2024年12月26日
くちびるに歌を 邦画 2015年
くちびるに歌を 邦画 2015年(平成27年) 2時間11分 動画配信サービス
監督:三木孝浩
出演:新垣結衣、木村文乃、桐谷健太、葵わかな、石田ひかり、角替和枝、井川比佐志、渡辺大知、木村たえ、
本は読んだことがあります。映画と本は話の設定がいくぶん異なるところがありました。
映画は、ぎくしゃくした雰囲気で始まります。感じの悪い産休対応音楽担当教員です。
とりあえず、以前本を読んだ時の感想メモが残っているので一部をここに落としてみます。
(本の感想 2012年(平成24年)2月の読書メモから)
『くちびるに歌を 中田永一 小学館』
素材はテレビ局の全国学校音楽合唱コンクールです。小説中に出てくる内容の本として、『拝啓 十五の君へ アンジェラ・アキと中学生たち ポプラ社』を読んだことがあります。15歳の中学生が15年後の自分へ手紙を出すのです。
舞台は長崎県五島列島です。佐世保市や諫早市(いさはやし)も登場します。
中学校の全校生徒数は150人となっています。一学年50人ぐらいです。コーラス部ですから登場人物はたくさんです。小説はひとりひとりの語りとなっています。
合唱部担当の先生は松山ハル子先生ですが出産のため産休に入っています。臨時講師が柏木先生ですが、松山先生と彼女の夫を争った三角関係のうちのひとりになっています。
柏木先生は美人の音楽教師という設定です。
主人公は桑原サトルです。サトルの兄は自閉症です。自分の世界に閉じこもっているので周囲との調和がありません。サトルの仕事は兄の面倒を見ることです。サトルの男友だちが向井ケイスケと三田村リク(柔道部にも在籍)です。サトルは存在感が薄い小柄な生徒です。
コーラス部の部長は辻エリです。仲村ナズナの母親はナズナが小学生のときに病死しています。父親は嘘つきのろくでなしで、ナズナを祖父母に預けて家を出ていったきりです。
学校にいるとき、生徒は平等です。同じ制服を着て同じ教科書を使用して同じ給食を食べることができます。学校の外へ出たひとりひとりの生徒は、それぞれが悩みをかかえています。家庭環境が普通の家のほうが珍しい。自立や自活ができる年齢でもなく、思い通りにならない葛藤がだれしもあります。
いくつかの要素が織り込まれている小説です。人は集団の中でけん制しあいながら育つ。性への興味。宗教。大人への成長過程。日本列島の僻地(へきち)に生まれた者の苦労。さびれていくふるさと。障害者をもった家族の苦悩。いろいろな要素をかかえて中学生たちは合唱コンクールへ精神を集中させていきます。後半は泣けます。241ページで「緊張を集中力に替える(かえる)とぞ!」、「悔いなく(くいなく)出し切るばい!」で九州弁の効果ありです。
仲村ナズナの亡母親に対する思いは深い。ナズナさん、立派なおかあさんになってください。
ことしのいつだったか、NHKでアンジェラアキさんと五島列島の昔十五歳だった現実のこどもたちも出て、この十五年間を振り返る番組を見ました。『拝啓十五の君へ ~三十歳になったわたしからのメッセージ~』という番組でした。
それぞれ、十五歳の時に書いた三十歳の自分への手紙を読み上げながらこれまでの十五年間を振り返ったのでした。しみじみするものがありました。
さて、映画の感想に移ります。
いい映画でした。今年観て良かった一本になりました。
いなかのこどもと、都会とその周辺に住むこどもは、ずいぶん違う育ち方をします。
わたしも、長崎五島のような島で短期間ですが、小学生、中学生の時期を過ごした体験があるので、映像を観ながら実感が湧きました。
海、山、太陽、自然が豊かです。
海に囲まれた島ですが、大きくて立派な家屋がたくさん建っています。大工さんはたいしたものです。
五島列島の旅は、東野&岡村の旅猿とか、出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?という旅番組でも楽しみました。
まじめな映画です。
いくつもいいなあと思うセリフがありました。
『男が、いようがいまいが、あなたたちのレベルで全国行けるわけないでしょ!(合唱部に男子が入部することになって、女子から反対が出たとき)』
『先生は、生きている意味って、考えたことありますか?(『役割』の話です。生まれるときは、『この世での役割』をもって生まれてくるのです)』
障害のある兄をもつ桑原サトルくんが書いた手紙は、涙なしでは読めません。いい映画です。
『十五歳のユリ(音楽教師新垣結衣さん)は、(三十歳のユリに)ピアノを弾いてほしいと待っていると思うよ(精神的なショックでピアノを弾けなくなっているユリさんがいます)』
セリフではありませんが、ときおり黒板の横に掲示してある掲示物が映ります。『勇気を失うな。くちびるに歌をもて。心に太陽を持て。』(そのとおりです)。
『泣かんとよ。前進、前進(船の汽笛にからめてあります)』
『あの子たちのために(ピアノを)弾いてみようと思わないか!』
『逃げるな! あなたは、ここで闘いなさい!(たたかいなさい)』
『あんたがおってくれてよかった。ありがとう』
『(せんせぇー(先生)に向かって生徒たちが)笑ってーー!』
ヤングケアラーがいます。(障害者の兄の面倒を中学三年生男子がみる。就労場所から自宅までの付き添いをする役割をする。なんとなく、先日観たドラマ、『ライオンの隠れ家(かくれが)』に似ています。ヤングケアラーはつらい。見ていて手助けしてあげたくなりました)
映像で出てくる(たぶん小学校の)卒業文集が、わたし自身のものとそっくりなので、なつかしかった。もう半世紀以上前のものですが、わたしの小学校の卒業文集は、いまノートパソコンを打っている左の本棚の中にほかの卒業アルバムとともに並んでいます。
歌が、折れそうな心を支えてくれます。
ガラ系の携帯電話、そして、スマホも出てきました。映画は、ちょうど、携帯電話の機種が変化している時期でした。
新垣結衣さんは、映画の中で、えらい古い車に乗っています。
なつかしい。そうじ道具のほうきをバットにして、教室で野球遊びをしています。自分もやったことがあります。
おもしろいなあ。
年齢は違うとはいえ(音楽担当女教師と15歳の女子中学生)、女同士の会話での、かけひきがおもしろい。こどもたちの心がまっすぐなのがいい。
今では有名な女優さんでも、映像の中ではまだ中学生役です。また、すでにお亡くなりになられた俳優さんも出ています。俳優さんは亡くなっても、残された作品の中で生き続けます。
アル中で、老いた親の財布からお札(おさつ。紙幣)を盗むだらしない父親がいます。
ただ、それを否定はできないのです。そういう人っています。どこの親族でも、困り者の人物というのはいます。それが人間界でのありきたりな出来事です。親族としては、どのような人物でも、ありのままで付き合っていくしかないのです。しょうがないなあ。まあいいかとあきらめるのです。ろくでなしだけどしかたがないのです。それが現実です。
わたしの考えですが、祈るだけでは救われません。
冷たいようですが、神さまはいるようでいません。自分とみんなでがんばるしかないのです。
壺井榮作品、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』を思い出しました。名作です。
映画では、長崎市内の夜景の映像がきれいでした。
わたしは九州で暮らしていたことがあるので気づくのですが、九州弁が、少しずつ言い方が違うかなあと感じました。まあ、いいかです。
映画の最後は、『命』で締めます。そして、『愛情』で包みます。
監督:三木孝浩
出演:新垣結衣、木村文乃、桐谷健太、葵わかな、石田ひかり、角替和枝、井川比佐志、渡辺大知、木村たえ、
本は読んだことがあります。映画と本は話の設定がいくぶん異なるところがありました。
映画は、ぎくしゃくした雰囲気で始まります。感じの悪い産休対応音楽担当教員です。
とりあえず、以前本を読んだ時の感想メモが残っているので一部をここに落としてみます。
(本の感想 2012年(平成24年)2月の読書メモから)
『くちびるに歌を 中田永一 小学館』
素材はテレビ局の全国学校音楽合唱コンクールです。小説中に出てくる内容の本として、『拝啓 十五の君へ アンジェラ・アキと中学生たち ポプラ社』を読んだことがあります。15歳の中学生が15年後の自分へ手紙を出すのです。
舞台は長崎県五島列島です。佐世保市や諫早市(いさはやし)も登場します。
中学校の全校生徒数は150人となっています。一学年50人ぐらいです。コーラス部ですから登場人物はたくさんです。小説はひとりひとりの語りとなっています。
合唱部担当の先生は松山ハル子先生ですが出産のため産休に入っています。臨時講師が柏木先生ですが、松山先生と彼女の夫を争った三角関係のうちのひとりになっています。
柏木先生は美人の音楽教師という設定です。
主人公は桑原サトルです。サトルの兄は自閉症です。自分の世界に閉じこもっているので周囲との調和がありません。サトルの仕事は兄の面倒を見ることです。サトルの男友だちが向井ケイスケと三田村リク(柔道部にも在籍)です。サトルは存在感が薄い小柄な生徒です。
コーラス部の部長は辻エリです。仲村ナズナの母親はナズナが小学生のときに病死しています。父親は嘘つきのろくでなしで、ナズナを祖父母に預けて家を出ていったきりです。
学校にいるとき、生徒は平等です。同じ制服を着て同じ教科書を使用して同じ給食を食べることができます。学校の外へ出たひとりひとりの生徒は、それぞれが悩みをかかえています。家庭環境が普通の家のほうが珍しい。自立や自活ができる年齢でもなく、思い通りにならない葛藤がだれしもあります。
いくつかの要素が織り込まれている小説です。人は集団の中でけん制しあいながら育つ。性への興味。宗教。大人への成長過程。日本列島の僻地(へきち)に生まれた者の苦労。さびれていくふるさと。障害者をもった家族の苦悩。いろいろな要素をかかえて中学生たちは合唱コンクールへ精神を集中させていきます。後半は泣けます。241ページで「緊張を集中力に替える(かえる)とぞ!」、「悔いなく(くいなく)出し切るばい!」で九州弁の効果ありです。
仲村ナズナの亡母親に対する思いは深い。ナズナさん、立派なおかあさんになってください。
ことしのいつだったか、NHKでアンジェラアキさんと五島列島の昔十五歳だった現実のこどもたちも出て、この十五年間を振り返る番組を見ました。『拝啓十五の君へ ~三十歳になったわたしからのメッセージ~』という番組でした。
それぞれ、十五歳の時に書いた三十歳の自分への手紙を読み上げながらこれまでの十五年間を振り返ったのでした。しみじみするものがありました。
さて、映画の感想に移ります。
いい映画でした。今年観て良かった一本になりました。
いなかのこどもと、都会とその周辺に住むこどもは、ずいぶん違う育ち方をします。
わたしも、長崎五島のような島で短期間ですが、小学生、中学生の時期を過ごした体験があるので、映像を観ながら実感が湧きました。
海、山、太陽、自然が豊かです。
海に囲まれた島ですが、大きくて立派な家屋がたくさん建っています。大工さんはたいしたものです。
五島列島の旅は、東野&岡村の旅猿とか、出川哲朗さんの充電させてもらえませんか?という旅番組でも楽しみました。
まじめな映画です。
いくつもいいなあと思うセリフがありました。
『男が、いようがいまいが、あなたたちのレベルで全国行けるわけないでしょ!(合唱部に男子が入部することになって、女子から反対が出たとき)』
『先生は、生きている意味って、考えたことありますか?(『役割』の話です。生まれるときは、『この世での役割』をもって生まれてくるのです)』
障害のある兄をもつ桑原サトルくんが書いた手紙は、涙なしでは読めません。いい映画です。
『十五歳のユリ(音楽教師新垣結衣さん)は、(三十歳のユリに)ピアノを弾いてほしいと待っていると思うよ(精神的なショックでピアノを弾けなくなっているユリさんがいます)』
セリフではありませんが、ときおり黒板の横に掲示してある掲示物が映ります。『勇気を失うな。くちびるに歌をもて。心に太陽を持て。』(そのとおりです)。
『泣かんとよ。前進、前進(船の汽笛にからめてあります)』
『あの子たちのために(ピアノを)弾いてみようと思わないか!』
『逃げるな! あなたは、ここで闘いなさい!(たたかいなさい)』
『あんたがおってくれてよかった。ありがとう』
『(せんせぇー(先生)に向かって生徒たちが)笑ってーー!』
ヤングケアラーがいます。(障害者の兄の面倒を中学三年生男子がみる。就労場所から自宅までの付き添いをする役割をする。なんとなく、先日観たドラマ、『ライオンの隠れ家(かくれが)』に似ています。ヤングケアラーはつらい。見ていて手助けしてあげたくなりました)
映像で出てくる(たぶん小学校の)卒業文集が、わたし自身のものとそっくりなので、なつかしかった。もう半世紀以上前のものですが、わたしの小学校の卒業文集は、いまノートパソコンを打っている左の本棚の中にほかの卒業アルバムとともに並んでいます。
歌が、折れそうな心を支えてくれます。
ガラ系の携帯電話、そして、スマホも出てきました。映画は、ちょうど、携帯電話の機種が変化している時期でした。
新垣結衣さんは、映画の中で、えらい古い車に乗っています。
なつかしい。そうじ道具のほうきをバットにして、教室で野球遊びをしています。自分もやったことがあります。
おもしろいなあ。
年齢は違うとはいえ(音楽担当女教師と15歳の女子中学生)、女同士の会話での、かけひきがおもしろい。こどもたちの心がまっすぐなのがいい。
今では有名な女優さんでも、映像の中ではまだ中学生役です。また、すでにお亡くなりになられた俳優さんも出ています。俳優さんは亡くなっても、残された作品の中で生き続けます。
アル中で、老いた親の財布からお札(おさつ。紙幣)を盗むだらしない父親がいます。
ただ、それを否定はできないのです。そういう人っています。どこの親族でも、困り者の人物というのはいます。それが人間界でのありきたりな出来事です。親族としては、どのような人物でも、ありのままで付き合っていくしかないのです。しょうがないなあ。まあいいかとあきらめるのです。ろくでなしだけどしかたがないのです。それが現実です。
わたしの考えですが、祈るだけでは救われません。
冷たいようですが、神さまはいるようでいません。自分とみんなでがんばるしかないのです。
壺井榮作品、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』を思い出しました。名作です。
映画では、長崎市内の夜景の映像がきれいでした。
わたしは九州で暮らしていたことがあるので気づくのですが、九州弁が、少しずつ言い方が違うかなあと感じました。まあ、いいかです。
映画の最後は、『命』で締めます。そして、『愛情』で包みます。
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