2020年08月30日

青年ヒトラー 大澤武男

青年ヒトラー 大澤武男 平凡社新書

 この夏は、第二次世界大戦について、連合国側からの立場で描かれた映画を観たり、小説を読んだりしました。
 片手落ちではないかと思って、ドイツ国首相だったヒトラーの立場から書かれた本も読んでみることにしました。著者はドイツ在住とあります。出版された時点は、2009年で、ヒトラーの生誕120年とあります。彼が独裁者になる前の段階、青年期までが書かれているそうです。

 アドルフ・ヒトラーに関して、自分なりに、彼は生まれはエリートで、日本でいうところの血筋に誇りをもっている人間に思えます。祖先は、武士とか皇族とか。(違っていました)
 ユダヤ人差別と大量虐殺が、どうして起こって、残虐なまでに至ったのかを知りたい読書です。
 あわせて、天才的詐欺師とも思えるカリスマ独裁者の誕生を防ぐにはどうしたらいいのか。ドイツ民衆はなぜ彼の提案に賛同したのか。そのあたりもさぐりたい。

「第一章 生い立ちの記、気ままな少年時代」
 ヒトラーは、名字なので、この本では、個人名の「アドルフ」で呼び進めるそうです。
 子ども時代は、お金がある家に生まれて、やさしい母に可愛がられて、成績優秀、何も苦にすることなく、自信に満ちた幸せな日々を送っていたそうです。

 オーストリア、ドナウ川沿いの都市、レオディングという小さな町で暮らしていた。意外だったのは、いまでいうところのドイツで生まれて育ったわけではない。オーストリアです。

 アドルフ・ヒトラーは、1889年生まれ(日本では明治22年)です。なお本人は、1945年4月30日に57歳で自殺しています。翌5月8日にドイツは無条件降伏しました。

 こどものころ、アドルフ・ヒトラーは、父親アロイスの跡を継いで、将来は、官吏(公務員)になることを父親から期待されていたそうです。

 アドルフ・ヒトラー自身は、美術、地理、歴史、体育が好きで、フランス語(外国語)と数学が嫌いだった。将来、画家、美術家になりたかったが、父親が反対しています。
 親のかたくなで頑固な態度は、こどものためになりません。親は、こどもが望む職業選択に反対するものではないということが教訓として理解できます。こどもの人生です。親の人生ではありません。

 アドルフ・ヒトラーは、1900年(日本は、明治33年)に11歳で入学したリンツの実科学校で、学習態度がうまくいかなかったそうです。
 学力優秀だと言われた日本でいうところの小学生時代、日本でいうところの私立中学にいって、周囲の生徒のほうが学力があり、自身は勉強についていけず、中学時代は、学校の方針についていけなくなった。あまりぱっとしない人生の出だしです。とても将来独裁者になるような人物とは思えません。

 アドルフ・ヒトラーは、人からやさしくされたことがなかった人なのだろうか。人からやさしくされたことがない人は、人にやさしい人にはなりにくい。
 少年時代から、がんこな石頭の持ち主です。亡き父親の遺産で暮らし、サラリーマン的な仕事は嫌い、毎日ぶらぶらあちこち回って絵を描いて、オペラ劇鑑賞するという十代の毎日です。親不孝なひどい人間です。働かなくても食べていけるということはある意味、不幸な境遇です。

 母親が乳がんで、47歳で亡くなりました。アドルフ・ヒトラーは18歳でした。7歳下の妹パウラが残されました。

 69ページまでの第一章を読み終えてみて思うのは、アドルフ・ヒトラー氏は、地理的において、狭い範囲内での人生体験しかもっていなかった人だった。

 第二章「失意のウィーン時代」です。
 18歳から24歳までの間のアドルフ・ヒトラーのようすをみました。ユダヤ人に対する敵対心はみられません。これから30年後、世界を恐怖に陥れるような人間になる気配はありません。

 孤独で暗い雰囲気をもつ芸術家志望の青年です。画家になりたいようですが、ちょっと変わっています。生物画とか、風景画、人物画は描きません。「建築物」の絵ばかりです。
 芸術家を目指しているけれど、本当は、建築家になりたい。都市計画に携わりたい。そして、趣味趣向として、オペラの物語が好きです。市民が支配者である王族と戦う筋書きが好きです。

 12月に母親が亡くなって、翌年1908年18歳でオーストリアウィーンで5年間の生活をはじめます。ホームレスのようになって、浮浪者の収容所に行ったりもしますが、遺産とか年金があるので、食べていくことはできたそうです。そして、あいかわらず、毎日決まった時間に働くということができない性質なので無職です。

 アドルフ・ヒトラーは、未来の見えない孤独な生活を送る中で、「否定的で、冷酷な、憎悪の思想」に落ち込んで行ったそうです。酒やたばこはやらない。ガールフレンドはいない。妹や異母姉、叔母との関係もよくなかったようですが、母親のほうの叔母からは援助を受けています。

 さらには、兵役の忌避までありました。オーストリア人男子は、二十歳で兵役登録義務ありです。アドルフ・ヒトラーは、ドイツ人ではないのか。オーストリア=ハンガリー帝国が生誕地。国籍はオーストラリア人、民族は、ドイツ民族。首相就任前の1932年にドイツ国籍を取得しているそうです。知りませんでした。

 本を読んでいると、ヨーロッパの多民族国家のようすもよくわかります。日本とはぜんぜん違います。オーストリア領域に住む人口3500万人のうち、ドイツ語を話す民族、チェコ語、ポーランド語、ウクライナ語、ハンガリー語・ルーマニア語・スロベニア語・イタリア語が話されていた。すごい。いつか行ってみたい。街の広場にあるテーブルのイスに座って、ただぼーっと通り過ぎていく外国の人たちをながめていたい。

 アドルフ・ヒトラーの考えとして、一部の資本家ユダヤ人に対する非難はあったものの「ユダヤ人種」に対する反ユダヤ主義はまだ彼の心には生まれていなかったそうです。
 しばらくして彼は、オーストリアウィーンを離れて、ドイツ国ミュンヘンへ向かいました。

「第三章 幸せなミュンヘンでの日々と戦場の勇士」
 アドルフ・ヒトラーの24歳から25歳です。オーストリアのウィーンの近くの田舎町からドイツのミュンヘンに出て、建物の絵を描いて、それを売って、なんとか生活をしていけるようになります。彼の仕事は画家です。

 あんなに兵役から逃れていたアドルフ・ヒトラーが、第一次世界大戦(1914-1918)で、4年数か月の間兵士として戦闘を生き抜きます。極端から極端に変化しました。
 その経過は不思議で、兵役から逃げていたのを捕まって、兵役検査を受けたらちゃんと食べていなかったので、身体虚弱で不合格となっています。身長175センチ、やせこけているでした。
 退学により、学歴はなく、25歳になってもちゃんとした仕事をしたこともなく、資格もない。

 1914年第一次世界大戦の開始とともにアドルフ・ヒトラーは突如兵士になることを希望した。食べていくためでしょう。
 アドルフ・ヒトラーのドイツに対する愛国心は強い。
 人間の不思議さがあります。人間は、いる場所で変わる。

「第四章 極右政治活動への突入と破滅への道」
 アドルフ・ヒトラーは、なぜ、「平和な国づくり」を望まないのだろう。思うに彼には、そういう発想が最初からありません。あるのは、「排除」です。

 ドイツ国民は第一次世界大戦で敗れ、不況の時代へと転落していったようです。
 アドルフ・ヒトラーの言動にはよくわからない部分があるようです。確固たる意志を有していたのだろうか。アドルフ・ヒトラーは、社会主義を嫌っているようなのに、社会主義の集会に参加しています。食べていければなんでもありか。

 アドルフ・ヒトラーには、一部の資産家ユダヤ人に対する忌避はあるものの、民族としての「ユダヤ人」を徹底的に攻撃する反ユダヤ主義のきざしはまだみられません。
 なぜそうなったのかということについては、結局、「わからない」とされています。本人にもわからなかったのかもしれません。
 リーダーの立場になった者の習性なのか。不況でストレスをかかえた大衆のストレス解消をするために、「特定の民族」を大衆のストレス解消のはけ口にして、大衆を自分の味方につける手法は、現代でもいくつかの国や地域の代表者、代表する組織で用いられています。
 大衆は、賢い有権者にならなければならないと悟りました。大衆の気持ちを誘導する天才的な力をもった詐欺師にあざむかれてはいけないのです。本当のことを見つけなければなりません。

 そして、人間の最大の罪「知らん顔」があります。ユダヤ民族以外の民族は知らん顔をします。そう思うと、映画で観たユダヤ人に命のビザを提供した日本人外交官の杉浦千畝(すぎうら・ちうね)さんとか、ユダヤ人収容者を自分の会社で雇用したシンドラー氏の偉業が光ります。
 本を読むとアドルフ・ヒトラーは、政治的野心を満たすための宣伝効果のために特定の民族を攻撃して利用したと理解できます。

 アドルフ・ヒトラーの頭の中には、「闘争」はあっても「共存」はないのです。ドイツ民族至上主義です。
 それにしても、当時のドイツの人たちは、なぜに、残酷な行為をする国の代表者の言動を止められなかったのか。本書では、「理性を失っていた当時の大衆」とあります。

 兵士から政治家に転じたアドルフ・ヒトラーはまだ三十歳です。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の宣伝マンです。演説を繰り返します。それが彼の収入源です。
 1921年に第一議長に就任したときのアドルフ・ヒトラーは、まだ32歳です。ナチ党は、1932年に国会の第一党になっています。アドルフ・ヒトラーは、弁士、論客(議論が好きな人)です。
 
 アドルフ・ヒトラーは、ドイツでは英雄だった。やはり、ものごとには、二面性があります。そして、彼は極端な二重人格者のようです。自分で自分をコントロールできなかった人です。

 本の「あとがき」の部分について
 ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の犠牲者数は、ポーランドだけでも300万人です。ドイツ政府とドイツ国民は、犠牲者に対して、謝罪をし続け、物心両面で償いを果たしているとあります。
 これに対して、日本国はどうなのかという提示が著者からあります。アジアの人たちに対する意識が、ドイツと比較してワンランク低いのではないかという疑問が書いてあると感じました。
 謝罪はした。もう金銭で償った(つぐなった)。その期限は過ぎたからもういいじゃないかという日本人の感覚を疑っておられます。
 法律上はそれで割り切るのでしょうが、心情的には別ではないかという人間としての立場が求められていると感じました。
 日本には勇気が不足しているという指摘には深く考えさせられるものがありました。
 今年読んで良かった一冊でした。

 心に残った文節などとして、
「ヒトラーなくして、あのような悲劇には至らなかった」
「(アドルフ・ヒトラーの子ども時代のこととして)自分の正しさを信じて疑わない短気で率直な弁舌と説得力に周囲のこどもは従った」

 調べた言葉などとして、
カリスマ:ずばぬけて目立つ存在。教祖、預言者、英雄、超人間的な資質と能力をもつ存在として崇拝される。
ハーケンクロイツ:鉤十字(かぎじゅうじ)ナチ党のシンボル。幸運のしるし。
実科学校(ドイツの制度):職業教育学校。中等教育学校。10歳から修学、最低6年制
ギムナジウム:ヨーロッパの中等教育機関。中高一貫校
スラブ系:スラブ語系。ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、スロバキア、チェコ、ポーランド、クロアチア、セルビア、ブルガリア
アーリア人:ドイツ人
右翼:国家主義、自国の伝統や文化を守る。反共産主義、反社会主義
1918年ドイツ革命(日本では大正7年):兵士と労働者が蜂起して、皇帝が退位して、ドイツ帝国が崩壊し、ドイツ共和国臨時政府(ヴァイマル共和制)が成立した。ヴァイマル憲法(ワイマール憲法)ができた。1919年8月11日制定。
独墺両国の合同ナチ党大会:どくおうかいぎ。墺は、オーストリアのこと。おうと読む。

 いままで知らなかったことを知ることができました。世界はまだまだ広い。  

Posted by 熊太郎 at 06:46Comments(0)TrackBack(0)読書感想文