2008年12月25日

マリンライナー

マリンライナー









岡山駅から高松駅までの往復で利用しました。
何も知らずに乗車しました。
指定席券を事前に購入していました。1両目が指定席で、2両目以降は自由席普通車両でした。
1両目は2階建てになっていて、1階が指定席、2階がグリーン席です。
実はわたしは2階建て電車の1階は苦手です。洞窟の中にいるようで窮屈感があります。加えて、静寂がストレスになります。音を立ててはいけないような雰囲気があるのです。静か過ぎておしゃべりもしにくい。
行きの終点である高松駅に着いてすぐに翌日の切符をグリーン席に買いなおしました。帰りに乗車した2階席からの眺めはよく、造船所、化学コンビナート、島々それに夕陽を見ることができました。1階席のときは、ホーム下からホーム上にいる人を見上げたり、走っているときは壁しか見えなかったりで、これなら2両目以降の普通車両でいいと思ったのでした。

(四国、小豆島編はこれで終わりにします。)  

Posted by 熊太郎 at 19:02Comments(0)TrackBack(0)香川県

2008年12月23日

高松城

高松城





高松城は、フェリー乗り場の横、高松駅の前にあり、海に面していました。海沿いにあるお城は初めてでしたので、意表を突かれた気がしました。城内は手入れが行き届いた庭園になっています。赤松がたいへん美しく立派でした。











  

Posted by 熊太郎 at 17:52Comments(0)TrackBack(0)香川県

2008年12月21日

瀬戸内海

瀬戸内海













香川県高松港と小豆島の土庄(とのしょう)港をフェリーで往復しました。
高速船とフェリーがあって、急ぐ旅ではなかったので、フェリーにしました。
瀬戸内海は、海というよりも運河のように感じました。波はなく穏やかなお天気で、船はまるで氷の上を滑るようにゆっくりと進んでいきました。
周囲を島で囲まれているので、荒々しい波は少ないのだろうと考えました。江戸時代以前の海上交通が発達していたこととか、源氏と平家の合戦の様子とかが目に浮かびました。物語の中では厳しい自然環境のなかで戦ったように描かれているのですが、実際は案外のんびりしたものであったと想像しました。

高松港でフェリーに乗船する前に讃岐うどんを食べる予定だったのですが、フェリーに乗るまでに何かしら手間取ってしまって時間がなくなってしまいました。
結局、高校生がつくってくれたぜんざいが昼食となりました。とあるビルの1階で農業高校のフェスティバルが開催されていて、男子高校生たちがぜんざいをつくってふるまっていたので、ごちそうになりました。おいしかったです。  

Posted by 熊太郎 at 11:52Comments(0)TrackBack(0)香川県

2008年12月19日

小豆島 寒霞渓(かんかけい) 鹿と猿たち

小豆島 寒霞渓(かんかけい) 鹿と猿たち













 レンタカーを借りて、カーナビに従いながら山の上へ向かい、あとは尾根沿いのスカイラインみたいな道路を走っていました。前方200mぐらい先の左手に動物が動いているのに気づいて、少し強くブレーキを踏みました。ゆっくりと近づく。最初は猿だと思いましたが、かなり大きい動物ですぐにはその正体がわかりませんでした。その動物は白いガードレールを超えて道路を横切りたい様子なのですが、ガードレールをまたぐことができずあせっていました。どすーんという音がして、その動物がもんどりうってころんだので、見ているこちらのほうが驚きました。その動物は鹿でした。ガードレールに足をひっかけながら無理やりジャンプして頭から前回りをするように道路にあおむけになったあと勢いよく立ち上がって道路右手の林へ消えていきました。足を骨折したのではなかろうか、そうでなくても打撲で痛かろうにと、その夜わたしは心配しました。
 そこからもうしばらく車を走らせると、「猿に注意」の道路標識が出てきました。妻に絶対猿がいるよと話しかけたあとまもなく、やはり道路上に7・8頭の猿が見えてきました。彼らは、ヤンキーのおにいちゃんやおねえちゃんのように路上に座り込んでたむろしています。どいてくれないだろうなあとゆっくり車を近づけていくと少しだけ道を開けてくれたので、さっさと通り過ぎました。カメラを向けたり、餌を与えたりするとボンネットや屋根にのってきたに違いありません。
 寒霞渓は、もうすでに紅葉が終わって枯葉ばかりでした。お客さんは少なく夕暮れ時でもあり閑散としていました。ロープウェイに乗って片道5分、往復10分の空中散歩をしました。売店の手前に1億円の公衆トイレというものがありました。



  

Posted by 熊太郎 at 22:53Comments(0)TrackBack(0)香川県

2008年12月17日

二十四の瞳映画村 壺井榮文学館

二十四の瞳映画村 壺井榮文学館





作家の直筆の原稿を見ることが好きです。
壺井さんの原稿は読みやすくわかりやすいものでした。
最近の作家さんは、パソコンやワープロを使用するので、直筆原稿が後世に残ることは稀(まれ)でしょう。
壺井さんの経歴を読みました。それは、激しいものでした。
極貧の生活をしながら資本主義社会に対抗していかれたようです。
「二十四の瞳」に登場する登場人物たちの体験は、そのまま壺井さんひとりの体験となっています。
子を亡くし、夫を亡くし、親を亡くしています。履歴には、闘争中に腕の骨を折られたとの記載もありました。
「放浪記」の作家林芙美子さんとはご近所さんでお友だちだったそうで、意外でした。
激しい闘争を終えたあとに、心の底から静かに感動がこみあげてくる作品「二十四の瞳」が生まれてきたのでしょう。





上の写真は、映画村内にあったお稲荷さんから撮影しました。
この右手にある映画館では「二十四の瞳」(主演田中裕子さん)が放映されていました。









映画村の向こうには、穏やかな海が広がっています。
映画村を見たあと、小豆島の南海岸を東端から西端へ向かうように海辺をドライブしました。  

Posted by 熊太郎 at 21:09Comments(0)TrackBack(0)香川県

2008年12月15日

二十四の瞳 岬の分教場

二十四の瞳 岬の分教場

 二十四の瞳を再読して数日後、新幹線のぞみで岡山駅、特急マリンライナーで香川県の高松駅、フェリーで小豆島の土庄港(とのしょう)、そしてレンタカーを運転しながら物語の舞台となった小豆島町の岬と分教場を見てきました。
 岬の分教場は、昭和46年まで本当にあった学校で、建物はもう106年ぐらい建っています。昭和46年といえば、わたしが中学1年生になった年です。この分教場の先に映画の撮影場所となった映画村があり、そこには映画のセットとしてつくられた分教場やおとこせんせいの家がありました。

























 閉校時のままに残してあり、こどもさんが描いた絵はもう色あせてしまっています。教室に残されている品物からはなつかしさが湧き出してきます。黒板の上の年表とか、柱にかけられた温度計、大きなサイズの木製三角定規やコンパス、自分の小学生時代の再現です。













 物語の中で、小学校1年生のこどもたちが歩いた道をレンタカーでゆっくりと往復しました。右へ左へと続くカーブが多い道です。海を越えた直線上に大石先生の家があるのですが、道は大きく曲線を描いてまわりこんでいます。距離8キロは7歳ぐらいのこどもにとっては遠かったでしょう。昭和3年のことであり、舗装もされていなかったでしょう。もう80年ぐらい前の物語です。
 次の写真はわかりにくいのですが、宿泊したホテルの窓から見えた岬沿いの道路になります。



  

Posted by 熊太郎 at 18:20Comments(0)TrackBack(0)香川県