2025年01月03日
テレ東旅の日8時間スペシャル 路線バス旅 千葉から青森
テレ東旅の日8時間スペシャル ローカル路線バス乗り継ぎの旅 千葉成田山新勝寺(しんしょうじ)から青森龍飛崎(たっぴざき)へ ニッポン列島縦断800キロ 4時間放送を二夜連続放送 テレビ東京
千葉県成田市にある新勝寺には行ったことがあるので親しみを感じます。
初日の放送を見ていて気づいたのですが、移動ルートで、太川陽介さんとえびすよしかずさんがバス旅で、以前訪れたところがいくつか出てきます。なつかしい。
とくに、宮城県蔵王町役場の職員さんは、前回と同じ男性が対応してくれているとすぐに気づきました。前回は、役場業務始業時の朝礼の最中でした。もう7年ぐらい前だったと思います。役場の職員さんは、自治体の頭脳です。助かります。
えびすさんの笑顔がなつかしい。えびすさんは、認知症になってしまって、いまはもうヨロヨロです。ときおり、NHKのEテレ福祉関係番組でお見かけします。週刊誌のコラムも読んでいますが、本人はちゃんとした文章を書けるような健康状態ではないので、本人と話をして、ほかの方が文章化されているのだろうと推測しながら読んでいます。
今回の番組中で太川陽介さんから発言があったのですが、自分自身が当時のえびすさんと同じ年齢になってみて(60代なかば。太川さんの体力も落ちました)、ふたりで路線バス乗り継ぎの旅番組をしていた当時は、三泊四日のバス旅で、えびすさんはものすごくがんばっていたことがよくわかった。自分が同じ年齢になって、実感したと話されていました。わたしも同感です。ただ、えびすさんは、ただひとつの目的であるギャラ(報酬)がほしくてがんばったのだと思います。えびすさんは変わっていますが、正直でいい人です。
今回は、担当を1区から4区にわけて、駅伝のように、『たすき』をつなぎながら、目的地の龍飛崎をめざします。
リーダーは、太川陽介さんと髙木菜那さんで、かわりばんこにチームをつくって挑みます(いどみます)。
『初日の放送から』
(1区のメンバー:太川陽介さん、ぱーてぃちゃん信子さん、水谷準さん(翌日は、お笑いコンビ宮下草薙(みやしたくさなぎ)の草薙航基さんに交代しました)
ぱーてぃちゃん信子さんは不思議な人です。以前もバス旅に出演されましたが、15cmの厚底靴で挑戦です。体力があるのか、長時間の徒歩も気にしていません。調べたら陸上競技の選手だったそうです。また、番組中、水戸藩第九代藩主、徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)の実父徳川斉昭(とくがわ・なりあき)の紹介が出たのですが、ぱーてぃちゃん信子さんが、自分にとってのお友だちだと(徳川の系譜に自分がある)話されたのでびっくりしました。
水谷隼さん(みずたにじゅんさん)は、バスの中のゲームで、ぱーてぃちゃん信子さんのペットであるネコの名前をあてたのがすごかった。(ヒントをもらって)『フグ』と『タイ』でした。勘がいい。
太川陽介さんは、老眼で地図の小さな文字が見えません。(わたしの体験だと、48歳ぐらいから老眼で小さな文字を読めなくなります)
草薙さんの役目が、小さい文字を読むことになりました。おもしろい。
いつもこの番組を観ているのですが、ゲストさんたちが、この企画をとおして、仲良しになっていかれる経過があります。番組という仕事を離れたあとも親交は続いて、やがて親友同士になられる方もいるかと思います。いい番組です。
今回も、笑いが多いことがいい。
淀川長治(よどがわ・ながはる):なつかしい、太川陽介さんが紹介してくれました。映画評論家。1998年(平成10年)89歳没
乗り継ぎの、『場所』がわかっても、『バス停の位置』が瞬間的にわからないのが、このゲームのむずかしさです。
今回も、『バス停』があるのに、それは違うバス停だと勘違いしたり、バス停の表示が小さいことと、目立たないことで、バス停の前を通り過ぎたりとチョンボをしそうになりました。先をいそいであせっていると思いがけないチョンボ(勘違いによる失敗)をしてしまいます。髙木菜那さんを見ていて、先日の鉄道対決旅で、村井美樹さんが、ありえないようなチョンボをしたことを思い出しました。(乗ってきた電車に、再び乗り込んでしまった。それは、折り返しの電車で、メンバーはだれも気づかず、また、自分たちがもと居た駅へと戻って行った)
バス旅は人生そのものです。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあります。
メンバーは、障害物競走にチャレンジするように前へ進んでいきます。
困難を克服してゴールできると、胸いっぱいに幸せが広がります。チームなので、喜びを共有できます。
目標を達成できないこともありますが、また今度はがんばろうという勇気と意欲が湧いてきます。
草薙さんは食べ物のアレルギーがあるそうです。たいへんだなあ。
草薙さんは、なんとなくなよなよしていますが、人柄はいい人です。
『白河の関』という地名が出てきました。先日観た、出川哲朗さんの、『充電させてもらえませんか?』でのゴール地点でした。さらに、そのときゲストだった、『松村沙友里(まつむら・さゆり、さゆりんご)』さんが、こちらの番組に翌日出られるそうです。びっくりしました。松村沙友里さんもぱーてぃちゃん信子さんみたいなところがあって、出川さんの番組では、お母さんがフォアグラを焼いて食べさせてくれていたという発言がありました。(お金持ちのお嬢さまかもしれません)
太川さんと草薙さんの掛け合い、じゃれあいみたいな会話の流れがおもしろい。太川さんが草薙さんをいろいろいじます。草薙さんも負けていません。
(2区のメンバーに交代しました)
高木菜那さんがきたーーーー
同行者は、たんぽぽの川村エミコさんです。わたしは、川村さんが書いた本を読んだことがあります。
『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』
ページ数、文字数は少ない小品でした。ちびまる子ちゃんのように小学校低学年頃のお話が多い思い出の自伝です。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
高木菜那さんは、とにかく、すばしっこい。ねずみみたいに駆け回ります。性格は明るい。積極的です。常に前へ前へと進む姿勢です。たいしたものです。
長距離歩きが続きます。10キロ歩いて、また8キロ歩きます。
仕事だからできるということはあります。
仕事じゃなきゃできないということもあります。
なんというか、一般的な仕事でも、毎日のように10キロ以上歩く仕事はあります。営業とか、学術研究調査とか、資料集め、点検作業などです。
みなさん明るい。
高木菜那さんは、スポーツマンで肉食系です。以前、女性三人によるバス旅を見ました。三船美佳さん、たけうちほのかさんというメンバーでした。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 愛知県伊良湖岬(いらごみさき)~長野県善光寺 ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)』
三人は、夜の居酒屋で晩ごはんのときに、ビールをはでに床にこぼしました。髙木菜那さんは、大量のビールを自分のズボンにこぼして、おしっこをちびったようなびちょびちょ状態になりました。髙木さんは、お店の大将(年配男性)のジャージを借りてはきました。まあ、なんというか、すごい!
たしか、髙木菜那さんが酔ってきて、前回放映した同番組の第2弾のときは、結局泊るところが見つからなくて、そのときのメンバーはやむなくラブホテルに泊まったのですが(髙木さんはいなかった)、髙木さんが、自分も泊まってみたいというようなことを言い始めたので、三船美佳さんがあわてて、もうカメラを止めてとスタッフに声掛けしたような記憶があります。おもしろい。人間らしい。ステキです。
翌日、川村エミコさんの交代要員として高島礼子さんが登場したときは驚きました。ベテランです。そして、還暦だそうです。(60歳)びっくりしました。
これまでに出演したバス旅で、一番歩いたのは、一日に33キロだそうです。たのもしい。
途中、山形市方向を選ぶか、仙台市方向を選ぶのかという二択があるのですが、これまでのバス旅番組を振り返ると、迷うことなく、仙台方向を選んだ方がいいと思うのです。
ゲストのみなさんは、過去のえびすさんたちの番組は見ていないようで、いつもぶっつけ本番のような状況に追い込まれます。
東北でのバス旅は、東北新幹線沿いに北上するのがコツだとわたしは考えています。日本海側は、路線とか本数が少ない。人口が少ない。路線バスの利用者が少ない。(結果的にはそうではありませんでした)
高速道路を走る高速バスが多いのですが、高速道路を走るバスでも高速道路以外の一般道を走る部分はOKというルールがありがたい。
バスの車内で、演者である女三人髙木菜那さん、佐々木彩夏さん(ささきあやかさん、ももいろクローバーZ)、川村エミコさんが、バスの後部座席にひとりで乗っていた若い学生さんみたいな男子に声掛けをしたシーンがよかった。えびすさんがいたころは、しょっちゅうバスの車内でお客さんと会話をしていました。今どきの番組内容は、『競争優先』で、車内での会話シーンはほとんどなくなりました。残念です。
男の子の写真を撮るときに、芸能人女子三人が男の子に、『もっと笑顔で!』と声をかけたシーンが良かった。そうです。いつも笑顔でいきましょう。
ダッシュで、乗り換えのバスをつかまえた高木菜那さんです。すさまじい。オリンピックスケート金メダリストです。走っている途中で、アクシデントでも起きて、事故にならないだろうかと心配しました。
翌日川村エミコさんと交代した高島礼子さんが、『なめんなよーって感じだね』。髙木菜那さんのバスの進行方向を予測する野生の勘です。高島礼子さんも凄み(すごみ)があります。(そういえば、高島礼子さんは昨年、NHKドラマ『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ。定時制高校科学部のメンバーががんばる話です)』で、憎まれ役の権威ある研究者として出演されていました)
仙台駅前の映像は、自分たち夫婦も行ったことがあるのでなつかしい。
珍しく、乗り込んだバスの中で落ち込む高木菜那さんです。(山形県新庄駅へのバスに乗り込んだのですが、これは、もしかしたら自分の選択ミスかもしれないとへこんでいます)(これは、ミスです。わたしはそう思いました。日本海側へは行かないほうがいい)(翌日、その選択は、大失敗だったことが判明します(ところが、チャレンジ終了後の検証によると、そうではありませんでした))(でも、最後はちゃんと龍飛漁港にギリギリで到着するのです。人生に失敗はつきものです。思いがけない病気やケガ、事故や事件に巻き込まれることもあります。うまくいかないことが起きても、こんなときもあるさと、気持ちに折り合いをつけて、へこたれずに、長い人生の旅路をがんばるのです)
心配した佐々木彩夏さんが、気持ちが落ち込んでいる髙木菜那さんをなぐさめます。『(バスに)乗っちゃったら楽しもう!』
わたしもそうですが、昔の失敗や人さまに迷惑をかけてしまったことをたまに思い出して、ああ、あのときは……と悔やむ(くやむ)気持ちがぶりかえすことがあるのですが、歳をとってみて、『あれは、あれで良かった』と思うようにしました。いくら悔やんでも(くやんでも)過去を変えることはできません。『あれは、あれで良かった』のです。
黒柳徹子さんがだれかに長生きの秘訣を聞かれたことがあるのですが、徹子さんは、『反省しないこと』ときっぱりと答えておられました。うまくいかなかったことが起こったとしても、『あれは、あれで良かった』のです。
翌日の放送で登場される人たちの表示が出ました。楽しみです。
松村沙友里(まつむら・さゆり、さゆりんご)さん
澤穂希さん(さわほまれさん)
ザ・マミィの酒井貴士さん(さかいたかしさん)
神田愛花(かんだ・あいか)さん
村井美樹さん
『第二夜』
最後まで観ました。いいゴール(成功)でした。ギリギリで到着しました。おめでとーーーー
観ていて、途中でもう無理だと何度も思いましたが、鉄道が止まって、代行バスが出ていたということが幸運でした。バス旅なので鉄道に乗ることはできませんが、バスに乗ることはできます。すばらしい。いいものを見せてもらいました。ありがとーーー
とても長い距離を歩く旅ですが、考えてみれば、江戸時代の人たちは、基本的に徒歩で国内を移動していたわけで、昔の人たちは偉いなあと感心するのです。
大昔からのことになりますが、時間的に速い移動方法として、船旅があったのでしょう。でも、船が沈んだら死んじゃいます。便利さと危険が同居している旅です。
寒いし、雪やあられが降るし、風も強い。
青森県内の移動などを見ていて、小説・邦画の、『八甲田山死の彷徨(はっこうださんしのほうこう。さまようこと)』を思い出しました。新田次郎さんの小説でした。
1902年(明治35年)日露戦争のための訓練で、210名中、199名が雪の中で亡くなっています。日露戦争(1904年(明治37年)から翌年まで)。
今回の旅とロケは、それに匹敵するぐらいの迫力で過酷に見えました。だから、ゴールできてほんとうに良かった。スタッフさんたちもお疲れさまでした。今回8時間の放送とはいえ、8日分の記録を8時間に短くまとめることはたいへんな作業だったと思います。
3区で太川陽介さん、澤穂希さん(さわほまれさん)と参加した神田愛花さん(かんだあいかさん)は、わたしは神田さんをよく知らなかったのですが、なんだか、すごい人でした。言動が、5歳児ぐらいの発想なのですが、頭はいい。バス旅ファン、バス旅マニアです。太川陽介さんと協力したい(けして、命令に従う上司と部下の関係ではない)、言いたいことは直接相手に言う(こういう役割を果たしてくれる人はだいじです)、そして、めげない人です。
すごい雪景色です。
わたしも以前、11月20日ごろに青森空港へ飛行機で降りたことがあるのですが、離陸した愛知県にある中部セントレア空港は快晴のいいお天気だったのに、着陸した青森空港付近はすっかり雪景色でおおわれていてびっくりしたことがあります。同じ日本でも、気候が全然違います。
3区は歩く一日になってしまいました。バスは1本しか乗れませんでした。1日1本しか乗れなかったのは、番組での新記録でしょう。
(日本海側の北上をあきらめて、仙台へ引き返す選択もあったのかも……)(仙台市在住の澤穂希さんが少々ぶぜんとされていました。お気持ちがわかります。澤さんも仙台から北上したほうが良かったと強調されていました)(でも、事後の検証では、仙台からの北上ルートだと、ゴールが非常に困難だったことが判明するのです)
澤さんのサッカーの話が良かった。
『(サッカーは、攻撃よりも)守備が疲れる』(なるほど)
『(プレイをしていて)ゾーンに入る(異世界を体験する。自分の周囲の動作がスローモーションに見えるときがあったそうです。そうすると奇跡的なプレイができる)』(わたしもわかります。40代のころ、仕事の内容で悩んでいて、考えて、考えて、考え抜いて、発狂するラインの少し先までいくと、いいアイデアがひらめくことが何度かありました。ただし、そのラインからすみやかに戻ってこないと気が狂うに違いないという恐怖感がありました)
とにかく歩く。幸いに、クマは出ない道だそうです。
バス路線はあるけれど、土日は運休です。土日にバスが必要な人がいない。運転手が土日は休む。たぶんそんなところでしょう。
澤穂希さんは、結局、バス1本(距離として75km)に乗車しただけで、あとは長距離を歩いただけで帰宅されました。家で、こどもさんの世話があるそうです。(お疲れさまでした)
神田愛花さんと村井美樹さんは友だちだそうです。だから、神田愛花さんは太川陽介さんと同じチームになって、村井美樹さんのチームとは対決したくないそうです。
ザ・マミィの酒井貴士(さかい・たかし)さんが澤穂希さんと交代です。
酒井さんは、33歳だそうですが老けて(ふけて)見えます。(その後、年末番組『アメトーク』の運動ができない芸人のコーナーでお見かけしました。笑いました。ほかの芸人さんも含めて、どうして、体が、あのようなへんちくりんな動きになるのかが不思議です)
酒井さんは、クズキャラ芸人という個性が、売りだそうです。
酒井さんは、運動はしない。
ヘビースモーカーで、肺年齢は75歳だそうです。早死にしてしまいます。タバコはやめましょう。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸せにはなります。
岡野陽一さん(お笑い芸人)とよく間違えられるそうです。
競艇(きょうてい)もやるそうで、えびすよしかずさんと似ています。ギャンブルでは、負けていることでしょう。
重苦しい雰囲気が続きます。バスルートがありません。バスの本数も少ないうえに、ロケ日である土日は運行がお休みです。なんということでしょう。バス旅ではなく、徒歩旅です。
神田愛花さんのファインプレイがありました。ヒットです。
秋田空港へ行って(徒歩を含む)、秋田市内行きのバスに乗ります。(秋田市内に行けました)
神田愛花さんの発想でした。
酒井貴士さんは手品がおじょうずです。バスの車内で披露されました。口から、競艇のハズレ券をたくさん出されました。見ていてやりかたはわかりましたが、かなりおじょうずでした。
酒井さんの特技が手品で、太川さんの特技が、二倍速で歩くことだそうです。太川さんはいやがっていましたが、そのとおりです。
以前、本物の太川陽介さんを見たくなって、東京渋谷にあるシアターオーブという劇場へ、森公美子さんの、『天使にラブ・ソングを』というミュージカルを観に行きました。太川陽介さんは、神父の役で、終始ニコニコしながら、ステージのまんなかあたりで演技をされていました。貧乏な教会の財政を立て直すために、修道女のみなさんでコーラスグループを結成して、お客さんから料金を集めるのです。なかなかよかった。
『さゆりんご』というキャッチフレーズの松村沙友里さんががんばります。本人がいうには、これまで、『甘えてきた人生でした』という言葉ですが、歩くよりも走る方が得意ですとアピールされて、鬼軍曹村井美樹さんとスピードスケート金メダリスト髙木菜那さんのかけ足に猛烈な勢いでついていきました。立派です。三人とも悪天候の中で、カッパを着ての爆走でした。
数検(数学検定):さゆりんごさんがもっていると自慢されていました。聞いたことがない検定だったので調べました。『実用数学技能検定』というそうです。知りませんでした。
さゆりんごさん(松村沙友里さん)が、秋田名物『なまはげ』を、『なまはげ』という言葉が出てこなくて、『仮面をかぶった怪獣』と表現したので笑いました。おもしろい。
村井美樹さん提供の食事がとれなかったときに食べる食事を、『行動食』といい、髙木菜那さんがそれを、『流動食』と言い間違えたところもおもしろかった。
コミュニティバスの運転手さんが、芸能人や撮影スタッフが、いなかのバス停で待ち構えていたのに驚いて、『なぬッ?!』と声を出されたのがおもしろかった。
コミュニティバスの中に、乗客が書いたノートがありました。感謝のメッセージや要望です。
『バスって、ありがたい』、お年寄りの感謝の言葉には、ほろりとくるものがありました。
バスは、弱者の味方であってほしい。思うに、バスにしても鉄道にしても、公共交通機関の利用者の大半は、交通弱者なのです。自分で自家用車を運転して目的地に行けないのです。高齢者、障害者、病気の人、こどもさんなどです。
到着したバス停では、大粒のあられが降ってきました。
これが、夏のロケなら、ずいぶん楽だったでしょうに。
野生の白鳥の群れを見ることができました。
鳥たちは、たんぼに集まってなにかを食べていました。
能代(のしろ)から北へ方向を撮るか、東へ方向をとるかで迷われましたが、迷うことなんかない、東へ行くのですと教えてあげたい気持ちでした。(東へ行かれました。良かった。絶対東ルートです)
歩く、歩く、12キロ歩く。
村井美樹さんと髙木菜那さんが、午後5時になって、『ここからがバス旅だ!』と息巻きます。この遅い時刻からが本番なのです。さゆりんごさんがおびえるように引いていました。
わたしも仕事をしていたころは、午後5時になると、今からが仕事の本番だと力を入れてがんばっていました。いまは歳をとってしまったので、そんなことをしたら体が壊れてしまいます。
最終日です。残り時間も少なくなってきました。バスがなくなったら終わりです。
『ゴールをとりに行こう! レッツゴーー 最終日だーーー』三人が走ります。
髙木菜那さんは、闘志のかたまりです。
過酷です。
津軽半島の地名のあれこれは、太宰治作品『津軽』を思い出させてくれます。名作です。
大金持ちの家に生まれて、実母ではなく、乳母(うば)に育てられて(長い年数、乳母が母親だと思っていたそうです)、大きな屋敷で生活していて、まわりにたくさん人がいてもひとりぼっちで、心が屈折していった。母親代わりだった乳母を慕う気持ちが書かれています。
1944年(昭和19年)11月の刊行です。まだ、戦時中です。翌年8月が終戦です。
太宰治作品のなかでは、自分はこの作品が一番の好みです。淡々と静かです。太宰治というよりも本名の津島修治として書かれているような気がするのです。ふと気づいたのですが、筆名にある「治」は、本名の「修治」の治からとってあるのかもしれません。
仲が良かった二歳年下の弟さんが若くして亡くなった部分にはほろりときました。
作者は津軽を愛していました。
途中で出会ったおじさんがおもしろい。
『500mぐらい歩けば、民家なくなる。ライトがなくなる』(4kmぐらい電気(街灯)なしです)
おじさんが、うしろからついてきてくれて、メンバーに何度も声をかけてくれます。『がんばれ! 民家なくなる!』
三人ともすごい体力です。若さがうらやましい。
『カニター―(地名です) 行くぜ~~~』
ゴールは、『龍飛漁港(たっぴぎょこう)』です。
ギリギリでゴールしました。すごーい。千葉県の新勝寺から、青森県の津軽半島のさきっぽまで、路線バスと徒歩だけで到着できましたーーー 800キロ、45本のバスで来ましたーーー
バス車内のアナウンスは、運転手さんの生の声で、『終点龍飛漁港です』
おめでとーーーーー 『龍飛りんごーーー』という三人の声が響き渡りました。
(その後のこと YouTube ユーチューブで答え合わせの検証を見ました)
驚いたのは、大失敗だと思っていた髙木菜那さんの仙台駅前バスターミナルでの選択が大正解だったことです。
髙木菜那さんの判断と決断で、メンバーは、仙台駅前→山形県新庄市へのバスに乗り込みました。髙木菜那さんはバス車内で、うつ的になるほど深く悩まれました。
山形県新庄市へは行かずに、今いる仙台市で一泊して、翌日、仙台市から北上するルートをとっても、目的地にゴールすることはかなり困難だったそうです。
そうなのか。思いこみだけで評価してはいけないと気づかされました。髙木菜那さん、正解ですよーーー 自信をもってくださーい。
千葉県成田市にある新勝寺には行ったことがあるので親しみを感じます。
初日の放送を見ていて気づいたのですが、移動ルートで、太川陽介さんとえびすよしかずさんがバス旅で、以前訪れたところがいくつか出てきます。なつかしい。
とくに、宮城県蔵王町役場の職員さんは、前回と同じ男性が対応してくれているとすぐに気づきました。前回は、役場業務始業時の朝礼の最中でした。もう7年ぐらい前だったと思います。役場の職員さんは、自治体の頭脳です。助かります。
えびすさんの笑顔がなつかしい。えびすさんは、認知症になってしまって、いまはもうヨロヨロです。ときおり、NHKのEテレ福祉関係番組でお見かけします。週刊誌のコラムも読んでいますが、本人はちゃんとした文章を書けるような健康状態ではないので、本人と話をして、ほかの方が文章化されているのだろうと推測しながら読んでいます。
今回の番組中で太川陽介さんから発言があったのですが、自分自身が当時のえびすさんと同じ年齢になってみて(60代なかば。太川さんの体力も落ちました)、ふたりで路線バス乗り継ぎの旅番組をしていた当時は、三泊四日のバス旅で、えびすさんはものすごくがんばっていたことがよくわかった。自分が同じ年齢になって、実感したと話されていました。わたしも同感です。ただ、えびすさんは、ただひとつの目的であるギャラ(報酬)がほしくてがんばったのだと思います。えびすさんは変わっていますが、正直でいい人です。
今回は、担当を1区から4区にわけて、駅伝のように、『たすき』をつなぎながら、目的地の龍飛崎をめざします。
リーダーは、太川陽介さんと髙木菜那さんで、かわりばんこにチームをつくって挑みます(いどみます)。
『初日の放送から』
(1区のメンバー:太川陽介さん、ぱーてぃちゃん信子さん、水谷準さん(翌日は、お笑いコンビ宮下草薙(みやしたくさなぎ)の草薙航基さんに交代しました)
ぱーてぃちゃん信子さんは不思議な人です。以前もバス旅に出演されましたが、15cmの厚底靴で挑戦です。体力があるのか、長時間の徒歩も気にしていません。調べたら陸上競技の選手だったそうです。また、番組中、水戸藩第九代藩主、徳川慶喜(とくがわ・よしのぶ)の実父徳川斉昭(とくがわ・なりあき)の紹介が出たのですが、ぱーてぃちゃん信子さんが、自分にとってのお友だちだと(徳川の系譜に自分がある)話されたのでびっくりしました。
水谷隼さん(みずたにじゅんさん)は、バスの中のゲームで、ぱーてぃちゃん信子さんのペットであるネコの名前をあてたのがすごかった。(ヒントをもらって)『フグ』と『タイ』でした。勘がいい。
太川陽介さんは、老眼で地図の小さな文字が見えません。(わたしの体験だと、48歳ぐらいから老眼で小さな文字を読めなくなります)
草薙さんの役目が、小さい文字を読むことになりました。おもしろい。
いつもこの番組を観ているのですが、ゲストさんたちが、この企画をとおして、仲良しになっていかれる経過があります。番組という仕事を離れたあとも親交は続いて、やがて親友同士になられる方もいるかと思います。いい番組です。
今回も、笑いが多いことがいい。
淀川長治(よどがわ・ながはる):なつかしい、太川陽介さんが紹介してくれました。映画評論家。1998年(平成10年)89歳没
乗り継ぎの、『場所』がわかっても、『バス停の位置』が瞬間的にわからないのが、このゲームのむずかしさです。
今回も、『バス停』があるのに、それは違うバス停だと勘違いしたり、バス停の表示が小さいことと、目立たないことで、バス停の前を通り過ぎたりとチョンボをしそうになりました。先をいそいであせっていると思いがけないチョンボ(勘違いによる失敗)をしてしまいます。髙木菜那さんを見ていて、先日の鉄道対決旅で、村井美樹さんが、ありえないようなチョンボをしたことを思い出しました。(乗ってきた電車に、再び乗り込んでしまった。それは、折り返しの電車で、メンバーはだれも気づかず、また、自分たちがもと居た駅へと戻って行った)
バス旅は人生そのものです。うまくいくこともあるし、うまくいかないこともあります。
メンバーは、障害物競走にチャレンジするように前へ進んでいきます。
困難を克服してゴールできると、胸いっぱいに幸せが広がります。チームなので、喜びを共有できます。
目標を達成できないこともありますが、また今度はがんばろうという勇気と意欲が湧いてきます。
草薙さんは食べ物のアレルギーがあるそうです。たいへんだなあ。
草薙さんは、なんとなくなよなよしていますが、人柄はいい人です。
『白河の関』という地名が出てきました。先日観た、出川哲朗さんの、『充電させてもらえませんか?』でのゴール地点でした。さらに、そのときゲストだった、『松村沙友里(まつむら・さゆり、さゆりんご)』さんが、こちらの番組に翌日出られるそうです。びっくりしました。松村沙友里さんもぱーてぃちゃん信子さんみたいなところがあって、出川さんの番組では、お母さんがフォアグラを焼いて食べさせてくれていたという発言がありました。(お金持ちのお嬢さまかもしれません)
太川さんと草薙さんの掛け合い、じゃれあいみたいな会話の流れがおもしろい。太川さんが草薙さんをいろいろいじます。草薙さんも負けていません。
(2区のメンバーに交代しました)
高木菜那さんがきたーーーー
同行者は、たんぽぽの川村エミコさんです。わたしは、川村さんが書いた本を読んだことがあります。
『わたしもかわいく生まれたかったな 川村エミコ 集英社』
ページ数、文字数は少ない小品でした。ちびまる子ちゃんのように小学校低学年頃のお話が多い思い出の自伝です。
ご自身のおばあさんのお話が良かった。戦争の話、関東大震災の話をしてくださっています。おばあさんの口癖が、『とにかく生きなきゃならない』だったそうで、同感です。
高木菜那さんは、とにかく、すばしっこい。ねずみみたいに駆け回ります。性格は明るい。積極的です。常に前へ前へと進む姿勢です。たいしたものです。
長距離歩きが続きます。10キロ歩いて、また8キロ歩きます。
仕事だからできるということはあります。
仕事じゃなきゃできないということもあります。
なんというか、一般的な仕事でも、毎日のように10キロ以上歩く仕事はあります。営業とか、学術研究調査とか、資料集め、点検作業などです。
みなさん明るい。
高木菜那さんは、スポーツマンで肉食系です。以前、女性三人によるバス旅を見ました。三船美佳さん、たけうちほのかさんというメンバーでした。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 愛知県伊良湖岬(いらごみさき)~長野県善光寺 ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)』
三人は、夜の居酒屋で晩ごはんのときに、ビールをはでに床にこぼしました。髙木菜那さんは、大量のビールを自分のズボンにこぼして、おしっこをちびったようなびちょびちょ状態になりました。髙木さんは、お店の大将(年配男性)のジャージを借りてはきました。まあ、なんというか、すごい!
たしか、髙木菜那さんが酔ってきて、前回放映した同番組の第2弾のときは、結局泊るところが見つからなくて、そのときのメンバーはやむなくラブホテルに泊まったのですが(髙木さんはいなかった)、髙木さんが、自分も泊まってみたいというようなことを言い始めたので、三船美佳さんがあわてて、もうカメラを止めてとスタッフに声掛けしたような記憶があります。おもしろい。人間らしい。ステキです。
翌日、川村エミコさんの交代要員として高島礼子さんが登場したときは驚きました。ベテランです。そして、還暦だそうです。(60歳)びっくりしました。
これまでに出演したバス旅で、一番歩いたのは、一日に33キロだそうです。たのもしい。
途中、山形市方向を選ぶか、仙台市方向を選ぶのかという二択があるのですが、これまでのバス旅番組を振り返ると、迷うことなく、仙台方向を選んだ方がいいと思うのです。
ゲストのみなさんは、過去のえびすさんたちの番組は見ていないようで、いつもぶっつけ本番のような状況に追い込まれます。
東北でのバス旅は、東北新幹線沿いに北上するのがコツだとわたしは考えています。日本海側は、路線とか本数が少ない。人口が少ない。路線バスの利用者が少ない。(結果的にはそうではありませんでした)
高速道路を走る高速バスが多いのですが、高速道路を走るバスでも高速道路以外の一般道を走る部分はOKというルールがありがたい。
バスの車内で、演者である女三人髙木菜那さん、佐々木彩夏さん(ささきあやかさん、ももいろクローバーZ)、川村エミコさんが、バスの後部座席にひとりで乗っていた若い学生さんみたいな男子に声掛けをしたシーンがよかった。えびすさんがいたころは、しょっちゅうバスの車内でお客さんと会話をしていました。今どきの番組内容は、『競争優先』で、車内での会話シーンはほとんどなくなりました。残念です。
男の子の写真を撮るときに、芸能人女子三人が男の子に、『もっと笑顔で!』と声をかけたシーンが良かった。そうです。いつも笑顔でいきましょう。
ダッシュで、乗り換えのバスをつかまえた高木菜那さんです。すさまじい。オリンピックスケート金メダリストです。走っている途中で、アクシデントでも起きて、事故にならないだろうかと心配しました。
翌日川村エミコさんと交代した高島礼子さんが、『なめんなよーって感じだね』。髙木菜那さんのバスの進行方向を予測する野生の勘です。高島礼子さんも凄み(すごみ)があります。(そういえば、高島礼子さんは昨年、NHKドラマ『宙わたる教室(そらわたるきょうしつ。定時制高校科学部のメンバーががんばる話です)』で、憎まれ役の権威ある研究者として出演されていました)
仙台駅前の映像は、自分たち夫婦も行ったことがあるのでなつかしい。
珍しく、乗り込んだバスの中で落ち込む高木菜那さんです。(山形県新庄駅へのバスに乗り込んだのですが、これは、もしかしたら自分の選択ミスかもしれないとへこんでいます)(これは、ミスです。わたしはそう思いました。日本海側へは行かないほうがいい)(翌日、その選択は、大失敗だったことが判明します(ところが、チャレンジ終了後の検証によると、そうではありませんでした))(でも、最後はちゃんと龍飛漁港にギリギリで到着するのです。人生に失敗はつきものです。思いがけない病気やケガ、事故や事件に巻き込まれることもあります。うまくいかないことが起きても、こんなときもあるさと、気持ちに折り合いをつけて、へこたれずに、長い人生の旅路をがんばるのです)
心配した佐々木彩夏さんが、気持ちが落ち込んでいる髙木菜那さんをなぐさめます。『(バスに)乗っちゃったら楽しもう!』
わたしもそうですが、昔の失敗や人さまに迷惑をかけてしまったことをたまに思い出して、ああ、あのときは……と悔やむ(くやむ)気持ちがぶりかえすことがあるのですが、歳をとってみて、『あれは、あれで良かった』と思うようにしました。いくら悔やんでも(くやんでも)過去を変えることはできません。『あれは、あれで良かった』のです。
黒柳徹子さんがだれかに長生きの秘訣を聞かれたことがあるのですが、徹子さんは、『反省しないこと』ときっぱりと答えておられました。うまくいかなかったことが起こったとしても、『あれは、あれで良かった』のです。
翌日の放送で登場される人たちの表示が出ました。楽しみです。
松村沙友里(まつむら・さゆり、さゆりんご)さん
澤穂希さん(さわほまれさん)
ザ・マミィの酒井貴士さん(さかいたかしさん)
神田愛花(かんだ・あいか)さん
村井美樹さん
『第二夜』
最後まで観ました。いいゴール(成功)でした。ギリギリで到着しました。おめでとーーーー
観ていて、途中でもう無理だと何度も思いましたが、鉄道が止まって、代行バスが出ていたということが幸運でした。バス旅なので鉄道に乗ることはできませんが、バスに乗ることはできます。すばらしい。いいものを見せてもらいました。ありがとーーー
とても長い距離を歩く旅ですが、考えてみれば、江戸時代の人たちは、基本的に徒歩で国内を移動していたわけで、昔の人たちは偉いなあと感心するのです。
大昔からのことになりますが、時間的に速い移動方法として、船旅があったのでしょう。でも、船が沈んだら死んじゃいます。便利さと危険が同居している旅です。
寒いし、雪やあられが降るし、風も強い。
青森県内の移動などを見ていて、小説・邦画の、『八甲田山死の彷徨(はっこうださんしのほうこう。さまようこと)』を思い出しました。新田次郎さんの小説でした。
1902年(明治35年)日露戦争のための訓練で、210名中、199名が雪の中で亡くなっています。日露戦争(1904年(明治37年)から翌年まで)。
今回の旅とロケは、それに匹敵するぐらいの迫力で過酷に見えました。だから、ゴールできてほんとうに良かった。スタッフさんたちもお疲れさまでした。今回8時間の放送とはいえ、8日分の記録を8時間に短くまとめることはたいへんな作業だったと思います。
3区で太川陽介さん、澤穂希さん(さわほまれさん)と参加した神田愛花さん(かんだあいかさん)は、わたしは神田さんをよく知らなかったのですが、なんだか、すごい人でした。言動が、5歳児ぐらいの発想なのですが、頭はいい。バス旅ファン、バス旅マニアです。太川陽介さんと協力したい(けして、命令に従う上司と部下の関係ではない)、言いたいことは直接相手に言う(こういう役割を果たしてくれる人はだいじです)、そして、めげない人です。
すごい雪景色です。
わたしも以前、11月20日ごろに青森空港へ飛行機で降りたことがあるのですが、離陸した愛知県にある中部セントレア空港は快晴のいいお天気だったのに、着陸した青森空港付近はすっかり雪景色でおおわれていてびっくりしたことがあります。同じ日本でも、気候が全然違います。
3区は歩く一日になってしまいました。バスは1本しか乗れませんでした。1日1本しか乗れなかったのは、番組での新記録でしょう。
(日本海側の北上をあきらめて、仙台へ引き返す選択もあったのかも……)(仙台市在住の澤穂希さんが少々ぶぜんとされていました。お気持ちがわかります。澤さんも仙台から北上したほうが良かったと強調されていました)(でも、事後の検証では、仙台からの北上ルートだと、ゴールが非常に困難だったことが判明するのです)
澤さんのサッカーの話が良かった。
『(サッカーは、攻撃よりも)守備が疲れる』(なるほど)
『(プレイをしていて)ゾーンに入る(異世界を体験する。自分の周囲の動作がスローモーションに見えるときがあったそうです。そうすると奇跡的なプレイができる)』(わたしもわかります。40代のころ、仕事の内容で悩んでいて、考えて、考えて、考え抜いて、発狂するラインの少し先までいくと、いいアイデアがひらめくことが何度かありました。ただし、そのラインからすみやかに戻ってこないと気が狂うに違いないという恐怖感がありました)
とにかく歩く。幸いに、クマは出ない道だそうです。
バス路線はあるけれど、土日は運休です。土日にバスが必要な人がいない。運転手が土日は休む。たぶんそんなところでしょう。
澤穂希さんは、結局、バス1本(距離として75km)に乗車しただけで、あとは長距離を歩いただけで帰宅されました。家で、こどもさんの世話があるそうです。(お疲れさまでした)
神田愛花さんと村井美樹さんは友だちだそうです。だから、神田愛花さんは太川陽介さんと同じチームになって、村井美樹さんのチームとは対決したくないそうです。
ザ・マミィの酒井貴士(さかい・たかし)さんが澤穂希さんと交代です。
酒井さんは、33歳だそうですが老けて(ふけて)見えます。(その後、年末番組『アメトーク』の運動ができない芸人のコーナーでお見かけしました。笑いました。ほかの芸人さんも含めて、どうして、体が、あのようなへんちくりんな動きになるのかが不思議です)
酒井さんは、クズキャラ芸人という個性が、売りだそうです。
酒井さんは、運動はしない。
ヘビースモーカーで、肺年齢は75歳だそうです。早死にしてしまいます。タバコはやめましょう。タバコを吸っても幸せにはなれません。不幸せにはなります。
岡野陽一さん(お笑い芸人)とよく間違えられるそうです。
競艇(きょうてい)もやるそうで、えびすよしかずさんと似ています。ギャンブルでは、負けていることでしょう。
重苦しい雰囲気が続きます。バスルートがありません。バスの本数も少ないうえに、ロケ日である土日は運行がお休みです。なんということでしょう。バス旅ではなく、徒歩旅です。
神田愛花さんのファインプレイがありました。ヒットです。
秋田空港へ行って(徒歩を含む)、秋田市内行きのバスに乗ります。(秋田市内に行けました)
神田愛花さんの発想でした。
酒井貴士さんは手品がおじょうずです。バスの車内で披露されました。口から、競艇のハズレ券をたくさん出されました。見ていてやりかたはわかりましたが、かなりおじょうずでした。
酒井さんの特技が手品で、太川さんの特技が、二倍速で歩くことだそうです。太川さんはいやがっていましたが、そのとおりです。
以前、本物の太川陽介さんを見たくなって、東京渋谷にあるシアターオーブという劇場へ、森公美子さんの、『天使にラブ・ソングを』というミュージカルを観に行きました。太川陽介さんは、神父の役で、終始ニコニコしながら、ステージのまんなかあたりで演技をされていました。貧乏な教会の財政を立て直すために、修道女のみなさんでコーラスグループを結成して、お客さんから料金を集めるのです。なかなかよかった。
『さゆりんご』というキャッチフレーズの松村沙友里さんががんばります。本人がいうには、これまで、『甘えてきた人生でした』という言葉ですが、歩くよりも走る方が得意ですとアピールされて、鬼軍曹村井美樹さんとスピードスケート金メダリスト髙木菜那さんのかけ足に猛烈な勢いでついていきました。立派です。三人とも悪天候の中で、カッパを着ての爆走でした。
数検(数学検定):さゆりんごさんがもっていると自慢されていました。聞いたことがない検定だったので調べました。『実用数学技能検定』というそうです。知りませんでした。
さゆりんごさん(松村沙友里さん)が、秋田名物『なまはげ』を、『なまはげ』という言葉が出てこなくて、『仮面をかぶった怪獣』と表現したので笑いました。おもしろい。
村井美樹さん提供の食事がとれなかったときに食べる食事を、『行動食』といい、髙木菜那さんがそれを、『流動食』と言い間違えたところもおもしろかった。
コミュニティバスの運転手さんが、芸能人や撮影スタッフが、いなかのバス停で待ち構えていたのに驚いて、『なぬッ?!』と声を出されたのがおもしろかった。
コミュニティバスの中に、乗客が書いたノートがありました。感謝のメッセージや要望です。
『バスって、ありがたい』、お年寄りの感謝の言葉には、ほろりとくるものがありました。
バスは、弱者の味方であってほしい。思うに、バスにしても鉄道にしても、公共交通機関の利用者の大半は、交通弱者なのです。自分で自家用車を運転して目的地に行けないのです。高齢者、障害者、病気の人、こどもさんなどです。
到着したバス停では、大粒のあられが降ってきました。
これが、夏のロケなら、ずいぶん楽だったでしょうに。
野生の白鳥の群れを見ることができました。
鳥たちは、たんぼに集まってなにかを食べていました。
能代(のしろ)から北へ方向を撮るか、東へ方向をとるかで迷われましたが、迷うことなんかない、東へ行くのですと教えてあげたい気持ちでした。(東へ行かれました。良かった。絶対東ルートです)
歩く、歩く、12キロ歩く。
村井美樹さんと髙木菜那さんが、午後5時になって、『ここからがバス旅だ!』と息巻きます。この遅い時刻からが本番なのです。さゆりんごさんがおびえるように引いていました。
わたしも仕事をしていたころは、午後5時になると、今からが仕事の本番だと力を入れてがんばっていました。いまは歳をとってしまったので、そんなことをしたら体が壊れてしまいます。
最終日です。残り時間も少なくなってきました。バスがなくなったら終わりです。
『ゴールをとりに行こう! レッツゴーー 最終日だーーー』三人が走ります。
髙木菜那さんは、闘志のかたまりです。
過酷です。
津軽半島の地名のあれこれは、太宰治作品『津軽』を思い出させてくれます。名作です。
大金持ちの家に生まれて、実母ではなく、乳母(うば)に育てられて(長い年数、乳母が母親だと思っていたそうです)、大きな屋敷で生活していて、まわりにたくさん人がいてもひとりぼっちで、心が屈折していった。母親代わりだった乳母を慕う気持ちが書かれています。
1944年(昭和19年)11月の刊行です。まだ、戦時中です。翌年8月が終戦です。
太宰治作品のなかでは、自分はこの作品が一番の好みです。淡々と静かです。太宰治というよりも本名の津島修治として書かれているような気がするのです。ふと気づいたのですが、筆名にある「治」は、本名の「修治」の治からとってあるのかもしれません。
仲が良かった二歳年下の弟さんが若くして亡くなった部分にはほろりときました。
作者は津軽を愛していました。
途中で出会ったおじさんがおもしろい。
『500mぐらい歩けば、民家なくなる。ライトがなくなる』(4kmぐらい電気(街灯)なしです)
おじさんが、うしろからついてきてくれて、メンバーに何度も声をかけてくれます。『がんばれ! 民家なくなる!』
三人ともすごい体力です。若さがうらやましい。
『カニター―(地名です) 行くぜ~~~』
ゴールは、『龍飛漁港(たっぴぎょこう)』です。
ギリギリでゴールしました。すごーい。千葉県の新勝寺から、青森県の津軽半島のさきっぽまで、路線バスと徒歩だけで到着できましたーーー 800キロ、45本のバスで来ましたーーー
バス車内のアナウンスは、運転手さんの生の声で、『終点龍飛漁港です』
おめでとーーーーー 『龍飛りんごーーー』という三人の声が響き渡りました。
(その後のこと YouTube ユーチューブで答え合わせの検証を見ました)
驚いたのは、大失敗だと思っていた髙木菜那さんの仙台駅前バスターミナルでの選択が大正解だったことです。
髙木菜那さんの判断と決断で、メンバーは、仙台駅前→山形県新庄市へのバスに乗り込みました。髙木菜那さんはバス車内で、うつ的になるほど深く悩まれました。
山形県新庄市へは行かずに、今いる仙台市で一泊して、翌日、仙台市から北上するルートをとっても、目的地にゴールすることはかなり困難だったそうです。
そうなのか。思いこみだけで評価してはいけないと気づかされました。髙木菜那さん、正解ですよーーー 自信をもってくださーい。
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