2018年06月24日

猫は抱くもの 大山淳子

猫は抱くもの 大山淳子 キノブックス

 城戸賞(きどしょう)というシナリオの賞を受賞された方と紹介文にあり、読んでみたくなりました。映画化されると書いてあります。公開は6月とありますので今月です。

 最初の章は、擬人法になると読んでいる途中で気づきます。30ページを過ぎたあたりからおもしろくなる。ぐいぐいと引き込まれていきます。
 登場人物青森出身の人大石沙織さんが、東京に出て13年間渋谷に行ったことがないという部分が引き寄せられる魅力があります。そんな人いるのだろうか。たぶん、希少価値があるほど少ないけれど、いるのでしょう。

 桜高校の池永良男は、ロシア系日本人に見えるが、猫でもある。彼に恋をしているのが、この物語の主人公大石沙織である。スーパーにこにこ堂でレジ打ちをしている38歳である。彼女の経歴は珍しい。兄夫婦と甥、両親が住む実家にいづらくなり東北から東京郊外へ引っ越してきている。未婚。

「ダマ:溶けないでできる固まり。小麦粉ほか」

 地名として、「ねこすて橋」、ただし、捨てられた猫に餌を与える人間がいる。それから、青目川、ねこすて橋がかかる小さな川。

「ロシアンブルー:ロシア起源、イギリス原産短毛の猫」

「猫は描くものではなく抱くもの」絵描きと暮らしたことがある三毛猫キイロの言葉である。

ロシアンブルーは、毒殺されたのではないか。

 スーパーマーケットでの就労だから、万引きの記事が出てきました。映画「万引き家族」を思い出します。

 第一話から第五話まであって互いに関連があります。
第一話「良男と沙織」
 主人公クラスらしき大石沙織さんは38歳でもう結婚をあきらめる。これから一生、おばさんをやっていくと決心するような、悟るような言葉がある。さみしい。そういうものか。そういうものなのかもしれない。そうなると頼れるのはお金になる。そうならなくてもお金か。ちなみに彼女のあだながあとから出てきますが「誠実さん」です。

 書き方として特徴的なのは、セリフのかっこ「 」がないことです。登場人物の心境が長文で語り続けられます。いい感じです。

第二話「キイロとゴッホ」
  「猫は描くものではなく抱くものだ」というゴッホの言葉は、「大石沙織は描くものではなく抱くものだ」につながるのだろうか。
 えんえんと読み続けています。作者の深層心理を垣間見る読書です。
 捨て猫のお話です。色弱の話も含めて、なんか、くらい。ゴッホは自活できず生活費をもらってヒモ暮らしみたい。うーむ。これでいいのだろうか。

第三話「哲学者」
 哲学者とは、コサギという一羽の白い鳥を指す。3歳のなっちゃんというが出てくる。なっちゃんには、障害があるのではないかと親が疑っている。
 なにごとも争わず和すことで命を長むる。この言葉が良かった。

第四話「それぞれのクリスマス」
 解析概論:数学を学ぶ人の座右の書(身近におく書物)
 ハインライン「夏への扉」:SF未来小説
 独特です。美男子に生まれた悩みが綴られます。
 良かった表現です。教育者に向いていない。器(うつわ)じゃない。
 Sleigh Ride:管弦楽曲。そりすべり。クリスマスによく流れる。
 リーマン予想:ドイツの数学者による予想

 こちらのほうが覚えていても、相手は忘れているとうの昔のことがあります。去年のクリスマスを忘れてしまった猫たちの会話を読みながら、相手はもう忘れているから気に病むことはないというメッセージをこの部分を読みながら受け取った気がします。いずれにしても、済んだことは済んだこと、済んだことを変えることはできないから未来志向でいこうというメッセージを受け取った気がします。

第五話「ルノワール」
 三毛猫のオスはなかなか生まれないから希少価値があって高価だとあります。そんなことがあるのだろうか。調べました。3万匹に1匹ぐらいしかいないそうです。びっくりしました。染色体の関係だそうです。黒、茶、白の三色猫はメスなのです。

 気にった表現として、猫から見て、「ゴッホ(日本人の絵描きのこと)は、人間のうちに入らない。」

 まだ、いちども人間に名前をつけられたことがない猫が登場します。

 少年、発明家

 100万回生きたねことか、洋画「卒業」が思い浮かびます。

 後半の明治時代の出来事のような記述は難解でした。男女のからみは複雑です。途中、タイトル「ルノワール」との関連がわからず混乱しました。

 柘植(つげ):常緑低木

 悪意の考察があります。ここで、そこまで、こだわらねばならない項目だろうか。

 ルノワールの絵画「猫を抱くこども」。ねこが気持ちよさそうに女の子に抱かれている絵です。

 そうか。名前のなかった猫の名前か。なっちゃんありがとう。やはり、未来志向の小説でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:34Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月23日

ぬのえほん わくわくのりもの

ぬのえほん わくわくのりもの 交通新聞社

 書店においてある見本はどうぶつのぬの(布)絵本でしたが、贈り先のこどもがぶーぶー(車)に興味が強いので「のりもの」の布絵本にしました。

 創意工夫にあふれています。立体絵本のように、絵本のサイズの規格から外に飛び出したりします。
 ぞうくんが、ポケットに入るということもできます。
 赤い乗用車、赤い消防はしご車、黄色いブルドーザー、赤い電車、青い飛行機です。
 手のひらや指でさわって、感触を楽しむページもあります。
 さて、よろこんでくれるでしょうか。楽しみです。  

Posted by 熊太郎 at 09:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月22日

美しい顔 北条裕子

美しい顔 北条裕子 第61回群像新人文学賞 6月号群像

(平成30年5月15日付読書感想文)
 美しい顔とは、7年前の東日本大震災で津波によって亡くなった主人公サノ・サナエ当時17歳の母親の死に顔をさします。
 マスコミの取材に対する批判から始まります。地震・津波が素材というこの話、この素材がいつまで続くのだろうかとため息が出ます。
 書き手全体に対して言いたいのですが、これから先、小説の素材選びはどうするのだろうか。次の大災害がくるまで、東日本大震災を引っ張るのだろうか。何をどう書きたいのだろうか。

 エロっぽいものが重ねてあります。純文学はエロを必ずからめなければならないものという呪縛さえ感じます。
 書いた勇気はたいしたものです。覚悟があります。

 文字がページ全体、びっしりと書き込まれています。ここに、「行間を読む」という日本人が好んできた文化はありません。読み手のための文章ではなく、書き手のための文章です。

 もう、流し読みにします。

 とうとつに、パリ・シャンゼリゼの話が出ます。変です。ここは、日本です。

 「いいね!」 SNSのことはわからない。わかる人間は、1億2000万人のなかの、一部の人間でしかありません。

 生徒会長で人気者の広子ちゃん。「がんばろう日本」に対する嫌悪感。生き残った自分を責める自虐。二重人格部分あり。カタカナ表記の人間性をもたせない登場人物への命名。

 冒頭付近のダンボールハウスは、避難所体育館の中なのでしょう。最初は公民館に泊まったとあります。(再読した時に、場所がどこかを秘密にせず、最初から避難所ですとしたほうが、わかりやすいと思いました。)

 7歳年下の弟がいる。

 ここまで、読んできて、作者は被災者ではないなと予感します。被災者だったら書けません。この内容はつくり話です。小説家は体験がなくても上手に事実のように書く才能をもちます。

 これまで、「死」が身近になかった人の文章です。

 登場人物のひとりが、嫌なら取材を拒否すればいいというようなアドバイスを主人公に送ります。読み手として同感です。拒否しないのは、自分に陶酔しています。

 年寄りの気持ちがわからない高学歴の女子たち、規則順守にこだわる公務員気質の女子たち、主人公はそんな人物像に見えます。

 毎日、おおぜいの人たちが、病気や事故、事件、老衰で死んでいる。人は必ず死ぬ。遅いか早いかがあるだけで、「死」に特別はありません。

 内容は悲惨ですが、つくり話だから、読み手は実感をもちません。

 善意って何だろうというメッセージがあります。

 反抗期、思春期の心の動きは、うまく表現されています。

 速読が終わりました。ていねいに、再読するかどうかはわかりません。(2018年5月)

主人公 サノ・サナエ 母親 サノ・キョウカ 弟 サノ・ヒロノリ
生徒会長で人気者だった 広子ちゃん
齋藤さんと斎藤さんの奥さん齋藤由香
マスコミカメラマンであるジーンズの青年


(平成30年6月21日付感想文)
 芥川賞候補作品となりましたので再読しました。
 前回読んだときほどの嫌悪感は生まれてきませんでしたが、やはりわたしには合わない作品です。

 被災地にいる被災者へのマスコミの取材に関して、こういう感じ方もありますが、これがすべてではありません。マスコミというのは昔からそしてこれからもそういうものです。
 現実の生活感がありません。頭の中だけの世界です。
 「拙く:つたなく。漢字がすぐに読めませんでした。」
 
 母がいないなら自分も死んだ方がよかったとするのか。人助けをしようとして亡くなった母親を責めるのか。他人を助けるぐらいなら娘の自分や息子の弟を助けてほしかったとするのか。勤務先で上昇志向があった母親を責めてみるのか。憎むことも愛情、甘えることも愛情。死をもって哀しみとする。

 気に入った表現として、「口角が落ちる。」、「私は言った。反抗期だから。」

 遺体へのこだわりがあります。遺体は遺体であってそこにはもう本人はいないとする考えはいけないことなのか。

 姉17歳と弟7歳の年齢差がありすぎる。

 これはこうという思い込みが強い。  

Posted by 熊太郎 at 05:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月19日

おとこのおばあさん 永六輔

おとこのおばあさん 楽しく年をとる方法 永六輔(えい・ろくすけ) 大和書房

 ページをめくるとふたりの娘さんに捧ぐとあります。先日は、父「永六輔」を看取るという娘さんの書いた本を読みました。2016年たなばたの日に83歳で亡くなっています。
 この本の出版は2013年6月で、その後5刷されています。人気者でした。

 娘さんの書いた本では、本人は、外と内では、違う人だったとありました。外では、永六輔を演じていた。そして、仕事優先の人だった。

 読み始めました。ラジオ番組での発言を整理してまとめたものと解説があります。46年間の長寿番組です。ラジオはこういうことができるという可能性を示しています。
 おじいさんではなく、おばあさんになる。おばあさんのほうが長寿で生命力が強い。おばあさんのほうが楽。背筋を伸ばしてきびきび生きようとすると短命になる。
 男性79.4歳の平均寿命で、永さんは83歳で亡くなっています。この本の当時は77歳ぐらいです。しみじみします。

以下、項目として、共感したものです。
・ふたつのことをいちどにできない。
・ひとつずつ片付ける。

 以下、秘訣として、
・50代で70代のふりをする。(老いる練習をしておく。)
・健康な時に車いすの練習をして慣れておく。

「若く見せるは、むだなんです。」には、笑いました。

パーキンソン症候群:脳神経系の病気。物覚えが悪くなり、ころびやすく、手足が震える。
アルツハイマー型認知症:物忘れ、見当識障害、判断能力低下
メニエール病:内耳の病気。めまい、難聴、耳鳴り。ストレスが原因

 できる限り、自分のことは自分でやる。

 カラオケ嫌いは意外です。

 薬を飲み忘れるので、食後の薬は食前に飲んでいます。(自分のこと)

(つづく)

 パーキンソン病のお話が続きます。くどいので、飽きてきました。おばあさんになる話はどこへいってしまったのだろう。
 転倒注意、多いのは家の中、浴室。
 自力で着替えができない。
 

腎不全:腎臓機能の低下。水がたまるとむくみ、高血圧、老廃物がたまると疲労感、食欲不振、吐き気、けいれん、意識障害
食事療法、薬物療法、血液浄化

「えばって歩く」 胸を張って、上を向いて歩く。パーキンソンじゃないけれどやってみます。

 ここまで読んで、病気の原因は働きすぎではなかろうかと思いました。以前読んだ娘さんの本では、家では、大量の情報を仕入れてかかえて、番組でどういうふうに表現しようかと長時間没頭していたということでした。番組を45年間休まなかったと本文にあります。
 それでも、長生きされて、やりたいことをやりとげられて、それはそれでいいのかもしれないということもあります。

 読んでいて、「時間」について考えました。もう、亡くなっているので、「偲ぶ(しのぶ、なつかしむ)」本です。時間はだれにも平等に経過して、思い出を残していく。時間の使い方を考える。

 ご本人の納豆好きには実感が湧きません。納豆は味がない。健康食だから、しかたなく食べています。
 
 法然と親鸞(しんらん1133年生まれ):念仏。法然(浄土宗)の弟子が親鸞(浄土真宗1173年生まれ西本願寺)

(つづく)

 最後まで読みました。
 病気の話が延々と続き、最後のほうは、クレーマーではないかと、老害まで考えました。
 ラジオ番組の趣旨は、旅に出て、だれかに出会って、なにかしら出来事があってというレポートだったのが、病気になって、病室にしかいなくてみたいに変化して、魅力の出しようがなくなった。

 話題が、「お見舞いのよしあし」、「手術」、「患者のありよう」、「医療従事者」、「車いすでの移動」になるにつれ、わがままや偏った思いこみが出始めます。関係者へのプレッシャーもあります。
 男性が、「おばあさん」になる冒頭付近の話はどこへいってしまったのだろう。残念です。

 登場する有名人の方々のなかで、瀬戸内寂聴さんだけがご存命で長生きされています。
 お亡くなりになった方々のご冥福をお祈りします。
 野坂昭如さん2015年 85歳没
 小沢正一さん 2012年 83歳没
 大橋巨泉さん 2016年 82歳没
 中村八大さん 1992年 61歳没

 印象に残った言葉「もう話し相手がいない。一緒にやった仲間がいない。」  

Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2018年06月18日

ぞうれっしゃがやってきた 小出隆司

ぞうれっしゃがやってきた 小出隆司(こいで・たかし) 岩崎書店

 昔からあるお話です。こどもの頃、学童向け雑誌の記事で読んだ記憶が残っています。
 本のカバーの絵をながめていて、本当にぞうの背中に小学生がのったのだろうかと疑問が湧きました。しらべたところ、乗った人たちの声がありました。すごいなー。ぞうのせなかの毛がチクチクして痛かったそうです。

 第二次世界大戦末期、空襲で、動物園が破壊されると、猛獣が街に逃げ出して、人間に被害を与える。その前に、動物を毒殺、射殺してしまう。人間の勝手さが表れています。
 ただ、捨てる神あれば拾う神ありです。人情ばなしになりますが、動物を守ろうとする人たちも現れます。

 戦争が終わって、日本で生き残ったぞうは、名古屋市にある東山動物園に2頭しかいない。大きなぞうを列車にのせて全国を回ることはできない。逆に、小学生たちを列車に乗せて全国から東山動物園に呼ぶ。
 国とか、自治体とか、鉄道会社とか、教育機関とか、いろいろな組織の協力があって、たくさんのひとたちの力を合わせる意識が合体してできたことです。調整役に走った人たちも多かったことでしょう。

 ぞうにのったことがある人たちの話では、戦後、そのことを忘れていたそうです。ぞうの背中に乗った当時は小学校低学年のようですから無理もありません。それでも、なにかのきっかけで記憶が呼び起こされています。それが感謝につながっています。感謝の連鎖が未来にも続くといい。

 ぞうのなまえは、アドン、キーコ、エルド、マカニーです。サーカスで芸を披露して働いていましたが、東山動物園に売られました。戦時中にそのうちの2頭キーコとアドンは餓死するように死んでしまいます。
 人情もので、見て見ぬ振りがあります。むかしはそれがとおりましたが、いまは、非難される時代です。残念ですがしかたがありません。

 平和であることを願い求める。

 戦争をすると、弱い者にしわよせがいく。

 名古屋市の空襲は、1940年(昭和20年)3月12日、3月19日、5月14日、6月9日あたりが激しかった記憶です。若い頃、もういまは超高齢者になられた先輩から、爆弾の雨の中を逃げ回ったと聞いた記憶があります。

 この本を読んでいて思ったことは、国は国民を守るためにある。なのに動物園の関係者が、「ひこくみんめ」と言われるのはおかしいのではないか。

 ぞうさん、ぞうさん、おはながながいのねという歌を久しぶりに思い出しました。

 1983年初版で、2017年現在39刷もされているロングセラー本です。  

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2018年06月15日

いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて 2018課題図書

いのちは贈りもの ホロコーストを生きのびて フランシーヌ・クリストフ著 河野万里子訳 岩崎書店 2018課題図書

 夏の課題図書には毎年1冊はユダヤ人虐殺の本がとりいれられます。今年はこの1冊です。課題図書を読むのも今年はこれが最後の1冊になりました。ゆっくり読んでみます。

(つづく)

「ホロコースト:ユダヤ人大虐殺。600万人ぐらいがドイツナチスに殺された。」
「なぜユダヤ人は差別されるのか。ユダヤ人がイエス・キリストを磔(はりつけ)の刑に差し出した。ユダヤ人が金もうけに恵まれた。ユダヤ教が他の宗教と協調しない。」

 多神教、無神論者、単一民族の日本人には理解しがたいものがあります。

 本を読み始めるにあたり、地図が2枚登場します。ヨーロッパの大部分とフランス国の地図です。ユダヤ人の女性著者が日本でいうところの小学生ぐらいの頃、ユダヤ人収容所を転々とした地点が記されています。

 50ページぐらい読みました。冒頭付近に著者の言葉があるとおり、小説ではなく、記録をメモとしておとした内容です。戦後何十年かたって、自分はあのとき殺されていたかもしれないという恐怖を克服して出版された本です。

 ユダヤ人である著者フランシーヌさんの生家はやはりお金持ちです。フランス南部地中海に面した別荘から始まります。祖母はおしゃれな衣料品店を経営しているようです。

 1939年8月著者6歳半から始まります。1941年に父親がドイツ軍の捕虜となり、1942年にユダヤ人だからという理由で著者は母親とともにドイツ軍に捕まります。
 読んでいると昔観た名画を思い出します。「ライフ・イズ・ビューティフル」イタリア映画でした。収容所までの経過が目に浮かびます。

「カーキ色:土色、茶色」
「アーリア人:インド、ヨーロッパ語族」

 「自由」を制限されるということ。午後8時以降は外出禁止、旅行禁止(移動禁止)、就労禁止(労働禁止、職業選択禁止)、公共の場所への出入り禁止(美術館、劇場、映画館、公園、カフェ)、犬とユダヤ人は公園へ入るべからずとは、ひどい人権侵害です。

 禁止事項とは、逆に、服に黄色い星を付けてユダヤ人であることを表示しなければならない。人種差別です。徹底的なイジメがあります。
 
 読んでいると、あまりにもひどい仕打ちで、被害者は、ドイツ人に対して仕返しをしたくなるのではないかと推測します。単に、たとえば、あなたが日本人だから、抹殺しますでは被害者は納得しません。どうしてこんな国、ドイツと日本が同盟を組んだのか、ドイツ同様日本もうらまれる立場です。国でも組織でも「独裁者」をつくってはいけない。許してはいけない。無関心であってはいけない。グループで秩序をコントロールしなければなりません。

 著者は、絶対に殺されないという「特別扱い」をされます。戦時国際法のジュネーブ条約の決め事で、著者の父親はフランス国軍人中尉という立場での戦争捕虜であり、そのフランス人兵士の妻子は「人質」として生かされます。ここは、本人にとっては複雑な心境になるところです。彼女と彼女の母親以外の人たちは、収容所から別の場所へ連れて行かれます。おそらくアウシュビッツなどのガス室送りでしょう。連れて行かれる人たちは特別扱いの彼女たちをどんな目で見ていたのか考えると恐ろしい。悪いのはドイツです。
 ユダヤ人ではあるけれど、フランス軍の軍人であれば命が保障される。条約という文書の取り決めで命が守られる。ここは大事なところです。話し合いと文書による協定(約束)は守られる。だから人は話し合い文書を残す。

 フランス人なのにナチスドイツに協力する人間がいます。だれしも、生き残るためです。力の強いものが悪いことをして生き残る。そこに民主主義はありません。

 ユダヤ人が人間扱いされない悲惨な状況が続きます。著者が今生きていたとして85歳です。まだ、6歳ぐらいから12歳ぐらいのころの思い出ですが、忘れることはできないでしょう。その瞬間が映像となって次々と脳裏に浮かびあがります。フラッシュバックです。

「ブーレ:フランスの踊りの曲。17世紀に流行した。」

 収容所に収容された人たちは色とりどりの優秀な人材です。文化、芸術、学問に精通した人が多い。みんな亡くなった。惜しい。
 収容所で気が変になったふりをしていた人たちは、本当に気が変になってしまった。

著者の「フランシーヌ」という名前の文字がページに出るたびに、昔はやった「フランシーヌの場合は」という暗く沈んだ悲しげな歌を思い出してしまいます。

 著者の言葉の趣旨としてぐっときたのは、「あの人たちは移送されて、わたしの人生からふっと消えてしまった。」
 それから、「自分の年をわすれてしまった。」これは、老化したことを意味します。

「割礼:かつれい。性器の一部を切開する。ユダヤ教徒の宗教的儀式として行われる。それがユダヤ人の目印になる。」
 
 ドイツ人の性格は「徹底的」、日本人はさらに「上乗せしてなにかを創造する」そういう記事を昔読んだことがあります。たとえば、一定区画内の草取りを命じると、ドイツ人は、1本の草も残さず抜く。日本人はさらに、なにもなくなった区画のなかに役に立つ何かをつくりだす。そういう日本人の特性は、世代が変わるにつれなくなってきている感じがします。

 本の中で、戦争は救出シーンに近づいてきます。ノルマンディー上陸作戦。英米の連合軍200万人の兵隊がフランスノルマンディー半島に上陸してフランスを占領しているドイツ軍に反撃をしかける。1944年6月6日です。しかし、即効果が出たわけではなく時間がかかったと以前別の本で読みました。逆転までに1年間ぐらいかかっています。

 ユダヤ人虐殺で、最大の被害者を出した国、ポーランド国。世界で殺されたユダヤ人600万人の犠牲者のうち半分ぐらい300万人がポーランドにいた人数だったと思います。
 書中では、続いて、フランス人、オランダ人、ギリシャ人とドイツ人と、個々の民族の特徴が語られます。同じ土地の上に複数の民族がいる。島国日本人にはなかなか理解しがたい面があります。
 
「イディッシュ語:ユダヤ人に使用されている言葉」
「アドルフ・ヒトラー:1889年-1945年」
「アルバニア人:地図で言うとイタリアの右側アドリア海の右、コソボ国に住む人」
「SS:ナチスドイツ親衛隊ヒトラーのボディーガード」
「口唇裂:こうしんれつ。うわくちびるのまんなかがたてに割れている。」
「乳兄弟:ほんとうの兄弟ではない。同じ女性の乳で育てられた。」
「カポ:収容所におけるナチスドイツ軍の手先。囚人のボス。ユダヤ人はなれない。」
「チフス:細菌感染。高熱。発疹」
「ホロコースト:ユダヤ人大量虐殺」
 
 記述内容はどんどん悲惨を極めていきます。死体に囲まれた生活です。死体を償却する業務につくことが、収容所での毎日です。
 フランシーヌの父親は、捕虜生活が続くなか、小説を書き始めたのか。

 不潔な生活環境が続きます。
 空腹です。
 
 従わなければ、暴力、毒、拷問、ガス室です。

 ユダヤ人であることを「無国籍者」とまで自分で自分を追い詰めます。祖国がない。

 女性の視点から見た「戦争」です。女性の武器とか、婚外子とかの話が出ます。
 1945年4月23日に解放されます。ソ連人に何人かと問われて、ユダヤ人とは答えずに「フランス人」と答えています。

「ライプツィヒ:ドイツにある。」

 アメリカ軍兵士に救われます。アメリカ人兵隊は、整然とした秩序を保っています。倫理的にも学問的にもいい状態でコントロールされています。かくあるべきという人間の暮らしです。アメリカ人兵隊や看護師、看護婦は、ユダヤ人被害者をだいじにして、こどもとはいっしょに遊んだ。

 良かった表現の趣旨として、「ドイツ軍にとられたフランスの機関車と車両を連合軍が取り戻してくれた。」、「ママが胃けいれんで食べ物を欲しがった。パパが食べものを探しに行った。生きのびた人のひとりが、リンゴをパパにくれた。」、健康診断であちこちからだに問題があると医師に言われて、「だけど、生きている。」 生きていればいい。
 援助の品々に素直に感謝する。

 戦争で離ればなれになったフランシーヌとパパは、6年かけて再会しました。ママは頭がおかしくなってしまいましたが、ユダヤ人親子3人が生き延びることができたのは珍しいそうです。フランシーヌは別れた時6歳でした。そして本の中で今は12歳です。そして、現実の今は84歳です。
 
 戦争を生き延びた人でも、戦後まもなく亡くなった若い人たちがたくさんいるそうです。体を壊したようです。夫婦やカップルで再会できても、その後別れたふたりもいるそうです。人生は先はどうなるかわかりません。事故や病気、事件に巻き込まれることを避けられません。
 フランシーヌはその強烈な体験から、これまで仲の良かった友達とはふつうにしゃべれなくなります。こどもなのに同い年の相手がこどもに見えるのです。フランシーヌは老成します。

 ユダヤ人であるということは、ユダヤ人を差別してくる人を憎んではいけない。長い歴史の間ずっと差別されてきた立場から、自分たちが差別をする人になってはいけない。ユダヤ人に生まれるとは、そういう覚悟で生きていく決心をもつこと。ユダヤ人同士、ユダヤ人に理解を示してくれる人と苦悩を分かち合いながら苦悩を克服していく運命にある民族と理解します。他の民族を憎んではいけないと結んであります。ユダヤ人は絶滅はしないという強い意思表示が感じられる1冊でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:12Comments(0)TrackBack(0)読書感想文