2023年12月18日
鹿児島市 平川動物公園
鹿児島市 平川動物公園
今回の鹿児島市訪問で訪れたわけではないのですが、次回、いつになるかわかりませんが、再訪した時の訪問先を考えるときの案として参考までにここに記録を残しておきます。
ニュースで、平川動物公園のレッサーパンダ『風美(ふうみ)』が亡くなったという記事をネットで読みました。千葉市動物公園の二本足で立つ『風太』のこどもとありました。
千葉市動物公園は縁があって何度か訪れました。ただ、レッサーパンダの風太を見たことがあると思いますがもう覚えていません。レッサーパンダが何頭もいました。どれも似たような顔と姿です。
平川動物公園で亡くなった風美(ふうみ)は、年齢が16歳5か月(レッサーパンダの平均寿命は14~15歳)ですから高齢だったのでしょう。(風美の父親の風太は、現在20歳で存命です)
平川動物公園には、コアラもいます。鹿児島にいるコアラの存在を知りませんでした。
鹿児島市内のホテルや施設では、平川動物公園の案内を見かけなかったので、そういう動物園があることを知りませんでした。
帰宅して、持ち帰ったパンフレットを見ていたら、ひとつの冊子だけに記事がありました。地元の人たちが休日にこどもさん連れで行くところで、観光客が訪れる一般的な観光地ではないのでしょう。
平川動物園がどこにあるのかを調べました。
市街地の南端あたりです。地図で見ると山のふもと、丘陵地にあるようです。JRの駅からは少し離れています。バスで行くようです。車じゃないと、ちょっと不便そう。それでも人気のスポットのようです。のびのびゆったりできるそうです。
コアラのことは意外でした。
コアラが15頭もいます。
そして、ガラスの向こうではなく、じかに見ることができるそうです。
名古屋の東山動植物園にもコアラがいますが、分厚そうなガラスの向こう側にいます。空調の管理がなされているのだと思います。以前シドニーのタロンガ動物園を見学したことがありますが、東山動物園のコアラは、もともとは、タロンガ動物園からプレゼントされたものです。
コアラというのは、たいてい木の枝にしがみついていて、じっとしている時間帯が長いのですが、びゅんびゅんと動き回るときもあります。初めてそのようすを見たときはびっくりしました。『きみたちは、寝たふりをしていたのか!!』と、わたしはたいそうびっくりしました。
東山動植物園のコアラたちは、お昼の昼ごはんどきになると、ごはんを食べることができるのが、そうとううれしいのか、枝から枝へとぴょんぴょん飛び回ります。勢いがあって、びゅんびゅんという音が聞こえてきそうなぐらいです。見ていて本当にびっくりします。動かないぬいぐるみのような態勢だったのに、別人のように変化します。
いつになるかわかりませんが、次回鹿児島市を訪れたおりには、桜島に渡って観光をして、ほかに、こちらの平川動物園の訪問も候補地にあげておきます。
そういえば、桜島に渡るフェリーは、いざというときの桜島の噴火に備えて、24時間営業だという記事も読みました。時間帯によって、15分、20分、30分間隔で運行されています。なるほど。桜島にお住いの人たちを救うのです。
今回の鹿児島市訪問で訪れたわけではないのですが、次回、いつになるかわかりませんが、再訪した時の訪問先を考えるときの案として参考までにここに記録を残しておきます。
ニュースで、平川動物公園のレッサーパンダ『風美(ふうみ)』が亡くなったという記事をネットで読みました。千葉市動物公園の二本足で立つ『風太』のこどもとありました。
千葉市動物公園は縁があって何度か訪れました。ただ、レッサーパンダの風太を見たことがあると思いますがもう覚えていません。レッサーパンダが何頭もいました。どれも似たような顔と姿です。
平川動物公園で亡くなった風美(ふうみ)は、年齢が16歳5か月(レッサーパンダの平均寿命は14~15歳)ですから高齢だったのでしょう。(風美の父親の風太は、現在20歳で存命です)
平川動物公園には、コアラもいます。鹿児島にいるコアラの存在を知りませんでした。
鹿児島市内のホテルや施設では、平川動物公園の案内を見かけなかったので、そういう動物園があることを知りませんでした。
帰宅して、持ち帰ったパンフレットを見ていたら、ひとつの冊子だけに記事がありました。地元の人たちが休日にこどもさん連れで行くところで、観光客が訪れる一般的な観光地ではないのでしょう。
平川動物園がどこにあるのかを調べました。
市街地の南端あたりです。地図で見ると山のふもと、丘陵地にあるようです。JRの駅からは少し離れています。バスで行くようです。車じゃないと、ちょっと不便そう。それでも人気のスポットのようです。のびのびゆったりできるそうです。
コアラのことは意外でした。
コアラが15頭もいます。
そして、ガラスの向こうではなく、じかに見ることができるそうです。
名古屋の東山動植物園にもコアラがいますが、分厚そうなガラスの向こう側にいます。空調の管理がなされているのだと思います。以前シドニーのタロンガ動物園を見学したことがありますが、東山動物園のコアラは、もともとは、タロンガ動物園からプレゼントされたものです。
コアラというのは、たいてい木の枝にしがみついていて、じっとしている時間帯が長いのですが、びゅんびゅんと動き回るときもあります。初めてそのようすを見たときはびっくりしました。『きみたちは、寝たふりをしていたのか!!』と、わたしはたいそうびっくりしました。
東山動植物園のコアラたちは、お昼の昼ごはんどきになると、ごはんを食べることができるのが、そうとううれしいのか、枝から枝へとぴょんぴょん飛び回ります。勢いがあって、びゅんびゅんという音が聞こえてきそうなぐらいです。見ていて本当にびっくりします。動かないぬいぐるみのような態勢だったのに、別人のように変化します。
いつになるかわかりませんが、次回鹿児島市を訪れたおりには、桜島に渡って観光をして、ほかに、こちらの平川動物園の訪問も候補地にあげておきます。
そういえば、桜島に渡るフェリーは、いざというときの桜島の噴火に備えて、24時間営業だという記事も読みました。時間帯によって、15分、20分、30分間隔で運行されています。なるほど。桜島にお住いの人たちを救うのです。
2023年12月17日
鹿児島市内 仙厳園(せんがんえん)
鹿児島市内 仙厳園(せんがんえん)
最初は地名を読めませんでした。「せんげんえん」だろうか。「せんがんえん」でした。
薩摩島津家の別荘のようなものと受け取りました。
桜島が近い。くっきりと山肌が目の前に迫ります。
入場してすぐでしたが、結婚式の前撮りをされているカップルとスタッフのみなさんがおられました。熊太郎夫婦と同じようなコースで園内を写真撮影しながら回られていました。いいお天気で良かった。きっとお日柄も良かったのでしょう。
入口を入ると反射炉跡地がありました。大砲をつくるために、太陽で鉄を溶かす施設だったと思います。(金属溶解炉)。以前、静岡県の韮山(にらやま)で見学したことがあります。先日は、テレビ番組『東野・岡村の旅猿』で、山口県萩市のものが紹介されていました。
こちらの反射炉の手前方向、背後は、芝生の斜面になっており、修学旅行中の中学生らしきこどもたちが寝そべって、気持ちよさそうに、ひなたぼっこをしたり、記念写真を撮りあったりしていました。のどかです。
島津家のお殿様たちが過ごされた御殿を見学しました。
ちょうど、内部を紹介してもらえるツアーが始まる時刻だったので、熊太郎夫婦ともうひとつのグループの方と5人で御殿の中を案内していただきました。親切丁寧な説明をありがとうございました。
写真撮影可でしたので、たくさん写真を撮りましたが、ブログに写真を掲載する容量が減ってきたので、ここに掲載する写真は数枚にしておきます。
まあ、なにせ、豪華です。
海外からのお客さまをもてなす迎賓館の役割もあったそうです。
古いシャンデリアが、そのまま今も使われています。
おふろです。広い。お湯をもってきて浴槽(よくそう)に入れて使っていたそうです。
お殿さまの寝床です。
きれいな陶器が展示してありました。薩摩焼(さつまやき)です。
ロシアの皇帝にプレゼントした品物のレプリカ(複製)と聞きました。
最初は地名を読めませんでした。「せんげんえん」だろうか。「せんがんえん」でした。
薩摩島津家の別荘のようなものと受け取りました。
桜島が近い。くっきりと山肌が目の前に迫ります。
入場してすぐでしたが、結婚式の前撮りをされているカップルとスタッフのみなさんがおられました。熊太郎夫婦と同じようなコースで園内を写真撮影しながら回られていました。いいお天気で良かった。きっとお日柄も良かったのでしょう。
入口を入ると反射炉跡地がありました。大砲をつくるために、太陽で鉄を溶かす施設だったと思います。(金属溶解炉)。以前、静岡県の韮山(にらやま)で見学したことがあります。先日は、テレビ番組『東野・岡村の旅猿』で、山口県萩市のものが紹介されていました。
こちらの反射炉の手前方向、背後は、芝生の斜面になっており、修学旅行中の中学生らしきこどもたちが寝そべって、気持ちよさそうに、ひなたぼっこをしたり、記念写真を撮りあったりしていました。のどかです。
島津家のお殿様たちが過ごされた御殿を見学しました。
ちょうど、内部を紹介してもらえるツアーが始まる時刻だったので、熊太郎夫婦ともうひとつのグループの方と5人で御殿の中を案内していただきました。親切丁寧な説明をありがとうございました。
写真撮影可でしたので、たくさん写真を撮りましたが、ブログに写真を掲載する容量が減ってきたので、ここに掲載する写真は数枚にしておきます。
まあ、なにせ、豪華です。
海外からのお客さまをもてなす迎賓館の役割もあったそうです。
古いシャンデリアが、そのまま今も使われています。
おふろです。広い。お湯をもってきて浴槽(よくそう)に入れて使っていたそうです。
お殿さまの寝床です。
きれいな陶器が展示してありました。薩摩焼(さつまやき)です。
ロシアの皇帝にプレゼントした品物のレプリカ(複製)と聞きました。
2023年12月16日
鹿児島市内 城山公園
鹿児島市内 城山公園
朝、ホテルの無料送迎バスで鹿児島中央駅まで行きました。
駅にあるコインロッカーに荷物を預けて、今度は、宿泊したホテルの1階インフォメーションで購入した一日乗車券を使って、『鹿児島シティビュー』という市内の観光地を循環しているバスに乗って鹿児島市内を回りました。山沿いから海沿いへと、市内をぐるりと回るので市内のようすがわかりました。以前大分県別府市で利用した温泉地獄めぐりと似たようなコースどりでした。
鹿児島市の人口は、59万人ぐらいです。別府市は、11万人ぐらいです。熊太郎夫婦が去年訪れた善光寺がある長野市が、36万6000人ぐらいです。九州で一番人口が多い福岡市が、164万4000人ぐらいです。
バスが城山公園に着く前に、西郷隆盛さんの大きな銅像を車窓から見ました。
また、西郷隆盛さんが、自害する前に数日間を過ごした『西郷洞窟』も車窓から見ました。洞窟の前にある小さな広場では、地元の幼稚園か保育園のちびっこたちが遊んでいて、バスに乗っているわたしたちに手を振ってくれたので、わたしたちも手を振り返しました。
城山公園からの景色はとてもきれいでした。
こぢんまりとした広場です。
見学滞在時間はそれほどいらないでしょう。15分程度記念撮影をしたり、景色をぼーっとながめたりして、到着してから30分後に来た鹿児島シティビューのバスに乗りました。
展望広場で、そばにいた男女のグループに写真のシャッター押しをお願いしたら、たいへん親切に対応してくださいました。
日本人観光客だと思って、うちの奥さんが声をかけたのですが、韓国人の旅行者の方たちでした。若い男性が、片言の日本語でゆっくりていねいにわたしたち夫婦の写真をとってくださいました。(カムサハムニダ:ありがとう)
展望台から少し下がったところで、地元の小学生たちが、かけっこのような走る大会をやっていました。先生方や、おもにお母さんのご父兄がたくさんおられて、こどもたちの応援をされていました。
あとで調べたら、城山の登山競走大会というイベントだったようで、作家の向田邦子さんとか林芙美子さんも通ったことがある小学校だったのでびっくりしました。
たしか、麓(ふもと)にある『かごしま近代文学館』に、向田邦子さんの展示コーナーがあった記憶です。なにかで読んだことがあります。
向田邦子作品は、『父の詫び状(ちちのわびじょう) 向田邦子 文春文庫』『阿修羅(あしゅら)のごとく 向田邦子 文春文庫』『思い出トランプ 向田邦子 新潮文庫』、それから林芙美子さんは、読書メモは残っていませんが、『放浪記』を読んだことがあります。
城山公園展望台付近は、平日だったせいかもしれませんが、観光地としては、さびれているような印象でした。展望台につながる道にあるみやげ物店もやっていないところが多かった。
城山公園は、西南戦争のときの激戦地だったそうです。(西南戦争:1877年(明治10年))
西郷隆盛グループは、バスで来るときに見た西郷洞窟を出たあと、ちょっと東へ行ったあたりで自害されたそうです。
桜島の山の上、白い雲のように見えるのは、雲ではなくて、噴煙です。
海の表面がとても穏やかです。(おだやかです)
以前、四国の瀬戸内海にある小豆島(しょうどしま)に行ったときに見た瀬戸内海に似ています。海というよりも、湖のように見えるのです。この日の鹿児島湾は、とても穏やかでした。
そういえば、小豆島で、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』を書かれた壺井榮さん(つぼい・さかえさん)の文学館を見学したとき、展示に壺井榮さんと林芙美子さんは親しい間柄だったと書いてありました。
朝、ホテルの無料送迎バスで鹿児島中央駅まで行きました。
駅にあるコインロッカーに荷物を預けて、今度は、宿泊したホテルの1階インフォメーションで購入した一日乗車券を使って、『鹿児島シティビュー』という市内の観光地を循環しているバスに乗って鹿児島市内を回りました。山沿いから海沿いへと、市内をぐるりと回るので市内のようすがわかりました。以前大分県別府市で利用した温泉地獄めぐりと似たようなコースどりでした。
鹿児島市の人口は、59万人ぐらいです。別府市は、11万人ぐらいです。熊太郎夫婦が去年訪れた善光寺がある長野市が、36万6000人ぐらいです。九州で一番人口が多い福岡市が、164万4000人ぐらいです。
バスが城山公園に着く前に、西郷隆盛さんの大きな銅像を車窓から見ました。
また、西郷隆盛さんが、自害する前に数日間を過ごした『西郷洞窟』も車窓から見ました。洞窟の前にある小さな広場では、地元の幼稚園か保育園のちびっこたちが遊んでいて、バスに乗っているわたしたちに手を振ってくれたので、わたしたちも手を振り返しました。
城山公園からの景色はとてもきれいでした。
こぢんまりとした広場です。
見学滞在時間はそれほどいらないでしょう。15分程度記念撮影をしたり、景色をぼーっとながめたりして、到着してから30分後に来た鹿児島シティビューのバスに乗りました。
展望広場で、そばにいた男女のグループに写真のシャッター押しをお願いしたら、たいへん親切に対応してくださいました。
日本人観光客だと思って、うちの奥さんが声をかけたのですが、韓国人の旅行者の方たちでした。若い男性が、片言の日本語でゆっくりていねいにわたしたち夫婦の写真をとってくださいました。(カムサハムニダ:ありがとう)
展望台から少し下がったところで、地元の小学生たちが、かけっこのような走る大会をやっていました。先生方や、おもにお母さんのご父兄がたくさんおられて、こどもたちの応援をされていました。
あとで調べたら、城山の登山競走大会というイベントだったようで、作家の向田邦子さんとか林芙美子さんも通ったことがある小学校だったのでびっくりしました。
たしか、麓(ふもと)にある『かごしま近代文学館』に、向田邦子さんの展示コーナーがあった記憶です。なにかで読んだことがあります。
向田邦子作品は、『父の詫び状(ちちのわびじょう) 向田邦子 文春文庫』『阿修羅(あしゅら)のごとく 向田邦子 文春文庫』『思い出トランプ 向田邦子 新潮文庫』、それから林芙美子さんは、読書メモは残っていませんが、『放浪記』を読んだことがあります。
城山公園展望台付近は、平日だったせいかもしれませんが、観光地としては、さびれているような印象でした。展望台につながる道にあるみやげ物店もやっていないところが多かった。
城山公園は、西南戦争のときの激戦地だったそうです。(西南戦争:1877年(明治10年))
西郷隆盛グループは、バスで来るときに見た西郷洞窟を出たあと、ちょっと東へ行ったあたりで自害されたそうです。
桜島の山の上、白い雲のように見えるのは、雲ではなくて、噴煙です。
海の表面がとても穏やかです。(おだやかです)
以前、四国の瀬戸内海にある小豆島(しょうどしま)に行ったときに見た瀬戸内海に似ています。海というよりも、湖のように見えるのです。この日の鹿児島湾は、とても穏やかでした。
そういえば、小豆島で、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』を書かれた壺井榮さん(つぼい・さかえさん)の文学館を見学したとき、展示に壺井榮さんと林芙美子さんは親しい間柄だったと書いてありました。
2023年12月15日
鹿児島市内へ行く
鹿児島市内へ行く
(次の部分は、2023年(令和5年)7月に書いた記述です)
しばらく前から観光旅行のプランをつくっています。
当初は、今年5月ごろに、NHKテレビ番組『72時間』で観た青森県恐山(おそれざん。荒涼とした風景が良かった)へ行こうとしましたが、4月のとある朝、おふとんの中で目が覚めたら、おしりのまんなか右側に激痛があり、病院で坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)という診断をいただき、7月初旬まで整形外科に通院して5月の旅行をあきらめました。お尻のまんなか右あたりから、右足ふともも・右足ふくはぎ、右足の指先(ゆびさき)小指あたりまで1本の筋が通っていて、痛みと右足の裏に空気が入っている感覚が続きました。(結局7月まで毎週整形外科へリハビリに通い痛みがおさまりました)
それなら9月に青森の恐山と盛岡市内に行けないかとプランを練っていたら、恐山にも翌日の宿泊を考えていた岩手県盛岡市内にも熊が出たとのニュースを目にして、今年はやめておこう。熊がいなくなるであろう来年以降にしようと、東北旅行は先のばしにすることにしました。
次に考えたのが、長崎県の雲仙温泉でした。今はもう亡くなりましたが、義父母が五十代のときに観光旅行したところであり、わたしたち夫婦も訪れてみようかと思いついたのです。ところが、意外に遠い。うーむどうしようかと迷っていた時に、九州福岡の親戚と電話で話したら、どうも雲仙は観光地としてはさびれているらしい。通過点として立ち寄る場所で、宿泊する人は少ない。
あれやこれや話しているうちに、新幹線開業で、博多駅から鹿児島中央駅までは、1時間半ぐらいで行ける(速い!)。
親戚の話では、鹿児島市内は観光地として、とても楽しめるところだと聞いて、心が鹿児島市内にと動きました。
以前、大学生だった息子とふたりで、航空機を使って、鹿児島空港で降りて、レンタカーを借りて、指宿(いぶすき)に宿泊して、開聞岳(かいもんだけ)とか池田湖を見学したことはありますが、鹿児島市内の見学体験はありません。
うちの奥さんに聞いたらこれまで見たことがない桜島を観たいというので、鹿児島市内観光をすることにしました。
今はまだ7月の始めです。訪問は初秋を予定しています。
坐骨神経痛の痛みはもうすぐ消えそうです。歳をとりました。
(以下は、2023年10月9日に書いた記述です)
予定よりかなり遅くなりましたが、昨日、鹿児島市内にあるホテルの予約を済ませました。
訪問はいろいろ予定を調整して、12月の初めころにしました。ホテルの展望温泉風呂につかりながら、雄大な桜島をながめたい。楽しみです。
その後、ニュースで、熊ではなく、鹿児島市内にイノシシが出たという報道を観ました。熊よりはだいじょうぶでしょう。
(今回の記述です。先週、12月のとある日に、鹿児島市内を訪れました。好天気に恵まれて良かった)
名古屋駅から新幹線に乗って、岡山駅で九州新幹線『さくら』に乗り換えて、(家を午前10時ごろ出て)午後4時過ぎに『鹿児島中央駅』に到着しました。『さくら』は8両編成で、シートは通路の両側に2列で、ソファーに座っているようで快適でした。
半世紀前ぐらい前(50年ぐらい前)のこと思うと本当に便利になりました。わたしがこどものころは、まだ蒸気機関車が走っていたし、架線式の電車ではなく、ディーゼルカー(軽油を燃料としたエンジン車)で、新幹線は、東京から新大阪までしかありませんでした。長距離は夜中に走る寝台車で移動していました。ブルートレインには何度も乗りました。
ときどき思うのですが、いろいろと、こんなに便利な世の中になったのに、まだ文句を言う人がいるのかと残念になります。昔は、たいへんでした。
くわえて、サラリーマンというものは、通勤が大変です。片道1時間45分ぐらいの通勤をしている人はざらにいます。さらにそれが転勤の人事異動辞令をもらうまでは、5年、7年と続くこともあります。朝は早く家を出て、夜は遅く帰るという繰り返しです。近頃は時短で残業はしてはいけないようですが、残業代を生活給として必要としている人もいます。だいじょうぶだろうか。
そんなこともあって、長時間通勤に慣れてくると、片道5時間から6時間の電車や車での移動が苦にならず、なんとも思わなくなります。近いとは思いませんが、遠いとも思いません。
今回思ったのは、博多駅-鹿児島中央駅間だったら、1時間半ぐらいなので、新幹線通勤ができそうです。仕事でも観光でも日帰りが可能です。
鹿児島中央駅から乗ったホテルの無料送迎バスの車窓にときおりちらちらと西日を浴びた桜島の山がありました。夕映えに輝く桜島は、雄大で力強い。絵画作品で、葛飾北斎が描いた赤富士というのがありますが、ここ鹿児島では、赤桜島です。バスを降りたら写真を撮ろうと思っていましたが、下車するとチェックインの手続きにつながって、部屋に入った時は、もう日が暮れていました。また改めて、今ぐらいの好天の時期に、もう少し早い時刻に来ればいい写真が撮れそうだと思いました。
ホテルのエレベーターの中に元気なこどもたちがいたので、ほかのお客さんとわたしたち夫婦でこどもたちに話しかけました。
修学旅行だそうです。中学生かと聞いたら、小学生だと返事があったので、最近の小学生は背が高いなあと感心しました。
あとでわかりましたが、おとなりの宮崎県から修学旅行で鹿児島県に来ていたのでした。
熊太郎の小学校の修学旅行の行き先は、東京でした。当時は栃木県に住んでいたので、バスで東京へ行って、学生会館というところに泊まって、広い和室で枕投げ大会をしたことを覚えています。あとは、後楽園遊園地のジェットコースターに乗りました。だれと乗ったのかはもう覚えていませんが。とても楽しかった。あとのことは記憶がありません。どこを見学したのだろう。忘れました。
いまどきのこどもさんは、ホテルのツインルームに泊まるのだろうか。枕投げ大会ができません。楽しいのに……
次の写真は、翌日、日の出のころの桜島あたりの光景です。午前7時過ぎぐらいです。
鹿児島市は日本列島の西の方に位置しているので、日没も日の出も時刻が遅く感じました。
次から3枚の写真は、日の出前の桜島です。
どの位置なのかわたしにははっきりとはわかりませんが、左から北岳、中岳、南岳と位置していて、南岳だけが噴火活動をしているそうです。(帰宅してから、12月10日日曜日に桜島が大規模に噴火したというニュースを読みました)
見えている煙は、雲ではなく、噴煙です。
次の写真では、わたしにはどれが何かはわかりませんが、左側の薄い山並みが、霧島とか高千穂だそうです。ホテルのどこかに貼ってあった掲示物にそう書いてありました。
時間がさかのぼるのですが、前日日没後の桜島です。このあと真っ暗になってしまいました。
なかなかいい感じだったので、またいつか来てもいいかなという気分になりました。船で桜島まで渡ってもいい。遠くはありません。こちらの陸から桜島までの距離は3kmと、どこかに表示がありました。
次回は、訪れた『城山公園』とか『仙厳園(せんがんえん)』のことをアップしてみます。
(次の部分は、2023年(令和5年)7月に書いた記述です)
しばらく前から観光旅行のプランをつくっています。
当初は、今年5月ごろに、NHKテレビ番組『72時間』で観た青森県恐山(おそれざん。荒涼とした風景が良かった)へ行こうとしましたが、4月のとある朝、おふとんの中で目が覚めたら、おしりのまんなか右側に激痛があり、病院で坐骨神経痛(ざこつしんけいつう)という診断をいただき、7月初旬まで整形外科に通院して5月の旅行をあきらめました。お尻のまんなか右あたりから、右足ふともも・右足ふくはぎ、右足の指先(ゆびさき)小指あたりまで1本の筋が通っていて、痛みと右足の裏に空気が入っている感覚が続きました。(結局7月まで毎週整形外科へリハビリに通い痛みがおさまりました)
それなら9月に青森の恐山と盛岡市内に行けないかとプランを練っていたら、恐山にも翌日の宿泊を考えていた岩手県盛岡市内にも熊が出たとのニュースを目にして、今年はやめておこう。熊がいなくなるであろう来年以降にしようと、東北旅行は先のばしにすることにしました。
次に考えたのが、長崎県の雲仙温泉でした。今はもう亡くなりましたが、義父母が五十代のときに観光旅行したところであり、わたしたち夫婦も訪れてみようかと思いついたのです。ところが、意外に遠い。うーむどうしようかと迷っていた時に、九州福岡の親戚と電話で話したら、どうも雲仙は観光地としてはさびれているらしい。通過点として立ち寄る場所で、宿泊する人は少ない。
あれやこれや話しているうちに、新幹線開業で、博多駅から鹿児島中央駅までは、1時間半ぐらいで行ける(速い!)。
親戚の話では、鹿児島市内は観光地として、とても楽しめるところだと聞いて、心が鹿児島市内にと動きました。
以前、大学生だった息子とふたりで、航空機を使って、鹿児島空港で降りて、レンタカーを借りて、指宿(いぶすき)に宿泊して、開聞岳(かいもんだけ)とか池田湖を見学したことはありますが、鹿児島市内の見学体験はありません。
うちの奥さんに聞いたらこれまで見たことがない桜島を観たいというので、鹿児島市内観光をすることにしました。
今はまだ7月の始めです。訪問は初秋を予定しています。
坐骨神経痛の痛みはもうすぐ消えそうです。歳をとりました。
(以下は、2023年10月9日に書いた記述です)
予定よりかなり遅くなりましたが、昨日、鹿児島市内にあるホテルの予約を済ませました。
訪問はいろいろ予定を調整して、12月の初めころにしました。ホテルの展望温泉風呂につかりながら、雄大な桜島をながめたい。楽しみです。
その後、ニュースで、熊ではなく、鹿児島市内にイノシシが出たという報道を観ました。熊よりはだいじょうぶでしょう。
(今回の記述です。先週、12月のとある日に、鹿児島市内を訪れました。好天気に恵まれて良かった)
名古屋駅から新幹線に乗って、岡山駅で九州新幹線『さくら』に乗り換えて、(家を午前10時ごろ出て)午後4時過ぎに『鹿児島中央駅』に到着しました。『さくら』は8両編成で、シートは通路の両側に2列で、ソファーに座っているようで快適でした。
半世紀前ぐらい前(50年ぐらい前)のこと思うと本当に便利になりました。わたしがこどものころは、まだ蒸気機関車が走っていたし、架線式の電車ではなく、ディーゼルカー(軽油を燃料としたエンジン車)で、新幹線は、東京から新大阪までしかありませんでした。長距離は夜中に走る寝台車で移動していました。ブルートレインには何度も乗りました。
ときどき思うのですが、いろいろと、こんなに便利な世の中になったのに、まだ文句を言う人がいるのかと残念になります。昔は、たいへんでした。
くわえて、サラリーマンというものは、通勤が大変です。片道1時間45分ぐらいの通勤をしている人はざらにいます。さらにそれが転勤の人事異動辞令をもらうまでは、5年、7年と続くこともあります。朝は早く家を出て、夜は遅く帰るという繰り返しです。近頃は時短で残業はしてはいけないようですが、残業代を生活給として必要としている人もいます。だいじょうぶだろうか。
そんなこともあって、長時間通勤に慣れてくると、片道5時間から6時間の電車や車での移動が苦にならず、なんとも思わなくなります。近いとは思いませんが、遠いとも思いません。
今回思ったのは、博多駅-鹿児島中央駅間だったら、1時間半ぐらいなので、新幹線通勤ができそうです。仕事でも観光でも日帰りが可能です。
鹿児島中央駅から乗ったホテルの無料送迎バスの車窓にときおりちらちらと西日を浴びた桜島の山がありました。夕映えに輝く桜島は、雄大で力強い。絵画作品で、葛飾北斎が描いた赤富士というのがありますが、ここ鹿児島では、赤桜島です。バスを降りたら写真を撮ろうと思っていましたが、下車するとチェックインの手続きにつながって、部屋に入った時は、もう日が暮れていました。また改めて、今ぐらいの好天の時期に、もう少し早い時刻に来ればいい写真が撮れそうだと思いました。
ホテルのエレベーターの中に元気なこどもたちがいたので、ほかのお客さんとわたしたち夫婦でこどもたちに話しかけました。
修学旅行だそうです。中学生かと聞いたら、小学生だと返事があったので、最近の小学生は背が高いなあと感心しました。
あとでわかりましたが、おとなりの宮崎県から修学旅行で鹿児島県に来ていたのでした。
熊太郎の小学校の修学旅行の行き先は、東京でした。当時は栃木県に住んでいたので、バスで東京へ行って、学生会館というところに泊まって、広い和室で枕投げ大会をしたことを覚えています。あとは、後楽園遊園地のジェットコースターに乗りました。だれと乗ったのかはもう覚えていませんが。とても楽しかった。あとのことは記憶がありません。どこを見学したのだろう。忘れました。
いまどきのこどもさんは、ホテルのツインルームに泊まるのだろうか。枕投げ大会ができません。楽しいのに……
次の写真は、翌日、日の出のころの桜島あたりの光景です。午前7時過ぎぐらいです。
鹿児島市は日本列島の西の方に位置しているので、日没も日の出も時刻が遅く感じました。
次から3枚の写真は、日の出前の桜島です。
どの位置なのかわたしにははっきりとはわかりませんが、左から北岳、中岳、南岳と位置していて、南岳だけが噴火活動をしているそうです。(帰宅してから、12月10日日曜日に桜島が大規模に噴火したというニュースを読みました)
見えている煙は、雲ではなく、噴煙です。
次の写真では、わたしにはどれが何かはわかりませんが、左側の薄い山並みが、霧島とか高千穂だそうです。ホテルのどこかに貼ってあった掲示物にそう書いてありました。
時間がさかのぼるのですが、前日日没後の桜島です。このあと真っ暗になってしまいました。
なかなかいい感じだったので、またいつか来てもいいかなという気分になりました。船で桜島まで渡ってもいい。遠くはありません。こちらの陸から桜島までの距離は3kmと、どこかに表示がありました。
次回は、訪れた『城山公園』とか『仙厳園(せんがんえん)』のことをアップしてみます。