2024年11月21日
書いてはいけない 日本経済墜落の真相 森永卓郎
書いてはいけない 日本経済墜落の真相 森永卓郎 三五館シンシャ(さんごかんしんしゃ)
わたしは、著者のことをほとんど知りません。
森永卓郎(もりなが・たくろう):経済アナリスト(分析家)、1957年(昭和32年)生まれ、67歳。2023年12月にがんであることを公表した。
お金の話(投資)かと思ってこの本を買いましたが、表紙を開いてみると、書いてあることは、①ジャニーズ事務所の話 ②財務省と統一教会の話 ③御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の話 ④日本経済が墜落した話でした。週刊誌の記事みたい。
まあ、ざーっと読んでみます。
『まえがき』に、本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるとあります。
がんになったから、覚悟を決められたということもあるのでしょう。
ようやく出版を受けてくれる出版社が見つかったそうです。三五館シンシャ(さんごかんしんしゃ)は、一人で経営している出版社だそうです。以前、職業体験をされた一般人の方々が書いた同社の本を何冊か読んだことがあります。
『第1章 ジャニーズ事務所』
セクハラ行為のことが書いてあります。
人事権があるかなり年上の男が、支配下にある少年たち多数に対して、性的に異常な行為をしたのです。
わたしは、組織の上層部にいる人に、いい人はいないと思っています。組織の上層部にいる人の役割は、利潤の追求という目的を達成するために、自分より下の地位にある人間を将棋の駒のように動かしたり、扱ったりすることが仕事です。人情を排除して、非人間的な面を求められることもある立場です。
そして、人間には二面性があります。あんな感じがいい人が、あんなことをするのかと驚くこともあります。コワイ、コワイです。
勉強ができる頭のいい人たちは、事件や事故が起きたときに、自分や自分たちの都合がよくなるように、何も起きていない、何も起こらなかったという状況を想定することができる人たちです。オソロシイ人たちがいます。
人の気持ちや命よりも、自分たちの利益を優先することが、資本主義とか、社会主義、民主主義だと思っている人がいます。
マスコミ(マスメディア)は、正義ではありません。人心を誘導する力をもっているコワイ組織です。
カリスマ型人間がいます。生きている神さまです。生き神さま的立場の人のそばに、人がたくさん集まってきて、彼あるいは彼女と組織に心理をコントロールされて、組織の上層部にいる一部の人間だけが得をするシステムを構築します。古代卑弥呼(ひみこ)の時代から続く人間界のありようです。人間界には、天才的な詐欺師(さぎし)がいます。そこに(彼や彼女、そして、組織に)お金が集まるのです。
日本には、『長い物には巻かれろ』ということわざがあります。(自分よりも強い相手にはさからわない。そのほうが自分にとって得になる)。
先日、NHKスペシャルでジャニーズ事務所の件について、報道番組が流れていました。わたしは見ていませんが、家族がその番組を見て、なにか話をしていました。闇(やみ)は深い。
『放置』が、モンスターを育てて、のさばらせた。モンスターをかばう身内である親族がいた。利益がからんだ関係者たちが口をつぐんだ。(黙った)。
いっけん対立する組織同士であっても、上層部同志は知り合いということもあります。私立中学校から大学までの同窓生であったり、ときには、仕事では対立する立場であっても、お互いに親族関係があったりもするでしょう。
グル(仲間)なのです。対立する立場であっても、互いが組んで、権力を思いのままに操作できる人間関係とシステムがあります。同じ箱(類似職業世界)の中でなら、やれることです。
自分や自分のグループが被害を受けなければ、他人がどうなってもいいという感覚が、身にしみついている人がいます。
抗拒不能(こうきょふのう):抵抗できない。
2003年7月東京高等裁判所判決:加害者と事務所による名誉棄損で出版社を訴えた裁判の判決は、加害者による性被害を認めた。民事事件だった。
2004年2月、最高裁が上告を棄却。高裁の判決が確定した。明らかに刑事事件に該当する事件だった。
警察は動かなかった。マスコミは騒がなかった。
以降も性被害は続いた。
おぞましい。(ぞっとする。不気味(ぶきみ))。
芸能界だから、そんなこともあるだろうで、見すごされたのか。
それに耐えて、売れるのが、芸能人の仕事ぶりと判断されたのだろうか。
なんともひどい世界ですが、一般企業で同じようなことがあってもおかしくはありません。
事務所のタレントは、まじめで、努力家で、人間性も豊かだったとあります。
著者が理解できなかったのは、なぜ一般人の女性たちが、彼らのようなタレントに熱狂するのかという点だったそうです。
かれらよりもかっこいい男子は、一般社会にもいる。(彼女たちは洗脳されている。マインドコントロール)。
まだこどもの頃から、タレントを育てる。タレントを、自分が育てた自分の創作物とする気持ちが女性の側にあるそうです。
熱狂する女性たちと同じ感覚を、異常な性的志向をもっていた加害者が有していた。
事務所には、テレビ界・芸能界に対する『圧力』という武器があった。お金の流れと、うっとうしさという側面がある『圧力』だった。
なにかしら、きついことがいろいろ書いてあります。
事務所の記者会見をわたしもテレビで見ましたが、表面上はおだやかな話し方でも、じっさいにあった事実は、この本によるとかなりひどくきつい。不信感はつのるばかりです。
なんというか、芸能界とかテレビ界では重要なことなのでしょうが、暗黙の忖度(そんたく。相手に言われなくても相手にとって有利な方向へ話を導く)とか、芸能界でのおかしな慣例の事例を読むと、利害関係にない者からすると、ばかばかしい行為に思えます。違法行為とも思えるテレビ局から事務所に対する忖度(そんたく)があります。
人間のまっすぐな心がゆがめられています。ひどい。
性加害を意図的に表に出さない、『共犯者、共犯組織』があります。さらに、それぐらいいいじゃないかという意識もあります。鬼や悪人がいます。日本人社会にありがちな傾向です。
人間の(日本人の)もつ闇の部分が、イギリスの放送局によって(外国人によって)暴かれて(あばかれて)います。日本人社会によくある、『同調圧力』です。だれかを助けるために、だれかをみんなでいじめるのです。自分たちの反対勢力を徹底的に叩く(たたく)のです。犠牲者がいます。まるで生贄(いけにえ)のようです。
ふりかえってみると、昭和の時代は、いいところもありましたが、前記したようなよくないところもありました。みんなの感覚が鈍って(にぶって)いました。
テレビ局の中にも役所のような縦割り行政のようなものがあることは、本を読んで初めて知りました。『報道番組部門』と『バラエティ番組部門』です。両者に壁があるそうです。
事務所の権力は、『恐怖による支配』だったそうです。
わたしは、テレビ報道は、人心を操作することができるので、気をつけなければならないと思っています。
情報を丸のみにして信じてはいけないと常日頃から思って番組を見ています。
報道されたとおりに、未来がそうならないこともままあります。
テレビの人は、予想がはずれても知らん顔です。
わたしはテレビやネットの情報をあてにしていません。ニュース報道や解説、出演者の発言などは、たいてい疑いながら見たり聞いたり読んだりしています。本当だろうか? だまされないぞという意識です。
バーター(抱き合わせ):売れているタレントを出演させる引き換えに若手を売り込む。
人権感覚が、鈍い(にぶい)とあります。
『第2章 ザイム真理教』
う~む。78ページまで読んで思ったことです。
センセーショナル(人の心をかきたてる。かきまわす。あおる。ゆすぶる。あっといわせる)に書いてある。おおげさに感じます。それから、もう終わったことです。いまさらという気持ちも湧きます。著者はあせっているのか……
財務省のことが書いてあります。
『税金』の話です。
ときおり、税収が増えたと、いいことがあったかのようなニュースが流れます。
税収が増えることは、本当にいいことなのだろうか。
喜ぶのは、税金徴収とそれをもとに予算をつくたり、執行したりする関係者だけではなかろうか。
財務省という組織の体質は、芸能事務所と同じ、カルト教団(教団の上層部が、信者から財産を搾取(さくしゅ。ぶんどる。しぼりとる)する)と同じというような書きぶりです。
アベノミクスについて書いてあります。
2012年(平成24年)12月発足第二次安倍晋三政権の政策です。
おもに、異次元の金融緩和と財政出動です。大規模な資金供給拡大があったとあります。
物価が下がる。給料が上がらないという時代が長らく続いていたが改善のきざしがあった。それなりの良い効果があった。
2014年(平成26年)4月に消費税を5%から8%に上げたとたん、経済は冷えた。アクセルを踏みながらブレーキを踏んだようなものだった。
いろいろ書いてあります。
内容は、国から(財務省から)、補助金(利益)を受けている有名人・有名企業は、国の(財務省の)味方である。(だから、増税に賛成する。利益をもらったお返しに、増税をPRするための広告塔の役割を果たす。もちつもたれつ)ということです。
そして、財務省の方針(増税)に反対する個人や法人には、税務調査に入って、不正があったとして、税金を追加徴収して、さらしものにするという制裁を課すのです。税務職員には、裁量権があるので、グレーゾーンにあたる行為に対しては、特定の意思をもって、いやがらせが合法的にできるそうです。
お金と人事の権力をもっている幹部や特定の職員が頂点に立って、政治家も国民も自らの支配下に置こうとしているのです。(なんだかすごい話です。極端な表現もあるような気もしますが……)
財務省内では、増税を『勝ち』、減税を、『負け』と呼ぶそうです。
『勝ち』を続けた人が、天下りができて得をするそうです。天下りができる人の数はそれほど多くはないらしい。(そこまでしてお金が欲しいのか)。
『増税』でふえた税収は、どこへ行ったのだろう?
著者は、景気上昇のために、消費税の減税を強く訴えています。
景気を良くして、所得税の税収を増やすことが社会を良くすると判断されています。
増税に代わる保険料の引き上げは、邪道(じゃどう。正しくないやりかた)だと主張されています。
83ページに、『高齢者は年金をもらいすぎている?』という項目があります。
わたしは、年金は、長生きをした人が得をする制度だと思っています。こまかくいえば、年金をもらう前に亡くなれば、納めた年金保険料はパーになるし、超高齢まで生きれば、納めた年金保険料よりも得をします。
基本的には、年金制度は世代間の支え合いですが、ふつうに考えると、貯金的感覚で、自分が納めた年金保険料という貯金を、歳をとって働けなくなったから食いつぶしていくという体感があります。
わたしはまず、これまでに自分がいくら年金保険料を納めたかを計算します。サラリーマンは給料からしっかり各種税金も各種保険料も差し引かれます。
次に、事業主負担がいくらだったかを把握します。合計の年金保険料をこれから先、何年生きたらペイ(消化、消費、元をとれる)できるかを計算します。事業主負担については、事業主が支払った年金保険料(個人が払う額と同額)ですが、わたしは、朝早くから夜遅くまで働いたサービス残業(無料奉仕。タダ働き)の分や仕事関係で自腹を切った自己負担分が事業主負担分だという理屈で自分の気持ちを納得させています。
預金や国債の利子もあったとして計算した合計額は、けっこう長く生きないと元は取り戻せません。
そして命は、いつ尽きるのかはわかりません。
高齢者が年金をもらい過ぎているという実感はありません。なぜなら、自分がすでに納めた保険料という自分のお金を返してもらっているという意識があるからです。
サラリーマンとして、イヤな仕事に耐え続けて年金保険料を納付してきた結果です。後ろめたさはありません。とても長い歳月にわたる忍耐と努力と根性の成果なのです。
権力者たちは、みんなグル(悪い仲間)で、自分たちの利益のために徒党(ととう。良からぬことをたくらむ集まり)を組んでいるというような書き方がしてあります。(すべてとは思えませんが、あたっている面もあるのでしょう。上級国民は、法に守られるのです)。
ときに、職務に忠実な正義を訴える公務員がうつ病になって自殺してしまいます。それでも悪人はケロっとしています。責任は感じません。責任を感じるような脳みそはもっていないのです。
お金と人事権をもっている部署は強い。
教科書に書いてある、『三権分立(さんけんぶんりつ。立法、行政、司法は、各自独立していて、権力の濫用(らんよう。むやみやたらに使う)はしないで、国民の権利と自由を守る』ということは、ないのです。特定の人と組織を守るのです。
本を読みながら、昔、公務員が不祥事をおかして損害を与えたときは、まずは、自治体なりが、賠償をして、その後、自治体なりが、不祥事をおかした本人に賠償請求をすると習ったことがありますが、あれは、そう文章に書いてあっただけで、現実に実行はされていないということなのだろうかと思いました。
『第3章 日航123便はなぜ墜落したのか』
すごいことが書いてあります。映画にできそうな内容です。
御巣鷹山(おすたかやま)に日航ジャンボ機が墜落して大事故になったとき、わたしは、帰省した九州福岡の実家でその時、そのテレビニュースを見ていました。
夕方のニュースでした。自分も飛行機で帰省をしていたので、他人事とは思えませんでした。大きなショックを受けました。
速報があったそのときは、たしかまだ、事故があったらしいジャンボジェット機の機体がどこにいるのか見つからないという報道でした。(自衛隊が墜落現場を特定したのは、公式発表で、翌朝4時39分とされている)。
ところが、それはウソだったと本に書いてあります。機体は、墜落直後に見つかっていた。自衛隊機の小型ジェット機が二機、ジャンボ機の後ろを飛んでいた。米軍機もすみやかに現場に到着していた。米軍のヘリも救援に駆け付けた。しかし、救出活動にストップがかかった。
そんな恐ろしい話が書いてあります。さらに、事故原因は、その後公表されたジャンボ機の機体後部にある圧力隔壁が破損したことによるものではない。圧力隔壁の破損が、過去の尻もち事故の修理に欠陥や問題があったのではない。そのとき自衛隊が実験だか練習だかで、なんとか(可能性として、「対艦誘導弾」)を発射したら、それが、偶然日航ジャンボ機の尾翼のまんなかあたりに当たってしまったそうです。だから、自衛隊はあわてて、二機の小型ジェット戦闘機で乗客乗員500人以上が乗ったジャンボ機を追いかけたのです。
そんな話、初めて聞きました。さらに、そのことに引き続いて、ひどい話がどんどん書いてあります。乗客乗務員の命は、国家の不祥事を隠すために犠牲になったのです。救出活動をすみやかに実行すれば、助かった命があった。
読み始める前、最初はこの部分を、航空機事故についてなにか問題があったようだが、いかんせん、もうずいぶん前のことだ、いまさらという気分で読み始めました。
1985年(昭和60年)8月12日18時12分発日本航空123便羽田→伊丹。18時56分群馬県にある御巣鷹山の尾根に墜落した。乗員乗客524人中520人が死亡した。
読んで、かなりショックを受けました。政府を始め、権力者たちはひどいことをします。そして、報道機関もグル(悪だくみの仲間)です。
裁判は、法律論で結論付けられる。人間の感情は度外視される。どがいし:無視される。
そうか、あれは、嘘(うそ)だったのか。
昔は、『(秘密を)墓場まで持って行く』と言ったものですが、最近は、持って行かない人が出てきました。
お互いに権利義務関係がなくなって、生活の糧(かて。お金)の心配がなくなると、がまんしていたものをがまんしなくてもすむようになります。
事故や事件を実行した関係者が亡くなると、公表の自由が保障されたりもします。
本当のことがわかる世の中に変化してきています。
それでも、亡くなった命が生き返ることはありません。人の世は非情です。
事実を確認できる証拠が示されていきます。
一般的に事件とか、事故の真実には、驚くべきものがあります。
本当のことは、当事者とそのそばにいて深く関りになる立場の者にしかわかりません。(報道等は、うわべだけのことです)。数式を解くように、公式とか論理で事実が進行していくわけではありません。
まさか、そんなことがあったのか、(普通は考えられないチョンボ(失策、エラー。うっかりミス))ということがあります。
あわせて、トラブルとか、チョンボは、単体で順番に起きるわけではありません。
複数のチョンボが、同時進行で、起きます。関連のないものが、最後に関連をもって、大きな事故や事件につながります。
だから、責任者の立場にある人は、危機管理の気持ちをゆるめてはいけないのです。チョンボは避けられません。だけど、被害を最小限に食い止める努力は、毎日必要です。
読みながらそんなことを考えました。
自衛隊は本当に国民を守ってくれるのだろうか。
自衛隊が守るのは、自衛隊という組織と自衛隊の関係者だけではなかろうか。
同様に、警察も、警察という組織と警察職員を守るためにあるのではなかろうか。
読んでいると、いろいろな不信感が増幅していきます。
マスコミも同様のパターンに思えてきます。
それが人間界の現実と限界なのでしょう。
考えが、『人間とは何か』にまで及んでいきます。
お金もうけは、じょうずに人心をあやつって、できるだけ多くの人から薄く広くお金を集めた人が成功するものと思えてきます。
日航ジャンボ機は、神奈川県にある横田基地に緊急着陸したかった。
だれかが、あるいは、どこかの組織が、その願いをはばんだ。
横田基地への着陸をあきらめたジャンボ機は、長野県内にあったレタス畑に着陸を考えた。それもかなわなかった。
証拠隠滅のために、自衛隊の特殊部隊が、証拠を焼いた。(第4エンジン)。
ジャンボジェット機に備え付けられていたブラックボックス(ボイスレコーダーとフライトレコーダー)を調べればわかるが、非公開となっている。情報開示をしない。もし公開しても、改ざん(変更)された情報が発表される可能性がある。
そんなことが書いてあります。
結局、権力者と権力を持つ組織は信用できない。
彼らは、自分たちの都合のよいように、歴史を書き換えてしまう。(外国ではありそうなことです)。
『第4章 日本経済墜落の真相』
プレゼンス:存在感。
歴史が流れていく中で、衰退していく日本企業の経済活動を解説されています。
繁栄を誇った1980年代(昭和55年代)がありました。
日航ジャンボ機墜落事故が、1985年(昭和60年)8月12日です。
同年9月22日プラザ合意(ニューヨークにあるプラザホテルに先進5か国の代表者が集まって、日本円の急激な円高をもたらす合意がなされた。1ドル240円台が、1987年年末に120円台まで円高になった。日本の輸出商品の現地価格がとても高くなった。(円高は、日本経済にマイナスの影響を与える)。輸出総額が年々減っていった。
1986年(昭和61年)9月2日に、日米半導体協定が締結された。(わたしは、この部分を読んでも理屈を理解することができませんが、世界シェア50%を超えていた日本の半導体産業は、このあとぼろぼろになったと書いてあります)
日航ジャンボ機墜落事故の原因をボーイング社に押し付けた反動(反作用)として、日本は米国の要求を飲んだという理屈立てになっています。
読んでいて、なかば信じられないのですが、現実には、そういうことってあるのだろうなあという気分になります。
責任は取りたくないけれど地位と名誉とお金が欲しい人が責任者になっているという構図です。あれこれ、策略を考えて、自分や自分の組織だけのために作戦を立てて実行する人です。
著者は、政府とか、国の幹部職員、日銀のやりかたを批判しています。
わたしもリアルタイムであの渦巻の中にいるような時代にいたわけで、思い出してみると、住宅ローンは高金利であり、ああもう自分は、一生、中古マンションも買えないとあきらめた時期がありました。
株式の持ち合い:取引関係にある企業間で、お互いに株式を持ち合う仕組み。企業の乗っ取り防止策。
不動産担保金融:金融機関が不動産を担保にとって融資をする。
不良債権:担保割れ。担保にした不動産に十分な価値がない。
2001年(平成13年)4月自民党総裁選がありました。小泉純一郎首相が誕生しました。
そのときのニュース番組でのご自身の質問発言をとても後悔されています。そのことが、小泉純一郎内閣の誕生につながったと判断されています。メンバーは、橋本龍太郎氏、麻生太郎氏、亀井静香氏、小泉純一郎氏です。コメントをしていた著者の前振りの言葉を起点にして、そのとき、小泉純一郎氏から、『私は自民党をぶっこわす。構造改革だ!』という発言が飛び出しています。小泉劇場が開幕したとあります。
アメリカ合衆国有利の政策がなされた。日本はアメリカの言いなりになった。
郵政民営化と不良債権処理だった。
元本保証のある郵便貯金を、元本保証のない投資信託に誘導する。
国民がコツコツ貯めてきたばく大な郵便貯金を、投資に回してもらって、そのお金を外国のハゲタカ組織が狙う(ねらう)という構図を解説されています。
読み終えると、もう日本の未来はだめなのかなあと、元気がなくなる本でした。
わたしは、著者のことをほとんど知りません。
森永卓郎(もりなが・たくろう):経済アナリスト(分析家)、1957年(昭和32年)生まれ、67歳。2023年12月にがんであることを公表した。
お金の話(投資)かと思ってこの本を買いましたが、表紙を開いてみると、書いてあることは、①ジャニーズ事務所の話 ②財務省と統一教会の話 ③御巣鷹山に墜落した日航ジャンボ機の話 ④日本経済が墜落した話でした。週刊誌の記事みたい。
まあ、ざーっと読んでみます。
『まえがき』に、本当のことを言ったら、瞬時にメディアに出られなくなるとあります。
がんになったから、覚悟を決められたということもあるのでしょう。
ようやく出版を受けてくれる出版社が見つかったそうです。三五館シンシャ(さんごかんしんしゃ)は、一人で経営している出版社だそうです。以前、職業体験をされた一般人の方々が書いた同社の本を何冊か読んだことがあります。
『第1章 ジャニーズ事務所』
セクハラ行為のことが書いてあります。
人事権があるかなり年上の男が、支配下にある少年たち多数に対して、性的に異常な行為をしたのです。
わたしは、組織の上層部にいる人に、いい人はいないと思っています。組織の上層部にいる人の役割は、利潤の追求という目的を達成するために、自分より下の地位にある人間を将棋の駒のように動かしたり、扱ったりすることが仕事です。人情を排除して、非人間的な面を求められることもある立場です。
そして、人間には二面性があります。あんな感じがいい人が、あんなことをするのかと驚くこともあります。コワイ、コワイです。
勉強ができる頭のいい人たちは、事件や事故が起きたときに、自分や自分たちの都合がよくなるように、何も起きていない、何も起こらなかったという状況を想定することができる人たちです。オソロシイ人たちがいます。
人の気持ちや命よりも、自分たちの利益を優先することが、資本主義とか、社会主義、民主主義だと思っている人がいます。
マスコミ(マスメディア)は、正義ではありません。人心を誘導する力をもっているコワイ組織です。
カリスマ型人間がいます。生きている神さまです。生き神さま的立場の人のそばに、人がたくさん集まってきて、彼あるいは彼女と組織に心理をコントロールされて、組織の上層部にいる一部の人間だけが得をするシステムを構築します。古代卑弥呼(ひみこ)の時代から続く人間界のありようです。人間界には、天才的な詐欺師(さぎし)がいます。そこに(彼や彼女、そして、組織に)お金が集まるのです。
日本には、『長い物には巻かれろ』ということわざがあります。(自分よりも強い相手にはさからわない。そのほうが自分にとって得になる)。
先日、NHKスペシャルでジャニーズ事務所の件について、報道番組が流れていました。わたしは見ていませんが、家族がその番組を見て、なにか話をしていました。闇(やみ)は深い。
『放置』が、モンスターを育てて、のさばらせた。モンスターをかばう身内である親族がいた。利益がからんだ関係者たちが口をつぐんだ。(黙った)。
いっけん対立する組織同士であっても、上層部同志は知り合いということもあります。私立中学校から大学までの同窓生であったり、ときには、仕事では対立する立場であっても、お互いに親族関係があったりもするでしょう。
グル(仲間)なのです。対立する立場であっても、互いが組んで、権力を思いのままに操作できる人間関係とシステムがあります。同じ箱(類似職業世界)の中でなら、やれることです。
自分や自分のグループが被害を受けなければ、他人がどうなってもいいという感覚が、身にしみついている人がいます。
抗拒不能(こうきょふのう):抵抗できない。
2003年7月東京高等裁判所判決:加害者と事務所による名誉棄損で出版社を訴えた裁判の判決は、加害者による性被害を認めた。民事事件だった。
2004年2月、最高裁が上告を棄却。高裁の判決が確定した。明らかに刑事事件に該当する事件だった。
警察は動かなかった。マスコミは騒がなかった。
以降も性被害は続いた。
おぞましい。(ぞっとする。不気味(ぶきみ))。
芸能界だから、そんなこともあるだろうで、見すごされたのか。
それに耐えて、売れるのが、芸能人の仕事ぶりと判断されたのだろうか。
なんともひどい世界ですが、一般企業で同じようなことがあってもおかしくはありません。
事務所のタレントは、まじめで、努力家で、人間性も豊かだったとあります。
著者が理解できなかったのは、なぜ一般人の女性たちが、彼らのようなタレントに熱狂するのかという点だったそうです。
かれらよりもかっこいい男子は、一般社会にもいる。(彼女たちは洗脳されている。マインドコントロール)。
まだこどもの頃から、タレントを育てる。タレントを、自分が育てた自分の創作物とする気持ちが女性の側にあるそうです。
熱狂する女性たちと同じ感覚を、異常な性的志向をもっていた加害者が有していた。
事務所には、テレビ界・芸能界に対する『圧力』という武器があった。お金の流れと、うっとうしさという側面がある『圧力』だった。
なにかしら、きついことがいろいろ書いてあります。
事務所の記者会見をわたしもテレビで見ましたが、表面上はおだやかな話し方でも、じっさいにあった事実は、この本によるとかなりひどくきつい。不信感はつのるばかりです。
なんというか、芸能界とかテレビ界では重要なことなのでしょうが、暗黙の忖度(そんたく。相手に言われなくても相手にとって有利な方向へ話を導く)とか、芸能界でのおかしな慣例の事例を読むと、利害関係にない者からすると、ばかばかしい行為に思えます。違法行為とも思えるテレビ局から事務所に対する忖度(そんたく)があります。
人間のまっすぐな心がゆがめられています。ひどい。
性加害を意図的に表に出さない、『共犯者、共犯組織』があります。さらに、それぐらいいいじゃないかという意識もあります。鬼や悪人がいます。日本人社会にありがちな傾向です。
人間の(日本人の)もつ闇の部分が、イギリスの放送局によって(外国人によって)暴かれて(あばかれて)います。日本人社会によくある、『同調圧力』です。だれかを助けるために、だれかをみんなでいじめるのです。自分たちの反対勢力を徹底的に叩く(たたく)のです。犠牲者がいます。まるで生贄(いけにえ)のようです。
ふりかえってみると、昭和の時代は、いいところもありましたが、前記したようなよくないところもありました。みんなの感覚が鈍って(にぶって)いました。
テレビ局の中にも役所のような縦割り行政のようなものがあることは、本を読んで初めて知りました。『報道番組部門』と『バラエティ番組部門』です。両者に壁があるそうです。
事務所の権力は、『恐怖による支配』だったそうです。
わたしは、テレビ報道は、人心を操作することができるので、気をつけなければならないと思っています。
情報を丸のみにして信じてはいけないと常日頃から思って番組を見ています。
報道されたとおりに、未来がそうならないこともままあります。
テレビの人は、予想がはずれても知らん顔です。
わたしはテレビやネットの情報をあてにしていません。ニュース報道や解説、出演者の発言などは、たいてい疑いながら見たり聞いたり読んだりしています。本当だろうか? だまされないぞという意識です。
バーター(抱き合わせ):売れているタレントを出演させる引き換えに若手を売り込む。
人権感覚が、鈍い(にぶい)とあります。
『第2章 ザイム真理教』
う~む。78ページまで読んで思ったことです。
センセーショナル(人の心をかきたてる。かきまわす。あおる。ゆすぶる。あっといわせる)に書いてある。おおげさに感じます。それから、もう終わったことです。いまさらという気持ちも湧きます。著者はあせっているのか……
財務省のことが書いてあります。
『税金』の話です。
ときおり、税収が増えたと、いいことがあったかのようなニュースが流れます。
税収が増えることは、本当にいいことなのだろうか。
喜ぶのは、税金徴収とそれをもとに予算をつくたり、執行したりする関係者だけではなかろうか。
財務省という組織の体質は、芸能事務所と同じ、カルト教団(教団の上層部が、信者から財産を搾取(さくしゅ。ぶんどる。しぼりとる)する)と同じというような書きぶりです。
アベノミクスについて書いてあります。
2012年(平成24年)12月発足第二次安倍晋三政権の政策です。
おもに、異次元の金融緩和と財政出動です。大規模な資金供給拡大があったとあります。
物価が下がる。給料が上がらないという時代が長らく続いていたが改善のきざしがあった。それなりの良い効果があった。
2014年(平成26年)4月に消費税を5%から8%に上げたとたん、経済は冷えた。アクセルを踏みながらブレーキを踏んだようなものだった。
いろいろ書いてあります。
内容は、国から(財務省から)、補助金(利益)を受けている有名人・有名企業は、国の(財務省の)味方である。(だから、増税に賛成する。利益をもらったお返しに、増税をPRするための広告塔の役割を果たす。もちつもたれつ)ということです。
そして、財務省の方針(増税)に反対する個人や法人には、税務調査に入って、不正があったとして、税金を追加徴収して、さらしものにするという制裁を課すのです。税務職員には、裁量権があるので、グレーゾーンにあたる行為に対しては、特定の意思をもって、いやがらせが合法的にできるそうです。
お金と人事の権力をもっている幹部や特定の職員が頂点に立って、政治家も国民も自らの支配下に置こうとしているのです。(なんだかすごい話です。極端な表現もあるような気もしますが……)
財務省内では、増税を『勝ち』、減税を、『負け』と呼ぶそうです。
『勝ち』を続けた人が、天下りができて得をするそうです。天下りができる人の数はそれほど多くはないらしい。(そこまでしてお金が欲しいのか)。
『増税』でふえた税収は、どこへ行ったのだろう?
著者は、景気上昇のために、消費税の減税を強く訴えています。
景気を良くして、所得税の税収を増やすことが社会を良くすると判断されています。
増税に代わる保険料の引き上げは、邪道(じゃどう。正しくないやりかた)だと主張されています。
83ページに、『高齢者は年金をもらいすぎている?』という項目があります。
わたしは、年金は、長生きをした人が得をする制度だと思っています。こまかくいえば、年金をもらう前に亡くなれば、納めた年金保険料はパーになるし、超高齢まで生きれば、納めた年金保険料よりも得をします。
基本的には、年金制度は世代間の支え合いですが、ふつうに考えると、貯金的感覚で、自分が納めた年金保険料という貯金を、歳をとって働けなくなったから食いつぶしていくという体感があります。
わたしはまず、これまでに自分がいくら年金保険料を納めたかを計算します。サラリーマンは給料からしっかり各種税金も各種保険料も差し引かれます。
次に、事業主負担がいくらだったかを把握します。合計の年金保険料をこれから先、何年生きたらペイ(消化、消費、元をとれる)できるかを計算します。事業主負担については、事業主が支払った年金保険料(個人が払う額と同額)ですが、わたしは、朝早くから夜遅くまで働いたサービス残業(無料奉仕。タダ働き)の分や仕事関係で自腹を切った自己負担分が事業主負担分だという理屈で自分の気持ちを納得させています。
預金や国債の利子もあったとして計算した合計額は、けっこう長く生きないと元は取り戻せません。
そして命は、いつ尽きるのかはわかりません。
高齢者が年金をもらい過ぎているという実感はありません。なぜなら、自分がすでに納めた保険料という自分のお金を返してもらっているという意識があるからです。
サラリーマンとして、イヤな仕事に耐え続けて年金保険料を納付してきた結果です。後ろめたさはありません。とても長い歳月にわたる忍耐と努力と根性の成果なのです。
権力者たちは、みんなグル(悪い仲間)で、自分たちの利益のために徒党(ととう。良からぬことをたくらむ集まり)を組んでいるというような書き方がしてあります。(すべてとは思えませんが、あたっている面もあるのでしょう。上級国民は、法に守られるのです)。
ときに、職務に忠実な正義を訴える公務員がうつ病になって自殺してしまいます。それでも悪人はケロっとしています。責任は感じません。責任を感じるような脳みそはもっていないのです。
お金と人事権をもっている部署は強い。
教科書に書いてある、『三権分立(さんけんぶんりつ。立法、行政、司法は、各自独立していて、権力の濫用(らんよう。むやみやたらに使う)はしないで、国民の権利と自由を守る』ということは、ないのです。特定の人と組織を守るのです。
本を読みながら、昔、公務員が不祥事をおかして損害を与えたときは、まずは、自治体なりが、賠償をして、その後、自治体なりが、不祥事をおかした本人に賠償請求をすると習ったことがありますが、あれは、そう文章に書いてあっただけで、現実に実行はされていないということなのだろうかと思いました。
『第3章 日航123便はなぜ墜落したのか』
すごいことが書いてあります。映画にできそうな内容です。
御巣鷹山(おすたかやま)に日航ジャンボ機が墜落して大事故になったとき、わたしは、帰省した九州福岡の実家でその時、そのテレビニュースを見ていました。
夕方のニュースでした。自分も飛行機で帰省をしていたので、他人事とは思えませんでした。大きなショックを受けました。
速報があったそのときは、たしかまだ、事故があったらしいジャンボジェット機の機体がどこにいるのか見つからないという報道でした。(自衛隊が墜落現場を特定したのは、公式発表で、翌朝4時39分とされている)。
ところが、それはウソだったと本に書いてあります。機体は、墜落直後に見つかっていた。自衛隊機の小型ジェット機が二機、ジャンボ機の後ろを飛んでいた。米軍機もすみやかに現場に到着していた。米軍のヘリも救援に駆け付けた。しかし、救出活動にストップがかかった。
そんな恐ろしい話が書いてあります。さらに、事故原因は、その後公表されたジャンボ機の機体後部にある圧力隔壁が破損したことによるものではない。圧力隔壁の破損が、過去の尻もち事故の修理に欠陥や問題があったのではない。そのとき自衛隊が実験だか練習だかで、なんとか(可能性として、「対艦誘導弾」)を発射したら、それが、偶然日航ジャンボ機の尾翼のまんなかあたりに当たってしまったそうです。だから、自衛隊はあわてて、二機の小型ジェット戦闘機で乗客乗員500人以上が乗ったジャンボ機を追いかけたのです。
そんな話、初めて聞きました。さらに、そのことに引き続いて、ひどい話がどんどん書いてあります。乗客乗務員の命は、国家の不祥事を隠すために犠牲になったのです。救出活動をすみやかに実行すれば、助かった命があった。
読み始める前、最初はこの部分を、航空機事故についてなにか問題があったようだが、いかんせん、もうずいぶん前のことだ、いまさらという気分で読み始めました。
1985年(昭和60年)8月12日18時12分発日本航空123便羽田→伊丹。18時56分群馬県にある御巣鷹山の尾根に墜落した。乗員乗客524人中520人が死亡した。
読んで、かなりショックを受けました。政府を始め、権力者たちはひどいことをします。そして、報道機関もグル(悪だくみの仲間)です。
裁判は、法律論で結論付けられる。人間の感情は度外視される。どがいし:無視される。
そうか、あれは、嘘(うそ)だったのか。
昔は、『(秘密を)墓場まで持って行く』と言ったものですが、最近は、持って行かない人が出てきました。
お互いに権利義務関係がなくなって、生活の糧(かて。お金)の心配がなくなると、がまんしていたものをがまんしなくてもすむようになります。
事故や事件を実行した関係者が亡くなると、公表の自由が保障されたりもします。
本当のことがわかる世の中に変化してきています。
それでも、亡くなった命が生き返ることはありません。人の世は非情です。
事実を確認できる証拠が示されていきます。
一般的に事件とか、事故の真実には、驚くべきものがあります。
本当のことは、当事者とそのそばにいて深く関りになる立場の者にしかわかりません。(報道等は、うわべだけのことです)。数式を解くように、公式とか論理で事実が進行していくわけではありません。
まさか、そんなことがあったのか、(普通は考えられないチョンボ(失策、エラー。うっかりミス))ということがあります。
あわせて、トラブルとか、チョンボは、単体で順番に起きるわけではありません。
複数のチョンボが、同時進行で、起きます。関連のないものが、最後に関連をもって、大きな事故や事件につながります。
だから、責任者の立場にある人は、危機管理の気持ちをゆるめてはいけないのです。チョンボは避けられません。だけど、被害を最小限に食い止める努力は、毎日必要です。
読みながらそんなことを考えました。
自衛隊は本当に国民を守ってくれるのだろうか。
自衛隊が守るのは、自衛隊という組織と自衛隊の関係者だけではなかろうか。
同様に、警察も、警察という組織と警察職員を守るためにあるのではなかろうか。
読んでいると、いろいろな不信感が増幅していきます。
マスコミも同様のパターンに思えてきます。
それが人間界の現実と限界なのでしょう。
考えが、『人間とは何か』にまで及んでいきます。
お金もうけは、じょうずに人心をあやつって、できるだけ多くの人から薄く広くお金を集めた人が成功するものと思えてきます。
日航ジャンボ機は、神奈川県にある横田基地に緊急着陸したかった。
だれかが、あるいは、どこかの組織が、その願いをはばんだ。
横田基地への着陸をあきらめたジャンボ機は、長野県内にあったレタス畑に着陸を考えた。それもかなわなかった。
証拠隠滅のために、自衛隊の特殊部隊が、証拠を焼いた。(第4エンジン)。
ジャンボジェット機に備え付けられていたブラックボックス(ボイスレコーダーとフライトレコーダー)を調べればわかるが、非公開となっている。情報開示をしない。もし公開しても、改ざん(変更)された情報が発表される可能性がある。
そんなことが書いてあります。
結局、権力者と権力を持つ組織は信用できない。
彼らは、自分たちの都合のよいように、歴史を書き換えてしまう。(外国ではありそうなことです)。
『第4章 日本経済墜落の真相』
プレゼンス:存在感。
歴史が流れていく中で、衰退していく日本企業の経済活動を解説されています。
繁栄を誇った1980年代(昭和55年代)がありました。
日航ジャンボ機墜落事故が、1985年(昭和60年)8月12日です。
同年9月22日プラザ合意(ニューヨークにあるプラザホテルに先進5か国の代表者が集まって、日本円の急激な円高をもたらす合意がなされた。1ドル240円台が、1987年年末に120円台まで円高になった。日本の輸出商品の現地価格がとても高くなった。(円高は、日本経済にマイナスの影響を与える)。輸出総額が年々減っていった。
1986年(昭和61年)9月2日に、日米半導体協定が締結された。(わたしは、この部分を読んでも理屈を理解することができませんが、世界シェア50%を超えていた日本の半導体産業は、このあとぼろぼろになったと書いてあります)
日航ジャンボ機墜落事故の原因をボーイング社に押し付けた反動(反作用)として、日本は米国の要求を飲んだという理屈立てになっています。
読んでいて、なかば信じられないのですが、現実には、そういうことってあるのだろうなあという気分になります。
責任は取りたくないけれど地位と名誉とお金が欲しい人が責任者になっているという構図です。あれこれ、策略を考えて、自分や自分の組織だけのために作戦を立てて実行する人です。
著者は、政府とか、国の幹部職員、日銀のやりかたを批判しています。
わたしもリアルタイムであの渦巻の中にいるような時代にいたわけで、思い出してみると、住宅ローンは高金利であり、ああもう自分は、一生、中古マンションも買えないとあきらめた時期がありました。
株式の持ち合い:取引関係にある企業間で、お互いに株式を持ち合う仕組み。企業の乗っ取り防止策。
不動産担保金融:金融機関が不動産を担保にとって融資をする。
不良債権:担保割れ。担保にした不動産に十分な価値がない。
2001年(平成13年)4月自民党総裁選がありました。小泉純一郎首相が誕生しました。
そのときのニュース番組でのご自身の質問発言をとても後悔されています。そのことが、小泉純一郎内閣の誕生につながったと判断されています。メンバーは、橋本龍太郎氏、麻生太郎氏、亀井静香氏、小泉純一郎氏です。コメントをしていた著者の前振りの言葉を起点にして、そのとき、小泉純一郎氏から、『私は自民党をぶっこわす。構造改革だ!』という発言が飛び出しています。小泉劇場が開幕したとあります。
アメリカ合衆国有利の政策がなされた。日本はアメリカの言いなりになった。
郵政民営化と不良債権処理だった。
元本保証のある郵便貯金を、元本保証のない投資信託に誘導する。
国民がコツコツ貯めてきたばく大な郵便貯金を、投資に回してもらって、そのお金を外国のハゲタカ組織が狙う(ねらう)という構図を解説されています。
読み終えると、もう日本の未来はだめなのかなあと、元気がなくなる本でした。
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