2020年08月19日

高円寺純情商店街 ねじめ正一

高円寺純情商店街 ねじめ正一(ねじめ・しょういち) 新潮文庫

 1989年(平成元年)直木賞受賞作だということはあとで知りました。
 東京都杉並区にあるJR中央本線高円寺駅前での視聴者インタビューTV番組を見たあと、手元にあった古い東京都の地図をながめていて、高円寺駅のそばに商店街があって、この小説があるということを知りました。
 本の最初には、商店街のお店の名称と並びが図で紹介されています。おそらく作者の実体験からつくられた短編群が6本あります。作者のお店は、江州屋乾物店(ごうしゅうやかんぶつてん)で、作者はまだ小学生です。
 読み終えてみて、そうか、こういう時代が確かにあったと思い出しました。ていねいに書かれた風俗記録日誌小説で、お見事なできあがりです。
 2020年時点でのグーグルマップを見たら、こまかな家屋の商店はなくなって、その代わりにビルが建っていました。昭和30年代であろう物語の中の小規模店舗が並んでいる商店街は、今はもうないようです。

「天狗熱」
 乾物屋の倅(せがれ)として生まれてきた正一少年の鰹節削り(かつおぶしけずり)づくりの紹介があります。小学四年から家の手伝いをしているそうですが、成長するにつれて、その作業に嫌気がさしてきます。今は中学一年生ぐらいです。
 お店の店主は祖父です。道具のひとつには、『江州屋 昭和廿四年十二月四日』(しょうわにじゅうよんねんじゅうにがつよっか)と記されています。
 職人でもあり、商人でもある職業です。名物『江州屋の削りがつを』です。
 細かく丁寧に、鰹(かつお)の加工の工程が書いてあります。
 商売屋の暮らしがていねいに描かれた作品です。

 正一の父親は俳句をやる道楽者のようで、家業の手伝いは力不足で、それでも、家族には気を使っています。
 商売敵に仕事をとられそうになって、江州屋はピンチを迎えましたが、なんとかしのぎきりました。
 正一の父親としては、自分の居心地の良い居場所がなくなることは望んでおらず、さしあたって、妻と母親に気を使います。『天狗熱(てんぐねつ)』は本当は、『デング熱』が正しいのですが、妻と母は間違って『天狗熱』と覚えています。父親は、その間違いを正してはいけないと息子の正一にアドバイスを送るのです。
 男(正一の父親)は、いろいろなバランスを上手に保つために、女(妻、母親)にうそをつくのです。

 デング熱:正一の父親が戦地で感染した。デングウィルスで感染する。数日間の発熱で治癒することが多い。熱帯地域の病気

「六月の蠅取紙(ろくがつのはえとりがみ)」
 なつかしい言葉がいくつか出てきます。昭和30年代の日本の日常風景です。月は六月で、正一君は中学一年生でしょう。そして、お隣で魚屋を営む魚政の娘さんが三歳年下ですから、小学小学四年生で十歳のケイ子ちゃんです。ちなみに、正一君は六月生まれだそうです。
 蠅取り紙:はえをつかまえるためのつるしたべとべとの紙
 ハイミス:物語では、35~36歳の設定になっています。婚期を過ぎた年齢ということでしたが、いまの世の中では、『ハイミス』は、死語になっているような感じがします。
 長袖(ながそで)のルパシカ:ロシアのシャツ。ゆったりしていて頭からかぶる。
 いたちの最後っ屁:いたちのさいごっぺ。最後の手段。「セミのションベン」も類似の意味でしょう。
 おたんこなす:人をののしる言葉

 乾物屋と魚屋の比較があります。夏と冬の過ごし方の違い、店内の色彩、色調の違い。そんな比較が、蠅取り紙につかまる蠅の数の比較から始まるこどもどうしの話です。
 
 六月生まれの正一君が産婦人科で産まれた話です。やはり、都会は違うなあという印象をもちました。昭和三十年代の田舎では、自宅出産、産婆さんにお願いが一般的でした。

 お話の構成は三段階の「序破急」で進んでいきます。
 父親はかっこつけです。だから、正一君が産婦人科で産まれたということもあります。されど、父親は、乾物屋、商売屋であることに劣等感ももっています。父親は、アーチストでいたかった。俳句をつくる俳人です。文化人になりたかった。
 変わった父親です。生まれてくる家を間違えた。それでも、父と息子は仲がいい。息子は父を誇りに思っている気配があります。息子もまた文化人をめざすのか。
 
 泣き笑いの生活があります。どうにもならないことのやり過ごし方、苦難を正面から受け止めない手法が表現されていました。

「もりちゃんのプレハブ」
 親戚のもりちゃん(五十嵐盛義理(いがらし・もりかず))22歳が、江州屋のプレハブ小屋で住み込み就労を始めたのですが、知的障害があるらしきグラマーな女子カズ江21歳にひきつけられて、結婚の申し込みをして受け入れられたのですが、カズ江は優しくしてくれる男にはだれでもついていく習性があることが判明します。結婚したいもりちゃんとそうはさせたくない親族一同の厳しい闘いが始まります。
 もりちゃんの口癖が、「女はカラダだ」です。そこに思春期を迎えた中学生正一少年の微妙な心理がからんできます。
 単純明快に言うと、「あんたが、結婚するといっている女は、ほかにも性体験をもっている男が複数いるんだぜ」という話です。それでもいいとなれば、結婚は両性の合意だからと結婚が成立することもあるのかもしれません。ただ、女性だけでなく、男性の側にも、判断能力がなさそうな気がします。戸籍の届を出さなくてもとりあえず同居してということも考えられますが、こどもができたら、こどもが不利な思いをします。
 なかなかむずかしい。物語は昭和三十年代ですから、周囲の親族は必死に結婚話をつぶしにかかります。
 商店街にすむメスの野良猫トラの観察話になります。年に二回、どこのオス猫の子かわからない子を産む。商店街の人間が生まれた子を捨てに行く。しかし、トラを殺して処分することはしない。「おとなになった猫は殺すもんじゃない」というおばあさんの言葉があります。
 たまたまこの日、洋画「愛を読む人」を観ました。15歳の少年が、文字の読み書きができない30代なかばの女性に恋をして肉体関係をもちます。最初は女性の体にひかれ、少年は彼女を自分の理想の女性と思い込みます。映画に出ていた女性ハンナとこの短編のカズ江が重なりました。恋は盲目です。

「にぼしと口紅」
 同じく昭和三十年代の商店街の風景を描いた漫画、日本映画で、『三丁目の夕日』の世界があるのですが、それと似ていて、そうではない表現があります。人間の微妙な心の動きです。道徳的ではありません。ねたんだり、うらやましがったり、いじわるしたくなる心理があります。
 乾物屋の隣が空家だったのですが、駅前の化粧品店が改装オープンするまでの間、仮店舗として利用することになりました。店員の女性たちに近所の男どもはメロメロになります。女性たちも化粧をして若返り喜びます。商店街が年末の好景気もあって華やかな雰囲気になります。
 人々は、仮店舗での営業が終わるころ、化粧品店はかなり儲けているということに気づきます。熱気が冷めていきます。しょせんは、お金なのです。
 化粧品店で、美容部員をしている店員さんのうち、一番若いのが美智代さん、その次がゆかりさん、三十歳を過ぎているらしいのが田所さん、そして、経営者の奥さんがいます。
 この本は、実際にあったことが下地になっているのだろうなあと推察しながら読んでいます。もう小説のモデルになった人たちはご存命ではないのかもしれません。
 ゆっくりていねいな文章が心地よい。
 正一君のおばあさんが髪を染めて、お化粧をして、とても若返ったシーンがよかった。さらに、着物もいいものに変えようかと、なんというか、生活に張りが出るほど、化粧の効果は抜群でした。心の健康に良い。
 男たちには表裏があって、化粧品店のことを悪く言いながらも、美容部員の前ではそのお色気に参ります。男は美人に弱い。

「富士山の汗」
 富士山は銭湯の浴室の壁に描かれた絵です。中学生である正一君の同級生女子宮地サンが銭湯の経営者の娘であり、番台に座っています。宮地サンの胸はふくらみかけています。
 記述を読みながらなつかしかった。昔は家にフロがなかったので、銭湯とか、親が働く会社が用意してくれた社宅のなかの共同浴場とかに長い間、何度も通いました。人と人の距離が近かった時代のお話です。
 今だと、レジャー目的が強いスーパー銭湯が代わりの入浴場所なのでしょうが、昔の銭湯は日常生活をおくるために必要な場所でした。
 文章は、「正一はフロがきらいだ」から始まります。おもしろい。
 板を踏んずけて入る五右衛門風呂もなつかしい。こどもだと、やけどしないかと、とても怖いです。小さいころ、一度だけ入ったことがあります。
 良かった部分として、女湯からの声として、「おとうさん、出るからね」
 正一君は、宮地サンに対して、「好き」とまでの感情はありませんが、年頃の女子なのに、男たちのぶらぶらするおちんちんを見なければならない家業なので、ほのかないたわりの感情があります。人の小さな心の動きを描写する文章を書くことがうまい作家さんです。

「真冬の金魚」
 乾物屋のお向かいにあるメガネ店が火事です。正一の父親が発見して消火活動で大騒ぎになります。
 昭和三十年代ながらの消火風景と人々の心もちがあります。消防隊には消してほしくないのです。水を勢いよくかけられてお店に並べてある商品をだめにしたくないのです。だから、バケツリレーでがんばります。
 商店といっても全部に人が住んでいるわけではなく、半分は通いだそうです。大変です。
 家業を継いだ元プロ野球南海のピッチャーだった現在水道屋の水谷さんという男性がいます。体重90キロです。消火活動で大活躍をします。
 
 用水桶にボウフラよけのために金魚が飼ってありました。用水桶から消火のための水をくんだときに、金魚たちはそのへんにばらまかれて、大部分の金魚が死んでいました。そのなかの生きている金魚を正一君とケイ子ちゃんが拾ってバケツに戻します。
 この部分をどう感じとれるかで、読み手の感情の豊かさが試されています。

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