2009年09月30日

韓国訪問の感想です。

韓国訪問の感想です。

 宗廟(チョンミョ)というところです。歴代王と王族の位牌が祭られています。朝鮮王朝は、1392年から日韓併合の1910年まで続きました。





 第一印象で京都大宮御所内にある紫宸殿(ししんでん)を思い浮かべましたが、紫宸殿ほどの美しさはなく、建物の前の石畳は、現在再建中の興福寺境内のようでした。
 なんというか建築物に関しては中途半端なのです。
 中国であれば万里の長城とか故宮、台湾であれば故宮博物院とか中正紀念堂、日本であれば東大寺大仏殿と大仏・興福寺五重塔のような強い印象がのこる衝撃的なものがないのです。
 また仏像というものがありません。保存や維持に要する予算が限られているのではないか。いろいろ考えた末、現在は途中経過で、これから長い歳月を経て、重厚な歴史が築かれることを期待しました。
 このほか近くに、景福宮(キョンボックン)、昌徳宮(チャンドックン)がありましたが、息が詰まるような感動をすることはないだろうと予測して見学はしませんでした。
 広い敷地の境内にある林にはかわいいリスがいました。それから鳩に似た鳥がきれいな羽をしていました。
 65歳以上の人たちについて地下鉄が無料になる日があるそうで、この訪れた日がちょうどその日で、入場料が要らない緑地帯では、お年寄りたちが集会を開いていました。アーメンだけ聞こえたので、宗教団体の集まりなのでしょう。

 韓国民族村の田楽
 金と太鼓と笛の踊りです。なかなか見ごたえがありました。頭のてっぺんにつけた長いリボンを回して演技をします。この夜にミュージカル「NANTAナンタ」を観劇したのですが、そこでも演じられていました。NANTA=乱打。台所用品を乱打して音楽を奏でます。観客たちを舞台に上げたり、声や拍手をさせたりしながら巻き込むミュージカルです。
 セリフはないのに等しいので、どこの国の人が見ても楽しめます。わたしが見たときもアジア各国の人からイスラム系の人、西欧の人とバラエティに富んだ人種の人たちが見て大笑いをしていました。









 この田楽を見ているときに幼稚園らしきこどもたちの集団がぞろぞろと見学に来ました。見た感じは、いいとこのこどもさんたちらしく、服の背中に自宅の電話番号が入っているこどもさんもいました。幼稚園の保母さんらしき若い女性たちがこどもたちのリュックをひとりで、10個以上かかえて運んでいました。こどもを大切にするあまり、こどもを甘やかしているようにも感じました。

 水原華城(スウォンファソン)万里の長城のように続く城壁です。
 1周するのに徒歩だと3時間半かかるそうです。城壁よりもドラゴンの長い自動車(電車のようですが車です。)にびっくりしました。電車のように連なって、何台も走っています。どうやって運転するのだろう。









 さて、わたしは日本人なので第三者です。北の人も南の人も大変だと感じました。神さまがいるのなら今までの戦争のことはなかったことにして、すべての人たちの戦争に関する記憶を消してほしい。
 ソウルは人口が集中しすぎです。高層マンションや立体交差の道路がいたるところにあります。空港に到着したときは、空がスモッグで霞んでおり、最初は黄砂かと思いましたが、季節的にそうではなく、北京と同様に大気の汚れを感じました。車が多すぎます。車になるべく乗らない日が毎月あるそうで、そのときは2割ぐらい車が減るそうです。
 韓国の人は無理にがんばりすぎているのではないかとも感じました。厳しい競争社会ですからメンタル面の病気が心配です。
 兵役あり、消費税10%、米国に頼らざるを得ない。日本人は恵まれている。わたしは、後ろ向きに反省と後悔をしました。(勝手な解釈を書かせてもらいましたが本音です。)
 生活様式は洋風であり、畳社会の日本とは異なります。
 ユーラシア大陸にある国と島国の違いを感じました。路上喫煙者煙者が多く、喫煙社会が残っている。(世代交代によって改善されるのでしょう。)
 お金のやりとりがAbout(だいたい)で、とくにビール代の精算方式が飲んだあとの後払いとか(伝票なしです。)、お札をかごに入れて集めるとか、古いやり方も残っています。
 携帯電話で日本に電話をしてみましたが通じなくて、ホテルの電話から日本の自宅加入電話に電話しました。
 電話のシステムはわかりません。
 人ごみの中を歩いているとまるでものを動かすように手の甲や軽くつかむ感じで、韓国の人が、わたしの体を無言でどかすので不快な気持ちになりました。
 日本のお盆に当たるものが10月2日から4日まであるそうです。
 今週後半は、韓国内で帰郷する人たちの大移動があるようです。それではこれで韓国レポートをすべて終了します。  

Posted by 熊太郎 at 21:22Comments(0)TrackBack(0)韓国

2009年09月29日

韓国で料理を食べた感想です。

韓国で料理を食べた感想です。

サムゲッタン(サムゲタンが正しいようですが、わたしにはサムゲッタンと聞こえました。ゲッタンの部分を強く発音する。参鶏湯)
(楽しみにしていました。体に良い料理で、味は、うす味だろうけれど、おいしいだろうと期待していました。)
鶏(にわとり)の姿煮の見た目が少しグロテスクで、トリさんが可哀想になります。鉄のお箸(はし)でお腹を開いて中身を食べます。具がたくさんあるようで、あまりありません。味は薄く、ごはんはすりきれたように小さくなっています。そばにあった塩を最初は少しずつ入れていたのですが、味がないので、塩を全部いれたところ塩水になってしまい、辛くなってしまいました。
ちなみに韓国のご飯茶碗はスチールで、お箸(はし)もスチールで、割れないよう長持ちするようだろうと大陸的な合理性を感じました。また、食事の時には小皿の野菜ものキムチを始めとした複数の小皿がつきます。翌日の夜にミュージカルNANTAナンタ(乱打)を見ました。劇は、食器を楽器代わりに叩くことから始まります。こどもの遊びのようです。シンプルです。劇が、言葉の壁を超えて世界中で歓迎される理由です。韓国は食器が金属なので生まれた作品なのでしょう。





韓国風朝食
野菜、穀物、海草、酢の物などで健康にいい。これならメタボにはならないでしょう。帰国後キムチごはんを中心に食べています。体調がよくなりました。





石焼ビビンパプ
日本で食べるものと同じ味です。わたしは、日本でもやしを食べるときには、大きな黄色い種子の部分が硬くて嫌なのですが、こちらのもやしの黄色い種子部分は、柔らかくて食べやすい。





骨付きカルビ
たいへんおいしくてサービスも良かったので満足しました。
小皿の食べ物を食べ終わるとすぐに補充していただけるし、肉も焼いてもらえるし至れり尽くせりでした。肉をハサミでジョキジョキ切るのは、違和感がありましたが、嫌いではありませんでした。レタスの葉っぱに包んでたくさんいただきました。





プルコギ(すき焼きのようなもの)
甘くておいしかった。板門店に行った帰りがけに民家のようなお店の中で食べました。大広間で板の間ですが座敷みたいなところでした。韓国の人はふだん正座はしないそうです。正座は反省するときにするものだそうです。ふだんは、片足を立てて座るそうです。チマチョゴリ(韓国の民族衣装)が美しく見えるようにという意味もあるようです。それから、お茶碗やお皿は手に持たないそうです。それは無作法ではないそうです。わたしはそれでは食べにくいので、食器類は手に持って食べました。





午前中の飛行機便で到着してお昼は空港のレストランで韓国風うどんを食べました。写真はありません。卵とじうどんのようでした。
飛行時間は1時間半ぐらいで、50歳になって初めて韓国に来ましたが、もっと早く訪問すればよかったと後悔しました。韓国の人たちは何度も日本にくるようで、でも日本人はなかなか韓国に行かない傾向があるようです。

市場で見かけたもの

最初はウミウシを想像したのですが、これは海の生き物でホヤだと思うのです。
道端の真ん中で女性が店を広げていまして、お客さんから注文があると、表面を切ってむいたものを大量に売っていました。二番目の写真がむいたあとのものです。









これはカニさんです。食材はハサミで切ります。





それからもうひとつ、青虫をぺったんこにして、おせんべいのようになった茶色いものが売られていましたが写真は撮りませんでした。翌日、蚕(かいこ)の幼虫であることが判明しました。

食事のときに、きちんとグループごとに(2人から)席を確保してくださるのはありがたかった。免税店の前にあった地元の人たちが利用する小さな喫茶店で飲んだキウイバナナジュースと自販機で買ったカップコーヒーはともに安くておいしかった。韓国のみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。  

Posted by 熊太郎 at 21:24Comments(0)TrackBack(0)韓国

2009年09月28日

まんがハングル入門 高信太郎

まんがハングル入門 高信太郎(こうしんたろう) 光文社知恵の森文庫

 ハングルとは表音文字で、読み方を教えてくれる本となっています。簡単に習得できるかと期待しましたが、なかなかむつかしい。15年くらい前に出版された本が基礎になって文庫化されています。全体を一読したあと要点を白紙に書き出しはじめたのですが、記憶力は衰えているし、気力もなえている年齢なので、瞬間的に発音できそうにありません。子音と母音の組み合わせでハングル文字が構成されている。子音を発音してから母音を発音して、それが一音(いちおん)になる。ローマ字のようです。手始めに部屋にあった資源用ごみ袋に書かれてあるハングルを読んでみました。「チャウォン スロイキ」でいいのだろうか。(ちがうような気がします。)やはり語学は赤ちゃんが言葉を発するように、一語ずつからが基本なのでしょう。この本の場合、発音はできるようになっても単語の意味はわかりません。だから書中にたくさんの単語の例が登載されています。日本は「イルポン」、ある程度の水準に達するまで、この本に何度も目を通さねばならないでしょう。
 まんがの合間にあるコラムが面白い。作者と韓国語の接点について書かれてあります。
 続きの感想をかけるかどうか自信がありませんが、帰国後挑戦してみます。

(韓国から帰国後の感想です。)
 街にあふれているのは、ハングルと英語です。ここは英語圏ではないかと感じました。漢字の看板はとても少ない。
 観光地は日本語が通じるので、日本国内にいるようです。とりあえず日本語で話しかけてみて、だめなら英語の単語を並べてみます。それで不自由はありません。

 深夜0時、あかすりマッサージのエステ店男性用待合室で、同行の家族(妻)が終わるのを待っていました。周囲は韓国人男性従業員たちで、男性客はわたしひとりでした。生ビールを頼むとつまみに韓国海苔(のり)がついてきました。韓国の従業員さんたちは当然韓国語で会話をしています。テレビでは、日本で言うところのふたり組みよる漫才番組を流していて、ときおりテレビの中の観客や従業員さんたちが爆笑しています。聞き取れるのは、語尾のサムニダという部分だけです。(ほんとうはスムニダのようです。なんとかニダというのが語尾の「○○です。」になっているようです。)
 挨拶用語の「アンニョハムシカとわたしには聞こえました。(本当はアンニョンハシムニカです。)」と「はい」の意味の「ネー」ぐらいしか聞き取れませんでした。今度行くときはもっと勉強して行きます。

ドライブインのようなところで撮った地図です。


  

Posted by 熊太郎 at 20:34Comments(0)TrackBack(0)韓国

2009年09月27日

半島へ、ふたたび 蓮池薫

半島へ、ふたたび 蓮池薫 新潮社

 韓国ソウルへ出発する3日前に本屋さんでこの本を見かけて、ソウル訪問の前にこの本を読んでおかなければと思い立ち、購入即座に読み始めて半日で読み終えました。
 蓮池さん翻訳の本として以前「母と旅した900日」を読んだことがあります。しっかりした日本語で翻訳されていました。また、北朝鮮拉致被害者の作品として、チャールズ・ジェンキンスさんの「告白」を読んだことがあります。こちらもまた緻密な記述の書籍でした。
 旅行ガイドブックがわりとして読んだので、その視点でいくつか感想を書きます。
 読む前は、日本との貨幣価値の比較がよくわかりませんでした。現在、1万ウォンが850円ぐらいです。蓮池さんがソウルに行かれた2008年2月頃は、1万ウォンが1120円ぐらいなので、ウォンのほうがずいぶん不利になっています。本に記述があるタクシー運転手の月収は、160万ウォンですから13万6000円になります。それが、労働者の一般的な月収のようです。台北に行ったことがあるのですが、そこでもやはり労働者の月収は10万円ぐらいと聞きました。北京に行ったときはかなり格差があって、土産を買ったり清涼飲料水を飲んだりしましたが、滞在中は結局日本円で3000円ぐらいしか使いませんでした。貨幣価値が日本の10分の1ぐらいもしくはそれ以下に感じました。
 51ページにあるテレビドラマづくりの手法は、放映日の前日までロケをしているとか、台本は視聴者の意向にそってつくるというのは、作者の意志は尊重されないのかと不満をもちつつもその柔軟性に賛成する気持ちも生じました。テレビドラマの記述から「夜景」の記述に移っていくのですが、それが、北朝鮮、東京の夜景に続くあたりの記述は秀逸です。
 後半に日本との対立とか差別の記事があります。豊臣秀吉が起こした文禄の役・慶長の役は1590年代のことであり、400年も前のことが今も尾を引いていることは悲しい。作者は立場上、韓国の生活者の暮らしに深く関わりをもっていくわけですが、日本の一般人は観光客としてしか立ち寄れない近づきがたいものがあります。
 117ページにある、昔は、お金で刑の身代わりが頼めたとか(韓国民族村で刑場を見学しました)、119ページにあった茶道に関する韓国人からの質問とか入浴習慣の違い、翻訳の苦労話など読んでいて、目からうろこが落ちる部分がありました。
 この本は2部構成になっています。後半は、作者の翻訳業を始めとして作家として生活していきたい気持ちが語られています。第2部の中で、韓国人女性作家が、しあわせな状態を旅先でのんびりたくさんの本を読むことと記しています。同じ時期に読んでいた「とんび」重松清著では、しあわせとは、明日が楽しみだと思える生活を送ること、という主人公のヤスさんのセリフがあります。24年間、自由を拘束されていた作者は、まったく逆の体験をしています。作者はわたしより年齢が1歳上、学年は2こ上だと思います。作者は書中であと何年生きられるだろうかという記述をしていますが、わたしも同感です。日本人は長寿になりましたが、自分はそんなに長くは生きられないと予測しています。やり残しはなるべく少ない人生にしたい。

(ソウルタワーと夜景です。山の上に建っているので、展望台の高さは山と塔をあわせて500mぐらいになります。この夜は三日月がきれいでした。タワーに続く急な坂道をアンニョハムシカー(一日中使えるあいさつ)と言いながら縄跳びをしながら上り下りする西洋人とか、自転車で上ってくる人たちとかを見かけました。ここと夜の遊覧船がプロポーズの場所として選ばれることが多いそうです。)












夜景はうまく撮影できていません。もっと明るくていっぱいに広がっていました。


(板門店 日本語で「はんもんてん」ですが、原語では「パンムンジョム」です。)



写真は国境線の向こうにある北朝鮮の建物(板門閣)になります。見える人影は、北朝鮮側の観光客です。中国人観光客だろうとのことでした。対して、こちら側にも同じような建物(自由の家)があり、日本人観光客があちらを眺めることになります。事前に、相手を指差したり、手を振ったりしてはいけないと厳しく指示されます。こちら側の観光客は次から次へと順番待ちでしたが、相手側は、このときしか観光客の姿はありませんでした。
日本人は簡単に観光できますが、韓国人はかなり前から予約して審査を受けて、なおかつ個人でしか見学できないそうです。家族の見学を許すと家族そろって北朝鮮側へ行ってしまうおそれがあるそうです。

軍事停戦委員会会議室の中です。韓国側の兵士です。人形のように微動だにしません。彼の隣に立って順番に記念撮影をします。右側窓の外に立っているのが、北朝鮮の兵士です。国連の旗が立っている位置が軍事境界線で、右側が北朝鮮側になります。


会議室の外に立っている北朝鮮の兵士です。




バスで板門店へ行く途中にあった「自由の橋」(手前)です。川は「臨津江イムジンガン」になります。
鉄橋部分は鉄道が走っていました。




(板門店のブリーフィングルーム(説明会場)で説明を受けました。)
今まで知らなかったことが多々ありました。
日本が朝鮮半島全体を支配していた。1945年8月15日終戦の日から半島全体が国ではなくなった。
半島の北と南で異なったリーダーが生まれて戦争となった。北が南の釜山付近まで攻め込んだり、南が北の中国付近まで攻めたりしたのち戦争は泥沼化した。

わたしは「南北離散家族」というのは、300人程度だろうと勝手に独りで思い込んでいました。その数は、何百万人という単位だそうで、たいそう驚きました。まだまだ知らないことがたくさんあります。

(追記 2018年 平成30年4月)
 板門店のこの場所で、北朝鮮と韓国のトップが会談しました。
 予想もしなかったことが実現しました。
 自分も行ったことがある場所ですので感無量です。(身に染みる)
 平和な世の中であってほしい。戦争だけは避けたい。  

Posted by 熊太郎 at 17:46Comments(0)TrackBack(0)韓国

2009年09月26日

POCKET GUIDE KOREA 

POCKET GUIDE KOREA  JTBパブリッシング

 新型インフルエンザの影響で予定していた旅行3件をキャンセルしたのが今年の5月でした。その後仕事が忙しくなり放浪癖のあるわたしはもんもんとした月日(つきひ)を過ごしていました。暑い夏が去り涼しい秋が近づき、ようやく旅行ができそうです。釜山(プサン)からソウルまでバスで世界遺産巡りをしたかったのですが、急な予約で帰りの飛行機便がなく、やむなくソウルだけにしました。「もいちど修学旅行をしてみたいと思ったのだ」北尾トロ著では、韓国には日本の原風景があると記されていました。楽しみにしていたので残念です。
 さて、旅行ガイドブックの感想となります。わたしには、韓国に関する知識はあまりありません。遠い隣国です。中学生の頃に差別を知り、それでも学校やクラスにはたくさんの韓国人生徒たちがいました。社会人になってからも自分より上の世代の人たちの差別意識には辟易(へきえき)としました。
 このガイドブックを読んだだけで、わたしの脳には意識改革が芽生えました。わたしが長い間思いこんでいた韓国と現実の韓国は別のものでした。
 国の人口が4900万人、そのほとんどがソウルとその周辺に住む。(旅行中にソウルの人口は1500万人と聞きました。)九州2個分ぐらいの面積、釜山の緯度は名古屋市ぐらい、ソウルの緯度が新潟市の南ぐらい。飛行機でセントレア空港から釜山まで1時間半、福岡空港までとそれほど変わらない。南北300kmは、東京から京都の手前ぐらいでしょうか。東西が250kmぐらい。日本との時差はありません。
 観光の目玉は、お買い物と食事を楽しむこと。感想の続きは帰国後にします。

(帰国後の感想です。)
  行く前と行ってみてからの違いをガイドブックに沿いながら記(しる)してみます。
  ( )の中が行く前の気持ちです。
1貨幣価値
(1万ウォンが850円ぐらい。高いのか安いのかわからない。)
 オプショナルツアーを申し込むときに何万ウォン単位で支払った。何万ウォンが何万円のように感じたけれど、桁(けた)がふたつ落ちたような感覚です。コンビニでパンを買ったら1個が50円ぐらいでした。自販機でカップのコーヒーを買ったら25円ぐらいで安かった。5万ウォン札が最大値の紙幣でした。
2地下鉄
(乗ってみよう)
 結局乗車する機会がありませんでした。
3Nソウルタワー
(わたしは、中途半端な高さが怖い高所恐怖症です。やめておこう。)
 行きました。たいへん美しい夜景でした。全然怖くありませんでした。
4南大門市場
(人混みがひどくて人の流れにもまれるだけだろう。)
 ゆっくり見学できました。
5アカスリマッサージ
(日本の温泉で体験あり。すっぽんぽんになるので行きたくない。)
 同行の妻の願望が強かったので行きました。知らない女性たちたくさんとワゴン車に乗せられて行き、ホテルに戻ってきたのは午前1時頃でした。
6ナンタ
(見たい。ミュージカルです。台所用品とか食材を使って音楽を奏でます。)
 見ました。楽しかった。今度行くときは、ナンタとジャンプ(同じくミュージカルで格闘技を素材にしたものらしい。)を見たい。
7ロッテワールド
(遊園地で遊ぶという年齢ではないけれど最終日のフリータイムにほかに行くところもないし行ってみようか。)
 行きませんでした。
8板門店
(北朝鮮との国境地帯。怖いからやめておこう。)
 行ってきました。北朝鮮の兵士を見たり、建物の中になりますが、いちおう北朝鮮側になる区域にも足を踏み入れたりしました。
9漢江(ハンガン)遊覧船
(ただ乗って終わるだけのような気がする。)
 乗りませんでした。乗るのであれば、夜景を見ながらバンドの音楽が楽しめる時間帯にしたでしょう。
10免税店
 なんともすさまじい日本人観光客の数でした。ほとんどが女性です。
11食事
 おいしいものもあったし、そうでないものもありました。食生活の違いでしょう。あんなにたくさんのキムチを食べたのは生まれて初めてです。手土産にもたくさんキムチを買ったので、年内はキムチのご飯が続くでしょう。
  
 しばらく韓国旅行の様子を感想文にからめながらアップしてみます。ガイドブックは手ごろな大きさと重さで内容もわかりやすく、付属の地図も役立ちました。
 ソウルは、たいへん車の多い都市で、宿泊は漢江(ハンガン。大河です。)の北側のほうがいいと思います。南側のホテルだと車の移動が30分から40分は余分にかかり時間が無駄になりますし、渋滞で疲れます。
 写真は南大門市場ですが、ソウルは、新しい高層建築物と昔ながらの古い建築物とが混在している都市でした。



  

Posted by 熊太郎 at 19:57Comments(2)TrackBack(0)韓国