2024年11月13日
碁盤切り(ごばんきり) 邦画 2024年
碁盤切り(ごばんきり) 邦画 2024年(令和6年) 2時間9分 動画配信サービス
監督:白石和彌(しらいしかずや)
俳優:草彅剛(くさなぎ・つよし)、清原果耶(きよはら・かや)、中川大志、斉藤工、市村正親(いちむら・まさちか)、小泉今日子、國村準
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のような、仇討ち、仕返し劇かと思いながら観始めました。
冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。犯人ではないのに犯人に仕立て上げられた)をはねかえすために、草彅剛さん演じる浪人柳田格之進ががんばります。
妹お絹を演じる清原果耶さんは、置屋へ(おきや:売春宿)に預けられて、期限付きで復讐を果たすための借金の担保(たんぽ。返済ができないときは、売春の仕事でお金をつくってもらう)になります)。
囲碁の映画です。ただし、賭け碁です。勝ち負けにお金やほかのものを賭けます。勝ったほうが利益を得ます。
江戸時代の碁石は、白石も黒石もぺったんこです。
音楽の映画でもあります。
セリフがないときに、けっこう長い時間帯、音楽が流れ続けます。
草薙剛作品の傾向です。
『正義』を追求します。不正を嫌います。
純粋であることを求めます。
キャッチフレーズは、正々堂々です。
以前観たドラマ、『罠の戦争』がそのパターンでした。政治家のドラマでした。
こちらの映画は、前半から中盤までは、シンプルな筋立てです。
なんでもお金の世界です。
武士の世界があります。
藩の世界です。
いまどきの、国家公務員とか、地方公務員です。
現代も同様ですが、政治家も含めて、藩(国、地方自治体)という箱の中で生活している人たちです。箱の中にいるときは、身分を堅く守られますが、箱の外に出ると、こてんぱんに叩かれる(たたかれる)こともあります。
冤罪(えんざい)ということは、真実の犯人がいるわけで、冤罪に問われた人を救うこと、本ボシ(真実の犯人)を見つけることが必要です。
上の者にゴマをすれない人は、出世はむずかしい。柳田格之進のことです。ゴマをする:自分が利益を得るために、権力を持つ人に過剰なサービスをする。
賄賂(わいろ)も生活給なのか。(給金が(給料が)低いから、業者からわいろをもらっても良しとする(業者に便宜を図って利益を与える。生活給:生活をしていくために必要な給料。せいかつきゅう)。
柳田格之進の妻がらみの設定は、(夫の地位保全のためにわが身を上役に提供する)ほかの映画でも見た記憶があります。『武士の一分(いちぶん)』という邦画でした。
むずかしい話もあります。無理があります。柳田格之進が自ら(みずから)切腹する理由はありません。
清廉潔白であることを義務とする武士の設定には無理があります。(事実ではないと思います)。
敵との再会シーンは、どうつくるのかと興味が向きました。
街道(かいどう)である中山道(なかせんどう)で出会うという設定では単純すぎます。(やはり違う場所で再開しました)
わたしは、映画を観るときは、つくり手の立場で観ます。
中川大志さんのセリフがうまくない。<セリフの文章がということです>
後半は、空間が凝縮されています。
生きるか死ぬかのきつい空間です。
ビートたけし映画のようでもあります。
勝負は、剣ではなく、囲碁です。(されど勝敗に命がかかっています)
『どちらが勝っても遺恨はなし(いこん。うらみ。復讐心。仕返しの心)』(されど、そううまくはいきません。今どきの風潮に似ています。敗者は、負けても負けを認めず吠える(ほえる)ばかりです)。見苦しい。敗者は、次回は勝つと思ってがんばればいい。
こどものころ観ていた昔の時代劇を思い出します。日本人が気力で生きていたころのやりとりです。あのパターンのほうが良かった。
最終盤です。
う~む。平坦な気持ちになりました。良しとも、そうでないともいえませぬ。
いそがしいのね。駆けっこ(かけっこ)です。太川陽介さんと村井美樹さんの『路線バスVS鉄道乗り継ぎ旅』の闘いのようでもあります。さらに、太宰治作品(だざい・おさむ作品)、『走れメロス』のようでもあります。
人を疑うときには、覚悟がいります。
オチは、わかってしまいます。映画のタイトルになっているから。
緊張の心理を高めるために、前振りとして、実際の首切りありです。
『覚悟(かくご。心の準備)』
小泉今日子さんが、優しい(やさしい)。
やはり映画は、最後は、『愛』で終わるのがいい。
夢のような話でした。
監督:白石和彌(しらいしかずや)
俳優:草彅剛(くさなぎ・つよし)、清原果耶(きよはら・かや)、中川大志、斉藤工、市村正親(いちむら・まさちか)、小泉今日子、國村準
忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のような、仇討ち、仕返し劇かと思いながら観始めました。
冤罪(えんざい。ぬれぎぬ。犯人ではないのに犯人に仕立て上げられた)をはねかえすために、草彅剛さん演じる浪人柳田格之進ががんばります。
妹お絹を演じる清原果耶さんは、置屋へ(おきや:売春宿)に預けられて、期限付きで復讐を果たすための借金の担保(たんぽ。返済ができないときは、売春の仕事でお金をつくってもらう)になります)。
囲碁の映画です。ただし、賭け碁です。勝ち負けにお金やほかのものを賭けます。勝ったほうが利益を得ます。
江戸時代の碁石は、白石も黒石もぺったんこです。
音楽の映画でもあります。
セリフがないときに、けっこう長い時間帯、音楽が流れ続けます。
草薙剛作品の傾向です。
『正義』を追求します。不正を嫌います。
純粋であることを求めます。
キャッチフレーズは、正々堂々です。
以前観たドラマ、『罠の戦争』がそのパターンでした。政治家のドラマでした。
こちらの映画は、前半から中盤までは、シンプルな筋立てです。
なんでもお金の世界です。
武士の世界があります。
藩の世界です。
いまどきの、国家公務員とか、地方公務員です。
現代も同様ですが、政治家も含めて、藩(国、地方自治体)という箱の中で生活している人たちです。箱の中にいるときは、身分を堅く守られますが、箱の外に出ると、こてんぱんに叩かれる(たたかれる)こともあります。
冤罪(えんざい)ということは、真実の犯人がいるわけで、冤罪に問われた人を救うこと、本ボシ(真実の犯人)を見つけることが必要です。
上の者にゴマをすれない人は、出世はむずかしい。柳田格之進のことです。ゴマをする:自分が利益を得るために、権力を持つ人に過剰なサービスをする。
賄賂(わいろ)も生活給なのか。(給金が(給料が)低いから、業者からわいろをもらっても良しとする(業者に便宜を図って利益を与える。生活給:生活をしていくために必要な給料。せいかつきゅう)。
柳田格之進の妻がらみの設定は、(夫の地位保全のためにわが身を上役に提供する)ほかの映画でも見た記憶があります。『武士の一分(いちぶん)』という邦画でした。
むずかしい話もあります。無理があります。柳田格之進が自ら(みずから)切腹する理由はありません。
清廉潔白であることを義務とする武士の設定には無理があります。(事実ではないと思います)。
敵との再会シーンは、どうつくるのかと興味が向きました。
街道(かいどう)である中山道(なかせんどう)で出会うという設定では単純すぎます。(やはり違う場所で再開しました)
わたしは、映画を観るときは、つくり手の立場で観ます。
中川大志さんのセリフがうまくない。<セリフの文章がということです>
後半は、空間が凝縮されています。
生きるか死ぬかのきつい空間です。
ビートたけし映画のようでもあります。
勝負は、剣ではなく、囲碁です。(されど勝敗に命がかかっています)
『どちらが勝っても遺恨はなし(いこん。うらみ。復讐心。仕返しの心)』(されど、そううまくはいきません。今どきの風潮に似ています。敗者は、負けても負けを認めず吠える(ほえる)ばかりです)。見苦しい。敗者は、次回は勝つと思ってがんばればいい。
こどものころ観ていた昔の時代劇を思い出します。日本人が気力で生きていたころのやりとりです。あのパターンのほうが良かった。
最終盤です。
う~む。平坦な気持ちになりました。良しとも、そうでないともいえませぬ。
いそがしいのね。駆けっこ(かけっこ)です。太川陽介さんと村井美樹さんの『路線バスVS鉄道乗り継ぎ旅』の闘いのようでもあります。さらに、太宰治作品(だざい・おさむ作品)、『走れメロス』のようでもあります。
人を疑うときには、覚悟がいります。
オチは、わかってしまいます。映画のタイトルになっているから。
緊張の心理を高めるために、前振りとして、実際の首切りありです。
『覚悟(かくご。心の準備)』
小泉今日子さんが、優しい(やさしい)。
やはり映画は、最後は、『愛』で終わるのがいい。
夢のような話でした。
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