2025年02月15日

家族 邦画 1971年

家族 邦画 1971年(昭和46年) 1時間46分 動画配信サービス

 監督:山田洋次
 俳優:倍賞千恵子(25歳の役。当時の本人の年齢は、29歳)、笠智衆(65歳の役。倍賞さんと同じく、66歳)、井川比佐志(30歳の役。同じく、34歳)、子役ふたり男児の兄と女児の妹(3歳と1歳)、渥美清(当時、42歳)、前田吟(まえだ・ぎん。当時、26歳)、クレージーキャッツのメンバーほか

 倍賞千恵子さんの本、『倍賞千恵子の現場 「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」「駅STATION(ステーション)」出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書』に書いてあった映画です。興味が湧いて観てみました。
 映画の公開は、1971年(昭和46年)ですが、映画の映像は、1970年(昭和45年)大阪万博の年です。なつかしい。ドキュメンタリータッチの映画としてつくられています。

 長崎県の海に浮かぶ伊王島(いおうじま)から、5人家族が、北海道にある中標津駅(なかしべつ駅)を目指します。北海道の東、釧路とか根室方面にある駅です。酪農で食べて行くそうです。
 長崎県の伊王島には炭鉱がありました。5人家族のうちのおじいさん65歳(笠智衆りゅうちしゅう)さんは、炭鉱夫でした。昨年秋のドラマ、『海に沈むダイヤモンド』の物語と重なるような雰囲気もあります。ドラマであるダイヤモンドの舞台だった端島(はしま。軍艦島)の北方向に、伊王島が位置しています。
 映画の劇中では、笠智衆さんが何度か炭坑節を歌います。この当時は、カラオケというものは世の中にはなかったので、みんなの手拍子(てびょうし)で歌います。
 
 サラリーマンの会社勤めがイヤで、夫が以前からの夢だった北海道にある開拓村での酪農を目指します。最初は、夫だけで行くつもりでしたが、妻の意向で、家族全員が北海道に移住することにしました。
 まあ、いろいろあります。たいへんです。過酷な旅です。
 電車や船の移動の途中で、あかちゃんが病気になって亡くなります。悲しみがあります。
 ようやく北海道についても、おじいさんが、ぽっくり病のようにしてふとんの中で亡くなります。旅で疲れ果てたことが、亡くなった遠因(えんいん。間接的な原因)といえないこともありません。
 移動の途中、広島県福山市にある駅で、おじいさんはそのときに、父親を引き取ってめんどうをみることはできないという次男と、もうこれでこの世の別れになるかもしれんと言葉をかわしたのですが、本当にそのようになってしまいました。
 こんなことなら北海道へ来るんじゃなかったと、しょんぼりする長男夫婦です。
 されど、亡くなる人がいれば、生まれてくる命もあります。いいこともあるし、そうでないこともあるし、それが人生です。映画には、悲しみのあとの続きがあります。いい映画でした。

 自分もこどものころに体験した、日本列島を電車で移動する中身の映画です。観ていて、実感があります。わたしは7歳ごろに長崎あたりで、小型客船での移動を体験しました。寝台車ではない夜行列車の旅も体験しました。なつかしい。暗い中の走行で、遮断機が何度もカンカンカンと鳴っていました。山の中腹には大きな宣伝看板がいくつも立ててありました。
 福岡県北九州の八幡製鉄所(やはたせいてつじょ)の映像は、自分が小学生のときに現地で観た風景と同じでした。煙突(えんとつ)から煙が出ていました。
 中学校の修学旅行では、修学旅行専用列車(ディーゼルカー)『飛梅号(とびうめ号。菅原道真公(すがわらのみちざね)にちなんでいます)』で、福岡県内にあった地元の駅から京都駅まで行きました。親たちに見送られて、朝8時頃地元の駅を出発して、夕方5時ぐらいに京都駅に到着した記憶です。車窓から見えた瀬戸内海の景色が、映画で出てくる瀬戸内海の景色と似ていました。
 中学校の修学旅行では、帰りは、国鉄がストライキをしていて、大阪駅のホームに新聞紙をしいて座り、ずーっと飛梅号が来るのをホームで待っていました。もう今となっては、遠い記憶です。浅田美代子さんの歌、『赤い風船』をみんなで歌っていました。

 こちらの映画では、『別れ』と、『希望』と、『出会い』があります。

 最初おじいさんだけは、広島県福山市に住む次男宅でやっかいになるというような話でしたが、いざ次男の家に行ってみると、家は狭くちびっこがいて、暮らし向きがたいへんで、とてもおじいさんがやっかいになれるような状態ではありませんでした。いろいろいざこざがあります。おじいさんの次男宅での同居をあきらめました。
 次男は、父親を駅のホームで見送る時に、これで最後になるかもしれないと言います。そのとおりになりました。しみじみくるものがあります。
(先日、お昼に流れているラジオの人生相談で、80代の女性が、三世代で息子の家族と暮らしているけれど、自分が、家族からやっかい者扱いされているような気がする。これからさき、どうやって、(とくに息子のお嫁さんと)付き合っていけばいいかと相談されていました。わたしも、最近、長生きするって、なんなんだろうなあと考えることがあります。長生きすることが、自分や家族にとって、いいことばかりではないなと感じるのです。つらい話ですが…… まわりに負担をかけてしまうのです)

 こちらの映画では、大阪万博、太陽の塔あたりでのロケもあります。
 この映画は、ドキュメンタリー映画で、役者さんたちが、雑踏の中に入って、まわりの人たちは気づかないままに撮影がなされています。
 1970年(昭和45年)当時のじっさいの日本の風景や光景がフィルムにおさめられています。映像に映っている人たちの大半はもうあの世へ行かれていることでしょう。

 みなさん、九州弁がうまい。
 にぎやかです。じっさい、当時は映像の中のような感じでした。
 人と人との距離がとても近かった。電車の中では、知らない者同士でもよく会話をしました。今どきの電車の中は、みんな無言で、シーンとしています。スマホばかりを見ています。しゃべっちゃいけないんです。へんなの。
 演者のみなさんは、本当の家族のようです。観ていて、じっさいにああいう時代があったと思い出します。社会でも、他人同士が本当の家族のように暮らしていました。子だくさんの時代でしたので、次男以下は、郷里に残れず、都会に行って、他人同士で固まって、疑似家族のようにして暮らしていました。

 お金の話が何度も出てきます。裕福ではない庶民の暮らしです。
 老いた父親の居場所がない。狭いこどもの家での同居はできない。お金がないということはさみしいことです。
 1970年(昭和40年)当時、まだ、日本人の寿命は長寿ではありませんでした。当時の男性の平均寿命は、67.74歳でした。(女性は、72.92歳)。おじいちゃん長生きしてねと言ってくれる孫がいました。

 映画ってなんだろうと思いながら観ています。
 山田洋次監督は、いい映画をつくられました。
 倍賞千恵子さんは、必死の演技です。
 大阪は、人込みだらけです。東京も同様です。
 いなかから大都会に出てくると、いなかの人は、人の多さにびっくりします。そして、途方にくれます。(とほうにくれます)

 おじいさんは、エスカレーターにうまくのれない。若い女性はミニスカート。ハネムーンのカップル乗客が新幹線に乗っています。
 
 倍賞さんは自分のこどもたちに子守唄を歌ってきかせます。とてもきれいな歌声です。
 
 クレージーキャッツのみなさんは、ちびっこに優しい。
 渥美清さんの演技がおもしろい。見ているだけで、気持ちがリラックスできてほっとします。
 
 長崎県がらみなので、キリスト教の話が出ます。カトリックだから、避妊はできないとか、堕胎(だたい。中絶)はできないとか、そっち関係の話です。お墓は映像では土葬でした。

 鉄道は、JRではなくて、国鉄です。このころはよくストライキがありました。電車が動いてくれませんでした。

 タバコ社会でしたから、どこへ行ってもタバコの煙だらけです。
 電車の中でも喫煙可でした。
 森進一さんの歌声が流れています。
 みんな大きな荷物をかかえて移動しています。
 ケンカしても一緒にいるのが家族です。
 
 北海道は一面の雪景色です。広大な原野が広がっています。何もないところです。
 
 この当時、庶民が飛行機利用で移動することはなかった記憶です。自家用車もまだ普及していませんでした。
 
 夫が言います。『オイはアホやった』(北海道に来たことを後悔します。長崎県の伊王島にいれば良かった)
 (過去の決定を振り返って)あれはあれで良かったと思うしかないのが人生です。

 ちょっと重たい映画でもありました。

 父親が暴君という、当時はよくあった現象です。ぼうくん:横暴なトップ
 一家の主(あるじ)ではあるのですが、経験と能力が、見合っていません。井川比佐志さん演じる父親は実力不足なのです。
 ひとりのがんこおやじのために、家族みんなが迷惑しています。親としても夫としても、息子としても配慮が足りません。
 なにがなんでも、自分がしたいようにするおやじさんです。
 過酷な旅の中でふたりの人間が疲れ果てて亡くなってしまいました。
 こどもというものは、とりあえず、生きていてくれればいい。残念です。
 肉親の死の悲しみに耐えながら生きていくのが人生でもあります。

 最初はひとりで1回見て、2回目は夕食を食べながら家族と観ました。
 いい映画でした。  

2025年02月14日

倍賞千恵子の現場 出会った素敵な人たち

倍賞千恵子の現場 『男はつらいよ』『幸福の黄色いハンカチ』『駅STATION(ステーション)』出会った素敵な人たち 倍賞千恵子 PHP新書

倍賞千恵子:女優。1941年生まれ(昭和16年。現在83歳)。1960年(昭和35年)松竹音楽舞踏学校卒業。松竹歌劇団入団。翌年、松竹映画でデビュー。62年『下町の太陽』でレコード大賞新人賞。その後、映画『男はつらいよ』シリーズで、さくら役を務める。

 2017年(平成29年)に出版された本です。

 この世代ですから、戦争中の話が出ます。(第二次世界大戦)
 茨城県に疎開されていたそうです。
 戦後の浅草でがんばった話も出ます。
 浅草は、芸能文化の中心地だった。浅草で芸能人として育った。
 そんなことが書いてある、『はじめに』から始まりました。
 映画、『下町の太陽』に出演したとき、倍賞さんは22歳、映画監督の山田洋次さんは32歳です。長い時が流れました。

 自分も同じ時代を生きてきたので、思い出は多い。
 映画、『駅STATION』で歌われていた、『舟歌(ふなうた)』の歌手、八代亜紀さんもお亡くなりになりました。昔、三重県にある長島温泉でご本人のステージを観たことがあります。それも遠い過去のことになってしまいました。
八代亜紀:歌手。2023年(令和5年)73歳没
阿久悠(あく・ゆう):作詞家。舟歌を作詞した。2007年(平成19年)70歳没

『第一章 寅さんと渥美さんと私』
 わたしは、『男はつらいよ』シリーズは全部観ました。リアルタイムで、その時代に映画館で観た作品もありますし、その後、DVDで観た作品もあります。
 スクリーンの中で、家族が、わっちゃかやるのですが、スクリーンの中の世界と現実の世界が一致していました。映画を観終えて、映画館を出て、家に帰れば、寅さんのご実家と同じような自分の家や家庭がありました。
 昭和40年代は、(1965年代)まだ、人と人との距離がとても近い時代で、いなかの映画館だと、観客と映画館で働く人が知り合いでした。スマホはない時代ですから、映画を観ていると、映画館の人が観客に向かって、『〇〇く~ん、家から電話だよーー』と声をかけてきました。『は~い』と立ち上がって、電話に向かうお客さんがいました。また、映画館の座席は、今みたいに、指定席ではありませんでした。いろいろ世の中変わりました。

 本を読みながら、渥美清さんは、演技の天才だったことがわかります。
 黒柳徹子さんが渥美清さんと仲が良くて、たまに番組、『徹子の部屋』で亡くなった渥美清さんの話をされます。フーテンの寅さんは、演技であって、ご本人は寅さんの個性とは、まったく違う人だったと聞きました。渥美清さんは、俳優さんなのです。

 男はつらいよの俳優陣のチームは、かなり人間関係の相性が良かったようです。各自の能力が高かったこともあるのでしょう。問題や課題があったようには思えません。みなさん楽しく仕事をされています。

アリア:オーケストラの伴奏で歌う抒情的な曲(じょじょうてきな曲:感情、心情がこもっている)

 読みながら、自分たち家族が、葛飾柴又を訪れたときのことを思い出しました。
 京成電車の柴又駅の駅舎とかホームとか、寅さんやさくらさんの銅像とか、柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん。お寺さんです。題経寺だいけいじ)のことも思い出します。
 帝釈天の渡り廊下の欄干に(らんかんに)、まだ2歳ぐらいだったうちの男児の孫がしっかりつかまりながら、大きな声で、『まっかだなー まっかだなー つたーのはっぱが まっかだなー』と、童謡の『真っ赤な秋』をいっしょうけんめい歌っていました。渡り廊下を歩いてきたおじいさんたちのグループが、じょうずだねーーと優しく声をかけてくださった光景を今も覚えています。幸せなひと時でした。まるで寅さん映画の中のシーンのようでした。

 渥美清さんの演技のふくらませかたがうまい。台本に書いてあることはシンプルです。渥美さんでないとやれないキャラクターが、車寅次郎(くるま・とらじろう)です。
 
 倍賞千恵子さんのお父さんも、ふだんは優しいのに、お酒を飲み過ぎると、ちゃぶ台をひっくりかえすタイプだったそうです。ストレスをアルコールで発散するタイプです。アニメ、『巨人の星』の星一徹(ほし・いってつ)もそのタイプでした。さらに、わたしの父親も同類でした。アルコールが入っていないときは、ちゃんとした人間なのに、アルコールが入ると暴れん坊になるのです。わたしも母も苦労しました。そんなふうだったから、父は体を壊して病気になって、とうの昔に亡くなりました。昭和の時代は、そんなタイプの男が、世間にたくさんいました。

 渥美清さんも、高倉健さんも、『贅肉(ぜいにく)のない芝居』をされていたそうです。
 すっと立っている。ムダな動きはしない。
 隙(すき)がないのに隙があるように見せる。美しい。
 渥美清さんには、取り巻きの人がいなかった。
 財布やカバンは持ち歩かなかった。
 ポケットにお札が裸で入っていたようです。
 1万円札を東京代官山駅の売店の人に預けておいて、そこから引いてもらって物を買って、足りなくなったらまた1万円札を預けるという物の買い方をしていたそうです。電車に乗る時は、1万円を預けたお店の人から、切符を買うための小銭をもらっていたそうです。なお、代官山のマンションを本宅とは別に仕事場として借りていたそうです。きっと、マンションで、演技の練習をしていたのでしょう。

 渥美清さんのお母さんが認知症になってしまって、渥美さんのことがだれなのかわからなくなってしまった話が書いてあります。『(あなたは)どちら様ですか?』の世界です。

 渥美さんは心優しき人です。障害者に優しい。不安をかかえている俳優さんに優しい。よほど苦労されたのでしょう。苦労された人は、優しい人が多い。
 
 倍賞千恵子さんが、乳がんで入院された病室が、偶然、渥美清さんが、肝臓がんから肺に転移したときに入院していた病室と同じだったそうです。人の縁があります。
 
 『男はつらいよ』の第一作のとき、渥美清さんが41歳、倍賞千恵子さんが26歳です。
 渥美清さんは68歳でお亡くなりになりました。1996年(平成8年)8月4日でした。

『第二章 本番、よーいスタート!』
 映画監督の山田洋次さんのことが書いてあります。映画の撮影時は厳しい人です。1931年(昭和6年)生まれ、現在は93歳になられました。
 本に書いてあることはかなり古い。昭和30年代のお話です。(1955年代)
 
 昔は見合い結婚が多かった。愛情よりも、経済的に食べて行けるかどうかが結婚相手を選ぶための『ものさし(基準)』でした。(『男はつらいよ』の第一作で、さくらさんは、社長の息子との見合い相手を断って、印刷工場の工員である博さんとの結婚を選びます。お金よりも愛情を優先した当時では珍しい選択でした)

 読んでいると、思い出多い人生が、いい人生だと思えてきます。

 佐藤蛾次郎(さとう・がじろう)さんは、倍賞さんの料理の先生だったそうです。意外です。

 『男はつらいよ』シリーズは、思いやりとか、優しさがいっぱい詰まった映画でした。

『北海道、そして健さん』
 健さんは、高倉健さんです:2014年(平成26年)83歳没。福岡県中間市(なかまし)出身

 わたしは親族といっしょに映画館で、『幸福の黄色いハンカチ(しあわせのきいろいハンカチ)』を観ました。1977年(昭和52年)秋の公開でした。名古屋市の矢場町というところに、たしか、ヘラルドというような名称の映画館がありました。今はもうありません。
 劇中、福岡県出身の高倉健さんが武田鉄矢さんを叱りながら、出身地は福岡のどこだという話になります。武田鉄矢さんは、『博多』と答え、高倉健さんは、『飯塚(いいづか)』と答えます。飯塚市は、観ている自分たちにとって身近な市だったので、たいそうびっくりした覚えがあります。飯塚は、映画での設定ですが、福岡県は、たくさんの有名人が出ている県です。

 『幸福の黄色いハンカチ』では、炭坑長屋住宅の前に立てた、『鯉のぼりの竿(高倉健さんが生まれてくるこどものために立てました。でも、妻役の倍賞さんは、流産してしまいました)』に、倍賞さんが、自分(健さん)がしたことを許して迎え入れてくれるのなら、黄色いハンカチをぶらさげておいてくれ。もしそれが下がっていなかったら、俺はそのまま引き返して、二度と夕張には現れないからと手紙を出したのです。

 結果、鯉のぼりの竿には、2本のヒモが山型につながれていて、そのヒモには、たくさんの黄色いハンカチが吊るされていたのです。(つるされていたのです。美術部さんが、1枚1枚ミシンで縫ってくれたそうです)。いたわりあう夫婦の基本を描いた名作映画でした。

 本には、ふたりが出会ったスーパーでのレジ打ちをする倍賞さんの演技について書いてあります。倍賞さんはレジ打ちの練習を繰り返し何度もされています。レジ打ちをしながら自然にセリフを言いうのはとてもむずかしかったそうです。
 考えてみれば、今では、レジは、セルフレジにまで進化しました。レジでの男女の出会いは望めそうもありません。バーコードで価格読取りのピッピッという音がするだけです。

 先日テレビで見た出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?では、宮崎県青島に黄色いポストがあって、この映画を観た宮崎市役所の職員さんの提案で、黄色いポストができたそうです。幸せのラブレターを交換するためのポストというのが趣旨だそうです。

 倍賞千恵子さんが、東日本大震災の被災地である岩手県山田町の小学校を訪れたときのことが書いてあります。校庭にある校旗掲揚のポールに黄色いハンカチがずらりと並んでいたそうです。
 昨年、岩手県山田町がらみの本を一冊読みました。
 『海よ光れ! 3・11被災者を励ました学校新聞 田沢五月・文 国土社』
 小学校の学校新聞のお話でした。震災を経ての地域の歴史が書いてありました。
 2023年(令和5年):出版記念号外、『海よ光れ』発行。23歳、24歳になった昔の小学校新聞製作メンバーが、号外を発行しました。みなさん故郷や社会に貢献されています。町役場職員、警察官、看護師、漁師、町の商店経営、航空自衛官、みなさん、しっかり地に足を付けて生活されています。学校新聞、『海よ光れ』をつくった体験が、その後の人生に生かされていると、本を読み終えて考えました。

 作品、『駅STAION』では、烏丸せつこさん(からすませつこさん)と根津甚八さん(ねずじんぱちさん)の演技が忘れられません。連続殺人鬼の兄と食堂で働く妹さんでした。心にじんとくる人間模様がありました。根津甚八さんも亡くなってしまいました。さびしい限りです。2016年(平成28年)69歳没でした。
 
降旗康雄(こうはた・やすお):映画監督。2019年(令和元年)84歳没
木村大作:降旗作品の撮影カメラマン。1939年(昭和14年)生まれの85歳
三枝成彰(さえぐさ・しげあき):作曲家。1942年(昭和17年)生まれの82歳

『第四章 普通を演じる』
 『家族(1970年。昭和45年の作品)』という映画についての文章を読んでいると、昨年末に放映されていたドラマ、『海に眠るダイヤモンド』を思い浮かべます。舞台は長崎県の島で炭坑の話がからんでいます。(この映画に出てくる島は、『海に眠るダイヤモンド』で紹介された軍艦島ではありません。なんというか、現代の人が見ると、島にある炭坑というのは、唯一(ゆいいつ)という感じなのでしょうが、昔は、いたるところに炭鉱がありました。ほかの島にも炭鉱はありました)

 もう一本、『故郷(こきょう。1972年。昭和47年の作品)』という映画についての文章を読んでいると、一冊の写真集を思い浮かべます。映画の舞台は瀬戸内海を夫婦が石船で砕石運びをする場所です。船を操縦するのは奥さんの仕事です。石船:石材を運ぶ小型木造船
 思い浮かべる本は、『はたらくことは生きること 昭和三十年前後の高知 石田榮写真集 羽鳥書店』です。白黒写真の写真集で、高知県内、石灰石の石を船で運びます。

 得たものを捨てないと次の仕事ができないという倍賞千恵子さんの意識について書いてあります。
 賞を受賞したら、そのときは喜んで、なるべく早く受賞したことを忘れる。トロフィーや賞状は、一定期間が過ぎたら処分するそうです。

 俳優として演技をする仕事についての心構えが書いてあります。
 ちゃんと生活していくのです。ちゃんと生きる。
 たくさんの人たちに見られているという意識をもつ。
 まじめにきちんとした生活を送る。
 演技中は、演技をしている自分を見ているもうひとりの自分を設定して、もうひとりの目線で、自分の演技を分析・評価していく。
 『男はつらいよ』のさくら役では、結婚、出産、子育て、息子に彼女ができて、息子が就職してという経過の中で、老いていく母親の役を仕上げる。
 自分は、お嬢さん女優ではない。生まれ育ちは、にぎやかな下町の長屋だった。庶民派女優、下町の女優という立ち位置でこれまでやってきた。

滝沢修:俳優、演出家。2000年(平成12年)93歳没

 『お笑い』のことについて書いてあります。演じる人たちは、まじめで、集中力があったそうです。渥美清さん、ザ・ドリフターズ、志村けんさん、みなさんお笑いに対して、真剣な態度で取り組まれていたそうです。情熱とひたむきな努力があります

 笠智衆さんのお人柄について書いてあります。
 笠智衆(りゅうち・しゅう):俳優。1993年(平成5年)88歳没
 いつも竹のようにまっすぐ立って、風が吹けば風にまかせて、しなやかにゆれるようなお人だったそうです。そして、とてもまじめな方です。

 役者にとって、必要なものは、『観察力』だそうです。
 そして、プロの世界はとても厳しい。
 ずばぬけた才能と努力、運と人間関係が必要と読み取れます。
 今年読んで良かった一冊になりました。

『第5章 人生というステージ』
 自分の仕事は、女優と歌手だそうです。
 戦時中、茨城県で疎開していたときの神社で座布団(ざぶとん)をあかちゃんに見立てて、『赤城の子守歌(あかぎのこもりうた)』を歌ったそうです。まだ、3歳か4歳ぐらいのころでしょう。
 やはり才能に恵まれていたのでしょう。その後、いろいろな選考で合格されて、とんとんびょうしに芸能人の仲間入りをされています。
 わたしは、仕事は、才能と努力と人間関係だと思っています。これしかできないからこの仕事をしているということはあります。ほかの人から見たらとてもやれないことでも、本人にとっては簡単にできてしまうのです。でも、だからといって、その人が、事務職や営業職ができるわけではないのです。人それぞれ、自分の得意分野で仕事を選べば、仕事が長続きします。

 わたしがこどものころに聴いた、『希望 藤田敏雄作詞 いずみたく作曲 岸洋子歌』という曲は、もともとは、倍賞千恵子さんのためにつくられた曲だそうですが、倍賞さんがまだ若く、歌いこなすことができない曲だったそうです。いい歌でした。『希望という名のあなたを訪ねて……』という歌です。

 倍賞千恵子さんは、1975年(昭和50年)に、東宝ミュージカル、『屋根の上のバイオリン弾き』で、テヴィエ(森繁久彌さん)の次女ボーデル役で出演した。(たまたまなのですが、今年4月に名古屋市栄にある芸術劇場で、市村正親さん(いちむらまさちかさん)で、同劇の公演があるので、チケットの先行抽選申し込みをしませんかとお誘いがあったので申し込んであります。当たるといいなあ)(その後:抽選に当選しました。観劇が楽しみです)

 愚兄賢妹(ぐけいけんまい):『男はつらいよ』の仮タイトルだったタイトルだそうです。ふ~ん。では、『男はつらいよ』のタイトルの由来はどこから出てきたのだろう。(当時のテレビプロデューサーの発想だそうです)

 ステージで、ゾーン体験がある。(もう一人の自分がいる)
 そういえば、こないだの太川陽介さんの路線バス乗り継ぎ旅で、ゲストで出た女子サッカー選手だった澤穂希さん(さわ・ほまれさん)が、サッカーの試合中に自分の意識が、ゾーンに入ることがあると表現されていました。選手たちの動作がスローモーションに見えて、神業(かみわざ)が生まれるというようなことをお話しされていました。
 
 1993年(平成5年)作曲家の小六禮次郎氏(ころく・れいじろう氏)と結婚。倍賞千恵子さんが、52歳ぐらいのときです。
 倍賞さんは、2001年(平成13年)に乳がんの手術をされておられます。60歳のときです。
 倍賞千恵子さんは、癌の家系の方に見えます。母(肺がん。1988年(昭和63年)没、父(喉頭がん。1995年(平成7年)没
 236ページからは、『生と死』のお話です。
 余生を楽しく過ごすために、日々をちゃんと生きる。そう自分に言い聞かせておられるそうです。
 その部分を読んで、わたしもちゃんとしなきゃと再認識したのでした。
 今年読んで良かった一冊になりました。倍賞さんありがとう。  

Posted by 熊太郎 at 06:42Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2025年02月13日

ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in長野

ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in長野 松本駅から飯山市飯山城址公園(いいやまじょうしこうえん) テレビ東京

太川陽介チーム:えなこ(コスプレイヤー。わたしは存じ上げませんが、旅の途中で立ち寄った中野市がアニメキャラクターの掲示物を市役所にたくさん出して宣伝していたので、オタク文化への取り組みがすばらしいと、えなこさんがとても盛り上がるようすに驚きました)
 お笑いコンビマシンガンズ西堀亮(にしほり・りょう)。わたしは、相方の滝沢修一さんが書いた本を読んだことがあります。 『このゴミは収集できません マシンガンズ 滝沢秀一(たきざわ・しゅういち) 白夜書房』。お笑い芸人だけでは生活できないので、ごみ収集員をもう6年間している。ごみ出しのルールを守らない人は、ほかのルールも守らない。守れない。守る気がない。そういう人は避けたほうがいい。そんなことが書いてありました。

河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙田真希(バスケットボール女子日本代表。愛知県の人なんだと気づきました。名古屋市内にあるバスケットボールが強い桜花学園高校(おうかがくえんこうこう)を出られた人でした)
 元木大介(プロ野球元巨人軍選手。わたしはあまり好きな人ではありません。曲者(くせもの。あやしい奴)と呼ばれています。今回も、歩きたくない、やる気ないという態度で始まって、同じチームの髙田真希さんから、あの人、本当にアスリート(身体運動に優れた選手)だったんですかと愚痴(ぐち)られていました。世代が違うから、たぶん、元木選手がプレイしていたシーンは見たことがないのでしょう)

 内容はとても良かった。
 河合郁人チームの最後のあたりの追い上げが、勢いがあって、わたしはもしかしたら河合チームが逆転勝ちしたのではないかと思いました。(同点引き分けでした)

 髙田真希さんは体が大きいなあ。
 長野駅前で女子高生たちに声をかけられていっしょに写真におさまっておられました。女子高生たちはとても喜んでいました。
 へんな話ですが、長野駅前のバスターミナルで、先日通り魔事件があったわけで、以前、わたしたち夫婦もそのバスターミナルを利用して善光寺へ行ったことがあり、今回のこの番組の映像でも自分も立っていたことがある事件現場らしきあたりが映っており、不思議な気持ちになりました。
 あと、映像を見ていると、たぶん移動途中の風景で、桜が咲いているようでした。ロケが、昨年の春とは思えず、秋に咲く桜の花だろうと思いました。(その後:昨年(2024年)の春にロケをしたのであろうとネットの記事で読みました。どうして、それからずーっと放送しなかったのだろう。今はもうテレビから大雪情報が流れる2025年2月です。きょうも外は雪景色です。(2月8日土曜日にこれを書いています)。へんなの)

 チェックポイントでの食べ物がおいしそうでした。
①アップルパイ:パイ生地が粉雪みたいだと太川さんが言っていました。サラサラだそうです。そして、リンゴがおいしい。
②ハーブティーとシュークリーム
③栗パフェ:たまたま今NHKで放送している夜ドラ、『バニラな毎日』で、モンブランづくりをしているのですが、こちらの映像では、モンブランのパフェに見える商品でした。ふたつの出来事が重なりました。
④キノコのピザ:日本で収穫するキノコの量が日本では長野が一番多いというような説明がありました。そうなのか。

 えびすよしかずさんの、『陣(じん)とられましたよ』の声が携帯電話からときおり流れてきます。なつかしい。えびすさんは認知症になってしまって、もう自分がバス旅をしていたことも忘れてしまわれたそうです。ときどき、録画してある昔のバス旅の映像を再生して見ています。しみじみします。人はだれしもそうやって老いていくのです。

 洋服かぶりがおもしろかった。
 マシンガンズの西堀亮さんですが、上に着ている服の色は、同じチームのえなこさんが着ている緑色の洋服の色と重なり、下に着ていたボーダー(横しま模様)のシャツは、太川さんが着ている服を同じ柄で重なっていました。おもしろかった。

 なにせ、人がいません。道を聞きたくても、人が外を歩いていません。う~む。過疎地(かそち)ですな。バスの路線や本数も少ないのでしょう。

 両チームのかけひきというか、なりゆきが、とてもおもしろい。
 事前の根回しなしのガチ(真剣勝負。本気(ほんき))だからおもしろい。
 おもしろいなあ。太川陽介チームがあきらめたお餅屋さんを、あとから来た河合郁人チームが取りました。『信州須坂藩一万石』という食べ物で、将棋の藤井聡太王将がその食べ物を食べたそうです。
 
 なかなか良かった。楽しめました。  

2025年02月12日

バニラな毎日 NHK夜ドラ 5話から12話

バニラな毎日 NHK夜ドラ 5話から12話 月曜日~金曜日夜10時45分~11時 NHKとかNHK+とか

第5話
 う~む。前週と比較すると、あんまり内容が自分に入ってきません。
 メンタルっぽくなった音楽バンドのボーカルさんが登場します。
 いきなり、ドンドンドンと入口ドアをたたき続けるので、闇バイトの強盗が来たのかと勘違いしそうです。オソロシイ

バンドマンボーカル 役名:秋山静(あきやま・しずか) 俳優:木戸大聖(きど・たいせい) 有名な音楽バンドだそうですが、パティシエ(洋菓子職人)の白井葵は彼を知りません。彼は、思うところあってなのか、体調面なのか理由はまだ明らかにされませんが、活動休止中だそうです。秋山静のバンドは、全国ツアーで10万人の観客を集めたそうです。彼は、下戸(げこ。アルコールは受け付けない体。お酒を飲めない)で、お菓子は好き。

 毎週4話でひとつのお話が完結するスタイルをとるようです。
 4話ですから、毎日が、『起承転結(きしょうてんけつ)』の順番なのでしょう。
 本日は、『起(き)』の部分ですな。
 秋山静は、佐渡谷真奈美と白井葵に教えてもらって、佐渡谷真奈美の料理教室で、『オペラ』というケーキをつくりたい。(高級感があるケーキです)
 素人(しろうと。秋山静)には、『オペラ』はむずかしくてつくれない。『ブラウニー』というケーキならいいのではないか。
 なんだかんだあって、代わりに、『ザッハトルテ』という洋菓子をつくることになりました。
 アプリコットジャムがいるそうです。(アプリコットは植物。あんず。甘酸っぱさを生かしたジャム)

 白井葵の心の気づきがあります。今まで、仕事の狭い世界にいて、気づけていなかった街で暮らす人たちの日常に気づきます。(ここが、この週のポイントになっていくのでしょう)

第6話
 白井葵が自営の洋菓子店を成功させるために欠けている部分が明らかにされる今週の話題なのでしょう。
 今週のゲスト、秋山静が、鋭く切り込む気配があります。対立です。秋山静と白井葵が険悪になるのでしょう。もともとタイプが真逆のふたりです。

 15分間という短い時間帯にたくさんの情報が詰め込まれているので理解することに時間を要します。
 料理については研修のようです。料理番組のようでもありますがドラマです。恋愛の話になります。お客さんをひきつけるお店にするためには、店主の人間性が大事なのです。まじめで熱心なだけでは商売はもうからないのです。
 
 パッション:激しい情熱
 ブラウニー:庶民
 オペラ:特別な人
 ひとりの人間の中に、ブラウニーもあれば、オペラもある。
 秋山静は、楽曲創作のために恋愛を重ねた。(浮気もした)。本当に相手が好きだったのか。恋愛行為が好きだったのか。相手からは、創作のために自分を恋人にしていると拒否された。別れた。
 
 落ち込んだ秋山静は、カウンセラーに相談した。カウンセラーは、佐渡谷真奈美の姪(めい。兄弟姉妹のこども)だった。名前を明日香先生という。

 ここで、判明することがあります。このつぶれた洋菓子店での料理教室は、カウンセリングを受けている人が来る料理教室なのです。来訪者はみなさんリッチマンですな。生徒はひとりだけですから、授業料は高額です。
 気楽が一番。この場限りの関係とする。ここは、ストレス社会で自分が解放される場所とする。脱力系の自分でいられる場所だそうです。

 グラサージュ:ケーキなどの表面に糖衣(とうい。糖分でおおう)をする。

 白井葵:なんでも自分でやるタイプです。人に任せられない。譲らない。(ゆずらない)。その点をあなたの弱点だと、秋山静が指摘します。白井葵が怒ります。『何ですか! はっきり言ってください!』
 
 ケーキを例にしてのたとえ話があります。
 異質なものを合わせる。対極にあるものを合わせる。チョコとあんず、男と女、合わせるとは、恋をすること。味が良くなる。人生の味わいが良くなる。
 う~む。抽象的ではあります。暗示のようです。

 白井葵は、無機質な世界で生きている。むきしつ:生命感がない。

 以下、ケーキの種類などです。
 オペラ:ぜいたく、華美な味
 ブラウニー:庶民の味
 ザッハトルテ:日常を豊かにしてくれるのは、ザッハトルテ
 ルセット:レシピ、料理法

第7話
 蓮佛美沙子さんの演技がずば抜けてうまい。真剣です。
 
 他人と関わることを避けている個性だそうです。白井葵も秋山静も。
 ふたりとも同類の人間だそうです。
 自分ひとりで生きる。
 自分ひとりでやらねばならないと思いこんでいる。
 人を頼れない。(白井葵の脳裏で、『おかあさん』という声がしました。なにかわけありのようです。母親は頼れなかった成育歴があるのかもしれません)

 がんばっても報われない(嫌われて、人が離れていく)

第8話
 ぬるい感じがしました。
 白井葵(蓮佛美沙子さん)と秋山静(あきやま・しずか。木戸大聖さん)をカップルにしたいのですが、なんか似合いません。
 男子がこどもっぽく見えます。逆に女子はおとなっぽい。
 無理なカップル編成に見えます。
 あとは、本音で話ができることはいいことです。現実の夫婦は本音で話すので、ときに対立します。
 
 (人はたいてい)『これしかやれることがないこと』を仕事にしている。(そのとおりです。給料が高い安い以前に、自分ができることを仕事にします)
 
 佐渡谷真奈美は、フランスパリにいたことがあるようです。

 バニラビーンズ:さやに入った状態のバニラ。おおきな豆みたいです。

第9話
 新しい登場人物の登場です。
優美(ゆみ。演者は、伊藤修子さん):なんか、変なキャラクター(個性)です。人を殺したことがあるそうです。(どういう意味?)(佐渡谷真奈美さんの姪(カウンセラーをしている)のお客さんだそうです。
 優美はどうして、機械のように淡々としゃべるのだろう。変です。
 優美は、実母に対する後悔があるそうです。実母が亡くなるまでの経過について後悔があるそうです。
 母が好きだった洋菓子が、ケーキの、『モンブラン』だそうです。
 今回は、三人で、モンブランづくりに挑戦するそうです。

 白井葵と秋山静との恋愛話の種も最後の当たりで落としてありますが、わたしは、カップルとしてピタッとこないなと感じています。

 このドラマの主役は、蓮佛美沙子さんです。脇役が、永作博美さんです。そう感じました。若い人にがんばってもらおう。

第10話
 秋山静は、白井葵と付き合いたい。見た目ではなく、人間の内面性をみて、自分と同じ性質をもっていると判断できるから好きになったそうです。
 真剣な理由ですが、演技としては、気持ちが伝わってきません。う~む。配役ミスか。

 優美の母親とのうまくいかなかった過去の詳細がわからないので、優美のこだわりが観ていてわかりません。うむ。説明不足か。

 優美を中心とした三人の女子たちは、ケーキ、『モンブラン』づくりを始めます。優美と母親との事情をかんがみたモンブランづくりです。優美が好きなチーズケーキのチーズと母親が好きだった栗のモンブランをくっつけるそうですが、優美に抵抗感があります。母は家を出て行った自分をうらんでいたそうです。(ここも、ちと、わかりかねます。こどもというものは、いつかは、家から巣立つのがあたりまえのことです)(「どこに行くのゆみちゃん? 待って、行かないで! (う~む。毒親ですな)」

『スフレフロマージュ入りモンブラン』をつくります。
エクセラン:フランス語で、「すばらしい」、「みごとな」、「卓越した」、「最高の」

第11話
 話はけっこうややこしい。優美と亡くなったとされる母親との関係です。(優美が、自分は母親を殺したといいますが、直接手をくだしたわけではなさそうです。見殺しにしたということでしょう。母親は、病気だったのか、自殺されたのか。どうも雰囲気としては、病死のようです)

 優美(ゆみ)は長い引きこもり生活を送っていた。
 父親が死んだ。
 母親とふたりで、ケーキを食べに行った。(家から出ることができた)
 ケーキがとてもおいしかった。
 母親に感謝した。
 ゆみは、ボランティア活動を始めた。
 ゆみは家を出て自立したいと思った。
 母親が、ゆみが家を出ることを拒んだ。
 いろいろあります。

 表現手法が舞台劇のようです。
 ゆみの心の中で、母親の言葉が繰り返されます。
 幻聴ですな。心の病気ですな。
 ゆみの頭の中は、母親に対する、『ゴメンナサイ』でいっぱいです。
 (ふ~む。へんですな。見ている自分には理解できません)

 母がうざい。
 母親が死んだ日に、ゆみはボランティア仲間とカラオケボックスで夜遊びをしていた。朝帰りをした。心配したであろう母親からスマホに何度も電話があったが無視した。(電話に出なかったことで深く、強く、悔いている(くいている))

 (ケーキを)食べることで、幸せな気持ちになれる。
 複雑な心の中の葛藤(かっとう。ああでもないこうでもない)があります。
 
 (実は(じつは)ゆみは)母がいなくなって、ホッとした。
 (罪悪感はある)
 本を一冊思い出しました。
 『母が重くてたまらない 信田さよ子(のぶたさよこ) 春秋社』
 過干渉な親の話でした。

第12話
 もやもやとしたものがありますが、ゆみの件はひと段落したようです。
 次回は、高校二年生車いすの少女がお菓子づくりに挑戦するというような前振りがありました。マカロンをつくりたいそうです。
 いっぽう白井葵のほうは、スカウト話がきました。やはり、就職とか人事は人間関係が大事です。
 ていねいな仕事をする白井葵の洋菓子づくりを見ていてくれる人がいます。借金が400万円もある白井葵です。さて、どうするのか。
 大手メーカーであるデイジー食品ホールディングス(日本一店舗数が多いチェーン店のパン屋)開発部長岩下純平さんからの申し出です。(岩下純平さんの奥さんとアルバイトの白井葵が仕事仲間です)
 
 佐渡谷真奈美(永作博美)には、秘密があります。
 なぜ、お金があるのか。
 本人いわく、自分もカウンセラーのクライアントだった。(患者だったということでしょう)

オルヴォアール:フランス語で、「さようなら」  

2025年02月10日

NHKドラマ10 東京サラダボウル エピソード5

NHKドラマ10 火曜日午後10時 東京サラダボウル 国際捜査事件簿 エピソード5

俳優:奈緒(鴻田麻里こうだ・まり)、松田龍平(有木野了ありきの・りょう。アリキーノと呼ばれる)、中村蒼(なかむら・あおい。織田覚おだ・さとる)、武田玲奈(今井もみじ。ベトナム語通訳)、関口メンディー(黒須雄介。英語通訳)、 阿部進之介(八柳隆太やなぎ・りゅうた。警視庁捜査一課)、平原テツ(太良尾保たらお・たもつ。元暴力団担当の係長)、イモトアヤコ(清宮百合。シンハラ語通訳。通訳の総括)、皆川猿時(飯山修・総括係長)

『ep5(エピソード5) ティエンと進』

 高齢者介護施設で起きた冤罪窃盗事件(えんざいせっとうじけん。施設入所者のタブレットが、ベトナム人技能実習生男性のロッカーで見つかった。日本人同僚が盗んで、ベトナム人実習生のロッカーに入れた。ベトナム人技能実習生は、窃盗の疑いで、警察署へ連れていかれた)です。
 日本人労働者によるベトナム人技能実習生に対する差別とか嫉妬(しっと)が遠因となっています。ドラマでは、孤独で未熟な日本人男性労働者たちの姿を浮き彫りにしています。

 深い話です。人間の心の奥底にある汚れた気持ち、そして逆に、きれいな気持ちがじょうずに表現されたいい作品でした。たいしたものです。

 アリキーノについては、今後の展開として、同性愛らしきネタが、ときおりシーンとして置いてあります。
 伏線の設定の仕方が抜群にうまい。

 今回タイトルの、『(登場人物の名前)進』の意味が最後にわかるように構成してあります。感心しました。
 通訳の話です。言葉の誤解があります。日本人若者男性労働者が、ベトナム人技能実習生男性が言った、『同じ』の意味を取り違えます。
 誤解です。ベトナム人技能実習生男性に悪気(わるぎ)とか悪意はありません。そのことが最後にわかります。日本人たちは、深く反省することになります。

 『ドジった』という言葉が効果的に活用されました。じょうずに伏線がはってありました。
 ドラマは、警察署で働く通訳さんたちの話ですから、言葉に関する考察がいろいろ出てくるドラマです。

 禁煙話が出ます。(タバコはやめたほうがいい。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸にはなります)

 外国人技能実習生に対する偏見ですが、教える立場にある日本人事業所従事者の不満があります。外国人に、仕事をいくら教えてあげても、期限がくれば帰国してしまう。教えがいがないというものです。自分や自分が働いている施設にかえってくるメリット(利点、利益)がない。

 仕事というものは、そういうものです。マニュアルに従って機械のように同じ動作を繰り返すということで、だれかの役には立っています。あわせて、給料ももらえます。働いてお金をもらうときは、気持ちに折り合いをつけて、割り切ることがだいじです。

 ドラマを見ていて、アメリカ合衆国新大統領の不法移民強制追い出し政策が頭に浮かびました。なんというか、得する人がいる反面、困る人もいるのが、人間社会のありようです。ひとり勝ちはありえません。強い権力を持つ者は、どこかの線で、妥協が必要です。

 ベトナム人技能実習生役の方の演じ方がいい。しみじみとしながら、淡々(たんたん)としているところがいい。大声をあげて、わめくような演技は案外簡単です。感情を静かに表現するところに演技者の技量があります。

 故郷を離れる。
 家族と離れる。
 友だちがいない。
 ひとりぼっち。
 毎日目上の人にどなられて、まわりの人たちからは、かわいそうと見られている。そんな自分がみじめだ。
 ベトナム人技能実習生をかわいそうだと思っていたら、かわいそうなのは、(日本人の)自分のほうだったことに気づいた日本人の若者がいます。そんな流れです。

 家族がいないというのはつらい。
 現役で働いていたころ、クレーマー対応の仕事をしていたことがあります。
 かなりしんどい。
 仕事をしながら、いつも思っていたことです。
 クレーマー=孤独。いつも文句ばかり言ったり、相手の言うことを否定したりするから、人が離れていく。ひとりぼっちです。自分が優位な立場で、自分と話をしてくれる話し相手がほしい。ひとりぼっちでさびしい人。それが、クレーマーだと。
 たいていのクレーマーには、家族がいない。いても、家族や親族から相手にされていない。
 対して、話を聞いている自分には、心の支えになってくれる妻やこどもたちや孫たちもいる。
 相手には、親身になってくれる妻子も身内も友だちもいない。
 相手と比べて、自分のほうが幸せだ。
 だから、この仕事に耐えられる。
 仕事をしていくうえで、なにかしら、気持ち的に、相手よりも優位な位置にいないと、心が壊れやすいということはあります。

 ドラマが発するメッセージは深くて重い。
 『同情』と、『友情』は違う。
 相手の基本的人権を尊重することは、自分自身を守るためにもある。
 お互いに必要だからここにいる。『存在』に関する考察があります。
 相手を信じないと、友情は成立しない。
 『許容』と、『あきらめ』が必要です。
 
 外国人には、働いてもらっている。
 仕事において、最前線の現場で体を動かして働く日本人の数が減りました。学歴が高いことを利用して、口を動かして指示をするだけの仕事を好む人が増えました。
 日本人社会のあらゆるボリューム(分量。人口、経済力、生活能力、知恵)が、しぼみはじめています。
 
 飲食を共にして、おしゃべりを楽しみながら交流する。
 今回も、食べ物シーンがいくつかありました。
 日本生まれのベトナム人です。見た目は外国人でも、中身は日本人です。
 このドラマの趣旨は、国際化です。
 
 ベトナム人名である、『ミン』は、漢字で(ベトナムにも漢字文化があるそうです)『明』と書く。人には、『アキラ』と呼ばれている。
 冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。じっさいは無実)の罪をきせられたベトナム人若者名の、『ティエン』は、漢字で、『進』と書く。だから、冤罪となる原因をつくったティエンの同僚の進さんは、ティエンと同じ名前なのです。
 ティエンの口から出た、『同じ』という言葉を、同僚の進さんは誤解して、悪い意味にとってしまいました。いつも下に見ていたベトナム人に、自分がばかにされたと勘違いをしてしまいました。残念な出来事でした。言葉の意味のとりかたで、結果が正反対になってしまいました。

 自分の関係する人(親族や友人)が、幸せそうにしていると、自分の心が満たされて、うれしいという感情が湧いてくることがあります。こまやかな人間心理を扱った、なかなか深いお話でした。よかった。今年観て良かったドラマの一本になりました。  

2025年02月08日

株主優待券で購入した乗車券の乗り越し精算

株主優待券で購入した乗車券の乗り越し精算

 昨年秋のことでした。
 JR東海の株主である親戚が、自分は使わないからと、株主優待券を譲ってくれました。
 みどりの窓口へ行って、名古屋駅から東京駅までの新幹線乗車券と指定席特急券を割引で購入しました。
 ふつうは、乗車券の行き先が、『東京都区内』という表示で、山手線のどこの駅でも下車できるタイプの乗車券ですが、株主優待券を使用した場合は、東京駅までですという説明を受けました。

 東京駅で、在来線に乗り換えます。山手線の駅で下車するつもりです。
 じっさいに行ってきましたが、そのとき、ちょっとやり方がわかりませんでした。

 東京駅までの乗車券を、東京駅内の在来線に乗り継ぐ場所にあった自動改札機に入れて、交通系IC乗車券をタッチしました。変な反応がありましたが、通過はできました。
 (ここで、わたしは、勘違いをしていました。別のシーンで、たとえば、千葉県内から在来線に乗って、品川駅で下車して、新幹線に乗り継ぐときは、新幹線乗り場の自動改札機で、まず、乗車券と指定席特急券を2枚同時に入れてから、品川駅まで来たときに使用した交通系IC乗車券をタッチします。だから、今回は、乗車券を入れて、交通系IC乗車券を入れれば、山手線の駅で下車するときは、交通系IC乗車券で自動改札機から出ることができると勘違いしました。そうやって、東京駅から山手線の駅までの運賃を、交通系IC乗車券で乗り越し精算ができると思いこんでいました)

 勘違いの結果、山手線の駅で、改札口からすんなり出ることができませんでした。
 まあ、そのあと、すったもんだして、窓口付近にあったモニターのボタンを押して、リモートで駅職員と話をして、ようやく、自分の考えが誤っていることに気づきました。

 単純な話なのです。東京駅の乗り換え口で自動改札機に入れた東京駅までの乗車券を、下車する山手線の駅にある精算機で乗り越し清算すればいいだけなのです。ややこしく考えすぎてしまいました。精算券で、駅の外に出ることができました。
 そのあと、JRから乗りかえる地下鉄駅入口の場所がわからなくて、道路をあちこち動きまわり、かなり迷いました。20分ぐらいムダにしてしまいました。とても疲れました。とほほ……  

Posted by 熊太郎 at 08:09Comments(0)TrackBack(0)株式投資

2025年02月07日

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 福島信夫山から仙台城跡

出川哲朗の充電させてもらえませんか? 福島信夫山(しのぶさん)から宮城仙台城跡 動画配信サービス

行くぞ!紅葉街道125キロ!福島“信夫山(しのぶさん)”から“仙台城跡”へ!チョイと秋保温泉(あきうおんせん)でもイイ気分!ですが初登場の関水渚が頑張りまくりで哲朗も感激!ヤバイよヤバイよSP

(前半の放送)
 前半のゲストは、関水渚(せきみず・なぎさ)さんという方でした。わたしは今回初めて関水さんを見たと思いましたが、以前ドラマで見たことがあったことに気づきました。
 関水渚さんは、女優さんで、NHK大河ドラマ、『どうする家康』に出演されたそうです。調べたら思い出しました。
 徳川家康の正室(せいしつ。本妻)瀬名(せな。有村架純さん)の幼なじみ田鶴(たず)役でした。なんか、結果的にチョンボを招いてしまう立場の役でした。

 じっさいの関水渚さんは、本人曰く(いわく)、関水渚さんのファンになろうかと思う男性が、がっかりする素顔だそうです。以前、関水渚さんのファンになりそうだった男性から、『ざんねん』と言われたことがあるそうです。
 本人の言動を見ていると、女性的ではありません。さばさばとしていて、あっさりした人です。自分を意図的に飾りません。本音のままです。
 人柄はいい人です。
 今回は雨の中、強い雨粒にうたれながらも、電動バイクで、長い距離を進んでいかれました。たいした忍耐力と度胸です。

 目に入るいちょうの景色が黄色い葉っぱに変わっていますから、去年の紅葉時期のロケです。この日は、一日中雨でした。翌日のゲスト品川佑(しながわ・ひろし)さんのときは快晴の映像でしたから、関水さんは、お天気運がありませんでした。でも、よくがんばられました。

 出だしは、福島県にある信夫山(しのぶさん)という山の展望台ですが、雨天で、周囲は霧で真っ白です。ふだんなら広々とした展望があるのですが、なにせ真っ白で何も見えない。
 わたしの体験で以前、栃木県日光いろは坂の途中にある明智平(あけちだいら)というところにあったロープウェイに乗ろうとしたら、『(天候が悪いので、霧が広がって)なにも見えませんよ』と声をかけられましたが、『なかなか来ることができないところなので、どんなところか行くだけ行ってみたい。もしかしたら、もう一生来ることはないかもしれないから』と、おみやげ屋の方に返答をしてロープウェイに乗りました。展望スペースに到着したら、自分の体のまわりからして真っ白でびっくりしました。天候が良ければ、中禅寺湖・男体山(なんたいさん)・華厳の滝(けごんのたき)の絶景を見渡すことができたのに残念でした。それ以来、明智平へは行ったことがありません。わたしにとっては、遠くて、なかなか行けない場所です。
 テレビ映像を見ていて、そんなことがあったのを思い出しました。

 充電バイクを運転していて、たまたま道ばたにあったおうちのりんごの木に実っていたりんごを食べてみたいとゲストの関水渚さんが言います。
 しばらくして、充電バイクを道のわきに止めて休憩していたら、さきほどのりんごの木のお宅の奥さんが、木に実っていた(みのっていた)りんごをたくさん持って来てくださいました。
 銘柄は、『王林(おうりん)』で、この地は、王林発祥の地だそうです。たまたまの出来事ですが、良かった。王林は青森県が発祥だと思っていました。福島県だそうです。でかいりんごです。関水渚さんが、豪快に王林をかじって食レポをされました。

 小学校の体育館でバスケットボールの試合を小学2年生、3年生のチームとやりました。なかなかいい雰囲気でした。にぎやかです。体はちっちゃくても、バスケはじょうずなちびっこたちです。よかったね。いい思い出になりますね。大会に向けて練習をがんばっているそうです。ぜったい勝つぞーー おーッ!! です。言いたいことをはっきり言えるいいこどもたちでした。

 充電バイクで道路を走っているときに、そばを流れている川が、『阿武隈川(あぶくまがわ)』だと紹介がありました。たしか、自分が小学生か中学生のときに習いました。わたしは、社会とか地理の教科書が好きでした。

 今回のルートは、車があまり走っていません。雨降りのせいもあって、観光をしているような人は見かけませんでした。

 お昼は、おそば屋さんで昼ごはんです。山形そばだそうです。男性年配のお客さんが食べていた、『セット』というものが、大きくて、おいしそうでした。
 雨降りもあって、寒いから、食べると体が温まります。(あたたまります)。おいしそうです。ほっとできます。
 関水渚さんのコメントが良かった。高嶺の花の女優さんとは思えません。たかねのはな:遠くからながめるだけの人
 『おとといの夜は、ピザを食べた。お昼は、二日続けて、おにぎり屋さんのカウンターで、おにぎりを食べた』。おにぎりばっかり食べている食生活だそうです。外食ばかりで、自分では料理はつくらないそうです。とても正直で好感をもちました。
 
 その後の、道の駅でのやりとりもなかなか良かった。
 なにせ、雨降りでたいへんです。
 今度は夕食場所が見つかりません。いなかゆえに、外食の需要が少ないのでしょう。お店があっても、夕方だと閉じています。

(後半の放送)
 ゲストの関水渚さんは熱演でした。夕方の食事中に時間切れとなり、あわただしく、新幹線で東京へ向かわれましたが、なかなか健闘されました。たいへんなロケで、過酷でした。おつかれさまでした。ざっくばらんで、女優らしくない女優さんでした。好感をもちました。ご活躍を期待します。

 後半のゲスト、品川祐(しながわ・ひろし)さんは、立ち寄った食事場所でお客さんから、『ミキティーの人ですか?』とたずねられたシーンがおもしろかった。(ミキティーは、お笑いコンビ品川庄司の庄司智春さんのほうです)。品川さんの返答が、『その人の知り合いです』でした。

 翌日は、いいお天気です。自然の景色がきれいです。

 充電先のお宅がいいご家族で良かった。なごみました。(ほのぼのする。なごやかになる)
 ご主人が東北新幹線の運転士をされているそうで、新幹線の運転士をしている人というのは初めて見ました。めったに会えません。

 温泉入浴はあわただしい。移動中であり、ゆっくりできないのでたいへんです。
 
 牛タンです。(わたしも、仙台駅近くのお店で食べたことがあります)。分厚くておいしいお肉です。食べごたえがありました。(食事の充実感があった)
 たまたまですが、出川哲朗さんたちが訪れたお店のご主人は、出川さんを迎えるのは二度目だそうです。前回は、宮城県松島にある系列店でヘルプの勤務で働いていた時に出川さんの対応をされたそうです。
 縁がある人というのは、偶然が重なって何度でも出会います。不思議ですなあ。