2019年08月22日

サムライマラソン 邦画DVD

サムライマラソン 邦画DVD 2019年公開

 映画を観終わったあとの爽快感がありません。
 最初から最後まで暗い雰囲気が続きます。せつなさがただよいます。
 ゲーム画面を見ているようでした。物語をつくりそこねたのではないか。役者の味わいも出ていません。
 史実に基づいて、とある藩の「遠足(とおあし、マラソン。15里ですので、60キロぐらい)」大会を描く。日本マラソン発祥の出来事だそうです。だから、最後のシーンに違和感があります。大河ドラマいだてんのイメージもあります。オリンピックのコマーシャルだったのか。
 黒船来航開国話を背景にして、隠密(スパイ)の話と、江戸に出たい雪姫の話、足の速い足軽の貧しい生活を送る家族の話などが同時進行していきます。
 日本刀はあのように振り回せないし、拳銃のシーンはいらなかったのではないか。鉄砲玉は、撃っても、あんなに簡単には当たりません。
 突然の刃傷沙汰(にんじょうざた)、首切りシーンはむごい。殺し合いが続きます。BGMの音楽で、感情を引っ張っています。
 黄金色に輝く農地の風景は美しかった。  

Posted by 熊太郎 at 06:11Comments(0)TrackBack(0)DVD・映画

2019年08月21日

渦 UZU 妹背山婦女庭訓魂結び 大島真寿美

渦 UZU 妹背山婦女庭訓魂結び(いもせやまおんなていきんたまむすび) 大島真寿美 文藝春秋

 「近松門左衛門:浄瑠璃、歌舞伎の脚本作者。1725年72歳ぐらいで没」
 「浄瑠璃:三味線伴奏、太夫が語る。人形は三人の人形遣いが操作する」
 「近松半二:1725年生まれ。1783年58歳ぐらいで没。270年ぐらい前の浄瑠璃作者。役行者大峰桜えんのぎょうしゃおおみねざくら。妹背山婦人庭訓(人形浄瑠璃、歌舞伎の演目)」
 「狂言:こっけいな笑いの劇」

 物語の主人公の名前は、近松半二ですが、近松門左衛門との血縁関係はありません。半二の父親儒学者以貫(いかん)と近松門左衛門が面識があります。ただし、半二生誕時には、門左衛門はすでにあの世の人となっていました。
 9つの章です。

「硯(すずり)」
 読むのに1時間少々かかりました。
 近松門左衛門が使用していた硯を半二が父親から譲り受けます。おまえも浄瑠璃の台本を書けという指令です。
 でもそうそう簡単には書けません。
 生い立ちから、13歳ぐらいのときのようす、その後のていたらくですが、青年期は浄瑠璃づくりに関わりをもちはじめます。
 「師弟関係」があります。やはり、師弟関係がないと仕事が完成に導かれません。師匠として、実父、数人の老人たちが関与します。先生と生徒、師匠と弟子、職人世界です。
 硯から文章が生まれる様子は生き生きとした表現でした。
 浄瑠璃観劇の様子をうまく表した文節として、「この世のようで、この世ではない」
 舞台は、大阪から京都と移り、再び大阪道頓堀に戻ります。
 本名は、穂積成章(ほづみ・なりあき)、筆名近松半二の由来がいい。
 自分の居場所探しの放浪です。
 この物語は、史実なのだろうか。(実在の人物でした)
 
「廻り舞台」
 廻り舞台:舞台のまんなかが円になっていて、場面転換時に回転する。
 気に入った表現として、「芝居語り」、「あの人の書くものは太い」、「板にのせるとなったら芯がいる」、「頭の中にあるものが字にならない」
 仮名手本忠臣蔵:人形浄瑠璃、歌舞伎の演目。仇討話」
 前回の直木賞受賞作「宝島」では、沖縄言葉に苦労しました。今回は関西弁です。いろいろ評価はあろうかと思いますが、標準語でも良かったと思います。読み手は、なじみのない言語は読むのにくたびれます。
 
「あおによし」
 あおによしとは、奈良にかかるまくら言葉。奈良のこと。
 章中にある吉野山の金峯山寺(きんぷせんじ)はなんどか訪れました。わらぶき屋根が美しいお寺さんでした。
 主人公近松半二の兄の許嫁(いいなずけ)だったが、兄の母の策略で結婚できなかったお末が登場します。兄とお末のふたりは愛し合っていた。心中を考えたことがある。「心中」というワードで、作品制作へつながっていくようです。
 読みながら、浄瑠璃というのは、現代のテレビのバラエティ、ドラマ、映画のようなかんじなのだろうと。
 お末をとおして、女の性(さが)が表に出てきます。怖い。思い込んだら命がけとあります。
 「朴念仁:ぼくねんじん。無口で愛想のない人」
 なにかしら気に入った言葉として、「好人物」
 だんだん、小説家を目指している人にとっては、素敵な文章の熱風が吹いてきます。「ええ、文句が書きたい」、「やけくそや、書きたいように書いたる。あそこで、書くしかない」
 この作品全体自体が、小説家を目指している人が読むと心強くなる主題を含んでいます。
 妹背山の形が見えてきます。妹山と背山が向かい合わせであって、間を吉野川が流れている。泣く泣く別れた恋の話です。なんだか、天の川のようです。

「人形遣い」
 浄瑠璃人形遣いの名人が芝居小屋の経営者と対立してクーデター(奇襲による権力奪取)を企図するお話です。浄瑠璃という素材で、ここまで、厚みのある記述ができるのは、強い筆力があるからでしょう。
 「詞章:ししょう。文字表現の言葉」、「小股の切れ上がった:ひざからももが引き締まって、すらりとしている」、「作病:さくびょう。病気のふりをする」、「仁義にもとる:筋道をはずれる」、「海千山千:うみせんやません。経験を積んで悪賢い」、「
 半二は30歳ぐらいです。未婚。芸能事務所のタレント独立騒動に巻き込まれたような様相でおろおろしていますが、半二の意見は正しい。偶然起こった「火事」が運命を分けました。
 共感したセリフなどとして、「もうええ歳や。やれるうちにやりたいことをやって死んでいきたい」、「長生きしてたら(いいことがある)」
 人形遣いは、人形なしでは生きていけない。

「雪月花」
 雪月花:雪・月・花。自然美。
 「奢侈:しゃし。度を超えてぜいたくなこと」、「薹が経つ:とうがたつ。年頃が過ぎる」
 江戸時代のこの頃の景気は下がり気味です。主人公半二は40歳に近くなりました。
 主人公近松半二の母親が死にます。半二を嫌っていた半二から見れば鬼のような母親でした。いいかげんな暮らしぶりに愛想をつかした実母でした。半二は二十年、家に帰っていません。
 舞台の上にいる役者のセリフを間近で聴いているようで心地よい。
 半二は結婚します。妻は妊娠します。

「渦」
 人形浄瑠璃のからくり舞台のことが出てきます。観客席が半分動いたり、舞台が動いたり、その話に人形遣いとか浄瑠璃作者の竹田治蔵(大酒飲み)・宇蔵兄弟の話がからんで、「渦」が生まれるのです。文章、文脈も渦化していきます。生き生きと文章表現がなされます。
 「立作者:歌舞伎で筆頭の作者」
 良かった表現として、「書きたかったから酒に走った」、書くことの怖さが広がります。書くことで、作者自身の心が壊れていきます。そこを酒でカバーする。そして、命を落とす。
 のりうつったような文脈です。
 「三千世界:仏教用語、全宇宙」
 舞台は、道頓堀。
 多用される単語は、「拵える:こしらえる」
 さらに、良かった表現として、「筆は走り続ける。勢いが止まらない」、「虚実の渦に呑み込まれていく」

「妹背山(いもせやま)」
 吉野山、吉野川川岸道路を車で走ったことがあります。小説の記述がリアルに迫ってきます。
 「空が燃えた」から始まります。天変地異。オーロラです。
 主人公近松半二の亡父への感謝の思いがあります。
 人形操り浄瑠璃の衰退があります。
 「切り:浄瑠璃の山場」、「追善供養:命日に法事をして供養する」、「神鹿:しんろく。奈良の鹿」
 ロミオとジュリエットのようなお話なのか。
 首が飛んで鳥になって、なんだかすごい。
 名文句として、「わしが文字になってここへ溶けていく」

「婦女庭訓おんなていきん」
 庭訓というのは、親が子に教えることの定めと解するようです。おんなですから、おんなの道の教えです。しつけともあります。
 主人公近松半二の幼なじみで、兄の許嫁だったお末が5年前に急死していたことが判明します。半二の愚痴のような過去を悔いるひとりごとが続きます。あまり好きになれない章だと思いながら読んでいましたが、そこから新しい物語づくりのヒントが生まれてきます。
 作品は、飛鳥時代蘇我入鹿とか天智天皇とかの背景と舞台でスタートするようです。
 「嬢はん:いとはん。お嬢さん」、「世話物:人形浄瑠璃の分類。町人の日常生活。対して時代物が、遠い過去、武家・公家社会のこと」、「台無し:すっかりだめになる。役に立たない」
 名言として、「生きるとは、絶えず死ぬものを見送ること」、「おきゃんなところ:女性が活発でかるはずみなところ」、「わしはそこにおらんが、それが、わしの内側に広がっている」、「無量無辺百千万:数が多い」、「なゆたあそぎこう:数の単位。かなり大きい」、「外題:げだい。書名、題名」
 書くことを躊躇する部分があるのですが、書くのは自由ではないかという疑問が湧きました。まず、書いて仕上げる。その作品を演じて発表できるかできないかは次の段階で判断すること。
 読んでいたら歌舞伎とか浄瑠璃を見たくなります。
 三角関係、心中、恋が中心です。
 終わりに近づくにつれて、話を最初に戻る。「硯(すずり)」の記事あり。

「三千世界」
 いきなり、筆記の文字タイプが筆タイプに変わったので、びっくりしました。(章の途中までです)浄瑠璃人形が自らの意志でしゃべります。
 「悋気:りんき。男女間のやきもち」
 小説の全体を読み終えてみて、道頓堀を舞台にして、一点集中、その場所で、物語を空に向かって高めていくイメージでした。
 この章は幻想的です。
 上演される限り、物語の登場人物は江戸時代から現代まで、命を得て生き続ける。
 「柝の音:きのね。拍子木の音」  

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2019年08月20日

ふるさとって呼んでもいいですか ナディ

ふるさとって呼んでもいいですか ナディ 大月書店

 外見は外国人、中身は日本人、日本をふるさとと呼んでもいいですかという問い。①いいですよ②呼ぶのはあなたの自由です。だれかの許可を得るものではありません③だめですよ。①が答えになるのでしょう。
 イラン人1991年に来日した30代イラン人女性ですが、6才から日本育ちです。日本人同様の文章作成能力があります。
 子ども時代のつらい時期があります。子ども時代、日本人の子どもでもつらい時期があります。同じです。
 子どもが健やかに育つには「幸運」が必要です。
 見た目で外国人を怖いという偏見をもたないでくださいというメッセージがあります。
 いい人そうに見えるけれど、いじめる人は多いです。
 かっぱえびせんのえびの絵がむかでに見えたという思い出話には、そういう発想がないのでへーっと感心しました。
 ちょうど、イラン・イラク戦争の頃の誕生です。米軍等介入の湾岸戦争もありました。不法就労ファミリーなので、ルール違反なのはどうかという思いはありますが、未来の見えてこない難民・移民の困難さもあります。
 戦争がなければ、ずっとイランで暮らしていた人たちです。戦争や災害は人生を変えてしまいます。(後半部に、もし、日本に来ていなかったら自分は浮浪児になっていてもおかしくなかったとあります)
 別の本で、「10代の頃には負荷をかけたほうが、将来役に立つ」という記述を最近読みました。そのとおりだと思います。今は苦しくてもそれが将来役立つ時が来ます。
 今年読んで良かった1冊になりました。
 イランでは、「おしん」が人気だった。日本人役者は吹き替えでペルシャ語だったのですが、日本人はみんなペルシャ語をしゃべることができると勘違いしていた。「みなしごハッチ」を見て、日本のハチはしゃべることができると思っていた。こども時代の楽しいお話が続きます。
 来日時の暮らしぶりは悲惨なのですが、半世紀前の日本人の肉体単純労務者ファミリーの日常もそれと同じでした。読みながら思い出しました。
 イランを出国するファミリーは、もしかしたら親族とのこの世で最後の別れの瞬間です。こどもにはそれがわかりません。ご両親のご苦労が伝わってきます。
 奥さんはお金持ちのお嬢さまの出だったのに、旦那さんの商売の借金で人生が大きく変わりました。
 ようやく手に入ったテレビが日本語の先生だったをはじめとして、日本人にとっては、初めて聞くようなエピソードが続きます。
 いじめる人間もいますが、かばう人間もいます。差別する人もいるし、しない人もいます。
 ひらがな・カタカナを覚える喜びがあります。
 新入りはいつでもどこでも不安です。
 
(つづく)

 読み終えました。終わりに近い部分は理屈っぽくなって固い文脈で、最初のころのおもしろおかしい柔らかい感じがなくなっていますが、いたしかたありません。主人公である作者は6才から30代の人に成長しています。
 不法滞在外国人の扱いについては、読書の読み手としては対応のしようがありません。法令違反を容認することはむずかしい。実態もわかりません。専門機関、担当部署にお任せするしかありません。
 人種混在で社会を支え合っていくには、国籍差別問題を克服していかねばならないことと、多様化する人種構成社会のなかで、これまでの区別意識からは脱却しなければならないというメッセージはよく伝わってきました。

 小学校生活スタートにあたって、外国人こどもの日本語での学習は、学力的につらい。漢字でゆきづまります。楽しみなのは、図工と音楽と体育。
 サポートしてくれる日本人家族がいます。貴重な存在です。
 国語辞典と漢和辞典が宝物です。ファミリーに日本語文字がわかるのが、著者である小学生の娘しかおらず、彼女が学校からのお知らせや回覧板に書いてあることを解読していきます。
 黙々と辞書を引くイラン人の小学生女児です。勉強というものは、人の見ていないところで、ひとりで、黙々と取り組むものだと思っています。フードコートやファストフード店で、不特定多数の人に囲まれてテーブルに資料を広げている人を見ると、勉強をしているふりをしている人だという感想をもっています。
 イスラムの宗教のことが書いてありますが、かなり自由度が高い。信仰のしかたは自分で決めていい。
 興味深かった記述として、「日本風のお弁当をつくることができないお母さん」、「家の中で何語で話すか」、「在日28年で運転免許取得に挑戦」、「身体的特徴を無理に変えさせる校則は時代に合わない」、「初めての給料をもらって、宅配ピザでお祝いをした」、「イラン人のおとうさんが町内会長をしていたときがある。おまつりで、自分では食べられない焼き鳥をたくさん焼いて喜ばれた」、「お客さまがハッピーになるためには、まず、従業員がハッピーな気持ちにならなければならない」、「ますます多文化になる日本」、「内なる国際化」

 「CCS:学生主体の団体。世界の子どもと手をつなぐ学生の会 毎週土曜日にボランティアセンターで宿題をみてもらえる」

 様々なシーンで、人脈がきっかけになります。戸籍制度で身分保障されている日本国籍の人間とは違います。

 在留資格の取得をはばむものは犯罪歴なのでしょう。

 11年ぶりの祖国訪問のことが書いてあります。「歓迎」というものは、たいていは最初の感激だけで、時間が経つごとにお互いに嫌に思う面が出てくるものです。長年日本で暮らした彼らにとってはもうイランは祖国という感じがしない。居心地が良くない。かれらはもうイラン系日本人です。
 日本人はイラン人を見下す。イラン人はアフガニスタン人を見下す。
 
 「自分とは何者なのか=アイデンティティ」

 外国人だからバイトや就職試験に落ちているわけではなく、日本人も同じように落ちているという気づきは良かった。

 最後付近では、日本とか、日本人の良さがにじみ出てきて、日本人としてうれしくなります。  

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2019年08月19日

ぼくは気の小さいサメ次郎といいます 岩佐めぐみ

ぼくは気の小さいサメ次郎といいます 岩佐めぐみ 偕成社

 最初に気になることがあります。「次郎」です。サメ次郎とカメ次郎が出てきます。「太郎」は出てきません。ということは、つまり、これは、次男の物語なのです。長男の世界と次男以下の世界は異なります。読み終えましたが、そのことは、物語とは関連がありませんでした。
 クヨクヨしているサメです。サメのくせに。怖い顔をしているくせに、とんがった歯が口に並んでいるくせに。気が弱いサメです。友だちがいなことを苦にしています。
 「手紙」が仲介役のともだちづくりです。
 うつのサメです。名前をさいとうサメ次郎といいます。
 サメくんが、自分のもつ強い力に気づけていないところが残念です。
 友だちになってもらう候補として、ラッコのプカプカさんが浮上します。ふたりは、手紙でやりとりをして交友を深めるのです。
 今では、メール発信・受信、ラインなどのソーシャル・ネットワークが普及したので、今後、「手紙」を素材にした物語は生き残れるのかということが頭に浮かびます。
 38ページの絵はおもしろい。サメ次郎の自宅に郵便ポストができました。カメ次郎作です。
 幼子の素直な悩みに対してていねいに回答してあげる優しさがある物語です。
 アザラシ配達員には、しっかり働くという精神論と倫理観が備わっています。
 仲介役・交渉役であるカメ次郎の存在が大きい。
 「ザラシー」というアザラシもどきの配達員の存在意味がちょっとはっきりしません。偽物より本物になりなさいなのか。偽物は偽物のままで生きていく人生もあります。  

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2019年08月18日

おしいれのぼうけん ふるたたるひ

おしいれのぼうけん ふるたたるひ 童心社

 お化けが出てくるようなこわい話で子どもさん向けです。
 でだしがいい。「さくらほくえんには、こわいものがふたつあります。おしいれとねずみばあさんです」 これだけで、小さな子どもには恐怖心が生まれます。
 こわくなる犠牲者は、4歳に近い3歳ぐらいのさとしとあきらで、最初はちいさなことをきっかけにして、少しずつ、世界が広がりをみせていきます。
 みずのせんせいが、いろいろと世話をやいてくれる進行役です。さわいで注意しても言うことをきかないさとしとあきらをおしいれに入れます。ふたりのこどもは先生に注意されてもあやまりませんが、今の時代だと、押し入れに入れる行為は、体罰だと言われるかもしれません。
 上の段にさとし、下の段にあきら、閉じ込められた押し入れのなかで、ふすまの穴から外をのぞくふたりですが、みずのせんせいが、両手であなを押さえて目隠しをします。おもしろい。
 じょうききかんしゃとミニカーがふたりを助けてくれます。時代を感じさせてくれるふたつの乗り物です。
 57ページにあるビルのてっぺんに座るねずみばあさんの姿がこわい。迫力があります。
 物語は、けっこう豪快で、空間に広がりがあります。戦いは壮絶です。ついにふたりはつかまってしまいました。65ページの絵は、エンマ大王の前に引っ張り出された罪人ふたりです。エンマ大王がみずのせんせいに見えるのは失礼なことなのでしょう。でも、ふたりは、ねずみばあさんにあやまりません。
 強い者の上には上がいる。ひとつの世界はひとつの箱の中にあって、その箱はまた別の箱の中にある。そんなことを考えました。
 おしいれひとつで、壮大な冒険話ができあがっています。最後は、友情です。良い行為もそうでない行為も「仲間」で保たれます。人はひとりでは生きられないというところまで到達します。
 さいごは、こどもをおしいれに入れるしつけみたいな行為は中止されました。
 ラストは最初の記述に戻りますが、「さくらほいくえんには、たのしいものがふたつあります。それは、おしいれとねずみばあさんです」の結びがいい。こどもたちは、じぶんたちからわーっとおしいれに入るようになります。ねずみばあさんに会えるかもと期待してのことです。気持ちがいい終わり方でした。
 おしいれの上の段と下の段の世界、蒸気機関車とミニカーというふたつの道具、さとしとあきら、みずのせんせいとねずみばあさん、二面性をからめながらの複雑さがあるもののよく考えられてつくられた物語です。
 1974年発行の絵本です。おしいれのなかにあった高速道路の水銀灯は、いまはLED灯でしょう。いまのこどもたちがどう反応するのか読んであげてみるといいと思います。  

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2019年08月17日

洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい

洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい 中公文庫

 有名な作品ですが読むのは初めてです。子どもさん向けの童話だと思っていましたが違います。貧しくも強く生きた日本民族の暮らしの記録集です。いまどきのエッセイです。そして長いこと、「よだれをたらしたかみ」と読み間違えていました。正しくは、「はなをたらしたかみ」なのです。作品を読み始めてようやくわかりました。お恥ずかしい限りです。
 吉野せい(1977年78才没)、本の最初に学校教科書で旅行の随筆を読んだことがある串田孫一さんの紹介文があります。
 同じ人でもうまい文章を書く時とそうでないときがあるけれど、吉野せいさんは、そういうことはない。いつも切れ味鋭いものを書かれるそうです。
 共感した言葉は、「文章を書くことは、自分の人生を切って見せるようなものかもしれない」という部分です。
いまはじめの2本を読んだところですが、本作品集もノンフィクションがベースになっている短編だろうと察します。全体で16編の短編です。作成時期の時代背景は90年ぐらい前、大正末期から昭和初期、本の発行は50年ぐらい前です。

「春 (大正11年春の作品)」
 ニワトリを巡るお話です。生命誕生の喜びが生き生きと書いてあります。
 調べた単語として、「距離の一町:約110メートル」

「かなしいやつ(大正14年冬の作品)」
 農耕民族である日本人の貧しい暮らしです。貧しさゆえの北海道移住話があります。移住希望者を、周囲が、飛翔ではなく逃避だと責めます。
 NHK朝ドラ「おしん」の世界です。妻は北海道移住後早くに亡くなり自身も40歳で亡くなるもとは名家の家の男性のお話でした。それでも男性の人生は輝いていたのでした。自分の希望する道を進んで、人脈を広げて、自然とともに生きて、詩作に没頭したのでした。
 文章描写が克明です。まじめで実直、細かいところまで力を入れて書いてあります。

「洟をたらした神(昭和5年夏の作品)」
 やんちゃで元気な少年です。かぞえ6歳です。気が強い。芯が強い。人に頼らない。自立しています。童謡が生活を支えています。ノボルという名の少年ですが、当時の農村地帯には、彼のような少年がたくさんいたと思うのです。

「梨花(りか) (昭和5年冬のこと)」
 りかと読むと思うのですが、女の赤ちゃんの名前です。書中では、「リーコ」と呼ばれています。1才を迎える前に病死しています。思い出のお話です。
 最初に出てくる草野心平さんの1971年書画展のことから、実際にこの文章が書かれたのは、そのころなのでしょう。昭和46年、大阪万博の翌年です。
 印象に残った表現として、友人を「年老いた童子(どうじ)」
 41年前の遠い昔の思い出です。そのころはまだみんな若かった。
 強烈な虐待事件が続くいま、この話を読むと胸にしみます。幼子を大切にするのですが、病気のために命が続きませんでした。
 調べた単語として、「焚く:たく。燃料を燃やす」
 しんどい生き方があります。思いつめた生きざまです。
 
「ダムのかげ」
 親分がいて、子分がいる。集団の秩序に従えないとなると追放される。そんなことのあと、炭鉱の坑内事故で命を落とす。
 命と高い賃金を交換するのが炭鉱仕事。
 調べた単語として、「嚊ももらった:かかあ。妻」

「赭い畑 (あかいはたけ。赤土の畑。昭和10年秋)」
 農業関係事務職員の話です。
 貧しいのに子だくさんなのは、農作業における労働力の確保と、ほかに楽しみがなかったということだろうか。現代では、子どもにはお金がかかることもあって、少子化となりました。極端から極端に変化したい日本民族です。
 記述からは、人は死んだら生まれ変わるという輪廻思想が日本人にはありません。
 登場人物の言葉として、「人間は泣きながら歩いているうちにほんとうの自分をみつけてくる」
 なにもかもが、せっぱつまっている文章内容で、少し読み疲れてきました。
 特高(特別高等警察。国家維持が目的)に思想問題人物として目を付けられる。共産主義思想の否定です。

「公定価格」
 官憲(官庁の権利をもつ者)から農作物のわいろを要求される。さからえない百姓のくやしさがあります。読んでいると暗い気持ちになってきます。くだものの梨を要求されます。くやしい思いをこらえながら権力に伏する。昭和17年のことです。昭和20年終戦。

「いもどろぼう」
 番小屋で夜通し交代で農作物の見張りをする。どろぼうは命乞いをする。捕まえられた者も捕まえた者も貧しい。どろぼうはうそをついているかもしれない。
 たべものは、盗むのではなく、自分の手で育てる。働いたお金で買うもの。安易な許しは相手の思うつぼということもある。されど、終戦後の昭和20年秋のことで、加害者も被害者も途方に暮れる。

「麦と松のツリーと (昭和19年冬)」
 外国人捕虜のためのクリスマスツリーのことです。戦場のメリークリスマスという映画を思い出します。モミの木がないので松の木を代用する。
 空襲の話があります。「(戦争に)負けたらどうなるのか」不安が広がります。
 アメリカ兵に向かって、「ガム、くんちぇ(ください)」の少年たちが出現します。
 敗戦した国民のみじめさがあります。

「鉛の旅」
 昭和20年3月9日の出征兵士です。同年8月15日が終戦日です。登場人物が、「二度目の出征です」という。もう日本には兵士もいない。彼は妻を亡くして、幼子を63才の祖母がめんどうをみている。祖母にはもう10年は生きていて欲しいと願う。長寿となった今とはだいぶ違います。地の底で暮らす民の声が届いてきます。

「水石山 (昭和30年秋)」
 山のぼりのお話です。鳥のヒバリの話も出ます。そういえば、小学生の頃ひばりをよく見かけましたが今は見なくなりました。まっすぐ飛び上がって、巣から離れたところへ降りる鳥でした。巣にいるヒナを守るためです。
 
「夢 (昭和46年春 作者72歳ぐらい 前年に夫を亡くし、この年から執筆活動をして、昭和49年75歳ぐらいで、この本「洟をたらした神」を出版しています。人生における出版時期に遅いということはないと勇気づけられます。昭和52年78歳で没)
 山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)詩人、児童文学者の記事あり。1924年・大正13年40歳没。
 作者について、時が流れて、生活が落ち着いて、平和が訪れて、文章は穏やかな文脈へと変化しました。このときは、自分のことを考える時期です。

「凍ばれる(冬、寒くて、しばれる) 昭和47年冬
 80歳近い老人の気持ちです。印象的な文章表現として、「生誕の時の光りに反してこの終わりに暗さ」

「信といえるなら (昭和47年春)」
 昔と今を比較して話すようになると人は歳を重ねたということ。どちらがいいもわるいもない。貧しい生活で切ない思いをしたことも今となっては思い出。「みじめでした」という言葉がつらいのですが、いつまでも「みじめ」な位置にいるわけにはいきません。長い人生のなかで、そういう時期がありましたという思い出として老いてからは語りたい。
 印象的な文節として、「あんたは書かねばならない」
 感情的、感情優先な内容でした。

「老いて(昭和48年秋)」
 74歳ぐらいです。昔はもう老人扱いでしたが、今ではまだまだ若いといわれる年齢です。

「私は百姓女 (昭和49年春)」
 書き方が変化して、日記のようです。

*かなり昔の時代の頃のことなので、読む人それぞれによって、内容に強い共感をもつひと、そうでないひとがいるのでしょう。好みが別れる作品群かもしれません。  

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2019年08月16日

コンビニたそがれ堂 村山早紀 

コンビニたそがれ堂 村山早紀 ポプラ文庫ピュアフル

 短編6本です。

「コンビニたそがれ堂」
 ファンタジー神がかり(お稲荷さん神社関係)ショートショート(不思議物語)です。はじめて読みました。ロマンチック(男女の愛をからめて情緒的)です。ミステリーっぽく、読後感は胸がすく(すっとした心持ち)ような感じです。
 コンビニたそがれ堂は、きつねの神社のそばにあり、常にそこに存在するわけではなく、必要な時に必要な人のために存在する。店員はキツネ顔の銀髪で目は金色に輝いている。
 江藤雄太小学5年生が今回の登場人物です。児童文学だろうか。雄太には、アメリカ合衆国へ転校した美音(みおん)に未練がましい(あきらめきれない)思い出があります。そこをキツネ店員が解決してくれます。
 コンビニのマークは、「稲穂」
 猫好きにはたまらない(すばらしい)話なのでしょう。
 定義は、「探しものが必ずある不思議なコンビニ」です。
 秀作でした。

「手をつないで」
 ことし読んでよかった1冊になりそうです。
 うまくいかない母子関係にある小学3年生です。母親自身も母親から冷たくされたのでしょう。だから、自分の娘にもあたります。娘のリカちゃん人形を捨てます。
 えりかは、不安になり、迷い、さまよい、たどりつくのが、きつねさんが神社のそばで営業しているコンビニたそがれ堂なのです。悲しい時のコンビニたそがれ堂です。導かれるのです。
 作品「コーヒーが冷めないうちに」の雰囲気です。
 どうなるのか、推理小説の面もあります。
 えりかのセリフが深刻さを増します。「おうちに帰りたい。でも、帰りたくないよ…」
 神社の「人形供養」という言葉を思い出しました。
 ママは、「孤独」というストレスがたまっている。
 作品には、優しさが満ちています。
 印象的だった文節として、「ママは、心がぐるぐるして、苦しくなっちゃうときがある」
 結末を予想できませんでした。意外な結末でしたが良かった。

「桜の声」
 この1本は好みではありません。民放ラジオ局女性アナウンサー、未婚もうすぐ30歳の不思議な体験記になっています。戦時中の過去、月旅行ができるくらいの未来が出てきますが、肝心のコンビニたそがれ堂から離れてしまいました。力は入っていますが、うわべの事象で構築された物語という感じがしました。
 気に入った表現としては、「おなかのあたりがからっぽで、落ち着かない感じ」
 30歳をまじかにして、これから先、結婚しないで、仕事一筋でいくか、結婚・妊娠・出産・子育ての道を選択するか、迷いがあります。ただ、縁のものなので、男性との出会いがいまのところないようです。
 物語の途中で、以前、タイで、洞窟のなかに多数のサッカー少年たちが、豪雨のために洞窟に入って来た水のために出られなくなった事故のことを思い出しました。
 調べた単語として、「わたしのPDA:パーソナル・デジタル・アシスタント。携帯情報端末」

「あんず」
 猫娘(猫が人間になる)あんずの物語です。もう、彼女の余命が尽きそうなのです。
 このパターン、既視感があります。コンビニ堂で人間になれるものをもらって、いくつかの約束事を言い含められて、飼い猫あんずは、きれいな少女に変身します。
 作者の想像世界に誘われます。
 セミをとるために木に登るあんずです。猫だからできることです。その部分を読んでいるときにちょうど窓の外でセミが鳴いていました。
 力作です。エネルギーがこめられています。
 「死」の話です。猫の死でもあるし、一家の飛行機事故で亡くなった父親の話でもあります。男の子が中学生の頃に父親が亡くなっています。
 非常にむずかしい世界に入っていきます。過去を大事にするのですが、いつまでも過去にしばられている。過去を忘れられない。過去を捨てられない。過去に感情がひきずられている。そうなると明るくて遠い未来が見えなくなります。物の片づけ作業と似ています。本人は思い出がある大切なものに囲まれているつもりですが、人から見れば、家の中がゴミだらけのごみ屋敷です。
 人はあっけなく死んでしまいます。そして、永遠に生き続けることはありません。だれもがかならずいつか死にます。その時期が早く来る人もいますし、遅く来る人もいます。
 
「あるテレビの物語」
 心をもつテレビの話です。こちらもさきほどの「あんず」と共通するテーマ「死」があります。テレビは壊れて映りませんが声は出ます。さて、どうしようです。もったいない。テレビの擬人化がありますが、少々無理があります。物は物であって、生き物ではありません。道具です。物に感情を付加すると生きにくい状況が生まれてきます。商業用家畜に名前を付けて育てたのに、やむなく食べなければならないという苦しみを味わう行為と重なります。
 別れはつきものですが、別れることができません。未練のかたまりです。せつせつとその心情が語られます。過去の呪縛から逃れられない。
 反発を受けるかもしれませんが、そういう自分に恋をしている。

「いくつかのあとがきから」
 2006年の日付です。もう15年ぐらいが経ちます。
 基本は児童書だそうです。それが、おとなも読める、読む、児童書に発展しています。やはり、むかしのことを忘れられない人は多い。ただ、あのとき、あのことがあったから、今の不幸があるというようには考えたくありません。むしろ逆であってほしい。
 失わないと得られないのが人生の流れです。なにもかもすべてを手にすることはできません。  

Posted by 熊太郎 at 06:17Comments(0)TrackBack(0)読書感想文