2024年09月07日

『今何してる?』

『今何してる?』

 定年退職をして、ずいぶん歳月(としつき)が流れました。
 その後、同じく定年退職をした後輩から飲み会に誘われるようになりました。
 お互いに二十代の頃に遊んだ友人・知人です。
 みんな歳をとりました。

 自分は、今は、前期高齢者の年齢になって、無職で年金生活をしている身です。
 飲み会の席で後輩に、『今は、何をしているのですか?』と問われて言葉に詰まりました。
 何をしてる?の意味は、仕事は何をしている?とか、職業は何?という意味です。
 働いていないと一人前(いちにんまえ)とは思われない日本社会の慣例のような常識があります。蓄えとか資産があっても、働ける年齢の人が働いていないと、一人前の人間とは思われないのです。
 されど、六十代もなかばを過ぎると、もう働くような、あるいは、働けるような状態ではないのです。(例外は当然ありますが……)
 仕事は何のためにするかというと、基本的には、生活費を稼ぐためにするのです。
 自分たち夫婦は若いころから長い間共働きだったので、老後は、夫婦ふたりの年金で生活しています。
 政府は、労働力不足解消のために高齢者を働かせたいようですが、現実は、高齢者は頭も体ももうポンコツです。実感として、人間の体というものは、48歳ぐらいから劣化が始まって、目や歯、神経や関節がおかしくなって、内臓も傷み(いたみ)、一度壊れた部分はもう元には戻ってくれません。複数の症状をかかえて、通院や検査、服薬を繰り返しながら病気と付き合っていくことになります。
 施策をつくる人生経験が少ない政府の若い年齢層の職員にはそのことがわからないのでしょう。数字合わせだけで、施策が実現できると勘違いをしているのでしょう。そのうちご自身も心身が壊れて現実がおわかりになるでしょう。なにごとも実際に体験してみないと実感が湧きません。
 元気でびゅんびゅん勢いよく歩いていた人でも、加齢によってペンギンのようなヨチヨチ歩きになり、やがて、車いすになり、寝たきりになって老衰していきます。脳みその働きも衰えていきます。
 人間最後はみんな障害者です。これまで、歳をとっていく親族や友人・知人たちを見てきて、そう思います。足の筋肉がなくなっていくのです。足が骨と皮だけになって筋肉が消えて立つ力がありません。

 自分の現役時代は、サービス残業の長時間労働でした。朝早くから夜遅くまで働いて、休日や夜間の電話の緊急呼び出しもしょっちゅうでした。
 労働時間数からいえば、普通の倍ぐらいは働いたと思うのです。自分が自由に使える自分のための時間があまりなくてあせりました。
 労働時間数から言えば、もう十分働いた。だからもうわたしは働かないと決めたのです。そして、自分が自由に使える一日24時間を手に入れました。そして、わたしにとっての『時間』は、自分の寿命が尽きるまでの期限がある、『時間』です。自分では、あと10年間から15年間ぐらいだろうと推測しています。それ以上生きることができたとしても、身体的に自由自在に外を出歩くことはもう無理になっていると思います。車の運転は危険なのでやめるつもりです。

 以前、マツコさんと村上信五さんのバラエティトーク番組、『月曜から夜ふかし』の中国ロケで、まるでもう死んでいるかのような中国人女性が路上の端に座っている映像が出てきました。
 インタビューする人の『生きていますか?』という問いに、高齢女性から、『生きているんじゃない。死んでいないだけだ』と返答がありました。名言だと思いました。
 
 『今は、何をしてるんですか?』という問いに、今度からは、『何もしていないけれど、余生を楽しんでいる』と答えることにしました。余生(よせい):人生の活動期を過ぎたあとの日々。  

Posted by 熊太郎 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り