2024年12月08日

農林水産省の食堂でお昼ご飯を食べる。

農林水産省の食堂でお昼ご飯を食べる。

 なにかテーマをもってめざしたわけではないのですが、結果的に、東京見物に行ったときは、官公庁がらみの施設の食堂で、職員さんたちといっしょに並んでお昼ご飯を食べるようになりました。
 これまでに、JICA(ジャイカ。国際協力機構。市ヶ谷。お隣が防衛省で、制服姿の自衛隊員の姿があります)、国立国会図書館(お弁当持参の職員のために、広いテーブルだけの席が用意されていました)、気象庁(虎の門。カツカレーがお勧めですという案内がありました)、そして今回が、農林水産省です。いくつか食堂があるのですが、入館するために必要な受付票を書かなくてすむ、『咲くら(さくら)』という食堂に入りました。おとなりに蕎麦屋(そばや)もありました。

 システムとしては、丸亀うどんみたいに、列をつくりながら、最初にお盆をもって、自分が食べたいお皿(料理がのっている)をお盆にのせていき、最後のほうで、ごはんの大・中・小とかみそ汁を選んで、現金で支払いです。
 定食は別途注文して、できあがったら受け取ります。

 次の写真は、クジラ料理です。その次の写真が、カキフライとヒレカツです。いずれも定食です。
 夫婦で注文して、ふたりでシェア(ワケワケ)しながら食べました。
 お昼時は、職員さんたちで混むので、午後1時半ごろお店に入りました。(昼の部は2時までです。朝と、夜の時間帯も営業されています)。
 農林水産省の建物の北別館入口で、警備員に、『観光客ですが、ごはんだけ食べにきました』と告げて(警備員のそばに、お店のメニューが書かれた大きな看板が立ててあります)、お店に入ったら、従業員に、『初めて来ました』と声をかけて、注文のしかたを教わってやりました。午後1時半ごろだったので、食事をする職員は、まばらでした。いかにも公務員という感じの服装・眼鏡姿の人がいました。

 クジラの肉は、こどものころに良く食べました。
 当時は、熊本県の天草(あまくさ)という島に住んでいて(まだ、天草五橋(あまくさごきょう)は、できていませんでした)、冷凍されたクジラ肉を薄く切って食べていました。刺身ですな。醤油をつけて食べていた記憶です。おいしかった。自分はまだ、就学前の6歳児ぐらいだった記憶です。
 今回こちらの食堂で食べたクジラ肉は柔らかくておいしかったです。カキフライもヒレカツもおいしい。農林水産省ですから、日本各地の名物を取り寄せて料理して出しておられるのかなと想像しました。時間的に混んでいなかったので、また同じような時間帯に来てもいいかなと思っています。次回の職員・学生食堂訪問候補地は、東京大学の本郷キャンパスか駒場キャンパスがいいかなと作戦を立てています。思い出づくりの余生を楽しむ東京見物をときどきしています。なお、財務省の食堂のごはんもおいしいと聞きました。







 食事のあと、付近を散策して楽しみました。
 次の写真は、法務省の古い建物です。
 こういう形式、色合いの建物は、全国各地で見かけます。
 愛知県だと、県庁とか名古屋市役所の本庁舎がそうです。そのそばには、今年のNHK朝ドラ、『虎に翼』にも登場した名古屋市市政資料館もあります。以前は裁判所でした。
 先日福岡県を訪ねたときには、福岡市赤煉瓦文化館(あかれんがぶんかかん)とか、旧福岡県公会堂貴賓室が類似の形態をした建物でした。



 次の写真は、警視庁です。
 水谷豊さんの刑事ドラマ、『相棒』でよく映像に出てくる建物です。
 東京都を管轄するのが、警視庁で、全国を管轄するのが、警察庁と覚えています。警察庁はどこにあるのだろうかと調べたら、警視庁のお隣にありました。ふつうのビルでした。まあ、よく考えたら、そういうレイアウトだわなと。だからドラマでは、お互いの職員が、すぐに警察庁の幹部室で会えるわけかと納得しました。
 わたしは現役で働いていた頃は仕事で忙しく、テレビは二十年間ぐらいニュースと天気予報ぐらいしか見たことがありませんでした。
 リタイヤしてテレビを見るようになって、『相棒』のようないいドラマがあったことに気づきました。昔の放送をさかのぼって順番に見て、知らずに過ぎた二十年間をふりかえる作業を楽しんでいます。



 次の写真は、皇居です。桜田門から入りました。
 この日はいいお天気で良かった。お堀も空もビューティフルです。東京駅方向に建つビルの林です。ほんとうに東京は高層ビルがいっぱいです。びっしり建っています。
 毎年11月末から12月の始めはお天気が安定しています。穴場の行楽時期です。昨年は、鹿児島市を訪問して、桜島の美しい景色を楽しみました。



 次の写真は正門石橋です。その奥に鉄製の正門鉄橋がかかっています。ふたつを合わせて通称で、『二重橋』と言っているというような説明が書いてありました。正式には、『めがね橋』とか、『(石橋を)二重橋』とはいわないようです。
 わたしが初めてこの場所に立ったのは12歳のときでした。親戚の叔父さんや叔母さんたちと東京見物に来ました。浅草にも行きました。そのときいっしょだった叔父さんも伯母さんも寿命で亡くなってしまいました。今生きておられたら100歳ぐらいです。12歳だったわたしも前期高齢者の年齢になってしまいました。時がたつのは早いものです。



 次の写真は、楠木正成(くすのき・まさしげ)の騎馬像です。
 楠木正成は、足利尊氏(あしかがたかうじ)と協力して鎌倉幕府を倒しましたが、その後、足利尊氏と対立して、戦(いくさ)で足利尊氏に負けて自害(じがい。自ら(みずから)命を絶つ)しました。楠木正成は自分を認めてくれた後醍醐天皇(ごだいごてんのう)に強い恩を感じていました。後醍醐天皇を裏切ることはありませんでした。後醍醐天皇と対立した足利尊氏は長いこと逆賊扱いでした。(ぎゃくぞく。主君(天皇)に反抗した悪人)。
 1991年NHK大河ドラマ『太平記』のときは、武田鉄矢さんが楠木正成を演じていました。熱演でした。どうして、負けることがわかっているのに戦(いくさ)をするのかと問われて、『戦(いくさ)というものは、勝つからする、負けるからしないというものではない。戦(いくさ)というものは、ただひたすら、自分が愛する人や家族のために命をかけて戦うことだ』と言い切りました。いいセリフでした。人間は、『理屈』で生きているんじゃなくて、『気持ち』で生きているのです。








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