2019年08月20日

ふるさとって呼んでもいいですか ナディ

ふるさとって呼んでもいいですか ナディ 大月書店

 外見は外国人、中身は日本人、日本をふるさとと呼んでもいいですかという問い。①いいですよ②呼ぶのはあなたの自由です。だれかの許可を得るものではありません③だめですよ。①が答えになるのでしょう。
 イラン人1991年に来日した30代イラン人女性ですが、6才から日本育ちです。日本人同様の文章作成能力があります。
 子ども時代のつらい時期があります。子ども時代、日本人の子どもでもつらい時期があります。同じです。
 子どもが健やかに育つには「幸運」が必要です。
 見た目で外国人を怖いという偏見をもたないでくださいというメッセージがあります。
 いい人そうに見えるけれど、いじめる人は多いです。
 かっぱえびせんのえびの絵がむかでに見えたという思い出話には、そういう発想がないのでへーっと感心しました。
 ちょうど、イラン・イラク戦争の頃の誕生です。米軍等介入の湾岸戦争もありました。不法就労ファミリーなので、ルール違反なのはどうかという思いはありますが、未来の見えてこない難民・移民の困難さもあります。
 戦争がなければ、ずっとイランで暮らしていた人たちです。戦争や災害は人生を変えてしまいます。(後半部に、もし、日本に来ていなかったら自分は浮浪児になっていてもおかしくなかったとあります)
 別の本で、「10代の頃には負荷をかけたほうが、将来役に立つ」という記述を最近読みました。そのとおりだと思います。今は苦しくてもそれが将来役立つ時が来ます。
 今年読んで良かった1冊になりました。
 イランでは、「おしん」が人気だった。日本人役者は吹き替えでペルシャ語だったのですが、日本人はみんなペルシャ語をしゃべることができると勘違いしていた。「みなしごハッチ」を見て、日本のハチはしゃべることができると思っていた。こども時代の楽しいお話が続きます。
 来日時の暮らしぶりは悲惨なのですが、半世紀前の日本人の肉体単純労務者ファミリーの日常もそれと同じでした。読みながら思い出しました。
 イランを出国するファミリーは、もしかしたら親族とのこの世で最後の別れの瞬間です。こどもにはそれがわかりません。ご両親のご苦労が伝わってきます。
 奥さんはお金持ちのお嬢さまの出だったのに、旦那さんの商売の借金で人生が大きく変わりました。
 ようやく手に入ったテレビが日本語の先生だったをはじめとして、日本人にとっては、初めて聞くようなエピソードが続きます。
 いじめる人間もいますが、かばう人間もいます。差別する人もいるし、しない人もいます。
 ひらがな・カタカナを覚える喜びがあります。
 新入りはいつでもどこでも不安です。
 
(つづく)

 読み終えました。終わりに近い部分は理屈っぽくなって固い文脈で、最初のころのおもしろおかしい柔らかい感じがなくなっていますが、いたしかたありません。主人公である作者は6才から30代の人に成長しています。
 不法滞在外国人の扱いについては、読書の読み手としては対応のしようがありません。法令違反を容認することはむずかしい。実態もわかりません。専門機関、担当部署にお任せするしかありません。
 人種混在で社会を支え合っていくには、国籍差別問題を克服していかねばならないことと、多様化する人種構成社会のなかで、これまでの区別意識からは脱却しなければならないというメッセージはよく伝わってきました。

 小学校生活スタートにあたって、外国人こどもの日本語での学習は、学力的につらい。漢字でゆきづまります。楽しみなのは、図工と音楽と体育。
 サポートしてくれる日本人家族がいます。貴重な存在です。
 国語辞典と漢和辞典が宝物です。ファミリーに日本語文字がわかるのが、著者である小学生の娘しかおらず、彼女が学校からのお知らせや回覧板に書いてあることを解読していきます。
 黙々と辞書を引くイラン人の小学生女児です。勉強というものは、人の見ていないところで、ひとりで、黙々と取り組むものだと思っています。フードコートやファストフード店で、不特定多数の人に囲まれてテーブルに資料を広げている人を見ると、勉強をしているふりをしている人だという感想をもっています。
 イスラムの宗教のことが書いてありますが、かなり自由度が高い。信仰のしかたは自分で決めていい。
 興味深かった記述として、「日本風のお弁当をつくることができないお母さん」、「家の中で何語で話すか」、「在日28年で運転免許取得に挑戦」、「身体的特徴を無理に変えさせる校則は時代に合わない」、「初めての給料をもらって、宅配ピザでお祝いをした」、「イラン人のおとうさんが町内会長をしていたときがある。おまつりで、自分では食べられない焼き鳥をたくさん焼いて喜ばれた」、「お客さまがハッピーになるためには、まず、従業員がハッピーな気持ちにならなければならない」、「ますます多文化になる日本」、「内なる国際化」

 「CCS:学生主体の団体。世界の子どもと手をつなぐ学生の会 毎週土曜日にボランティアセンターで宿題をみてもらえる」

 様々なシーンで、人脈がきっかけになります。戸籍制度で身分保障されている日本国籍の人間とは違います。

 在留資格の取得をはばむものは犯罪歴なのでしょう。

 11年ぶりの祖国訪問のことが書いてあります。「歓迎」というものは、たいていは最初の感激だけで、時間が経つごとにお互いに嫌に思う面が出てくるものです。長年日本で暮らした彼らにとってはもうイランは祖国という感じがしない。居心地が良くない。かれらはもうイラン系日本人です。
 日本人はイラン人を見下す。イラン人はアフガニスタン人を見下す。
 
 「自分とは何者なのか=アイデンティティ」

 外国人だからバイトや就職試験に落ちているわけではなく、日本人も同じように落ちているという気づきは良かった。

 最後付近では、日本とか、日本人の良さがにじみ出てきて、日本人としてうれしくなります。  

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2019年08月19日

ぼくは気の小さいサメ次郎といいます 岩佐めぐみ

ぼくは気の小さいサメ次郎といいます 岩佐めぐみ 偕成社

 最初に気になることがあります。「次郎」です。サメ次郎とカメ次郎が出てきます。「太郎」は出てきません。ということは、つまり、これは、次男の物語なのです。長男の世界と次男以下の世界は異なります。読み終えましたが、そのことは、物語とは関連がありませんでした。
 クヨクヨしているサメです。サメのくせに。怖い顔をしているくせに、とんがった歯が口に並んでいるくせに。気が弱いサメです。友だちがいなことを苦にしています。
 「手紙」が仲介役のともだちづくりです。
 うつのサメです。名前をさいとうサメ次郎といいます。
 サメくんが、自分のもつ強い力に気づけていないところが残念です。
 友だちになってもらう候補として、ラッコのプカプカさんが浮上します。ふたりは、手紙でやりとりをして交友を深めるのです。
 今では、メール発信・受信、ラインなどのソーシャル・ネットワークが普及したので、今後、「手紙」を素材にした物語は生き残れるのかということが頭に浮かびます。
 38ページの絵はおもしろい。サメ次郎の自宅に郵便ポストができました。カメ次郎作です。
 幼子の素直な悩みに対してていねいに回答してあげる優しさがある物語です。
 アザラシ配達員には、しっかり働くという精神論と倫理観が備わっています。
 仲介役・交渉役であるカメ次郎の存在が大きい。
 「ザラシー」というアザラシもどきの配達員の存在意味がちょっとはっきりしません。偽物より本物になりなさいなのか。偽物は偽物のままで生きていく人生もあります。  

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2019年08月18日

おしいれのぼうけん ふるたたるひ

おしいれのぼうけん ふるたたるひ 童心社

 お化けが出てくるようなこわい話で子どもさん向けです。
 でだしがいい。「さくらほくえんには、こわいものがふたつあります。おしいれとねずみばあさんです」 これだけで、小さな子どもには恐怖心が生まれます。
 こわくなる犠牲者は、4歳に近い3歳ぐらいのさとしとあきらで、最初はちいさなことをきっかけにして、少しずつ、世界が広がりをみせていきます。
 みずのせんせいが、いろいろと世話をやいてくれる進行役です。さわいで注意しても言うことをきかないさとしとあきらをおしいれに入れます。ふたりのこどもは先生に注意されてもあやまりませんが、今の時代だと、押し入れに入れる行為は、体罰だと言われるかもしれません。
 上の段にさとし、下の段にあきら、閉じ込められた押し入れのなかで、ふすまの穴から外をのぞくふたりですが、みずのせんせいが、両手であなを押さえて目隠しをします。おもしろい。
 じょうききかんしゃとミニカーがふたりを助けてくれます。時代を感じさせてくれるふたつの乗り物です。
 57ページにあるビルのてっぺんに座るねずみばあさんの姿がこわい。迫力があります。
 物語は、けっこう豪快で、空間に広がりがあります。戦いは壮絶です。ついにふたりはつかまってしまいました。65ページの絵は、エンマ大王の前に引っ張り出された罪人ふたりです。エンマ大王がみずのせんせいに見えるのは失礼なことなのでしょう。でも、ふたりは、ねずみばあさんにあやまりません。
 強い者の上には上がいる。ひとつの世界はひとつの箱の中にあって、その箱はまた別の箱の中にある。そんなことを考えました。
 おしいれひとつで、壮大な冒険話ができあがっています。最後は、友情です。良い行為もそうでない行為も「仲間」で保たれます。人はひとりでは生きられないというところまで到達します。
 さいごは、こどもをおしいれに入れるしつけみたいな行為は中止されました。
 ラストは最初の記述に戻りますが、「さくらほいくえんには、たのしいものがふたつあります。それは、おしいれとねずみばあさんです」の結びがいい。こどもたちは、じぶんたちからわーっとおしいれに入るようになります。ねずみばあさんに会えるかもと期待してのことです。気持ちがいい終わり方でした。
 おしいれの上の段と下の段の世界、蒸気機関車とミニカーというふたつの道具、さとしとあきら、みずのせんせいとねずみばあさん、二面性をからめながらの複雑さがあるもののよく考えられてつくられた物語です。
 1974年発行の絵本です。おしいれのなかにあった高速道路の水銀灯は、いまはLED灯でしょう。いまのこどもたちがどう反応するのか読んであげてみるといいと思います。  

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2019年08月17日

洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい

洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい 中公文庫

 有名な作品ですが読むのは初めてです。子どもさん向けの童話だと思っていましたが違います。貧しくも強く生きた日本民族の暮らしの記録集です。いまどきのエッセイです。そして長いこと、「よだれをたらしたかみ」と読み間違えていました。正しくは、「はなをたらしたかみ」なのです。作品を読み始めてようやくわかりました。お恥ずかしい限りです。
 吉野せい(1977年78才没)、本の最初に学校教科書で旅行の随筆を読んだことがある串田孫一さんの紹介文があります。
 同じ人でもうまい文章を書く時とそうでないときがあるけれど、吉野せいさんは、そういうことはない。いつも切れ味鋭いものを書かれるそうです。
 共感した言葉は、「文章を書くことは、自分の人生を切って見せるようなものかもしれない」という部分です。
いまはじめの2本を読んだところですが、本作品集もノンフィクションがベースになっている短編だろうと察します。全体で16編の短編です。作成時期の時代背景は90年ぐらい前、大正末期から昭和初期、本の発行は50年ぐらい前です。

「春 (大正11年春の作品)」
 ニワトリを巡るお話です。生命誕生の喜びが生き生きと書いてあります。
 調べた単語として、「距離の一町:約110メートル」

「かなしいやつ(大正14年冬の作品)」
 農耕民族である日本人の貧しい暮らしです。貧しさゆえの北海道移住話があります。移住希望者を、周囲が、飛翔ではなく逃避だと責めます。
 NHK朝ドラ「おしん」の世界です。妻は北海道移住後早くに亡くなり自身も40歳で亡くなるもとは名家の家の男性のお話でした。それでも男性の人生は輝いていたのでした。自分の希望する道を進んで、人脈を広げて、自然とともに生きて、詩作に没頭したのでした。
 文章描写が克明です。まじめで実直、細かいところまで力を入れて書いてあります。

「洟をたらした神(昭和5年夏の作品)」
 やんちゃで元気な少年です。かぞえ6歳です。気が強い。芯が強い。人に頼らない。自立しています。童謡が生活を支えています。ノボルという名の少年ですが、当時の農村地帯には、彼のような少年がたくさんいたと思うのです。

「梨花(りか) (昭和5年冬のこと)」
 りかと読むと思うのですが、女の赤ちゃんの名前です。書中では、「リーコ」と呼ばれています。1才を迎える前に病死しています。思い出のお話です。
 最初に出てくる草野心平さんの1971年書画展のことから、実際にこの文章が書かれたのは、そのころなのでしょう。昭和46年、大阪万博の翌年です。
 印象に残った表現として、友人を「年老いた童子(どうじ)」
 41年前の遠い昔の思い出です。そのころはまだみんな若かった。
 強烈な虐待事件が続くいま、この話を読むと胸にしみます。幼子を大切にするのですが、病気のために命が続きませんでした。
 調べた単語として、「焚く:たく。燃料を燃やす」
 しんどい生き方があります。思いつめた生きざまです。
 
「ダムのかげ」
 親分がいて、子分がいる。集団の秩序に従えないとなると追放される。そんなことのあと、炭鉱の坑内事故で命を落とす。
 命と高い賃金を交換するのが炭鉱仕事。
 調べた単語として、「嚊ももらった:かかあ。妻」

「赭い畑 (あかいはたけ。赤土の畑。昭和10年秋)」
 農業関係事務職員の話です。
 貧しいのに子だくさんなのは、農作業における労働力の確保と、ほかに楽しみがなかったということだろうか。現代では、子どもにはお金がかかることもあって、少子化となりました。極端から極端に変化したい日本民族です。
 記述からは、人は死んだら生まれ変わるという輪廻思想が日本人にはありません。
 登場人物の言葉として、「人間は泣きながら歩いているうちにほんとうの自分をみつけてくる」
 なにもかもが、せっぱつまっている文章内容で、少し読み疲れてきました。
 特高(特別高等警察。国家維持が目的)に思想問題人物として目を付けられる。共産主義思想の否定です。

「公定価格」
 官憲(官庁の権利をもつ者)から農作物のわいろを要求される。さからえない百姓のくやしさがあります。読んでいると暗い気持ちになってきます。くだものの梨を要求されます。くやしい思いをこらえながら権力に伏する。昭和17年のことです。昭和20年終戦。

「いもどろぼう」
 番小屋で夜通し交代で農作物の見張りをする。どろぼうは命乞いをする。捕まえられた者も捕まえた者も貧しい。どろぼうはうそをついているかもしれない。
 たべものは、盗むのではなく、自分の手で育てる。働いたお金で買うもの。安易な許しは相手の思うつぼということもある。されど、終戦後の昭和20年秋のことで、加害者も被害者も途方に暮れる。

「麦と松のツリーと (昭和19年冬)」
 外国人捕虜のためのクリスマスツリーのことです。戦場のメリークリスマスという映画を思い出します。モミの木がないので松の木を代用する。
 空襲の話があります。「(戦争に)負けたらどうなるのか」不安が広がります。
 アメリカ兵に向かって、「ガム、くんちぇ(ください)」の少年たちが出現します。
 敗戦した国民のみじめさがあります。

「鉛の旅」
 昭和20年3月9日の出征兵士です。同年8月15日が終戦日です。登場人物が、「二度目の出征です」という。もう日本には兵士もいない。彼は妻を亡くして、幼子を63才の祖母がめんどうをみている。祖母にはもう10年は生きていて欲しいと願う。長寿となった今とはだいぶ違います。地の底で暮らす民の声が届いてきます。

「水石山 (昭和30年秋)」
 山のぼりのお話です。鳥のヒバリの話も出ます。そういえば、小学生の頃ひばりをよく見かけましたが今は見なくなりました。まっすぐ飛び上がって、巣から離れたところへ降りる鳥でした。巣にいるヒナを守るためです。
 
「夢 (昭和46年春 作者72歳ぐらい 前年に夫を亡くし、この年から執筆活動をして、昭和49年75歳ぐらいで、この本「洟をたらした神」を出版しています。人生における出版時期に遅いということはないと勇気づけられます。昭和52年78歳で没)
 山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)詩人、児童文学者の記事あり。1924年・大正13年40歳没。
 作者について、時が流れて、生活が落ち着いて、平和が訪れて、文章は穏やかな文脈へと変化しました。このときは、自分のことを考える時期です。

「凍ばれる(冬、寒くて、しばれる) 昭和47年冬
 80歳近い老人の気持ちです。印象的な文章表現として、「生誕の時の光りに反してこの終わりに暗さ」

「信といえるなら (昭和47年春)」
 昔と今を比較して話すようになると人は歳を重ねたということ。どちらがいいもわるいもない。貧しい生活で切ない思いをしたことも今となっては思い出。「みじめでした」という言葉がつらいのですが、いつまでも「みじめ」な位置にいるわけにはいきません。長い人生のなかで、そういう時期がありましたという思い出として老いてからは語りたい。
 印象的な文節として、「あんたは書かねばならない」
 感情的、感情優先な内容でした。

「老いて(昭和48年秋)」
 74歳ぐらいです。昔はもう老人扱いでしたが、今ではまだまだ若いといわれる年齢です。

「私は百姓女 (昭和49年春)」
 書き方が変化して、日記のようです。

*かなり昔の時代の頃のことなので、読む人それぞれによって、内容に強い共感をもつひと、そうでないひとがいるのでしょう。好みが別れる作品群かもしれません。  

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2019年08月16日

コンビニたそがれ堂 村山早紀 

コンビニたそがれ堂 村山早紀 ポプラ文庫ピュアフル

 短編6本です。

「コンビニたそがれ堂」
 ファンタジー神がかり(お稲荷さん神社関係)ショートショート(不思議物語)です。はじめて読みました。ロマンチック(男女の愛をからめて情緒的)です。ミステリーっぽく、読後感は胸がすく(すっとした心持ち)ような感じです。
 コンビニたそがれ堂は、きつねの神社のそばにあり、常にそこに存在するわけではなく、必要な時に必要な人のために存在する。店員はキツネ顔の銀髪で目は金色に輝いている。
 江藤雄太小学5年生が今回の登場人物です。児童文学だろうか。雄太には、アメリカ合衆国へ転校した美音(みおん)に未練がましい(あきらめきれない)思い出があります。そこをキツネ店員が解決してくれます。
 コンビニのマークは、「稲穂」
 猫好きにはたまらない(すばらしい)話なのでしょう。
 定義は、「探しものが必ずある不思議なコンビニ」です。
 秀作でした。

「手をつないで」
 ことし読んでよかった1冊になりそうです。
 うまくいかない母子関係にある小学3年生です。母親自身も母親から冷たくされたのでしょう。だから、自分の娘にもあたります。娘のリカちゃん人形を捨てます。
 えりかは、不安になり、迷い、さまよい、たどりつくのが、きつねさんが神社のそばで営業しているコンビニたそがれ堂なのです。悲しい時のコンビニたそがれ堂です。導かれるのです。
 作品「コーヒーが冷めないうちに」の雰囲気です。
 どうなるのか、推理小説の面もあります。
 えりかのセリフが深刻さを増します。「おうちに帰りたい。でも、帰りたくないよ…」
 神社の「人形供養」という言葉を思い出しました。
 ママは、「孤独」というストレスがたまっている。
 作品には、優しさが満ちています。
 印象的だった文節として、「ママは、心がぐるぐるして、苦しくなっちゃうときがある」
 結末を予想できませんでした。意外な結末でしたが良かった。

「桜の声」
 この1本は好みではありません。民放ラジオ局女性アナウンサー、未婚もうすぐ30歳の不思議な体験記になっています。戦時中の過去、月旅行ができるくらいの未来が出てきますが、肝心のコンビニたそがれ堂から離れてしまいました。力は入っていますが、うわべの事象で構築された物語という感じがしました。
 気に入った表現としては、「おなかのあたりがからっぽで、落ち着かない感じ」
 30歳をまじかにして、これから先、結婚しないで、仕事一筋でいくか、結婚・妊娠・出産・子育ての道を選択するか、迷いがあります。ただ、縁のものなので、男性との出会いがいまのところないようです。
 物語の途中で、以前、タイで、洞窟のなかに多数のサッカー少年たちが、豪雨のために洞窟に入って来た水のために出られなくなった事故のことを思い出しました。
 調べた単語として、「わたしのPDA:パーソナル・デジタル・アシスタント。携帯情報端末」

「あんず」
 猫娘(猫が人間になる)あんずの物語です。もう、彼女の余命が尽きそうなのです。
 このパターン、既視感があります。コンビニ堂で人間になれるものをもらって、いくつかの約束事を言い含められて、飼い猫あんずは、きれいな少女に変身します。
 作者の想像世界に誘われます。
 セミをとるために木に登るあんずです。猫だからできることです。その部分を読んでいるときにちょうど窓の外でセミが鳴いていました。
 力作です。エネルギーがこめられています。
 「死」の話です。猫の死でもあるし、一家の飛行機事故で亡くなった父親の話でもあります。男の子が中学生の頃に父親が亡くなっています。
 非常にむずかしい世界に入っていきます。過去を大事にするのですが、いつまでも過去にしばられている。過去を忘れられない。過去を捨てられない。過去に感情がひきずられている。そうなると明るくて遠い未来が見えなくなります。物の片づけ作業と似ています。本人は思い出がある大切なものに囲まれているつもりですが、人から見れば、家の中がゴミだらけのごみ屋敷です。
 人はあっけなく死んでしまいます。そして、永遠に生き続けることはありません。だれもがかならずいつか死にます。その時期が早く来る人もいますし、遅く来る人もいます。
 
「あるテレビの物語」
 心をもつテレビの話です。こちらもさきほどの「あんず」と共通するテーマ「死」があります。テレビは壊れて映りませんが声は出ます。さて、どうしようです。もったいない。テレビの擬人化がありますが、少々無理があります。物は物であって、生き物ではありません。道具です。物に感情を付加すると生きにくい状況が生まれてきます。商業用家畜に名前を付けて育てたのに、やむなく食べなければならないという苦しみを味わう行為と重なります。
 別れはつきものですが、別れることができません。未練のかたまりです。せつせつとその心情が語られます。過去の呪縛から逃れられない。
 反発を受けるかもしれませんが、そういう自分に恋をしている。

「いくつかのあとがきから」
 2006年の日付です。もう15年ぐらいが経ちます。
 基本は児童書だそうです。それが、おとなも読める、読む、児童書に発展しています。やはり、むかしのことを忘れられない人は多い。ただ、あのとき、あのことがあったから、今の不幸があるというようには考えたくありません。むしろ逆であってほしい。
 失わないと得られないのが人生の流れです。なにもかもすべてを手にすることはできません。  

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2019年08月11日

モモ 岩波少年文庫

モモ ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫

 邦画「コーヒーが冷めないうちに」で、登場人物の女性が喫茶店で読んでいた本です。小学校高学年以上向けぐらいの内容です。
 最初に、時間どろぼうと女の子(モモ)の話とあります。
 お話のなかにお話があります。むかしむかしで始まります。
 モモは、どこからともなく、古代ローマ時代ぐらいの感覚の時代に、とある場所へやってきて、廃墟となった円形劇場の舞台下にある部屋で暮らし始めます。そして、いろいろな人たちがモモを訪ねて来て親交を深めます。
 モモは年齢不詳ですが、8歳から12歳ぐらいに見えるそうです。背が低くてやせている。真っ黒な巻き毛の髪、そして、目も大きくて黒い。足も汚れて真っ黒。
 主な登場人物として、道路清掃員ベッポ、観光案内人ジジ(ジロラモ)、居酒屋店主ニノ、左官屋ニコラ、カメのカシオペイア(30分後の未来のことがこうらに文字で浮き出る)、床屋のフージなど。
 モモは、自分で、自分の名前を「モモ」と付けた。年齢は、自称100歳か102歳。でも見た目は8歳から12歳に見える。
 「時間」の解釈が始まります。時間の計測には意味がない。中身が重要である。時間とは生きること。死んだ人には「時間」はない。
 時間どろぼうが登場します。灰色の男たちです。人をだまして、人の時間を奪っていくのです。奪った時間でかれらは生きています。
 モモのところに集まっていた人の数がだんだん減っていきます。モモと会話をすると心がなごむのですが、どうしたことでしょうか。
 「人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそっていく」
 時間貯蓄銀行の人間は言います。「人生で大切なことは、成功すること、ひとかどのものになること、たくさんのものを手に入れること、ほかの人より成功し、偉くなり、金持ちになること。そうすれば、友情、愛、名誉は自然にくっついてくる」
 何でも数値化して判断材料にするのが、時間貯蓄銀行のメンバーのやり方です。そこに「効率」はありますが、「喜怒哀楽の感情」はありません。当然、愛情もありません。
 国家のために人間を利用する。労働力という視点だけで人間の価値をみる。
 なぜ、かれらにとって、モモは敵なのか。モモの時間感覚は彼らから見れば無駄だらけだから。されど、モモと会話をする人々の心は満たされる。

 タイミングにこだわる。あのときこうだったからああなった。不幸を避けるために、動くタイミングにこだわる。占い師のような、宗教のような雰囲気が物語の裏面にあります。
 モモはだんだん孤独になっていきます。モモのまわりから人がいなくなります。時間銀行の男たちが人々から時間を奪っていくからです。
 思春期を過ぎると少年少女たちはおとなに成長してこどもの世界からいなくなってしまう。モモはピーターパンのようでもあります。おとなになると時間の使い方が変わります。子ども時代の時間は自由な時間が多いのですが、おとなになるにしたがって、時間を管理されて、強制的に生活が縛られていくからです。その理由は報酬を得るためです。
 モモのともだちはいなくなってしまいました。カメのカシオペイアもいなくなってしまいました。
 雰囲気として、13才までの世界が終わりを告げようとしています。
 「この世界に人間が住めなくしたのは、人間自身だ」
 心のなかに「時間の花」がある。時間を奪われると、喜怒哀楽の感情がなくなっていく。関心が低くなる。憂鬱になる。からっぽになる。なにもかもが灰色になる。どうでもよくなる。病気になる。致死的退屈症とあります。
 「おまえがたよりにできるのはおまえだけだ。わたしはなにもしてやれない。ほかのだれもおまえのかわりはできない」自分のことは自分でやる。
 地震ではなく、「時震」が起ります。
 いろいろと考えさせられました。後半が良かった。  

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