2023年03月02日

大分別府温泉定期観光バス地獄めぐり

大分別府温泉定期観光バス地獄めぐり

 たくさん写真を撮りました。
 いいお天気で良かった。



























































 湯けむりがいっぱいです。
 別府は温泉の町です。
 人口が11万人ぐらいと聞きました。
 都市部に住む人間からすると少ない人口数です。
 少人数でも、よく、自治体として成り立って、国際観光都市としての管理運営をされていると感心しました。

 定期観光バスは、3時間コースで、午前と午後の2回あるパターンです。同じコースです。
 集団行動なので、行動制限はありますが、別府市内を山から海へと遊覧する形で、効率よく別府の街並みを知ることができました。ありがとうございました。
 利用したバスは満席でした。たしか40人参加でした。ガイドさん付きでした。
 ネットで予約して、乗車前日の別府駅到着時に駅構内にある窓口で乗車券を購入したのですが、もしキャンセルするとその窓口では払い戻しができなくなる(そこからだいぶ離れたバスセンターでないと払い戻しができない)と説明がありました。たまに、なにか、トラブルがあるのでしょう。翌朝、乗車直前の購入を勧められました。
 自分たちは、キャンセルはしないので、必ず乗車しますとお話しをして乗車券を購入しました。
 翌朝、乗車20分前ぐらいに指定のバス停に立った時は、お客さんが8人しかいなかったのですが、乗車時刻が近づくにつれて、乗車待ちのものすごく長い行列ができあがりました。びっくりしました。
 地獄めぐりをしていたときの光景として、一般の路線バスで回っている人たちは、バス停でのバス到着待ちが手持ちぶさたで退屈そうでした。(手持ちぶさた:やることがない)
 自家用車やレンタカー利用者の駐車場はけっこう車が止まっていました。
 平日でしたが、観光客の数は多い。とくに女性、そして、アジア系外国人の方が多い。
 コロナ禍は、確実に終息に向かっています。

 もう30年以上前の話になりますが、高齢ですでに亡くなった義父母のふたりが、観光タクシーで、この地獄めぐりを体験したことがあります。
 九州の人たちは、(都会人と違って)性格がのんびりしていていいなあとおやじさんが言っていたことが思い出されます。
 月日が流れて今度は、当時の義父母たちよりも歳(とし)をとってしまった自分たち夫婦が、同じ場所を巡りました。
 人生は順繰り(じゅんぐり)に回っていきます。  

Posted by 熊太郎 at 07:08Comments(0)TrackBack(0)大分県

2023年02月28日

大分別府駅前での失敗

大分別府駅前での失敗

 次の写真で銅像になっている方は、昭和3年(1928年)に別府温泉地獄めぐり遊覧バスのシステムをつくられた郷土の偉人だそうです。油屋熊八さんです。後ろに小鬼をぶらさげて飛んでおられます。(この銅像の横で熊八さんと同じポーズをとって、うかれながら写真撮影を繰り返していた熊太郎夫婦でした。そのあと十五分ぐらいがたってから、心臓が止まるかと思うほどのハプニングに見舞われました)



 熊八さんの銅像の右側に、温泉の湯が湧き出ている(わきでている)モニュメントがあります。
 (モニュメント:記念のための造形物)
 次の写真がその外観です。



 次の写真が、モニュメントの中です。
 『手湯』とあります。読みがわからないのですが『てゆ』なのでしょう。
 温泉の湯が湧き出ています。



 夫婦ではしゃぎながら写真撮影を終えたあと、駅前のホテルでチェックイン手続きをしていました。
 ふと、気づいたのです。
 自分が持って来た3個の荷物のうちのひとつがないのです。消えたのです。
 慌てました(あわてました)。
 置き引きにあったと思いました。(誤解でした)
 なくなった麻袋の手さげの中には、親戚のちびっこたちにプレゼントする絵本が6冊、ドラえもんとドラミちゃんのぬいぐるみが4体、お手製の絵描き歌の原稿が2セット、それから、ついさきほど別府駅構内で買ったばかりのおみやげのお菓子が入れてありました。
 貴重品ではないけれど、重たかったので、なくしてがっかりしました。
 愛知県から大分県経由で福岡県まで手で持って行くことで、効率は悪いけれどいい思い出にはなると思って、がんばって運んでいたのです。
 いつどこで荷物がなくなったのか、まったく思い出せないまま、どうしょう、どうしようと頭の中はなにかがぐるぐる回るばかりでどうしていいのかわかりません。
 深呼吸をして、もう見つからないだろうと覚悟を決めて、ほかの荷物を見ていてもらうように妻に頼んで、ホテルのカウンターから、駅前のさきほどの熊八さんの銅像のところまでダッシュで走りました。

 ありました! お目当ての自分の麻の手さげ袋が!! 感激しました。
 さきほどの写真『手湯』のところに、麻の手さげ袋が、ちょこんと、きれいに、かっこよく、立っち(たっち)していました。中身も全部ありました。
 大分県は、なんて安全な町なのだろうかと再び感激しました。
 (これが、海外旅行だったら、持って行かれて、もう出てこないのだろうなあ……)  

Posted by 熊太郎 at 06:49Comments(0)TrackBack(0)大分県

2023年02月26日

大分別府へ行く 2023年1月からプランづくり

大分別府へ行く 2023年1月からプランづくり

(以下の文章は1月につくりました)
 2月に用事があって夫婦で福岡県内の親族宅を訪れるのに合わせて、前日に別府温泉へ行くことにしました。
 自分は、とても若かった大昔に、別府駅へは行ったことがありますが市街地は知りません。
 高校一年生15歳だった夏に、クラブ活動で、大分・熊本に広がるくじゅう連山(くじゅうれんざん)に登って数日間キャンプをしたあとの帰路、別府駅で電車の乗り換え時間待ちをしました。
 上級生からまずは自分たちが市街地にある温泉に入ってくるので、下級生はリュックサックなどの荷物番を駅構内でするようにと指示されて、ずっと待合室で先輩たちの入浴帰りを待っていただけです。
 帰って来た先輩たちにフロに行って来ていいと勧められたのですが、当時の自分は、ものぐさ(めんどうがる人)だったので、いいですと断った記憶があります。行けばよかった。
 歳(とし)をとってしまったけれど、今度こそ別府市内で温泉に入ってやろうという意気込みです。

 名古屋駅から新幹線で小倉駅(北九州市内こくら駅)まで行き、同駅からJR特急ソニック大分行きで、別府駅まで行きます。(行ってみてからの追記として:小倉駅で、進行方向と逆方向になってしまう列車の座席の方向を、ステップ部分を踏んづけながら、乗客たちの手で『よいしょ』と、みんなで協力して回転させながらひっくり返します。ちょっとびっくりしました)

(つづく:以下の文章は2月につくりました)

 さて、前記の文章をつくってからひと月ぐらいが経過して、2月下旬の明日、とりあえず大分別府温泉へ出発です。
 何度か見学場所のプランを組みなおして、最終的に、宿泊した翌日は、午前中に定期観光バスに乗って、温泉地獄めぐりコースに参加することにしました。楽しみです。

(以下が、帰宅後の報告です)

 初日の移動日は、新幹線の車窓から見えた滋賀県にある琵琶湖の南側あたりですが、大雪が降っていてびっくりしました。窓の外は、まるでスキー場のようでした。次の写真は、たぶん近江八幡市(おうみはちまんし)あたりです。











 このあと車窓から見える外の風景はお天気が回復して曇り空でした。
 されど、目的地の別府へ着いたら、いきなり雪をかぶった山(鶴見岳あたり)の景色が、目に飛び込んできたのでびっくりしました。
 九州大分でも雪山を見ることができます。翌朝の朝食では、ホテルの朝食会場から雪山が見えて、まるで長野県の松本市とか、大町市(おおまちし)にいるような錯覚を体験しました。でも、そのあとの温泉地獄めぐりは晴天(せいてん)の素晴らしい快晴で良かったです。運(うん)に恵まれました。
 次の写真は別府駅前です。奥に鶴見岳(つるみだけ)と右に扇山(おうぎやま。通称だそうです。正式名は大平山)です。なにもない三角斜面で、三月下旬か四月上旬あたりの春に山焼きがあるそうです。







(つづく)
 文章と写真の用意ができたら、順次、三泊四日だった大分県・福岡県内の旅の風情(ふぜい。ようす)などをご紹介します。


(後日の追記)
 思い出したことがあるので書き足しておきます。

 新幹線車内の乗客の人たちの中で、テキパキと1人で移動をされている方が多いので感心しました。みなさん、頭脳優秀な方たちだと思います。とくにお若い女性の動きがいい。
 大きなスーツケースを自由自在に操って(あやつって)動かします。スーツケースをじょうずにコントロールされています。見ていて気持ちがいい。
 座席の予約もスマホやクレジットカードを使用して、パッパとやられるのでしょう。ビジネスなのでしょうが、旅の移動に熟練されています。
 シートに着席したあとも、靴を脱いで足を休めて、たんたんと毛糸の編み物をされていて、たいへん感心しました。

 広島市近くで、窓の外にプロ野球のマツダスタジアムが見えました。
 去年、仙台で楽天のスタジアムを見ました。同じ赤系統のスタジアムで似ているなと感じました。
 以前、昔の広島球場に行ったときのことを思い出しました。地元の中学生たちの野球大会が開催されていました。もう今は球場もなくなったのでしょう。

 大分県の中津を通過していたときに福沢諭吉のふるさとですというような案内がありました。
 二年ぐらい前に『学問のすすめ 福沢諭吉 斎藤孝・現代語訳 ちくま新書』を読んだことを思い出しました。以下はそのときの読書メモの一部です。
『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』
 武士出身の福沢諭吉さんが、江戸時代における士農工商制度を否定するところに、明治維新の気概を感じます。(気概:きがい。やる気。強い気性)。また、バランス感覚がすばらしい。「これからは、日本中ひとりひとりに生まれつきの身分などといったものはない……」とあります。
 生まれたときにはみんな平等ということに続けて、それなのに、世の中は不平等だとつながっていきます。その違いはどこからくるのか。「学ぶか学ばないかによって決まる」と明快な答えが書いてあります。「人は学ばなければ、智(ち:物事をよく理解して、正しく判断して、対応すること)はない。智のないものは愚かな人である」とあります。
 鎖国だとか、攘夷(じょうい。外国を追い払う)だとか、心の狭い対応をしていてはいけない。世界はひとつだ。みんなで協力しようというような趣旨の記述もあります。

 特急ソニックの車窓から見える景色は、広がるたんぼ、ぽつりぽつりと建つ二階建ての一戸建て、ところによっては、江戸時代からほとんど風景が変わっていないような雰囲気のところもありました。とにかく、いなか風景が続きます。ここに生まれて、ここに育ち、人生を終えていく。そんな思いにふけりました。

 到着後、別府のホテルで温泉につかっていい気持ちになりました。
 温泉につかってまったりしていると、これまで生きてきて良かったなーーという気持ちになれます。  

Posted by 熊太郎 at 07:13Comments(0)TrackBack(0)大分県

2008年11月16日

大分県旧中津江村

大分県旧中津江村(現在日田市)

 昨日、静岡県のエコパを掲載したときに、ワールドカップに出場したカメルーンの選手たちが合宿した大分県旧中津江村へ3年前に行ったことを思い出したので記述してみます。
 目指したのは鯛生(たいお)金山でした。季節はちょうど今頃、11月下旬の3連休でした。その日は、豪雨でした。あいにく写真はありません。
 そのとき鯛生(たいお)金山にはふるさと創生1億円事業で製作された金の雌雄の鯛が展示されていたのですが、わたしたちが坑内で見学した数か月後に盗まれました。実はわたしはそのときに、警戒のゆるさを感じ、そのうち盗難に遭うのではないかと危惧したのでした。なにせ山奥で、人気(ひとけ)が無く、夜はだれも近寄ることもなかったことでしょう。
 行程では、車で阿蘇方面から菊池渓谷を北上してきて、道に迷い、さらに道を間違えてしまい、奥深い山間部の山肌に沿った林業関係者のみが通るような幅の狭い道を、空に上り詰めるような感覚で、豪雨に打たれながら、右へ左へとひたすらハンドルを切りつつ、対向車が来ませんようにと祈り、早くこの峠道を抜けたいとものすごい緊張感でした。上って下って道をはずれたところにようやく観光地の鯛生(たいお)金山がありました。
 真紅の紅葉が真っ盛りでした。激しい雨に打たれながら木々の葉が濡れて揺れていました。
 どこもかしこも山また山で、いったいどこにカメルーンの選手たちが練習したグランドがあるのかは見当もつきませんでした。  

Posted by 熊太郎 at 16:19Comments(0)TrackBack(0)大分県