井美樹さんは、あろうことか、大分駅で降りた同じ電車に、数分後また乗り込んでしまいました。折り返しの電車です。電車は、再び元の方向へ戻っていきました。村井さんとゲストの三人は、車内で浮かれて、終点まで、自分たちが、また元の方向へ戻っていることに気づけませんでした。(まあ、スタッフも教えなかったのでしょう。教えてはいけないのです)。びっくりです。
太川陽介バスチーム:鏡優翔(かがみ・ゆうか)パリオリンピックレスリング76kg金メダリスト 久保田磨希(くぼた・まき)女優
村井美樹鉄道チーム:迫田さおり(さこだ・さおり)ロンドンオリンピックバレーボール銅メダリスト 高橋光臣(たかはし・みつおみ)俳優
自分も訪れたことがある九州各地の景色を映像で見ることができて良かったです。
鉄道チームは宿命として長い距離を歩かなければなりませんが、今回はバスチームもたくさん歩かれました。
ゲストの人たちが歩きを嫌がるのが不思議でした。スポーツマンでも得手不得手があるようです。
レスリングの鏡優翔(かがみ・ゆうか)さんの自分を励ます言葉が、『かわいい』で、そういえば、パリオリンピックのレスリングの時にマウスピースに、『カワイイ』と文字が書いてあったことを思い出しました。
鏡優翔さんは、食欲旺盛で、食べ物を食べるチャレンジの時に実力を発揮されていました。食べっぷりがいい。
川の中にある温泉、『ガニ湯』がおもしろかった。同じような形態で、伊豆の修善寺とか、岐阜の下呂温泉にも川の中に温泉があった記憶です。
チェックポイントでのチャレンジとして、食事のこと、おふろのことなど、課題がパターン化されてきましたが、出演者のみなさんは一生懸命で好感をもちました。
別府の遊園地、『ラクテンチ』で、ケーブルカーが、日本で一番短い鉄道だそうで、バスチームは鉄道に乗れないルールなので、ケーブルカーに乗れず、タクシーで大まわりをしながらアヒルの駆けっこ競争場所まで行かれました。太川さんが不満を並べていましたが、まあ、ケーブルカーは鉄道なんですね。
太川さんたちがチャレンジした、アヒルかけっこ競争で、太川さんたちが1番になると選んだ緑のリボンを付けたあひるの活躍が良かった。楽しめました。ギャンブルですな。
山の上にあるラクテンチのおふろからの景色がとてもきれいでした。絶景です。別府湾の青い海を見下ろすことができていい気分です。
まあ、村井美樹さんはいろいろあせりました。
あせりまくって、連続で失敗しました。ラクテンチを駆けおりようとして行き止まりにあたりまた元の場所へ戻りました。(今回は、複数回そういうことがありました。それでは太川さんには勝てません。ただそういうことはわたしもよくあります。こないだ東京にあるJR有楽町駅あたりで、迷いに迷いました)
ものすごくハードなチャレンジです。
太川さん10勝、村井さん12勝です。いい感じになりました。一方的に太川さんが負けていましたが、少しずつ挽回してきました。
(答え合わせ TVer 『たびりす』というキャラクターが解説してくれます。ゲストは負けた村井美樹さんです)
ゴールの大分県宇佐神宮に、わずか8分差の到着で、村井さんが負けました。村井さんが勝てていた勝負でした。村井さんはかなりへこんでいます。
宇佐神宮は、昨年別府に行ったおりに寄るか寄るまいか迷って寄らなかった(列車の時刻の都合で)ので、映像を見て楽しめました。
ルート検証があります。
一日目のルート選択はバッチリです。
二日目はいろいろ選択肢がありました。
電車を乗り間違えたときに、電車で戻らずに、タクシーで次のチェックポイントである別府に行けば勝てた可能性があったと話がありました。
そういえば、別府と湯布院の間なら、車だとそれほど時間はかからなかった記憶です。
村井さんはもうパニックになっていたので、落ち着いて判断する心の余裕がなく、流されるままにまた、電車に乗って大分駅を目指したのでしょう。しかたがありません。次回は、落ち着いて、がんばってください。なにせ連敗してしまったのですから、3回目は勝たねばなりません。
村井さんにとっては、勝てていた試合を落としてしまった、残念な回になってしまいました。
2024年12月12日
出川哲朗の充電バイクの旅 北海道松前城→函館
出川哲朗の充電バイクの旅 北海道松前城→函館
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 北海道松前城→函館 宮川大輔 角田夏実(つのだ・なつみ オリンピック柔道金メダリスト)ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)とか。
■絶景すぎるよ“津軽海峡”松前城からズズーッと105キロ!■ゴールは函館山“百万ドルの夜景”なんですが!宮川大輔がミラクル連発すぎで哲朗も大興奮!ヤバイよヤバイよSP
いいお天気です。
松前城の展示は、今秋九州福岡の田川市で見学した石炭歴史博物館と似たようなつくりの木像建物、人物人形でした。観光地での展示のつくり方として、一定のパターンがあるのだろうと思いました。
担当ディレクターは、熊谷さんです。ふつうの感じの方です。
そういえば、最近は、ディレクターの縫田さん(ぬいださん)を見かけなくなりました。
そのうち見ることができるのかな。
映像を見ていて、気持ちが落ち着きます。
のんびりできます。
いいお天気、青い海、津軽海峡です。雪景色ではありません。真っ青な海です。その上に、これまた青い空が広々と広がっています。さすが、北海道の景色です。雄大です。
ブロンズ像が見えてきました。
出川さんが、大相撲の千代の富士だと言います。だれかが、井伊直弼(いいなおすけ)と言ったように聞こえました。井伊直弼ではないでしょう。滋賀県、彦根藩の人です。江戸時代末期に起きた桜田門外の変で暗殺された方です。(たまたまですが、先日東京へ行ったおりに桜田門あたりを散策しました)
だれなのかわからなかった銅像の正解は、日本地図をつくった伊能忠敬(いのう・ただたか)さんでした。日本中を測量して回られた方です。たいしたものです。
北海道の地の測量は、この地から始まったというような説明が映像で流れました。
地球温暖化で、イカの漁獲量が減ったそうです。昔はいっぱいイカがとれた。
この先地球はどうなるのだろう。人間はずっと地球に住めるのだろうか。不安になります。もうそのころ自分はこの世にはいませんが……
充電のルールを知らない宮川大輔さんです。
各自が、民家に声をかけて各自で充電すると思っておられました。
以前同様にルールを間違えたゲストがいました。
歌舞伎の方でした。
思い出しました。片岡愛之助さんでした。最近稽古中におケガをされたというニュースを見ました。おだいじにしてください。
『人情が頼りの旅です』(テレビ番組だから大丈夫です。高齢者を狙った詐欺や闇バイトが怖い今日この頃の日本です)
漁船のエンジンの整備工場(こうじょうというよりも、個人のこうば)を初めて見ました。
横綱千代の富士関のふるさとです。
偶然、千代の富士さんの関係者宅を訪れて、そのあと、千代の富士関の実のお姉さんが登場しました。びっくりしました。こどものころは、お姉さんがほうが強かったそうです。
すもうをやる中学生男子たちが出てきます。
宮川大輔さんのお子さんも中学二年生だそうで、話が盛り上がりました。
こどもが生き生きしています。
住んでいる人たちも表情がのびのびしています。
都会の人みたいにトゲトゲした人がいない。とんがった人がいない。
安心できる空間があります。
温泉に入って、宮川大輔さんが来たことがあるのに、来たことを自分で忘れているお店なんかに行って、楽しい歓談が続きました。
(次週の後半に続く)
ゲストは、パリオリンピック柔道金メダリストの角田夏実(つのだ・なつみ)さんでした。
持参された金メダルが、もうはがれたように色落ちしていました。もう少しなんとかならなかったものか。ちゃんとしたメダルをくださいなと、見ているほうも国際オリンピック委員会へ言いたいです。
宿泊施設のおかみさん(オーナーさん)がとても良かった。会話じょうずです。ベッドで、オーナーの添い寝サービスがありますみたいな冗談を、ユーモアたっぷりにお話しされていました。笑いました。
以前、こちらの番組かどうか忘れましたが、お宿のおばあさんが、おふろの説明をしていたときに、『(わたし)脱ぎましょうか(ぬぎましようか)』と浴衣の肩を出された時と同じぐらい笑いました。
お天気がいい。海が青く澄んできれいです。低い山が連なる景色もなかなかいい感じです。
角田夏実さんはおとなしい感じの人です。
初めての充電お願い民家訪問は、かなり緊張されていました。いい人にあたって良かった。80歳の男性で、現役時代は郵便局で働いておられたそうです。まだ、民営化される前の郵便局です。(民営化なんかしなければよかったのに)。
『哲ちゃーん(てっちゃーん)』の声が、行く先々で出川さんにかかります。
さきほどのお宅の玄関先で、マットを敷いて、角田夏実さんが、デモンストレーションで、出川さんを得意の巴投げ(ともえなげ)で、玄関前にくるりところがしました。じょうずでした。80キロの出川さんの体が、柔らかくそーっと回転していきました。たいしたものです。
最初は、やるのかねと心配しましたが、できたできたです。きれいにできました。びっくりです。
お昼ご飯は、回転寿司で、熊谷ディレクターが、タブレットでの注文で、うかつにもタップしすぎてウニをたくさん注文してしまいましたが、おいしいウニだったので、みなさん満足されていました。北海道は海鮮がおいしそうです。
店舗前にはすごい数の人が集まっていました。これまで出てきたこどもたちも含めて、こどもたちが可愛い。バイバイダンスを踊ってくれた女の子もいました。
函館市の名所を回ります。見ているほうも、映像を見るだけで行った気分になれます。
赤煉瓦倉庫(あかれんがそうこ)、八幡坂(はちまんざか。洗剤のコマーシャルで有名になったきれいな景色の坂道だそうです。東野幸治さんと岡村隆史さんのテレビ番組『旅猿』でも見たような覚えがあります)、そして旅のクライマックスは、函館山からの夜景でした。見物客の皆さんがいっぱいです。テレビ映像では、とてもきれいに輝く函館の街が映っていました。なかなか良かった。
角田夏実さんは、おとなしいので、結婚するときは、モラハラ男につかまらないようにしてください。(いばりんぼうで、妻に命令や指示ばかりする。妻を見くだしてばかにする)。ヘンな男がいっぱいいますからだまされないようにしてくださいな。
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 北海道松前城→函館 宮川大輔 角田夏実(つのだ・なつみ オリンピック柔道金メダリスト)ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)とか。
■絶景すぎるよ“津軽海峡”松前城からズズーッと105キロ!■ゴールは函館山“百万ドルの夜景”なんですが!宮川大輔がミラクル連発すぎで哲朗も大興奮!ヤバイよヤバイよSP
いいお天気です。
松前城の展示は、今秋九州福岡の田川市で見学した石炭歴史博物館と似たようなつくりの木像建物、人物人形でした。観光地での展示のつくり方として、一定のパターンがあるのだろうと思いました。
担当ディレクターは、熊谷さんです。ふつうの感じの方です。
そういえば、最近は、ディレクターの縫田さん(ぬいださん)を見かけなくなりました。
そのうち見ることができるのかな。
映像を見ていて、気持ちが落ち着きます。
のんびりできます。
いいお天気、青い海、津軽海峡です。雪景色ではありません。真っ青な海です。その上に、これまた青い空が広々と広がっています。さすが、北海道の景色です。雄大です。
ブロンズ像が見えてきました。
出川さんが、大相撲の千代の富士だと言います。だれかが、井伊直弼(いいなおすけ)と言ったように聞こえました。井伊直弼ではないでしょう。滋賀県、彦根藩の人です。江戸時代末期に起きた桜田門外の変で暗殺された方です。(たまたまですが、先日東京へ行ったおりに桜田門あたりを散策しました)
だれなのかわからなかった銅像の正解は、日本地図をつくった伊能忠敬(いのう・ただたか)さんでした。日本中を測量して回られた方です。たいしたものです。
北海道の地の測量は、この地から始まったというような説明が映像で流れました。
地球温暖化で、イカの漁獲量が減ったそうです。昔はいっぱいイカがとれた。
この先地球はどうなるのだろう。人間はずっと地球に住めるのだろうか。不安になります。もうそのころ自分はこの世にはいませんが……
充電のルールを知らない宮川大輔さんです。
各自が、民家に声をかけて各自で充電すると思っておられました。
以前同様にルールを間違えたゲストがいました。
歌舞伎の方でした。
思い出しました。片岡愛之助さんでした。最近稽古中におケガをされたというニュースを見ました。おだいじにしてください。
『人情が頼りの旅です』(テレビ番組だから大丈夫です。高齢者を狙った詐欺や闇バイトが怖い今日この頃の日本です)
漁船のエンジンの整備工場(こうじょうというよりも、個人のこうば)を初めて見ました。
横綱千代の富士関のふるさとです。
偶然、千代の富士さんの関係者宅を訪れて、そのあと、千代の富士関の実のお姉さんが登場しました。びっくりしました。こどものころは、お姉さんがほうが強かったそうです。
すもうをやる中学生男子たちが出てきます。
宮川大輔さんのお子さんも中学二年生だそうで、話が盛り上がりました。
こどもが生き生きしています。
住んでいる人たちも表情がのびのびしています。
都会の人みたいにトゲトゲした人がいない。とんがった人がいない。
安心できる空間があります。
温泉に入って、宮川大輔さんが来たことがあるのに、来たことを自分で忘れているお店なんかに行って、楽しい歓談が続きました。
(次週の後半に続く)
ゲストは、パリオリンピック柔道金メダリストの角田夏実(つのだ・なつみ)さんでした。
持参された金メダルが、もうはがれたように色落ちしていました。もう少しなんとかならなかったものか。ちゃんとしたメダルをくださいなと、見ているほうも国際オリンピック委員会へ言いたいです。
宿泊施設のおかみさん(オーナーさん)がとても良かった。会話じょうずです。ベッドで、オーナーの添い寝サービスがありますみたいな冗談を、ユーモアたっぷりにお話しされていました。笑いました。
以前、こちらの番組かどうか忘れましたが、お宿のおばあさんが、おふろの説明をしていたときに、『(わたし)脱ぎましょうか(ぬぎましようか)』と浴衣の肩を出された時と同じぐらい笑いました。
お天気がいい。海が青く澄んできれいです。低い山が連なる景色もなかなかいい感じです。
角田夏実さんはおとなしい感じの人です。
初めての充電お願い民家訪問は、かなり緊張されていました。いい人にあたって良かった。80歳の男性で、現役時代は郵便局で働いておられたそうです。まだ、民営化される前の郵便局です。(民営化なんかしなければよかったのに)。
『哲ちゃーん(てっちゃーん)』の声が、行く先々で出川さんにかかります。
さきほどのお宅の玄関先で、マットを敷いて、角田夏実さんが、デモンストレーションで、出川さんを得意の巴投げ(ともえなげ)で、玄関前にくるりところがしました。じょうずでした。80キロの出川さんの体が、柔らかくそーっと回転していきました。たいしたものです。
最初は、やるのかねと心配しましたが、できたできたです。きれいにできました。びっくりです。
お昼ご飯は、回転寿司で、熊谷ディレクターが、タブレットでの注文で、うかつにもタップしすぎてウニをたくさん注文してしまいましたが、おいしいウニだったので、みなさん満足されていました。北海道は海鮮がおいしそうです。
店舗前にはすごい数の人が集まっていました。これまで出てきたこどもたちも含めて、こどもたちが可愛い。バイバイダンスを踊ってくれた女の子もいました。
函館市の名所を回ります。見ているほうも、映像を見るだけで行った気分になれます。
赤煉瓦倉庫(あかれんがそうこ)、八幡坂(はちまんざか。洗剤のコマーシャルで有名になったきれいな景色の坂道だそうです。東野幸治さんと岡村隆史さんのテレビ番組『旅猿』でも見たような覚えがあります)、そして旅のクライマックスは、函館山からの夜景でした。見物客の皆さんがいっぱいです。テレビ映像では、とてもきれいに輝く函館の街が映っていました。なかなか良かった。
角田夏実さんは、おとなしいので、結婚するときは、モラハラ男につかまらないようにしてください。(いばりんぼうで、妻に命令や指示ばかりする。妻を見くだしてばかにする)。ヘンな男がいっぱいいますからだまされないようにしてくださいな。
2024年12月11日
東野・岡村の旅猿26 八丈島で原付バイクに乗ろう!の旅
東野・岡村の旅猿26~プライベートでごめんなさい… 『八丈島で原付バイクに乗ろう!の旅 ゲスト 博多華丸さん』 TVer(ティーバー)とかhulu(フールー)とかBS日テレ火曜23時とか。
にぎやかなスタートです。メンバーがこんないいところはないと八丈島をほめたたえます。
東京にある羽田空港から飛行機に乗って、45分で到着だそうです。意外と近いですねぇ。
プロペラ機だろうか。
調べました。小型ジェット機で126人ぐらい乗れるそうです。なお時間は最短で55分でした。
東京から290kmとありました。
10月なかばで、気温は25度だそうです。
映像を見ていて、なにせ風が強い。ずーっと強風でした。
原付バイクの話が出ます。
来年原付バイクはなくなるそうです。
それを聞いて、なくなるというか、つくらなくなるということではなかろうかと思いました。(これも調べました。やはりそうでした。既存のものは使用できます)
だから、今回の企画で、原付バイクに乗って観光をするそうです。出川哲朗さんの、『充電させてもらえませんか?』の充電バイクで回る旅番組みたいです。
海の景色がいい朝食のお店でした。地平線が広々と広がっています。
朝食は、和定食でした。
八丈島は、他県からの移住者が多いようです。
江戸時代の刑罰、『流刑(るけい)』のイメージを強調されるようで、『(自分は)島流しにあいました』みたいな表現を現地の人がされます。昔、遠山の金さんという時代劇ドラマで、ときおり島流しの刑がくだっていたことを思い出しました。
そのあと、原付バイクでさっそく走りたさそうな岡村さんをスタッフが言い聞かせて、『黄八丈(きはちじょう)』という絹織物を機織り機(はたおりき)で織る体験を三人でやりました。
なかなかにぎやかで、先生の取り合いを、華丸さんと岡村さんがやっていました。
機織りは、むずかしそうです。できあがった生地(きじ。コップの下に敷くコースターみたいなもの)は、あとから送ってくださるそうです。
(2回目の放送)
それほど長い時間の滞在でもないだろうにと思うのですが忙しい。次から次へと移動です。
原付バイクを楽しみながら島を周遊すると思っていたのですが、いまだに、車で移動です。
ふれあい牧場、八丈富士、きれいな景色でしたが雨が降り出し、寒そうでした。
旅行では、いいお天気であることは大事です。
ウミガメ見学の途中で、東野さんが激しく転倒したらしく、アクシデントの発生です。頭を打ったそうで、画面は動画映像が止まって、東野さんは医者を受診して、だいじょうぶとのことでしたが、来ていたズボンなどがびしょぬれで、臨時の服装をしています。たんこぶができて、服がびしょびしょになったそうです。ウミガメ見学は急きょ中止になりました。
ナレーターの奥貫薫さんにおみやげを買いに行きます。
ついでといってはなんですが、おみやげ屋さんで売っていたおみやげ用のステテコとパンツを着替えがわりに買った東野さんです。かなり、おもしろい(ちんちくりんな)かっこうになったので笑いました。華丸さんが、サーティワンのアイスクリームみたい(なかっこう)だと表現しました。そのとおりです。
奥貫さんには、八丈島の木でつくった器(うつわ。食器)と黄八丈の織物でコースター(食器の下敷き)を買いました。
東野さんの着替えの服と合わせて、けっこうなお値段になりました。3万7000円ぐらい。
お寿司屋さんで、ごちそうをいただきました。
なにせ、忙しいのね。
(つづく)
ようやく原動機付き自転車(原付バイク)に乗って、八丈島の道を走ります。
途中足湯に寄って、展望台を目指します。
いなか道です。
島内は車が多いと原付バイクを貸してくれた工場の女性が言い、東野さんはバイク返却の時に、車は少なかったと口答えします。たまたま車が少ない時間帯だったのだろうと女性がいい、気まずい空気が流れたのですが、テレビ的には、おいしいシーンだったとメンバーが悟ったように言います。なるほど。
バイクを運転中の三人さんは、感激の連続でした。
まず、景色がいい。富士山のような形をした八丈富士という山を背景にしながらの移動です。
道路の整備がいい。立派な道路がびゅーんと伸びています。
太平洋の大海原を見渡す景色がすばらしいそうです。テレビ画面を見ていると視聴者には、わかりにくのですが、じっさいに肉眼で観たら左右上下に広がる景色が雄大なのでしょう。
気持ちいいそうです。
特に博多華丸さんは感激が大きい。
18歳か19歳ぐらいの自分のことを思い出すそうです。
地元の福岡県で、パチンコに勝ったり負けたりしたあと原付バイクを運転して家に帰ったとか、友だちが集まる時は、原付バイクを運転して、博多大吉さんの家に遊びに行ったというような思い出話が、爆発するような勢いで飛び出しました。(みんな若い時代がありました)
途中、ウミガメを見学しようとした東野さんが激しくころんで頭を打ったので、岡村さんは心配していたそうです。東野さんの頭のたんこぶは大きい。東野さんがロケの途中で突然倒れたりしないかとハラハラしていたそうです。
宿泊するホテルに到着して、きれいな窓の外の景色を見て、しばし休憩でした。
ホテルの庭で、(自動掃除機で見る)ルンバが草刈り作業をしている映像が出て感心しました。
岡村さんは、自分は八丈島に住めると、八丈島をかなり気に入ったようすです。
次回の放送がこの旅の最終回だそうです。
(つづく)
夕食で、ムロアジのくさや(伊豆半島の特産品。干物(ひもの))を頼んで、料理のにおいの臭さで華丸さんを中心に盛り上がります。
なかなかにぎやかです。
生ビールがうまそうでした。
朝食ビュッフェを食べて、景色を楽しんで終わりです。
東京から40分ぐらいでこんなに豊かな自然を観たり楽しんだりできることが素晴らしいと三人さんが讃えます。(たたえます)
今の時期は、クジラをほぼ毎日見ることができるそうです。東野さんが、いつかはこの番組で、八丈島でクジラを観る旅をしようと提案されました。いつか実現することでしょう。
次回は、バカリズムさんと香川県の旅を楽しむそうです。
見るほうのこちらも楽しみです。
わたしは歳をとってきたので、最近は、現地に行くよりも、映像を見て、行った気分になれるだけで満足ということはあります。
観ていてたまに思うのですが、みなさん、ゲストさんも含めて、たいてい50代の年齢なのですが、旅をしているときはみんな18歳ぐらいの少年たちに見えるのです。50代でも心は少年の人たちです。
テレビ番組用の姿なのかとも思いましたが、どうもそうではない。根っからの少年のように見えます。
ただ、岡村さんがたまに、テレビでは、素の自分(すのじぶん。ふだんの本当の自分)を出してはいけませんよというようなことを言われるので、たとえば、『岡村隆史』というテレビ用の人物を演じているときもあるのかもしれません。
古くは、高倉健さんも渥美清さんも、『高倉健』と『渥美清』を演じていたと聞きます。ふだんのご本人のキャラクター(言動、個性)は、映画の中の人物とはかなり違っていた。ふつうの人だったと聞いたことがあります。
にぎやかなスタートです。メンバーがこんないいところはないと八丈島をほめたたえます。
東京にある羽田空港から飛行機に乗って、45分で到着だそうです。意外と近いですねぇ。
プロペラ機だろうか。
調べました。小型ジェット機で126人ぐらい乗れるそうです。なお時間は最短で55分でした。
東京から290kmとありました。
10月なかばで、気温は25度だそうです。
映像を見ていて、なにせ風が強い。ずーっと強風でした。
原付バイクの話が出ます。
来年原付バイクはなくなるそうです。
それを聞いて、なくなるというか、つくらなくなるということではなかろうかと思いました。(これも調べました。やはりそうでした。既存のものは使用できます)
だから、今回の企画で、原付バイクに乗って観光をするそうです。出川哲朗さんの、『充電させてもらえませんか?』の充電バイクで回る旅番組みたいです。
海の景色がいい朝食のお店でした。地平線が広々と広がっています。
朝食は、和定食でした。
八丈島は、他県からの移住者が多いようです。
江戸時代の刑罰、『流刑(るけい)』のイメージを強調されるようで、『(自分は)島流しにあいました』みたいな表現を現地の人がされます。昔、遠山の金さんという時代劇ドラマで、ときおり島流しの刑がくだっていたことを思い出しました。
そのあと、原付バイクでさっそく走りたさそうな岡村さんをスタッフが言い聞かせて、『黄八丈(きはちじょう)』という絹織物を機織り機(はたおりき)で織る体験を三人でやりました。
なかなかにぎやかで、先生の取り合いを、華丸さんと岡村さんがやっていました。
機織りは、むずかしそうです。できあがった生地(きじ。コップの下に敷くコースターみたいなもの)は、あとから送ってくださるそうです。
(2回目の放送)
それほど長い時間の滞在でもないだろうにと思うのですが忙しい。次から次へと移動です。
原付バイクを楽しみながら島を周遊すると思っていたのですが、いまだに、車で移動です。
ふれあい牧場、八丈富士、きれいな景色でしたが雨が降り出し、寒そうでした。
旅行では、いいお天気であることは大事です。
ウミガメ見学の途中で、東野さんが激しく転倒したらしく、アクシデントの発生です。頭を打ったそうで、画面は動画映像が止まって、東野さんは医者を受診して、だいじょうぶとのことでしたが、来ていたズボンなどがびしょぬれで、臨時の服装をしています。たんこぶができて、服がびしょびしょになったそうです。ウミガメ見学は急きょ中止になりました。
ナレーターの奥貫薫さんにおみやげを買いに行きます。
ついでといってはなんですが、おみやげ屋さんで売っていたおみやげ用のステテコとパンツを着替えがわりに買った東野さんです。かなり、おもしろい(ちんちくりんな)かっこうになったので笑いました。華丸さんが、サーティワンのアイスクリームみたい(なかっこう)だと表現しました。そのとおりです。
奥貫さんには、八丈島の木でつくった器(うつわ。食器)と黄八丈の織物でコースター(食器の下敷き)を買いました。
東野さんの着替えの服と合わせて、けっこうなお値段になりました。3万7000円ぐらい。
お寿司屋さんで、ごちそうをいただきました。
なにせ、忙しいのね。
(つづく)
ようやく原動機付き自転車(原付バイク)に乗って、八丈島の道を走ります。
途中足湯に寄って、展望台を目指します。
いなか道です。
島内は車が多いと原付バイクを貸してくれた工場の女性が言い、東野さんはバイク返却の時に、車は少なかったと口答えします。たまたま車が少ない時間帯だったのだろうと女性がいい、気まずい空気が流れたのですが、テレビ的には、おいしいシーンだったとメンバーが悟ったように言います。なるほど。
バイクを運転中の三人さんは、感激の連続でした。
まず、景色がいい。富士山のような形をした八丈富士という山を背景にしながらの移動です。
道路の整備がいい。立派な道路がびゅーんと伸びています。
太平洋の大海原を見渡す景色がすばらしいそうです。テレビ画面を見ていると視聴者には、わかりにくのですが、じっさいに肉眼で観たら左右上下に広がる景色が雄大なのでしょう。
気持ちいいそうです。
特に博多華丸さんは感激が大きい。
18歳か19歳ぐらいの自分のことを思い出すそうです。
地元の福岡県で、パチンコに勝ったり負けたりしたあと原付バイクを運転して家に帰ったとか、友だちが集まる時は、原付バイクを運転して、博多大吉さんの家に遊びに行ったというような思い出話が、爆発するような勢いで飛び出しました。(みんな若い時代がありました)
途中、ウミガメを見学しようとした東野さんが激しくころんで頭を打ったので、岡村さんは心配していたそうです。東野さんの頭のたんこぶは大きい。東野さんがロケの途中で突然倒れたりしないかとハラハラしていたそうです。
宿泊するホテルに到着して、きれいな窓の外の景色を見て、しばし休憩でした。
ホテルの庭で、(自動掃除機で見る)ルンバが草刈り作業をしている映像が出て感心しました。
岡村さんは、自分は八丈島に住めると、八丈島をかなり気に入ったようすです。
次回の放送がこの旅の最終回だそうです。
(つづく)
夕食で、ムロアジのくさや(伊豆半島の特産品。干物(ひもの))を頼んで、料理のにおいの臭さで華丸さんを中心に盛り上がります。
なかなかにぎやかです。
生ビールがうまそうでした。
朝食ビュッフェを食べて、景色を楽しんで終わりです。
東京から40分ぐらいでこんなに豊かな自然を観たり楽しんだりできることが素晴らしいと三人さんが讃えます。(たたえます)
今の時期は、クジラをほぼ毎日見ることができるそうです。東野さんが、いつかはこの番組で、八丈島でクジラを観る旅をしようと提案されました。いつか実現することでしょう。
次回は、バカリズムさんと香川県の旅を楽しむそうです。
見るほうのこちらも楽しみです。
わたしは歳をとってきたので、最近は、現地に行くよりも、映像を見て、行った気分になれるだけで満足ということはあります。
観ていてたまに思うのですが、みなさん、ゲストさんも含めて、たいてい50代の年齢なのですが、旅をしているときはみんな18歳ぐらいの少年たちに見えるのです。50代でも心は少年の人たちです。
テレビ番組用の姿なのかとも思いましたが、どうもそうではない。根っからの少年のように見えます。
ただ、岡村さんがたまに、テレビでは、素の自分(すのじぶん。ふだんの本当の自分)を出してはいけませんよというようなことを言われるので、たとえば、『岡村隆史』というテレビ用の人物を演じているときもあるのかもしれません。
古くは、高倉健さんも渥美清さんも、『高倉健』と『渥美清』を演じていたと聞きます。ふだんのご本人のキャラクター(言動、個性)は、映画の中の人物とはかなり違っていた。ふつうの人だったと聞いたことがあります。
2024年12月10日
東京・千葉から見えた富士山
東京・千葉から見えた富士山
11月下旬の金曜日に名古屋から東京まで新幹線に乗車しました。
この日はとてもいいお天気で、車窓から富士山がきれいに見えました。
右のくぼみは、『宝永火口(ほうえいかこう。1707年江戸時代宝永4年の噴火)』というのでしょう。
次の写真は、東京で泊まったホテルからの夕映えで、このあとオレンジ色の太陽が輝きながら西へと沈んでいきました。
翌朝、同じ窓の、昨日夕日が沈んでいったあたりに、白い雪をかぶった富士山の姿が見えたのでびっくりしました。とてもきれいでした。
この日は用事があって千葉市へ移動したのですが、翌朝千葉駅そばにあるホテルで、窓のカーテンを開けたら、また、きれいな富士山が見えました。東京湾の向こうですが、はっきり見えて感激しました。
やはり富士山は、日本人の心のふるさとです。日本に生まれて良かったなあ。
11月下旬の金曜日に名古屋から東京まで新幹線に乗車しました。
この日はとてもいいお天気で、車窓から富士山がきれいに見えました。
右のくぼみは、『宝永火口(ほうえいかこう。1707年江戸時代宝永4年の噴火)』というのでしょう。
次の写真は、東京で泊まったホテルからの夕映えで、このあとオレンジ色の太陽が輝きながら西へと沈んでいきました。
翌朝、同じ窓の、昨日夕日が沈んでいったあたりに、白い雪をかぶった富士山の姿が見えたのでびっくりしました。とてもきれいでした。
この日は用事があって千葉市へ移動したのですが、翌朝千葉駅そばにあるホテルで、窓のカーテンを開けたら、また、きれいな富士山が見えました。東京湾の向こうですが、はっきり見えて感激しました。
やはり富士山は、日本人の心のふるさとです。日本に生まれて良かったなあ。
2024年12月09日
東京都永田町にある日枝神社を訪問しました。
東京都千代田区永田町にある日枝神社(ひえじんじゃ)を訪問しました。
東京で宿泊した翌日、次の用事までに時間があったので、ホテルの近くにあった日枝神社へお参りに行きました。
『ひえだ神社』と読むと思いこんでいたら間違いでした。『ひえ神社』です。
まあ、びっくりしました。
参拝者が多かったので、ここに載せる写真は人が写っていないものにしておきます。
山の上に社(やしろ)があります。エスカレーターが設置してあって、何回か乗り継ぎをしながら山の上までのぼりました。
最後のエスカレーターを降りたら、神社の入口前で、警備員がタクシーを誘導していて、テレビカメラみたいな大きなカメラを肩にのせた男性が撮影していたので、なにかの取材中なのだろうかと思いました。
神社のそばには、首相官邸や国会議員のための議員会館があります。どなたか有名な国会議員が参拝に来ているのだろうかと考えを巡らしましたが違っていました。
この日は、七五三(しちごさん)参りの親子連れがおおぜいお参りに来ておられたのでした。なんというか、リッチな(お金持ちの)ご家族の皆さんで、おおいにびっくりしました。
芸能人の親子連れがいっぱいいるような雰囲気で、ひと家族にひとりという感じで、専属の(専門職の)カメラマンが付いていて、写真や動画を撮影されているのです。
参拝の方々は、きれいで高価そうなお衣装を召されて、こどもさんたちも晴れやかな着物や洋装で、みなさん胸を張ってポーズをつくって写真におさまっておられました。
わたしたち年寄り夫婦は、みなさんをうっとりとながめながら、こういう世界もあるのだなあと感心しました。
境内(けいだい)には、どういうわけか、大きな囲碁盤がふたつかみっつ横並びに設置してありました。神社と囲碁盤と関係があるようです。
七五三を迎えたお子さんは、この大きな囲碁盤の上に立って、ポーズを決めて記念撮影をするのです。
囲碁盤から元気よくジャンプすると、未来に向かって、運勢が伸びていくというような意味合いがあるそうです。マンガ作品、『ヒカルの碁』みたいですなあ。『ヒカルの碁 原作・ほったゆみ 漫画・小畑健 監修・梅澤由香里二段 ジャンプコミックス第1巻から第23巻』全巻読みました。わたしは囲碁をうまくできませんが、小学生の孫たちが将棋や囲碁を習っています。
ちびっこのみなさん、健やかに(すこやかに)育ってくださいな。
東京で宿泊した翌日、次の用事までに時間があったので、ホテルの近くにあった日枝神社へお参りに行きました。
『ひえだ神社』と読むと思いこんでいたら間違いでした。『ひえ神社』です。
まあ、びっくりしました。
参拝者が多かったので、ここに載せる写真は人が写っていないものにしておきます。
山の上に社(やしろ)があります。エスカレーターが設置してあって、何回か乗り継ぎをしながら山の上までのぼりました。
最後のエスカレーターを降りたら、神社の入口前で、警備員がタクシーを誘導していて、テレビカメラみたいな大きなカメラを肩にのせた男性が撮影していたので、なにかの取材中なのだろうかと思いました。
神社のそばには、首相官邸や国会議員のための議員会館があります。どなたか有名な国会議員が参拝に来ているのだろうかと考えを巡らしましたが違っていました。
この日は、七五三(しちごさん)参りの親子連れがおおぜいお参りに来ておられたのでした。なんというか、リッチな(お金持ちの)ご家族の皆さんで、おおいにびっくりしました。
芸能人の親子連れがいっぱいいるような雰囲気で、ひと家族にひとりという感じで、専属の(専門職の)カメラマンが付いていて、写真や動画を撮影されているのです。
参拝の方々は、きれいで高価そうなお衣装を召されて、こどもさんたちも晴れやかな着物や洋装で、みなさん胸を張ってポーズをつくって写真におさまっておられました。
わたしたち年寄り夫婦は、みなさんをうっとりとながめながら、こういう世界もあるのだなあと感心しました。
境内(けいだい)には、どういうわけか、大きな囲碁盤がふたつかみっつ横並びに設置してありました。神社と囲碁盤と関係があるようです。
七五三を迎えたお子さんは、この大きな囲碁盤の上に立って、ポーズを決めて記念撮影をするのです。
囲碁盤から元気よくジャンプすると、未来に向かって、運勢が伸びていくというような意味合いがあるそうです。マンガ作品、『ヒカルの碁』みたいですなあ。『ヒカルの碁 原作・ほったゆみ 漫画・小畑健 監修・梅澤由香里二段 ジャンプコミックス第1巻から第23巻』全巻読みました。わたしは囲碁をうまくできませんが、小学生の孫たちが将棋や囲碁を習っています。
ちびっこのみなさん、健やかに(すこやかに)育ってくださいな。
2024年12月08日
農林水産省の食堂でお昼ご飯を食べる。
農林水産省の食堂でお昼ご飯を食べる。
なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、そして今回が、農林水産省です。いくつか食堂があるのですが、入館するために必要な受付票を書かなくてすむ、『咲くら(さくら)』という食堂に入りました。おとなりに蕎麦屋(そばや)もありました。
システムとしては、丸亀うどんみたいに、列をつくりながら、最初にお盆をもって、自分が食べたいお皿(料理がのっている)をお盆にのせていき、最後のほうで、ごはんの大・中・小とかみそ汁を選んで、現金で支払いです。
定食は別途注文して、できあがったら受け取ります。
次の写真は、クジラ料理です。その次の写真が、カキフライとヒレカツです。いずれも定食です。
夫婦で注文して、ふたりでシェア(ワケワケ)しながら食べました。
お昼時は、職員さんたちで混むので、午後1時半ごろお店に入りました。(昼の部は2時までです。朝と、夜の時間帯も営業されています)。
農林水産省の建物の北別館入口で、警備員に、『観光客ですが、ごはんだけ食べにきました』と告げて(警備員のそばに、お店のメニューが書かれた大きな看板が立ててあります)、お店に入ったら、従業員に、『初めて来ました』と声をかけて、注文のしかたを教わってやりました。午後1時半ごろだったので、食事をする職員は、まばらでした。いかにも公務員という感じの服装・眼鏡姿の人がいました。
クジラの肉は、こどものころに良く食べました。
当時は、熊本県の天草(あまくさ)という島に住んでいて(まだ、天草五橋(あまくさごきょう)は、できていませんでした)、冷凍されたクジラ肉を薄く切って食べていました。刺身ですな。醤油をつけて食べていた記憶です。おいしかった。自分はまだ、就学前の6歳児ぐらいだった記憶です。
今回こちらの食堂で食べたクジラ肉は柔らかくておいしかったです。カキフライもヒレカツもおいしい。農林水産省ですから、日本各地の名物を取り寄せて料理して出しておられるのかなと想像しました。時間的に混んでいなかったので、また同じような時間帯に来てもいいかなと思っています。次回の職員・学生食堂訪問候補地は、東京大学の本郷キャンパスか駒場キャンパスがいいかなと作戦を立てています。思い出づくりの余生を楽しむ東京見物をときどきしています。なお、財務省の食堂のごはんもおいしいと聞きました。
食事のあと、付近を散策して楽しみました。
次の写真は、法務省の古い建物です。
こういう形式、色合いの建物は、全国各地で見かけます。
愛知県だと、県庁とか名古屋市役所の本庁舎がそうです。そのそばには、今年のNHK朝ドラ、『虎に翼』にも登場した名古屋市市政資料館もあります。以前は裁判所でした。
先日福岡県を訪ねたときには、福岡市赤煉瓦文化館(あかれんがぶんかかん)とか、旧福岡県公会堂貴賓室が類似の形態をした建物でした。
次の写真は、警視庁です。
水谷豊さんの刑事ドラマ、『相棒』でよく映像に出てくる建物です。
東京都を管轄するのが、警視庁で、全国を管轄するのが、警察庁と覚えています。警察庁はどこにあるのだろうかと調べたら、警視庁のお隣にありました。ふつうのビルでした。まあ、よく考えたら、そういうレイアウトだわなと。だからドラマでは、お互いの職員が、すぐに警察庁の幹部室で会えるわけかと納得しました。
わたしは現役で働いていた頃は仕事で忙しく、テレビは二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見たことがありませんでした。
リタイヤしてテレビを見るようになって、『相棒』のようないいドラマがあったことに気づきました。昔の放送をさかのぼって順番に見て、知らずに過ぎた二十年間をふりかえる作業を楽しんでいます。
次の写真は、皇居です。桜田門から入りました。
この日はいいお天気で良かった。お堀も空もビューティフルです。東京駅方向に建つビルの林です。ほんとうに東京は高層ビルがいっぱいです。びっしり建っています。
毎年11月末から12月の始めはお天気が安定しています。穴場の行楽時期です。昨年は、鹿児島市を訪問して、桜島の美しい景色を楽しみました。
次の写真は正門石橋です。その奥に鉄製の正門鉄橋がかかっています。ふたつを合わせて通称で、『二重橋』と言っているというような説明が書いてありました。正式には、『めがね橋』とか、『(石橋を)二重橋』とはいわないようです。
わたしが初めてこの場所に立ったのは12歳のときでした。親戚の叔父さんや叔母さんたちと東京見物に来ました。浅草にも行きました。そのときいっしょだった叔父さんも伯母さんも寿命で亡くなってしまいました。今生きておられたら100歳ぐらいです。12歳だったわたしも前期高齢者の年齢になってしまいました。時がたつのは早いものです。
次の写真は、楠木正成(くすのき・まさしげ)の騎馬像です。
楠木正成は、足利尊氏(あしかがたかうじ)と協力して鎌倉幕府を倒しましたが、その後、足利尊氏と対立して、戦(いくさ)で足利尊氏に負けて自害(じがい。自ら(みずから)命を絶つ)しました。楠木正成は自分を認めてくれた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に強い恩を感じていました。後醍醐天皇を裏切ることはありませんでした。後醍醐天皇と対立した足利尊氏は長いこと逆賊扱いでした。(ぎゃくぞく。主君(天皇)に反抗した悪人)。
1991年NHK大河ドラマ『太平記』のときは、武田鉄矢さんが楠木正成を演じていました。熱演でした。どうして、負けることがわかっているのに戦(いくさ)をするのかと問われて、『戦(いくさ)というものは、勝つからする、負けるからしないというものではない。戦(いくさ)というものは、ただひたすら、自分が愛する人や家族のために命をかけて戦うことだ』と言い切りました。いいセリフでした。人間は、『理屈』で生きているんじゃなくて、『気持ち』で生きているのです。
なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、そして今回が、農林水産省です。いくつか食堂があるのですが、入館するために必要な受付票を書かなくてすむ、『咲くら(さくら)』という食堂に入りました。おとなりに蕎麦屋(そばや)もありました。
システムとしては、丸亀うどんみたいに、列をつくりながら、最初にお盆をもって、自分が食べたいお皿(料理がのっている)をお盆にのせていき、最後のほうで、ごはんの大・中・小とかみそ汁を選んで、現金で支払いです。
定食は別途注文して、できあがったら受け取ります。
次の写真は、クジラ料理です。その次の写真が、カキフライとヒレカツです。いずれも定食です。
夫婦で注文して、ふたりでシェア(ワケワケ)しながら食べました。
お昼時は、職員さんたちで混むので、午後1時半ごろお店に入りました。(昼の部は2時までです。朝と、夜の時間帯も営業されています)。
農林水産省の建物の北別館入口で、警備員に、『観光客ですが、ごはんだけ食べにきました』と告げて(警備員のそばに、お店のメニューが書かれた大きな看板が立ててあります)、お店に入ったら、従業員に、『初めて来ました』と声をかけて、注文のしかたを教わってやりました。午後1時半ごろだったので、食事をする職員は、まばらでした。いかにも公務員という感じの服装・眼鏡姿の人がいました。
クジラの肉は、こどものころに良く食べました。
当時は、熊本県の天草(あまくさ)という島に住んでいて(まだ、天草五橋(あまくさごきょう)は、できていませんでした)、冷凍されたクジラ肉を薄く切って食べていました。刺身ですな。醤油をつけて食べていた記憶です。おいしかった。自分はまだ、就学前の6歳児ぐらいだった記憶です。
今回こちらの食堂で食べたクジラ肉は柔らかくておいしかったです。カキフライもヒレカツもおいしい。農林水産省ですから、日本各地の名物を取り寄せて料理して出しておられるのかなと想像しました。時間的に混んでいなかったので、また同じような時間帯に来てもいいかなと思っています。次回の職員・学生食堂訪問候補地は、東京大学の本郷キャンパスか駒場キャンパスがいいかなと作戦を立てています。思い出づくりの余生を楽しむ東京見物をときどきしています。なお、財務省の食堂のごはんもおいしいと聞きました。
食事のあと、付近を散策して楽しみました。
次の写真は、法務省の古い建物です。
こういう形式、色合いの建物は、全国各地で見かけます。
愛知県だと、県庁とか名古屋市役所の本庁舎がそうです。そのそばには、今年のNHK朝ドラ、『虎に翼』にも登場した名古屋市市政資料館もあります。以前は裁判所でした。
先日福岡県を訪ねたときには、福岡市赤煉瓦文化館(あかれんがぶんかかん)とか、旧福岡県公会堂貴賓室が類似の形態をした建物でした。
次の写真は、警視庁です。
水谷豊さんの刑事ドラマ、『相棒』でよく映像に出てくる建物です。
東京都を管轄するのが、警視庁で、全国を管轄するのが、警察庁と覚えています。警察庁はどこにあるのだろうかと調べたら、警視庁のお隣にありました。ふつうのビルでした。まあ、よく考えたら、そういうレイアウトだわなと。だからドラマでは、お互いの職員が、すぐに警察庁の幹部室で会えるわけかと納得しました。
わたしは現役で働いていた頃は仕事で忙しく、テレビは二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見たことがありませんでした。
リタイヤしてテレビを見るようになって、『相棒』のようないいドラマがあったことに気づきました。昔の放送をさかのぼって順番に見て、知らずに過ぎた二十年間をふりかえる作業を楽しんでいます。
次の写真は、皇居です。桜田門から入りました。
この日はいいお天気で良かった。お堀も空もビューティフルです。東京駅方向に建つビルの林です。ほんとうに東京は高層ビルがいっぱいです。びっしり建っています。
毎年11月末から12月の始めはお天気が安定しています。穴場の行楽時期です。昨年は、鹿児島市を訪問して、桜島の美しい景色を楽しみました。
次の写真は正門石橋です。その奥に鉄製の正門鉄橋がかかっています。ふたつを合わせて通称で、『二重橋』と言っているというような説明が書いてありました。正式には、『めがね橋』とか、『(石橋を)二重橋』とはいわないようです。
わたしが初めてこの場所に立ったのは12歳のときでした。親戚の叔父さんや叔母さんたちと東京見物に来ました。浅草にも行きました。そのときいっしょだった叔父さんも伯母さんも寿命で亡くなってしまいました。今生きておられたら100歳ぐらいです。12歳だったわたしも前期高齢者の年齢になってしまいました。時がたつのは早いものです。
次の写真は、楠木正成(くすのき・まさしげ)の騎馬像です。
楠木正成は、足利尊氏(あしかがたかうじ)と協力して鎌倉幕府を倒しましたが、その後、足利尊氏と対立して、戦(いくさ)で足利尊氏に負けて自害(じがい。自ら(みずから)命を絶つ)しました。楠木正成は自分を認めてくれた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に強い恩を感じていました。後醍醐天皇を裏切ることはありませんでした。後醍醐天皇と対立した足利尊氏は長いこと逆賊扱いでした。(ぎゃくぞく。主君(天皇)に反抗した悪人)。
1991年NHK大河ドラマ『太平記』のときは、武田鉄矢さんが楠木正成を演じていました。熱演でした。どうして、負けることがわかっているのに戦(いくさ)をするのかと問われて、『戦(いくさ)というものは、勝つからする、負けるからしないというものではない。戦(いくさ)というものは、ただひたすら、自分が愛する人や家族のために命をかけて戦うことだ』と言い切りました。いいセリフでした。人間は、『理屈』で生きているんじゃなくて、『気持ち』で生きているのです。