2024年09月25日
なにわ介護男子 宮川大助・花子
なにわ介護男子 宮川大助・花子 笑いと涙の闘病介護記 主婦の友社
テレビ番組、『徹子の部屋』におふたりが出演されて、この本を出されたと紹介があったので、さっそく取り寄せて読んでみました。
放送を見ましたが、花子さんのご病気で、おふたりとも、ご苦労されています。
最初にゆっくり最後のページまでめくってみましたが、おふたりともご病気で本当にご苦労されています。
人生は障害物競走みたいなものです。病気や事故、自然災害や事件に巻き込まれることは日常茶飯事のようなものです。なかなか平穏無事に日常生活を送ることはむずかしい。
宮川大助:1949年(昭和24年)生まれ。74歳。既往症として、脳内出血、腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)、感染症、グラム陽性菌敗血症(ぐらむようせいきんはいけつしょう)
宮川花子:1954年(昭和29年)生まれ。70歳。既往歴として、自律神経失調症、胃がん、2018年(平成30年)3月9日余命半年と宣告される。形質細胞腫。多発性骨髄腫。2022年(令和4年)10月29日心不全。現在は車いすの身体障害者手帳所有者です。
おふたりのお子さんとして、娘さんがひとりおられます。『さゆみ』さんです。
本は、最初に序章、それから年表があって、次に、第1章から第5章まで、過去から現在、そして未来という流れで書いてあるようです。
日曜夕方の番組、『笑点』に6年ぶりに出演されたときのネタが書いてあります。病気が良くなったから出演できたのでしょう。『……結婚しました、子どもできました』(けっこう重い言葉です)
話ははずれますが、たまに、笑点を3月で降りられた林家木久扇(はやしや・きくおう)さんを思い出します。木久扇さんは笑いの天才です。本を読みました。バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社です。
人生では、ときに、バカにならないとやれないこともあります。バカになればできることがあります。 理屈ではないのです。やるしかないのです。バカになってやると、たいてい、うまくいきます。
おふたりについての年表を見ます。
見ていて、生きてるだけで幸せということはあります。
病(やまい)との付き合いが続きます。
『第1章 余命半年と宣告されて』
宮川花子さんの語りでお話がスタートしました。2024年7月発行の本です。闘病生活6年と書いてあります。病名は、『多発性骨髄腫(血液のがん)』です。背骨にがんがある。
花子さんは、2019年(令和元年)6月に鎖骨が折れる。命はとりとめたものの車いす生活となる。
どうも、前作の本があるようで、そこまでが、前著の内容ですとなっています。(前作は、『あわてず、あせらず、あきらめず』でした。2022年(令和3年)1月出版)
『第2章 大助・花子の波乱万丈! 続・闘病記』
2020年(令和2年)4月7日:新型コロナウィルスにより7都道府県に緊急事態宣言発令。同月16日に宣言が全国に拡大。花子さんは、リハビリ中だった。
本をつくるためには、ネタ(材料)が必要です。
ふつう、文筆家は、毎日、日記や日誌のようなものをつけていると思います。喜怒哀楽の感情はあまり出さずに、その日に起きた事例を箇条書きにしていると思います。なにもないところから文章を起こすことはとてもむずかしい。
こちらの本は、花子さんの文章で書いてあります。漫才師の方ですから、ネタ帳のようなものを持たれているのかもしれません。
花子さんがつくられた文章に、編集者の手は入っているのでしょう。読みやすい。
時系列(物事が起きた順序)が、ちょっとわかりにくい。月日だけではなく、西暦なり年号なりを月日の頭につけていただいたほうがわかりやすい。
PET検査(ポジトロン・エミッション・トモグラフィー検査):放射性薬剤を使って、細胞の活動を検査する。がんの病巣等(びょうそうとう)の発見に使用する。
寛解状態(かんかいじょうたい):症状や異常が消失した状態。
センターマイク:漫才で使用されるステージ中央のマイクのこと。
読みながら思うのは、元気なうちに人生を楽しむ。余生を楽しむということです。
歳をとってくると、今年の今はいいけれど(できるけれど)、来年の今は、どうなっているかはわからないということはあります。(できなくなっているかもしれない)。後悔しないように、できることはできるときにさっさとやってしまったほうがいいのです。
2022年(令和4年)10月29日、花子さんは、抗がん剤の副作用で、肺に水がたまり、心肺停止に近い状態になります。
2023年(令和5年)、新型コロナウィルスが5類(インフルエンザと同じ。1類が一番危険)に移行して、外出自粛の要請がなくなる。
大助・花子さんは、名古屋にある大須演芸場や御園座(みそのざ)の舞台で漫才をされています。
わたしは大須演芸場には入ったことはありませんが、道ばたから建物を見たことはあります。なにかの講演会で、大須演芸場の経営者の方(席亭(せきてい。支配人)の講演は聞いたことがありますが、もうずいぶん昔のことです。
御園座(みそのざ)は、わたしは、今年は2回訪れました。山崎育三郎さんの『トッツィー』と山﨑玲奈さんの『ピーターパン』を観劇しました。来年1月は、草彅剛さん(くさなぎつよしさん)の『ベニスの商人』を観たいと思っていますが、チケットがとれるかどうかはわかりません。
先日見た、テレビ番組『徹子の部屋』で、大助さん夫婦が仕事終わりに、今くるよ・いくよさんに呼ばれて、お説教された話が印象的でした。
当時、大助さんは、漫才の台本を書いて、夫婦で稽古(けいこ)をしていたわけですが、花子さんは、娘さんのめんどうをみたかった。
されど、大助さんは、家庭のことは考えず、仕事のことばかりを考えていた。いやがる花子さんを引き留めて、稽古をやめて帰宅するという約束の時間を過ぎて、夜遅くまで、漫才の稽古を続けていた。そのあいだ、娘さんは家でひとりぼっちだった。
ご夫婦は、今いくよ・くるよさんに呼ばれて、今いくよさんが大助さんに言ったそうです。
『あんたの一番大事なものはなんや。こどもと花ちゃんと違うんか。宝物と違うんか。漫才で花ちゃんをイジメるのはやめろ!(一番大事なものは、けして、仕事ではない)』
大助さんは、おおいに反省したそうです。花子さんは、一児の母である。花子さんは、母親をしたかった。
今いくよさん:2015年(平成27年)5月、胃がん。67歳没。やせていた。未婚。
今くるよさん:2024年(令和6年)5月、膵がん(すいがん)。76歳没。ギャグとして、腹をたたく、『どやさ』と言う。未婚。
お説教をされたときに、自分たちには夫もこどももいない。あんた(大助さん)にはいる。家族をだいじにしなさいと言われたそうです。
読んでいて思うのは、大助・花子さんは、気持ちで生きている人たちです。
62ページ、『お風呂での死亡事故は交通事故死の6倍……』(気をつけましょう)
2023年(令和5年)9月下旬。花子さんの右の頭の骨に、新しい形質細胞腫が見つかる。
花子さんは、MRI検査(磁気共鳴画像法)が閉所恐怖症でにがてだと書いてあります。
たしかに、苦しいです。
わたしは、今年初夏に頚椎症(けいついしょう。首の骨の間が詰まっている。右肩から右腕、右中指までが激痛になる。しびれや震えも出ます)でMRI検査を受けました。背中にナイフで刺すような痛みがあったので、かなり苦しかった。検査は時間が長いです。真っ暗なところに入れられて、あおむけでじっとしながら、30分間ぐらいから40分間ぐらいかかった覚えです。その後、服薬と通院で治りました。二か月ぐらいかかりました。
カンファレンス:会議
花子さんのおしめを大助さんが変える:夫婦だからできることです。
病気になると、うんこ・しっこのコントロールがたいへんです。
クランクチョコ:ザクザクとした素材の小さなかたまりのチョコレート。
花子さんは、ご自身が、介護施設に入ることを考えた。(花子さんのお母さんが94歳で施設に入ったというお話も出ます)
花子さんが施設に入ることは、大助さんがさみしがったのでやめたそうです。
2024年(令和6年。今年です)1月、能登半島地震、次いで、羽田空港での航空機衝突炎上事故です。
早いもので、もう今年ももうすぐ10月です。時は、淡々と、されど確実に経過していきます。
おふたりとも仕事人間ですが、お金のためではなく、ほかのことのために働いておられます。読んでいてそう思います。漫才ができる幸せをかみしめたいと書いてあります。
『第3章 なにわ介護男子の胸のうち ~大助と花子のぶっちゃけトーク~』
ここまで、多発性骨髄腫という病気の詳細は書かれていませんでした。(その後、医師の解説・説明ページが出てきました)
本の趣旨は、『夫婦愛』です。
だれかの支えがあるからがんばれるのです。お互いにです。支え合っています。夫婦であり、親友であるのです。
まこちゃん:花子さんの昔の芸名だそうです。
花子さんの親の遺言として、『夫婦仲よくしなさい。漫才が原因で離婚するようなことになったら、漫才をやめなさい』
大助さんは田舎者で、貧困暮らしを味わったそうです。
ご自身のこどものころの体験として、農家の肥料として、畑に人糞をまいたという話が書いてあるのですが、わたしにも類似の体験があります。
わたしはまだ7歳ぐらいだったので、人糞を畑にまいたことはありませんが、父方の祖父母宅が農家で、祖母が、2個の肥え樽(こえたる)を、天秤棒を使って肩でかついで行くうしろをついていって、祖母が畑に人糞をまく姿をながめていた記憶が残っています。
バルーンカテーテル:医療器具。尿道から膀胱に(膀胱に)挿入する。(そうにゅうする)。尿が出るようにする。
紫綬褒章(しじゅほうしょう):芸術分野等で功績があったと国家(天皇)から表彰される。
『第4章 主治医・天野先生に聞く ~多発性骨髄腫のキホンと花子さんの本当の姿~』
発症年齢の中央値は60代後半ですとあります。わたしも気をつけねば。されど、どう気をつけるのだろう。予防のしようがないような……
『第5章 今までと、これからと』
漫才の台本をご主人の大助さんが書いているということが意外でした。奥さんの花子さんが書いていると思っていました。
漫才では、奥さんは、なにせ、機関銃のような早口でまくしたてます。頭の回転が早い人に見えます。対して、大助さんのしゃべりはゆっくりです。そんなところから、台本作成は奥さんのほうだと思っていました。
全体を読み終えての感想です。
生きているとか、生きることを学ぶ本でした。
本のカバーをはずして、本の表紙・裏表紙を見ました。
挿絵(さしえ)が優しい(やさしい)。
テレビ番組、『徹子の部屋』におふたりが出演されて、この本を出されたと紹介があったので、さっそく取り寄せて読んでみました。
放送を見ましたが、花子さんのご病気で、おふたりとも、ご苦労されています。
最初にゆっくり最後のページまでめくってみましたが、おふたりともご病気で本当にご苦労されています。
人生は障害物競走みたいなものです。病気や事故、自然災害や事件に巻き込まれることは日常茶飯事のようなものです。なかなか平穏無事に日常生活を送ることはむずかしい。
宮川大助:1949年(昭和24年)生まれ。74歳。既往症として、脳内出血、腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)、感染症、グラム陽性菌敗血症(ぐらむようせいきんはいけつしょう)
宮川花子:1954年(昭和29年)生まれ。70歳。既往歴として、自律神経失調症、胃がん、2018年(平成30年)3月9日余命半年と宣告される。形質細胞腫。多発性骨髄腫。2022年(令和4年)10月29日心不全。現在は車いすの身体障害者手帳所有者です。
おふたりのお子さんとして、娘さんがひとりおられます。『さゆみ』さんです。
本は、最初に序章、それから年表があって、次に、第1章から第5章まで、過去から現在、そして未来という流れで書いてあるようです。
日曜夕方の番組、『笑点』に6年ぶりに出演されたときのネタが書いてあります。病気が良くなったから出演できたのでしょう。『……結婚しました、子どもできました』(けっこう重い言葉です)
話ははずれますが、たまに、笑点を3月で降りられた林家木久扇(はやしや・きくおう)さんを思い出します。木久扇さんは笑いの天才です。本を読みました。バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社です。
人生では、ときに、バカにならないとやれないこともあります。バカになればできることがあります。 理屈ではないのです。やるしかないのです。バカになってやると、たいてい、うまくいきます。
おふたりについての年表を見ます。
見ていて、生きてるだけで幸せということはあります。
病(やまい)との付き合いが続きます。
『第1章 余命半年と宣告されて』
宮川花子さんの語りでお話がスタートしました。2024年7月発行の本です。闘病生活6年と書いてあります。病名は、『多発性骨髄腫(血液のがん)』です。背骨にがんがある。
花子さんは、2019年(令和元年)6月に鎖骨が折れる。命はとりとめたものの車いす生活となる。
どうも、前作の本があるようで、そこまでが、前著の内容ですとなっています。(前作は、『あわてず、あせらず、あきらめず』でした。2022年(令和3年)1月出版)
『第2章 大助・花子の波乱万丈! 続・闘病記』
2020年(令和2年)4月7日:新型コロナウィルスにより7都道府県に緊急事態宣言発令。同月16日に宣言が全国に拡大。花子さんは、リハビリ中だった。
本をつくるためには、ネタ(材料)が必要です。
ふつう、文筆家は、毎日、日記や日誌のようなものをつけていると思います。喜怒哀楽の感情はあまり出さずに、その日に起きた事例を箇条書きにしていると思います。なにもないところから文章を起こすことはとてもむずかしい。
こちらの本は、花子さんの文章で書いてあります。漫才師の方ですから、ネタ帳のようなものを持たれているのかもしれません。
花子さんがつくられた文章に、編集者の手は入っているのでしょう。読みやすい。
時系列(物事が起きた順序)が、ちょっとわかりにくい。月日だけではなく、西暦なり年号なりを月日の頭につけていただいたほうがわかりやすい。
PET検査(ポジトロン・エミッション・トモグラフィー検査):放射性薬剤を使って、細胞の活動を検査する。がんの病巣等(びょうそうとう)の発見に使用する。
寛解状態(かんかいじょうたい):症状や異常が消失した状態。
センターマイク:漫才で使用されるステージ中央のマイクのこと。
読みながら思うのは、元気なうちに人生を楽しむ。余生を楽しむということです。
歳をとってくると、今年の今はいいけれど(できるけれど)、来年の今は、どうなっているかはわからないということはあります。(できなくなっているかもしれない)。後悔しないように、できることはできるときにさっさとやってしまったほうがいいのです。
2022年(令和4年)10月29日、花子さんは、抗がん剤の副作用で、肺に水がたまり、心肺停止に近い状態になります。
2023年(令和5年)、新型コロナウィルスが5類(インフルエンザと同じ。1類が一番危険)に移行して、外出自粛の要請がなくなる。
大助・花子さんは、名古屋にある大須演芸場や御園座(みそのざ)の舞台で漫才をされています。
わたしは大須演芸場には入ったことはありませんが、道ばたから建物を見たことはあります。なにかの講演会で、大須演芸場の経営者の方(席亭(せきてい。支配人)の講演は聞いたことがありますが、もうずいぶん昔のことです。
御園座(みそのざ)は、わたしは、今年は2回訪れました。山崎育三郎さんの『トッツィー』と山﨑玲奈さんの『ピーターパン』を観劇しました。来年1月は、草彅剛さん(くさなぎつよしさん)の『ベニスの商人』を観たいと思っていますが、チケットがとれるかどうかはわかりません。
先日見た、テレビ番組『徹子の部屋』で、大助さん夫婦が仕事終わりに、今くるよ・いくよさんに呼ばれて、お説教された話が印象的でした。
当時、大助さんは、漫才の台本を書いて、夫婦で稽古(けいこ)をしていたわけですが、花子さんは、娘さんのめんどうをみたかった。
されど、大助さんは、家庭のことは考えず、仕事のことばかりを考えていた。いやがる花子さんを引き留めて、稽古をやめて帰宅するという約束の時間を過ぎて、夜遅くまで、漫才の稽古を続けていた。そのあいだ、娘さんは家でひとりぼっちだった。
ご夫婦は、今いくよ・くるよさんに呼ばれて、今いくよさんが大助さんに言ったそうです。
『あんたの一番大事なものはなんや。こどもと花ちゃんと違うんか。宝物と違うんか。漫才で花ちゃんをイジメるのはやめろ!(一番大事なものは、けして、仕事ではない)』
大助さんは、おおいに反省したそうです。花子さんは、一児の母である。花子さんは、母親をしたかった。
今いくよさん:2015年(平成27年)5月、胃がん。67歳没。やせていた。未婚。
今くるよさん:2024年(令和6年)5月、膵がん(すいがん)。76歳没。ギャグとして、腹をたたく、『どやさ』と言う。未婚。
お説教をされたときに、自分たちには夫もこどももいない。あんた(大助さん)にはいる。家族をだいじにしなさいと言われたそうです。
読んでいて思うのは、大助・花子さんは、気持ちで生きている人たちです。
62ページ、『お風呂での死亡事故は交通事故死の6倍……』(気をつけましょう)
2023年(令和5年)9月下旬。花子さんの右の頭の骨に、新しい形質細胞腫が見つかる。
花子さんは、MRI検査(磁気共鳴画像法)が閉所恐怖症でにがてだと書いてあります。
たしかに、苦しいです。
わたしは、今年初夏に頚椎症(けいついしょう。首の骨の間が詰まっている。右肩から右腕、右中指までが激痛になる。しびれや震えも出ます)でMRI検査を受けました。背中にナイフで刺すような痛みがあったので、かなり苦しかった。検査は時間が長いです。真っ暗なところに入れられて、あおむけでじっとしながら、30分間ぐらいから40分間ぐらいかかった覚えです。その後、服薬と通院で治りました。二か月ぐらいかかりました。
カンファレンス:会議
花子さんのおしめを大助さんが変える:夫婦だからできることです。
病気になると、うんこ・しっこのコントロールがたいへんです。
クランクチョコ:ザクザクとした素材の小さなかたまりのチョコレート。
花子さんは、ご自身が、介護施設に入ることを考えた。(花子さんのお母さんが94歳で施設に入ったというお話も出ます)
花子さんが施設に入ることは、大助さんがさみしがったのでやめたそうです。
2024年(令和6年。今年です)1月、能登半島地震、次いで、羽田空港での航空機衝突炎上事故です。
早いもので、もう今年ももうすぐ10月です。時は、淡々と、されど確実に経過していきます。
おふたりとも仕事人間ですが、お金のためではなく、ほかのことのために働いておられます。読んでいてそう思います。漫才ができる幸せをかみしめたいと書いてあります。
『第3章 なにわ介護男子の胸のうち ~大助と花子のぶっちゃけトーク~』
ここまで、多発性骨髄腫という病気の詳細は書かれていませんでした。(その後、医師の解説・説明ページが出てきました)
本の趣旨は、『夫婦愛』です。
だれかの支えがあるからがんばれるのです。お互いにです。支え合っています。夫婦であり、親友であるのです。
まこちゃん:花子さんの昔の芸名だそうです。
花子さんの親の遺言として、『夫婦仲よくしなさい。漫才が原因で離婚するようなことになったら、漫才をやめなさい』
大助さんは田舎者で、貧困暮らしを味わったそうです。
ご自身のこどものころの体験として、農家の肥料として、畑に人糞をまいたという話が書いてあるのですが、わたしにも類似の体験があります。
わたしはまだ7歳ぐらいだったので、人糞を畑にまいたことはありませんが、父方の祖父母宅が農家で、祖母が、2個の肥え樽(こえたる)を、天秤棒を使って肩でかついで行くうしろをついていって、祖母が畑に人糞をまく姿をながめていた記憶が残っています。
バルーンカテーテル:医療器具。尿道から膀胱に(膀胱に)挿入する。(そうにゅうする)。尿が出るようにする。
紫綬褒章(しじゅほうしょう):芸術分野等で功績があったと国家(天皇)から表彰される。
『第4章 主治医・天野先生に聞く ~多発性骨髄腫のキホンと花子さんの本当の姿~』
発症年齢の中央値は60代後半ですとあります。わたしも気をつけねば。されど、どう気をつけるのだろう。予防のしようがないような……
『第5章 今までと、これからと』
漫才の台本をご主人の大助さんが書いているということが意外でした。奥さんの花子さんが書いていると思っていました。
漫才では、奥さんは、なにせ、機関銃のような早口でまくしたてます。頭の回転が早い人に見えます。対して、大助さんのしゃべりはゆっくりです。そんなところから、台本作成は奥さんのほうだと思っていました。
全体を読み終えての感想です。
生きているとか、生きることを学ぶ本でした。
本のカバーをはずして、本の表紙・裏表紙を見ました。
挿絵(さしえ)が優しい(やさしい)。
2024年09月21日
成瀬は天下を取りに行く 宮島美奈
成瀬は天下を取りに行く 宮島美奈 新潮社
話題になっている本なので、読んでみることにしました。
まずは、ざーっと最後までページをめくってみる。
登場人物名や地名などを拾ってみる。
島崎みゆき:2006年(平成18年)生まれ。第一話では、中学二年生。この物語の進行役としてスタートします。
成瀬あかり:この物語の主人公女子。最初は中学二年生。そのうち女子高生に育つようです。滋賀県立膳所高等学校1年3組。(ぜぜこうとうがっこう)。琵琶湖畔にある大津市のきらめき中学校卒。
成瀬あかりがどれほど野球のことを知っているのか不明な出だしなのですが、彼女は、『ライオンズ女子』と呼ばれるようになっていきます。(結果的には、成瀬あかりは、相当、プロ野球の球団である西武ライオンズのことを知っていました。店舗も含めての『西武愛』があります)
西武ライオンズ球団:わたしは、中高生時代を福岡県で過ごしたので、当時福岡市を本拠地にしていた西鉄ライオンズのファンでした。球団はその後、何度か名称を変えました。そして、埼玉県へ行ってしまいました。
本の目次には、『ありがとう西武大津店』とあります。
出てくる言葉などとして、ぐるりんワイド、笹塚哲郎、マサル、敬太、大黒悠子、甲賀市(こうかし)、東大、須田くん、桃谷先輩、西浦航一郎(錦木高校二年生)、遥香(はるか)、瑞音(みずね、同級生)、杉本:サッカー部男子、タクロー。
(ざーっと目を通したあと、これから2回目の本読みです)
この本の魅力はなんなのだろう?
魅力を探る(さぐる)読書です。
江州音頭(ごうしゅうおんど):江州とは、滋賀県のこと。近江の国(おうみのくに)のこと。
小倉百人一首かるた選手権大会とあります。映画を思い出しました。
ちはやふる(やはり、118ページにかるたの記事が出てきました。部活のことを、『かるた部』といいます)
ページをめくると、マスクをした女子高生のイラストが出てくるのですが、彼女がつけているマスクに、『ありがとう 西武大津店』と書いてあります。お店の宣伝だろうか。それとも、閉店してしまうから、「ありがとう」なのだろうか。彼女の名前がたぶん、『成瀬あかり』に違いない。(やはり西武は閉店するようです。うしろのページに書いてあります。百貨店? スーパー? 2021年(令和3年)8月末閉店。ショッピングセンターでした)
6ページ、彼女いわく、『島崎(みゆき)、わたしはこの夏を西武にささげようと思う』(どういう意味だろう? お店に? 球団に?)
ふたりはおさななじみで、島崎は凡人で、成瀬は奇人らしい。
7ページでわかりました。成瀬あかりは、夏休みに毎日ショッピングセンター西武に通うらしい。(涼みにいくのだろうか。年寄りみたいだ)
成瀬の両親は滋賀県出身だそうです。島崎みゆきの母は横浜出身で、父も滋賀県出身ではないそうです。
この物語は、『滋賀県愛』をアピールするものだろうか。お笑い芸人ダイアンとか、8ページに、ミュージシャンの西川貴教さんのお名前が登場しました。(わたしは実物を、通りがかった繁華街に設置されたステージで、声だけ聞いたことがあります。ラジオ放送をやっていました。たいへんな人気者で、ものすごい人だかりでした。群衆で本人を見ることはできませんでした。インタビューに答える声だけ聞こえました)
ぐるりんワイド:滋賀県内で放送される夕方のローカル番組。
西武ライオンズの選手がからんだ話です。
最初の短編部分を読み終えました。こんな感じで短編が続くと理解しました。
ショッピングセンター西武大津店が閉店した8月中のお話です。
がんばる成瀬あかりと、彼女に対して冷ややかな地元テレビ局のクルー(撮影隊)です。
同級生の島崎みゆきのひとり語りで物語は進行していきます。
コロナのころの話です。
日本のコロナ禍:2020年(令和2年)1月末-2023年(令和5年)5月(位置づけが、インフルエンザと同じ5類になった。1類が一番危険だそうです)
西武大津店の閉店:2020年(令和2年)8月31日
以前から、地方のどこにでもあった閉店風景です。ジャスコとか、ダイエーとか、ユニーとか、いろいろありました。今では、なんだか、イオンのひとり勝ちです。
コロナ禍だからか、マスクに文字を書くという行為があります。
エゴサーチ:自分に関する情報を検索すること。
8月31日に中学校を休むという話が出てきます。8月31日まで夏休みではないようです。2学期制のところは、3学期制のところより、夏休みが早く終わります。滋賀県は1年間を2学期方式ですな。
『成瀬あかり』とは、著者のことだろうか。
西武大津店閉店にあたって、成瀬あかりの夢は、『将来、わたしが大津にデパートを建てる』
これから先、この話はどうなっていくだろう。読む意欲が湧いてきました。
『膳所(ぜぜ)から来ました』
膳所(ぜぜ):昔、現在の大津市にあった町。膳所町。1933年(昭和8年)合併により廃止。
成瀬あかりと島崎みゆき、中学二年生のふたりが、漫才コンビ『ゼゼカラ』を組んで、漫才コンテスト『M1』の予選に挑戦します。
成瀬あかりの発想が現実離れしているのですが、おもしろい。なんとか障害のこどもさんだろうか。
文章は、なんだか、M1出場のノウハウを教わるようです。
漫才は、西武という野球のテーマではなく、閉店したショッピングセンター西武大津店でいく。
成瀬あかりという個人をおもしろおかしく扱う素材にする。(成瀬あかりは、将来、自前のショッピングセンターを創業したい)
この小説の特徴です。
軽く読めます。
文学作品にありがちな雰囲気の暗さ、内容の深刻さはありません。
現代人が求めている文章と内容の創造なのでしょう。
漫才決勝戦のネタは、4分間。予選は、2分間。(そうなのか。短いのね。わたしの考えだと15分ぐらいはやってほしい)
『膳所(ぜぜ)』、地元ネタで勝負です。全国区だと、笑いが出ないかも。
9月26日、大阪にある朝日生命ホールというところで予選会です。観客はいません。審査員だけです。
まあ、いろいろあります。おもしろい。話のもっていきかたがうまい。
ICOCA:いこか。関西圏にある交通系ICカードなのでしょう。(JR西日本エリアだそうです)
ふたりの漫才予選の結果を知りたい人は、本を買うなりして読んでください。
漫才への挑戦は、人生の実績づくりです。おのれは、おのれの人生において、何に挑戦して、何を残してきたかです。
青春時代の思い出づくりです。
中学二年生、人生はまだまだ長い。
『階段は走らない』
短編の終わり付近は、内容表現のもって行き方が文章足らずで弱い感じがしましたが、それもよしです。
稲枝敬太(いなえ・けいた):1977年(昭和52年)生まれ。ひとり者で実家暮らし。滋賀県大津市民。Web会社勤務。
吉峯マサル(よしみね・まさる):稲枝圭太の小学校からの同級生。弁護士。1990年(平成2年)3月小学校卒業生。
タクロー:笹塚拓郎。小学校6年生の冬休みに家庭の事情があって、突然転校していった人物。
ほかに同級生がたくさん出てきます。
ショッピングセンター西武大津店閉店をきっかけとして、小学校の同窓会が企画されます。西武大津店の閉店は、2020年(令和2年)8月31日です。(開店は、1976年(昭和51年)6月、売上・集客のピークが、1992年度(平成4年)だったそうです)
この短編は、2019年(令和元年)10月からスタートします。
タイトルにある、『階段』は、大津店の屋上へとつながる階段をさします。
大津店の屋上に神社があったそうです。
たまに思い出すのですが、おととし11月に宮城県仙台市を観光で訪れたときに、散策マップにあった百貨店の屋上にある神社に似たような話がこちらの本に出てきます。『えびす神社』という名称でした。最初は場所がわからず、店員さんに聞いて教えてもらいました。もう夕暮れ時は過ぎていて、外は真っ暗で、変な観光客夫婦だなと思われたかもしれません。
大津市立ときめき小学校(作品上では、旧大津市立馬場(ばんば)小学校)。
琵琶湖大津プリンスホテル:たぶんわたしは泊まったことがあります。ずいぶん若い頃、職場のバス旅行で琵琶湖周辺に行ったときだったと思います。
文章を読んでいると、なんだろう、今よりも昔のほうが世間の雰囲気が良かったという、『郷愁(きょうしゅう。なつかしさ)』があります。
うみのこ:滋賀県の小学5年生が乗る学習船。
読んでいて、『人間は気持ちで生きている』。そう思いました。
最後のコメントが良かった。
吉峯マサルが稲枝敬太にお礼を言ったあと、稲枝敬太が返答します。
『俺じゃなくて、西武のおかげだよ』
『線がつながる』
読み終えて感じたことです。
余韻が残るお話でした。よいん:あとに残る味わい。言葉ではうまく表現できないけれど、気持ちがすーっとする感じです。
成瀬あかりたちは、中学生から高校一年生になっています。滋賀県立膳所高等学校(ぜぜ)1年3組です。成瀬あかりは、頭髪を丸坊主にしています。(あとで理由がわかります。ここには書きません)。
高校で新しく登場人物となったクラスメートの大貫かえでのひとり語りで物語は進行していきます。大貫かえでの自宅は、高校から約800mにある。
島崎みゆきは、成瀬あかりとは、別の高校へ進学しています。
高島央介(たかしま・おうすけ):クラスメート。東京大学への進学を目指している。なお、成瀬あかりも東大への進学を考えています。(成瀬あかりの成績は、学年で常に一番だそうです)
大黒悠子:クラスメート。仲間ができにくいタイプ同士として、大貫かえでとつるみますが、やがて、大貫かえでが離れていきます。
小倉百人一首の、『決まり字』:上の句(かみのく)を読み始めることで、下の句(しものく)の始まりの文字がわかる。
読んでいて思ったのは、(東大志望の)この子たちは、東京大学を見たことがあるのだろうかという疑問でした。わたしは、高校は福岡県だったのですが、国立の九州大学は、九州の中心にあるであろう大学だから、地図でいうと九州のまんなか(宮崎と熊本の県境(けんざかい))にあるのだろうと勘違いしていました。九州大学は、福岡市内にあります。
物語では、その後の展開で、東大志望の登場人物たちは、8月に東京へ行き、東大のオープンキャンパスに行っています。
7月湖風祭(こふうさい):高校の学園祭でしょう。
西武大津店の跡地:マンション建築中。
東京池袋の西武百貨店:このへんの文章で、しんみりくるものがあります。記念撮影です。
成瀬あかりの目標は、滋賀県大津市に自分のデパートをつくることです。
ポンポンと書いてある文章ですが、読み終えると、心に味わいが広がります。
純粋であること。一途(いちず)であることからくるものです。
『レッツゴーミシガン』
たまたまこの文章のこの部分を書いている今日、テレビ番組、『徹子の部屋』を見ていて、ゲストが楠田枝里子さんだったのですが、こちらの本の主人公である成瀬あかりと楠田枝里子さんの姿が重なりました。見た目が、似ていると思ったのです。中身も多少似ています。
西浦航一郎:高校生。186cm、100kg、柔道をしていたが芽が出ず、かるた部に入って活躍する。広島県代表錦木高校(にしきぎこうこう)の生徒。滋賀県大津市で開催の高校生かるた選手権みたいな大会に参加して、成瀬あかりに心を奪われます。第45回全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会団体戦Dブロック1回戦だそうです。
中橋結希人(なかはし・ゆきと):西浦航一郎の同級生でかるた部員。女好き。されど、成瀬あかりは、普通の人間ではないことに気づく。成瀬あかりは、相当変わっている。
成瀬あかりは、同じかるた部員たちから、愛称として、『なるぴょ~ん』と呼ばれています。本人曰く(いわく)、自分は200歳まで生きることができるそうです。(マンガみたいです。人は、200歳まで生きることはできないとわたしは思います)。なお、成瀬あかりは、スマホを持っていないそうです。
タイトルのミシガンは、琵琶湖を巡る観光遊覧船です。どうして、『ミシガン』という名称なのだろう。調べました。アメリカ合衆国のミシガン州が、滋賀県の友好姉妹都市だそうです。
読み終えて、なかなかいい話でした。
『ときめき江州音頭(ごうしゅうおんど)』
最後まで読み終えました。
最後まで読んでの感想です。
『成瀬あかり』という人物像の描写がいまいち薄いような印象を受けました。つかみどころがない性格、人物設定です。天才である。されど、奇人である。ふわ~とした人物です。魅力はあります。おそらく、滋賀県に彼女がもつデパートがオープンするというところまで話は続いていくのでしょう。奇想天外な点が、ストーリーでの魅力にもなるのでしょう。
(その後のこと)
上記の感想を書いた翌週、東京見物に行ったおり、渋谷区にあるNHK放送センターから公園通りを渋谷駅方向へ歩いていたら、西武百貨店が見えたので写真を撮りました。
本作品の中では、主人公の成瀬あかりが、東京池袋にある西武百貨店の前で写真を撮ります。池袋と渋谷で場所は異なりますが、成瀬あかりのまねをしてみました。わたしが住んでいる愛知県には、西武百貨店はないので西武のロゴは(会社のマーク)珍しいです。
話題になっている本なので、読んでみることにしました。
まずは、ざーっと最後までページをめくってみる。
登場人物名や地名などを拾ってみる。
島崎みゆき:2006年(平成18年)生まれ。第一話では、中学二年生。この物語の進行役としてスタートします。
成瀬あかり:この物語の主人公女子。最初は中学二年生。そのうち女子高生に育つようです。滋賀県立膳所高等学校1年3組。(ぜぜこうとうがっこう)。琵琶湖畔にある大津市のきらめき中学校卒。
成瀬あかりがどれほど野球のことを知っているのか不明な出だしなのですが、彼女は、『ライオンズ女子』と呼ばれるようになっていきます。(結果的には、成瀬あかりは、相当、プロ野球の球団である西武ライオンズのことを知っていました。店舗も含めての『西武愛』があります)
西武ライオンズ球団:わたしは、中高生時代を福岡県で過ごしたので、当時福岡市を本拠地にしていた西鉄ライオンズのファンでした。球団はその後、何度か名称を変えました。そして、埼玉県へ行ってしまいました。
本の目次には、『ありがとう西武大津店』とあります。
出てくる言葉などとして、ぐるりんワイド、笹塚哲郎、マサル、敬太、大黒悠子、甲賀市(こうかし)、東大、須田くん、桃谷先輩、西浦航一郎(錦木高校二年生)、遥香(はるか)、瑞音(みずね、同級生)、杉本:サッカー部男子、タクロー。
(ざーっと目を通したあと、これから2回目の本読みです)
この本の魅力はなんなのだろう?
魅力を探る(さぐる)読書です。
江州音頭(ごうしゅうおんど):江州とは、滋賀県のこと。近江の国(おうみのくに)のこと。
小倉百人一首かるた選手権大会とあります。映画を思い出しました。
ちはやふる(やはり、118ページにかるたの記事が出てきました。部活のことを、『かるた部』といいます)
ページをめくると、マスクをした女子高生のイラストが出てくるのですが、彼女がつけているマスクに、『ありがとう 西武大津店』と書いてあります。お店の宣伝だろうか。それとも、閉店してしまうから、「ありがとう」なのだろうか。彼女の名前がたぶん、『成瀬あかり』に違いない。(やはり西武は閉店するようです。うしろのページに書いてあります。百貨店? スーパー? 2021年(令和3年)8月末閉店。ショッピングセンターでした)
6ページ、彼女いわく、『島崎(みゆき)、わたしはこの夏を西武にささげようと思う』(どういう意味だろう? お店に? 球団に?)
ふたりはおさななじみで、島崎は凡人で、成瀬は奇人らしい。
7ページでわかりました。成瀬あかりは、夏休みに毎日ショッピングセンター西武に通うらしい。(涼みにいくのだろうか。年寄りみたいだ)
成瀬の両親は滋賀県出身だそうです。島崎みゆきの母は横浜出身で、父も滋賀県出身ではないそうです。
この物語は、『滋賀県愛』をアピールするものだろうか。お笑い芸人ダイアンとか、8ページに、ミュージシャンの西川貴教さんのお名前が登場しました。(わたしは実物を、通りがかった繁華街に設置されたステージで、声だけ聞いたことがあります。ラジオ放送をやっていました。たいへんな人気者で、ものすごい人だかりでした。群衆で本人を見ることはできませんでした。インタビューに答える声だけ聞こえました)
ぐるりんワイド:滋賀県内で放送される夕方のローカル番組。
西武ライオンズの選手がからんだ話です。
最初の短編部分を読み終えました。こんな感じで短編が続くと理解しました。
ショッピングセンター西武大津店が閉店した8月中のお話です。
がんばる成瀬あかりと、彼女に対して冷ややかな地元テレビ局のクルー(撮影隊)です。
同級生の島崎みゆきのひとり語りで物語は進行していきます。
コロナのころの話です。
日本のコロナ禍:2020年(令和2年)1月末-2023年(令和5年)5月(位置づけが、インフルエンザと同じ5類になった。1類が一番危険だそうです)
西武大津店の閉店:2020年(令和2年)8月31日
以前から、地方のどこにでもあった閉店風景です。ジャスコとか、ダイエーとか、ユニーとか、いろいろありました。今では、なんだか、イオンのひとり勝ちです。
コロナ禍だからか、マスクに文字を書くという行為があります。
エゴサーチ:自分に関する情報を検索すること。
8月31日に中学校を休むという話が出てきます。8月31日まで夏休みではないようです。2学期制のところは、3学期制のところより、夏休みが早く終わります。滋賀県は1年間を2学期方式ですな。
『成瀬あかり』とは、著者のことだろうか。
西武大津店閉店にあたって、成瀬あかりの夢は、『将来、わたしが大津にデパートを建てる』
これから先、この話はどうなっていくだろう。読む意欲が湧いてきました。
『膳所(ぜぜ)から来ました』
膳所(ぜぜ):昔、現在の大津市にあった町。膳所町。1933年(昭和8年)合併により廃止。
成瀬あかりと島崎みゆき、中学二年生のふたりが、漫才コンビ『ゼゼカラ』を組んで、漫才コンテスト『M1』の予選に挑戦します。
成瀬あかりの発想が現実離れしているのですが、おもしろい。なんとか障害のこどもさんだろうか。
文章は、なんだか、M1出場のノウハウを教わるようです。
漫才は、西武という野球のテーマではなく、閉店したショッピングセンター西武大津店でいく。
成瀬あかりという個人をおもしろおかしく扱う素材にする。(成瀬あかりは、将来、自前のショッピングセンターを創業したい)
この小説の特徴です。
軽く読めます。
文学作品にありがちな雰囲気の暗さ、内容の深刻さはありません。
現代人が求めている文章と内容の創造なのでしょう。
漫才決勝戦のネタは、4分間。予選は、2分間。(そうなのか。短いのね。わたしの考えだと15分ぐらいはやってほしい)
『膳所(ぜぜ)』、地元ネタで勝負です。全国区だと、笑いが出ないかも。
9月26日、大阪にある朝日生命ホールというところで予選会です。観客はいません。審査員だけです。
まあ、いろいろあります。おもしろい。話のもっていきかたがうまい。
ICOCA:いこか。関西圏にある交通系ICカードなのでしょう。(JR西日本エリアだそうです)
ふたりの漫才予選の結果を知りたい人は、本を買うなりして読んでください。
漫才への挑戦は、人生の実績づくりです。おのれは、おのれの人生において、何に挑戦して、何を残してきたかです。
青春時代の思い出づくりです。
中学二年生、人生はまだまだ長い。
『階段は走らない』
短編の終わり付近は、内容表現のもって行き方が文章足らずで弱い感じがしましたが、それもよしです。
稲枝敬太(いなえ・けいた):1977年(昭和52年)生まれ。ひとり者で実家暮らし。滋賀県大津市民。Web会社勤務。
吉峯マサル(よしみね・まさる):稲枝圭太の小学校からの同級生。弁護士。1990年(平成2年)3月小学校卒業生。
タクロー:笹塚拓郎。小学校6年生の冬休みに家庭の事情があって、突然転校していった人物。
ほかに同級生がたくさん出てきます。
ショッピングセンター西武大津店閉店をきっかけとして、小学校の同窓会が企画されます。西武大津店の閉店は、2020年(令和2年)8月31日です。(開店は、1976年(昭和51年)6月、売上・集客のピークが、1992年度(平成4年)だったそうです)
この短編は、2019年(令和元年)10月からスタートします。
タイトルにある、『階段』は、大津店の屋上へとつながる階段をさします。
大津店の屋上に神社があったそうです。
たまに思い出すのですが、おととし11月に宮城県仙台市を観光で訪れたときに、散策マップにあった百貨店の屋上にある神社に似たような話がこちらの本に出てきます。『えびす神社』という名称でした。最初は場所がわからず、店員さんに聞いて教えてもらいました。もう夕暮れ時は過ぎていて、外は真っ暗で、変な観光客夫婦だなと思われたかもしれません。
大津市立ときめき小学校(作品上では、旧大津市立馬場(ばんば)小学校)。
琵琶湖大津プリンスホテル:たぶんわたしは泊まったことがあります。ずいぶん若い頃、職場のバス旅行で琵琶湖周辺に行ったときだったと思います。
文章を読んでいると、なんだろう、今よりも昔のほうが世間の雰囲気が良かったという、『郷愁(きょうしゅう。なつかしさ)』があります。
うみのこ:滋賀県の小学5年生が乗る学習船。
読んでいて、『人間は気持ちで生きている』。そう思いました。
最後のコメントが良かった。
吉峯マサルが稲枝敬太にお礼を言ったあと、稲枝敬太が返答します。
『俺じゃなくて、西武のおかげだよ』
『線がつながる』
読み終えて感じたことです。
余韻が残るお話でした。よいん:あとに残る味わい。言葉ではうまく表現できないけれど、気持ちがすーっとする感じです。
成瀬あかりたちは、中学生から高校一年生になっています。滋賀県立膳所高等学校(ぜぜ)1年3組です。成瀬あかりは、頭髪を丸坊主にしています。(あとで理由がわかります。ここには書きません)。
高校で新しく登場人物となったクラスメートの大貫かえでのひとり語りで物語は進行していきます。大貫かえでの自宅は、高校から約800mにある。
島崎みゆきは、成瀬あかりとは、別の高校へ進学しています。
高島央介(たかしま・おうすけ):クラスメート。東京大学への進学を目指している。なお、成瀬あかりも東大への進学を考えています。(成瀬あかりの成績は、学年で常に一番だそうです)
大黒悠子:クラスメート。仲間ができにくいタイプ同士として、大貫かえでとつるみますが、やがて、大貫かえでが離れていきます。
小倉百人一首の、『決まり字』:上の句(かみのく)を読み始めることで、下の句(しものく)の始まりの文字がわかる。
読んでいて思ったのは、(東大志望の)この子たちは、東京大学を見たことがあるのだろうかという疑問でした。わたしは、高校は福岡県だったのですが、国立の九州大学は、九州の中心にあるであろう大学だから、地図でいうと九州のまんなか(宮崎と熊本の県境(けんざかい))にあるのだろうと勘違いしていました。九州大学は、福岡市内にあります。
物語では、その後の展開で、東大志望の登場人物たちは、8月に東京へ行き、東大のオープンキャンパスに行っています。
7月湖風祭(こふうさい):高校の学園祭でしょう。
西武大津店の跡地:マンション建築中。
東京池袋の西武百貨店:このへんの文章で、しんみりくるものがあります。記念撮影です。
成瀬あかりの目標は、滋賀県大津市に自分のデパートをつくることです。
ポンポンと書いてある文章ですが、読み終えると、心に味わいが広がります。
純粋であること。一途(いちず)であることからくるものです。
『レッツゴーミシガン』
たまたまこの文章のこの部分を書いている今日、テレビ番組、『徹子の部屋』を見ていて、ゲストが楠田枝里子さんだったのですが、こちらの本の主人公である成瀬あかりと楠田枝里子さんの姿が重なりました。見た目が、似ていると思ったのです。中身も多少似ています。
西浦航一郎:高校生。186cm、100kg、柔道をしていたが芽が出ず、かるた部に入って活躍する。広島県代表錦木高校(にしきぎこうこう)の生徒。滋賀県大津市で開催の高校生かるた選手権みたいな大会に参加して、成瀬あかりに心を奪われます。第45回全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会団体戦Dブロック1回戦だそうです。
中橋結希人(なかはし・ゆきと):西浦航一郎の同級生でかるた部員。女好き。されど、成瀬あかりは、普通の人間ではないことに気づく。成瀬あかりは、相当変わっている。
成瀬あかりは、同じかるた部員たちから、愛称として、『なるぴょ~ん』と呼ばれています。本人曰く(いわく)、自分は200歳まで生きることができるそうです。(マンガみたいです。人は、200歳まで生きることはできないとわたしは思います)。なお、成瀬あかりは、スマホを持っていないそうです。
タイトルのミシガンは、琵琶湖を巡る観光遊覧船です。どうして、『ミシガン』という名称なのだろう。調べました。アメリカ合衆国のミシガン州が、滋賀県の友好姉妹都市だそうです。
読み終えて、なかなかいい話でした。
『ときめき江州音頭(ごうしゅうおんど)』
最後まで読み終えました。
最後まで読んでの感想です。
『成瀬あかり』という人物像の描写がいまいち薄いような印象を受けました。つかみどころがない性格、人物設定です。天才である。されど、奇人である。ふわ~とした人物です。魅力はあります。おそらく、滋賀県に彼女がもつデパートがオープンするというところまで話は続いていくのでしょう。奇想天外な点が、ストーリーでの魅力にもなるのでしょう。
(その後のこと)
上記の感想を書いた翌週、東京見物に行ったおり、渋谷区にあるNHK放送センターから公園通りを渋谷駅方向へ歩いていたら、西武百貨店が見えたので写真を撮りました。
本作品の中では、主人公の成瀬あかりが、東京池袋にある西武百貨店の前で写真を撮ります。池袋と渋谷で場所は異なりますが、成瀬あかりのまねをしてみました。わたしが住んでいる愛知県には、西武百貨店はないので西武のロゴは(会社のマーク)珍しいです。
2024年09月13日
しりながおばけ たなかひかる
しりながおばけ たなかひかる 文響社
なかなかおもしろい絵本でした。
先日読んだ同作者の、『おばけのかわをむいたら』の続編でしょう。
バナナの皮をむいたあとのバナナの実みたいな形をしたおばけです。
ただ、うしろから見ると、平面的ではなく、立体的で、せんたくばさみのようでもあります。
絵本の絵に動きがあります。
ビニール袋の口を留める(とめる)ためのクリップがわりになるおばけです。
でた! おすもうさんたちです。
前作の、『おばけのかわをむいたら』でも、たくさんのおすもうさんたちが登場しました。
たまたまこれを書いている今日は、名古屋場所の千秋楽です。(これは、7月に書いた文章です。ぼーっとしていたら、大相撲は、9月場所が始まってしまいました)
(7月場所の)きのうは、隆の勝(たかのしょう)が、劇的な勝利で横綱照ノ富士を破りました。館内に紫色のざぶとんが飛び交い(とびかい)ました。さて本日結びの一番と隆の勝の一番はどうなるでしょうか。楽しみです。(9月場所での横綱照ノ富士は、病気のためお休み(休場)です。なお先場所名古屋場所の優勝力士は、照ノ富士でした)
絵本のほうは、おすもうさんたちによるだじゃれのような展開でページが進みます。
おしゃれ、おしゃれ、たいほ(逮捕)、れもん、おしゃれ、もっとおしゃれ……
おもしろい、のびたおしりの部分がすべり台になります。
おすもうさんたちが、すべり台をすべっていきます。
ふざけているみたいだけれど楽しい。
ぽよ~ん。楽しい。
おばけが、おもちゃです。
いいオチ(話の締め)です。
絵本からおすもうさんがこぼれおちました。
おもしろかった。
立体的です。
ピカソか、ダリの絵画みたい。
(先日、東京駅のそばにあるアーティゾン美術館というところで、ピカソの絵を観てきました。また、文章ができあがったらアップしてみます)
なかなかおもしろい絵本でした。
先日読んだ同作者の、『おばけのかわをむいたら』の続編でしょう。
バナナの皮をむいたあとのバナナの実みたいな形をしたおばけです。
ただ、うしろから見ると、平面的ではなく、立体的で、せんたくばさみのようでもあります。
絵本の絵に動きがあります。
ビニール袋の口を留める(とめる)ためのクリップがわりになるおばけです。
でた! おすもうさんたちです。
前作の、『おばけのかわをむいたら』でも、たくさんのおすもうさんたちが登場しました。
たまたまこれを書いている今日は、名古屋場所の千秋楽です。(これは、7月に書いた文章です。ぼーっとしていたら、大相撲は、9月場所が始まってしまいました)
(7月場所の)きのうは、隆の勝(たかのしょう)が、劇的な勝利で横綱照ノ富士を破りました。館内に紫色のざぶとんが飛び交い(とびかい)ました。さて本日結びの一番と隆の勝の一番はどうなるでしょうか。楽しみです。(9月場所での横綱照ノ富士は、病気のためお休み(休場)です。なお先場所名古屋場所の優勝力士は、照ノ富士でした)
絵本のほうは、おすもうさんたちによるだじゃれのような展開でページが進みます。
おしゃれ、おしゃれ、たいほ(逮捕)、れもん、おしゃれ、もっとおしゃれ……
おもしろい、のびたおしりの部分がすべり台になります。
おすもうさんたちが、すべり台をすべっていきます。
ふざけているみたいだけれど楽しい。
ぽよ~ん。楽しい。
おばけが、おもちゃです。
いいオチ(話の締め)です。
絵本からおすもうさんがこぼれおちました。
おもしろかった。
立体的です。
ピカソか、ダリの絵画みたい。
(先日、東京駅のそばにあるアーティゾン美術館というところで、ピカソの絵を観てきました。また、文章ができあがったらアップしてみます)
2024年09月05日
はなのあなのはなし やぎゅう げんいちろう
はなのあなのはなし やぎゅう げんいちろう・作 かがくのとも絵本 福音館書店
なかなかいい絵本でした。
耳鼻咽喉科のテキストを読むようでもあります。
『このほんは、はなのあなをしっかりとふくらましてよんでください。』から始まります。
メッセージ文字は手書きです。
自分のはなのあなと、人のはなのあなを比較します。大きさ比べです。
かたちを比べたりもします。
動物のはなのあなも出てきます。
ユーモラスです。(おもしろい。おかしい)
ぞう、うま、かめ、いぬ、らくだ、いのししなんかのはなのあなです。
それぞれあなはふたつあります。
いるかのはなのあなはひとつだそうです。頭の上にあります。潮をふいたりしているあなです。
開け閉めできる、はなのあながあります。
あざらしとか、かばのはなのあなです。
ほーっと感心しました。
呼吸をするために、はなのあながあります。
だいじな、あなです。
あながないと息が苦しくなります。
はなのあなは、においをかぐこともできます。
ときおり、はながつまったり、はなたれになることもあります。
はながつまると、発声がうまくいかなくなることもあります。
はなげの話が出ます。
はなげは、はなのなかをおそうじしてくれる役目があります。
はなくその話も出ます。
花粉症のときはつらい。
ティッシュだらけになります。
たま~に、はなじが出たりもします。
はなじが止まるまで心配です。
はなの構造図があります。わかりやすい。人間の顔の断面図です。
はなの穴に、石や、豆や、消しゴムや鉛筆などを入れてはいけないと注意があります。
先日観たテレビ番組、『東野・岡村の旅猿 マカオ編』では、ろうそくのような形をした棒で、片方の端っこに火をつけて、反対側から煙が出てきて、その部分を、耳の穴にあてたり、おへその上にのせたりするマッサージをしていました。マッサージをしてもらっていたダイアンの津田さんが、悶絶(もんぜつ。苦しくて気絶しそうになる)状態になり、裸体に紙パンツをはいていたのですが、紙パンツが破れて、だいじなものが見えている状態になってしまいました。そんなことを思い出しました。あのろうそくのような筒から出ていた煙には、感覚をマヒさせるような薬物効果があるのではないかなどと、絵本をながめながら思ったのでした。
読み終えました。
なるほど、いいお話でした。
裏表紙に書いてあるたくさんの黒丸は、はなのあなが並んでいる絵でしょう。
いい感じです。
なかなかいい絵本でした。
耳鼻咽喉科のテキストを読むようでもあります。
『このほんは、はなのあなをしっかりとふくらましてよんでください。』から始まります。
メッセージ文字は手書きです。
自分のはなのあなと、人のはなのあなを比較します。大きさ比べです。
かたちを比べたりもします。
動物のはなのあなも出てきます。
ユーモラスです。(おもしろい。おかしい)
ぞう、うま、かめ、いぬ、らくだ、いのししなんかのはなのあなです。
それぞれあなはふたつあります。
いるかのはなのあなはひとつだそうです。頭の上にあります。潮をふいたりしているあなです。
開け閉めできる、はなのあながあります。
あざらしとか、かばのはなのあなです。
ほーっと感心しました。
呼吸をするために、はなのあながあります。
だいじな、あなです。
あながないと息が苦しくなります。
はなのあなは、においをかぐこともできます。
ときおり、はながつまったり、はなたれになることもあります。
はながつまると、発声がうまくいかなくなることもあります。
はなげの話が出ます。
はなげは、はなのなかをおそうじしてくれる役目があります。
はなくその話も出ます。
花粉症のときはつらい。
ティッシュだらけになります。
たま~に、はなじが出たりもします。
はなじが止まるまで心配です。
はなの構造図があります。わかりやすい。人間の顔の断面図です。
はなの穴に、石や、豆や、消しゴムや鉛筆などを入れてはいけないと注意があります。
先日観たテレビ番組、『東野・岡村の旅猿 マカオ編』では、ろうそくのような形をした棒で、片方の端っこに火をつけて、反対側から煙が出てきて、その部分を、耳の穴にあてたり、おへその上にのせたりするマッサージをしていました。マッサージをしてもらっていたダイアンの津田さんが、悶絶(もんぜつ。苦しくて気絶しそうになる)状態になり、裸体に紙パンツをはいていたのですが、紙パンツが破れて、だいじなものが見えている状態になってしまいました。そんなことを思い出しました。あのろうそくのような筒から出ていた煙には、感覚をマヒさせるような薬物効果があるのではないかなどと、絵本をながめながら思ったのでした。
読み終えました。
なるほど、いいお話でした。
裏表紙に書いてあるたくさんの黒丸は、はなのあなが並んでいる絵でしょう。
いい感じです。
2024年09月04日
板上に咲く 原田マハ
板上に咲く 原田マハ 幻冬舎
青森が生んだ木版画家、棟方志功(むなかた・しこう)のお話です。なお、棟方志功本人の解釈によると、『版画』は、『板画』という文字が妥当だそうです。
棟方志功:1903年(明治36年)-1975年(昭和50年)72歳没。
本書によると、棟方志功は、物静かな人だった。考え込んでいる((意識が)どこかへ行っちゃってる)。家族といっしょにいても、本人の心や気持ちは、そこに存在していないようすだった)。
そのとき(製作開始)が来ると、ウワーッ、ウワーッと声を出してアトリエに飛び込んでいたそうです。(迫力があります)
大きな硯(すずり)で、木版画の製作に使用する墨(すみ)を磨る(する)ことが、妻であるチヤの仕事だった。
棟方志功は、こどもの頃から絵を描くことが好きで得意だった。帝展入選を目標にして東京へ出た。
棟方志功の奥さんチヤの語りから始まります。奥さんは、青森県弘前市(ひろさきし)の医院で看護師をしていた。棟方志功と結婚してこどもができて、東京にいる同氏のところへ行った。
物語の始まりの時代設定は、1987年(昭和62年)10月、場所は、東京杉並となっています。棟方志功の死後12年が経過しています。
東郷青児美術館:新宿にある。現在は、SOMPO美術館。わたしは東京見物で、今年1月に同美術館を訪れて、本書に出てくるゴッホの『ひまわり』を見学しました。
本書によると、ゴッホの『ひまわり』は、競売により生命保険会社が58億円で購入したそうです。歴史上世界的に有名なご本人が描いた絵を入館料金だけで直接見ることができることは幸せなことだと思います。力強い筆づかいでした。ゴッホが描いた『ひまわり』は、笑っているように見えました。ながめていて、明るく充実した幸福感を味わいました。
本書によると、棟方志功にとってゴッホは神さま、偉大な先生のような存在だったそうです。
『ワぁ、ゴッホになる!』棟方志功は、17歳のときにゴッホの絵を雑誌で見た。
棟方志功は、こどもの頃から弱視だった。写実的な細かい絵は描けない。
遠近法:空間を維持した書き方。
布置法(ふちほう):並べて置く。
巴里爾」(ぱりじ):棟方志功夫婦の長男のお名前。フランスのパリにちなんでいる。
ワ:棟方志功氏が自分のことを言う時の言葉。ワ(私)。
『1928年(昭和3年)10月青森-1929年(昭和4年)9月弘前(ひろさき)』
赤城チヤ:青森市出身。棟方志功の妻となる女性。18歳から20歳ころ。看護師志望で弘前市にて看護師になった。弘前での下宿先が、工藤一家。当時棟方志功は25歳ぐらい。東京にいた。
川村イト:赤城チヤの親友。小学校の同級生。歯科医院の娘。
女の一生の役割は、『嫁』と『母』しかない時代だった。『職業婦人』は、珍しかった。
古藤正雄(ことう・まさお):昭和時代の彫刻家。棟方志功と親しかった。1986年(昭和61年)没。
帝展(ていてん):帝国美術院展覧会。1919年(大正8年)から1935年(昭和10年)まで開催された。
与謝野晶子(よさの・あきこ):1878年(明治11年)-1942年(昭和17年)63歳没。歌人、作家、思想家。
文章の書き方に工夫がしてあります。
文章で、棟方志功の人柄を浮き彫りにする努力がなされていることがわかります。
<チヤ様、私は貴女に惚れ申し候(チヤさま、わたしはあなたに、ほれもうしそうろう)。ご同意なくばあきらめ候((結婚の)同意がなければ、あきらめます(そうろう)) 志功>心がこもったプロポーズの言葉ですが、なんと、新聞の告知欄に掲載されています。そういえばわたしはこどものころ、新聞でよく見ました。『〇〇(下の名前)、チチキトク、スグカエレ』とか。
青森県にある八甲田山(はっこうださん)のことがときおり出てきます。
わたしは、観光用ロープウェイで八甲田山の頂上まで二度上ったことがあります。
とてもきれいなところです。とくに、雪景色のときの風景が抜群です。
『1930年(昭和5年)5月青森-1932年(昭和7年)6月東京中野』
同じく青森出身の作家として、太宰治(だざい・おさむ):1909年(明治42年)-1948年(昭和23年)38歳没。
鷹山宇一(たかやま・ういち):棟方志功に影響されて絵描きへの道へと進んだ人物。青森県上北郡の裕福な家の息子。
松木満史(まつき・まんし):西津軽郡の裕福な桶屋の息子。棟方志功より3歳年下。東京中野で、棟方志功が居候させてもらっていた一家。夫婦でこどもがあった。
絵の仲間が集まったときの年齢は、14歳から19歳。みんなでグループをつくった。『青光社』という名称だった。
小野忠明:棟方志功の絵の仲間。雑誌『白樺』を、当時17歳の棟方志功に見せた。ゴッホの『ひまわり』が掲載されていた。棟方志功は、ゴッホになることを決意した。そのときの複製画を切り取って以降ずーっと棟方志功は持っていたようです。
棟方志功の妻チヤの視点で同氏のことが書いてあります。
なんだろう。表現が、弱いような印象を受けるのです。
味わいと雰囲気はあるのですが、力強さは感じられません。
ドラマとか舞台劇の台本を読んでいるようでもあります。
棟方志功は1903年(明治36年)生まれですから、わたしの祖父の世代です。わたしの祖父は、1907年(明治40年)生まれでした。
棟方志功は、15人兄弟・姉妹です。すごいなあ。
棟方志功は、6番目の3男だったそうです。母親は41歳で肝臓がんのために亡くなったそうです。こどもをたくさん産んだことも体力低下に関係していたのではなかろうか。
家は鍛冶屋で、小さいころから火花や煤(すす)を見ていたせいか弱視だったそうです。
青森の『ねぶた』を見て、絵を描くことに興味をもったそうです。
絵が描ける人は、絵以外のことについても芸術家といえるような気がします。お笑い芸人さんでも絵が上手な人がいます。
棟方チヤの性格設定はシンプルです。(単純明快)。
『ワはあの人ば信ずるっぺって、思っでんだ』
『スコさ(棟方志功のことをそう呼ぶ)』
絵が売れなくて、棟方志功が食べていくためにやった仕事です。自転車に乗ってラッパを吹いて、『納豆売り』、それから、『靴の修理屋』、『看板の絵描き』とあります。
けよう:棟方夫婦のこども。長女。本では、『きょう子』という表記も出てきます。文章のあちこちに津軽なまりが出てきます。
『1932年(昭和7年)9月東京中野野方(現在の高円寺駅の北あたり)-1933年(昭和8年)12月青森』
経木(きょうぎ):スギ、ヒノキなどの木の薄い皮。食品を包むときに使用する。
『白樺』に、ゴッホの複製画が載っていた。白樺:文芸誌、美術誌。1910年(明治43年)武者小路実篤、志賀直哉ほかが創刊した。ロダン、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンをとりあげた。
川上澄生(かわかみ・すみお):版画家。1895年(明治28年)-1972年(昭和47年)77歳没。
版画は何枚も刷るから(するから)お金にならない。版画はチラシのようなもの。
(リトグラフという手法があることを思い出しました。枚数を限定して、何枚のうちの何枚目と絵の隅に、表示されています)
ゴッホは、版画である日本の浮世絵の影響を受けて炎の作家になった。
葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿、渓斎英泉(けいさい・えいせん)などです。
棟方夫婦に、長男、『巴里爾(ぱりじ)』が誕生しました。ふたりめのこどもさんです。
奥さんは、貧乏版画家の棟方志功さんを助けるために、ミシンの技術を習得して、家族を養うことを決意します。(されど、棟方志功はそれを断ります)
『1934年(昭和9年)3月 東京中野』
浮世絵:浮世絵の製作は、絵師・彫師(ほりし)・摺り師(すりし)の共同作業だった。棟方志功はそれをひとりでやった。多色摺り(たしょくずり)はお金がかかる。経済的余裕がなかった棟方志功は白黒の木版画を製作した。
版画は油絵よりも格下に見られていた。
棟方志功は、たいへんな読書家だった。
知己(ちき):知り合い、知人。
化ける(ばける):想像もしなかったすごい版画家になる。
棟方志功は、目が悪いが、お金がないから目医者にはかからない。
新詩論:松木から棟方志功に渡された本。この本にある詩、『大和し美し(やまとしうるはし) 詩人 佐藤一英(さとう・いちえい)作』が、棟方志功の人生を変えるそうです。四季をともなう日本国の自然美が感じられる詩です。
『1936年(昭和11年)4月 東京中野』
188ページあたりまで読みました。
おとなしい内容の小説作品です。
棟方志功の妻チヤのひとり語りで、淡々と静かに時代が流れていきます。
貧困生活から栄光へ、下積みから売れる作家へ、ゴッホが棟方志功を支えてくれます。
そして、妻チヤが、3人のこどもをかかえながら、夫棟方志功を支えていきます。
水谷良一:内閣官僚
東京中野で、二軒長屋を借りて家族5人で暮らす。まだ昭和11年です。中野の風景は田舎です。
長屋を、『雑華堂(ざっけどう)』と名づけた棟方志功です。
家の中の壁などを版画で飾ったそうです。
柳宗悦(やなぎ・むねよし):美術評論家、宗教哲学者、思想家。1889年(明治22年)-1961年(昭和36年)72歳没。民藝運動の主唱者(手仕事でできたものに『美』を見いだす)
濱田庄司(はまだ・しょうじ):陶芸家。民藝運動の中心的な活動家。1894年(明治27年)-1978年(昭和53年)83歳没。
河井寛次郎:京都住まい。陶芸家、彫刻、デザインほかの芸術関係者。1890年(明治23年)-1966年(昭和36年)76歳没。
日本民藝館(にほんみんげいかん):東京目黒区にある。1936年(昭和11年)創立。
山本顧彌太(やまもと・こやた):実業家。綿織物で財を成す。1886年(明治19年)-1963年(昭和38年)77歳没。ゴッホの『ひまわり』の原画を所有している。(今でいうと2億円で購入したそうです)。絵は1945年(昭和20年)の空襲により家とともに焼失しています。(250ページにそのことがチラリと書いてあります)
苦労が報われていきます。(むくわれていきます)
一家は貧困暮らしをしていましたが、棟方志功の絵が売れるようになって、家族が生活できるようになります。絵が250円で売れました。(当時の1円が現在の1000円~3000円ですから、25万円~75万円です)。
いい話です。
つくづく、仕事は、才能と努力、そして人間関係だと思うのです。
富本憲吉(とみもと・けんきち):陶芸家、人間国宝。1886年(明治19年)-1963年(昭和38年)77歳没。
『1937年(昭和12年)四月 東京中野-1939年(昭和14年)五月 東京中野』
神仏画の製作が始まります。
宗教の雰囲気の版画です。
製作にあたって大量の熱量がこもっています。
力がこもっています。
青森の、『ねぶた』からきているのだろうか。
木製のまな板に木版画を掘り始めます。それも、大量のまな板を使用する製作です。
長さ10mの屏風絵です。
大作です。
されど、評価はそれほどでもありません。
中心に棟方志功が考えた経典には出てこない仮想の仏を配置したからです。
仏は、屏風の折り目に書かれているので、顔がまっぷたつに割れているように見えるそうです。
バーナード・リーチ:香港出身。イギリス人の陶芸家。画家、デザイナー。1887年(日本だと明治20年)-1979年(昭和54年)92歳没。
李朝(りちょう):李氏朝鮮。朝鮮半島の王朝。1392年(日本は室町時代)-1897年(日本は明治時代明治30年。
メートルがあがる:電力使用量のメーターが上がる→酔いが進むというたとえ。酔っ払う。
男尊女卑の時代です。男は酒を飲んで舞い上がって、女子は給仕役です。(女子は、飲食の世話をする)。
1936年(昭和11年)スペイン内戦ぼっ発。1939年(昭和14年)まで。
善知鳥神社(うとうじんじゃ):青森市にある神社。棟方志功夫婦が夫婦の誓いをした場所。
作風は、能(のう。能楽(のうがく)。日本の伝統芸能)とか、仏を素材にするようになります。宗教的です。
伝教大師(でんぎょうだいし):最澄(さいちょう)。天台宗の開祖(かいそ)。平安時代初期の仏教僧。滋賀県大津市にある比叡山延暦寺(えんりゃくじ)。
棟方志功は、左目の視力を失いつつあります。
製作、創作について、仏教の世界に救いを求める。
『1944年(昭和19年)五月 東京代々木-1945年(昭和20年)五月富山 福光(現在は、南砺市(なんとし。疎開先です))』
長女 けよう 13歳
長男 巴里爾(ぱりじ) 10歳
次女 ちよゑ(え) 8歳
次男 令明(よしあき) 2歳半
東京への空襲を避けるために、富山県に疎開します。
版木を富山へ運びたいけれど、版木は生活必需品ではないから鉄道輸送のときに認めてもらえそうもありません。いろいろあります。
棟方志功は、ゴッホになることをあきらめます。
ゴッホになることをあきらめて、『ムナカタ』になることを決意します。
小説の内容は、戦時中の記述からすると、戦争反対という反戦の意味があるのでしょうが、その趣旨からは抜けだして、この小説の根っこにあるのは、才能と努力の人である棟方志功と、夫を支える棟方志功の愛妻チヤのふたりが、お互いの夫婦愛を育てていくことのすばらしさを表現した作品です。
(なんというか、今の世の中では、『仮面夫婦』とか、『家庭内別居状態にある夫婦』ということを聞くのですが、長い結婚生活を送っていても仲良しに見える夫婦というのはいます。それは、それなりにお互いが相手を気遣う(きずかう)努力をしているからだと思うのです。どちらかいっぽうだけがめんどうなことを負担する生活をしていると夫婦関係は冷たくなります)
戦時中の空襲から守るために、『版木』を『椅子』として鉄道運搬の受付に出します。東京から棟方志功家族の疎開先(そかいさき)である富山県へ大事な版木を列車で搬送するのです。
そして、約10万人が死者として犠牲者になった東京大空襲が始まりました。1945年(昭和20年)3月10日でした。
まずは、生き抜かねばなりません。
じょうずにたとえてあります。
『自分は、ひまわりだ』
(なんだか、ウクライナの話とも共通してきます)
『自分は、ひまわりだ』の『ひまわり』は、棟方志功の妻であるチヤのことなのです。
『終章 1987年(昭和62年)十月 東京杉並』
広島市への原爆投下の記事があります。
その後、ご夫婦が、海外から招きを受けて、あちこち回ったお話があります。
アメリカ各地、ヨーロッパ諸国、インド、フランス、フランスでは、ゴッホと弟のテオのお墓参りをしました。
夫婦ってなんだろうって考えました。
お互いに協力して助け合っていくのが夫婦の姿と受け止めました。
青森が生んだ木版画家、棟方志功(むなかた・しこう)のお話です。なお、棟方志功本人の解釈によると、『版画』は、『板画』という文字が妥当だそうです。
棟方志功:1903年(明治36年)-1975年(昭和50年)72歳没。
本書によると、棟方志功は、物静かな人だった。考え込んでいる((意識が)どこかへ行っちゃってる)。家族といっしょにいても、本人の心や気持ちは、そこに存在していないようすだった)。
そのとき(製作開始)が来ると、ウワーッ、ウワーッと声を出してアトリエに飛び込んでいたそうです。(迫力があります)
大きな硯(すずり)で、木版画の製作に使用する墨(すみ)を磨る(する)ことが、妻であるチヤの仕事だった。
棟方志功は、こどもの頃から絵を描くことが好きで得意だった。帝展入選を目標にして東京へ出た。
棟方志功の奥さんチヤの語りから始まります。奥さんは、青森県弘前市(ひろさきし)の医院で看護師をしていた。棟方志功と結婚してこどもができて、東京にいる同氏のところへ行った。
物語の始まりの時代設定は、1987年(昭和62年)10月、場所は、東京杉並となっています。棟方志功の死後12年が経過しています。
東郷青児美術館:新宿にある。現在は、SOMPO美術館。わたしは東京見物で、今年1月に同美術館を訪れて、本書に出てくるゴッホの『ひまわり』を見学しました。
本書によると、ゴッホの『ひまわり』は、競売により生命保険会社が58億円で購入したそうです。歴史上世界的に有名なご本人が描いた絵を入館料金だけで直接見ることができることは幸せなことだと思います。力強い筆づかいでした。ゴッホが描いた『ひまわり』は、笑っているように見えました。ながめていて、明るく充実した幸福感を味わいました。
本書によると、棟方志功にとってゴッホは神さま、偉大な先生のような存在だったそうです。
『ワぁ、ゴッホになる!』棟方志功は、17歳のときにゴッホの絵を雑誌で見た。
棟方志功は、こどもの頃から弱視だった。写実的な細かい絵は描けない。
遠近法:空間を維持した書き方。
布置法(ふちほう):並べて置く。
巴里爾」(ぱりじ):棟方志功夫婦の長男のお名前。フランスのパリにちなんでいる。
ワ:棟方志功氏が自分のことを言う時の言葉。ワ(私)。
『1928年(昭和3年)10月青森-1929年(昭和4年)9月弘前(ひろさき)』
赤城チヤ:青森市出身。棟方志功の妻となる女性。18歳から20歳ころ。看護師志望で弘前市にて看護師になった。弘前での下宿先が、工藤一家。当時棟方志功は25歳ぐらい。東京にいた。
川村イト:赤城チヤの親友。小学校の同級生。歯科医院の娘。
女の一生の役割は、『嫁』と『母』しかない時代だった。『職業婦人』は、珍しかった。
古藤正雄(ことう・まさお):昭和時代の彫刻家。棟方志功と親しかった。1986年(昭和61年)没。
帝展(ていてん):帝国美術院展覧会。1919年(大正8年)から1935年(昭和10年)まで開催された。
与謝野晶子(よさの・あきこ):1878年(明治11年)-1942年(昭和17年)63歳没。歌人、作家、思想家。
文章の書き方に工夫がしてあります。
文章で、棟方志功の人柄を浮き彫りにする努力がなされていることがわかります。
<チヤ様、私は貴女に惚れ申し候(チヤさま、わたしはあなたに、ほれもうしそうろう)。ご同意なくばあきらめ候((結婚の)同意がなければ、あきらめます(そうろう)) 志功>心がこもったプロポーズの言葉ですが、なんと、新聞の告知欄に掲載されています。そういえばわたしはこどものころ、新聞でよく見ました。『〇〇(下の名前)、チチキトク、スグカエレ』とか。
青森県にある八甲田山(はっこうださん)のことがときおり出てきます。
わたしは、観光用ロープウェイで八甲田山の頂上まで二度上ったことがあります。
とてもきれいなところです。とくに、雪景色のときの風景が抜群です。
『1930年(昭和5年)5月青森-1932年(昭和7年)6月東京中野』
同じく青森出身の作家として、太宰治(だざい・おさむ):1909年(明治42年)-1948年(昭和23年)38歳没。
鷹山宇一(たかやま・ういち):棟方志功に影響されて絵描きへの道へと進んだ人物。青森県上北郡の裕福な家の息子。
松木満史(まつき・まんし):西津軽郡の裕福な桶屋の息子。棟方志功より3歳年下。東京中野で、棟方志功が居候させてもらっていた一家。夫婦でこどもがあった。
絵の仲間が集まったときの年齢は、14歳から19歳。みんなでグループをつくった。『青光社』という名称だった。
小野忠明:棟方志功の絵の仲間。雑誌『白樺』を、当時17歳の棟方志功に見せた。ゴッホの『ひまわり』が掲載されていた。棟方志功は、ゴッホになることを決意した。そのときの複製画を切り取って以降ずーっと棟方志功は持っていたようです。
棟方志功の妻チヤの視点で同氏のことが書いてあります。
なんだろう。表現が、弱いような印象を受けるのです。
味わいと雰囲気はあるのですが、力強さは感じられません。
ドラマとか舞台劇の台本を読んでいるようでもあります。
棟方志功は1903年(明治36年)生まれですから、わたしの祖父の世代です。わたしの祖父は、1907年(明治40年)生まれでした。
棟方志功は、15人兄弟・姉妹です。すごいなあ。
棟方志功は、6番目の3男だったそうです。母親は41歳で肝臓がんのために亡くなったそうです。こどもをたくさん産んだことも体力低下に関係していたのではなかろうか。
家は鍛冶屋で、小さいころから火花や煤(すす)を見ていたせいか弱視だったそうです。
青森の『ねぶた』を見て、絵を描くことに興味をもったそうです。
絵が描ける人は、絵以外のことについても芸術家といえるような気がします。お笑い芸人さんでも絵が上手な人がいます。
棟方チヤの性格設定はシンプルです。(単純明快)。
『ワはあの人ば信ずるっぺって、思っでんだ』
『スコさ(棟方志功のことをそう呼ぶ)』
絵が売れなくて、棟方志功が食べていくためにやった仕事です。自転車に乗ってラッパを吹いて、『納豆売り』、それから、『靴の修理屋』、『看板の絵描き』とあります。
けよう:棟方夫婦のこども。長女。本では、『きょう子』という表記も出てきます。文章のあちこちに津軽なまりが出てきます。
『1932年(昭和7年)9月東京中野野方(現在の高円寺駅の北あたり)-1933年(昭和8年)12月青森』
経木(きょうぎ):スギ、ヒノキなどの木の薄い皮。食品を包むときに使用する。
『白樺』に、ゴッホの複製画が載っていた。白樺:文芸誌、美術誌。1910年(明治43年)武者小路実篤、志賀直哉ほかが創刊した。ロダン、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンをとりあげた。
川上澄生(かわかみ・すみお):版画家。1895年(明治28年)-1972年(昭和47年)77歳没。
版画は何枚も刷るから(するから)お金にならない。版画はチラシのようなもの。
(リトグラフという手法があることを思い出しました。枚数を限定して、何枚のうちの何枚目と絵の隅に、表示されています)
ゴッホは、版画である日本の浮世絵の影響を受けて炎の作家になった。
葛飾北斎、歌川広重、喜多川歌麿、渓斎英泉(けいさい・えいせん)などです。
棟方夫婦に、長男、『巴里爾(ぱりじ)』が誕生しました。ふたりめのこどもさんです。
奥さんは、貧乏版画家の棟方志功さんを助けるために、ミシンの技術を習得して、家族を養うことを決意します。(されど、棟方志功はそれを断ります)
『1934年(昭和9年)3月 東京中野』
浮世絵:浮世絵の製作は、絵師・彫師(ほりし)・摺り師(すりし)の共同作業だった。棟方志功はそれをひとりでやった。多色摺り(たしょくずり)はお金がかかる。経済的余裕がなかった棟方志功は白黒の木版画を製作した。
版画は油絵よりも格下に見られていた。
棟方志功は、たいへんな読書家だった。
知己(ちき):知り合い、知人。
化ける(ばける):想像もしなかったすごい版画家になる。
棟方志功は、目が悪いが、お金がないから目医者にはかからない。
新詩論:松木から棟方志功に渡された本。この本にある詩、『大和し美し(やまとしうるはし) 詩人 佐藤一英(さとう・いちえい)作』が、棟方志功の人生を変えるそうです。四季をともなう日本国の自然美が感じられる詩です。
『1936年(昭和11年)4月 東京中野』
188ページあたりまで読みました。
おとなしい内容の小説作品です。
棟方志功の妻チヤのひとり語りで、淡々と静かに時代が流れていきます。
貧困生活から栄光へ、下積みから売れる作家へ、ゴッホが棟方志功を支えてくれます。
そして、妻チヤが、3人のこどもをかかえながら、夫棟方志功を支えていきます。
水谷良一:内閣官僚
東京中野で、二軒長屋を借りて家族5人で暮らす。まだ昭和11年です。中野の風景は田舎です。
長屋を、『雑華堂(ざっけどう)』と名づけた棟方志功です。
家の中の壁などを版画で飾ったそうです。
柳宗悦(やなぎ・むねよし):美術評論家、宗教哲学者、思想家。1889年(明治22年)-1961年(昭和36年)72歳没。民藝運動の主唱者(手仕事でできたものに『美』を見いだす)
濱田庄司(はまだ・しょうじ):陶芸家。民藝運動の中心的な活動家。1894年(明治27年)-1978年(昭和53年)83歳没。
河井寛次郎:京都住まい。陶芸家、彫刻、デザインほかの芸術関係者。1890年(明治23年)-1966年(昭和36年)76歳没。
日本民藝館(にほんみんげいかん):東京目黒区にある。1936年(昭和11年)創立。
山本顧彌太(やまもと・こやた):実業家。綿織物で財を成す。1886年(明治19年)-1963年(昭和38年)77歳没。ゴッホの『ひまわり』の原画を所有している。(今でいうと2億円で購入したそうです)。絵は1945年(昭和20年)の空襲により家とともに焼失しています。(250ページにそのことがチラリと書いてあります)
苦労が報われていきます。(むくわれていきます)
一家は貧困暮らしをしていましたが、棟方志功の絵が売れるようになって、家族が生活できるようになります。絵が250円で売れました。(当時の1円が現在の1000円~3000円ですから、25万円~75万円です)。
いい話です。
つくづく、仕事は、才能と努力、そして人間関係だと思うのです。
富本憲吉(とみもと・けんきち):陶芸家、人間国宝。1886年(明治19年)-1963年(昭和38年)77歳没。
『1937年(昭和12年)四月 東京中野-1939年(昭和14年)五月 東京中野』
神仏画の製作が始まります。
宗教の雰囲気の版画です。
製作にあたって大量の熱量がこもっています。
力がこもっています。
青森の、『ねぶた』からきているのだろうか。
木製のまな板に木版画を掘り始めます。それも、大量のまな板を使用する製作です。
長さ10mの屏風絵です。
大作です。
されど、評価はそれほどでもありません。
中心に棟方志功が考えた経典には出てこない仮想の仏を配置したからです。
仏は、屏風の折り目に書かれているので、顔がまっぷたつに割れているように見えるそうです。
バーナード・リーチ:香港出身。イギリス人の陶芸家。画家、デザイナー。1887年(日本だと明治20年)-1979年(昭和54年)92歳没。
李朝(りちょう):李氏朝鮮。朝鮮半島の王朝。1392年(日本は室町時代)-1897年(日本は明治時代明治30年。
メートルがあがる:電力使用量のメーターが上がる→酔いが進むというたとえ。酔っ払う。
男尊女卑の時代です。男は酒を飲んで舞い上がって、女子は給仕役です。(女子は、飲食の世話をする)。
1936年(昭和11年)スペイン内戦ぼっ発。1939年(昭和14年)まで。
善知鳥神社(うとうじんじゃ):青森市にある神社。棟方志功夫婦が夫婦の誓いをした場所。
作風は、能(のう。能楽(のうがく)。日本の伝統芸能)とか、仏を素材にするようになります。宗教的です。
伝教大師(でんぎょうだいし):最澄(さいちょう)。天台宗の開祖(かいそ)。平安時代初期の仏教僧。滋賀県大津市にある比叡山延暦寺(えんりゃくじ)。
棟方志功は、左目の視力を失いつつあります。
製作、創作について、仏教の世界に救いを求める。
『1944年(昭和19年)五月 東京代々木-1945年(昭和20年)五月富山 福光(現在は、南砺市(なんとし。疎開先です))』
長女 けよう 13歳
長男 巴里爾(ぱりじ) 10歳
次女 ちよゑ(え) 8歳
次男 令明(よしあき) 2歳半
東京への空襲を避けるために、富山県に疎開します。
版木を富山へ運びたいけれど、版木は生活必需品ではないから鉄道輸送のときに認めてもらえそうもありません。いろいろあります。
棟方志功は、ゴッホになることをあきらめます。
ゴッホになることをあきらめて、『ムナカタ』になることを決意します。
小説の内容は、戦時中の記述からすると、戦争反対という反戦の意味があるのでしょうが、その趣旨からは抜けだして、この小説の根っこにあるのは、才能と努力の人である棟方志功と、夫を支える棟方志功の愛妻チヤのふたりが、お互いの夫婦愛を育てていくことのすばらしさを表現した作品です。
(なんというか、今の世の中では、『仮面夫婦』とか、『家庭内別居状態にある夫婦』ということを聞くのですが、長い結婚生活を送っていても仲良しに見える夫婦というのはいます。それは、それなりにお互いが相手を気遣う(きずかう)努力をしているからだと思うのです。どちらかいっぽうだけがめんどうなことを負担する生活をしていると夫婦関係は冷たくなります)
戦時中の空襲から守るために、『版木』を『椅子』として鉄道運搬の受付に出します。東京から棟方志功家族の疎開先(そかいさき)である富山県へ大事な版木を列車で搬送するのです。
そして、約10万人が死者として犠牲者になった東京大空襲が始まりました。1945年(昭和20年)3月10日でした。
まずは、生き抜かねばなりません。
じょうずにたとえてあります。
『自分は、ひまわりだ』
(なんだか、ウクライナの話とも共通してきます)
『自分は、ひまわりだ』の『ひまわり』は、棟方志功の妻であるチヤのことなのです。
『終章 1987年(昭和62年)十月 東京杉並』
広島市への原爆投下の記事があります。
その後、ご夫婦が、海外から招きを受けて、あちこち回ったお話があります。
アメリカ各地、ヨーロッパ諸国、インド、フランス、フランスでは、ゴッホと弟のテオのお墓参りをしました。
夫婦ってなんだろうって考えました。
お互いに協力して助け合っていくのが夫婦の姿と受け止めました。
2024年08月30日
すしん たなかひかる
すしん たなかひかる ポプラ社
こどもさん向けの絵本です。
かなりおもしろかった。
お寿司の話です。
握りずしの下に、車輪が取り付けられます。
まぐろの握りが、『すしーーーーん』と走り出します。
爽快です。(そうかい:さわやかで気持ちが良い)
たまごと、えびも走ります。『すしーーーーん』、『すしーーーーん』。
そのあとを、貝と、あなごと、いくらとウニとタコとイカとサーモンと鉄火巻きが走ります。
『すしーーーーん』、『すしーーーーん』、『すしーーーーん』
なんだかんだと、いろんなネタが続きます。
絵がキレイです。
こんど親戚のちびっこにプレゼントする絵本の候補に入れることにしました。
握りずしが、ヘリコプターになっています。
勢いと力強さがあります。
おーーーっ! 寿司と寿司が合体しましたーーーー
対決ではありません。
傑作です。(けっさく:非常に優れた出来栄え(すぐれたできばえ))
ネタは、筋子(すじこ)か。
筋子が恐竜になりました。
ウォーーー ゴジラ寿司だぞーーーー
『すしん、すしん、すしん……』
なんじゃこりゃーーーー
『すしーん、すしーん……』
おもしろい!!
ありゃ。
上からピザが落ちてきました。
『ピザッ』
オチもおもしろい。
さいごは、なごやか。
なかなか良かった。
今年読んで良かった一冊になりました。
こどもさん向けの絵本です。
かなりおもしろかった。
お寿司の話です。
握りずしの下に、車輪が取り付けられます。
まぐろの握りが、『すしーーーーん』と走り出します。
爽快です。(そうかい:さわやかで気持ちが良い)
たまごと、えびも走ります。『すしーーーーん』、『すしーーーーん』。
そのあとを、貝と、あなごと、いくらとウニとタコとイカとサーモンと鉄火巻きが走ります。
『すしーーーーん』、『すしーーーーん』、『すしーーーーん』
なんだかんだと、いろんなネタが続きます。
絵がキレイです。
こんど親戚のちびっこにプレゼントする絵本の候補に入れることにしました。
握りずしが、ヘリコプターになっています。
勢いと力強さがあります。
おーーーっ! 寿司と寿司が合体しましたーーーー
対決ではありません。
傑作です。(けっさく:非常に優れた出来栄え(すぐれたできばえ))
ネタは、筋子(すじこ)か。
筋子が恐竜になりました。
ウォーーー ゴジラ寿司だぞーーーー
『すしん、すしん、すしん……』
なんじゃこりゃーーーー
『すしーん、すしーん……』
おもしろい!!
ありゃ。
上からピザが落ちてきました。
『ピザッ』
オチもおもしろい。
さいごは、なごやか。
なかなか良かった。
今年読んで良かった一冊になりました。