2024年09月17日
観劇 『ワタシタチはモノガタリ』 東京都PARCO劇場
観劇 『ワタシタチはモノガタリ』 東京都PARCO劇場(渋谷パルコ)にて
ずいぶん前のことですが、笑福亭鶴瓶さんのトーク番組、『巷の噺(ちまたのはなし)』に登場した女優の江口のりこさんが、『わたしは敵が多い』みたいな発言をされて、それを見ていたわたしは、魅力的な女優さんだなと感じました。
今回書く文章のタイトルにある劇に、江口のりこさんが出演されるのを見つけたので、さっそくチケットを申し込んで、東京渋谷にあるPARCO劇場へ観に行ってきました。
前のほうのまんなかあたりの席だったのでよく見えました。江口のりこさんは、テレビで観たとおりの人でした。話し方も体の動きも、ふだんのしゃべりと変わりはありません。
ちょっとむずかしい筋立てではありました。
江口のりこさんが、15歳中学生のころから小説家をめざしているけれど文学賞への挑戦は落選続きで、なかなか芽が出ないまま30歳を迎えたところで、江口のりこさんが投稿しているネット小説の人気が出てきて、ようやく人々に作品を読まれ始めたというようなところから始まりました。
中学の同級生だった松尾諭さん(まつおさとるさん)との文通交流15年間という経過も含めて、自分自身の十代のころの似たような体験を思い出して共感する部分がありました。
作品の題材としては、出版とか演劇とか、映画づくりとか、芸能関係の内輪話ですが、小説作品の商業化はいろいろむずかしいと感じました。
しばらく前に原作とテレビドラマの脚本の内容が異なるということでもめた事件のような出来事がありましたが、劇中では、江口のりこさんが書く原作どおりに映画ができあがらないというもどかしい流れがあるのです。
以下は、わたしが観劇に行く前に知ったなんとなくの、さらりとした話の流れです。
15歳、まだ中学生のカップルが(将来、編集者希望らしき松尾諭さんと小説家希望の江口のりこさん)、どちらもずっと未婚だったら、30歳になったら結婚しようと話をして、30歳になったのですが、ふたりは、結婚に至らないわけです。
15年間という長い間、お互いに文通のやりとりは続くけれど、直接会うことはなかった。(松尾諭さんのほうには、恋愛感情はなかった。江口のりこさんには恋愛感情があった)
松尾諭さんは、30歳になって、別の女性と結婚式を挙げるわけですが、その結婚式に江口のりこさんが招待されたのです。
招待された江口のりこさんは、なんとなくプンプンなのです。(怒っている(おこっている))。
事実として、出版社で編集者をしている松尾諭さんは、江口のりこさんが書く文章は好きですが、江口のりこさん自身を女性として好きということではないのです。(江口のりこさんは誤解していたのです)
松尾諭さん夫婦の結婚式に招待された江口のりこさんは、松尾諭さんに、今まで文通で自分が松尾さんに書いて送った手紙を全部返してちょうだいと要求するのです。松尾諭さんは江口さんの要求に応じます。
江口のりこさんが現在進行形で創作中の小説作品、『これは愛である』の中で、自分と松尾諭さんを模した(もした。似せた)架空のカップルが、松岡茉優さんと千葉雄大さんです。
現実のふたりとはずいぶん違って、松岡茉優さんたちふたりは、かなりのラブラブです。
それぐらいの前知識で、舞台劇を観に行きました。
(以下が、観劇の感想です)
なにせ、お祝いで贈られたお花がきれいでした。
劇場ロビーにいっぱい飾ってありました。わたしは、女優の吉田羊さんが贈られたお花の前で記念写真を妻に撮ってもらいました。
わたしは長いこと生きてきましたが、あんなにきれいで高価そうなお花をたくさん見たのは生まれて初めてです。おそらく貴重であろう珍しいようなお花もありました。わたしは、花尽くしの光景を長いことながめて、来て良かったと満足しました。
思い出すままに、観劇の感想をここに書き落としてみます。
冥土(めいど)のみやげ(安心して死ねるために)といいますか、昨年の夏ごろから、テレビや映画に出ている人をじかに観たいという欲望が湧きだし、舞台やミュージカル、歌謡ショー、漫談などを観るために劇場やホールへ行くようになりました。
これまでに、KinKi Kids(キンキキッズ)の堂本光一さん、森公美子さん、太川陽介さん、さんまさん、温水洋一さん、山崎育三郎さん、綾小路きみまろさん、松平健さん、山﨑玲奈さん(やまさきれなさん。ピーターパン)、そのほかスターを固める脇役のみなさんを拝見しました。なかなか楽しい時間でした。
今までは、派手な音楽やダンス、おおぜいの出演者で明るく楽しくダンスダンスダンスみたいな感じでにぎやかだったので、今回の、少人数、一人二役以上、じっくり会話を繰り返すというパターンの演劇が新鮮でした。
舞台装置はシンプルでしたがとても美しかった。出演者は8人だったと思います。
ラブコメディなので、言葉のやりとりで笑わせてくれます。歌やダンスはありません。
観客は、わたしたち夫婦のような年配の方、それから逆に若い人たちで、午後6時半からの開演で、2時間35分(途中休憩20分間)でした。人口ピラミッドで言うと、年齢層のまんなかぐらいの人たちは(40代ぐらいの人たち)はあまり見かけませんでした。
始まっていきなり右手から江口のりこさんが出てきて驚きました。
ひとり芝居の始まりです。
話し方や動作は、テレビで見る江口のりこさんとまったく同じです。演技をしているというよりも、ふだんのままの言葉づかいで話が進んでいきます。だれかを演じるわけではなく、江口のりこさんという人間の地(じ)のままの演技です。
コメディーです。言葉のやりとりがうまい。関西弁です。
舞台に自分が中学生だったころのなつかしい、教室内にある机とイスが出てきました。
そうそう、掃除の時間には、イスを机の上にのせて、動かして、床掃除をしていました。
『文章の読み書きが好き』(ここがこの舞台の大事なポイントです。恋愛相手としてのあなたが好きなのではなく、出版社で編集者をしている松尾諭さん(まつおさとるさん)は、江口のりこさんが書く文章が好きなのです)
昭和時代の昔は手紙をよく書きました。文通の習慣がありました。手紙とかハガキとか、今はもう、慶弔儀礼(けいちょうぎれい)でしか書かなくなりました。現代は、電子メールとかラインとか、+メッセージなどでやりとりします。スタンプを使ったりもします。
時代が変わりました。いいとも悪いともいえません。
会話のキャッチボールで笑わせてくれます。
会話をしながら、紙ヒコーキの飛ばしあいをするのですが、なかなかよく考え抜かれた演出で効果的でした。
現実のふたり(江口のりこさんと松尾諭さん)と、江口のりこさんが書いている小説作品『これは愛である』に出てくる登場人物の松岡茉優さんと千葉雄大さんが交錯、交流します。現実に存在する人物と想像上の人物の交流があります。
ところどころ難解でややこしい。
どうも笑いのツボが違うのか、若い女性を中心とした観客の人たちが爆笑することが複数回あったのですが、わたしたち年配夫婦はどうして笑えるのかわかりませんでした。若い人たちは、内容を熟知されているのでしょう。
原作どおりに映画をつくれないという原作者と映像製作者とのうまくいかない争いがあります。
先日わたしが、動画配信サービスで観た、三谷幸喜監督映画『ラジオの時間』と共通する題材です。
中学生の娘さんをもつ松尾諭さんが、思春期の娘に振り回されます。
娘のごきげんをとろうとして、娘の好きな人(ウンピョウという書道家 千葉雄大さん ひとり二役)をキャスティング(映画での役を割り振る)する方向へ話が進んで、雰囲気が明るくなるシーンがあって、いいなあと思いました。
人間の欲とか、損得勘定をうまく操ってある(あやつってある)会話表現で感心しました。
ウンピョウという書道家青年(千葉雄大さん)は、『愛』という字を同じ紙に何回も書いて、最後は、紙が真っ黒になる。(そういう発想が珍しい)。
松尾諭さんご夫婦がたくましい。好感をもちました。
けして、ひ弱ではない。だんなに愛情をもっているらしき江口のりこさんが登場しても、松尾諭さんの奥さんはどんと構えているのです。
奥さんは、今ある親子3人の家庭を崩壊させる気持ちなどさらさらないのです。むしろ、逆利用をして、なにかしら利益を得ようとするのです。ママの演技は迫力がありました。OKです。
なんというか、物語やドラマ、映画だと、繊細な気持ちをもつひ弱な男や女という設定で人間が描かれやすいのですが、現実社会を生きている人間は、むしろ野性的で、なにがあろうと負けるもんか!という暮らし方をしている人が多いと感じます。
ささいなことで弱気になっていたら、世間の荒波を乗り越えてはいけないのです。したたかに、強く前進です。
松岡茉優さんは演技上手です。感心しました。どんな性格・人格の人間でも演じられる女優さんだと感心しました。うまい!
ダスティン・ホフマン出演の洋画、『卒業 1967年(昭和42年)作品』が下地にあります。久しぶりにサイモンとガーファンクルの歌、『サウンド・オブ・サイレンス』を聴きました。なつかしい。
江口のりこさんがつくる物語、『これは愛である』の結末を、ハッピーエンドにするかしないかで、もめにもめます。
何のために書くのかという基本的な動機の話になります。
『書きたいから書く』(わたしはそう思います。具体的な理由なんてありません。人は、それぞれ個々の脳みそにその人だけがもつ『欲』が埋め込まれています。やりたいからやる。それだけです)。
最後は、みなさん何度もステージに出てこられて、拍手の中で頭を下げられていましたが、なにかひとことでもコメントをされたほうが、さらに良かったと思います。
マツケンサンバ歌謡ショーを観たときには、松平健さんが、『今夜のお客さんは、これまでで一番ノリが良かった』とコメントされて、会場が割れんばかりの拍手に包まれていました。
森公美子さん(もりくみこさん)の、『天使にラブソングを』を観たときには、森公美子さんが最後に観客席に向かって、『お客さん、サイコーー!!』と叫んでおられました。
(さらに思い出したことの付け足し(つけたし)として)
天井からブランコみたいに大きくて長い木の板のイスが下りてきました。木の幹のようでもありました。
ブラブラと揺れるそのイスを使って、じょうずにコントみたいなやりとりがなされていました。おもしろい。笑いました。
ブランコみたいなイスを揺らせて、松尾諭さんにぶつけて笑いを誘うのです。
(帰宅後、NHK大河ドラマ『光る君へ』を観ていて)
『ワタシタチはモノガタリ』の松尾諭さんと江口のりこさんの関係が、藤原道長(柄本佑さん(えもとたすくさん))と紫式部(吉高由里子さん)さんと重なりました。
松尾諭さんと柄本佑さんは編集者の立場で、江口のりこさんと吉高由里子さんが小説家の立場なのです。
ふたりの男子は、それぞれの女子の創作活動を支援していくのです。
ずいぶん前のことですが、笑福亭鶴瓶さんのトーク番組、『巷の噺(ちまたのはなし)』に登場した女優の江口のりこさんが、『わたしは敵が多い』みたいな発言をされて、それを見ていたわたしは、魅力的な女優さんだなと感じました。
今回書く文章のタイトルにある劇に、江口のりこさんが出演されるのを見つけたので、さっそくチケットを申し込んで、東京渋谷にあるPARCO劇場へ観に行ってきました。
前のほうのまんなかあたりの席だったのでよく見えました。江口のりこさんは、テレビで観たとおりの人でした。話し方も体の動きも、ふだんのしゃべりと変わりはありません。
ちょっとむずかしい筋立てではありました。
江口のりこさんが、15歳中学生のころから小説家をめざしているけれど文学賞への挑戦は落選続きで、なかなか芽が出ないまま30歳を迎えたところで、江口のりこさんが投稿しているネット小説の人気が出てきて、ようやく人々に作品を読まれ始めたというようなところから始まりました。
中学の同級生だった松尾諭さん(まつおさとるさん)との文通交流15年間という経過も含めて、自分自身の十代のころの似たような体験を思い出して共感する部分がありました。
作品の題材としては、出版とか演劇とか、映画づくりとか、芸能関係の内輪話ですが、小説作品の商業化はいろいろむずかしいと感じました。
しばらく前に原作とテレビドラマの脚本の内容が異なるということでもめた事件のような出来事がありましたが、劇中では、江口のりこさんが書く原作どおりに映画ができあがらないというもどかしい流れがあるのです。
以下は、わたしが観劇に行く前に知ったなんとなくの、さらりとした話の流れです。
15歳、まだ中学生のカップルが(将来、編集者希望らしき松尾諭さんと小説家希望の江口のりこさん)、どちらもずっと未婚だったら、30歳になったら結婚しようと話をして、30歳になったのですが、ふたりは、結婚に至らないわけです。
15年間という長い間、お互いに文通のやりとりは続くけれど、直接会うことはなかった。(松尾諭さんのほうには、恋愛感情はなかった。江口のりこさんには恋愛感情があった)
松尾諭さんは、30歳になって、別の女性と結婚式を挙げるわけですが、その結婚式に江口のりこさんが招待されたのです。
招待された江口のりこさんは、なんとなくプンプンなのです。(怒っている(おこっている))。
事実として、出版社で編集者をしている松尾諭さんは、江口のりこさんが書く文章は好きですが、江口のりこさん自身を女性として好きということではないのです。(江口のりこさんは誤解していたのです)
松尾諭さん夫婦の結婚式に招待された江口のりこさんは、松尾諭さんに、今まで文通で自分が松尾さんに書いて送った手紙を全部返してちょうだいと要求するのです。松尾諭さんは江口さんの要求に応じます。
江口のりこさんが現在進行形で創作中の小説作品、『これは愛である』の中で、自分と松尾諭さんを模した(もした。似せた)架空のカップルが、松岡茉優さんと千葉雄大さんです。
現実のふたりとはずいぶん違って、松岡茉優さんたちふたりは、かなりのラブラブです。
それぐらいの前知識で、舞台劇を観に行きました。
(以下が、観劇の感想です)
なにせ、お祝いで贈られたお花がきれいでした。
劇場ロビーにいっぱい飾ってありました。わたしは、女優の吉田羊さんが贈られたお花の前で記念写真を妻に撮ってもらいました。
わたしは長いこと生きてきましたが、あんなにきれいで高価そうなお花をたくさん見たのは生まれて初めてです。おそらく貴重であろう珍しいようなお花もありました。わたしは、花尽くしの光景を長いことながめて、来て良かったと満足しました。
思い出すままに、観劇の感想をここに書き落としてみます。
冥土(めいど)のみやげ(安心して死ねるために)といいますか、昨年の夏ごろから、テレビや映画に出ている人をじかに観たいという欲望が湧きだし、舞台やミュージカル、歌謡ショー、漫談などを観るために劇場やホールへ行くようになりました。
これまでに、KinKi Kids(キンキキッズ)の堂本光一さん、森公美子さん、太川陽介さん、さんまさん、温水洋一さん、山崎育三郎さん、綾小路きみまろさん、松平健さん、山﨑玲奈さん(やまさきれなさん。ピーターパン)、そのほかスターを固める脇役のみなさんを拝見しました。なかなか楽しい時間でした。
今までは、派手な音楽やダンス、おおぜいの出演者で明るく楽しくダンスダンスダンスみたいな感じでにぎやかだったので、今回の、少人数、一人二役以上、じっくり会話を繰り返すというパターンの演劇が新鮮でした。
舞台装置はシンプルでしたがとても美しかった。出演者は8人だったと思います。
ラブコメディなので、言葉のやりとりで笑わせてくれます。歌やダンスはありません。
観客は、わたしたち夫婦のような年配の方、それから逆に若い人たちで、午後6時半からの開演で、2時間35分(途中休憩20分間)でした。人口ピラミッドで言うと、年齢層のまんなかぐらいの人たちは(40代ぐらいの人たち)はあまり見かけませんでした。
始まっていきなり右手から江口のりこさんが出てきて驚きました。
ひとり芝居の始まりです。
話し方や動作は、テレビで見る江口のりこさんとまったく同じです。演技をしているというよりも、ふだんのままの言葉づかいで話が進んでいきます。だれかを演じるわけではなく、江口のりこさんという人間の地(じ)のままの演技です。
コメディーです。言葉のやりとりがうまい。関西弁です。
舞台に自分が中学生だったころのなつかしい、教室内にある机とイスが出てきました。
そうそう、掃除の時間には、イスを机の上にのせて、動かして、床掃除をしていました。
『文章の読み書きが好き』(ここがこの舞台の大事なポイントです。恋愛相手としてのあなたが好きなのではなく、出版社で編集者をしている松尾諭さん(まつおさとるさん)は、江口のりこさんが書く文章が好きなのです)
昭和時代の昔は手紙をよく書きました。文通の習慣がありました。手紙とかハガキとか、今はもう、慶弔儀礼(けいちょうぎれい)でしか書かなくなりました。現代は、電子メールとかラインとか、+メッセージなどでやりとりします。スタンプを使ったりもします。
時代が変わりました。いいとも悪いともいえません。
会話のキャッチボールで笑わせてくれます。
会話をしながら、紙ヒコーキの飛ばしあいをするのですが、なかなかよく考え抜かれた演出で効果的でした。
現実のふたり(江口のりこさんと松尾諭さん)と、江口のりこさんが書いている小説作品『これは愛である』に出てくる登場人物の松岡茉優さんと千葉雄大さんが交錯、交流します。現実に存在する人物と想像上の人物の交流があります。
ところどころ難解でややこしい。
どうも笑いのツボが違うのか、若い女性を中心とした観客の人たちが爆笑することが複数回あったのですが、わたしたち年配夫婦はどうして笑えるのかわかりませんでした。若い人たちは、内容を熟知されているのでしょう。
原作どおりに映画をつくれないという原作者と映像製作者とのうまくいかない争いがあります。
先日わたしが、動画配信サービスで観た、三谷幸喜監督映画『ラジオの時間』と共通する題材です。
中学生の娘さんをもつ松尾諭さんが、思春期の娘に振り回されます。
娘のごきげんをとろうとして、娘の好きな人(ウンピョウという書道家 千葉雄大さん ひとり二役)をキャスティング(映画での役を割り振る)する方向へ話が進んで、雰囲気が明るくなるシーンがあって、いいなあと思いました。
人間の欲とか、損得勘定をうまく操ってある(あやつってある)会話表現で感心しました。
ウンピョウという書道家青年(千葉雄大さん)は、『愛』という字を同じ紙に何回も書いて、最後は、紙が真っ黒になる。(そういう発想が珍しい)。
松尾諭さんご夫婦がたくましい。好感をもちました。
けして、ひ弱ではない。だんなに愛情をもっているらしき江口のりこさんが登場しても、松尾諭さんの奥さんはどんと構えているのです。
奥さんは、今ある親子3人の家庭を崩壊させる気持ちなどさらさらないのです。むしろ、逆利用をして、なにかしら利益を得ようとするのです。ママの演技は迫力がありました。OKです。
なんというか、物語やドラマ、映画だと、繊細な気持ちをもつひ弱な男や女という設定で人間が描かれやすいのですが、現実社会を生きている人間は、むしろ野性的で、なにがあろうと負けるもんか!という暮らし方をしている人が多いと感じます。
ささいなことで弱気になっていたら、世間の荒波を乗り越えてはいけないのです。したたかに、強く前進です。
松岡茉優さんは演技上手です。感心しました。どんな性格・人格の人間でも演じられる女優さんだと感心しました。うまい!
ダスティン・ホフマン出演の洋画、『卒業 1967年(昭和42年)作品』が下地にあります。久しぶりにサイモンとガーファンクルの歌、『サウンド・オブ・サイレンス』を聴きました。なつかしい。
江口のりこさんがつくる物語、『これは愛である』の結末を、ハッピーエンドにするかしないかで、もめにもめます。
何のために書くのかという基本的な動機の話になります。
『書きたいから書く』(わたしはそう思います。具体的な理由なんてありません。人は、それぞれ個々の脳みそにその人だけがもつ『欲』が埋め込まれています。やりたいからやる。それだけです)。
最後は、みなさん何度もステージに出てこられて、拍手の中で頭を下げられていましたが、なにかひとことでもコメントをされたほうが、さらに良かったと思います。
マツケンサンバ歌謡ショーを観たときには、松平健さんが、『今夜のお客さんは、これまでで一番ノリが良かった』とコメントされて、会場が割れんばかりの拍手に包まれていました。
森公美子さん(もりくみこさん)の、『天使にラブソングを』を観たときには、森公美子さんが最後に観客席に向かって、『お客さん、サイコーー!!』と叫んでおられました。
(さらに思い出したことの付け足し(つけたし)として)
天井からブランコみたいに大きくて長い木の板のイスが下りてきました。木の幹のようでもありました。
ブラブラと揺れるそのイスを使って、じょうずにコントみたいなやりとりがなされていました。おもしろい。笑いました。
ブランコみたいなイスを揺らせて、松尾諭さんにぶつけて笑いを誘うのです。
(帰宅後、NHK大河ドラマ『光る君へ』を観ていて)
『ワタシタチはモノガタリ』の松尾諭さんと江口のりこさんの関係が、藤原道長(柄本佑さん(えもとたすくさん))と紫式部(吉高由里子さん)さんと重なりました。
松尾諭さんと柄本佑さんは編集者の立場で、江口のりこさんと吉高由里子さんが小説家の立場なのです。
ふたりの男子は、それぞれの女子の創作活動を支援していくのです。