秀吉の天下統一と高山右近の追放 ルイス・フロイス 中公文庫

 豊臣秀吉は、織田信長よりも強大な権力と財産を得たと記してあります。また、各種政策を実施して、国に大きな変化をもたらしたともあります。
 一介の農民から、天皇に次ぐ関白の地位に就けたのは、異例の出来事であり、武士の出身者ではないためか、親しい周囲の人たちに対してはざっくばらんで、身分の違いを感じさせない話し方、接し方をしていたともあります。
 それらの反面、老齢化してからは、権力の権化と化し、自分自身や一族を守るために敵対する相手に対しては、残虐な行為を繰り返したようです。権力を長期間維持していくためには「共存」が必要だと感じました。
 本のなかの舞台のひとつとして、大阪府堺市が紹介されています。先日の5月の連休に同市で一泊してきましたので、同市役所から撮影した写真を掲出してみます。

港方向です。




大阪市のビル群方向です。あいにく雨模様でしたので、はっきり写っていません。




与謝野晶子文芸館を訪れました。右側のツインタワーの下層階だったと思います。
与謝野晶子氏は、わたしにとってみれば、ひいおばあさんの世代に当たります。彼女の生誕地は、最初にある港方向の写真の中、背の高いまんなかのビルの左位置ぐらいでした。女性差別と闘い、女性の人権獲得を訴えた人、11人のこどもさんを育て上げた人、源氏物語の現代語訳を果たした人、与謝野馨経済財政担当大臣兼財務・金融担当大臣が孫に当たることなどを知りました。




さて、本の内容に戻りますと、日本人がなぜキリスト教徒になりたがったのかの理由は語られていません。古来の神道、仏教に魅力がなかったのか、織田信長がキリスト教を勧めたからなのか、事実はわかりません。
当時の日本人の暮らしぶりを知る記述としては、食生活で、犬、猿、猫、鼠(ねずみ)、狐などを食べていた。人身売買が行われていたとあります。
キリスト教を保護していた秀吉はやがて心変わりをして、キリスト教関係者を排除しだします。この本の作者であるフロイスも瀬戸内海を逃亡します。本の結びでは、1587年12月15日小豆島にてと記されています。昨年12月にわたしは小豆島を訪れましたが、フロイスのことは今回この本を読んで小豆島で滞在していたことを初めて知りました。
豊臣秀吉には、歴史上、表には出てこない彼に知恵を与えた人物がいたのではないかと推察しました。また、権力者というものは、残虐な人格を有するのが一般的と観察しました。それから、豊臣秀吉は策略・謀略を行う人という印象を得ました。虚偽が多い。「信長の棺(ひつぎ)」という本を今年の初めに読んだことを思い出しました。  

Posted by 熊太郎 at 16:26Comments(0)TrackBack(0)大阪
大阪府堺市の大仙陵(だいせんりょう)古墳(仁徳天皇陵)

 名古屋駅から近鉄電車に乗り、奈良県の室生寺(むろうじ)、長谷寺(はせでら)、そして當麻寺(たいまでら)を見学したあと、さらに西へと向かい、南海電車に乗り換えて、大阪の堺で一泊してきました。
 小学生のときに社会科で教わった「仁徳天皇陵」がある街とは知らず、同行の妻に、今は「大仙陵古墳」と呼ぶと教えてもらいました。今読んでいる本は「秀吉の天下統一と高山右近の追放」ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳で、堺市が登場するので、同市を訪問したくなったのです。

 古墳の全貌を写真に入れることはむずかしく、まず、古墳の周囲半分ほどをお堀に沿って歩いたあと、博物館、茶室などを見学して、再び電車で「堺東」駅に戻り、最後に堺市役所21階の展望台から古墳を見下ろしました。ゴールデンウィークの休日であり、市役所はお休みだという先入観がありましたが、展望台部分は公開されており、ありがたかったです。展望台から見下ろした大仙陵古墳の写真です。





次の写真は、古墳の東北部にあった標識になります。





お堀に沿って延びる散策路を歩きました。家並みの風景をながめながら、昭和40年頃から昭和53年頃の街の光景に戻ったような感覚に陥りました。木造二階建ての古いアパートが今なお残っており、自分自身がそんなアパート暮らしをしていた小学校2年生の頃、アパートの2階からスーパーボールなる、よくはずむボールを落として遊んでいたことを思い出しました。
 紀伊半島を横断してきて、東海地区とは異なる関西人のおしゃべり好き文化に圧倒されました。電車の中では、夫婦でも親子でもよくしゃべる。券売機で切符を買っていると、隣の券売機で切符を買っているこどもたちが体をぶつけてくるぐらいに寄ってきたり、後ろでは、切符の買い方がわからないと嘆いている家族連れがいたりしました。にぎやかです。愛知県の人は、生粋の土地の人を除いて、それほどしゃべりません。思っていることの6割ぐらいしか口にしません。関西の人たちのやりとりは、さばさばとしていて、気持ちがいい。

 次の写真は、大仙古墳の正面になります。若葉がとても美しい。もう1600年前ぐらいから存在するわけですから、森の中には、1600年前から生息する動植物がいるような気がするのです。中に入ってみたいとも思いますし、どなたかに内部を調査・研究をしていただいて、その発表を聞きたいとも思うのです。





古墳南側の公園区域にあった博物館に立ち寄ってみました。
堺市は、刃物とか自転車が産業のようです。また、千利休(せんのりきゅう)さんとか与謝野晶子さんの生誕地でもあるそうです。このあと与謝野晶子文学館にも行ってみました。





博物館内の休息所から見えた外の風景です。塔は、あとで調べたら「堺市平和塔」という名称でした。





千利休の茶室にも立ち寄ってみました。
移築されたものなのか、もとからここにあるものなのかは知りません。









たしか「利休にたずねよ」というようなタイトルの本があったので、今度、読んでみるつもりです。
豊臣秀吉に死を強要されて亡くなっていますが、わたしには未知の世界です。  

Posted by 熊太郎 at 18:08Comments(0)TrackBack(0)大阪

2008年10月16日

海遊館

海遊館





 1回目は接待がらみの仕事で行きました。観光バスから下車されたお客さんたちを最上階まで案内した後、自分は駆け下りて外へ出て、みなさんが出てくるまで待っていました。
 2回目はまだ小学生だった息子とふたりで、事前にインターネットで見学案内を予約して見に行きました。3回目は妻と息子の3人で行きました。大水槽の上で、ジンベイザメにオキアミを与えるというような説明を聞きました。すべての説明を聞いていったん出場した後、再び入場してゆっくり見直しました。時間の経過で、生き物たちの位置や様子が変わることを知りました。
 そのあとで、大阪湾をめぐるサンタマリア号に乗車しました。USJの裏面を偶然見ることができました。







  

Posted by 熊太郎 at 18:28Comments(0)TrackBack(0)大阪
USJ(ユニバーサルスタジオジャパン)





 以前、土日出勤、平日が週休日の仕事をしていたことがあります。休みの平日は、妻は仕事、こどもは学校でいなくて、だけど、どうしても行きたくて、しかたなく熊おじさんのひとり旅でUSJ(ユニバーサルスタジオ・ジャパン)に行ったことがあります。
 大阪での乗換え「西九条」では、環状線外回りと内回りホームの間にゆめ咲線の車両が入ってきて、列車の両方のドアが開いたので感心しました。西九条駅からユニバーサル・シティ駅の間は、工業地帯、埋立地という風景でした。
 ET,ジョーズ、ジュラシックパーク、ターミネーター、バックドラフト、バック・トウ・ザ・フューチャー、ウォーターワールドなどを楽しみました。
 熊おじさんひとりで場違いだったのですが、修学旅行生に混じりながら乗りものにも乗りました。熊おじさんはこどもではないので、場内で楽しみながら考えていたことは経営についてでした。経費がどれくらいかかるのか、従業員は何人ぐらいいるのか、自分の仕事に生かせるようなヒントはないだろうかとかです。
 平日は3時半ぐらいになると、お客さんがだいぶ減るようです。修学旅行生も減ります。そしてそれからの時間から多くなるのが車椅子の人たちです。USJは、身体障害者等の利用者に対するサービスに配慮がうかがえました。
 一番楽しかったのはパレードです。自分も仮装してパレードに出たい。こんな興行の仕事をしてみたい! 血液が沸騰するようでした。
 その1週間後、同情してくれた妻子が仕事も学校も休んでつきあってくれて、家族でまたUSJへ行きました。先週と同じ顔ぶれが、同じ動作でパレードの行進をしているのを見て、仕事というものは、単調な作業の繰り返しで楽なものではないと、しみじみしたのでした。  

Posted by 熊太郎 at 19:51Comments(0)TrackBack(0)大阪
過去記事