九州旅行番外編(ペッパー警部)

旅立ちは雨でした。次の写真は鹿児島から到着したANA機で、この機体で鹿児島に向かいました。



飛行機はこわくて苦手ですが乗ります。(もう100回以上はのったと思います)
以前は旅立ちの前にどうか落ちませんようにと神社や神明社でお祈りをしていました。(いまはしていません。機内で揺れたときに南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華今日とか、イエスさまとか、心の中でつぶやきます。どんな神さまでも時と場合に応じて信じます)
この日も離着陸ともによく揺れました。
機内の音楽放送で、懐メロ(なつかしいメロディー)を聴いていました。都倉俊一特集でした。離陸後15分間ぐらい、かなり揺れました。着陸時の15分間はもっと揺れました。フライトアテンダントさんの大丈夫ですよというアナウンスには本当に助けられます。あなたを信じてもいいですかといいたくなります。
離陸後、ピンクレディーのペッパー警部が流れ出すと、機体がガクンガクンと揺れる。激しい音楽とともに機体も揺れる。歯を食いしばって、両手でひじ掛けを強く握り締めました。雲の上、上空高い位置にくればもう揺れません。音楽テープが1周回って、着陸態勢に入ったとき、またペッパー警部が流れ始めました。機体はぐらんぐらんと揺れる。ときおり、急激に下降する。これから先わたしは、ペッパー警部を聴くたびに体がぐらぐらと揺れるのでしょう。



上空から宮崎県の宮﨑空港、鹿児島の桜島が見えたときにはほっとしました。(写真は、指宿スカイラインから撮影した桜島です)
雲の上の景色は美しい。雲が雪のように見えました。これからも飛行機にはのるでしょう。

そのほか、搭乗券ではなくて、QRコードというのでしょうか、二次元バーコードを搭乗する前に機械の画面にあてる方式に変わっていたので、かなりとまどいました。  

鹿児島県 知覧特攻平和会館

館内は撮影禁止だったので、建物の外から撮影しました。



カーナビで、電話番号で行き先設定をしようとしたのですが、どういうわけか、手持ちのガイドブックにはこの場所の紹介とか電話番号がありません。近くに武家屋敷群があるのですが、そちらは紹介記事や電話番号がガイドブックに掲載されていました。しかし、わたしは武家屋敷や庭園には興味がないので通り過ぎました。
次の写真は平和会館の敷地内にあったもので、特攻隊員の宿舎です。上空から見つからないように周囲を樹木で囲まれています。また、地上は屋根だけで、室内部分は半地下になっています。青森で見た三内丸山遺跡とか、佐賀で見た吉野ヶ里遺跡とか、縄文・弥生時代の家に建て方・構造が似ていました。






意外だったのは次の点です。
知覧飛行場は地図で右側にある大隈半島の鹿児島湾に面した海岸の近くにあると思っていました。
*鹿児島湾の左側、薩摩半島の山間部でした。
長方形の滑走路があると思っていました。
*正方形の広い土地で、そのなかの一部分が滑走路として使用されていました。
特攻隊の飛行機は、たとえば80機とか100機という単位で飛び立って行ったと思っていました。
*1回の攻撃は、4機から8機でした。飛行機という武器を失うわけですから無理もありません。最終的に何百機という単位に至っています。しかし、そんな戦法はありえません。負けることがわかっていたのにひどい話です。まだ、17歳ぐらいから20代前半の若者たちばかりです。わたしは社会に「独裁者」を生み出してはいけないと強く決意しました。
この訪問のあとに「新装版ソウルの練習問題」関川夏央著を読み始めました。韓国人年配男性の言葉があります。日本がもう少し早く降伏してくれていたら朝鮮半島は分裂しなかった。降伏が遅れたからソ連が侵攻してきた。悔やんでも悔やみきれない。(当時朝鮮半島は日本の管轄下にありました。日本が終戦を迎えたのが8月15日、ソ連が日本に宣戦布告して朝鮮半島に侵入してきたのが8月6日だったと思います。)  

鹿児島県 指宿(いぶすき)温泉、開門岳、池田湖

ホテルに着いたときには真っ暗でした。午後6時過ぎです。
さっそく楽しみにしていた「砂むし湯」に向かいました。
台湾人のお客さんが多い。わたしの右側には娘さん、左側には娘さんのおかあさん(おばあさん)、三世代の一族12人で日本に遊びに来たそうです。翌々日訪れた福岡県太宰府では韓国人の観光客が多く、なんだか、日本人よりも東アジア人の人たちのほうが、日本を愛しているという印象をもちました。
砂むし湯は、おしりのほっぺたが熱くなって、15分ぐらいで出ました。
次の写真は夜明け前の鹿児島湾(錦江湾)の光景です。レストランで朝食をとっていると、海面ではぴょんぴょんと魚がジャンプしていました。ぼらだと思うのです。魚を狙って、海鳥が飛んできて、彼らは、長時間の潜水をしながら魚を獲(と)っていました。






開門岳はミニチュアの富士山のようでした。
街路樹が南国風です。前日、鹿児島空港に降り立ったときも空気があたたかく、南国に来たという風情がただよっていました。12月中旬でしたが、前日の気温は20度近くあったと思います。



次の写真は、開門岳から池田湖へ向かう途中です。この部分だけなのですが、菜の花がきれいでした。



池田湖と開門岳です。



恐竜の名前は池田湖だからおそらく「イッシー」でいいと思います。


  

九州自動車道 霧島、北熊本サービスエリア

吉松パーキングエリアで休憩しました。見えているのは、霧島の韓国岳(からくにだけ、標高1700m)だと思うのです。



高速道路をゆっくり走っているトラックがありました。
わたし「牛を運んでいるんじゃなーい」
大学生の息子「うそー」
(北熊本サービスエリアにて)



本当に牛が乗っていました。



まだあどけない子牛たちでした。将来、お肉になってしまうのだなあ。
わたし「(熊本にある父方の実家が農家だったので)こどもの頃、牛を飼っていたんだよ」  

2009年12月21日

大分県 日田温泉

大分県 日田温泉




夜明け前の温泉街近くを流れる三隈川(みくまがわ、やがて筑後川ちくごがわ)の風景です。川の流れはまったくないようにみえます。朝なので、鳥の鳴き声が耳にやさしい。



山には霧がかかっています。きょうは、霧がかかった山を車で越えなければなりません。
幽玄な風景です。九州地方の山地や盆地にあるホテル・旅館に宿泊すると、朝は、こんな風景がよくみられます。気に入っています。川べりには屋形船が並んでいます。
いっぽう川とは反対側の地域は都会のようでした。ビルや家が立ち並んでいました。



日田市はわたしにとってはいつも、阿蘇とか九重(くじゅう)方面から福岡方面へ移動するときの通過点でした。ムツゴロウシリーズを書いた畑正憲さんが学生時代を過ごした地とか、江戸時代に岐阜県高山市同様幕府直轄の天領であったとか、高校野球で林業の高校が出場するとか、その程度しか知識はありません。  

2009年12月20日

佐賀県 吉野ヶ里遺跡

佐賀県 吉野ヶ里遺跡

鹿児島県薩摩半島のさきっぽにある指宿(いぶすき)を午前8時30分にレンタカーで出発して、佐賀県東脊振(ひがしせぶり)インターを出たのは午後3時頃でした。



先月は、青森県青森市の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を見学しました。縄文時代のものでした。豪華な展示でした。しかし、こちらの吉野ヶ里遺跡はさらに豪華でした。弥生時代の遺跡になります。映画のセットのようでした。縄文時代は5000年間、弥生時代は、500年間ぐらいとじぶんなりにはおぼえています。



最初に上の写真の場面に出くわします。
黒澤明映画「七人の侍(さむらい)」が、ぱっと思い浮かびました。集落を守るための壕(ごう、おほり)と先がとんがった防衛のための木がたくさん突き刺さっています。
富(とみ)や利益を守るための闘争は、人間社会の常です。この時代からも続いている。



外敵を見張るためのやぐらだとおもいます。見学者はのぼることも可能です。
佐賀県は、筑紫平野(ちくしへいや)が広がるとてもひたべったい地形です。起伏がある地域で育った者にとっては、平坦さに違和感があります。



建物の中では、女性がなにかお祈りをしていました。未来を占っていたのかもしれません。



下の写真は、お墓です。



こちらから見ると、なんの変哲もない小山に見えますが、反対側に入口があり、内部は近代的な展示室になっています。遺体が納められていた石棺がいくつか展示されています。
閉館時刻の午後5時頃まで見学をして、そのあと大分県の日田温泉郷へ向かいました。  

過去記事