2024年10月24日
福岡県 博多駅近くにある住吉神社
福岡県 博多駅近くにある住吉神社
9月下旬の日曜日のお話です。月日が流れるのは早いものです。
愛知県ヘ帰るための新幹線の発車時刻に余裕があったので、博多駅近くにある住吉神社を駅から歩いて見に行きました。
ちょうど、境内(けいだい)では専門学校グループのイベントが開催されていて、お天気も良く、たいへんなにぎわいでした。女子学生さんたちがコスプレなんかして、参拝者や観光客相手にクイズなどを出されていました。
住吉神社は、これまでに見学した天神の警固神社(けごじんじゃ)や水鏡八幡宮(すいきょうはちまんぐう)と同様に都市型神社で、ビルに囲まれるような敷地に建っていました。
人が多かったので、ここに載せる写真は人さまが写っていないもので、少しだけにしておきます。
(博多と福岡の違いについて)
『博多』は商人の町、『福岡』は武士の町と、昔習った覚えがあります。
同じ福岡市内ですが、区域が分かれています。
那珂川(なかがわ)の東側が、『博多』で、西側が、『福岡』です。
もともとの名称は、『博多』で、福岡藩(俗称黒田藩)のときに、『福岡』が誕生しているそうです。
写真の力士が、なんとなく、『大の里関(おおのさとぜき)』や『尊富士関(たけるふじぜき)』に見えます。
来月11月、ここ福岡市内で開催される九州場所では、大の里関にとっては、大関昇進後初めての場所として、力を発揮する場所になります。
尊富士関もかなり強い力士です。
ふたりとも、がんばれーーー
いつの日にか、ふたりとも横綱になってほしい。
なお、相撲は神事(しんじ)なので、神社と関係があります。
9月下旬の日曜日のお話です。月日が流れるのは早いものです。
愛知県ヘ帰るための新幹線の発車時刻に余裕があったので、博多駅近くにある住吉神社を駅から歩いて見に行きました。
ちょうど、境内(けいだい)では専門学校グループのイベントが開催されていて、お天気も良く、たいへんなにぎわいでした。女子学生さんたちがコスプレなんかして、参拝者や観光客相手にクイズなどを出されていました。
住吉神社は、これまでに見学した天神の警固神社(けごじんじゃ)や水鏡八幡宮(すいきょうはちまんぐう)と同様に都市型神社で、ビルに囲まれるような敷地に建っていました。
人が多かったので、ここに載せる写真は人さまが写っていないもので、少しだけにしておきます。
(博多と福岡の違いについて)
『博多』は商人の町、『福岡』は武士の町と、昔習った覚えがあります。
同じ福岡市内ですが、区域が分かれています。
那珂川(なかがわ)の東側が、『博多』で、西側が、『福岡』です。
もともとの名称は、『博多』で、福岡藩(俗称黒田藩)のときに、『福岡』が誕生しているそうです。
写真の力士が、なんとなく、『大の里関(おおのさとぜき)』や『尊富士関(たけるふじぜき)』に見えます。
来月11月、ここ福岡市内で開催される九州場所では、大の里関にとっては、大関昇進後初めての場所として、力を発揮する場所になります。
尊富士関もかなり強い力士です。
ふたりとも、がんばれーーー
いつの日にか、ふたりとも横綱になってほしい。
なお、相撲は神事(しんじ)なので、神社と関係があります。
2024年10月15日
福岡県 田川市の石炭・歴史博物館、そして、飯塚市のこと。
福岡県 田川市の石炭・歴史博物館、そして、飯塚市のこと。
高齢で施設に入所している親族に面会したあと、祖父母のお墓参りに行って、そのあと時間があったので、事前に、近くで観光地はないかと探して見つけた田川市内にある石炭・歴史博物館を訪れました。移動手段は車です。
福岡県の筑豊地区(ちくほうちく)は、江戸時代から昭和時代(1965年代ぐらい、昭和40年代ぐらいまで)にかけて、炭鉱で栄えた地域です。
それ以前の歴史は古く、縄文時代とか弥生時代の古墳とか遺跡、土器や石器などがたくさん発見されています。また、大和朝廷の時代から大宰府を中心にして国家として治められていた地域だと思います。卑弥呼(ひみこ)がいた239年ころ(卑弥呼が魏に使者を派遣した)にも、この地域で人間が活動していたと思います。
筑豊地区を舞台にした小説作品としては、五木寛之さんの、『青春の門』があって、映画化もされています。自分は高校生のときに映画館で、『青春の門』を観ました。その前に小説も読んでいました。
映画では、大竹しのぶさんがまだデビューしたばかりのころで、大竹しのぶさんの清純さと、新鮮さに、こんなに素敵な女優さんがいるのかと、とても驚いた記憶が残っています。
映画、『青春の門』での大竹しのぶさんの最初のシーンは、たしか、田川市内にある中元寺川(ちゅうげんじがわ)の川沿いのまだ舗装されていない道を走っているシーンでした。まあ、もう半世紀ぐらい前の記憶なので、本当にそうだったのかは自信がありませんが…… なにせ、清新(せいしん。きよらかで新しい。さわやか)な人が現れたという衝撃を受けました。
話は変わりますが、昔、太川陽介さんとえびす・よしかずさんの路線バス乗り継ぎの旅で、福岡県内を移動していたときに、太川陽介さんが、自分の名前と同じ読み方をする市があると言って、こちらの田川市のことをお話しされていました。
筑豊地区出身で、全国区で有名な政治家や芸能人の方がたくさんおられます。
麻生太郎元総理、劇作家・演出家つかこうへいさん、お笑い芸人のバカリズムさん、小峠英二さん、俳優の瀬戸康史さん、将棋棋士加藤一二三さん、シンガーソングライターの井上陽水さん、IKKOさん、大相撲の力士魁皇(かいおう)関(ぜき。関取せきとり)、山田パンダさん(フォークグループ元かぐや姫のメンバー)、演歌歌手の仁支川峰子さん(旧芸名:西川峰子さん)、ほかにもわたしが知らない方がいろいろおられると思います。
それだけこの地域にエネルギーがある証拠だと思っています。
田川市の石炭・歴史博物館には、炭鉱記録画家の山本作兵衛さんの展示がありました。たしか、以前見学した飯塚市歴史資料館にもありました。
もうとうの昔に老齢で亡くなりましたが、高校の担任の先生が、山本作兵衛さんのことを教室で話しをされていました。
今こうして、ノートパソコンを打っているわたしの左前にある本棚には、『炭鉱に生きる(ヤマにいきる) 地の底の人生記録 山本作兵衛 新装版 講談社』という本が立ててあります。おもに、明治・大正時代の炭鉱の記録です。独学で絵を勉強して描かれています。克明な記録です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の『世界記憶遺産』に指定されています。たいしたものです。
次の写真の左側の建物が、田川市にある、『石炭・歴史博物館』です。右側の建物は、医療関係の建物でした。駐車場から写真を撮りました。
おもしろい自動販売機があったので、写真を撮りました。
炭坑節の歌詞が書いてあります。
蒸気機関車です。
わたしがこどものころは、まだ実際に走っていました。走っている姿を毎日のように目にしていました。昭和40年代のころです。(1965年代)
次の写真の赤い鉄骨の構築物は、『竪坑(たてこう)』です。
炭鉱労働者である人間や資材を、エレベーターのように、地中深くへと運ぶための構築物でした。こどものころ、じっさいに稼働(かどう)している竪坑(たてこう)を見たことがあります。鉄骨の構築物の真下に、縦穴が深く掘られているのです。
(この文章を仕上げた数日後のこと)
日曜日の夜に、いつものように、テレビ東京の番組、『家、ついて行っていいですか?』を見始めたら、いきなり、こちらの『田川市石炭・歴史博物館』の映像が流れだしたのでびっくりしました。炭坑節の踊りのお祭りイベントが行われている映像でした。
つい2週間ぐらい前に、次の写真にある長屋の前で、夫婦で立って記念写真をとった場所です。 テレビ映像を見ながら、夫婦でおおいに盛り上がりました。本当にびっくりしました。
炭坑節の中に出てくる、『あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ さのよいよい』の煙突は、この煙突ではなかろうか。次の写真です。
次の写真の山は、香春岳(かわらだけ)なのですが、長い歳月を経て、山頂部分がぺったんこになってしまいました。
セメントの材料を切り出した結果です。半世紀ぐらい前は、山ですから、三角のような形状のふつうの山の形でした。
映画、『青春の門』でも映像が出ていました。
次の写真は、炭鉱で働く男女のブロンズ像です。
明治、大正の時代から、女性は、男性と同じように坑内(こうない。地の底のトンネル部分)で働いていました。過酷な肉体労働です。坑内で出産してしまうこともあったと聞いたことがあります。
山本作兵衛さんの絵には、背中にあかちゃんをおんぶした10歳ぐらいの男の子が(あかちゃんの兄)が、坑内を歩いているものがあります。
博物館の建物の中には、昔の坑道の中での作業を再現した模型などが展示されていました。
以前、栃木県にある足尾銅山(あしおどうざん)の観光施設を見学したことがあるのですが、似たようなつくりの展示でした。
あれこれ見学して思ったのは、明治時代、大正時代の人たちは、ものすごく知恵のある高い能力をもっていたということです。
なにもないところに必要なものをつくりだす。道具も今ほどそろっていません。考え抜いて、工夫して(くふうして)、時間をかけて、しっかりした建築物、構築物、機械、道具をこさえられています。(製造されています)。たいしたものです。
次からの写真は、田川市のお隣にある飯塚市の風景です。
わたしは、中学・高校6年間のうちの5年間ぐらいをこのあたりで過ごした体験がありますが、正面に見える3つのボタ山は、(石炭を掘ったあとの残土の山)、当時は、色は真っ黒で、形は鋭い三角錐(さんかくすい)でした。半世紀ぐらいがたって、びっくりするぐらい木が生えて、ふつうの山みたいになってしまいました。
次の写真は、飯塚市の繁華街の近くにある、『嚢祖八幡宮(のうそはちまんぐう)』です。
たしか、映画、『青春の門』に映像があったような気がするのですが、記憶に自信がありません。
この日は、(さきほどの田川市石炭・歴史博物館を訪れた日とは異なります)、このあと、アーケードの商店街(長崎街道沿いの)本町商店街、東町商店街、嘉穂劇場(かほげきじょう)、そのあと橋を渡って、ゆめタウン(ショッピングセンター)から飯塚駅まで歩きましたが、シャッターがおりた店舗が多く、半世紀前のにぎわいを知るものとしては、それなりのショックを受けました。
次の写真は、嘉穂劇場(かほげきじょう)というところで、休館中です。中には入れないように門が閉められていました。
以前、建物内を見学したことがあります。けっこう有名な人たちが舞台を踏んでおられます。
2015年(平成27年)10月に夫婦で見学した記録が残っていました。映画、『男はつらいよ』のロケ地にもなっていました。1986年(昭和61年)公開、第37作、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』、出演者とマドンナは、長渕剛さんと志穂美悦子さんでした。
わたしは中学生の時、お正月に祖父に連れられて、嘉穂劇場でチャンバラ演劇を観ました。長い時が流れて、孫だったわたしは祖父になりました。今年の夏は、孫を連れて、名古屋伏見にある、『御園座(みそのざ)』へ、ピーターパンの劇を観に行きました。なんというか、親や祖父母というものは、自分がやってもらったように、自分の子や孫にやってあげるものなのです。そういうことがわかる年齢になりました。
筑豊地区のいいところは、山の形が美しいことです。
高い山ではありませんが、地域全体が山々に囲まれています。
山の頂上をつなぐ稜線(りょうせん)がきれいです。
春夏秋冬、四季が変わるごとに、山の色も変化していきます。
朝方などは、靄(もや)がかかって、風情があります。(ふぜい)
この地に住む若い人たちは、胸にいっぱいの夢をかかえて、福岡市経由、あるいは大阪市経由などで、東京を目指していくのです。まあ、直接、東京へはばたく人もいるのでしょうが。
今は、交通の便が昔と比べて格段に便利になりましたので、昔ほどの距離感や、惜別のつらい気持ちは小さくなりました。
どこかのお店にあったチラシ置き場で、『第10回筑前の國(ちくぜんのくに) いいづか街道まつり』のチラシを手にしました。
お祭りの開催日である10月27日(日)は、衆議院選挙の投票日です。重なってしまいましたが、投票に行くのには、期日前投票もあるのでだいじょうぶでしょう。
高齢で施設に入所している親族に面会したあと、祖父母のお墓参りに行って、そのあと時間があったので、事前に、近くで観光地はないかと探して見つけた田川市内にある石炭・歴史博物館を訪れました。移動手段は車です。
福岡県の筑豊地区(ちくほうちく)は、江戸時代から昭和時代(1965年代ぐらい、昭和40年代ぐらいまで)にかけて、炭鉱で栄えた地域です。
それ以前の歴史は古く、縄文時代とか弥生時代の古墳とか遺跡、土器や石器などがたくさん発見されています。また、大和朝廷の時代から大宰府を中心にして国家として治められていた地域だと思います。卑弥呼(ひみこ)がいた239年ころ(卑弥呼が魏に使者を派遣した)にも、この地域で人間が活動していたと思います。
筑豊地区を舞台にした小説作品としては、五木寛之さんの、『青春の門』があって、映画化もされています。自分は高校生のときに映画館で、『青春の門』を観ました。その前に小説も読んでいました。
映画では、大竹しのぶさんがまだデビューしたばかりのころで、大竹しのぶさんの清純さと、新鮮さに、こんなに素敵な女優さんがいるのかと、とても驚いた記憶が残っています。
映画、『青春の門』での大竹しのぶさんの最初のシーンは、たしか、田川市内にある中元寺川(ちゅうげんじがわ)の川沿いのまだ舗装されていない道を走っているシーンでした。まあ、もう半世紀ぐらい前の記憶なので、本当にそうだったのかは自信がありませんが…… なにせ、清新(せいしん。きよらかで新しい。さわやか)な人が現れたという衝撃を受けました。
話は変わりますが、昔、太川陽介さんとえびす・よしかずさんの路線バス乗り継ぎの旅で、福岡県内を移動していたときに、太川陽介さんが、自分の名前と同じ読み方をする市があると言って、こちらの田川市のことをお話しされていました。
筑豊地区出身で、全国区で有名な政治家や芸能人の方がたくさんおられます。
麻生太郎元総理、劇作家・演出家つかこうへいさん、お笑い芸人のバカリズムさん、小峠英二さん、俳優の瀬戸康史さん、将棋棋士加藤一二三さん、シンガーソングライターの井上陽水さん、IKKOさん、大相撲の力士魁皇(かいおう)関(ぜき。関取せきとり)、山田パンダさん(フォークグループ元かぐや姫のメンバー)、演歌歌手の仁支川峰子さん(旧芸名:西川峰子さん)、ほかにもわたしが知らない方がいろいろおられると思います。
それだけこの地域にエネルギーがある証拠だと思っています。
田川市の石炭・歴史博物館には、炭鉱記録画家の山本作兵衛さんの展示がありました。たしか、以前見学した飯塚市歴史資料館にもありました。
もうとうの昔に老齢で亡くなりましたが、高校の担任の先生が、山本作兵衛さんのことを教室で話しをされていました。
今こうして、ノートパソコンを打っているわたしの左前にある本棚には、『炭鉱に生きる(ヤマにいきる) 地の底の人生記録 山本作兵衛 新装版 講談社』という本が立ててあります。おもに、明治・大正時代の炭鉱の記録です。独学で絵を勉強して描かれています。克明な記録です。ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の『世界記憶遺産』に指定されています。たいしたものです。
次の写真の左側の建物が、田川市にある、『石炭・歴史博物館』です。右側の建物は、医療関係の建物でした。駐車場から写真を撮りました。
おもしろい自動販売機があったので、写真を撮りました。
炭坑節の歌詞が書いてあります。
蒸気機関車です。
わたしがこどものころは、まだ実際に走っていました。走っている姿を毎日のように目にしていました。昭和40年代のころです。(1965年代)
次の写真の赤い鉄骨の構築物は、『竪坑(たてこう)』です。
炭鉱労働者である人間や資材を、エレベーターのように、地中深くへと運ぶための構築物でした。こどものころ、じっさいに稼働(かどう)している竪坑(たてこう)を見たことがあります。鉄骨の構築物の真下に、縦穴が深く掘られているのです。
(この文章を仕上げた数日後のこと)
日曜日の夜に、いつものように、テレビ東京の番組、『家、ついて行っていいですか?』を見始めたら、いきなり、こちらの『田川市石炭・歴史博物館』の映像が流れだしたのでびっくりしました。炭坑節の踊りのお祭りイベントが行われている映像でした。
つい2週間ぐらい前に、次の写真にある長屋の前で、夫婦で立って記念写真をとった場所です。 テレビ映像を見ながら、夫婦でおおいに盛り上がりました。本当にびっくりしました。
炭坑節の中に出てくる、『あんまり煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ さのよいよい』の煙突は、この煙突ではなかろうか。次の写真です。
次の写真の山は、香春岳(かわらだけ)なのですが、長い歳月を経て、山頂部分がぺったんこになってしまいました。
セメントの材料を切り出した結果です。半世紀ぐらい前は、山ですから、三角のような形状のふつうの山の形でした。
映画、『青春の門』でも映像が出ていました。
次の写真は、炭鉱で働く男女のブロンズ像です。
明治、大正の時代から、女性は、男性と同じように坑内(こうない。地の底のトンネル部分)で働いていました。過酷な肉体労働です。坑内で出産してしまうこともあったと聞いたことがあります。
山本作兵衛さんの絵には、背中にあかちゃんをおんぶした10歳ぐらいの男の子が(あかちゃんの兄)が、坑内を歩いているものがあります。
博物館の建物の中には、昔の坑道の中での作業を再現した模型などが展示されていました。
以前、栃木県にある足尾銅山(あしおどうざん)の観光施設を見学したことがあるのですが、似たようなつくりの展示でした。
あれこれ見学して思ったのは、明治時代、大正時代の人たちは、ものすごく知恵のある高い能力をもっていたということです。
なにもないところに必要なものをつくりだす。道具も今ほどそろっていません。考え抜いて、工夫して(くふうして)、時間をかけて、しっかりした建築物、構築物、機械、道具をこさえられています。(製造されています)。たいしたものです。
次からの写真は、田川市のお隣にある飯塚市の風景です。
わたしは、中学・高校6年間のうちの5年間ぐらいをこのあたりで過ごした体験がありますが、正面に見える3つのボタ山は、(石炭を掘ったあとの残土の山)、当時は、色は真っ黒で、形は鋭い三角錐(さんかくすい)でした。半世紀ぐらいがたって、びっくりするぐらい木が生えて、ふつうの山みたいになってしまいました。
次の写真は、飯塚市の繁華街の近くにある、『嚢祖八幡宮(のうそはちまんぐう)』です。
たしか、映画、『青春の門』に映像があったような気がするのですが、記憶に自信がありません。
この日は、(さきほどの田川市石炭・歴史博物館を訪れた日とは異なります)、このあと、アーケードの商店街(長崎街道沿いの)本町商店街、東町商店街、嘉穂劇場(かほげきじょう)、そのあと橋を渡って、ゆめタウン(ショッピングセンター)から飯塚駅まで歩きましたが、シャッターがおりた店舗が多く、半世紀前のにぎわいを知るものとしては、それなりのショックを受けました。
次の写真は、嘉穂劇場(かほげきじょう)というところで、休館中です。中には入れないように門が閉められていました。
以前、建物内を見学したことがあります。けっこう有名な人たちが舞台を踏んでおられます。
2015年(平成27年)10月に夫婦で見学した記録が残っていました。映画、『男はつらいよ』のロケ地にもなっていました。1986年(昭和61年)公開、第37作、『男はつらいよ 幸福の青い鳥』、出演者とマドンナは、長渕剛さんと志穂美悦子さんでした。
わたしは中学生の時、お正月に祖父に連れられて、嘉穂劇場でチャンバラ演劇を観ました。長い時が流れて、孫だったわたしは祖父になりました。今年の夏は、孫を連れて、名古屋伏見にある、『御園座(みそのざ)』へ、ピーターパンの劇を観に行きました。なんというか、親や祖父母というものは、自分がやってもらったように、自分の子や孫にやってあげるものなのです。そういうことがわかる年齢になりました。
筑豊地区のいいところは、山の形が美しいことです。
高い山ではありませんが、地域全体が山々に囲まれています。
山の頂上をつなぐ稜線(りょうせん)がきれいです。
春夏秋冬、四季が変わるごとに、山の色も変化していきます。
朝方などは、靄(もや)がかかって、風情があります。(ふぜい)
この地に住む若い人たちは、胸にいっぱいの夢をかかえて、福岡市経由、あるいは大阪市経由などで、東京を目指していくのです。まあ、直接、東京へはばたく人もいるのでしょうが。
今は、交通の便が昔と比べて格段に便利になりましたので、昔ほどの距離感や、惜別のつらい気持ちは小さくなりました。
どこかのお店にあったチラシ置き場で、『第10回筑前の國(ちくぜんのくに) いいづか街道まつり』のチラシを手にしました。
お祭りの開催日である10月27日(日)は、衆議院選挙の投票日です。重なってしまいましたが、投票に行くのには、期日前投票もあるのでだいじょうぶでしょう。
2024年10月11日
福岡県 博多 天神 中洲あたり
福岡県 博多 天神 中洲(なかす)あたり
9月末に用事があって夫婦で福岡県へ行ってきました。用事の合間に福岡県内の観光をしてきました。
しばらく前から、数回に分けて、そのときに訪れたいくつかの観光地を紹介しています。用意ができたものからアップしています。
博多の天神、中洲あたりを散策したのですが、10月から始まったNHK朝ドラ、『おむすび』を観ていたら、自分たち夫婦が前週に歩いたところが、映像にいくつも出てきたのでびっくりしました。
映像で、アクロス福岡(文化を中心とした官民合同の複合施設ビル)の玄関入口付近でロケがなされたようすがありましたが、自分たち夫婦がつい先週歩いたところだったのでびっくりしました。
観光で、ドラマのロケ地を訪れることがありますが、逆に、自分たちが行ったところが、ドラマのロケ地で出てくることはあまりないので驚きました。
前作の朝ドラ、『虎に翼』でも、自分にとって見たことがある場所がいくつも出てきて驚きましたが、今回ほどのびっくりではありませんでした。なにせ今回は、放送が始まる前の週の福岡訪問だったのでたまげたのです。
西鉄天神駅、アクロス福岡(複合ビル)、天神中央公園、那珂川(なかがわ)にかかる橋などが、テレビドラマの映像で出ました。
映像では、桜の花が咲いていたので、4月の初めぐらいに撮影ロケをされたのでしょう。
次の写真は、博多天神にある『警固神社(けごじんじゃ)』です。
高いビルに囲まれて、細長い形状の土地に建っていました。
東南アジア系の外国人観光客が多く。社務所(しゃむしょ。背の高いビルです)の玄関前に設けられた休憩所のエリアで腰かけておられました。
警固神社(けごじんじゃ)のお隣に警固公園(けごこうえん)という観光地があるとガイドブックで観たので行って見ましたが、少し大きめの喫煙場所があって、そこから流れてくるタバコのくさいにおいに閉口しました。(へいこう:ひどく困ること)
ニコチン中毒です。病気です。タバコの奴隷になっている人がいます。タバコをやめれば幸せになれるのに、自分から幸せになることを拒んで(こばんで)おられるのです。残念です。
次の写真は、『福岡市赤煉瓦文化館(ふくおかしあかれんがぶんかかん)』です。
1909年(明治42年)竣工だそうです。わたしの母方祖父が1907年(明治40年)生まれでした。そんなふうにして、わたしは日本史を理解するようにしています。親族の生年月日と時代背景を合わせながら歴史をふりかえっています。自分の先祖がどのような時代を生きていたかです。
見学時は、中におられた職員さんに、建物の成り立ちや構造などについて、ていねいに説明していただきました。パリのエッフェル塔がらみのらせん階段のお話でした。ご親切に感謝します。
内部がとてもきれいでした。会議室として、一般に貸出もされているそうです。
さきほどの『福岡市赤煉瓦文化館(ふくおかしあかれんがぶんかかん)』のお隣にある神社が、『水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)』です。警固神社(けごじんじゃ)と同じく、細長い形状の土地に建っていました。
菅原道真と(すがわらのみちざね。学問の神様)と関係があるそうです。菅原道真は、西暦845年から903年の人ですから、現在放送されているNHK大河ドラマ、『光る君へ』の人たちとは時代が離れています。菅原道長とか紫式部の源氏物語の話、清少納言の枕草子(まくらのそうし)は、西暦1000年頃の出来事です。
次の写真は、旧福岡県公会堂貴賓館です。
65歳以上の観覧者は無料だったので、運転免許証を提示して無料で観覧させていただきました。ありがとうございました。
お部屋の中がとても美しい。美術とか、絵画、工芸などに興味がある方が見学されるとアイデアを発想するときの参考になると思います。
内装などは、東京三鷹市にある山本有三記念館(小説家の自宅です。作品が、『路傍の石(ろぼうのいし)』)とよく似ていました。
夕刻から、博多名物の屋台が川沿いに並んでいるあたりを散策しました。
もう満員で、簡易的なイスが埋まっている屋台もあるし、そうでもない屋台もありました。
複数の屋台の方が、『おにいさん、おにいさん、寄って行って』みたいに声をかけてきたのですが、わたしは、もうおにいさんではなく、おじいさんなので変な感じでした。
散策を終えたあとの夕食時に、とあるお店でおいしいお肉を食べていたら、左上の奥歯が半分ボキッだか、ガキッといって割れて欠けてしまいました。しかたがありません。最近そのへんがおかしくて、もともと歯医者に通っていました。
自分の体の耐用年数が限界に近づいてきていることを実感している老齢期です。(愛知県に帰ってから歯科を受診して欠けた部分を加工する治療をしています)
散策で立ち寄った商業施設であるキャナルシティはさびれていました。次の写真の奥、赤っぽいレンガ色の建物です。
自分の記録を調べると、2008年(平成20年)12月にキャナルシティを訪れています。クリスマス前でたいへんにぎやかでした。きらびやかな装飾もなされていました。
16年が経過して、なにかしらさびしい風景の商業施設に変化していました。
外国人観光客を中心とした観光客の人たちが、クルーズ船に乗って観光を楽しんでおられました。船は、川を最初は上流へ、それから下流へと、ぐる~と回って、海にも行かれるのでしょう。
乗船待ちの人たちがたくさん待機場所で待たれていました。繁盛しています。
9月末に用事があって夫婦で福岡県へ行ってきました。用事の合間に福岡県内の観光をしてきました。
しばらく前から、数回に分けて、そのときに訪れたいくつかの観光地を紹介しています。用意ができたものからアップしています。
博多の天神、中洲あたりを散策したのですが、10月から始まったNHK朝ドラ、『おむすび』を観ていたら、自分たち夫婦が前週に歩いたところが、映像にいくつも出てきたのでびっくりしました。
映像で、アクロス福岡(文化を中心とした官民合同の複合施設ビル)の玄関入口付近でロケがなされたようすがありましたが、自分たち夫婦がつい先週歩いたところだったのでびっくりしました。
観光で、ドラマのロケ地を訪れることがありますが、逆に、自分たちが行ったところが、ドラマのロケ地で出てくることはあまりないので驚きました。
前作の朝ドラ、『虎に翼』でも、自分にとって見たことがある場所がいくつも出てきて驚きましたが、今回ほどのびっくりではありませんでした。なにせ今回は、放送が始まる前の週の福岡訪問だったのでたまげたのです。
西鉄天神駅、アクロス福岡(複合ビル)、天神中央公園、那珂川(なかがわ)にかかる橋などが、テレビドラマの映像で出ました。
映像では、桜の花が咲いていたので、4月の初めぐらいに撮影ロケをされたのでしょう。
次の写真は、博多天神にある『警固神社(けごじんじゃ)』です。
高いビルに囲まれて、細長い形状の土地に建っていました。
東南アジア系の外国人観光客が多く。社務所(しゃむしょ。背の高いビルです)の玄関前に設けられた休憩所のエリアで腰かけておられました。
警固神社(けごじんじゃ)のお隣に警固公園(けごこうえん)という観光地があるとガイドブックで観たので行って見ましたが、少し大きめの喫煙場所があって、そこから流れてくるタバコのくさいにおいに閉口しました。(へいこう:ひどく困ること)
ニコチン中毒です。病気です。タバコの奴隷になっている人がいます。タバコをやめれば幸せになれるのに、自分から幸せになることを拒んで(こばんで)おられるのです。残念です。
次の写真は、『福岡市赤煉瓦文化館(ふくおかしあかれんがぶんかかん)』です。
1909年(明治42年)竣工だそうです。わたしの母方祖父が1907年(明治40年)生まれでした。そんなふうにして、わたしは日本史を理解するようにしています。親族の生年月日と時代背景を合わせながら歴史をふりかえっています。自分の先祖がどのような時代を生きていたかです。
見学時は、中におられた職員さんに、建物の成り立ちや構造などについて、ていねいに説明していただきました。パリのエッフェル塔がらみのらせん階段のお話でした。ご親切に感謝します。
内部がとてもきれいでした。会議室として、一般に貸出もされているそうです。
さきほどの『福岡市赤煉瓦文化館(ふくおかしあかれんがぶんかかん)』のお隣にある神社が、『水鏡天満宮(すいきょうてんまんぐう)』です。警固神社(けごじんじゃ)と同じく、細長い形状の土地に建っていました。
菅原道真と(すがわらのみちざね。学問の神様)と関係があるそうです。菅原道真は、西暦845年から903年の人ですから、現在放送されているNHK大河ドラマ、『光る君へ』の人たちとは時代が離れています。菅原道長とか紫式部の源氏物語の話、清少納言の枕草子(まくらのそうし)は、西暦1000年頃の出来事です。
次の写真は、旧福岡県公会堂貴賓館です。
65歳以上の観覧者は無料だったので、運転免許証を提示して無料で観覧させていただきました。ありがとうございました。
お部屋の中がとても美しい。美術とか、絵画、工芸などに興味がある方が見学されるとアイデアを発想するときの参考になると思います。
内装などは、東京三鷹市にある山本有三記念館(小説家の自宅です。作品が、『路傍の石(ろぼうのいし)』)とよく似ていました。
夕刻から、博多名物の屋台が川沿いに並んでいるあたりを散策しました。
もう満員で、簡易的なイスが埋まっている屋台もあるし、そうでもない屋台もありました。
複数の屋台の方が、『おにいさん、おにいさん、寄って行って』みたいに声をかけてきたのですが、わたしは、もうおにいさんではなく、おじいさんなので変な感じでした。
散策を終えたあとの夕食時に、とあるお店でおいしいお肉を食べていたら、左上の奥歯が半分ボキッだか、ガキッといって割れて欠けてしまいました。しかたがありません。最近そのへんがおかしくて、もともと歯医者に通っていました。
自分の体の耐用年数が限界に近づいてきていることを実感している老齢期です。(愛知県に帰ってから歯科を受診して欠けた部分を加工する治療をしています)
散策で立ち寄った商業施設であるキャナルシティはさびれていました。次の写真の奥、赤っぽいレンガ色の建物です。
自分の記録を調べると、2008年(平成20年)12月にキャナルシティを訪れています。クリスマス前でたいへんにぎやかでした。きらびやかな装飾もなされていました。
16年が経過して、なにかしらさびしい風景の商業施設に変化していました。
外国人観光客を中心とした観光客の人たちが、クルーズ船に乗って観光を楽しんでおられました。船は、川を最初は上流へ、それから下流へと、ぐる~と回って、海にも行かれるのでしょう。
乗船待ちの人たちがたくさん待機場所で待たれていました。繁盛しています。
2024年10月07日
福岡市 地下鉄七隈線(ななくません) 櫛田神社前駅
福岡市 地下鉄七隈線(ななくません) 櫛田神社前駅(くしだじんじゃまええき)のこと
こんな路線あったっけ?
(新しくできた地下鉄路線でした。2023年3月27日開業です。建設途中の2016年(平成28年)に道路陥没事故が起きて、開業が遅れたそうです)
新幹線を降りて、博多駅で乗りかえです。かなり深い位置に始発・終点となる地下鉄七隈線の博多駅がありました。
エスカレーターを何度も乗り継いで地下深くまでもぐりました。途中、地下駐車場とか、地下のタクシー乗り場へ行く通路があった記憶です。地下の有効利用が進んでいます。
地下鉄駅の構築物は、なにもかもが新しくてきれいです。
下車した櫛田神社前駅のコンコースには、博多にちなんだ工芸品や絵がガラスケースの中に展示されていました。美術館のようです。宿泊したホテルが駅そばだったので、気に入って、ホテルからでかけるたびにギャラリー(回廊(かいろう)、画廊)の前を何度も往復しました。
のぼり旗です。博多の祭り、博多山笠のいでたちなのでしょう。いでたち:身なり
きりっと締まったお尻がかっこいい。
気づいたこととして、地下鉄車両の内装はこぶりで、網棚の部分はありませんでした。
お客さんは、私が乗車したのが平日昼間から夕方、翌朝のラッシュアワーのあとということもあり、それほど多くはありませんでした。
車両も4両編成で、編成数としては、それほど多くはありません。
最新式の電車ですから、乗務員なり、運転指令室なりにいるだれかがどこかのボタンを押すと列車が自動的に動き出して、次の駅では列車が自動的に止まるというシステムなのでしょう。
こんな路線あったっけ?
(新しくできた地下鉄路線でした。2023年3月27日開業です。建設途中の2016年(平成28年)に道路陥没事故が起きて、開業が遅れたそうです)
新幹線を降りて、博多駅で乗りかえです。かなり深い位置に始発・終点となる地下鉄七隈線の博多駅がありました。
エスカレーターを何度も乗り継いで地下深くまでもぐりました。途中、地下駐車場とか、地下のタクシー乗り場へ行く通路があった記憶です。地下の有効利用が進んでいます。
地下鉄駅の構築物は、なにもかもが新しくてきれいです。
下車した櫛田神社前駅のコンコースには、博多にちなんだ工芸品や絵がガラスケースの中に展示されていました。美術館のようです。宿泊したホテルが駅そばだったので、気に入って、ホテルからでかけるたびにギャラリー(回廊(かいろう)、画廊)の前を何度も往復しました。
のぼり旗です。博多の祭り、博多山笠のいでたちなのでしょう。いでたち:身なり
きりっと締まったお尻がかっこいい。
気づいたこととして、地下鉄車両の内装はこぶりで、網棚の部分はありませんでした。
お客さんは、私が乗車したのが平日昼間から夕方、翌朝のラッシュアワーのあとということもあり、それほど多くはありませんでした。
車両も4両編成で、編成数としては、それほど多くはありません。
最新式の電車ですから、乗務員なり、運転指令室なりにいるだれかがどこかのボタンを押すと列車が自動的に動き出して、次の駅では列車が自動的に止まるというシステムなのでしょう。
2024年10月03日
福岡県 篠栗町南蔵院大仏涅槃像(ねはんぞう。横たわっている)
福岡県 篠栗町南蔵院大仏涅槃像(ささぐりちょうなんぞういんだいぶつねはんぞう。巨大な大仏さんが横になって寝ておられます。リラックス、リラックス。心おだやかに生きるのです)
以前放映された東野&岡村の旅猿で紹介されていました。ゲストは、野生爆弾くっきーさんでした。『東野&岡村の旅猿24 プライベートでごめんなさい 福岡でくっきー!の考えたやりたい事をやろうの旅 hulu(フールー)』で観ました。
わたしたち夫婦もゆっくりお参りして、大仏さんの体内見学後、旅猿メンバーがしたように、羽子板の羽を小さな木製の升(ます)に投げました。だけどひとつも入りませんでした。とてもむずかしい。
見学者は、東南アジア系の人が多かった。家族連れとか、カップルとかです。中国、韓国、台湾の人たちではない東南アジアの国々、ベトナムとかタイとか、ミヤンマーとかネパールの人たちに見えました。
ひざまずいて、真剣にお祈りをされている若い女性(おそらく外国人)がいて、見ていて、う~むと感じ入るものがありました。
叱られるかもしれませんが、わたしは、自分を救ってくれる神さまとか仏さまというのは、自分の脳みその中(心の中)にあって、自分の心のなかにいる神さまに向かって、自分は目標に向かってベストを尽くしますからお助けくださいと祈願して、そのあと、やるぞーーと前向きに突進していくものだと思っています。
ゆえに、仏像とか、建物とか、紙に何かが書いてあるものに向かって、真剣に祈る気持ちにはなれません。
それらは、木であり、紙であり、建築物であり、構築物なのです。美術品とか、工芸品ではあるけれど、そこに魂(たましい)とか、霊感なんぞは、宿って(やどって)いないのです。そう思うのは、錯覚です。さっかく:思い違い。
わたしは、長い間生きてきて、そう悟ったのです。(さとった。理解できた)。
本当は、この世には、神も仏もいないのです。わたしはこれまでに、神も仏も見たことはありません。見たことがないものを信じることはできません。あえていうなら、自分自身の心が神であり仏なのです。
(今読んでいる本が、『赤と青のガウン オックスフォード留学記 彬子女王(あきこじょうおう。大正天皇のひ孫。ヒゲの殿下の第一女子) PHP文庫』で、たまたまなのですが、104ページに、「(英国人の考え方として)日本人にとってはお寺で拝む(おがむ)ものであるはずの仏像が、なぜ美術館(英国では大英博物館)に飾られるのか」と記述があり、共感しました)
仏像の前にある広場が工事中でした。
怖い(こわい)お人もおられました。
小鬼(こおに)のような、かわいいぼくちゃんもいました。
最寄り駅のJRの福北ゆたか線(ふくほくゆたかせん。篠栗線)『城戸南蔵院駅(きどなんぞういんえき)』で、ホームのベンチに座って列車が来るのを待ちます。人影は少ない。
見えるのは山で、反対側は谷です。木々の緑がたくさんあります。静かです。時間が止まったような感覚に陥ります。せかせかと暮らすことが意味のないことに思えてきます。競争社会にサヨウナラです。
先日見たテレビ番組で、東京から田舎(いなか)へ移住された方へのインタビューとコメントがありました。
東京と田舎の朝はまったく違うそうです。
田舎の朝は、野鳥たちのさえずりで目が覚めるそうです。そこがとても気に入ったとお話をされていました。
以前放映された東野&岡村の旅猿で紹介されていました。ゲストは、野生爆弾くっきーさんでした。『東野&岡村の旅猿24 プライベートでごめんなさい 福岡でくっきー!の考えたやりたい事をやろうの旅 hulu(フールー)』で観ました。
わたしたち夫婦もゆっくりお参りして、大仏さんの体内見学後、旅猿メンバーがしたように、羽子板の羽を小さな木製の升(ます)に投げました。だけどひとつも入りませんでした。とてもむずかしい。
見学者は、東南アジア系の人が多かった。家族連れとか、カップルとかです。中国、韓国、台湾の人たちではない東南アジアの国々、ベトナムとかタイとか、ミヤンマーとかネパールの人たちに見えました。
ひざまずいて、真剣にお祈りをされている若い女性(おそらく外国人)がいて、見ていて、う~むと感じ入るものがありました。
叱られるかもしれませんが、わたしは、自分を救ってくれる神さまとか仏さまというのは、自分の脳みその中(心の中)にあって、自分の心のなかにいる神さまに向かって、自分は目標に向かってベストを尽くしますからお助けくださいと祈願して、そのあと、やるぞーーと前向きに突進していくものだと思っています。
ゆえに、仏像とか、建物とか、紙に何かが書いてあるものに向かって、真剣に祈る気持ちにはなれません。
それらは、木であり、紙であり、建築物であり、構築物なのです。美術品とか、工芸品ではあるけれど、そこに魂(たましい)とか、霊感なんぞは、宿って(やどって)いないのです。そう思うのは、錯覚です。さっかく:思い違い。
わたしは、長い間生きてきて、そう悟ったのです。(さとった。理解できた)。
本当は、この世には、神も仏もいないのです。わたしはこれまでに、神も仏も見たことはありません。見たことがないものを信じることはできません。あえていうなら、自分自身の心が神であり仏なのです。
(今読んでいる本が、『赤と青のガウン オックスフォード留学記 彬子女王(あきこじょうおう。大正天皇のひ孫。ヒゲの殿下の第一女子) PHP文庫』で、たまたまなのですが、104ページに、「(英国人の考え方として)日本人にとってはお寺で拝む(おがむ)ものであるはずの仏像が、なぜ美術館(英国では大英博物館)に飾られるのか」と記述があり、共感しました)
仏像の前にある広場が工事中でした。
怖い(こわい)お人もおられました。
小鬼(こおに)のような、かわいいぼくちゃんもいました。
最寄り駅のJRの福北ゆたか線(ふくほくゆたかせん。篠栗線)『城戸南蔵院駅(きどなんぞういんえき)』で、ホームのベンチに座って列車が来るのを待ちます。人影は少ない。
見えるのは山で、反対側は谷です。木々の緑がたくさんあります。静かです。時間が止まったような感覚に陥ります。せかせかと暮らすことが意味のないことに思えてきます。競争社会にサヨウナラです。
先日見たテレビ番組で、東京から田舎(いなか)へ移住された方へのインタビューとコメントがありました。
東京と田舎の朝はまったく違うそうです。
田舎の朝は、野鳥たちのさえずりで目が覚めるそうです。そこがとても気に入ったとお話をされていました。
2024年10月01日
福岡県 博多駅前にて
福岡県 博多駅前にて
用事があって、愛知県から福岡県へ行ってきました。
新幹線を降りて、博多駅博多口を出て、地下鉄七隈線(ななくません)に乗ろうとしていたところ、たくさんの中学生たちが呼び込みをしているイベントにぶつかりました。アンケートのお願いでした。
同行の妻がやりたいというので、まだ中学一年生ぐらいに見える女子中学生たちに声をかけたのですが、おとなとの会話に慣れていないのか、要領を得ません。
こちらから、『なにをしているの?』、『なにをどうすればいいの?』、『この次はどこへいくの?』と問いかけを繰り返して、ようやくイベントの中身がわかりました。
地元の産物を利用したポテトチップスができましたということ、そして、新しくできたらしい九州のロゴ(シンボルマーク)の周知が目的のイベントでした。JRさんがやられているようです。
ポテトチップスは、塩味と、のりの入ったものがありました。ふたつを食べ比べて、どちらが良かったか答えてくださいというものでした。その結果が、大きな表に、小さな丸いシールをはることでわかるようになっていました。たくさんシールがはってありました。
アンケートに答えたお礼として、立派なエコバックをもらいました。なかなかいい。しっかりしたつくりです。次の写真のものがもらったエコバッグです。
『九州』という二つの漢字がじょうずにデザイン化されています。
今回福岡県を訪れて、用事を済ませる合間に、いくつかの場所を観光しました。
なかなか良かった。楽しい思い出ができました。
文章が用意できたら、ぽつりぽつりと断続的に旅行の記事をアップしてみます。
用事があって、愛知県から福岡県へ行ってきました。
新幹線を降りて、博多駅博多口を出て、地下鉄七隈線(ななくません)に乗ろうとしていたところ、たくさんの中学生たちが呼び込みをしているイベントにぶつかりました。アンケートのお願いでした。
同行の妻がやりたいというので、まだ中学一年生ぐらいに見える女子中学生たちに声をかけたのですが、おとなとの会話に慣れていないのか、要領を得ません。
こちらから、『なにをしているの?』、『なにをどうすればいいの?』、『この次はどこへいくの?』と問いかけを繰り返して、ようやくイベントの中身がわかりました。
地元の産物を利用したポテトチップスができましたということ、そして、新しくできたらしい九州のロゴ(シンボルマーク)の周知が目的のイベントでした。JRさんがやられているようです。
ポテトチップスは、塩味と、のりの入ったものがありました。ふたつを食べ比べて、どちらが良かったか答えてくださいというものでした。その結果が、大きな表に、小さな丸いシールをはることでわかるようになっていました。たくさんシールがはってありました。
アンケートに答えたお礼として、立派なエコバックをもらいました。なかなかいい。しっかりしたつくりです。次の写真のものがもらったエコバッグです。
『九州』という二つの漢字がじょうずにデザイン化されています。
今回福岡県を訪れて、用事を済ませる合間に、いくつかの場所を観光しました。
なかなか良かった。楽しい思い出ができました。
文章が用意できたら、ぽつりぽつりと断続的に旅行の記事をアップしてみます。