2024年07月27日

かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった 絵本

かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む2 怒り・かんしゃく 新井洋行 岡田俊・監修(児童精神科医) パイ インターナショナル

 ふだんはおとなしそうに見えるかいじゅうポポリですが、怒るとびゅーんと狂暴になるようすが、ぶあつい表紙をめくると描いてあります。

 赤い体に、頭の上に白い角(ツノ)を2本付けて、赤鬼みたいなかいじゅうポポリです。
 体はそれほど大きくはありません。幼稚園児のイメージです。

 ポポリのともだちなのか、そうでもなさそうなかいじゅうが、かいじゅう、『ゾムゾーラム』で、大きな体、白い体に水色の、せびれのようなものがついています。

 おこりんぼだと、人が離れていきます。(ポポリはかいじゅうだから、かいじゅうたちが離れていきます)
 おこりんぼは、最後はひとりぼっちになってしまいます。
 人間界にいるクレーマーみたいなものです。(しつこく苦情を言うお客さん。あきらめないことを善(ぜん。いいこと))だと勘違いしている)
 クレーマーは、自分が文句を言っても言い返せない立場の人に文句を言います。ほかに相手をしてくれる人がいないからです。典型的な弱い者いじめです。
 クレーマーは、さびしんぼです。しかたがありません。いつも文句ばかり言っているので、いっしょにいても楽しくないから人が離れていきます。
 さて、かいじゅうポポリは、クレーマーの類(たぐい)でしょうか。

 『ポポリのしっぽって、おもしろいかたちだねえ』、とゾムゾーラムが言っただけで、パポリは真っ赤になって、からだがビッグになって、がおおおおおお!と怒り狂います。(いかりくるいます)
 しっぽのことでばかにされたと思った。誤解です。
 ポポリは頭が悪いのです。考えが不足しているのです。
 さよならポポリです。ゾムゾーラムは、もうポポリには会いたくありません。
 
 公園に、かいじゅうギブラとパーパルとスミスーイがいます。水遊びをしています。
 ちょっと極端な設定で、お話がつくられています。
 通りがかっただけのくせに、自分を仲間はずれにしたなと三人におこるポポリです。
 (話のつくりすぎではなかろうか。おおげさです)
 ポポリと三人のケンカが始まりました。
 ポポリは自分勝手な人間(かいじゅう)なのです。
 ポポリの言葉、『ぼくなんか、いなくなればいいんだ!』は、意味がとおりません。
 (だれもいなくなればいいとは言っていません。迷惑だと言っているのです)
 ポポリは、おなかがすいているから怒る(おこる)んじゃないだろうか。
 おいしいごはんをおなかいっぱい食べればおこらなくなるんじゃないだろうか。
 読み手であるわたしはそう考えました。
 絵本の文字が、絵の役割を果たします。
 文字が大きくなって、絵のようです。文字が、絵にとけこみます。
 太くて大きな文字です。
 
 自分に自信がないから怒る(おこる)ということはあります。自信:自分の価値や能力を信じること。自分は自分だから大丈夫(だいじょうぶ)だと自分を信じる心。
 自信がないと不安になります。不安を吹き飛ばすために人に対して怒ります。(おこります)。力で自分の言うことをきかせようとします。
 
 プアイズ:『いかりのマスターかいじゅう』だそうです。怒り(いかり)をコントロールするということだろうか。頭に白い角(ツノ)が生(は)えているひとつ目の小さなかいじゅうです。
 
 この絵本では、『怒り(いかり)』を赤い色で表現してあります。赤色は怒りの色です。
 
 なぜ怒り(いかり)が生まれるのかを考えます。
 見開き2ページにわたって、とっても細かく、怒りが生まれる理由が絵付きで紹介されています。
 自分に対して被害(不利益)があったときに怒り(いかり)が生まれるようです。
 いろんな絵があって、ポケモンの種類みたいです。
 自分がされてイヤなことは、人に対してやってはいけないとも考えることができます。
 
 対策を考えます。
 すぐにカッとこないで、時間の間(ま)をもちます。
 いつも気持ちを100%に張りつめて(はりつめて)がんばっていると、予想外のことが起きたときに、そのことを受け止める余裕がなくなります。だから、力は常に100%発揮してはいけません。40%から60%ぐらいでいいのです。それで十分です。わたしはそう思います。

 なにがどうなろうと、なんとかなるさと考える。
 物事が行きどまりになることはありません。自分が損をするということはあります。損をしたり得をしたりしながら時は過ぎていきます。それはそうなるものだったと思えばいい。

 世の中では、ネバーギブアップとか言って、あきらめたらいけないみたいな教えとか指導や指示があります。
 あきらめてもいいのです。むしろ、じょうずにあきらめることを覚えたほうがいい。相手にじょうずに負けるのもこの世を生き抜く手段です。
 顔で泣いて、心で笑っていればいいのです。
 そういう人のまわりには人が集まります。孤独ではありません。

 なにがなんでも自分の思いどおりにならないと、カッとなって、大声でどなったり、机をたたいたり、イスをけったりする人がいます。暴力で相手に自分の言うことをきかせようとします。
 自分が悪いくせに、人が悪いと主張します。パワハラです。自分で自分の感情をコントロールできない人です。頭がおかしい。こどもです。案外、組織で有能だという人に多い。わたしは長いこと生きてきて、パワハラをする男の人や女の人を何人も見ました。あまりにもひどかったときに、『どうしてそんなに感情的になって怒鳴り続けるのですか。落ち着いて静かに話してください』と上司に言ったら、絶句されていました。(ぜっく。言葉が詰まって言い返すことができない)。本人の脳みそのなかに、想定していない状況が起きてしまったからなのでしょう。パワハラは心の病気です。薬はありません。本人自身が努力して自分の人格を変えようとしなければ治りません。(なおりません)。

 世の中はなんとでもなるのです。そうなるしかないのです。極端な話、あなたがいなくてもなんとかなる。なんとかなるしかないのです。

 おこりんぼのポポリと、ダーギーと、ペコバラスとが、ボードゲームをしています。
 ルールのことで、ポポリが怒り(おこり)だしそうです。
 なにがなんでも相手にゲームで勝つのではなく、じょうずに負けることも覚えたほうがいい。自分だけの幸せよりも全体の平和のほうが、自分にとっていいこともあります。そして、たかが、ゲームなのです。
 昔、プロ野球で怒ってばかりいる監督(ほしの監督)が言っていました。『気持ちは熱くはなるけれど、最後は、しょせん野球です。たかが野球の話です。(広い世の中にあっては)小さな話です』。ほしの監督は、寛大な人だったのです。

 だいじなことは、自分が勝っていい思いをするということではなく、みんなで楽しく遊べることなのです。あしたもまたいっしょに遊べるということは、気持ちがいいことなのです。

 今度は、ポポリの前に、かいじゅうソーサラスが出てきて、ポポリをからかいはじめました。
 怒り(いかり)をがまんする、がまんしたいポポリです。
 笑いたいときには笑って、泣きたいときには泣いて、だって、人間だから(かいじゅうだけど)。ぼくは、おこりんぼかいじゅうじゃない。そんな気持ちになりました。
 理屈(りくつ)はむずかしいけれど、この絵本をこどもに読んであげれば、こどもの気持ちは落ち着くでしょう。
 
 昔、クレーマーとクレーマーがぶつかったらどうなるのかと思ったことがありました。
 そうしたら、クレーマーとクレーマーがぶつかるシーンを見ました。
 クレーマーにも、強い弱いがあるのだと知りました。強いクレーマーにぶつかると、弱いクレーマーは身を引きます。
 もうひとつは、違うシーンでした。
 クレーマーを見たクレーマーが言いました。『あの人はひどいクレーマーだ』、その人は自分がクレーマーだとは自覚していないのだということがわかりました。
 もうひとつ付け加えると、クレーマーをじょうずに扱えるようになると、お金(お給料)が上がったり昇進(出世)したりすることもあります。そういうことができる人には、いい人が集まってきます。したたかに生きることでうまくいくことがあります。したたか:打たれ強くてしっかりしている。

 なんだか、アンガーマネジメントの研修本を読むようでした。(怒り(いかり)をコントロールする)  

Posted by 熊太郎 at 06:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月26日

かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった 絵本

かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む1 不安・、こわい気持ち 新井洋行 森野百合子・監修(児童精神科医/英国児童・思春期精神科専門医) パイ インターナショナル

 こどもさん向けの絵本です。
 かいじゅうたちは、ロボットに見えます。
 かいじゅうたちは、鳥のようでもあり、小動物のようでもあり、虫のようでもあり、ポケモンたちのようでもあります。
 かいじゅうといえば、ティラノザウルスとか、トリケラトプスとかの恐竜、ゴジラとか、ガメラとか、キングギドラとかの映画の主人公を思い浮かべますが、こちらの絵本の怪獣はロボットのようです。

 かいじゅうたちは、それぞれが、幼稚園生か、小学校低学年のこどもたちに見えます。
 かいじゅうたちは、だいたいが男の子に見えます。

 『かいじゅう その1 モーモクロスのばあい』
 モーモクロスと聞くと、ももいろクローバーZを思い出します。
 モーモーと聞くと、牛の鳴き声を思い出します。
 お話は、高所恐怖症のお話です。
 高いところがにがてなのに、どういうわけか、モーモクロスというかいじゅうが、がけから飛び降りて、バンジージャンプにチャレンジするそうです。(わたしはやりません。100万円もらってもやりません)
 ページをめくりました。
 なんと!
 モーモクロスの背中に、羽がはえました。ナイス!(ステキです)
 自分にとって、いいふう(つごうの良いように)考える。自分の背中に羽が生えるからだいじょうぶ。
 自己暗示ですな。自己催眠でもありますな。
 バンジージャンプの結果は安全だとわかっているから、あとは、度胸だけです。
 モーモクロスは、無事(ぶじ)にジャンプできました。(なるほど)
 
『かいじゅう その2 サスピッチのばあい』
 サスピッチは注射がキライだそうです。(注射が好きだという人をわたしは聞いたことがありません。わたしの場合は持病があって、4週間に1回、血液検査のために採血があります。毎回イヤだな~と思いますが健康管理のためですからしかたがありません。あきらめています)
 注射対策が提示されました。体がカチンコチンになる(固まる)そうです。絵を見て笑えました。
 固くなると注射針を刺(さ)せなくなるのではないか。
 むしろ、とうふや、コンニャクのように柔らかくなったほうがいいのではないか。
 リラックスしたほうが、いいとわたしは思います。

『かいじゅう その3 パルリラのばあい』
 パルリラは、おおぜいの前で発表することがにがてだそうです。緊張するのです。まあ、だれでもそうでしょう。
 ページをめくりました。どうかなあと思う対策です。
 大きな息を吐いたら、お客さんが全員どこかへふっとんでいきました。
 対策は、演じる技術を身につけるということです。演劇でなくても、ふつうの人でも自分ではない自分のようなものを演じながら仕事をしています。人間はみんな役者なのです。悪いことではありません。

『かいじゅう その4 ガラーブのばあい』
 ガラーブは、暗いところがこわいそうです。
 夜中はこわくてトイレに行けません。
 ついに行けませんでした。(照明で明るくすればいいのに)
 ガラーブは、おしっこがとまったと言いましたが、おねしょをしたかもしれません。
 行かねばならないときは、行かねばなりません。やらねばならないことは、歯をくいしばってやらねばなりません。
 最初は、ゆっくり、少しずつでやっていけば、だんだん慣れていきます。なにごとも、そのようにやれば、たいていは、うまくいきます。

 全体のまとめに入りました。
 パルリラが、自分たちは、逃げただけじゃないかとみんなに問題提起します。
 こわいものから逃げたくない。(逃げてもいい時はあります)
 『こわい』の原因は、『ゾワゾワ』だそうです。
 そうしたら、ゾワゾワが4つ出てきました。黄色で、星みたいな形をしています。大きくはありません。
 次に、ゾワゾワの親分のような、黄色いウニみたいなかいじゅうが出てきました。『ゾワゾワキング』だそうです。
 うまくやるコツは、ゾワゾワをつぶすのではなくて、ゾワゾワと仲良しになることだそうです。
 う~む。できることはできるし、できないことはできない。それでいいし、それだけのことだと、わたしは思います。
 説明が抽象的で、こどもさんにはわかりにくい。
 
 こどものころにはわからないことがあります。
 人は、お金を手に入れて生活していくということです。
 食べていくためにはお金がいるのです。
 勉強だけをしていてもお金は懐に(ふところに)入ってきません。
 おとなになるとわかります。
 だから、つらいことがあっても、お金を手に入れるために、がんばったり、いやなことでもやったりできるのです。
 お金をもらうとうれしくなるのです。

 先日読んだ文章でなるほどと思うものがありました。
 日本人は、宝くじで高額賞金が当たると、仕事を辞める(やめる)ことを考える。
 外国人は、宝くじで当たったお金を資金にして、事業を始めて、さらにもうけることを考える。
 日本人の気質をじょうずに言い当てていると感心しました。日本人は、ネガティブ(うしろ向き)なのです。

 困ったことがあったときに励ましたり、なぐさめたりしてくれる仲間がいると心にいいということはあります。
 ただ、人間的に同じようなタイプで、お互いの傷をなめ合う関係だと、愚痴をこぼしあうだけで、状況は好転せず、現状維持か、堕ちていく(おちていく)ことになります。
 なかなかむずかしい。  

Posted by 熊太郎 at 07:41Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月25日

隣人X 邦画 2023年

隣人X 邦画 2023年(令和5年) 2時間 動画配信サービス

 観始めからしばらくは、なんだこの映画は? という感じでしたが、終わってみればいい映画でした。さわやかな気持ちが最後に胸に残ります。
 以下鑑賞しながらの感想の経過です。
 
 宇宙人が、人間になりかわっているという無茶で無理な設定です。
 SF映画の未来感覚はなく、週刊誌編集部記者たちの現実的な映像が続きます。
 サイエンスフィクションだけど、うそくさい。

 冒頭しばらくして、観ている自分は、主人公である林遣都さんが、宇宙人Xなんじゃなかろうかと思ってしまう。

 人間が、宇宙人にスキャンされて、トレースされる。スキャンはわかりますが、トレースがわかりませんでした。
 トレース:なぞるようにして、人間に姿を変えるということか。

 ふたつの恋愛話が同時進行で流れていくストーリーでした。

 途中、ありえないような状況設定なので、なんだかばかばかしくなって、どう楽しめばいい映画なのか困惑しました。

 いえることは、週刊誌のネタにしてお金をもうけるために、ひとりの女性をだまして犠牲者にするという動機は不純です。つまらない。

 雨の匂いが好き:変な表現だと思いました。

 本がちらちらと出てくるのです。自分が読んだ本もあります。
 『あひる 今村夏子 書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)』、『博士の愛した数式 小川洋子 小学館』、青山美智子作品として、『赤と青とエスキース 青山美智子 PHP(かなりいい作品です)』、『お探し物は図書室まで 青山美智子 ポプラ社(読みました。なかなかおもしろい、いい本です。)』、『猫のお告げは樹の下で 青山美智子 宝島社文庫(読んだことがありません。そのうち読んでみます)』、『星の王子さま サン・テグジュペリ 新潮文庫(読んだことはありますが、良さがピンときませんでした)』

 なんだか、盛り上がらない内容です。
 宇宙人の何が恐怖なの?
 宇宙人は、侵略者なの? そうではないような雰囲気です。

 強調されることは、『相手を色眼鏡で観ない(先入観をもたない。とくに悪い方向で先入観をもたない』、『相手を外見で見るのではなく、自分の心で、相手の心を観る』、『かんじんなことは、目には見えないんだよ』

 おとなが、ごっこ遊びをしているような映像に見えます。

 施設に入所している認知症のおばあちゃんが、自分の指輪を息子の恋人である女性に渡しました。でも、息子は、週刊誌のトクダネ記事を書くために女性をだましているのです。とんでもない男です。

 宇宙人の髪の毛のDNA鑑定はどうなっているのか。
 握手をしたときに、電気が走ったのはどういう現象なのか。
 いろいろあいまいです。

 ロケ地は北海道の湖のほとりかと思っていたら琵琶湖周辺でした。彦根とか長浜はよく訪れたのですが、映像を観ても気づけませんでした。

 伏線があります。
 こどものころにすごした木造の古い家屋、宝くじ(スクラッチで、9マスのうちタテヨコナナメのいずれかで、同じマークが並べば当たりです)、おばあさんの大きな石がついた指輪(願いとか祈りがこめられています)。

 マスコミの人間の傍若無人さがあります。ぼうじゃくぶじん:まわりに人がいても、勝手に押しかけてひどい行為を平然とする。かれらは、正義の味方ではありません。

 トカゲのしっぽ切り、担当者のせいにして、担当者に責任をとってもらう。(手切れ金は渡す)

 恋愛は、破談の方向へとものすごいスピードで進んでいきます。二組ともです。カップルは破たんします。ただ、映画ですから、ただそれだけでは終われません。現実では、お別れでしょう。とくに主人公は、あまりにもひどいことをしでかしました。

 う~む。認知症入所施設の利用料が払えない理由がわかりませんでした。
 年金に応じて払っているだろうし、払える人が入所できているはずです。利用料をとりはぐれたら施設は経営がたちいかなくなってしまいます。
 
 よかれと思ってやっていても、相手に迷惑をかけていたということは、よくあることです。
 人間の生活は、そんなものなのです。
 時間が過ぎてから、あれはあれで良かったと思うしかないのです。
 
 差別や偏見をのりこえて、共存しましょうというメッセージです。

 いい映画でした。

(疑問)
 途中、同じ人間が、いっぽうは逮捕されて、もういっぽうはふつうに生活しています。
 意味を理解できませんでした。
 もともと人間だった人物がいて、その人物をコピーした宇宙人がいるというように想像しました。
 それぞれの存在の理屈はわかりません。同一人物の犯罪と逮捕というシーンはないほうが、話がすっきりします。  

2024年07月24日

希望のひとしずく キース・カラブレーゼ

希望のひとしずく キース・カラブレーゼ 代田亜香子(だいた・あかこ)訳 理論社

(1回目の本読み)
 最後までページをゆっくりめくります。
 『主な登場人物』に、31人も書いてあります。『主な(おもな)』だから、ふつう数人ではなかろうか。ちょっと読むのがたいへんそう。だいじょうぶかなあ。
 中学生たちの物語で児童文学です。
 
アーネスト・ウィルメット:1945年にできた大工場ウィルメット工業製作所の経営者のひとり息子で、大金持ちの家のこどもだそうです。アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんが創業した。アーネスト・ウィルメットは跡継ぎの立場にあります。
 アメリカ合衆国中西部にあるオハイオ州の高級住宅地に住んでいる。中学一年生になったばかりの12歳の彼は、『奇跡を信じている』そうです。
 亡くなったおじいちゃんの名前が、エディ・ウィルメット。死ぬ8週間前に、屋根裏部屋の整理をアーネストに頼んで約束した。おじいちゃんは、アーネスト・ウィルメットが住む家とは別の家に住んでいた。アーネスト・ウィルメットは、屋根裏部屋でりっぱな『お絵かきセット』を見つけました。(このお絵かきセットが伏線になって、話をいい方向へと導いてくれます)
 エディ・ウィルメットの弟がロバート(ロロ)で、心肥大(しんひだい。心臓の筋肉が厚くなり、心臓の機能が低下する)という病気で9歳のときに亡くなっています。ロロの親友が、ジャック・ホー。ジャック・ホーの家族を長年支えてきたのが、今は介護施設に入っている元刑事で、スタンリー・ドナン。アーネスト・ウィルメットは、自分の体が小柄であることを気にしているようすです。
 最近両親のようすがおかしい。なにかを隠している。こどもの前では深刻な話をしない両親に対して、アーネスト・ウィルメットは不信感をもっています。
 大家族がいいとして、両親は大きな家を建てたけれど、こどもは、アーネスト・ウィルメットひとりしか生まれなかった。
 親の工場は経営が傾いているらしい。
 アーネスト・ウィルメットは、忘れん坊のようです。ときどき、物を置き忘れます。

ライアン・ハーディ:父親が、アーネスト・ウィルメットの工場の従業員で現場監督をしている。人は人、自分は自分という考え方をする少年だそうです。
 ライアン・ハーディは、お金持ちのアーネスト・ウィルメットをよくは思っていない。父親が従業員の立場なので、アーネスト・ウィルメットとはあまり関係をもちたくない。
 アーネスト・ウィルメットは、エラそうにしていない。いつもニコニコしている。人なつっこくて、いつもゴキゲン。物事を明るく考える人間。そういうところが、ライアン・ハーディはキライだそうです。
 ライアン・ハーディの向かいの家に住んでいるのが、アニー・ヘメルレ(体重が40キロくらいしかないおばあちゃん。少しぼけが始まっているようです)さん。
 ヘメルレの孫娘が、テス。冒頭付近では、ヘメルレ宅の芝刈りをアルバイトとしてやっている。ヘメルレ家のおじいちゃんは二年前に亡くなった。ご夫人は、『(蓄えを。たくわえを)切り崩して生活』している。
 ライアン・ハーディは、アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメット宅の芝刈りもしていた。エディは、お金持ちなのに、『サウス』に住んでいたとあります。きっと、『サウス』は、お金持ちが住むようなところではないのでしょう。一般人が住むところなのでしょう。
 ライアン・ハーディの母親の名前は、カレン・ハーディ。父親の名前は、ダグ・ハーディ。ライアン・ハーディには、あかちゃんのデクランという弟がいる。ライアン・ハーディの母親であるカレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。

リジー・マコーマー:ライアン・ハーディと幼なじみの女子中学生でライアンに気があるみたいです。ママは看護師長をしている。ママの名前は、ジュリア・マコーマー。リジー・マコーマーのおばさんがパティ。パティの娘がチェルシーで、リジーからみていとこです。
 チェルシーは、派手好きで、チェルシーは、リジー・マコーマーの改造計画を始める。同じくパティの娘が、アンバーで、姉チェルシーとは性格が正反対。おとなしい。
 リジー・マコーマー本人は成績優秀、読書大好き。でも、おとぎ話はキライだそうです。母ジュリア・マコーマーと同じ病院で働いているドクターが、トム・シェイ。同じく看護師が、ジーン。ジーンのカレシが、エアライン(航空会社)の係員で、ドリュー。
 ママは離婚している。今のママにはどうもカレシがいる。リジー・マコーマーは、実父のパパに会いたい。
 リジー・マコーマーは、お化粧などをして、きれいになりたい。

ウィンストン・パティル:転校生で引っ越してきたばかり。まだ友だちがいない。いつも絵を描いている。パパはドクターで、評判のいい外科医。世界をまたにかけている。(回っている)。
 シカゴからオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。違和感が大きい。
 ウィンストン・パティルは、インド系のファミリーの一員。人種が多いシカゴでは溶け込めたが、いなかであるクリフ・ドネリーでは、アウェイ感満載(まんさい。浮いている。敵地。歓迎されていない。避けられている)

トミー・ブリックス:いじめっこ。三人兄弟の末っ子。兄ふたりは問題児。長男ウェイドは傷害罪で刑務所にいる。次男サムは海兵隊にいるが、刑務所と海兵隊とどちらかを選べと裁判で言われて海兵隊を選んだ。
 トミー・ブリックスは、実は乱暴者ではない。父親のハーラン・ブリックスが酒飲み、ふたりの兄が乱暴者であることから近所の人たちにトミー・ブリックスもおかしいと思われている。トミー・ブリックスは、そのことで気持ちに迷いがある。
 海兵隊に入った次兄サムの工具:兄がトミー・ブリックスに預けた。酒飲みのオヤジに見つかるとオヤジは工具を売却して酒を買ってしまう。トミー・ブリックスは、工具を学校のロッカーの壁の奥に隠したい。

アーロン・ロビネット:ビッグフットがいると信じている。(ビッグフット:足が大きい? アメリカ合衆国の話。大きな猿人(えんじん)に見えます)。サスクワッチ:未確認動物。大きな足跡、毛むくじゃらの体。

ジェイミー・ダール:アーロン・ロビネットの親友。ビッグフットの存在は信じていない。父親は刑事で、名前は、アート・ダール。アート・ダールの甥っ子が、バディで、森でタバコを吸っている。

ジェシュ・レディガー:海兵隊員の兄マット・レディが-が、アフガニスタンで亡くなった。マット・レディガ-の親友が、アフガニスタンから帰国した元海兵隊員のチャド・フィネガン。

ペイジ・バーネット:美人の人気者。弟のセス(小学一年生)が字を読めないことを心配している。(識字障害だろうか。伊予原新作品(いよはら・しん作品)、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 文藝春秋』に書いてありました。文字のフォント(デザイン)で、ディスレクシアの人でも文字や文章を読めることがある。

マーカス・アール:担任の先生。男性。想像力が豊かで話がじょうず。マーカル・アールの大学の同級生で、元カノで(カノジョ)、テレビの放送記者が、アンドレア・チェイス。
 アンドレア・チェイスはいい人ではありません。地域のゴシップ(うわさ話)をネタにして、お金もうけになる記事を書く人です。後半で、トラブルの原因になります。見た目は美しく賢く仕事で成功しているそうです。強くて自身に満ちあふれているそうです。
 マーカス・アールの昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書いている。アール先生は、ライアン・ハーディのお気に入りの先生。生徒に人気がある。服装はセンスがなくダサイ。背が高い。両親の人種が異なっているのでハーフだが、両親の民族が不明。ライアン・ハーディのクラスで、英語とホームルームを担当している。

トルーマン:中学校の用務員。何十年も働いている。

ネイト・コリンズ:消防署長で、元海兵隊員

アート・ダール:ジェイミー・ダールの父親。刑事をしている。甥っ子が(おいっこ)、バディ。

ジェイニー・ダベンポート:高校二年生。図書館でボランティアをしている。

コンウェー:ジェイニー・ダベンポートがボランティアをしている図書館の司書。5歳の息子ジェイソンがいる。

ブロディリック先生:ジェイニー・ダベンポートの通う高校の生物の先生。

ビルクス:アーネスト・ウィルメットの父親の会社経営資金に関する相談相手。

ハックウェル:理科の先生。

 うしろのほうにある訳者あとがきを読みました。
 主人公は、三人の中学生だそうです。
 その三人が、通称、『残念な町』で、奇跡を起こすそうです。
 ジグソーパズルの小さなピースが集まって、やがて美しい絵ができあがるような感覚だそうです。
 人の思いやりとか想像力で、奇跡を起こすというメッセージがあるそうです。

(2回目の本読み)
 ちいさな文章の固まりが順番に出てきます。
 それぞれ語る人が異なります。
 語る人を変えていく記述手法がとられています。
 アーネスト・ウィルメットもライアン・ハーディも、きちんと話をしたことがないから、お互いを誤解しています。それぞれが思いこんでいるような相手の人格ではなさそうです。『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』。以前、なにかの本でその言葉を読んだことがあります。真実でしょう。

 ディする:相手を批判する。けなす。
 おとこ運:めぐりあわせの良し悪し(あし)

 クリフ・ドネリー:登場人物たちが住んでいる町の名称。人口22,177人。1835年にできた。(日本では1853年がペリーの黒船来航)
 
 作者が、それぞれの人物になりきって、ひとり語りが続きます。心地よい。

ロッド・サーリング中学校:1930年代創立(日本だと昭和5年代)。校舎は3階建てで、広い中庭がある。

スケープ・ゴート:生贄(いけにえ)、犠牲。身代わり。
トンプキンス井戸:ノースサイド公園にある井戸。コインを投げて、願い事をする。言い伝えとして、孫の命を救うために身代わりになったのが、エゼキエル・トンプキンスという人物。この井戸が、あとあと物語の伏線になっていきます。
 井戸の下につながる洞穴(ほらあな)があって、井戸の真下である洞穴の中にいると、願い事をしに来た井戸の上にいる人の願い事を願う声が聞こえるのです。おもしろいなあ。

ノースとサウス:読んでいるとどうも、ノースは、資本家(経営者。お金持ち)が住む地域で、サウスが、労働者が住む地域のようです。労働者は、お金持ちではないという比較があります。
 サウスの人間は、おとなに告げ口はしないそうです。こどもの世界でトラブルがあったときは、おとなには話をせずに、こどもの世界で解決するそうです。

 自然保護区があるそうです。ノースサイド公園に出口がある。
 ノースサイド公園で、悪魔崇拝の儀式をやっているという噂がある。

(つづく)

 ウィンストン・パティルがきっかけで、アーネスト・ウィルメットがからみ、ライアン・ハーディとトミー・ブリックスがケンカになりそうです。
 トミー・ブリックスが、ウィンストン・パティルの絵をばかにした。それを見たアーネスト・ウィルメットがトミー・ブリックスを注意した。
 アーネスト・ウィルメットは、父親が働く会社の経営者なので、ライアン・ハーディが仲介に入ったという流れです。トミー・ブリックスは、止めに入ったライアン・ハーディを不愉快に思ってケンカするぞ!になるのですが、トミー・ブリックスは、世間の評判と違って、頭の中身は暴力的ではないのです。彼の父親と兄ふたりが暴力的なのです。
 トミー・ブリックスは、彼なりに迷い困っているのです。ライアン・ハーディと殴り合いのケンカはしたくないけれど、自分の威厳は保ちたい。いえるのは、トミー・ブリックスは、根っからのいじめっこじゃない。

 いい話が続きます。
 みんな、それぞれ、悩みをかかえています。
 表面上見える人柄と本当の人格は異なっています。

 69ページでちょっとびっくりしました。
 『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパという文章が出てきました。
 わたしは、去年の秋に、東京帝国劇場で、ミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を観劇しました。にぎやかでいい雰囲気でした。ウンパルンパ役の人たちもがんばっておられました。
 色彩とか映像・音楽がきれいな舞台でした。
 
 オッカムのカミソリ理論:ものごとを説明するときに必要以上に多くを仮定してはならない。
 
 ティリー:アーネスト・ウィルメットがつくった架空のおばさん。今年の1月で87歳になる。
 ダドリー:アーネスト・ウィルメットのいとこ。
 デビッド・オルティーズ:米国プロ野球選手。

 本のタイトル、『希望のひとしずく』の、ひとしずくは、コインのことをさすのだろうか。古井戸に願い事をしながら投げ込むコインのことです。古井戸の下にいる少年二人に願いが伝わって、少年たちが願いごとをかなえるように努力するという全体像でいいのだろうか。読み進めてみます。

 アーネスト・ウィルメットのおじいちゃんの家の屋根裏にあるもの。
 ボードゲーム(カラーフォーム。くっつけたりはがしたりできる)、靴下でつくったサルの人形、おもちゃのピストル、手づくりのキルト、古い消火器。

 ヘメルレおばあちゃんが、大昔の写真を出してきます。白黒写真にこどもが3人写っています。14歳くらいの男の子(エディ・ウィルメット。アーネスト・ウィルメットの祖父)、9歳ぐらいの女の子(ヘメルレさん)、もうひとりの9歳ぐらいの男の子(エディ・ウィルメットの弟。ロバート。愛称がロロ。顔がアーネスト・ウィルメットにそっくり)。

リジー・マコーマーに、ライアン・ハーディがトンプキンス井戸の下にいたことがばれました。こんどは、ライアン・ハーディが、リジー・マコーマーをトンプキンス井戸の下に連れて行くことになりました。

ドリトスくさい:お菓子のドリトス(スナック菓子)のにおい。
輻輳不全(ふくそうふぜん):近くの文字を読もうとするときに、寄り目がうまくできない症状。医療系の話。ペイジ・バーネットの小学一年生の弟セスの症状。

カレン:ペイジ・バーネットの弟小学一年生セスの担任教師。

 アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父が屋根裏部屋に遺してくれた(のこしてくれた)品物が、幸せの町の人たちの幸せにつながっていくというお話の流れです。
 今度は消火器です。長さ1m近く。直径15センチ以上あります。古い消火器です。(その後、使うことになります)。エルクハート社製のヴィンテージ真鍮(しんちゅう)消火器。ヴィンテージ:古い。

4人組の高校生:男ふたり(バディ:好きなものは、タバコ、破壊すること、汚い茶色のコートを着ること(タバコが火災の原因になります)。
 バディは、図書館でボランティアをしているジェニー・ダベンボートの父親で刑事のアート・ダールの甥(おい。兄弟姉妹のこども)。もうひとりの男子が、ドレイク)。女ふたり(ヘザーとマーゴ)。ドレイクとマーゴがカップル。

ジャック・ホー:9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友。ロロが亡くなった日は、ロロの誕生日だった。その日に、ジャック・ホーの父親が家を出て行った。ジャック・ホーと母親が家に残された。
 ジャック・ホーは、ロロへの誕生日プレゼントに、サルのぬいぐるみを贈ることにした。靴下でつくったサルの人形だった。(人形の中に秘密があります。『ホルヨークの赤いダイヤモンド』が人形に隠されていました。1952年(日本だと昭和27年)シカゴの豪商ユースタス・ホルヨークの地下室から盗まれたダイヤモンドです。ジャック・ホーの父親は盗みをする人でした)
 
チャド・フィネガン:海兵隊でアフガニスタンの戦争に行っていた。親友が、マット・レディガ-だったが、マットは地雷を踏んで亡くなった。

サスクワッチ:ビッグフット。体の大きな猿人のような生き物。足が大きい。

 アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットが屋根裏に遺した品物は、彼の9歳で病死した弟ロロへのプレゼントだった。

ネイト・コリンズ:消防署長

シェイディ・レーンズ(介護施設の名称):金曜日にジャック・ホー(9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友)が入所者スタンリー・ドナン(元刑事)に会いに行く。スタンリー・ドナンは、ジャック・ホーの父親が家を出たあと、ジャック・ホーと彼の母親の面倒を見た。ジャック・ホーの父親ベン・マッティングリーは空き巣狙いの犯罪者だった。拠点はイリノイ州シカゴ、インディアナ州のインディアナポリスで空き巣をしていた。

 なかなかややこしい話です。日本人中学生が読むのにはむずかしい本です。

オルスン・マルドゥーン:盗品(宝石とか)の仲介屋。故買(こばい)

 182ページで、ライアンとアーネストとリジーは、もうトンプキンス井戸の下には行かないことにしました。

(つづく)

 アーネスト・ウィルメットの祖父宅の屋根裏にあったものから、『キルト(緑と青の柄のパッチワーク布)』と『古いおもちゃのピストル』をアーネスト・ウィルメットが持ち出して、ライアン・ハーディに預けました。
 
 ヘメルレおばあさんが亡くなりました。
 自宅の椅子に座ったまま、眠るように亡くなっていました。
 911番:日本でいうところの119番と110番。救急、消防、警察に連絡する緊急用の電話番号。
 ライアン・ハーディは、亡くなっているヘメルレさんにキルトをそーっとかけました。
 ライアン・ハーディは泣きますが、眠るように死ねたら大往生(だいおうじょう。安らかに死ぬ)です。泣くことはありません。長寿を全うしたのです。まっとう:自分の役割を完全に果たした。
 
 超悪趣味な茶色のコートを着た人物:喫煙男子高校生のバディのことです。タバコが火災の原因になりました。バディは、刑事アート・ダールの甥っ子です。おいっこ:兄弟姉妹のこども。叔父・甥の関係。ビッグフットの存在を信じているアーロン・ロビネットの親友ジェイミー・ダールの父親。

ハーラン・ブリックス:トミー・ブリックスの父親。

スラッピー・ジョー:サンドイッチの種類のひとつ。

イエロージャーナリズム:新聞の発行部数を伸ばすために、おおげさで感情的な報道をすること。

ジュリア・マコーマー:リジー・マコーマーの母親で看護師長。ER担当。ER:救急室、救急外来。

チャック:カメラマン。アンドレア・チェイスと行動を共にしている。

スキャンダル:不祥事、不正。

 よくわからないのですが、トンプキンス井戸の下でこどもたちが、願いを聞いて、願いがかなうように行動したことが、テレビ記者に問題視されるのです。美談に裏事情ありです。そんなに、問題視することだろうか。

 If only:「たられば」。仮定の話。もし~なら。

ジョシュ・レディガー:トンプキンス井戸で、お願いをした。アフガニスタンで戦死した兄のために家庭が壊れた。家族を元通りにしたい。

ウィンストン・パティルのおばあちゃん。インド人。

 最後の一品(ひとしな)である、『おもちゃのピストル』はどうなるのだろう。

ワダ・パーヴ:インドのハンバーガー。

 241ページにある、『ジニー』は、『ジーン』の間違いではなかろうか。ジーン:看護師。

 243ページの歌の歌詞を見て、洋画『ペーパームーン』を思い出しました。

テス:ヘメルレおばあちゃんの孫娘。

 246ページまで読みました。あと少しです。あと61ページぐらい。なかなかややこしい。

(つづく)

 なかなかややこしい。
 ミステリー(推理小説)のような展開になってきました。
 亡くなったヘメルレおばあさんの孫娘であるテスがいます。
 こどもたちの担任男性教師のマーカス・アールがいます。
 父がアーネスト・ウィルメットの父親の従業員であるライアン・ハーディがいます。
 警官が、アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父のエディ・ウィルメットの家から出てきます。
 テレビの放送女性記者であるアンドレア・チェイスが手錠を付けられた状態で玄関から出てきます。
 
 担任男性教師マーカス・アールが話をでっちあげた。(つくり話を成立させた)
 
 9歳で亡くなったロロの親友のジャック・ホーの父親であるベン・マッティングリーは、ホルヨークの赤いダイヤを盗んだが単独犯ではない。
 宝石の売買に関与したのは、マルドゥーンではない。
 エドガー・ウィルメットが売買に関与した。エドガー・ウィルメットは、ウィルメット工業製作所の創設者である。
 ここからがわからないことです。
 リジー・マコーマーは、男の子ふたりと施設にいたと書いてありますが、施設とは、『トンプキンス井戸』のことを指すのだろうか。
 男の子ふたりで、そのうちのひとりが、アーネスト・ウィルメットである。エドガー・ウィルメットのひ孫である。
 エドガー・ウィルメットとベン・マッティングリーは共犯者である。
 エドガー・ウィルメットは、自分の工場を利用して、ベン・マッティングリーが盗んで得たお金をロンダリングしていた。ロンダリング:資金洗浄。不正なお金を正当なお金にみせかける。
 
 エドガー・ウィルメットが、盗品を自宅に隠していた。そして、その家を息子のエディ・ウィルメットが引き継いで死ぬまで住んだ。
 地下室の壁が二重構造になっていて、いまでも、その中に、ベン・マッティングリーが盗んだ宝石やお金がいっぱい入っている。

 3人目の協力者が、介護施設に入っている元刑事のスタンリー・ドナンである。

 オーソン・マルドゥーンは、ベン・マッティングリーを殺していない。
 スタンリー・ドナンが、ベン・マッティングリーを殺した。

 なんだか、わかったような、わからないような筋書きです。
 すべてが事実とも思えない。さらに、どんでん返しがあるかもしれません。
 読み続けます。

(その後)

 読み終えました。
 長かった。
 この物語の内容を中学生がすんなり理解できるとは思いにくい。読書感想文の課題図書として適しているとは思えませんでした。

 では、継ぎ足しの感想メモです。

ドクター・トム・シェイ:スーツを着た背の高いイケメンのおじさん。リジー・マコーマーの看護師長である母親のジュリア・マコーマーの仕事仲間。心臓外科医。そして、ジュリア・マコーマーのカレシ。ただし、ジュリア・マコーマーには、家を出て行った夫がいます。その後、ジュリア・マコーマーとドクター・トムは結婚していますが、離婚が成立していたのか、婚姻中でも式だけでも挙げたのか(あげたのか)わからなかったのですが、おそらくきちんと離婚していて、結婚ができたのでしょう。

 ヘメルレおばあさんが、ライアン・ハーディに、家の清掃等をしてくれた報酬を支払っていない話が出ます。払おうとしても、ライアン・ハーディが、もうもらってあるとウソを言い続けたのです。そのあたりの趣旨がどういう意味なのかわかりません。作者は読者に何を言いたいのだろう。日本人と外国人の感覚の違いがあるのかもしれません。

アドレナリン:ストレスに対抗するホルモン。

 後半になるにしたがって、おとなの事情の話が入りこんできます。こども世界だけのきれいな話ではありません。
 会社がつぶれるとか、お金のやりくりの話です。
 危機をくぐりぬけるために芝居を打つ。(ウソでのりきる)
 
チャド・フィネガン:消防署の職員。
コリンズ署長:消防署長。

 SF映画、『フラッシュゴードン』の写真が付いている箱に、古い光線銃のおもちゃが入っている。

ドリュー:看護師ジーンのカレシ。飛行場で登場受付の仕事をしている。

ミズ・チェイス:飛行場の受け付けで、ファーストクラスへのアップグレードをドリューに断られた美人の乗客。

エヴリン・リーヴス:マーカス・アール先生の昔の日曜学校の先生。本を書いている。

アンバー:リジー・マコーマーのいとこ。パティの妹。

 民話とか、伝説とか、物語が必要な話が書いてあります。
 子どもにおとなの言うことを聞かせるために物語が必要だという考えが示されます。
 物語は人間を結びつける。人と人とのつながりをつくってくれる。

 ラストで、文章を読んでいると、作者の気持ちは高揚しています。こうよう:精神や気分が高まっている。

 複雑で長いお話でした。
 人と人との出会いで、幸せが生まれる。
 そんなことが書いてあったお話でした。

 250ページの最初の数行の意味をとれませんでした。
 <リジーが男の子ふたりと施設にいたっていってただろ?>
 さきほども書きましたが、『施設』というのは、トンプキンス井戸のことだろうか? わたしにとっては謎です。
 そこにいた3人の少年少女のことが、どうして、アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんエドガー・ウィルメットの犯罪共犯者の話の証拠になるのだろうか。不可解でした。

 すいぶん長い文章になってしまいましたが、最後に、主な人物一覧を並べておきます。
 かなりややこしい。

アーネスト・ウィルメット:12歳、中学一年生、お金持ち工場経営者のひとり息子。
 両親がいる。祖父が、エディ・ウィルメット。祖父の弟が、ロバート・ウィルメット(愛称がロロ)で、9歳の時に心肥大で亡くなった。ロバートウィルメット(ロロ)の親友がジャック・ホーで、ジャック・ホーの母子家庭の生活を支えていたのが、元刑事で、今は介護施設に入所しているスタンリー・ドナン。

ライアン・ハーディ:アーネスト・ウィルメットのクラスメート。
 アーネスト・ウィルメットの父親が経営する会社で、ライアン・ハーディの父親が働いている。彼の父親は工場で現場監督をしている。
 自宅の向かいにひとりぐらい高齢者のアニー・ヘメルレおばあちゃんが暮らしていて、ライアン・ハーディが、お宅の芝刈りのアルバイトをしている。
 ライアン・ハーディの母親カレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。
 父親の名前は、ダグ・ハーディで、弟の名前はデグラン(まだあかちゃん)。

リジー・マコーマー:前記ふたりの生徒のクラスメート。
 ライアン・ハーディに気があるみたい。(恋)
 母親は、ジュリア・マコーマーで病院の看護師長をしている。夫とは離婚している。今は、カレシがいて、最後はそのカレシと結婚する。
 母親姉妹であるパティがおばにあたる。
 おばのパティの長女が、チェルシー(にぎやか)、次女が、アンバー(おとなしい)
 
ウィン・パテル:クラスメート。インド人男子。転校してきた。
 いつも絵を描いている。
 大都市シカゴから、田舎町のオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。
 父親は、外科医。

トミー・ブリックス:クラスメート。
 周囲からいじめっ子と言われているが、本当はそうではない。いい奴(やつ)
 父と兄ふたりに恵まれていない。
 酒乱の父、乱暴者の兄ふたり。長兄は刑務所に入っている。次兄は海兵隊にいる。

アーロン・ロビネット:クラスメート。
 ビッグ・フット(野猿、巨人)がいると信じている。

ジェイミー・ダール:クラスメート。
 アーロン・ロビネットの親友。父親が、刑事のアート・ダール。アート・ダールの甥っ子(おいっこ)がバディ。バディは不良の高校生男子。
 
ペイジ・バーネット:クラスメート。女生徒。
 弟セス(小学一年生)が、字を読めない。

マーカス・アール:担任の男先生。ハーフ。
 大学の同級生で元カノが、テレビ放送記者のアンドレア・チェイス。
 マーカス・アールが関係する昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書く人。  

Posted by 熊太郎 at 06:52Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月23日

ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 伊良湖岬~善光寺

ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 愛知県伊良湖岬(いらごみさき)~長野県善光寺 ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)

 前回の第2弾がひどかったので、もう観るのははやめようかと思っていたのですが(前回は、宿泊場所が見つからなくて、ラブホテル、それから、居酒屋の座敷にふとんを敷いてもらって泊まりました。加えて、バスに乗らずに歩いてばかりでした)、出発地の伊良湖岬もゴールの善光寺もわたしは行ったことがあるので、場所や地域に興味が湧いて観てみました。今回観て、なかなか良かった。途中のルートで、わたしが訪れたことがある場所がけっこうな数、観ることができました。そして、三人さんのチャレンジ精神が良かった。元気です。若いです。善光寺の手前で、乗れるバスがなくなって、ゴールはかないませんでしたが、なかなか良かった。拍手です。

 三船美佳さん、たけうちほのかさん、髙木菜那さん(髙木さんは、太川陽介さんのほうのバス対決番組で拝見したことがあります。『ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in岩手盛岡駅~青森八戸櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)。朝ドラ女優VS金メダリストの頂上対決 陣取り合戦』
太川陽介チーム:紺野まひる(元宝塚歌劇団所属。NHK朝ドラ『てるてる家族』に出演) (Wエンジン)チャンカワイ
河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙木菜那(平昌ピョンチャンオリンピックスピードスケートの金メダリスト) 宮本和知(元プロ野球選手。みやもとかずともさん。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。そのときは、髙木菜那さんが属していた河合郁人チームの勝利でした。

 伊良湖岬からだと、名古屋方面から木曽路(中山道なかせんどう)を使って、北上するといいのではないかと自分は考えました。
 えびすさんと太川さんの時に、三重県松坂駅から長野県松本城をめざしたことがある記憶です。成功しています。
 今回の三人さんは、愛知県岡崎市あたりから北上されました。
 答え合わせのタビリスさんというキャラクターが出てくる番組も観ましたが、なかなか渥美半島の付け根あたりから北上するのは勇気がいります。(長距離の徒歩が含まれますが、そのルートのほうが良かったそうです)
 
 『本宿(もとじゅく)』という地名が出たのですが、二十代のころにグループで、炭火焼バーベキューを食べに行きました。そのときのメンバーの何人かはもう亡くなりました。見ていてなんか、しみじみしました。人生は思い出づくりです。たくさん思い出をつくった人が人生において心残りが少ないのです。歳をとってくると、あの時、ああすればよかった。こうすればよかったと後悔しても、やれたはずのことはもうやれなくなっていくのです。

 途中あれ?と思ったのは、三人さんが、足助(あすけ)には、泊るところがないかもしれないと迷ったことです。
 旧足助町は、香嵐渓(こうらんけい)という紅葉がきれいな低い山がある観光地です。夏の今だと、川がきれいです。アユ料理も出ます。何度か行ったことがあります。地元では有名な観光地であり、泊るところもあるわけで、タレントさんも含めて足助町(あすけちょう)が一般的にあまり知られていないことが番組を見ていて不思議でした。今は豊田市と合併しましたが、豊田市さんは、もっとPRして、足助(あすけ)という観光地を全国に周知したほうがいいですよ。
 足助で泊まるなり、タビリスさんのいうとおり、その先の、『どんぐりの湯(わたしは何度か訪れたことがあります)』まで行って、どんぐりの湯に泊まっていれば、その後のルートづくりでいい方向で動けました。善光寺まで、ゴールできていました。

 『月瀬の大杉(つきせのおおすぎ)』の横に三人さんが立ちました。巨大な杉の木です。樹齢は1000年を超えています。わたしも見上げたことがあります。杉の木は、市街地からは遠くて、人が少ない山の中に位置しているので、1000年以上も生きていられるのでしょう。

 髙木菜那さんだったかの言葉が良かった。
 (バス案内業務の職員さんたちに向かって、自分たちが立ち去るときに)『なにか、みなさんが言い残したことはありますか?』、あとのふたりが、『逆でしょ』と返していました。おもしろい!

 真剣です。
 とくに、スピードスケート金メダリストの髙木菜那さんは、すごい気迫だ!!
 いい仕事をしています。
 『飯田まで行って、焼き肉食べよう!』(焼き肉、おいしそうでした)
 木曽路は、西欧の外国旅行者が多い。日本の古い町並み、江戸時代の風景、馬籠(まごめ)、妻籠(つまご)、奈良井の宿(ならいのしゅく)などに深い興味が湧くのでしょう。
 江戸時代の人たちは、中山道(なかせんどう)をじっさいに歩いて江戸日本橋から京都三条大橋まで行ったのですからたいしたものです。わたしは、たまたま先々週、東京日本橋あたりをウロウロしました。江戸時代は、江戸日本橋から京都三条大橋まで、人によりけりでしょうが、16日~17日間で歩いたそうです。

 ロケでは途中で雨が降ったりもします。バス旅は人生に似ているのです。いいときもあれば、そうでないときもあるのです。それでも前へ進むのです。
 
 しかし、すごいなあ。伊良湖岬から、ここまで(木曽の山奥)路線バスで来たのです。ゴールできなくても、それだけでもすごい!長野県の塩尻市という標識が見えました。
 『木曽路はすべて山の中である』という島崎藤村の小説『夜明け前』を思い出しました。

 三人は、夜の居酒屋で晩ごはんのときに、ビールをはでに床にこぼしました。
 髙木菜那さんは、大量のビールを自分のズボンにこぼして、おしっこをちびったようなびちょびちょ状態になりました。髙木さんは、お店の大将のジャージを借りてはきました。まあ、なんというか、すごい! がんばれーーー

 バスルートの選択で、2択(にたく)で迷うことが多かった。二者択一です。
 髙木菜那さんの判断力と決断力、そして体力がすごい。さすが金メダリストです。現在地球上には、人類が81億人ぐらいいるわけで、その中でスピードスケートという競技で、人類で一番になったことがある人です。なのに、そんなふうに見えないざっくばらんな人です。おみやげを、ご両親と妹さんに買われていました。家族関係が安定されているのでしょう。

 最後は、またやるぞーーーと盛り上がっていました。
 前回よりも格段に良かった。
 前回は歩いてばかりでした。
 今回はちゃんとバスに乗っていました。
 がんばってください。次回を楽しみにしています。  

2024年07月22日

おいしい話なんてこの世にはない TKO木本武宏

おいしい話なんてこの世にはない どん底を見たベテラン芸人がいまさら気づいた56のこと TKO木本武宏 KADOKAWA

 不祥事があった芸人さんです。
 わたしには、不祥事の詳しい内容はわかりません。投資詐欺で、仲間に大きな迷惑をかけたというぐらいしかわかりませせん。
 ちらりとテレビのバラエティみたいな番組を見たときに、著者は悪いことをするような人間ではないと複数の芸人さんたちが話をしていました。

 わたしの旅番組視聴記録を調べたところ、2022年(令和4年)に、『ローカル路線バス乗り継ぎ対決の旅 鬼ごっこ 茨城県日立市から福島県郡山市』で、太川陽介チームとエグザイル松本利夫チームが対戦しているのですが、木本武宏さんは、太川陽介チームで参加されています。このときは、太川陽介チームの勝利でした。
 木本武宏さんの相方の木下隆行さんは、東野・岡村の旅猿でお見かけしたことがあります。木下さんは、東野・岡村のおふたりに振り回されていました。岡村隆史さんの名言がありました。『人の嫌なところがいっぱい見えてくるのが旅』。それをひっくるめて許してつきあうのが、『仲間』なのでしょう。
 木下隆行さんもたしか不祥事がありました。パワハラだったと思います。
 
 なんというか、人間に失敗はつきものです。
 とくに、若い時は、考えが至らないものだから調子にのってしまいます。
 だれにも失敗はある。本人が後悔して、再起できる環境は必要です。
 人間としてとりかえしがつかないことは、自殺と殺人です。そこまでに至ってはいけません。(5ページに木本武宏さんも自殺を考えたと記事があります)
 ただ、何回チャンスを提供しても立ち直れない人は、人が離れていきます。

 TKO(ティーケーオー):ボクシングにおけるテクニカルノックアウト。10カウントのノックアウトシーンがなくても、ダメージを受けているボクサーの状態が危険なため、レフェリーが続行不能と判断する。あるいは、セコンド(ボクサーの世話をする人)がリングにタオルを投げ入れて降参する。

 投資詐欺の話です。この世にうまいお金もうけの話はないのです。うまい話にのると、だまされます。わたしも株式投資をする人間ですので、読んでみたくなりました。

『はじめに』
 TKOの、『じゃないほう』ではなく、『投資トラブル』のほうとして有名になったと自虐的な入り方です。
 2023年1月からコンビとしての活動を再開した。
 同年8月から全国ライブツアーをやっているそうです。
 
 2022年(令和4年)7月、『FX(外国為替証拠金取引)』と『不動産』における約7億円の投資トラブルがあった。事実無根で正確ではない報道があった。
 数えきれないほどたくさんの人たちに迷惑をかけてしまった。
 現在負債の返済を続けている。
 自分の常識は世間で通用しなかった。
 
 文章の構成です。
 第1章 身の程(みのほど)を知る、自分を知る
 第2章 不安とどう向き合うか
 第3章 成功体験の落とし穴
 第4章 世の中とどうやってつき合うか
 第5章 生き地獄からどうやって生還するか
 おわりに

『第1章 身の程(みのほど)を知る、自分を知る』、『第2章 不安とどう向き合うか』
 コンビ(木下隆行・木本武宏)の経過です。大阪府大東市での中学の同級生。19歳で松竹芸能事務所に所属。35歳で東京へ。

 文脈の流れや書き方から、ご本人がじっさいに書いたものだと判断しました。
 文章を書くことはむずかしいことなので、編集者の手は入っているかと思いますが、ご本人が書いた文章に間違いはないでしょう。

 読みながら、『自分ちっさいなあ』の言葉の意味を理解できませんでした。
 『自分の器(うつわ)の大きさ』という言葉づかいもあります。
 以下は、読み続けながら、読み手である自分が理解したことです。
 著者である木本武宏さんは、『コーディネーター(調整役)』としての意識と素質がある人です。
 『ちっさいなあとか、器(うつわ)』とかは、(相方のコンビの主役として扱うべき木下隆行さんに対して)寛大であること、張り合わないこと、視野が広いことを意味しています。自分が目立たなくてもコンビとしてやっていけるならそれでよしなのです。それが、コンビです。助け合いです。お互いさまです。人間協同生活の基本です。

 木下隆行さんのペットボトル投げつけパワハラ大騒動が、2019年(令和元年)10月だそうです。
 当時のTKOのおふたりは不仲だったそうです。
 木下隆行さんにはお笑いの才能があった。でも、日常生活を送る生活能力はなかった。自分で電車の切符を買う能力もなかった。(芸能人の人は、けっこう自分で電車の切符を買ったことがない、買い方を知らないという人が多いです)
 木本武宏さんが、木下隆行さんをサポートしていた。それが、木本武宏さんは、イヤになった。

 2022年(令和4年)8月、木下隆行さんから連絡があって、ふたりは久しぶりに再会した。木本武宏さんは、投資詐欺を起こしていた。木下隆行さんは、木本武宏さんに、厚い札束が入った封筒を渡した。木本武宏さんは、いまもその封筒をそのまま神棚に供えてある(そなえてある)。
 
 木本武宏さんの習性として、自分が、「好きなもの」、「惚れ込んだもの(ほれこんだもの)」を、人に知ってもらいたいという、『おすすめグセ』がある。

 木本武宏さんは木下隆行さんに嫉妬していた。
 木下隆行さんが楽しそうにしていることがうとましかった。(イヤな感じだった)
 木下隆行さんは、ドラマでいい役で出ていた。
 確実に爪痕を残している:成果をあげる。従来は、災害の跡などを言った。
 役割分担として、木本武宏さんが場を作って、木下隆行さんがそこを開拓するパターンがあったが、木本武宏さんが、木下隆行さんのサポートをすることがイヤになった。
 
 理屈っぽい話が続きます。項目の数が多いので、マニュアル本(手引き)みたいになってきました。う~む。本としては、つまらない。

 読んでいると、『芸人さん』は、『職人さん』だと悟ります。お笑いづくりが仕事です。空間に、笑いを生むのです。
 おふたりは、ふたりなら成立するけれど、ひとりでは成立しない。夫婦みたいなものです。
 
 暗号通貨(仮想通貨):わたしにはなんのことかわかりません。知らなくていいことだと思っています。木本武宏さんにやらないか、やりましょうと勧めてくる人間がいます。
 自分で自分が付き合う相手を選ばなければなりません。だれでもウェルカム(ようこそ)だと、利用されてだまされます。
 人を判断するときの物差しをもっていたほうがいい。参考にはならないかもしれませんが、わたしは、原則として次のように構えています。
 タバコを吸う人に、いい人はいない。
 ながらスマホをする人に、いい人はいない。
 まわりの人に迷惑をかけても自分は許されると勘違いしている人です。
 それから、大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいない。いろんな手段を使って、ライバルをつぶして上に昇った人です。
 笑顔で近づいて来る人は警戒する。下心が(したごころ。利用してやろうという魂胆(こんたん。たくらみ、策略)があるから笑顔になる。人間は本来不愛想(ぶあいそう)なものです。
 うそつきとか詐欺師(さぎし):瞬間的につじつまが合うウソをつける能力をもった人が存在します。一度そういう人にだまされたら、その人の唇(くちびる)から出てくる言葉はすべてウソだと判断します。
 
 FX(外国為替証拠金取引):こちらにもわたしは興味がありません。ドルや円を売り買いしてもうける手法だと思っています。

 本のほうは、木本武宏さんの自省の念が続きます。(じせいのねん:反省しようという気持ち。ふりかえり)

(つづく)

 著者である木本武宏さんはまだ若い。
 考えに深みが足りません。
 だれだれが、こう言ったから、こうなのですというパターンで、説明がなされています。
 
 失敗について書いてあります。
 資金を預けて資金の運用を依頼していたAが、突然行方不明になったそうです。
 『FXの取引』を依頼していたそうです。
 預かった資金を投資せずに持ち逃げしたのだろうか? それとも取引行為で失ったのだろうか。有名な米国プロ野球選手の通訳であった男性の顔が頭にうかびました。有能に見える人は気をつけたほうがいい。
 木本武宏さんは、自分を含めて10人の資金をAに預けたそうです。1億7000万円です。ひとり平均1700万円ですな。各自、ほかに有益な使い道があったような気がします。
 まあ、読んでいて思うのは、木本武宏さんは、ばかたれですな。
 なんとかなるとか、オレが間違えるはずがないとか、自信過剰の固まりです。

 人生のふりかえりです。
 木本武宏さんの母はまだ58歳で、がんで亡くなった。
 親族のこととして、夫と死別した自分の妹のこどもたちへ資金援助をしていた。
 根っこは、まじめな人です。
 だけど、調子にのってしまうところがあります。
 
 芸人は、さきゆきが不安定だから、第二のビジネスとして投資行為をしたおいたほうがいい。
 たとえば、アパート経営です。たしか、コウメ太夫さん(こうめだゆうさん)がやっていました。
 
 『投資はギャンブルではないと思っていた』
 木本武宏さんは、投資はギャンブルではないという認識、理解だったそうです。それは誤解です。リスク(危険性)があります。のめりこんではいけません。
 どうして、ギャンブルではないと言い切れるのかが不可解なのですが、読んでいると、失敗する前は、自信満々だったことがわかります。自分がやることに間違いはないという強烈な自信です。

 最初に偶然のように大儲けをして、ギャンブルにはまるというパターンがあります。
 わたしも二十代の若い頃に、友人の影響で競馬を始めて、数回目のときに大儲けをしたことがあります。人気馬が、ゴール前で鼻血を出して失速して、予想外の馬が1着2着に入りました。数千円が十万円ぐらいになって、(競馬を続ければ)これで家が建つ!と大喜びしました。結果、家は建ちませんでした。もうけた十万円ぐらいはみんな消えました。さらに損をしました。そういうものなのです。魚釣りのエサに食いついたお魚さんのようなものなのです。競馬はやめました。コツコツ貯金して、ローンを返済して家は建ちました。

 木本武宏さんは、一番になりたい人です。一番になって自慢したい。二番以下の人を見下したい。この世はオレを中心にして回っている。
 自分で自分を洗脳(せんのう。マインドコントロール(心を支配する))しています。自分は投資では損はしないという誤解と錯覚にひたっていました。

 この本は、木本武宏さんの自分の弱さをさらけだす本です。
 本が売れたら、本の利益を、お金を出してくれた人たちへの返済金にあてたほうがいい。

 木本武宏さんは、問題の投資トラブルのあともだまされています。損失を埋めたいがために、怪しい不動産取引をやって失敗しています。ハゲタカみたいな人間がいます。とことんしゃぶられます。さらに、3回目の誘惑がありましたが、そこはなんとか耐えられました。それも詐欺でした。
 悪いけれど、読んでいて、ばかだなあという気持ちになります。『孤独』はカモにされます。心のすき間につけこまれます。
 ポンジスキーム:サギの手口。人から預かったお金をじっさいには投資に使用しない。持ち逃げする。読んでいると、金額は小さくても、実際に(見せかけの)友人関係でありそうなことです。オレが代わりに馬券を買っておいてあげるよとか。人のお金を預かって、どうせはずれるだろうからと馬券は買わずに自分のおこづかいにするのです。だましかたはいろいろあります。

 読んでいると、ちゃんと働けと言いたい。芸人なら芸人の仕事をしなさい!です。
 投資は、余裕資金でするものです。
 気持ちの持ち方の基本として、投資で得た利益は、自分を支えてくれる家族や親族へ奉仕するお金にあてます。

『第3章 成功体験の落とし穴』
 小学生のころ、ドラえもんをみんなに広めた話。こち亀、ブラックジャックも同様に勧めて、クラスの人気者になった話。
 なつかしい言葉が次々と出てきます。たのきんトリオ、チェッカーズ、新しいものをみんなに広めて喜ばれることの喜びを知った。
 渡辺美里さんの歌について、中学1年生でみんなに一押しします。
 人生の成功体験が続きます。
 バルミューダ:家電メーカー。アメトークの家電芸人で紹介してヒットした。グリーンファン(扇風機)の爆売れ。
 自らが(みずからが)、広告塔になろうとする芸能人です。
 営業があります。
 相手から宣伝のためのお金は受け取らない。
 自由で気楽であるためにお金は受け取らない。
 お金を受け取ると、行動を拘束されます。こうそく:制限される。
 お金を受け取ると、いいがかりをつけてくる人間や組織があります。
 お金を受け取らない木本武宏さんは、潔い。いさぎよい:清らかですがすがしい。なのに、どうして、投資詐欺にまわりの人たちを巻き込んでしまったのか。そこが問題です。
 金銭的な報酬は求めないけれど、『ありがとうの報酬』は欲しいそうです。感謝されたい。チヤホヤされたい。金もうけをさせてあげて、自分の人間の格付けを高めたい。そういうことか。

 学んで真似て(まねて)、創り出す(つくりだす)。

 『来るものは拒まず(こばまず)』の姿勢でいると、来てはいけないものまで来てしまう。投資トラブルの原因になる相手が来てしまった。
 (なんというか、人生において、あの日あの時あの場所で、あの人に出会わなければこんなひどい目にあうことはなかったということは実際にあります。気をつけましょう)
 
 『モノ(物やお金)を失っても辛くない(つらくない)。辛いのは、人(信用)を失うこと』とあります。そのとおりです。
 木本武宏さんは、人(信用)を失いました。自分をよく思ってくれている協力者たちに迷惑をかけてしまいました。親戚に借金までしてお金をつくって木本武宏さんにお金を渡した人もいるそうです。ひどい。金融取引において、無資格の知人に人から預かったお金を渡してしまいました。(金融商品取引法の届出登録、違法な無登録業者)

『第4章 世の中とどうやってつき合うか』
 マージン:差額の儲け(もうけ)

 著者の個性として:おせっかい、お説教したがり。長男気質。オレがめんどうをみなければならない。(自分では相手に対して良かれと思ってやっても、逆に迷惑がられて嫌われるということはよくあるパターンです)

 Aという男:FX(外国為替証拠金取引)で、木本武宏さんをだました男。
 Bという男:不動産投資で、木本武宏さんをだました男。
 もとはといえば、このAという男と、Bという男が悪人です。事件の原因をつくったのは、AとBです。木本武宏さんは、人付き合いがいいものだからだまされたのです。自分の友人知人にまで大迷惑をかけたのです。AとBは、いまごろ、どこでどうしているのやら。新たなターゲットを見つけて、何度も人をだまして生活していくキャラクターの人物でしょう。

 河合さん:9ZLaboのスタッフさんのひとり。励ましてくれた。支えてくれた。

 木本武宏さんの資質として、『仲介屋』、『コーディネーター(調整役。まとめ役)』がある人です。

 気前がいい歯医者のドクターが出てきます。たいしたものです。木本武宏さんの応援者です。
 
 へこんだときに応援してくれる人がいます。
 奥さんです。
 奥さんから言われます。
 『なんとかすんねやろ』
 その部分を読んだ時に思い出した一冊があります。
 『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社』
 2022年(令和4年)3月4日がんによる余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)
 じぶんはもう死ぬのだと、あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)。『少しはジタバタしなよ』。あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。(その後治療に成功されています)
 影響は本人だけではすまないのです。家族もまきこみます。ただ、生活していると、病気や事故・事件や自然災害にまきこまれて、ドタバタ騒ぎになることが、人生の常(つね。必ずあること)です。だから、家族は助け合いなのです。

 『どんなお金持ちよりも、ふつうに生きている人が幸せだな』(同感です)

 自殺しそうになったことが書いてあります。
 昔わたしが若い頃に聞いた話ですが、自殺というものは、自殺しようとして自殺するものではないそうです。
 たとえば、鉄道列車への飛び込みは、自分の意思で飛び込むのではなく、なんとなく、体がふわ~と浮いて、自分でもどうしたのかと思うぐらい、あれよあれよという間に、勝手に体が線路や電車の来る方向へ向かっていくそうです。
 それだけ、思いつめているということです。精神的にきゅんきゅんに近い狭いところへ気持ちが閉じ込められて、自分で自分の頭脳をコントロールできなくなる。体は、その苦痛から逃れるために、自動的に死を選択する。そんな話でした。
 当然、自分が死んだあとのおおぜいのひとたちや家族に対する迷惑のことは頭の中にはないし、自分が死んだあとの多額になるであろう賠償金のことも頭にはないのです。
 だから、思いつめちゃいけないのです。リラックスリラックス、なんとかなる、なんとかなると思うのです。ゆっくり眠るのがいい。
 一番悪いのは、だました人間なのです。あなたではない。

 ふとしたことがきっかけで、立ち直られています。
 きちょうめんな性格なのでしょう。テレビとハードディスクレコーダーのリモコンが、『ハの字』に置いてあることが気になって、まっすぐ並列に並べなおしたところから、整理整頓ができるようになって、ご自分の気持ちも整理できて、きちんとした日常生活ができるように復活されています。
 
 この本に出てくる千原ジュニアさんからの励ましの記事の部分で、千原ジュニアさんが書いた本を思い出しました。昔、読んだことがあります。今回、木本武宏さんにヘルプの声掛けをされています。
 『14歳 千原ジュニア 講談社』、以下は感想メモの一部です。
 ひきこもりのお話のようです。いっき読みになりそうです。(12時に読み始めて、途中昼食をはさんで14時30分に読み終えました。)ピストルの弾丸になって、あっという間に的(まと)に命中した心境です。ひきこもりの理由は何? それがなかなかわかりません。母親との関係がよくありません。母親の愛情が足りなかったのか多すぎたのか。『ひきこもり』については長い目で見てあげたい。まだ14歳、先は長い。
 189ページのうち、前半が8割で、残り2割でいきなりラストになりました。ラストには泣けました。最初の8割の経験があったからこそラストではじけることができる。8割は貯蓄だったのです。お兄さんの彼に対する姿勢もいい。答えを提示して従わせるのではなく、弟自身に考えさせて企画させる。上手な指導法です。

 教えられたから、教える。助けられたから助ける。連鎖です。

 木本武宏さんが、気がついたことです。
 『人の話を素直に聞こう』
 
 木本武宏さんは、仲介活動はできるけれど、何もないところに、何かをつくりだす、『創造』をできるタイプの人ではありません。
 
 『わからん』と言えるようになった。
 それまでは、なんとしても答えを言わなければならないと思いこんでいた。
 『わかりません』と答えることで、話がつながる相談事、雑談事があることを知った。
 自分は、人に相談しない人間だった。自己決定が基本だと思いこんでいた。それは、よくないことだった。人に相談することで、答えは出なくても、うまくいくことがあることを知った。

 自分は詐欺師でもないし、犯罪者でもない。
 『芸人はなんど倒れてもまたまっすぐ立てる』

 失敗をした人にかけたい言葉があるそうです。
 『あなたもきっと大丈夫』
 挑戦したから失敗がある。
 
 なんというか、もう投資はやらないか、頭の体操程度の趣味にしたほうがいい。
 少なくとも、人を誘うのはもうやめたほうがいい。  

Posted by 熊太郎 at 06:39Comments(0)TrackBack(0)株式投資

2024年07月19日

体験格差 今井悠介

体験格差 今井悠介(いまい・ゆうすけ) 講談社現代新書

 いろいろサブタイトルが本の帯に書いてあります。
 『習い事や家族旅行は贅沢?(ぜいたく)』
 『連鎖するもうひとつの貧困』
 『体験ゼロの衝撃!』
 『日本社会の課題』
 『低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」』
 『小4までは「学習」より「体験」』
 『「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」』
 『人気の水泳と音楽で生じる格差』

 わたしは、実用書を読むときは、まず、ページをゆっくり全部めくりながら、なにが書いてあるのかをおおまかに把握します。

(1回目の本読み)
 読む前に、先日読んだ別の本のことが頭に浮かびました。
 『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修』
 ちびっこの語録なのですが、昭和の時代の昔々はおもしろいのですが、現代に近づくにつれて、おもしろくなくなるのです。
 ことばのしっぽは、1967年(昭和42年)から始まっています。
 例として、2ページの、『たちしょん』では、『あ、おしっこが、たびにでた』とあります。ほほえましい。 4歳の男の子の作品です。
 2010年(平成22年)ころから、こどもの生活が管理されて、豊かな生活体験が減って、まるで標準化された人工知能ロボットのような心もちのこどもが増えたのです。
 そういうことも関係あるのではなかろうかと興味が湧き、こちらの本を読むことにしました。

目次です。
『第一部 体験格差の実態』
 「お金」、「放課後」、「休日」、「地域」、「親」、「現在地」
『第二部 それぞれの体験格差』
 「ひとり親家庭の子ども」、「私が子どもだった頃」、「マイノリティの子ども」、「体験の少ない子ども時代の意味」
『第三部 体験格差に抗う(あらがう。闘う。(相手に)負けないぞ)』
 「社会で体験を支える」、「誰が体験を担うのか(になう。引き受ける。担当する)」

 分析する本です。
 調査のための資料を集めます。取材です。
 お金の話ですが、お金がないから体験ができないというつながりはないように感じます。
 わたしは、貧困なこども時代をおくりましたが、体験は豊富でした。
 むしろ、お金があまるほどある家庭のこどもさんのほうが、親が、こどもをかばって、しなくてもいい体験はさせないようにするから、体験不足になるような気がします。

 世の中にはいろんな人がいます。いい人がたくさんいますが、そうでない人もいます。きれいごとだけを教えると、こどもの心はへし折れます。まじめだけではやっていけません。社会のベースは(下地したじ)は、不合理・不条理・理不尽でできています。なんとか、心に折り合いをつけて、生活していきます。それが、現実です。
 『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』という本があります。職場の不祥事を内部告発した本人とその家族・親族がぼろぼろになっていく記事がありました。世の中は、正しいか、正しくないかという基準だけで回っているわけではないのです。
 まず大きな利益の固まりがあって、そこにたくさんの人たちが群がって利益を分けようとしているのです。利益の取得を阻む(はばむ)存在は干されるのが人間社会の厳しい現実なのです。

 オギャーと生まれてから、一戸建ての実家暮らしで、ずーっと実家暮らしで、大学も自宅からの通学で、勤め先も自宅からの通勤でとなると、かなり人生体験が不足します。
 衣食住の社会経験が薄くなります。アパートの借り方、電気・ガス・水道の契約のしかた、公共料金などの支払い方、洗濯機の使い方、おふろの洗い方、ごみの出し方、そういった雑多なことを知っているようで知らない人が多いのが実家暮らしをしている若い人の実情です。実家では、親や祖父母が生活に必要なことをやっているのです。
 会社勤めになって、出張するときに、電車の路線も乗り方もわからない。切符も買ったり手配したりしたことがない。車の運転免許証はもっているけれど、実際に社用車を運転することはこわいからできない。仕事場では、役に立たない人間だと判断されてしまいます。
 生活するにしても働くにしても、自分のことは自分でやる。人にやってもらうのではなくて、自分が主体的になって、計画を立てて実行するという意欲がいります。自立と自活です。がんばらないと、結婚も子育てもできません。人生体験が少ないと、いつもわたしはどうしたらいいのでしょうかと悩むことになります。

 批判を受けるかもしれませんが、わたしが働いていた時は、大卒新入社員のありようで頭が痛かった経験があります。
 どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかです。
 いつでもどこでも誰かが自分の面倒を、ただでみてくれると思っている。
 自分はどこにいっても、お客さん扱いをしてもらえると勘違いしている。
 思うに、これまで本来こども自身が自分で体験してやっておくべきことを、親や先生が代わりにやってしまっていたのではないかと推測してしまうのです。

 こちらの本に書いてあるのはこどもさんのことなので、年齢層が限られます。
 主に(おもに)十代の少年少女のことが書いてあるようです。
 人生は、成人式を迎えて、そこから先が長い。はるかに長い。
 こどもでいられる時間はそれほど長くはありません。

(2回目の本読み)
 サッカーをしたいけれど、(たぶん、習うお金がないから)サッカーができないというようなこどもさんがおられます。
 不思議です。老齢者からみれば、自分たちの世代は、野球がメインで、野球しかなかったような時代で、どこでも野球をやれた時代でした。お金もいらなかった。お金を払って野球をするとかサッカーをするとか、そういう発想がありません。
 同じく水泳も、身近な場所に海や川があって、小さいころから海や川で泳いでいました。習う必要もなかった。プールは学校や公民館付設のプールで無料でした。自己流で泳いでいました。
 水が深いところで、立ち泳ぎもできたし、中学生の時に、遠泳で2kmぐらいは泳げました。
 
 本の説明では、お金のあるなしが、体験のあるなしに関連していると考える。(そうかなあ。親やこどもの気持ちしだいで工夫はできます)

 『体験』を、『管理』しようとする意識が感じられるこちらの本の雰囲気です。

『第一部 体験格差の実態』
 「お金」「放課後」「休日」「地域」「親」というポイントで考察します。
 裕福なこどもは体験が豊富で、裕福でないこどもは体験が豊富ではない。(そうかなあ。いちがいにそうとはいえません。お金があっても、ボードゲーム体験やテレビゲームの体験だけが豊富なこどももいそうです)
 
 うーむ。これはこれと決めつけて対処方法を示すマニュアル本だろうか。

 ふと思う。
 大卒就職者と高卒就職者を比較してみる。
 世間では、高卒者よりも大卒者のほうが、生涯獲得所得が多いなどといいますが、本当にそうだろうか。
 大学生の学習期間はたいてい4年間です。
 高卒者は、その4年間働いて、大卒者よりも早く給料をもらいます。4年後大卒者が社会に出るころに、堅実な高卒者は、それなりの貯蓄を蓄えています。
 いっぽう大卒者は、4年間無職のようなものです。学費を支払う側の人間です。払った学費やひとり暮らしをした場合の住居費はばく大です。学費のために奨学金などの借金をする人もいます。大卒者は、就職した途端、給料をもらっても借金の返済から生活が始まります。
 お金のことだけを考えたら、たとえば工業高校卒で、倒産のおそれが少ない堅実な会社に入って技術者として定年退職までコツコツと働いて、退職金を受け取って、定年後は再雇用で同じ会社で働いて、その後は年金をしっかり受けとってというパターンのほうが、経済的には、人生の勝利者といえるような気がするのです。

 あと、思うのは、お金は働いて稼ぐのが基本ですが、本を読んでいるとどうも、よそからお金を支給すべきだというふうに読み取れます。
 お金がほしかったら、こどもだろうが働くべきです。お金が欲しかったらまず働くことが基本です。心身に危険がない範囲での労働体験は必要です。昔は、農家や漁業、職人仕事の家のこどもは家の手伝い名目で働いていました。

 学校外の体験がゼロのこどもが、全体の15%ぐらいいる。(放課後の体験、休日の体験、スポーツ系、文科系の習い事、地域の行事、お祭りなど)
 自然体験とありますが、半世紀以上前であれば、身近に自然がたくさんありました。当時あった原野は開発され、コンクリートとアスファルト、金属とガラスの世界ができて、次々と空間を占めていきました。
 野球遊びをできる空き地が姿を消しました。身近にある小公園には、野球はしないでくださいという看板が立っています。
 こどもだけの集団で遊ぶ姿を見かけなくなりました。
 昔は、親はこどもを放任して、子どもだけの縦型社会があって、小学生や幼児は、集団で固まって遊んでいました。缶けり、おにごっこ、かくれんぼ、お金がかかる遊びはありませんでした。そのなかで人付き合いを学びました。
 いまは、おとなやお金がからむ遊びばかりで、ゲームはお金がかかる孤独な遊びです。
 こどもが遊ぶ時は、民間事業者、地域のボランティア、学校のクラブ活動、自治体がらみです。こどもだけの自主的な世界が消えました。
 こどもの送迎や親同士の付き合いがたいへんとか、遊ぶ場所が近くにないなどあれこれ事情や理由があって、こどもは、そばにおとながいないと、こどもだけでは遊べないことが多くなりました。

 こちらの本は、お金がない家のこどもは体験ができないという考えで書いてあるように思いますが、違う切り口もあったのではないかと思いながら読んでいる40ページ付近です。

 世帯の年収を、『300万円未満』、『300万円以上599万円以下』、『600万円以上』と、3分類してあります。

 旅行と観光について書いてあります。
 世帯年収が多い家のこどもは、旅行や観光に行くことが世帯年収の少ない家と比較して多い。
 当然の状況だと思います。ほかのこともそうでしょう。
 ただ、個別だと違う状況がピックアップされてくる気がします。お金をかけない旅のしかたもあります。車中泊とか、在来線や長距離バスで移動するとか。ぶっそうですが、テントで野宿もあります。親の趣味嗜好にこどもが引っ張られるのでしょう

 中学のときに病気で亡くなったわたしの父には放浪癖があって、短期間で転職を繰り返しながら日本各地を転々と移動しました。ゆえにこどもであったわたしは、何回も転校を体験しました。引っ越し貧乏ですからお金はありませんでした。
 どうしてこんな家に生まれてきてしまったのだろうと思い悩んだこともありましたが、歳をとってみると、あの体験があったから、むずかしい社会で生き抜いてくることができたと、いまでは父親をうらむ気持ちはありません。今も生きていたら、文句は言いたいから言いますが、あわせて、ありがとうとも言うことができます。
 
 こちらの本を読んでいて、なにか期待していたものとは異なる記述が続きます。
 問題点の指摘が延々と続きます。解決策の提示はまだうしろのページでしょう。
 自力で稼ぐことが自活の基本です。
 もし、足りない金額分を国や政府、自治体に求めるのなら、どうかなあと首をかしげます。

 ピアノ、サッカー、水泳、登山、それらをやらねばちゃんとした社会人になれないということもありません。

『第二部 それぞれの体験格差』
 体験格差の調査で、2000人の保護者から回答を得たそうです。
 記述は、社会福祉の調査結果を読むようです。
 シングルマザーが多い。母子家庭で育ったこどもがおとなになって、また母子家庭になる。親子で離婚が連鎖しています。離婚した親は、こどもの離婚を止めることができません。離婚するなと説得できません。
 後半では、生活保護受給家庭の記録を読むようでした。
 事例が、並べてあるだけです。著者の考えは明記されていません。
 質問があって、相手からの答えがあります。答えは長い文章です。
 片親母子家庭、夫から暴力を受けていた家庭、読んでいると、問題点の起点は、『男』にあるのではないかと判断できます。男が原因なのに、男ではない女やこどもが苦労、苦悩している現実があります。
 家事をしない男も、家庭の平和と安定において、マイナス要因になっています。
 
 こどものそばにいつも親がいっしょにいなければならない時期は、こどもが乳幼児・小学校低学年ぐらいまででいいと思います。
 小学校4年生ぐらいになれば、友だちと4人ぐらいのグループで、小中学生は毎回無料の動植物園へ行くとか(名古屋の東山動植物園は中学生以下のこどもは無料です)、図書館に行くとか、お金がなくてもやりようがある気がします。

 親がどこかに連れて行くのではなく、こどもが自分でできることは、おとなの付き添いなしで、なるべく自分でやらせることが体験です。
 そうしないと、こどもが、あれもこれもできない、やれないと言い出します。パパ・ママ・先生やってということになります。

 本の中にある、『体験』とは、料金を払って活動に参加するスポーツや文科系の習い事です。
 学習塾に行かせたからといって、成績が上がるわけでもありません。わたしの経験だと、あれは(塾通い)何だったのだろうかと思ったことがあります。成績はさっぱりでした。塾が、こどもたちの社交場になっていたのです。スポーツも音楽も似たようなものです。
 お金を払えば、いたれりつくせりの対応が待っていたりもします。

 ディズニーランドに行けないことが不幸のように書いてあるのですが、うちは、ディズニーランド自体に興味がありません。こどもや孫たちも興味をもっていません。ディズニーランドを好きじゃないとだめだみたいな風潮があることが不思議です。

 こどもはいつまでもこどもではありません。
 こども時代は、過ぎてしまえばあっという間なのです。
 
『第三部 体験格差に抗う(あらがう)』
 著者からの提案部分です。
1 教育支援、寄付金を原資とした、『スタディクーポン』の提供について書いてあります。
2 実態調査をする重要性について書いてあります。
3 費用負担を行政に求めることが書いてあります。
4 マニュアル(手引き)のようです。スタッフの心得があります。こころえ:心構え、心がけ。
5 公共施設の維持活用について書いてあります。
 
 おわりにで、ご自身が、『体験格差の解消』に取り組むきっかけが書いてあります。
 学生時代に行ったボランティア活動がきっかけです。
 不登校、引きこもりの青年たちとの共同生活です。
 体験することで、困難を克服することができることを知ったそうです。

 まずは、親が考えることなのでしょう。
 お金があろうがなかろうが、こどもに適度な体験ができる環境を提供したほうがいい。
 体験というのは、日常生活における体験とか、祖父母や親戚、近隣の人たちとの交流をさすのかと思って本を読み始めましたが違っていました。お金を払っての習い事とか、旅行などの娯楽の体験でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:09Comments(0)TrackBack(0)読書感想文