2024年08月31日

ファミリーレストランで思うこと

ファミリーレストランで思うこと

 朝から台風10号の影響で、深く、じっくりとした雨が降り続いています。きょうの愛知県は、一日どっぷり雨につかるのでしょう。

 さて、外食にはあまり行きませんが、しばらく前に親族で行楽(こうらく。外出して遊んで楽しむ)のあと、ファミリーレストランに入りました。
 
 満席だったので、名簿に名前と人数を記入します。
 順番が来たら、席に案内されて、料理の注文はタブレットのタッチパネルでします。
 配膳は、人間のスタッフと棚型の移動するロボットが運んでくれます。
 伝票は、人間がテーブルの上にあるプラスチックの筒状の穴に入れてくれます。
 清算はセルフレジです。伝票にあるバーコードをピッピとバーコードリーダーで読み込みます。
 電子マネーで支払いました。

 店を出て、なんだかなあという気持ちになりました。

 昭和40年代(1965年代)、世の中はアナログ(人間による手作業)の時代でした。
 職場では、仕事は、『早く、安く、正確に』がモットー(組織目標となる標語)でした。
 その完成形が、現在のデジタル方式(電子化)による商売なのでしょう。
 基本的にセルフ方式です。(客が自分でやる)
 でも、終わってみると、なんだかなあという気持ちになるのです。
 自分がまるで、家畜の牛やニワトリになったような気分がしました。おいしいけれど、餌を食べたような感じがしました。

 本来料理というものは、人の手から手へ渡すものではなかろうか。
 料理という、『気持ち』を相手に手渡すものではなかろうか。
 その行為には、『感謝』と『信頼』があります。
 『ごちそうさま、ありがとう、おいしかった』です。
 そして、支払いのあとのお客さまのお見送りです。『またのお越しをお待ちしております』
 それなのに、なんでもかんでも省略されて、こんなふうでいいのだろうか。
 古き良き日本人像が年々劣化しているような気がしてなりません。

 そんな気持ちになりました。
 めんどうでも不便でもいい。心がある人間として、ちゃんとしたい。
 何度も考えて、そんな気持ちになりました。  

Posted by 熊太郎 at 08:11Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2024年08月30日

すしん たなかひかる

すしん たなかひかる ポプラ社

 こどもさん向けの絵本です。
 かなりおもしろかった。

 お寿司の話です。
 握りずしの下に、車輪が取り付けられます。

 まぐろの握りが、『すしーーーーん』と走り出します。
 爽快です。(そうかい:さわやかで気持ちが良い)

 たまごと、えびも走ります。『すしーーーーん』、『すしーーーーん』。

 そのあとを、貝と、あなごと、いくらとウニとタコとイカとサーモンと鉄火巻きが走ります。
 『すしーーーーん』、『すしーーーーん』、『すしーーーーん』

 なんだかんだと、いろんなネタが続きます。
 絵がキレイです。
 こんど親戚のちびっこにプレゼントする絵本の候補に入れることにしました。

 握りずしが、ヘリコプターになっています。

 勢いと力強さがあります。
 おーーーっ! 寿司と寿司が合体しましたーーーー
 対決ではありません。
 傑作です。(けっさく:非常に優れた出来栄え(すぐれたできばえ))

 ネタは、筋子(すじこ)か。
 筋子が恐竜になりました。
 ウォーーー ゴジラ寿司だぞーーーー
 『すしん、すしん、すしん……』
 なんじゃこりゃーーーー
 『すしーん、すしーん……』
 おもしろい!!
 
 ありゃ。
 上からピザが落ちてきました。
 『ピザッ』
 オチもおもしろい。

 さいごは、なごやか。
 なかなか良かった。
 今年読んで良かった一冊になりました。  

Posted by 熊太郎 at 06:36Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2024年08月29日

出川哲朗の充電バイクの旅 北海道清里町からサロマ湖へ

出川哲朗の充電バイクの旅 TVerとかネットもテレ東とか

出川哲朗の充電させてもらえませんか?
快走!北海道の絶景ロード130キロ!清里町“さくらの滝”から網走をぬけて夕景のサロマ湖へ!絶品“海の幸”も連発だ!愛之助&IMALUもウキウキすぎてヤバイよヤバイよSP


 網走湖あたりは、自分が三十代のころ、レンタカーで走ったことがあるので親しみを感じながら映像を見始めました。
 北海道らしい広大な緑が広がる風景です。畑と樹木以外はほとんど何もない。家は少ない。

 前半ゲストの片岡愛之助さんは、落ち着いた感じのいい方でした。人柄がいい人です。
 最初は、充電バイクの段取りを知らず、(ディレクターを含めた3人各自が、バッテリーが切れるまでそれぞれのバイクで走って、各自で、民家の玄関をトントンして充電のお願いをすると思いこんでいた)、出川さんたちを置き去りにして、どんどん先へ進んでいくので、見ていてびっくりしました。どこまで行くんだ!(出川さんたちはバイクを押して歩きながら片岡愛之助さんを追い、そこで充電させてもらうのが基本ルールです)
 片岡愛之助さんは、道路の左右に家があるのに、どうして充電依頼の声をかけないのか不思議でした。案外声かけがにがてで気が弱いのかと勘違いしました。一般人との会話がイヤなのかと思いました。

 片岡愛之助さんの歌舞伎役者の学力に関する話がおもしろかった。
 歌舞伎役者はこどものころから学校を休んで舞台をやっているから勉強はできないそうです。
 説得力があります。

 途中、以前の北海道ロケでの放送回で通った道も通ります。ゲストのずんのやすさんが、運転免許証を忘れてきて、地元で借りた自転車をこいであとからついてきた回です。そのときは、ロケが終わる頃に、仕事が休みだった女性のマネージャーがきゅうきょ東京から飛行機でやすさんの運転免許証をもってきたところで番組が終わりました。
 その後も長島一茂さんとか、竹内涼真さんも運転免許証を忘れて自転車でのロケでした。さきほどの片岡愛之助さんへの説明不足も含めて、こちらのスタッフなり、タレントを支える立場の事務所やマネージャーさんたちの確認不足のチョンボがときおりあります。まあ、自分は当事者でも関係者でもないので、そうかあと、少しあきれるだけです。

 後半ゲストのIMARUさんは、先日、今ご自宅がある奄美大島暮らしの番組を見た記憶があります。(今、台風10号の影響でたいへんな思いをされていることでしょう)
 この日は、鹿児島県の奄美大島から北海道まで飛行機で移動して来たそうです。
 ロケ先のお店などで、明石家さんまさんと大竹しのぶさんの娘さんが、今自分の目の前にいるということがとてもうれしいというような地元の人たちの声を聞きました。
 この番組を見ていて思うのは、こんないなかまで来るのかと、(ロケがやりやすいということもあるのでしょう)、でも、地元民にとっては、とてもうれしいことです。

 タレントさんたちから、突然充電の依頼をされても、いなかで、ちゃんとまじめに暮らしていれば、訪問されてもどうということはないということはあります。
 ふだんどおりなのです。そして、いなかなので、家の敷地や家屋が大きい。親族一同で同じ敷地に並んだ家で暮らしているということも多い。

 今回のお宅も、お庭が広くて、アスパラ、イチゴ、サニーレタスなどをつくられていて、出川さんにアスパラをレンジでチンして出されていました。
 片岡愛之助さんは、都市部のマンション暮らしで、庭はないのでうらやましいそうです。車で帰宅して、マンションにあるジムで汗を流してから自宅の部屋へ入られるそうです。

 出川哲朗さんは、相変わらず、抜けている人で、外国人観光客にどこから来たのかと声をかけて、『ホンジュラス(中南米の国。メキシコとパナマのあいだぐらいに位置する)』を、『コンジュラス』と何度も聞き返し、そもそもホンジュラスが国の名称とはわかりませんでした。
 見ていていつも思うのは、出川さんは知らないことばかりです。でも、知らなくても稼いで(かせいで)います。お金もうけには高い学力はいらないのではないかと思う時があります。学力よりも体力と人間味です。読み書き計算があやうくても、働いている人はたくさんいます。

 北海道料理を見ていて思ったのは、海鮮料理は、日本国の自慢料理だということです。

 後半の花を植えるご婦人方(70歳ぐらいの人たち)の紹介で、ダリアの球根が、サツマイモのような形だったのですが、そのことを初めて知りました。最初は、ダリアの球根を農作物だと思いました。
 そのときの、『しょうーゆラーメンが好き』と繰り返す4歳ぐらいの男児がかわいらしかった。

 その後訪れた食堂のホタテラーメンもおいしそうでした。大きなホタテ貝はたべでがあります。漁師の息子さん(60歳)がとってきたホタテをラーメンに入れて出しておられるそうです。
 地元の人たちがありのままでいい。
 本音で正直な気持ちを語られます。
 昭和10年生まれ89歳の女性店主の方がお元気です。
 うちの身内にも同じぐらいの年齢の年寄りがいますが、要介護5の寝たきりで今は入院しています。(介護度は5段階で5が一番重い)。
 映像の女性はお元気で、おしゃべりもおじょうずで、すごいなーー
 ステキでした。

 北見市、常呂(ところ)にあるカーリングホールでのロケが良かった。
 わたしもカーリングのファンです。わたしは、頭を使うスポーツが好きです。戦略です。
 カーリングをするレーンというのでしょうか、映像を見ていて、あんなにすべりやすいものなのかとびっくりしました。
 中学生たちのチームと勝負をしますが、心の交流がいい。まぐれで、出川チームが勝ってしまいました。

 自転車のスイカヘルメットの女性にびっくりしました。農家さんだそうです。

 『愛之助』という名前の男の子が会いに来てくれたのですが、片岡愛之助さんは、前日のゲストだったので会えなかったそうで、こどもさんは、がっかりしていました。残念。

 ちょっと強引なお店の女性(出川さんが断っても高級な食べ物をおみやげとして押し付けてくる)がおられましたが、しかたがありません。
 相手によかれと思ってやってあげても相手から迷惑がられるということはあります。自分にも覚えがあります。反省しています。
 会話のキャッチボールができるような心のゆとりがほしい。会話は押したり引いたりで、相手が嫌がったら、引くこともだいじです。

 サロマ湖でのエンディングでした。船上で淡水の湖と海水のオホーツク海の境目を見に行きましたが、両者の間に線引きがあるわけでもなく、まあ、あんな感じなのでしょう。
 次回のロケも北海道だそうです。楽しみにしています。  

2024年08月28日

マイクラとか、『あかさかの箱』とか。

マイクラとか、『あかさかの箱』とか。

 うちの小学校低学年の孫たちが大好きで、ユーチューブでしょっちゅう見ているのが、『あかさかの箱』という番組です。

 マイクラというのは、マインクラフトというゲームだそうで、マイクラ自体は、知育教材のような扱いがされているという印象を自分は受けました。考える力を育てるそうです。

 なんというか、60代なかばを過ぎた前期高齢者のわたしと、まだ10歳前後のこどもたちが同じテレビ映像を見ているのですが、『あかさかの箱』のほかにも、『猫ミーム』とか、『ハッピーハッピー』とか流れる番組のようなものがあって、そのノリについていけないわたしです。

 『あかさかの箱』は、あかさかという男子(息子)とオカンという人物(母親)が出てきて、主に(おもに)あかさかの語りで進んでいくのですが、ストーリーがあるようでありません。現在地についての説明とか、今の気持ちについての語りです。かなりおしゃべりで、しゃべり方も早い。
 なにかひとつのことを素材、あるいは話題にしながら、延々としゃべりが続きます。まあ、うるさいぐらいのしゃべりです。
 同じ単語の繰り返しが多い。たとえば、『コワイ、コワイ、コワイ(怖い)』とか、『ナニ、ナニ、ナニ(何)』とかです。
 わたしは、なんのこっちゃいなと思いながら見ていますが、孫たちはニヤニヤしながら見ています。楽し気(たのしげ)です。

 『ウォーターチャレンジ』というものもあります。
 マインクラフトというゲームのやりかたみたいな内容です。

 現代のこどもの心のありようが理解できず、なんとなく、とほうに暮れる今日この頃です。
 まあ、体が丈夫で元気なら、やんちゃでもいいと思うのです。
 そういえば昔、食べ物のハムのコマーシャルで、『わんぱくでもいい。たくましく育ってほしい』というものがありました。う~む。『わんぱく』も死語になってしまいました。最近聞いたことがない言葉です。
 腕白(わんぱく):こどもがあばれたり、いたずらをしたりして、おとなの言うことをきかないようす。

 出かけるときに、こどもから、『いってきます』という声があり、帰ってきたときに、『ただいま』という声を聞けたら、親やジジ・ババは、なにも言うことはありません。
 勉強なんかできなくてもいいし、運動もできなくてもいい。
 小学校を、ちゃんと生きて卒業してくれたら、なんにも言うことはありません。  

Posted by 熊太郎 at 07:33Comments(0)TrackBack(0)熊太郎の語り

2024年08月27日

ローズマリーの赤ちゃん 洋画 1968年

ローズマリーの赤ちゃん 洋画 1968年(昭和43年) 動画配信サービス

 有名な映画ですが、観たのは今回が初めてでした。
 古い映画ですが、カラー画像でした。
 ホラーに属するのですが、わたしは、ラストシーン付近は、喜劇だと受け止めました。
 異常な宗教儀式への風刺や皮肉があります。赤ちゃんを生贄(いけにえ。悪魔に提供する。捧げる(ささげる))として提供するそうですが、映像では大切に扱われていました。

 なるべく簡単に感想を落としてみます。(結果的には長くなりました)

 場所はニューヨーク、新婚カップルが登場します。
 同じアパートに住む老夫婦にだんだん洗脳されていく若いカップルのご主人です。奥さんは最後まで正常でしたが、だんなさんは、宗教集団にとりこまれてしまいました。(洗脳(せんのう)される。心をのっとられてコントロールされる)

 冒頭と最後に流れる女性の高い声が、ラララーーなのですが、名作ドラマ『北の国から』のアーアーアアアアアーとか、由紀さおりさんの夜明けのスキャット『ルールルールー』のヒントにこの映画がなっているのではないかとピントくるものがありました。でも、ほんとかどうかはわかりません。

 けっこう高層のアパートメントなのですが、(主人公夫婦の部屋は7階)、お隣との壁が薄くて、お隣の話し声が聞こえるのです。昔の日本のアパートや長屋も壁が薄かった。それは日本独自のものだと思っていましたが、アメリカニューヨークでも同じだったのかと初めて知りました。
 若いカップルは、魔のアパートに引っ越してきてしまっているそうです。
 アパート内で男が半殺しのめにあったとか、地下室に赤子(あかご。あかちゃん)の死体があったとか……

 キモイ(きもちが悪くなる)シーンもあります。なにせホラー(恐怖映画)ですから。
 人間の欲望がからめてあります。だれかの幸せは、だれかの不幸の上にあるのです。
 人間界のありようとして、1番になった人間は大喜びしますが、2番以下には、大泣きした人間がたくさんいるのです。
 いっけん親切そうに見える人たちが悪魔のような行動をとります。善人に見える人たちが、悪人です。
 悪魔の話がときおりでてきます。わたしは、この世には悪魔というものはいないと思っています。悪魔はいませんが、悪人はいます。

 部屋に置いてあるテレビでは、バイクのレースシーン映像が流れています。
 日本製ヤマハのバイクが優勝しました。ヤマハのバイクが7位まで独占しました。ヤマハの優勝は3年連続だそうです。なんだか、歴史の勉強をしているみたいです。1965年、昭和40年ころの話です。
 ラスト付近には、メガネをかけた日本人がカメラをもって写真撮影をしています。外国人が見たそのころの日本人のイメージです。メガネをかけてカメラをもった姿が日本人像でした。なんとなく、ばかにされている気がします。まじめなだけでは人間としてだめなのです。外国人に認められるためには、想像力とユーモア、豊かな発想と心がいるのです。

 タバコの煙シーンが多い。
 妊婦がいるというのに、妊婦の前で、平気でタバコをふかす人たちです。

 薬草という毒物、薬物接種で幻視があります。善人に毒物を摂取させて、幻視を神の行いと錯覚させるのです。マインドコントロール(洗脳)、儀式、いけにえ、異常な宗教団体です。クレイジー、まやかし(ウソ)です。

 映像で、さっき出てきた若い女の人がもう死にました。元気だったのに……
 飛び降り自殺のようにみえますが、どうも違うらしい。薬物で死に追い詰められたふうです。
 本人も知らないうちに薬物を投与されていたというからくりです。からくり:仕掛け(しかけ)
 
 主人公の女性は、妊婦なのにどういうわけか、やせていきます。

 だめな旦那(だんな)です。
 妊娠している妻よりも、宗教の教団員である他人たちのことのほうが優先です。教団員のいいつけを聞けば、自分が出世できると思いこんでいるからです。
 自分の名誉と誇りのために妊娠している妻を犠牲者にします。妻にとって一番信頼すべき夫が、一番の敵になってしまいました。夫は教団に洗脳されてしまったのです。

 悪魔の集団が奥さんをだましている。
 奥さんのあかちゃんが狙われている。(ねらわれている)
 権力は悪人の手の中にある。
 めちゃくちゃですなあ。
 どう話を落とすのだろう。
 おおぜいの喜ぶ人と、たったひとりの悲しむ不幸があります。
 奥さんは、悪魔の子を育てることにしました。
 あきらめるしかない。
 『母親は君だ』(あかちゃんの父親は、悪魔です)

 宗教的な壁画や絵画がたくさん出てきます。
 信者たちは、親切すぎて気味が悪い人たちです。
 妊婦の親友だった童話作家年配男性が突然の病気で亡くなりました。教団に殺されたのです。薬物が投与されたのかも。
 教団員は、生まれたての赤ん坊の血を吸う儀式を行うそうな。狂っています。
 妊婦のまわりにいる人間たちがみんなグル(仲間)です。もうだれも信じることができません。女優さんは、ここからが、演技の見せどころです。

 いろいろと問題提起のある作品でしょう。
 なんだか、現実の世界でもありそうなホラー話です。(恐怖の物語)。弱き者は、悪人の手から逃げきれないのです。自分も集団にとけこむしか、生きていく術(すべ)がないのです。

 途中、主演のミア・ファローさんが、大竹しのぶさんに見えました。似ています。



 映画を観たあとで、二冊の本を思い出しました。
 『信仰から解放されない子どもたち #宗教2世に信教の自由を 横道誠 編・著 明石書店』
 かなり衝撃を受けました。ひどい。宗教二世の不幸が書いてありました。この文章を読んで、救われる人がいるでしょう。同じく宗教二世で育って、ひどい体験をされた、あるいは、今されている人たちです。
 異常な世界があります。どうしてこんなことが起きるのだろう。人間はだまされやすい。だれが得をしたのだろう。教団の上層部の人間です。合法的な暴力と虐待があります。被害者は抵抗ができないこどもです。
 こどもたちの親が洗脳されています。(せんのう。権力者の都合のいいように、心の動きをコントロールされている。心も体もお金も命も、権力者の意のままに管理されている)。親は教団に対しては、被害者であり、こどもに対しては、加害者でもあります。
 カルト:崇拝。礼拝。中心にカリスマ的指導者の存在がある。(超人間的。教祖。英雄)。熱狂的な会員がいる。反社会的な団体。犯罪行為がある。
 
 日本映画、『星の子』では、最後に、芦田愛菜さんが演じるこどもさんは信仰から逃れる(のがれる)ことをあきらめるのです。両親が信仰する宗教に浸かる(つかる)ことにしたのです。物悲しいお話でした。
 『星の子 今村夏子 朝日新聞出版』
 病弱に生まれた主人公林ちひろ(ちーちゃん)を救うために、『水』にからんだ新興宗教らしき活動に積極的に関わる両親がいます。それが原因で、親族関係、親子関係(ちーちゃんの5歳上に姉のまさみさん、まーちゃんがいる)が破たんしていきます。宗教小説は避けられる傾向にあるのですが、この小説の場合、成功しています。  

2024年08月26日

向田邦子ベストエッセイ ちくま文庫

向田邦子ベストエッセイ 向田和子編(妹さんです。向田邦子さんは長女で和子さんの9歳年上、和子さんは末っ子です。邦子さん没後40年になるころこの本の出版について声をかけられたそうです。2020年(令和2年)ころでしょう) ちくま文庫

 向田邦子(むこうだくにこ):わたしが昨年12月に鹿児島市を観光で訪れたときに、城山公園でかけっこのイベントが開催されていて、参加していたのが、向田邦子さんが通っていた小学校の児童さんたちだったので驚きました。(本書の98ページあたりから105ページにかけてのエッセイで、当時のことがいろいろ書いてあります)
 1929年(昭和4年)-1981年(昭和56年)台湾にて航空機墜落事故で死去。51歳没。脚本家、エッセイスト、小説家。

 アンソロジー:選んで集めた本。

 1945年(昭和20年)3月10日東京大空襲の夜のことが書いてあります。(たまたまですが、このあと読んだ、『板上(ばんじょうに)咲く 原田マハ 幻冬舎 (木版画家である棟方志功の妻チヤの語り)』にも東京大空襲のことが書いてありました)
 空襲で大きな火災が発生する中、大八車で逃げる一家がいます。
 B29という爆撃機による激しい空襲の中で、筆者は、大八車を捨てて逃げる家族を見ます。
 大八車の上に、おばあさんが置き去りにされました。
 向田邦子さんのお父さんがそのおばあさんを助けます。
 おばあさんは助かります。翌日、おばあさんを探しに来た息子を、おばあさんが叩きます。(たたきます)
 そんな話が書いてあります。

 読んでいると、筆者も含めての亡くなった人たちの暮らしがよみがえります。
 心にしみる文章です。

 男が女をしもべのように使う時代でした。しもべ:召使(めしつかい)

 味わい深い文章が続きます。
 同じ日本でも、現在と戦前のようすはずいぶん異なります。
 おたき婆さんは、靴をはいたことがなかった。下駄(げた)をはいていた。
 著者の母の世代は、洋服を着たことがあまりなかった。着物を着ていた。人生70年のほとんどを和服で通してきた。
 女にとって、結婚は、『賭け(かけ)』だった。見合い結婚ばかりだった。
 知らない男と一生を過ごす。その男の子を産む。その男の母親に仕え(つかえ)、その男と、その男の子に仕える(つかえる。その人のために働く)。どれをとっても大博打(おおばくち)だったとあります。
 わたしが若い頃に聞いた言葉として、『男は就職、女は結婚』が人生のポイントだと示した言葉がありました。

 著者は乳がんを患って(わずらって)いたことがあるそうです。
 初めて知りました。

 著者の父親像は、当時の一般的な父親像でもあったそうです。
 人一倍情が濃い癖に、不器用で家族にやさしい言葉をかけることができず、なにかというと怒鳴り手を上げる。自分には寛大、妻には厳しい身勝手な夫です。
 ふんどしひとつで家じゅうを歩き回り、大酒を飲み、癇癪(かんしゃっく)を起して母や子供たちに手を上げる父親だったそうです。(昔は、そういう男がたくさんいました)
 
 留守番電話のことが書いてあります。
 今では加入電話の数も減るばかりです。
 黒柳徹子さんが出てきます。
 向田邦子さんの留守番電話に黒柳徹子さんが録音するのですが、徹子さんは、機械相手に話をすることがにがてで、合計9連続で(1回1分間)で留守録が入っていたそうです。結局、用件はあとで話すわねとなっていたそうです。

 読んでいて、著者も含めて、登場するだいたいの人たちは亡くなっています。
 著者のお父さんは、64歳のときに心不全で急死されています。
 人は亡くなっても文章は残ります。

 父上は、筆まめな人だった。
 遺伝でしょう。著者は、文筆業を職とされました。

 男中心の社会で、女は耐えることを強いられていた(しいられていた)時代です。
 今なら非常識と指摘できますが、当時は、あたりまえの風習、習慣でした。女性の生き方に選択肢がほとんどありません。男に仕えることが(つかえる)女の役割であり宿命だったのです。

 昭和10年(1935年)ころのこどものおやつが書いてあります。
 当時、父親は保険会社の次長で、月給が95円だったとあります。アンパン1個が2銭です。森永のキャラメル、明治のキャラメル、そして、グリコのおまけ付きキャラメルのことが書いてあります。
 
 『農林一号』という銘柄が出てきました。
 わたしが、小学一年生のとき、農家だった父方祖父が、おそらく農協の職員が家をたずねてきたときに、銘柄は何にするかと問われて、『農林一号にしてくれ』と返答していたことを記憶しています。そのときは、お米の銘柄だと思いましたが、こちらのエッセイを読むと、ジャガイモの銘柄とあります。知りませんでした。

 村岡花子:1893年(明治26年)-1968年(昭和43年)75歳没。翻訳家、児童文学者。『赤毛のアン』の翻訳者。

 関屋五十二(せきや・いそじ):1902年(明治35年)-1984年(昭和59年)81歳没。童話作家、放送作家。
 
 鹿児島に対する愛着が書いてあります。
 保険会社に勤める父親の転勤に伴って、1939年(昭和14年)から足かけ三年間滞在した。筆者は、鹿児島市内にある山下小学校に三年生のときから通った。
 筆者が10歳のとき、父親は33歳だった。
 鹿児島は、食べ物がおいしかった。

 直木三十五(なおき・さんじゅうご):1891年(明治24年)-1934年(昭和9年)43歳没。小説家、脚本家。

 阿部定事件(あべさだじけん):1936年(昭和11年)阿部定(あべ・さだ)という女性が、愛人の男性を殺害して、男のシンボルをちょん切った事件。新聞の号外が出て、小説や映画になった。

 勅使河原蒼風(てしがわら・そうふう):生け花草月流の創始者。1900年(明治33年)-1979年(昭和54年)78歳没。

 動物に関するエッセイがあります。『犬と猫とライオン』。昔の話ですが、ライオンを東京中野区の自宅で飼っていた人が出てきます。びっくりです。深大寺の墓に葬った。(ほうむった)。深大寺:じんだいじ。東京調布市。本には、動物慰霊塔があると書いてあります。

向田鉄(むこうだ・てつ):犬の名前です。甲斐駒と呼ばれる中型の日本犬。著者の飼い犬だった。著者が、二十代の中ごろ飼っていた。(1954年。昭和29年ころ)。病気で、生後10か月で死んだそうです。
 
林芙美子(はやし・ふみこ):作家。1903年(明治36年)-1951年(昭和26年)47歳没。第二次世界大戦時中国において日本軍国主義を支持する従軍記者。放浪日記。

コラット:ブルー・グレイの猫。著者の飼い猫。なぜ、猫を飼うことにしたのかについて、結婚とからめた話が出ます。コラットを、『ただ何となく』飼った。猫には縁があったが、男には縁が薄かった。なんとなく結婚しなかった。『なぜ結婚しないのですか』という問いに正確に答えるのはむずかしい。具体的な理由を提示できない。(わたしが思うに、人間というものは、やりたいからやるだけです。理由はあるようでないのです。(その行為を)やりたいからやる。個々の脳みその中に個々の性質として生まれながらに、その人なりの『欲』が埋め込まれているのです)

 猫の頭が、ラディッシュの大きさしかない(ちいさい):ラディッシュとは、赤い小さなダイコン。地中海沿岸が原産地。

串田孫一(くしだ・まごいち):詩人、哲学者、随筆家。1915年(大正4年)-2005年(平成17年)89歳没。わたしがたしか中学生の時に、教科書にこの方の旅をしている風景についての随筆が載っており、自分もおとなになったら、このような文章を書いてみたいと思ったことがあります。

 旅に関するエッセイがあります。
 筆者が小学校4年生・5年生の2年間を過ごした鹿児島市内の訪問について書いてあります。
 居住していたのは、1939年(昭和14年)から足かけ三年間です。太平洋戦争が、昭和16年から20年でした。もうずいぶん前のことであり、訪問しても、昔あった風景がすっかり消えてなくなっています。そのかわりに、当時の同級生や先生たちとの再会があります。風景を失った失意と、なつかしい人たちとの感激の再会があります。40年ぶりの同窓会を13人で開かれています。風景は変わったけれど、人は変わっていなかったとあります。壺井榮さんの作品、『二十四の瞳(にじゅうしのひとみ)』のようです。
 (わたしは、昨年12月に観光で鹿児島市内を訪れました。こちらの本に書いてある文章を読みながら訪問した時の風景が頭によみがえりました。いいお天気でした。著者と同じホテルに宿泊したことが本を読んでわかりました)

日支事変:にっしじへん。日本と中国の紛争。1937年(昭和12年)7月盧溝橋事件(ろこうきょうじけん。日本と中国の軍事衝突)に始まる。

 ニューヨークに旅したことが書いてあります。
 滞在中に、ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂事件があったようです。(1981年(昭和56年))。ビートルズとか、ジョンレノンとかオノ・ヨーコという名前が文章に出てきます。
 世の中のありようが書いてあります。大統領が狙撃されても、騒ぐのは関係者だけで、人々は淡々と日常生活を送っていると書いてあります。『一国の大統領が撃たれても、人は同じように食べ、同じように眠り、同じように犬を散歩に連れてゆく。』

 アフリカモロッコへの旅について書いてあります。
 訪問したけれど、映画、『カサブランカ』で観た景色がない。街には高層ビルが立ち並んでいる。
 映画のセットの部分だけが、観光地として残っている。
 あわせて、南米アマゾン川に行ったときのことが書いてあります。原住民だと思ったら、観光用の原住民で、観光客のために集められた原住民を演じる人たちだったそうです。
 観光客の要望を満たすためにしかたがないと結んであります。

 読み終わりました。
 最後は、261ページあたりから最後の373ページまでを休み休み読みました。
 なんというか、後半部分は、著者の遺書のような、あるいは、遺言のような内容になっていました。
 航空機事故で自らが死ぬことを予言しているようなエッセイがありました。そして、自分のこれまでの生き方をふりかえるようなエッセイもありました。

 旅の話です。
 いろいろなところに海外旅行をされています。
 稼いだお金を自分に投資される生き方をされる方です。
 わたし自身にもそういう傾向があるので共感というか、同じ仲間の人間だと感じます。
 著者の訪問先として、ペルー、カンボジア、ジャマイカ、ケニヤ、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、多彩です。
 でも、飛行機への搭乗には、不安をかかえておられました。
 昔の話ですから、ジェット機ではなく、プロペラ機の話です。

 『一杯のコーヒーから 夢の花咲くこともある』そういうコマーシャルがありました。1939年(昭和14年)の作品です。

 著者の愛称は、『クロちゃん』。色黒だった。夏は水泳、冬はスキーに夢中だった。いつも黒い服を着ていた。

 書いたテレビドラマの脚本として、『寺内貫太郎一家』、『七人の孫』、『きんきらきん』、『時間ですよ』、『だいこんの花』、『じゃがいも』など。『阿修羅のごとく(あしゅらのごとく)』もありました。
 エッセイに有名な俳優さんが次々と登場します。もう亡くなられた方が多い。
 小坂明子さんがピアノを弾きながら歌う、『あなた』もよく流行りました。(はやりました。1974年(昭和49年)。
 
 四国の香川県高松の記述が出てきます。
 わたしは、偶然ですが、高松駅で列車待ちの時間があったので、近くにあったお城を見学したことがあって、その近くに著者が住んでいたことを後年知りました。保険会社の父親の転勤に伴って、小学6年生のときに高松市内で1年間過ごしたそうです。
 エッセイでは、『四番丁小学校』が出てきます。著者は、7回から8回転校されています。わたしも、父親の仕事続かず癖が原因で、小学校は6校、中学校は3校通いました。こどものときから日本列島を東へ西へと引っ越しをしました。そんなふうだったので、著者と似たような体験があります。著者は、栃木県の宇都宮市に住んでいたことがあるとも書いてあります。宇都宮市ではありませんが、わたしも栃木県に住んでいたことがあります。

 お金ほしさで、物を書くようになったそうです。出版社で働き始めたけれど、給料は安かった。
 脚本1本を書くと、いいお金をもらえた。そのお金でスキー遊びに行った。

 なんだろう。
 読んでいて思うのは、人を集めるためには、言葉は悪いのですが、優れた(すぐれた)詐欺的(さぎてき)な技術と能力がいる。作為的に(さくいてきに。わざと。作戦として)人の気持ちを感動させることに導く技術がいるのです。出来事を加工、脚色して作品として仕上げるのです。

 読んでいると、それほどまじめ一筋(ひとすじ)の方でもありません。喜怒哀楽、欲もある普通の人です。文章を書く才能はこどものころからあった。そして、文章を書くことが好きだった。

 340ページに、『ヒコーキ』というエッセイがあります。
 飛行機に乗るのがにがてだと書いてあります。
 飛行機が墜落して死者が出たというような話が書いてあります。
 自分は、いつもこわい思いをしながら飛行機に乗っているというようなことが書いてあります。それでも旅には出たいのです。
 自分が飛行機墜落事故で死ぬ(1981年(昭和56年))ことを予言しているような文章です。
 お母さんのことが書いてあります。(著者の)母親は、飛行機が大好きだった。理由は、落ちると、飛行機会社でお葬式をしてくださるからだとあります。

 『職業』も『つき合う人』も、自分で選ぶというようなことが書いてあります。

 22歳だったときのことが書いてあります。1951年(昭和26年)ころのことです。
 自分は、子供のころから、ぜいたくで、虚栄心(きょえいしん。うぬぼれ、じまん、みばえ、見栄)が強い子供だった。
 自分は、若くて健康だった。親きょうだいにも恵まれていた。暮らしに事欠いたこともない。つきあっていた男性たちもいたし、縁談もあった。立派な男性ばかりだった。どの人と結婚しても世間並みの暮らしを送れた。
 自分で、自分は、何をしたいのかがわからなかった。今のままではいやだという気持ちだけは強かった。やりなおすなら今だと強く思った。結婚することはやめて、このままゆこうと決めた。結婚を求めない人生を歩むことにした。
 ここで、ちょっとびっくりする言葉が出てきました。『(そしてわたしは決めたのです)反省するのをやめにしよう』(この言葉は、以前テレビ番組、『徹子の部屋』で、ゲストが黒柳徹子さんにモットー(信条。生き方に関する方向性)を質問した時だったと思うのですが、徹子さんが、『反省しないこと』と返答されました。長生きの秘訣は?という質問だったかもしれません。なお、黒柳徹子さんと向田邦子さんは親しかったという印象があります)
 
 著者は、『清貧(せいひん。貧しくとも清く正しく美しく)』という言葉がキライだそうです。『謙遜(けんそん。へりくだる。相手より自分を下におく)』もキライだそうです。
 『謙遜』は、おごりと偽善に見えるそうです。
 お金がほしい、地位も欲しい、自分はなになにができると正直に自慢する人が好きだそうです。
 自分は人生において、がまんしない。やりたいことをやる。

 読み終えて思い出した一冊があります。
 『東京を生きる 雨宮まみ(あまみや・まみ) 大和書房』
 福岡県出身の女性が東京暮らしを体験します。『こじらせ女子』という流行語を発信された方だそうです。40歳のときに、自宅で事故死されています。
 人生を、太く短く生きる人と、細く長く生きる人がいます。
 自分でも知らないうちに、どちらかの生き方を選択しているということがあります。そう思いました。  

Posted by 熊太郎 at 06:44Comments(0)TrackBack(0)読書感想文