2010年09月02日

琵琶湖からの帰路

琵琶湖からの帰路

京都への旅はタイムトラベルです。車を運転しながら、市内では人力車を追い抜きました。比叡山を下っていたときには、上(のぼ)って来る大型のトラクターとすれ違いました。農業地帯が広がっています。
旅は未知との出会いです。比叡山ドライブウェイと奥比叡ドライブウェイの2種類のドライブウェイがあることを知りました。

走行中の琵琶湖大橋から見えた景色です。
複数のモーターボートが白波を後ろにしながら湖面を滑っていました。



琵琶湖大橋を渡って、栗東インター(りっとう)から帰りましたが、琵琶湖周辺の道路は渋滞でした。名神高速道路も30キロぐらい渋滞している部分があったので、途中のインターで降りて、愛知県まで帰りました。行きの京都までは休憩を入れて2時間半でしたが、帰りは4時間半かかりました。



夕立のあとの琵琶湖に沈む夕映えが美しい。助手席からの風景です。
日帰りドライブ旅行の参加者は家族3人でした。
もう暗くなって途中休憩したパーキングエリアで、8人ぐらいの聾唖(ろうあ)の男女グループが手話をしながら楽しそうに夕食をとっておられました。



今日という日よ、さようなら。

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Posted by 熊太郎 at 21:28Comments(0)TrackBack(0)滋賀県

2010年09月01日

比叡山延暦寺・夏

比叡山延暦寺(えんりゃくじ)夏

前回は昨年11月、京都駅前からバスで来ました。
そのとき、次回は自宅から車で来ると決めました。夢がかなってうれしい。
京都市伏見区の醍醐寺を出て、南禅寺、銀閣寺を右手にして、なんとかというところを右折して山道を登り始めました。後ろからミニクーパーがしっかりついてくるので、どんな人が運転しているのだろうかとバックミラーをみたら、白髪のおばあさんだったのでびっくりしました。外国暮らしをしたことがあるのでしょう。わたしもそんなすてきなお年寄りになりたい!

伝教大使です。最初は、聖徳太子だと思いました。小学校だったか、中学校だったかの社会科を思い出してみる。確か最澄(さいちょう)という人で、天台宗だった。違うかもしれません。それにしても、何百年も前に、何十年か生きただけの人なのに影響力は大きい。



珍しい木です。片方がありません。
きっと、片方側からの風が強いのでしょう。



わたしは今、どこにいるのでしょう。
きっと、まんなか黄色のお札(ふだ)のところでしょう。



モー、帰っちゃうの?



モー、午後5時だから閉門なのよ。
モーさん、また来るねー。

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Posted by 熊太郎 at 19:36Comments(0)TrackBack(0)滋賀県

2010年08月31日

京都市伏見区 醍醐寺

京都市伏見区 醍醐寺(だいごじ)

名古屋インターからのって、京都東インターでおりて、いつものように道を間違えて、山科駅南(やましなえきみなみ)の東西に走る狭い路地裏で、電信柱にぶつかるー!と叫びながら対向車とすれ違い、はらはらどきどきしながらお寺さんにたどり着きました。聞こえてくるのはお坊さんたちの読経(どきょう、お経を読む)の声とツクツクオーシとなくヒグラシ(せみ)の声です。

暑さを忘れる絵葉書のような風景でした。



本殿(ほんでん)で写経(筆でお経を書く)をしたあと、五重塔にそれを納めました。
たまたま訪れたこの日の限られた時間帯のみ五重塔の1階内部を見学することができました。
中ではお坊さんたちがお経(きょう)をあげていました。
次の写真は構図が変で賛否両論あるでしょうが気にいっています。



お堂の外に仏さまがいることは珍しい。大きなお地蔵さん、今年の夏は、暑くありませんか?



暑さ寒さも彼岸(ひがん)まで。
暑いときは暑いなりに、寒いときは寒いなりにお暮らしなさい。

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Posted by 熊太郎 at 19:47Comments(0)TrackBack(0)京都府

2010年08月29日

ケンペル B・M・ボダルト=ベイリー著

ケンペル B・M・ボダルト=ベイリー著 中直一訳 ミネルヴァ書房

 ケンペルは1651年生まれのドイツ人で、1691年40歳のときに来日して、5代将軍綱吉と面会しています。時は元禄時代で、松尾芭蕉の「奥の細道」が記された頃です。
 この本は、ケンペルが帰国後まとめた本に関する記述をベイリー氏が研究・記述し日本語訳されています。中盤まではヨーロッパからアジアへの旅、日本に関するものは「日本誌」が元になっています。後半はドイツ帰国後のことなどが書かれています。
 わたしがこれまでに読んだ江戸時代に来日した外国人の本は、「日本滞在記」タウンゼント・ハリス著、「江戸参府紀行」シーボルト著、そして、明治時代の「英国人写真家の見た日本」ハーバード・G・ポンティング著があります。加えて、実物の信長や秀吉に会ったことがあるキリスト教宣教師ルイス・フロイスの本があります。映画やドラマ、小説など虚構でつくられたものではなく、正確な事実を知りたいのです。
 外国では、犯罪の刑が金銭納付で免除されることがあったが(罰金制度?)、日本では、お金で刑を免れることはできなかった。長崎の出島に滞在するとき、オランダ人以外の外国人はオランダ人と偽っていた。一度の滞在者数は7名程度しかいなかった。不思議に思うのは、江戸時代濃厚なつきあいがあったオランダと今はそれほどつきあいがあるとは感じないのです。また、戦時中、日独伊三国同盟があったのですが、位置的に遠い国と日本がなぜ同盟を結んだのかもわかりません。
 科学的な旅行記です。ケンペルは、牧師の息子ですが、使節団としてヨーロッパからロシア、ペルシャ(イラク)、インド、シャム(タイ)を経て、医師として日本に立ち寄っています。数値を把握して記録する人です。他の外国人訪問者が神秘的な仏像群に心を打たれた三十三間堂では、ケンペルは仏像の数を数えています。また、スケッチをする人です。カメラがなかったわけですから、写真の代わりがスケッチなのです。
 ヨーロッパからの旅程は過酷です。身体頑健でないと続かない旅です。年齢も老齢では無理です。ケンペルは、日本の暮らしで心の平安を取り戻したと記しています。タウンゼント・ハリスが、世界を旅してみて、一番平和で美しい国は日本だったと言ったことが思い出され、日本人として誇りに思います。
 その頃の日本人は、幕府の命令に従うようで、従わない。上層部もいわゆる黙認が多い。この点について、ケンペルは、矛盾の国、日本としています。二重人格の面ありです。
 住民同士が監視しあっているとの記述があり、北朝鮮を思い浮かべるのですが、悪い意味ではなく、お互いプライバシーがないということなのでしょう。
 犬がいばっている国というような記述もあります。生類憐れみの令を出した綱吉と直(じか)に会っているのですが、ケンペルは綱吉を褒(ほ)め称(たた)えています。庶民にとってはあまり関係のない生類憐れみの令だったそうです。狩猟のために犬をたくさん飼っていた武士たちが困ったそうです。綱吉は、武士に厳しく、庶民にやさしい将軍と記されています。
 街道沿いには旅人のためのトイレがあり、汚物は貴重な肥料だった。究極のリサイクル社会です。大名行列のかごかきたちのしゃがんだり立ったりの仕草は、昔、テレビで見たことがあります。本当にそうしていたそうです。1691年当時の京都風景記述はGoodです。職業別人口まで把握してあります。また、日本の着物が外国では絶賛されたようです。
 平和を維持するために「鎖国」は、正しい選択であるとか、お茶は体に良い。たばこは体に悪いなど、先見の明もあります。
 先日読んだ天地明察(てんちめいさつ)冲方丁著(うぶかたとう)角川書店では、江戸時代の算術者たちはヨーロッパの学者同様に、地球が丸いことに気づいています。目からうろこが落ちました。天地明察を読むまでは、日本の学問は西洋に大きく遅れをとっていたと誤解していました。日本人の能力や文化はたいしたものです。

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Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2010年08月28日

俺たちは天使じゃない DVD

俺たちは天使じゃない DVD

 痛快です。これぞ映画でした。89年の作品です。ブラウン神父ということになってしまった脱獄囚のショーン・ペンは、若さに満ちていて気持ちがいい。おしゃべり好きだけど自信がなくて、たいていたばこをくわえて淋しげです。雰囲気がどこかジェームス・ディーンに似ている。後半にあった彼の演説シーンには感動しました。ポケットの中には何もない。だけど、生き続けるために何かを信じる。ポケットの中にあるものは「希望」だという主旨のものでした。すばらしい。
 ライリー神父ということになった脱獄囚のロバート・デ・ニーロは、この映画では脇役っぽい。ふたりの行動は面白おかしくて笑わせてもらいました。なおかつ、人間の気持ちを大切に扱った泣ける映画でもありました。
 母子家庭の母親を演じるデミムーアは、個性が強すぎると感じるのですが、彼女以外の適役は思いつきません。
 ふたりの男子は脱獄囚で、なおかつ罪名は殺人のようなのですが、ふたりは殺人ができるような人間ではありません。物語の設定上そうなっているだけと割り切りました。冒頭は外国映画らしく、豪快で残虐です。話の組み合わせ方がうまい。優れた脚本です。きっかけを積み重ねていく手法です。庶民の生活ぶりが心に沁(し)みます。宗教と障害児と貧困をからめ、信じることと、手話による心の交流とお金がすべてではないというメッセージを観客に送ってくれます。
 出所したふたりの女性を描く「いつか陽のあたる場所で」とか「すれ違う背中を」(乃南アサ著)のヒントはこの映画にあるのではないか。また、映画「カイジ」の地下労働シーンは、この映画の冒頭シーン、鉱山の地下労働にあるのではないか。
 死んで元々だから生きると主張したもうひとりの脱獄囚ボビーが生き残れなかったのは、まわりにいる人の命を奪ったからです。まわりにいる人の命を守ろうとしないと、自分の命が奪われます。
 偽の神父に扮したふたりはラストシーンで、自分たちがいた刑務所へ慰問に行くという場面を予想しましたが違っていました。物語の展開は自由自在で、いかようにも変化させることができます。きっと、ラストシーンはいくつかの案が用意されていたのでしょう。
 聖母マリアの飾り、裏が温度計なのですが、それが伏線の材料になると予想しましたがはずれました。伏線の材料になったのは、せんたくばさみでした。
 着ている洋服で、人間の肩書きとか中身を判断することが多い内容の映画です。
 心がきれいな人ほど、だまされると心が真っ黒になるとも少し感じました。
 手話のやりとりでは、「てとてとてとて」浜田桂子作を思い出しました。たしか、書中に点字部分がありました。
 もう10年ぐらい前、十字架を背負って歩くグループを描いた日本映画の脚本を読んだことがあるのを思い出しました。すっかり忘れていました。アメリカ人と日本人は容姿が違うけれど、気持ちは同じであることがわかります。

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Posted by 熊太郎 at 12:26Comments(0)TrackBack(0)DVD

2010年08月26日

長野県 妻籠宿(つまごじゅく)

長野県 妻籠宿(つまごじゅく)

あっしは江戸時代旅人の幽霊でござる。
今夜はこちらの宿場で一夜を過ごしやす。



まずは神社でお参りをして、次に、お寺にもお参りをして、旅の無事を祈願いたしやす。
街道には、聞きなれぬ言葉が飛びかっておる。
中国の方やら、韓国の方やら、ヨーロッパの方やらも旅をしておられるようじゃ。



次は、延命地蔵、別名「汗かき地蔵」のお宅でござる。
猛暑が続いて、汗をかいた旅人たちは、いくぶん疲れ顔じゃ。



こちらは、角にあるから「かどや」というのかも。



奇怪な! 杉の木のような木の上は松の木となっておる。
おまけに蔦(つた)までからまっておる。
おぬしは妖怪か。



今夜の旅籠(はたご)が見えてきた。



こちらの水車小屋が、あっしの寝場所でござる。
さらばじゃ。また、どこかで会おう。



天竜川の川下りを終えて、車で昼神温泉を通過し、1時間かからずに到着しました。
前回訪れたのは、このあと黒部立山アルペンルートに続く高校の修学旅行でした。
それは、もうすぐ17歳になる雨の日でした。お土産(みやげ)は、紺色の地に白文字の暖簾(のれん)と、将棋の駒に似た大きな通行手形でした。35年間もの永(なが)い時は、体重48キロのやせこけた少年を、体重80キロのメタボおじさんに変えてしまいました。時の経過は、人間の外見に対して残酷です。

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Posted by 熊太郎 at 20:39Comments(0)TrackBack(0)長野県