2020年08月31日

ムーンライズ・キングダム アメリカ映画DVD

ムーンライズ・キングダム アメリカ映画DVD 2012年公開

 タイトルの意味は、「月が昇る王国」だろうか。幻の国です。
 観始めてしばらくは、なんのことかわかりませんでした。意味がつかめないという時間帯が続きますが、そのうち、味わい深い心情の広がりがあります。
 コメディにしては笑えるシーンは少ない。ファンタジーの空想作品です。暗くさみしい部分もあります。心に優しい映画でした。

 12歳、日本でいえば、小学六年生同士の少年少女が、こどもから思春期へ向かうときの変化を幻想的に映像化してあります。

 孤児の男児であるサム・シャカスキーが、里親から見放されます。情緒不安定で周囲の人間に迷惑をかけるからです。
 いまは、ボーイスカウトみたいな訓練施設に入隊していますが、彼は自主的にそこからの退所を図ります。関係者に捕まったら、福祉局を通じて、少年収容所行きです。それでも、サムは訓練施設を脱走したい。
 いっぽうの女子スージー・ビショップは、両親と弟たち三人と暮らしていますが、両親の関係は良好とはいえず、母親は浮気をしています。スージーは、家出をしたい。

 サムとスージのふたりで逃亡して暮らし始めた場所が、ムーンライズ・キングダムです。
 この映画は、小学生カップルのかけおち物語です。
 サムがつくったコガネム虫のアクセサリーをスージにプレゼントしたシーンには笑いました。

サム「将来どうなるかはわからない」
サム「ぼくは、おねしょをするかもしれない。言いたくないけれど、君を怒らせないために言っておく」
 君を愛している。私も愛しているとなるのですが、でもまだ、年齢的に愛し方は知らない。よくわからないけれどキスをしてみる。それでなにかを感じることができたわけでもない。そのあたりがおもしろい。小学生が思春期に向かう時期のほんのりほんわかした雰囲気のある物語です。

 おとなたちは、異端児のサムに冷たいわけではなく、彼が少年収容所に入れられたら、脳に電気ショックを与えられるというデマを苦にして、なんとかして、サムを探し出して保護したいと願っています。
 サムのまわりにいた少年たちもサムがかわいそうだと、サムを責める声はなく、話はだんだんややこしくなっていきます。

 1965年9月5日に、ふたりの小学生はみんなの前で結婚式を挙げました。
 こどもたちが、羊の群れのようでした。

 サムのセリフです。「僕と結婚してくれてありがとう。君と出会えてよかった。スージー」

 不完全で、やっかい者とされるすべての人間同士が、お互いを認め合って共存をめざす映画でした。  

2020年08月30日

青年ヒトラー 大澤武男

青年ヒトラー 大澤武男 平凡社新書

 この夏は、第二次世界大戦について、連合国側からの立場で描かれた映画を観たり、小説を読んだりしました。
 片手落ちではないかと思って、ドイツ国首相だったヒトラーの立場から書かれた本も読んでみることにしました。著者はドイツ在住とあります。出版された時点は、2009年で、ヒトラーの生誕120年とあります。彼が独裁者になる前の段階、青年期までが書かれているそうです。

 アドルフ・ヒトラーに関して、自分なりに、彼は生まれはエリートで、日本でいうところの血筋に誇りをもっている人間に思えます。祖先は、武士とか皇族とか。(違っていました)
 ユダヤ人差別と大量虐殺が、どうして起こって、残虐なまでに至ったのかを知りたい読書です。
 あわせて、天才的詐欺師とも思えるカリスマ独裁者の誕生を防ぐにはどうしたらいいのか。ドイツ民衆はなぜ彼の提案に賛同したのか。そのあたりもさぐりたい。

「第一章 生い立ちの記、気ままな少年時代」
 ヒトラーは、名字なので、この本では、個人名の「アドルフ」で呼び進めるそうです。
 子ども時代は、お金がある家に生まれて、やさしい母に可愛がられて、成績優秀、何も苦にすることなく、自信に満ちた幸せな日々を送っていたそうです。

 オーストリア、ドナウ川沿いの都市、レオディングという小さな町で暮らしていた。意外だったのは、いまでいうところのドイツで生まれて育ったわけではない。オーストリアです。

 アドルフ・ヒトラーは、1889年生まれ(日本では明治22年)です。なお本人は、1945年4月30日に57歳で自殺しています。翌5月8日にドイツは無条件降伏しました。

 こどものころ、アドルフ・ヒトラーは、父親アロイスの跡を継いで、将来は、官吏(公務員)になることを父親から期待されていたそうです。

 アドルフ・ヒトラー自身は、美術、地理、歴史、体育が好きで、フランス語(外国語)と数学が嫌いだった。将来、画家、美術家になりたかったが、父親が反対しています。
 親のかたくなで頑固な態度は、こどものためになりません。親は、こどもが望む職業選択に反対するものではないということが教訓として理解できます。こどもの人生です。親の人生ではありません。

 アドルフ・ヒトラーは、1900年(日本は、明治33年)に11歳で入学したリンツの実科学校で、学習態度がうまくいかなかったそうです。
 学力優秀だと言われた日本でいうところの小学生時代、日本でいうところの私立中学にいって、周囲の生徒のほうが学力があり、自身は勉強についていけず、中学時代は、学校の方針についていけなくなった。あまりぱっとしない人生の出だしです。とても将来独裁者になるような人物とは思えません。

 アドルフ・ヒトラーは、人からやさしくされたことがなかった人なのだろうか。人からやさしくされたことがない人は、人にやさしい人にはなりにくい。
 少年時代から、がんこな石頭の持ち主です。亡き父親の遺産で暮らし、サラリーマン的な仕事は嫌い、毎日ぶらぶらあちこち回って絵を描いて、オペラ劇鑑賞するという十代の毎日です。親不孝なひどい人間です。働かなくても食べていけるということはある意味、不幸な境遇です。

 母親が乳がんで、47歳で亡くなりました。アドルフ・ヒトラーは18歳でした。7歳下の妹パウラが残されました。

 69ページまでの第一章を読み終えてみて思うのは、アドルフ・ヒトラー氏は、地理的において、狭い範囲内での人生体験しかもっていなかった人だった。

 第二章「失意のウィーン時代」です。
 18歳から24歳までの間のアドルフ・ヒトラーのようすをみました。ユダヤ人に対する敵対心はみられません。これから30年後、世界を恐怖に陥れるような人間になる気配はありません。

 孤独で暗い雰囲気をもつ芸術家志望の青年です。画家になりたいようですが、ちょっと変わっています。生物画とか、風景画、人物画は描きません。「建築物」の絵ばかりです。
 芸術家を目指しているけれど、本当は、建築家になりたい。都市計画に携わりたい。そして、趣味趣向として、オペラの物語が好きです。市民が支配者である王族と戦う筋書きが好きです。

 12月に母親が亡くなって、翌年1908年18歳でオーストリアウィーンで5年間の生活をはじめます。ホームレスのようになって、浮浪者の収容所に行ったりもしますが、遺産とか年金があるので、食べていくことはできたそうです。そして、あいかわらず、毎日決まった時間に働くということができない性質なので無職です。

 アドルフ・ヒトラーは、未来の見えない孤独な生活を送る中で、「否定的で、冷酷な、憎悪の思想」に落ち込んで行ったそうです。酒やたばこはやらない。ガールフレンドはいない。妹や異母姉、叔母との関係もよくなかったようですが、母親のほうの叔母からは援助を受けています。

 さらには、兵役の忌避までありました。オーストリア人男子は、二十歳で兵役登録義務ありです。アドルフ・ヒトラーは、ドイツ人ではないのか。オーストリア=ハンガリー帝国が生誕地。国籍はオーストラリア人、民族は、ドイツ民族。首相就任前の1932年にドイツ国籍を取得しているそうです。知りませんでした。

 本を読んでいると、ヨーロッパの多民族国家のようすもよくわかります。日本とはぜんぜん違います。オーストリア領域に住む人口3500万人のうち、ドイツ語を話す民族、チェコ語、ポーランド語、ウクライナ語、ハンガリー語・ルーマニア語・スロベニア語・イタリア語が話されていた。すごい。いつか行ってみたい。街の広場にあるテーブルのイスに座って、ただぼーっと通り過ぎていく外国の人たちをながめていたい。

 アドルフ・ヒトラーの考えとして、一部の資本家ユダヤ人に対する非難はあったものの「ユダヤ人種」に対する反ユダヤ主義はまだ彼の心には生まれていなかったそうです。
 しばらくして彼は、オーストリアウィーンを離れて、ドイツ国ミュンヘンへ向かいました。

「第三章 幸せなミュンヘンでの日々と戦場の勇士」
 アドルフ・ヒトラーの24歳から25歳です。オーストリアのウィーンの近くの田舎町からドイツのミュンヘンに出て、建物の絵を描いて、それを売って、なんとか生活をしていけるようになります。彼の仕事は画家です。

 あんなに兵役から逃れていたアドルフ・ヒトラーが、第一次世界大戦(1914-1918)で、4年数か月の間兵士として戦闘を生き抜きます。極端から極端に変化しました。
 その経過は不思議で、兵役から逃げていたのを捕まって、兵役検査を受けたらちゃんと食べていなかったので、身体虚弱で不合格となっています。身長175センチ、やせこけているでした。
 退学により、学歴はなく、25歳になってもちゃんとした仕事をしたこともなく、資格もない。

 1914年第一次世界大戦の開始とともにアドルフ・ヒトラーは突如兵士になることを希望した。食べていくためでしょう。
 アドルフ・ヒトラーのドイツに対する愛国心は強い。
 人間の不思議さがあります。人間は、いる場所で変わる。

「第四章 極右政治活動への突入と破滅への道」
 アドルフ・ヒトラーは、なぜ、「平和な国づくり」を望まないのだろう。思うに彼には、そういう発想が最初からありません。あるのは、「排除」です。

 ドイツ国民は第一次世界大戦で敗れ、不況の時代へと転落していったようです。
 アドルフ・ヒトラーの言動にはよくわからない部分があるようです。確固たる意志を有していたのだろうか。アドルフ・ヒトラーは、社会主義を嫌っているようなのに、社会主義の集会に参加しています。食べていければなんでもありか。

 アドルフ・ヒトラーには、一部の資産家ユダヤ人に対する忌避はあるものの、民族としての「ユダヤ人」を徹底的に攻撃する反ユダヤ主義のきざしはまだみられません。
 なぜそうなったのかということについては、結局、「わからない」とされています。本人にもわからなかったのかもしれません。
 リーダーの立場になった者の習性なのか。不況でストレスをかかえた大衆のストレス解消をするために、「特定の民族」を大衆のストレス解消のはけ口にして、大衆を自分の味方につける手法は、現代でもいくつかの国や地域の代表者、代表する組織で用いられています。
 大衆は、賢い有権者にならなければならないと悟りました。大衆の気持ちを誘導する天才的な力をもった詐欺師にあざむかれてはいけないのです。本当のことを見つけなければなりません。

 そして、人間の最大の罪「知らん顔」があります。ユダヤ民族以外の民族は知らん顔をします。そう思うと、映画で観たユダヤ人に命のビザを提供した日本人外交官の杉浦千畝(すぎうら・ちうね)さんとか、ユダヤ人収容者を自分の会社で雇用したシンドラー氏の偉業が光ります。
 本を読むとアドルフ・ヒトラーは、政治的野心を満たすための宣伝効果のために特定の民族を攻撃して利用したと理解できます。

 アドルフ・ヒトラーの頭の中には、「闘争」はあっても「共存」はないのです。ドイツ民族至上主義です。
 それにしても、当時のドイツの人たちは、なぜに、残酷な行為をする国の代表者の言動を止められなかったのか。本書では、「理性を失っていた当時の大衆」とあります。

 兵士から政治家に転じたアドルフ・ヒトラーはまだ三十歳です。国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)の宣伝マンです。演説を繰り返します。それが彼の収入源です。
 1921年に第一議長に就任したときのアドルフ・ヒトラーは、まだ32歳です。ナチ党は、1932年に国会の第一党になっています。アドルフ・ヒトラーは、弁士、論客(議論が好きな人)です。
 
 アドルフ・ヒトラーは、ドイツでは英雄だった。やはり、ものごとには、二面性があります。そして、彼は極端な二重人格者のようです。自分で自分をコントロールできなかった人です。

 本の「あとがき」の部分について
 ホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)の犠牲者数は、ポーランドだけでも300万人です。ドイツ政府とドイツ国民は、犠牲者に対して、謝罪をし続け、物心両面で償いを果たしているとあります。
 これに対して、日本国はどうなのかという提示が著者からあります。アジアの人たちに対する意識が、ドイツと比較してワンランク低いのではないかという疑問が書いてあると感じました。
 謝罪はした。もう金銭で償った(つぐなった)。その期限は過ぎたからもういいじゃないかという日本人の感覚を疑っておられます。
 法律上はそれで割り切るのでしょうが、心情的には別ではないかという人間としての立場が求められていると感じました。
 日本には勇気が不足しているという指摘には深く考えさせられるものがありました。
 今年読んで良かった一冊でした。

 心に残った文節などとして、
「ヒトラーなくして、あのような悲劇には至らなかった」
「(アドルフ・ヒトラーの子ども時代のこととして)自分の正しさを信じて疑わない短気で率直な弁舌と説得力に周囲のこどもは従った」

 調べた言葉などとして、
カリスマ:ずばぬけて目立つ存在。教祖、預言者、英雄、超人間的な資質と能力をもつ存在として崇拝される。
ハーケンクロイツ:鉤十字(かぎじゅうじ)ナチ党のシンボル。幸運のしるし。
実科学校(ドイツの制度):職業教育学校。中等教育学校。10歳から修学、最低6年制
ギムナジウム:ヨーロッパの中等教育機関。中高一貫校
スラブ系:スラブ語系。ウクライナ、ベラルーシ、ロシア、スロバキア、チェコ、ポーランド、クロアチア、セルビア、ブルガリア
アーリア人:ドイツ人
右翼:国家主義、自国の伝統や文化を守る。反共産主義、反社会主義
1918年ドイツ革命(日本では大正7年):兵士と労働者が蜂起して、皇帝が退位して、ドイツ帝国が崩壊し、ドイツ共和国臨時政府(ヴァイマル共和制)が成立した。ヴァイマル憲法(ワイマール憲法)ができた。1919年8月11日制定。
独墺両国の合同ナチ党大会:どくおうかいぎ。墺は、オーストリアのこと。おうと読む。

 いままで知らなかったことを知ることができました。世界はまだまだ広い。  

Posted by 熊太郎 at 06:46Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年08月29日

あなたは私のムコになる アメリカ映画DVD

あなたは私のムコになる アメリカ映画DVD 2009年公開

 SF映画「ゼロ・グラビティ(無重力)」で、宇宙でひとりぼっちになってしまった女性宇宙飛行士が、地球への生還を無事に果たすという名演技をされたサンドラ・ブロックさんが出ている映画だったので、観ようという気持ちになりました。

 本作品は、偽装結婚を巡るドタバタ騒ぎのラブ・コメディですが、ところどころ家族の暗い話も出てきます。
 アメリカ合衆国の出版会社で働くカナダ人編集者の女性マーガレット40歳が、ビザの更新手続きを怠っており、国外退去処分の通告予告がくるというようなところから始まります。
 マーガレットは、自分の秘書の28歳の男性アンドリューを脅迫して、彼と偽装結婚を試みます。しかし、役所の審査は厳しい。どこの役所なのかがわからなかったのですが、移民の滞在許可期間を審査するような部署なので、入国管理局のようなところだろうと思いながら観ていました。アメリカ人の配偶者になれば、米国滞在が合法化されるようです。
 
 アメリカ人であるアンドリューの実家がアラスカで、ふたりは、偽装結婚をするためにアラスカまで飛行機で飛んで、家族に自分たちは結婚すると披露をします。
 ふたりは、結婚して妻のビザが延びたあと、離婚するつもりです。アメリカ人男性と結婚した女性は滞在期間が延びるようです。もしかしたらいったん結婚歴があれば、離婚後もずっとアメリカにいてもいいのかもしれません。そのへんはよくわかりません。

 出版の仕事をするふたりが、「たくさんの人を本で感動させる」ことに心を注いでいるということが伝わってくる内容でした。本づくりに寄せる情熱が熱い。

 アラスカの景色がきれいでした。白夜なので、夜になっても太陽が沈みません。

 夫になるアンドリューの実家は大金持ちなのですが、お金があっても、家族仲がいいわけではありません。父親と息子が息子の進路のことで厳しく対立しています。

 90歳のおばあさんが可愛らしかった。心もちが純粋な人でした。彼女のセリフとして、「いがみあうのはもうやめて。家族なのよ。たとえ意見が合わなくても支え合うと約束して」

 男性のストリッパーが登場します。

 男と女って、なんなんだろうなあ。

 「改心」の物語でした。反省して、心を改める。  

2020年08月28日

ポネット フランス映画DVD

ポネット フランス映画DVD 1996年公開

 いい映画でした。
 こういうときのために、『映画』があると再認識できました。映画や小説は、身近な人の「死」と直面したときの心の支えになるために、この世に存在しているのです。

 交通事故で、車の運転をしていた母親が死にます。車に同乗していた4歳の女児は腕をケガしましたが命は助かります。
 4歳女児のポネットが、母親の死を受け入れられません。母親の再来を信じて、彼女の心は閉ざされます。

 父親は、仕事で家にはいられないらしく、ポネットは、おばさんの家に預けられて、いとこ(姉弟)とともに暮らし始めますが、新しい生活になじめません。
 この部分を観ていて、以前観た将棋を素材にした日本映画「3月のライオン」を思い出しました。同じく交通事故で両親と妹を亡くした6歳の桐山零(きりやま・れい)が、棋士の家に預けられます。ほかにいくところがありません。将棋で食べていくしかない人生を決定づけられます。

 話は戻って、このポネットの映画は、『死』を考える映画です。
 死んだら、この世から永遠にいなくなるということが、4歳のこどもには、理解できません。
 ポネットは、だれにも教えないと言って、ママを待つ遊びをします。
 イエスさまとか、神さまとかの話も出ます。
 ママに会うためのおまじないの言葉が、「タリ・タ・クム」です。
 
 映画を観ながら今度は、「アルプスの少女ハイジ」の話を思い出しました。彼女の両親もたしかいませんでした。

 ポネットのパパには、ママの代わりができません。

 ポネットに対しては、成長して、家庭をもって、すてきなママになってくださいとしか、応援のメッセージを送れない自分がいます。
 ポネットは、泣くしかありません。泣いて、くそったれと思って、立ち上がるしかない境遇があります。

 ポネットは、ママのことを忘れられません。

 ポネットは、病的になったからという理由で、孤児院のような雰囲気の寄宿舎に入れられてしまいました。
 ポネットは、ママに会いに行く。死にたいと言い出します。

 ポネットは、ママのお墓に来て、泣きながら、土を掘り返し始めます。葬儀は土葬でした。
 「強くなれ」と声を送りたくなりました。ポネット、君は死んではいけない。

 シンプルな展開で、胸にぐっとくるいい映画でした。

 ポネットを演じた子役さんの演技は天才的でした。ふつうのこどもさんにはできません。

 心に残ったいくつかのセリフとして、
「こどもなんて、楽しくない」
「(神さまに対して)ママとお話ししたいんですけど、どうしても話せません」
「ママ見てた? 全能の神にお話ししたの」
 このあたりで、昔観た洋画「ゴースト ニューヨークの幻」を思い出しました。
「ママが、楽しく生きなさいって。楽しく生きることを覚えなさいって(言ってくれた)」

 加納朋子さんの小説作品「ささらさや」も思い浮かべることができました。一本の映画でたくさんの作品をイメージして楽しめました。
 このテーマは、人にとって重要で永遠なものだと受け止めました。「愛情」です。  

2020年08月27日

アウトブレイク アメリカ映画DVD

アウトブレイク アメリカ映画DVD 1995年公開

 タイトルの意味は、「ウィルスの爆発的な感染拡大」です。

 ウィルスの感染経過などです。
 ときはさかのぼり、1967年7月にアフリカザイール(現在コンゴ民主共和国)のモターバ川流域での戦闘シーンからスタートします。
 戦闘中に、原因不明の病気が流行しだします。発熱、嘔吐、皮膚がただれたようになります。この地で、後日、「ミスター・モターバ」と命名されるウィルスが発生しました。感染して、二、三日で発病して100%死亡します。
 米軍は、ウィルスの感染拡大を防ぐために、米軍の兵士ともども病気にかかった村人たちを殺害するために、村に爆弾を投下しました。皆殺しによるウィルスの撲滅です。すごい爆発シーンです。2020年8月4日にレバノンのベイルートで起きた爆発事故のような猛烈な爆風が吹く爆発です。かつ、ふたりの米軍人がウィルスを手に入れて、極秘に生物兵器として母国に持ち帰ります。さらに極秘に、ワクチンがつくられます。そのことは、隠蔽(いんぺい。悪意をもって故意に隠す)されます。

 時は流れて、現代(1995年)です。ウィルス「ミスター・モターバ」の感染拡大が広がります。
 ザイールのモターバ流域で捕獲されたウィルスをもつキツネザルみたいなサルが空輸されて、空港から、ペットショップ、映画館へとウィルスの感染が広がります。
 感染が広がった町を1967年と同様に、皆殺し爆破計画が米軍の企画でもちあがります。アメリカ軍は、自国民に向けて爆弾を落とすのかとびっくりしました。
 別途、ウィルスの研究が進みます。ウィルスの変異が確認されます。感染経過の追跡が続きます。抗体を求める作業が継続します。そして、軍の上層部の陰謀、隠蔽があばかれます。

 軍隊を使って薬品を運ぶ。軍隊を使って、感染者が出たカリフォルニアの町を封鎖します。夜間外出禁止令にもとづくパトロールをする。違反者は捕まえて従わない家族には制裁を与える。

 主人公ダスティン・ホフマン夫婦の離婚話は、最初のうちは、余計な感じがしていました。ウィルス対策中心でいってもよかったのではないか。まあ、アメリカ映画らしい。ラブを入れて、ハッピーエンドにしたいのでしょう。

 伝染病医学研究所には、多種多様なウィルスが保管されています。中国武漢にもこういう研究所があるのかと思いながら映像を観ていました。

 広島や長崎に原子爆弾を投下したパイロットに観てほしい映画でした。
 軽自動車みたいなヘリコプターに乗ったダスティン・ホフマンが爆弾を積んだ爆撃機のパイロットに向かって叫びます。「命令だから(爆弾を)落とすというようなバカなことをするな!」適法でも不当な命令には従う必要はないのです。  

2020年08月26日

ジョゼと虎と魚たち 田辺聖子

ジョゼと虎と魚たち 田辺聖子 角川文庫

 先日同名の実写版映画をDVDで観て深い感銘(かんめい。忘れられないほどの心に深く刻まれた記憶)を受けました。
 そこで、原作を読んでみることにしました。今年の12月25日から映画館で、新作アニメ映画も上映されるようです。車いすの障害者女性と男性の恋を描いた作品です。
 文庫本のほうは、9本の短編がおさめられています。順番に感想をのせていきます。
 全部読んでみての感想ですが、しみじみできるいい文脈でした。

「お茶が熱くてのめません」
 大阪に住む元市役所職員の高尾あぐりさん32歳は、現在、売れっ子テレビドラマ作家をしています。そこへ、7年前に別れた恋人のメガネをかけた吉岡36歳が現れます。吉岡は、高尾あぐりを捨てて、親が決めた女性と結婚して家業を継いだのですが、今は、継いだ会社が倒産、離婚、4歳のひとり娘の親権は別れた妻にあるという状況設定です。
 この場合、吉岡は、金持ちになった高尾あぐりに借金の無心(むしん。金品をねだる)に来るというのが定番のストーリー仕立てですが、高尾あぐりは、吉岡にカネを与えてもいいと思っています。
 されど、彼は、それ以上のものも要求してきます。高尾あぐりは、あきれ果てます。
 自己中心的で、他人をいかようにでも利用しようとする人間の心理を上手に描いてあります。そして、吉岡本人には、罪の意識はまったくないのです。この世には、そういう人間が存在するということをくっきりと浮かび上がらせてある作品です。
 調べた言葉などとして、
口吻(こうふん):ものの言い方
ヨリを戻す:男女関係が元に戻る。復縁。仲直りをする。
請じ入れる(しょうじいれる):人を家や室内に招き入れる。

 ぐっときた言葉として、「いいもの書いたから受ける、とも限らないのよ」

 石油ショックの話が出てきました。なつかしい。1973年(昭和48年)でした。買い占めで店頭からトイレットペーパーが消えました。ことしは、コロナウィルスの感染拡大でマスクが消えました。
 『経済ドラマ』の話が少し出てきます。『半沢直樹』を創作するヒントが、この作品の中にあったのではないかと推察できるような内容でした。

「うすうす知っていた」
 妹に結婚で先を越された姉の気持ちが表現された作品です。さすがにお姉さんの立場はわびしい。
 舞台は大阪です。万年筆の卸問屋で事務員をしている梢さん(こずえさん)28歳です。男性との縁がありません。結婚はしたい。いつかきっと結婚できると思っています。
 梢さんの二歳年下の妹が碧さん(みどりさん)で、デパートで服飾デザイナーをしています。結婚はしない。仕事一筋でいくと言っていましたが、登山仲間の川越さんという男性と結婚することになりました。そして、川越さんは、姉の梢さんの好きなタイプなのです。
 調べた言葉として、「僥倖(ぎょうこう):偶然の幸運」
 つらかった近所の人の言葉として、「あんたも負けんように早う嫁きんかいな(いきんかいな)」

「恋の棺(ひつぎ)」
 二重人格の女性を扱った作品です。怖ろしい(おそろしい)
 宇禰(うね)さんという離婚歴がある29歳の女性がいます。離婚原因は、彼女の二重人格と夫の浮気です。彼女はインテリアのお店で7年間働いています。
 宇禰(うね)には、異母弟がいます。有二という名前で19歳の大学生です。宇禰(うね)が、有二をたぶらかします。(だまして惑わす)おそろしい女(ひと)です。
 調べた言葉などとして、
 譬え(たとえ):同じ種類、性質のものに言い替えること。
 印象に残る文章表現として、
 「グリム童話にありそうなおそろしい犯罪者たちの孤独な悦楽……彼らはみな精緻(せいち)な二重人格者の心臓をもっていた」
 (男は)使い捨てた

 人はいかようにでも生きていける。だから、死んでいけない(自死)という教訓が頭に浮かびました。女の強さが表現された作品でした。

「それだけのこと」
 女性から見た不倫の話です。
 なんのために結婚したのかわからない日常生活を送っている女性が、香織さんです。30歳、流産経験あり。いまは、造花をつくる仕事をしています。
 夫は35歳で仕事人間です。家にいる時間は短く、アメリカ出張二週間があっても妻にそのことを伝えるのを忘れたりします。休日はもちろんゴルフです。
 香織さんの不倫相手は、24歳独身男性の堀さんです。香織さんがつくった造花を納品する先のブライダルファッションの会社に勤めています。
 そして、もうひとりというか、もうひとつ、香織さんと堀さんの間になかだちをするものがあります。それは、てぶくろみたいに手を入れて、親指、人差し指、中指で動かすこぶたの指人形です。名前を、「チキ」といいます。ふたりは、指人形のチキをかわるがわる自分の手につけて、指人形の声で、怪しげ(あやしげ)なやりとりをして楽しみます。
 調べた言葉として、
 船渡御(ふなとぎょ):神体を船にのせて川を渡す。小説の中では、大阪天満宮での儀式
 チュール:布のこと。
 土仏(つちぼとけ)の水遊び:土でつくった仏さまが、水に濡れて崩れていくようすのたとえで、身の破滅を招くようなことをすること。

 心に残った表現として、
(不倫のふたりの関係のほうが実際の夫婦関係よりも)ありのままにしゃべって、ありのままに笑える。

 読んでいると、歴史の風が吹いてくるように感じられる作品でした。そして、それは、過去ではなく、現在という感覚なのです。

「荷造りはもうすませて」
 一夫多妻制のイメージがあります。
 思い出してみると、自分がこどもだったもう半世紀以上の昔は、お妾さん(おめかけさん)とか、2号さんと呼ばれるような女性が普通に近所で暮らしていて、そういう女性をばかにしたり、見下したりしていたのではなく、そういう職業があるというように肯定されていた存在として社会的に認められていたような気がします。なにせ、社長さんなどのお金持ちの有力者とつながりのある人なのです。
 この短編では、44歳の秀夫さんが、再婚前の家に、別れた奥さんと義母と男ふたり、女ひとりのこどもが三人いて、秀夫さんは42歳のえり子さんと再婚して10年経つわけですが、ふたりにはこどもがなく、その他もろもろあって、秀夫さんは、再婚前の家とも行き来があるのです。
 その結果、どっちが本宅かわからない状態になっているのです。それを表現する的確な文章として、「向こうの天王寺が本家で、こっちが別宅のような気がしてくるのである」
 読んでいて感じたことは、この本は、いい本だということです。おもしろい筋立てでした。
 調べた言葉として、
先くぐり:さきくぐり。ふたりの言動の先を悪い内容だろうということにして、かってにこうだろうと決めつけること。
バゼット・ハウンド:101ぴきワンちゃんに出てくるような耳の長い、茶色と白の犬。ハッシュパピーのマスコット。刑事コロンボの飼い犬
コッテ牛:元気のいい牛

「いけどられて」
 こどもができなかったというような理由で離婚届を出した夫婦ですが、まだ引っ越し前でふたりは同居しています。主役は、婦人服の製造販売会社で働く梨枝さん35歳で、夫は梨枝さんの三歳年下、実家にいた両親はすでに亡くなってしまった32歳の稔さんです。ふたりの婚姻期間は8年間でした。
 ふたりの間に、暴力的な厳しい対立があったので別れるというような殺伐(さつばつ)とした雰囲気があったわけではありません。
 稔さんが職場の23歳の大原比呂子さんとできてしまい、さらに、彼女が妊娠してしまいました。
 元夫の稔さんは、大原比呂子さんに生け捕られたようなものです。稔さんは、梨枝さんに未練があります。
 梨枝さんは、大原比呂子さんに会いました。対立があったわけではありません。35歳の梨枝さんと23歳の大原比呂子さんでは、頭の中にある世界が違いすぎて話がかみ合わないのです。
 調べた言葉として、
彼の逡巡(しゅんじゅん):決断できなくてぐずぐずしている。
ジノリ:イタリアの陶磁器メーカー。リチャード・ジノリ
どこかけろんとした子:無意味で無益な子

「ジョゼと虎と魚たち」
 この短編と実写版映画の内容は少々異なっていました。されどこの短編もなかなかいい。
 この短いお話を内容の味わいを失うことなく、あの長い映画に上手に変化させることができたものだとたいへん驚きました。感心しました。あわせて、心に深く感じるものがありました。
 自称「ジョゼ」という名前は、フランスの小説家であるフランソワーズ・サガンの作品からとったという25歳脳性麻痺の障害者山村クミ子さんのことです。家族関係のごたごたがあって、施設にいたこともあり、その後同居してくれていた80歳過ぎの父方祖母も亡くなりました。祖母とふたり暮らしのときから生活保護を受けています。
 23歳でジョゼと偶然出会った恒夫がジョゼをサポートします。
 映画では、「魚たち」を意味する水族館に行きましたが、水族館閉館日で、お魚を見ることができませんでした。ただし、この小説の中ではちゃんとふたりで、「魚たち」を観ています。
 結末も映画と小説では異なりますが、人生は長いから、結末後のふたりがどんなふうになってほしいのかを読者なり、鑑賞者なりが考えて、空想すればいいと思います。
 印象に残った文節などとして、
(障害者をねたむ健常者の)「悪意の気配」
人間性の圭角(けいかく):性格や言動にかどがある。
「いばり」はジョゼの甘えの裏返し
「アタイ淋しかったんや(さみしかったんや)」

「男たちはマフィンが嫌い」
 なにかしら、虚無感がただよう作品でした。妻でもない。愛人でもない。42歳の離婚経験がある会社社長にうまいように扱われている31歳独身のミミさんです。男性からの愛情が感じられない体だけの関係です。作品全体にむなしい感情がただよっていました。
 男の都合のいいように利用されている女性です。
 「怨念(おんねん)」という言葉が出てきます。離婚した男性の妻の気持ちです。経済的には困らないので、家事専念の主婦だったそうです。
 男が仕事ばかりしていたから、妻は家でぽつんとしていたそうです。そして、不平がたまっていった。そこが、「怨念」です。
 男の経済的、肉体的な束縛に頼って暮らす。男をうらみに思う気持ちがあります。ミミさんは男の別れた妻の気持ちに気づいているけれど、自分は違うと思いたい。
 男性との体の関係が素晴らしいという話ばかりが続きます。
 マフィン:カップケーキみたいなパン

「雪の降るまで」
 46歳服地問屋で経理事務をしている未婚女性の以和子さんです。結婚する気はありません。でも、点々と男性を変えながらここまできました。今は、妻がある材木業者の男性大庭(おおば)51歳の愛人という隠れた顔をもっています。
 周囲からは、「嫁き遅れた(いきおくれた)陰気なハイ・ミス」と思われているそうですが、実際は、相当なすけべえで、男が好きなのです。本人いわく、70、80(才)まで、男遊びをしたいそうです。
 うらやましいとは思いませんでしたが、別世界の出来事だとは思いました。エロの世界のあれやこれやです。 
 調べた言葉として、
韜晦(とうかい):自分の本心、地位、才能をつつみ隠すこと。
(お酒を)五勺:一勺が、18.039mlだから、五勺は、90.195ml。コップ半分ぐらいか。

*全体を通してですが、名人芸の文章運びでした。  

Posted by 熊太郎 at 06:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文