2020年07月31日

幸せへのキセキ 洋画DVD

幸せへのキセキ 洋画DVD 2012年日本公開

 父子家庭の家族三人が、動物園に住むお話です。
 先日観た『プライベート・ライアン』でライアンを演じていたマット・ディモンさんが、この映画で主役のお父さん役を演じていたのでちょっとびっくりしました。
 主役のお父さんは、仕事はライターをしていますが、最近、妻を病気で亡くしたふたりの子連れのお父さんで、ベンジャミンといいます。
 息子が14歳で反抗期、ひねくれものに見えるディランです。娘さんの名前は、まだ7歳のロージーといって、可愛らしくて優しい。
 
 いろいろむしゃくしゃある冒頭です。妻は病死、夫は解雇に近いような退職、息子はおそらく私立中学を盗みで退学させられたのでしょう。
 家族の気分転換のために引っ越しです。引っ越し先が、動物園付きの物件で、動物と動物を世話するスタッフのめんどうもみなければなりません。

 実話に基づくとありますが、まあ、映画ですので、いろいろ仕掛けがしてあります。

 物語の柱のひとつは、やはり、病気で亡くなった奥さんの扱いです。
 父親も息子も娘も、すでに亡くなった奥さん・母親のことを忘れられません。精神的に悲しみをひきずっています。
 けっこうつらい。テレビ番組で、『家、ついて行っていいですか』という番組があるのですが、ときおり、妻を亡くしたひとり暮らし年配男性の映像が出ます。病気で亡くなった奥さんのことを忘れられません。非常に哀しい(かなしい)映像が流れます。しみじみします。やっぱり、生きているうちに、奥さんに優しくしておいたほうがいい。一年中長時間労働の連続による仕事漬けよりも、家族が大事です。
 話が脱線しましたが、この妻に先立たれるケースの場合、ふたつの選択肢があります。
 ひとつは、亡くなった奥さんを偲びながら(しのびながら。なつかしみながら)自分は死ぬまでひとり者でいくパターン。もうひとつは、心の奥に奥さんの思い出をいったんしまいこんで忘れるパターンです。次の再婚相手の姿が見えます。今、生きている人間のこれから先も続く長い人生も大事だという説もあります。

 この映画のラストは、中途半端な終わり方だったのですが、映像の上では、亡くなった奥さんを思い続ける趣旨で終わったと受け取りました。

 また、話は脱線しますが、重松清作品「その日の前に」では、入院中の奥さんが病気で亡くなる前に、夫に、「(わたしのことは)忘れていいよ」という言葉を残します。その日というのは、奥さんが病気で亡くなる日です。妻から夫に対する愛情が厳しくも温かい。
 忘れるのか、忘れないのか、どちらの道を選ぶかは、人それぞれです。正解も間違いもないと思います。

 舞台が動物園ですので、いろんな動物の映像が出てきて楽しめました。
 
 劇中のセリフで、「どうして、ここを買ったの?」という質問にはちゃんと答えてほしかった。「いけない?」では、答えになっていません。

 車で往復29kmの道を遠いと表現されたのですが、たった29kmだと思うのです。外国のなにもない田舎道ゆえに、時速60kmで走れば往復29分間、片道15分間ぐらいです。

 ヘビだらけのシーンがおもしろかった。

 映像にあった役所の動物園立ち入り検査は、役所の職員ひとりだけではやらないと思う。必ず複数名で検査するでしょう。

 パパには遺産があって、お金の余裕があるので、その点では、ちょっと変わった映画です。

 高齢で衰弱して、かつ、病気にかかっているという動物園で飼っている虎を安楽死させるシーンで、主人公の父親が安楽死を決断するまでに深く悩みます。妻の病死が記憶に残っていたからでしょう。
 たまたま、最近医師による嘱託殺人事件として、人間の安楽死のことが報道されていたので、むずかしいものを感じました。
 人間の場合は日本の法律の世界では、安楽死は殺人になるのでできないと思います。ましてやお金をもらってやってはだめです。最低限、本人の了解と合わせて、身近な親族の了解がいると思うのですが、なかなか了解できる親族はいないと思います。それでも生きていてほしいのです。

 映画の中では、がんこなお父さんと甘えん坊の息子です。

 よかったセリフとして、「女の子は、話すのが好き。(ボーイフレンドとして)会話のコツは、よく聴くこと」「お互いに(相手が言ってほしいと思う)言ってほしいことを言い合う」

 貫くメッセージとして、『20秒間だけの勇気をもつ』あるいは、『20秒間だけ恥をかけば、いい結果がついてくる』  

2020年07月30日

太川蛭子のローカル鉄道寄り道旅涼を感じる夏の箱根スペシャル

太川蛭子のローカル鉄道寄り道旅涼を感じる夏の箱根スペシャル 箱根登山鉄道復活おめでとう! テレビ番組

 なにかしらあわただしく、大変そうな旅行でした。三人ともどこをどう巡ったのか、記憶があやふやになっているかもしれません。昨年の9月のロケだったそうです。10月に台風被害で鉄路が使えなくなっていたそうです。

 電車の中で出会う人たちにこのへんの名所、名産をたずねても、土地の人間じゃないからわからないという返答が多かった。

 マドンナは、グラビアアイドルの久松郁実さんでした。

 編集がくどかったような。むだが多いような。同じシーンがなんども繰り返されて観ていて疲れました。
 
 えびすさんはあいかわらずでしたが、白髪が多くなり、まだロケ当時は71歳なのに急速に老けた感じがします。認知症もあるらしく、だいじょうぶだろうか。不安です。
 えびすさん語録として、
①「温泉には入りたくない。めんどくさい」
②(太川さんがマドンナの久松郁実さんに「入浴シーンは撮れるの?」「撮れます」と返答があると、えびすさんが、「オレは、無理」つづけて、入浴シーンで、(かけ湯をしたあとタオルで体をふいてから浴槽にはいってくるので、太川さんが)「どうしてふいてから入ってくるの?」
③ルーレットで最大値の「5」を出すえびすさんです。さすが、すばらしいギャンブラーです。えびすさんはギャンブルに強い。よく考えてみたら、このルーレット形式の番組自体もギャンブルの要素がたっぷりです。えびすさんは、年中ぼんやりしているわけではありません。
④(目的地の観光地の前で)「あっ喫茶店がある。休憩しよう」ふつうは、用事を済ませてから休憩します。
⑤(場が冷たくなるような話を平然とする)食事場所で、ひとつの皿からみんなで分けるのが楽しいと盛り上がっていると、「オレは、自分の皿から人がとるのはぜったいイヤ」
⑥人の手柄を自分のものにする。(マドンナの発見を、自分の発見にすりかえる)
⑦お酒は飲めない体質
⑧ホテルは、東横インが大好き
⑨「名所案内」を「各所案内」と読む。
⑩長崎県出身なのに、魚を食べることができない。
⑪五百羅漢で(ごひゃくらかん)でおぼうさんが仏像の説明をしていると、「ちなみに、一体おいくらですか?」
⑫ローラーすべり台にびびる。

 曲、「ケセラセラ」が流れました。ひさしぶりに、雪村いずみさんの歌声を聴けました。  

2020年07月29日

マダム・イン・ニューヨーク インド映画DVD

マダム・イン・ニューヨーク インド映画DVD 2014年日本公開

 インドのコメディ映画、ふたりの子持ち主婦のちょっぴりラブありでしたが、いい作品でした。今年観て良かった1本です。

 インドからニューヨークまで飛行機の直行便で18時間かかることに驚きました。日本からだと、調べたら、成田から行きは13時間、帰りは14時間でした。遠いともいえるし、24時間以内に行けることを考えたら近いともいえます。

 英語ができないことで家族からばかにされている主婦が、姉の娘の結婚式に招待されてニューヨークへ行きます。
 滞在期間が5週間で、まず先発隊としてこの映画の主人公である主婦のシャシがのりこみ、結婚式の準備をしながら、あとからくる夫と娘、息子を迎えます。その間にシャシは、英会話学校へ通って英会話の勉強をするのですが、そのことをインドにいる家族には秘密にします。どうして秘密にしなければならないのかわからないのですが、なにかしら、インドにおける女性差別の慣例があるようにみえるのです。シャシがふだん使っているのは、ヒンディー語です。
 劇中、男性が、「料理はアートだ」というのですが、インド人女性のシャシが、「(インドでは)料理は、(女性の)義務だ」といいます。女性は家事をしなければならないのです。

 インドのお菓子ラドゥへのこだわりがあります。丸くて黄色い揚げ菓子に見えます。クッキーのように見えます。

 インド映画ですので、途中に歌と踊りが入ります。登場人物の心情を歌と音楽で表現します。
 マンハッタンのところでの歌の歌詞にあったフレーズとして、「人ごみのなかの孤独」「昼も夜も『朝食』」「ゲイ」のところが記憶に残りました。実際にこのあと映画でゲイの話が出ます。少数派に愛をというメッセージを感じました。
 インドの街の風景は、日本の街と同じように見えました。それとも、ロケ地はインドではないのかも。わかりません。
 
 田舎者がひとりで都会に出てきた雰囲気のニューヨークでのシャシです。
 きれいな女優さんです。劇中で、英会話学校の男子生徒から「美しい」と告白されて困るシャシですが、男性から美しいと言われて怒る女性はいないと思います。

 ヒンディー語しか話せないインド人シャシのニューヨークでの言葉が通じないつらさがよく伝わってきました。もっと優しくしてほしい。あなたのような人は、ここでは、場違いだ、来るなみたいな扱いを受けます。ニューヨークは他者に冷たい街かと思われましたが違いました。冷たく話す人もいれば、温かく迎えてくれる人もいます。
 あとは、本人さんが、めげているのですが、映像を観ていて、もうちょっと本人も努力しないと、前には進めないと声をかけたくなりました。
 バスのよこっぱらにでっかく英会話学校の広告が描いてあるシーンは感激でした。4週間で話せるそうになるそうです。
 つらいことがいっぱいある。つらいことがいっぱいあってあたりまえ。つらいことがあっても負けないガッツをもつ。
 最初はたいへんだけど、その時が、あとになって、いい思い出になります。

 英会話学校には、いろんな国の人たちが学びに来ています。メキシコ人、パキスタン人、フランス人、中国人みたいな東洋人、みんな心が優しい。夜間中学を扱った山田洋次監督作品の日本映画「学校」の雰囲気にも似ています。
 
 たどたどしい英会話ですが、4週間である程度、生徒のみなさんは話せるようになりました。
 ニューヨークの街は、人に優しい。

 小学6年生ぐらいの娘サプリが、英語ができない母親のシャシをばかにするのはいけません。
 シャシは、フランス人生徒に言い寄られていたのですが、だんなさんとの関係が、びみょーでした。気まずい時間帯でした。
 駅で改札口のそばにいつも立っている黒人の駅員さんの笑顔が良かった。
 英会話学校の先生役の男性の演技も良かった。彼はゲイだし、生徒の黒人もゲイでした。
 
 起承転結の「転」をどうするのかと思いながら観ていたら、思いがけない「転」だったので、「わー」と声が出てしまいました。お見事でした。彼女にチャンスを与えてほしいと神に祈りました。

 良かったセリフとして、「自分を助ける最良の人は、自分」  

2020年07月28日

プライベート・ライアン 洋画DVD

プライベート・ライアン 洋画DVD 1998年公開

 第二次世界大戦中の1944年6月6日にあったフランスノルマンディー上陸作戦に同行した戦場カメラマンロバートキャパに関する本を読んだあと、B級映画といわれる「D-デイ」という洋画DVDを観て、今回のプライベート・ライアンを観ました。いまさらですが、今年観て良かった1本です。力作でした。
 ラストの戦車との戦闘シーンは、昔テレビでチラリと観たことがあるのを思い出しました。その当時は、この映画には興味が湧きませんでした。

 プライベート・ライアンというのは若い兵士の名前で、米軍のえらいさんの思いつきで、彼を戦闘地域から帰還させなければなりません。えらいさんというものは、自分の発言でなんでも完ぺきに、絶対に、必ずやれるものだと自信に満ちています。
 周囲にいる頭脳集団のだれかが止めてほしい。えらいさんは、安全な場所にいるから最前線の厳しい実情を知らない素人です。お飾り的な立場でそのポジションにいる人もいます。命令と報酬で人間を動かせるという誤った理解がすりこまれた脳みそをもっている人です。人間には、「心」があります。
 国は、国民を守るために国という組織として存在しています。一個人の売名行為と名誉欲のために国民は働いているのではありません。
 兵士たちの会話を聴きながらいろいろ考えました。幹部職員といわれる人たちは、おおぜいの人たちを踏み台にして上へのぼってきた人です。栄光や名誉を手に入れた人のうしろには、おおぜいの敗者がいました。

 最初のシーンに出てくるご老人が、主人公のトム・ハンクスさんだと思い込んで観ていました。ゆえに、ラスト付近のシーンはショックでした。戦争の厳しさ、悲惨さ、非情さがにじみでています。

 ノルマンディー上陸作戦のオマハビーチはしかばねの山です。
 凄惨(せいさん、血まれのむごいたらしい死体)です。

 制服職場なので、命令は絶対です。なのに、さからおうとする部下が出てきます。秩序が保てません。もめます。

 戦争の現場で、フランス人のこどもと親を分離してはいけません。安全のためにこの子を連れて行ってくれと懇願して、子だけを軍隊に預かってもらおうとした父親の顔を、子どもは、たたきつづけます。とうぜんのことです。

 ヒットラーという人間のためにおおぜいの人間が死にました。独裁者をつくってはいけません。

 目に涙をにじませながら、反抗期に母親をシカト(無視)していたことを悔いているという兵士の言葉にはほろりときました。

 映画なので、実戦の時とは違うと思いますが、映像の撮り方が駆使してありました。工夫がこらしてあります。大混乱です。リアルそうな感じが伝わってきます。

 心に残ったセリフとして、
「うちにかえりたい」
「ジェームス、(命を)むだにするな。しっかり生きろ」お金や名誉よりも大事なものが、「命」です。第二次世界大戦では、アメリカ人も死んだ。ドイツ人も死んだ。日本人もたくさん死にました。
 
 死がそばにあるので、みな、神に祈ります。

 死ななくてもいい人たちがたくさん死んでいきました。  

2020年07月27日

美女と野獣 実写版DVD

美女と野獣 実写版DVD 2017年公開

 初めて観ました。去年の夏に映画館で観た『アラジン』と同じで、映像と歌声が美しいミュージカル映画でした。
 野獣は最後まで野獣で終わると思い込んでいました。王子に戻れてよかった。野獣の顔は牛みたいで、動きは、スパイダーマンとかキングコング、猿の惑星みたいでした。オオカミに襲われるベルを自分の体を犠牲にして助けた姿には感動しました。やっぱり、人は、見た目ではありません。
 愛情のこもったいい作品でした。ベルと野獣のやりとりは、夫婦げんかをしているみたいでほほえましかった。
 魔女に野獣にされてしまった王子は、小さいころから父親に厳しく教育されて性格がゆがんでしまったそうです。児童虐待ではないだろうか。家庭内暴力があったに違いない。野獣の王子が言っていました。「わたしが、いくと、(その場の)笑いが消える」かわいそうです。

 ベルが美しい女性だと思って観ていたら、ハリーポッターのハーマイオニーだということがしばらく観ていてわかりました。成長されました。エマ・ワトソンさんでした。
 なんとも父親孝行な娘さんで感心しました。

 コーヒーポットのおかあさんとコーヒーカップのぼくちゃん、ローソク立ての燭台にアナログ目覚まし時計、衣装ケースや白い鳥のほうきとかイスなんかがしゃべるのは楽しかった。みんな、心が優しい。
 さいごのほうの戦いで、魔女の魔法で変身させられたお城の人たちが、はちゃめちゃに活躍するシーンは、『ホームアローン』を観ているみたいでおもしろくて楽しかった。

 されど、日本人なので、魔女とか魔法の世界にはピンとくるものがありません。

 ベルの母親の病名がわからなかったので調べました。感染症「ペスト」でした。ネズミやノミから感染で、高熱、悪寒、咳などの症状があるそうです。(その後、カミュの『ペスト』の文庫本が家にあったので、いま、少しずつ読んでいます)

 よかったセリフとして、王子の「わたしは、野獣ではない」  

2020年07月26日

友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 菅野仁

友だち幻想 人と人の<つながり>を考える 菅野仁(かんの・ひとし) ちくまプリマ―新書

 著者は2016年56歳のときに癌で亡くなっています。亡くなった方が残したメッセージです。かみしめながら読んでみます。この本の初版は、2008年です。
 内容は、高校生向けが基本で、あとは、親御(おやご)さんとか学校の先生向けのように感じます。
 
 これからの友だちづくりについて書いてあります。
 年齢を重ねて、勤労生活の現役を引退すると、終活ということで、人間関係の整理が始まります。人生の時期によって、人とのつながりのつくりかたが異なると気づきながら読み始めました。

 友だち関係というものは、二面性があると思っています。お互いに、いいこともあるし、いやなこともあります。いやなこともふくめて、受け入れることができる相手が「友だち」だと思っています。

 友だちが多いこと=いいことだと、思いこまないほうがいい。自分は友だちだと思っていても、相手は自分を友だちだと思っていないことはよくあります。
 うわべだけの仲良しこよしもよくあることです。やばいことになったとき、たいていの他人はパーっと離れていきます。そのときそばにいてくれるのが友だちです。

 この本に書いてある幸福感を得るためのモメント:きっかけ、契機として、
1 自己充実:自分のやりたいことがかなう。
2 他者との交流:親子、恋人、友人との交流。他者からほめられる。

 読みながら人について考えています。地球上にはたくさんの人がいますが、自分が関わりをもつ人の数は限られています。
 大半の人とは、なんのつながりもできません。つながりがあると、縁があるという表現をします。
1 お金のやりとりをするつながり
2 血縁関係、姻族関係の親族、地縁のつながり
3 愛情のつながり。恋人、夫婦
4 気持ちのつながり。趣味、スポーツ活動など。
5 病気つながり。体の病気、心の病気など。

 本に書いてあることとして、人が集まって話をしているシーンがあります。仲が良くて話をしているのではなく、そこにいないと自分の悪口を言われるからそこにいるという意識があるそうです。あたっています。

 SNSの話が出てきますが、この本が書かれたのは、2008年ごろなので、「LINEライン」の話ではなく、電子メールの話になっています。「即レス」が愛情・友情をはかる基準になってしまっていて、苦痛の発生源になっているとあります。同様に「既読」のサインが出るラインはいじめの素材になることもあります。「既読」にしない「無視」があります。仲間はずれがあるようです。どうしても必要でなければ、やらないほうがいい。この本では、『同調圧力』という言葉で表現されています。

 本に記述があるように、人間関係のつくりが、昭和時代の昔(昭和40年代ごろまで)と現在ではすっかり変わってしまいました。180度の転換です。昔は、いけないといわれていたことが、いまは当然やっていいし、むかしはいいことだとされたことが、今では禁止になったりしています。喫煙とか、酒の席での大騒ぎとかセクハラとかパワハラとか、しかたがないこととして昔はあきらめられていました。
 もしかしたら、昔は、本当の「友情」があったのかもしれません。返済できないのなら貸した金は返してもらわなくてもいいとか、世話になったから、あいつがやった罪を代わりに自分がかぶってやるとか。一方的ではなく、お互いに迷惑をかけあってつくられた固い絆(きずな)のような信頼関係は確かにありました。
 
 テレビでは、「ワンチーム」と強調しますが、この本では、昔はそうはできたかもしれないが、1980年代以降の社会においては、「同質性共同性」には無理があり、そうできない人間の心は破たんするというような趣旨で分析があります。
 「ワンチーム」は、無理なときもあるのです。メンバーのうちのひとりが、そうできないからといって、思いつめて悩んで心の病気になって、自殺したらもともこもありません。

 生きのびるための心構えとしての紹介があります。
『気に入らない相手とも、お互い傷つけあわない形で、ともに時間と空間をとりあえず共有できる作法』を身につける。
『やりすごす』
『距離をおいてぶつからないようにする』
『自分は自分、人は人』

ルサンチマン:弱者の強者に対する感情。うらみ、反感、嫉妬(しっと)、憤り(いきどおり)、非難

 つながりの形態として、あわせて、相手との距離のとりかたについて、
「ルール関係」共存のためにお互いに守らなければならないルールをもつ。こういうことをやってはいけない。いじめを起こさないためにはこれを徹底する。「みんなと仲良くしなければならない」というルールはない。仲が良くても良くなくてもとりあえず共存できるルールをつくる。気に入らない上司や部下がいても適当な距離感をもって共存していくしかない。「ルールがあるところに『自由』がある」と力説されています。
「フィーリング共有関係」小学一年生になったら、友だち100人できるかなみたいな関係。同じノリでがんばっていこうという呼びかけ。人間の標準化があります。これだけだと、いじめが発生する。みんな仲良くは無理。あわせて、なれあいでは、立派でしっかりとした組織目標を達成することはできないとあります。

 だれかをいじめると自分がいじめられる。立場が逆転するリスク(危険性)がある。だれかをいじめる行為は、将来、自分がいじめられる要素を自分でつくっていることになる。

 印象に残ったいろいろな言葉、文節として、本のカバーや帯に書いてあったことも含めて、
重圧:じゅうあつ。プレッシャー
間合い:まあい。適当な距離
「誰とも付き合わず、一人で生きる」
「ある程度社会経験を重ねれば、のらりくらりとかわせる」
気の合わない人とでも一緒にいなければならないときもあるから、そのときの作法を身につけておく。
「気に入らない人とも並存する」そのためには、最低限のあいさつだけは欠かさないようにする。自然に敬遠するつもりでやる。敬遠:野球のファーボール。一塁を与える。
生徒の記憶に残らない教師像でいい。ドラマや映画の教師像はドラマや映画のなかだけのものです。一般的に、現実には、過剰な精神的関与や信念の押しつけはしないとあります。
教師に人格の高い高邁な資質を求めない。(こうまい:ぬきんでている能力をもつ)
親子は、他者性ゼロからスタートして、だんだん離れていって、他者性を認め合うようになるのが理想というような考察
(こどもには)無限の可能性があるが、限界もある。
自分のことをまるごと受け入れてくれる人間はいない。
人は、どれだけ親しくなっても他者なんだということを意識したうえで信頼関係をつくる。
恋愛は幻想。自分のことをすべてきいてくれる王子様はいない。

 後半部には、言葉づかいのことが書いてあり同感です。明確に否定してあって気持ちがいい。
 どこでそういう言葉を覚えてきて使うのかわかりませんが、本人にとってもよくないことです。おとななのに幼児のようです。自分で、相手との信頼関係を築くチャンスを失います。
「ムカツク」「うざい」「ていうか。てゆうか」「はぁ?」
 こういう言葉をぶつけられたら、もう、その人とは会話を続けたくなくなります。いずれも相手を攻撃する言葉です。

 すべての人とは仲良くはなれません。読み手である自分が考える友だちにしたくない、いやな相手のパターンとして、
親切そうに近づいてきて、情報を聞きだして、周囲に言いふらして、ばかにしたり、いちゃもんをつけたりして楽しむ人
自分がやるべき仕事や作業を、人にやらせるように話をもっていく人
人を人と思わず、将棋の駒のように思って、人を動かして策略を巡らすことを楽しむ人
当事者ではないのに、自分が窓口になるからと、代理人になりたがる人
口から出てくる言葉がすべて嘘の人。瞬間的につじつまの合う嘘がつける人

 なんとかがまんできるタイプとして、
同じ話を何度もくりかえしてする人(あまりくどいと、もうなんども聞きましたと話します。そうするとその話はもう話さなくなります。きっと同じ内容をだれかれなしにみんなに話しているのでしょう。自慢話のときがおおい)
「どうするの、どうするの」を連発する人。自分のことは、自分の頭で考えて、判断して、決断して、実行して、責任を負ってほしい。あとから、アドバイスをした人間に対して、あのとき、あなたが、ああいったから、こんなことになってしまったと責めないでほしい。
人の幸せをねたむ人、人の不幸を喜ぶ人
物やお金を借りて返さない人
相手をばかにしたり、みくだしたり、自分と比較して、自分をよくみせようとする人
人が話している話の内容を奪って、自分の場合に変えて話す人
しゃべらない人。反論しないで黙っているから容認してくれたと思っていたら、陰で悪口を言う人
自分が言ったことで、相手が負担を負うことに気づけない人
権限も責任もないのに取り仕切る人
会話が否定から始まる人
とにかくがんこで、気が短い人
裏表がある人。裏では悪口を言って、表ではおだてる人
えこひいきをする人
いじめをする人

 最後半部で著者が、100年前に書かれた今は亡き本の作者と対話できるのが読書のよいところですと記しています。リレーのバトンを渡してもらうように、今回は、数年前に亡くなった著者が残したメッセージをこの本で読むことができました。感謝します。  

Posted by 熊太郎 at 07:34Comments(0)TrackBack(0)読書感想文