2020年10月30日

いもうとのにゅういん 筒井頼子・さく 林明子・え

いもうとのにゅういん 筒井頼子・さく 林明子・え 福音館

 たとえば、現在、老齢に達した姉妹がこの絵本を読むとなつかしくなるのでしょう。
 血のつながった姉と妹の関係が淡々と語られる内容です。
 姉が妹を気遣います。
 姉は幼稚園の年長ぐらいで、「あさえ」さんです。
 妹は幼稚園にはまだいっていない三歳ぐらいにみえます。「あや」さんです。
 あやさんが盲腸で入院します。おなかを切る手術を受けます。
 核家族の物語にみえます。
 姉ひとりだけを家に残して、母親は妹を抱いて病院へ行きます。
 家には姉のともだちでひろちゃんがいますが、天気が悪くなりそうなので彼女は帰宅しました。
 お父さんは仕事で不在です。
 ひとりぼっちになったあさえさんは、孤独を体験します。
 妹のあやさんのことが心配です。
 電話機は昔のダイヤル式電話機です。
 妹の盲腸の手術が終わりました。

 翌日、妹の入院見舞いに行く姉のあさえさんです。

 にんぎょう「ほっぺこちゃん」が姉妹をつなぎます。

 絵が柔らかくて優しい。

 1987年(昭和62年)の絵本でした。  

Posted by 熊太郎 at 06:54Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年10月29日

ポケモン2冊 だじゃれとことわざ

ポケモン2冊 だじゃれとことわざ

 ちびっこにプレゼントします。
 リサイクルブックショップで手に入れました。

「ポケモンレッツゴーだじゃれクラブ」 小学館
 アシマリからスタートです。かなり苦しいだじゃれが続きます。「はじまりはじまり(アシマリアシマリ)」
 よかったのは、ツツケラの「(つづけられない)つつけられない」、モクローの「(ごくろうさま)もくろうさま」、ネマシュの「(寝ます)ねましゅ」、オシャマリの「(けんかがおさまりました)おしゃまりました」、「メタモンが、寝たもん」など。

「新迷解ポケモンおもしろことわざ」 小学館
 こちらもかなり苦しい。
 オリジナルのことわざを覚えるのに適しています。
 「臭い物にふたをする」が、「クサイハナにふたをする」
 「三人寄れば文殊の知恵(もんじゅのちえ)」が、「三匹寄ればモンジャラの知恵」
 「地震雷・火事親父」が、「地震雷・火事オタチ」
 ポケモンの名前をたくさん知っていないとピンとこないのでしょう。  

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2020年10月28日

チリンのすず やなせたかし

チリンのすず やなせたかし フレーベル館

 可愛らしい白い子羊が描いてある絵本の表紙とは違って、お話の内容はかなり厳しいものです。
 「復讐」「仕返し」のお話です。

 子羊が母親をオオカミに殺されてしまったあと、オオカミをだまして、母親の復讐を果たします。しかし、その後、子羊自身も崖から転落したらしく、行方不明になってしまいます。
 チリンという名前の白い子羊が首にぶらさげていた鈴の「チリン」という音だけが谷間に聞こえるのです。

 最初のページに予告の文章があります。
 「おもいだす このよの さびしさ また かなしみ」

 オオカミの名前は、「ウォー」です。体が黒くて細長いオオカミです。
 母親をオオカミに殺されたチリンは、なんとオオカミのウォーに弟子入りします。ここまでチリンは女子だと思って読んでいましたが男子でした。
 オオカミは自分を慕ってくれるチリンに愛情が湧きます。新しい発想があります。
 チリンはオオカミの教育を受けてだんだん凶暴になっていきます。
 チリンにツノが生えて、三年後には、ものすごいけだものができあがります。
 そして、最後に、チリンは師匠のウォーを裏切ります。

 なんだか人間界と重なります。
 ドラマチックなのは、オオカミが、「おまえの気持ちはわかっていた(だからオレを殺せばいい)」というようなことを発言するのです。

 ちいさなこどもさん相手の絵本でここまで表現するとは、やなせたかしさんになにか強い思い入れがあったのでしょう。
 スリルとサスペンスの深い人間ドラマがあります。
 復讐を果たしても羊のチリンの胸は晴れないのです。(たぶん深い谷に身を投げて、首に巻いていた鈴だけが岩にひっかかって、風に吹かれてチリンと音が響いているのです)
 やむなし(やむをえない。仕方がない)に挑んだ羊の話でした。  

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2020年10月27日

思考の整理学 外山滋比古

思考の整理学 外山滋比古(とやま・しげひこ) ちくま文庫

 エッセイ集です。あとがきの日付は、1983年早春です。
 最初の「グライダー」を読んだところで感想を書き始めます。ことし読んで良かった一冊になりそうです。
 著者は、英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。1923年-2020年 96歳没


「グライダー」
 非常におもしろい内容です。勉強する人間を、「グライダー」にたとえます。目標として、ずっと、「グライダー人間」であってはいけないのです。自力で飛ぶ、「飛行機人間」の機能も兼ね備えていなければ自身の学問の発展はないのです。教わったとおりに飛んでいるだけでは、花は咲かないのです。
 学校は、「グライダー人間」の養成所とあります。グライダーと飛行機は似ているが、グライダーは自力では飛べない。優等生は、グライダーとして優秀なのであって、飛行機として優秀なのではない。大学を卒業して社会に入っても社会で適応できない人がいます。そもそも学校でなにがあったかは社会では関係ないことが多い。学歴の盲信は過信に終わります。

「不幸な逆説」
 学校の先生は教師の言うことを聞くグライダー人間に好意をもつようになる。(好ましいことではない)
 なんとしても学問をしたいという積極性がないと問題解決能力は伸びない。
 (1980年当時の現代として)教えすぎる弊害がある。
 問題を解く能力よりも問題をつくる能力がほしい。
 そういうことが書いてあります。

「朝飯前」
 頭は、「朝」使うというお話でした。一番頭脳が明晰(めいせき。明らかではっきりしている)に活動している時間帯だそうです。


「醗酵(はっこう)」「寝させる」「カクテル」
 大学の卒業論文のテーマ選びについて書いてあります。
 アイデアは、時間を置けという内容です。素材になにかを加えて化学反応を起こして新しいものを産み出す。

「エディターシップ」
 本の「編集」について書いてあります。短編を並べる順番によっていい作品が仕上がるそうです。そのセンス(感じる感覚。判断)を問うています。

「触媒」
 だんだん内容が大学の学者さんの世界に限られてきて狭くなってきました。
 アナロジー:類似を使って他のことに利用する。

「アナロジー」「セレンディピティ」
 模倣する(新しいものが生まれる可能性がある)→「たいていの場合、『無』から『有』は創造されない」→「素材を並べる順番でいいものができることがある」とここまできました。
 アナロジー:言葉をつなげるものがある。ひとつひとつは単体だが、連続性をもつものに変化するものがある。たとえば、映画のフィルムのコマ。「余韻(よいん)」が、ふたつの単体をつなぐ。
 マッチ・ポンプ:自作自演。自分で火をつけて、自分で火に水をかけて消す。偽善。
 セレンディピティ:たとえば、なにかをさがしているときに、別のなにかを発見すること。
 脱線から新しい発想が生まれるときもある。


「情報のメタ化」
 メタ化:思考の範囲が広がっていく。
 だんだんむずかしくなってきました。人の周りには、「自然」と「人為」がある。「人為」について考えるようです。
 メタ化しながら、「思考」を整理していくのです。「醗酵」「混合」「アナロジー(連続させるもの)」がその方法です。
 「整理」というものは、取捨選択で捨てるものではないとあります。「第一時的思考をより高い抽象性へ高める質的変化」だそうです。うーむ。わからない。量ではなく質だそうです。平面ではなく立体化して純化する。理解することがむずかしい。

「スクラップ」「カード・ノート」「つんどく法」
 新聞記事の切り抜き整理の話。カードやノートによる知識の整理と保存の話に続きます。いまは見かけなくなった「百科事典」の話も出ます。
 パソコン、コンピューターの現代からみると古い手法なのですが、電子化の基礎となる考え方であることに違いはありません。ポイントをしぼって整理する。
 「つんどく法」は、本を買っても読まずに積んでおくということではなく、類似系統の研究素材となる本をたとえば10冊積んで、片っ端から目を通して読んで、重複する内容の記事が多ければ、そのことを信頼できると判断するやり方です。

「手帳とノート」
 ふと頭に浮かんだアイデアの記録方法です。おおむね書いてあるとおりにわたしも実行しています。いわゆるメモ魔です。胸ポケットにはメモ用の紙が折りたたんで入っています。寝床のそばには大きなメモ用紙が複数おいてあります。
 書いてあるとおり、思いついたアイデアは瞬間的にメモしておかないと頭から消えてしまいます。
 
「メタ・ノート」Ⅳ「整理」「忘却のさまざま」「時の試練」「すてる」「とにかく書いてみる」「テーマと題名」「ホメテヤラネバ」
 ノートをつくたあと、ポイントになる点をピックアップする。
 
 人間の頭脳が倉庫だとして、保管する物量には限度がある。
 これからは、コンピューターが広まるので、倉庫としての役割はコンピューターにまかせる。
 頭脳は創造するために使う。新しいことを考え出す工場とする。
 忘れていいものと忘れてはいけないものを区別する能力がいる。
 そのバランスがむずかしい。価値観をしっかりもっていないと、いるものを忘れて、いらないものを覚えていることになる。『思考の整理とはいかにうまく忘れるか』と記されています。
 
 アルコールによる忘却の欠点が書いてあります。なにごとをやるにしても健康第一です。
 リフレッシュ、気分転換の必要性を強調されています。
 「休憩」とは、なにもせず休むことではなく、別のなにかをやることでもよいと説明があります。例えば学校の時間割のように異なる科目を順番にやる。

 年数をかける。たとえば60年間という期間をふりかえってみると、当時は肯定されていたことが現在は忘却されている。逆に、否定されていたことが現在は良いこととして定着している。ものごとは、長い年数を経て観ないと真価が判明しない。

 書き直しの労力を惜しんではならない。いい例として、『平家物語』。琵琶法師の口伝えによる傑作だとうご意見には賛同しました。

 テーマの付け方に関して簡潔にというご意見があります。同意するのですが、現代の実態をみていると自由自在なテーマ、タイトルがはやっています。受け入れられて通用しています。時代が変わりました。
 
 自分はだめだと思い込むとうまくいかない。自分はできると暗示をかけてやるといい結果が生まれるそうです。消極的だとできるものもできなくなると解説されています。くよくよすると、いい結果がでない。
 『肯定』したほうが楽になれる。『否定』すると苦しくなる。そういうことってあるなと納得できます。真剣に考えすぎると否定してしまいます。
 ほめられると頭脳は調子にのる。勢いづく。いいアイデアが浮かんだりもする。最上のあいさつは、『ほめること』
 今年読んで良かった一冊になりました。

Ⅴ「しゃべる」「談笑の間」
 書き上げた原稿を声を出して読むとわかることがある。小さな声でもいい。繰り返すことで、『結晶的純度』に達する。納得しました。時間がかかいますが。(間違いさがしにはいい)琵琶法師(びわほうし)の口伝えによる『平家物語』の良さをわかりやすく述べておられます。

「垣根を越えて」「三上・三中」「知恵」「ことわざの世界」
 インブリーディング:弱体化、いずれ没落する同系繁殖、近親交配、近親結婚の弊害から始まり、新しく異質な要素を取り入れることで活性化を図る説明があります。
 ブレイン・ストーミングでは、「もうだめだは、まだまだこれから」の意識で新たな発想を得ます。

Ⅵ「第一次的現実」「既知・未知」「拡散と収斂(しゅうれん。集約)」「コンピューター」
 いまある物理的現実が、「第一時的現実」、そして、脳の中にあるのが、「第二次的現実」とあります。
 「第二次的現実」は、かつては、「読書」で得られたが、現代は、「テレビ」が進出してきた。
 テレビは正確とはいえません。意図的に加工することが可能な映像の世界です。人心を誘導することができる媒体なので警戒して接する。
 テレビ画面の向こうにある世界と画面のこちらにある世界に差異があります。そのことを頭の片隅に置いて番組内容を精査して判断をして行動します。

 なにごとも相反するふたつの力でこの世はバランスを保っています。
 情報を広める。情報を集める。情報同士を関連づける。結果に正解がないこともある。  

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2020年10月23日

パンドラの匣(ぱんどらのはこ) 太宰治

パンドラの匣(ぱんどらのはこ) 太宰治 新潮文庫

 パンドラの匣:ギリシャ神話。あけてはならぬ匣をあけたばかりに、病苦、悲哀、嫉妬(しっと)、貪欲(どんよく)、猜疑(さいぎ)、陰険、飢餓、憎悪など、あらゆる不吉の虫がはいだし、空をおおってぶんぶん飛びまわり、それ以来、人間は永遠に不幸に悶え(もだえ)なければならなくなったが、しかし、その匣(はこ)の隅に小さい光る石が残っていて、その石にかすかに「希望」という字が書かれていた。(本書の197ページにある記述)

 昭和20年10月22日から翌21年1月7日までの連載で発表された作品です。終戦が昭和20年8月15日です。作者は、昭和23年6月に心中で亡くなっています。

 手紙形式の文章です。
 「僕」である主人公の20歳小柴利助が手紙を書いています。僕は胸の病気があって、「健康道場」と呼ばれる結核療養所に滞在しています。ときおり喀血(かっけつ。肺や気管支から咳とともに出る出血)しているようです。戦時中ですが、兵役は免除でしょう。

 達者な文章です。感銘します。心に深く刻みつけられます。
 「人間はしばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれることがある。」とあります。
 太宰治氏らしい文章として、『「自分の生きている事が、人に迷惑をかける。僕は余計者だ。」という意識ほどつらい思いは世の中にない。』
 最初の手紙の日付は、昭和20年8月25日になっています。

 登場人物として、
 僕:小柴利助。20歳。あだなは、「ひばり」
 大月松右衛門:中年男性。東京の新聞記者。妻死去。ひとり娘が療養所の近くに住んでいる。あだなは、「越後獅子」
 木下清七:左官屋。独身28歳。美男。鼻高く、目元涼しい。お尻をふってなよなよ歩く。色白。俳句が好き。あだなは、「かっぽれ」
 西脇一夫:郵便局長。35歳。おとなしそう。小柄。細君あり。あだなは、「つくし」
 須川五郎:法科の大学生。26歳。ロイドメガネ。あだなは、「固パン(かたぱん)」
 三浦正子:看護師18歳。西脇一夫に不倫の恋心あり。あだなは、「マー坊」
 竹中静子:看護師25歳。療養所内で一番の人気者。色気はないが胸は大きい。あだなは、「竹さん」
 呼び名として、院長=場長(田島先生。あだなは清盛、呼び名として、副院長以下の医師=指導員、看護婦=助手、入院患者=塾生)

 日課の説明があります。六時起床、夜九時就寝、途中に運動とか、食事、摩擦(からだをふく)というのがあります。

 ポンポンとはずむような文章が続きます。

 「僕たちの笑いは、あのパンドラの匣の小さな石から発しているのだ」結核という病気に感染して、明日をも知れぬ命の人たちです。
 鳴沢イト子さんという若い女性患者が亡くなり、男性患者23名、女性患者6名で、ご遺体を見送る儀式をしました。

 奥さんのある医師を好きになる看護師をからめた男性患者を含む三角関係の恋愛模様があります。感染する病気の患者がらみなのでちょっと不思議です。
 
 あだなでのやりとり記述がおもしろくて安心できます。

 俳句や短歌の解説が出てきます。

 ここまで読んできて、あだなでのやりとりが多いせいか、夏目漱石氏の作品「坊ちゃん」みたいな雰囲気を感じています。

 終息に向かって、政治の話、選挙の話、天下国家を論じあう、だんだん内容がつまらなくなってきました。たぶん書いている作者自身も勢いが尻すぼみになっていくのが自分でもわかったはずです。りくつっぽくなると、豊かな創造性がおとろえてきます。

 楽天居士(らくてんこじ):くよくよしないで人生を楽観する人
 鬼の霍乱(おにのかくらん):ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になること。攪乱は日射病のこと。
 かっぽれ:こっけいな踊り
 ダニエル・ダリュウ:フランスの女優。美女。1917年-2017年。100歳没
 御賢察(ごけんさつ):どうかお察しください。
 匁(もんめ):重さの単位。3.75グラム。
 義を見てせざるは勇無きなり:人としてやるべきことをやらないのは勇気がないということ。
 隅に置けない:油断できない。あなどれない。  

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2020年10月22日

となりのせきのますだくん・ますだくんのランドセル武田美穂

「となりのせきのますだくん」「ますだくんのランドセル」 武田美穂 作・絵 ポプラ社

 「となりのせきのますだくん」だけ読むと気持ちが沈みます。「ますだくんのランドセル」と合わせて読むと心が晴れやかになります。二冊ワンセットで読んだ方がよいマンガ絵本です。

「となりのせきのますだくん」
 見る人によっては、「ますだくん」が気持ち悪い。もともと赤色と緑色を対比させる派手な絵です。にぎやかであるというメリットの反面、強烈すぎるというデメリットがあります。そこに、カエルのような、恐竜のような、ますだくんの姿があります。絵を見て、こわがるこどもさんもいることでしょう。
 緑色のますだくんは見るからに、「いじめっこ」です。女の子を困らせている表紙の絵です。机に線をひいて、「こっちからでたら、ぶつからな。」と女の子をおどしています。
 ページをめくると、「あたしきょう がっこうへいけない きがする。」から始まります。登校拒否かと思わせてくれます。でも、女の子は小学校へ行きます。
 学校にいきたくない気持ちが女の子の表情にありありと表れています。
 女の子の名前は、「みほちゃん」です。
 教室で、みほちゃんのとなりのせきのますだくんは、気に入らないことがあるとイスをけります。暴力です。
 どうも、みほちゃんは勉強も体育もにがてなようすです。
 給食を食べるのもにがてです。
 みほちゃんは、いいとこなしです。
 なんだかかわいそうなみほちゃんです。
 みほちゃんはともだちがいなくてひとりぼっちのようです。
 けっきょく、みほちゃんの相手をしてくれるのは、ますだくんしかいないし、ますだくんは、みほちゃんが好きなのです。好きだからちょっかいを出すのです。たまには、みほちゃんが、ますだくんをこうげきしたほうがいい。
 読む前の期待は裏切られました。消化不良な読後感でした。

「ますだくんのランドセル」
 1年1組のますだけんいちくんです。ますだくんが、今度は、人間の姿で登場しました。ますだくんのうしろには、前作で出ていた緑色のカエル恐竜みたいなものが立っています。
 ますだくんが、ふつうの男の子の姿かたちをしているので、ほっとしました。
 前作とセットで読まないと判断が不公平になってしまいます。
 タイトルは、「ますだくんの赤いランドセル」のほうが意味が通って良かった。
 「ぼくのなまえは ますだけんいちです。5さいです。」から始まります。6年生の姉ひとり、4年生と3年生の兄ふたり、さらに1さい半ぐらいの妹えりこちゃんがいる5人きょうだいです。
 ますだくんが小学1年生にあがります。ランドセルは中学生になるおねえちゃんのおさがりです。だから赤いランドセルです。でも、ますだくんが、赤色がいい、おねえちゃんが使っていたランドセルがいいと主張したのです。
 内容はちょっと古いかな。最近は広場で野球をしている小学生は見かけなくなりました。絵の中の世界は、昭和時代の出来事です。
 赤いランドセルをしょって小学校に行く、ますだけんいちくんです。そして、前作のみほちゃんは、青いランドセルをしょっているのです。(青色は、ママの好みだそうです。みほちゃん本人は青色ランドセルをいやがっています)みほちゃんは、小学生になったのに、「ようちえんにいきたいよー」と言って泣いています。きょうだいがいないのでしょうか。みほちゃんは、人にもまれていないので、弱虫です。
 ますだくんは、泣き虫のみほちゃんを強くリードします。「泣くな!」と叱りながら励まします。
 二冊合わせて読み終えて、救われる気持ちになりました。よかった。  

Posted by 熊太郎 at 07:27Comments(0)TrackBack(0)読書感想文