2009年05月10日

秀吉の天下統一と高山右近の追放 ルイス・フロイス

秀吉の天下統一と高山右近の追放 ルイス・フロイス 中公文庫

 豊臣秀吉は、織田信長よりも強大な権力と財産を得たと記してあります。また、各種政策を実施して、国に大きな変化をもたらしたともあります。
 一介の農民から、天皇に次ぐ関白の地位に就けたのは、異例の出来事であり、武士の出身者ではないためか、親しい周囲の人たちに対してはざっくばらんで、身分の違いを感じさせない話し方、接し方をしていたともあります。
 それらの反面、老齢化してからは、権力の権化と化し、自分自身や一族を守るために敵対する相手に対しては、残虐な行為を繰り返したようです。権力を長期間維持していくためには「共存」が必要だと感じました。
 本のなかの舞台のひとつとして、大阪府堺市が紹介されています。先日の5月の連休に同市で一泊してきましたので、同市役所から撮影した写真を掲出してみます。

 港方向です。




 大阪市のビル群方向です。あいにく雨模様でしたので、はっきり写っていません。




 与謝野晶子文芸館を訪れました。右側のツインタワーの下層階だったと思います。
 与謝野晶子氏は、わたしにとってみれば、ひいおばあさんの世代に当たります。彼女の生誕地は、最初にある港方向の写真の中、背の高いまんなかのビルの左位置ぐらいでした。女性差別と闘い、女性の人権獲得を訴えた人、11人のこどもさんを育て上げた人、源氏物語の現代語訳を果たした人、与謝野馨経済財政担当大臣兼財務・金融担当大臣が孫に当たることなどを知りました。




 さて、本の内容に戻りますと、日本人がなぜキリスト教徒になりたがったのかの理由は語られていません。古来の神道、仏教に魅力がなかったのか、織田信長がキリスト教を勧めたからなのか、事実はわかりません。
 当時の日本人の暮らしぶりを知る記述としては、食生活で、犬、猿、猫、鼠(ねずみ)、狐などを食べていた。人身売買が行われていたとあります。
 キリスト教を保護していた秀吉はやがて心変わりをして、キリスト教関係者を排除しだします。この本の作者であるフロイスも瀬戸内海を逃亡します。本の結びでは、1587年12月15日小豆島にてと記されています。昨年12月にわたしは小豆島を訪れましたが、フロイスのことは今回この本を読んで小豆島で滞在していたことを初めて知りました。
 豊臣秀吉には、歴史上、表には出てこない彼に知恵を与えた人物がいたのではないかと推察しました。また、権力者というものは、残虐な人格を有するのが一般的と観察しました。それから、豊臣秀吉は策略・謀略を行う人という印象を得ました。虚偽が多い。「信長の棺(ひつぎ)」という本を今年の初めに読んだことを思い出しました。  

Posted by 熊太郎 at 16:26Comments(0)TrackBack(0)大阪

2009年05月06日

大阪府堺市の大仙陵(だいせんりょう)古墳(仁徳天皇陵)

大阪府堺市の大仙陵(だいせんりょう)古墳(仁徳天皇陵)

 名古屋駅から近鉄電車に乗り、奈良県の室生寺(むろうじ)、長谷寺(はせでら)、そして當麻寺(たいまでら)を見学したあと、さらに西へと向かい、南海電車に乗り換えて、大阪の堺で一泊してきました。
 社会科で教わった「仁徳天皇陵」がある街とは知らず、ただし今は「大仙陵古墳」と呼ぶとことを知りました。今読んでいる本は「秀吉の天下統一と高山右近の追放」ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳で、堺市が登場するので、同市を訪問したくなったのです。

 古墳の全貌を写真に入れることはむずかしく、まず、古墳の周囲半分ほどをお堀に沿って歩いたあと、博物館、茶室などを見学して、再び電車で「堺東」駅に戻り、最後に堺市役所21階の展望台から古墳を見下ろしました。ゴールデンウィークの休日であり、市役所はお休みだという先入観がありましたが、展望台部分は公開されており、ありがたかったです。展望台から見下ろした大仙陵古墳の写真です。





次の写真は、古墳の東北部にあった標識になります。





 紀伊半島を横断してきて、東海地区とは異なる関西人のおしゃべり好き文化に圧倒されました。電車の中では、夫婦でも親子でもよくしゃべる。券売機で切符を買っていると、隣の券売機で切符を買っているこどもたちが体をぶつけてくるぐらいに寄ってきたり、後ろでは、切符の買い方がわからないと嘆いている家族連れがいたりしました。にぎやかです。
 次の写真は、大仙古墳の正面になります。若葉がとても美しい。もう1600年前ぐらいから存在するわけですから、森の中には、1600年前から生息する動植物がいるような気がするのです。中に入ってみたいとも思いますし、どなたかに内部を調査・研究をしていただいて、その発表を聞きたいとも思うのです。





古墳南側の公園区域にあった博物館に立ち寄ってみました。
堺市は、刃物とか自転車が産業のようです。また、千利休(せんのりきゅう)さんとか与謝野晶子さんの生誕地でもあるそうです。このあと与謝野晶子文学館にも行ってみました。





博物館内の休息所から見えた外の風景です。塔は、あとで調べたら「堺市平和塔」という名称でした。





千利休の茶室にも立ち寄ってみました。
移築されたものなのか、もとからここにあるものなのかは知りません。









たしか「利休にたずねよ」というようなタイトルの本があったので、今度、読んでみるつもりです。
豊臣秀吉に死を強要されて亡くなっていますが、わたしには未知の世界です。  

Posted by 熊太郎 at 18:08Comments(0)TrackBack(0)大阪

2008年10月16日

海遊館

海遊館





 海遊館のあとで、大阪湾をめぐるサンタマリア号に乗車しました。USJの裏面を偶然見ることができました。







  

Posted by 熊太郎 at 18:28Comments(0)TrackBack(0)大阪

2008年08月27日

USJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)

USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)





 大阪での乗換え「西九条」では、環状線外回りと内回りホームの間にゆめ咲線の車両が入ってきて、列車の両方のドアが開いたので感心しました。西九条駅からユニバーサル・シティ駅の間は、工業地帯、埋立地という風景でした。
 ET,ジョーズ、ジュラシックパーク、ターミネーター、バックドラフト、バック・トウ・ザ・フューチャー、ウォーターワールドなどを楽しみました。
 平日は3時半ぐらいになると、お客さんがだいぶ減るようです。修学旅行生も減ります。そしてそれからの時間から多くなるのが車椅子の人たちです。USJは、身体障害者等の利用者に対するサービスに配慮がうかがえました。
 一番楽しかったのはパレードです。自分も仮装してパレードに出たい。  

Posted by 熊太郎 at 19:51Comments(0)TrackBack(0)大阪