2010年07月30日
ミリーのすてきなぼうし きたむらさとし
ミリーのすてきなぼうし きたむらさとし BL出版
今年読んでよかった1冊になりました。絵本です。発想がいい。規制を排除して、空想の世界へと誘(いざな)ってくれます。お金がなくても買えるものがあります。帽子屋さんとミリーちゃんのやりとりでは、自分が中学1年生のときに写真屋さんで、カメラを買おうとしたことを思い出しました。当時わたしは新聞配達をしていて(朝刊)、月5000円のバイト収入がありました。月賦(げっぷ、ローン)で、毎月2000円を支払いながらカメラを購入しようとしたら、「未成年者相手に月賦はやらない」と店主に言われてがっかりしました。この絵本の帽子屋店主は、優しい人です。ミリーちゃんにお金がないことがわかっていても、できる範囲内で帽子を売ってくれたのです。彼は、夢や希望や教えをミリーちゃんに分け与えてくれたのです。ミリーちゃんはそれらをさらに、暗い気持ちで散歩するおばあさんや、ご両親に分け与えたのです。それだけにとどまらず、ミリーちゃんは、周囲の人たちが全員帽子をかぶっていることに気づけたのです。帽子=考えです。人は皆、考えという帽子をかぶっているのです。
うしろから5ページ目の花や魚や星の帽子が気に入りました。うしろから3ページ目のおとうさんのペンギン帽子もいい。
筋立てに感心しました。裸の王さまがヒントにはなっているだろうと思いました。見えないけれど見えると言う。裸の王様と主旨は違うのですが、見えないものが見えて幸せなのです。


今年読んでよかった1冊になりました。絵本です。発想がいい。規制を排除して、空想の世界へと誘(いざな)ってくれます。お金がなくても買えるものがあります。帽子屋さんとミリーちゃんのやりとりでは、自分が中学1年生のときに写真屋さんで、カメラを買おうとしたことを思い出しました。当時わたしは新聞配達をしていて(朝刊)、月5000円のバイト収入がありました。月賦(げっぷ、ローン)で、毎月2000円を支払いながらカメラを購入しようとしたら、「未成年者相手に月賦はやらない」と店主に言われてがっかりしました。この絵本の帽子屋店主は、優しい人です。ミリーちゃんにお金がないことがわかっていても、できる範囲内で帽子を売ってくれたのです。彼は、夢や希望や教えをミリーちゃんに分け与えてくれたのです。ミリーちゃんはそれらをさらに、暗い気持ちで散歩するおばあさんや、ご両親に分け与えたのです。それだけにとどまらず、ミリーちゃんは、周囲の人たちが全員帽子をかぶっていることに気づけたのです。帽子=考えです。人は皆、考えという帽子をかぶっているのです。
うしろから5ページ目の花や魚や星の帽子が気に入りました。うしろから3ページ目のおとうさんのペンギン帽子もいい。
筋立てに感心しました。裸の王さまがヒントにはなっているだろうと思いました。見えないけれど見えると言う。裸の王様と主旨は違うのですが、見えないものが見えて幸せなのです。
2010年07月29日
こぶとりたろう たかどのほうこ
こぶとりたろう たかどのほうこ作 杉浦範茂絵 童心社
小太りの太郎さんだと思っていました。そうではなく、勉強したら頭にこぶが4個できた太郎さんでした。主旨はよくわからない。勉強しすぎると病気になるというお話ではないし、案外主役は4人の鬼の ほうで、自分で努力せずに他力本願で自分の子どもの成績を上げようとする親たちに対する皮肉 なのかもしれない。
鬼の顔は牛みたいで、かつ、アメリカインディアンのようでもあります。色彩は美しい。こぶはこぶというよりもおできみたいです。文章にはリズムがあります。
理屈っぽいのが難点で、算数の足し算の数値が大きすぎる。たろうくんは簡単だと言いますが、読み手にはむずかしい。まあ、こどもさんが読む絵本なので、おじさんのわたしが、どうこう言うよりも子どもさん自身の感想のほうが正解なのでしょう。
この絵本では、国語・算数・理科・社会が勉強のメイン科目となっています。社会人でなんとか 食べていくためには、読み書き計算ができるのはあたりまえのことで、そこにパソコン操作、車の運転、最低限の接客能力と周囲との協調性が加わってきます。そして、大事なのは、音楽とか、美術とか、技術・家庭とか、体育とか、学校では主要科目ではない、文化的な知識や話題が必要になります。人と人との交流をつくるネタが心を支えてくれます。ばかになれた人が生き残れるということもあります。
いっけん点を取っておいしい科目だけでは、いびつな形の頭に、つまりいびつな性格・人格の人間に育ちますよという警告が含まれているのかどうかを考えるわたしの頭は考えすぎかもしれません。


小太りの太郎さんだと思っていました。そうではなく、勉強したら頭にこぶが4個できた太郎さんでした。主旨はよくわからない。勉強しすぎると病気になるというお話ではないし、案外主役は4人の鬼の ほうで、自分で努力せずに他力本願で自分の子どもの成績を上げようとする親たちに対する皮肉 なのかもしれない。
鬼の顔は牛みたいで、かつ、アメリカインディアンのようでもあります。色彩は美しい。こぶはこぶというよりもおできみたいです。文章にはリズムがあります。
理屈っぽいのが難点で、算数の足し算の数値が大きすぎる。たろうくんは簡単だと言いますが、読み手にはむずかしい。まあ、こどもさんが読む絵本なので、おじさんのわたしが、どうこう言うよりも子どもさん自身の感想のほうが正解なのでしょう。
この絵本では、国語・算数・理科・社会が勉強のメイン科目となっています。社会人でなんとか 食べていくためには、読み書き計算ができるのはあたりまえのことで、そこにパソコン操作、車の運転、最低限の接客能力と周囲との協調性が加わってきます。そして、大事なのは、音楽とか、美術とか、技術・家庭とか、体育とか、学校では主要科目ではない、文化的な知識や話題が必要になります。人と人との交流をつくるネタが心を支えてくれます。ばかになれた人が生き残れるということもあります。
いっけん点を取っておいしい科目だけでは、いびつな形の頭に、つまりいびつな性格・人格の人間に育ちますよという警告が含まれているのかどうかを考えるわたしの頭は考えすぎかもしれません。
2010年07月28日
東京島 桐野夏生
東京島 桐野夏生(なつお、女性) 新潮社
感想をなんと表現してよいのか思い浮かばない。他の書評を参考にしてみようと読んでみたけれど本作品を支持する人が3割、残り7割は首をかしげている。そして、わたしは残り7割の人間です。
「東京島」というタイトルからは、東京にある島、されど尋常な島ではなかろう。たとえばごみの島というような先入観をもって読み始めました。東京島は東京にはありませんでした。フィリピンの近くにあるようです。
悪天候で遭難後に漂流した人々が漂着した無人島で、彼らがその島を「東京島」と名付けたのです。32人中1人が女性で、彼女は46歳の清子さんです。その後、夫は病死して、彼女は何人かの男たちと島内で結婚を繰り返します。遭難者のなかには、中国人男性たちもいます。どちらかといえばひ弱な男性が多い。人々は、自分の本名を捨てます。中国人たちは「ホンコン」と呼ばれ、島内には「トーカイムラ」とか、「シブヤ」など、彼らが付けた地名が生まれます。地名については、ブラジル移民が、ブラジルの地で、「太郎滝」というように自ら地名を付けたことを思い出しました。
中国人のヤン、日本人のアタマ(河原・元暴走族)、オラガ(やがてオカゲに改名、坂本泰臣25歳小説家志望)、ワタナベ、春日部(清子の夫が死んだあとの最初の夫、群馬出身)、酒井(22歳、大工見習い)、彼らのアイディンティティ(自己(自我)同一性、自分が自分であることの起源)というのでしょうか、それが時の経過とともに次第に失われていきます。幾人かの人々は崖から突き落とされて殺されたり、病死したりしていきます。
救援はなかなか来ません。船をつくっての脱出は失敗に終わります。夢や希望がかなわないと確定したときに彼らは本能で生きようとします。食欲と性欲そして宗教です。法治国家ではなくなる。倫理観もなくなる。マンタ(黄桜俊夫26歳仙台市出身)には、彼が3歳のときに死んだ姉和子の霊魂が宿ります。圧倒的な筆力です。GMというイニシャルで呼ばれていた森軍司は、記憶喪失のふりをしていましたが、清子の島脱出作戦(失敗に終わる)により、記憶を取り戻したようにみせかけて、リーダーシップを取り戻そうとします。あきらめからみんながおかしくなっていく。現世とは別の世界が誕生します。名前が変わることで人格まで変わる。
作者はどうしてこの長い物語を書いたのだろうか。人間は、極限状態におかれると変容するという状況描写が続きます。身の回りにあった便利なものがなくなると、人間は原始生活に戻る。フィリピン人たちが新たに漂着してからは、「走れメロス」太宰治著を思い浮かべました。脱出用の船に全員が乗船することはできない。ただし、わたしは考えたのです。最初に幾人かが脱出して、残った人々をあとから救出にきてもらえばいいだけのことです。それができない。自分だけが助かればいい。残った人々は島に永遠に残しておけばいい。
最も後ろの部分を書くとネタばれになってしまうので書きません。ここまで、感想を書いてみて、本作品に対する自分の評価が変わってきました。冒頭に書いた3割、この作品を高く支持する部類に属することにしました。


感想をなんと表現してよいのか思い浮かばない。他の書評を参考にしてみようと読んでみたけれど本作品を支持する人が3割、残り7割は首をかしげている。そして、わたしは残り7割の人間です。
「東京島」というタイトルからは、東京にある島、されど尋常な島ではなかろう。たとえばごみの島というような先入観をもって読み始めました。東京島は東京にはありませんでした。フィリピンの近くにあるようです。
悪天候で遭難後に漂流した人々が漂着した無人島で、彼らがその島を「東京島」と名付けたのです。32人中1人が女性で、彼女は46歳の清子さんです。その後、夫は病死して、彼女は何人かの男たちと島内で結婚を繰り返します。遭難者のなかには、中国人男性たちもいます。どちらかといえばひ弱な男性が多い。人々は、自分の本名を捨てます。中国人たちは「ホンコン」と呼ばれ、島内には「トーカイムラ」とか、「シブヤ」など、彼らが付けた地名が生まれます。地名については、ブラジル移民が、ブラジルの地で、「太郎滝」というように自ら地名を付けたことを思い出しました。
中国人のヤン、日本人のアタマ(河原・元暴走族)、オラガ(やがてオカゲに改名、坂本泰臣25歳小説家志望)、ワタナベ、春日部(清子の夫が死んだあとの最初の夫、群馬出身)、酒井(22歳、大工見習い)、彼らのアイディンティティ(自己(自我)同一性、自分が自分であることの起源)というのでしょうか、それが時の経過とともに次第に失われていきます。幾人かの人々は崖から突き落とされて殺されたり、病死したりしていきます。
救援はなかなか来ません。船をつくっての脱出は失敗に終わります。夢や希望がかなわないと確定したときに彼らは本能で生きようとします。食欲と性欲そして宗教です。法治国家ではなくなる。倫理観もなくなる。マンタ(黄桜俊夫26歳仙台市出身)には、彼が3歳のときに死んだ姉和子の霊魂が宿ります。圧倒的な筆力です。GMというイニシャルで呼ばれていた森軍司は、記憶喪失のふりをしていましたが、清子の島脱出作戦(失敗に終わる)により、記憶を取り戻したようにみせかけて、リーダーシップを取り戻そうとします。あきらめからみんながおかしくなっていく。現世とは別の世界が誕生します。名前が変わることで人格まで変わる。
作者はどうしてこの長い物語を書いたのだろうか。人間は、極限状態におかれると変容するという状況描写が続きます。身の回りにあった便利なものがなくなると、人間は原始生活に戻る。フィリピン人たちが新たに漂着してからは、「走れメロス」太宰治著を思い浮かべました。脱出用の船に全員が乗船することはできない。ただし、わたしは考えたのです。最初に幾人かが脱出して、残った人々をあとから救出にきてもらえばいいだけのことです。それができない。自分だけが助かればいい。残った人々は島に永遠に残しておけばいい。
最も後ろの部分を書くとネタばれになってしまうので書きません。ここまで、感想を書いてみて、本作品に対する自分の評価が変わってきました。冒頭に書いた3割、この作品を高く支持する部類に属することにしました。
2010年07月27日
にいさん いせひでこ
にいさん いせひでこ 偕成社
にいさんは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを指し、にいさんと呼びかけているのは弟のテオドロス・ヴァン・ゴッホで、作者が弟に成り代わっています。
「死」が小説や文学で扱われるのは常です。ただ読み手としては、「死」の文学ばかりが続くと暗い気持ちになります。意図したわけではないのですが、ここ数日死ぬ物語ばかりを読むことになって、いささか気が滅入っています。
絵本なので、ページ数は多くありません。厚紙の表紙をめくって1ページ目そして2ページ目は、映画の始まりのようです。弟が床に落ちた1本のひまわりを拾おうとしています。ひまわり=ゴッホ(兄)です。次に、葬式行列が左から右方向へと粛々(しゅくしゅく)と動いていきます。絵本全体は紺の色調でまとめられています。そこにひまわりや麦の金色が合わさります。特徴はカンバス地であることです。縦横の布目が見えます。
ゴッホは37歳で亡くなっています。日本でいうと、アメリカのペリーが来たときに生まれて、明治時代第1回衆議院議員選挙が行われた年に亡くなっています。生存中には評価されず、死後有名になった画家です。絵本の中には、オランダの農園で仲良く遊ぶ兄弟の姿があります。
兄の生活を支えたのが弟です。栄光の影には必ず犠牲者が必要です。だれかがだれかを1番にするためになにかに犠牲を払わなければ、栄光は手に入りません。兄と弟は似たもの同士です。仲が必ずいいわけでもありません。ふたりは生まれながらにライバルであることもあります。ゴッホ兄弟の場合は、弟が兄を思いやりました。進路に関する兄と父との対立を目の当たりにし、おそらく両者の調整役を果たしたのでしょう。真面目に思いつめれば思いつめるほど精神状態がおかしくなっていく兄を見つつ、弟はどうすることもできなかった。画商の弟は結局、兄の作品をまったく売ることができなかったようです。「厳格であること」は家族を幸福(しあわせ)にしない。父親と兄に対して言えることです。


にいさんは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホを指し、にいさんと呼びかけているのは弟のテオドロス・ヴァン・ゴッホで、作者が弟に成り代わっています。
「死」が小説や文学で扱われるのは常です。ただ読み手としては、「死」の文学ばかりが続くと暗い気持ちになります。意図したわけではないのですが、ここ数日死ぬ物語ばかりを読むことになって、いささか気が滅入っています。
絵本なので、ページ数は多くありません。厚紙の表紙をめくって1ページ目そして2ページ目は、映画の始まりのようです。弟が床に落ちた1本のひまわりを拾おうとしています。ひまわり=ゴッホ(兄)です。次に、葬式行列が左から右方向へと粛々(しゅくしゅく)と動いていきます。絵本全体は紺の色調でまとめられています。そこにひまわりや麦の金色が合わさります。特徴はカンバス地であることです。縦横の布目が見えます。
ゴッホは37歳で亡くなっています。日本でいうと、アメリカのペリーが来たときに生まれて、明治時代第1回衆議院議員選挙が行われた年に亡くなっています。生存中には評価されず、死後有名になった画家です。絵本の中には、オランダの農園で仲良く遊ぶ兄弟の姿があります。
兄の生活を支えたのが弟です。栄光の影には必ず犠牲者が必要です。だれかがだれかを1番にするためになにかに犠牲を払わなければ、栄光は手に入りません。兄と弟は似たもの同士です。仲が必ずいいわけでもありません。ふたりは生まれながらにライバルであることもあります。ゴッホ兄弟の場合は、弟が兄を思いやりました。進路に関する兄と父との対立を目の当たりにし、おそらく両者の調整役を果たしたのでしょう。真面目に思いつめれば思いつめるほど精神状態がおかしくなっていく兄を見つつ、弟はどうすることもできなかった。画商の弟は結局、兄の作品をまったく売ることができなかったようです。「厳格であること」は家族を幸福(しあわせ)にしない。父親と兄に対して言えることです。
2010年07月25日
くまとやまねこ 湯本香樹実
くまとやまねこ 湯本香樹実(かずみ)文 酒井駒子絵
とある本の巻末にあった本の紹介コーナに「名作」とありました。読み終えて、やはり「名作」でした。絵本なので、短時間で何度も読み返すことができます。最初は絵だけを追いました。死んでしまった小鳥の前で、熊が途方に暮れています。
次に文章を読みました。秀逸です。選び抜かれた言葉と高い水準の文章が続きます。何度もあるいは何年もかけて練りこまれた文章です。文章表現が巧みで心がこもっています。
親しい人を亡くす。近しい人を亡くす。日にちが経てば経つほど、悲しみは深まります。ああすればよかった。こうしてあげればよかったと悲観に暮れます。
この本を読んでいた同時期に「にいさん」いせひでこ作を読んでいました。こちらは、ゴッホの弟さんのお話です。乳幼児期には仲がよかった兄は、偏屈な大人になりました。周囲の人間たちがゴッホを避ける状況にあっても弟は兄を支えようとします。でも兄は自殺します。ゴッホの弟とこの本の熊が重なるのです。
忘れられない亡き人。忘れるように勧める周囲の人。亡くした人の代わりに現れる新しい人、それがやまねこです。やまねこは、熊の淋しさとか、悲しみに共感してくれます。熊と小鳥は動物の種別は異なるけれど、恋人同士なのです。あるいは、夫婦を擬人化してあるのです。
やがて熊は、立ち直るのです。つらくとも、死ぬまでは、生きていかねばならないのです。
そしてまた同時期に「小暮写眞館」宮部みゆき著を読んでいました。幽霊が出るのです。心残りの人は霊となってその場に残るのです。死んでも死にきれないのですが、この物語の小鳥は目を覚ましません。完璧に天国に召されたのです。小鳥は満足して亡くなっていったのです。旅立つ者よりも残された者のほうがつらい。だから熊は音楽にのめりこむのです。人は、音楽や絵や文学に惹(ひ)かれていくのです。


とある本の巻末にあった本の紹介コーナに「名作」とありました。読み終えて、やはり「名作」でした。絵本なので、短時間で何度も読み返すことができます。最初は絵だけを追いました。死んでしまった小鳥の前で、熊が途方に暮れています。
次に文章を読みました。秀逸です。選び抜かれた言葉と高い水準の文章が続きます。何度もあるいは何年もかけて練りこまれた文章です。文章表現が巧みで心がこもっています。
親しい人を亡くす。近しい人を亡くす。日にちが経てば経つほど、悲しみは深まります。ああすればよかった。こうしてあげればよかったと悲観に暮れます。
この本を読んでいた同時期に「にいさん」いせひでこ作を読んでいました。こちらは、ゴッホの弟さんのお話です。乳幼児期には仲がよかった兄は、偏屈な大人になりました。周囲の人間たちがゴッホを避ける状況にあっても弟は兄を支えようとします。でも兄は自殺します。ゴッホの弟とこの本の熊が重なるのです。
忘れられない亡き人。忘れるように勧める周囲の人。亡くした人の代わりに現れる新しい人、それがやまねこです。やまねこは、熊の淋しさとか、悲しみに共感してくれます。熊と小鳥は動物の種別は異なるけれど、恋人同士なのです。あるいは、夫婦を擬人化してあるのです。
やがて熊は、立ち直るのです。つらくとも、死ぬまでは、生きていかねばならないのです。
そしてまた同時期に「小暮写眞館」宮部みゆき著を読んでいました。幽霊が出るのです。心残りの人は霊となってその場に残るのです。死んでも死にきれないのですが、この物語の小鳥は目を覚ましません。完璧に天国に召されたのです。小鳥は満足して亡くなっていったのです。旅立つ者よりも残された者のほうがつらい。だから熊は音楽にのめりこむのです。人は、音楽や絵や文学に惹(ひ)かれていくのです。
2010年07月22日
イソップのお話 河野与一編訳
イソップのお話 河野与一編訳 岩波少年文庫
短文の寓話(ぐうわ、たとえ話)が300ページ続きます。いっきに読むのはつらい。ひとつひとつの教訓めいたお話は、本来もっと長いのでしょう。要点が記されている本と解釈しました。登場するのは、動物、神さま、人間で、動植物については擬人化されています。オオカミ、キツネ、子ヒツジ、ライオン、犬などがよく出てきます。16ページにある肉棒をくわえた犬が橋の上から川面を見ている光景からは、1Q84村上春樹著を思い浮かべました。水面に映った自分を自分とわからず、あいつがくわえた肉を手に入れようとするのです。斜め横方向から見ると、空間内に肉棒がふたつあるわけで、それは1Q84の空に月がふたつある光景と一致するのです。
イソップという人がひとりで作成したというよりも彼の名を借りて大勢の人たちが長年をかけて合作してきたものという推測をしました。心に響いた小品は、ライオンがネズミに助けられる話、キツネがライオンに慣れる話、アリは昔人間だった話、金のかたまりを盗まれたけちんぼうの話、おなかと足がけんかをする話、人間は正しいことよりも利益を求める生き物という話でした。内容は、悲観的で、性悪説に立っています。悪人の性質は直らないと断定しています。
教訓として読むか、ストーリーを楽しむかに分かれるのですが、わたしは後者にして、各お話しの最後にある2~3行の教訓部分は読みませんでした。
悪は叩く。悪とは、自分の所有するものを奪う者です。紀元前2600年ぐらいに成立した物語群だと思うのですが、何千年が経過しても人間の性質は変わらないのです。作者であるイソップさんが語る人間はそもそも、なんたらかんたらという声が聞こえてきます。生きることのつらさや悲しさを感じる作品群です。そして最後のほうの数編では、華々しい名誉よりも地味な暮らし、自分の家で質素に暮らすという結論に達するのです。


短文の寓話(ぐうわ、たとえ話)が300ページ続きます。いっきに読むのはつらい。ひとつひとつの教訓めいたお話は、本来もっと長いのでしょう。要点が記されている本と解釈しました。登場するのは、動物、神さま、人間で、動植物については擬人化されています。オオカミ、キツネ、子ヒツジ、ライオン、犬などがよく出てきます。16ページにある肉棒をくわえた犬が橋の上から川面を見ている光景からは、1Q84村上春樹著を思い浮かべました。水面に映った自分を自分とわからず、あいつがくわえた肉を手に入れようとするのです。斜め横方向から見ると、空間内に肉棒がふたつあるわけで、それは1Q84の空に月がふたつある光景と一致するのです。
イソップという人がひとりで作成したというよりも彼の名を借りて大勢の人たちが長年をかけて合作してきたものという推測をしました。心に響いた小品は、ライオンがネズミに助けられる話、キツネがライオンに慣れる話、アリは昔人間だった話、金のかたまりを盗まれたけちんぼうの話、おなかと足がけんかをする話、人間は正しいことよりも利益を求める生き物という話でした。内容は、悲観的で、性悪説に立っています。悪人の性質は直らないと断定しています。
教訓として読むか、ストーリーを楽しむかに分かれるのですが、わたしは後者にして、各お話しの最後にある2~3行の教訓部分は読みませんでした。
悪は叩く。悪とは、自分の所有するものを奪う者です。紀元前2600年ぐらいに成立した物語群だと思うのですが、何千年が経過しても人間の性質は変わらないのです。作者であるイソップさんが語る人間はそもそも、なんたらかんたらという声が聞こえてきます。生きることのつらさや悲しさを感じる作品群です。そして最後のほうの数編では、華々しい名誉よりも地味な暮らし、自分の家で質素に暮らすという結論に達するのです。



