2024年09月20日
ラヂオの時間 邦画 1997年
ラヂオの時間 邦画 1997年(平成9年) 1時間43分 動画配信サービス
三谷幸喜監督 鈴木京香、唐沢寿明、西村雅彦、細川俊之、藤村俊二、井上順、布施明
ラジオスタジオの中で、朗読劇の生放送をしているようすから映画は始まりました。
余計な声を出してはいけないので、スタッフは、身振り手振りで合図を送り、意思表示をします。まるで、手話をしているように見えました。手話の世界です。スタジオでは、『(俳優さん(声優さん))の声』と、『音』だけで、作品を創造します。ラジオドラマは、音で創造する作品です。音で、感動を生むのです。(このタイトルで文章をつくった翌週に、たまたま東京虎の門ヒルズ近くにあるNHK放送博物館を訪れたのですが、展示内容として、『ハンドシグナル』とか、『人による音づくり』があって、音づくりの道具も展示してあって、この映画の内容を理解するのに役に立ちました)
テレビドラマと比較して、ラジオドラマのいいところ:お金がかからない。声で、『ここは宇宙である』と言うと、そこは『宇宙』になる。
ラジオドラマ放送番組の舞台裏を紹介する映画でした。
最初は、う~むでしたが、30分を経過するあたりからおもしろくなり、その後もなかなか良かった。
シナリオコンクールに応募して選ばれた素人(しろうと)女性の脚本作品です。男女の恋愛もので、あとで明らかになりますが、ご自身の体験が下地になっています。作品の主題に、『愛』があるのです。男女の『愛』であり、『夫婦愛』でもあります。やはり、作品には、『人間愛』は欠かせません。
脚本化にあたって、原作がボロボロになっていくのです。
出演者やラジオ局の都合で、原作の内容がどんどん変えられていきます。ときに、反発する原作者女性です。(これは…… 昨年末から今年にかけて、テレビ局のドラマ放送において、なにかしら事件のようなものがあったような……)
原作の改変は、作者の人格否定につながります。作者が狂暴な人なら暴れるでしょう。(あばれるでしょう)。作者にとっての作品は、自分のこどものようなものなのです。
(これもまた、縁があって、MHK放送博物館を見学した前日に、渋谷にあるPARCO劇場で、江口のりこさんたちが出演する『ワタシタチはモノガタリ』という演劇を鑑賞したのですが、江口のりこさん作の原作小説が映画化されるにあたって、原作どおりに物語が進行しないということでの争いが素材でした)
話ははずれますが、う~む。これもまたタバコ映画か。喫煙シーンがたくさんです。
わたしが好きなコウメ太夫みたいな人が、壁のポスターに出ています。『弁天ガール』だそうです。『極楽浄土のおもしろさーー』とキャッチコピーが見えます。
観ていると、かなりメチャクチャで、もう原作はいらない。勝手にやってくれーーーというような状況が起きます。
これは、三谷幸喜監督による何かの皮肉だろうか。シナリオライターからの放送局に対する皮肉です。ひにく:いじわる。しかえし。
原作の崩し方があまりにも大きくて、話が別物になりそうです。舞台が、日本→外国。人物名が、日本名→外国人名ほか。
ヒロイン女優のワガママがあります。
製作者側の責任者たちが振り回されます。
だけど、サラリーマンスタッフたちは、お金のためにがんばるのです。給料をもらって生活していかねばなりません。
なんというか、『(自分にとって一番大事なことは、いい仕事をすることではなく)毎月決まった日に決まった額の給料をもらうことだ』だけの気持ちになると、いい仕事(作品)はつくれなくなります。この仕事を好きだからやっている。いい仕事を仕上げたいという強い意思がないと、仕事が続かないということはあります。
『混乱』から、『調和』が始まります。演技の見せ所です。
効果音に関するシーンが抜群に良かった。
藤村俊二さんの老いた元音響職人の存在がとても良かった。
藤村俊二さんの今の世の中に対する批判的な語りが胸にしみます。同感です。
『(効果音づくりについて、自分たちが若い頃は)だれも教えてくれなかった。自分で考えた。』
原作者である主婦女性の強い意思表示があります。強固な意思です。原作を変えないでほしい。
どんどん内容を変えられていくことについて、『あたしの本ですから……(男と女は必ず最後には結ばれなければならない(スタッフたちは、男を宇宙の果てに消えて行ったことにしたい)』
『(コンクールで選ばれたということから)ワタシに次はないんです! みなさんの都合で、ワタシの本をメチャクチャにしておいて、よくそんなことが言えますねぇ』(観ていて、スタッフは、原作者に対してひどいことをするなあと思うのです)
井上順さんの演技が光っていました。
まあ、芸能界慣れされています。
パワハラシーンがたくさんです。
思い起こせば、そういう時代でした。みんな耐えていた。
(最近のニュースでは、今もひきずっている人がいますが……(某県知事))
話づくりですから、何でもできる。
想像力です。
まあ、メチャクチャですが、楽しい。
ち密な稽古(けいこ)から生まれた名演技の連続です。
『おかえりなさい』
奇跡が起きました。
花火の音づくりシーンがおもしろい。
まあ、仕事人間のみなさんのお話ですな。
『あんまり、機械に頼らないほうがいいよ』(人間は、AIロボットじゃないのです)
(今夜のラジオドラマは)良かったよと喜んでくれる人がいるからがんばれるということはあります。
にぎやかで楽しい映画でした。
(別の話として、わたしがファンの東野・岡村の『旅猿』ナレーションをしいている女性のこと)
いつも見ている番組、『旅猿』のナレーションをされている奥貫薫さんのお姿を始めて観ました。ずいぶん昔の映画なのであれですが、かわいらしい方でした。
先日NHK放送博物館で観た昔、音づくりで使用していた道具などの展示の写真をここに落としておきます。
三谷幸喜監督 鈴木京香、唐沢寿明、西村雅彦、細川俊之、藤村俊二、井上順、布施明
ラジオスタジオの中で、朗読劇の生放送をしているようすから映画は始まりました。
余計な声を出してはいけないので、スタッフは、身振り手振りで合図を送り、意思表示をします。まるで、手話をしているように見えました。手話の世界です。スタジオでは、『(俳優さん(声優さん))の声』と、『音』だけで、作品を創造します。ラジオドラマは、音で創造する作品です。音で、感動を生むのです。(このタイトルで文章をつくった翌週に、たまたま東京虎の門ヒルズ近くにあるNHK放送博物館を訪れたのですが、展示内容として、『ハンドシグナル』とか、『人による音づくり』があって、音づくりの道具も展示してあって、この映画の内容を理解するのに役に立ちました)
テレビドラマと比較して、ラジオドラマのいいところ:お金がかからない。声で、『ここは宇宙である』と言うと、そこは『宇宙』になる。
ラジオドラマ放送番組の舞台裏を紹介する映画でした。
最初は、う~むでしたが、30分を経過するあたりからおもしろくなり、その後もなかなか良かった。
シナリオコンクールに応募して選ばれた素人(しろうと)女性の脚本作品です。男女の恋愛もので、あとで明らかになりますが、ご自身の体験が下地になっています。作品の主題に、『愛』があるのです。男女の『愛』であり、『夫婦愛』でもあります。やはり、作品には、『人間愛』は欠かせません。
脚本化にあたって、原作がボロボロになっていくのです。
出演者やラジオ局の都合で、原作の内容がどんどん変えられていきます。ときに、反発する原作者女性です。(これは…… 昨年末から今年にかけて、テレビ局のドラマ放送において、なにかしら事件のようなものがあったような……)
原作の改変は、作者の人格否定につながります。作者が狂暴な人なら暴れるでしょう。(あばれるでしょう)。作者にとっての作品は、自分のこどものようなものなのです。
(これもまた、縁があって、MHK放送博物館を見学した前日に、渋谷にあるPARCO劇場で、江口のりこさんたちが出演する『ワタシタチはモノガタリ』という演劇を鑑賞したのですが、江口のりこさん作の原作小説が映画化されるにあたって、原作どおりに物語が進行しないということでの争いが素材でした)
話ははずれますが、う~む。これもまたタバコ映画か。喫煙シーンがたくさんです。
わたしが好きなコウメ太夫みたいな人が、壁のポスターに出ています。『弁天ガール』だそうです。『極楽浄土のおもしろさーー』とキャッチコピーが見えます。
観ていると、かなりメチャクチャで、もう原作はいらない。勝手にやってくれーーーというような状況が起きます。
これは、三谷幸喜監督による何かの皮肉だろうか。シナリオライターからの放送局に対する皮肉です。ひにく:いじわる。しかえし。
原作の崩し方があまりにも大きくて、話が別物になりそうです。舞台が、日本→外国。人物名が、日本名→外国人名ほか。
ヒロイン女優のワガママがあります。
製作者側の責任者たちが振り回されます。
だけど、サラリーマンスタッフたちは、お金のためにがんばるのです。給料をもらって生活していかねばなりません。
なんというか、『(自分にとって一番大事なことは、いい仕事をすることではなく)毎月決まった日に決まった額の給料をもらうことだ』だけの気持ちになると、いい仕事(作品)はつくれなくなります。この仕事を好きだからやっている。いい仕事を仕上げたいという強い意思がないと、仕事が続かないということはあります。
『混乱』から、『調和』が始まります。演技の見せ所です。
効果音に関するシーンが抜群に良かった。
藤村俊二さんの老いた元音響職人の存在がとても良かった。
藤村俊二さんの今の世の中に対する批判的な語りが胸にしみます。同感です。
『(効果音づくりについて、自分たちが若い頃は)だれも教えてくれなかった。自分で考えた。』
原作者である主婦女性の強い意思表示があります。強固な意思です。原作を変えないでほしい。
どんどん内容を変えられていくことについて、『あたしの本ですから……(男と女は必ず最後には結ばれなければならない(スタッフたちは、男を宇宙の果てに消えて行ったことにしたい)』
『(コンクールで選ばれたということから)ワタシに次はないんです! みなさんの都合で、ワタシの本をメチャクチャにしておいて、よくそんなことが言えますねぇ』(観ていて、スタッフは、原作者に対してひどいことをするなあと思うのです)
井上順さんの演技が光っていました。
まあ、芸能界慣れされています。
パワハラシーンがたくさんです。
思い起こせば、そういう時代でした。みんな耐えていた。
(最近のニュースでは、今もひきずっている人がいますが……(某県知事))
話づくりですから、何でもできる。
想像力です。
まあ、メチャクチャですが、楽しい。
ち密な稽古(けいこ)から生まれた名演技の連続です。
『おかえりなさい』
奇跡が起きました。
花火の音づくりシーンがおもしろい。
まあ、仕事人間のみなさんのお話ですな。
『あんまり、機械に頼らないほうがいいよ』(人間は、AIロボットじゃないのです)
(今夜のラジオドラマは)良かったよと喜んでくれる人がいるからがんばれるということはあります。
にぎやかで楽しい映画でした。
(別の話として、わたしがファンの東野・岡村の『旅猿』ナレーションをしいている女性のこと)
いつも見ている番組、『旅猿』のナレーションをされている奥貫薫さんのお姿を始めて観ました。ずいぶん昔の映画なのであれですが、かわいらしい方でした。
先日NHK放送博物館で観た昔、音づくりで使用していた道具などの展示の写真をここに落としておきます。