2024年10月28日

黄色いマンション 黒い猫 小泉今日子

黄色いマンション 黒い猫 小泉今日子 新潮文庫

 今、毎週日曜日夜10時からあるNHKBSドラマ、『団地のふたり』を楽しみに観ています。
 主人公役を務める小泉今日子さんと小林聡美さんが、それぞれエッセイ本を出されていることを知りました。まず、小泉今日子さんの本を先に読んでみます。

 令和3年(2021年)12月1日に発行された文庫本です。単行本は、平成28年(2016年)4月にスイッチ・パブリッシングから刊行されています。
 197ページに、この本のもとになるエッセイの連載は、2007年(平成19年)から2016年(平成28年)だったと書いてあります。雑誌、『SWITCH』の『原宿百景』。

 『はじめに』があって、35本のエッセイがあって、『あとがきのようなもの』があります。エッセイ:随筆。散文(さんぶん。気楽な文章)。
 著者は、1966年(昭和41年)生まれ、デビューは、16歳のとき、1982年(昭和57年)です。

『はじめに』
 東京原宿について書いてあります。原宿に愛情、愛着をもたれています。
 新宿と渋谷の間にあって、明治神宮の東にある地域です。
 18歳から21歳までの4年間、原宿でひとり暮らしをされていたそうです。(73ページの記事)

『黄色いマンション 黒い猫』
 読み終えて、絶句します。ぜっく:言葉が出てこない。
 なんと感想を書いていいのかわかりません。
 アイドルという仕事はたいへんです。
 深夜放送の仕事が終わって、放送局から原宿あたりにある自宅マンションに帰る。
 帰宅する車をファンに追跡される。
 ある日、ドアを開けると、ダンボールの中に両目をつぶされた黒い子猫が入れられていた。
 子猫を抱いていたら、子猫が逃げて、階段の7階から落下していった。
 あわてて階下へ行ったが、子猫の姿はなかった。見つからなかった。
 そんなことが書いてあります。
 わたしが思うに、猫をダンボールに入れた人間は、ようすをずっと見ていたと思うのです。その者が、死んだ子猫を回収したと思うのです。ひどいことをする人間がいます。
 ここまで読んで、著者は、外国も含めて、全国各地をあちこち飛び回るのでしょうが、とても狭い世界の中で生きて来た人に思えてきます。芸能界という世界です。

『スクーターズとチープ・トリック』
チンコおじさん:小田急線本厚木駅北口にある彫像(ほんあつぎえき)。(グーグルマップの映像で確認できました。円盤投げみたいなかっこうをされています)
ノリコ:男兄弟の中で育っている。
著者:三人姉妹の末っ子。長姉がヨーコさん(8歳年上)。
ヒロコさん:著者の2歳上の姉。著者の天敵。いばる。ばかにする。からだがでかい。口が達者。小さい時から著者とケンカばかりしている。著者は、一度も勝ったことがない。
チープ・トリック:アメリカ合衆国のロックバンド。
サーキュラースカート:円型に生地(きじ)を縫い合わせる。裾(すそ)に向かって広がるスカート。ボリューム感がある。
 読んでも、おじいさんのわたしには、わからない内容でした。原宿のことが書いてありました。

『リッチくんのバレンタイン』
 けっこう深刻なことが書いてあります。近所に住んでいた幼なじみのリッチくん(ヨーロッパのハーフ)が、青年期に車の中で二酸化炭素ガスを吸って、自殺してしまうのです。
 あたしんち→タナカさんち→スガワラさんち→リッチくんち。リッチくんとは、オムツをしているころからの知り合い。同い年。幼稚園、小中学校、高校も同じだった。リッチくんはモテた。
 みんなは、強くてかっこいいリッチくんが好きだった。著者は、弱くて悲しいリッチくんを知っていて怖かった。リッチ君は、そのことを知っている著者が怖かったに違いない。
 バレンタインデーの話が出ます。モテモテのリッチくんです。
 お金があっても、見た目がハンサムでかっこよくても、悲しいことはあります。

『嵐の日も 彼とならば』
 ボイストレーナーのコウノ先生のお宅で出るごはんの話です。ふつうのごはんです。ふつうだから心にしみるのです。
 歌手発掘番組、萩本欽一さん(きんちゃん)司会の、『スター誕生!』の話が出ます。自分も似たような世代なので、中学・高校のときに、リアルタイムで観ていました。日曜日お昼前の放送だった記憶です。
 中学三年生の数学の授業中にクラスメートから、メモのような手紙が回ってきた。スター誕生に応募しようという内容だった。
 クラスメートと応募して、オーディションを受けた。
 『どこにでもいるような普通の子が、人の目に触れてどんどん垢抜け(あかぬけ)ていくのをまるで身内のような親し気な気分で見守ったりするのも楽しいものだ』と書いてあります。
 著者は、予想外に、オーディションに受かってしまった。人生が大きく動き出してしまった。
 読んでいて、アイドルは、『商品』だと思う。アイドルを中心において、たくさんの人たちが、収入を分かち合って生活をしていきます。
 著者は、日記を書いているのではなかろうか。かなり昔の話です。毎日ではなくても、ぽつりぽつりと、そのときどきの心境を書き残しているものと想像します。

『真剣に親権問題』
 驚くほど、家庭内の事情とか人生の流れについて書いてあります。
 お父さん自営の会社が倒産して、最終的には、ご両親が別居をして離婚されています。著者中学二年生から別居が始まって、その後、ご家族は、親子がバラバラになるように双方の親と暮らしたり離れたりされていますが、一度別居後は、もうご家族全員でひとつの家で暮らすことはされていません。
 ご両親の離婚時、著者は19歳で、離婚届提出時にあたって、著者の親権者を決めて離婚届の用紙に記入しなければなりません。著者の親権者は著者の希望で父親になりました。
 今は18歳が成人ですから、19歳なら親権者はいらないのでしょう。
 そういえば、高校時代のわたしのクラスにも、親の経営する会社が倒産して、どこかへいってしまった女子がいました。この部分を読んで、忘れていた記憶がよみがえりました。
 生(なま)の生活について書いてあります。人間の暮らしが書いてあります。

『ユミさんのお母ちゃん』
 実母のことを、『ユミさん』という著者です。著者と実父の距離は近いけれど、実母との距離は少し離れています。実母は、父親以外と恋をする人です。(若い頃は芸者をしていたそうです)。じっさいそういう女性っています。こどもより、男性に寄っていくのです。
 母方祖父は、恋をして出奔(しゅっぽん。逃げ出して行方不明)。母方祖母は自殺されたそうです。なんだか、すごいことが書いてあります。現実の生活では、ユミさんにとっての母親が、ユミさんの娘である著者なのです。

『夕暮れの保健室』
 著者はよく中学校をサボっていた。途中で帰宅したり、そのあと再び登校したりしていた。(びっくりです)。
 ひとりでいるのが好きだった。
 
 タイマン:一対一のケンカ。

『彼女はどうだったんだろう?』
 あのころビルから飛び降り自殺をした女性アイドルとのことが書いてあります。40年近く前のことです。
 う~む。わたしはそのアイドルのサインを持っていたことがあります。自分は二十代でした。
 ただ、もうそのサインは見つかりません。何度か引っ越しをするなかで、なくした覚えはないのですが、どこにあるのかわからなくってしまいました。
 ちょっと、ドキッとする文章でした。

『原宿キッス』
 たのきんトリオのとしちゃんのことが書いてあります。
 
 なんだかすごいこどものころの体験記です。
 中学二年生のときに一家での夜逃げを体験されています。
 あとは、勉強は好きではなかった。中学は行ったり行かなかったり、高校はアイドル活動に専念ということで、退学したとか……  けっこう荒れた思春期の生活を体験されています。
 お風呂も、電話も、テレビもない生活があります。
 テレビで、『三年B組金八先生』を見たかった。(女子中学生が妊娠、出産する内容でした)。
 著者は、中学生の時に、妊娠したかもしれないという同級生の友だちと産婦人科に行っておられます。(妊娠はしていなかった。妊娠はしていなかったのに、友だちは残念そうな顔をしていた)。

 なんというか、昭和の時代のおおらかさとか、力強さを思い出しました。
 たくましく生きている人間たちがいました。

 この文庫本は、今年読んで良かった一冊になりそうです。

『天使に会ったのだ』
 まあ、思春期の著者にはボーイフレンドがいます。
 著者は、優等生ではありません。
 ボーイフレンドとは、親しくなって、しばらくたって、なんとなく会わなくなった。

 父親が亡くなった。
 末期のガンだった。糖尿病で、肺炎になりかけていた。

 そしてもうひとりその後亡くなった人がいます。
 ボーイフレンドだった人のおかあさんが亡くなっています。

『チャリン、チャリン、チャリン』
 今ではふつうに家庭にあるものでも、60年ぐらい前は家にはありませんでした。
 電話機(固定電話。黒いダイヤル式電話)、洗濯機、冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、テープレコーダー、水洗トイレ、クーラー、エアコン、ビデオデッキ、ビデオカメラ、そして、道は土の状態で、まだアスファルト舗装はされていませんでした。
 そんなことが書いてあります。
 電話でアイドルの歌を聴けた。著者宅の電話機の横に缶があって、アイドルの歌を聴く時は、通話料として、30円を入れていたそうです。
 そういえば、わたしも公衆電話をかけて、アグネス・チャンの歌を何度か聞いたことがあります。

 著者は、いつしか、電話機でアイドル歌手の歌を聴く立場から、聴かせる立場に変わるのです。

『海辺の町にて』
 いなかの夜道は暗くて怖い。買い物はどうしてもバスを利用するしかないぐらい不便。
 東京の街は夜でも明るい。怖くはない。(こわくはない)。
 いなかの夜は、月や星が美しい。
 18歳から21歳までの4年間、著者は、原宿に自宅があった。ひとり暮らしをしていた。

『ラブレター フロム』
 ロンドンから、東京の自分あてにハガキを出した。
 
 ほかに恩師からの手紙、ボーフレンドからの手紙。
 ご自身は、年賀状も書かないそうです。

『愛だの 恋だの』
 自分の母親のことを、『ユミさん』と呼ぶ著者です。ユミさんは、母親というよりも、『女』です。そして、ユミさんの母親のような存在が、著者なのです。ちょっと変わった親子関係があります。

 丸子のおばあちゃん:母方祖父の恋人。妻ではない。いろいろ複雑です。

『ただの思い出』
 著者の実家は、神奈川県厚木にある。
 著者は若い時から車好き。ホンダのステップバンが好き。
 だけど、運転はどうか。仮免の試験に3回落ちています。
 音楽を聴きながらドライブすることが好き。
 車内でカセットテープをガチャンと押し込んで音楽を聴いていたという行為がなつかしい。今の若い人にはわからないことでしょう。
 11月15日、亡き父上の17回忌だったそうです。

『飛行機の音 ラジカセの音』
 神奈川県厚木市米軍基地:厚木市に基地なんかないと書いてあります。調べたら、神奈川県綾瀬市と大和市にまたがって米軍の軍用飛行場があるそうです。名称が、『厚木基地』だそうです。米軍と自衛隊の共同使用だそうです。

 著者は戦後20年の昭和41年にこの世に生まれた。実家である厚木市には、まだ戦争の名残があった。厚木市内でアメリカ兵をよく見かけた。
 
 そのあと、原宿の話が出ます。
 青春時代の遊びは、原宿だった。
 代々木公園で遊んだ。

『母と娘の喫茶店』
 母親の『ユミさん』はコーヒーが好きだった。
 しかし著者は、今もコーヒーがにがてだそうです。コーヒーは飲めないそうです。でも、アルコールは得意だそうです。あとは、喫煙者でヘビースモーカーのようです。

『あの男』
 マネージャーだった5歳年上の男性について書いてあります。変わり者の男性だったようです。
 まあ、変な男です。

『懐古と感謝(かいことかんしゃ)』
 80年代(昭和55年代)の原宿のことが書いてあります。
 著者は、82年(昭和57年)に16歳で歌手デビューしています。
 18歳から21歳までの4年間、原宿でひとり暮らしをしています。
 ふつうにひとりで原宿の街を出歩かれています。
 著者がアイドルであることをまわりの人も気づいていますが、ふつうの対応をされています。
 仕事が芸能人ということはあります。そして、だれだって仕事をしています。
 自分に合う仕事が芸能人だった。自分は芸能人の仕事しかできないタイプだということはあります。まあ、たいていの人は、自分はこれしかできないからこの仕事をしているということはあります。
 原宿に住む、あるいは働く人が、著者に優しい。いやむしろ、みんなに優しいのでしょう。
 著者の言葉で、『原宿の街には善意が溢れていた(あふれていた)…… 勤労少女だった私の心が健やか(すこやか)だったのは……』

『彼女からの電話』
 すごいことが書いてあります。
 十代のころの話です。
 仲が良かった女友だちから、『好きになっちゃいけない人』を好きになって、付き合いが始まったというような相談事、告白を聞かされます。
 結婚している人なの?と問うと、違うという返事です。
 著者は、女友だちに自分のカレシを盗られて(とられて)しまいました。
 初めての失恋だったそうです。

『ミカちゃん、ピテカン、そして……』
 ミカちゃんというのはお姉さんのような女ともだちです。ピテカン(ピテントロプス・エレクトス)は、日本で初めてのクラブの名称です。クラブ:娯楽・社交のための会員制のお店。
 ミカちゃんとミカちゃんの友だちのミユキちゃんは、著者のことを、『タマゴ』と呼ぶ。
 ミカちゃんは彼氏とパリで暮らすそうです。ちょっと淋しさが(さみしさが)ただよう文章でした。

『あたしのロリポップ』
 セントラルアパートの下に、原宿プラザがあった。十代のころの著者にとってワクワクする場所だった。
 ロリポップ:ペロペロキャンディー
 
 川勝正幸さんという方について、讃える(たたえる)文章が書いてあります。
 川勝正幸:ライター、編集者。2012年(平成24年)55歳没。自宅が火災にあって亡くなった。

 文章を読んでいて思うのは、著者は、永遠の18歳です。文章の中では、46歳ですが、気持ちは若い。

(124ページまで読んできて思うことです)
 自分は未来において、どうなっていてもいいとする。
 自分らしく、今を生きる。
 生き抜く自信がある。
 自分の未来を、やっていけると信じている。
 なんとかなるという力強さが著者にあります。
 ときおり、胸にじんとくる文章があります。
 アイドルであっても、芸能人であっても、タレントであっても、同じ人間だと思うのです。

『雨の日の246』
 246:国道246号。東京千代田区から静岡県沼津市。
 アイドルをしていて、何かをあきらめてしまったような気持ちがあった。
 いつも自信がなかった。
 カレシとの思い出話です。

『あの子の話』
 ご本人が、離婚したところから始まります。(婚姻期間1995年(平成7年)29歳-2004年(平成16年)38歳。
 離婚して再び始まるひとり暮らしです。青葉台というところ。駅は、中目黒駅。
 新居が、自然が豊かな話、猫の話。ひとりの暮らしにウキウキしていた話。

『お化け怖い!(おばけこわい!)』
 50歳近いけれど、おばけがこわい。
 されど、二十代の頃は、ホラー映画にハマっていた。
 歳をとって、怖さに対抗できる免疫(めんえき。体を守る仕組み)がなくなってしまったとのことでした。

『アキと春子と私の青春』
 朝ドラです。じぇじぇじぇの『あまちゃん』ですな。アキは、のんさんですな。
 アキの母親である春子を演じたのが、小泉今日子さんです。
 ご本人の16歳からのアイドル時代は、つらかったそうです。つらかったけれど、楽しいこともあった。原宿や表参道あたりをぶらぶら歩くことが楽しみだった。

『渋滞~そして人生考』
 表参道のクリスマスイルミネーションです。
 自分でミニクーパーを運転しながら渋滞している道を進みます。車の中で、脳裏に思い出がよみがえってくるそうです。
 右に代々木公園、左にNHKです。(今年9月にわたしたち夫婦も散歩したルートです。雰囲気がわかって読んでいて楽しい)
 山手通りに出て、ご自宅マンションがある中目黒青葉台へ帰って行かれたようです。

『ジョーゼットのワンピース』
 ジョーゼット:薄く、軽く、緩やか(ゆるやか)に編まれた織物。
 母親は、日暮里(にっぽり)の染物屋の娘だった。
 こどものころの自分の写真は、長姉の写真の数の半分ぐらいしかなかった。それに気づいた母親が、ときおり写真を撮ってくれた。
 アイドルになってから、数えきれないぐらいの仕事用の写真が撮られた。街のあちこちに自分の顔写真が飾られた。自分のようで自分ではない顔の写真だった。
 これからも仕事で自分の顔やスタイルの写真がたくさん撮られていく。

『花や 庭や』
 休日の夕方は、商店街をぷらぷら歩いている。
 ひとりの時間、ひとりの生活もずいぶん長くなったとあります。
 こどもの頃からお花が好きだった話が書いてありました。

『団地のヌノタくん』
 15歳のとき、団地に19歳か20歳のヌノタくんが住んでいた。
 パンチパーマのヤンキーファッションだった。
 友人たちとヌノタくんが運転するトヨタマークⅡ(マークツー)で、熱海までドライブに行って、札幌ラーメンを食べて帰って来た思い出話が書いてあります。

『ナンパの季節』
 中学生三年のときに女友だちと横浜に買い物に行って、『彼女たちぃ……』と、ナンパされた話です。
 スウィングトップ:ゴルフ用のジャンパー。
 最近、若い女性と間違われてナンパされたそうです。でも、男は中年女性だとわかって、逃げるように去って行ったそうです。

『四月某日の手記』
 ユミ(母)78歳の誕生日祝いを新宿の某デパートで、ヒロコ(次姉。2歳年上。もうすぐ52歳)と三人で買いに行きました。
 親族の話がいろいろ出ます。甥の(おいの)5歳男児とか、長姉のヨーコさん(著者より8歳年上)が、がんで亡くなったとか。

『続、生い立ちの記』
 自分が生まれたときの難産の状態だったことなどが書かれています。

『逃避行、そして半世紀』
 神奈川県の葉山です。43歳から46歳までの3年間を葉山で海を見ながら猫と暮らしたそうです。
 沢村貞子:1908年(明治41年)-1996年(平成8年)87歳没。女優、随筆家。
 沢村さんに影響を受けて、海の見える部屋にしたそうです。
 著者は読書家のようです。
 
 この部分を読んでの感想です。
 ひとつは、こどもさんの頃はそうではないかもしれませんが、デビューされた以降、お金で苦労されたことはない人なのだなということ。
 もうひとつは、年齢を重ねておられますが、気持ちは若いということ。結婚はされましたが、出産子育ての体験をされていないことが、今もなお気持ちが若いということだと推測しました。
 あとは、健康に気をつけてくださいということ。とくにタバコはやめたほうがいい。お父上もお姉さんも癌で亡くなっておられます。癌になりやすい体質の遺伝はあろうかと思います。

『和田さんの今日子ちゃん』
 和田誠さんのお話です。
 和田誠:イラストレーター。グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。1936年(昭和11年)-2019年(令和元年)83歳没。料理愛好家の平野レミさんが奥さん。

『あとがきのようなもの』
 最初のお話に出た、7階から転落した黒猫の話です。追悔(ついかい。あとになって悔やむこと(くやむこと)。後悔)シーンがよみがえるそうです。
 コロナ禍の際中で、実家へ一年以上帰っていないとあります。
 過ぎてみれば、コロナってなんだったのだろうと思い出す今日この頃です。
 たくさんの人たちが亡くなりましたが、コロナ以外の病気で亡くなった方もいます。
 うちの親族も亡くなりました。
 お見舞いの面会もきちんとできませんでした。お互いに無念だった出来事と思います。

 今度は、NHKBSドラマ、『団地のふたり』で著者と共演されている小林聡美さんのエッセイ本を読んでみます。『わたしの、本のある日々 小林聡美(こばやし・さとみ) 毎日文庫』です。

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