2024年09月14日

団地のふたり NHKBSドラマ

団地のふたり NHKBSドラマ 第1回と第2回放送の感想です。日曜日午後10時放送中です。

桜井奈津子:小林聡美(こばやし・さとみ)。イラストレーター。結婚歴なし。

太田野枝(おおた・のえ):小泉今日子。大学の非常勤講師。33歳のときに離婚して、団地の実家へ出戻りだそうです。こどもさんはいません。

太田厚志:杉本哲太。太田野枝(おおた・のえ)の兄。自営の塗装会社社長。

太田昌夫:橋爪功。太田野枝(おおた・のえ)と哲太の父親。

太田節子:太田野枝(おおた・のえ)の母親。主婦。

佐久間絢子:由紀さおり。団地の住人。

『第1回放送』
 平和です。
 ここに、『競争社会』はありません。
 小泉今日子さんと小林聡美さんのふたり劇を中心に進みます。
 おだやかに時間が流れていきます。
 おふたりは、団地といっしょに歳をとったのです。ふたりとも55歳と聞こえました。(劇中の設定です)
 団地に入居するときは、40倍の競争だった。
 今では、住んでいるのは年寄りばかりになった。空き家も目立つのでしょう。
 
 (ストーリーの起伏はどうやってつけていくのだろうか?)

 コンビニで発送手続きをしています。
 古いグッズ(品物)を欲しい人に売るのです。
 あいにくわたしは、メルカリ方式を知らないので想像するだけです。フリマというのでしょう。(フリーマーケット)。

 一戸建てに住みたかったらしき団地暮らしの太田野枝(おおた・のえ)の老いた両親です。(橋爪功・丘みつ子夫妻)。

 由紀さおりさんがおもしろい。役に(やくに)ぴったりの演技です。

 『そらちゃん』というふたりに共通の保育園でいっしょだった人がいるそうです。(あとあと出てくるのでしょう)

 なつかしい昔のものが映像にたくさん出てきます。
 歌も歌手もなつかしい人たちです。
 半世紀前のふりかえりドラマです。
 観ている自分も同じ時代に生きてきたという実感があります。
 
 離婚した太田野枝(おおた・のえ)の結婚した時の話が両親から出ます。『(娘の結婚は)一瞬のはかない夢だった』、あわせて、父親が出戻りの娘を、『団地の座敷わらし』と陰で言うそうな。

 団地ネタがいっぱいありそうです。

 最後のシーンが良かった。
 おいしいものを食べる。
 おいしいものを食べると、いままで生きてきて良かったと思うことがたしかにあります。


『第2回放送』
 おいしい食べ物が出てくるドラマです。
 女性向けのドラマです。
 平和です。
 なかなかいい雰囲気があります。

 団地内でのボランティアみたいな網戸の張替え、個性的な住民さんたち、どこにでもいそうな音に関するクレーマー(今回は猫の鳴き声)、児童虐待と誤解した父子家庭の小学生女児の存在、いろいろあります。
 昔は団地にはこどもたちがたくさん遊ぶ姿があったけれど、今はこどもの数が減ったという思い出話も出ます。
 G(ジー。ゴキブリ)との戦いもあります。
 
 ノラ猫、捨て猫の話です。最近の猫は、煮干しは食べないと思います。キャットフードでしょう。(たぶん)。猫の舌も肥えました(こえました。美食家。おいしいものしか食べない)

 クレーマー(しつこく文句を言ってくる人)のようすが、上手に表現してあって感心しました。
 クレーマー自身の声ではなく(俳優はベンガルさん)、小林聡美さんの声で混乱ぶりを表現します。
 (若い頃映画館で、小林聡美さんと尾身とりのりさんの『転校生 大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)監督 舞台は広島県尾道市』を観ました。ふたりが神社の長い階段で転げ落ちて(ころげおちて)、男女の心が入れ替わる映画でした。小林聡美さんはまだ17歳ぐらいだったと思います。なつかしい。わたしはまだ結婚する前に、駅前の映画館で妻と観ました。その後、長い時が流れて、家族で愛知県内の自宅から広島県尾道市まで自家用車で交代ばんこに運転しながら行き、同地で宿泊しました。夕食は、街中華で、尾道ラーメンを食べました)
 
 シーンを観ていて、いろいろ笑えます。

 父子家庭育ちの小学校4年生ぐらいの女の子のセリフが良かった。父親は奥さんに逃げられたそうです。
 『パパはどうしていつも、しかたないって言うの?』

 やはり、前回の放送で出てきた、『そらちゃん』の話が出ます。
 ふたりが保育園のころから仲良しだったそらちゃんは、小学校低学年のときに小児がんで亡くなったそうです。そのシーンを見ていて、わたしが中学1年生のときにじんぞう病で亡くなった同級生のS君を思い出しました。クラスの数人と中学校のそばにあった病院の病室へお見舞いに行ったことがあります。長く生きていると、心がしみじみとする出来事に何度かぶつかります。

 思い出した一冊があります。世の中には、病気によって、こどものままで人生を終える命があります。
『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
 こどもさん向けの本で、命の大切さとか、人と人との交流の大事さとか、強く生きることの教訓とかをとおして、優しい人になりましょうというメッセージが記されています。
 冷静に本を読みこむと、ひとつの判断を迫られます。こどもの命が、治療しても助からないとわかっているときに、親や医療関係者はこどもにどうしてあげたらいいのか。痛みを我慢させながら、治ることのない治療行為を亡くなるときまで続けていくのか。
 どうやっても治らない病気なら、病室の外で思い切り楽しい思いをさせてあげてお別れしたい。体中を切り刻むような痛みを味あわせることはやめたい。それは、親としての気持ちです。そして、自分が死んだら、天国でまたこどもに会えると信じたい。 

(付け足し(つけたし)の事柄として)
 こちらのドラマの原作小説の作家は、藤野千夜さん(ふじのちやさん)という方でした。
 調べたら、わたしは、藤野千夜さんの作品で、別の小説を読んだことがありました。

『じい散歩 藤野千夜(ふじの・ちや) 双葉社』
 ふたり合わせてもうすぐ180歳とあります。高齢者ご夫婦です。
 息子は三人いるものの、昭和37年生まれの長男は高校中退、無職引きこもり(テレビ・ラジオ・クロスワードパズル解きで時間をつぶす)。
 昭和39年生まれの次男はオネエで(オカマさん)、自称自分は長女(おかっぱ頭で、裏声で話す。スカートのようなズボンをはいている。胸がふくらんでいる。娘のような次男である)。
 昭和41年生まれの三男は借金男で、三人とも未婚です。
 父親の明石新平がつくった自営業の明石建設という会社がありましたが、息子が三人いても後継ぎはいません。まあ、これが現実かもしれません。奥さんはどうも認知症です。

 読んでいると、胸にしみじみと広がってくるものがあります。落語のようでもあります。
 九十歳近い夫婦にとっては、(人生においてやることが)もう終わったんだなあ。
 極楽行き待ちで、あの世にいくまでのひとときを、思い出にひたる世界ですごしているのです。 もうあの人もこの人も、お先に極楽へ行かれて、極楽で待ってもらっているような状態なのです。(そんなこんなで、認知症になってしまった奥さんは、ご主人の浮気を疑うという筋立てで物語が流れていきます)。奥さんの嫉妬心が強烈です。(しっと。やきもち。うらむ。ねたむ)。奥さんが叫びながらご主人のパンツを引きずりおろします。奥さんが認知症でこわれちゃってます。  

2024年09月13日

しりながおばけ たなかひかる

しりながおばけ たなかひかる 文響社

 なかなかおもしろい絵本でした。

 先日読んだ同作者の、『おばけのかわをむいたら』の続編でしょう。
 バナナの皮をむいたあとのバナナの実みたいな形をしたおばけです。
 ただ、うしろから見ると、平面的ではなく、立体的で、せんたくばさみのようでもあります。

 絵本の絵に動きがあります。
 ビニール袋の口を留める(とめる)ためのクリップがわりになるおばけです。
 
 でた! おすもうさんたちです。
 前作の、『おばけのかわをむいたら』でも、たくさんのおすもうさんたちが登場しました。
 たまたまこれを書いている今日は、名古屋場所の千秋楽です。(これは、7月に書いた文章です。ぼーっとしていたら、大相撲は、9月場所が始まってしまいました)
 (7月場所の)きのうは、隆の勝(たかのしょう)が、劇的な勝利で横綱照ノ富士を破りました。館内に紫色のざぶとんが飛び交い(とびかい)ました。さて本日結びの一番と隆の勝の一番はどうなるでしょうか。楽しみです。(9月場所での横綱照ノ富士は、病気のためお休み(休場)です。なお先場所名古屋場所の優勝力士は、照ノ富士でした)

 絵本のほうは、おすもうさんたちによるだじゃれのような展開でページが進みます。
 おしゃれ、おしゃれ、たいほ(逮捕)、れもん、おしゃれ、もっとおしゃれ……
 
 おもしろい、のびたおしりの部分がすべり台になります。
 おすもうさんたちが、すべり台をすべっていきます。
 ふざけているみたいだけれど楽しい。
 ぽよ~ん。楽しい。
 おばけが、おもちゃです。
 
 いいオチ(話の締め)です。
 絵本からおすもうさんがこぼれおちました。
 おもしろかった。

 立体的です。
 ピカソか、ダリの絵画みたい。
(先日、東京駅のそばにあるアーティゾン美術館というところで、ピカソの絵を観てきました。また、文章ができあがったらアップしてみます)  

Posted by 熊太郎 at 06:37Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年09月11日

スマホにガラス保護シールをはる。

スマホにガラス保護シールをはる。

 最初は、先日の台風10号来襲騒ぎが、きっかけでした。
 以前台風が来た時に停電して、スマホの充電で困ったことがありました。
 そのときは、単三乾電池だったかの充電器を手に入れてスマホに充電した覚えがあるのですが、その充電器がどこかへいってしまって見つかりません。
 台風10号が来て、また停電すると、スマホの充電で困ります。(こちらの文章は、台風10号が来襲する前につくりました)

 乾電池式の充電器を買いに行こうとしたら、妻が、懸賞で当たった充電器があると言い出しました。妻は、応募が好きで、いろんなものを当てる人です。最近は、立派な掃除機が当たりました。ほかにも食べるものや、便利グッズもよく当たります。当たった物を自分では使わずに、人にあげたりもします。
 妻がわたしに差し出した抽選で当たったという充電器は外国製でした。乾電池式ではなくて、まずは家の中にあるコンセントに差し込んで充電をします。あらかじめ蓄電をしておくのです。その後、いざというときに、スマホへつなげて充電します。
 ただ、スマホへつなぐコードの差込口の形が違うのです。細長い角(かど)が丸い楕円形(だえんけい)の差込口が必要ですが、手元にあるものは角ばっています。(かくばっています)。おそらくタイプCという形式の接続コードが必要なのだと思います。

 わたしは、買ってくると言って、車でいつもいく大型電気ショップへ行きました。
 すぐにお望みのコードを見つけたので、買い物かごに入れました。
 そして、ふりかえったときに、スマホのガラス面に、保護のためにはるシールの箱が目に入りました。

 思い起こせば今年の春先に、それまで使用していたスマホが壊れました。起動しなくなりました。
 ショップで新しいスマホに変えました。
 わたしは、ガラス面が割れたりするとイヤなので、店員にガラス面にシールをはってほしいとお願いしました。
 自分でやると、シールがきちんと画面にはりつかずに失敗しそうです。わたしは歳をとって、老眼がひどいので、細かい指先での作業はにがてです。(でも、キーを見なくても文字を打てるタッチタイピングはできるので、ノートパソコンを使っての文章づくりはだいじょうぶです)。人にやってもらって、お金を払っても、しかたがないとあきらめています。店員にお金は払うからシールはりをやってねとお願いしました。
 しばらく待たされて、シールはりをやってみたがうまくいかないという返答でした。どうもサイズが合わないというのです。不思議な話だと思いました。ここで買ったスマホにはるガラス面保護シールがこの店にはおいてないのか。そういうこともあるわけか…… よくわからん。
 店員から、シールは、よその店やネットショッピングで安く売っているので、自分で店を探してどこかで買って、自分ではったほうがいいですよと勧められました。
 わたしは、シールをはることをあきらめました。(自分で何回やっても失敗するに違いない。お金がムダになる)

 目的は違うことで訪れた大型電気店で、『よし、挑戦してみよう!』
 わたしは気持ちを固めて、スマホのガラス面を保護するシールも買いました。
 帰宅して、老眼なので、目を紙に近づけて、説明書を何度も読んで、ユーチューブのやりかた動画を何回も見て、わかったような、わからぬような雰囲気のまま、作業をスタートさせました。
 ていねいに、ゆっくりと、何度も確認しながらやりました。
 100点満点ではないけれど、できました。
 画面とシールの間にほんの少し空気が入りましたが、なんどもシールをなでなでして、時間が経つうちにぴったりとくっつきました。
 はがすときは、画面とシールの間に下敷きのようなものを入れるといいとネットで読みましたが、その必要があるときはまたそのとき考えます。
 なんだか、シールをはったあとのほうが、画面がきれいに見えます。
 『克服』した喜びがありました。
 よかった、よかった……

(追記:それから3日目のことでした)
 スマホのお知らせ欄に、『正面保護シートモードにしたほうがいいですよ』みたいなお知らせが出たのでびっくりしました。
 きみは(スマホは)、保護シートをはられたことがわかるのか!
 『保護シートモード』というものを、ONにしました。
 まあ、びっくりすることばかりです。  

Posted by 熊太郎 at 06:17Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2024年09月10日

出川哲朗の充電バイクの旅 北海道洞爺湖から余市

出川哲朗の充電バイクの旅 TVer(ティーバー)とか、ネットもテレ東とか。

絶景の<羊蹄山(ようていざん)>洞爺湖(とうやこ)から余市(よいち)の珍景(ちんけい)<ローソク岩>まで絶景街道128キロ!北海道グルメも満載ですが初登場の山本彩(やまもと・さやか。元NNB48)と狩野英孝(かの・えいこう)がエンジン全開!ヤバイよヤバイよSP

 北海道のきれいな景色です。
 北海道の風景は美しい。
 洞爺湖の湖と小島の風景でスタートしました。
 担当は、熊谷ディレクターです。(くまがいさん)

 わたしは、山本彩(やまもと・さやか)さんという方は存じ上げませんが、明るい性格の方でした。
 狩野英孝さんは、東野・岡村の『旅猿』という番組で、ご自身の出身地である宮城県内編を先日観たところで、また、こちらの充電バイクでの別ルートでの出演番組も観ていて、ちょっと狩野英孝さんは見飽きました。
 旅好きだから旅番組に出演されるのでしょうが、狩野英孝さんは、旅ロケ番組での地元民に対する物の言い方がぞんざい(荒っぽい、失礼な物言いをする)なところが気になります。そのうち地元民から何を言っているんだ!と怒鳴り返されるもしれません。

 北海道の地元の人たち、充電依頼をしたお宅の人たちは、すごくいい人ばかりでした。
 農家の若そうなファミリーが、感じ良かった。
 観ていてちょっと感激しました。
 久しぶりに、人間らしい心もちをもった人たちに会ったような思いでした。
 心がさわやかになれました。競争しない。欲得(よくとく。損得優先の意識)なしです。
 毎日の日米の選挙がらみの報道や某知事のパワハラ報道を見ていると、気がめいってくることがあります。

 充電バイクで前進しながら、いろいろな家族に会って、そうやって、ひとつひとつ思い出を重ねながら人生が過ぎていきます。
 記念の集合写真を撮るシーンが好きです。もう二度と同じメンバーで記念写真を撮ることはありません。

 農家の方のビニールハウスの中に冷蔵庫や座るところなどがセットされていて、番組中だれかが、『基地』と言ったのですが、わたしも、まだ小学校低学年のころにこどもばかりで集まって、山や野原でつくった『基地』で話しこんだときの体験と重なって共感しました。

 狩野英孝さんは、農家さんにもらった巨大なトマトを切る包丁さばきがひどかった。結婚生活には向かないだんなさんです。練習したほうがいい。(ご結婚はされているような番組内での発言でした)

 なかなか食事場所が見つからなくてたいへんそうな北海道ロケです。
 『昔ながらのドライブイン』とか、お店の建物のイメージが、『宇宙船』とか、『ショートケーキ』とか、そのあたりの話がおもしろかった。

 電動バイクで移動中に北海道余市市内(よいちしない)で見えた宇宙飛行士毛利衛(もうりまもる)さんのご実家が銭湯で、現在も立派な入浴施設になっていてびっくりしました。へぇーーでした。

 ローソク岩に向かって、二年前に井森美幸さんがゲストで参加した時の上り坂ルートを三人がバイクで並んで上ります(のぼります)。(前回は、充電切れで出川哲朗さんは制限時間内にローソク岩に到着できませんでした。井森美幸さんだけがゴールしました)。今回は、出川さんも狩野英孝さんも熊谷ディレクターもゴールできて良かった。

 次回は、長野県の戸隠神社(とがくしじんじゃ)から松本城だそうです。
 松本城には、わたしは二度行ったことがあるので放送が楽しみです。高校の修学旅行のときと、おととしの5月に夫婦で行きました。いずれもいいお天気でした。  

2024年09月09日

運命じゃない人 邦画 2005年

運命じゃない人 邦画 2005年(平成17年) 1時間37分 動画配信サービス

 中村靖日(なかむら・やすひ)さんという俳優さんが7月10日に急性心不全のため51歳で亡くなって、わたしは知らない俳優さんだったのですが、いくつかのコメントを読んで、いい俳優さんだったということだったので、コメントのなかで、作品『運命じゃない人』がいい演技だったという記述を読んで、映画を観たくなりました。
 観終えて、中村靖日さんの演技がとても良かった。

宮田武(中村靖日):優しい。人を信じすぎる。お人よし。だまされていても、だましている相手を信じてしまうタイプ。サラリーマン。

神田:宮田武の中学時代からの親友。探偵をしている。なんというか、ふつう、この異なるタイプの人間同士が親友になるとは思えないのですが、演劇の設定です。
 宮田武が結婚詐欺師あゆみという女性にだまされたあと出会って付き合いたくなる女性も、宮田武のキャラクターに合うような女性のタイプではないのですが、それもまた演劇の設定なのでしょう。

 宮田武が結婚後のために購入したマンションを自分がつき合う女と使いたいから貸してくれと神田が言います。
 洋画、『アパートの鍵貸します』を思い出しました。1960年(昭和35年)ビリー・ワイルダー監督、ジャック・レモン、シャーリー・マクレーンのいい映画でした。

 こちらの映画にはいろいろ仕掛けがしてあります。最初は見ているほうもだまされます。最後は、ほうそうかいなと、やれやれという気持ちになりますが、まっイイカ!で終わりました。

 冒頭付近の婚約解消をされた桑田真紀のひとり語りに説得力があります。
 『知らない星にひとりぼっちでいるようだ……』から始まります。
 婚約指輪を古物商にもっていったら、わずか3500円の引き取り価格だった。
 桑田真紀の気持ちです。『自分の幸せをほかの人に託すから(男にたくすから)こんなふうになるんだ。もう誰も頼らない。(これから)ひとりで生きていくんだ』

 2005年(平成17年)なので、スマホはまだ世の中に登場していません。ガラ携(がらけい)の携帯電話です。

 始まってしばらくは、男女の会話がぎくしゃくしている感じがありました。
 
 ときおり、時間が戻ります。不思議なつくりの映画です。
 舞台劇のようでもあります。
 その後も何度か、時間が戻ります。伊坂幸太郎小説作品みたいです。

 宮田武を演じる中村靖日(なかむら・やすひ)さんは、限りなく心が優しい。優しいけれど、女性にもてるタイプではありません。だから、女性にとって結婚相手になる『運命の人』とは思えない。映画のタイトルにある『運命じゃない人』扱いなのです。されど現実には、こういう人と結婚することが、平和な人生につながります。

 宮田武はまじめです。まじめすぎて、魅力のない人です。
 中村靖日(なかむら・やすひ)さん、演技がうまいなあ。本人の地(じ。本来の姿)ではないと思いますが、うまいなあ。

 女の人同士が、がちあいます。おもしろい。
 女が女をののしります。
 『(あなたは)勝手すぎる!裏切り者(みたいに言う)。(あなたは)自分の都合だけで生きているのね!』(すごい! いい脚本です)
 自分がカップルになる相手は、だれでもいいとういうわけにはいきません。
 走る! 走る! 走る! 自分にとって、失ってはいけないと思う異性を追いかける。

 伏線として、『(あなたの)電話番号を教えてください!』(いいなあ)

 宮田武(中村靖日(なかむら・やすひ))は、純粋です。純真です。不純な気持ちや、私欲がありません。

 タクシーの運転手さんもおもしろい。

 恋愛において、異性の見た目やスタイルに、だまされてはいけない。

 ときおり、ウソが判明します。
 このあと、どんなどんでん返しの大ウソがあるのだろうかという気持ちになります。

 戦争地帯と平和が同じ空間に同居しています。
 宮田武(中村靖日(なかむら・やすひ)さん)の空間が、『平和』で、彼以外の人たちがいる空間が、『戦地』です。
 
 時空間移動もあります。
 ヤクザである組長の携帯電話の呼び出し音が、『組長!電話です』だったのが良かった。

 宮田武(中村靖日(なかむら・やすひ)さん)は、人を信じすぎるお人よしですが、幸せな人です。これでいい。人間は、正直に生きたほうがいい。
 いい映画でした。  

2024年09月07日

『今何してる?』

『今何してる?』

 定年退職をして、ずいぶん歳月(としつき)が流れました。
 その後、同じく定年退職をした後輩から飲み会に誘われるようになりました。
 お互いに二十代の頃に遊んだ友人・知人です。
 みんな歳をとりました。

 自分は、今は、前期高齢者の年齢になって、無職で年金生活をしている身です。
 飲み会の席で後輩に、『今は、何をしているのですか?』と問われて言葉に詰まりました。
 何をしてる?の意味は、仕事は何をしている?とか、職業は何?という意味です。
 働いていないと一人前(いちにんまえ)とは思われない日本社会の慣例のような常識があります。蓄えとか資産があっても、働ける年齢の人が働いていないと、一人前の人間とは思われないのです。
 されど、六十代もなかばを過ぎると、もう働くような、あるいは、働けるような状態ではないのです。(例外は当然ありますが……)
 仕事は何のためにするかというと、基本的には、生活費を稼ぐためにするのです。
 自分たち夫婦は若いころから長い間共働きだったので、老後は、夫婦ふたりの年金で生活しています。
 政府は、労働力不足解消のために高齢者を働かせたいようですが、現実は、高齢者は頭も体ももうポンコツです。実感として、人間の体というものは、48歳ぐらいから劣化が始まって、目や歯、神経や関節がおかしくなって、内臓も傷み(いたみ)、一度壊れた部分はもう元には戻ってくれません。複数の症状をかかえて、通院や検査、服薬を繰り返しながら病気と付き合っていくことになります。
 施策をつくる人生経験が少ない政府の若い年齢層の職員にはそのことがわからないのでしょう。数字合わせだけで、施策が実現できると勘違いをしているのでしょう。そのうちご自身も心身が壊れて現実がおわかりになるでしょう。なにごとも実際に体験してみないと実感が湧きません。
 元気でびゅんびゅん勢いよく歩いていた人でも、加齢によってペンギンのようなヨチヨチ歩きになり、やがて、車いすになり、寝たきりになって老衰していきます。脳みその働きも衰えていきます。
 人間最後はみんな障害者です。これまで、歳をとっていく親族や友人・知人たちを見てきて、そう思います。足の筋肉がなくなっていくのです。足が骨と皮だけになって筋肉が消えて立つ力がありません。

 自分の現役時代は、サービス残業の長時間労働でした。朝早くから夜遅くまで働いて、休日や夜間の電話の緊急呼び出しもしょっちゅうでした。
 労働時間数からいえば、普通の倍ぐらいは働いたと思うのです。自分が自由に使える自分のための時間があまりなくてあせりました。
 労働時間数から言えば、もう十分働いた。だからもうわたしは働かないと決めたのです。そして、自分が自由に使える一日24時間を手に入れました。そして、わたしにとっての『時間』は、自分の寿命が尽きるまでの期限がある、『時間』です。自分では、あと10年間から15年間ぐらいだろうと推測しています。それ以上生きることができたとしても、身体的に自由自在に外を出歩くことはもう無理になっていると思います。車の運転は危険なのでやめるつもりです。

 以前、マツコさんと村上信五さんのバラエティトーク番組、『月曜から夜ふかし』の中国ロケで、まるでもう死んでいるかのような中国人女性が路上の端に座っている映像が出てきました。
 インタビューする人の『生きていますか?』という問いに、高齢女性から、『生きているんじゃない。死んでいないだけだ』と返答がありました。名言だと思いました。
 
 『今は、何をしてるんですか?』という問いに、今度からは、『何もしていないけれど、余生を楽しんでいる』と答えることにしました。余生(よせい):人生の活動期を過ぎたあとの日々。  

Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り