2024年09月14日

団地のふたり NHKBSドラマ

団地のふたり NHKBSドラマ 第1回と第2回放送の感想です。日曜日午後10時放送中です。

桜井奈津子:小林聡美(こばやし・さとみ)。イラストレーター。結婚歴なし。

太田野枝(おおた・のえ):小泉今日子。大学の非常勤講師。33歳のときに離婚して、団地の実家へ出戻りだそうです。こどもさんはいません。

太田厚志:杉本哲太。太田野枝(おおた・のえ)の兄。自営の塗装会社社長。

太田昌夫:橋爪功。太田野枝(おおた・のえ)と哲太の父親。

太田節子:太田野枝(おおた・のえ)の母親。主婦。

佐久間絢子:由紀さおり。団地の住人。

『第1回放送』
 平和です。
 ここに、『競争社会』はありません。
 小泉今日子さんと小林聡美さんのふたり劇を中心に進みます。
 おだやかに時間が流れていきます。
 おふたりは、団地といっしょに歳をとったのです。ふたりとも55歳と聞こえました。(劇中の設定です)
 団地に入居するときは、40倍の競争だった。
 今では、住んでいるのは年寄りばかりになった。空き家も目立つのでしょう。
 
 (ストーリーの起伏はどうやってつけていくのだろうか?)

 コンビニで発送手続きをしています。
 古いグッズ(品物)を欲しい人に売るのです。
 あいにくわたしは、メルカリ方式を知らないので想像するだけです。フリマというのでしょう。(フリーマーケット)。

 一戸建てに住みたかったらしき団地暮らしの太田野枝(おおた・のえ)の老いた両親です。(橋爪功・丘みつ子夫妻)。

 由紀さおりさんがおもしろい。役に(やくに)ぴったりの演技です。

 『そらちゃん』というふたりに共通の保育園でいっしょだった人がいるそうです。(あとあと出てくるのでしょう)

 なつかしい昔のものが映像にたくさん出てきます。
 歌も歌手もなつかしい人たちです。
 半世紀前のふりかえりドラマです。
 観ている自分も同じ時代に生きてきたという実感があります。
 
 離婚した太田野枝(おおた・のえ)の結婚した時の話が両親から出ます。『(娘の結婚は)一瞬のはかない夢だった』、あわせて、父親が出戻りの娘を、『団地の座敷わらし』と陰で言うそうな。

 団地ネタがいっぱいありそうです。

 最後のシーンが良かった。
 おいしいものを食べる。
 おいしいものを食べると、いままで生きてきて良かったと思うことがたしかにあります。


『第2回放送』
 おいしい食べ物が出てくるドラマです。
 女性向けのドラマです。
 平和です。
 なかなかいい雰囲気があります。

 団地内でのボランティアみたいな網戸の張替え、個性的な住民さんたち、どこにでもいそうな音に関するクレーマー(今回は猫の鳴き声)、児童虐待と誤解した父子家庭の小学生女児の存在、いろいろあります。
 昔は団地にはこどもたちがたくさん遊ぶ姿があったけれど、今はこどもの数が減ったという思い出話も出ます。
 G(ジー。ゴキブリ)との戦いもあります。
 
 ノラ猫、捨て猫の話です。最近の猫は、煮干しは食べないと思います。キャットフードでしょう。(たぶん)。猫の舌も肥えました(こえました。美食家。おいしいものしか食べない)

 クレーマー(しつこく文句を言ってくる人)のようすが、上手に表現してあって感心しました。
 クレーマー自身の声ではなく(俳優はベンガルさん)、小林聡美さんの声で混乱ぶりを表現します。
 (若い頃映画館で、小林聡美さんと尾身とりのりさんの『転校生 大林宣彦(おおばやし・のぶひこ)監督 舞台は広島県尾道市』を観ました。ふたりが神社の長い階段で転げ落ちて(ころげおちて)、男女の心が入れ替わる映画でした。小林聡美さんはまだ17歳ぐらいだったと思います。なつかしい。わたしはまだ結婚する前に、駅前の映画館で妻と観ました。その後、長い時が流れて、家族で愛知県内の自宅から広島県尾道市まで自家用車で交代ばんこに運転しながら行き、同地で宿泊しました。夕食は、街中華で、尾道ラーメンを食べました)
 
 シーンを観ていて、いろいろ笑えます。

 父子家庭育ちの小学校4年生ぐらいの女の子のセリフが良かった。父親は奥さんに逃げられたそうです。
 『パパはどうしていつも、しかたないって言うの?』

 やはり、前回の放送で出てきた、『そらちゃん』の話が出ます。
 ふたりが保育園のころから仲良しだったそらちゃんは、小学校低学年のときに小児がんで亡くなったそうです。そのシーンを見ていて、わたしが中学1年生のときにじんぞう病で亡くなった同級生のS君を思い出しました。クラスの数人と中学校のそばにあった病院の病室へお見舞いに行ったことがあります。長く生きていると、心がしみじみとする出来事に何度かぶつかります。

 思い出した一冊があります。世の中には、病気によって、こどものままで人生を終える命があります。
『電池が切れるまで 宮本雅史 角川つばさ文庫』
 こどもさん向けの本で、命の大切さとか、人と人との交流の大事さとか、強く生きることの教訓とかをとおして、優しい人になりましょうというメッセージが記されています。
 冷静に本を読みこむと、ひとつの判断を迫られます。こどもの命が、治療しても助からないとわかっているときに、親や医療関係者はこどもにどうしてあげたらいいのか。痛みを我慢させながら、治ることのない治療行為を亡くなるときまで続けていくのか。
 どうやっても治らない病気なら、病室の外で思い切り楽しい思いをさせてあげてお別れしたい。体中を切り刻むような痛みを味あわせることはやめたい。それは、親としての気持ちです。そして、自分が死んだら、天国でまたこどもに会えると信じたい。 

(付け足し(つけたし)の事柄として)
 こちらのドラマの原作小説の作家は、藤野千夜さん(ふじのちやさん)という方でした。
 調べたら、わたしは、藤野千夜さんの作品で、別の小説を読んだことがありました。

『じい散歩 藤野千夜(ふじの・ちや) 双葉社』
 ふたり合わせてもうすぐ180歳とあります。高齢者ご夫婦です。
 息子は三人いるものの、昭和37年生まれの長男は高校中退、無職引きこもり(テレビ・ラジオ・クロスワードパズル解きで時間をつぶす)。
 昭和39年生まれの次男はオネエで(オカマさん)、自称自分は長女(おかっぱ頭で、裏声で話す。スカートのようなズボンをはいている。胸がふくらんでいる。娘のような次男である)。
 昭和41年生まれの三男は借金男で、三人とも未婚です。
 父親の明石新平がつくった自営業の明石建設という会社がありましたが、息子が三人いても後継ぎはいません。まあ、これが現実かもしれません。奥さんはどうも認知症です。

 読んでいると、胸にしみじみと広がってくるものがあります。落語のようでもあります。
 九十歳近い夫婦にとっては、(人生においてやることが)もう終わったんだなあ。
 極楽行き待ちで、あの世にいくまでのひとときを、思い出にひたる世界ですごしているのです。 もうあの人もこの人も、お先に極楽へ行かれて、極楽で待ってもらっているような状態なのです。(そんなこんなで、認知症になってしまった奥さんは、ご主人の浮気を疑うという筋立てで物語が流れていきます)。奥さんの嫉妬心が強烈です。(しっと。やきもち。うらむ。ねたむ)。奥さんが叫びながらご主人のパンツを引きずりおろします。奥さんが認知症でこわれちゃってます。