2024年09月30日

ペーパ・ムーン アメリカ映画 1973年

ペーパ・ムーン アメリカ映画 1973年(昭和48年) 1時間42分 動画配信サービス

 真夏の時期に読んだ児童文学、『希望のひとしずく キース・カラブレーゼ 代田亜希子(だいた・あきこ訳 理論社』の243ページに、次のような文章があり、この映画を思い出して、映画を観ました。何十年も前に観たことがあるのかもしれませんが、内容についての記憶がまったくありません。
 『そう、ただの紙のお月さま 厚紙の海のうえにうかんでる だけど、見せかけなんかじゃい あなたがわたしを信じてくれるなら……』
 映画が始まってすぐに流れ始める優しい歌に本に書いてあったものと同じ歌詞がありました。歌詞は字幕で表示されました。
 児童文学作品では、母親が昔この歌をこどもである自分に歌ってくれたとあります。

 観(み)終えて、いい映画でした。
 内容的にこどもさんには見せにくいものがあるので、大人が観るこどもがらみの映画でしょう。
 全編白黒で、登場する詐欺師とみなしご役9歳の娘は現実世界では、実の親子です。ライアン・オニールとテータムオニール親子です。

 時代背景はいつだろう。
 大統領が、フランクリンだという言葉が聞こえました。(フランクリン・ルーズベルト 1933~1945年が大統領だった)
 道路は土で舗装されていません。
 走っているのは大きなクラシックカーです。
 テレビはなく、ラジオはある。
 設定は、1930年(日本だと昭和5年)ぐらいに思えます。(ルーズベルトの任期そして、後述の禁酒法の時代からの、わたしの推測です)

少女アディ:9歳。父親はだれだかわからない。これまでに出会ったおじさんたちを順番に父親だと決めつけてみるがどれも違うらしい。
 母親が死んで、簡単な土葬の葬式をしているシーンから始まります。
 母親は、どうも飲み屋で働いていて男相手にお金を稼いでいたような設定です。

詐欺師モーゼ(ライアン・オニール):少女アディ(テータムオニール)の母親と付き合いがあった。
 交通事故で飲酒運転の車にひかれて亡くなった母親の葬儀に顔を見せたら、同席していた人たちから、少女アディをお金持ちの叔母のところへ連れて行ってくれと頼まれて引き受けた。
 母親を車でひいた交通事故の加害者から詐欺でお金をせしめるつもりでアディを預かった。

 詐欺師に連れられた少女で気の毒なのですが、話の中身はそうはいきません。
 したたかで強い少女なのです。アディ自身もからんで、詐欺師と組んで、詐欺をしながら旅を始めます。なかなかしぶとい娘です。

 『(あなたはわたしの)パパなの?』
 『ちがう』
 この時代、どこも親のいない子どもばかりです。ほかに15歳の黒人の女の子もいます。ふたりは、いいコンビニなります。
 黒人の女の子は、お金に飢えています。お金をたくさんくれるいい雇い主に付きたい。
 貧困生活があります。タバコ映画でもあります。9歳のアディが喫煙者です。
 おとなの男と女の性風俗もあります。お金がらみの交渉があります。
 『(詐欺師モーゼに向かってアディが、あなたは、わたしの)パパだ!』
 おもしろい。お金をめぐって、9歳の娘アディが、詐欺師のモーゼを脅します。(おどします)

 詐欺師モーゼは、ウソつきの聖書売りですが、ふたりが組んで、だんだん詐欺で手に入れる額が大きくなります。事業拡大です。やり方も複雑で巧妙です。被害者は、アディが9歳の少女だから油断してだまされます。

 アディは、『女』になりたい願望が強い。お化粧して、装飾品を身に付けて、きれいになりたい。

 なかなかおもしろい。

 伏線として、移動サーカスのコーナーで、『(つくりものの紙の)お月さまのところに座ってください(少女アディひとりだけでの記念写真撮影です)』

 カネ、カネ、カネ、貧困、性風俗、そんな話が続きます。
 元気な女の子です。お化粧をしてきれいなレディになりたい。
 
 観ている途中で、最後は、『別れ』になるのだろうと予想しました。(予想ははずれました。それはそれで、とても良かった)

 9歳のアディは小さくても、『女』なのです。
 アディは、詐欺師のモーゼに対して愛情があります。

 酒の密売の話が出ます。
 禁酒法の時代です。1920年~1933年(日本だと大正9年から昭和8年)

 ドタバタ騒ぎがあっておもしろい。
 白黒映像は気になりません。
 思えば、わたしがこどもの頃、テレビは白黒でした。おとなになったときも職場の独身寮で白黒テレビを見ていました。

 すごいなあ。大きなクラシックカーで追いかけっこです。
 酒の密売人の弟が保安官だそうです。悪人同士には協力関係があります。権力とお金をひとり占めです。

 すごい! 9歳の女児が、車を運転します。
 それを見ていたら、邦画、『幸せの黄色いハンカチ』で、自動車学校の仮免で学校をやめたという設定の桃井かおりさんが、北海道で武田鉄矢さんが買った赤い新車を運転して田んぼに突っ込んでいったシーンを思い出しました。あの映画も良かった。

 札束がときおり映像に出てきます。
 時は流れて、今は、電子マネーの時代になりました。

 メッセージとして、どんな生活環境であっても、生きていく。
 生きるという強い意思のある映画でした。

 大統領の話が何度か出てくるのですが、その趣旨はわたしにはわかりません。なにか意味があるのでしょう。

 いいラストシーンでした。
 人生は思い出づくりです。
 金(カネ)じゃない。
 アディは、伯母宅でリッチ(大金持ち)な生活をするのではなくて、詐欺師モーゼとケンカしながらの旅を選択しました。
 カネじゃない。
 人生をエンジョイ(楽しむ)しよう!
 
 ラストシーンの奥まで続く長い道は、人生を意味しているということがわかる、わかりやすい映画でした。楽しい映画でした。

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この記事へのコメント
こんにちは、熊太郎さん。私の大好きな映画の1本「ペーパー・ムーン」の紹介をされていますので、コメントしたいと思います。


この映画「ペーパー・ムーン」は、古き良き時代のアメリカ映画への夢を託した珠玉の名作だと思います。

1970年代のアメリカ映画の映画史的な流れとして、過去を取り上げた、いわゆるノスタルジックな映画が流行しました。

過去を取り上げるだけなら、そんなに珍しい事ではありませんが、色彩から衣装、音楽の使い方に至るまで細心の神経と注意をはらい、ノスタルジックな郷愁をかきたて、気分を盛り上げていくような映画が数多く製作されました。

それは、一面では現実からの逃避という側面もありますが、良質の優れた映画には、過ぎ去ったものを、もう一度見直そうとする真摯な精神が満ち溢れていたのではないかと思います。

映画批評家出身のピーター・ボグダノヴィッチ監督は、1968年の「殺人者はライフルを持っている!」で鮮烈なデビューを飾った後、1971年のノスタルジア映画の最高峰とも言われる名作の「ラスト・ショー」を撮り、まさに監督としての絶頂期の1973年にこの「ペーパー・ムーン」を撮りました。

その頃、フランシス・フォード・コッポラ監督、ウィリアム・フリードキン監督という当時の新進気鋭の監督たちと、「ディレクターズ・カンパニー」という独立した映画会社を設立し、その第1回作品として、この「ペーパー・ムーン」が製作された事はあまりにも有名です。

特にピーター・ボグダノヴィッチ監督は、過去へのノスタルジック物が大好きで、「ラスト・ショー」で1950年代を描いた後、今度は「ペーパー・ムーン」で1930年代を描きましたが、この映画は白黒スタンダード映画で、男と少女という設定は、チャップリンの名作「キッド」へのオマージュを捧げた映画になっているのは明らかです。

そして、映画批評家出身で映画オタクでもあるピーター・ボグダノヴィッチ監督が、"古き良き時代の映画よもう一度"という夢を託した映画でもあると思います。

だからといって、古色蒼然と撮っている訳ではなく、カメラ・ワークや編集の仕方は、いわゆる当時のアメリカン・ニューシネマ以後のアメリカ映画の新しさをもっていて、ピーター・ボグダノヴィッチ監督は、非常に斬新で凝った映像作りをしていると思います。

この映画は1930年代のアメリカの不況時代の中西部を舞台に、ライアン・オニール演じる詐欺師の男モーゼとテイタム・オニール演じるアディという少女の心の交流を描く映画で、映画の題名の"ペーパー・ムーン"というのは、当時の有名なヒット・ナンバーの題名となっていますね。

この映画の実質的な主人公は、母親が他界して孤児となった9歳の少女アディで、母親の葬儀に突然現れた詐欺師のモーゼと一緒に、聖書を使って、人の善意につけ込む怪しい商売をしながら旅を続ける事になるという、アメリカ映画お得意のロード・ムービーという形をとりながら描かれていきます。

そしてアディは、モーゼよりも一枚も二枚も上手をいく天才的な悪知恵を働かせて、モーゼの窮地を救ったりというエピソードが描かれていきます。

当時は未曾有の大恐慌の時代で、子供にとってもサバイバルが大きな問題で、このような悪い時代を軽妙な詐欺で乗り切ろうとする、"シニカルでユーモアたっぷりな設定"が大変うまく生かされ、二人はいい加減な日々を逞しく生きながらも、やがて親子のような絆を作り上げていきます。

カーニバルのアトラクションとして展示されている"ペーパー・ムーン(紙でできた月の模型)でも、信じれば本物の月のように見えるように、いい加減な人生の中にもひとかけらの真実が宿るという事もあるんだよ"という事を、映画の作り手たちは、我々観る者の心に語りかけて来ているような気がします。

ピーダー・ボグダノヴィッチ監督が、映画の中で1930年代を再現しようとする凝り方は異常なくらい、凝りに凝っていて、映画のロケ地であるカンザス州の田舎町は、南部と中部を中心に8000キロのロケハンをしたあげくに探し出したところだと言われていますし、衣装についても、1930年代の映画でビング・クロスビー、ロバート・テーラー、ジェイムズ・キャグニーなどが着用した撮影用の服もそのまま再使用されたとの事です。

そして、クラシック・カーのラジオやホテルの古いラジオから流れてくるビング・クロスビーの歌やトミー・ドーシー楽団のスウィングなど1930年代のヒット・ミュージックが、映画をノスタルジックに楽しく、ワクワクさせてくれます。

この映画の大成功の要因はやはり、撮影当時9歳だったテイタム・オニールのキャスティングにあり、一見すると少年のような容姿ですが、そんな彼女がモーゼが入れ込むグラマーな芸人に対して、ひとりの女としてライバル心を燃やすところの心理描写を実にうまく演じていて、まさに舌を巻く程という形容がぴったりとするくらいの天才的な演技力を示しています。

そして、テイタム・オニールはこの映画の演技で、1973年度第46回アカデミー賞で最優秀助演女優賞を受賞し、同年の第31回ゴールデン・グローブ賞で有望若手女優賞を受賞しています。

テイタム・オニールの9歳でのアカデミー賞の最優秀助演女優賞の受賞は、アカデミー史上最年少での受賞であり、それまでの「奇跡の人」でヘレン・ケラーを演じて16歳で同賞を受賞していたパティ・デュークの記録を破る画期的なものでした。
Posted by オーウェン at 2024年10月05日 09:37
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