熊太郎の旅と映画と読書感想文
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熊太郎
2007-05-07T11:32:08+09:00
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死刑にいたる病(やまい) 邦画
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死刑にいたる病(やまい) 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス 阿部サダヲさんの出る金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』を毎週楽しみにして観ています。アメリカ映画の『バックトゥザフューチャー』みたいに、昭和61年(1986年)と現在を行ったり来たりするタイムトラベルドラマです。 先日は、同じく阿部サダヲさんが出る邦画、『シャイロックの子供たち』を観ました。なかなか良かった。同じく、『謝罪の王様』も観ました。途中首をかしげるシーンも多々ありましたが、映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。 こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。 彼の主張があります。『罪は認めるが、最後の事件(26歳成人女性の死)は冤罪だ。(えんざいだ。自分は無実だ)。殺人犯が他にいることを証明してほしい』 そういう内容の手紙を書いて、刑務所から知り合いの大学法学部在籍中の雅也に調査を依頼します。雅也が弁護士事務所にアルバイトとして入り、推理と調査が始まります。 阿部サダヲさんはなんでも演じる人です。すごいなあ。いろいろな役をやるんだ。仕事は役者です。コメディもやるし、今回のような恐ろしい殺人犯の役もやります。映像の中に彼の狂気が散らばっています。阿部サダヲさんが演じる男は、一見(いっけん)心優しい善人なのですが、スイッチが入ると残虐な鬼になります。阿部サダヲさんの口調には説得力があります。自信満々です。 人生において自分も何度か現場で体験した火葬場風景から始まります。 映像では、雅也の祖母の葬式と火葬です。 頼りない雅也の母親の姿があります。自分でものごとを決められません。 雅也の父親は、Fクラスの大学に入った雅也を軽蔑しています。息子が三流大学だから恥ずかしい。 うまくいっていない家庭です。(Fクラス大学:受験すれば合格できるという、学力の低い者でも入れる大学。「F」は、ボーダーフリー(BF)のFからきている) 映画を観ながらこの感想を書いています。 この映画のメッセージは何だろう。 何を表現したいのだろう。 まあ、設定と経過には、いろいろつっこみどころはありますが、これは、映画です。 自分はつくり手の立場で映像を見るので、殺人シーンは怖く(こわく)ありません。 監督以下スタッフがカメラをにらんで撮影している様子を想像しながら見ます。光と影を駆使して(くしして)、殺人行為の残虐さを強く描いてあります。役者はじっさいに殺されるわけではなく、殺される人物を演じています。(監督が撮影中に、『カット!』といえば、殺された役の人は生き返り、「おなかすいた~ 休憩で、なに食べる~」なんて、言っているのだと思います) ひどい殺し方です。この映画はひとりで観る映画です。生きている少年少女の爪をはいでから、じわりじわりと殺していきます。とうぜん叫び声が響き渡ります。 犯人は、脳みそに異常ありです。病(やまい)です。 ふと、思う。殺人鬼である阿部サダヲさんが演じる榛村(はいむら)は、親から虐待を受けていたのではないか。(その後、当たらずとも遠からじという展開になっていきました。なかなか自分は勘(かん)がいいとうぬぼれました) BLTO:ベーコン、レタス、トマト、オレンジ。なお、殺人鬼の職業は、パン職人であり、パン屋の自営業です。少年少女にパンやジュースをおまけして、手なずけて犠牲者にする手法です。けしからん奴です。 何かしら、学歴偏重(かたよった学歴重視)の意識が、映画の底辺にあります。 いまどきは、行かなくてもいい人まで大学に行くようになりました。 昔は、お金がなければ、大学進学はあきらめて就職しました。 働いて、お金を貯めてから会社を辞めて、大学に入学する人もいました。 夜間の大学や定時制高校に行く人も多かった。 そんな人たちが中小企業に入って、がんばってまじめに働いて、サービス残業みたいな長時間労働をがまんしてやって、日本の社会を支えていました。堅実(けんじつ。てがたく、まじめに)に働く労働者にとっては、職場が家でした。 いまどきは、学力がなくても大学に行くのか…… また、いらぬことを書いてしまいます。 60歳を過ぎたら、学歴は関係ありません。義務教育だけで卒業の人でも、老後を迎えて経済的に豊かな人はいます。社会においては、学力だけで豊かになれるものではありません。本人の才能と努力、人間関係という周囲の支えがいります。老後は、本人のそれまでの人生の成果です。だれかに評価してもらうようなものでもありません。 どうして目的がないのに、なんとなくとか、みんなが行くからとか、とりあえずという理由で大学に行くのだろう。人にもまれて働きたくないから、勉強を口実(こうじつ。理由付け)にして、労働から逃げているように見えます。資格取得など、学習目的がない大学生は、合法的な失業者です。 ムダなお金を、大学を始めとした教育関係の法人組織に払うよりも(親のカネとか奨学金とかで)、自分が働いて稼いだお金で、自分が食べたいものを食べて、自分が着たい洋服を着て、自分が行きたいところへ旅に出たほうが、気持ちがすっきりします。 あわせて、返済のめどがつかない借金(奨学金)はつくらないほうがいい。お金というものは、貸してもらうよりも、まずは、自分で稼ぐ(かせぐ)ものです。 映像では、いろいろ複雑な事情が、雅也探偵の調査で、明らかになっていきます。 『暗示』があります。殺人鬼は、人を操作する能力に長けているのです。(たけている。能力が高い)。人がいいとだまされます。殺人鬼のくちびるから出てくる言葉は、すべてウソだと決めつけたほうがいい。 洋画『羊たちの沈黙』の雰囲気があります。殺人鬼の話でした。精神科医で殺人鬼の人物が出ていました。 児童虐待の映画でした。(やっぱり) ふーっ。(内容が)重たいなあ。 殺人鬼は、人心をつかむことがうまい。味方のようにふるまって、実は相手を、殺人の対象者候補にリストアップしている。逃げたくなったらいつでもおいでと声をかけて、殺人の餌食(えじき)にする。なんだか、最近のSNSで少女をおびきだす事件を連想させます。 あっちもこっちも児童虐待だらけです。 ひどいことをする親がいます。加害者が継父というパターンもあるでしょう。 こどもの心は壊れていきます。自傷行為があります。壁土を食べます。 なんて、暗い内容の映画だろう。救いの光が見えない。ラストで光が見えるのだろうか。 幻想の世界に入っていきます。 だれがだれを殺したのか、混乱があります。 狂気をもった人間がいます。 暗示と催眠術があります。病んでいる。(やんでいる) 犯行の手法は、現実には無理です。これは、映画です。 親から抑圧(よくあつ)されたこどもは、自尊心(プライド。自分が自分であることの誇り(ほこり)。自意識(自分のことは自分で決める)。自信)が低い。いたわってあげれば、こちらになつく。なついたら、利用する。そんな流れです。自己否定があるのかもしれません。虐待されたこどもは、虐待する親を責めずに、自分を責める。自分がだめだから、親が怒って自分を虐待すると考える。 殺人鬼の言葉です。『信頼関係を築いてから、いたぶる。(おどかして、いじめぬく)。ぼくは、そういうふうにしか人と付き合えない』。そんな人と結婚したら、おおごとになります。 まあ、つくり話です。説得力はありません。まあ、映画です。 阿部サダヲさんは、怖い殺人鬼をじょうずに演じていました。また、殺人鬼と対等にやりあう大学生を演じた俳優さんも良かった。(改名されているようです。岡田健史さん→水上恒司さん) 『こっち側(殺人で死刑判決を受けて服役)に来たら、もう戻れないよ』。最近簡単に殺人事件が起きます。人生でとりかえしがつかないのが、自殺と殺人です。カッとなっていらぬ行動をしてしまう前によく考えたほうがいい。自分の思いどおりにならない相手に対して、表面には出さないけれど、仕返ししてやりたいと思っている人はいます。されど、実行する人はほとんどいません。一時的な憂さ晴らしができても(うさばらし。気晴らし(きばらし))、そのあとで失うものは大きい。 思いつめると発狂します。気持ち60%ぐらいで、そのことはあきらめるという選択肢の気持ちを40%ぐらい残しておいたほうがいい。気持ちの余裕とか、寛容です。まあいいかです。そのうちいいこともあるだろうと淡い(あわい)期待をもちます。 ラストは、びっくりシーンなのでしょうが、わたしの心には響きませんでした。 タイトルクレジット(映画の最後に流れる文字群)を見ていて、原作が、櫛木理宇さんであることを知りました。ホラー小説を書かれる方です。以前一冊読んだことがあります。『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』。以下は感想の一部です。 読んでいる途中も、読み終えても、気持ちが晴れる内容ではありません。ある日、男児が家に迷い込む、しばらくしてその母親という女が家に入りこむ、というようにして、家を乗っ取られていく物語です。DVとか虐待とかが下地にあって、とある国のような洗脳(思考をコントロールされる)とか互いを監視し合う手法が記載されています。皆川ファミリーが崩壊していきます。けっこう恐ろしい(おそろしい)内容です。
死刑にいたる病(やまい) 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス
阿部サダヲさんの出る金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』を毎週楽しみにして観ています。アメリカ映画の『バックトゥザフューチャー』みたいに、昭和61年(1986年)と現在を行ったり来たりするタイムトラベルドラマです。
先日は、同じく阿部サダヲさんが出る邦画、『シャイロックの子供たち』を観ました。なかなか良かった。同じく、『謝罪の王様』も観ました。途中首をかしげるシーンも多々ありましたが、映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。
こちらの映画は、阿部サダヲさんが、連続殺人鬼を演じます。17歳・18歳のまじめでおとなしく学力優秀な高校生である男女23人と、26歳の成人女性1人を殺した罪で、死刑判決を受けて服役中です。
彼の主張があります。『罪は認めるが、最後の事件(26歳成人女性の死)は冤罪だ。(えんざいだ。自分は無実だ)。殺人犯が他にいることを証明してほしい』
そういう内容の手紙を書いて、刑務所から知り合いの大学法学部在籍中の雅也に調査を依頼します。雅也が弁護士事務所にアルバイトとして入り、推理と調査が始まります。
阿部サダヲさんはなんでも演じる人です。すごいなあ。いろいろな役をやるんだ。仕事は役者です。コメディもやるし、今回のような恐ろしい殺人犯の役もやります。映像の中に彼の狂気が散らばっています。阿部サダヲさんが演じる男は、一見(いっけん)心優しい善人なのですが、スイッチが入ると残虐な鬼になります。阿部サダヲさんの口調には説得力があります。自信満々です。
人生において自分も何度か現場で体験した火葬場風景から始まります。
映像では、雅也の祖母の葬式と火葬です。
頼りない雅也の母親の姿があります。自分でものごとを決められません。
雅也の父親は、Fクラスの大学に入った雅也を軽蔑しています。息子が三流大学だから恥ずかしい。
うまくいっていない家庭です。(Fクラス大学:受験すれば合格できるという、学力の低い者でも入れる大学。「F」は、ボーダーフリー(BF)のFからきている)
映画を観ながらこの感想を書いています。
この映画のメッセージは何だろう。
何を表現したいのだろう。
まあ、設定と経過には、いろいろつっこみどころはありますが、これは、映画です。
自分はつくり手の立場で映像を見るので、殺人シーンは怖く(こわく)ありません。
監督以下スタッフがカメラをにらんで撮影している様子を想像しながら見ます。光と影を駆使して(くしして)、殺人行為の残虐さを強く描いてあります。役者はじっさいに殺されるわけではなく、殺される人物を演じています。(監督が撮影中に、『カット!』といえば、殺された役の人は生き返り、「おなかすいた~ 休憩で、なに食べる~」なんて、言っているのだと思います)
ひどい殺し方です。この映画はひとりで観る映画です。生きている少年少女の爪をはいでから、じわりじわりと殺していきます。とうぜん叫び声が響き渡ります。
犯人は、脳みそに異常ありです。病(やまい)です。
ふと、思う。殺人鬼である阿部サダヲさんが演じる榛村(はいむら)は、親から虐待を受けていたのではないか。(その後、当たらずとも遠からじという展開になっていきました。なかなか自分は勘(かん)がいいとうぬぼれました)
BLTO:ベーコン、レタス、トマト、オレンジ。なお、殺人鬼の職業は、パン職人であり、パン屋の自営業です。少年少女にパンやジュースをおまけして、手なずけて犠牲者にする手法です。けしからん奴です。
何かしら、学歴偏重(かたよった学歴重視)の意識が、映画の底辺にあります。
いまどきは、行かなくてもいい人まで大学に行くようになりました。
昔は、お金がなければ、大学進学はあきらめて就職しました。
働いて、お金を貯めてから会社を辞めて、大学に入学する人もいました。
夜間の大学や定時制高校に行く人も多かった。
そんな人たちが中小企業に入って、がんばってまじめに働いて、サービス残業みたいな長時間労働をがまんしてやって、日本の社会を支えていました。堅実(けんじつ。てがたく、まじめに)に働く労働者にとっては、職場が家でした。
いまどきは、学力がなくても大学に行くのか……
また、いらぬことを書いてしまいます。
60歳を過ぎたら、学歴は関係ありません。義務教育だけで卒業の人でも、老後を迎えて経済的に豊かな人はいます。社会においては、学力だけで豊かになれるものではありません。本人の才能と努力、人間関係という周囲の支えがいります。老後は、本人のそれまでの人生の成果です。だれかに評価してもらうようなものでもありません。
どうして目的がないのに、なんとなくとか、みんなが行くからとか、とりあえずという理由で大学に行くのだろう。人にもまれて働きたくないから、勉強を口実(こうじつ。理由付け)にして、労働から逃げているように見えます。資格取得など、学習目的がない大学生は、合法的な失業者です。
ムダなお金を、大学を始めとした教育関係の法人組織に払うよりも(親のカネとか奨学金とかで)、自分が働いて稼いだお金で、自分が食べたいものを食べて、自分が着たい洋服を着て、自分が行きたいところへ旅に出たほうが、気持ちがすっきりします。
あわせて、返済のめどがつかない借金(奨学金)はつくらないほうがいい。お金というものは、貸してもらうよりも、まずは、自分で稼ぐ(かせぐ)ものです。
映像では、いろいろ複雑な事情が、雅也探偵の調査で、明らかになっていきます。
『暗示』があります。殺人鬼は、人を操作する能力に長けているのです。(たけている。能力が高い)。人がいいとだまされます。殺人鬼のくちびるから出てくる言葉は、すべてウソだと決めつけたほうがいい。
洋画『羊たちの沈黙』の雰囲気があります。殺人鬼の話でした。精神科医で殺人鬼の人物が出ていました。
児童虐待の映画でした。(やっぱり)
ふーっ。(内容が)重たいなあ。
殺人鬼は、人心をつかむことがうまい。味方のようにふるまって、実は相手を、殺人の対象者候補にリストアップしている。逃げたくなったらいつでもおいでと声をかけて、殺人の餌食(えじき)にする。なんだか、最近のSNSで少女をおびきだす事件を連想させます。
あっちもこっちも児童虐待だらけです。
ひどいことをする親がいます。加害者が継父というパターンもあるでしょう。
こどもの心は壊れていきます。自傷行為があります。壁土を食べます。
なんて、暗い内容の映画だろう。救いの光が見えない。ラストで光が見えるのだろうか。
幻想の世界に入っていきます。
だれがだれを殺したのか、混乱があります。
狂気をもった人間がいます。
暗示と催眠術があります。病んでいる。(やんでいる)
犯行の手法は、現実には無理です。これは、映画です。
親から抑圧(よくあつ)されたこどもは、自尊心(プライド。自分が自分であることの誇り(ほこり)。自意識(自分のことは自分で決める)。自信)が低い。いたわってあげれば、こちらになつく。なついたら、利用する。そんな流れです。自己否定があるのかもしれません。虐待されたこどもは、虐待する親を責めずに、自分を責める。自分がだめだから、親が怒って自分を虐待すると考える。
殺人鬼の言葉です。『信頼関係を築いてから、いたぶる。(おどかして、いじめぬく)。ぼくは、そういうふうにしか人と付き合えない』。そんな人と結婚したら、おおごとになります。
まあ、つくり話です。説得力はありません。まあ、映画です。
阿部サダヲさんは、怖い殺人鬼をじょうずに演じていました。また、殺人鬼と対等にやりあう大学生を演じた俳優さんも良かった。(改名されているようです。岡田健史さん→水上恒司さん)
『こっち側(殺人で死刑判決を受けて服役)に来たら、もう戻れないよ』。最近簡単に殺人事件が起きます。人生でとりかえしがつかないのが、自殺と殺人です。カッとなっていらぬ行動をしてしまう前によく考えたほうがいい。自分の思いどおりにならない相手に対して、表面には出さないけれど、仕返ししてやりたいと思っている人はいます。されど、実行する人はほとんどいません。一時的な憂さ晴らしができても(うさばらし。気晴らし(きばらし))、そのあとで失うものは大きい。
思いつめると発狂します。気持ち60%ぐらいで、そのことはあきらめるという選択肢の気持ちを40%ぐらい残しておいたほうがいい。気持ちの余裕とか、寛容です。まあいいかです。そのうちいいこともあるだろうと淡い(あわい)期待をもちます。
ラストは、びっくりシーンなのでしょうが、わたしの心には響きませんでした。
タイトルクレジット(映画の最後に流れる文字群)を見ていて、原作が、櫛木理宇さんであることを知りました。ホラー小説を書かれる方です。以前一冊読んだことがあります。
『寄居虫女(ヤドカリオンナ) 櫛木理宇(くしきりう) 角川書店』。以下は感想の一部です。
読んでいる途中も、読み終えても、気持ちが晴れる内容ではありません。ある日、男児が家に迷い込む、しばらくしてその母親という女が家に入りこむ、というようにして、家を乗っ取られていく物語です。DVとか虐待とかが下地にあって、とある国のような洗脳(思考をコントロールされる)とか互いを監視し合う手法が記載されています。皆川ファミリーが崩壊していきます。けっこう恐ろしい(おそろしい)内容です。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-19T07:53:53+09:00
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スマホが壊れた。
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e154013.html
スマホが壊れた。 親族とリモート電話をしていたら、スマホの画面が固まりました。 話が終わって、電話を切ろうとしても切ることができません。 相手に切ってもらいました。 スマホの画面は、ピクリとも動きません。 やむなく、再起動しようと、ボタンを長押しして電源を落としました。 以降、スマホは立ち上がらなくなりました。 実は、10日ほど前から、突然画面が(フリーズ。凍る(こおる)。止まる)して、再起動をして立ち上げることを5回~6回ぐらいしていました。修理か、機種変更が必要な時期なのかなあ。 販売店訪問の予約をして、訪問して修理をお願いしました。 翌日電話があって、修理不能と返答がありました。 型落ち(古い型)でよければ、無償で交換するとのことでしたが、新型にしたかったので、機種変更をすることにしました。 そのあと、新しいスマホの設定等で、苦闘がありました。疲れました。1 ようやく知ったこと。 画面の下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)のマークがありますが、このマークを表示したり、非表示にしたりすることができることを知りました。『設定』から入って設定できました。 これまで使っていた自分のスマホにはその表示がなくて、スマホでなにかの手続きをしているときに、直前に表示していたページ(履歴)を見たくても、どうやって、どこを見ていいのかわからず、混乱していました。(あとから、画面の下から少し上に指をすべらせると、履歴の画面が出てくることを知りました) スマホを修理に出した時にショップで貸してくれたスマホの画面下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)の表示があり、自分のスマホには、スリーボタンがないので、履歴のページの見方がわからないというようなことを、店員さんに話をしたら教えてくれました。これまで自分はいったい、何に苦労していたのだろうかと、力が抜けました。スリーボタン表示だと、■を押すと、過去に見たページが表示されます。2 最初に入力するPIN(ピン。数字6桁(けた))のこと。 新たに買ったスマホをいじっていました。(ちなみに、以前のスマホでは、PINの設定とか、指紋認証とか、顔認証の設定はしていませんでした。スマホは基本的に、電話とメール、写真撮影とラインなど、どうしても必要な範囲内で使っています) わたしのスマホは家電(いえでん。家に置いてある加入電話機)みたいなもので、わたしがいないときに電話の呼び出し音が鳴ったり、ラインの到着音がしたりすると、家族が気づけばスマホの電話やラインに出てくれます。また、相手と電話で会話をするときには、みんなに通話の声が聞こえるようにして、複数でわいわいがやがやと話をすることもあります。だから、だれかに知られて困るようなことがらは、スマホの中には入っていません。 新しく買ったスマホの画面に、個人情報を保護するための設定をしてください、みたいな文章が出てきたので、あとでPINのいらない状態に戻せばいいからと思いPINを設定しました。(そこから苦闘と苦悩が始まりました)。PINの消し方がわかりません。 スマホには、大金がからんだアプリは入れていないこともあって、いちいち立ち上げるときにPINを入れるのはめんどうです。自分は個人情報を気にする世代として人生を送ってきてはいません。 突然ですが、思い出したことがあります。半世紀ぐらい前、給料は現金支給で、受取りの一覧表に各自が領収印を押していました。町内会の回覧板みたいに、全員の給料の一覧表が回ってきて、領収印欄に押印して次に回していました。一覧表には、だれがいくらもらっていて、税金等はいくらで、職場がからんだ貯金はいくら、親睦会費はいくら、職場がらみで借りた住宅ローンの返済金はいくらといろいろ記載がありました。 他人の給料が丸見えという今考えるとありえないことなのでしょうが、当時はほとんどだれも気にしていませんでした。そもそも当時の日本人社会に、『個人情報』という言葉はなかった記憶です。仕事場にいる人たちは、みんな家族のような仲間でした。(そういうことがイヤだという人はいたと思いますが、少数派でした) 話が脱線しましたが、さらに、老齢で、視力も衰えているので、スマホの画面に数字を入れ間違えるし、パスワード等のど忘れも最近多いです。スマホへのPIN入力が苦痛の種となりました。 ネットで調べたら、初期化(最初の状態に戻す)しないとPINは消せないみたいに書いてあるので、ああ、個人情報保護の観点からしかたがない設定だとあきらめました。それでも、心の中は悶々(もんもん)としたストレスを抱えることになりました。 息子が家に晩御飯を食べに来た時に、(息子は、もう三十代のおっさんになってしまいました)そんな愚痴をこぼしました。すると、PINは消すことができるし、自分は、毎日必要に応じて、設定したり消したりしているというので、ひっくりかえるほどびっくりしました。息子に教えてもらって、PINの設定、非設定ができるようになりました。心の重荷がとれて、ほっとしました。いい気分です。 ほかにも自分の思いどおりに使えないことがいくつもありましたが、自分の無知が原因でした。 克服できたおかげで、今は快適にスマホを使用できるようになりました。 ふりかえって思うのは、やはり、学習(教えてもらう)が必要です。 ネットの説明記事を見ただけでは、わからないこともあります。 年寄り向けのスマホの操作の研修を受けるといいのでしょう。 何歳になっても新しいことを覚えるための勉強は必要です。 まあ、あとは、スマホなんて、もたなくてすむならもたないほうがいい。 人間の心が、徹底的に内(うち)にこもるような道具です。 先々週、金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』で、主役の阿部サダヲさん(昭和61年、1986年の人間が現代にタイムトラベルで来ているという設定で)が、スマホに怒りを感じて、大きな怒鳴り声をあげながら、スマホを床にたたきつけようとします。バカヤロー、こんなもの(いらんわ!)です。同感です。
スマホが壊れた。
親族とリモート電話をしていたら、スマホの画面が固まりました。
話が終わって、電話を切ろうとしても切ることができません。
相手に切ってもらいました。
スマホの画面は、ピクリとも動きません。
やむなく、再起動しようと、ボタンを長押しして電源を落としました。
以降、スマホは立ち上がらなくなりました。
実は、10日ほど前から、突然画面が(フリーズ。凍る(こおる)。止まる)して、再起動をして立ち上げることを5回~6回ぐらいしていました。修理か、機種変更が必要な時期なのかなあ。
販売店訪問の予約をして、訪問して修理をお願いしました。
翌日電話があって、修理不能と返答がありました。
型落ち(古い型)でよければ、無償で交換するとのことでしたが、新型にしたかったので、機種変更をすることにしました。
そのあと、新しいスマホの設定等で、苦闘がありました。疲れました。
1 ようやく知ったこと。
画面の下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)のマークがありますが、このマークを表示したり、非表示にしたりすることができることを知りました。『設定』から入って設定できました。
これまで使っていた自分のスマホにはその表示がなくて、スマホでなにかの手続きをしているときに、直前に表示していたページ(履歴)を見たくても、どうやって、どこを見ていいのかわからず、混乱していました。(あとから、画面の下から少し上に指をすべらせると、履歴の画面が出てくることを知りました)
スマホを修理に出した時にショップで貸してくれたスマホの画面下に、『◀ ● ■』(スリーボタンナビゲーション)の表示があり、自分のスマホには、スリーボタンがないので、履歴のページの見方がわからないというようなことを、店員さんに話をしたら教えてくれました。これまで自分はいったい、何に苦労していたのだろうかと、力が抜けました。スリーボタン表示だと、■を押すと、過去に見たページが表示されます。
2 最初に入力するPIN(ピン。数字6桁(けた))のこと。
新たに買ったスマホをいじっていました。(ちなみに、以前のスマホでは、PINの設定とか、指紋認証とか、顔認証の設定はしていませんでした。スマホは基本的に、電話とメール、写真撮影とラインなど、どうしても必要な範囲内で使っています)
わたしのスマホは家電(いえでん。家に置いてある加入電話機)みたいなもので、わたしがいないときに電話の呼び出し音が鳴ったり、ラインの到着音がしたりすると、家族が気づけばスマホの電話やラインに出てくれます。また、相手と電話で会話をするときには、みんなに通話の声が聞こえるようにして、複数でわいわいがやがやと話をすることもあります。だから、だれかに知られて困るようなことがらは、スマホの中には入っていません。
新しく買ったスマホの画面に、個人情報を保護するための設定をしてください、みたいな文章が出てきたので、あとでPINのいらない状態に戻せばいいからと思いPINを設定しました。(そこから苦闘と苦悩が始まりました)。PINの消し方がわかりません。
スマホには、大金がからんだアプリは入れていないこともあって、いちいち立ち上げるときにPINを入れるのはめんどうです。自分は個人情報を気にする世代として人生を送ってきてはいません。
突然ですが、思い出したことがあります。半世紀ぐらい前、給料は現金支給で、受取りの一覧表に各自が領収印を押していました。町内会の回覧板みたいに、全員の給料の一覧表が回ってきて、領収印欄に押印して次に回していました。一覧表には、だれがいくらもらっていて、税金等はいくらで、職場がからんだ貯金はいくら、親睦会費はいくら、職場がらみで借りた住宅ローンの返済金はいくらといろいろ記載がありました。
他人の給料が丸見えという今考えるとありえないことなのでしょうが、当時はほとんどだれも気にしていませんでした。そもそも当時の日本人社会に、『個人情報』という言葉はなかった記憶です。仕事場にいる人たちは、みんな家族のような仲間でした。(そういうことがイヤだという人はいたと思いますが、少数派でした)
話が脱線しましたが、さらに、老齢で、視力も衰えているので、スマホの画面に数字を入れ間違えるし、パスワード等のど忘れも最近多いです。スマホへのPIN入力が苦痛の種となりました。
ネットで調べたら、初期化(最初の状態に戻す)しないとPINは消せないみたいに書いてあるので、ああ、個人情報保護の観点からしかたがない設定だとあきらめました。それでも、心の中は悶々(もんもん)としたストレスを抱えることになりました。
息子が家に晩御飯を食べに来た時に、(息子は、もう三十代のおっさんになってしまいました)そんな愚痴をこぼしました。すると、PINは消すことができるし、自分は、毎日必要に応じて、設定したり消したりしているというので、ひっくりかえるほどびっくりしました。息子に教えてもらって、PINの設定、非設定ができるようになりました。心の重荷がとれて、ほっとしました。いい気分です。
ほかにも自分の思いどおりに使えないことがいくつもありましたが、自分の無知が原因でした。
克服できたおかげで、今は快適にスマホを使用できるようになりました。
ふりかえって思うのは、やはり、学習(教えてもらう)が必要です。
ネットの説明記事を見ただけでは、わからないこともあります。
年寄り向けのスマホの操作の研修を受けるといいのでしょう。
何歳になっても新しいことを覚えるための勉強は必要です。
まあ、あとは、スマホなんて、もたなくてすむならもたないほうがいい。
人間の心が、徹底的に内(うち)にこもるような道具です。
先々週、金曜夜のドラマ、『不適切にもほどがある!』で、主役の阿部サダヲさん(昭和61年、1986年の人間が現代にタイムトラベルで来ているという設定で)が、スマホに怒りを感じて、大きな怒鳴り声をあげながら、スマホを床にたたきつけようとします。バカヤロー、こんなもの(いらんわ!)です。同感です。]]>
熊太郎の語り
熊太郎
2024-03-18T07:23:26+09:00
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青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人・訳
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青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう) 死んでしまった少年の話らしい。 イギリスの小説家の児童文学作品です。児童冒険小説というジャンルのようです。 日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。 ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。10歳から12歳ぐらいに見える。死ぬ前に姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故にあって死んでしまった。自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。 『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのがこの世の姉との会話の最後だった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカしないほうがいい。本当に、それが最後になることがありえます)エギー・デクランド:ハリーの姉。ハリーより3歳年上。本名は、エグランティーン・デグランド。エギーは愛称。みんなは、『ティナ』と呼んでいた。ハリーとエギーのパパとママジェリー・ドンキンス:ハリーの同級生。でかい。太い。いじめっこ。プレハブ小屋で、ハリーを殴った。(なぐった)ピート・サルマス:ハリーの親友オリビア・マスターソン:女子。ハリーの同級生オルト:猫アーサー:150年前の死者。葬儀屋だった。死んだ母親を探している。みすぼらしい服を着ている。つぎはぎだらけ。大きなシルクハットをかぶっている。死んでから歳をとっていない。<死者の国>では、人は歳をとらない。アーサーは、施設で育った。母親はアーサーを産んだときに死んでしまった。父親は不明。スタンさん:50年前に死んだ老人。幽霊。愛犬ウィンストンを探している。ウグ:原始人。「死者の国」をさまよっている。「うぐっ」しか言えない。グラムリーのおばあちゃん:あの世の人。少年ハリーが生きていたころの記憶にある女性。おばあちゃんはハリーを覚えていない。ハリーがまだあかちゃんぐらの幼かったころに亡くなったらしい。タイトル『青空のむこう』には、死後の世界があるということだろうか。(14ページにそれらしき記述があります)読み始めます。1 受付-The Desk 『…… ママはまだ生きている。ぼくが先に死んじゃったんだ』(自転車に乗っていて、トラックにひかれたらしい) <家> <この世> <あの世> <死者の国・入り口> <現在地> <彼方の青い世界へ(かなたのあおいせかいへ)> <死者の国> <太陽は傾いているのに(かたむいているのに)、沈むことはない。> 男児のこども言葉で、話が続きます。 自分がまだ小学校低学年、少年だった時に読んだマンガ本のようでもあります。 『…… 登録を待つ人たちの列がえんえんとつづいていた。犬や猫もいる……』 チャールズ・ディケンズ:イギリスの小説家。1812年-1870年。58歳没。 <彼方の青い世界(かなたのあおいせかい)>2 死者の国-The Other Lands 良書です。まだ途中ですが、今年読んで良かった一冊でした。 今一度、会いたい。ハリーは、姉や家族や友人に会いたい。3 生者の国-To The Land of The Living 洋画『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』を思い出します。 死んだ少年ハリーのひとり語りが続きます。児童文学ですから読みやすい。日本語訳も読みやすい。 ノーマンおじさん、ベリル大おばさん ハリーが、150年前に死んだアーサーと、幽霊(ゴースト)の状態で、自分がいた現世(げんせい。人が生きている時代の空間)へ行きます。 現世で、知っている人たちを見て、知っている人たちに話しかけて、相手は気づいてくれなくて、それなりにハリーの気持ちがへこみます。 現世へは、崖から落ちるように転落していきます。 『助けて! だれか、助けて! 死んじゃう!』(きみは、もう死んでいる) 『ぼくたちは落ちているんじゃなかった。飛んでいた。』(素敵な文章です)4 下の世界 Back Down トゥルーリー:死んでいる人の霊 現世では、死んでいるのに死にきれない人の霊が複数ただよっています。 『悪魔』のことが出てきます。 わたしが思うに、まずもって、『悪魔』というものは存在しない。 人間が勝手に、『悪魔』をつくりだした。 自分が悪いのに、悪魔のせいにする。 以前、外国人の殺人犯が、殺人の動機は、悪魔がそうさせたと述べていてびっくりしました。日本人にはない発想と文化です。5 学校 School 自殺した人の言葉に思えるセリフがあります。 『死ぬと疲れることはないんだ。』 ハリーのクラスメートとして、テリー、ダン、ドナ、サイモン、ジェリー・ドンキンス(いじめっこ)、ピート・サルマス ダイヤモンド先生:背が高く、口ひげが長い。 この本は、「死んじゃだめだ」と訴えているのだろうか。 ハリーは、さみしい思いをします。 転校していったクラスメートとして、フラン、チャズ、トレバー ハリーには、これから死にそうな人がわかる能力があります。 ダイヤモンド先生が、死にそうです。先生自身であるご本人は、まだ気づいていません。6 コート掛け The Peg ハリーの近所の人たちで、ハリーのお葬式に来てくれた人たちとして、チャーリーおじさん、ペグおばさん。 ハリーの教室で、ハリーのコート掛けが、ボブ・アンダーソンになっていた。ハリーはボブを知らないから、新しく来た転校生だろうとのこと。 校長が、ハレント先生。 ハリーのクラスは、五Bだから、ハリーは、アメリカ合衆国の小学校の学年で、5年生で、年齢は、10歳ぐらいでしょう。 入学は9月です。7 教室 In Class 幽霊になったハリーが、自分がいた教室を訪れます。 マーティーナ:図工が得意 グレアム・ペスト:字がじょうず。 オリビア・マスターソン:ハリーのことが好きだった。 ティリー:オリビアの友だち ペトラ:クラスメート スロッギー先生 『人が死んでも、ほかの人の人生はつづく(死んだ人の人生は終わっている。いなくなったらおしまい)』8 ジェリー Jelly ハリーと仲が悪かった。J・ドンキンスの作文が紹介されます。 ハリーは、太っているぼくを(ドンキンスを)ばかにし続けていた。ハリーにばかにされて、ぼくは、ハリーがキライになった。 ときどきハリーと仲直りをして友だちになりたいと思うことがあった。でも、ハリーは死んでしまった。後悔している。ごめんよ、ハリー。 洋画、『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』のように、幽霊が念力のようなものを使って、ドンキンスが持っていたボールペンを動かします。ハリーの念力です。 人間は簡単に死んでしまいます。 病気、事故、自然災害、事件などで命を落とします。 わたしも長い間生きてきて、死にそうになったことが複数回あります。たぶん、だれしも口にはしないけれど、そういうことってあると思います。 人間が生き続けていくためには、『運(うん)』が必要です。たとえば、あと5分ずれていたら、あんな事故にはあわなかったのにということはあります。めぐりあわせです。 読みながら、志(こころざし)なかばで死んでいった、自分の人生で出会った早世(そうせい。平均寿命よりも早く亡くなった。若くして亡くなった)した人たちを思い出しました。 突然がんの宣告をうけて、泣きながら亡くなっていった人も複数います。しかたがないのです。それが、現実です。 アーサーがハリーに言います。『あんまり期待するな。人にあまり期待しないことだ。そうすれば、がっかりすることもない』 オーク:樹木の種類。ブナ科コナラ族の木 命を考える本です。今生きている自分のことを考える本です。そして、自分のまわりにいる人たちに思いやりをもつことを学ぶ本です。9 映画館 The Cinema 映画館の座席に幽霊たちがいっぱい座って映画を観ています。満席です。 どこもいくところがないと、人間も幽霊も映画館に行くようです。 フレイザー:ハリーのママの友だち。 ゲームボーイ:任天堂 ドリームキャスト:セガ。SEGA プレイステーション:ソニー ノーマン・ティール:デイブ・ティールの兄。デイブ・ティールは、ハリーの学校の上級生で、兄のノーマン・ティールは、卒業して旅行会社に就職したばかり。 ハリーがノーマンに話しかけたら返事が返ってきたのでびっくりしました。ノーマンは最近突然高熱が出て病死したそうです。 スタン:スーツを着た幽霊。70歳ぐらい。 ウィンストン:スタンが飼っていた犬(だと思ったら、別の犬だった) <死者の国への近道>が現れました。虹のアーチ(橋)です。10 家 Home ゆうれいのハリーは自宅に行って、両親と姉を見ます。三人とも、ハリーを失って気持ちが落ち込んでいます。 ここまで読んできて、一冊、電子書籍を思い出しました。『週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録 生きる意味を教えてくれる91人の「最期の言葉」 文春ムック 平成29年12月11日発行 2017年11月27日電子版発行 Kindle Unlimited 電子書籍』 胸にぐっとくるものがありました。 キャンディーズのスーちゃんの気持ちがせつなかった。そして、川島なお美さんもがんで亡くなりました。『田中好子』 歌手キャンディーズメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳没 乳がん もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。『川島なおみ』 女優 2015年9月24日(平成27年) 54歳没 胆管がん だんなさんに向けて、再婚はしないでねとお願いされています。 重松清小説作品『その日の前に』では、がんで余命宣告を受けた奥さんが、『(わたしのことは)忘れてもいいよ』と言葉を遺して亡くなります。『忘れないで』ではなくて、遺される(のこされる)ご主人のこれから先の幸せのために『忘れてもいいよ』(再婚してもいいよ)と表現したとわたしは受け止めました。そして『忘れてね(再婚してください)』ではないのです。妻は、本当は、自分のことを夫に忘れてほしくないのです。 ハリーは、自分のお墓も見に行きます。ていねいに整備されているお墓です。ご家族がお墓の世話をされています。 ハリーの言葉で、ハリーのお墓の世話をしているパパのことが語られます。10歳ぐらいの年齢の男子で、パパが好きな息子というのはなかなかいません。もう反抗期の入口にいます。 『それから三人は、さびしそうな顔で座っていた……』 パパとママと三歳年上の姉です。 モノポリー:ボードゲーム。すごろく。不動産ゲーム スクラブル:ボードゲーム。盤上に、アルファベットを並べて、単語をつくって得点を競う トリヴィア:雑学を競うゲーム 読んでいて、涙がこぼれそうです。 『ママ、かっこいい墓石をありがとう……』 突然ですが、児童虐待について考えました。 どうして自分のこどもを虐待して殺すのか。 わけがわからない。 こどもを虐待する親は、気が狂っています。(くるっています)11 二階 Upstairs オルト:飼い猫ですが、動物は、幽霊が見えています。オルトはハリーを認識します。オルトの名前の由来は、パソコンのキーボードの『Alt(オルトキー)「どっちか」という意味』からきているそうです。パパが名付けました。12 エギー Eggy ハリーの姉エギーとの再会(ハリーはゆうれいですが)は、せつない気持ちにさせてくれます。(せつない:悲しくて胸がしめつけられる) 『(家族写真に)ぼくがいた。家族と一緒に。もう二度と四人が一緒になることはない。』 (僕には使命がある)自分が交通事故で死ぬ直前に、口喧嘩(くちげんか)をした姉と話して、お互いを許さなくちゃいけない。 このあと、ハリーは、困難を成し遂げます。(なしとげます) 『文字』のありがたみが伝わってきました。 『だけどぼくのやり残したことは、今、終わった。ごめんねって言うことができた……』 <彼方の(かなたの)青い世界へ旅立つことができる。> メンバーが、それぞれいい人だったから、ハリーはこう思える。(思うことができる)13 彼方の青い世界 The Great Blue Yonder(向こうという意味) さわやかな終わり方でした。 良かった。 主人公の年齢から、自分が小学二年生のころの給食の時間を思い出しました。 給食を食べているときに、校内放送で、短い物語の朗読がされていまし。彦一とんちばなしだったことを覚えています。 当時は、給食を食べるためと、校内放送の物語を楽しみに聴く(きく)ためだけに小学校へ行っていました。勉強の成績はぼろぼろで、通知表には2と3がたくさん並んでいました。それでもなんとか生きてきて、老後を迎えることができました。この物語を読みながら、そんなことを考えました。 物語の中で、長い間お母さんを探し続けていたゆうれいのアーサーは、ゆうれいのお母さんにようやく会うことができました。 いいお話でした。
青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)
死んでしまった少年の話らしい。
イギリスの小説家の児童文学作品です。児童冒険小説というジャンルのようです。
日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。
ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。10歳から12歳ぐらいに見える。死ぬ前に姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故にあって死んでしまった。自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのがこの世の姉との会話の最後だった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカしないほうがいい。本当に、それが最後になることがありえます)
エギー・デクランド:ハリーの姉。ハリーより3歳年上。本名は、エグランティーン・デグランド。エギーは愛称。みんなは、『ティナ』と呼んでいた。
ハリーとエギーのパパとママ
ジェリー・ドンキンス:ハリーの同級生。でかい。太い。いじめっこ。プレハブ小屋で、ハリーを殴った。(なぐった)
ピート・サルマス:ハリーの親友
オリビア・マスターソン:女子。ハリーの同級生
オルト:猫
アーサー:150年前の死者。葬儀屋だった。死んだ母親を探している。みすぼらしい服を着ている。つぎはぎだらけ。大きなシルクハットをかぶっている。死んでから歳をとっていない。<死者の国>では、人は歳をとらない。アーサーは、施設で育った。母親はアーサーを産んだときに死んでしまった。父親は不明。
スタンさん:50年前に死んだ老人。幽霊。愛犬ウィンストンを探している。
ウグ:原始人。「死者の国」をさまよっている。「うぐっ」しか言えない。
グラムリーのおばあちゃん:あの世の人。少年ハリーが生きていたころの記憶にある女性。おばあちゃんはハリーを覚えていない。ハリーがまだあかちゃんぐらの幼かったころに亡くなったらしい。
タイトル『青空のむこう』には、死後の世界があるということだろうか。(14ページにそれらしき記述があります)
読み始めます。
1 受付-The Desk
『…… ママはまだ生きている。ぼくが先に死んじゃったんだ』(自転車に乗っていて、トラックにひかれたらしい)
<家> <この世> <あの世> <死者の国・入り口> <現在地> <彼方の青い世界へ(かなたのあおいせかいへ)> <死者の国> <太陽は傾いているのに(かたむいているのに)、沈むことはない。>
男児のこども言葉で、話が続きます。
自分がまだ小学校低学年、少年だった時に読んだマンガ本のようでもあります。
『…… 登録を待つ人たちの列がえんえんとつづいていた。犬や猫もいる……』
チャールズ・ディケンズ:イギリスの小説家。1812年-1870年。58歳没。
<彼方の青い世界(かなたのあおいせかい)>
2 死者の国-The Other Lands
良書です。まだ途中ですが、今年読んで良かった一冊でした。
今一度、会いたい。ハリーは、姉や家族や友人に会いたい。
3 生者の国-To The Land of The Living
洋画『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』を思い出します。
死んだ少年ハリーのひとり語りが続きます。児童文学ですから読みやすい。日本語訳も読みやすい。
ノーマンおじさん、ベリル大おばさん
ハリーが、150年前に死んだアーサーと、幽霊(ゴースト)の状態で、自分がいた現世(げんせい。人が生きている時代の空間)へ行きます。
現世で、知っている人たちを見て、知っている人たちに話しかけて、相手は気づいてくれなくて、それなりにハリーの気持ちがへこみます。
現世へは、崖から落ちるように転落していきます。
『助けて! だれか、助けて! 死んじゃう!』(きみは、もう死んでいる)
『ぼくたちは落ちているんじゃなかった。飛んでいた。』(素敵な文章です)
4 下の世界 Back Down
トゥルーリー:死んでいる人の霊
現世では、死んでいるのに死にきれない人の霊が複数ただよっています。
『悪魔』のことが出てきます。
わたしが思うに、まずもって、『悪魔』というものは存在しない。
人間が勝手に、『悪魔』をつくりだした。
自分が悪いのに、悪魔のせいにする。
以前、外国人の殺人犯が、殺人の動機は、悪魔がそうさせたと述べていてびっくりしました。日本人にはない発想と文化です。
5 学校 School
自殺した人の言葉に思えるセリフがあります。
『死ぬと疲れることはないんだ。』
ハリーのクラスメートとして、テリー、ダン、ドナ、サイモン、ジェリー・ドンキンス(いじめっこ)、ピート・サルマス
ダイヤモンド先生:背が高く、口ひげが長い。
この本は、「死んじゃだめだ」と訴えているのだろうか。
ハリーは、さみしい思いをします。
転校していったクラスメートとして、フラン、チャズ、トレバー
ハリーには、これから死にそうな人がわかる能力があります。
ダイヤモンド先生が、死にそうです。先生自身であるご本人は、まだ気づいていません。
6 コート掛け The Peg
ハリーの近所の人たちで、ハリーのお葬式に来てくれた人たちとして、チャーリーおじさん、ペグおばさん。
ハリーの教室で、ハリーのコート掛けが、ボブ・アンダーソンになっていた。ハリーはボブを知らないから、新しく来た転校生だろうとのこと。
校長が、ハレント先生。
ハリーのクラスは、五Bだから、ハリーは、アメリカ合衆国の小学校の学年で、5年生で、年齢は、10歳ぐらいでしょう。
入学は9月です。
7 教室 In Class
幽霊になったハリーが、自分がいた教室を訪れます。
マーティーナ:図工が得意
グレアム・ペスト:字がじょうず。
オリビア・マスターソン:ハリーのことが好きだった。
ティリー:オリビアの友だち
ペトラ:クラスメート
スロッギー先生
『人が死んでも、ほかの人の人生はつづく(死んだ人の人生は終わっている。いなくなったらおしまい)』
8 ジェリー Jelly
ハリーと仲が悪かった。J・ドンキンスの作文が紹介されます。
ハリーは、太っているぼくを(ドンキンスを)ばかにし続けていた。ハリーにばかにされて、ぼくは、ハリーがキライになった。
ときどきハリーと仲直りをして友だちになりたいと思うことがあった。でも、ハリーは死んでしまった。後悔している。ごめんよ、ハリー。
洋画、『ゴースト ニューヨークの幻(まぼろし)』のように、幽霊が念力のようなものを使って、ドンキンスが持っていたボールペンを動かします。ハリーの念力です。
人間は簡単に死んでしまいます。
病気、事故、自然災害、事件などで命を落とします。
わたしも長い間生きてきて、死にそうになったことが複数回あります。たぶん、だれしも口にはしないけれど、そういうことってあると思います。
人間が生き続けていくためには、『運(うん)』が必要です。たとえば、あと5分ずれていたら、あんな事故にはあわなかったのにということはあります。めぐりあわせです。
読みながら、志(こころざし)なかばで死んでいった、自分の人生で出会った早世(そうせい。平均寿命よりも早く亡くなった。若くして亡くなった)した人たちを思い出しました。
突然がんの宣告をうけて、泣きながら亡くなっていった人も複数います。しかたがないのです。それが、現実です。
アーサーがハリーに言います。『あんまり期待するな。人にあまり期待しないことだ。そうすれば、がっかりすることもない』
オーク:樹木の種類。ブナ科コナラ族の木
命を考える本です。今生きている自分のことを考える本です。そして、自分のまわりにいる人たちに思いやりをもつことを学ぶ本です。
9 映画館 The Cinema
映画館の座席に幽霊たちがいっぱい座って映画を観ています。満席です。
どこもいくところがないと、人間も幽霊も映画館に行くようです。
フレイザー:ハリーのママの友だち。
ゲームボーイ:任天堂
ドリームキャスト:セガ。SEGA
プレイステーション:ソニー
ノーマン・ティール:デイブ・ティールの兄。デイブ・ティールは、ハリーの学校の上級生で、兄のノーマン・ティールは、卒業して旅行会社に就職したばかり。
ハリーがノーマンに話しかけたら返事が返ってきたのでびっくりしました。ノーマンは最近突然高熱が出て病死したそうです。
スタン:スーツを着た幽霊。70歳ぐらい。
ウィンストン:スタンが飼っていた犬(だと思ったら、別の犬だった)
<死者の国への近道>が現れました。虹のアーチ(橋)です。
10 家 Home
ゆうれいのハリーは自宅に行って、両親と姉を見ます。三人とも、ハリーを失って気持ちが落ち込んでいます。
ここまで読んできて、一冊、電子書籍を思い出しました。
『週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録 生きる意味を教えてくれる91人の「最期の言葉」 文春ムック 平成29年12月11日発行 2017年11月27日電子版発行 Kindle Unlimited 電子書籍』
胸にぐっとくるものがありました。
キャンディーズのスーちゃんの気持ちがせつなかった。そして、川島なお美さんもがんで亡くなりました。
『田中好子』 歌手キャンディーズメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳没 乳がん
もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。
『川島なおみ』 女優 2015年9月24日(平成27年) 54歳没 胆管がん
だんなさんに向けて、再婚はしないでねとお願いされています。
重松清小説作品『その日の前に』では、がんで余命宣告を受けた奥さんが、『(わたしのことは)忘れてもいいよ』と言葉を遺して亡くなります。『忘れないで』ではなくて、遺される(のこされる)ご主人のこれから先の幸せのために『忘れてもいいよ』(再婚してもいいよ)と表現したとわたしは受け止めました。そして『忘れてね(再婚してください)』ではないのです。妻は、本当は、自分のことを夫に忘れてほしくないのです。
ハリーは、自分のお墓も見に行きます。ていねいに整備されているお墓です。ご家族がお墓の世話をされています。
ハリーの言葉で、ハリーのお墓の世話をしているパパのことが語られます。10歳ぐらいの年齢の男子で、パパが好きな息子というのはなかなかいません。もう反抗期の入口にいます。
『それから三人は、さびしそうな顔で座っていた……』
パパとママと三歳年上の姉です。
モノポリー:ボードゲーム。すごろく。不動産ゲーム
スクラブル:ボードゲーム。盤上に、アルファベットを並べて、単語をつくって得点を競う
トリヴィア:雑学を競うゲーム
読んでいて、涙がこぼれそうです。
『ママ、かっこいい墓石をありがとう……』
突然ですが、児童虐待について考えました。
どうして自分のこどもを虐待して殺すのか。
わけがわからない。
こどもを虐待する親は、気が狂っています。(くるっています)
11 二階 Upstairs
オルト:飼い猫ですが、動物は、幽霊が見えています。オルトはハリーを認識します。オルトの名前の由来は、パソコンのキーボードの『Alt(オルトキー)「どっちか」という意味』からきているそうです。パパが名付けました。
12 エギー Eggy
ハリーの姉エギーとの再会(ハリーはゆうれいですが)は、せつない気持ちにさせてくれます。(せつない:悲しくて胸がしめつけられる)
『(家族写真に)ぼくがいた。家族と一緒に。もう二度と四人が一緒になることはない。』
(僕には使命がある)自分が交通事故で死ぬ直前に、口喧嘩(くちげんか)をした姉と話して、お互いを許さなくちゃいけない。
このあと、ハリーは、困難を成し遂げます。(なしとげます)
『文字』のありがたみが伝わってきました。
『だけどぼくのやり残したことは、今、終わった。ごめんねって言うことができた……』
<彼方の(かなたの)青い世界へ旅立つことができる。>
メンバーが、それぞれいい人だったから、ハリーはこう思える。(思うことができる)
13 彼方の青い世界 The Great Blue Yonder(向こうという意味)
さわやかな終わり方でした。
良かった。
主人公の年齢から、自分が小学二年生のころの給食の時間を思い出しました。
給食を食べているときに、校内放送で、短い物語の朗読がされていまし。彦一とんちばなしだったことを覚えています。
当時は、給食を食べるためと、校内放送の物語を楽しみに聴く(きく)ためだけに小学校へ行っていました。勉強の成績はぼろぼろで、通知表には2と3がたくさん並んでいました。それでもなんとか生きてきて、老後を迎えることができました。この物語を読みながら、そんなことを考えました。
物語の中で、長い間お母さんを探し続けていたゆうれいのアーサーは、ゆうれいのお母さんにようやく会うことができました。
いいお話でした。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-15T07:09:55+09:00
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謝罪の王様 邦画 2013年
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153991.html
謝罪の王様 邦画 2013年(平成25年) 2時間8分 動画配信サービス 金曜日夜のドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週楽しみにして観ています。 主役の阿部サダヲさんが、こちらの映画の主役と知り、観てみました。 脚本は、宮藤官九郎さんで、さきほどの不適切のドラマとも重なります。 阿部サダヲさんの演技、言動のやり方は、両方の映像とも同じで安定感がありました。 阿部サダヲさんは、『東京謝罪センター』という会社の黒島譲(くろしま・ゆずる)を演じます。所長です。 相談者の女性や男性が、東京謝罪センターのスタッフに加わっていくような流れで人が増えていきます。CASE1(ケース1) 倉持典子 甘やかされて育った帰国子女の若い女性です。 行動は豪快です。反社会の人たちともめます。マル暴の人の車に自分の車をぶつけます。 土下座(どげざ)がクローズアップされます。土下座の映画です。CASE2 沼田卓也 セクハラ行為をして、裁判に訴えられた若い男です。 BGM(バックグラウンドミュージック)がいい感じです。 ピッタリ合っています。 謝罪のしかたのマニュアル(手引き)です。 ①相手に誠意をみせる。 ②相手の言い分をしっかり聴いて、相手の目を見て、あいづちを打つ。 ③相手をほめまくる。 ④目上の人に同席してもらい、サポートしてもらう。 う~む。映像を観ていて、なんだかくだらない内容に思えてきました。CASE3 南部哲郎・檀乃はる香 離婚寸前の俳優夫婦です。 このへんから伏線が出てきます。(後半で、感動を生む種) アメリカニューヨークにある「自由の女神」のわき毛がボウボウというようなセリフです。 3歳半のノンちゃんという女の子が、そのセリフを延々と言い続けます。CASE4 箕輪正臣(みのわ・まさおみ。国際弁護士) 少人数の演劇を観ているようです。(後半の王国シーンでは、群衆演劇となります) 箕輪正臣は、娘が6歳のときに離婚したそうです。娘に手を上げた(ひっぱたいた)ことがある。そのことを後悔している。娘にあやまりたいそうです。箕輪正臣は、アメリカニューヨークマンハッタンのアパートに家族3人で暮らしていたとき、3歳半の娘ノンちゃんをたたいたそうです。 箕輪正臣は、カレーライスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜて食べる癖があります。(これもまた伏線です)CASE5 和田耕作 俳優の荒川良々(あらかわ・よしよし)さんが出てきたのでびっくりしました。昨年再放送された、『あまちゃん』の登場人物の役で楽しみました。その後、ご本人を見たくて、東京下北沢にある『本多劇場(ほんだげきじょう)』で行われる公演を観に行こうとしましたが、とても人気があってチケットをとれませんでした。 映像を観て、荒川良々さんは、体の大きい人なんだなあとびっくりしました。 こちらの映画では、映画のプロデューサーという役で出ておられました。映画の内容のことで、マンタン王国という国から抗議を受けて悩んでおられるのです。王国への謝罪が必要だそうです。(もうこのあたりから、現実味のない話になっていきます。脳みその働きがついていくのに、ちょっとつらくなりました) この映画は、ギャグコメディ映画です。 シーンが、重なっているわけか。 おもしろい。 ドラマ『不適切にもほどがある』と似たパターンの映像づくりもあります。 濱田岳さんの演技がおもしろい。じょうずです。 彼のくちぐせが、『だいたい、心配ない。』。『だいたい』が強調されて、繰り返されます。いい感じです。 映像を観ていて、撮影地であるこの場所は見たことがある場所だと思いました。 映画の最後に流れるクレジット(関係者紹介の表記文字)に、『名古屋市市政資料館』とありました。ああやっぱりと思いました。二階にあがる階段とか、廊下とか、かなり古い文化的な建物です。たしか半世紀ぐらい前は、家庭裁判所だったという記憶があります。 そのほかに、ロケ地として愛知県犬山市にある明治村もクレジットに出ていました。どのシーンだったのかは気づけませんでした。 三島という日本兵を描いた、『ビルマの竪琴(たてごと)』みたいなシーンがありました。CASE6 黒島譲 土下座(どげざ)という行為を自分は好みません。出川哲朗さんの充電バイクの旅でも、出川チームが少年野球で負けると、少年たちに土下座しますが、やめたほうがいいと思っています。 人間の人格を否定するような謝罪のしかたです。 映画では、所長(阿部サダヲ)さんが、土下座にこだわるようになった歴史を、彼のこども時代にさかのぼって説明があるのですが、まあ、なんとも、理由にならないような理由です。(実家の旅館にあった露天風呂でザリガニ50匹を育てようとしたら、全部ゆだって死んでしまったことを土下座して謝った。下からみんなの顔を見上げたら、全員の視線が自分の背中に集中していて、それが快感だった。そんな流れの説明でした。まあ、なんだか、わかりません。 ラーメン店での接客トラブルの話が出ます。 店員のお湯切り(麺から(めんから)湯を切る)のとき、熱い湯が客である阿部サダヲさんにかかります。店員はそのことに気づかず謝りません。 阿部サダヲさんの怒りに対して、店の代表者たちは謝りますが、加害者は阿部サダヲさんに謝らず店を辞めてしまいました。 その後、店はつぶれたそうです。 阿部サダヲさんは、ただ、『ごめんなさい』が聞きたかっただけだそうです。(このへんのくだり(話)は、その話を映画のここにもってくる必要性がわかりません) 太川陽介さんと路線バス鬼ごっこで対決するEXILE(エグザイル)の松本利夫さんが出てきたのでびっくりしました。映像の中のシーンで、いっぱいダンスをされていました。 映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。 3歳半の女児の思い出もなかなかいい。 言葉で意思を伝え合うことはだいじです。
謝罪の王様 邦画 2013年(平成25年) 2時間8分 動画配信サービス
金曜日夜のドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週楽しみにして観ています。
主役の阿部サダヲさんが、こちらの映画の主役と知り、観てみました。
脚本は、宮藤官九郎さんで、さきほどの不適切のドラマとも重なります。
阿部サダヲさんの演技、言動のやり方は、両方の映像とも同じで安定感がありました。
阿部サダヲさんは、『東京謝罪センター』という会社の黒島譲(くろしま・ゆずる)を演じます。所長です。
相談者の女性や男性が、東京謝罪センターのスタッフに加わっていくような流れで人が増えていきます。
CASE1(ケース1) 倉持典子
甘やかされて育った帰国子女の若い女性です。
行動は豪快です。反社会の人たちともめます。マル暴の人の車に自分の車をぶつけます。
土下座(どげざ)がクローズアップされます。土下座の映画です。
CASE2 沼田卓也
セクハラ行為をして、裁判に訴えられた若い男です。
BGM(バックグラウンドミュージック)がいい感じです。
ピッタリ合っています。
謝罪のしかたのマニュアル(手引き)です。
①相手に誠意をみせる。
②相手の言い分をしっかり聴いて、相手の目を見て、あいづちを打つ。
③相手をほめまくる。
④目上の人に同席してもらい、サポートしてもらう。
う~む。映像を観ていて、なんだかくだらない内容に思えてきました。
CASE3 南部哲郎・檀乃はる香
離婚寸前の俳優夫婦です。
このへんから伏線が出てきます。(後半で、感動を生む種)
アメリカニューヨークにある「自由の女神」のわき毛がボウボウというようなセリフです。
3歳半のノンちゃんという女の子が、そのセリフを延々と言い続けます。
CASE4 箕輪正臣(みのわ・まさおみ。国際弁護士)
少人数の演劇を観ているようです。(後半の王国シーンでは、群衆演劇となります)
箕輪正臣は、娘が6歳のときに離婚したそうです。娘に手を上げた(ひっぱたいた)ことがある。そのことを後悔している。娘にあやまりたいそうです。
箕輪正臣は、アメリカニューヨークマンハッタンのアパートに家族3人で暮らしていたとき、3歳半の娘ノンちゃんをたたいたそうです。
箕輪正臣は、カレーライスをスプーンでぐちゃぐちゃに混ぜて食べる癖があります。(これもまた伏線です)
CASE5 和田耕作
俳優の荒川良々(あらかわ・よしよし)さんが出てきたのでびっくりしました。昨年再放送された、『あまちゃん』の登場人物の役で楽しみました。その後、ご本人を見たくて、東京下北沢にある『本多劇場(ほんだげきじょう)』で行われる公演を観に行こうとしましたが、とても人気があってチケットをとれませんでした。
映像を観て、荒川良々さんは、体の大きい人なんだなあとびっくりしました。
こちらの映画では、映画のプロデューサーという役で出ておられました。映画の内容のことで、マンタン王国という国から抗議を受けて悩んでおられるのです。王国への謝罪が必要だそうです。(もうこのあたりから、現実味のない話になっていきます。脳みその働きがついていくのに、ちょっとつらくなりました)
この映画は、ギャグコメディ映画です。
シーンが、重なっているわけか。
おもしろい。
ドラマ『不適切にもほどがある』と似たパターンの映像づくりもあります。
濱田岳さんの演技がおもしろい。じょうずです。
彼のくちぐせが、『だいたい、心配ない。』。『だいたい』が強調されて、繰り返されます。いい感じです。
映像を観ていて、撮影地であるこの場所は見たことがある場所だと思いました。
映画の最後に流れるクレジット(関係者紹介の表記文字)に、『名古屋市市政資料館』とありました。ああやっぱりと思いました。二階にあがる階段とか、廊下とか、かなり古い文化的な建物です。たしか半世紀ぐらい前は、家庭裁判所だったという記憶があります。
そのほかに、ロケ地として愛知県犬山市にある明治村もクレジットに出ていました。どのシーンだったのかは気づけませんでした。
三島という日本兵を描いた、『ビルマの竪琴(たてごと)』みたいなシーンがありました。
CASE6 黒島譲
土下座(どげざ)という行為を自分は好みません。出川哲朗さんの充電バイクの旅でも、出川チームが少年野球で負けると、少年たちに土下座しますが、やめたほうがいいと思っています。
人間の人格を否定するような謝罪のしかたです。
映画では、所長(阿部サダヲ)さんが、土下座にこだわるようになった歴史を、彼のこども時代にさかのぼって説明があるのですが、まあ、なんとも、理由にならないような理由です。(実家の旅館にあった露天風呂でザリガニ50匹を育てようとしたら、全部ゆだって死んでしまったことを土下座して謝った。下からみんなの顔を見上げたら、全員の視線が自分の背中に集中していて、それが快感だった。そんな流れの説明でした。まあ、なんだか、わかりません。
ラーメン店での接客トラブルの話が出ます。
店員のお湯切り(麺から(めんから)湯を切る)のとき、熱い湯が客である阿部サダヲさんにかかります。店員はそのことに気づかず謝りません。
阿部サダヲさんの怒りに対して、店の代表者たちは謝りますが、加害者は阿部サダヲさんに謝らず店を辞めてしまいました。
その後、店はつぶれたそうです。
阿部サダヲさんは、ただ、『ごめんなさい』が聞きたかっただけだそうです。(このへんのくだり(話)は、その話を映画のここにもってくる必要性がわかりません)
太川陽介さんと路線バス鬼ごっこで対決するEXILE(エグザイル)の松本利夫さんが出てきたのでびっくりしました。映像の中のシーンで、いっぱいダンスをされていました。
映画全体が終わってみれば、なかなか良かった。
3歳半の女児の思い出もなかなかいい。
言葉で意思を伝え合うことはだいじです。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-14T07:39:02+09:00
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ちょっとびっくりしたこと アルファベットの筆記体
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153984.html
ちょっとびっくりしたこと アルファベットの筆記体を学んでいない若い人たち 街中のとある店舗で手続きをしていました。 若い店員さんに、わたしが手書きで書いた、『q』の筆記体を『g』の筆記体と勘違いされてびっくりしました。 そうか…… 習っていないんだ。 ショックを受けつつ、しかたがないとあきらめました。 義務教育で、アルファベットの筆記体を教えていないのです。(教えてもいいし、教えなくてもいいそうです。それなら、教えないでしょう) 『ゆとり教育』という言葉を思い出します。 それで、良かったのだろうか。疑問が残ります。当時、ゆとり教育を提唱された人たちは、今どこでどうされているのだろう。そんなこどもたちが社会に出てきて、職場はそれなりに混乱しました。 なにかしら、省略したがる。 手間を省きたがる。(はぶきたがる)。手間がかかることをばかにする。 時間がかかってめんどうな作業でも、それなりに意味があります。顧客の存在がある仕事です。職場の事務仕事において、目の前に置かれているのは、学校試験用のペーパーではありません。 手抜きをしたがる若い労働者が増えてきて、上の世代は、教える気もなくなりました。 日本人の能力とか知力、人生体験が乏しく(とぼしく。不足)なってきていることは否定できません。 『G』の大文字筆記体とか、『z』の小文字の筆記体も読めないし、書けないのでしょう。 しかたがありません。 歳をとるにつれて、あきらめることが多くなりました。
ちょっとびっくりしたこと アルファベットの筆記体を学んでいない若い人たち
街中のとある店舗で手続きをしていました。
若い店員さんに、わたしが手書きで書いた、『q』の筆記体を『g』の筆記体と勘違いされてびっくりしました。
そうか…… 習っていないんだ。
ショックを受けつつ、しかたがないとあきらめました。
義務教育で、アルファベットの筆記体を教えていないのです。(教えてもいいし、教えなくてもいいそうです。それなら、教えないでしょう)
『ゆとり教育』という言葉を思い出します。
それで、良かったのだろうか。疑問が残ります。当時、ゆとり教育を提唱された人たちは、今どこでどうされているのだろう。そんなこどもたちが社会に出てきて、職場はそれなりに混乱しました。
なにかしら、省略したがる。
手間を省きたがる。(はぶきたがる)。手間がかかることをばかにする。
時間がかかってめんどうな作業でも、それなりに意味があります。顧客の存在がある仕事です。職場の事務仕事において、目の前に置かれているのは、学校試験用のペーパーではありません。
手抜きをしたがる若い労働者が増えてきて、上の世代は、教える気もなくなりました。
日本人の能力とか知力、人生体験が乏しく(とぼしく。不足)なってきていることは否定できません。
『G』の大文字筆記体とか、『z』の小文字の筆記体も読めないし、書けないのでしょう。
しかたがありません。
歳をとるにつれて、あきらめることが多くなりました。
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熊太郎の語り
熊太郎
2024-03-13T06:58:39+09:00
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イチケイのカラス 邦画 2023年
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153979.html
イチケイのカラス 邦画 2023年(令和5年) 1時間58分 動画配信サービス 同名のドラマがあったようですが、自分は知りません。 タイトルの意味は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称イチケイ)で、カラスというのは、裁判官が羽織るマントのことだろうと推測しました。調べたら『ヤタガラス』というカラスもからんでいるようです。裁判官を扱ったドラマです。 登場人物も内容も前知識なしで映画を観ました。 始まってしばらくして、数日前に、ミュージカル『トッツィー』の舞台でご本人を見た山崎育三郎さんが出てきたのでびっくりしました。検察官の役回りでした。 黒木華さん(くろきはるさん)は、あいかわらず凄み(すごみ。威圧感)のあるいい演技をされていました。 内容は、う~むというものでした。 あきらめなければならないことを、感情的になって、あきらめきれないという湿った気持ちを前面に出したものでした。 町の基幹産業で、化学物質による土壌汚染という公害が発生するわけですが、そのことが明るみに出ると、町民の雇用の場が失われるわけです。ゆえに、健康被害が出ていても、関係者全員で、そのことを隠蔽(いんぺい。隠す。なかったことにする)するわけです。 昔、高度経済成長期に、お金と命を比較して、お金もうけを優先した時代がありました。もう、今はそういう時代ではありません。 また、産業革命のように、繁栄していた事業が衰退した時代がありました。昭和30年代から昭和40年代に日本国内では、たくさんあった炭鉱が閉山して、炭鉱町に住んでいた炭鉱労働者の家族らが町を離れました。 小中学校だと、200人以上の小中学生が、短期間でよその土地へと転校して行きました。 わたしは、こどものころ、父親が鉱山労働者だったので、見送られる立場になったこともあるし、見送る立場になったこともあります。 しかたがないのです。大きな力にはさからうことができないこともあります。 映画では、裁判官や弁護士には見えない人たちが役を演じています。裁判官や弁護士には見えないけれど、役者には見えます。 裁くほうの(さばくほうの)裁判関係者たちはどの人も、その町では、一時的な滞在者です。(人事異動があるから)。地元の人間から見れば、『よそ者』です。内容は、現実からは乖離(かいり。かけ離れた)した内容でした。 『正義とは』という大きなテーマがありますが、彼らは、いずれ、その町からいなくなる人たちです。彼らが強く主張する正義は、力の弱い内容でした。 正義がとおっても、犠牲がともないます。町の人たちが安定的に雇用される場所をつくらねばなりません。熊本県にできた台湾が経営する会社の半導体工場群のようなものをつくって、現地に住む人たちの生活を確保、保障しなければなりません。 娯楽作品にしては、内容が暗かった。 最初のうちは、元気がいい、活気がある画面でしたが、だんだん尻すぼみで暗い雰囲気になっていきました。 言葉数が多い脚本でした。演説です。長い演説です。言葉でメッセージを伝えようとする映画でした。言葉数が多すぎる映画でした。 青々と輝くたんぼの稲の間にある道を黒木華さんが自転車で、スピードをあげて、さっそうと走る姿がかっこよかった。 マンガ本を読んでいるようでもありました。 映像に出てくる人たちは野球をやるのですが、見た目が、野球をやるような人たちには見えませんでした。 ギャグの連発のようでもあります。コメディマンガのようなシーンもあります。 BGM(バックグラウンドミュージック)で引っ張るように話を進めていく手法です。自分の好みではありません。 国の大臣が出てきました。大臣ならなにをやってもいいのか。 立法府の人間が、司法の人間に圧力をかけて、判決をゆがめようとします。人事権にも介入してきます。それはそれで、大臣の罪ではなかろうか。なんだか、最近の政治家の不祥事を思い出します。 工業廃水に有害物質が含まれている。昔あった水俣病(みなまたびょう)とか、イタイイタイ病を思い出しました。 『環境汚染なんてないんですよ』(とんでもない大臣です。化学物質による土壌汚染があることを知っていて、自分や自分たちのグループの利益のためにそんなことを言うのです) 立法と司法が組んで、国民をコントロールするのは違法なのではないか。三権分立に反します。 裁判官が人事異動で変えられてしまいました。 基本的に、黒木華さんが語る相手を変えながらのふたり芝居が続きます。 緑色の衣装を着た踊りのチーム二十人ぐらいが環境保護を訴えます。ちょっときもい。威圧感があります。 お金と命とどちらが大事なのか。公害問題です。さきほども書きましたが、お金のほうが大事な時代がありました。 町の基幹産業の会社には、だれもさからえないという言葉があります。 弁護士の自宅が放火されました。(そこまでやるだろうか) 根っこが違うような気がします。 今回の題材は、『正義』の話ではありません。 法律ゴロ(金をたかる)の話があります。法律は不完全でわかりにくい理屈がある。どうにでも結果を変えられる。ゆえに悪用できる。 頑固(がんこ)であることが、美化されています。(つまらない) 船内汚染の状況がわかりにくい。お酒の瓶(びん)がまぎらわしい。誤解を生むようにつくられています。 汚染物質は、有機フッ素化合物です。 裁判所関係者たちの合言葉として、『しかるべく(積極的に同意はしないが、裁判所の判断には従う)』。庶民は、がまんはしません。同意しないときは徹底的に同意しません。 国益って何だろう。 便利さで豊かになったことで、失ったものも多い。(職人の技術が機械化されて、最前線にいた職人が減り、人間を雇用する場が減った。法人組織を運営する上層部の人間たちが、とても豊かになった) う~む。歌でごまかしてあるような終わりの部分のつくりでした。
イチケイのカラス 邦画 2023年(令和5年) 1時間58分 動画配信サービス
同名のドラマがあったようですが、自分は知りません。
タイトルの意味は、東京地方裁判所第3支部第1刑事部(通称イチケイ)で、カラスというのは、裁判官が羽織るマントのことだろうと推測しました。調べたら『ヤタガラス』というカラスもからんでいるようです。裁判官を扱ったドラマです。
登場人物も内容も前知識なしで映画を観ました。
始まってしばらくして、数日前に、ミュージカル『トッツィー』の舞台でご本人を見た山崎育三郎さんが出てきたのでびっくりしました。検察官の役回りでした。
黒木華さん(くろきはるさん)は、あいかわらず凄み(すごみ。威圧感)のあるいい演技をされていました。
内容は、う~むというものでした。
あきらめなければならないことを、感情的になって、あきらめきれないという湿った気持ちを前面に出したものでした。
町の基幹産業で、化学物質による土壌汚染という公害が発生するわけですが、そのことが明るみに出ると、町民の雇用の場が失われるわけです。ゆえに、健康被害が出ていても、関係者全員で、そのことを隠蔽(いんぺい。隠す。なかったことにする)するわけです。
昔、高度経済成長期に、お金と命を比較して、お金もうけを優先した時代がありました。もう、今はそういう時代ではありません。
また、産業革命のように、繁栄していた事業が衰退した時代がありました。昭和30年代から昭和40年代に日本国内では、たくさんあった炭鉱が閉山して、炭鉱町に住んでいた炭鉱労働者の家族らが町を離れました。
小中学校だと、200人以上の小中学生が、短期間でよその土地へと転校して行きました。
わたしは、こどものころ、父親が鉱山労働者だったので、見送られる立場になったこともあるし、見送る立場になったこともあります。
しかたがないのです。大きな力にはさからうことができないこともあります。
映画では、裁判官や弁護士には見えない人たちが役を演じています。裁判官や弁護士には見えないけれど、役者には見えます。
裁くほうの(さばくほうの)裁判関係者たちはどの人も、その町では、一時的な滞在者です。(人事異動があるから)。地元の人間から見れば、『よそ者』です。内容は、現実からは乖離(かいり。かけ離れた)した内容でした。
『正義とは』という大きなテーマがありますが、彼らは、いずれ、その町からいなくなる人たちです。彼らが強く主張する正義は、力の弱い内容でした。
正義がとおっても、犠牲がともないます。町の人たちが安定的に雇用される場所をつくらねばなりません。熊本県にできた台湾が経営する会社の半導体工場群のようなものをつくって、現地に住む人たちの生活を確保、保障しなければなりません。
娯楽作品にしては、内容が暗かった。
最初のうちは、元気がいい、活気がある画面でしたが、だんだん尻すぼみで暗い雰囲気になっていきました。
言葉数が多い脚本でした。演説です。長い演説です。言葉でメッセージを伝えようとする映画でした。言葉数が多すぎる映画でした。
青々と輝くたんぼの稲の間にある道を黒木華さんが自転車で、スピードをあげて、さっそうと走る姿がかっこよかった。
マンガ本を読んでいるようでもありました。
映像に出てくる人たちは野球をやるのですが、見た目が、野球をやるような人たちには見えませんでした。
ギャグの連発のようでもあります。コメディマンガのようなシーンもあります。
BGM(バックグラウンドミュージック)で引っ張るように話を進めていく手法です。自分の好みではありません。
国の大臣が出てきました。大臣ならなにをやってもいいのか。
立法府の人間が、司法の人間に圧力をかけて、判決をゆがめようとします。人事権にも介入してきます。それはそれで、大臣の罪ではなかろうか。なんだか、最近の政治家の不祥事を思い出します。
工業廃水に有害物質が含まれている。昔あった水俣病(みなまたびょう)とか、イタイイタイ病を思い出しました。
『環境汚染なんてないんですよ』(とんでもない大臣です。化学物質による土壌汚染があることを知っていて、自分や自分たちのグループの利益のためにそんなことを言うのです)
立法と司法が組んで、国民をコントロールするのは違法なのではないか。三権分立に反します。
裁判官が人事異動で変えられてしまいました。
基本的に、黒木華さんが語る相手を変えながらのふたり芝居が続きます。
緑色の衣装を着た踊りのチーム二十人ぐらいが環境保護を訴えます。ちょっときもい。威圧感があります。
お金と命とどちらが大事なのか。公害問題です。さきほども書きましたが、お金のほうが大事な時代がありました。
町の基幹産業の会社には、だれもさからえないという言葉があります。
弁護士の自宅が放火されました。(そこまでやるだろうか)
根っこが違うような気がします。
今回の題材は、『正義』の話ではありません。
法律ゴロ(金をたかる)の話があります。法律は不完全でわかりにくい理屈がある。どうにでも結果を変えられる。ゆえに悪用できる。
頑固(がんこ)であることが、美化されています。(つまらない)
船内汚染の状況がわかりにくい。お酒の瓶(びん)がまぎらわしい。誤解を生むようにつくられています。
汚染物質は、有機フッ素化合物です。
裁判所関係者たちの合言葉として、『しかるべく(積極的に同意はしないが、裁判所の判断には従う)』。庶民は、がまんはしません。同意しないときは徹底的に同意しません。
国益って何だろう。
便利さで豊かになったことで、失ったものも多い。(職人の技術が機械化されて、最前線にいた職人が減り、人間を雇用する場が減った。法人組織を運営する上層部の人間たちが、とても豊かになった)
う~む。歌でごまかしてあるような終わりの部分のつくりでした。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-12T08:02:45+09:00
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東野&岡村の旅猿24 福岡でくっきー!の旅
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153970.html
東野&岡村の旅猿24 プライベートでごめんなさい 福岡でくっきー!の考えたやりたい事をやろうの旅 hulu(フールー) 映像に出てくる寺院で、大きな仏様が横になって、右手で頭を支えている像は、以前、車の中から何度か見たことがあります。 鉄道の車窓からではなかった記憶です。鉄道だと、『福北ゆたか線(わたしが中高生のときに利用していた昔は、「篠栗線ささぐりせん」と言っていた記憶です。福北ゆたか線の意味は、福岡から北九州ということでしょう)』、寝ている仏像を見ることができるのは、道路のほうで、八木山峠(やきやまとうげ)ではないほうのルートで(八木山バイパス)、トンネルをくぐって博多方向だと右手、反対向きに走れば左手方向に、里山の中腹に、寝そべった仏像が見えました。 その場所に(南蔵院涅槃像なんぞういんねはんぞう)に到着した時に、くっきーさんが、自分はここに来たことがあると、初めてそのことに気づいたように発言したことが不可解でした。 くっきーさんのお勧めで、旅猿レギュラーのふたりをこの場所にという流れだったので、かんじんのくっきーさんがそこに行くことを知らないということはおかしいわけで、思うに、くっきーさんは、パワースポットに行きたいという希望をスタッフに言っただけで、場所はスタッフが探したという経過なのだろうと思ったのでした。 寺院で時間を過ごしたあと、元芸人だった人が自営でやっているラーメン店を訪れました。 おいしい博多ラーメンでした。 店長さんも含めて、みなさん仲がいい。にぎやかでいい雰囲気でした。 岡村隆史さんが、この仕事を80歳ぐらいまではやりたい。そのために健康でいたい。そんな話をされました。80歳までほぼ健康でいることは、けっこうむずかしいです。 次回は、理容室へ行って、くっきーさんが、ユニークな(独特な)ヘアカットをしてもらうようです。(つづく) あいにくの雨空が続きます。 岡村隆史さんの運転で移動します。レンタカーです。 理髪店を訪れて、三人で散髪です。 くっきーさんが、フライパンがのっているようなヘアスタイルにしました。 頭のてんぺんだけ髪の毛を丸くする。 仕上げのときに、くっきーさんの頭に、金属のボウル(台所用品)をかぶせて整えます。びっくりしました。キャラ弁当みたいなヘアスタイル(海苔がのっている)と東野さんが冷やかします。 髪型の話をする三人は、小学生の坊主たちのような会話です。にぎやかな笑いが続きます。髪の色とかヘアスタイルの話です。 バリカンで短くした部分は、さわると気持ちよさそうです。 なんといいますか、芸人さんのヘアスタイルです。 次は、くっきーさんが、にがてな納豆を食べることに挑戦です。 催眠術師が出てきて、くっきーさんに催眠術をかけて、目の前の納豆パスタに挑戦しましたが、失敗しました。やっぱり食べられないそうです。まあ、そんなもんでしょう。 納豆を、くっきーさんが好きな「ごぼう」と錯覚させようとする催眠術でした。 くっきーさん『ああ、ダメダ(食べられない)』(見ていて、なんじゃらほいでした)(つづく) 最終話になりました。 DIY(ドゥ・イット・ヨアセルフ)です。工房にて、自作で木製のイスをつくります。そのあと夕食として、焼き鳥のお店に行き、とりかわをつまみにビールをくみかわします。たぶん、ロケが終わると、福岡空港から羽田空港へ飛行機で移動するのでしょう。お疲れさまです。 熊太郎は、自分が中学生のときに、技術・家庭科の授業で木製のイスを手づくりしたことを思い出しました。自分は変わり者だったので、学校で配布される標準的な材料を使わず、自分で設計図をつくって、地元の材木屋さんに頼んで部品となる木材の板などをつくってもらって、授業で組み立てて提出しました。何人かがそういう手法をとりました。先生はOKしてくれました。板のお金は自分のお金で払ったという記憶です。そんなに高くなかった。 イスづくりでは、『ビートルズ』→『(くっきーさんが描いた絵が)笑点の大喜利(おおぎり)でざぶとん運びをしている山田隆夫さんの似顔絵だった』→『ずうとるび』の流れの話がおもしろかった。笑いました。そのことがわかるのは年配者です。 くっきーさんは、まじめな人でした。 こだわりが強い。好き嫌いがある。 東野・岡村さんのおふたりは、くっきーさんに、ぜひまた出演してほしいと依頼していました。 くっきーさんは、名古屋の『ひつまぶし(ウナギのかば焼きを細かく切ってあります)』を1日のうちに何回も食べて、ひつまぶしの食べ比べをしたいそうです。その提案には、岡村さんが難色を示していました。 放送される旅猿の映像をよく見ていると、ロケ先の食事では、東野さんも岡村さんも意図的に食べ残しをしている気配があります。健康管理のためでしょう。毎日おいしいものをたくさん食べていたら体に良くないでしょう。自分は見ていませんが、岡村さんは、ゴチになりますという番組で、高級料理を食べておられます。ぜいたくは、体には毒なときもあります。 くっきーさんは、名古屋のひつまぶし食べ比べが無理なら、次回は、山の中でモンスターカーを運転したいそうです。車の運転が好きだそうです。またいつかその姿を見られるかもしれません。(その後) テレビ番組『アメトーク』のゲストでくっきーさんが出ているのを見ました。 そのときのテーマは、『幼馴染と組んでる芸人(おさななじみとくんでるげいにん)』でした。おもしろかった。 みなさんのやりとりを見ていて、くっきーさんは、心優しい人で、笑いを生むための声かけがじょうずな人であることがわかりました。ごつい見た目と人間の中身は違います。(さらにその後) 先日、日曜日夕方の番組、『笑点』を見ていて気づいたことがあります。 旅猿福岡編のなかで、くっきーさんがチャレンジしたヘアスタイルは、笑点の桂宮治(かつら・みやじ)さんのヘアスタイルと似ています。
東野&岡村の旅猿24 プライベートでごめんなさい 福岡でくっきー!の考えたやりたい事をやろうの旅 hulu(フールー)
映像に出てくる寺院で、大きな仏様が横になって、右手で頭を支えている像は、以前、車の中から何度か見たことがあります。
鉄道の車窓からではなかった記憶です。鉄道だと、『福北ゆたか線(わたしが中高生のときに利用していた昔は、「篠栗線ささぐりせん」と言っていた記憶です。福北ゆたか線の意味は、福岡から北九州ということでしょう)』、寝ている仏像を見ることができるのは、道路のほうで、八木山峠(やきやまとうげ)ではないほうのルートで(八木山バイパス)、トンネルをくぐって博多方向だと右手、反対向きに走れば左手方向に、里山の中腹に、寝そべった仏像が見えました。
その場所に(南蔵院涅槃像なんぞういんねはんぞう)に到着した時に、くっきーさんが、自分はここに来たことがあると、初めてそのことに気づいたように発言したことが不可解でした。
くっきーさんのお勧めで、旅猿レギュラーのふたりをこの場所にという流れだったので、かんじんのくっきーさんがそこに行くことを知らないということはおかしいわけで、思うに、くっきーさんは、パワースポットに行きたいという希望をスタッフに言っただけで、場所はスタッフが探したという経過なのだろうと思ったのでした。
寺院で時間を過ごしたあと、元芸人だった人が自営でやっているラーメン店を訪れました。
おいしい博多ラーメンでした。
店長さんも含めて、みなさん仲がいい。にぎやかでいい雰囲気でした。
岡村隆史さんが、この仕事を80歳ぐらいまではやりたい。そのために健康でいたい。そんな話をされました。80歳までほぼ健康でいることは、けっこうむずかしいです。
次回は、理容室へ行って、くっきーさんが、ユニークな(独特な)ヘアカットをしてもらうようです。
(つづく)
あいにくの雨空が続きます。
岡村隆史さんの運転で移動します。レンタカーです。
理髪店を訪れて、三人で散髪です。
くっきーさんが、フライパンがのっているようなヘアスタイルにしました。
頭のてんぺんだけ髪の毛を丸くする。
仕上げのときに、くっきーさんの頭に、金属のボウル(台所用品)をかぶせて整えます。びっくりしました。キャラ弁当みたいなヘアスタイル(海苔がのっている)と東野さんが冷やかします。
髪型の話をする三人は、小学生の坊主たちのような会話です。にぎやかな笑いが続きます。髪の色とかヘアスタイルの話です。
バリカンで短くした部分は、さわると気持ちよさそうです。
なんといいますか、芸人さんのヘアスタイルです。
次は、くっきーさんが、にがてな納豆を食べることに挑戦です。
催眠術師が出てきて、くっきーさんに催眠術をかけて、目の前の納豆パスタに挑戦しましたが、失敗しました。やっぱり食べられないそうです。まあ、そんなもんでしょう。
納豆を、くっきーさんが好きな「ごぼう」と錯覚させようとする催眠術でした。
くっきーさん『ああ、ダメダ(食べられない)』(見ていて、なんじゃらほいでした)
(つづく)
最終話になりました。
DIY(ドゥ・イット・ヨアセルフ)です。工房にて、自作で木製のイスをつくります。そのあと夕食として、焼き鳥のお店に行き、とりかわをつまみにビールをくみかわします。たぶん、ロケが終わると、福岡空港から羽田空港へ飛行機で移動するのでしょう。お疲れさまです。
熊太郎は、自分が中学生のときに、技術・家庭科の授業で木製のイスを手づくりしたことを思い出しました。自分は変わり者だったので、学校で配布される標準的な材料を使わず、自分で設計図をつくって、地元の材木屋さんに頼んで部品となる木材の板などをつくってもらって、授業で組み立てて提出しました。何人かがそういう手法をとりました。先生はOKしてくれました。板のお金は自分のお金で払ったという記憶です。そんなに高くなかった。
イスづくりでは、『ビートルズ』→『(くっきーさんが描いた絵が)笑点の大喜利(おおぎり)でざぶとん運びをしている山田隆夫さんの似顔絵だった』→『ずうとるび』の流れの話がおもしろかった。笑いました。そのことがわかるのは年配者です。
くっきーさんは、まじめな人でした。
こだわりが強い。好き嫌いがある。
東野・岡村さんのおふたりは、くっきーさんに、ぜひまた出演してほしいと依頼していました。
くっきーさんは、名古屋の『ひつまぶし(ウナギのかば焼きを細かく切ってあります)』を1日のうちに何回も食べて、ひつまぶしの食べ比べをしたいそうです。その提案には、岡村さんが難色を示していました。
放送される旅猿の映像をよく見ていると、ロケ先の食事では、東野さんも岡村さんも意図的に食べ残しをしている気配があります。健康管理のためでしょう。毎日おいしいものをたくさん食べていたら体に良くないでしょう。自分は見ていませんが、岡村さんは、ゴチになりますという番組で、高級料理を食べておられます。ぜいたくは、体には毒なときもあります。
くっきーさんは、名古屋のひつまぶし食べ比べが無理なら、次回は、山の中でモンスターカーを運転したいそうです。車の運転が好きだそうです。またいつかその姿を見られるかもしれません。
(その後)
テレビ番組『アメトーク』のゲストでくっきーさんが出ているのを見ました。
そのときのテーマは、『幼馴染と組んでる芸人(おさななじみとくんでるげいにん)』でした。おもしろかった。
みなさんのやりとりを見ていて、くっきーさんは、心優しい人で、笑いを生むための声かけがじょうずな人であることがわかりました。ごつい見た目と人間の中身は違います。
(さらにその後)
先日、日曜日夕方の番組、『笑点』を見ていて気づいたことがあります。
旅猿福岡編のなかで、くっきーさんがチャレンジしたヘアスタイルは、笑点の桂宮治(かつら・みやじ)さんのヘアスタイルと似ています。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-11T08:17:46+09:00
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正直不動産 NHKドラマ 2022年放送分 全10話
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153948.html
正直不動産 NHKドラマ 2022年放送分(令和4年) 全10話 動画配信サービス いつも長い感想を書いていますが、今回は、短く書くよう、挑戦してみます。 全部で10話ですが、だいたい毎日1本のペースで、ほかごとをしながら視聴をしていました。 家族からおもしろいドラマがあると聞いて観てみました。 今は、シーズン2が放送されているようです。 まじめなドラマだと思いました。 固い信念があります。 長いこと生きてきたので、不動産取引(売買・賃貸借)の体験が何度かあり、ドラマの内容は、だいたい理解できます。 土地家屋という財産ですから、大きなお金が動きます。 きちんとやるように心がけていても、取引内容で、思うようにならないことが多々あることでしょう。 神さま仏さまのバチがあたったのか、主人公の不動産仲介マン長瀬財地(ながせ・さいち)が、(顧客(こきゃく)にウソをつくべき、あるいは、ついたほうが契約をとりやすいとき)かんじんなところで、顔に強い風が吹いてきて、完璧な正直者になって、口が勝手に、本当のことをしゃべってしまいます。なかなかいいことをしゃべります。ときおり、見ている自分の胸にじんと響くセリフがあります。誠実なのです。相手のことを思いやる気持ちがあります。こうありたいと思うのです。だから正直な不動産会社の正直な担当者なのです。 主人公をまわりにいる人間たちが支えます。支えてくれるのは、顧客であったりもします。 なんだか、なつかしい昭和時代の雰囲気もあります。 先輩・後輩とか、師匠と弟子(でし)という関係で、仕事のしかたを学んで未来に引き継いでいきます。人間の成長があります。部下の育成です。 一般的に、自分の家をもつことは、人生における大きな夢です。 夢を実現するためにがんばります。 それは、家族のためでもあります。 ドラマでは、いろいろな家族構成のパターンが出てきます。 みんな、ひとりぼっちにはなりたくない。家族一同、親族一同が仲良しでいたい。 だから、みんなが集う(つどう)楽しき場所である『家』がほしいのです。 なかなかいいドラマでした。 取引で、汚いことをしようとする悪人もいますが、この世にいる大部分の人たちは、善人なのです。
正直不動産 NHKドラマ 2022年放送分(令和4年) 全10話 動画配信サービス
いつも長い感想を書いていますが、今回は、短く書くよう、挑戦してみます。
全部で10話ですが、だいたい毎日1本のペースで、ほかごとをしながら視聴をしていました。
家族からおもしろいドラマがあると聞いて観てみました。
今は、シーズン2が放送されているようです。
まじめなドラマだと思いました。
固い信念があります。
長いこと生きてきたので、不動産取引(売買・賃貸借)の体験が何度かあり、ドラマの内容は、だいたい理解できます。
土地家屋という財産ですから、大きなお金が動きます。
きちんとやるように心がけていても、取引内容で、思うようにならないことが多々あることでしょう。
神さま仏さまのバチがあたったのか、主人公の不動産仲介マン長瀬財地(ながせ・さいち)が、(顧客(こきゃく)にウソをつくべき、あるいは、ついたほうが契約をとりやすいとき)かんじんなところで、顔に強い風が吹いてきて、完璧な正直者になって、口が勝手に、本当のことをしゃべってしまいます。なかなかいいことをしゃべります。ときおり、見ている自分の胸にじんと響くセリフがあります。誠実なのです。相手のことを思いやる気持ちがあります。こうありたいと思うのです。だから正直な不動産会社の正直な担当者なのです。
主人公をまわりにいる人間たちが支えます。支えてくれるのは、顧客であったりもします。
なんだか、なつかしい昭和時代の雰囲気もあります。
先輩・後輩とか、師匠と弟子(でし)という関係で、仕事のしかたを学んで未来に引き継いでいきます。人間の成長があります。部下の育成です。
一般的に、自分の家をもつことは、人生における大きな夢です。
夢を実現するためにがんばります。
それは、家族のためでもあります。
ドラマでは、いろいろな家族構成のパターンが出てきます。
みんな、ひとりぼっちにはなりたくない。家族一同、親族一同が仲良しでいたい。
だから、みんなが集う(つどう)楽しき場所である『家』がほしいのです。
なかなかいいドラマでした。
取引で、汚いことをしようとする悪人もいますが、この世にいる大部分の人たちは、善人なのです。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-08T06:36:28+09:00
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路線バス乗り継ぎ対決旅 岩手県盛岡駅~青森八戸櫛引八幡宮
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153941.html
ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in岩手盛岡駅~青森八戸櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)。朝ドラ女優VS金メダリストの頂上対決 陣取り合戦in金メダリストの頂上決戦太川陽介チーム:紺野まひる(元宝塚歌劇団所属。NHK朝ドラ『てるてる家族』に出演) (Wエンジン)チャンカワイ河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙木菜那(平昌ピョンチャンオリンピックスピードスケートの金メダリスト) 宮本和知(元プロ野球選手。みやもとかずともさん。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。もう何十年も前のことになりますが、伊豆の旅館で、新聞を読んでおられたのをお見かけしたことがあります) 河合郁人チームが勝つといいなと思いながら観ていました。河合郁人チームが勝ちました。良かった。おめでとうございます。 太川陽介チームが、6勝5敗2分けでしたので、これで、同じく6勝になりました。 最後のほうで、河合郁人チームの髙木菜那さんが、負けたくないから、引き分けでもいいと発言されて、さすが勝負師と感心しました。最低限、負けることは避けたいのです。 お互いに情報を集めて、作戦を立てて、実行していくわけですが、思いどおりにことは運びません。その中で、負けるのだけは、どうしてもイヤだという強い気持ちが伝わってきました。 昨年青森の恐山(おそれざん)とか、岩手の三陸鉄道沿線あたりへ旅に行こうかとプランを立てたのですが、(結局クマが出るようだったので、行き先を鹿児島市内に変更しました)、そのときのプランにあった訪れたい観光地の場所が、今回の放送の映像で観ることができました。なかなか良かった。 さきほど書いた自分の旅プランで、宿泊するつもりだった岩手県盛岡駅あたりの風景からスタートします。駐車場が広くて、周囲に高層ビルは見当たらない映像でした。 番組内容は、路線バスで回りながら、市町村のチェックポイントを訪問して、ポイントを貯めていく方式です。一泊二日なので、それほど広範囲の移動は無理だろうと観ていて思いました。 太川陽介さんは、えびすさんたちとの思い出の地、野辺地町(のへじまち。『松浦食堂』の人たちにたいへんお世話になりました)を訪れたい様子でしたが、なにしろ距離があります。本数が少ないいなかの路線バスではなかなかむずかしかったようです。岩手と青森の県境あたりをウロウロするのがせいいっぱいでした。 太川陽介チームが訪れた、『龍泉洞(りゅうせんどう)』は、自分がつくった旅プランでも訪れたい場所でした。鍾乳洞(しょうにゅうどう)の地底にある泉で、濃いブルーの色をした水です。ドラゴンブルーの地底湖と紹介がありました。水深35mだそうです。映像で観ることができました。ありがとう。 河合郁人チームは、岩手山が見える道路をバスで北上して行きました。わたしも、レンタカーで高速道路を走りながら岩手山を見ようとしたことがありますが、そのときは、あいにくの天気で見ることができませんでした。今回の映像でも山頂付近は雲に隠れていました。残念です。 雪がすごい。さすが東北地方です。 地元の人がおもしろい。バスの時刻をたずねたら、各戸に配布されたバス時刻表を捨てたというような返答で笑いました。(自分たちは自家用車で移動するから、バスには乗らないということでしょう) さらに、バスは原則平日だけの運行で、例外として土日は、事前に電話連絡の予約があれば運行されるというものでした。なるほど。 両チームとも二日で一万円までのタクシー代を有効活用されました。だいぶ、タクシーの使いどころに慣れてこられたようです。 太川陽介さんは加齢の気配がただよっています。まず、顔色が悪い。お顔が、お年寄りの顔つきに変化してきています。それから、ぼーっとしていて、バスの発車時刻に対する集中力が衰えています。(おとろえています)。また、歩き続けていて、チェックポイントの食堂を通り過ぎるところでした。同行のゲストさんたちは、太川陽介さんについていくだけではいけません。補助者としての役割を果たさなければ勝負に負けてしまいます。 なんとか村にあるとうふでんがくのお店が良かった。なつかしい昭和の光景がありました。 あかちゃんをおんぶしているお母さんがおられました。 やはり、あかちゃんは、おんぶがいい。あかちゃんも安心したお顔をしていました。見ているほうも気持ちが落ち着きます。 村の人口は、2400人ぐらいだそうです。都会だと、背の高いマンションがあるので、500m四方に、何千人もが住んでいたりもします。 甘茶(あまちゃ)というお茶を初めて見ました。 演者の皆さんは疲れもあってか、甘茶を飲んで、心身共に元気を回復されていました。 ときおりガラ系の携帯電話から流れ出てくるえびすよしかずさんの、『陣とられましたよ(じんとられましたよ)』の呼びかけがいい。えびすさんのとぼけた顔が頭に浮かんで気持ちが和みます(なごみます)。 朝6時37分発の久慈駅行バス(くじえき)に太川陽介さんチームの三人が乗車されました。(番組の中で、ゲストさんが、「くじ」を時刻の「9時」と勘違いされたシーンがあって笑いました) 海辺の道を北上します。海は、朝早い路線バスに乗ると景色がとてもいいです。きれいです。NHK朝ドラのロケ地になった海岸の滝や海の岩が次々に出てきます。昨年の前半は、『あまちゃん』の再放送をNHKBSで楽しみました。今回の路線バスの車窓からドラマで観たことがある場所を観ることができて良かったです。『あまちゃん』のロケ地巡りです。 太川陽介さんは、『あまちゃん』を観ていなかったようで、反応が薄かったように見えました。チャンカワイさんは、『あまちゃん』の大ファンのようで、たいへん感激されていました。 河合郁人チームは、路線バスでいっしょになった地元の女子高生から、バスターミナルやバス路線、ゴールの櫛引神社の位置など、貴重で重要な情報をたくさん仕入れました。そこが、今回の勝利につながっていると思います。地元の、とくに学生さんからの情報は有益です。 ラピアバスセンターの案内所で鉢合わせになった両チームのようすは緊張感がただよっていました。お互いに自分たちの作戦を知られないように、案内所の職員さんと筆談をしていました。このバス対決旅では、メモ帳は必携(ひつけい。必ず手にもっておく)です。 宮本和知さんが、すぐ隣にいる太川さんと河合さんが、ひとことも言葉をかわさなかったと驚いておられました。本気の勝負なのです。 いなかの昼間の飲食店は閉店時刻が都会よりもかなり早い。 しかたがありません。お客さんが来ないのですから、お店を開けていても、人件費や水光熱費がかかります。 太川陽介チームがたどりついたチェックポイントのラーメン店は、15時オーダーストップ。15時半閉店でした。 でも、わたしは、河合郁人チームを応援していたので、うれしかったです。次回は、太川陽介チーム応援するかもしれません。がんばってねーー
ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in岩手盛岡駅~青森八戸櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)。朝ドラ女優VS金メダリストの頂上対決 陣取り合戦in金メダリストの頂上決戦
太川陽介チーム:紺野まひる(元宝塚歌劇団所属。NHK朝ドラ『てるてる家族』に出演) (Wエンジン)チャンカワイ
河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙木菜那(平昌ピョンチャンオリンピックスピードスケートの金メダリスト) 宮本和知(元プロ野球選手。みやもとかずともさん。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。もう何十年も前のことになりますが、伊豆の旅館で、新聞を読んでおられたのをお見かけしたことがあります)
河合郁人チームが勝つといいなと思いながら観ていました。河合郁人チームが勝ちました。良かった。おめでとうございます。
太川陽介チームが、6勝5敗2分けでしたので、これで、同じく6勝になりました。
最後のほうで、河合郁人チームの髙木菜那さんが、負けたくないから、引き分けでもいいと発言されて、さすが勝負師と感心しました。最低限、負けることは避けたいのです。
お互いに情報を集めて、作戦を立てて、実行していくわけですが、思いどおりにことは運びません。その中で、負けるのだけは、どうしてもイヤだという強い気持ちが伝わってきました。
昨年青森の恐山(おそれざん)とか、岩手の三陸鉄道沿線あたりへ旅に行こうかとプランを立てたのですが、(結局クマが出るようだったので、行き先を鹿児島市内に変更しました)、そのときのプランにあった訪れたい観光地の場所が、今回の放送の映像で観ることができました。なかなか良かった。
さきほど書いた自分の旅プランで、宿泊するつもりだった岩手県盛岡駅あたりの風景からスタートします。駐車場が広くて、周囲に高層ビルは見当たらない映像でした。
番組内容は、路線バスで回りながら、市町村のチェックポイントを訪問して、ポイントを貯めていく方式です。一泊二日なので、それほど広範囲の移動は無理だろうと観ていて思いました。
太川陽介さんは、えびすさんたちとの思い出の地、野辺地町(のへじまち。『松浦食堂』の人たちにたいへんお世話になりました)を訪れたい様子でしたが、なにしろ距離があります。本数が少ないいなかの路線バスではなかなかむずかしかったようです。岩手と青森の県境あたりをウロウロするのがせいいっぱいでした。
太川陽介チームが訪れた、『龍泉洞(りゅうせんどう)』は、自分がつくった旅プランでも訪れたい場所でした。鍾乳洞(しょうにゅうどう)の地底にある泉で、濃いブルーの色をした水です。ドラゴンブルーの地底湖と紹介がありました。水深35mだそうです。映像で観ることができました。ありがとう。
河合郁人チームは、岩手山が見える道路をバスで北上して行きました。わたしも、レンタカーで高速道路を走りながら岩手山を見ようとしたことがありますが、そのときは、あいにくの天気で見ることができませんでした。今回の映像でも山頂付近は雲に隠れていました。残念です。
雪がすごい。さすが東北地方です。
地元の人がおもしろい。バスの時刻をたずねたら、各戸に配布されたバス時刻表を捨てたというような返答で笑いました。(自分たちは自家用車で移動するから、バスには乗らないということでしょう)
さらに、バスは原則平日だけの運行で、例外として土日は、事前に電話連絡の予約があれば運行されるというものでした。なるほど。
両チームとも二日で一万円までのタクシー代を有効活用されました。だいぶ、タクシーの使いどころに慣れてこられたようです。
太川陽介さんは加齢の気配がただよっています。まず、顔色が悪い。お顔が、お年寄りの顔つきに変化してきています。それから、ぼーっとしていて、バスの発車時刻に対する集中力が衰えています。(おとろえています)。また、歩き続けていて、チェックポイントの食堂を通り過ぎるところでした。同行のゲストさんたちは、太川陽介さんについていくだけではいけません。補助者としての役割を果たさなければ勝負に負けてしまいます。
なんとか村にあるとうふでんがくのお店が良かった。なつかしい昭和の光景がありました。
あかちゃんをおんぶしているお母さんがおられました。
やはり、あかちゃんは、おんぶがいい。あかちゃんも安心したお顔をしていました。見ているほうも気持ちが落ち着きます。
村の人口は、2400人ぐらいだそうです。都会だと、背の高いマンションがあるので、500m四方に、何千人もが住んでいたりもします。
甘茶(あまちゃ)というお茶を初めて見ました。
演者の皆さんは疲れもあってか、甘茶を飲んで、心身共に元気を回復されていました。
ときおりガラ系の携帯電話から流れ出てくるえびすよしかずさんの、『陣とられましたよ(じんとられましたよ)』の呼びかけがいい。えびすさんのとぼけた顔が頭に浮かんで気持ちが和みます(なごみます)。
朝6時37分発の久慈駅行バス(くじえき)に太川陽介さんチームの三人が乗車されました。(番組の中で、ゲストさんが、「くじ」を時刻の「9時」と勘違いされたシーンがあって笑いました)
海辺の道を北上します。海は、朝早い路線バスに乗ると景色がとてもいいです。きれいです。NHK朝ドラのロケ地になった海岸の滝や海の岩が次々に出てきます。昨年の前半は、『あまちゃん』の再放送をNHKBSで楽しみました。今回の路線バスの車窓からドラマで観たことがある場所を観ることができて良かったです。『あまちゃん』のロケ地巡りです。
太川陽介さんは、『あまちゃん』を観ていなかったようで、反応が薄かったように見えました。チャンカワイさんは、『あまちゃん』の大ファンのようで、たいへん感激されていました。
河合郁人チームは、路線バスでいっしょになった地元の女子高生から、バスターミナルやバス路線、ゴールの櫛引神社の位置など、貴重で重要な情報をたくさん仕入れました。そこが、今回の勝利につながっていると思います。地元の、とくに学生さんからの情報は有益です。
ラピアバスセンターの案内所で鉢合わせになった両チームのようすは緊張感がただよっていました。お互いに自分たちの作戦を知られないように、案内所の職員さんと筆談をしていました。このバス対決旅では、メモ帳は必携(ひつけい。必ず手にもっておく)です。
宮本和知さんが、すぐ隣にいる太川さんと河合さんが、ひとことも言葉をかわさなかったと驚いておられました。本気の勝負なのです。
いなかの昼間の飲食店は閉店時刻が都会よりもかなり早い。
しかたがありません。お客さんが来ないのですから、お店を開けていても、人件費や水光熱費がかかります。
太川陽介チームがたどりついたチェックポイントのラーメン店は、15時オーダーストップ。15時半閉店でした。
でも、わたしは、河合郁人チームを応援していたので、うれしかったです。次回は、太川陽介チーム応援するかもしれません。がんばってねーー]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-07T06:46:14+09:00
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沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153936.html
沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫 映画のほうは、先日、動画配信サービスで観ました。 出川哲朗さんの充電バイクの旅にゲストで出ていたずん飯尾和樹さんが、劇中で、殺された娘さんの父親役を好演されていました。なかなか良かった。 もう筋書きは知っているので、文章を楽しみながらの読書になります。東野圭吾さんの文章は読みやすいので、スムーズにページが進んでいきます。 並木祐太郎・真智子夫婦とこどもさん:犠牲者が長女沙織当時19歳(頭蓋骨陥没で発見される)、次女が夏美三歳歳下です。 戸島修作(とじま・しゅうさく):並木雄太郎の幼馴染で親友。白髪混じりの五分刈り頭(1.5センチぐらい)。 宮沢摩耶(みやざわ・まや):大型書店『宮沢書店』の跡継ぎ娘。三十代前半。町内会の理事。パレードの実行委員長。 新倉直紀・留美夫婦:代々医者の家で、資産家。音楽家。歌手を目指していた並木沙織の歌の先生。 高垣智也:殺された並木沙織の交際相手。 草薙:容疑者を捕らえたものの、証拠不十分で無罪にしてしまった刑事 間宮:警察の管理官 内海薫:女性刑事 多々良:捜査一課。昔は、管理官をしていた。今は課長の次の位のポストの人 岸谷:警視庁警部補。40歳前後。穏やか(おだやか)。武藤の上司 武藤警部補:色黒。顔の彫りが深い。北国生まれ。岸谷の部下 湯川学:帝都大学で物理を教えている教授 本橋優奈ちゃん事件(もとはし・ゆうなちゃん):12歳の少女が行方不明になって殺された。19年ぐらい前の出来事です。山中で骨が発見された。 蓮沼寛一:ふたつの殺人事件の犯人。犯行を完全否認して無罪になった。(この点が、理不尽(りふじん。人の道の道理に合わないこと)として強調されます。被害者家族、そして、映画や本を観る者に、怨み(うらみ)とか、復讐心が芽生えます。無罪確定の代償として、刑事補償金1000万円以上を要求して受け取ったもよう。(本当は有罪なのに)。父親は警察官で、息子の寛一は、父親を見て、自白しなければ罪に問われにくいことを学んだようすがある。本人が黙秘権を行使した動機に、死んだ父親の言動があります。 蓮沼芳恵:蓮沼寛一の継母。高齢で死去。ごみ屋敷で暮らしていた。年金生活者だった。 冤罪(無実の罪)というのがありますが、本件事件の場合は、冤罪の反対で、犯人なのに、証拠不十分で無罪になっています。殺人事件の犯人がのうのうと暮らしています。(のうのう:心配なくのんびりと) 映画を観ましたが、小説は、やはり、情報をち密に書いてあります。 死体遺棄の時効を過ぎているから逮捕できない。(遺棄行為から3年) キクノ・ストリート・パレード:もともとは、静岡県にある菊野商店街秋祭りパレード。コンテスト形式で全国から参加がある。(仮想のイベントです)。参加者は、予選を経て、10月に行事を開催している。 被害者の父親の言葉として、『犯人扱い? 俺はあんたを犯人だと思っているよ』 増村英治:70歳前後の男。小柄。蓮沼寛一の同居人。傷害致死の前科あり。 映画を観て、もう中身がわかっているので、読んでいても、なんとはなしにつまらない。 映画の台本を読んでいるような感じです。 原作に忠実に映画がつくられていることがわかります。 『検察審査会』について書いてあります。 自分の印象としては、検察審査会は、正義の味方という位置づけの組織ではないというものです。 検察審査会の話し合いで、不起訴になった事件を起訴できたとしても、やっぱり不起訴になることが多いような印象があります。 この制度は、無念を晴らしたい人へのあきらめへの時間稼ぎにしか思えないのです。 もう昔の話ですが、知っている人が検察審査会のメンバーに選ばれたことがあります。メンバーは、衆議院選挙の有権者の名簿から選挙管理委員会のくじ引きで選ばれるのです。なんとなく、裁判員制度に似ています。ご指名があるのです。あなたはクジにあたったのです、よろしくと。 ユダの窓:推理小説。密室が素材(そざい)。 森元:自動車修理工場の自営業者 磁気物理学研究部門の第一研究室・第二研究室の磁気物理学研究部門主幹室 23年前の事件:本橋優奈ちゃん事件(12歳の少女が行方不明になり4年後山中にて、遺骨で発見された)。事件は、東京都足立区内で起きた。 クミコ:並木沙織の同級生 ヤマダ:腹痛を訴えた女性 沢内幸江(さわうち・さちえ):本橋優奈の父親である亡本橋誠二の妹 本橋由美子:本橋優奈の母親。旧姓藤原。本橋優奈が不明になって1か月後に自殺した。24歳で、32歳の本橋誠二と結婚した。本橋誠二は歳をとったあと亡くなっている。 岡野勇:増村英治が6歳のときに離婚した生き別れの父親。 (おそらく岡野)貴美子:増村英治の母親。貴美子は再婚している。 島岡:鑑識課員主任 拘る:こだわる。 塚本:高垣智也の上司。課長。 田中:高垣智也の後輩。 佐藤:高垣智也の会社の新人女子社員。 349ページ付近を読んでいて思ったことです。 証拠不十分で無罪になった容疑者に復讐しても、死んだ被害者は生き返ってはこない。 割り切れるか、割り切れないかで、生きている人の未来が変わってきます。(わりきる=あきらめる) ブラフ:はったり。うそに近いことを言って、相手の言動をおびきだすための手段。 『…… 懸命に沈黙を続けてくれている人たちに顔向けができません』 『…… この男は人間ではない。人間の皮を被った(かぶった)邪悪な生き物だと思った。』 『国が裁いて(さばいて)くれないならこの手で……』、それから、家族のことは考えなくていいから(復讐、仇討ち(あだうち))をやってくれという流れになっていきます。なんだか、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)、赤穂藩(あこおはん)の忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のようでもある。 黙っていた人が、今度は、ウソを並べる。愛する人をかばうためにウソを並べる。 『…… だから最後まで彼は黙秘を続けられたのです』 良心の呵責(かしゃく):悪いことをした自分について、良心から自分を責めて悩むこと。(全部を読み終えてびっくりしたこと) 読み終えたとき、おかしいと思いました。 映画の最後に出てくる犯人と、小説の最後に出てくる犯人が違うのです。 (こんなことがあるのだろうか) 小説は、読み終えたばかりなので、本当は人を殺していて有罪なのに、黙秘権を行使して、証拠不十分で無罪になった犯人を殺害したのは、Aという人物であることは確実だと納得がいきましたが、映画でのその人物は、Bという人物だった記憶なのです。 もう一度、動画配信サービスで映画を観ました。 わかりました。 わたしの勘違いでした。 犯人を憎んでいる人が複数いるので、AもBも眼鏡をかけていたことから、人間を勘違いしていました。そうかと、腑に落ちました。(ふにおちる。はらにおちる。納得する) ただ、また老化(加齢)を実感することになりました。アルツハイマー型認知症の新薬であるエーザイのレカネマブを、さきざき投与してもらわなければならなくなるかもしれないと心配になりました。トホホ…… 最近物忘れや勘違いや錯覚、記憶力の衰えが著しくなりました。(いちじるしくなりました) 映画では、事故が起きたときに、すぐに救急車を呼べば、こんなにおおごとにはならなかった出来事です。 救急車のピーポー音が聞こえてきたことが、紛らわしい(まぎらわしい)勘違いです。(劇中の関係者にとって) とはいえ、『うまくできている推理小説』です。たいしたものです。 映像を観ながら、映像に出ているのは、役者であり、本物の警察職員ではないという感想をもちました。 こちらの映画には、女優の檀れいさんが出ておられました。 二年前、長野県松本市を旅した時に、たまたま市内で檀れいさんをお見かけしました。たいへんおきれいな方で、輝いておられました。旅は思い出の一里塚です。(いちりづか。めじるし。ランドマーク。江戸時代に4キロおきぐらいに街道に置かれためじるし)
沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫
映画のほうは、先日、動画配信サービスで観ました。
出川哲朗さんの充電バイクの旅にゲストで出ていたずん飯尾和樹さんが、劇中で、殺された娘さんの父親役を好演されていました。なかなか良かった。
もう筋書きは知っているので、文章を楽しみながらの読書になります。東野圭吾さんの文章は読みやすいので、スムーズにページが進んでいきます。
並木祐太郎・真智子夫婦とこどもさん:犠牲者が長女沙織当時19歳(頭蓋骨陥没で発見される)、次女が夏美三歳歳下です。
戸島修作(とじま・しゅうさく):並木雄太郎の幼馴染で親友。白髪混じりの五分刈り頭(1.5センチぐらい)。
宮沢摩耶(みやざわ・まや):大型書店『宮沢書店』の跡継ぎ娘。三十代前半。町内会の理事。パレードの実行委員長。
新倉直紀・留美夫婦:代々医者の家で、資産家。音楽家。歌手を目指していた並木沙織の歌の先生。
高垣智也:殺された並木沙織の交際相手。
草薙:容疑者を捕らえたものの、証拠不十分で無罪にしてしまった刑事
間宮:警察の管理官
内海薫:女性刑事
多々良:捜査一課。昔は、管理官をしていた。今は課長の次の位のポストの人
岸谷:警視庁警部補。40歳前後。穏やか(おだやか)。武藤の上司
武藤警部補:色黒。顔の彫りが深い。北国生まれ。岸谷の部下
湯川学:帝都大学で物理を教えている教授
本橋優奈ちゃん事件(もとはし・ゆうなちゃん):12歳の少女が行方不明になって殺された。19年ぐらい前の出来事です。山中で骨が発見された。
蓮沼寛一:ふたつの殺人事件の犯人。犯行を完全否認して無罪になった。(この点が、理不尽(りふじん。人の道の道理に合わないこと)として強調されます。被害者家族、そして、映画や本を観る者に、怨み(うらみ)とか、復讐心が芽生えます。無罪確定の代償として、刑事補償金1000万円以上を要求して受け取ったもよう。(本当は有罪なのに)。父親は警察官で、息子の寛一は、父親を見て、自白しなければ罪に問われにくいことを学んだようすがある。本人が黙秘権を行使した動機に、死んだ父親の言動があります。
蓮沼芳恵:蓮沼寛一の継母。高齢で死去。ごみ屋敷で暮らしていた。年金生活者だった。
冤罪(無実の罪)というのがありますが、本件事件の場合は、冤罪の反対で、犯人なのに、証拠不十分で無罪になっています。殺人事件の犯人がのうのうと暮らしています。(のうのう:心配なくのんびりと)
映画を観ましたが、小説は、やはり、情報をち密に書いてあります。
死体遺棄の時効を過ぎているから逮捕できない。(遺棄行為から3年)
キクノ・ストリート・パレード:もともとは、静岡県にある菊野商店街秋祭りパレード。コンテスト形式で全国から参加がある。(仮想のイベントです)。参加者は、予選を経て、10月に行事を開催している。
被害者の父親の言葉として、『犯人扱い? 俺はあんたを犯人だと思っているよ』
増村英治:70歳前後の男。小柄。蓮沼寛一の同居人。傷害致死の前科あり。
映画を観て、もう中身がわかっているので、読んでいても、なんとはなしにつまらない。
映画の台本を読んでいるような感じです。
原作に忠実に映画がつくられていることがわかります。
『検察審査会』について書いてあります。
自分の印象としては、検察審査会は、正義の味方という位置づけの組織ではないというものです。
検察審査会の話し合いで、不起訴になった事件を起訴できたとしても、やっぱり不起訴になることが多いような印象があります。
この制度は、無念を晴らしたい人へのあきらめへの時間稼ぎにしか思えないのです。
もう昔の話ですが、知っている人が検察審査会のメンバーに選ばれたことがあります。メンバーは、衆議院選挙の有権者の名簿から選挙管理委員会のくじ引きで選ばれるのです。なんとなく、裁判員制度に似ています。ご指名があるのです。あなたはクジにあたったのです、よろしくと。
ユダの窓:推理小説。密室が素材(そざい)。
森元:自動車修理工場の自営業者
磁気物理学研究部門の第一研究室・第二研究室の磁気物理学研究部門主幹室
23年前の事件:本橋優奈ちゃん事件(12歳の少女が行方不明になり4年後山中にて、遺骨で発見された)。事件は、東京都足立区内で起きた。
クミコ:並木沙織の同級生
ヤマダ:腹痛を訴えた女性
沢内幸江(さわうち・さちえ):本橋優奈の父親である亡本橋誠二の妹
本橋由美子:本橋優奈の母親。旧姓藤原。本橋優奈が不明になって1か月後に自殺した。24歳で、32歳の本橋誠二と結婚した。本橋誠二は歳をとったあと亡くなっている。
岡野勇:増村英治が6歳のときに離婚した生き別れの父親。
(おそらく岡野)貴美子:増村英治の母親。貴美子は再婚している。
島岡:鑑識課員主任
拘る:こだわる。
塚本:高垣智也の上司。課長。
田中:高垣智也の後輩。
佐藤:高垣智也の会社の新人女子社員。
349ページ付近を読んでいて思ったことです。
証拠不十分で無罪になった容疑者に復讐しても、死んだ被害者は生き返ってはこない。
割り切れるか、割り切れないかで、生きている人の未来が変わってきます。(わりきる=あきらめる)
ブラフ:はったり。うそに近いことを言って、相手の言動をおびきだすための手段。
『…… 懸命に沈黙を続けてくれている人たちに顔向けができません』
『…… この男は人間ではない。人間の皮を被った(かぶった)邪悪な生き物だと思った。』
『国が裁いて(さばいて)くれないならこの手で……』、それから、家族のことは考えなくていいから(復讐、仇討ち(あだうち))をやってくれという流れになっていきます。なんだか、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)、赤穂藩(あこおはん)の忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のようでもある。
黙っていた人が、今度は、ウソを並べる。愛する人をかばうためにウソを並べる。
『…… だから最後まで彼は黙秘を続けられたのです』
良心の呵責(かしゃく):悪いことをした自分について、良心から自分を責めて悩むこと。
(全部を読み終えてびっくりしたこと)
読み終えたとき、おかしいと思いました。
映画の最後に出てくる犯人と、小説の最後に出てくる犯人が違うのです。
(こんなことがあるのだろうか)
小説は、読み終えたばかりなので、本当は人を殺していて有罪なのに、黙秘権を行使して、証拠不十分で無罪になった犯人を殺害したのは、Aという人物であることは確実だと納得がいきましたが、映画でのその人物は、Bという人物だった記憶なのです。
もう一度、動画配信サービスで映画を観ました。
わかりました。
わたしの勘違いでした。
犯人を憎んでいる人が複数いるので、AもBも眼鏡をかけていたことから、人間を勘違いしていました。そうかと、腑に落ちました。(ふにおちる。はらにおちる。納得する)
ただ、また老化(加齢)を実感することになりました。アルツハイマー型認知症の新薬であるエーザイのレカネマブを、さきざき投与してもらわなければならなくなるかもしれないと心配になりました。トホホ…… 最近物忘れや勘違いや錯覚、記憶力の衰えが著しくなりました。(いちじるしくなりました)
映画では、事故が起きたときに、すぐに救急車を呼べば、こんなにおおごとにはならなかった出来事です。
救急車のピーポー音が聞こえてきたことが、紛らわしい(まぎらわしい)勘違いです。(劇中の関係者にとって)
とはいえ、『うまくできている推理小説』です。たいしたものです。
映像を観ながら、映像に出ているのは、役者であり、本物の警察職員ではないという感想をもちました。
こちらの映画には、女優の檀れいさんが出ておられました。
二年前、長野県松本市を旅した時に、たまたま市内で檀れいさんをお見かけしました。たいへんおきれいな方で、輝いておられました。旅は思い出の一里塚です。(いちりづか。めじるし。ランドマーク。江戸時代に4キロおきぐらいに街道に置かれためじるし)]]>
読書感想文
熊太郎
2024-03-06T06:40:56+09:00
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ローカル路線バス乗り継ぎの旅W! 第2弾 山形県→青森県
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153931.html
ローカル路線バス乗り継ぎの旅W! 第2弾 山形県湯野浜温泉→青森県龍飛岬(たっぴざき) テレビ愛知 何か月か前にテレビ東京で、関東地区で放送された番組です。 愛知県では、ようやく年が明けた2月下旬土曜日のお昼に、テレビ愛知で放送がありました。見たのは初めてです。 今回、映像を観ていていろいろ思ったことがあるので書いてみます。 自分は、毎週火曜日夜にBSテレ東で再放送されている太川陽介さんと蛭子収能(えびす・よしかず)さんの昔のバス旅の番組を観ているのですが、その数日後の土曜日お昼に地上波テレビ愛知で放送されたこちらの番組は、ルートが似通っています。(にかよっています)。 太川陽介さんたちのほうは、『2010年放送 宮城県松島から青森県龍飛崎 ゲスト 山田まりあさんで、龍飛崎まで到着して成功されています』が、こちらの女性三人組での番組では龍飛崎に到着できず失敗しています。 似ていた部分として、とくに、最終部の青森駅から龍飛崎(たっぴざき)のルートは、太川陽介さんたちのときと同じですからルートも同じです。 今回の演者女性三人が、青森駅のバス案内所で太川陽介さんたちと同じことを質問するシーンがあって不思議でした。(演者たちは、過去の太川陽介さんたちのバス旅番組は観ていないんだ。もしかしたら、番組製作スタッフも観ていないんだ。同じテレビ東京の製作番組なのに……) 演者の三人さんはお気の毒でした。これで良かったのだろうかと疑問が残るロケ番組でした。 赤江珠緒さん、三船美佳さん、たけうちほのかさんの出演でした。 残念ながらチャレンジは失敗でした。ほんとうに、お気の毒でした。 いろいろと問題点が浮かぶ映像になってしまいました。 まず、ルート選択、地域選択が適切ではなかったと思います。 観ていて、最初は、宮城県仙台市に出て北上するのかと思いましたが、急がば回れの選択は行われませんでした。さきほども書きましたが、最後のルートは過去に太川陽介さんたちが試しているので、同じことをまたやることもなかったと思います。(青森駅がゴールでもよかった) 日本海側というのは、太平洋側にある都市部の人間から見ると、人口が少ない地域です。日本海側にある県内の主要な市でも、太平洋側にある政令指定都市の行政区ぐらいか、それよりも少ない人口しかありません。自治体として組織を維持していかれていることに感心します。 人口が少ない地域内の公共交通網というのは、必要最低限だと思います。 人口が多いところに、充実した公共交通機関網があります。 ロケ地として居住者が少ない地域を選択することは、演者にとって、とても厳しい環境におかれることを意味します。ロケをするほうとしては、タレント以外の一般人が少ないので撮影がしやすいということはあるでしょう。 今回、バスの待ち時間や、徒歩で長距離を歩く時間がとても長かった。バス旅の番組ですから、バスの乗車時間が一番長くなることが基本です。 いなかの人たちの人情に助けられた内容でした。 いなかの人たちの暮らしは、都会の人たちのように、法令とか、金銭のやりとりで他人と関わる日常生活を形成しているわけではなくて、そこに、地縁・血縁がからんだグループの義理と人情の関係がからんで成立しているものです。 初日も二日目も泊るところがなくて、地元の人たちに助けられていますが、冷静に見ると、番組関係者たちが、テレビカメラ等を持って、夜中にいきなり店に押し寄せて来て、泊るところが見つからないと、お店の人にはなんの責任もないのに、大迷惑をかけています。あとで、お世話してくれた人たちには、謝罪をして、金銭で対価を渡さないといけないような内容でした。 太川陽介さんたちの昔の路線バス乗り継ぎ旅番組で、えびすよしかずさんと、いとうまい子さんが宿探しのために、ふたりで肩を並べてホテルの受付に入って行ったあと、えびすさんが出てきて太川陽介さんに、『てへへ、ラブホテルだったよ』と笑いを誘ったシーンがありました。 太川陽介さんたちは、当然ラブホテルには泊まりませんでしたが、今回の三人の女性タレントさんたちは泊るところがなくて、ラブホテルに泊まりました。ちょっと考えられません。企画自体に問題ありです。 翌日も泊るところがなくて、三人の女性演者は、居酒屋のお酒を酌み交わす(くみかわす)座敷に、お店の人におふとんをしいてもらって泊まられました。ラブホテルも居酒屋も、場所を貸してくださった方には感謝しつつも、ロケの企画・運営内容は、演者の基本的人権を侵害しているのではなかろうかとさえ思えました。ひどい。演者は、出演料とは別に賠償金をもらってもいい。 とにかく過酷なロケでした。天候も悪かった。 観ていて、う~むと思う番組でした。 ナレーションのコメントの文章に魅力がありません。 接続詞の『そして』は、ナレーションには使わないほうがいいし、体言止め(たいげんどめ。名詞でプツンと文章を切る)もやめたほうがいい。体言止めは、映像を観ている人に何がいいたいのかを考えさせる負担を与えます。聞いていて、文章をつくった人が自己満足をする文章になっていました。自分自身向けに書かれた文章であり、視聴者向けに書かれた文章ではありませんでした。映像を観ていてわかることを、ナレーションで重ねて説明するようなコメントが多かった。 くわえて、ナレーターの声質が映像とマッチ(合致)していませんでした。太川陽介さんたちのときの、キートン山田さんのナレーションがなつかしい。今回の方は、ニュースキャスターが文章を読んでいるような感じがしました。個性がありません。 さらに、BGM(バック・グランド・ミュージック)が、素人が(しろうとが)発想したような曲の選択でした。ふつー(普通)なのです。おもしろみがありませんでした。曲の選択も個性がないのです。たとえば、出川哲朗さんの充電バイク旅の番組では、なつかしい曲のフレーズが次々と流れてきて、もの思いにふけることができます。 結局、ナレーションもBGMもないほうがいいと思いました。 三人の女性演者たちによるにぎやかな会話と、東北地方の美しい風景映像で十分楽しめた内容でした。 辛口(からくち)の感想は続きますが、『せっぱつまった雰囲気をだそうとしすぎ』の映像が続きます。観ていて疲れました。2時間半の番組です。娯楽からは離れた内容です。なにかしら、マニュアル(教科書的な手引き)があって、それに従ってつくったような映像でした。ふつー(普通)で、個性がないのです。見た目とか、うわべはきれいでも、魅力はないのです。 東北の人たちはみんな優しい。 人が少ないから、助け合って生きていくのでしょう。 クマが出るから夜は歩かないほうがいいというアドバイスも東北地方らしいと思いました。 青森空港は複数回行ったことがあるので、なつかしかったです。 なんだかんだといっても、三人の演者のがんばりはすばらしくて、観て良かった番組でした。たけうちほのかさんの、秋田県に住むご自身のおばあちゃんのお話が良かった。しみじみして、ほんわかできました。
ローカル路線バス乗り継ぎの旅W! 第2弾 山形県湯野浜温泉→青森県龍飛岬(たっぴざき) テレビ愛知
何か月か前にテレビ東京で、関東地区で放送された番組です。
愛知県では、ようやく年が明けた2月下旬土曜日のお昼に、テレビ愛知で放送がありました。見たのは初めてです。
今回、映像を観ていていろいろ思ったことがあるので書いてみます。
自分は、毎週火曜日夜にBSテレ東で再放送されている太川陽介さんと蛭子収能(えびす・よしかず)さんの昔のバス旅の番組を観ているのですが、その数日後の土曜日お昼に地上波テレビ愛知で放送されたこちらの番組は、ルートが似通っています。(にかよっています)。
太川陽介さんたちのほうは、『2010年放送 宮城県松島から青森県龍飛崎 ゲスト 山田まりあさんで、龍飛崎まで到着して成功されています』が、こちらの女性三人組での番組では龍飛崎に到着できず失敗しています。
似ていた部分として、とくに、最終部の青森駅から龍飛崎(たっぴざき)のルートは、太川陽介さんたちのときと同じですからルートも同じです。
今回の演者女性三人が、青森駅のバス案内所で太川陽介さんたちと同じことを質問するシーンがあって不思議でした。(演者たちは、過去の太川陽介さんたちのバス旅番組は観ていないんだ。もしかしたら、番組製作スタッフも観ていないんだ。同じテレビ東京の製作番組なのに……)
演者の三人さんはお気の毒でした。これで良かったのだろうかと疑問が残るロケ番組でした。
赤江珠緒さん、三船美佳さん、たけうちほのかさんの出演でした。
残念ながらチャレンジは失敗でした。ほんとうに、お気の毒でした。
いろいろと問題点が浮かぶ映像になってしまいました。
まず、ルート選択、地域選択が適切ではなかったと思います。
観ていて、最初は、宮城県仙台市に出て北上するのかと思いましたが、急がば回れの選択は行われませんでした。さきほども書きましたが、最後のルートは過去に太川陽介さんたちが試しているので、同じことをまたやることもなかったと思います。(青森駅がゴールでもよかった)
日本海側というのは、太平洋側にある都市部の人間から見ると、人口が少ない地域です。日本海側にある県内の主要な市でも、太平洋側にある政令指定都市の行政区ぐらいか、それよりも少ない人口しかありません。自治体として組織を維持していかれていることに感心します。
人口が少ない地域内の公共交通網というのは、必要最低限だと思います。
人口が多いところに、充実した公共交通機関網があります。
ロケ地として居住者が少ない地域を選択することは、演者にとって、とても厳しい環境におかれることを意味します。ロケをするほうとしては、タレント以外の一般人が少ないので撮影がしやすいということはあるでしょう。
今回、バスの待ち時間や、徒歩で長距離を歩く時間がとても長かった。バス旅の番組ですから、バスの乗車時間が一番長くなることが基本です。
いなかの人たちの人情に助けられた内容でした。
いなかの人たちの暮らしは、都会の人たちのように、法令とか、金銭のやりとりで他人と関わる日常生活を形成しているわけではなくて、そこに、地縁・血縁がからんだグループの義理と人情の関係がからんで成立しているものです。
初日も二日目も泊るところがなくて、地元の人たちに助けられていますが、冷静に見ると、番組関係者たちが、テレビカメラ等を持って、夜中にいきなり店に押し寄せて来て、泊るところが見つからないと、お店の人にはなんの責任もないのに、大迷惑をかけています。あとで、お世話してくれた人たちには、謝罪をして、金銭で対価を渡さないといけないような内容でした。
太川陽介さんたちの昔の路線バス乗り継ぎ旅番組で、えびすよしかずさんと、いとうまい子さんが宿探しのために、ふたりで肩を並べてホテルの受付に入って行ったあと、えびすさんが出てきて太川陽介さんに、『てへへ、ラブホテルだったよ』と笑いを誘ったシーンがありました。
太川陽介さんたちは、当然ラブホテルには泊まりませんでしたが、今回の三人の女性タレントさんたちは泊るところがなくて、ラブホテルに泊まりました。ちょっと考えられません。企画自体に問題ありです。
翌日も泊るところがなくて、三人の女性演者は、居酒屋のお酒を酌み交わす(くみかわす)座敷に、お店の人におふとんをしいてもらって泊まられました。ラブホテルも居酒屋も、場所を貸してくださった方には感謝しつつも、ロケの企画・運営内容は、演者の基本的人権を侵害しているのではなかろうかとさえ思えました。ひどい。演者は、出演料とは別に賠償金をもらってもいい。
とにかく過酷なロケでした。天候も悪かった。
観ていて、う~むと思う番組でした。
ナレーションのコメントの文章に魅力がありません。
接続詞の『そして』は、ナレーションには使わないほうがいいし、体言止め(たいげんどめ。名詞でプツンと文章を切る)もやめたほうがいい。体言止めは、映像を観ている人に何がいいたいのかを考えさせる負担を与えます。聞いていて、文章をつくった人が自己満足をする文章になっていました。自分自身向けに書かれた文章であり、視聴者向けに書かれた文章ではありませんでした。映像を観ていてわかることを、ナレーションで重ねて説明するようなコメントが多かった。
くわえて、ナレーターの声質が映像とマッチ(合致)していませんでした。太川陽介さんたちのときの、キートン山田さんのナレーションがなつかしい。今回の方は、ニュースキャスターが文章を読んでいるような感じがしました。個性がありません。
さらに、BGM(バック・グランド・ミュージック)が、素人が(しろうとが)発想したような曲の選択でした。ふつー(普通)なのです。おもしろみがありませんでした。曲の選択も個性がないのです。たとえば、出川哲朗さんの充電バイク旅の番組では、なつかしい曲のフレーズが次々と流れてきて、もの思いにふけることができます。
結局、ナレーションもBGMもないほうがいいと思いました。
三人の女性演者たちによるにぎやかな会話と、東北地方の美しい風景映像で十分楽しめた内容でした。
辛口(からくち)の感想は続きますが、『せっぱつまった雰囲気をだそうとしすぎ』の映像が続きます。観ていて疲れました。2時間半の番組です。娯楽からは離れた内容です。なにかしら、マニュアル(教科書的な手引き)があって、それに従ってつくったような映像でした。ふつー(普通)で、個性がないのです。見た目とか、うわべはきれいでも、魅力はないのです。
東北の人たちはみんな優しい。
人が少ないから、助け合って生きていくのでしょう。
クマが出るから夜は歩かないほうがいいというアドバイスも東北地方らしいと思いました。
青森空港は複数回行ったことがあるので、なつかしかったです。
なんだかんだといっても、三人の演者のがんばりはすばらしくて、観て良かった番組でした。たけうちほのかさんの、秋田県に住むご自身のおばあちゃんのお話が良かった。しみじみして、ほんわかできました。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-05T06:54:04+09:00
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ジャンゴ 繋がれざる者 アメリカ映画 2012年
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153924.html
ジャンゴ 繋がれざる者(つながれざるもの) アメリカ映画 2012年(平成24年) 2時間45分 動画配信サービス 西部劇です。 なにかで、いい映画だという紹介を観ましたが、そのなにかを思い出せません。 見終えて、爽快な(そうかいな)ドンパチいっぱいの西部劇映画でした。 奴隷解放が素材ですが、理屈っぽいメッセージよりも、アクションの娯楽性が高い。 1858年(日本だと明治維新が1868年です)。アメリカ合衆国テキサス州のどこかで始まります。奴隷解放でもめた南北戦争はこの2年後ぐらいに始まるそうです。 ジャンゴ:黒人奴隷(ジェイミー・フォックス) シュルツ:ドイツ人賞金稼ぎ。(手配中の殺人犯を殺して償金をもらう)(クリストフ・ヴァルツ) カルヴィン・キャンディ:農場主(レオナルド・ディカプリオ) ヒルディ:ジャンゴの妻。黒人。キャンディの農場で奴隷となっている。(ケリー・ワシントン) 黒人奴隷のジャンゴが、賞金稼ぎのドイツ人シュルツと組んで、奴隷になっている妻を農場から救い出すのです。 問答無用に近い状態で人殺しをする西部劇です。 まあ、アメリカ映画は非情です。 復讐劇ですな。奴隷の反乱です。黒人から自由を奪った白人たちをやっつけるのです。 主役は、黒人のジャンゴです。差別言葉が出てきます。『ニグロ』です。ニグロが馬に乗ってはいけないのです。白人から見ると、黒人の乗馬は、考えられない行為だそうです。黒人は人間ではない。家畜以下の扱いです。 白人の映画かと思って見始めましたが、終わってみれば、黒人はじめ、有色人種の映画でした。 残虐なようで、喜劇でもある。 西部劇の心意気です。力(ちから)と知恵があります。 ドイツ人と黒人奴隷が手を組みます。ドイツ人はお金が欲しい。黒人は自由が欲しい。黒人の妻を裕福な白人農場主から奪い返します。 えらく射撃がうまい人たちです。現実にはあのように的中しません。ドンパチが続きます。 なんだか、日本映画が参考になっているのではないかと思うシーンもあります。 キタノタケシさんの映画とか、黒澤明さんとか三船敏郎さんの映画とか、忍者の映画とか…… ロッキー山脈の雪景色がきれいです。 まあ、この映画もタバコ映画ですな。 お金でなんでも買える場所ですな。 人(奴隷どれい)を売り買いします。 米国の奴隷時代です。 カネ・カネ・カネ、アメリカらしい。なんだかよくわからない混乱があります。アメリカ白人は野蛮です。(やばん。荒っぽい。粗野そや) 黒人なのに権力をもっている太った黒人がいます。白人のアドバイザーになっています。不思議でした。(農場主の亡くなった父親に仕えていた(つかえていた)人物だそうです) 白人優位の世界です。 ひどいことをするもんだというシーンが続きます。 特殊な世界です。箱の中にある世界。白いスクリーンの上にある世界です。 人間を人間扱いしない金もうけの世界です。 後半は展開が読めません。 頭がイカレた人がいっぱいいます。 憎しみのかたまりが大きくなっていきます。 人格を否定されると、人は、復讐心の塊(かたまり)になります。 わざとスリリングなシーンをつくる。 (つくるほうの立場で映像を観ています) なんでも金で解決できる世界でもあります。 握手をするかしないかで、かなりもめます。 最後のほうは、連携がすばらしい。 すごいなあ。クライマックスか。 メチャクチャです。 どうもっていくのだろうか。 男女の愛情でまとめるのか。(夫婦愛です) 仮面ライダーのようでもある。 西部劇の真骨頂ですな。(真価しんか。見せ場) (捕まっている妻に向かって)『オレだ。ベイビー』(かっこいい) 警察なんて、あってない時代です。 プライドを示す映画でした。 ねちっこい復讐劇ではありません。ドカーン、ドカーンの勢いで、悪を倒します。 黒人が観て喜ぶ映画だったのだろうか。 いや、すべての人が観て喜ぶ映画だったのでしょう。
ジャンゴ 繋がれざる者(つながれざるもの) アメリカ映画 2012年(平成24年) 2時間45分 動画配信サービス
西部劇です。
なにかで、いい映画だという紹介を観ましたが、そのなにかを思い出せません。
見終えて、爽快な(そうかいな)ドンパチいっぱいの西部劇映画でした。
奴隷解放が素材ですが、理屈っぽいメッセージよりも、アクションの娯楽性が高い。
1858年(日本だと明治維新が1868年です)。アメリカ合衆国テキサス州のどこかで始まります。奴隷解放でもめた南北戦争はこの2年後ぐらいに始まるそうです。
ジャンゴ:黒人奴隷(ジェイミー・フォックス)
シュルツ:ドイツ人賞金稼ぎ。(手配中の殺人犯を殺して償金をもらう)(クリストフ・ヴァルツ)
カルヴィン・キャンディ:農場主(レオナルド・ディカプリオ)
ヒルディ:ジャンゴの妻。黒人。キャンディの農場で奴隷となっている。(ケリー・ワシントン)
黒人奴隷のジャンゴが、賞金稼ぎのドイツ人シュルツと組んで、奴隷になっている妻を農場から救い出すのです。
問答無用に近い状態で人殺しをする西部劇です。
まあ、アメリカ映画は非情です。
復讐劇ですな。奴隷の反乱です。黒人から自由を奪った白人たちをやっつけるのです。
主役は、黒人のジャンゴです。差別言葉が出てきます。『ニグロ』です。ニグロが馬に乗ってはいけないのです。白人から見ると、黒人の乗馬は、考えられない行為だそうです。黒人は人間ではない。家畜以下の扱いです。
白人の映画かと思って見始めましたが、終わってみれば、黒人はじめ、有色人種の映画でした。
残虐なようで、喜劇でもある。
西部劇の心意気です。力(ちから)と知恵があります。
ドイツ人と黒人奴隷が手を組みます。ドイツ人はお金が欲しい。黒人は自由が欲しい。黒人の妻を裕福な白人農場主から奪い返します。
えらく射撃がうまい人たちです。現実にはあのように的中しません。ドンパチが続きます。
なんだか、日本映画が参考になっているのではないかと思うシーンもあります。
キタノタケシさんの映画とか、黒澤明さんとか三船敏郎さんの映画とか、忍者の映画とか……
ロッキー山脈の雪景色がきれいです。
まあ、この映画もタバコ映画ですな。
お金でなんでも買える場所ですな。
人(奴隷どれい)を売り買いします。
米国の奴隷時代です。
カネ・カネ・カネ、アメリカらしい。なんだかよくわからない混乱があります。アメリカ白人は野蛮です。(やばん。荒っぽい。粗野そや)
黒人なのに権力をもっている太った黒人がいます。白人のアドバイザーになっています。不思議でした。(農場主の亡くなった父親に仕えていた(つかえていた)人物だそうです)
白人優位の世界です。
ひどいことをするもんだというシーンが続きます。
特殊な世界です。箱の中にある世界。白いスクリーンの上にある世界です。
人間を人間扱いしない金もうけの世界です。
後半は展開が読めません。
頭がイカレた人がいっぱいいます。
憎しみのかたまりが大きくなっていきます。
人格を否定されると、人は、復讐心の塊(かたまり)になります。
わざとスリリングなシーンをつくる。
(つくるほうの立場で映像を観ています)
なんでも金で解決できる世界でもあります。
握手をするかしないかで、かなりもめます。
最後のほうは、連携がすばらしい。
すごいなあ。クライマックスか。
メチャクチャです。
どうもっていくのだろうか。
男女の愛情でまとめるのか。(夫婦愛です)
仮面ライダーのようでもある。
西部劇の真骨頂ですな。(真価しんか。見せ場)
(捕まっている妻に向かって)『オレだ。ベイビー』(かっこいい)
警察なんて、あってない時代です。
プライドを示す映画でした。
ねちっこい復讐劇ではありません。ドカーン、ドカーンの勢いで、悪を倒します。
黒人が観て喜ぶ映画だったのだろうか。
いや、すべての人が観て喜ぶ映画だったのでしょう。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-03-04T07:09:22+09:00
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観劇 名古屋御園座 ミュージカル『トッツィー』
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153899.html
観劇 名古屋御園座(みそのざ) ミュージカル『トッツィー』 山崎育三郎さんの舞台です。 映画は観たことがあります。もうずいぶん前の洋画です。1983年(昭和58年)日本公開、ダスティン・ホフマンさんの映画でした。 山崎育三郎さんは、出川哲朗さんの充電バイクの番組に出演されたのを見て、好青年で感じのいい人だと思いました。ファンになりました。 NHKの朝ドラでの甲子園高校野球の歌がとても良かった。強い印象で記憶に残っています。 毎週日曜日の夜にある井桁弘恵さん(いげた・ひろえ)さんとゲストを迎えてのトークショー、『おしゃれクリップ』も楽しみに観ています。 女ばかりの観客のところに、男一人で観に行くのはつらいので、奥さんに同行してもらいました。 御園座(みそのざ)はまだ建て替える前、三十年ちょっと前に行ったのが最後です。 まだ、今の年齢の自分よりも若かった五十代の実母とふたりで、『西郷輝彦ショー』を観ました。 親戚からもらった招待券で、2階だったか、3階だったか、座席の上の方、遠い位置から舞台を見下ろした記憶が残っています。『星のフラメンコ』の歌を聴いたことを覚えています。もう、遠い昔のことになりました。 さて、今回のトッツィーは、売れない男優が女装をして女優になったら売れたというコメディです。内容のおもしろさと山崎育三郎さんの魅力で観たいと思いました。 演劇終了後、緞帳(どんちょう。幕(まく))とタイトル照明の撮影はOKだったので撮ってみました。次の写真です。 始まる前に、ロビーのイスに座って、はらごしらえのパンを食べていました。(午後4時15分開場、午後5時開演、幕間休憩30分で、終わりは午後8時過ぎだった記憶です。幕間休憩30分間のときに、座席でお弁当を食べている人たちもいて、席で食事はOKでした) ロビーの壁にかかっていた、たくさんのちょうちんがきれいでした。パンを食べながらちょうちんをながめていました。 ちょうちんを見上げながら、株式投資のことを思い出しました。 ちょうちんに書かれているUFJ銀行も三菱商事も株価が上昇しました。何度か売り買いをしている銘柄です。 思うに、ここにちょうちんがある会社や組織は、御園座が建て替えになる時に、建設費用としていくらかの寄付をされたのでしょう。そのみかえりとして、会社等の宣伝用にちょうちんを出してもらっているのでしょう。ひとつのちょうちんを出す経費がいくらだったのかは、想像するしかありません。 ロビーで、カーテンコール(公演終了後、観客の拍手に応じて幕を開ける)のときのダンスが紹介されていました。ミュージカルの最後に、観客みんなで軽い踊りをするのかと思ったら、なにもありませんでした。 東京で、森公美子さんの『天使にラブ・ソングを』を観たときは、男優さんがステージのふちっこ、ちょっと前に出てきて、観客を誘導しながら上半身だけの軽いダンスを楽しみました。ステージには、出演されたみなさんが並んでいて、いっしょに動作をしてほのぼのとしました。 今回のカーテンコールでは、何度も幕が上がったり下がったりして、演者のみなさんたちが観客に笑顔をふりまいておられました。わたしとしては、それで十分でした。 新しい御園座の上の方は、分譲マンション・賃貸マンションになっています。 東京都内のマンション価格との比較で、東京に住む人たちからみれば、名古屋のマンション分譲価格は賃貸月額も含めて、安価だと感じると思います。 さて、思い出すままに、劇の感想を書き落としてみます。 演者のみなさんは若い。若々しくて、元気いっぱいです。ダンスのキレもよく、観ていて気持ちがいい。勢いがあります。 山崎育三郎さんは、男っぽい。テレビで見るのとは違います。テレビだと、細くてきゃしゃな色男的弱さ(色男、金と力はなかりけり)があるのですが、実物はぜんぜん違っていました。ごつくて、力強くて、たくましい男のにおいがプンプン広がってくるような男性でした。(この劇では、女装して女優を演じられていましたが、その姿もピシッと決まっていて、なかなか見事な女優さんを演じておられました。声も女性の声として、高い声を出しておられました。体の大きな女の人です。男から女、女から男への衣装の早変わりがすばやいことに驚きました。演劇は、女性賛歌のステージでした) 山崎育三郎さんは、歌がうまい。声量があって、とくに、声の伸びがいい。 劇の始まりでは、40歳になっても、売れない男優で、役をもらえないと嘆いているところからはじまりますが、それを見ていて、自分も十代のころは、こういう文化芸術・芸能の仕事をしてみたかったけれど、それでは食べていけないわけで、現実は厳しいと割り切って、地味な仕事をコツコツと定年まで続けてきたことを思いだしました。リタイヤして、ようやく、自分のやりたいことができる時間を手に入れたので、これからは、演劇や芸能への参加はできないけれど、観る立場で演者のみなさんを応援していきたいと思ったのです。 劇中では、売れない男優が女装して女優を演じて、オーディションに合格して、劇に出演して大人気が出るのです。でも、男だからウソなのです。だからトラブルが起きるのです。恋愛模様でトラブルになります。三角関係があるのですが、女の立場で、同性同士のラブも生まれます。ややこしい。 ロミオとジュリエットが題材として扱われます。 なんというか、筋書きはあまり肝心なものではありません。 ミュージカルですから、歌とダンスでお客さんに楽しんでもらう内容です。 そして、笑いがあります。コメディです。 男の笑いのツボと女の笑いのツボは違うと感じました。 けっこう、女性のお客さんたちが大きな声をだして笑っておられました。男の自分はどうして笑えるのか不思議でした。笑いのツボが違うのです。 下ネタも多い。案外、女性のお客さんって、下ネタが好きなんだと驚きました。まあ、エロっぽい話もあります。キスシーンを何度も観ました。まあ、あいさつのようなものなのでしょう。 劇が始まる前に、ロビーをゆきかう女性客のみなさんを目にしたのですが、みなさん、めいっぱいおしゃれをされてきておられます。お洋服と靴とバッグと装飾品と、この機会を楽しみにされていることがわかりました。 年配の女性も多い。係員の介助が必要な方もおられました。楽しみにされているのだと思います。 自分も歳をとってわかったのですが、寿命という時間をだいじにしたい。限りがある残りの自分の持ち時間を十分楽しんであの世に旅立ちたいのです。歳をとると、お金よりも『時間』のほうが、愛おしく(いとおしく)思えるようになるのです。 ステージ上の舞台装置は、色も照明も鮮やかできれいに輝いていました。 あとさきのことになりますが、ステージ開始時に、まず、指揮者が、ステージ前のオーケストラピットから姿を現し(あらわし)ます。指揮者は、万歳のように両手をあげて、手拍子(てびょうし)をとり、観客に手拍子をするようにうながします。観客全員の手拍子の音はだんだん大きく速く(はやく)なってきて、雰囲気が盛り上がります。指揮者は、楽団だけではなくて、観客も指揮するのです。なかなかいい感じです。 展開として、山崎育三郎さんが演じている女優が、男であることがばれます。 その瞬間、舞台上は、暗い雰囲気になります。 山崎育三郎さんの熟女女優に心を奪われる若い男優がいるのですが、あんな男が実際にいるのかなあと思いながら観ていました。いないと思います。まあ、劇です。 山崎育三郎さんが、演技ですが、ウォッカだったかを瓶から(びんから)ラッパ飲みするシーンが何度も出てきました。セリフを言う時に呼吸がしにくいだろうにと思いました。 エージェント:契約交渉の代理人 デコルテ:胸元から肩・首まわり。その部分が開いたドレス。 ジェンダー:つくられた男性像、女性像。社会的性別 山崎育三郎さんの良かったセリフとして:『(わたしのことを)女王さまとお呼びーー』 男であることがばれて、乱れた男女関係や人間関係のトラブルについて、いろいろ修復に走って、最後は、男女の和解シーンで終わりますが、最後はあっけなかった。しんみりとして、突然幕が下り(おり)ました。 えッ?! 終わり? 尻切れトンボ感がありましたが、その後、何回ものカーテンコールで、幕があがったりさがったりしたので、まあいいかでした。 ミュージカルの最後というものは、出演者全員がステージに出てきて、踊って歌ってパーーとやるものだと思いこんでいました。ハッピーエンドパターンです。 楽しませてもらいました。 演者のみなさん、ありがとう。
観劇 名古屋御園座(みそのざ) ミュージカル『トッツィー』
山崎育三郎さんの舞台です。
映画は観たことがあります。もうずいぶん前の洋画です。1983年(昭和58年)日本公開、ダスティン・ホフマンさんの映画でした。
山崎育三郎さんは、出川哲朗さんの充電バイクの番組に出演されたのを見て、好青年で感じのいい人だと思いました。ファンになりました。
NHKの朝ドラでの甲子園高校野球の歌がとても良かった。強い印象で記憶に残っています。
毎週日曜日の夜にある井桁弘恵さん(いげた・ひろえ)さんとゲストを迎えてのトークショー、『おしゃれクリップ』も楽しみに観ています。
女ばかりの観客のところに、男一人で観に行くのはつらいので、奥さんに同行してもらいました。
御園座(みそのざ)はまだ建て替える前、三十年ちょっと前に行ったのが最後です。
まだ、今の年齢の自分よりも若かった五十代の実母とふたりで、『西郷輝彦ショー』を観ました。
親戚からもらった招待券で、2階だったか、3階だったか、座席の上の方、遠い位置から舞台を見下ろした記憶が残っています。『星のフラメンコ』の歌を聴いたことを覚えています。もう、遠い昔のことになりました。
さて、今回のトッツィーは、売れない男優が女装をして女優になったら売れたというコメディです。内容のおもしろさと山崎育三郎さんの魅力で観たいと思いました。
演劇終了後、緞帳(どんちょう。幕(まく))とタイトル照明の撮影はOKだったので撮ってみました。次の写真です。
始まる前に、ロビーのイスに座って、はらごしらえのパンを食べていました。(午後4時15分開場、午後5時開演、幕間休憩30分で、終わりは午後8時過ぎだった記憶です。幕間休憩30分間のときに、座席でお弁当を食べている人たちもいて、席で食事はOKでした)
ロビーの壁にかかっていた、たくさんのちょうちんがきれいでした。パンを食べながらちょうちんをながめていました。
ちょうちんを見上げながら、株式投資のことを思い出しました。
ちょうちんに書かれているUFJ銀行も三菱商事も株価が上昇しました。何度か売り買いをしている銘柄です。
思うに、ここにちょうちんがある会社や組織は、御園座が建て替えになる時に、建設費用としていくらかの寄付をされたのでしょう。そのみかえりとして、会社等の宣伝用にちょうちんを出してもらっているのでしょう。ひとつのちょうちんを出す経費がいくらだったのかは、想像するしかありません。
ロビーで、カーテンコール(公演終了後、観客の拍手に応じて幕を開ける)のときのダンスが紹介されていました。ミュージカルの最後に、観客みんなで軽い踊りをするのかと思ったら、なにもありませんでした。
東京で、森公美子さんの『天使にラブ・ソングを』を観たときは、男優さんがステージのふちっこ、ちょっと前に出てきて、観客を誘導しながら上半身だけの軽いダンスを楽しみました。ステージには、出演されたみなさんが並んでいて、いっしょに動作をしてほのぼのとしました。
今回のカーテンコールでは、何度も幕が上がったり下がったりして、演者のみなさんたちが観客に笑顔をふりまいておられました。わたしとしては、それで十分でした。
新しい御園座の上の方は、分譲マンション・賃貸マンションになっています。
東京都内のマンション価格との比較で、東京に住む人たちからみれば、名古屋のマンション分譲価格は賃貸月額も含めて、安価だと感じると思います。
さて、思い出すままに、劇の感想を書き落としてみます。
演者のみなさんは若い。若々しくて、元気いっぱいです。ダンスのキレもよく、観ていて気持ちがいい。勢いがあります。
山崎育三郎さんは、男っぽい。テレビで見るのとは違います。テレビだと、細くてきゃしゃな色男的弱さ(色男、金と力はなかりけり)があるのですが、実物はぜんぜん違っていました。ごつくて、力強くて、たくましい男のにおいがプンプン広がってくるような男性でした。(この劇では、女装して女優を演じられていましたが、その姿もピシッと決まっていて、なかなか見事な女優さんを演じておられました。声も女性の声として、高い声を出しておられました。体の大きな女の人です。男から女、女から男への衣装の早変わりがすばやいことに驚きました。演劇は、女性賛歌のステージでした)
山崎育三郎さんは、歌がうまい。声量があって、とくに、声の伸びがいい。
劇の始まりでは、40歳になっても、売れない男優で、役をもらえないと嘆いているところからはじまりますが、それを見ていて、自分も十代のころは、こういう文化芸術・芸能の仕事をしてみたかったけれど、それでは食べていけないわけで、現実は厳しいと割り切って、地味な仕事をコツコツと定年まで続けてきたことを思いだしました。リタイヤして、ようやく、自分のやりたいことができる時間を手に入れたので、これからは、演劇や芸能への参加はできないけれど、観る立場で演者のみなさんを応援していきたいと思ったのです。
劇中では、売れない男優が女装して女優を演じて、オーディションに合格して、劇に出演して大人気が出るのです。でも、男だからウソなのです。だからトラブルが起きるのです。恋愛模様でトラブルになります。三角関係があるのですが、女の立場で、同性同士のラブも生まれます。ややこしい。
ロミオとジュリエットが題材として扱われます。
なんというか、筋書きはあまり肝心なものではありません。
ミュージカルですから、歌とダンスでお客さんに楽しんでもらう内容です。
そして、笑いがあります。コメディです。
男の笑いのツボと女の笑いのツボは違うと感じました。
けっこう、女性のお客さんたちが大きな声をだして笑っておられました。男の自分はどうして笑えるのか不思議でした。笑いのツボが違うのです。
下ネタも多い。案外、女性のお客さんって、下ネタが好きなんだと驚きました。まあ、エロっぽい話もあります。キスシーンを何度も観ました。まあ、あいさつのようなものなのでしょう。
劇が始まる前に、ロビーをゆきかう女性客のみなさんを目にしたのですが、みなさん、めいっぱいおしゃれをされてきておられます。お洋服と靴とバッグと装飾品と、この機会を楽しみにされていることがわかりました。
年配の女性も多い。係員の介助が必要な方もおられました。楽しみにされているのだと思います。
自分も歳をとってわかったのですが、寿命という時間をだいじにしたい。限りがある残りの自分の持ち時間を十分楽しんであの世に旅立ちたいのです。歳をとると、お金よりも『時間』のほうが、愛おしく(いとおしく)思えるようになるのです。
ステージ上の舞台装置は、色も照明も鮮やかできれいに輝いていました。
あとさきのことになりますが、ステージ開始時に、まず、指揮者が、ステージ前のオーケストラピットから姿を現し(あらわし)ます。指揮者は、万歳のように両手をあげて、手拍子(てびょうし)をとり、観客に手拍子をするようにうながします。観客全員の手拍子の音はだんだん大きく速く(はやく)なってきて、雰囲気が盛り上がります。指揮者は、楽団だけではなくて、観客も指揮するのです。なかなかいい感じです。
展開として、山崎育三郎さんが演じている女優が、男であることがばれます。
その瞬間、舞台上は、暗い雰囲気になります。
山崎育三郎さんの熟女女優に心を奪われる若い男優がいるのですが、あんな男が実際にいるのかなあと思いながら観ていました。いないと思います。まあ、劇です。
山崎育三郎さんが、演技ですが、ウォッカだったかを瓶から(びんから)ラッパ飲みするシーンが何度も出てきました。セリフを言う時に呼吸がしにくいだろうにと思いました。
エージェント:契約交渉の代理人
デコルテ:胸元から肩・首まわり。その部分が開いたドレス。
ジェンダー:つくられた男性像、女性像。社会的性別
山崎育三郎さんの良かったセリフとして:『(わたしのことを)女王さまとお呼びーー』
男であることがばれて、乱れた男女関係や人間関係のトラブルについて、いろいろ修復に走って、最後は、男女の和解シーンで終わりますが、最後はあっけなかった。しんみりとして、突然幕が下り(おり)ました。
えッ?! 終わり? 尻切れトンボ感がありましたが、その後、何回ものカーテンコールで、幕があがったりさがったりしたので、まあいいかでした。
ミュージカルの最後というものは、出演者全員がステージに出てきて、踊って歌ってパーーとやるものだと思いこんでいました。ハッピーエンドパターンです。
楽しませてもらいました。
演者のみなさん、ありがとう。]]>
名古屋市
熊太郎
2024-03-01T09:07:26+09:00
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アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153890.html
アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ(かねはら・ひとみ) 新潮社 本の帯に、『ずっとそうだった、コロナは世間に似ている』と書いてあります。文章の意味はわかりませんが、コロナ禍が関係しているから、「アンソーシャル ディスタンス」なのでしょう。「新型コロナウィルス感染症拡大防止対策として、対人距離の確保(をしない)」と読み取れます。アンソーシャルで、否定形ですから。 いったいコロナ禍(か)ってなんだったのだろう。発生地の中国は何の補償もしてくれない。まわりも補償を求めない…… まるで、そんなことは、なかったかのごとく過ぎ去ってしまっています。 短編5本です。『ストロングゼロ』 飲み物だろうか? ストロングゼロ:調べました。チューハイだそうです。(わたしは飲んだことはありません)ラ・カンテーヌ:レストランらしい。昼食を食べに行くところ。セナ:彼氏はSE(システム・エンジニア)(私)ミナ:桝本美奈。主人公OL(オフィスレディ)。出版社の新書編集部勤務と読みとれます。彼氏はイケメンであればいい。人間の中身にあまりこだわりはなさげです。行成(ゆきなり。元バンドマン。今はフリーター、ミナのヒモ状態あわせて、うつ状態)。ミナは行成と3年間同棲していますが、ほかの男とも寝ます。イケメンならだれでもOKみたいです。吉崎:セナとミナの同僚OL。面食い(めんくい)。裕翔(ゆうと):吉崎の彼氏だが、ミナの彼氏でもある。ふたまたかけていたが、三週間前に吉崎と別れたもよう松郷(まつごう)職場でミナの向かいの席に座っているのが、真中(まなか)さん。販売担当部署の三瀬さん。奥滋さん(おくしげさん)のトークショー:奥滋美津子×村松勝トークショー 社食の話から始まりました。(会社の食堂) 彼氏の話が出ます。なんというか、「カレシ」とか「カノジョ」とか、所有物のような扱い、形だけの付き合い相手、言い方に、そんな軽いイメージがあります。(読み終えました) アルコール依存症になっている若いOLさんのお話でした。 女性が読む短編集でのようです。女心を表現してある作品群のようです。 ちょっとわたしは、場違いです。少し、流し読みをするような感じで読みました。 怯む:ひるむ。 校了(こうりょう):印刷してもよい状態になる。校正終了の略。 スマホで、ストラテジーゲーム:戦略。策略。ゲームで与えられたミッションをクリアする。 文章に勢いがあります。すさまじいパワーです。文字数が大量です。 よきフレーズ(言い回し)として、『(男にとって女であるわたしは)自動販売機のような存在なのかもしれない……』、男にごはんを用意して与えている。男は鳥かごのなかにいる鳥のようなもの。 読んでいる自分は、相当まじめなのでしょう。読んでいて、主人公女性のミナがだらしなく思えます。 本人は悩んでいるようなのですが、同情する気持ちにはなれません。ミナは、はっきりしない人です。自分の未来に向かって、自分がどうなりたいのかの志(こころざし)がない人です。アル中の人です。たくさんStrong Zero(ストロングゼロ)というチューハイを飲みます。しょっちゅう飲みます。 新書:新刊の書物。気楽に読める教養ものや小説。 仕事のようすが書いてあるのですが、なんでもかんでもメールです。昔はちゃんと相手に会って話したり、電話したりで口頭で会話をしたものです。なんだかなあという気分で読んでいます。無言で接客する人が増えました。人間じゃなくて、AIロボットのようです。(人工知能ロボット人間)。人間が、人間ではない、人間のようなものになっています。 リマインド:思い起こさせる。 ミナは、アルコールに依存するけれど、男にも依存する。男から、『まだ飲むの?』と問われてしまいます。とうぜん、まだ飲み続けます。心の病気です。 複数の男と交渉をもっているので、そのうち、男の名前を言い間違えます。めちゃくちゃですな。 アルコール依存症ですから、夢と現実が交錯(こうさく。入り混じる)します。 同僚からは、『…… 酒臭いよ』と言われてしまいます。 わたしは長いこと生きてきて、アル中の人を何人か見たことがありますが、アル中の人は、体力があるうちは、威勢(いせい。元気。勢い)がいいのですが、体力が落ちてくるとぼろぼろになります。思うに、アル中の人は、内臓がぐちゃぐちゃになって、排尿・排便のコントロールが自分でできなくなって、オムツをつけて、汚物まみれで死んでいくイメージがあります。苦しい死に方です。 アイラ島のウィスキー:スコットランドの島。ウィスキーが有名。 得る(える)ものはなく、失うものばかりのアル中の女性の話でした。『デバッガー(Debugger。コンピュータープログラムの不具合を探し出して、修正する作業をする人)』 読み終えましたが、自分には、合わない小説です。この本は、まじめさとか、一生懸命さがない女性が主人公になる短編群です。 35歳のOLが、同じ職場の24歳の男性とカップルになってのあれやこれやです。 まわりの同世代が、結婚して、出産して、子育てをしての中で、取り残された女性です。自分で自覚があります。自分は、時間が止まっているという表現があります。 かといって、仕事で大成功しているようすはありません。 主人公の女性は、理由はあいまいですが、美容整形に多額のお金をつぎ込みだします。 そして、整形の結果がうまくいきません。あせります。そんな流れのお話でした。森川愛菜(もりかわ・まな):27歳のときに3年間付き合った男と別れて3年がたった。付き合い始める前、その男は複数の女性と付き合っていた。アイドルとか、元モデルの美人とか、おまえよりレベルが高い女性だったと言われたとあります。(こんなところで、まじめな話で申し訳ないのですが、同時に複数の異性と付き合うような人間とは距離を置いたほうがいいです。誠実な人ではありません。ただ、この話の場合、森川愛菜も同時に複数の男と関係をもつ女性なのです)優花(ゆうか):同僚OL。かなり年上の既婚男性と不倫をしている。不倫相手の男性は、離婚したいができない状況にあるらしい。秘書課で働いている。大山くん:24歳。森川愛菜よりも8歳年下だが、森川愛菜との結婚を真剣に考えている。森川愛菜とつきあっている。いっぽう、同期の山岡という24歳の女性が、大山に好意をもっている。 ブリオッシュ:フランスの菓子パン 失礼かもしれませんが、読み手の自分からみれば、くだらない世界のことが書いてあります。セクハラ、モラハラの会社内のようすです。女性蔑視のようすです。(べっし。女性を下に見る) この短編を読んで共感する女性もいるだろうなあ。 高学歴の人たちが働いている会社に見えます。 以前考えたことがあります。結婚しない。こどもがいない。孫もいない。そして、高齢の親を亡くして、年寄りのひとり暮らしになるって、どんな感じなんだろうなあと。 子どものいない夫婦、孫のいない夫婦の友だちがいるので、雑談の中でそんな話をしたことがあります。彼らの返事は、『わからない(子どもや孫がいることの実感が湧かない)』というものでした。 結論としては、未婚であれば、18歳ぐらいの意識のまま、心身が老いた状態になるというものでした。結婚生活の苦労とか、子育ての苦痛とか、高齢の親や義父母の介護などの苦悩体験がなければ、家族関係のあれやこれやがあったという人生を実感することはないのです。 こちらの短編の主人公女性のようすと重なります。 大山くんが言います。 『ペンギンになりたいなあ』(飼育員にエサをもらって生きていけるのはサイコーなこと。飼育員=8歳年上女性の主人公だろうか。年上女性に養ってもらいたい) 哀しい(かなしい)話です。 自分としては、やはり、年齢に応じたポジション(人生の立ち位置)にいたい。(このあとの短編、『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』115ページに関連する文章があります。計画的に人生を送る人は、コントロールフリーク(仕切り屋)だと、見くだすように表現されています)(う~む。そうかなあ。若い時にはわからないのです。50年も経つと、顔も体もだれしもが心身ともにヨロヨロになります。健康優良児的なイケメンとか美人ではいられません。労働者としての現役リタイアの時期が近づいてきたら、老後の備えは大事です) 病気でもないのに、美容整形外科という医療機関に行く。 働いたお金を、『自分の顔』につぎ込む。(結婚しない。こどももいないとなると、働いていれば、たくさんお金が残るからかけられる費用なのでしょう) 小説に出てくるどの恋愛も、顔とかスタイルとか、見た目だけの愛情です。性格とか、資質とか、気が合うとか、そういった基準がありません。 ボトックス:シワ対策のために、薬を注射する。(この物語では、主人公が思ったような効果がえられません。失敗して、10歳ぐらい老けて(ふけて)見えるようになります。35歳が45歳に見える。みじめです) なんだか、大山くんという男も変な男です。(年上女性のヒモになりたい。結婚が永久就職のようです) 主人公女性の言葉です。 『…… 私は一体、誰と恋愛していていたのだろう。そもそもこれは恋愛だったのだろうか……』(うーむ。35歳ならまだやり直しができますと励ましたいけれど。うーむ。なんともいいがたい)『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』 主人公 小路茜音(しょうじ・あかね)。30歳。不倫中(相手はひとりとは限らない)。夫:奏(そう)。31歳。無気力。妻のヒモ状態。(この本では、ヒモみたいな男がよく出てきます) 由梨江:小路茜音の友人。デキ婚。育休中。 龍太:由梨江の弟。小路茜音の不倫相手のひとり。 宗岡 美梨(みり):小路茜音の同僚 原田悦司(はらだ・えつし):51歳ぐらい。有名服飾デザイナー。小路茜音の新しい不倫相手の男性になるであろう人。 お化粧をしているようすから話が始まります。 自分は男なので、男の生活とはあまり縁のないお化粧の内容について、細かい記述が続くのですが、理解できないので、流し読みをします。 お化粧をする女性が読むとピッタリくるのでしょう。 表向きだけの仲良し夫婦です。中身はありません。すでに夫婦関係は破たんしています。 『今考えなければならないのは、離婚のことだ……』(でも離婚しません) 外資系化粧品メーカーのBA:ビューティーアドバイザー 夫は、朝4時に二十連投で、妻のラインにメッセージを送ります。(異常です。妻は女ともだちの家で普通に寝ていました) 主人公の母親は、現実を知っています。『あなたの(娘の)結婚生活は続かない。』 娘は、ブルドーザーみたいな勢いで結婚したけれど、今は離婚したいそうです。 ラインのラリー(連投)が異常です。ラインの着信音が続きます。 こんなことで、悩まなければならないのだろうか。 依存しあう夫婦です。 自立とか自活という言葉がありません。 ふたりの肉体的な交渉は、『何か人間ではない生き物に犯されたような気分だった。』そうです。 腐れ縁です。 外連味(けれんみ):はったり、ごまかし。 なんだか、虚しい(むなしい。中身がない)暮らしぶりです。 何のために生きているのだろう。 夢がありません。 妻も夫も、心を病んでいます。(やんでいます)。 夫婦は、夫婦になる努力をしないと夫婦にはなれません。 親子も同様です。 書き手は何を表現したいのだろうか? 『虚無(きょむ。なにもない。むなしい)』と『孤立感』。人間のもつ闇(やみ)でしょう。 NTR:寝取られ。パートナーが奪われる。 厨二病(ちゅうにびょう):『中二病』が、ネット上で、『厨二病』に変化した。思春期のありがちな背伸び行為・言動。 ナチョス:メキシコ料理。薄いパンに具材をのせて食べる。 DV:夫婦間の暴力があります。夫から妻に対するものです。まあ、めちゃくちゃですなあ。 読み終えました。 なんだろう。主人公の身になってみると、『自分』という人間が、失われていく感覚があります。 『アンソーシャル ディスタンス Unsocial Distance 社会的距離がない。非社会的距離』 読み終えました。これまでの作品を含めて、途中で、もう読むのをやめようかと思う読書が続いています。 エロい下ネタ記述が続きます。高校生の頃に読んだ村上龍作品『限りなく透明に近いブルー』を思い出しました。 荒廃した若い男女の関係です。 なんというか、人間って、そんなものではないのです。内容は、受け止め方にもよりますが、読者を喜ばせようとするためのつくり話です。 人間の体というのは、だれしもが病気をもっています。健康優良児タイプの体は少ない。夢のような行為の体験なんて、やっぱり夢なのです。それぞれいろいろハンデをかかえていて、お互いに人に見られたくないところをさらけだして、助けあっているのが愛情の現状です。行為そのものについては、人間って、どうしてこんなことをするのだろうかと思うこともあるのです。子孫を継続させるための行為です。愛情の確認だったら抱き合うだけで十分だという人も多いのです。一定の線を超えると異常な性癖になります。 まあ、物語の流れに沿って、感想を書いてみます。 女性の指輪のことが書いてあり、なにか意味がありそうでした。 小嶺沙南(「こみね・さな」でいいのでしょう):10歳、13歳で自殺企図あり。リストカットあり。16歳で脱法ドラッグを使用して、高校を中退した。大検に合格後大学に進学した。幸希(こうき):小嶺沙南とカップルの男性。小嶺のゼミの1年先輩。小嶺を妊娠させて、堕胎させた。 まあ、このふたりに家庭を築けるわけがないというカップルです。 松永絢斗(まつなが・けんと):小嶺沙南に言い寄る男 ハンザップ:音楽バンド 妊娠したこどもを強制的に体の外に出して命を奪います。 平然とカップルはその行為を医療機関で行います。 読んでいてイヤな気持ちになってきます。赤ちゃんの命の大切さというものはない。 目的も目標もない生活です。 親への隠し事はありです。(堕胎(だたい)のこと) 中身のない男です。 命をモノ扱いする男と女です。こんな人はこどもをつくらないでほしい。 なんでもネットで買うのか。(さだまさしさんの歌を思い出しました。『買い物ぐらい体動かせ』です。たしか、『関白失脚』という歌で、歌詞では、テレホンショッピングでした) ペシミズム:悲観主義。世界は不幸と非合理に満ちている。それ以外にない。 HILDE:会社名。幸希が内定をもらった。パソコンメーカー。 スマホ、メール、飲もうよ!(アルコールを)、スマプラ(スマホで楽しむ音楽・映像)、ネット、ゼミ、フラペチーノ(スターバックスの冷たいドリンク)、希死念慮(きしねんりょ。自殺プランづくり)、ライブハウス、メンヘラ、イヤホン、iPhone、ウォーターサーバー…… 読んでいて、しゃらくせぇ、とか、ばかばかしいという気分になります。(案外そういう気分になるのは、作者の術中にはまっているのかもしれません) 人工的な世界の中にいる若い人たちに見えます。 心が病んでいます。(やんでいます) 暗い内容です。 光が見えない。光を見たい。 大学まで行って、何を学んだのだろうこの人たちは。 法学部を出て、法律を守らない政治家みたいなものか。 脳みその中にある誠実さは、幼児よりも低い。 男女が交互に自分の心理状況を語る形式の文章です。 母親と息子の関係はゆるい。母親も息子と似たようなものか。 『俺の中でもう母親は関係ない人だから』 重ねて、エロい言葉がたくさん出てくるのですが、生物の生態系の話を読んでいるようでもあります。人間の体は、書いてあるようには動けないのです。現実と夢にはへだたりがあるのです。世の中は誤解と錯覚でできあがっていると、だれかが言っていました。 なぜ死にたいのだろう。そして、なぜ死なないのだろう。(小説家太宰治(だざい・おさむ)氏を思い出します)。彼は死にたいと言いつつ死にたくなかった。女に導かれて水の中で死んだ。本当は死ぬつもりではなかったとも思えます。 こちらの作品は、背景とか底辺に太宰治氏の意思が置かれているのだろうか。 惰性(だせい。これまでの流れ)で生きていく人たちのお話でした。 『テクノブレイク(Technobreak。過度な自分の行為による突然死)』 まあ、過激なタイトルが続きます。 短編集の最後の作品になりました。がんばって読みます。 (読み終えました。この短編部分の感想を書く前に、この本全体の感想を書いてみます) いくつもある〇〇文学賞のたぐいにおいて選ばれるためには、文壇で、これまでにない文章の書き方、これまでに見たこともないストーリーの展開があるという『個性』が必要だと思います。 奇抜さを狙った文章書きです。(なかなか書けないやりかたです) 著者は、若い頃、そのことに気づいてチャレンジして成功を収めた。(おさめた)。以来、こういう文体と内容で創作活動を続けることを決心した。(2004年(平成16年)芥川賞受賞「蛇にピアス」) そんなふうに思いました。 本を読み終えたあとからのことですが、作者が、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんの娘さんだということを知りました。金原瑞人さんは、ていねいで、繊細で、読みやすい翻訳をされる方です。 これまでに、児童文学作品、『ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社』と『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活 ニール・ゲイマン 金原瑞人・訳 角川書店』を読んだことがあります。(では、この短編「テクノブレイク」のほうの感想です) 大学生たちがいます。そのうち卒業して就職します。 ナナちゃん ミナミン 人間の位置がわかる位置情報アプリケーション「ゼンリー」(誰かと繋がって(つながって)いたい欲望を満たすためのアプリです) 芽衣(めい):主人公若い女性。 遼(りょう):ポジティブな男(積極的)。芽衣と付き合っていましたが、もともと性格が合わないのに付き合っていたことが災いして別れます。大手商社に勤務しています。 蓮二(れんじ):遼と別れたあとの芽衣の新しい彼氏。まあ、体の相性がいいらしい。そのうち、コロナ禍が始まります。体を重ねるよりも、マスクが最優先の生活です。ふたりの関係が崩れ始めます。体の関係が中心の付き合い(愛情)は、コロナ禍で、ダメになりそうです。移る(感染する)病気の扱いはむずかしい。 安岡(やすおか) 谷原:蓮二の会社の同僚。 まあ、エロい話が続きます。男も女もサル(えてこう)状態です。壊れます。 あからさまな表現ばかりで、読むことが苦痛なので、流し読みです。 濃厚接触者、自宅待機、消毒作業、感染発覚…… (そんな言葉が街中にあふれた時期がありました) 芽衣は、心の病気です。 ネットとか、LINE(ライン)とか、ウーバーイーツとか、スマホ、DVDプレーヤー、グーグルフォトに同期とか、ゴースト機能とか、シェルターとか、デジタルの言葉が満ちる世界での生活は、本来の人間の生活からは距離があります。 でかいゴキブリが出てきました。ゴキブリは、なにかをゴキブリにたとえてあるのかもしれません。 チャーハンとか、フライパンも出てきました。なんだか、不潔そうです。 この女性は(芽衣は)、人間なのか? 疑問が浮かびます。こういう人っているのかなあ? 読み終えて思うのは、こういう小説を必要とする人は、いるのだろうなあ。(2024年3月8日金曜日追加記載) 後日たまたま読んだ本が、金原ひとみさんのお父さんの翻訳本でした。 とても良かった。 心が温まりました。(あたたまりました) 以下は感想の一部です。『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』 死んでしまった少年の話です。少年はゆうれいになります。 イギリスの小説家の児童文学作品です。 日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。 これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。11歳ぐらい。交通事故で死ぬ前に、姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故で死んでしまった。 自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。 『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのが、この世の姉との最後のやりとりだった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカはしないほうがいい。本当に、それが最後になることがあります)。
アンソーシャル ディスタンス 金原ひとみ(かねはら・ひとみ) 新潮社
本の帯に、『ずっとそうだった、コロナは世間に似ている』と書いてあります。文章の意味はわかりませんが、コロナ禍が関係しているから、「アンソーシャル ディスタンス」なのでしょう。「新型コロナウィルス感染症拡大防止対策として、対人距離の確保(をしない)」と読み取れます。アンソーシャルで、否定形ですから。
いったいコロナ禍(か)ってなんだったのだろう。発生地の中国は何の補償もしてくれない。まわりも補償を求めない…… まるで、そんなことは、なかったかのごとく過ぎ去ってしまっています。
短編5本です。
『ストロングゼロ』
飲み物だろうか? ストロングゼロ:調べました。チューハイだそうです。(わたしは飲んだことはありません)
ラ・カンテーヌ:レストランらしい。昼食を食べに行くところ。
セナ:彼氏はSE(システム・エンジニア)
(私)ミナ:桝本美奈。主人公OL(オフィスレディ)。出版社の新書編集部勤務と読みとれます。彼氏はイケメンであればいい。人間の中身にあまりこだわりはなさげです。
行成(ゆきなり。元バンドマン。今はフリーター、ミナのヒモ状態あわせて、うつ状態)。ミナは行成と3年間同棲していますが、ほかの男とも寝ます。イケメンならだれでもOKみたいです。
吉崎:セナとミナの同僚OL。面食い(めんくい)。
裕翔(ゆうと):吉崎の彼氏だが、ミナの彼氏でもある。ふたまたかけていたが、三週間前に吉崎と別れたもよう
松郷(まつごう)
職場でミナの向かいの席に座っているのが、真中(まなか)さん。
販売担当部署の三瀬さん。
奥滋さん(おくしげさん)のトークショー:奥滋美津子×村松勝トークショー
社食の話から始まりました。(会社の食堂)
彼氏の話が出ます。なんというか、「カレシ」とか「カノジョ」とか、所有物のような扱い、形だけの付き合い相手、言い方に、そんな軽いイメージがあります。
(読み終えました)
アルコール依存症になっている若いOLさんのお話でした。
女性が読む短編集でのようです。女心を表現してある作品群のようです。
ちょっとわたしは、場違いです。少し、流し読みをするような感じで読みました。
怯む:ひるむ。
校了(こうりょう):印刷してもよい状態になる。校正終了の略。
スマホで、ストラテジーゲーム:戦略。策略。ゲームで与えられたミッションをクリアする。
文章に勢いがあります。すさまじいパワーです。文字数が大量です。
よきフレーズ(言い回し)として、『(男にとって女であるわたしは)自動販売機のような存在なのかもしれない……』、男にごはんを用意して与えている。男は鳥かごのなかにいる鳥のようなもの。
読んでいる自分は、相当まじめなのでしょう。読んでいて、主人公女性のミナがだらしなく思えます。
本人は悩んでいるようなのですが、同情する気持ちにはなれません。ミナは、はっきりしない人です。自分の未来に向かって、自分がどうなりたいのかの志(こころざし)がない人です。アル中の人です。たくさんStrong Zero(ストロングゼロ)というチューハイを飲みます。しょっちゅう飲みます。
新書:新刊の書物。気楽に読める教養ものや小説。
仕事のようすが書いてあるのですが、なんでもかんでもメールです。昔はちゃんと相手に会って話したり、電話したりで口頭で会話をしたものです。なんだかなあという気分で読んでいます。無言で接客する人が増えました。人間じゃなくて、AIロボットのようです。(人工知能ロボット人間)。人間が、人間ではない、人間のようなものになっています。
リマインド:思い起こさせる。
ミナは、アルコールに依存するけれど、男にも依存する。男から、『まだ飲むの?』と問われてしまいます。とうぜん、まだ飲み続けます。心の病気です。
複数の男と交渉をもっているので、そのうち、男の名前を言い間違えます。めちゃくちゃですな。
アルコール依存症ですから、夢と現実が交錯(こうさく。入り混じる)します。
同僚からは、『…… 酒臭いよ』と言われてしまいます。
わたしは長いこと生きてきて、アル中の人を何人か見たことがありますが、アル中の人は、体力があるうちは、威勢(いせい。元気。勢い)がいいのですが、体力が落ちてくるとぼろぼろになります。思うに、アル中の人は、内臓がぐちゃぐちゃになって、排尿・排便のコントロールが自分でできなくなって、オムツをつけて、汚物まみれで死んでいくイメージがあります。苦しい死に方です。
アイラ島のウィスキー:スコットランドの島。ウィスキーが有名。
得る(える)ものはなく、失うものばかりのアル中の女性の話でした。
『デバッガー(Debugger。コンピュータープログラムの不具合を探し出して、修正する作業をする人)』
読み終えましたが、自分には、合わない小説です。この本は、まじめさとか、一生懸命さがない女性が主人公になる短編群です。
35歳のOLが、同じ職場の24歳の男性とカップルになってのあれやこれやです。
まわりの同世代が、結婚して、出産して、子育てをしての中で、取り残された女性です。自分で自覚があります。自分は、時間が止まっているという表現があります。
かといって、仕事で大成功しているようすはありません。
主人公の女性は、理由はあいまいですが、美容整形に多額のお金をつぎ込みだします。
そして、整形の結果がうまくいきません。あせります。そんな流れのお話でした。
森川愛菜(もりかわ・まな):27歳のときに3年間付き合った男と別れて3年がたった。付き合い始める前、その男は複数の女性と付き合っていた。アイドルとか、元モデルの美人とか、おまえよりレベルが高い女性だったと言われたとあります。(こんなところで、まじめな話で申し訳ないのですが、同時に複数の異性と付き合うような人間とは距離を置いたほうがいいです。誠実な人ではありません。ただ、この話の場合、森川愛菜も同時に複数の男と関係をもつ女性なのです)
優花(ゆうか):同僚OL。かなり年上の既婚男性と不倫をしている。不倫相手の男性は、離婚したいができない状況にあるらしい。秘書課で働いている。
大山くん:24歳。森川愛菜よりも8歳年下だが、森川愛菜との結婚を真剣に考えている。森川愛菜とつきあっている。いっぽう、同期の山岡という24歳の女性が、大山に好意をもっている。
ブリオッシュ:フランスの菓子パン
失礼かもしれませんが、読み手の自分からみれば、くだらない世界のことが書いてあります。セクハラ、モラハラの会社内のようすです。女性蔑視のようすです。(べっし。女性を下に見る)
この短編を読んで共感する女性もいるだろうなあ。
高学歴の人たちが働いている会社に見えます。
以前考えたことがあります。結婚しない。こどもがいない。孫もいない。そして、高齢の親を亡くして、年寄りのひとり暮らしになるって、どんな感じなんだろうなあと。
子どものいない夫婦、孫のいない夫婦の友だちがいるので、雑談の中でそんな話をしたことがあります。彼らの返事は、『わからない(子どもや孫がいることの実感が湧かない)』というものでした。
結論としては、未婚であれば、18歳ぐらいの意識のまま、心身が老いた状態になるというものでした。結婚生活の苦労とか、子育ての苦痛とか、高齢の親や義父母の介護などの苦悩体験がなければ、家族関係のあれやこれやがあったという人生を実感することはないのです。
こちらの短編の主人公女性のようすと重なります。
大山くんが言います。
『ペンギンになりたいなあ』(飼育員にエサをもらって生きていけるのはサイコーなこと。飼育員=8歳年上女性の主人公だろうか。年上女性に養ってもらいたい)
哀しい(かなしい)話です。
自分としては、やはり、年齢に応じたポジション(人生の立ち位置)にいたい。(このあとの短編、『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』115ページに関連する文章があります。計画的に人生を送る人は、コントロールフリーク(仕切り屋)だと、見くだすように表現されています)(う~む。そうかなあ。若い時にはわからないのです。50年も経つと、顔も体もだれしもが心身ともにヨロヨロになります。健康優良児的なイケメンとか美人ではいられません。労働者としての現役リタイアの時期が近づいてきたら、老後の備えは大事です)
病気でもないのに、美容整形外科という医療機関に行く。
働いたお金を、『自分の顔』につぎ込む。(結婚しない。こどももいないとなると、働いていれば、たくさんお金が残るからかけられる費用なのでしょう)
小説に出てくるどの恋愛も、顔とかスタイルとか、見た目だけの愛情です。性格とか、資質とか、気が合うとか、そういった基準がありません。
ボトックス:シワ対策のために、薬を注射する。(この物語では、主人公が思ったような効果がえられません。失敗して、10歳ぐらい老けて(ふけて)見えるようになります。35歳が45歳に見える。みじめです)
なんだか、大山くんという男も変な男です。(年上女性のヒモになりたい。結婚が永久就職のようです)
主人公女性の言葉です。
『…… 私は一体、誰と恋愛していていたのだろう。そもそもこれは恋愛だったのだろうか……』
(うーむ。35歳ならまだやり直しができますと励ましたいけれど。うーむ。なんともいいがたい)
『コンスキエンティア(Conscientia。意識。共犯関係。良心)』
主人公 小路茜音(しょうじ・あかね)。30歳。不倫中(相手はひとりとは限らない)。
夫:奏(そう)。31歳。無気力。妻のヒモ状態。(この本では、ヒモみたいな男がよく出てきます)
由梨江:小路茜音の友人。デキ婚。育休中。
龍太:由梨江の弟。小路茜音の不倫相手のひとり。
宗岡
美梨(みり):小路茜音の同僚
原田悦司(はらだ・えつし):51歳ぐらい。有名服飾デザイナー。小路茜音の新しい不倫相手の男性になるであろう人。
お化粧をしているようすから話が始まります。
自分は男なので、男の生活とはあまり縁のないお化粧の内容について、細かい記述が続くのですが、理解できないので、流し読みをします。
お化粧をする女性が読むとピッタリくるのでしょう。
表向きだけの仲良し夫婦です。中身はありません。すでに夫婦関係は破たんしています。
『今考えなければならないのは、離婚のことだ……』(でも離婚しません)
外資系化粧品メーカーのBA:ビューティーアドバイザー
夫は、朝4時に二十連投で、妻のラインにメッセージを送ります。(異常です。妻は女ともだちの家で普通に寝ていました)
主人公の母親は、現実を知っています。『あなたの(娘の)結婚生活は続かない。』
娘は、ブルドーザーみたいな勢いで結婚したけれど、今は離婚したいそうです。
ラインのラリー(連投)が異常です。ラインの着信音が続きます。
こんなことで、悩まなければならないのだろうか。
依存しあう夫婦です。
自立とか自活という言葉がありません。
ふたりの肉体的な交渉は、『何か人間ではない生き物に犯されたような気分だった。』そうです。
腐れ縁です。
外連味(けれんみ):はったり、ごまかし。
なんだか、虚しい(むなしい。中身がない)暮らしぶりです。
何のために生きているのだろう。
夢がありません。
妻も夫も、心を病んでいます。(やんでいます)。
夫婦は、夫婦になる努力をしないと夫婦にはなれません。
親子も同様です。
書き手は何を表現したいのだろうか?
『虚無(きょむ。なにもない。むなしい)』と『孤立感』。人間のもつ闇(やみ)でしょう。
NTR:寝取られ。パートナーが奪われる。
厨二病(ちゅうにびょう):『中二病』が、ネット上で、『厨二病』に変化した。思春期のありがちな背伸び行為・言動。
ナチョス:メキシコ料理。薄いパンに具材をのせて食べる。
DV:夫婦間の暴力があります。夫から妻に対するものです。まあ、めちゃくちゃですなあ。
読み終えました。
なんだろう。主人公の身になってみると、『自分』という人間が、失われていく感覚があります。
『アンソーシャル ディスタンス Unsocial Distance 社会的距離がない。非社会的距離』
読み終えました。これまでの作品を含めて、途中で、もう読むのをやめようかと思う読書が続いています。
エロい下ネタ記述が続きます。高校生の頃に読んだ村上龍作品『限りなく透明に近いブルー』を思い出しました。
荒廃した若い男女の関係です。
なんというか、人間って、そんなものではないのです。内容は、受け止め方にもよりますが、読者を喜ばせようとするためのつくり話です。
人間の体というのは、だれしもが病気をもっています。健康優良児タイプの体は少ない。夢のような行為の体験なんて、やっぱり夢なのです。それぞれいろいろハンデをかかえていて、お互いに人に見られたくないところをさらけだして、助けあっているのが愛情の現状です。行為そのものについては、人間って、どうしてこんなことをするのだろうかと思うこともあるのです。子孫を継続させるための行為です。愛情の確認だったら抱き合うだけで十分だという人も多いのです。一定の線を超えると異常な性癖になります。
まあ、物語の流れに沿って、感想を書いてみます。
女性の指輪のことが書いてあり、なにか意味がありそうでした。
小嶺沙南(「こみね・さな」でいいのでしょう):10歳、13歳で自殺企図あり。リストカットあり。16歳で脱法ドラッグを使用して、高校を中退した。大検に合格後大学に進学した。
幸希(こうき):小嶺沙南とカップルの男性。小嶺のゼミの1年先輩。小嶺を妊娠させて、堕胎させた。
まあ、このふたりに家庭を築けるわけがないというカップルです。
松永絢斗(まつなが・けんと):小嶺沙南に言い寄る男
ハンザップ:音楽バンド
妊娠したこどもを強制的に体の外に出して命を奪います。
平然とカップルはその行為を医療機関で行います。
読んでいてイヤな気持ちになってきます。赤ちゃんの命の大切さというものはない。
目的も目標もない生活です。
親への隠し事はありです。(堕胎(だたい)のこと)
中身のない男です。
命をモノ扱いする男と女です。こんな人はこどもをつくらないでほしい。
なんでもネットで買うのか。(さだまさしさんの歌を思い出しました。『買い物ぐらい体動かせ』です。たしか、『関白失脚』という歌で、歌詞では、テレホンショッピングでした)
ペシミズム:悲観主義。世界は不幸と非合理に満ちている。それ以外にない。
HILDE:会社名。幸希が内定をもらった。パソコンメーカー。
スマホ、メール、飲もうよ!(アルコールを)、スマプラ(スマホで楽しむ音楽・映像)、ネット、ゼミ、フラペチーノ(スターバックスの冷たいドリンク)、希死念慮(きしねんりょ。自殺プランづくり)、ライブハウス、メンヘラ、イヤホン、iPhone、ウォーターサーバー……
読んでいて、しゃらくせぇ、とか、ばかばかしいという気分になります。(案外そういう気分になるのは、作者の術中にはまっているのかもしれません)
人工的な世界の中にいる若い人たちに見えます。
心が病んでいます。(やんでいます)
暗い内容です。
光が見えない。光を見たい。
大学まで行って、何を学んだのだろうこの人たちは。
法学部を出て、法律を守らない政治家みたいなものか。
脳みその中にある誠実さは、幼児よりも低い。
男女が交互に自分の心理状況を語る形式の文章です。
母親と息子の関係はゆるい。母親も息子と似たようなものか。
『俺の中でもう母親は関係ない人だから』
重ねて、エロい言葉がたくさん出てくるのですが、生物の生態系の話を読んでいるようでもあります。人間の体は、書いてあるようには動けないのです。現実と夢にはへだたりがあるのです。世の中は誤解と錯覚でできあがっていると、だれかが言っていました。
なぜ死にたいのだろう。そして、なぜ死なないのだろう。(小説家太宰治(だざい・おさむ)氏を思い出します)。彼は死にたいと言いつつ死にたくなかった。女に導かれて水の中で死んだ。本当は死ぬつもりではなかったとも思えます。
こちらの作品は、背景とか底辺に太宰治氏の意思が置かれているのだろうか。
惰性(だせい。これまでの流れ)で生きていく人たちのお話でした。
『テクノブレイク(Technobreak。過度な自分の行為による突然死)』
まあ、過激なタイトルが続きます。
短編集の最後の作品になりました。がんばって読みます。
(読み終えました。この短編部分の感想を書く前に、この本全体の感想を書いてみます)
いくつもある〇〇文学賞のたぐいにおいて選ばれるためには、文壇で、これまでにない文章の書き方、これまでに見たこともないストーリーの展開があるという『個性』が必要だと思います。
奇抜さを狙った文章書きです。(なかなか書けないやりかたです)
著者は、若い頃、そのことに気づいてチャレンジして成功を収めた。(おさめた)。以来、こういう文体と内容で創作活動を続けることを決心した。(2004年(平成16年)芥川賞受賞「蛇にピアス」)
そんなふうに思いました。
本を読み終えたあとからのことですが、作者が、翻訳家の金原瑞人(かねはら・みずひと)さんの娘さんだということを知りました。金原瑞人さんは、ていねいで、繊細で、読みやすい翻訳をされる方です。
これまでに、児童文学作品、『ジョン万次郎 「海を渡ったサムライ魂」 マーギー・プロイス 金原瑞人訳 集英社』と『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活 ニール・ゲイマン 金原瑞人・訳 角川書店』を読んだことがあります。
(では、この短編「テクノブレイク」のほうの感想です)
大学生たちがいます。そのうち卒業して就職します。
ナナちゃん
ミナミン
人間の位置がわかる位置情報アプリケーション「ゼンリー」(誰かと繋がって(つながって)いたい欲望を満たすためのアプリです)
芽衣(めい):主人公若い女性。
遼(りょう):ポジティブな男(積極的)。芽衣と付き合っていましたが、もともと性格が合わないのに付き合っていたことが災いして別れます。大手商社に勤務しています。
蓮二(れんじ):遼と別れたあとの芽衣の新しい彼氏。まあ、体の相性がいいらしい。そのうち、コロナ禍が始まります。体を重ねるよりも、マスクが最優先の生活です。ふたりの関係が崩れ始めます。体の関係が中心の付き合い(愛情)は、コロナ禍で、ダメになりそうです。移る(感染する)病気の扱いはむずかしい。
安岡(やすおか)
谷原:蓮二の会社の同僚。
まあ、エロい話が続きます。男も女もサル(えてこう)状態です。壊れます。
あからさまな表現ばかりで、読むことが苦痛なので、流し読みです。
濃厚接触者、自宅待機、消毒作業、感染発覚…… (そんな言葉が街中にあふれた時期がありました)
芽衣は、心の病気です。
ネットとか、LINE(ライン)とか、ウーバーイーツとか、スマホ、DVDプレーヤー、グーグルフォトに同期とか、ゴースト機能とか、シェルターとか、デジタルの言葉が満ちる世界での生活は、本来の人間の生活からは距離があります。
でかいゴキブリが出てきました。ゴキブリは、なにかをゴキブリにたとえてあるのかもしれません。
チャーハンとか、フライパンも出てきました。なんだか、不潔そうです。
この女性は(芽衣は)、人間なのか?
疑問が浮かびます。こういう人っているのかなあ?
読み終えて思うのは、こういう小説を必要とする人は、いるのだろうなあ。
(2024年3月8日金曜日追加記載)
後日たまたま読んだ本が、金原ひとみさんのお父さんの翻訳本でした。
とても良かった。
心が温まりました。(あたたまりました)
以下は感想の一部です。
『青空のむこう アレックス・シアラー 金原瑞人(かねはら・みずひと)・訳 求龍堂(きゅうりゅうどう)』
死んでしまった少年の話です。少年はゆうれいになります。
イギリスの小説家の児童文学作品です。
日本語訳者は、先日読んだ、『アンソーシャルディスタンス』の作者金原ひとみさん(「蛇にピアス」で芥川賞を受賞された)のお父さんです。
これから読む本が家のダンボール箱に入れてあるのですが、たまたま偶然、こちらのお父さんの本にあたりました。
ハリー・デクランド:交通事故死した少年。サッカーが好き。11歳ぐらい。交通事故で死ぬ前に、姉のエギーとけんかをしていたことを、死んでから後悔している。とても後悔している。捨てゼリフを姉にぶつけて家を出て、そのあと交通事故で死んでしまった。
自転車に乗っていて、10トントラックにひかれた。
『…… お姉ちゃんなんか大嫌い! …… 帰ってくるもんか。もう二度と会いたくない』、姉のエギーが、『じゃあ帰ってこないで』と言い返したのが、この世の姉との最後のやりとりだった。(つらい話です。現実でも起きることです。家から出かける時は、ケンカはしないほうがいい。本当に、それが最後になることがあります)。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-29T07:58:57+09:00
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シャイロックの子供たち 邦画 2023年
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153885.html
シャイロックの子供たち 邦画 2023年(令和5年) 2時間2分 動画配信サービス 阿部サダヲさんの出ているタイムトラベルドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週金曜日の夜に楽しみに観ていますが、今回は、阿部サダヲさんが主演されているこの映画を観てみました。なかなかいい。おもしろかった。いい映画です。今年観て良かった1本になりました。 シェークスピアの舞台劇、『ベニスの商人』のシーンから始まります。 アントーニオ:お金を借りて、返せないほうの人。 シャイロック:お金を貸して、返してもらえないほうの人。タイトルはこちらの人たちです。こどもたちはというのは、銀行マンの人たちのことです。ご苦労があります。 お金を返さない人が悪い。 お金を返せばいいということでもない。 いろいろあります。 銀行ATMにお札を詰める仕事をする銀行員が、お札をネコババ(自分のポケットに入れる)します。(ふつう、現金を扱うそういう仕事は、複数でやるのではないか? たとえば、ふたりでやる。人間は信用できませんから) 競馬ほかのギャンブルが好きな銀行員っているんだろうなあ。(映画の中だけかもしれませんが……) 余談になりますが、シーンを観ていてふと思い出したことがあるので書いてみます。 わたしが就職したころの半世紀ぐらい昔は、給料は現金払いでした。銀行への口座振替という手法は、ずいぶんあとになってから実施されました。 給料日の朝になると、複数の経理事務担当者で銀行に行き、給料分のお札や硬貨を受け取って、(前もって、銀行に金種票(きんしゅひょう。お札、硬貨の種類の枚数を書いたもの)を出しておいて)、仕事場にもちかえった現金のかたまりを出して、中身を確認しながら複数の人数で給料袋に入れる作業をしていました。 バブル経済の好景気で盛り上がっていたボーナスのときには、多額の紙幣中心の現金でボーナスが支給されて、ボーナス袋が、紙幣が横に寝るのではなく、お札を縦にして、給料袋が、机の上に立った時代がありました。今、日経平均の株価がバブル期のように上がっていますが、給料等の支払いは口座振替なので、給料袋がテーブルに立つようなシーンは見られません。帰宅したパパが家の食卓テーブルの上に、ボーナスの入った袋を立てると、家族が大喜びして、家庭円満になるのに…… 便利になるってなんなんだろう。効率が良くなった代わりに、人間同士の心がふれあうシーンが減り、気持ちのあったかみが薄れました。 (ゆえに、日経平均株価が記録的に上がっても、市中では盛り上がりに欠けています。儲かった人(もうかった人)は密かに(ひそかに)儲かって、物価高ばかりが表面に目立つ現在の世の中のありようです) 映画では、いろいろ、伏線が落とし込まれていきます。(のちのち回収されます。伏線:仕掛け。あとで感動やスリルを生む種) 阿部サダヲさんが演じる西木課長代理は元気がいい。『さあて、今日も一日、がんばるぞーー』のかけ声があります。 上戸彩さんの銀行員もいい感じです。 みなさん芸達者です。柄本明さん、柳葉敏郎さん、杉本哲太さん、佐藤隆太さん、佐々木蔵之介さん、橋爪功さん、重厚な雰囲気が続きます。 サラリーマンの勤務状況がリアルです。重苦しい。ノルマを達成できないとパワハラシーンも現実にあります。 お金がからむ世界は、どろどろです。お金持ちが善人とは限りません。 詐欺、だまし、着服、恐喝、脅迫、共犯、複雑な出来事がたくさん起こります。 ささやかな家族の幸せを守るために男は仕事をします。 若い奥さんが、若い旦那(だんな)さんのコップに缶ビールをつぐシーンがあります。(なかなかそういうシーンは、現実にはありません)いい奥さんです。小学校高学年のこどもさんがいます。男の子です。お父さんを尊敬しているいい息子です。涙が出そうです。 八方ふさがりの銀行業です。(現実社会では、最近銀行の株価が上がってきました。近いうちに爆上げになると思います。日銀の金融緩和がきっかけになると予想しています) だましの芝居がうまい。すばらしい。上手です。(ウソの芝居ですけど)。だれもがだまされます。役者たちのバイトでしょう。ほんとうの会社みたいです。 柄本明さんと阿部サダヲさんがからんでのコメディです。 映画だから安心して見ていられます。現実だったら恐ろしい(おそろしい)状況です。 「あねは」という人だった記憶です。ビルの耐震設計の偽造をした設計士がモデルになった人物が出てきます。役者さんは、引っ越し屋のコマーシャルに出ていた人です。 詐欺行為ではありますが、おもしろい会話が続きます。 予想通り、銀行が貸したお金は返ってきません。貸した相手は行方不明になります。億単位のお金が持ち逃げされました。 いっぽう銀行内では、小さな嫌がらせ事件が起きます。女子行員間のいやがらせです。醜い。(みにくい)です。 完全に純白な人間はいません。家族や親族をからめながら、多少でも汚れた行為はあるのが現実のありようです。 阿部サダヲさんは、上司としていい人です。 上戸彩さんの、『わたしはやっていません』というセリフに気持ちが救われました。 阿部サダヲさんが、上戸彩さんをかばいます。 そんな、阿部サダヲさんにも人には知られたくない影があります。 ややこしい話が次々と提示されます。 サラリーマンは、薄給(はっきゅう。給料は見た目ほど多くない)です。税金や保険料や住宅ローンを引かれていたりもします。大企業で勤めていて、もらいは多く見えても、引かれるものも多いです。収入(税金・諸経費込み)と所得(手取り)の違いがあります。 世の中は、理不尽でできている。 だんだん真実が明らかになっていきます。 おもしろい。ユーモアがあります。 外資系の銀行へ転職するという若い人がいます。(彼の夢はかないません。現実は厳しいのです。こんな会社は、自分には合わないと思っても、そんなあなたを欲しがる会社は、たいてい、ないのです) 関係者全員が処分対象ですが、そうはならないのが、映画であり、現実でもそうでしょう。 まあ、お金で済む話なら、いいほうかも。 生きるか死ぬかの命がかかると、話は深刻になります。 カネは、返せばいいってもんじゃないんです。 どこかの政治家のパーティ券収入みたいです。 いろいろな取引があります。 みんなが、自分の地位と身分を守りたい。 印鑑証明書の偽物(にせもの。コピーすると、「複写」というような文字が浮かび上がることは知っています。本物の印鑑証明書なら、コピーすると「複写」の文字が浮かび出るから、原本は本物です) けっこう、印鑑証明書とか実印の重要さを自覚していない人は多い。財産やお金が、右から左へと動きます。 悪人がいます。 大きな組織の上層部にいる幹部に、いい人はいません。 ライバルグループを踏んづけて、上に上がってきた人です。 国会における政治家の派閥の話がありますが、政治家だけではなくて、日本中どこでもみられる組織のありようです。 ボスがいて子分がいて、人事権やお金の権利を巡ってポスト争い(あらそい。役職争奪戦(そうだつせん))があります。いいとも悪いとも言えません。集団の中にいる人間は、自然とそうなるものなのです。 こういうつくりの話なのか。 組織が異なっていても、上層部の人間同士は、グル(仲間)ということはあるでしょう。(見た目では、敵対する組織にいても、当人同士は案外大学の同窓生だったりもします。また、親族関係があったりもします) それが、行政と立法と司法だと、権力を行使する人たちなので、怖いもの(こわいもの)なしになるでしょう。独裁政権が生まれてしまいます。 『自分のことは、自分で決めるんだ。(人に相談して決めるものじゃないこともある)』 『基本は、性善説。やられたら、倍返しだ。』 モノというものは、相場(適正価格)で買うものです。 相場よりも安いということは、何かあるということです。 不動産売買契約シーンがあります。長いこと生きてきたので、自分も何度か売主・買い主の立場で、体験したことがあります。銀行の小部屋を借ります。司法書士が進行役をします。映像では、リアルなシーンで、研修ビデオでも見ているような感じがしました。 売主・買い主のお互いが契約書に署名・押印(実印)をして、通帳への入金を確認して、お疲れさまでした、で終了です。 お金って、なんだろうなあ…… 社会の舞台裏は、どろどろとしているものです。 少年の言葉、『ヒーローの一日』が、とても良かった。パパを讃える(たたえる)言葉です。 いいなあ。 良心があります。 『人間に戻るチャンスをもらった。』 『後悔はしない。』 奥さんとこどもたちが、待っていてくれました。 パパは、ヒーローです。 今年観て良かった映画でした。「思い切り(あきらめること)」がいい内容でした。
シャイロックの子供たち 邦画 2023年(令和5年) 2時間2分 動画配信サービス
阿部サダヲさんの出ているタイムトラベルドラマ、『不適切にもほどがある』を毎週金曜日の夜に楽しみに観ていますが、今回は、阿部サダヲさんが主演されているこの映画を観てみました。なかなかいい。おもしろかった。いい映画です。今年観て良かった1本になりました。
シェークスピアの舞台劇、『ベニスの商人』のシーンから始まります。
アントーニオ:お金を借りて、返せないほうの人。
シャイロック:お金を貸して、返してもらえないほうの人。タイトルはこちらの人たちです。こどもたちはというのは、銀行マンの人たちのことです。ご苦労があります。
お金を返さない人が悪い。
お金を返せばいいということでもない。
いろいろあります。
銀行ATMにお札を詰める仕事をする銀行員が、お札をネコババ(自分のポケットに入れる)します。(ふつう、現金を扱うそういう仕事は、複数でやるのではないか? たとえば、ふたりでやる。人間は信用できませんから)
競馬ほかのギャンブルが好きな銀行員っているんだろうなあ。(映画の中だけかもしれませんが……)
余談になりますが、シーンを観ていてふと思い出したことがあるので書いてみます。
わたしが就職したころの半世紀ぐらい昔は、給料は現金払いでした。銀行への口座振替という手法は、ずいぶんあとになってから実施されました。
給料日の朝になると、複数の経理事務担当者で銀行に行き、給料分のお札や硬貨を受け取って、(前もって、銀行に金種票(きんしゅひょう。お札、硬貨の種類の枚数を書いたもの)を出しておいて)、仕事場にもちかえった現金のかたまりを出して、中身を確認しながら複数の人数で給料袋に入れる作業をしていました。
バブル経済の好景気で盛り上がっていたボーナスのときには、多額の紙幣中心の現金でボーナスが支給されて、ボーナス袋が、紙幣が横に寝るのではなく、お札を縦にして、給料袋が、机の上に立った時代がありました。今、日経平均の株価がバブル期のように上がっていますが、給料等の支払いは口座振替なので、給料袋がテーブルに立つようなシーンは見られません。帰宅したパパが家の食卓テーブルの上に、ボーナスの入った袋を立てると、家族が大喜びして、家庭円満になるのに…… 便利になるってなんなんだろう。効率が良くなった代わりに、人間同士の心がふれあうシーンが減り、気持ちのあったかみが薄れました。
(ゆえに、日経平均株価が記録的に上がっても、市中では盛り上がりに欠けています。儲かった人(もうかった人)は密かに(ひそかに)儲かって、物価高ばかりが表面に目立つ現在の世の中のありようです)
映画では、いろいろ、伏線が落とし込まれていきます。(のちのち回収されます。伏線:仕掛け。あとで感動やスリルを生む種)
阿部サダヲさんが演じる西木課長代理は元気がいい。『さあて、今日も一日、がんばるぞーー』のかけ声があります。
上戸彩さんの銀行員もいい感じです。
みなさん芸達者です。柄本明さん、柳葉敏郎さん、杉本哲太さん、佐藤隆太さん、佐々木蔵之介さん、橋爪功さん、重厚な雰囲気が続きます。
サラリーマンの勤務状況がリアルです。重苦しい。ノルマを達成できないとパワハラシーンも現実にあります。
お金がからむ世界は、どろどろです。お金持ちが善人とは限りません。
詐欺、だまし、着服、恐喝、脅迫、共犯、複雑な出来事がたくさん起こります。
ささやかな家族の幸せを守るために男は仕事をします。
若い奥さんが、若い旦那(だんな)さんのコップに缶ビールをつぐシーンがあります。(なかなかそういうシーンは、現実にはありません)いい奥さんです。小学校高学年のこどもさんがいます。男の子です。お父さんを尊敬しているいい息子です。涙が出そうです。
八方ふさがりの銀行業です。(現実社会では、最近銀行の株価が上がってきました。近いうちに爆上げになると思います。日銀の金融緩和がきっかけになると予想しています)
だましの芝居がうまい。すばらしい。上手です。(ウソの芝居ですけど)。だれもがだまされます。役者たちのバイトでしょう。ほんとうの会社みたいです。
柄本明さんと阿部サダヲさんがからんでのコメディです。
映画だから安心して見ていられます。現実だったら恐ろしい(おそろしい)状況です。
「あねは」という人だった記憶です。ビルの耐震設計の偽造をした設計士がモデルになった人物が出てきます。役者さんは、引っ越し屋のコマーシャルに出ていた人です。
詐欺行為ではありますが、おもしろい会話が続きます。
予想通り、銀行が貸したお金は返ってきません。貸した相手は行方不明になります。億単位のお金が持ち逃げされました。
いっぽう銀行内では、小さな嫌がらせ事件が起きます。女子行員間のいやがらせです。醜い。(みにくい)です。
完全に純白な人間はいません。家族や親族をからめながら、多少でも汚れた行為はあるのが現実のありようです。
阿部サダヲさんは、上司としていい人です。
上戸彩さんの、『わたしはやっていません』というセリフに気持ちが救われました。
阿部サダヲさんが、上戸彩さんをかばいます。
そんな、阿部サダヲさんにも人には知られたくない影があります。
ややこしい話が次々と提示されます。
サラリーマンは、薄給(はっきゅう。給料は見た目ほど多くない)です。税金や保険料や住宅ローンを引かれていたりもします。大企業で勤めていて、もらいは多く見えても、引かれるものも多いです。収入(税金・諸経費込み)と所得(手取り)の違いがあります。
世の中は、理不尽でできている。
だんだん真実が明らかになっていきます。
おもしろい。ユーモアがあります。
外資系の銀行へ転職するという若い人がいます。(彼の夢はかないません。現実は厳しいのです。こんな会社は、自分には合わないと思っても、そんなあなたを欲しがる会社は、たいてい、ないのです)
関係者全員が処分対象ですが、そうはならないのが、映画であり、現実でもそうでしょう。
まあ、お金で済む話なら、いいほうかも。
生きるか死ぬかの命がかかると、話は深刻になります。
カネは、返せばいいってもんじゃないんです。
どこかの政治家のパーティ券収入みたいです。
いろいろな取引があります。
みんなが、自分の地位と身分を守りたい。
印鑑証明書の偽物(にせもの。コピーすると、「複写」というような文字が浮かび上がることは知っています。本物の印鑑証明書なら、コピーすると「複写」の文字が浮かび出るから、原本は本物です)
けっこう、印鑑証明書とか実印の重要さを自覚していない人は多い。財産やお金が、右から左へと動きます。
悪人がいます。
大きな組織の上層部にいる幹部に、いい人はいません。
ライバルグループを踏んづけて、上に上がってきた人です。
国会における政治家の派閥の話がありますが、政治家だけではなくて、日本中どこでもみられる組織のありようです。
ボスがいて子分がいて、人事権やお金の権利を巡ってポスト争い(あらそい。役職争奪戦(そうだつせん))があります。いいとも悪いとも言えません。集団の中にいる人間は、自然とそうなるものなのです。
こういうつくりの話なのか。
組織が異なっていても、上層部の人間同士は、グル(仲間)ということはあるでしょう。(見た目では、敵対する組織にいても、当人同士は案外大学の同窓生だったりもします。また、親族関係があったりもします)
それが、行政と立法と司法だと、権力を行使する人たちなので、怖いもの(こわいもの)なしになるでしょう。独裁政権が生まれてしまいます。
『自分のことは、自分で決めるんだ。(人に相談して決めるものじゃないこともある)』
『基本は、性善説。やられたら、倍返しだ。』
モノというものは、相場(適正価格)で買うものです。
相場よりも安いということは、何かあるということです。
不動産売買契約シーンがあります。長いこと生きてきたので、自分も何度か売主・買い主の立場で、体験したことがあります。銀行の小部屋を借ります。司法書士が進行役をします。映像では、リアルなシーンで、研修ビデオでも見ているような感じがしました。
売主・買い主のお互いが契約書に署名・押印(実印)をして、通帳への入金を確認して、お疲れさまでした、で終了です。
お金って、なんだろうなあ……
社会の舞台裏は、どろどろとしているものです。
少年の言葉、『ヒーローの一日』が、とても良かった。パパを讃える(たたえる)言葉です。
いいなあ。
良心があります。
『人間に戻るチャンスをもらった。』
『後悔はしない。』
奥さんとこどもたちが、待っていてくれました。
パパは、ヒーローです。
今年観て良かった映画でした。「思い切り(あきらめること)」がいい内容でした。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-02-28T07:18:07+09:00
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沈黙のパレード 邦画 2022年
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153879.html
沈黙のパレード 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス 出川哲朗さんの充電バイクの番組に、ずん飯尾和樹さんが出ていて、その後、飯尾さんがこの映画に出演されているのを知って、さっそく映画を観てみました。 付け加えると、家にこれから読む本を入れてあるダンボール箱があって、何冊も入れてあるのですが、そのなかにこの原作本がありました。『沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫』です。自分なりに読む本の順番がなんとはなしに決めてあって、映像のほうが先になってしまいましたが、本を読んだら、また感想を書いてみます。 飯尾和樹さんの演技はなかなか良かったです。犯罪被害者になった娘さん19歳の父親役でした。娘さんは殺害されています。飯尾和樹さんは親心をじょうずに表情や言動で表現されていました。 湯川学:天才物理学者。犯罪を推理で説いて、真実を明らかにします。福山雅治さんです。 内海薫(うつみ・かおる):女性です。柴崎コウさんでした。警視庁捜査一課の刑事 草薙俊平(くさなぎ・しゅんぺい):内海薫の先輩刑事。湯川学の相棒。親友。北村一輝さんです。 へんな見方(みかた)ですが、ずん飯尾和樹さんの娘さんは、ずん飯尾和樹さんの娘には見えませんでした。なんだか、親子には見えない見た目の組み合わせなのです。あわせて、娘さんが歌手を目指しておられる役なのですが、歌声は普通で、歌手になるというのは、どうかなあという気分で見ていました。(話の最後で、やっぱり娘さんは歌手になる気はなかったことがわかりました。変な感想ですが、やっぱりなと思いました) 時をへだててのふたつの殺人事件が並べられています。 殺されたのは、12歳の少女と19歳の女性です。 タイトルの『沈黙』について、何度も語られます。容疑者の黙秘権(もくひけん)ということもあるし、まわりの人たちが事件の内容や真相を知っているけれど、言えないとか言わないという意味あいがこめられていました。 新たに起きた事件について、秘密を守るのです。関係者多数です。それぞれの意思があって、だれかを、あるいは、なにものかを守るために沈黙を貫くのです。(つらぬく)。 商店街のパレードがあります。 民舞のようなものがあります。 仮装大会です。 変な雰囲気のパレードです。 それを見ていいての感想ですが、機械的なのです。 劇団のステージを観ているようです。 パレードの時間帯が、けっこう長い。 海賊。少年少女向けの物語『宝島』にちなんでいます。 音楽とダンス。ラップミュージックもあるようです。 (推理はなかなか動き出さない。音楽はにぎやかに流れていますが、事件の進行は静かです。この中で、犯罪行為が見えないところで進行しています。殺人の企て(くわだて)です) (創作者の立場に立って観察してみます) 『怨み(うらみ)』という種を植えて、芽生えさせて、育てていく。(どう回収していくのかが楽しみです) ポイントとして、まず、『ハスヌマ(蓮沼寛一)が、本当に犯人なのか?』という疑問が自分に湧きました。(観終えて、それは、なかなかいい視点でした) パトカー集合です。 睡眠薬。絞殺のように見える。閉所恐怖症ではない。物置。外から鍵をかけることができる。 推理、推理、推理が続きます。 密室内の酸素を外に出す方法を考える。 (みんなにとっての憎悪の対象になる相手が死んでしまいました) どうして、被害者家族を犯人扱いするのだろうか。 液体窒素。(自分は、皮膚科で、これを使って、小さなイボをいくつか焼いてもらったことが何度かあります。熱くて痛い。皮膚がはがれます。何回か通います(かよいます)) 視点を変えてみる。 警察に対する糾弾があります。(きゅうだん。非難。責める) わたしが長いこと生きてきて思うのは、警察というのは、警察職員と警察組織のために働いているということです。それが現実です。 映画の中では、警察は市民を守ってくれなかったじゃないかというメッセージがあります。 矛盾を突く作品です。(むじゅん。理屈に合わない) なにがあろうと(殺人事件の被害者家族になっても)、淡々と毎日を過ごしていくことが大事です。 『わたしには何も言えません(沈黙を続けてくれている人たちに顔向けできないから)』 ずん飯尾和樹さんは好演されています。あたりまえの演技がいい。静かな演技です。 市民からの抗議があります。『おまえら警察は何をやっていたんだ』 入り組んだ誤りがある冤罪事件(えんざいじけん)です。 そういえば、最近も夜に、NHKの報道番組で冤罪事件を扱った報道番組の放送がありました。ひどいものです。途中で、まわりにいる役所の人間たちからこれは違うんじゃないかという発想(無実)と意見が出ているのに、検察庁の担当者は、自分たちを守るためなのか、手柄をあげて昇進したいためなのか、犯人をでっちあげることのために、形式を整えることに熱心でした。 内容は、中国に輸出後、軍事転用できるのではないかという機械のことでした。(実際は、機械は、軍事転用はできない構造になっていた)検察庁に在籍する職員個人の強引な犯罪立証への誘導がありました。 『これしかないと……』 『もうしゃべるな!』 (このままでは終われないでしょ。映画鑑賞者であるわたしの意見です) 『事件は解決した。あとは裁判にまかせる』 (そんなことはないでしょ。まだ、真相は明らかになっていない) 『疑わないのか?』 (やっぱり) まだまだ奥行きがある事件です。 『沈黙するかもしれない』(ややこしい) あたりまえのことをあたりまえにやるだけです。 どう決着をつけるのだろう。 役者さんにとっては、見せ場の演技です。 いい作品でした。 『(彼は今)仕事してます』 『親友に感謝していると思います』 『そうか』 本当にいい作品でした。
沈黙のパレード 邦画 2022年(令和4年) 2時間9分 動画配信サービス
出川哲朗さんの充電バイクの番組に、ずん飯尾和樹さんが出ていて、その後、飯尾さんがこの映画に出演されているのを知って、さっそく映画を観てみました。
付け加えると、家にこれから読む本を入れてあるダンボール箱があって、何冊も入れてあるのですが、そのなかにこの原作本がありました。『沈黙のパレード 東野圭吾 文春文庫』です。自分なりに読む本の順番がなんとはなしに決めてあって、映像のほうが先になってしまいましたが、本を読んだら、また感想を書いてみます。
飯尾和樹さんの演技はなかなか良かったです。犯罪被害者になった娘さん19歳の父親役でした。娘さんは殺害されています。飯尾和樹さんは親心をじょうずに表情や言動で表現されていました。
湯川学:天才物理学者。犯罪を推理で説いて、真実を明らかにします。福山雅治さんです。
内海薫(うつみ・かおる):女性です。柴崎コウさんでした。警視庁捜査一課の刑事
草薙俊平(くさなぎ・しゅんぺい):内海薫の先輩刑事。湯川学の相棒。親友。北村一輝さんです。
へんな見方(みかた)ですが、ずん飯尾和樹さんの娘さんは、ずん飯尾和樹さんの娘には見えませんでした。なんだか、親子には見えない見た目の組み合わせなのです。あわせて、娘さんが歌手を目指しておられる役なのですが、歌声は普通で、歌手になるというのは、どうかなあという気分で見ていました。(話の最後で、やっぱり娘さんは歌手になる気はなかったことがわかりました。変な感想ですが、やっぱりなと思いました)
時をへだててのふたつの殺人事件が並べられています。
殺されたのは、12歳の少女と19歳の女性です。
タイトルの『沈黙』について、何度も語られます。容疑者の黙秘権(もくひけん)ということもあるし、まわりの人たちが事件の内容や真相を知っているけれど、言えないとか言わないという意味あいがこめられていました。
新たに起きた事件について、秘密を守るのです。関係者多数です。それぞれの意思があって、だれかを、あるいは、なにものかを守るために沈黙を貫くのです。(つらぬく)。
商店街のパレードがあります。
民舞のようなものがあります。
仮装大会です。
変な雰囲気のパレードです。
それを見ていいての感想ですが、機械的なのです。
劇団のステージを観ているようです。
パレードの時間帯が、けっこう長い。
海賊。少年少女向けの物語『宝島』にちなんでいます。
音楽とダンス。ラップミュージックもあるようです。
(推理はなかなか動き出さない。音楽はにぎやかに流れていますが、事件の進行は静かです。この中で、犯罪行為が見えないところで進行しています。殺人の企て(くわだて)です)
(創作者の立場に立って観察してみます)
『怨み(うらみ)』という種を植えて、芽生えさせて、育てていく。(どう回収していくのかが楽しみです)
ポイントとして、まず、『ハスヌマ(蓮沼寛一)が、本当に犯人なのか?』という疑問が自分に湧きました。(観終えて、それは、なかなかいい視点でした)
パトカー集合です。
睡眠薬。絞殺のように見える。閉所恐怖症ではない。物置。外から鍵をかけることができる。
推理、推理、推理が続きます。
密室内の酸素を外に出す方法を考える。
(みんなにとっての憎悪の対象になる相手が死んでしまいました)
どうして、被害者家族を犯人扱いするのだろうか。
液体窒素。(自分は、皮膚科で、これを使って、小さなイボをいくつか焼いてもらったことが何度かあります。熱くて痛い。皮膚がはがれます。何回か通います(かよいます))
視点を変えてみる。
警察に対する糾弾があります。(きゅうだん。非難。責める)
わたしが長いこと生きてきて思うのは、警察というのは、警察職員と警察組織のために働いているということです。それが現実です。
映画の中では、警察は市民を守ってくれなかったじゃないかというメッセージがあります。
矛盾を突く作品です。(むじゅん。理屈に合わない)
なにがあろうと(殺人事件の被害者家族になっても)、淡々と毎日を過ごしていくことが大事です。
『わたしには何も言えません(沈黙を続けてくれている人たちに顔向けできないから)』
ずん飯尾和樹さんは好演されています。あたりまえの演技がいい。静かな演技です。
市民からの抗議があります。『おまえら警察は何をやっていたんだ』
入り組んだ誤りがある冤罪事件(えんざいじけん)です。
そういえば、最近も夜に、NHKの報道番組で冤罪事件を扱った報道番組の放送がありました。ひどいものです。途中で、まわりにいる役所の人間たちからこれは違うんじゃないかという発想(無実)と意見が出ているのに、検察庁の担当者は、自分たちを守るためなのか、手柄をあげて昇進したいためなのか、犯人をでっちあげることのために、形式を整えることに熱心でした。
内容は、中国に輸出後、軍事転用できるのではないかという機械のことでした。(実際は、機械は、軍事転用はできない構造になっていた)検察庁に在籍する職員個人の強引な犯罪立証への誘導がありました。
『これしかないと……』
『もうしゃべるな!』
(このままでは終われないでしょ。映画鑑賞者であるわたしの意見です)
『事件は解決した。あとは裁判にまかせる』
(そんなことはないでしょ。まだ、真相は明らかになっていない)
『疑わないのか?』
(やっぱり)
まだまだ奥行きがある事件です。
『沈黙するかもしれない』(ややこしい)
あたりまえのことをあたりまえにやるだけです。
どう決着をつけるのだろう。
役者さんにとっては、見せ場の演技です。
いい作品でした。
『(彼は今)仕事してます』
『親友に感謝していると思います』
『そうか』
本当にいい作品でした。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-02-27T07:14:36+09:00
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出川哲朗の充電バイクの旅 湘南から横浜アリーナ
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153873.html
出川哲朗の充電バイクの旅 湘南を横断して、横浜アリーナへ 還暦SP! TVer(ティーバー)哲朗祝還暦SP!思い出の湘南横断!絶景の相模湾沿いから目指すは横浜アリーナ!ずん飯尾と岡田結実(おかだ・ゆい)が祝福走!幸せすぎてヤバイよヤバイよSP 始まってからしばらくは、いつもの楽しさがみられませんでした。 周知の場所、周知の人たちです。 この番組の魅力は、未知の人たちとの遭遇にあります。(そうぐう:偶然の出会い) なれあいの雰囲気が続いて、始まってからの長い時間帯がつまらなかった。(辛口(からくち)の感想で始まってしまいました) 『C』というモニュメント(記念碑)のあたりからおもしろくなりました。 5歳ぐらいの男の子が、砂浜に設置してある『C』という彫刻のような構築物の中に入るような姿勢でのっかって、前後しながら滑っているシーンが、なかなか良かった。 その次は、こどもたちによる、『シンドバッド体操』が、にぎやかで良かった。 ときおり、富士山が、いろいろなパターンで雄大な姿を見せてくれたところが良かった。 江の島神社で出会った体の大きなフランス人男性との会話がおもしろかった。 出川さんがラグビーをしているの?とたずねると、『ただのデブです』という日本語の返答に笑いました。ご家族連れてで、外国人のご夫婦、娘さん、ご主人のお母さんで、家族団らんに心がなごみました。みなさんフランス人です。 バイクに乗りながらの飯尾さんの失恋話が良かった。もう遠い昔、若い頃の話でしょう。 材木座という海岸で、付き合っていた女性に、『もう待てない』と言われたそうです。 飯尾さんはそのあと、かなりの長距離を歩いて自宅まで帰って、クタクタになって、疲れ果てることで、失恋のショックを克服できたそうです。そんな話が良かった。 三浦半島という土地柄なのか、外国人のこどもさんが多い。日本語もペラペラなこどもたちです。 砂浜でのどんど焼きでわいわいがやがやといい雰囲気でした。(正月飾りを燃やす) 岡田結実さんが、出川さんのことを、『ボス』と呼ぶのは、岡田さんがこどものころから出川さんにお世話になっているのだろうと思いつつ、詳しいことはわたしにはわかりません。 横須賀の『ドブ板通り』というところは、異質な日本の景色で、興味をもちました。なかなか、かっこいい。 横浜アリーナで参加されるファンの皆さんとの出会いがたくさんあります。福岡県からの方もおられました。観覧参加者が、1万2000人ぐらいという人の数にも驚かされます。みなさん、ショーを観覧したあとなどの観光地めぐりも目的のひとつにあるのでしょう。 先日は、番組、『東野・岡村の旅猿』に、ゲストで出川哲朗さんが出ていたのを観たのですが、出川さんは、悲惨な目にあっていました。ただ、岡村隆史さんはもっとかわいそうでした。 出川さんは今回のロケで、苦労が報われた(むくわれた)ので、良かったと思います。 また、『旅猿』には、岡田結実さんのお父さんの岡田圭右さん(おかだ・けいすけさん)もよく出ておられて、プロ野球オリックスの応援をされています。いろいろつながりがあります。(その後) ずん飯尾和樹さんが、映画、『沈黙のパレード』で出ていることを知り、動画配信サービスで観てみました。 なかなかの好演で、良かったです。また、別の項目で感想などを記してみます。(しるしてみます)
出川哲朗の充電バイクの旅 湘南を横断して、横浜アリーナへ 還暦SP! TVer(ティーバー)
哲朗祝還暦SP!思い出の湘南横断!絶景の相模湾沿いから目指すは横浜アリーナ!ずん飯尾と岡田結実(おかだ・ゆい)が祝福走!幸せすぎてヤバイよヤバイよSP
始まってからしばらくは、いつもの楽しさがみられませんでした。
周知の場所、周知の人たちです。
この番組の魅力は、未知の人たちとの遭遇にあります。(そうぐう:偶然の出会い)
なれあいの雰囲気が続いて、始まってからの長い時間帯がつまらなかった。(辛口(からくち)の感想で始まってしまいました)
『C』というモニュメント(記念碑)のあたりからおもしろくなりました。
5歳ぐらいの男の子が、砂浜に設置してある『C』という彫刻のような構築物の中に入るような姿勢でのっかって、前後しながら滑っているシーンが、なかなか良かった。
その次は、こどもたちによる、『シンドバッド体操』が、にぎやかで良かった。
ときおり、富士山が、いろいろなパターンで雄大な姿を見せてくれたところが良かった。
江の島神社で出会った体の大きなフランス人男性との会話がおもしろかった。
出川さんがラグビーをしているの?とたずねると、『ただのデブです』という日本語の返答に笑いました。ご家族連れてで、外国人のご夫婦、娘さん、ご主人のお母さんで、家族団らんに心がなごみました。みなさんフランス人です。
バイクに乗りながらの飯尾さんの失恋話が良かった。もう遠い昔、若い頃の話でしょう。
材木座という海岸で、付き合っていた女性に、『もう待てない』と言われたそうです。
飯尾さんはそのあと、かなりの長距離を歩いて自宅まで帰って、クタクタになって、疲れ果てることで、失恋のショックを克服できたそうです。そんな話が良かった。
三浦半島という土地柄なのか、外国人のこどもさんが多い。日本語もペラペラなこどもたちです。
砂浜でのどんど焼きでわいわいがやがやといい雰囲気でした。(正月飾りを燃やす)
岡田結実さんが、出川さんのことを、『ボス』と呼ぶのは、岡田さんがこどものころから出川さんにお世話になっているのだろうと思いつつ、詳しいことはわたしにはわかりません。
横須賀の『ドブ板通り』というところは、異質な日本の景色で、興味をもちました。なかなか、かっこいい。
横浜アリーナで参加されるファンの皆さんとの出会いがたくさんあります。福岡県からの方もおられました。観覧参加者が、1万2000人ぐらいという人の数にも驚かされます。みなさん、ショーを観覧したあとなどの観光地めぐりも目的のひとつにあるのでしょう。
先日は、番組、『東野・岡村の旅猿』に、ゲストで出川哲朗さんが出ていたのを観たのですが、出川さんは、悲惨な目にあっていました。ただ、岡村隆史さんはもっとかわいそうでした。
出川さんは今回のロケで、苦労が報われた(むくわれた)ので、良かったと思います。
また、『旅猿』には、岡田結実さんのお父さんの岡田圭右さん(おかだ・けいすけさん)もよく出ておられて、プロ野球オリックスの応援をされています。いろいろつながりがあります。
(その後)
ずん飯尾和樹さんが、映画、『沈黙のパレード』で出ていることを知り、動画配信サービスで観てみました。
なかなかの好演で、良かったです。また、別の項目で感想などを記してみます。(しるしてみます)]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-02-26T07:47:55+09:00
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太川&蛭子バス旅の再放送を観ていて思うこと。
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153852.html
太川陽介&蛭子能収(えびす・よしかず)のローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅の再放送を観ていて思うこと。 毎年、年明けの時期ぐらいから、この番組の再放送が、BSテレ東で火曜日夜7時からあるので、楽しみに観ています。もう15年ぐらい前の平成20年あたりから始まります。 先日はゲストが藤田朋子さんで、栃木県日光市から宮城県の観光地松島海岸まででした。成功されています。(わたしはこれを観て、その後、松島海岸を訪れるきっかけになりました) このシリーズは、もう何回も観ているのですが、観るたびに新鮮な気持ちにさせてくれる良い番組です。 太川陽介さんもえびすさんも若い。とくにえびすさんが元気です。今では認知症になってぼんやりされていますが、このロケが始まったころは、けっこうてきぱきとされて、びゅんびゅんと動かれています。人間の、あるいは人生の歴史を感じます。だれしも歳をとると、今までできていたことができない心身に衰えて(おとろえて)いきます。体験してみて初めてわかります。若い頃には気づけません。 太川陽介さんは、昨年秋に東京でミュージカル、『天使にラブ・ソングを』観に行ったときにご本人を拝見しました。太川さんは神父の役で、ステージのまんなかあたりで、ニコニコされていました。テレビと同じ笑顔でした。 えびすさんは、最近は、テレビの認知症を扱った番組で見かけることがあります。すっかりヨロヨロになられてしまいました。しかたがありません。人間は老いてくると、最後は、だれでも障害者です。 再放送は、今は、2008年から2009年(平成20年から21年)あたりの映像が流れているのですが、先日、映像を観ていて気づいたことがあります。 映像に出てくる人で、誰ひとり、スマートフォンをもっていないことです。このころまだスマホは世の中に普及していませんでした。番組では、たまにゲストがガラ系折り畳み式の携帯電話で写真をとったり、えびすさんが、番組制作会社の業務用の携帯で、旅館やホテルの予約を入れたりされています。スマホがまったく出てこない映像はすっきりしていて気持ちがいい。 ガラ系の携帯電話で、インターネットを見ることはできませんでした。主に、電話として使用されていました。 時は流れて、今では、おおぜいの人が手にスマホを持って移動しています。異様な光景です。 スマホは便利な道具ですが、中毒性があって、危険な面もあります。殺人事件を始めとした犯罪被害者になるきっかけになることもあります。(出会わなくてもいい人と出会ってしまうこともあります)。目も悪くなります。脳にも悪影響があるでしょう。 大きな駅構内では、ながらスマホをしながら歩いている若い女性がいて、危ないです。たくさんの人たちが歩いているのに、自分が周囲に迷惑をかけていると思えないことが心の異常です。 どうして、歩きながらでもスマホを操作しなければならないのかが、わたしにはわかりません。脳の病気です。もしぶつかってケガをさせられても知らん顔をされて補償もしてもらえなさそうです。いちど立ち止まって考えてもらって、ご自身のためにも、ながらスマホはやめてほしいものです。 スマホの害を指摘した本で、以前読んだ本があります。『スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子・訳 新潮新書』 書いてあったのは、スマホに頼って、記憶することを怠るようになっている人類の知能指数は下がってきているそうです。記憶に加えて考えることもやめている。スマホに相談して、スマホの指示に従う脳になっている。人間は人間としての大切なものを失いかけているとありました。集中力とか思考力です。もう国語辞典や漢和辞典、英和辞典などを五十音順とか画数、アルファベット順で調べるということもきかなくなりました。 まずは、各自が自分で、未来の自分をどうするのかを選択するのでしょう。ちゃんとした人間として生活していくために、スマホの使用時間を減らす。やることとしては簡単なことです。スマホの奴隷(どれい)になってはいけません。なんだか、ニコチン(タバコ)の奴隷にも似ています。アルコール(飲酒)の奴隷にも似ています。依存症です。なにかに依存しないで、自分のことは自分でやる。自立するんだ。自活していくんだ、という強い意思をもつ。 この番組の再放送の映像を観ていて思うのは、年配の人たちがけっこうたくさん映っていて、このころは、演者の芸能人と地元の人たちの会話が盛りだくさんで、観ていてなかなか楽しいシーンがたくさん出てきますが、年月がずいぶんたってしまったので、映っている人で、お亡くなりになった人もおられるのだろうなあと感慨深く、みなさんのやりとりに耳を傾けています。 また、映像で登場したこどもさんたちは、小中学生・高校生も含めて、成長されて、いまごろどこでどんな生活を送っておられるのだろうかなあと考えながら観るのも楽しみのひとつです。 先日の2009年の映像では、まだ東日本大震災(2011年3月11日)が起きる前ですが、その後、朝ドラ『あまちゃん』で有名になる岩手県久慈市(くじし)の地名も出てきました。この番組は、ドキュメンタリー(記録映像)であり、ドラマ(人の感情を揺り動かす作品)があります。 太川さんとえびすさん、そして、ゲストの方たちとスタッフのみなさんがたは、このシリーズで、歴史に残る偉業を成し遂げられたと評価するのです。
太川陽介&蛭子能収(えびす・よしかず)のローカル路線バス乗り継ぎ人情ふれあい旅の再放送を観ていて思うこと。
毎年、年明けの時期ぐらいから、この番組の再放送が、BSテレ東で火曜日夜7時からあるので、楽しみに観ています。もう15年ぐらい前の平成20年あたりから始まります。
先日はゲストが藤田朋子さんで、栃木県日光市から宮城県の観光地松島海岸まででした。成功されています。(わたしはこれを観て、その後、松島海岸を訪れるきっかけになりました)
このシリーズは、もう何回も観ているのですが、観るたびに新鮮な気持ちにさせてくれる良い番組です。
太川陽介さんもえびすさんも若い。とくにえびすさんが元気です。今では認知症になってぼんやりされていますが、このロケが始まったころは、けっこうてきぱきとされて、びゅんびゅんと動かれています。人間の、あるいは人生の歴史を感じます。だれしも歳をとると、今までできていたことができない心身に衰えて(おとろえて)いきます。体験してみて初めてわかります。若い頃には気づけません。
太川陽介さんは、昨年秋に東京でミュージカル、『天使にラブ・ソングを』観に行ったときにご本人を拝見しました。太川さんは神父の役で、ステージのまんなかあたりで、ニコニコされていました。テレビと同じ笑顔でした。
えびすさんは、最近は、テレビの認知症を扱った番組で見かけることがあります。すっかりヨロヨロになられてしまいました。しかたがありません。人間は老いてくると、最後は、だれでも障害者です。
再放送は、今は、2008年から2009年(平成20年から21年)あたりの映像が流れているのですが、先日、映像を観ていて気づいたことがあります。
映像に出てくる人で、誰ひとり、スマートフォンをもっていないことです。このころまだスマホは世の中に普及していませんでした。番組では、たまにゲストがガラ系折り畳み式の携帯電話で写真をとったり、えびすさんが、番組制作会社の業務用の携帯で、旅館やホテルの予約を入れたりされています。スマホがまったく出てこない映像はすっきりしていて気持ちがいい。
ガラ系の携帯電話で、インターネットを見ることはできませんでした。主に、電話として使用されていました。
時は流れて、今では、おおぜいの人が手にスマホを持って移動しています。異様な光景です。
スマホは便利な道具ですが、中毒性があって、危険な面もあります。殺人事件を始めとした犯罪被害者になるきっかけになることもあります。(出会わなくてもいい人と出会ってしまうこともあります)。目も悪くなります。脳にも悪影響があるでしょう。
大きな駅構内では、ながらスマホをしながら歩いている若い女性がいて、危ないです。たくさんの人たちが歩いているのに、自分が周囲に迷惑をかけていると思えないことが心の異常です。
どうして、歩きながらでもスマホを操作しなければならないのかが、わたしにはわかりません。脳の病気です。もしぶつかってケガをさせられても知らん顔をされて補償もしてもらえなさそうです。いちど立ち止まって考えてもらって、ご自身のためにも、ながらスマホはやめてほしいものです。
スマホの害を指摘した本で、以前読んだ本があります。
『スマホ脳 アンデシュ・ハンセン 久山葉子・訳 新潮新書』
書いてあったのは、スマホに頼って、記憶することを怠るようになっている人類の知能指数は下がってきているそうです。記憶に加えて考えることもやめている。スマホに相談して、スマホの指示に従う脳になっている。人間は人間としての大切なものを失いかけているとありました。集中力とか思考力です。もう国語辞典や漢和辞典、英和辞典などを五十音順とか画数、アルファベット順で調べるということもきかなくなりました。
まずは、各自が自分で、未来の自分をどうするのかを選択するのでしょう。ちゃんとした人間として生活していくために、スマホの使用時間を減らす。やることとしては簡単なことです。スマホの奴隷(どれい)になってはいけません。なんだか、ニコチン(タバコ)の奴隷にも似ています。アルコール(飲酒)の奴隷にも似ています。依存症です。なにかに依存しないで、自分のことは自分でやる。自立するんだ。自活していくんだ、という強い意思をもつ。
この番組の再放送の映像を観ていて思うのは、年配の人たちがけっこうたくさん映っていて、このころは、演者の芸能人と地元の人たちの会話が盛りだくさんで、観ていてなかなか楽しいシーンがたくさん出てきますが、年月がずいぶんたってしまったので、映っている人で、お亡くなりになった人もおられるのだろうなあと感慨深く、みなさんのやりとりに耳を傾けています。
また、映像で登場したこどもさんたちは、小中学生・高校生も含めて、成長されて、いまごろどこでどんな生活を送っておられるのだろうかなあと考えながら観るのも楽しみのひとつです。
先日の2009年の映像では、まだ東日本大震災(2011年3月11日)が起きる前ですが、その後、朝ドラ『あまちゃん』で有名になる岩手県久慈市(くじし)の地名も出てきました。この番組は、ドキュメンタリー(記録映像)であり、ドラマ(人の感情を揺り動かす作品)があります。
太川さんとえびすさん、そして、ゲストの方たちとスタッフのみなさんがたは、このシリーズで、歴史に残る偉業を成し遂げられたと評価するのです。]]>
DVD・映画・テレビ番組
熊太郎
2024-02-23T07:51:38+09:00
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いじわるな人
http://kumataro.mediacat-blog.jp/e153843.html
いじわるな人 もうずいぶん昔のことになりましたが、就職した時に、職場に中年のいじわるな女性がいました。 二十代だったわたしに、なにかしら、いじわるな言動をするのでした。わたしのことが心の底からキライだったようです。 わたしが困っているのに、そこまで言わなくてもいいのにと思うことがありました。 一度は、そばにいた男性の先輩が間に入って、話を穏便に(おんびんに。おとなしく。おだやかに)まとめてくれたことがありました。 自分が人事異動してからは、いじわるな女性と会うことはありませんでした。 それから40年ぐらいがたって、リタイアした自分は、年1回開催される職場の同窓会に行きました。 名簿にいじわるだった女性の名前とコメントがありました。『病気療養中で同窓会には参加できません』と書いてありました。 ああ、あの人は、40年ぐらいたっても、いじわるな性格は変わっていないのだろうなあと考えました。 コロナ禍があって、3年間職場の同窓会が中止になりました。 去年久しぶりに開催された同窓会に行ったら、配布された資料の物故者(ぶっこしゃ。亡くなった人)の紹介の欄に、いじわるだった人のお名前がありました。ああ、結婚されずに亡くなったのだなあと思いました。生まれつきいじわるな人は、一生いじわるな人だったのだろうなあという思いがありました。 それからしばらくして、自分が二十代だったころの仕事仲間と久しぶりに会い、雀荘で(じゃんそうで)、マージャン卓を囲みました。 左に座っていた男性の先輩が、『自分は、〇〇さん(わたしが思ういじわるな女性)にとても世話になった。』と、突然話し始めました。あの人がいなかったら、今の自分はないとまで話をされるので、わたしはびっくりしました。(わたしは、そのとき、なにも話しませんでした) もう亡くなったあの女性は、いじわるな人ではなかったようだと思いましたが、なにやらすっきりしません。 ずーっと考えました。そして、結論が出ました。 『えこひいきをする人だったのだ』 自分が気に入った人は厚遇して(こうぐう。手厚いフォロー(世話)をする)、自分が気に入らない人には冷遇(れいぐう。冷たくする。冷淡な態度で接する)する人だったのだ。 ひとりの人間でも、二重人格ということはよくあります。自分が気に入った人には親切にして、自分が気に入らない人には冷たくします。相性(あいしょう)があります。気が、合う、合わないです。その区別の具体的な理由がわからないときがあります。 なんとなく好きで、なんとなく嫌いなのです。 しかたがありません。しょせん人間なんて、そんなものなのでしょう。
いじわるな人
もうずいぶん昔のことになりましたが、就職した時に、職場に中年のいじわるな女性がいました。
二十代だったわたしに、なにかしら、いじわるな言動をするのでした。わたしのことが心の底からキライだったようです。
わたしが困っているのに、そこまで言わなくてもいいのにと思うことがありました。
一度は、そばにいた男性の先輩が間に入って、話を穏便に(おんびんに。おとなしく。おだやかに)まとめてくれたことがありました。
自分が人事異動してからは、いじわるな女性と会うことはありませんでした。
それから40年ぐらいがたって、リタイアした自分は、年1回開催される職場の同窓会に行きました。
名簿にいじわるだった女性の名前とコメントがありました。『病気療養中で同窓会には参加できません』と書いてありました。
ああ、あの人は、40年ぐらいたっても、いじわるな性格は変わっていないのだろうなあと考えました。
コロナ禍があって、3年間職場の同窓会が中止になりました。
去年久しぶりに開催された同窓会に行ったら、配布された資料の物故者(ぶっこしゃ。亡くなった人)の紹介の欄に、いじわるだった人のお名前がありました。ああ、結婚されずに亡くなったのだなあと思いました。生まれつきいじわるな人は、一生いじわるな人だったのだろうなあという思いがありました。
それからしばらくして、自分が二十代だったころの仕事仲間と久しぶりに会い、雀荘で(じゃんそうで)、マージャン卓を囲みました。
左に座っていた男性の先輩が、『自分は、〇〇さん(わたしが思ういじわるな女性)にとても世話になった。』と、突然話し始めました。あの人がいなかったら、今の自分はないとまで話をされるので、わたしはびっくりしました。(わたしは、そのとき、なにも話しませんでした)
もう亡くなったあの女性は、いじわるな人ではなかったようだと思いましたが、なにやらすっきりしません。
ずーっと考えました。そして、結論が出ました。
『えこひいきをする人だったのだ』
自分が気に入った人は厚遇して(こうぐう。手厚いフォロー(世話)をする)、自分が気に入らない人には冷遇(れいぐう。冷たくする。冷淡な態度で接する)する人だったのだ。
ひとりの人間でも、二重人格ということはよくあります。自分が気に入った人には親切にして、自分が気に入らない人には冷たくします。相性(あいしょう)があります。気が、合う、合わないです。その区別の具体的な理由がわからないときがあります。
なんとなく好きで、なんとなく嫌いなのです。
しかたがありません。しょせん人間なんて、そんなものなのでしょう。]]>
熊太郎の語り
熊太郎
2024-02-22T08:29:27+09:00
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大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子・訳
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大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子(おさない・そのこ)・訳 白水社 韓国人女性作家の短編集です。 9本の短編作品がおさめられています。『湖――別の人』 う~む。1回読みましたが、なんだかよくわからない。ジニョン:若い女性。物語の語り手。首に首を絞められた痣(あざ)がある。25歳のとき付き合っていた男に首を絞められた。(しめられた)。現在32歳。12歳からこれまで、アンジン市の近郊で暮らしている。パンツのポケットにピンセットが入れてある。(護身用?)。口癖は、『わかりません』。ミニョン:若い女性で、ジニョンの友だち。酒癖が悪い。だから、酒は飲まない。性暴力の被害者。今、意識不明で、入院して3週間がたつ。 湖のそばで遺体に近い状態でジョギング中の男性に発見された。(物語では、事故と表現される)。意識を失う直前の言葉が、『湖に、置いてきたの。湖に(だけど、周囲の人間にとっては、彼女がそ湖に、何を置いてきたのかがわからない)(釘抜きみたいなもの)(ヘアピンみたいな形)(重い。動かせない)』。事故にあう前、ミニョンの細い腕に青くて丸い痣(あざ)があった。イハン:若い男性。ミニョンの恋人。性暴力の加害者らしい。(監視カメラの映像あり)。身長190cm。ミジャ婆(ばあ):湖のほとりにいる高齢者女性。水辺で洗濯をしている。ミジャ婆は、家にいたくない。頭皮がはげている。夫から暴力を受けている。夫が、髪をつかんで引き回している。 長いページ数ではないので、もう一度ゆっくり最初からページをめくってみます。 翻訳もの(ほんやくもの)なので、ちょっとした読みにくさはあります。 ミニョンに対する性暴力の加害者であることが疑われるイハンとジニョンが湖に向かっているところから始まります。ミニョンが湖に置いてきたものを探します。 韓国は、男尊女卑の国で、女性差別、女性蔑視(べっし)がきついとほかの本で読んだことがあります。この本の題材もそういったものかもしれません。『今日バスで、変な男を見たんだ』 バスの中で、ひとりごとのように大きな声をあげる男がいた。乗客も運転手も知らないふりだった。 二号さん(セカンド):この言葉の意味がわかりません。日本だと、妾(めかけ)とか、愛人とか、第二婦人となりますが、この物語では、13歳(韓国では小学生らしい)のミニョンに対して、同級生男子が、『おい、おまえだって二号(セカンド)さんだろ?』と声をかけています。『次女』ではないと思います。 韓国の男性は、女性を自分の所有物だと思っているから、女性に対して、謝罪はしないのだろうか。 肝心なことを隠しながら物語は進みます。 別の名もなき女性が男に付きまとわれる話が出ます。 二度目の読書が終わりました。内容は、詩的です。なんだろう。男に対する抗議を抽象的なイメージで表現してある作品だろうか。わかりません。感覚的です。具体的になにがどうしたのかの説明がありません。(う~む。この先の短編を読めばわかるのだろうか)『ニコラ幼稚園――尊い人』 う~む。この短編群は、ホラー小説(恐怖)という位置づけらしい。人間の心の奥に潜む『悪魔』を呼び起こすのです。闇から悪魔をおびきだすのです。 教育キチガイママが登場してきます。こどもの教育に関して、過干渉な母親です。こどもに無理に勉強をさせているという噂(うわさ)がある。 妻(母):ミホ。自分が、8歳のこどものころ、字を読めなかった。 夫(父):存在感がありません。 ミヌ:男児。有名私立幼稚園である『ニコラ幼稚園(1947年設立)』の入園に関して、補欠の2番目。入園受付日の9日前から並んだ。入園は、先着順が基本らしい。ミヌは本をたくさん読む。ミヌはその後、一人が退園したので、繰り上げ当選になった。 ジノの母親:この人が、悪を運んでくるらしい。 場所は、『アンジン』というところです。架空の地名のようです。 この幼稚園に入れると、未来は、ソウルの大学に進学して、公務員、実業家、学者になれるらしい。『ニコラ幼稚園を出ると出世する』。 初代園長は、日本留学して帰国した女性で、自分の女性の子孫だけが幼稚園を運営できるとした遺言を遺した。(のこした)。ニコラ財団がある。 日本では、少子化でこどもの数が減ったので、親の子に対する過干渉が増加しました。 自分の親の世代は、兄弟姉妹が7~8人いても不思議ではない家族構成でした。まんなかあたりのこどもは、祖父母との交流は薄いし、先祖のお墓参りの習慣もあまりなかった。いっぽう末っ子は案外大事にされました。 ニコラ:ヨーロッパ系の男性名(宗教と関係があるのだろうか。わかりません) 園長:40代なかばの女性。 噂(うわさ):ニコラ幼稚園を悪く言う噂。54ページ付近まで読んできて、具体的になにということは書かれていない。(その後:園長が奇抜な洋服を着る(薄着)ことがあることから、園長の人としての人格が疑われていることがわかります) ヤン・スルギ:嘘つき女。手首に赤い火傷(やけど)のような痕(あと)がある。熱した丸い焼きごてをあてられたような形をしているような痕(あと)がある。 国民学校一年生のときの思い出として、(今でいう小学一年生ぐらいです)担任のチン先生によると:ヤン・スルギは、同級生だった。父親がアンジンの警察署長だった。 ハングルを学ぶ。できないと、先生が、自分の左の手首を自分で痛めつける。棒で、自分の左手首を叩く(たたく)。 第10期卒園生の女(ニコラ幼稚園で働いている) う~む。何が起きているのかがわかりません。むずかしい。『大丈夫な人』 本のタイトルになっている作品です。ホラーなのでしょう。映画の台本のようでもあります。 結婚を控えたカップルですが、女性の側に不安な心があります。男性が二重人格、二面性があります。もっとも、韓国社会というところは、女性は男性の所有物という思想が下地にあるのではないかと察せられる作品です。ゆえに、女性蔑視、女性差別に対する抗議が作品に内在されていると感じられる作品でした。 男に従う。頭脳優秀でお金をもっている男に従っていれば、女は、『大丈夫な人』になれるのです。『大丈夫な人』でいられるために、女は、男から暴力を振るわれても、暴言を吐かれても、がまんしなければならないのです。 男には変な性癖があった。鹿を捌く(さばく。内臓等を処理する)動画シーンが好きだった。夫となる男は、動物を殺して処理するシーンに快感を得るタイプの人間である。 男には、鹿も女も同様に見えているようすであった。 男は弁護士であり、米国での暮らしも長期間体験していた。大学までアメリカ合衆国だった。 女は、平凡な家庭の娘で、弟二人がいた。一般的な暮らしで、裕福ではなかった。 『私は、ひたすら大丈夫な人になりたかった……』 男は、『屠畜場(とちくじょう。家畜を解体して肉にする)』が好きだった。 恐怖小説(ホラー映画のワンシーンみたいです)現実味がありません。 ミンジュ(若い女性)の命が、男に奪われるのではないかという恐怖があります。 変な男だけれど、(女が)生きていくために、男に従うことにした。『大丈夫な人』になるために。『虫たち』 三人の女性が戸建てで同居して、ホラーのような状態になるという短編でした。場所はソウル市内です。 イェヨン:女性。家の家主。両親が突然他界した。その後、部屋貸し収入で暮らしている。自分は、戸建ての2階に住んでいる。借家人は1階の部屋に住んでいる。 (私:語り手)スジ:若い女性。短大生。1階の部屋を借りている。 ヒジン:若い女性。1階の部屋を借りている。 家の中に不潔な部分がある。臭いもする。虫もいる。 三人の女性は、月に1回ぐらい、いっしょに食事をする。 庭付き一戸建て。部屋は、5室ある。2階に2部屋ある。2階は家主のイェヨンが使用している。 1階にヒジンとスジの部屋がある。台所と納戸、テラスと鍵のかかった部屋がある。 読んでいると、韓国の女性は、気性が激しいのだろうかと思ってしまいます。スジとスジの妹、母親もからんでの対立があります。こどもに対する不公平な扱いがあります。 ヒジンは、恋人からドメスティック・バイオレンス(暴力)を受けていた。顔に青あざがある。 家主のイェヨンがふたりに、どちらかひとりにこの家を出て行ってほしいと言う。 イェヨンとヒジンは仲がいい。 イェヨンには、奇行があります。(奇妙な言動。魚の頭を15個一列に並べてあった) 読みながら情景を思い浮かべようとするけれど、非現実的でわかりにくいです。ホラー(恐怖、嫌悪)です。『あなたに似た歌』 こちらの短編も読み終えましたが意味をとれませんでした。 中年の母親がいる。末期がんの29歳の娘スジンがいる。スジンは、2年前に卵巣がんが見つかった。ステージ4(体内でがんが転移している状態をいう)。娘は、小説家になりたい。11歳のときに父が死んだ。 母親は、趣味の教室で声楽を習っている。ソプラノを担当している。発表会に出たい。夫は交通事故死している。ある日の早朝に、夫は、飲酒運転の車にひかれた。 母親は、若い頃、市の合唱団員だった。夫の死後、保険外交員をしていた。 文化センター声楽講座の男性講師がいる。発表会に出る生徒は、金次第で決める。うまいへたは二の次という決め方をする。お金でポスト(地位。立場)を買う。 母と娘は、アンジン市に住んでいる。 母が運転して、娘が助手席に座って、アンジン最古の建物に向かっている。そこは、宣教師の私邸だった。今は、文化センターの教室代わりに使用されている。『生涯教育センター』という。 次から次へと文章で情報の提供があります。把握することがたいへんです。 ときおり、『母さんに似た』という文章が出てきます。がんになったことも、母さんに似たような含みがあります。 『何事も確認しなければ気が済まない人の話を聞いたことがある。』(社交辞令(その場しのぎのほめことば)を信じない。表は良くても、裏で悪いことをしているだろうと推測する。なにかたくらんでいるのだろうと思う) 末期がんの患者が車を運転していることが不思議でした。(妄想なのか) 最後にちいさなこどもの姿が出てくるのですが、意味がわからない。『部屋』 こちらの作品も、う~むでした。わからない。 私:ジェイン スヨン:ジェインの女ともだち。 主の女:家主。首の左が長いそうです。(?です) 教試院(こうしいん):もともとは、朝鮮半島の大学入試、公務員試験を受験する人が缶詰になって勉強する宿泊施設だった。現在は、大学生、地方出身者、日雇い労働者の安価な簡易宿所。 チョンセの家。 貧困について書いてあるようです。 『風船が割れるように都市は爆発した』 韓国映画『パラサイト 半地下の家族』みたいな雰囲気があります。 『(半地下の)ここから窓のある部屋に移ろうとすれば、二年は軽くかかる……』 設定が、SF(サイエンスフィクション)だろうか、未来都市の話だろうか。 浮腫んでいる:むくんでいる。 醤油煮(ジャンジョリム):韓国料理 サンチュ:レタスの一種 お金のことで、スヨンの体が病気になるのか、スヨンの体が肥大化して、変形、硬化していきます。ホラー(恐怖)話なのかなあ。よくわかりません。 むずかしい。何が書いてあるのかわかりません。『雪だるま』 (僕)ギチェ:11歳 社会福祉士:女性 ギチェの兄:17歳。兄は、弟ギチェに暴力を振るってギチェを置き去りにした。兄本人は、11歳のときに骨折・打撲で入院した。13歳のときに交通事故に遭った。母親が、兄を殴って、車の後ろに押し込んだ。 兄は将来なにかを研究する人になりたい。兄はコンビニで働いていたが、店主にだまされて、多額の借金を負った。 ウニョン なにやらぶっそうな話が始まりました。 ギチェは、本人が言うには、『閉じ込められている』 ギチェと兄には共通の夏の思い出がある。 キーワードは、『大丈夫だって。』という言葉のようです。 兄による弟への暴力があります。 父は母に暴力を振るっていたらしい。 両親は離婚した。母は父の借金を肩代わりした。(かわりに払う。人の債務を代わって引き受ける) 古紙回収のおばあさん 古物商の店主のおじさん:背が高くて、顔が真っ黒で、目つきが鋭い。(するどい) 兄のカノジョ(美容師):弟の髪を切って、丸坊主にしてしまった。 どこからどこまでが本当で、なにがウソなのかわかりません。映像化すると、けっこう怖いホラー(恐怖)になるのでしょう。 ときおり、『虫』が姿を現します。虫はなにかを暗示しているのですが、わたしにはわかりません。 (僕)は、捨てられる。兄から暴力を振るわれて、耳を乱暴に引っ張られたり、背中を蹴(け)られたりする。おまえが、オレの負担になっているという趣旨で弟は兄から怒鳴られる。 貧しさ、暴力、ホラー(恐怖)、狂気の世界です。 廃品をお金に変える。 社会福祉士と最後に会ったのは、22歳のときだった。 主人公の記憶をたどる文章です。 主人公はこどものころ、部屋の中で、死体みたいにころがっているところを発見された。タイトルにある、『雪だるま』の幻視があります。 親を頼れないこどもの悲劇があります。『グル・マリクが記憶していること』 読み終えましたが、あいかわらず何が書いてあるのかを理解できません。グル・マリク:インド人男性。インドでは、低い階級の人間。韓国に滞在していたが、インドに帰国して、火事で亡くなった。タニ・カーン:インド人女性。グル・マリクと同じインドの村で、同じ日に生まれた。タニ・カーンは若いけれど、現地の60歳男性と婚約して結婚した。夫からDV(ドメスティック・バイオレンス。暴力)を受けた。グル・マリクとふたりで韓国に逃げた。その後、ふたりはインドへ強制送還されたような雰囲気があります。彼女:韓国人。ハングル(韓国の言語)を教えるボランティア。教育学の大学院卒業。国語教師になりたかったが、採用試験に何度か落ちてあきらめた。韓国人彼女のカップル相手の男:二十歳。(韓国は、満年齢ではなく、数え年で表記してあると、本のうしろの訳者あとがきにありました)。ラム:インドの男性。健やか(すこやか)で、裕福な、高い階層の男。 グル・マリクと韓国人男女三人は知り合いです。 グル・マリクが、韓国人女性に遺品を送っていた。遺品が韓国人女性に送られてきたのですが、届かないので、女性と男性が荷物を探しに業者がいる『地域の保管センター』行くようすが書いてあります。なかなかイメージしにくい文章の内容でした。 韓国の街中風景の記述を読んでいると、おととし2022年10月29日、ハロウィンのときに起きた事故を思い出します。群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)事故による圧死者多数です。154人も亡くなっています。 インドのカースト制(身分制度)のことがからんでいます。女性差別もあります。 あの人たち:インド人タニ・カーンから見て都市(韓国ソウル)に住む人たちのこと。やがて、『友人たち』と呼び始める。 グリ・マリクは、『出入国管理事務所』にいたことがある。 グリ・マリクの理解できない言葉として、『必要ない、と、代わりはいる』 (グリ・マリクの遺品がどうして、韓国にいる女性のところへ送られてきたのかが不可解です) 何のために自分は生きているのかを自問する内容です。 裕福な男が言うには、自分は、人を助けるために生きていると思っていたが、人から必要とされる人間になりたいという承認欲求があった。自分を自慢したかった。そんなふうに意味をとれます。 現実のことではない、脳内にある風景を再現してあるようです。<あまりにもわかりにくいので、うしろにあった「訳者あとがき」を読んでみました> 女性の日常について書いてある。女性の日常は、スリラーだ。(ぞっとするような感覚を与える) なにゆえスリラーかというと、女性は常に男性から差別を受けているからである。 女性蔑視(じょせいべっし:みくだしてばかにする)がある。男性は不満があると女性に暴力を振るう。乱暴な言動をする。だから、スリラーでありホラー(恐怖)なのです。 人間の奥底にひそむ暗い感情が、文章で表現してある。女の感情もあるし、男の感情もある。 インド社会には、階級と差別が、世の中の制度として存在している。 強い立場の者が、弱い立場の物から搾取する。(さくしゅ:利用して、利益をしぼりとる) 身近に、不安、悪意、卑下(ひげ。見くだし)、怒り(いかり)、諦め(あきらめ)がある。 短編『部屋』は女性同士の同性愛について書いてあるそうです。『手』 最後の短編作品になりました。ここまで、チンプンカンプンで、文字を追って来ただけです。 嫁と姑(しゅうとめ。夫の母親)の諍い(いさかい。対立)話です。 読み始めて、昔のことを思い出しました。 ナゴヤドームに小学生だった息子とプロ野球の試合を観に行ったときに、自分たちの前の席におばあさんがふたり座っていました。ふたりのおばあさんは、試合の経過はそっちのけで、お嫁さんの悪口ばかりを延々としゃべり続けていてあきれました。ふたりは、球場へなにをしに来たんだろう? 招待券でももらったのでしょう。しかし、話題がお嫁さんの悪口しかないなんて、なんて、狭くて息苦しい世界で暮らしている人たちだろうかと、かわいそうになりました。 さて、お話のほうです。(私)キム・ミヨン:女教師。夫はインドネシアに単身赴任中。ミナという保育園に通う女児がいる。ミナの養育のために夫の母親の実家で、母親と自分と娘の三人で暮らしている。とてもいなかの環境で、担任しているクラスには児童が7人しかいない。姑(しゅうとめ)と同居したことを後悔している。キム・ミヨンの姑(しゅうとめ。夫の母親):かなり、きつい人です。キム・ミヨンを責めます。言葉遣いが乱暴で、差別用語もポンポンしゃべります。孫娘のミナが祖母の真似をして、差別用語をしゃべります。デジン:キム・ミヨンの教え子。いじめられている。ヨンジャ婆(ばあ)の孫。ヨンウ:キム・ミヨンの教え子。いじめっこ。体が大きく学力優秀。表向きはいいこどもだが、実は悪人タイプの個性をもつ。陰で、陰湿にデジンをいじめぬいている。里長(さとちょう。韓国行政区の最小単位の末端の長だそうです)の孫。 短編のタイトル『手(ソン)』は、『悪鬼(あっき。人間たちに悪をばらまく。性別は女)』のことです。 主人公の助教師キム・ミヨンは、姑さん(しゅうとめさん)に攻撃されて、さらに、村組織の中で、教え子たちと村人たちにいじめられて、精神状態がおかしくなります。ホラー(恐怖)です。幻聴が聞こえるようになります。(「パンッ」という音が聞こえる。火の熱で、竹が、はじけるような音) 狭い村組織には、社会的な法令意外に、掟(おきて。その場所だけでの決まり事(ごと))があります。よそ者は嫌われます。排他的です。だれかをいじめて、うさばらしをする空気があったりもします。人間はむずかしいし、人間なんてそんなものです。 村の風習として:味噌玉麹(みそだまこうじ。蒸した大豆を成形して麹菌を生やす)をつくる。 開発時代:韓国における経済成長至上主義の時代。1960年~70年代(日本だと、昭和35年から40年代) 差別用語として、『あいのこ』。 本の中では、おばあさんはつくりばなしをします。実際にはないことを、まるで本当にあったかのように話します。 わたしは、以前、そういう高齢者女性を実際に見たことがあります。ウソつきおばあさんです。おばあさんの被害者妄想(もうそう)話を聞いた人は、おばあさんのつくり話を全部信じて、無実の人を攻撃したりもします。 でもおばあさんの話は、全部ウソなのです。そんなことはありません。おかしいですとおばあさんに申し立てても、おばあさんは、ますますウソを重ねていくのです。 どうしようもありません。おばあさんの話を聞いておばあさんの味方をした近所のおじいさんは、自分が被害者になるまで、だまされ続けます。コワイコワイです。(恐い(こわい)) 焚口(たきぐち):釜戸(かまど)、ストーブ、ボイラーなどの燃料を入れて火をつける口。 ちょっと自分にはむずかしい本でした。
大丈夫な人 カン・ファギル 小山内園子(おさない・そのこ)・訳 白水社
韓国人女性作家の短編集です。
9本の短編作品がおさめられています。
『湖――別の人』
う~む。1回読みましたが、なんだかよくわからない。
ジニョン:若い女性。物語の語り手。首に首を絞められた痣(あざ)がある。25歳のとき付き合っていた男に首を絞められた。(しめられた)。現在32歳。12歳からこれまで、アンジン市の近郊で暮らしている。パンツのポケットにピンセットが入れてある。(護身用?)。口癖は、『わかりません』。
ミニョン:若い女性で、ジニョンの友だち。酒癖が悪い。だから、酒は飲まない。性暴力の被害者。今、意識不明で、入院して3週間がたつ。
湖のそばで遺体に近い状態でジョギング中の男性に発見された。(物語では、事故と表現される)。意識を失う直前の言葉が、『湖に、置いてきたの。湖に(だけど、周囲の人間にとっては、彼女がそ湖に、何を置いてきたのかがわからない)(釘抜きみたいなもの)(ヘアピンみたいな形)(重い。動かせない)』。事故にあう前、ミニョンの細い腕に青くて丸い痣(あざ)があった。
イハン:若い男性。ミニョンの恋人。性暴力の加害者らしい。(監視カメラの映像あり)。身長190cm。
ミジャ婆(ばあ):湖のほとりにいる高齢者女性。水辺で洗濯をしている。ミジャ婆は、家にいたくない。頭皮がはげている。夫から暴力を受けている。夫が、髪をつかんで引き回している。
長いページ数ではないので、もう一度ゆっくり最初からページをめくってみます。
翻訳もの(ほんやくもの)なので、ちょっとした読みにくさはあります。
ミニョンに対する性暴力の加害者であることが疑われるイハンとジニョンが湖に向かっているところから始まります。ミニョンが湖に置いてきたものを探します。
韓国は、男尊女卑の国で、女性差別、女性蔑視(べっし)がきついとほかの本で読んだことがあります。この本の題材もそういったものかもしれません。
『今日バスで、変な男を見たんだ』
バスの中で、ひとりごとのように大きな声をあげる男がいた。乗客も運転手も知らないふりだった。
二号さん(セカンド):この言葉の意味がわかりません。日本だと、妾(めかけ)とか、愛人とか、第二婦人となりますが、この物語では、13歳(韓国では小学生らしい)のミニョンに対して、同級生男子が、『おい、おまえだって二号(セカンド)さんだろ?』と声をかけています。『次女』ではないと思います。
韓国の男性は、女性を自分の所有物だと思っているから、女性に対して、謝罪はしないのだろうか。
肝心なことを隠しながら物語は進みます。
別の名もなき女性が男に付きまとわれる話が出ます。
二度目の読書が終わりました。内容は、詩的です。なんだろう。男に対する抗議を抽象的なイメージで表現してある作品だろうか。わかりません。感覚的です。具体的になにがどうしたのかの説明がありません。(う~む。この先の短編を読めばわかるのだろうか)
『ニコラ幼稚園――尊い人』
う~む。この短編群は、ホラー小説(恐怖)という位置づけらしい。人間の心の奥に潜む『悪魔』を呼び起こすのです。闇から悪魔をおびきだすのです。
教育キチガイママが登場してきます。こどもの教育に関して、過干渉な母親です。こどもに無理に勉強をさせているという噂(うわさ)がある。
妻(母):ミホ。自分が、8歳のこどものころ、字を読めなかった。
夫(父):存在感がありません。
ミヌ:男児。有名私立幼稚園である『ニコラ幼稚園(1947年設立)』の入園に関して、補欠の2番目。入園受付日の9日前から並んだ。入園は、先着順が基本らしい。ミヌは本をたくさん読む。ミヌはその後、一人が退園したので、繰り上げ当選になった。
ジノの母親:この人が、悪を運んでくるらしい。
場所は、『アンジン』というところです。架空の地名のようです。
この幼稚園に入れると、未来は、ソウルの大学に進学して、公務員、実業家、学者になれるらしい。『ニコラ幼稚園を出ると出世する』。
初代園長は、日本留学して帰国した女性で、自分の女性の子孫だけが幼稚園を運営できるとした遺言を遺した。(のこした)。ニコラ財団がある。
日本では、少子化でこどもの数が減ったので、親の子に対する過干渉が増加しました。
自分の親の世代は、兄弟姉妹が7~8人いても不思議ではない家族構成でした。まんなかあたりのこどもは、祖父母との交流は薄いし、先祖のお墓参りの習慣もあまりなかった。いっぽう末っ子は案外大事にされました。
ニコラ:ヨーロッパ系の男性名(宗教と関係があるのだろうか。わかりません)
園長:40代なかばの女性。
噂(うわさ):ニコラ幼稚園を悪く言う噂。54ページ付近まで読んできて、具体的になにということは書かれていない。(その後:園長が奇抜な洋服を着る(薄着)ことがあることから、園長の人としての人格が疑われていることがわかります)
ヤン・スルギ:嘘つき女。手首に赤い火傷(やけど)のような痕(あと)がある。熱した丸い焼きごてをあてられたような形をしているような痕(あと)がある。
国民学校一年生のときの思い出として、(今でいう小学一年生ぐらいです)担任のチン先生によると:ヤン・スルギは、同級生だった。父親がアンジンの警察署長だった。
ハングルを学ぶ。できないと、先生が、自分の左の手首を自分で痛めつける。棒で、自分の左手首を叩く(たたく)。
第10期卒園生の女(ニコラ幼稚園で働いている)
う~む。何が起きているのかがわかりません。むずかしい。
『大丈夫な人』
本のタイトルになっている作品です。ホラーなのでしょう。映画の台本のようでもあります。
結婚を控えたカップルですが、女性の側に不安な心があります。男性が二重人格、二面性があります。もっとも、韓国社会というところは、女性は男性の所有物という思想が下地にあるのではないかと察せられる作品です。ゆえに、女性蔑視、女性差別に対する抗議が作品に内在されていると感じられる作品でした。
男に従う。頭脳優秀でお金をもっている男に従っていれば、女は、『大丈夫な人』になれるのです。『大丈夫な人』でいられるために、女は、男から暴力を振るわれても、暴言を吐かれても、がまんしなければならないのです。
男には変な性癖があった。鹿を捌く(さばく。内臓等を処理する)動画シーンが好きだった。夫となる男は、動物を殺して処理するシーンに快感を得るタイプの人間である。
男には、鹿も女も同様に見えているようすであった。
男は弁護士であり、米国での暮らしも長期間体験していた。大学までアメリカ合衆国だった。
女は、平凡な家庭の娘で、弟二人がいた。一般的な暮らしで、裕福ではなかった。
『私は、ひたすら大丈夫な人になりたかった……』
男は、『屠畜場(とちくじょう。家畜を解体して肉にする)』が好きだった。
恐怖小説(ホラー映画のワンシーンみたいです)現実味がありません。
ミンジュ(若い女性)の命が、男に奪われるのではないかという恐怖があります。
変な男だけれど、(女が)生きていくために、男に従うことにした。『大丈夫な人』になるために。
『虫たち』
三人の女性が戸建てで同居して、ホラーのような状態になるという短編でした。場所はソウル市内です。
イェヨン:女性。家の家主。両親が突然他界した。その後、部屋貸し収入で暮らしている。自分は、戸建ての2階に住んでいる。借家人は1階の部屋に住んでいる。
(私:語り手)スジ:若い女性。短大生。1階の部屋を借りている。
ヒジン:若い女性。1階の部屋を借りている。
家の中に不潔な部分がある。臭いもする。虫もいる。
三人の女性は、月に1回ぐらい、いっしょに食事をする。
庭付き一戸建て。部屋は、5室ある。2階に2部屋ある。2階は家主のイェヨンが使用している。
1階にヒジンとスジの部屋がある。台所と納戸、テラスと鍵のかかった部屋がある。
読んでいると、韓国の女性は、気性が激しいのだろうかと思ってしまいます。スジとスジの妹、母親もからんでの対立があります。こどもに対する不公平な扱いがあります。
ヒジンは、恋人からドメスティック・バイオレンス(暴力)を受けていた。顔に青あざがある。
家主のイェヨンがふたりに、どちらかひとりにこの家を出て行ってほしいと言う。
イェヨンとヒジンは仲がいい。
イェヨンには、奇行があります。(奇妙な言動。魚の頭を15個一列に並べてあった)
読みながら情景を思い浮かべようとするけれど、非現実的でわかりにくいです。ホラー(恐怖、嫌悪)です。
『あなたに似た歌』
こちらの短編も読み終えましたが意味をとれませんでした。
中年の母親がいる。末期がんの29歳の娘スジンがいる。スジンは、2年前に卵巣がんが見つかった。ステージ4(体内でがんが転移している状態をいう)。娘は、小説家になりたい。11歳のときに父が死んだ。
母親は、趣味の教室で声楽を習っている。ソプラノを担当している。発表会に出たい。夫は交通事故死している。ある日の早朝に、夫は、飲酒運転の車にひかれた。
母親は、若い頃、市の合唱団員だった。夫の死後、保険外交員をしていた。
文化センター声楽講座の男性講師がいる。発表会に出る生徒は、金次第で決める。うまいへたは二の次という決め方をする。お金でポスト(地位。立場)を買う。
母と娘は、アンジン市に住んでいる。
母が運転して、娘が助手席に座って、アンジン最古の建物に向かっている。そこは、宣教師の私邸だった。今は、文化センターの教室代わりに使用されている。『生涯教育センター』という。
次から次へと文章で情報の提供があります。把握することがたいへんです。
ときおり、『母さんに似た』という文章が出てきます。がんになったことも、母さんに似たような含みがあります。
『何事も確認しなければ気が済まない人の話を聞いたことがある。』(社交辞令(その場しのぎのほめことば)を信じない。表は良くても、裏で悪いことをしているだろうと推測する。なにかたくらんでいるのだろうと思う)
末期がんの患者が車を運転していることが不思議でした。(妄想なのか)
最後にちいさなこどもの姿が出てくるのですが、意味がわからない。
『部屋』
こちらの作品も、う~むでした。わからない。
私:ジェイン
スヨン:ジェインの女ともだち。
主の女:家主。首の左が長いそうです。(?です)
教試院(こうしいん):もともとは、朝鮮半島の大学入試、公務員試験を受験する人が缶詰になって勉強する宿泊施設だった。現在は、大学生、地方出身者、日雇い労働者の安価な簡易宿所。
チョンセの家。
貧困について書いてあるようです。
『風船が割れるように都市は爆発した』
韓国映画『パラサイト 半地下の家族』みたいな雰囲気があります。
『(半地下の)ここから窓のある部屋に移ろうとすれば、二年は軽くかかる……』
設定が、SF(サイエンスフィクション)だろうか、未来都市の話だろうか。
浮腫んでいる:むくんでいる。
醤油煮(ジャンジョリム):韓国料理
サンチュ:レタスの一種
お金のことで、スヨンの体が病気になるのか、スヨンの体が肥大化して、変形、硬化していきます。ホラー(恐怖)話なのかなあ。よくわかりません。
むずかしい。何が書いてあるのかわかりません。
『雪だるま』
(僕)ギチェ:11歳
社会福祉士:女性
ギチェの兄:17歳。兄は、弟ギチェに暴力を振るってギチェを置き去りにした。兄本人は、11歳のときに骨折・打撲で入院した。13歳のときに交通事故に遭った。母親が、兄を殴って、車の後ろに押し込んだ。
兄は将来なにかを研究する人になりたい。兄はコンビニで働いていたが、店主にだまされて、多額の借金を負った。
ウニョン
なにやらぶっそうな話が始まりました。
ギチェは、本人が言うには、『閉じ込められている』
ギチェと兄には共通の夏の思い出がある。
キーワードは、『大丈夫だって。』という言葉のようです。
兄による弟への暴力があります。
父は母に暴力を振るっていたらしい。
両親は離婚した。母は父の借金を肩代わりした。(かわりに払う。人の債務を代わって引き受ける)
古紙回収のおばあさん
古物商の店主のおじさん:背が高くて、顔が真っ黒で、目つきが鋭い。(するどい)
兄のカノジョ(美容師):弟の髪を切って、丸坊主にしてしまった。
どこからどこまでが本当で、なにがウソなのかわかりません。映像化すると、けっこう怖いホラー(恐怖)になるのでしょう。
ときおり、『虫』が姿を現します。虫はなにかを暗示しているのですが、わたしにはわかりません。
(僕)は、捨てられる。兄から暴力を振るわれて、耳を乱暴に引っ張られたり、背中を蹴(け)られたりする。おまえが、オレの負担になっているという趣旨で弟は兄から怒鳴られる。
貧しさ、暴力、ホラー(恐怖)、狂気の世界です。
廃品をお金に変える。
社会福祉士と最後に会ったのは、22歳のときだった。
主人公の記憶をたどる文章です。
主人公はこどものころ、部屋の中で、死体みたいにころがっているところを発見された。タイトルにある、『雪だるま』の幻視があります。
親を頼れないこどもの悲劇があります。
『グル・マリクが記憶していること』
読み終えましたが、あいかわらず何が書いてあるのかを理解できません。
グル・マリク:インド人男性。インドでは、低い階級の人間。韓国に滞在していたが、インドに帰国して、火事で亡くなった。
タニ・カーン:インド人女性。グル・マリクと同じインドの村で、同じ日に生まれた。タニ・カーンは若いけれど、現地の60歳男性と婚約して結婚した。夫からDV(ドメスティック・バイオレンス。暴力)を受けた。グル・マリクとふたりで韓国に逃げた。その後、ふたりはインドへ強制送還されたような雰囲気があります。
彼女:韓国人。ハングル(韓国の言語)を教えるボランティア。教育学の大学院卒業。国語教師になりたかったが、採用試験に何度か落ちてあきらめた。
韓国人彼女のカップル相手の男:二十歳。(韓国は、満年齢ではなく、数え年で表記してあると、本のうしろの訳者あとがきにありました)。
ラム:インドの男性。健やか(すこやか)で、裕福な、高い階層の男。
グル・マリクと韓国人男女三人は知り合いです。
グル・マリクが、韓国人女性に遺品を送っていた。遺品が韓国人女性に送られてきたのですが、届かないので、女性と男性が荷物を探しに業者がいる『地域の保管センター』行くようすが書いてあります。なかなかイメージしにくい文章の内容でした。
韓国の街中風景の記述を読んでいると、おととし2022年10月29日、ハロウィンのときに起きた事故を思い出します。群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)事故による圧死者多数です。154人も亡くなっています。
インドのカースト制(身分制度)のことがからんでいます。女性差別もあります。
あの人たち:インド人タニ・カーンから見て都市(韓国ソウル)に住む人たちのこと。やがて、『友人たち』と呼び始める。
グリ・マリクは、『出入国管理事務所』にいたことがある。
グリ・マリクの理解できない言葉として、『必要ない、と、代わりはいる』
(グリ・マリクの遺品がどうして、韓国にいる女性のところへ送られてきたのかが不可解です)
何のために自分は生きているのかを自問する内容です。
裕福な男が言うには、自分は、人を助けるために生きていると思っていたが、人から必要とされる人間になりたいという承認欲求があった。自分を自慢したかった。そんなふうに意味をとれます。
現実のことではない、脳内にある風景を再現してあるようです。
<あまりにもわかりにくいので、うしろにあった「訳者あとがき」を読んでみました>
女性の日常について書いてある。女性の日常は、スリラーだ。(ぞっとするような感覚を与える)
なにゆえスリラーかというと、女性は常に男性から差別を受けているからである。
女性蔑視(じょせいべっし:みくだしてばかにする)がある。男性は不満があると女性に暴力を振るう。乱暴な言動をする。だから、スリラーでありホラー(恐怖)なのです。
人間の奥底にひそむ暗い感情が、文章で表現してある。女の感情もあるし、男の感情もある。
インド社会には、階級と差別が、世の中の制度として存在している。
強い立場の者が、弱い立場の物から搾取する。(さくしゅ:利用して、利益をしぼりとる)
身近に、不安、悪意、卑下(ひげ。見くだし)、怒り(いかり)、諦め(あきらめ)がある。
短編『部屋』は女性同士の同性愛について書いてあるそうです。
『手』
最後の短編作品になりました。ここまで、チンプンカンプンで、文字を追って来ただけです。
嫁と姑(しゅうとめ。夫の母親)の諍い(いさかい。対立)話です。
読み始めて、昔のことを思い出しました。
ナゴヤドームに小学生だった息子とプロ野球の試合を観に行ったときに、自分たちの前の席におばあさんがふたり座っていました。ふたりのおばあさんは、試合の経過はそっちのけで、お嫁さんの悪口ばかりを延々としゃべり続けていてあきれました。ふたりは、球場へなにをしに来たんだろう? 招待券でももらったのでしょう。しかし、話題がお嫁さんの悪口しかないなんて、なんて、狭くて息苦しい世界で暮らしている人たちだろうかと、かわいそうになりました。
さて、お話のほうです。
(私)キム・ミヨン:女教師。夫はインドネシアに単身赴任中。ミナという保育園に通う女児がいる。ミナの養育のために夫の母親の実家で、母親と自分と娘の三人で暮らしている。とてもいなかの環境で、担任しているクラスには児童が7人しかいない。姑(しゅうとめ)と同居したことを後悔している。
キム・ミヨンの姑(しゅうとめ。夫の母親):かなり、きつい人です。キム・ミヨンを責めます。言葉遣いが乱暴で、差別用語もポンポンしゃべります。孫娘のミナが祖母の真似をして、差別用語をしゃべります。
デジン:キム・ミヨンの教え子。いじめられている。ヨンジャ婆(ばあ)の孫。
ヨンウ:キム・ミヨンの教え子。いじめっこ。体が大きく学力優秀。表向きはいいこどもだが、実は悪人タイプの個性をもつ。陰で、陰湿にデジンをいじめぬいている。里長(さとちょう。韓国行政区の最小単位の末端の長だそうです)の孫。
短編のタイトル『手(ソン)』は、『悪鬼(あっき。人間たちに悪をばらまく。性別は女)』のことです。
主人公の助教師キム・ミヨンは、姑さん(しゅうとめさん)に攻撃されて、さらに、村組織の中で、教え子たちと村人たちにいじめられて、精神状態がおかしくなります。ホラー(恐怖)です。幻聴が聞こえるようになります。(「パンッ」という音が聞こえる。火の熱で、竹が、はじけるような音)
狭い村組織には、社会的な法令意外に、掟(おきて。その場所だけでの決まり事(ごと))があります。よそ者は嫌われます。排他的です。だれかをいじめて、うさばらしをする空気があったりもします。人間はむずかしいし、人間なんてそんなものです。
村の風習として:味噌玉麹(みそだまこうじ。蒸した大豆を成形して麹菌を生やす)をつくる。
開発時代:韓国における経済成長至上主義の時代。1960年~70年代(日本だと、昭和35年から40年代)
差別用語として、『あいのこ』。
本の中では、おばあさんはつくりばなしをします。実際にはないことを、まるで本当にあったかのように話します。
わたしは、以前、そういう高齢者女性を実際に見たことがあります。ウソつきおばあさんです。おばあさんの被害者妄想(もうそう)話を聞いた人は、おばあさんのつくり話を全部信じて、無実の人を攻撃したりもします。
でもおばあさんの話は、全部ウソなのです。そんなことはありません。おかしいですとおばあさんに申し立てても、おばあさんは、ますますウソを重ねていくのです。
どうしようもありません。おばあさんの話を聞いておばあさんの味方をした近所のおじいさんは、自分が被害者になるまで、だまされ続けます。コワイコワイです。(恐い(こわい))
焚口(たきぐち):釜戸(かまど)、ストーブ、ボイラーなどの燃料を入れて火をつける口。
ちょっと自分にはむずかしい本でした。]]>
読書感想文
熊太郎
2024-02-21T08:26:22+09:00