セントレア中部国際空港(青森旅行番外編)

2009年12月07日

Posted by 熊太郎 at 08:56Comments(0)TrackBack(0)青森県

セントレア中部国際空港(青森旅行番外編)




青森へは早朝の便だったので、空港のホテルに前泊しました。

空港の3階におふろがあったので入りました。タオルとバスタオルは貸してくれます。
スーパー銭湯形式です。体を伸ばして入浴できたのでリラックスしました。屋外で離着陸を見ることができるのですが、あいにく、入浴時間中に飛び立つ飛行機はありませんでした。

夜の駐機場にはたくさんの飛行機がとまっていました。まるで、飛行機たちが眠っているようでした。明日への準備です。それから、空港の展望デッキに美しいイルミネーションが飾りつけられていました。あいにくカメラを持ちあわせていなかったので写真はありません。

メンバーの全員がそろったのは午後9時過ぎでした。空港で夕食を食べるつもりでしたが、いずこも午後9時で店じまいでした。ホテルに戻って、ホテルのレストランでイタリアンを食べました。まわりは、パイロットやフライトアテンダントの客室乗務員さんたちばかりで、翌朝の朝食もみなさんに混じって食べました。いろいろなお国の乗務員さんたちを見ることができて異国に来たようでよかった。







きれいな朝日でした。でも、この2時間半後に着いた青森は雪国でした。
青森編はこれでおしまいです。  

青森市 三内丸山遺跡

2009年12月06日

Posted by 熊太郎 at 19:08Comments(0)TrackBack(0)青森県
青森市 三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)

飛行機の搭乗時刻まで間があったので、空港へ行く途中に立ち寄りました。午後4時前ですが、もう薄暗く閉館5時まで散歩しました。
竪穴式住居を始めとして、復元された縄文時代の大規模な家屋群が形成されています。



静岡県の登呂遺跡を見学したことがあります。残念ながら、もうさびれていました。しかし、こちらはたいへん豪華です。






縄文時代は5000年ぐらい続きました。
夕暮れの野原に立ちながら、文字や書物は残っていないものの、現代とそれほど変わりない高度な社会が存在していたと思わざるを得ません。船による交通が発達していたことでしょう。



この構築物はかなりの高さで巨大です。使用目的はわからないそうです。
左奥には雪をかぶった八甲田山が見えました。わたしたちは、つい2時間ほど前にその頂上にいました。車はなんて便利なのでしょう。そして、この4時間後には飛行機から降りて名古屋にいました。どしゃぶりの雨でした。交通機関がタイムマシン代わりになって、時代の空間を移動したようでした。  

青森県 八甲田山(はっこうださん)

2009年12月05日

Posted by 熊太郎 at 09:58Comments(0)TrackBack(0)青森県
青森県 八甲田山(はっこうださん)

 「十和田ゴールドライン」という道路を車で登っていきました。だんだん道路に雪が残っている状態になり、カーブが続くので、すべりはしないかと不安でした。そんな心配を吹き飛ばしたのが、次の風景でした。



写真で見るよりも美しく、息が止まるほどでした。
ロープウェイ駅に到着する頃、十和田湖まであと50kmぐらいという標識が出て、先の道路は雪をかぶっており、もうこれ以上は時間的にも進めないとあきらめがつきました。次の写真は、ロープウェイで頂上駅を目指している途中です。



樹氷というものを初めて見ました。言葉では言い表せないほど美しい。






山頂付近の映像です。気温はマイナス5度でしたが、寒くはありませんでした。
頂上駅においてあった長靴にはきかえて、こどものようにはしゃぎました。
耳を澄ませても何も聞こえません。音のない世界です。精霊たちが棲(す)む空間です。






空の色がきれい。眼下に陸奥(むつ)湾が広がって、その上空の空気の層があわさる部分の色が絵の具では出せないほどの微妙なブルーでした。






きのう、津軽半島で見えなかった岩木山もきょうは見ることができました。
おーい、いわきさーんと声をかけたくなるほど近くに感じます。












「八甲田山死の彷徨(ほうこう、さまようこと)」新田次郎著を読んだのは、今から33年ぐらい前、まだ18歳の頃でした。51歳になってようやく現場に立ちました。あおもりにきてよかったなー  

青森県 浅虫水族館と平内町小港白鳥渡来地

2009年12月04日

Posted by 熊太郎 at 21:05Comments(0)TrackBack(0)青森県


青森県浅虫水族館と平内町小港(ひらないこみなと)白鳥渡来地




徐々に天候が回復してきました。次の写真ではよく見えませんが、肉眼では富士山の形をした山がきれいに見えました。岩木山だと思うのです。



それから次は、津軽半島の山々だと思うのです。



水族館へ行きました。イルカショーを見るのは久しぶり。






ちびっこたちがたくさんいて、ハートフルなショーでした。



水槽はトンネル式のもので、見学に来ているこどもたちは、興奮しながらおさかなさんたちを指差し、親ごさんに声をかけているのでした。ああ、うちの家族にもあんな時期があったとなつかしかった。
その後、野生の白鳥の渡来地を見てみようと、江戸時代の奥州街道(現在の陸羽街道)を東に向かいました。以前、白鳥飛来地である新潟県の瓢湖(ひょうこ)へ行ったことがあります。まだ時期が早すぎて、いたのは鴨さんばかりでした。今回もなんとなくそんな気がします。



やっぱり鴨さんでした。それからかもめさんたちがいました。



だれもいないよりはましです。
車で海岸線の道を青森市方面へ戻りながら、本州のはじっこまで来たことを実感しました。  

青森県 津軽三味線

2009年12月03日

Posted by 熊太郎 at 20:00Comments(0)TrackBack(0)青森県
青森県 津軽三味線

太宰治「斜陽館」の道を隔てたお向かいにある津軽三味線会館を見学した夜に津軽三味線を聴きました。



演者は、鳴海昭仁さんという方で、津軽三味線の世界では有名な方のようです。
津軽三味線を生で耳にしたのは初めてです。右手で、ばちを1回おろすだけなのに、音が5つも6つも聞こえるのです。そのうち、左手の指で弦をはじいていることに気づきました。
横笛の披露もありました。テープが流れているのではなかろうかと勘違いするぐらい美しい音色でした。



お弟子さんたちを含めた3人の演奏はにぎやかで、観客の拍手や声もかかり盛り上がりました。



三味線の音色に耳を傾けながら、日本人に生まれてよかったとか、青森に来てよかったと何度も思いました。そして最後には、生きてて良かったと感無量になりました。(死にたいと思ったことはありませんが、消えてしまいたいと思うことはままあります)  

太宰治「斜陽館」

2009年12月01日

Posted by 熊太郎 at 20:20Comments(0)TrackBack(0)青森県
太宰治「斜陽館」

 パラパラと降る雨模様の中を車で五所川原市の金木町(かなぎ)へと向かいました。道路の左側には、日本海方向から吹付けるらしき雪から道を守るための防雪壁のようなものが続きます。津軽半島の先端である竜飛崎まではまだ遠い。行くことをあきらめました。そこにある青函トンネル記念館がもう10月10日までで、今シーズンは閉館になっていることを知りました。



 先日読んだ本のなかで登場人物の女性が、修学旅行で斜陽館に行ったけれど、ただ広いだけだったというセリフがありました。そんなことは言わないでほしい。遠路はるばる悪天候の中を来たのだから。
 おなかがすいていたので、見学する前に、道路を隔てて前にあった食堂で昼食をとりました。ほたて貝の貝殻を鍋代わりにして卵とじの形態の煮物と馬刺しを食べました。卵とじのほうは郷土料理らしく、翌朝のホテルの朝食でも提供されました。馬刺し、おいしかったです。お土産コーナーで若い人が観光客向けにアンケートをしていたので、妻やこどもたちが答えていました。



よく磨きこまれた床です。
奈良市で、志賀直哉氏の旧居を見学したことがあります。ここと同じく和洋折衷(せっちゅう)のお屋敷でした。明治・大正の財界・文化人宅は洋風であります。こちらのお宅の場合、金融業の窓口は洋風、家人、来客者宿泊用は和室・洋室、雇われ人たちは和室を使用したようです。









和室のふすまには「斜陽」の文字がありました。



文章の末尾、左下になります。



家の中を2周半ぐらいしました。少年太宰君の淋しさが伝わってきました。家の大きさと幸せの大きさは比例しません。
見学を終えてホテルに向かう途中の踏み切りで津軽鉄道を見かけました。
右側に見えるのが防雪のための壁です。



津軽は平野でした。見渡す限り自然の風景で、吉幾三さんの歌にあるようになにもないといえばなにもないところでした。  

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