2024年12月23日

福岡市 筥崎宮と東公園あたり

福岡市 吉塚駅付近の散策 筥崎宮(はこざきぐう)と東公園(ひがしこうえん)あたり

 博多から名古屋へ帰るために予約した新幹線の発車時刻までに余裕があったので、博多駅のお隣の吉塚駅で途中下車して、筥崎宮(はこざきぐう)と東公園あたりを散策しました。

 ことし、いつだったか、こちらの神社のあじさいの紹介記事をどなたかのブログで見ました。それが、今回の見学のきっかけです。あじさいの時期ではないので、枯れた畑のようになっていましたが、来年はまたたくさん咲いて、訪れる人たちの心を和ませてくれるのでしょう。(なごませてくれるのでしょう)



 境内は(けいだい)は広くて清潔で、すがすがしい雰囲気が気持ち良かった。
 説明などを読んでいると、このあたりも含んで広い範囲が、鎌倉時代の元寇(げんこう)のときに戦場になったそうです。元(げん)=モンゴル
 1274年 文永の役(えき) 第8代将軍北条時宗のときです。北条時宗は、1251年-1284年34歳没
 元(げん)の皇帝が、フビライ・ハン。元軍3万2000人が来たと、わたしの個人的な歴史ノートにメモがしてあります。
 1281年 弘安の役(えき) 元軍が14万人来たと同じくノートにメモがあります。壮絶な戦いがあったのでしょう。
 鎌倉幕府の滅亡が、1333年です。新田義貞が、鎌倉に攻め込んでいます。



 『わらじ信仰』という掲示と展示があって、珍しいなあと思い写真を撮りました。
 手足の守り神だそうです。手足の病気が治りますようにでしょう。(なおりますように)



 ちびっこがはくような、小さなわらじがたくさん吊るして(つるして)ありました。



 筥崎宮(はこざきぐう)で参拝したあと、吉塚駅のそばにある、『東公園』を訪れました。
 次の写真は日蓮上人(にちれんしょうにん)の像です。
 わたしの大昔の記憶です。わたしが中学生だったころですから、半世紀ぐらい前のことです。
 福岡県の中心部にある筑豊地区から国鉄で博多駅を目指すと、直通で博多駅まで行く列車が、当時はありませんでした。終点は、博多駅のひとつ手前にある、『吉塚駅』でした。同駅で、鹿児島本線を走る列車に乗りかえて、博多駅へ行っていました。直接博多駅まで行けるといいのになあといつも思っていましたが、いつの間にか、直接行く列車ができていました。わたしが、福岡県を離れてからできたのでしょう。
 中学生の時は、博多駅に行く列車を吉塚駅のホームで待つ間に、この日蓮上人の像が、ホームから見えたような記憶があります。もうずいぶん前のことなので自信がありませんが、たぶんこの銅像だったと思います。
 今は、間(あいだ)にビルがたくさん建っていて、駅や車窓からこの像を見ることは無理です。
 1253年:日蓮上人が、法華宗(ほっけしゅう)を開く。翌年、『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』を出す。日蓮上人は、1222年-1282年60歳没



 東公園のまんなかあたりに、青森県にある奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)みたいな雰囲気のところがありました。けっこう広い。
 若いちょっとコスプレみたいなファッションをした女子たちが、インスタ映え(インスタばえ)する写真を撮りたいのか、あちらこちらで、自撮りなんかをしていました。以前、千葉県の稲毛海岸(いなげかいがん)あたりで見かけたコスプレの若い男女のみなさんのようなイメージのかっこうをされていました。
 そのあたりの風景は、紅葉している木々も含めて、自分は青森で本物の奥入瀬渓流を見たことがあるのですが、よく似ているなあと感心しました。意図的に似せてつくってあるような印象があるのですが、本当のところはわかりません。製作のヒントにはなっていそうです。



 次の写真のお水が落ちてくるところでは、手前にあるベンチに座って、水音を聴きながらぼーっとしていると気持ちがいやされます。
 全体的なこととして、こちらの公園にいると、『平和』を実感できます。



 きれいなお花が咲いていました。
 左方向に向かって、お花畑になっていて、何種類かのお花が咲いていました。
 背景は、福岡県庁の建物です。



 日蓮上人のほかにも、立派な銅像がありました。
 小高い丘の上にすっくと立っておられます。
 『亀山上皇(かめやまじょうこう)』というお方でした。
 もしかしたら、昔、吉塚駅のホームから見えたのは、日蓮上人の銅像ではなくて、こちらの亀山上皇の銅像だったのかもしれません。でも、位置的には、日蓮上人のような気がします。まだ、こどもだったときの記憶なので、おぼろげです。







 公園内では、学生さんたちが、かけっこの練習をしていました。なかなか元気があって良かった。
 長距離の練習らしく、公園まわりを周回している道を、早いスピードで、みんなやせておられて、しゅしゅーーと駆けておられました。若いっていいなあ。ときおり皆さんの歓声があたりに響いていました。一周回り切ったのか、タイムなのか、なにか目標を達成された瞬間なのでしょう。

 あとは、東南アジア人の若い男女のグループが、ちょっとした広場で、楽しそうにはしゃいでおられました。日本は平和ですからねーー 日本での暮らしを楽しんでくださいな。

 福岡県は、歴史や文化が重厚な県ですな。
 上の写真に書いてある文章を読んでいて、ここに来る前に、筥崎宮(はこざきぐう)で、この銅像の原型になった木彫像を見学したことを思い出しました。上皇様、そして、戦(いくさ)の時や銅像設置のときの当時の関係者の方々にも、ありがとうございます。みなさんのおかげで今の日本がありますと感謝申し上げます。

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