きりこについて 西加奈子
2010年02月07日 / 読書感想文
きりこについて 西加奈子 角川書店
うーむ。どうなのかなあ。
とりあえず、読書の経過を記してみます。
女子向きです。というか、51歳男子のわたしは読まないほうがよかったかも。
きりこさんをはじめとした同世代の男女について、乳幼児期から20代までの出来事が簡略に書かれています。きりこさんが「ぶす」であるという話が延々と続きます。途中でその話は消えるものの再び後半にぶす話が登場してきます。わたしが生きてきた51年をふりかえってみて「ぶす」という人には出会ったことがありません。ただし「老い」というものはよくわかります。10代から20代の頃はぴちぴちです。中抜きをして、20年ぶり、30年ぶりに再会するとかなりショックを受けます。もちろん自分自身も老いています。
ラムセス2世というのが、きりこさんの飼い猫です。ひきこもりになってしまった娘さんと猫の会話で成り立っていく物語です。ぶす話と性描写、文章の向こう側には暗い世界があります。これは小説なのだろうか。作者自身の思い出話だろうか。リズム感はあります。ただなにかしら乖離(かいり)している。文章は、文章ではなく、文字という漢字・ひらがなに分離されて、視覚には字という物体が見えるだけで、意味をなさない。字という物体が脳に届いて、書いてあることとはまるっきり違う印象が脳に残るのです。これが意図的になされたとすれば、この作家さんはすごい能力をもった人です。
後半近くになって、きりこさんに語らせるのではなく、猫のラムセス2世に語らせればよい物語ではないかという主張が自分に生まれました。夏目漱石の「我輩は猫である」です。
そして最後が、かっくんとずっこけるのです。


うーむ。どうなのかなあ。
とりあえず、読書の経過を記してみます。
女子向きです。というか、51歳男子のわたしは読まないほうがよかったかも。
きりこさんをはじめとした同世代の男女について、乳幼児期から20代までの出来事が簡略に書かれています。きりこさんが「ぶす」であるという話が延々と続きます。途中でその話は消えるものの再び後半にぶす話が登場してきます。わたしが生きてきた51年をふりかえってみて「ぶす」という人には出会ったことがありません。ただし「老い」というものはよくわかります。10代から20代の頃はぴちぴちです。中抜きをして、20年ぶり、30年ぶりに再会するとかなりショックを受けます。もちろん自分自身も老いています。
ラムセス2世というのが、きりこさんの飼い猫です。ひきこもりになってしまった娘さんと猫の会話で成り立っていく物語です。ぶす話と性描写、文章の向こう側には暗い世界があります。これは小説なのだろうか。作者自身の思い出話だろうか。リズム感はあります。ただなにかしら乖離(かいり)している。文章は、文章ではなく、文字という漢字・ひらがなに分離されて、視覚には字という物体が見えるだけで、意味をなさない。字という物体が脳に届いて、書いてあることとはまるっきり違う印象が脳に残るのです。これが意図的になされたとすれば、この作家さんはすごい能力をもった人です。
後半近くになって、きりこさんに語らせるのではなく、猫のラムセス2世に語らせればよい物語ではないかという主張が自分に生まれました。夏目漱石の「我輩は猫である」です。
そして最後が、かっくんとずっこけるのです。
おじぞうさま
君はこの国を好きか 鷺沢萌
2010年02月05日 / 読書感想文
君はこの国を好きか 鷺沢萌(さぎさわもえ) 新潮文庫
この作家さんのインタビュー記事を読んだのは5年から7年ぐらい前のことでした。そして、まもなく彼女は亡くなりました。自殺でした。そのようなきざしはまったくなく、突然のことでたいへん驚きました。日頃から、作家とは、自殺と隣り合わせで物を書く仕事だと感じています。
作者は在日韓国人です。その視点で小説は書かれています。本には小説が2本掲載されています。「ほんとうの夏」そして「君はこの国を好きか」です。うしろの「君はこの国を好きか」から読んでみました。
「君はこの国を好きか」
「君は」は、在日韓国人を指します。「この国は」は大韓民国です。作者は主人公である木山雅美さんになってこの小説に登場します。日本に生まれて、日本で育ったのが在日韓国人3世の雅美さんです。彼女は、韓国へ留学します。在日韓国人、そして韓国で生まれ育った韓国人の大学生たち、さらに韓国人の大学教授、自分の親族、下宿や食べ物屋の人々が登場します。
人付き合いが濃厚な韓国社会となにかと過ごしやすい日本の生活を比較しながら、韓国人になりきれない、かといって日本人ではないという、心の整理がつかない状態が続いた雅美さんは心も体も不安定になります。彼女のハングル文字に対する興味は強く、ハングルと漢字の関連に熱中したりもします。ふたつの名前をもっていること、選挙権がないこと(韓国の選挙権はあるのだろうか。)などが語られる反面、年齢の上下にこだわる、プライバシーの保護がない窮屈な韓国社会に対する違和感があります。さらに恵まれた日本の大学生と経済的に親に頼ることができない厳しい生活を送っている韓国の大学生をみて、雅美さんは、自分はこれでいいのかと悩むのです。彼女はか弱い。そして若い。
10代から20代にかけて、対象物(人、場所など)に対する憎しみが愛情に変わる時期があります。不自然なことではありません。彼女の場合は「韓国」あるいは「韓国籍」でした。
韓国金浦空港へ向かう飛行中の飛行機の中で降ろしてくれと泣き叫ぶパニック状態の雅美さんには困りました。迷惑なおねえちゃんです。拒食症なのでしょうか、彼女は食べたものを吐き続けます。国(国家)は自分を守ってくれない。守ってくれるのは「人」です。ひとりでもいいから慰めてくれる人がそばにいてほしい。
「ほんとうの夏」
100ページほどの作品です。文字数が少なかったこともあって、わたしには珍しく速読をして、20分もかからずに読み終えました。こちらも日本に住む在日韓国人大学生のお話です。在日韓国人の俊之君は、彼女の芳佳さんを助手席に乗せてドライブ中に軽い追突事故を起こしてしまいます。警官に免許証を見せるときに自分が韓国人であることがわかってしまうので、芳佳さんを無理やり降ろして、徒歩で大学に行けと激しく追い払います。芳佳さんは俊之君が韓国人であることを知りません。恋愛をからめた在日韓国人の悩みとなっています。
わたしは親の立場で考えてみました。たとえば、息子や娘が在日韓国人と結婚したいと言ったときに自分はどうするだろうか。そして、妻をはじめとした親族はどのような反応を示すだろうか。ひと騒動起こることは確実です。結局その場になってみないとわかりません。ただひとつ、息子や娘の味方になろうとは思います。
作家さんに対しては、どこかでふんぎりをつけないと、生きていくことは苦しいと伝えたかった。国籍だけではなくて、各自、体に障害があるとか、深刻で重い病気があるとか、親族にいてはほしくない人がいるとか、いろいろと問題をかかえながら人は生きています。


この作家さんのインタビュー記事を読んだのは5年から7年ぐらい前のことでした。そして、まもなく彼女は亡くなりました。自殺でした。そのようなきざしはまったくなく、突然のことでたいへん驚きました。日頃から、作家とは、自殺と隣り合わせで物を書く仕事だと感じています。
作者は在日韓国人です。その視点で小説は書かれています。本には小説が2本掲載されています。「ほんとうの夏」そして「君はこの国を好きか」です。うしろの「君はこの国を好きか」から読んでみました。
「君はこの国を好きか」
「君は」は、在日韓国人を指します。「この国は」は大韓民国です。作者は主人公である木山雅美さんになってこの小説に登場します。日本に生まれて、日本で育ったのが在日韓国人3世の雅美さんです。彼女は、韓国へ留学します。在日韓国人、そして韓国で生まれ育った韓国人の大学生たち、さらに韓国人の大学教授、自分の親族、下宿や食べ物屋の人々が登場します。
人付き合いが濃厚な韓国社会となにかと過ごしやすい日本の生活を比較しながら、韓国人になりきれない、かといって日本人ではないという、心の整理がつかない状態が続いた雅美さんは心も体も不安定になります。彼女のハングル文字に対する興味は強く、ハングルと漢字の関連に熱中したりもします。ふたつの名前をもっていること、選挙権がないこと(韓国の選挙権はあるのだろうか。)などが語られる反面、年齢の上下にこだわる、プライバシーの保護がない窮屈な韓国社会に対する違和感があります。さらに恵まれた日本の大学生と経済的に親に頼ることができない厳しい生活を送っている韓国の大学生をみて、雅美さんは、自分はこれでいいのかと悩むのです。彼女はか弱い。そして若い。
10代から20代にかけて、対象物(人、場所など)に対する憎しみが愛情に変わる時期があります。不自然なことではありません。彼女の場合は「韓国」あるいは「韓国籍」でした。
韓国金浦空港へ向かう飛行中の飛行機の中で降ろしてくれと泣き叫ぶパニック状態の雅美さんには困りました。迷惑なおねえちゃんです。拒食症なのでしょうか、彼女は食べたものを吐き続けます。国(国家)は自分を守ってくれない。守ってくれるのは「人」です。ひとりでもいいから慰めてくれる人がそばにいてほしい。
「ほんとうの夏」
100ページほどの作品です。文字数が少なかったこともあって、わたしには珍しく速読をして、20分もかからずに読み終えました。こちらも日本に住む在日韓国人大学生のお話です。在日韓国人の俊之君は、彼女の芳佳さんを助手席に乗せてドライブ中に軽い追突事故を起こしてしまいます。警官に免許証を見せるときに自分が韓国人であることがわかってしまうので、芳佳さんを無理やり降ろして、徒歩で大学に行けと激しく追い払います。芳佳さんは俊之君が韓国人であることを知りません。恋愛をからめた在日韓国人の悩みとなっています。
わたしは親の立場で考えてみました。たとえば、息子や娘が在日韓国人と結婚したいと言ったときに自分はどうするだろうか。そして、妻をはじめとした親族はどのような反応を示すだろうか。ひと騒動起こることは確実です。結局その場になってみないとわかりません。ただひとつ、息子や娘の味方になろうとは思います。
作家さんに対しては、どこかでふんぎりをつけないと、生きていくことは苦しいと伝えたかった。国籍だけではなくて、各自、体に障害があるとか、深刻で重い病気があるとか、親族にいてはほしくない人がいるとか、いろいろと問題をかかえながら人は生きています。
ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 辻村深月
2010年02月04日 / 読書感想文
ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 辻村深月(つじむらみづき) 講談社
この物語には、ふたつの「秘密」があります。ひとつは読者のためのもので小さな核となっています。もうひとつは、登場人物が登場人物をかばうためのもので、最初の秘密である秘密の核を包み込む円となっています。
0807とはなんだろう。村上春樹著の「1Q84(いちきゅうはちよん)」みたい。たまたま出版の時期が重なってしまったのでしょう。0807とは暗証番号です。そのいわれは、ここには書けません。
わたしはこの年末年始に富士山が見えるところをドライブしました。三保の松原、御前崎などの海岸でした。この物語の舞台は山梨県と富山県です。山梨県は富士急ハイランドしか行ったことがありません。わたしはながらく、富士吉田市は静岡県にあると勘違いをしていました。山梨県でした。この本を読んでみて、今度山梨県に行ってみようかと考えています。
31歳の娘、望月チエミさん(作中ではチエちゃんでとおされます。未婚)は、母親を殺害して行方不明になります。チエちゃんの追跡活動をするのが、同級生の神宮寺みずほさんです。彼女は「悼(いた)む人」天童荒太著の主人公坂築静人君のようです。女子向きの物語です。
変則的な構成となっています。第一章と第二章のふたつしかありません。かつ、第一章が298ページまでという大量のページ数で、第二章が387ページまでの少ないページ数というアンバランスです。起承転結の構成からいうと違和感があります。もうひとつの特徴は、主人公の姿が第一章でほとんど登場しません。だからといって、よくないという意味ではありません。書き方は自由です。読みはじめて途中で感じたのは、小説という形式を借りたエッセイではなかろうかというものでした。作者はこの作品で何を目指しているのか。その部分を読んでいるときはそう感じていました。人間は年齢を重ねるほど、心に暗い部分が蓄積されていく。登場人物たちの小学生から31歳までが語られていきます。横並び年齢女子の物の考え方は同類項で、浅さがあります。読み手にはそれがじれったさになります。いつまでも若い人でいたい時期です。残念なこととして文字数において状況描写が不足しています。
結婚における学歴比較。カップルの学歴で、つり合いがとれなければ、それは後日、紛争の種になります。結婚は気楽が一番です。「赤ちゃんポスト」の記述は、読みながらも、ながらく意味をとれませんでした。358ページにある山田翠(みどり、教育大学3年生)との別れは、翠の怒りのシーンにしてほしかった。そのほうが感動しました。
第二章はだれかにあてた手紙のようです。陽の当たる場所にいる女性に嫉妬する影の場所に居る女性がわたしという位置づけです。
親にとってみれば、大切に育ててきた娘に、一瞬にして長年積み上げてきた実績を壊されたわけで、母親の動揺する気持ちはよく伝わってきます。されど、過保護に暴力はないけれど、過保護は虐待に通じるものがあるのでしょう。娘は大人になりきれていませんでした。娘は親に気を使って、親を喜ばせるためのロボットになっていました。
母親と娘の衝突には、柔らかさで、はぐらかす、あるいは時間を稼ぐ、クルマのハンドルの遊びのような空間がなく、緊張感をともなった尖(とが)ったもの同士がぶつかりあうことになってしまいました。母親は娘を愛していました。母親は娘を産み、娘を残して死んでいきました。その起源となったのが、0、8、0、7なのです。
(この感想を書いた翌朝、目覚めて思ったこと)
同じテーマで、母親を殺さない手法で書いてはどうだろうか。しみじみと感慨深い作品ができあがるだろう。
この作品について、他の書評を読みました。たいへん評価が高いものもありました。感動する条件として自分の生活と登場人物の生活に共通点が存在することがあります。この作品の場合は、女性であること、未婚であること、妊娠したことがあること、堕胎したことがあること、児童虐待を受けていたことがあること、あるいは今、親として子に虐待をしていることなどがあげられます。「愛を乞う人」下田治美著で描かれた娘心の葛藤もあります。


この物語には、ふたつの「秘密」があります。ひとつは読者のためのもので小さな核となっています。もうひとつは、登場人物が登場人物をかばうためのもので、最初の秘密である秘密の核を包み込む円となっています。
0807とはなんだろう。村上春樹著の「1Q84(いちきゅうはちよん)」みたい。たまたま出版の時期が重なってしまったのでしょう。0807とは暗証番号です。そのいわれは、ここには書けません。
わたしはこの年末年始に富士山が見えるところをドライブしました。三保の松原、御前崎などの海岸でした。この物語の舞台は山梨県と富山県です。山梨県は富士急ハイランドしか行ったことがありません。わたしはながらく、富士吉田市は静岡県にあると勘違いをしていました。山梨県でした。この本を読んでみて、今度山梨県に行ってみようかと考えています。
31歳の娘、望月チエミさん(作中ではチエちゃんでとおされます。未婚)は、母親を殺害して行方不明になります。チエちゃんの追跡活動をするのが、同級生の神宮寺みずほさんです。彼女は「悼(いた)む人」天童荒太著の主人公坂築静人君のようです。女子向きの物語です。
変則的な構成となっています。第一章と第二章のふたつしかありません。かつ、第一章が298ページまでという大量のページ数で、第二章が387ページまでの少ないページ数というアンバランスです。起承転結の構成からいうと違和感があります。もうひとつの特徴は、主人公の姿が第一章でほとんど登場しません。だからといって、よくないという意味ではありません。書き方は自由です。読みはじめて途中で感じたのは、小説という形式を借りたエッセイではなかろうかというものでした。作者はこの作品で何を目指しているのか。その部分を読んでいるときはそう感じていました。人間は年齢を重ねるほど、心に暗い部分が蓄積されていく。登場人物たちの小学生から31歳までが語られていきます。横並び年齢女子の物の考え方は同類項で、浅さがあります。読み手にはそれがじれったさになります。いつまでも若い人でいたい時期です。残念なこととして文字数において状況描写が不足しています。
結婚における学歴比較。カップルの学歴で、つり合いがとれなければ、それは後日、紛争の種になります。結婚は気楽が一番です。「赤ちゃんポスト」の記述は、読みながらも、ながらく意味をとれませんでした。358ページにある山田翠(みどり、教育大学3年生)との別れは、翠の怒りのシーンにしてほしかった。そのほうが感動しました。
第二章はだれかにあてた手紙のようです。陽の当たる場所にいる女性に嫉妬する影の場所に居る女性がわたしという位置づけです。
親にとってみれば、大切に育ててきた娘に、一瞬にして長年積み上げてきた実績を壊されたわけで、母親の動揺する気持ちはよく伝わってきます。されど、過保護に暴力はないけれど、過保護は虐待に通じるものがあるのでしょう。娘は大人になりきれていませんでした。娘は親に気を使って、親を喜ばせるためのロボットになっていました。
母親と娘の衝突には、柔らかさで、はぐらかす、あるいは時間を稼ぐ、クルマのハンドルの遊びのような空間がなく、緊張感をともなった尖(とが)ったもの同士がぶつかりあうことになってしまいました。母親は娘を愛していました。母親は娘を産み、娘を残して死んでいきました。その起源となったのが、0、8、0、7なのです。
(この感想を書いた翌朝、目覚めて思ったこと)
同じテーマで、母親を殺さない手法で書いてはどうだろうか。しみじみと感慨深い作品ができあがるだろう。
この作品について、他の書評を読みました。たいへん評価が高いものもありました。感動する条件として自分の生活と登場人物の生活に共通点が存在することがあります。この作品の場合は、女性であること、未婚であること、妊娠したことがあること、堕胎したことがあること、児童虐待を受けていたことがあること、あるいは今、親として子に虐待をしていることなどがあげられます。「愛を乞う人」下田治美著で描かれた娘心の葛藤もあります。
幸福な朝食 乃南アサ
2010年02月03日 / 読書感想文
幸福な朝食(こうふくな) 乃南アサ(のなみ) 新潮文庫
自分と顔がそっくりな美貌の女優志願者がいて、相手にひと足早くデビューされてしまったために自分の夢がかなわなくなり、人生がめちゃくちゃになった人形劇の人形操り師沼田志穂子さん34歳の物語で、もう22年前ぐらいの作品です。時代を感じさせるのは、携帯電話の記述がまったくないことです。沼田さんも女優へのこだわりを捨てて、わりきった生活を送れば、今ごろ56歳で、幸福な朝食にたどりつけたのにかわいそうなことをしました。未婚女性に関する本人の意識とか周囲の扱いは何十年前も今もあまり変化はないようです。
冒頭から始まるのは、出産シーンなのか堕胎シーンなのか区別がつきませんでした。不倫とか2号さんとか人間としてではなく、女として飼われている、そんな暗いイメージです。沼田さんのそっくりさんである本物の女優さんが、柳沢マリ子さんです。18歳から34歳のあいだの出来事記述が時を隔てて、いったりきたりします。沼田さんが語りかけるこどもさんらしき人物があるのですが、人間のこどものではなく、最初はペットの蛇を思い浮かべました。でも、蛇ではありませんでした。
周囲の反対を押し切って女優を目指し始めた経過から、その夢がかなっていない現状はとても厳しい。孤独な34歳女性です。カラオケシーンはかわいそうでした。志穂子さん、はやく自分の居場所を見つけて、しあわせになってください。肉体関係をもつ男性は次々と変わっていくけれど、だれも志穂子さんのしあわせを考えてくれていない。読み手は、彼女の妊娠話が空想だとすぐわかる。彼女は統合失調症を発病したようです。自分に似ていた相手柳沢マリ子さんに責任はない。されど彼女は似ていた柳沢さんに復讐を企図(きと)します。それは、悪行(あくぎょう)です。悪行には報復が返ってきます。狭い空間、特定少数の男女、よく考えこまれた内容です。さて、作者さん、結末はどうする。(最初に戻って、血の海になるのでした。)この頃(ころ)の、この作者さんは、最初と最後をそろえることにこだわりをもっていたようです。
読み終えてみて、さみしくなる作品でした。それから、「鏡」について考えました。


自分と顔がそっくりな美貌の女優志願者がいて、相手にひと足早くデビューされてしまったために自分の夢がかなわなくなり、人生がめちゃくちゃになった人形劇の人形操り師沼田志穂子さん34歳の物語で、もう22年前ぐらいの作品です。時代を感じさせるのは、携帯電話の記述がまったくないことです。沼田さんも女優へのこだわりを捨てて、わりきった生活を送れば、今ごろ56歳で、幸福な朝食にたどりつけたのにかわいそうなことをしました。未婚女性に関する本人の意識とか周囲の扱いは何十年前も今もあまり変化はないようです。
冒頭から始まるのは、出産シーンなのか堕胎シーンなのか区別がつきませんでした。不倫とか2号さんとか人間としてではなく、女として飼われている、そんな暗いイメージです。沼田さんのそっくりさんである本物の女優さんが、柳沢マリ子さんです。18歳から34歳のあいだの出来事記述が時を隔てて、いったりきたりします。沼田さんが語りかけるこどもさんらしき人物があるのですが、人間のこどものではなく、最初はペットの蛇を思い浮かべました。でも、蛇ではありませんでした。
周囲の反対を押し切って女優を目指し始めた経過から、その夢がかなっていない現状はとても厳しい。孤独な34歳女性です。カラオケシーンはかわいそうでした。志穂子さん、はやく自分の居場所を見つけて、しあわせになってください。肉体関係をもつ男性は次々と変わっていくけれど、だれも志穂子さんのしあわせを考えてくれていない。読み手は、彼女の妊娠話が空想だとすぐわかる。彼女は統合失調症を発病したようです。自分に似ていた相手柳沢マリ子さんに責任はない。されど彼女は似ていた柳沢さんに復讐を企図(きと)します。それは、悪行(あくぎょう)です。悪行には報復が返ってきます。狭い空間、特定少数の男女、よく考えこまれた内容です。さて、作者さん、結末はどうする。(最初に戻って、血の海になるのでした。)この頃(ころ)の、この作者さんは、最初と最後をそろえることにこだわりをもっていたようです。
読み終えてみて、さみしくなる作品でした。それから、「鏡」について考えました。
ととろ さつきとメイの家
2010年02月02日 / 愛知県
ととろ さつきとメイの家
愛知万博の記念公園に残っています。

家の中に入るには、予約が必要なようです。
予約の必要がなくても、家の中に入りたいとは思いません。
「昭和」の家です。
わたしにとって、「昭和」は過去ではなく、現在です。
だから中に入る必要がありません。
「平成」の人間にはなりきれません。
周囲が変化しても、人間の中身は変えられません。


愛知万博の記念公園に残っています。
家の中に入るには、予約が必要なようです。
予約の必要がなくても、家の中に入りたいとは思いません。
「昭和」の家です。
わたしにとって、「昭和」は過去ではなく、現在です。
だから中に入る必要がありません。
「平成」の人間にはなりきれません。
周囲が変化しても、人間の中身は変えられません。






