2024年07月27日

かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった 絵本

かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む2 怒り・かんしゃく 新井洋行 岡田俊・監修(児童精神科医) パイ インターナショナル

 ふだんはおとなしそうに見えるかいじゅうポポリですが、怒るとびゅーんと狂暴になるようすが、ぶあつい表紙をめくると描いてあります。

 赤い体に、頭の上に白い角(ツノ)を2本付けて、赤鬼みたいなかいじゅうポポリです。
 体はそれほど大きくはありません。幼稚園児のイメージです。

 ポポリのともだちなのか、そうでもなさそうなかいじゅうが、かいじゅう、『ゾムゾーラム』で、大きな体、白い体に水色の、せびれのようなものがついています。

 おこりんぼだと、人が離れていきます。(ポポリはかいじゅうだから、かいじゅうたちが離れていきます)
 おこりんぼは、最後はひとりぼっちになってしまいます。
 人間界にいるクレーマーみたいなものです。(しつこく苦情を言うお客さん。あきらめないことを善(ぜん。いいこと))だと勘違いしている)
 クレーマーは、自分が文句を言っても言い返せない立場の人に文句を言います。ほかに相手をしてくれる人がいないからです。典型的な弱い者いじめです。
 クレーマーは、さびしんぼです。しかたがありません。いつも文句ばかり言っているので、いっしょにいても楽しくないから人が離れていきます。
 さて、かいじゅうポポリは、クレーマーの類(たぐい)でしょうか。

 『ポポリのしっぽって、おもしろいかたちだねえ』、とゾムゾーラムが言っただけで、パポリは真っ赤になって、からだがビッグになって、がおおおおおお!と怒り狂います。(いかりくるいます)
 しっぽのことでばかにされたと思った。誤解です。
 ポポリは頭が悪いのです。考えが不足しているのです。
 さよならポポリです。ゾムゾーラムは、もうポポリには会いたくありません。
 
 公園に、かいじゅうギブラとパーパルとスミスーイがいます。水遊びをしています。
 ちょっと極端な設定で、お話がつくられています。
 通りがかっただけのくせに、自分を仲間はずれにしたなと三人におこるポポリです。
 (話のつくりすぎではなかろうか。おおげさです)
 ポポリと三人のケンカが始まりました。
 ポポリは自分勝手な人間(かいじゅう)なのです。
 ポポリの言葉、『ぼくなんか、いなくなればいいんだ!』は、意味がとおりません。
 (だれもいなくなればいいとは言っていません。迷惑だと言っているのです)
 ポポリは、おなかがすいているから怒る(おこる)んじゃないだろうか。
 おいしいごはんをおなかいっぱい食べればおこらなくなるんじゃないだろうか。
 読み手であるわたしはそう考えました。
 絵本の文字が、絵の役割を果たします。
 文字が大きくなって、絵のようです。文字が、絵にとけこみます。
 太くて大きな文字です。
 
 自分に自信がないから怒る(おこる)ということはあります。自信:自分の価値や能力を信じること。自分は自分だから大丈夫(だいじょうぶ)だと自分を信じる心。
 自信がないと不安になります。不安を吹き飛ばすために人に対して怒ります。(おこります)。力で自分の言うことをきかせようとします。
 
 プアイズ:『いかりのマスターかいじゅう』だそうです。怒り(いかり)をコントロールするということだろうか。頭に白い角(ツノ)が生(は)えているひとつ目の小さなかいじゅうです。
 
 この絵本では、『怒り(いかり)』を赤い色で表現してあります。赤色は怒りの色です。
 
 なぜ怒り(いかり)が生まれるのかを考えます。
 見開き2ページにわたって、とっても細かく、怒りが生まれる理由が絵付きで紹介されています。
 自分に対して被害(不利益)があったときに怒り(いかり)が生まれるようです。
 いろんな絵があって、ポケモンの種類みたいです。
 自分がされてイヤなことは、人に対してやってはいけないとも考えることができます。
 
 対策を考えます。
 すぐにカッとこないで、時間の間(ま)をもちます。
 いつも気持ちを100%に張りつめて(はりつめて)がんばっていると、予想外のことが起きたときに、そのことを受け止める余裕がなくなります。だから、力は常に100%発揮してはいけません。40%から60%ぐらいでいいのです。それで十分です。わたしはそう思います。

 なにがどうなろうと、なんとかなるさと考える。
 物事が行きどまりになることはありません。自分が損をするということはあります。損をしたり得をしたりしながら時は過ぎていきます。それはそうなるものだったと思えばいい。

 世の中では、ネバーギブアップとか言って、あきらめたらいけないみたいな教えとか指導や指示があります。
 あきらめてもいいのです。むしろ、じょうずにあきらめることを覚えたほうがいい。相手にじょうずに負けるのもこの世を生き抜く手段です。
 顔で泣いて、心で笑っていればいいのです。
 そういう人のまわりには人が集まります。孤独ではありません。

 なにがなんでも自分の思いどおりにならないと、カッとなって、大声でどなったり、机をたたいたり、イスをけったりする人がいます。暴力で相手に自分の言うことをきかせようとします。
 自分が悪いくせに、人が悪いと主張します。パワハラです。自分で自分の感情をコントロールできない人です。頭がおかしい。こどもです。案外、組織で有能だという人に多い。わたしは長いこと生きてきて、パワハラをする男の人や女の人を何人も見ました。あまりにもひどかったときに、『どうしてそんなに感情的になって怒鳴り続けるのですか。落ち着いて静かに話してください』と上司に言ったら、絶句されていました。(ぜっく。言葉が詰まって言い返すことができない)。本人の脳みそのなかに、想定していない状況が起きてしまったからなのでしょう。パワハラは心の病気です。薬はありません。本人自身が努力して自分の人格を変えようとしなければ治りません。(なおりません)。

 世の中はなんとでもなるのです。そうなるしかないのです。極端な話、あなたがいなくてもなんとかなる。なんとかなるしかないのです。

 おこりんぼのポポリと、ダーギーと、ペコバラスとが、ボードゲームをしています。
 ルールのことで、ポポリが怒り(おこり)だしそうです。
 なにがなんでも相手にゲームで勝つのではなく、じょうずに負けることも覚えたほうがいい。自分だけの幸せよりも全体の平和のほうが、自分にとっていいこともあります。そして、たかが、ゲームなのです。
 昔、プロ野球で怒ってばかりいる監督(ほしの監督)が言っていました。『気持ちは熱くはなるけれど、最後は、しょせん野球です。たかが野球の話です。(広い世の中にあっては)小さな話です』。ほしの監督は、寛大な人だったのです。

 だいじなことは、自分が勝っていい思いをするということではなく、みんなで楽しく遊べることなのです。あしたもまたいっしょに遊べるということは、気持ちがいいことなのです。

 今度は、ポポリの前に、かいじゅうソーサラスが出てきて、ポポリをからかいはじめました。
 怒り(いかり)をがまんする、がまんしたいポポリです。
 笑いたいときには笑って、泣きたいときには泣いて、だって、人間だから(かいじゅうだけど)。ぼくは、おこりんぼかいじゅうじゃない。そんな気持ちになりました。
 理屈(りくつ)はむずかしいけれど、この絵本をこどもに読んであげれば、こどもの気持ちは落ち着くでしょう。
 
 昔、クレーマーとクレーマーがぶつかったらどうなるのかと思ったことがありました。
 そうしたら、クレーマーとクレーマーがぶつかるシーンを見ました。
 クレーマーにも、強い弱いがあるのだと知りました。強いクレーマーにぶつかると、弱いクレーマーは身を引きます。
 もうひとつは、違うシーンでした。
 クレーマーを見たクレーマーが言いました。『あの人はひどいクレーマーだ』、その人は自分がクレーマーだとは自覚していないのだということがわかりました。
 もうひとつ付け加えると、クレーマーをじょうずに扱えるようになると、お金(お給料)が上がったり昇進(出世)したりすることもあります。そういうことができる人には、いい人が集まってきます。したたかに生きることでうまくいくことがあります。したたか:打たれ強くてしっかりしている。

 なんだか、アンガーマネジメントの研修本を読むようでした。(怒り(いかり)をコントロールする)  

Posted by 熊太郎 at 06:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月26日

かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった 絵本

かいじゅうたちはこうやってピンチをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む1 不安・、こわい気持ち 新井洋行 森野百合子・監修(児童精神科医/英国児童・思春期精神科専門医) パイ インターナショナル

 こどもさん向けの絵本です。
 かいじゅうたちは、ロボットに見えます。
 かいじゅうたちは、鳥のようでもあり、小動物のようでもあり、虫のようでもあり、ポケモンたちのようでもあります。
 かいじゅうといえば、ティラノザウルスとか、トリケラトプスとかの恐竜、ゴジラとか、ガメラとか、キングギドラとかの映画の主人公を思い浮かべますが、こちらの絵本の怪獣はロボットのようです。

 かいじゅうたちは、それぞれが、幼稚園生か、小学校低学年のこどもたちに見えます。
 かいじゅうたちは、だいたいが男の子に見えます。

 『かいじゅう その1 モーモクロスのばあい』
 モーモクロスと聞くと、ももいろクローバーZを思い出します。
 モーモーと聞くと、牛の鳴き声を思い出します。
 お話は、高所恐怖症のお話です。
 高いところがにがてなのに、どういうわけか、モーモクロスというかいじゅうが、がけから飛び降りて、バンジージャンプにチャレンジするそうです。(わたしはやりません。100万円もらってもやりません)
 ページをめくりました。
 なんと!
 モーモクロスの背中に、羽がはえました。ナイス!(ステキです)
 自分にとって、いいふう(つごうの良いように)考える。自分の背中に羽が生えるからだいじょうぶ。
 自己暗示ですな。自己催眠でもありますな。
 バンジージャンプの結果は安全だとわかっているから、あとは、度胸だけです。
 モーモクロスは、無事(ぶじ)にジャンプできました。(なるほど)
 
『かいじゅう その2 サスピッチのばあい』
 サスピッチは注射がキライだそうです。(注射が好きだという人をわたしは聞いたことがありません。わたしの場合は持病があって、4週間に1回、血液検査のために採血があります。毎回イヤだな~と思いますが健康管理のためですからしかたがありません。あきらめています)
 注射対策が提示されました。体がカチンコチンになる(固まる)そうです。絵を見て笑えました。
 固くなると注射針を刺(さ)せなくなるのではないか。
 むしろ、とうふや、コンニャクのように柔らかくなったほうがいいのではないか。
 リラックスしたほうが、いいとわたしは思います。

『かいじゅう その3 パルリラのばあい』
 パルリラは、おおぜいの前で発表することがにがてだそうです。緊張するのです。まあ、だれでもそうでしょう。
 ページをめくりました。どうかなあと思う対策です。
 大きな息を吐いたら、お客さんが全員どこかへふっとんでいきました。
 対策は、演じる技術を身につけるということです。演劇でなくても、ふつうの人でも自分ではない自分のようなものを演じながら仕事をしています。人間はみんな役者なのです。悪いことではありません。

『かいじゅう その4 ガラーブのばあい』
 ガラーブは、暗いところがこわいそうです。
 夜中はこわくてトイレに行けません。
 ついに行けませんでした。(照明で明るくすればいいのに)
 ガラーブは、おしっこがとまったと言いましたが、おねしょをしたかもしれません。
 行かねばならないときは、行かねばなりません。やらねばならないことは、歯をくいしばってやらねばなりません。
 最初は、ゆっくり、少しずつでやっていけば、だんだん慣れていきます。なにごとも、そのようにやれば、たいていは、うまくいきます。

 全体のまとめに入りました。
 パルリラが、自分たちは、逃げただけじゃないかとみんなに問題提起します。
 こわいものから逃げたくない。(逃げてもいい時はあります)
 『こわい』の原因は、『ゾワゾワ』だそうです。
 そうしたら、ゾワゾワが4つ出てきました。黄色で、星みたいな形をしています。大きくはありません。
 次に、ゾワゾワの親分のような、黄色いウニみたいなかいじゅうが出てきました。『ゾワゾワキング』だそうです。
 うまくやるコツは、ゾワゾワをつぶすのではなくて、ゾワゾワと仲良しになることだそうです。
 う~む。できることはできるし、できないことはできない。それでいいし、それだけのことだと、わたしは思います。
 説明が抽象的で、こどもさんにはわかりにくい。
 
 こどものころにはわからないことがあります。
 人は、お金を手に入れて生活していくということです。
 食べていくためにはお金がいるのです。
 勉強だけをしていてもお金は懐に(ふところに)入ってきません。
 おとなになるとわかります。
 だから、つらいことがあっても、お金を手に入れるために、がんばったり、いやなことでもやったりできるのです。
 お金をもらうとうれしくなるのです。

 先日読んだ文章でなるほどと思うものがありました。
 日本人は、宝くじで高額賞金が当たると、仕事を辞める(やめる)ことを考える。
 外国人は、宝くじで当たったお金を資金にして、事業を始めて、さらにもうけることを考える。
 日本人の気質をじょうずに言い当てていると感心しました。日本人は、ネガティブ(うしろ向き)なのです。

 困ったことがあったときに励ましたり、なぐさめたりしてくれる仲間がいると心にいいということはあります。
 ただ、人間的に同じようなタイプで、お互いの傷をなめ合う関係だと、愚痴をこぼしあうだけで、状況は好転せず、現状維持か、堕ちていく(おちていく)ことになります。
 なかなかむずかしい。  

Posted by 熊太郎 at 07:41Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月24日

希望のひとしずく キース・カラブレーゼ

希望のひとしずく キース・カラブレーゼ 代田亜香子(だいた・あかこ)訳 理論社

(1回目の本読み)
 最後までページをゆっくりめくります。
 『主な登場人物』に、31人も書いてあります。『主な(おもな)』だから、ふつう数人ではなかろうか。ちょっと読むのがたいへんそう。だいじょうぶかなあ。
 中学生たちの物語で児童文学です。
 
アーネスト・ウィルメット:1945年にできた大工場ウィルメット工業製作所の経営者のひとり息子で、大金持ちの家のこどもだそうです。アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんが創業した。アーネスト・ウィルメットは跡継ぎの立場にあります。
 アメリカ合衆国中西部にあるオハイオ州の高級住宅地に住んでいる。中学一年生になったばかりの12歳の彼は、『奇跡を信じている』そうです。
 亡くなったおじいちゃんの名前が、エディ・ウィルメット。死ぬ8週間前に、屋根裏部屋の整理をアーネストに頼んで約束した。おじいちゃんは、アーネスト・ウィルメットが住む家とは別の家に住んでいた。アーネスト・ウィルメットは、屋根裏部屋でりっぱな『お絵かきセット』を見つけました。(このお絵かきセットが伏線になって、話をいい方向へと導いてくれます)
 エディ・ウィルメットの弟がロバート(ロロ)で、心肥大(しんひだい。心臓の筋肉が厚くなり、心臓の機能が低下する)という病気で9歳のときに亡くなっています。ロロの親友が、ジャック・ホー。ジャック・ホーの家族を長年支えてきたのが、今は介護施設に入っている元刑事で、スタンリー・ドナン。アーネスト・ウィルメットは、自分の体が小柄であることを気にしているようすです。
 最近両親のようすがおかしい。なにかを隠している。こどもの前では深刻な話をしない両親に対して、アーネスト・ウィルメットは不信感をもっています。
 大家族がいいとして、両親は大きな家を建てたけれど、こどもは、アーネスト・ウィルメットひとりしか生まれなかった。
 親の工場は経営が傾いているらしい。
 アーネスト・ウィルメットは、忘れん坊のようです。ときどき、物を置き忘れます。

ライアン・ハーディ:父親が、アーネスト・ウィルメットの工場の従業員で現場監督をしている。人は人、自分は自分という考え方をする少年だそうです。
 ライアン・ハーディは、お金持ちのアーネスト・ウィルメットをよくは思っていない。父親が従業員の立場なので、アーネスト・ウィルメットとはあまり関係をもちたくない。
 アーネスト・ウィルメットは、エラそうにしていない。いつもニコニコしている。人なつっこくて、いつもゴキゲン。物事を明るく考える人間。そういうところが、ライアン・ハーディはキライだそうです。
 ライアン・ハーディの向かいの家に住んでいるのが、アニー・ヘメルレ(体重が40キロくらいしかないおばあちゃん。少しぼけが始まっているようです)さん。
 ヘメルレの孫娘が、テス。冒頭付近では、ヘメルレ宅の芝刈りをアルバイトとしてやっている。ヘメルレ家のおじいちゃんは二年前に亡くなった。ご夫人は、『(蓄えを。たくわえを)切り崩して生活』している。
 ライアン・ハーディは、アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメット宅の芝刈りもしていた。エディは、お金持ちなのに、『サウス』に住んでいたとあります。きっと、『サウス』は、お金持ちが住むようなところではないのでしょう。一般人が住むところなのでしょう。
 ライアン・ハーディの母親の名前は、カレン・ハーディ。父親の名前は、ダグ・ハーディ。ライアン・ハーディには、あかちゃんのデクランという弟がいる。ライアン・ハーディの母親であるカレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。

リジー・マコーマー:ライアン・ハーディと幼なじみの女子中学生でライアンに気があるみたいです。ママは看護師長をしている。ママの名前は、ジュリア・マコーマー。リジー・マコーマーのおばさんがパティ。パティの娘がチェルシーで、リジーからみていとこです。
 チェルシーは、派手好きで、チェルシーは、リジー・マコーマーの改造計画を始める。同じくパティの娘が、アンバーで、姉チェルシーとは性格が正反対。おとなしい。
 リジー・マコーマー本人は成績優秀、読書大好き。でも、おとぎ話はキライだそうです。母ジュリア・マコーマーと同じ病院で働いているドクターが、トム・シェイ。同じく看護師が、ジーン。ジーンのカレシが、エアライン(航空会社)の係員で、ドリュー。
 ママは離婚している。今のママにはどうもカレシがいる。リジー・マコーマーは、実父のパパに会いたい。
 リジー・マコーマーは、お化粧などをして、きれいになりたい。

ウィンストン・パティル:転校生で引っ越してきたばかり。まだ友だちがいない。いつも絵を描いている。パパはドクターで、評判のいい外科医。世界をまたにかけている。(回っている)。
 シカゴからオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。違和感が大きい。
 ウィンストン・パティルは、インド系のファミリーの一員。人種が多いシカゴでは溶け込めたが、いなかであるクリフ・ドネリーでは、アウェイ感満載(まんさい。浮いている。敵地。歓迎されていない。避けられている)

トミー・ブリックス:いじめっこ。三人兄弟の末っ子。兄ふたりは問題児。長男ウェイドは傷害罪で刑務所にいる。次男サムは海兵隊にいるが、刑務所と海兵隊とどちらかを選べと裁判で言われて海兵隊を選んだ。
 トミー・ブリックスは、実は乱暴者ではない。父親のハーラン・ブリックスが酒飲み、ふたりの兄が乱暴者であることから近所の人たちにトミー・ブリックスもおかしいと思われている。トミー・ブリックスは、そのことで気持ちに迷いがある。
 海兵隊に入った次兄サムの工具:兄がトミー・ブリックスに預けた。酒飲みのオヤジに見つかるとオヤジは工具を売却して酒を買ってしまう。トミー・ブリックスは、工具を学校のロッカーの壁の奥に隠したい。

アーロン・ロビネット:ビッグフットがいると信じている。(ビッグフット:足が大きい? アメリカ合衆国の話。大きな猿人(えんじん)に見えます)。サスクワッチ:未確認動物。大きな足跡、毛むくじゃらの体。

ジェイミー・ダール:アーロン・ロビネットの親友。ビッグフットの存在は信じていない。父親は刑事で、名前は、アート・ダール。アート・ダールの甥っ子が、バディで、森でタバコを吸っている。

ジェシュ・レディガー:海兵隊員の兄マット・レディが-が、アフガニスタンで亡くなった。マット・レディガ-の親友が、アフガニスタンから帰国した元海兵隊員のチャド・フィネガン。

ペイジ・バーネット:美人の人気者。弟のセス(小学一年生)が字を読めないことを心配している。(識字障害だろうか。伊予原新作品(いよはら・しん作品)、『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ) 文藝春秋』に書いてありました。文字のフォント(デザイン)で、ディスレクシアの人でも文字や文章を読めることがある。

マーカス・アール:担任の先生。男性。想像力が豊かで話がじょうず。マーカル・アールの大学の同級生で、元カノで(カノジョ)、テレビの放送記者が、アンドレア・チェイス。
 アンドレア・チェイスはいい人ではありません。地域のゴシップ(うわさ話)をネタにして、お金もうけになる記事を書く人です。後半で、トラブルの原因になります。見た目は美しく賢く仕事で成功しているそうです。強くて自身に満ちあふれているそうです。
 マーカス・アールの昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書いている。アール先生は、ライアン・ハーディのお気に入りの先生。生徒に人気がある。服装はセンスがなくダサイ。背が高い。両親の人種が異なっているのでハーフだが、両親の民族が不明。ライアン・ハーディのクラスで、英語とホームルームを担当している。

トルーマン:中学校の用務員。何十年も働いている。

ネイト・コリンズ:消防署長で、元海兵隊員

アート・ダール:ジェイミー・ダールの父親。刑事をしている。甥っ子が(おいっこ)、バディ。

ジェイニー・ダベンポート:高校二年生。図書館でボランティアをしている。

コンウェー:ジェイニー・ダベンポートがボランティアをしている図書館の司書。5歳の息子ジェイソンがいる。

ブロディリック先生:ジェイニー・ダベンポートの通う高校の生物の先生。

ビルクス:アーネスト・ウィルメットの父親の会社経営資金に関する相談相手。

ハックウェル:理科の先生。

 うしろのほうにある訳者あとがきを読みました。
 主人公は、三人の中学生だそうです。
 その三人が、通称、『残念な町』で、奇跡を起こすそうです。
 ジグソーパズルの小さなピースが集まって、やがて美しい絵ができあがるような感覚だそうです。
 人の思いやりとか想像力で、奇跡を起こすというメッセージがあるそうです。

(2回目の本読み)
 ちいさな文章の固まりが順番に出てきます。
 それぞれ語る人が異なります。
 語る人を変えていく記述手法がとられています。
 アーネスト・ウィルメットもライアン・ハーディも、きちんと話をしたことがないから、お互いを誤解しています。それぞれが思いこんでいるような相手の人格ではなさそうです。『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』。以前、なにかの本でその言葉を読んだことがあります。真実でしょう。

 ディする:相手を批判する。けなす。
 おとこ運:めぐりあわせの良し悪し(あし)

 クリフ・ドネリー:登場人物たちが住んでいる町の名称。人口22,177人。1835年にできた。(日本では1853年がペリーの黒船来航)
 
 作者が、それぞれの人物になりきって、ひとり語りが続きます。心地よい。

ロッド・サーリング中学校:1930年代創立(日本だと昭和5年代)。校舎は3階建てで、広い中庭がある。

スケープ・ゴート:生贄(いけにえ)、犠牲。身代わり。
トンプキンス井戸:ノースサイド公園にある井戸。コインを投げて、願い事をする。言い伝えとして、孫の命を救うために身代わりになったのが、エゼキエル・トンプキンスという人物。この井戸が、あとあと物語の伏線になっていきます。
 井戸の下につながる洞穴(ほらあな)があって、井戸の真下である洞穴の中にいると、願い事をしに来た井戸の上にいる人の願い事を願う声が聞こえるのです。おもしろいなあ。

ノースとサウス:読んでいるとどうも、ノースは、資本家(経営者。お金持ち)が住む地域で、サウスが、労働者が住む地域のようです。労働者は、お金持ちではないという比較があります。
 サウスの人間は、おとなに告げ口はしないそうです。こどもの世界でトラブルがあったときは、おとなには話をせずに、こどもの世界で解決するそうです。

 自然保護区があるそうです。ノースサイド公園に出口がある。
 ノースサイド公園で、悪魔崇拝の儀式をやっているという噂がある。

(つづく)

 ウィンストン・パティルがきっかけで、アーネスト・ウィルメットがからみ、ライアン・ハーディとトミー・ブリックスがケンカになりそうです。
 トミー・ブリックスが、ウィンストン・パティルの絵をばかにした。それを見たアーネスト・ウィルメットがトミー・ブリックスを注意した。
 アーネスト・ウィルメットは、父親が働く会社の経営者なので、ライアン・ハーディが仲介に入ったという流れです。トミー・ブリックスは、止めに入ったライアン・ハーディを不愉快に思ってケンカするぞ!になるのですが、トミー・ブリックスは、世間の評判と違って、頭の中身は暴力的ではないのです。彼の父親と兄ふたりが暴力的なのです。
 トミー・ブリックスは、彼なりに迷い困っているのです。ライアン・ハーディと殴り合いのケンカはしたくないけれど、自分の威厳は保ちたい。いえるのは、トミー・ブリックスは、根っからのいじめっこじゃない。

 いい話が続きます。
 みんな、それぞれ、悩みをかかえています。
 表面上見える人柄と本当の人格は異なっています。

 69ページでちょっとびっくりしました。
 『チャーリーとチョコレート工場』のウンパルンパという文章が出てきました。
 わたしは、去年の秋に、東京帝国劇場で、ミュージカル『チャーリーとチョコレート工場』を観劇しました。にぎやかでいい雰囲気でした。ウンパルンパ役の人たちもがんばっておられました。
 色彩とか映像・音楽がきれいな舞台でした。
 
 オッカムのカミソリ理論:ものごとを説明するときに必要以上に多くを仮定してはならない。
 
 ティリー:アーネスト・ウィルメットがつくった架空のおばさん。今年の1月で87歳になる。
 ダドリー:アーネスト・ウィルメットのいとこ。
 デビッド・オルティーズ:米国プロ野球選手。

 本のタイトル、『希望のひとしずく』の、ひとしずくは、コインのことをさすのだろうか。古井戸に願い事をしながら投げ込むコインのことです。古井戸の下にいる少年二人に願いが伝わって、少年たちが願いごとをかなえるように努力するという全体像でいいのだろうか。読み進めてみます。

 アーネスト・ウィルメットのおじいちゃんの家の屋根裏にあるもの。
 ボードゲーム(カラーフォーム。くっつけたりはがしたりできる)、靴下でつくったサルの人形、おもちゃのピストル、手づくりのキルト、古い消火器。

 ヘメルレおばあちゃんが、大昔の写真を出してきます。白黒写真にこどもが3人写っています。14歳くらいの男の子(エディ・ウィルメット。アーネスト・ウィルメットの祖父)、9歳ぐらいの女の子(ヘメルレさん)、もうひとりの9歳ぐらいの男の子(エディ・ウィルメットの弟。ロバート。愛称がロロ。顔がアーネスト・ウィルメットにそっくり)。

リジー・マコーマーに、ライアン・ハーディがトンプキンス井戸の下にいたことがばれました。こんどは、ライアン・ハーディが、リジー・マコーマーをトンプキンス井戸の下に連れて行くことになりました。

ドリトスくさい:お菓子のドリトス(スナック菓子)のにおい。
輻輳不全(ふくそうふぜん):近くの文字を読もうとするときに、寄り目がうまくできない症状。医療系の話。ペイジ・バーネットの小学一年生の弟セスの症状。

カレン:ペイジ・バーネットの弟小学一年生セスの担任教師。

 アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父が屋根裏部屋に遺してくれた(のこしてくれた)品物が、幸せの町の人たちの幸せにつながっていくというお話の流れです。
 今度は消火器です。長さ1m近く。直径15センチ以上あります。古い消火器です。(その後、使うことになります)。エルクハート社製のヴィンテージ真鍮(しんちゅう)消火器。ヴィンテージ:古い。

4人組の高校生:男ふたり(バディ:好きなものは、タバコ、破壊すること、汚い茶色のコートを着ること(タバコが火災の原因になります)。
 バディは、図書館でボランティアをしているジェニー・ダベンボートの父親で刑事のアート・ダールの甥(おい。兄弟姉妹のこども)。もうひとりの男子が、ドレイク)。女ふたり(ヘザーとマーゴ)。ドレイクとマーゴがカップル。

ジャック・ホー:9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友。ロロが亡くなった日は、ロロの誕生日だった。その日に、ジャック・ホーの父親が家を出て行った。ジャック・ホーと母親が家に残された。
 ジャック・ホーは、ロロへの誕生日プレゼントに、サルのぬいぐるみを贈ることにした。靴下でつくったサルの人形だった。(人形の中に秘密があります。『ホルヨークの赤いダイヤモンド』が人形に隠されていました。1952年(日本だと昭和27年)シカゴの豪商ユースタス・ホルヨークの地下室から盗まれたダイヤモンドです。ジャック・ホーの父親は盗みをする人でした)
 
チャド・フィネガン:海兵隊でアフガニスタンの戦争に行っていた。親友が、マット・レディガ-だったが、マットは地雷を踏んで亡くなった。

サスクワッチ:ビッグフット。体の大きな猿人のような生き物。足が大きい。

 アーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットが屋根裏に遺した品物は、彼の9歳で病死した弟ロロへのプレゼントだった。

ネイト・コリンズ:消防署長

シェイディ・レーンズ(介護施設の名称):金曜日にジャック・ホー(9歳で亡くなったアーネスト・ウィルメットの祖父エディ・ウィルメットの弟ロロ(ロバート)の親友)が入所者スタンリー・ドナン(元刑事)に会いに行く。スタンリー・ドナンは、ジャック・ホーの父親が家を出たあと、ジャック・ホーと彼の母親の面倒を見た。ジャック・ホーの父親ベン・マッティングリーは空き巣狙いの犯罪者だった。拠点はイリノイ州シカゴ、インディアナ州のインディアナポリスで空き巣をしていた。

 なかなかややこしい話です。日本人中学生が読むのにはむずかしい本です。

オルスン・マルドゥーン:盗品(宝石とか)の仲介屋。故買(こばい)

 182ページで、ライアンとアーネストとリジーは、もうトンプキンス井戸の下には行かないことにしました。

(つづく)

 アーネスト・ウィルメットの祖父宅の屋根裏にあったものから、『キルト(緑と青の柄のパッチワーク布)』と『古いおもちゃのピストル』をアーネスト・ウィルメットが持ち出して、ライアン・ハーディに預けました。
 
 ヘメルレおばあさんが亡くなりました。
 自宅の椅子に座ったまま、眠るように亡くなっていました。
 911番:日本でいうところの119番と110番。救急、消防、警察に連絡する緊急用の電話番号。
 ライアン・ハーディは、亡くなっているヘメルレさんにキルトをそーっとかけました。
 ライアン・ハーディは泣きますが、眠るように死ねたら大往生(だいおうじょう。安らかに死ぬ)です。泣くことはありません。長寿を全うしたのです。まっとう:自分の役割を完全に果たした。
 
 超悪趣味な茶色のコートを着た人物:喫煙男子高校生のバディのことです。タバコが火災の原因になりました。バディは、刑事アート・ダールの甥っ子です。おいっこ:兄弟姉妹のこども。叔父・甥の関係。ビッグフットの存在を信じているアーロン・ロビネットの親友ジェイミー・ダールの父親。

ハーラン・ブリックス:トミー・ブリックスの父親。

スラッピー・ジョー:サンドイッチの種類のひとつ。

イエロージャーナリズム:新聞の発行部数を伸ばすために、おおげさで感情的な報道をすること。

ジュリア・マコーマー:リジー・マコーマーの母親で看護師長。ER担当。ER:救急室、救急外来。

チャック:カメラマン。アンドレア・チェイスと行動を共にしている。

スキャンダル:不祥事、不正。

 よくわからないのですが、トンプキンス井戸の下でこどもたちが、願いを聞いて、願いがかなうように行動したことが、テレビ記者に問題視されるのです。美談に裏事情ありです。そんなに、問題視することだろうか。

 If only:「たられば」。仮定の話。もし~なら。

ジョシュ・レディガー:トンプキンス井戸で、お願いをした。アフガニスタンで戦死した兄のために家庭が壊れた。家族を元通りにしたい。

ウィンストン・パティルのおばあちゃん。インド人。

 最後の一品(ひとしな)である、『おもちゃのピストル』はどうなるのだろう。

ワダ・パーヴ:インドのハンバーガー。

 241ページにある、『ジニー』は、『ジーン』の間違いではなかろうか。ジーン:看護師。

 243ページの歌の歌詞を見て、洋画『ペーパームーン』を思い出しました。

テス:ヘメルレおばあちゃんの孫娘。

 246ページまで読みました。あと少しです。あと61ページぐらい。なかなかややこしい。

(つづく)

 なかなかややこしい。
 ミステリー(推理小説)のような展開になってきました。
 亡くなったヘメルレおばあさんの孫娘であるテスがいます。
 こどもたちの担任男性教師のマーカス・アールがいます。
 父がアーネスト・ウィルメットの父親の従業員であるライアン・ハーディがいます。
 警官が、アーネスト・ウィルメットの亡くなった祖父のエディ・ウィルメットの家から出てきます。
 テレビの放送女性記者であるアンドレア・チェイスが手錠を付けられた状態で玄関から出てきます。
 
 担任男性教師マーカス・アールが話をでっちあげた。(つくり話を成立させた)
 
 9歳で亡くなったロロの親友のジャック・ホーの父親であるベン・マッティングリーは、ホルヨークの赤いダイヤを盗んだが単独犯ではない。
 宝石の売買に関与したのは、マルドゥーンではない。
 エドガー・ウィルメットが売買に関与した。エドガー・ウィルメットは、ウィルメット工業製作所の創設者である。
 ここからがわからないことです。
 リジー・マコーマーは、男の子ふたりと施設にいたと書いてありますが、施設とは、『トンプキンス井戸』のことを指すのだろうか。
 男の子ふたりで、そのうちのひとりが、アーネスト・ウィルメットである。エドガー・ウィルメットのひ孫である。
 エドガー・ウィルメットとベン・マッティングリーは共犯者である。
 エドガー・ウィルメットは、自分の工場を利用して、ベン・マッティングリーが盗んで得たお金をロンダリングしていた。ロンダリング:資金洗浄。不正なお金を正当なお金にみせかける。
 
 エドガー・ウィルメットが、盗品を自宅に隠していた。そして、その家を息子のエディ・ウィルメットが引き継いで死ぬまで住んだ。
 地下室の壁が二重構造になっていて、いまでも、その中に、ベン・マッティングリーが盗んだ宝石やお金がいっぱい入っている。

 3人目の協力者が、介護施設に入っている元刑事のスタンリー・ドナンである。

 オーソン・マルドゥーンは、ベン・マッティングリーを殺していない。
 スタンリー・ドナンが、ベン・マッティングリーを殺した。

 なんだか、わかったような、わからないような筋書きです。
 すべてが事実とも思えない。さらに、どんでん返しがあるかもしれません。
 読み続けます。

(その後)

 読み終えました。
 長かった。
 この物語の内容を中学生がすんなり理解できるとは思いにくい。読書感想文の課題図書として適しているとは思えませんでした。

 では、継ぎ足しの感想メモです。

ドクター・トム・シェイ:スーツを着た背の高いイケメンのおじさん。リジー・マコーマーの看護師長である母親のジュリア・マコーマーの仕事仲間。心臓外科医。そして、ジュリア・マコーマーのカレシ。ただし、ジュリア・マコーマーには、家を出て行った夫がいます。その後、ジュリア・マコーマーとドクター・トムは結婚していますが、離婚が成立していたのか、婚姻中でも式だけでも挙げたのか(あげたのか)わからなかったのですが、おそらくきちんと離婚していて、結婚ができたのでしょう。

 ヘメルレおばあさんが、ライアン・ハーディに、家の清掃等をしてくれた報酬を支払っていない話が出ます。払おうとしても、ライアン・ハーディが、もうもらってあるとウソを言い続けたのです。そのあたりの趣旨がどういう意味なのかわかりません。作者は読者に何を言いたいのだろう。日本人と外国人の感覚の違いがあるのかもしれません。

アドレナリン:ストレスに対抗するホルモン。

 後半になるにしたがって、おとなの事情の話が入りこんできます。こども世界だけのきれいな話ではありません。
 会社がつぶれるとか、お金のやりくりの話です。
 危機をくぐりぬけるために芝居を打つ。(ウソでのりきる)
 
チャド・フィネガン:消防署の職員。
コリンズ署長:消防署長。

 SF映画、『フラッシュゴードン』の写真が付いている箱に、古い光線銃のおもちゃが入っている。

ドリュー:看護師ジーンのカレシ。飛行場で登場受付の仕事をしている。

ミズ・チェイス:飛行場の受け付けで、ファーストクラスへのアップグレードをドリューに断られた美人の乗客。

エヴリン・リーヴス:マーカス・アール先生の昔の日曜学校の先生。本を書いている。

アンバー:リジー・マコーマーのいとこ。パティの妹。

 民話とか、伝説とか、物語が必要な話が書いてあります。
 子どもにおとなの言うことを聞かせるために物語が必要だという考えが示されます。
 物語は人間を結びつける。人と人とのつながりをつくってくれる。

 ラストで、文章を読んでいると、作者の気持ちは高揚しています。こうよう:精神や気分が高まっている。

 複雑で長いお話でした。
 人と人との出会いで、幸せが生まれる。
 そんなことが書いてあったお話でした。

 250ページの最初の数行の意味をとれませんでした。
 <リジーが男の子ふたりと施設にいたっていってただろ?>
 さきほども書きましたが、『施設』というのは、トンプキンス井戸のことだろうか? わたしにとっては謎です。
 そこにいた3人の少年少女のことが、どうして、アーネスト・ウィルメットのひいおじいさんエドガー・ウィルメットの犯罪共犯者の話の証拠になるのだろうか。不可解でした。

 すいぶん長い文章になってしまいましたが、最後に、主な人物一覧を並べておきます。
 かなりややこしい。

アーネスト・ウィルメット:12歳、中学一年生、お金持ち工場経営者のひとり息子。
 両親がいる。祖父が、エディ・ウィルメット。祖父の弟が、ロバート・ウィルメット(愛称がロロ)で、9歳の時に心肥大で亡くなった。ロバートウィルメット(ロロ)の親友がジャック・ホーで、ジャック・ホーの母子家庭の生活を支えていたのが、元刑事で、今は介護施設に入所しているスタンリー・ドナン。

ライアン・ハーディ:アーネスト・ウィルメットのクラスメート。
 アーネスト・ウィルメットの父親が経営する会社で、ライアン・ハーディの父親が働いている。彼の父親は工場で現場監督をしている。
 自宅の向かいにひとりぐらい高齢者のアニー・ヘメルレおばあちゃんが暮らしていて、ライアン・ハーディが、お宅の芝刈りのアルバイトをしている。
 ライアン・ハーディの母親カレン・ハーディとアーネスト・ウィルメットの母親は仲がいい。
 父親の名前は、ダグ・ハーディで、弟の名前はデグラン(まだあかちゃん)。

リジー・マコーマー:前記ふたりの生徒のクラスメート。
 ライアン・ハーディに気があるみたい。(恋)
 母親は、ジュリア・マコーマーで病院の看護師長をしている。夫とは離婚している。今は、カレシがいて、最後はそのカレシと結婚する。
 母親姉妹であるパティがおばにあたる。
 おばのパティの長女が、チェルシー(にぎやか)、次女が、アンバー(おとなしい)
 
ウィン・パテル:クラスメート。インド人男子。転校してきた。
 いつも絵を描いている。
 大都市シカゴから、田舎町のオハイオ州クリフ・ドネリーに引っ越してきた。
 父親は、外科医。

トミー・ブリックス:クラスメート。
 周囲からいじめっ子と言われているが、本当はそうではない。いい奴(やつ)
 父と兄ふたりに恵まれていない。
 酒乱の父、乱暴者の兄ふたり。長兄は刑務所に入っている。次兄は海兵隊にいる。

アーロン・ロビネット:クラスメート。
 ビッグ・フット(野猿、巨人)がいると信じている。

ジェイミー・ダール:クラスメート。
 アーロン・ロビネットの親友。父親が、刑事のアート・ダール。アート・ダールの甥っ子(おいっこ)がバディ。バディは不良の高校生男子。
 
ペイジ・バーネット:クラスメート。女生徒。
 弟セス(小学一年生)が、字を読めない。

マーカス・アール:担任の男先生。ハーフ。
 大学の同級生で元カノが、テレビ放送記者のアンドレア・チェイス。
 マーカス・アールが関係する昔の日曜学校の先生が、エヴリン・リーヴスで、本を書く人。  

Posted by 熊太郎 at 06:52Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月19日

体験格差 今井悠介

体験格差 今井悠介(いまい・ゆうすけ) 講談社現代新書

 いろいろサブタイトルが本の帯に書いてあります。
 『習い事や家族旅行は贅沢?(ぜいたく)』
 『連鎖するもうひとつの貧困』
 『体験ゼロの衝撃!』
 『日本社会の課題』
 『低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」』
 『小4までは「学習」より「体験」』
 『「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」』
 『人気の水泳と音楽で生じる格差』

 わたしは、実用書を読むときは、まず、ページをゆっくり全部めくりながら、なにが書いてあるのかをおおまかに把握します。

(1回目の本読み)
 読む前に、先日読んだ別の本のことが頭に浮かびました。
 『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修』
 ちびっこの語録なのですが、昭和の時代の昔々はおもしろいのですが、現代に近づくにつれて、おもしろくなくなるのです。
 ことばのしっぽは、1967年(昭和42年)から始まっています。
 例として、2ページの、『たちしょん』では、『あ、おしっこが、たびにでた』とあります。ほほえましい。 4歳の男の子の作品です。
 2010年(平成22年)ころから、こどもの生活が管理されて、豊かな生活体験が減って、まるで標準化された人工知能ロボットのような心もちのこどもが増えたのです。
 そういうことも関係あるのではなかろうかと興味が湧き、こちらの本を読むことにしました。

目次です。
『第一部 体験格差の実態』
 「お金」、「放課後」、「休日」、「地域」、「親」、「現在地」
『第二部 それぞれの体験格差』
 「ひとり親家庭の子ども」、「私が子どもだった頃」、「マイノリティの子ども」、「体験の少ない子ども時代の意味」
『第三部 体験格差に抗う(あらがう。闘う。(相手に)負けないぞ)』
 「社会で体験を支える」、「誰が体験を担うのか(になう。引き受ける。担当する)」

 分析する本です。
 調査のための資料を集めます。取材です。
 お金の話ですが、お金がないから体験ができないというつながりはないように感じます。
 わたしは、貧困なこども時代をおくりましたが、体験は豊富でした。
 むしろ、お金があまるほどある家庭のこどもさんのほうが、親が、こどもをかばって、しなくてもいい体験はさせないようにするから、体験不足になるような気がします。

 世の中にはいろんな人がいます。いい人がたくさんいますが、そうでない人もいます。きれいごとだけを教えると、こどもの心はへし折れます。まじめだけではやっていけません。社会のベースは(下地したじ)は、不合理・不条理・理不尽でできています。なんとか、心に折り合いをつけて、生活していきます。それが、現実です。
 『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』という本があります。職場の不祥事を内部告発した本人とその家族・親族がぼろぼろになっていく記事がありました。世の中は、正しいか、正しくないかという基準だけで回っているわけではないのです。
 まず大きな利益の固まりがあって、そこにたくさんの人たちが群がって利益を分けようとしているのです。利益の取得を阻む(はばむ)存在は干されるのが人間社会の厳しい現実なのです。

 オギャーと生まれてから、一戸建ての実家暮らしで、ずーっと実家暮らしで、大学も自宅からの通学で、勤め先も自宅からの通勤でとなると、かなり人生体験が不足します。
 衣食住の社会経験が薄くなります。アパートの借り方、電気・ガス・水道の契約のしかた、公共料金などの支払い方、洗濯機の使い方、おふろの洗い方、ごみの出し方、そういった雑多なことを知っているようで知らない人が多いのが実家暮らしをしている若い人の実情です。実家では、親や祖父母が生活に必要なことをやっているのです。
 会社勤めになって、出張するときに、電車の路線も乗り方もわからない。切符も買ったり手配したりしたことがない。車の運転免許証はもっているけれど、実際に社用車を運転することはこわいからできない。仕事場では、役に立たない人間だと判断されてしまいます。
 生活するにしても働くにしても、自分のことは自分でやる。人にやってもらうのではなくて、自分が主体的になって、計画を立てて実行するという意欲がいります。自立と自活です。がんばらないと、結婚も子育てもできません。人生体験が少ないと、いつもわたしはどうしたらいいのでしょうかと悩むことになります。

 批判を受けるかもしれませんが、わたしが働いていた時は、大卒新入社員のありようで頭が痛かった経験があります。
 どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかです。
 いつでもどこでも誰かが自分の面倒を、ただでみてくれると思っている。
 自分はどこにいっても、お客さん扱いをしてもらえると勘違いしている。
 思うに、これまで本来こども自身が自分で体験してやっておくべきことを、親や先生が代わりにやってしまっていたのではないかと推測してしまうのです。

 こちらの本に書いてあるのはこどもさんのことなので、年齢層が限られます。
 主に(おもに)十代の少年少女のことが書いてあるようです。
 人生は、成人式を迎えて、そこから先が長い。はるかに長い。
 こどもでいられる時間はそれほど長くはありません。

(2回目の本読み)
 サッカーをしたいけれど、(たぶん、習うお金がないから)サッカーができないというようなこどもさんがおられます。
 不思議です。老齢者からみれば、自分たちの世代は、野球がメインで、野球しかなかったような時代で、どこでも野球をやれた時代でした。お金もいらなかった。お金を払って野球をするとかサッカーをするとか、そういう発想がありません。
 同じく水泳も、身近な場所に海や川があって、小さいころから海や川で泳いでいました。習う必要もなかった。プールは学校や公民館付設のプールで無料でした。自己流で泳いでいました。
 水が深いところで、立ち泳ぎもできたし、中学生の時に、遠泳で2kmぐらいは泳げました。
 
 本の説明では、お金のあるなしが、体験のあるなしに関連していると考える。(そうかなあ。親やこどもの気持ちしだいで工夫はできます)

 『体験』を、『管理』しようとする意識が感じられるこちらの本の雰囲気です。

『第一部 体験格差の実態』
 「お金」「放課後」「休日」「地域」「親」というポイントで考察します。
 裕福なこどもは体験が豊富で、裕福でないこどもは体験が豊富ではない。(そうかなあ。いちがいにそうとはいえません。お金があっても、ボードゲーム体験やテレビゲームの体験だけが豊富なこどももいそうです)
 
 うーむ。これはこれと決めつけて対処方法を示すマニュアル本だろうか。

 ふと思う。
 大卒就職者と高卒就職者を比較してみる。
 世間では、高卒者よりも大卒者のほうが、生涯獲得所得が多いなどといいますが、本当にそうだろうか。
 大学生の学習期間はたいてい4年間です。
 高卒者は、その4年間働いて、大卒者よりも早く給料をもらいます。4年後大卒者が社会に出るころに、堅実な高卒者は、それなりの貯蓄を蓄えています。
 いっぽう大卒者は、4年間無職のようなものです。学費を支払う側の人間です。払った学費やひとり暮らしをした場合の住居費はばく大です。学費のために奨学金などの借金をする人もいます。大卒者は、就職した途端、給料をもらっても借金の返済から生活が始まります。
 お金のことだけを考えたら、たとえば工業高校卒で、倒産のおそれが少ない堅実な会社に入って技術者として定年退職までコツコツと働いて、退職金を受け取って、定年後は再雇用で同じ会社で働いて、その後は年金をしっかり受けとってというパターンのほうが、経済的には、人生の勝利者といえるような気がするのです。

 あと、思うのは、お金は働いて稼ぐのが基本ですが、本を読んでいるとどうも、よそからお金を支給すべきだというふうに読み取れます。
 お金がほしかったら、こどもだろうが働くべきです。お金が欲しかったらまず働くことが基本です。心身に危険がない範囲での労働体験は必要です。昔は、農家や漁業、職人仕事の家のこどもは家の手伝い名目で働いていました。

 学校外の体験がゼロのこどもが、全体の15%ぐらいいる。(放課後の体験、休日の体験、スポーツ系、文科系の習い事、地域の行事、お祭りなど)
 自然体験とありますが、半世紀以上前であれば、身近に自然がたくさんありました。当時あった原野は開発され、コンクリートとアスファルト、金属とガラスの世界ができて、次々と空間を占めていきました。
 野球遊びをできる空き地が姿を消しました。身近にある小公園には、野球はしないでくださいという看板が立っています。
 こどもだけの集団で遊ぶ姿を見かけなくなりました。
 昔は、親はこどもを放任して、子どもだけの縦型社会があって、小学生や幼児は、集団で固まって遊んでいました。缶けり、おにごっこ、かくれんぼ、お金がかかる遊びはありませんでした。そのなかで人付き合いを学びました。
 いまは、おとなやお金がからむ遊びばかりで、ゲームはお金がかかる孤独な遊びです。
 こどもが遊ぶ時は、民間事業者、地域のボランティア、学校のクラブ活動、自治体がらみです。こどもだけの自主的な世界が消えました。
 こどもの送迎や親同士の付き合いがたいへんとか、遊ぶ場所が近くにないなどあれこれ事情や理由があって、こどもは、そばにおとながいないと、こどもだけでは遊べないことが多くなりました。

 こちらの本は、お金がない家のこどもは体験ができないという考えで書いてあるように思いますが、違う切り口もあったのではないかと思いながら読んでいる40ページ付近です。

 世帯の年収を、『300万円未満』、『300万円以上599万円以下』、『600万円以上』と、3分類してあります。

 旅行と観光について書いてあります。
 世帯年収が多い家のこどもは、旅行や観光に行くことが世帯年収の少ない家と比較して多い。
 当然の状況だと思います。ほかのこともそうでしょう。
 ただ、個別だと違う状況がピックアップされてくる気がします。お金をかけない旅のしかたもあります。車中泊とか、在来線や長距離バスで移動するとか。ぶっそうですが、テントで野宿もあります。親の趣味嗜好にこどもが引っ張られるのでしょう

 中学のときに病気で亡くなったわたしの父には放浪癖があって、短期間で転職を繰り返しながら日本各地を転々と移動しました。ゆえにこどもであったわたしは、何回も転校を体験しました。引っ越し貧乏ですからお金はありませんでした。
 どうしてこんな家に生まれてきてしまったのだろうと思い悩んだこともありましたが、歳をとってみると、あの体験があったから、むずかしい社会で生き抜いてくることができたと、いまでは父親をうらむ気持ちはありません。今も生きていたら、文句は言いたいから言いますが、あわせて、ありがとうとも言うことができます。
 
 こちらの本を読んでいて、なにか期待していたものとは異なる記述が続きます。
 問題点の指摘が延々と続きます。解決策の提示はまだうしろのページでしょう。
 自力で稼ぐことが自活の基本です。
 もし、足りない金額分を国や政府、自治体に求めるのなら、どうかなあと首をかしげます。

 ピアノ、サッカー、水泳、登山、それらをやらねばちゃんとした社会人になれないということもありません。

『第二部 それぞれの体験格差』
 体験格差の調査で、2000人の保護者から回答を得たそうです。
 記述は、社会福祉の調査結果を読むようです。
 シングルマザーが多い。母子家庭で育ったこどもがおとなになって、また母子家庭になる。親子で離婚が連鎖しています。離婚した親は、こどもの離婚を止めることができません。離婚するなと説得できません。
 後半では、生活保護受給家庭の記録を読むようでした。
 事例が、並べてあるだけです。著者の考えは明記されていません。
 質問があって、相手からの答えがあります。答えは長い文章です。
 片親母子家庭、夫から暴力を受けていた家庭、読んでいると、問題点の起点は、『男』にあるのではないかと判断できます。男が原因なのに、男ではない女やこどもが苦労、苦悩している現実があります。
 家事をしない男も、家庭の平和と安定において、マイナス要因になっています。
 
 こどものそばにいつも親がいっしょにいなければならない時期は、こどもが乳幼児・小学校低学年ぐらいまででいいと思います。
 小学校4年生ぐらいになれば、友だちと4人ぐらいのグループで、小中学生は毎回無料の動植物園へ行くとか(名古屋の東山動植物園は中学生以下のこどもは無料です)、図書館に行くとか、お金がなくてもやりようがある気がします。

 親がどこかに連れて行くのではなく、こどもが自分でできることは、おとなの付き添いなしで、なるべく自分でやらせることが体験です。
 そうしないと、こどもが、あれもこれもできない、やれないと言い出します。パパ・ママ・先生やってということになります。

 本の中にある、『体験』とは、料金を払って活動に参加するスポーツや文科系の習い事です。
 学習塾に行かせたからといって、成績が上がるわけでもありません。わたしの経験だと、あれは(塾通い)何だったのだろうかと思ったことがあります。成績はさっぱりでした。塾が、こどもたちの社交場になっていたのです。スポーツも音楽も似たようなものです。
 お金を払えば、いたれりつくせりの対応が待っていたりもします。

 ディズニーランドに行けないことが不幸のように書いてあるのですが、うちは、ディズニーランド自体に興味がありません。こどもや孫たちも興味をもっていません。ディズニーランドを好きじゃないとだめだみたいな風潮があることが不思議です。

 こどもはいつまでもこどもではありません。
 こども時代は、過ぎてしまえばあっという間なのです。
 
『第三部 体験格差に抗う(あらがう)』
 著者からの提案部分です。
1 教育支援、寄付金を原資とした、『スタディクーポン』の提供について書いてあります。
2 実態調査をする重要性について書いてあります。
3 費用負担を行政に求めることが書いてあります。
4 マニュアル(手引き)のようです。スタッフの心得があります。こころえ:心構え、心がけ。
5 公共施設の維持活用について書いてあります。
 
 おわりにで、ご自身が、『体験格差の解消』に取り組むきっかけが書いてあります。
 学生時代に行ったボランティア活動がきっかけです。
 不登校、引きこもりの青年たちとの共同生活です。
 体験することで、困難を克服することができることを知ったそうです。

 まずは、親が考えることなのでしょう。
 お金があろうがなかろうが、こどもに適度な体験ができる環境を提供したほうがいい。
 体験というのは、日常生活における体験とか、祖父母や親戚、近隣の人たちとの交流をさすのかと思って本を読み始めましたが違っていました。お金を払っての習い事とか、旅行などの娯楽の体験でした。  

Posted by 熊太郎 at 07:09Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月11日

ぼくはうそをついた 西村すぐり

ぼくはうそをついた 作・西村すぐり 絵・中島花野(なかじまかの) ポプラ社

(1回目の本読み)
 とりあえず、ページを全部めくってみて、どんなことが書いてあるのかを把握します。はあく:(おおまかに)理解する。

 出てくる人たちです。時代設定は、2005年(平成17年)になっているようです。
 舞台は広島県広島市です。

ひいおじいさん:リョウタのひいおじいさんのこと。94歳で今年初めに亡くなったそうです。リョウタの祖父であるシゲルさんとそのひいおじいさんは一緒に暮らしていましたが、ひいおじいさんが亡くなったので、おじいさんは、リョウタの家族といっしょに暮らすようになったそうです。ちょっとややこしい。この物語は、おじいさんやおばあさんなどのお年寄りがいっぱいです。おじいさん・おばあさんに加えて、ひいおじいさん・ひいおばあさんが出てきます。

レイ:リョウタより1歳上の女子。ヘロウばぁ(レイのひいおばあさん)のひ孫娘。物語の途中で、長い髪を切って、ショートヘアに変えます。

シゲル少年:リョウタの祖父シゲルの少年時代でしょう。

カープ:プロ野球チームの広島カープでしょう。

ミノル:リョウタの祖父であるシゲルじいちゃんの3歳年上の兄。原爆に被爆したため13歳で亡くなったそうです。

タヅ(レイのひいおばあさん):90歳代の高齢女性。去年の夏、家を出ていなくなったことがある。認知症の徘徊(はいかい。さまよい歩き)があるのでしょう。今は在宅しているようです。(数日前にニュースで、認知症のために家を出たまま行方不明になって警察に届け出があった高齢者が日本国内で1万9000人ぐらいいるようなことをいっていました。そのうちの何割かはその後発見されているのでしょう)。
タヅは、アメリカへ渡った日本人移民のこどもとして生まれた。(アメリカというのは、アメリカ合衆国ではなく、移民先だった南米の国ということでしょう。ブラジルとかペルーとか)。貧しくて生活できず、一家で帰国したというように書いてあります。認知症のためか、自分で、『(自分は)12歳です。男の子をさがしとります(自分のこども)』と言ったそうです。

リョウタ:小学5年生の夏という設定です。広島市内を流れている太田川のむこうに住んでいた母方祖父シゲルじいちゃんが来て、家族四人の同居になった。両親がいる。ほかに家が二軒建っている。リョウタの家(普通車2台の駐車スペースあり。庭なし。父の普通車と母の軽自動車、シゲルじいちゃんの軽自動車、合計3台を2台分のスペースに無理やり停(と)めている)、隣に広い庭付きの古家(ふるや)がある。リョウタは、ジュニアバレーボール部員で、『大田川プルムス』というチームに所属している。夏休み中は、週に3回練習がある。話の始まりでは小学5年生だが、途中で6年生に進級する。

シゲルじいちゃん:リョウタの母方祖父とあります。

(伝説の)ヘロウばぁ:リョウタの一学年上の女子レイのひいおばあさん。認知症があるように見えます。原爆で子どもさんを亡くしているそうです。

 太田川をはさんで家が2軒ある。小学5年生のリョウタとリョウタの母方祖父であるシゲルじいちゃんが住んでいる一戸建てがある。
 
 広島原爆を扱った反戦ものの児童文学でしょう。
 原爆投下から時が流れて、世代が変わりました。
 以前の物語だったら、祖父母で良かった設定が、令和の今は、ひいおじいさん・ひいおばあさんの時代を設定しての話になりました。広島原爆の投下が1945年(昭和20年)ですから、あれから79年です。ただ、この物語の場合は、西暦2005年ころの設定になっています。平成17年ころです。当時だと、原爆投下は60年ぐらい前です。

 序章:いただきます
 第一章:ひいおじいさんのたからもの
 第二章:猫のタオルハンカチ
 第三章:レイのゆううつ
 第四章:シゲル少年四年生の夏
 第五章:わしらのカープ
 第六章:レイのゆううつ2
 第七章:ミノルがめざした場所
 第八章:たずねびと
 終章:タヅさんのぞうり
 あとがき
 以上の構成です。

 昔大きな戦争があった。第二次世界大戦。1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)9月2日。
 日独伊(日本、ドイツ、イタリア)と連合国が戦って、連合国が勝利した。
 
 広島市への原爆投下:1945年8月6日午前8時15分に投下された。人類史上初の核兵器による都市攻撃だった。
 56万人ぐらいが放射能に被爆した。投下された年に約14万人が亡くなった。
 当時の広島市の人口は約35万人だった。
 広島市には軍事施設があったので原爆投下の候補地に選ばれたという文章を以前読んだことがあります。

横川駅:原爆ドームの北方向にあるJRの駅(昔は国鉄の駅だった。日本国有鉄道)

あたらしい球場:昔あった広島市民球場でしょう。わたしは広島見物に行ったときに、野球場のスタンドからグランドを見たことがあります。そのときはもう新しいマツダスタジアムができていたような時期で、広島市民球場のグランドでは、中学生同士が試合をしていました。

あとがき:作者西村すぐりさんのおかあさんの戦争体験をもとにして、この児童文学をつくられたそうです。お名前から性別がわからなかったのですが、作者は女性です。

(2回目の本読み)
 (魚釣りをするときの)鑑札(かんさつ):リョウタと祖父のシゲルがアユ釣りをします。釣るための権利としてお金を支払うともらえる。漁業組合に払う。漁業組合が川や魚の管理をしている。環境維持のための費用を負担している。

 祖父と小学生5年生男児の孫とでおとり鮎を使った釣りをしています。祖父と孫のペアという、あまりそのような光景は見かけなくなりました。
 アユ釣りのやり方の講習本のようでもあります。
 
 河川敷で三角ベースの野球遊びをするこどもも見かけなくなりました。
 正式なチームに入って野球をするこどもばかりです。時代が変わりました。

 シゲルじいちゃんが持っている小さな箱:もともとは、シゲルじいちゃんの父親(シゲルのひいおじいさん)の遺言書が入っていた。ひいおじいさんは、一年前に亡くなった。一周忌の法要があった。今は、箱の中には、原爆で亡くなったシゲルじいちゃんの3歳年上の兄ミノルの遺品が入っている。さきっぽが折れた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)と、つくりかけの木の彫刻が入っている。兄は、学徒動員の勤労奉仕で家屋を倒す作業をしていて原爆の犠牲者になった。遺体は見つからなかったが、さきほどのミノルさんが使っていたナイフは見つかった。

 話の途中でときおり、遊びの、『だるまさんがころんだ』が出てきます。なにか意味があるのでしょう。伏線かも。(あとで感動を生むためのしかけ)(読み終えてとくに伏線らしきものはありませんでした)

 出てくる人の名前がカタカナ表記ばかりです。なにか配慮があるのでしょう。

 リョウタのひいおじいさんは、息子のミノルさん(シゲルさんの3歳年上の兄)を原爆で亡くした。遺体は見つからなかった。持っていた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)だけが見つかった。

カイト:レイのいとこでレイの家の隣の家に住んでいる。レイより1歳下ですから、リョウタと同じ学年でしょう。将来バイオリニストになりたい。

カイトの妹:生まれたばかりだそうです。

ミドリ先生:1945年(昭和20年)8月広島に原爆が投下された当時、17歳の女子で先生をしていた。戦争で教員不足となり、代用教員として働いていた。原爆投下後、袋を縫って、亡くなった人の遺品を入れる作業をした。袋には亡くなっていた人の情報を書いた。

ユキワリイチゲ:多年草。野山に自然に咲く。作者はこの花になにかこだわりがあるようです。

 なんというか、説明の文章が多いので、こどもさんにとっては、読みづらいかもしれません。人間関係も続き柄がややこしい。
 これから、原爆投下のことを知らない世代へと交代していく経過の中で、表現のしかたをシンプルにする手法に転換する術(すべ。やりかた)を発想していくことが必要でしょう。
 時系列的な表現のしかただと、今はひいおじいさんやひいおばあさんが体験したといえますが、ひいひいおじいさんやひいひいおばあさんとなると伝承のためのインパクト(強調点)が薄くなります。

 リョウタの祖父シゲルが小学四年生だったときの話が出ます。
 広島菜:漬物(つけもの)にできる野菜でしょう。
 シゲルからリョウタに、広島市に原子爆弾が投下されたときについての話があります。
 空襲警報発令です。
 わたしは、広島市は軍都だったから、原爆投下の目標地に選ばれたと聞いたことがあります。
 シゲル少年は当時、広島市内の爆心地から10kmぐらい離れた小学校の校庭にいたそうです。
 原爆投下後、救護活動に従事した。
 6年生は、8人で、ほとけさん(遺体)をのせた戸板(といた。引き戸に使う板)を運んだ。四年生は体がちいさいので、手伝わせてもらえなかった。

松根油(しょうこんゆ):松の根っこにある油。飛行機の燃料にするそうですが、ちょっと考えられません。無理でしょ。

 94ページまで読みましたが、いまだにタイトルの意味がわかりません。『ぼくはうそをついた』の意味です。主人公の小学6年生リョウタはまだうそをついていません。

 リョウタは、『原爆ドーム』を見学に行きます。ちなみにわたしは二度見学したことがあります。最初の時と二度目とは印象が異なりました。
 最初見たときは、次のような感想メモが残っています。
 『第一印象は、建物の色が思っていたものとずいぶん異なることでした。わたしは壁が濃厚な緑がかった暗い雰囲気の構築物を想像していましたが、実際は正反対で、淡いパステルカラーでした。話は脱線してしまうのですが、以前名古屋市東区の徳川美術館で、源氏物語絵巻の再製版を見たことがあるのですが、そのときも深い色の水彩画をイメージしていたのですが、パステル(クレパスのようなもの)で描いたような明るい色調でした。話を戻すと、この広島ドームを見学した前日に京都の同志社大学横の道を歩いていたのですが、同大学の建物と原爆ドームの建物のレンガ色が同一で、かつ両者ともに洋風建築でわたしにとってはいずれも不思議なことでした。ながめていて、原爆ドームについては、建築されたときにこの姿になることが運命づけられていたのではないかと神がかりのように思えました』
 次が、二度目の時の感想メモです。
 『夏の暑さで視野がぼやけてしまいました。4年前に来たときは秋でした。パステルカラーの明るい建物に感じましたが、今回は暗い雰囲気を感じました。季節や朝・昼・晩で印象が変わるのでしょう。(こちらの本に紹介がある平和公園にある折り鶴を上にかかげた少女像を見て)この像を長い間ながめていました。胸にぐっとくるものがありました』
 原爆ドーム:広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)

 物語の設定では2005年(平成17年)のことですから、プロ野球広島カープスの本拠地は、広島市民球場です。現在はマツダスタジアム広島(2009年竣工、供用開始)に変わっています。先日、九州博多へ行ったときに、新幹線の車窓から見えました。
 広島市民球場だったときのことが書いてあります。『たる募金』。たるの中に募金を入れてもらい球場のために使用する。広島カープは、ほかの球団のように、スポンサーとして、特定の企業をもたない市民球団としてスタートしています。

相生橋(あいおいばし):原爆投下のときの目標地点だった。原爆ドームとか昔の広島市民球場の近くにあります。

 物語は、平和公園内の説明が延々と続きます。
 建物疎開(たてものそかい):空襲が来る前に建物をあらかじめ壊して、火事が延焼しないようにしておく。

 この物語は、原爆の話と、超高齢者の認知症の話が並べてあるような印象です。

ミノル:リョウタの祖父シゲルの兄。

 平和公園あたりを中心において、広島市街地を背景に、超高齢者であるレイのひいおばあさんタヅ(別名ヘロゥばあさん)の記憶の中にある原爆投下時の世界が広がります。
 タヅは、原爆で亡くなった自分の息子の小学一年生タケタショウタ(リョウタの祖父シゲルの兄ミノルと同級生。シゲルも原爆で亡くなった)を探しているのです。(さがしている)

 149ページで、この本のタイトル、『ぼくはうそをついた』の意味がわかります。
 
 お盆の時期が近づいています。
 たまたまこの本を読み終える前日に、わたしたち夫婦は東京見物で、東京九段下(くだんした)の駅から出て、靖国神社(やすくにじんじゃ)へと歩いていました。
 靖国神社には、戦争で亡くなった人たちの霊(れい。魂たましい)が祀られています。(まつられています:尊敬し心をなぐさめ感謝する)。政治的にはいろいろ考えの対立もあるようですが、関係者遺族にとっては、心休まる場所でしょう。わたしたちが訪れたときは、全国各地から寄せられた個人名や組織名などが書かれた小型の黄色い提灯(ちょうちん)をたくさん取り付ける作業をされていました。戦没者の遺族会が関係しているのかもしれません。7月13日土曜日からなにか行事が開催されるようすでした。
 戦争とは違いますが、邦画、『異人たちとの夏』の内容も、ご先祖様を大切に思ういい映画だったことをふと思い出しました。亡くなった若き日のおとうさんおかあさんが、息子である片岡鶴太郎さんの目の前に現れて、おまえもなかなかたいへんだなあとなぐさめてくれるのです。しみじみしました。状況としては、異人たちとの夏ではなく、死人たちとの夏です。こわくはありません。だって、親子なんですもの。

 こちらの物語では、リョウタは、タケタショウタになり、レイは、ミノルになったのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:45Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年07月08日

優等生サバイバル ファン・ヨンミ

優等生サバイバル -青春を生き抜く13の法則- ファン・ヨンミ作 キム・イネ訳 評論社

 韓国の青春文学です。
 韓国は勉強の競争が厳しく激しいらしい。日本よりもきついと聞いたことがあります。
 韓国の若い人たちは勉強に追われている。
 本のカバーに、『テスト、課題、進路、SNS……』とあります。一日24時間では足りなさそうです。 体を壊したり、心が折れたりしなればいいのだけれどと心配になります。
 青春時代は、長い人生の中では短い期間です。人生は、社会人になってからがはるかに長い。
 青春時代にいられるは、一時的な期間です。やがて、その時期を抜けるべきときがきます。おとなになったら、やりたくないことでもやるべきことは、気持ちに折り合いをつけてやらねばなりません。そうしないと食べていけません。(生活ができません)。やりたくないことをやらないのはこどもです。
 さて、この本には、どんなことが書いてあるのだろうかと楽しみにしながら読み始めます。

 勉強、勉強ですが、まわりのおとなを見渡すと、あんがい読み書き計算が十分にできないまま働いている人はたくさんいます。英会話ができない人などは山ほどいます。大卒の人でも、文字は毎日手書きなりで書いていないと漢字も文章もかけなくなってしまいます。歳をとると、住所氏名を書くだけでも大変になります。漢字をたくさん書ける人は少ない。ましてや、文章を書くことはとてもハードルが高い。
 それでもみんな働いて稼いでいます。なにか、得意なことを生かして働くのです。
 わたしは、仕事は、才能と努力、そして、人間関係だと思っています。

 サバイバル:厳しい条件の世界で生き残ること。

パン・ジュノ:作中では、『ぼく』のこと。高校1年生で優等生。トゥソン高校に通っている。人当たりよく、ルックスもそこそこいい。シミン中学校卒業。『ぼく』が語りながらストーリーを進行します。両親と離れて叔父と暮らしている。両親は、父親が大腸がんの新薬治療のため夫婦で別の土地にいる。パン・ジュノは、ヴィラと呼ばれる低層集合住宅の201号室に住んでいる。リビングでゲームをする叔父さんがいる。ジュノと同級生男子のキム・ゴヌは、女子と付き合ったことはない。けっこうジュノのことを好きな女性は多いが、本人はそのことに気づいていないそうです。
パン・ジュノの父親は医者です。医療系ボランティアの仲間たちと病院をつくった。大金を稼ぐ医者ではない。無料診療、内戦地域での医療活動などをしていた。
父親は今、大腸がんのステージ3(ステージ4が最も重い)で闘病中だそうです。仕事はしていない。母親と父は、忠清道(チュンチョンド)というところでがんの治療に専念している。
パン・ジュノは、叔父と都市部(たぶんソウル)で暮らしている。パン・ジュノは、女子に対する片思いを力に変えて耐えてきたそうです。
パン・ジュノは、医師をめざしていたが、今は、歴史を学んで職業にしたいと思っている。
学校での教室は、校舎の3階にある。

チョ・ハリム:女子。高校生。可愛い。中学時代に芸能事務所の練習生になったことがある。演劇スクールを中途でやめている。なにか、問題がある女子らしい。アイドルになりそこねているのか。プロアナ(拒食をライフスタイルにしている。死ぬほどダイエットすること。チョ・ハリムは、死ぬ寸前までいって、医者に止められたようです)だそうです。なんのことかわかりません。
読んでいて、ルックス(見た目)だけがいい女子という印象があります。本人は自分のルックスがいいことに自信をもっていて、男からふられると激高します。
別の本の小説で読んだことがありますが、イケメンの男と付き合ったら、『なんか違う』という感覚が女子に生まれて女子が去ったというパターンがありました。自分が理想とした頭脳が、イケメンの脳みその中にありませんでした。

キム・ゴヌ:ジュノの同級生男子。マンション住まい。正読室のメンバーには選ばれなかった。

 サブタイトルが、『青春を生き抜く13の法則』ですから、13の法則が目次のように提示されています。
1 名前を呼ばれても慌てないこと(あわてないこと)
2 強風に備えること
3 曲者(くせもの)の登場に動揺しないこと。

 なんだか、NHK朝ドラ、『虎に翼』の週ごと毎週提示されるテーマのようです。

4 トッポキは食べて帰ること
 トッポキ:餅(もち)を使用した韓国料理。餅炒め(もちいため)。日本語では、トッポギと表記されることが多い。
5 どれもダメだった時は、ひと眠りすること
6 どうしてもダメな時は、思い切って白旗をあげること
7 敗北にもくじけないこと
8 目の前にあることを、「ただやる」ってこと
9 メニューが今ひとつの時はパスすること
10 元気のない友達には、おかゆを持っていくこと
11 思いを口に出すこと
12 大海原を想像すること
13 猫かと思った時は、もう一度見ること
(読み終えてみると、ピントこない項目が多い。韓国人と日本人の受け止め方の感覚が異なるのかもしれません)

 さて、どんな話だろうか。
 シチュエーション:場所、状況、立場、情勢
 正読室(「せいとくしつ」と読むのでしょう):図書室のことらしい。なにやら選ばれたメンバーが利用するような書き方がしてあります。(その後読み進んで違っていました。自習用の教室で、本作品の場合は、選抜された30名が使用できる。自習のために室内環境と設備が充実している部屋だそうです)
 パン・ジュノは、チョ・ハリムに誘われて、土曜日にどこかへ行くらしい(デート?)
 なお、正読室は、建物の3階にある。3年生用の正読室は図書室の隣にある。1・2年生用は、廊下の行き止まりにある。
 
 夜間自習:放課後学校に残って自習すること。

 恋愛において、『行動派』と『自然派』があるらしい。
 発情する男ふたりです。こういうときは、空振りになるパターンです。

(つづく)

 古色蒼然(こしょくそうぜん):長い年月がすぎて、ひどく古びて見えるようすのこと。
 スティーブ・ジョブズ:アメリカ合衆国の起業家。Appleの共同創業者のひとり。1955年-2011年。56歳で病死。
 バラク・オバマ:アメリカ合衆国第44代大統領。1961年生まれ。62歳。
 ヴィラ:戸建てタイプの宿泊施設。

 チャン・ジョン・ファン:家庭教師。テスト問題を予想する名人。
 
 ミン・ビョンソ:男子高校生。幼稚園と小学校が、ジュノと同じだった。学校では、2組。正読室の30人のメンバーに選ばれる能力をもっているが、そこは利用せずに、帰宅して家庭教師から学んでいる。
コア部(時事討論サークルの名称)に入部申請をした。母親とこどものころ、カナダに移住歴あり。主人公のパン・ジュノとは学習面ほかでのライバル関係となっている。模試では学年トップ、癒し系のイケメン、おしゃべりじょうず、性格良さそう。ボランティア活動は、総合病院でするつもり。医師になることが目標。
 パン・ジュノに、こどものころに誕生日のプレゼントであげた、『ティモン(ライオンキングに登場するミーアキャットの人形)』を返してくれと要求する。ちょっと頭がおかしい。知能は高度でも、思考に幼稚な面あり。
 成績は学年トップ。
 父親の不倫で、家庭は一度壊れて、現在は継母が家にいる。実母はカナダにいる。

 レベル・マックス:よくわかりませんが、ゲームで、最高地点というような意味のようです。

 オフ講:オンライン講座の逆。普通の面と向かってする講義ということか。
 ソシオ・パス:けんか、攻撃、怒りやすい。(おこりやすい)。無責任。
 
 25ページまで読んで、韓国の青春時代とは、学力競争のなかにあって、息が詰まるほど狭苦しい感じがします。

(つづく)
 
 水曜ステージ:音楽のリズムに合わせて生徒が五人踊っている。毎週水曜日の高校の昼休みに中央昇降口で、ミニステージを開催することがトゥソン高校の伝統だそうです。バンド部、ダンス部、器楽部などが演技を披露している。

 コア:時事討論サークルの名称。入部申請をして入部する。部員となる。大学進学率が高いメンバーである。選抜方式。クラス分けテストの成績表と読書感想文の評価で入部が決まる。課題図書は、『これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル(パン・ジュノが選んだ)』か、『すばらしい新世界 オルダス・ハクスリー』、『二重らせん ジェームス・D・ワトソン(キム・ゴヌが選んだ)』のいずれかの本から選ぶ。

 いまどきの高校生は、読書感想文は、ノートパソコンでつくるのか。
 原稿用紙に消しゴムをごしごしさせながら、鉛筆書きをしていた昔がなつかしい。
 なんでもかんでもデジタル化で、人間はこのさき幸せになれるのだろうか。デジタル事業推進で金銭的に豊かになるのは、デジタル産業のトップだけのような気がします。

 読んでいると、異様な世界が目の前に広がります。
 学力優先の空間です。
 成績で上下関係ができます。
 成績が上位の者が、下位の者を見下します。

 弘大(ホンデ):街の名称。若者に人気がある。
 ジュノは、チョ・ハリムとデートしますが、カップルとしての実感は湧かないままデートは終わりました。

 スムージー:野菜やくだものを組み合わせてつくるドリンク(飲み物)。

 コンセプト:概念。基本的な観点、考え方。

 コアの入部最終審査に、チョ・ハリムとキム・ゴヌのふたりは合格します。ふたりとも、シミン中学出身です。新入生の合格者は全員で9人です。活動は2週間に1回のペースです。
 
 レンギョウ:落葉低木広葉樹。黄色い花がたくさん咲く。
 物語の中で咲いています。季節は、春が近づくころです。

 ノ・ユビン:新入生女子。時事討論サークルである『コア』の部員。水曜ステージでダンスを踊っていた。警備員のおじさんの脚立(きゃたつ)を支えていた。どうも、この先、パン・ジュノは、このノ・ユビンが好きになるようです。学校での教室は校舎の2階にある。

(つづく)

 バリー:両親が飼っている犬の名前。父親は、抗がん剤治療をしている。

 パン・ジュノとチョ・ハリムの恋人関係が消滅します。
 チョ・ハリムの話を一方的に聞かされる関係に、パン・ジュノが切れました。(怒った(おこった))

(つづく)

 パク・ボナ先輩:『コア(時事討論サークル)』の会長。高校2年生女子(韓国名は性別がわかりにくいです)。予備校街にあるスタディカフェで、2週間に一度のコアの活動がある。パク・ボナのファミリーは、エリート一家で、父親は実業家、母親は弁護士、親戚には教授や国会議員もいる。勉強に厳しい。ソウル大学のロースクールに行くよう強制されている。ロースクール:大学院課程。法曹(ほうそう。裁判官、検察官、弁護士など)を養成する。この女性は、将来に向けて、わが道をいく人です。

 チョン・ホビン:サッカー選手。ユビンが、ファンクラブに入っている。背番号は29。

 ヒョウンジュン:中学2年生のころ学力がトップだった男子。

 サークルのグループチャット:複数人が参加するチャンネル内でのチャット(おしゃべり。文字を入力して会話をかわす。わたしは、そんなものはキライです。声を出すならまだしも、文字だけのやりとりはむなしい。ばかばかしい)。みんな、人工知能ロボットになろうとしているように見えます。

 “無気力な世代と嫌悪”
 昭和40年代に、若者について、『三無主義』という言葉があったことを思い出します。『無気力、無関心、無責任』です。時代が変わっても課題は同じですな。その後、三無主義に無感動も加わった記憶です。

 ポン・ジュノ:韓国の映画監督、脚本家。作品として、『パラサイト 半地下の家族』。1969年(昭和44年)生まれ。54歳。
 ピエール・ブルデュー:フランスの社会学者、哲学者。2002年(平成14年)71歳没。

 ポリコレ:ポリティカル・コネクトネス:不快感や不利益を与えないための中立的な表現。政治的正しさ。政治的妥当性。

 ヤマボウシ:落葉中香木。白い花が咲く。
 カシワ:落葉高木。
 ロウル:タヌキの昔の呼び方。(伏線になります)。見ると幸運が訪れるそうです。学年トップになれる。
 
 勉強することの話が延々と続きます。つまらない。

 ゴヌが、恋をしたいと訴える。今年のクリスマスは絶対に彼女と過ごすとアピールする。カノジョとかカレシとか、なんだか、所有物のようです。
 
 学年トップコレクター:89ページにこの単語がありますが、ちょっと意味をとれません。収集家ではない様子です。

(つづく)

 オ・セジュン:ゴヌのクラスメート。兄がいる。兄が、パク・ボナ先輩と同じクラスだった。

 Kリーグ:韓国のプロサッカーリーグ

 いろいろ考えて、パン・ジュノは、将来の目標について、医師から歴史学者のような仕事に進路変更をしたい。
 父母の日に、離れて住む両親に会って話をしたい。そして、両親といっしょに暮らしたい。両親がいる土地の高校へ転校したい。
 同じように、ノ・ユビンは、こちらは転校することが確定しています。1学期の8月までで終わり。実業系の高校に転校する。大学へは行く気はない。もともと実業系の高校にある観光学科へ行きたかったが父親が反対していた。ようやく父親を説得できたとのこと。旅行会社勤務を経て、自分の旅行会社をもちたい。大学へ行っても、将来の仕事のことを考えるといいことないと考えています。

 いっぽうゴヌは、パク・ボナ先輩と付き合いたい。パク・ボナ先輩が好きだそうです。いろいろあります。
 ゴヌはさしあたって、勉強をしたい。

 ブブゼラ:南アフリカの楽器。口で吹く。こちらの話では、サッカーの応援で使用する。プラスチック製。

 韓国の学期制:2学期制。1学期は3月スタート。入学式は3月にある。2学期は9月からスタートする。

 わたしが思うに、仕事というのは、才能と努力と人間関係です。
 自分の生まれ持った才能が、どの分野だったら発揮できるのかを考えてがんばれば、仕事は続くと思うのです。自分はこれしかできないから、これを仕事として続けていますという人は多い。

 学校というとても狭い世界の中でのことが詳しく書いてあります。とても狭い。

 転校についての不安などが書いてあります。
 わたしなんぞは、転校は何回も体験したし、仕事を始めてからも、人事異動による転勤は何度も体験しました。だから、読んでいて、転校はイヤですなどという雰囲気で書いてあると、そんなことは問題にはならない。イヤだなどと考える余地もないという気持ちになってしまうのです。
 人によって違うのかもしれませんが、わたしは変化することをなんとも思わない人間です。
 どこでどうなろうが、やるしかないのです。

 包菜(サンチュ):葉物野菜で焼き肉包んで食べる。

 競争に勝った人に、案外、いい人は少ない。むしろ、負けた人に、いい人が多い。

 民間のスタディルーム:レンタルできる自習室。

 このころの恋愛で(青春時代)、カレシとかカノジョというのは、『人間』ではなく、『商品』のようなものという感覚があります。装飾品のような、所有物であったりもする。
 そんなことより、まず、仕事に就(つ)かなければなりません。経済的な支えがなければ、恋愛の先にある結婚までとどりつけません。

(つづく)

 ペーパーテストの問題を解く能力と、実際に仕事をしてお金を稼ぐ能力は違います。
 そして、お金がなければ、生活していくのに困ります。
 韓国においては、学力重視に非常にかたよっている社会背景があって、個々の高校生たちの将来に対する希望とか夢があって、この小説は、韓国における教育現場の社会背景と学ぶこどもんもの将来への希望が一致していないことを題材にしてある物語です。

 いまどきの若い人は、SNSがないと生活できないのか。
 SNSの歴史はまだ浅く、2010年(平成22年)ぐらいから社会に浸透した記憶です。
 SNS世代はある意味、しんどい時代を生きているように見えます。
 SNSにのめりこむと、人としての創意工夫に満ちた空間が壊れていくではなかろうか。
 物語の中では、自分に対して従順でなかった異性の同級生に対して、ストレートではなく、暗喩(あんゆ。たとえ。この物語の場合、『鳩の目玉(をした女)』)を用いてねちねちと痛めつけるようなことをSNSに投稿をする学力優秀者が現れます。

 オギャーとこの世に生まれたとたん、お金や有価証券や不動産などがからだにくっついてくる富豪のところに生まれたあかちゃんがいます。生まれたとたん、一生働かなくて生活していけるのです。いっけん、うらやましいのですが、それは、不幸なことです。夢のない人生だからです。この物語の中では、そういうこどもはドラッグ(薬物)中毒になっていきます。お金があってもむなしいのです。

 『統制の所在』:すんなり意味をとれないのですが、学校の教師の対応を指しているのでしょう。学習について、やる気のない生徒を置き去りにするのです。成績が優秀ではない生徒は学校にとってはいらない存在なのです。

 主人公のパン・ジュノが、自己主張を始めました。
 正読室の利用をやめると宣言します。
 教師たちからは何の反応も返ってきません。やめたい奴はやめればいいのです。引き止めはありません。
 学力優秀な特定の生徒だけが人間扱いです。
 主人公は、『自分のことを自分で判断して、決定して、実行する。そして、ふりかえりをして、また前へ進む』という一連(いちれん)の行動ができるようになります。
 『……だれかが決めた基準で流されている限り、ぼくは永遠に不安の奴隷として生き続けるしかない……』
 
 正解自販機:登場人物のうちのだれかのこと。

 言葉の聞き間違いについて書いてある部分があります。
 韓国の言語であるハングルだから起きる意味のとりかた間違いなのだろうと推察しました。
 どちらにもとれる言葉があるということには、不安定さがつきまといます。
 書いてある内容はおもしろいけれど、ちょっと怖い(こわい)です。

 本アカ・サブアカ:SNSで、ひとりの人間がふたつのアカウントをもつ。アカウント:個人認証情報。IDとパスワードをもつ。本アカが主に利用するもの。サブアカが、補助的に利用するもの。

 シールド:守って保護してくれるもの。

 釜のふた:パン屋の店名。ベーカリー(パン・洋菓子販売店)

 自由の海:社会のことだと受け取りました。人生は、学校を出てからがはるかに長い。もうすぐこの本のラストですが、青春時代のこういったことは、何十年も先に思い出すものです。もう、とおーい過去になっています。そして、青春時代のあのときに約束したラブは、たいていかなっていないのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:31Comments(0)TrackBack(0)読書感想文