2020年08月22日

愛を読むひと 米・独合作洋画DVD

愛を読むひと 米・独合作洋画DVD 2008年公開

 タイトルは原作どおりの『朗読者』のほうが良かった。内容に合っています。
 文字の読み書きができない36歳の女性に15歳の少年が本を読んであげる話でした。
 女性の名前は、「ハンナ」でドイツ人です。第二次世界大戦のユダヤ人差別、虐殺の出来事がからんできます。ドイツ側の話が中心です。ユダヤ人収容所の看守として働いていたハンナが、終戦後に300人のユダヤ人の殺人行為で裁判にかけられるシーンが始まって、なかなか、厳しい内容になりそうだと感じました。

 まあ、エッチなシーンもありますが、主人公15歳のマイケル・バーグ少年には、かなり年上の女性であるハンナと体験をもったことで、だれにも言えない秘密ができてしまいました。そして彼は家族にうそをつきます。うそつきは、おとなの始まりです。

 ラテン語、ギリシャ語、ドイツ語、ヨーロッパですからいろいろな言語があります。
 読んだことのない本のタイトルがいくつも出てきました。
 ドイツの劇作家レッシングの「エミリア・ギャロティ(戯曲)」、古代ギリシャホメロスの長編抒情詩「オデュッセイア(旅の物語)」、「チャタレイ夫人」、「(タイトル不明)マンガ(あとで、タンタンの冒険と判明しました)」、アントン・チェーホフの「犬を連れた奥さん」不倫エロ話が多い。

 なかなか解釈がむずかしい映画です。
 ハンナは、文字の読み書きができないことを、人間としての「恥(はじ)」ととらえ、そのことをひた隠しに隠して、裁判で、嘘の証言をして無期懲役刑に処せられます。ある意味冤罪(えんざい。彼女一人に重い罪が押し付けられた)の判決が出されました。

 ハンナの虚偽証言は、それで良かったのだろうか。彼女は文字の読み書きができなかったから、ユダヤ人の虐殺が行われていた現実を知らなかったようにみえる映像です。別の選択肢の道があったけれど、だれも教えてくれなかった。

 服役囚であったハンナのその後の行動をみると、以前読んだ別の本や映画でのシーンを思い出します。長い間刑務所に入っていた服役囚が出所して体験したことです。『刑務所の外のほうが地獄だった』拘束されているとはいえ衣食住が保障されている刑務所暮らしです。刑務所の外に出れば収入源が見つかりません。
 
 市電の車掌をしていた女性が、ユダヤ人収容所の看守をしていたということにもびっくりしました。経験とか資格とか関係なかったようです。募集に応募して採用です。

 裁判は、法解釈の闘いで、事実の究明にはなっていませんでした。裁判はかけひきの場でしかありません。ハンナには、自分がした証言で自分がどうなるのかを考えるための知識がなかった。
 裁判制度の盲点があります。「正義の裁き」というものはなく、強い者が強い者のために判断を下すことを、「社会は法で動いている」と表現しています。

 しばらく考えたのは、なぜ、15歳のときにハンナに世話になったマイケル・バーグは、服役中のハンナに朗読テープを送り続けたのか。そして、なぜ、テープは送っても手紙は送らなかったのか。
 自分なりには、マイケル・バーグは自分自身の平和な日常生活を守るために一定のところで線引きをしていたのだろうかと思いました。マイケル・バーグには、離婚した妻と妻が引き取った娘がいて、娘とは現在交流があります。そして、ほかにも親族がいたことでしょう。

 マイケル・バーグは、21歳年上のハンナを愛していた。ハンナがマイケルの前から姿を消したからですが、その後、彼は結婚して、娘が生まれて、離婚して、娘は妻のほうへついていった。
 ハンナのことを思い続けながら結婚して別の女性と暮らしたから結婚生活に失敗した。マイケル・バーグにとっての理想の女性は、彼を「ぼうや」と呼んでくれた年上の女性ハンナだった。そういう恋愛感情もあると受け止めました。
 さらに深く考えると、最初は、愛というよりも、体優先のイレギュラーな恋愛から始まったから、その後、うまく愛を育めなかった(はぐくめなかった)ということもあります。
 対して、ハンナもマイケルに愛情を抱いていたと思いたい。自分の息子のよう年齢の異性ですが、恋愛に歳の差はないのでしょう。

 ハンナを演じた女優さんは、体当たりの熱演でした。マイケルに返事をするときに、声を出さずに、首をゆっくり振るだけで演じたシーンとか、マイケル・バーグを、「ぼうや」と呼ぶシーンが印象的でした。気丈な誇り高き女性像を演じていました。ゆえに自分が文字の読み書きができないということを知られたくなかったという自尊心があります。彼女は、自分の名前を書くこともできませんでした。

 あとは、ハンナが市電の仕事をしていたときにマイケルが市電の二両目に乗っていたことをものすごく怒ったのですが、意味がわかりませんでした。一両目にいたハンナが二両目にいたマイケルに「観察」されたことがいやだったのだろうかと思いました。

 ハンナに対して、文字の読み書きができない劣等感があるなら勉強すればいいのにと思っていたら、刑務所の中で勉強して、読み書きができるようになったので良かった。

 裁判中のハンナのひとことが良かった。ハンナが裁判官に向かって、「もし、あなただったらどうしましたか?」続けて、「(わたしの)仕事選びが間違っていたのでしょうか?」文字の読み書きができなくてもできる仕事がユダヤ人収容所の看守だった。その前にしていた市電の車掌のときは、上司に昇進を伝えられたけれど、昇進すると文字の読み書きが必要な事務をしなければならないので自ら退職の道を選んだ。

 ハンナにすべての責任を押し付けて、自分たちは助かろうとする元同僚女性看守たちの証言があります。ほかにも、裁く側にも、登場人物のひとりひとりみんなが、心の奥に「悪」をもっています。「悪」があぶりだされている映画です。

 刑務所の中にも図書館がありました。ほっとしました。
 あまり表面には出ませんが、半世紀ぐらい前は、日本でも文字の読み書きができない人はままいました。中学生の時に、駅やバスターミナルでとまどっているお年寄りがいたら、読み書きができない人かもしれないから声をかけてあげなさいと先生に教わりました。

 戦争の悲劇があります。「ユダヤ人収容所は、なにも生まれない場所」という収容されていた人の証言がありました。
 戦争のない地球を願っても無理とは思いたくない。