2023年05月16日
宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ
宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館
読みながら感想を継ぎ足していきます。
宙(そら):女の子 産みの親である実母が川瀬花野で、育ての親が、川瀬花野の異父妹である日坂風海(ひさか・ふみ)。宙は、日の崎第二小学校小学一年生
宙にとっての「ママ」 日坂風海(ひさか・ふみ):幼稚園卒園までの宙(そら)の育ての親。育児能力にかける姉の川瀬花野に代わって、宙を育ててきた。夫と宙のいとこにあたる娘がいる。川瀬花野より二歳年下
パパ 日坂康太:32歳。日坂風海の夫。どうも、日坂家は、仕事の関係で、親子三人がシンガポールに行ったらしい。宙は、川瀬花野のこどもなので、いっしょには行かなかったもようです。まあ、宙の親権者は母親でしょうからしかたがありません。宙の父親はどうなってるのか?
いとこ 萠(めぐむ):日坂夫婦の娘。宙のいとこ
宙にとっての「お母さん」 川瀬花野(かわせ・かの):宙の実母。かぐや姫みたいな長い髪。白い肌。人形のような華やかな顔。細い体。美しい人。ハスキーな声。八重歯。宙は、実母を「カノさん」と呼ぶ。花野は宙を『あんた』と呼ぶ。
芸術家タイプ。イラスト画家。イラスト製作の仕事に追われている。世間の人気はある。
本人の成育歴に暗い影があり、こどもの育て方がわからないようすです。
料理はできない。おふろにはちゃんと入らない。ゲップもおならもどこでもする。牛乳はパックから直接飲む。
大人なのに大人らしくない。こどもに干渉しない。下品なアニメを見る。行儀が悪い。感情がそのまま顔や態度に出る。宙に自分を「母」と呼ばせない。宙は実母を「カノさん」と呼ぶ。
いやに乱暴な人で、読んでいて、この人は精神病ではないかとすら思います。クレイジー(狂っている)な面があります。
佐伯恭弘(さえき・やすひろ):川瀬花野の二学年下の同級生。中学一年生でいじめにあっていたとき川瀬花野に助けられたことで、花野を慕っている。
川瀬宅に来て料理をつくっている。花野のことを好きだが、花野は佐伯のことをなんとも思っていない。「やっちゃん」が愛称。花野の異父妹である日坂風海の中学同級生
柘植(つげ):川瀬花野の恋人。花野よりかなり年上の人。柘植と川瀬花野の関係は、パトロン(資金の出資者)と踊り子(資金源のパトロンにつくす人)の関係のようです。見た目とお金だけの付き合いです。(そうでもありませんでした)
大崎マリー:五月生まれの保育園児。三月生まれで体格に劣る宙をいじめていた。
舞台となる土地:樋野崎市(ひのさきし)。政令指定都市から電車で数駅の位置にある。
自然が残っている。発展途上の街。小高い山として『日の崎山』がある。そこに宙の実母の家がある。築80年を超す古い家屋。日坂家は、昔はそのあたりの大地主だった。
第一話から第五話まであります。それぞれ食べもののタイトルが付いています。
『第一話 ふわふわパンケーキのイチゴジャム添え』
ちょっと刺激的な出だしです。
『お母さん』と『ママ』は、まったく別のものだと宙(そら)は思っていたから始まります。
産みの親と育ての親だと気づきます。実母と養母でしょう。その後、実母と養母が姉妹であることがわかります。(養母ではありませんでした)
その部分を読んでいて思い出したことがあります。
まだ自分自身が乳幼児だった頃のことを母や母の妹である叔母と話したときのことです。
わたしの母が『わたしはあんたを育てた覚えがない』と言いました。まあ、わたしが小さいころのことです。わたしは覚えていません。
母の妹である(四姉妹の三女。母は長女)叔母が『○○ちゃんは(わたしのこと)わたしが育てた』
これから始まるこの物語と内容がくっつくような気がしたのです。
昔は子だくさんで、兄弟姉妹が多かった。兄弟姉妹が親代わりになって、下の子や、兄弟姉妹が産んだ子(おいとかめいとか)のめんどうをみることがよくあったのです。
しらかば保育園年長クラスすいか組所属の宙です。
三月生まれ(早生まれ)の宙は、五月生まれの大崎マリーにいじめられます。
こどもを産んでも母親の役割を果たせない女性っていると思います。そういうことって、あんがい特別なことでもないような気がします。
30ページ付近まできました。
いまのところ、『こども』の話です。
父親の仕事の人事異動でシンガポールへ旅立った日坂ファミリーと別れた小学一年生の宙は、川瀬花野の家で、実母の川瀬花野にほったらかしにされて孤独です。
(宙は、自分が何のために生まれて来たのだろうかと悩むだろうなあ)
宙の実母の川瀬花野は、絵の世界でいくらいい仕事をしていたとしても、人としてダメです。
いるんだろうなあ。こういう人って。女でも男でもいるんだろうなあ。ステージ上(職場)では輝いていても、家では厄介者(やっかいもの)なのです。
育児放棄に属する児童虐待です。そもそも川瀬花野に育児能力がありません。
宙について、なにか得意なことをつくってあげなければ、宙は、生き続けることができません。
料理が、宙を救うようです。
師匠登場です。
師匠は、佐伯恭弘です。
師弟関係が結ばれた雰囲気があります。
パンケーキづくりが始まります。
マンガを思い出しました。『包丁人味平(ほうちょうにんあじへい。古いですけど)』とか『美味しんぼ(おいしんぼ)』とか。
実母は『(こどもの)可愛がり方を、知らないんだ』
読んでいて、自分もこどものころに似たような体験があります。自分には記憶がないのですが、両親が祖父母とけんかをしたらしく、わたしを祖父母宅に置いて家を出て行ったことがあります。幼児期のわたしは、母方と父方の祖父母に育てられたようなものです。あんがい、昔は、そういうことってあったんじゃなかろうか。こどもの側からいえば、ごはんを食べさせてくれる人がいれば、めんどうをみてくれるのは、だれでもいいような気がします。(わたしは割り切りがいい人間です)
自分が成人してから、昔、そんなことがあったと母方の祖母が教えてくれました。ずいぶん昔に亡くなった祖母には感謝しかありません。
川瀬花野は、ひとりで生きてきた。
川瀬花野の実母は、二回結婚した。一度目は正式なもので、二度目は内縁関係でしょう。
親に強制されて、いやいや結婚した婿として迎えた最初の夫とのこどもが花野だった。
花野の実母は、夫と花野を自分の実家に残して、別の男と駆け落ちをした。
実家を飛び出したあとの同棲相手との間でできたこどもが日坂風海(ひさか・ふみ)です。
ということは、異父姉妹(川瀬花野と日坂風海の関係)です。
その後、花野の父親は、花野を置いて、花野の実家を出ていった。
花野は母方祖父母に育てられたが、祖父母には可愛がってもらえなかった。
(かなりややこしい。以前読んだことがある『彼女の家計簿 原田ひ香 光文社』の設定に類似した部分があります)
読んでいて思ったことです。
自分には、結婚にしても就職にしても基本的にこれができるようになってほしいという項目があります。①社交辞令でもいいから『挨拶(あいさつ)』ができること。(人づきあいを円滑に進めるための言葉づかい) ②『ありがとう』という感謝の言葉と意思表示ができること ③つくり笑いでもいいから必要なときには笑顔ができること このみっつができないと、結婚にともなう親戚づきあいも仕事も無理です。読んでいると、どうも、川瀬花野さんには無理そうです。
これはだめだと思いながら読んでいくと、60ページから感動的な展開になっていきます。
自分の性欲処理のためにお金を使う初老の男が一番クズな人間なのでしょう。(されど、川瀬花野は男にぞっこんです。その後わかりますが、男には正妻がいます)
人は、おいしいものを食べた時に『今までつらいことがたくさんあったけれど、これまで、生きてて良かったなあ。また、これを食べるためにがんばろう』という気持ちになることがあります。
味わいのあるいい作品です。
人間同士の付き合いでは、誤解と錯覚がつきものです。
お互いをわかり合うために、言いにくいことであっても相手に向かってちゃんと言ったほうがいいという趣旨の作品です。人間を『理解』するための作品です。
腹を割って、本心を話せる関係からユーモア(人の心をなごませる上品な笑い)や笑いが生れて幸福感が広がることがあります。
『第二話 かつおとこんぶが香るほこほこにゅうめん』
自分はおとなになってずいぶんたつまで『にゅうめん』を知りませんでした。
奈良県の明日香村(あすかむら)に行って、石舞台古墳とか高松塚古墳、飛鳥寺などを見学したあと入った食堂で生れて初めて『にゅうめん』なるものを食べて、世の中にこんなにおいしいものがあったのかとびっくりしました。あたたかいソーメンで、具だくさんでした。
この本は、こどもの本だろうかという疑問をもちがなら読んでいますが、第二話を読み終えて、こどもの視線で、おとなの世界、あるいは、おとなの社会を描いている本であると理解しました。
主人公の川瀬宙(かわせ・そら)は、第一話で小学一年生でしたが、この第二話で、小学6年生に成長しています。話がすすむごとに年齢があがっていくのだろうと予想しました。
元町勇気(もとまち・ゆうき):川瀬宙と大崎マリーと同じ6年3組。わがまま勝手な児童で、めんどうくさい男です。こういう男っています。脳みそが、こどものままでおとなになります。
主人公の川瀬宙がなんだか、樹木希林さん(きききりんさん)の娘さんの内田也哉子さん(うちだ・ややこさん)のように見えます。お父さんは内田裕哉さんです。
芸術家タイプの親に、こどもを育てる能力が欠けています。川瀬宙の家庭における子育ては、一般家庭のような子育てではありません。こどもはつらい。
母親の川瀬花野は絵画系のアーチストです。川瀬花野は、ペットを可愛がるように宙に接します。
自分が産んだこどもの宙(そら)よりも、かなり年上の男性(柘植(つげ)花野の恋人)に心がいく川瀬花野です。
男性に依存しないと生きていけない女性が川瀬花野です。そして、川野花野はこどもの宙に甘えています。宙は気持ちが不安定になります。
北川:6年3組の担任教師です。頼りない。教師失格です。こどもを甘やかします。こどもに優しいのではなく、やる気がないのです。教師に向いていません。
やっちゃんお料理教室:生徒は、川瀬宙。第一第三土曜日に『ビストロ サエキ』で開催される。料理の先生は、川瀬宙の母親を慕うけれど相手にされていない母親川瀬花野の中学で二年後輩の佐伯恭弘(今年で37歳。以前は金髪だったが、今はやんちゃなところはなくなった。父親が亡くなってレストランの二代目オーナーになっておとなしくなった)です。宙は小学一年生の時から佐伯恭弘に料理を教わっています。
ソフリット:イタリア料理に用いられる香味のベースとなるもの
ボロネーゼ:イタリア料理・フランス料理のソース
田本:川瀬家の家政婦。70歳。きちんとしている。
直子:佐伯恭弘の母親
川野花野の不倫の恋人である柘植氏が急死します。(心筋梗塞)
川野花野は半狂乱です。
角野:柘植の右腕。川瀬花野と柘植のパイプ役(連絡役)
いろいろなことが判明します。
川瀬花野にとって、越えてはいけない一線がありますが、花野は一線を越えようとします。騒動になります。かなり厳しいやりとりになります。
ふとこの部分を読んでいて思い出したことがあります。わたしは長いこと生きてきたので、何度もお葬式に行ったことがあります。
もうずいぶん前のことですが、とある男性の奥さんが病気で何年間も入院していて亡くなったことがあります。わたしは、奥さんのお葬式にお参りに行きました。一週間ぐらいがたって、ご主人は自死されました。そして、今度はご主人のお葬式がありました。
ご主人は、奥さんがいないこれからの人生を考えられなかったようです。『純愛(じゅんあい)』だと思いました。
不純な不倫の世界が描いてあります。
佐伯恭弘が優しい。
桃子:柘植の娘
読み手が、大きなショックを受ける展開になってしまいました。(ここには書けません。本を買って読んでください)
川瀬宙の生みの親である川瀬花野は、おとなじゃありません。こどものまま歳をとった人です。
こじれた話の回収のしかたがすばらしい。
すぐれた推理小説を読むようです。
母親に『十分に母親であることを』求めない。
(この作者さんは、今一番のっている作家さんではなかろうか。記述と展開がじょうずですばらしい。絶好調です)
そして『にゅめん』で話をまとめる。
けっこう重たい話ではありました。
『第三話 あなたのための、きのこととろとろポタージュ』
第三話では、主人公の川瀬宙が、中学三年生までに成長しています。
クラス一の美人:森田香織
バレーボール部員:槇原樹里
森田香織の元カレ:小松真司(森田香織と別れて、1学年下、中2の美術部員女子と付き合い始めた)
神丘鉄太:今回の話で、川瀬宙の彼氏のようになる中学三年生男子。いろいろわけありの家庭です。父子家庭。父は正彦。母親は鉄太が小学生のときに病死した。現在21歳の姉佳澄(かすみ)は、高校生のときにバイト先の店長のこどもを妊娠して出産、高校は中退、店長と結婚したが、店長が浮気、離婚、シングルマザーとなって実家に戻ってきたが精神状態不安定。精神的な病気になっているもようです。
葵(あおい):上岡鉄太の姉の子(姪めい)。3歳女児
佐伯恭弘は、自分が経営するレストランの従業員だった女性と結婚しました。
川瀬宙の夢だった、自分の母親川瀬花野と佐伯恭弘の結婚、三人家族になる希望は失われました。家庭持ちの不倫相手が急死してしまった花野は、花野を慕う佐伯恭弘との結婚を拒否しました。
春川智美(はるかわともみ):佐伯恭弘の新妻
第二話では、文章から凄み(すごみ。背筋がぞくぞくとする感じ)が伝わってきました。
第三話も最後まで読んで感嘆しました。(かんたん:完成度の高さに感動しました)
男女間の別れを表現してあります。
中学生同士の別れがあり、あわせて、おとなの愛情がかなわぬ別れがあります。
そこにちびっこの葵(あおい)3歳女児がからんできます。
ひらがなをじょうずに使ってある文章です。
人→ひと
複数の異性と付き合って、いろいろな気持ちを経験したい。
恋の始まりと終わりを経験してみたい。
中学生同士の「好きだ」は、まだ、試行錯誤の年齢層にある言葉です。
読んでいての感想です。
しみじみと、男と女は、どうして離婚するのかと思う。
なんのために結婚するのか。
男と女は、いっしょに暮らしてみないと相手のことがわからないということはあります。
相手が、(なになにが)できると思っていたことができなかったりもします。
素(す)の自分を相手に見せていなかったということが判明します。
仕事場では、仕事をしない人が一番嫌われます。仕事をしない人の仕事を、ほかの人がやらなければならなくなるからです。だれしも負担を嫌います。
家庭では、家のことをやらないメンバー(家族の構成員)は嫌われます。
(この本では、197ページに男女の出会いと別れについての宙の考察があります)
登場人物たちである女性たちは、みな繊細(せんさい:きめこまやかな)な感情をもっています。その感情は『涙』につながります。
いい文章として『……いつも、不満を小出しにできずに溜めに(ために)溜めて爆発させて……』
浮気をする人に、いい人はいないと思う。
母さんを頼りたいけれど、母さんはもう死んでいて、頼れない。(神丘鉄太の言葉の要旨)
人間って、思いどおりにいかないことが多い。
(いいなあ。この本の作品群)
シマネトリコ:樹木の名称です。うちの玄関先にも植えてあります。
3歳女児は「ごっこ遊び」が好きです。
葵を「ごっこ遊び」にもちこむ川瀬宙です。(うまい)
最近の小説創作世界では『ごはん』がはやりなのだろうか。(流行)
『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
こちらの宙(そら)の作品とも相通じる人の思いがあります。
ごはんをちゃんと食べない家がふえているのかも。
昔は、とくに夕食は、家族全員がそろって食卓を囲んで食べていたものでした。昭和の時代がそうでした。
なんでも効率優先で、お金もうけ優先の社会になって、家族が食事時にそろうことが少なくなりました。これでいいのだろうか。ゆえに、小説の世界で、ちゃんとごはんを、しっかりごはんを食べましょうというメッセージが生れてきたのでしょう。
173ページ、泣けてくるようなお話です。
あとの世代に伝えていくもの。『料理』です。
21歳のママがひきこもりです。3歳の娘さんはほったらかしです。
ママはちょっと精神病気味(ぎみ)です。たしか、任意入院とか医療保護入院とかいう手段がありました。あばれたらだめです。たしか、自傷他害(じしょうたがい。自分を傷つけ、人に危害を加える)でした。
宙(そら)が優しい(やさしい)。
『とてもいいひとなの……』(佐伯恭弘さんのことです)(やっちゃんは、ひとを労り(いたわり)包みこむような料理をいつもつくってくれる……)
『あなたのために作ったんです』
話のふくらませかたが、うまい!
202ページ。すごいなあ!
ここまで人生を思いつめる。
今年読んで良かった一冊になりました。
ラストの数行がすばらしい。
『第四話 思い出とぱらぱらレタス卵チャーハン』
まず家系図です。
川瀬花野(かわせ・かの)と日坂風海(ひさか・ふみ)は、異父姉妹です。(川瀬花野の母親の敦子は、花野を実家において男と家を出た。その男とのこどもが日坂風海(ひさか・ふみ))
(父から認知されていない)日坂風海(ひさか・ふみ)が9歳の時に一緒に暮らしていた父親がいなくなった。母子ふたりは川瀬花野が居る川瀬敦子の実家に帰った。祖父母がいました。日坂風海(ひさか・ふみ)が高校三年生の時に、母親の敦子は病死します。
川瀬敦子の父親が川瀬正、母親が川瀬菊です。(ふたりとも気性が荒かった)
川瀬花野の長女が、川瀬宙です。
日坂風海の夫が、日坂康太です。
そのふたりの長女が、日坂萠(ひさか・めぐむ)です。今は、シンガポールで大学生です。
長女萠の下に双子がいます。今は、10歳です。シンガポールの寄宿舎付き学校にいます。ちょっと性別はわかりません。男子同士のようでもあるし、男の子と女の子のようでもあるしというのが、わたしが感じたことです。たぶん男子同士でしょう。どこかに書いてあって、わたしに読み落としがあるかもしれません。
川瀬家は、昔は地元では、大地主の名家だったそうです。
そんな川瀬家のあとを継いだ川瀬花野が、古くなった屋敷をリフォームします。
いらないものは廃棄です。どんどん廃棄します。
トラブルになります。
シンガポールから帰国した異父妹の日坂風海(ひさか・ふみ)さんが怒り狂います。
川瀬宙は、17歳、高校二年生に成長しています。
いろいろゴタゴタが起きます。
読んでいて違和感がありました。
日坂風海(ひさか・ふみ)は、川瀬花野が実家に置いてあった家財類を捨てたことについて、なぜそんなに怒るのだろうかと。
外国滞在後も大阪転勤で、夫婦で、大阪暮らしで(こどもたちはシンガポールに残って現地の大学や寄宿舎付きの学校に進学している)長期間実家にいなくて、実家である家屋を管理していないから、日坂風海(ひさか・ふみ)に実害はありません。
物を捨てられない人っています。
取捨選択ができない人です。
とりあえずとっておこうです。
(正直迷惑です)
もう、仏壇とかお墓も必要な時代ではないと思います。
少子化の時代です。維持管理ができません。納骨堂に納骨します。お寺さんに、永代供養をお願いします。葬儀は、家族葬です。
『毒親』がいます。日坂風海(ひさか・ふみ)です。かなりひどい。
体罰をする人にいい人はいません。
暴力では物事は解決しません。復讐心が生れるだけです。
日坂風海(ひさか・ふみ)の頭脳の中は、まだこどもです。(246ページに「子どもより自分の承認欲求が優先なんだ……精神的に未成熟なんだ……」とあります)
川瀬宙の頭の中にあった日坂風海についてのなつかしきいい思い出は『誤解』だったのです。
川瀬宙と神丘鉄太の恋愛はうまくいっていません。
ふたりは、異なる高校に進学しました。
異性はたくさんいます。目移りします。
世間に出れば、理解のないおとなたちがいます。
親族でもわずらわしい人がいます。
なんかかんか、ケチをつけて文句を言いたい人がいます。
ただし、やりたい放題のことをする人は、最後に孤独になります。人が離れていきます。
長い人生を送っていると、十年に一回ぐらいしんどい時が訪れるということが、自分が体験した実感です。なにをやってもうまくいきません。仕事はだめだし、体を壊したりもします。そんなときは、じっとがまんです。一年間ぐらいすると流れが良くなります。
みんな、精神病みたいな人ばかりです。思いつめておかしくなっています。
『……普通じゃない母親なんて、もううんざり!』
今回は、このこじれた話を、どう作者は、回収するのだろう。
『……正論すぎて困ることもあるけどさ』
両親の仲がいいということは、こどもにとっては幸せなことです。
複雑な心のからまりあいがあります。
心が屈折する原因となる出来事がいくつもあります。
みせかけだけのお金持ちです。
オープンに、隠さずに話せば、こんなことにならなかったのにと読んでいて思うのですが、言い出せなかったということはあると思います。ゆえに、苦しい。
夫婦とか親子の関係の修復話です。
花野は、虐待を受けていたのか……
ターナー:フライ返しのこと。
宙の父親のこと。
ふと思う。この本は、第三話まででよかったような……
(話が重すぎる)
川瀬花野が、実は料理上手だったという内容の変化もどうかと思う。
作者は次の最終話でどう全体をまとめるのだろうか。
『第五話 ふわふわパンケーキは、永遠に心をめぐる』
最終話です。
いろいろと、秘密が明らかにされるのでしょう。
(つづく)
読み終えました。
第一話から第五話までそれぞれタイトルが付いているのですが、タイトルが長すぎることと、内容とぴったりくるという瞬間的な感覚が生れないので、タイトルを見てピンとくるものがありませんでした。
お話全体の終わりに向けて、内容の展開がうまくいっていない印象があります。
遠宮廻(とおみや・めぐる):高校を退学した川瀬宙の同級生(宙は高校三年生に進級しています。宙がこの同級生男子を知らないというところから始まるのですが、隣のクラスの生徒とはいえ、知らないなんで、そんなことはないでしょとつっこみたくなるのです。遠宮廻の話では、図書館でいつも宙のそばにいたそうです)
遠宮は父子家庭。父親に犯罪歴あり。本人はクールでおとなびている。イケメン。モデルみたいなスタイル
理恵:遠宮の父親の恋人。三十歳ちょっとすぎ。刃傷(にんじょう。刃物で傷つけあい)事件の被害者だが、起点としては加害者
読んでいて思うのは、やはりこの本は、第三話で終わっていたほうが良かったのではないか。
第四話以降は、読み手各自が自分の頭の中でつくればいいのではないか。
三城奈々(みしろ・なな):川瀬宙のクラスメート
和田ヒロム:(ワルグループに圧力をかけられての)万引き少年。小学校5年生
和田雅美(わだ・まさみ):和田ヒロムの母親
第四話と第五話は、2回分の枠を埋めるために書いた部分のように見えます。
(料理のことはどうなるのだろう)
遠山廻が、高校卒業後県外で就職することは、あたりまえのことで、異常なことではありません。
そこがいけないことだとなると、お話の基盤がゆらぎます。
『謝罪』と『赦し(ゆるし。許し)』について書いてあります。
ウクライナの人のロシアに対する感情のことが思い浮かびました。『絶対に忘れない。絶対に許さない』
第二次世界大戦時の歴史から、韓国や中国の人が日本を許せないという感情をもつのと同じだと感じました。
物語の話は進んで『(加害者側の)自己満足のための謝罪』について書いてあります。謝れば(あやまれば)、この件については済むという謝罪です。ところが『絶対に許してもらえない謝罪』があります。命を失ったときの謝罪です。
以前読んだ小説家のエッセイ本に、人生でとりかえしがつかないこととして『自殺』と『殺人』のふたつがあると書いてありました。同感です。
飲酒運転は、免許一発取り消しのときもあるので、お話の内容の設定は苦しい。
優しい夫の条件として、
妻に対して『ごめんなさい』と『ありがとう』が言えること。
『君は大丈夫?』と妻に声かけができること。
酒飲みのDV(家庭内で暴力をふるう)夫なら、いないほうがいい。
第五話は、理屈の主張が情緒の描写よりも先んじていて、中身が薄くなってしまっています。
読み手は、読むことが苦しい。
352ページまで読んできて、この本の主人公は、川瀬宙ではなく、レストラン「ビストロ サエキ」の店主であった佐伯恭弘であったことがわかりました。
パンケーキです。最後に、最初の位置に戻ることが物語づくりの基本です。
358ページ、きれいな終わり方は良かった。
読みながら感想を継ぎ足していきます。
宙(そら):女の子 産みの親である実母が川瀬花野で、育ての親が、川瀬花野の異父妹である日坂風海(ひさか・ふみ)。宙は、日の崎第二小学校小学一年生
宙にとっての「ママ」 日坂風海(ひさか・ふみ):幼稚園卒園までの宙(そら)の育ての親。育児能力にかける姉の川瀬花野に代わって、宙を育ててきた。夫と宙のいとこにあたる娘がいる。川瀬花野より二歳年下
パパ 日坂康太:32歳。日坂風海の夫。どうも、日坂家は、仕事の関係で、親子三人がシンガポールに行ったらしい。宙は、川瀬花野のこどもなので、いっしょには行かなかったもようです。まあ、宙の親権者は母親でしょうからしかたがありません。宙の父親はどうなってるのか?
いとこ 萠(めぐむ):日坂夫婦の娘。宙のいとこ
宙にとっての「お母さん」 川瀬花野(かわせ・かの):宙の実母。かぐや姫みたいな長い髪。白い肌。人形のような華やかな顔。細い体。美しい人。ハスキーな声。八重歯。宙は、実母を「カノさん」と呼ぶ。花野は宙を『あんた』と呼ぶ。
芸術家タイプ。イラスト画家。イラスト製作の仕事に追われている。世間の人気はある。
本人の成育歴に暗い影があり、こどもの育て方がわからないようすです。
料理はできない。おふろにはちゃんと入らない。ゲップもおならもどこでもする。牛乳はパックから直接飲む。
大人なのに大人らしくない。こどもに干渉しない。下品なアニメを見る。行儀が悪い。感情がそのまま顔や態度に出る。宙に自分を「母」と呼ばせない。宙は実母を「カノさん」と呼ぶ。
いやに乱暴な人で、読んでいて、この人は精神病ではないかとすら思います。クレイジー(狂っている)な面があります。
佐伯恭弘(さえき・やすひろ):川瀬花野の二学年下の同級生。中学一年生でいじめにあっていたとき川瀬花野に助けられたことで、花野を慕っている。
川瀬宅に来て料理をつくっている。花野のことを好きだが、花野は佐伯のことをなんとも思っていない。「やっちゃん」が愛称。花野の異父妹である日坂風海の中学同級生
柘植(つげ):川瀬花野の恋人。花野よりかなり年上の人。柘植と川瀬花野の関係は、パトロン(資金の出資者)と踊り子(資金源のパトロンにつくす人)の関係のようです。見た目とお金だけの付き合いです。(そうでもありませんでした)
大崎マリー:五月生まれの保育園児。三月生まれで体格に劣る宙をいじめていた。
舞台となる土地:樋野崎市(ひのさきし)。政令指定都市から電車で数駅の位置にある。
自然が残っている。発展途上の街。小高い山として『日の崎山』がある。そこに宙の実母の家がある。築80年を超す古い家屋。日坂家は、昔はそのあたりの大地主だった。
第一話から第五話まであります。それぞれ食べもののタイトルが付いています。
『第一話 ふわふわパンケーキのイチゴジャム添え』
ちょっと刺激的な出だしです。
『お母さん』と『ママ』は、まったく別のものだと宙(そら)は思っていたから始まります。
産みの親と育ての親だと気づきます。実母と養母でしょう。その後、実母と養母が姉妹であることがわかります。(養母ではありませんでした)
その部分を読んでいて思い出したことがあります。
まだ自分自身が乳幼児だった頃のことを母や母の妹である叔母と話したときのことです。
わたしの母が『わたしはあんたを育てた覚えがない』と言いました。まあ、わたしが小さいころのことです。わたしは覚えていません。
母の妹である(四姉妹の三女。母は長女)叔母が『○○ちゃんは(わたしのこと)わたしが育てた』
これから始まるこの物語と内容がくっつくような気がしたのです。
昔は子だくさんで、兄弟姉妹が多かった。兄弟姉妹が親代わりになって、下の子や、兄弟姉妹が産んだ子(おいとかめいとか)のめんどうをみることがよくあったのです。
しらかば保育園年長クラスすいか組所属の宙です。
三月生まれ(早生まれ)の宙は、五月生まれの大崎マリーにいじめられます。
こどもを産んでも母親の役割を果たせない女性っていると思います。そういうことって、あんがい特別なことでもないような気がします。
30ページ付近まできました。
いまのところ、『こども』の話です。
父親の仕事の人事異動でシンガポールへ旅立った日坂ファミリーと別れた小学一年生の宙は、川瀬花野の家で、実母の川瀬花野にほったらかしにされて孤独です。
(宙は、自分が何のために生まれて来たのだろうかと悩むだろうなあ)
宙の実母の川瀬花野は、絵の世界でいくらいい仕事をしていたとしても、人としてダメです。
いるんだろうなあ。こういう人って。女でも男でもいるんだろうなあ。ステージ上(職場)では輝いていても、家では厄介者(やっかいもの)なのです。
育児放棄に属する児童虐待です。そもそも川瀬花野に育児能力がありません。
宙について、なにか得意なことをつくってあげなければ、宙は、生き続けることができません。
料理が、宙を救うようです。
師匠登場です。
師匠は、佐伯恭弘です。
師弟関係が結ばれた雰囲気があります。
パンケーキづくりが始まります。
マンガを思い出しました。『包丁人味平(ほうちょうにんあじへい。古いですけど)』とか『美味しんぼ(おいしんぼ)』とか。
実母は『(こどもの)可愛がり方を、知らないんだ』
読んでいて、自分もこどものころに似たような体験があります。自分には記憶がないのですが、両親が祖父母とけんかをしたらしく、わたしを祖父母宅に置いて家を出て行ったことがあります。幼児期のわたしは、母方と父方の祖父母に育てられたようなものです。あんがい、昔は、そういうことってあったんじゃなかろうか。こどもの側からいえば、ごはんを食べさせてくれる人がいれば、めんどうをみてくれるのは、だれでもいいような気がします。(わたしは割り切りがいい人間です)
自分が成人してから、昔、そんなことがあったと母方の祖母が教えてくれました。ずいぶん昔に亡くなった祖母には感謝しかありません。
川瀬花野は、ひとりで生きてきた。
川瀬花野の実母は、二回結婚した。一度目は正式なもので、二度目は内縁関係でしょう。
親に強制されて、いやいや結婚した婿として迎えた最初の夫とのこどもが花野だった。
花野の実母は、夫と花野を自分の実家に残して、別の男と駆け落ちをした。
実家を飛び出したあとの同棲相手との間でできたこどもが日坂風海(ひさか・ふみ)です。
ということは、異父姉妹(川瀬花野と日坂風海の関係)です。
その後、花野の父親は、花野を置いて、花野の実家を出ていった。
花野は母方祖父母に育てられたが、祖父母には可愛がってもらえなかった。
(かなりややこしい。以前読んだことがある『彼女の家計簿 原田ひ香 光文社』の設定に類似した部分があります)
読んでいて思ったことです。
自分には、結婚にしても就職にしても基本的にこれができるようになってほしいという項目があります。①社交辞令でもいいから『挨拶(あいさつ)』ができること。(人づきあいを円滑に進めるための言葉づかい) ②『ありがとう』という感謝の言葉と意思表示ができること ③つくり笑いでもいいから必要なときには笑顔ができること このみっつができないと、結婚にともなう親戚づきあいも仕事も無理です。読んでいると、どうも、川瀬花野さんには無理そうです。
これはだめだと思いながら読んでいくと、60ページから感動的な展開になっていきます。
自分の性欲処理のためにお金を使う初老の男が一番クズな人間なのでしょう。(されど、川瀬花野は男にぞっこんです。その後わかりますが、男には正妻がいます)
人は、おいしいものを食べた時に『今までつらいことがたくさんあったけれど、これまで、生きてて良かったなあ。また、これを食べるためにがんばろう』という気持ちになることがあります。
味わいのあるいい作品です。
人間同士の付き合いでは、誤解と錯覚がつきものです。
お互いをわかり合うために、言いにくいことであっても相手に向かってちゃんと言ったほうがいいという趣旨の作品です。人間を『理解』するための作品です。
腹を割って、本心を話せる関係からユーモア(人の心をなごませる上品な笑い)や笑いが生れて幸福感が広がることがあります。
『第二話 かつおとこんぶが香るほこほこにゅうめん』
自分はおとなになってずいぶんたつまで『にゅうめん』を知りませんでした。
奈良県の明日香村(あすかむら)に行って、石舞台古墳とか高松塚古墳、飛鳥寺などを見学したあと入った食堂で生れて初めて『にゅうめん』なるものを食べて、世の中にこんなにおいしいものがあったのかとびっくりしました。あたたかいソーメンで、具だくさんでした。
この本は、こどもの本だろうかという疑問をもちがなら読んでいますが、第二話を読み終えて、こどもの視線で、おとなの世界、あるいは、おとなの社会を描いている本であると理解しました。
主人公の川瀬宙(かわせ・そら)は、第一話で小学一年生でしたが、この第二話で、小学6年生に成長しています。話がすすむごとに年齢があがっていくのだろうと予想しました。
元町勇気(もとまち・ゆうき):川瀬宙と大崎マリーと同じ6年3組。わがまま勝手な児童で、めんどうくさい男です。こういう男っています。脳みそが、こどものままでおとなになります。
主人公の川瀬宙がなんだか、樹木希林さん(きききりんさん)の娘さんの内田也哉子さん(うちだ・ややこさん)のように見えます。お父さんは内田裕哉さんです。
芸術家タイプの親に、こどもを育てる能力が欠けています。川瀬宙の家庭における子育ては、一般家庭のような子育てではありません。こどもはつらい。
母親の川瀬花野は絵画系のアーチストです。川瀬花野は、ペットを可愛がるように宙に接します。
自分が産んだこどもの宙(そら)よりも、かなり年上の男性(柘植(つげ)花野の恋人)に心がいく川瀬花野です。
男性に依存しないと生きていけない女性が川瀬花野です。そして、川野花野はこどもの宙に甘えています。宙は気持ちが不安定になります。
北川:6年3組の担任教師です。頼りない。教師失格です。こどもを甘やかします。こどもに優しいのではなく、やる気がないのです。教師に向いていません。
やっちゃんお料理教室:生徒は、川瀬宙。第一第三土曜日に『ビストロ サエキ』で開催される。料理の先生は、川瀬宙の母親を慕うけれど相手にされていない母親川瀬花野の中学で二年後輩の佐伯恭弘(今年で37歳。以前は金髪だったが、今はやんちゃなところはなくなった。父親が亡くなってレストランの二代目オーナーになっておとなしくなった)です。宙は小学一年生の時から佐伯恭弘に料理を教わっています。
ソフリット:イタリア料理に用いられる香味のベースとなるもの
ボロネーゼ:イタリア料理・フランス料理のソース
田本:川瀬家の家政婦。70歳。きちんとしている。
直子:佐伯恭弘の母親
川野花野の不倫の恋人である柘植氏が急死します。(心筋梗塞)
川野花野は半狂乱です。
角野:柘植の右腕。川瀬花野と柘植のパイプ役(連絡役)
いろいろなことが判明します。
川瀬花野にとって、越えてはいけない一線がありますが、花野は一線を越えようとします。騒動になります。かなり厳しいやりとりになります。
ふとこの部分を読んでいて思い出したことがあります。わたしは長いこと生きてきたので、何度もお葬式に行ったことがあります。
もうずいぶん前のことですが、とある男性の奥さんが病気で何年間も入院していて亡くなったことがあります。わたしは、奥さんのお葬式にお参りに行きました。一週間ぐらいがたって、ご主人は自死されました。そして、今度はご主人のお葬式がありました。
ご主人は、奥さんがいないこれからの人生を考えられなかったようです。『純愛(じゅんあい)』だと思いました。
不純な不倫の世界が描いてあります。
佐伯恭弘が優しい。
桃子:柘植の娘
読み手が、大きなショックを受ける展開になってしまいました。(ここには書けません。本を買って読んでください)
川瀬宙の生みの親である川瀬花野は、おとなじゃありません。こどものまま歳をとった人です。
こじれた話の回収のしかたがすばらしい。
すぐれた推理小説を読むようです。
母親に『十分に母親であることを』求めない。
(この作者さんは、今一番のっている作家さんではなかろうか。記述と展開がじょうずですばらしい。絶好調です)
そして『にゅめん』で話をまとめる。
けっこう重たい話ではありました。
『第三話 あなたのための、きのこととろとろポタージュ』
第三話では、主人公の川瀬宙が、中学三年生までに成長しています。
クラス一の美人:森田香織
バレーボール部員:槇原樹里
森田香織の元カレ:小松真司(森田香織と別れて、1学年下、中2の美術部員女子と付き合い始めた)
神丘鉄太:今回の話で、川瀬宙の彼氏のようになる中学三年生男子。いろいろわけありの家庭です。父子家庭。父は正彦。母親は鉄太が小学生のときに病死した。現在21歳の姉佳澄(かすみ)は、高校生のときにバイト先の店長のこどもを妊娠して出産、高校は中退、店長と結婚したが、店長が浮気、離婚、シングルマザーとなって実家に戻ってきたが精神状態不安定。精神的な病気になっているもようです。
葵(あおい):上岡鉄太の姉の子(姪めい)。3歳女児
佐伯恭弘は、自分が経営するレストランの従業員だった女性と結婚しました。
川瀬宙の夢だった、自分の母親川瀬花野と佐伯恭弘の結婚、三人家族になる希望は失われました。家庭持ちの不倫相手が急死してしまった花野は、花野を慕う佐伯恭弘との結婚を拒否しました。
春川智美(はるかわともみ):佐伯恭弘の新妻
第二話では、文章から凄み(すごみ。背筋がぞくぞくとする感じ)が伝わってきました。
第三話も最後まで読んで感嘆しました。(かんたん:完成度の高さに感動しました)
男女間の別れを表現してあります。
中学生同士の別れがあり、あわせて、おとなの愛情がかなわぬ別れがあります。
そこにちびっこの葵(あおい)3歳女児がからんできます。
ひらがなをじょうずに使ってある文章です。
人→ひと
複数の異性と付き合って、いろいろな気持ちを経験したい。
恋の始まりと終わりを経験してみたい。
中学生同士の「好きだ」は、まだ、試行錯誤の年齢層にある言葉です。
読んでいての感想です。
しみじみと、男と女は、どうして離婚するのかと思う。
なんのために結婚するのか。
男と女は、いっしょに暮らしてみないと相手のことがわからないということはあります。
相手が、(なになにが)できると思っていたことができなかったりもします。
素(す)の自分を相手に見せていなかったということが判明します。
仕事場では、仕事をしない人が一番嫌われます。仕事をしない人の仕事を、ほかの人がやらなければならなくなるからです。だれしも負担を嫌います。
家庭では、家のことをやらないメンバー(家族の構成員)は嫌われます。
(この本では、197ページに男女の出会いと別れについての宙の考察があります)
登場人物たちである女性たちは、みな繊細(せんさい:きめこまやかな)な感情をもっています。その感情は『涙』につながります。
いい文章として『……いつも、不満を小出しにできずに溜めに(ために)溜めて爆発させて……』
浮気をする人に、いい人はいないと思う。
母さんを頼りたいけれど、母さんはもう死んでいて、頼れない。(神丘鉄太の言葉の要旨)
人間って、思いどおりにいかないことが多い。
(いいなあ。この本の作品群)
シマネトリコ:樹木の名称です。うちの玄関先にも植えてあります。
3歳女児は「ごっこ遊び」が好きです。
葵を「ごっこ遊び」にもちこむ川瀬宙です。(うまい)
最近の小説創作世界では『ごはん』がはやりなのだろうか。(流行)
『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
こちらの宙(そら)の作品とも相通じる人の思いがあります。
ごはんをちゃんと食べない家がふえているのかも。
昔は、とくに夕食は、家族全員がそろって食卓を囲んで食べていたものでした。昭和の時代がそうでした。
なんでも効率優先で、お金もうけ優先の社会になって、家族が食事時にそろうことが少なくなりました。これでいいのだろうか。ゆえに、小説の世界で、ちゃんとごはんを、しっかりごはんを食べましょうというメッセージが生れてきたのでしょう。
173ページ、泣けてくるようなお話です。
あとの世代に伝えていくもの。『料理』です。
21歳のママがひきこもりです。3歳の娘さんはほったらかしです。
ママはちょっと精神病気味(ぎみ)です。たしか、任意入院とか医療保護入院とかいう手段がありました。あばれたらだめです。たしか、自傷他害(じしょうたがい。自分を傷つけ、人に危害を加える)でした。
宙(そら)が優しい(やさしい)。
『とてもいいひとなの……』(佐伯恭弘さんのことです)(やっちゃんは、ひとを労り(いたわり)包みこむような料理をいつもつくってくれる……)
『あなたのために作ったんです』
話のふくらませかたが、うまい!
202ページ。すごいなあ!
ここまで人生を思いつめる。
今年読んで良かった一冊になりました。
ラストの数行がすばらしい。
『第四話 思い出とぱらぱらレタス卵チャーハン』
まず家系図です。
川瀬花野(かわせ・かの)と日坂風海(ひさか・ふみ)は、異父姉妹です。(川瀬花野の母親の敦子は、花野を実家において男と家を出た。その男とのこどもが日坂風海(ひさか・ふみ))
(父から認知されていない)日坂風海(ひさか・ふみ)が9歳の時に一緒に暮らしていた父親がいなくなった。母子ふたりは川瀬花野が居る川瀬敦子の実家に帰った。祖父母がいました。日坂風海(ひさか・ふみ)が高校三年生の時に、母親の敦子は病死します。
川瀬敦子の父親が川瀬正、母親が川瀬菊です。(ふたりとも気性が荒かった)
川瀬花野の長女が、川瀬宙です。
日坂風海の夫が、日坂康太です。
そのふたりの長女が、日坂萠(ひさか・めぐむ)です。今は、シンガポールで大学生です。
長女萠の下に双子がいます。今は、10歳です。シンガポールの寄宿舎付き学校にいます。ちょっと性別はわかりません。男子同士のようでもあるし、男の子と女の子のようでもあるしというのが、わたしが感じたことです。たぶん男子同士でしょう。どこかに書いてあって、わたしに読み落としがあるかもしれません。
川瀬家は、昔は地元では、大地主の名家だったそうです。
そんな川瀬家のあとを継いだ川瀬花野が、古くなった屋敷をリフォームします。
いらないものは廃棄です。どんどん廃棄します。
トラブルになります。
シンガポールから帰国した異父妹の日坂風海(ひさか・ふみ)さんが怒り狂います。
川瀬宙は、17歳、高校二年生に成長しています。
いろいろゴタゴタが起きます。
読んでいて違和感がありました。
日坂風海(ひさか・ふみ)は、川瀬花野が実家に置いてあった家財類を捨てたことについて、なぜそんなに怒るのだろうかと。
外国滞在後も大阪転勤で、夫婦で、大阪暮らしで(こどもたちはシンガポールに残って現地の大学や寄宿舎付きの学校に進学している)長期間実家にいなくて、実家である家屋を管理していないから、日坂風海(ひさか・ふみ)に実害はありません。
物を捨てられない人っています。
取捨選択ができない人です。
とりあえずとっておこうです。
(正直迷惑です)
もう、仏壇とかお墓も必要な時代ではないと思います。
少子化の時代です。維持管理ができません。納骨堂に納骨します。お寺さんに、永代供養をお願いします。葬儀は、家族葬です。
『毒親』がいます。日坂風海(ひさか・ふみ)です。かなりひどい。
体罰をする人にいい人はいません。
暴力では物事は解決しません。復讐心が生れるだけです。
日坂風海(ひさか・ふみ)の頭脳の中は、まだこどもです。(246ページに「子どもより自分の承認欲求が優先なんだ……精神的に未成熟なんだ……」とあります)
川瀬宙の頭の中にあった日坂風海についてのなつかしきいい思い出は『誤解』だったのです。
川瀬宙と神丘鉄太の恋愛はうまくいっていません。
ふたりは、異なる高校に進学しました。
異性はたくさんいます。目移りします。
世間に出れば、理解のないおとなたちがいます。
親族でもわずらわしい人がいます。
なんかかんか、ケチをつけて文句を言いたい人がいます。
ただし、やりたい放題のことをする人は、最後に孤独になります。人が離れていきます。
長い人生を送っていると、十年に一回ぐらいしんどい時が訪れるということが、自分が体験した実感です。なにをやってもうまくいきません。仕事はだめだし、体を壊したりもします。そんなときは、じっとがまんです。一年間ぐらいすると流れが良くなります。
みんな、精神病みたいな人ばかりです。思いつめておかしくなっています。
『……普通じゃない母親なんて、もううんざり!』
今回は、このこじれた話を、どう作者は、回収するのだろう。
『……正論すぎて困ることもあるけどさ』
両親の仲がいいということは、こどもにとっては幸せなことです。
複雑な心のからまりあいがあります。
心が屈折する原因となる出来事がいくつもあります。
みせかけだけのお金持ちです。
オープンに、隠さずに話せば、こんなことにならなかったのにと読んでいて思うのですが、言い出せなかったということはあると思います。ゆえに、苦しい。
夫婦とか親子の関係の修復話です。
花野は、虐待を受けていたのか……
ターナー:フライ返しのこと。
宙の父親のこと。
ふと思う。この本は、第三話まででよかったような……
(話が重すぎる)
川瀬花野が、実は料理上手だったという内容の変化もどうかと思う。
作者は次の最終話でどう全体をまとめるのだろうか。
『第五話 ふわふわパンケーキは、永遠に心をめぐる』
最終話です。
いろいろと、秘密が明らかにされるのでしょう。
(つづく)
読み終えました。
第一話から第五話までそれぞれタイトルが付いているのですが、タイトルが長すぎることと、内容とぴったりくるという瞬間的な感覚が生れないので、タイトルを見てピンとくるものがありませんでした。
お話全体の終わりに向けて、内容の展開がうまくいっていない印象があります。
遠宮廻(とおみや・めぐる):高校を退学した川瀬宙の同級生(宙は高校三年生に進級しています。宙がこの同級生男子を知らないというところから始まるのですが、隣のクラスの生徒とはいえ、知らないなんで、そんなことはないでしょとつっこみたくなるのです。遠宮廻の話では、図書館でいつも宙のそばにいたそうです)
遠宮は父子家庭。父親に犯罪歴あり。本人はクールでおとなびている。イケメン。モデルみたいなスタイル
理恵:遠宮の父親の恋人。三十歳ちょっとすぎ。刃傷(にんじょう。刃物で傷つけあい)事件の被害者だが、起点としては加害者
読んでいて思うのは、やはりこの本は、第三話で終わっていたほうが良かったのではないか。
第四話以降は、読み手各自が自分の頭の中でつくればいいのではないか。
三城奈々(みしろ・なな):川瀬宙のクラスメート
和田ヒロム:(ワルグループに圧力をかけられての)万引き少年。小学校5年生
和田雅美(わだ・まさみ):和田ヒロムの母親
第四話と第五話は、2回分の枠を埋めるために書いた部分のように見えます。
(料理のことはどうなるのだろう)
遠山廻が、高校卒業後県外で就職することは、あたりまえのことで、異常なことではありません。
そこがいけないことだとなると、お話の基盤がゆらぎます。
『謝罪』と『赦し(ゆるし。許し)』について書いてあります。
ウクライナの人のロシアに対する感情のことが思い浮かびました。『絶対に忘れない。絶対に許さない』
第二次世界大戦時の歴史から、韓国や中国の人が日本を許せないという感情をもつのと同じだと感じました。
物語の話は進んで『(加害者側の)自己満足のための謝罪』について書いてあります。謝れば(あやまれば)、この件については済むという謝罪です。ところが『絶対に許してもらえない謝罪』があります。命を失ったときの謝罪です。
以前読んだ小説家のエッセイ本に、人生でとりかえしがつかないこととして『自殺』と『殺人』のふたつがあると書いてありました。同感です。
飲酒運転は、免許一発取り消しのときもあるので、お話の内容の設定は苦しい。
優しい夫の条件として、
妻に対して『ごめんなさい』と『ありがとう』が言えること。
『君は大丈夫?』と妻に声かけができること。
酒飲みのDV(家庭内で暴力をふるう)夫なら、いないほうがいい。
第五話は、理屈の主張が情緒の描写よりも先んじていて、中身が薄くなってしまっています。
読み手は、読むことが苦しい。
352ページまで読んできて、この本の主人公は、川瀬宙ではなく、レストラン「ビストロ サエキ」の店主であった佐伯恭弘であったことがわかりました。
パンケーキです。最後に、最初の位置に戻ることが物語づくりの基本です。
358ページ、きれいな終わり方は良かった。
2023年05月15日
人がつくった川・荒川 水害からいのちを守り……
人がつくった川・荒川 水害からいのちを守り、暮らしを豊かにする 長谷川敦(はせがわ・あつし) 旬報社(じゅんぽうしゃ)
まず、最初のページから最後のページまで、ゆっくりとめくりながら思いついたことを書き落としていきます。1回目の本読みです。
年に何回か用事があって千葉県へ行きます。
そのときに乗るJR総武線の電車は荒川を渡ります。
荒川はけっこう川幅の広い大きな川です。
墨田川や江戸川よりも広い。
荒川の河口付近にある葛西臨海公園には、何回か孫たちを連れて遊びに行きました。葛西臨海水族園という水族館があって、もう昔のことですが、一時期マグロの展示で話題になったことがあります。(マグロがいっきにたくさん死んでしまった)
淡水と海水が混じる河口付近は風が吹いていて気持ちがいい。菜の花もとてもきれいでした。
さて、本の厚い表紙をめくると地図があります。
荒川の源流はけっこう遠いところにあることを知り驚きました。
甲武信ヶ岳(こぶしがたけ。埼玉県・山梨県・長野県にまたがる)とあります。へぇー そんなに遠いのか。そんなに遠いところから、ぐるーっと回って、東京湾に水が注いでいるわけね。
数枚の写真のページがあります。
人間が、水の流れをコントロールすることはむずかしいことです。
本来、建物を建てないほうがいい形状の土地に、人間が人間の欲で、建物を建てます。人間側の被害として、地下に流れている『水みち(みずみち)』という地下水の川があります。水脈です。水みちの上に建物を建てると、建物の中に水がしみ出してくることがあります。放置しておくと、やがて建物は壊れます。水のコントロールは困難で、なかなか厳しいものがあります。
44ページにみっつの地図が縦に並べてあります。現在の東京都から千葉県・茨城県にかけての地図です。
ずいぶん大昔の話です。地形の変化のようすが表されています。
関東地方は、海の部分が多かったことがわかります。縄文時代のようす。そして、現代の比較図です。
48ページには、今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』で主人公の徳川家康のことが書いてあります。豊臣秀吉が徳川家康にいじわるをするように東海地方(愛知県から静岡県あたり)を取り上げて、徳川家康が利用するのに不便な地域である関東地方を家康に与えたとあります。
豊臣秀吉が徳川家康に滅ぼされないように考えた、家康を自分から遠ざける作戦だったのでしょう。されど、徳川家康はめげませんでした。
52ページに小舟が行き交う絵があります。
思うに、江戸時代の移動手段は、船が便利だったに違いありません。舟は現代の自動車のようなもので、物を運ぶのに水路を使うと有利なことがあったように思います。
54ページに徳川家康による江戸の町の都市計画のことが書いてあります。
徳川家康を中心において、優秀な人材が江戸幕府という組織の中にいたと考えられます。
87ページに、うんちとオシッコが船で運ばれていたというようなことが書いてあります。
農業を行ううえで大事なもののひとつに『肥料』があります。うんちとオシッコが野菜や穀物類にとっていい栄養素になるのです。捨てるのはもったいない。
昔、北海道でニシンという魚がたくさんとれて、地元ではお金が潤ったという話がありました。ニシンは食べるのではなく、肥料として使われたと別の本で読んだことがあります。
化学肥料が出てきたのはそれほど昔のことではないと思います。わたしが、小学一年生ぐらいのころ、父方実家が農家で、まだ人糞(じんぷん)を肥料として使っていました。六十年ぐらい前のことです。
101ページに水害で、たぶん、大雨で川が氾濫(はんらん。あふれた)したのでしょうが、小船で避難する人たちの姿が映った白黒写真があります。明治時代のことでしょう。
ページを見ると、1907年(明治23年)とあります。1907年は明治40年です。へんなものを見つけてしまいました。1907年が正しいのか、明治23年が正しいのかわかりませんが、なぜ気づいたかというと、わたしの母方祖父が、明治40年生まれで、西暦だと1907年だからです。(へんな話ですが、自分の祖父母・両親・兄弟姉妹の生年月日をきちんと言える人は少ないです。わたしは少数派の人間です)
100ページの文章を読んでみたら、1907年(明治40)と書いてありました。101ページの写真の下にある1907(明治23)は、誤植ですな。(ごしょく。誤りのこと)
149ページの東京の地図を見ながら考えたことです。
いつかは必ず災害が来ます。
大きな地震です。
この本のテーマである川がらみだと、スーパー台風の襲来です。川の水があふれて住宅地にあふれます。ときには、二階建ての家よりも水深が高くなります。人間の逃げ道がなくなります。泥水に流されたら人間は死んでしまいます。
怖い(こわい)
大きな川があふれると、建物は浸水します。
水がたまって、家が沈みます。
家の中で水攻めにあいます。
水の流れに流されてしまうこともあります。
早めの退避が必要です。
逃げろーー です。くどいようですが、水はこわいのです。
160ページに、避難訓練が重要なことが書いてあるようです。
災害の対応は『自助(じじょ。じぶんで逃げる) 共助(親族や近所の人たちで助け合う) 公助(こうじょ。役所の人たちがかけつける)』の順番が基本です。
人の助けを待っていたら被災してしまいます。津波ならなおさらのこと、まず、自分が必死になってその場を離れなければなりません。ぼーっとしていると、死んじゃいます。
178ページに2022年(令和4年)のことが書いてあります
コロナ禍(ころなか。コロナウィスルの感染拡大で、いろいろなことに関する中止や制限がかけられ、社会活動が低下したこと)で、隅田川の花火大会が三年連続で中止されたことが書いてあります。
最後のページまできました。
裏表紙のところにある絵は、表表紙のところにある絵と同じでした。
なんだかもったいない気がしました。違う絵を出せばよかったのに。(本の60ページあたりから、裏表紙の絵を見ながら説明文を読みました。わかりやすかった。最初は不要な地図の絵と思いましたが、必要な地図でした)
(さて、2回目の本読みを始めます)
表紙をめくって、写真のページがあります。
ふだんの『荒川』の写真と台風19号が来たときの写真です。
東京都北区と埼玉県川口市を分ける荒川部分ですから、東京の北部でしょう。(あとで調べたら、荒川から墨田川が別れる部分でした『岩淵水門(いわぶちすいもん)』というところです。
台風の時は、泥の河が広がっています。ふだんは陸地のところが、大量の川の水に沈んでいます。
川の水があふれたらたいへんなことになります。ほんとうにあふれることがありそうです。やばい。
次のページの写真では、さらに、台風19号の時に水の高さが7.17mまできましたと説明がありました。二階建ての家の屋根ぐらいの高さだと思います。水があふれたら、屋根の上で助けを待てるか、それとも流されてしまうか微妙な高さです。こわい。
5ページにある目次に『第4章 今の時代の荒川と、わたしたち』があります。
「浸水しても、しばらく生活ができるまちをつくる」とあります
浸水後、どうやって、その場所で生活ができるのだろうか。(あとから読んでみます)
8ページの『第5章 荒川と世界の未来のためにできること』では、プラスチックごみのことが書いてあります。プラスチックは便利ですが、ごみで自然界に捨てられるとたいへん迷惑なことになります。
『はじめに』から読み進んで行きます。
荒川の水の流れ:埼玉県→東京都→東京湾 長さ173km 日本で15番目の長さ
2回川の流れが人の手で変更された。
最初の状態:江戸時代の前は、今よりもずっと東の位置を流れていた。100年ちょっと前、今の荒川が流れているところは田畑だった。現在の『墨田川』が荒川の下流だった。
川にはふたつの顔がある。
①大雨のときに人々を困らせる。
②人間に恵みをもたらしてくれる。
東京の特徴は川の数がとても多いことだそうです。
墨田川、荒川、江戸川、多摩川(東京都の西と神奈川県との境目あたり)
13ページに荒川が、最初は東の位置を流れていたのに、だんだん西の方向へ位置が変わって行ったことがわかる地図があります。
① 江戸時代の前
② 江戸時代から明治時代(徳川家康がつくった徳川幕府がまちづくり計画で川の位置を西にずらしたのでしょう)
③ 現在:川の下流で、墨田川と荒川に分かれています。分岐点があります。(さきほどの写真にあった『岩淵水門』付近です)隅田川はもともとの荒川部分、新しい荒川の部分は新しい流れをつくったそうです。(明治時代以降に、国と東京都の都市計画でつくられた川の部分なのでしょう)
18ページに『人の力によって川がつくり変えられた』とあります。
400年前(江戸幕府が始まったころ)と100年前(明治時代が始まったころ)に変更があった。
川の工事をすることで、仕事が生れ、労働者の雇用が確保されるということがあります。(こよう:仕事につける)
雇用があれば、給料が支給され、支給されたお金は生活費の消費で、世の中を回ります。経済活動が活発になって、人々の生活が豊かになるということがあります。
なぜ、荒川の流れを変えたのか。
キーワードとして
①利水(りすい):流れる水を人間の生活のために利用する。
米をつくる。飲み水にする。水力発電に利用する。船による交通手段に利用する。(明治時代になるまで、鉄道はなかった)大量の荷物は船で運搬していた。
②治水(ちすい):大雨がもたらす洪水から人命や農作物を守る。(墨田川のまわりを洪水から守るために荒川がつくられた。岩淵水門のところで、水の流れをせき止めて、水の流れをコントロールする。水を荒川に流して、墨田川のまわりのまちを水害から守る)
昔いた人たちが子孫のことを思って、治水事業をやってくれた。(感謝です)
流域(りゅういき):川の周辺
28ページに『……もう一つのこの本のテーマは、今の時代を生きるわたしたちは……』とあるのですが、「もう一つ」の前にあるひとつめのテーマがなんなのかがわかりませんでした。
ページを戻ってめくりなおしてみましたがはっきりしません。
これまでのこと(過去)を知るということだろうか。(謎をさぐる)
ちなみに、「もう一つ」のほうは、未来のことのようです。
埼玉県立川の博物館学芸員羽田武朗さん登場です。
荒川についての展示があるそうです。
江戸時代は、川船が海からの風を利用して、上流に向かって動いていたそうです。おどろきました。ゆっくりで、目的地まで、五日間ぐらいかかったそうです。時間はいくらかかってもかまわない時代だったのでしょう。いまほど、時間厳守ではなかった時代だったと思います。(今の埼玉県上尾市-今の東京都足立区・荒川区)川の流れがおだやかだったから上流へ移動できたそうです。
荒川の埼玉県内流域は、県内の三分の二だそうです。(へぇー 広いんだあ)
わたしは12歳ぐらいのころ、東京都内から午後遅くの電車に乗って、埼玉県内を通り、群馬県、途中の駅で乗りかえて、栃木県の山奥まで移動したことがあります。
埼玉県内はずーっと田畑が広がっていました。この本では、昔の埼玉は農業が盛んだったと書いてあり実感があります。夕暮れ時の車窓の外には、農地が広がっていました。
もともと荒川だった部分が、岩淵から『墨田川』になったそうです。
隅田川は、スカイツリーを見学に行ったとき、ツリーのそばを流れていました。
隅田川と京都の鴨川は、人々がほとりでゆっくりできる点で似ていると感じます。
隅田川は、流れている区域で、千住川(せんじゅがわ)、浅草川、大川、隅田川などとバラバラの呼び名(通称名)だったそうです。『河川法』という法律で、墨田川と定められています。やはり、社会生活の基本は『法律』です。『法律』は大事です。
1700年代の江戸の人口は100万人に達していたそうです。今の仙台市ぐらいの規模です。
緊急用河川敷道路:荒川の両岸の道路のことです。大地震が起きた時は、消防や救急ほかの専用道路になるそうです。
荒川の歴史がつづられていきます。
荒川の発展は江戸時代以降だそうです。徳川幕府徳川家康さんのおかげです。家康さんが江戸に来たのは1590年です。関ケ原の合戦が1600年です。
その昔、7000年ぐらい前の縄文時代前半、関東平野の内陸部まで海だったそうです。高いところから土砂(どしゃ)が運ばれてきて陸地ができた。『沖積平野(ちゅうせきへいや)』というそうです。
荒川のほかに、利根川、渡良瀬川(わたらせがわ)が紹介されています。
豊臣秀吉は、徳川家康にいやがらせをして、もともと徳川家康がもっていた東海地区の土地を取り上げて、利用価値のない関東を徳川家康に与えたということは、ずばりそのとおりではないそうです。
当時の江戸は、水上交通の要所であったことから、にぎわっていたそうです。けして、何も無いさびしいまちではなかったと書いてあります。
家康が来る100年前、江戸城主の太田道灌(おおたどうかん)という武将のところをたずねたお坊さんが残した記録があるそうです。お城の横の港にはたくさんの船が集まっていた。毎日市場(いちば。ショッピングセンター)が開催されていた。千葉県の米、茨城県のお茶、長野県の銅などが取引されていた。けっこうにぎやかだったそうです。
物流が行き交い、商売ができるところには、お金と人が集まります。
『品川』は立派な港町だったそうです。東海地方、紀伊半島から、船で、品物が運ばれたり、品物を運んだりしたそうです。
熊じいさんは、新幹線の品川駅でよく乗り換えをします。今はとても港町とは思えません。江戸時代の面影はないのでしょう。
土木技術の進歩:領民の信用と信頼を得るために、領民に利益をもたらさなければ、領地の統治はできません。毎年ちゃんと農作物がとれる。川を流れる水をコントロールしなければなりません。たんぼに水が流れるように土木工事をしなければなりません。道路や橋も必要です。
広い土地をどう利用したらいいのかという都市計画の発想がいります。人手もいります。雇用の確保ができます。仕事があれば、給料があって、経済が回ります。
武士の目から見て、関東平野には、無限の可能性が広がっていたことでしょう。
江戸のまちが発展します。
(つづく)
1616年 徳川家康 死没 73歳 おつかれさまでした。
家康の都市計画の意図を継いだのが、伊奈忠治で、荒川の位置を東から西に変えたそうです。もともとあった川へ水の流れを誘導した。(荒川西遷(あらかわせいせん):1629年。久下(くげ)の南を流れる和田吉野川に流した)
埼玉県東部の開発について書いてあります。
利根川の開発について書いてあります。
荒川と同様に伊奈忠治の名前が出てきます。
仕事とはいえ、偉業を成し遂げておられます。
昔の職業は、世襲でした。(せしゅう。親の仕事を子が引き継ぐ)
開発に携わった人たちの名前と事業内容が続きます。
100年後、井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが):利根川の水から用水路を引き、水を 埼玉県東部に流した。(見沼代用水みぬまだいようすい)
メリットとデメリットについて書いてあります。江戸時代の土木技術ではできなかったこともある。
損と得を比較して、どのあたりで、線引きをするか考える。
一定線の得をするために、犠牲があってもやむを得ないとするのです。
舟運(しゅううん):船による運搬や移動
堤(つつみ)のことが書いてあります。
地域を高い盛り土で囲って地域を水害から守るのです。『大囲堤(おおかこいつづみ)』
日本堤:荒川の西側
墨田堤:荒川の東側
評定所:江戸時代の裁判所のようなもの
水塚(みづか):屋敷の敷地の一部に盛り土(数十センチから2mぐらい)をして、そこに「くら」という建物を建てて、洪水のときは、「くら」に逃れる。くらを高くすると台風の時にとばされる危険があるので、「牛梁合掌づくり(うしばりがっしょうづくり)」というつくり方をする。二階の天井は低くする。まんなかだけ高くして、左右は屋根の傾きを急にする。
日本各地にいろんな暮らし方があります。
洪水は、上流から栄養がある土を運んでくれるメリットがあった。
荒川の流れを利用して船の運搬が盛んに行われたようすが、85ページの地図でわかります。下流から上流へ移動するときは、南から吹く海風を帆にあてて上流へ移動するとききました。
埼玉県の川越市が小江戸と呼ばれるわけがわかりました。川が幹線道路のようなものです。
河岸場(かしば):船着き場。鉄道の駅のように、船の駅のようなもの。
松平信綱(まつだいら・のぶつな):1689年川越藩主になって、家来たちが『九十九曲がり(くじゅうくまがり)』という曲がりくねった川の流れをつくり、河岸場(かしば。船着き場。川の駅ですな)をつくって整備したそうです。思うに、駅ができれば、宿場もできるような気がします。まちがにぎわいお金で潤います。(うるおいます)
曲がった川は、水面がゆるやかに流れて、水の量を一定の量で管理できます。舟の運航が安定します。
さきほども書きましたが、うんちとしっこが有益な肥料として重宝され舟で運搬されて、商売の取引の商品になります。ゴミ処理の(排尿・排便)の模範です。リサイクルです。江戸100万人のおしっこ・うんこが宝になったのです。おしっこ・うんこのおかげで、たくさんの農作物ができます。生活環境を守る衛生面でも効果が絶大にあったことでしょう。おしっこ・うんこを運ぶ舟を『葛西船(かさいぶね)』と言ったそうです。そこの部分を読んで、わたしは、葛西臨海公園に行ったことがあるのですが、荒川の河口にある『葛西(かさい)』という地名が、葛西舟と関係があるのだろうと思いました。
野菜の生産分布の説明があります。野菜の賞味期限でつくる野菜の種類が変わるのです。
江戸のまちを起点として、日もちがしないものは江戸のまちの近くで生産する(ネギやナス)。日もちのするものは、江戸から少し離れたところで生産する(ダイコンやごぼう)。
こう考えてみると、人間の知恵は無限です。江戸時代の人たちも暮らしを豊かにするために一生懸命ものごとを考えたことがわかります。
本は、第3章に移りました。東京を水害から守る! ~荒川放水路の建設~と標題があります。荒川をふたつに分けて、今の墨田川を荒川として、分けた新しい川を荒川放水路としたことは、これまでに読んだページの記事で理解しました。
なかなか情報量が豊富な本です。
94ページまできましたが、これまでに新しい知識となるいくつもの情報に触れました。
1868年(明治元年)、江戸時代が終わって、明治という元号の新しい時代がスタートです。
これまでの鎖国政策は、終わって、開国をして、外国とつきあっていかなければなりませんが、日本の技術力は欧米と比較してかなり遅れています。ぼーっとしていると、外国の植民地にされてしまう危険性があったとわたしは考えました。
都市『江戸』が『東京』に変わりました。
このころの急激な変化にさらされた明治の人たちは、新しいものに感激して、驚き半分、変化したくない気持ち半分だったような気がします。
そして、明治時代の人たちは、とてもがんばったと思うのです。
昔荒川、今墨田川だった両岸に工場が広がる。セメント工場、化学肥料工場、造船所、紡績工場、染料工場、製紙工場、聞いただけで、川に汚水が流されて、川が公害の発生源になりそうですが、この本では公害のことについては触れられていません。(読み進めていたら179ページに川の汚れのことが出てきました)
水害として、以下の年で、荒川(今の墨田川)の川の水が川からあふれたそうです。
1896年(明治29年)
1902年(明治35年)
1910年(明治43年)8月
水害から町を(どちらかといえば工場をなのかも)守るために、荒川を途中で分岐して、荒川の放水路をつくる計画が生まれます。
『立ち退きと移転』があります。
新しく川(放水路)になるところに住んでいる人や農地は、そこをどかなければなりません。
これは、現在における一般道路の拡幅や自動車専用道路の新設時にも同じことが起きます。明治時代だと、あとは、鉄道線路や駅施設等の設置があったことでしょう。
本には、そのようなことが書いてあります。『荒川放水路物語 絹田幸恵 新草出版』とあります。
1300軒が移転したそうです。
(つづく)
読み終えました。
前半は荒川のこれまでの歴史、次に洪水災害対策を中心とした防災の話、最後は自然環境保護のお話という流れでした。
94ページ以降の感想を書き足していきます。
今の墨田川(昔の荒川)両岸にたくさんの工場が建てられた。
今の荒川部分(昔は荒川放水路部分)をつくる工事のやり方について書いてあります。
1913年(大正2年):手掘りで工事開始。低水路(ふだん川の水が流れている)。高水路(洪水になりそうな水量が増えたときに水面の部分になる。この部分は「エキスカベーター」という機械を使用する)。浚渫船(しゅんせつせん。低水路の川底を深く掘る)
1924年(大正13年):荒川放水路は、上流から下流までつながる。浚渫船でさらに工事を進める。
1930年(昭和5年):荒川放水路が完成した。
青山士(あおやま・あきら):荒川放水路建設における重要人物。東京帝国大学で土木工学を学んで、パナマ運河の建設に約7年半の間従事した。(南北アメリカ大陸のつなぎ目を切って、太平洋と大西洋をつなぐ運河にした。パナマ共和国にある。工事期間は、1904年-1924年)
青山士はパナマ運河建設の経験を生かして、荒川放水路の工事において、岩淵水門の基礎工事を堅牢なものに仕上げた。(けんろう:がんじょう。しっかりして壊れにくい)
きちんとしたものを造るためには、厳しくて頑固(がんこ)な人材が必要です。『なれあい』では、いいものは仕上がりません。なれあい:利害関係者による手抜きによる不当利得の取得
1923年9月1日(大正12年)関東大震災発災するも青山士が工事を指揮した『岩淵水門』はびくともしていなかった。同水門は、新たな水門に変わる1982年(昭和57年)まで供用された。
青山士は、チームワークを大切にした。
事故に備えて労災保険を取り入れた。
そこの部分を読みながら、戦争における戦傷病者に対する本人や遺族への給付もあったのだろうと思いつきました。
青山士は、関東大震災発災時に差別攻撃の対象にされた朝鮮人工事従事者をかくまったとあります。お互いに信頼関係がなければきちんとした工事はできません。青山さんは、偉い!
埼玉県のある荒川中流から上流でも水害対策工事が進められます。1918年(大正7年)開始。途中、第二次世界大戦をはさんで、1954年(昭和29年)に工事が終了しています。37年間かかりました。
読んでいて思うに、舟で食べていた人たちもいたわけで、川が整備されて舟の利用が減り、仕事がなくなった人たちもけっこうな数いたと思うのですが、なにか補償があったのか、それとも長い年月の間に自然と産業が舟から鉄道、舟から自動車に代わっていったのかはわかりません。たぶんそういう変化があったと想像します。荒川整備工事に対する反対運動があったかもしれません。
舟から鉄道への移送手段の変更は、全国的なものだったことでしょう。
洪水時の水の流れをゆるくするためのものとして『横堤(よこてい)』が紹介されています。
川に沿って、横向きに土(堤つつみ)の出っ張りがあります。
第4章が、「今の時代の荒川と、わたしたち」とあります。
ずいぶん昔のはなしですが『カスリーン台風』というのが出てきます。1947年(昭和22年)でした。
川の水位が、8.6mまで上昇したそうです。
荒川と利根川で堤防が決壊したそうです。
荒川放水路があったおかげで、大規模災害の発生を避けることができたそうです。
令和元年東日本台風(2019年 台風19号)がきたとき、荒川の水位は、7.17mだったそうです。
墨田川と荒川放水路はもちこたえたそうです。
調節池というものの説明があります。
ダム、調節池、放水路など、川の水の量や流れをコントロールするためにいろいろな手段が用いられています。
地球温暖化の話が出ます。
わたしがこどもの頃と比較して気候が変化してきています。
台風が来る時期とかルートが半世紀前とは違ってきています。昔は、九州地方へ秋ごろに来ていました。今は、初夏から本州を縦断するようなルートで北上してきます。そして、ときに、スーパー台風というものすごい暴風のときがあります。
石油とか石炭、天然ガスなどの化石燃料を燃やすことによって空気中の二酸化炭素が増えて、地球の記憶があがるのが地球温暖化の原因ととられています。
自動車が出す排気ガスが大量だったことが大きな原因と思われます。世界は今、排気ガスを出さない電気自動車へ転換する変化のなかにあります。
『流域治水』という言葉が出てきます。
あふれる水を受け入れる、ためておくために、田んぼを利用する。『田んぼダム』です。
たまりそうな水を地下水へと流す。『浸透ます』の利用です。
下水処理の方法も詳しく書いてあります。
分流式(汚水と雨水は別々)と合流式(ふたつがいっしょ)がある。合流式は、下水処理後川に流す水の量が多いので、大雨のときは、台所やおふろの水を流すことを控えてもらうそうです)人口が多い東京はとくに効果があるそうです。人が多いとメリットもあるしデメリットもあります。そういうやりかたを『流域治水』というそうです。
ひとりひとりの心がけが大切です。
川が氾濫した時に災害にあいやすい地域があります。下町と呼ばれる墨田区、江東区、足立区、葛飾区、江戸川区とあります。(江東五区と呼ぶそうです)
地盤沈下の話が出ます。4mぐらい地盤が沈下したところもあったそうです。かなりひどい。
工場用地下水のくみ上げが地盤沈下の原因です。組み上げられた地下水は、工業用水として利用されます。
洪水発生時の避難について書いてあります。
まずは、自分のことは自分でやる。自分の命は自分で守る。自分で自分の命を救わねばなりません。自立と自活の意識が必要です。
だれかにやってもらおうと思っていたら災難から逃げ遅れます。
東日本大震災のときの津波から自分の命を守る『津波てんでんこ』を思い出しました。(てんでんばらばらに急いで早く逃げろ!)
葛飾区の話が出ます。
観光で亀有を訪れた時のことを思い出しました。
両津勘吉、こちら亀有公園前派出所です。
荒川、江戸川、中川、新中川、綾瀬川、大場川が流れているそうです。たくさんありますなあ。
『浸水対応型市街地構想』というプランがあるそうです。
これから30年かけて次のようにするそうです。
・10年後までに:緊急的に避難できるマンションなどの高い建物の数を増やす。分譲マンションの管理組だと思いますが、行政と協定を結ぶそうです。
・20年後までに:マンションに太陽光発電パネルと蓄電池を設置する。停電に備えるため。
・30年後までに:マンション内に備蓄庫を設置する。ふだんから食べ物や生活用品を保管しておく。ゴムボートも用意しておく。
(この部分を読んで、実現はかなりむずかしいと考えました。最近は、どこもオートロックのマンションばかりです。備蓄庫を設置するスペースが分譲マンションにあるとは思えませんし、食料の保管は管理が必要です)
避難所になる学校の体育館は二階以上に設置する。
これはすでに実行されていると思います。
東京23区内は人口が多すぎます。
被災した時は、まずは、23区内から離れたほうがいいと自分は考えます。
1995年(平成7年)1月の阪神淡路大震災のことが書いてあります。
わたしも仕事で翌月の2月に現地へ行きましたが悲惨な状況でした。
あれからずいぶん経ちました。時の流れは早い。
地域を支えていくのは小学生と中学生とあります。加えて、町内会の役員となるのでしょうが、役員さんはどこも昼間自宅にいる年金生活者の高齢者が多い。こどもも年寄りも、いざというときは、災害弱者です。なかなか本に書いてあるとおりにはうまく事は運びません。
本に書かれてある文章は、災害ボランティアの部分のような記述になってきました。
洪水ハザードマップがあります。自分の家が浸水する可能性があると指摘されても引っ越しが簡単にできるわけでもありません。その時はその時とあきらめる年寄りもいます。(その時:災害発生時)
本の内容は、災害対応マニュアル(手引き)のようになっていきます。
川の汚れ、汚染のことが出てきます。汚いものを墨田川などの川に流すので、悪臭、有毒ガスなどが発生します。
人間の健康よりも『金、カネ、カネ』で、お金もうけが最優先の時代がありました。人命よりも会社のもうけが大事なのです。汚いから川を埋めたててくれという要望はいささか乱暴です。それでも埋めたところもあるそうです。川や運河が道になったそうです。人間は欲深い生き物です。
昭和40年代は『ヘドロ』という言葉をよく耳にしました。1965年代。その前から、日本のあちこちで体が奇形になったりする深刻な公害病が発生しました。
話はさらに飛び『プラスチックごみ』のことになりました。
ペットボトルとか、レジ袋とか、食べた生き物が死んでしまいます。プラスチックごみを食べた魚が食用として提供されたら、それを食べる人間の体にも悪影響がありそうです。こわい。
ずいぶん長い感想メモになってしまいました。
疲れました。
前半の徳川幕府がからんだ歴史の部分がおもしろかった。川と人間との共存がありました。現代に向かうにしたがって、人間が川を、力で押さえつけるイメージがありました。
まず、最初のページから最後のページまで、ゆっくりとめくりながら思いついたことを書き落としていきます。1回目の本読みです。
年に何回か用事があって千葉県へ行きます。
そのときに乗るJR総武線の電車は荒川を渡ります。
荒川はけっこう川幅の広い大きな川です。
墨田川や江戸川よりも広い。
荒川の河口付近にある葛西臨海公園には、何回か孫たちを連れて遊びに行きました。葛西臨海水族園という水族館があって、もう昔のことですが、一時期マグロの展示で話題になったことがあります。(マグロがいっきにたくさん死んでしまった)
淡水と海水が混じる河口付近は風が吹いていて気持ちがいい。菜の花もとてもきれいでした。
さて、本の厚い表紙をめくると地図があります。
荒川の源流はけっこう遠いところにあることを知り驚きました。
甲武信ヶ岳(こぶしがたけ。埼玉県・山梨県・長野県にまたがる)とあります。へぇー そんなに遠いのか。そんなに遠いところから、ぐるーっと回って、東京湾に水が注いでいるわけね。
数枚の写真のページがあります。
人間が、水の流れをコントロールすることはむずかしいことです。
本来、建物を建てないほうがいい形状の土地に、人間が人間の欲で、建物を建てます。人間側の被害として、地下に流れている『水みち(みずみち)』という地下水の川があります。水脈です。水みちの上に建物を建てると、建物の中に水がしみ出してくることがあります。放置しておくと、やがて建物は壊れます。水のコントロールは困難で、なかなか厳しいものがあります。
44ページにみっつの地図が縦に並べてあります。現在の東京都から千葉県・茨城県にかけての地図です。
ずいぶん大昔の話です。地形の変化のようすが表されています。
関東地方は、海の部分が多かったことがわかります。縄文時代のようす。そして、現代の比較図です。
48ページには、今年のNHK大河ドラマ『どうする家康』で主人公の徳川家康のことが書いてあります。豊臣秀吉が徳川家康にいじわるをするように東海地方(愛知県から静岡県あたり)を取り上げて、徳川家康が利用するのに不便な地域である関東地方を家康に与えたとあります。
豊臣秀吉が徳川家康に滅ぼされないように考えた、家康を自分から遠ざける作戦だったのでしょう。されど、徳川家康はめげませんでした。
52ページに小舟が行き交う絵があります。
思うに、江戸時代の移動手段は、船が便利だったに違いありません。舟は現代の自動車のようなもので、物を運ぶのに水路を使うと有利なことがあったように思います。
54ページに徳川家康による江戸の町の都市計画のことが書いてあります。
徳川家康を中心において、優秀な人材が江戸幕府という組織の中にいたと考えられます。
87ページに、うんちとオシッコが船で運ばれていたというようなことが書いてあります。
農業を行ううえで大事なもののひとつに『肥料』があります。うんちとオシッコが野菜や穀物類にとっていい栄養素になるのです。捨てるのはもったいない。
昔、北海道でニシンという魚がたくさんとれて、地元ではお金が潤ったという話がありました。ニシンは食べるのではなく、肥料として使われたと別の本で読んだことがあります。
化学肥料が出てきたのはそれほど昔のことではないと思います。わたしが、小学一年生ぐらいのころ、父方実家が農家で、まだ人糞(じんぷん)を肥料として使っていました。六十年ぐらい前のことです。
101ページに水害で、たぶん、大雨で川が氾濫(はんらん。あふれた)したのでしょうが、小船で避難する人たちの姿が映った白黒写真があります。明治時代のことでしょう。
ページを見ると、1907年(明治23年)とあります。1907年は明治40年です。へんなものを見つけてしまいました。1907年が正しいのか、明治23年が正しいのかわかりませんが、なぜ気づいたかというと、わたしの母方祖父が、明治40年生まれで、西暦だと1907年だからです。(へんな話ですが、自分の祖父母・両親・兄弟姉妹の生年月日をきちんと言える人は少ないです。わたしは少数派の人間です)
100ページの文章を読んでみたら、1907年(明治40)と書いてありました。101ページの写真の下にある1907(明治23)は、誤植ですな。(ごしょく。誤りのこと)
149ページの東京の地図を見ながら考えたことです。
いつかは必ず災害が来ます。
大きな地震です。
この本のテーマである川がらみだと、スーパー台風の襲来です。川の水があふれて住宅地にあふれます。ときには、二階建ての家よりも水深が高くなります。人間の逃げ道がなくなります。泥水に流されたら人間は死んでしまいます。
怖い(こわい)
大きな川があふれると、建物は浸水します。
水がたまって、家が沈みます。
家の中で水攻めにあいます。
水の流れに流されてしまうこともあります。
早めの退避が必要です。
逃げろーー です。くどいようですが、水はこわいのです。
160ページに、避難訓練が重要なことが書いてあるようです。
災害の対応は『自助(じじょ。じぶんで逃げる) 共助(親族や近所の人たちで助け合う) 公助(こうじょ。役所の人たちがかけつける)』の順番が基本です。
人の助けを待っていたら被災してしまいます。津波ならなおさらのこと、まず、自分が必死になってその場を離れなければなりません。ぼーっとしていると、死んじゃいます。
178ページに2022年(令和4年)のことが書いてあります
コロナ禍(ころなか。コロナウィスルの感染拡大で、いろいろなことに関する中止や制限がかけられ、社会活動が低下したこと)で、隅田川の花火大会が三年連続で中止されたことが書いてあります。
最後のページまできました。
裏表紙のところにある絵は、表表紙のところにある絵と同じでした。
なんだかもったいない気がしました。違う絵を出せばよかったのに。(本の60ページあたりから、裏表紙の絵を見ながら説明文を読みました。わかりやすかった。最初は不要な地図の絵と思いましたが、必要な地図でした)
(さて、2回目の本読みを始めます)
表紙をめくって、写真のページがあります。
ふだんの『荒川』の写真と台風19号が来たときの写真です。
東京都北区と埼玉県川口市を分ける荒川部分ですから、東京の北部でしょう。(あとで調べたら、荒川から墨田川が別れる部分でした『岩淵水門(いわぶちすいもん)』というところです。
台風の時は、泥の河が広がっています。ふだんは陸地のところが、大量の川の水に沈んでいます。
川の水があふれたらたいへんなことになります。ほんとうにあふれることがありそうです。やばい。
次のページの写真では、さらに、台風19号の時に水の高さが7.17mまできましたと説明がありました。二階建ての家の屋根ぐらいの高さだと思います。水があふれたら、屋根の上で助けを待てるか、それとも流されてしまうか微妙な高さです。こわい。
5ページにある目次に『第4章 今の時代の荒川と、わたしたち』があります。
「浸水しても、しばらく生活ができるまちをつくる」とあります
浸水後、どうやって、その場所で生活ができるのだろうか。(あとから読んでみます)
8ページの『第5章 荒川と世界の未来のためにできること』では、プラスチックごみのことが書いてあります。プラスチックは便利ですが、ごみで自然界に捨てられるとたいへん迷惑なことになります。
『はじめに』から読み進んで行きます。
荒川の水の流れ:埼玉県→東京都→東京湾 長さ173km 日本で15番目の長さ
2回川の流れが人の手で変更された。
最初の状態:江戸時代の前は、今よりもずっと東の位置を流れていた。100年ちょっと前、今の荒川が流れているところは田畑だった。現在の『墨田川』が荒川の下流だった。
川にはふたつの顔がある。
①大雨のときに人々を困らせる。
②人間に恵みをもたらしてくれる。
東京の特徴は川の数がとても多いことだそうです。
墨田川、荒川、江戸川、多摩川(東京都の西と神奈川県との境目あたり)
13ページに荒川が、最初は東の位置を流れていたのに、だんだん西の方向へ位置が変わって行ったことがわかる地図があります。
① 江戸時代の前
② 江戸時代から明治時代(徳川家康がつくった徳川幕府がまちづくり計画で川の位置を西にずらしたのでしょう)
③ 現在:川の下流で、墨田川と荒川に分かれています。分岐点があります。(さきほどの写真にあった『岩淵水門』付近です)隅田川はもともとの荒川部分、新しい荒川の部分は新しい流れをつくったそうです。(明治時代以降に、国と東京都の都市計画でつくられた川の部分なのでしょう)
18ページに『人の力によって川がつくり変えられた』とあります。
400年前(江戸幕府が始まったころ)と100年前(明治時代が始まったころ)に変更があった。
川の工事をすることで、仕事が生れ、労働者の雇用が確保されるということがあります。(こよう:仕事につける)
雇用があれば、給料が支給され、支給されたお金は生活費の消費で、世の中を回ります。経済活動が活発になって、人々の生活が豊かになるということがあります。
なぜ、荒川の流れを変えたのか。
キーワードとして
①利水(りすい):流れる水を人間の生活のために利用する。
米をつくる。飲み水にする。水力発電に利用する。船による交通手段に利用する。(明治時代になるまで、鉄道はなかった)大量の荷物は船で運搬していた。
②治水(ちすい):大雨がもたらす洪水から人命や農作物を守る。(墨田川のまわりを洪水から守るために荒川がつくられた。岩淵水門のところで、水の流れをせき止めて、水の流れをコントロールする。水を荒川に流して、墨田川のまわりのまちを水害から守る)
昔いた人たちが子孫のことを思って、治水事業をやってくれた。(感謝です)
流域(りゅういき):川の周辺
28ページに『……もう一つのこの本のテーマは、今の時代を生きるわたしたちは……』とあるのですが、「もう一つ」の前にあるひとつめのテーマがなんなのかがわかりませんでした。
ページを戻ってめくりなおしてみましたがはっきりしません。
これまでのこと(過去)を知るということだろうか。(謎をさぐる)
ちなみに、「もう一つ」のほうは、未来のことのようです。
埼玉県立川の博物館学芸員羽田武朗さん登場です。
荒川についての展示があるそうです。
江戸時代は、川船が海からの風を利用して、上流に向かって動いていたそうです。おどろきました。ゆっくりで、目的地まで、五日間ぐらいかかったそうです。時間はいくらかかってもかまわない時代だったのでしょう。いまほど、時間厳守ではなかった時代だったと思います。(今の埼玉県上尾市-今の東京都足立区・荒川区)川の流れがおだやかだったから上流へ移動できたそうです。
荒川の埼玉県内流域は、県内の三分の二だそうです。(へぇー 広いんだあ)
わたしは12歳ぐらいのころ、東京都内から午後遅くの電車に乗って、埼玉県内を通り、群馬県、途中の駅で乗りかえて、栃木県の山奥まで移動したことがあります。
埼玉県内はずーっと田畑が広がっていました。この本では、昔の埼玉は農業が盛んだったと書いてあり実感があります。夕暮れ時の車窓の外には、農地が広がっていました。
もともと荒川だった部分が、岩淵から『墨田川』になったそうです。
隅田川は、スカイツリーを見学に行ったとき、ツリーのそばを流れていました。
隅田川と京都の鴨川は、人々がほとりでゆっくりできる点で似ていると感じます。
隅田川は、流れている区域で、千住川(せんじゅがわ)、浅草川、大川、隅田川などとバラバラの呼び名(通称名)だったそうです。『河川法』という法律で、墨田川と定められています。やはり、社会生活の基本は『法律』です。『法律』は大事です。
1700年代の江戸の人口は100万人に達していたそうです。今の仙台市ぐらいの規模です。
緊急用河川敷道路:荒川の両岸の道路のことです。大地震が起きた時は、消防や救急ほかの専用道路になるそうです。
荒川の歴史がつづられていきます。
荒川の発展は江戸時代以降だそうです。徳川幕府徳川家康さんのおかげです。家康さんが江戸に来たのは1590年です。関ケ原の合戦が1600年です。
その昔、7000年ぐらい前の縄文時代前半、関東平野の内陸部まで海だったそうです。高いところから土砂(どしゃ)が運ばれてきて陸地ができた。『沖積平野(ちゅうせきへいや)』というそうです。
荒川のほかに、利根川、渡良瀬川(わたらせがわ)が紹介されています。
豊臣秀吉は、徳川家康にいやがらせをして、もともと徳川家康がもっていた東海地区の土地を取り上げて、利用価値のない関東を徳川家康に与えたということは、ずばりそのとおりではないそうです。
当時の江戸は、水上交通の要所であったことから、にぎわっていたそうです。けして、何も無いさびしいまちではなかったと書いてあります。
家康が来る100年前、江戸城主の太田道灌(おおたどうかん)という武将のところをたずねたお坊さんが残した記録があるそうです。お城の横の港にはたくさんの船が集まっていた。毎日市場(いちば。ショッピングセンター)が開催されていた。千葉県の米、茨城県のお茶、長野県の銅などが取引されていた。けっこうにぎやかだったそうです。
物流が行き交い、商売ができるところには、お金と人が集まります。
『品川』は立派な港町だったそうです。東海地方、紀伊半島から、船で、品物が運ばれたり、品物を運んだりしたそうです。
熊じいさんは、新幹線の品川駅でよく乗り換えをします。今はとても港町とは思えません。江戸時代の面影はないのでしょう。
土木技術の進歩:領民の信用と信頼を得るために、領民に利益をもたらさなければ、領地の統治はできません。毎年ちゃんと農作物がとれる。川を流れる水をコントロールしなければなりません。たんぼに水が流れるように土木工事をしなければなりません。道路や橋も必要です。
広い土地をどう利用したらいいのかという都市計画の発想がいります。人手もいります。雇用の確保ができます。仕事があれば、給料があって、経済が回ります。
武士の目から見て、関東平野には、無限の可能性が広がっていたことでしょう。
江戸のまちが発展します。
(つづく)
1616年 徳川家康 死没 73歳 おつかれさまでした。
家康の都市計画の意図を継いだのが、伊奈忠治で、荒川の位置を東から西に変えたそうです。もともとあった川へ水の流れを誘導した。(荒川西遷(あらかわせいせん):1629年。久下(くげ)の南を流れる和田吉野川に流した)
埼玉県東部の開発について書いてあります。
利根川の開発について書いてあります。
荒川と同様に伊奈忠治の名前が出てきます。
仕事とはいえ、偉業を成し遂げておられます。
昔の職業は、世襲でした。(せしゅう。親の仕事を子が引き継ぐ)
開発に携わった人たちの名前と事業内容が続きます。
100年後、井沢弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが):利根川の水から用水路を引き、水を 埼玉県東部に流した。(見沼代用水みぬまだいようすい)
メリットとデメリットについて書いてあります。江戸時代の土木技術ではできなかったこともある。
損と得を比較して、どのあたりで、線引きをするか考える。
一定線の得をするために、犠牲があってもやむを得ないとするのです。
舟運(しゅううん):船による運搬や移動
堤(つつみ)のことが書いてあります。
地域を高い盛り土で囲って地域を水害から守るのです。『大囲堤(おおかこいつづみ)』
日本堤:荒川の西側
墨田堤:荒川の東側
評定所:江戸時代の裁判所のようなもの
水塚(みづか):屋敷の敷地の一部に盛り土(数十センチから2mぐらい)をして、そこに「くら」という建物を建てて、洪水のときは、「くら」に逃れる。くらを高くすると台風の時にとばされる危険があるので、「牛梁合掌づくり(うしばりがっしょうづくり)」というつくり方をする。二階の天井は低くする。まんなかだけ高くして、左右は屋根の傾きを急にする。
日本各地にいろんな暮らし方があります。
洪水は、上流から栄養がある土を運んでくれるメリットがあった。
荒川の流れを利用して船の運搬が盛んに行われたようすが、85ページの地図でわかります。下流から上流へ移動するときは、南から吹く海風を帆にあてて上流へ移動するとききました。
埼玉県の川越市が小江戸と呼ばれるわけがわかりました。川が幹線道路のようなものです。
河岸場(かしば):船着き場。鉄道の駅のように、船の駅のようなもの。
松平信綱(まつだいら・のぶつな):1689年川越藩主になって、家来たちが『九十九曲がり(くじゅうくまがり)』という曲がりくねった川の流れをつくり、河岸場(かしば。船着き場。川の駅ですな)をつくって整備したそうです。思うに、駅ができれば、宿場もできるような気がします。まちがにぎわいお金で潤います。(うるおいます)
曲がった川は、水面がゆるやかに流れて、水の量を一定の量で管理できます。舟の運航が安定します。
さきほども書きましたが、うんちとしっこが有益な肥料として重宝され舟で運搬されて、商売の取引の商品になります。ゴミ処理の(排尿・排便)の模範です。リサイクルです。江戸100万人のおしっこ・うんこが宝になったのです。おしっこ・うんこのおかげで、たくさんの農作物ができます。生活環境を守る衛生面でも効果が絶大にあったことでしょう。おしっこ・うんこを運ぶ舟を『葛西船(かさいぶね)』と言ったそうです。そこの部分を読んで、わたしは、葛西臨海公園に行ったことがあるのですが、荒川の河口にある『葛西(かさい)』という地名が、葛西舟と関係があるのだろうと思いました。
野菜の生産分布の説明があります。野菜の賞味期限でつくる野菜の種類が変わるのです。
江戸のまちを起点として、日もちがしないものは江戸のまちの近くで生産する(ネギやナス)。日もちのするものは、江戸から少し離れたところで生産する(ダイコンやごぼう)。
こう考えてみると、人間の知恵は無限です。江戸時代の人たちも暮らしを豊かにするために一生懸命ものごとを考えたことがわかります。
本は、第3章に移りました。東京を水害から守る! ~荒川放水路の建設~と標題があります。荒川をふたつに分けて、今の墨田川を荒川として、分けた新しい川を荒川放水路としたことは、これまでに読んだページの記事で理解しました。
なかなか情報量が豊富な本です。
94ページまできましたが、これまでに新しい知識となるいくつもの情報に触れました。
1868年(明治元年)、江戸時代が終わって、明治という元号の新しい時代がスタートです。
これまでの鎖国政策は、終わって、開国をして、外国とつきあっていかなければなりませんが、日本の技術力は欧米と比較してかなり遅れています。ぼーっとしていると、外国の植民地にされてしまう危険性があったとわたしは考えました。
都市『江戸』が『東京』に変わりました。
このころの急激な変化にさらされた明治の人たちは、新しいものに感激して、驚き半分、変化したくない気持ち半分だったような気がします。
そして、明治時代の人たちは、とてもがんばったと思うのです。
昔荒川、今墨田川だった両岸に工場が広がる。セメント工場、化学肥料工場、造船所、紡績工場、染料工場、製紙工場、聞いただけで、川に汚水が流されて、川が公害の発生源になりそうですが、この本では公害のことについては触れられていません。(読み進めていたら179ページに川の汚れのことが出てきました)
水害として、以下の年で、荒川(今の墨田川)の川の水が川からあふれたそうです。
1896年(明治29年)
1902年(明治35年)
1910年(明治43年)8月
水害から町を(どちらかといえば工場をなのかも)守るために、荒川を途中で分岐して、荒川の放水路をつくる計画が生まれます。
『立ち退きと移転』があります。
新しく川(放水路)になるところに住んでいる人や農地は、そこをどかなければなりません。
これは、現在における一般道路の拡幅や自動車専用道路の新設時にも同じことが起きます。明治時代だと、あとは、鉄道線路や駅施設等の設置があったことでしょう。
本には、そのようなことが書いてあります。『荒川放水路物語 絹田幸恵 新草出版』とあります。
1300軒が移転したそうです。
(つづく)
読み終えました。
前半は荒川のこれまでの歴史、次に洪水災害対策を中心とした防災の話、最後は自然環境保護のお話という流れでした。
94ページ以降の感想を書き足していきます。
今の墨田川(昔の荒川)両岸にたくさんの工場が建てられた。
今の荒川部分(昔は荒川放水路部分)をつくる工事のやり方について書いてあります。
1913年(大正2年):手掘りで工事開始。低水路(ふだん川の水が流れている)。高水路(洪水になりそうな水量が増えたときに水面の部分になる。この部分は「エキスカベーター」という機械を使用する)。浚渫船(しゅんせつせん。低水路の川底を深く掘る)
1924年(大正13年):荒川放水路は、上流から下流までつながる。浚渫船でさらに工事を進める。
1930年(昭和5年):荒川放水路が完成した。
青山士(あおやま・あきら):荒川放水路建設における重要人物。東京帝国大学で土木工学を学んで、パナマ運河の建設に約7年半の間従事した。(南北アメリカ大陸のつなぎ目を切って、太平洋と大西洋をつなぐ運河にした。パナマ共和国にある。工事期間は、1904年-1924年)
青山士はパナマ運河建設の経験を生かして、荒川放水路の工事において、岩淵水門の基礎工事を堅牢なものに仕上げた。(けんろう:がんじょう。しっかりして壊れにくい)
きちんとしたものを造るためには、厳しくて頑固(がんこ)な人材が必要です。『なれあい』では、いいものは仕上がりません。なれあい:利害関係者による手抜きによる不当利得の取得
1923年9月1日(大正12年)関東大震災発災するも青山士が工事を指揮した『岩淵水門』はびくともしていなかった。同水門は、新たな水門に変わる1982年(昭和57年)まで供用された。
青山士は、チームワークを大切にした。
事故に備えて労災保険を取り入れた。
そこの部分を読みながら、戦争における戦傷病者に対する本人や遺族への給付もあったのだろうと思いつきました。
青山士は、関東大震災発災時に差別攻撃の対象にされた朝鮮人工事従事者をかくまったとあります。お互いに信頼関係がなければきちんとした工事はできません。青山さんは、偉い!
埼玉県のある荒川中流から上流でも水害対策工事が進められます。1918年(大正7年)開始。途中、第二次世界大戦をはさんで、1954年(昭和29年)に工事が終了しています。37年間かかりました。
読んでいて思うに、舟で食べていた人たちもいたわけで、川が整備されて舟の利用が減り、仕事がなくなった人たちもけっこうな数いたと思うのですが、なにか補償があったのか、それとも長い年月の間に自然と産業が舟から鉄道、舟から自動車に代わっていったのかはわかりません。たぶんそういう変化があったと想像します。荒川整備工事に対する反対運動があったかもしれません。
舟から鉄道への移送手段の変更は、全国的なものだったことでしょう。
洪水時の水の流れをゆるくするためのものとして『横堤(よこてい)』が紹介されています。
川に沿って、横向きに土(堤つつみ)の出っ張りがあります。
第4章が、「今の時代の荒川と、わたしたち」とあります。
ずいぶん昔のはなしですが『カスリーン台風』というのが出てきます。1947年(昭和22年)でした。
川の水位が、8.6mまで上昇したそうです。
荒川と利根川で堤防が決壊したそうです。
荒川放水路があったおかげで、大規模災害の発生を避けることができたそうです。
令和元年東日本台風(2019年 台風19号)がきたとき、荒川の水位は、7.17mだったそうです。
墨田川と荒川放水路はもちこたえたそうです。
調節池というものの説明があります。
ダム、調節池、放水路など、川の水の量や流れをコントロールするためにいろいろな手段が用いられています。
地球温暖化の話が出ます。
わたしがこどもの頃と比較して気候が変化してきています。
台風が来る時期とかルートが半世紀前とは違ってきています。昔は、九州地方へ秋ごろに来ていました。今は、初夏から本州を縦断するようなルートで北上してきます。そして、ときに、スーパー台風というものすごい暴風のときがあります。
石油とか石炭、天然ガスなどの化石燃料を燃やすことによって空気中の二酸化炭素が増えて、地球の記憶があがるのが地球温暖化の原因ととられています。
自動車が出す排気ガスが大量だったことが大きな原因と思われます。世界は今、排気ガスを出さない電気自動車へ転換する変化のなかにあります。
『流域治水』という言葉が出てきます。
あふれる水を受け入れる、ためておくために、田んぼを利用する。『田んぼダム』です。
たまりそうな水を地下水へと流す。『浸透ます』の利用です。
下水処理の方法も詳しく書いてあります。
分流式(汚水と雨水は別々)と合流式(ふたつがいっしょ)がある。合流式は、下水処理後川に流す水の量が多いので、大雨のときは、台所やおふろの水を流すことを控えてもらうそうです)人口が多い東京はとくに効果があるそうです。人が多いとメリットもあるしデメリットもあります。そういうやりかたを『流域治水』というそうです。
ひとりひとりの心がけが大切です。
川が氾濫した時に災害にあいやすい地域があります。下町と呼ばれる墨田区、江東区、足立区、葛飾区、江戸川区とあります。(江東五区と呼ぶそうです)
地盤沈下の話が出ます。4mぐらい地盤が沈下したところもあったそうです。かなりひどい。
工場用地下水のくみ上げが地盤沈下の原因です。組み上げられた地下水は、工業用水として利用されます。
洪水発生時の避難について書いてあります。
まずは、自分のことは自分でやる。自分の命は自分で守る。自分で自分の命を救わねばなりません。自立と自活の意識が必要です。
だれかにやってもらおうと思っていたら災難から逃げ遅れます。
東日本大震災のときの津波から自分の命を守る『津波てんでんこ』を思い出しました。(てんでんばらばらに急いで早く逃げろ!)
葛飾区の話が出ます。
観光で亀有を訪れた時のことを思い出しました。
両津勘吉、こちら亀有公園前派出所です。
荒川、江戸川、中川、新中川、綾瀬川、大場川が流れているそうです。たくさんありますなあ。
『浸水対応型市街地構想』というプランがあるそうです。
これから30年かけて次のようにするそうです。
・10年後までに:緊急的に避難できるマンションなどの高い建物の数を増やす。分譲マンションの管理組だと思いますが、行政と協定を結ぶそうです。
・20年後までに:マンションに太陽光発電パネルと蓄電池を設置する。停電に備えるため。
・30年後までに:マンション内に備蓄庫を設置する。ふだんから食べ物や生活用品を保管しておく。ゴムボートも用意しておく。
(この部分を読んで、実現はかなりむずかしいと考えました。最近は、どこもオートロックのマンションばかりです。備蓄庫を設置するスペースが分譲マンションにあるとは思えませんし、食料の保管は管理が必要です)
避難所になる学校の体育館は二階以上に設置する。
これはすでに実行されていると思います。
東京23区内は人口が多すぎます。
被災した時は、まずは、23区内から離れたほうがいいと自分は考えます。
1995年(平成7年)1月の阪神淡路大震災のことが書いてあります。
わたしも仕事で翌月の2月に現地へ行きましたが悲惨な状況でした。
あれからずいぶん経ちました。時の流れは早い。
地域を支えていくのは小学生と中学生とあります。加えて、町内会の役員となるのでしょうが、役員さんはどこも昼間自宅にいる年金生活者の高齢者が多い。こどもも年寄りも、いざというときは、災害弱者です。なかなか本に書いてあるとおりにはうまく事は運びません。
本に書かれてある文章は、災害ボランティアの部分のような記述になってきました。
洪水ハザードマップがあります。自分の家が浸水する可能性があると指摘されても引っ越しが簡単にできるわけでもありません。その時はその時とあきらめる年寄りもいます。(その時:災害発生時)
本の内容は、災害対応マニュアル(手引き)のようになっていきます。
川の汚れ、汚染のことが出てきます。汚いものを墨田川などの川に流すので、悪臭、有毒ガスなどが発生します。
人間の健康よりも『金、カネ、カネ』で、お金もうけが最優先の時代がありました。人命よりも会社のもうけが大事なのです。汚いから川を埋めたててくれという要望はいささか乱暴です。それでも埋めたところもあるそうです。川や運河が道になったそうです。人間は欲深い生き物です。
昭和40年代は『ヘドロ』という言葉をよく耳にしました。1965年代。その前から、日本のあちこちで体が奇形になったりする深刻な公害病が発生しました。
話はさらに飛び『プラスチックごみ』のことになりました。
ペットボトルとか、レジ袋とか、食べた生き物が死んでしまいます。プラスチックごみを食べた魚が食用として提供されたら、それを食べる人間の体にも悪影響がありそうです。こわい。
ずいぶん長い感想メモになってしまいました。
疲れました。
前半の徳川幕府がからんだ歴史の部分がおもしろかった。川と人間との共存がありました。現代に向かうにしたがって、人間が川を、力で押さえつけるイメージがありました。
2023年05月13日
化石のよぶ声がきこえる天才恐竜ハンターウェンディ・スロボーダ
化石のよぶ声がきこえる 天才恐竜ハンター ウェンディ・スロボーダ 作・ヘレイン・ベッカー 絵・サンドラ・デュメイ 訳・監修 木村由莉 くもん出版
本のカバーと帯を読みました。
ウェンディ・スロボーダという女性が、新しい恐竜の化石を発見して、その恐竜の名前が『ウェンディケラトプス』と名付けられたというふうに読めます。
熊太郎じいさんが発見したらどんな恐竜の名前になるのだろう。考えました。『クマタロウケラトプス』ですな。うむ。覚えやすくてなかなかいい感じです。
作者と絵描きさんはカナダの人ですな。トロントとか、ケベック州とか、カナダの地名が本のカバーに出ています。カナダには恐竜の化石があるのでしょう。
調べたらカナダにある世界遺産として『州立恐竜公園』というところが見つかりました。都市カルガリーの東にあるそうです。昔、冬季オリンピックが開催されたのが、カルガリーでした。1988年。昭和63年でした。
さて、絵本を読み始めます。
訳者は、東京にある国立博物館の方です。
熊じいさんは、その昔、小学生の息子といっしょに新幹線に乗って東京国立博物館へ恐竜見学に行ったことがあります。
数年前、母親になった娘が、孫たちを連れて同じく国立博物館を見学に行ったときの写真を見せてくれたことがあります。
ちびっこは、恐竜が好きですな。
世代を変えながら東京国立博物館で恐竜見学を楽しみます。
読みだす前の前知識として、自分でつくった手書きの歴史ノートを見てみます。
宇宙の始まりが、138億年前
地球の誕生が、46億年前
恐竜時代が、紀元前2億年から紀元前6600万年前 三畳紀とジュラ紀と白亜紀がある。
日本の縄文時代が、1万年前から紀元前11世紀 青森県にある三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を見学したことがあります。
弥生時代が、紀元前10世紀から紀元後(西暦)3世紀ごろ 佐賀県吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)が有名です。こちらも見学したことがあります。
恐竜時代というのは、はるかかなたの大昔ですなあ。
(さあ、読み始めます)
髪の長い女の子が登場します。金髪です。主人公のウェンディ・スロボーダのこども時代でしょう。小学校6年生か中学1年生ぐらいに見えます。(あとから12歳と出てきます。絵では、小学生に見えます。カナダのアルバータ州というところに住んでいるそうです)
こども時代は知識欲が旺盛です。(おうせい:活発)
冒険心も旺盛です。
少女ウェンディ・スロボーダは野山を走り回ります。
石、植物、鳥の羽、なんでも興味が湧きます。
気に入ったものがあれば、写真をとって部屋に飾ります。
この絵本は、ページが広がるしかけ絵本になっています。
アーケロン:恐竜の名前でしょう。ウミガメです。
スクアリコラックス:イルカかサメみたい。
エラスモサウルス:ウミヘビみたい。
パキリゾドゥス:カジキマグロみたい。
不思議です。
大昔、海だったところが、今は山の上です。ということは、これから何千万年もたったら、地球の地形は今とは違ってくるのでしょう。地球は生きています。ずいぶんゆっくりと変化しています。
化石探しをする場所:バックランドにあるデビルズ・クーリーというところだそうです。
絵本の中では、ウェンディ・スロボーダは、17歳になりました。
この絵本は、ウェンディ・スロボーダの半生を記す伝記ですな。
17歳のウェンディ・スロボーダは、さきほど書いたデビルズ・クーリーで、なんと、恐竜の卵の化石を見つけたそうです!
その卵の中には、恐竜のあかちゃんの化石が入っていたそうです!!
『ヒパクロサウルス』のあかちゃんでした。頭と足、体全体の骨格がわかります。
びっくりです。
ウェンディ・スロボーダは、成人後、ロイヤル・ティレル古生学博物館に勤務しています。なかなか自分の好きなことを仕事にできる人はいません。たいしたものです。長時間、夢中になって研究をした成果でしょう。努力されて、運もあったのでしょう。
カナダアルバータ州ミルク・リバーの近くで、ウェンディ・スロボーダによる新種の恐竜の発見があります。
トリケラトプスに似た恐竜です。
(これを書いている手を休めて、机の引き出しを開けてみました。トリケラトプスの絵描き歌が書いてある紙が出てきました。イチゴのヘタを書いて、ごまがふたつ、さつまいもをのせて、つのを書いたらトリケラトプスのできあがりです。動物園にいるサイみたいな姿をした恐竜です)
化石の掘り出しには4年以上かかったそうです。
ウェンディ・スロボーダが発見した新種の恐竜は、『角竜類(つのりゅうるい)』に属するそうです。
新種の発見のときは、発見者の名前をもとにして恐竜の名前が付けられるのでしょう。星についてもそんな話を聞いたことがあります。
『ウェンディケラトプス 白亜紀後期 およそ、7900万年前』と表示されています。ウェンディさん、良かったですねえ。
この絵本を読み始めたとき、熊じいさんは、新種の恐竜というのは、ティラノサウルスの仲間だと思って読み始めましたが、トリケラトプスのほうでした。
ティラノサウルスは、肉食で、走りながら獲物を追いかけます。怖い恐竜です。(ティラノサウルスの絵描き歌は、おやまの下にホチキスを書いて、三日月が出てきて、もひとつおやまで、ねっこが生えたらティラノサウルスのできあがりです)
絵本のお話は、そこまでで終わりです。そのあとは細かい説明文があります。
自分なりの恐竜の大きさのイメージとしては、恐竜の体は『車』です。軽自動車から大型トラックまであります。海にいる生き物は船とか潜水艦ですな。
学者になるということは、その道を究めるということで(きわめる:つきつめる)凡人(ぼんじん。ふつうの庶民(しょみん))にはなかなかできることではありません。恐竜学者として働いて生活していくための給料をもらえる組織はそれほどありません。
一般的に、庶民は利潤(利益)を追いかける仕事に就きます。好きなことは、趣味にとどめます。
絵本を読んだお子さんには、そんなことも教えてあげたい、ちょっといじわるなおとなの熊じいさんです。
本のカバーと帯を読みました。
ウェンディ・スロボーダという女性が、新しい恐竜の化石を発見して、その恐竜の名前が『ウェンディケラトプス』と名付けられたというふうに読めます。
熊太郎じいさんが発見したらどんな恐竜の名前になるのだろう。考えました。『クマタロウケラトプス』ですな。うむ。覚えやすくてなかなかいい感じです。
作者と絵描きさんはカナダの人ですな。トロントとか、ケベック州とか、カナダの地名が本のカバーに出ています。カナダには恐竜の化石があるのでしょう。
調べたらカナダにある世界遺産として『州立恐竜公園』というところが見つかりました。都市カルガリーの東にあるそうです。昔、冬季オリンピックが開催されたのが、カルガリーでした。1988年。昭和63年でした。
さて、絵本を読み始めます。
訳者は、東京にある国立博物館の方です。
熊じいさんは、その昔、小学生の息子といっしょに新幹線に乗って東京国立博物館へ恐竜見学に行ったことがあります。
数年前、母親になった娘が、孫たちを連れて同じく国立博物館を見学に行ったときの写真を見せてくれたことがあります。
ちびっこは、恐竜が好きですな。
世代を変えながら東京国立博物館で恐竜見学を楽しみます。
読みだす前の前知識として、自分でつくった手書きの歴史ノートを見てみます。
宇宙の始まりが、138億年前
地球の誕生が、46億年前
恐竜時代が、紀元前2億年から紀元前6600万年前 三畳紀とジュラ紀と白亜紀がある。
日本の縄文時代が、1万年前から紀元前11世紀 青森県にある三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)を見学したことがあります。
弥生時代が、紀元前10世紀から紀元後(西暦)3世紀ごろ 佐賀県吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)が有名です。こちらも見学したことがあります。
恐竜時代というのは、はるかかなたの大昔ですなあ。
(さあ、読み始めます)
髪の長い女の子が登場します。金髪です。主人公のウェンディ・スロボーダのこども時代でしょう。小学校6年生か中学1年生ぐらいに見えます。(あとから12歳と出てきます。絵では、小学生に見えます。カナダのアルバータ州というところに住んでいるそうです)
こども時代は知識欲が旺盛です。(おうせい:活発)
冒険心も旺盛です。
少女ウェンディ・スロボーダは野山を走り回ります。
石、植物、鳥の羽、なんでも興味が湧きます。
気に入ったものがあれば、写真をとって部屋に飾ります。
この絵本は、ページが広がるしかけ絵本になっています。
アーケロン:恐竜の名前でしょう。ウミガメです。
スクアリコラックス:イルカかサメみたい。
エラスモサウルス:ウミヘビみたい。
パキリゾドゥス:カジキマグロみたい。
不思議です。
大昔、海だったところが、今は山の上です。ということは、これから何千万年もたったら、地球の地形は今とは違ってくるのでしょう。地球は生きています。ずいぶんゆっくりと変化しています。
化石探しをする場所:バックランドにあるデビルズ・クーリーというところだそうです。
絵本の中では、ウェンディ・スロボーダは、17歳になりました。
この絵本は、ウェンディ・スロボーダの半生を記す伝記ですな。
17歳のウェンディ・スロボーダは、さきほど書いたデビルズ・クーリーで、なんと、恐竜の卵の化石を見つけたそうです!
その卵の中には、恐竜のあかちゃんの化石が入っていたそうです!!
『ヒパクロサウルス』のあかちゃんでした。頭と足、体全体の骨格がわかります。
びっくりです。
ウェンディ・スロボーダは、成人後、ロイヤル・ティレル古生学博物館に勤務しています。なかなか自分の好きなことを仕事にできる人はいません。たいしたものです。長時間、夢中になって研究をした成果でしょう。努力されて、運もあったのでしょう。
カナダアルバータ州ミルク・リバーの近くで、ウェンディ・スロボーダによる新種の恐竜の発見があります。
トリケラトプスに似た恐竜です。
(これを書いている手を休めて、机の引き出しを開けてみました。トリケラトプスの絵描き歌が書いてある紙が出てきました。イチゴのヘタを書いて、ごまがふたつ、さつまいもをのせて、つのを書いたらトリケラトプスのできあがりです。動物園にいるサイみたいな姿をした恐竜です)
化石の掘り出しには4年以上かかったそうです。
ウェンディ・スロボーダが発見した新種の恐竜は、『角竜類(つのりゅうるい)』に属するそうです。
新種の発見のときは、発見者の名前をもとにして恐竜の名前が付けられるのでしょう。星についてもそんな話を聞いたことがあります。
『ウェンディケラトプス 白亜紀後期 およそ、7900万年前』と表示されています。ウェンディさん、良かったですねえ。
この絵本を読み始めたとき、熊じいさんは、新種の恐竜というのは、ティラノサウルスの仲間だと思って読み始めましたが、トリケラトプスのほうでした。
ティラノサウルスは、肉食で、走りながら獲物を追いかけます。怖い恐竜です。(ティラノサウルスの絵描き歌は、おやまの下にホチキスを書いて、三日月が出てきて、もひとつおやまで、ねっこが生えたらティラノサウルスのできあがりです)
絵本のお話は、そこまでで終わりです。そのあとは細かい説明文があります。
自分なりの恐竜の大きさのイメージとしては、恐竜の体は『車』です。軽自動車から大型トラックまであります。海にいる生き物は船とか潜水艦ですな。
学者になるということは、その道を究めるということで(きわめる:つきつめる)凡人(ぼんじん。ふつうの庶民(しょみん))にはなかなかできることではありません。恐竜学者として働いて生活していくための給料をもらえる組織はそれほどありません。
一般的に、庶民は利潤(利益)を追いかける仕事に就きます。好きなことは、趣味にとどめます。
絵本を読んだお子さんには、そんなことも教えてあげたい、ちょっといじわるなおとなの熊じいさんです。
2023年05月12日
出川哲郎の充電させてもらえませんか? 熊本県天草
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 熊本県天草(あまくさ)富岡城→永尾剱神社(えいのおつるぎじんじゃ) 東海地区放送4月8日と15日 テレビ東京
撮影地付近に幼児期と中学生のときに二か月ぐらいだけ住んでいたことがあります。
海の色が美しかったという記憶が残っています。番組では夕日の名所の話が出ますが、島の西側ならどこで見ても夕日が沈むころは絶景です。
朝方には、海面をたくさんのトビウオがロングジャンプをしていたのを路線バスのシートに座って見ていたことがあります。
天草下島(あまくさしもじま)へは、成人してからは二回訪問しました。二十歳のころと五十歳手前のころでした。
冒頭で番組の紹介がある富岡城は、二回目の訪問時に見学しました。
まだ自分がこどもだったころに歩いたり、路線バスに乗ったりした道が映像に映ってなつかしかった。当時の道路は、まだアスファルト舗装はされていなかったという記憶です。砂ぼこりが舞いあがっていました。路線バスには女性の車掌さんが乗っていて車内で紙券の切符を売っていました。たしかそんな幼い頃の記憶です。
ロケ隊の一行(いっこう)は、とっても遠いところまでロケに行かれました。途中で地元の人が「こんなところまで(来るのか)」と驚かれていましたが同感です。島のふちっこで、すみっこです。東京からはとても遠い。
ゲストは、前半が千秋(ちあき)さんでした。
小柄で童顔なので若く見られます。地元の人に二十代後半に見られますが51歳です。
『おっぱい岩』での、地元の女性とのやりとりがおもしろかった。丁々発止(ちょちょうはっし。激しく言葉で対抗戦をするようす)でした。
千秋さん『(おっぱい岩という表現に対して)やらしい!』
地元の女性『まァーー あなた! 現実ですよ!!』
千秋さん『やらしい!』
地元の女性『(なんたらかんたら)よかですよ!』
みんなで、ハハハハハ(笑い)
だれだったか忘れましたがだれかの声で『ご利益(りやく)! ご利益!』
隠れキリシタンの踏み絵見学あたりの映像では、小説で、遠藤周作作品『沈黙』を思い出しました。
たしか、神さまが信者に言うのです。『踏みなさい。わたしを踏みなさい』。江戸時代の踏み絵のシーンでした。踏めば命を失うかもしれません。生きてこその信仰です。
館長さんもそのように説明されていました。
この島で生まれ育ち働いていくためには、水産高校か農業高校をめざすというような意識が、ここで過ごした中学のときの自分にはありました。
映像のなかで、大工(だいく)の方が『自分はこの島から71年間出たことがない』とおっしゃいました。冠婚葬祭とか旅行で、島の外に出られたことはあると思いますが、基本的には島内で人生を完結されるということでしょう。そういう方もおられるだろうという感覚の島です。
上島(かみしま)と下島(しもじま)があって、わたしが最初に島を離れた1965年ごろの昔は(昭和40年)、まだ橋はありませんでした。その後、天草五橋(あまくらごきょう)という橋がかけられました。番組の映像にもありますがとても美しいところです。
橋がなかったころは、冒頭に出てくる富岡城のそばにある港から長崎県へフェリーが出ていました。今もあると思います。自分はまだ幼かったのですが、乗船して、船酔いをした記憶があります。
7人姉妹が登場します。子だくさんの島というイメージがわたしにはあります。しかし、7人のこどもさん全員が女子というのは珍しい。にぎやかで華やかで明るいご家庭でしょう。
タンカーの船員でペルシャに行っていたという男性と奥さんのところがおもしろかった。
奥さんが、愚痴をこぼします。
定年退職後、家にずっといるだんなさんは奥さんにとってはやっかいものです。昼ごはんのしたくもたいへんです。(昼ごはんは、だんなさん自身で、自分で用意して食べてほしい。当然片付けも自分でしてほしい)
だんなさんには、昼間はどっかに行ってほしいそうです。お気持ちはわかります。定年退職後、男は、奥さんに負担をかけないようにしましょう。
お肉がおいしそうでした。
カルビ、ハラミ、牛タン、すき焼きもいい。
出川さんたちメンバーが、七年前に泊まった民宿に泊まります。
優しい(やさしい)おかみさんです。
仲良しのご夫婦とたぶんお孫さんたちでしょう。
『出川さんが、来らしたとよーー(こらしたとよーー)』
テレビで観た記憶がある食堂の部屋です。
朝食でカワハギ料理のことが話に出ます。
60年ぐらい前、わたしも現地でカワハギをよく食べました。
朝早く、行商の人が魚を売りに来ていた記憶があります。
乾かしたカワハギの皮で鉛筆の芯(しん)をけずって、とんがらせていたことも思い出しました
島は自然に包まれています。
海の反対側は山で、出川さんたちは、山の中の道を電動バイクで走って進みます。
全国の地方を走り回って、電動バイクの走行距離も相当伸びていることでしょう。
電池が切れてからの『充電させてください』の声かけは勇気がいります。
人気者の出川さんなら、話がすっと受け入れてもらえますが、ゲストが声をかける場合は、微妙なときもあります。
今回の田村亮さんは、かなりがんばられました。
映像を見ていて、島では、全体的にお年寄りとこどもさんが多い。
中間層の年齢の人たちはどこかで働いている時間帯なのでしょう。
農林水産業、観光業で生活していく島です。
撮影地付近に幼児期と中学生のときに二か月ぐらいだけ住んでいたことがあります。
海の色が美しかったという記憶が残っています。番組では夕日の名所の話が出ますが、島の西側ならどこで見ても夕日が沈むころは絶景です。
朝方には、海面をたくさんのトビウオがロングジャンプをしていたのを路線バスのシートに座って見ていたことがあります。
天草下島(あまくさしもじま)へは、成人してからは二回訪問しました。二十歳のころと五十歳手前のころでした。
冒頭で番組の紹介がある富岡城は、二回目の訪問時に見学しました。
まだ自分がこどもだったころに歩いたり、路線バスに乗ったりした道が映像に映ってなつかしかった。当時の道路は、まだアスファルト舗装はされていなかったという記憶です。砂ぼこりが舞いあがっていました。路線バスには女性の車掌さんが乗っていて車内で紙券の切符を売っていました。たしかそんな幼い頃の記憶です。
ロケ隊の一行(いっこう)は、とっても遠いところまでロケに行かれました。途中で地元の人が「こんなところまで(来るのか)」と驚かれていましたが同感です。島のふちっこで、すみっこです。東京からはとても遠い。
ゲストは、前半が千秋(ちあき)さんでした。
小柄で童顔なので若く見られます。地元の人に二十代後半に見られますが51歳です。
『おっぱい岩』での、地元の女性とのやりとりがおもしろかった。丁々発止(ちょちょうはっし。激しく言葉で対抗戦をするようす)でした。
千秋さん『(おっぱい岩という表現に対して)やらしい!』
地元の女性『まァーー あなた! 現実ですよ!!』
千秋さん『やらしい!』
地元の女性『(なんたらかんたら)よかですよ!』
みんなで、ハハハハハ(笑い)
だれだったか忘れましたがだれかの声で『ご利益(りやく)! ご利益!』
隠れキリシタンの踏み絵見学あたりの映像では、小説で、遠藤周作作品『沈黙』を思い出しました。
たしか、神さまが信者に言うのです。『踏みなさい。わたしを踏みなさい』。江戸時代の踏み絵のシーンでした。踏めば命を失うかもしれません。生きてこその信仰です。
館長さんもそのように説明されていました。
この島で生まれ育ち働いていくためには、水産高校か農業高校をめざすというような意識が、ここで過ごした中学のときの自分にはありました。
映像のなかで、大工(だいく)の方が『自分はこの島から71年間出たことがない』とおっしゃいました。冠婚葬祭とか旅行で、島の外に出られたことはあると思いますが、基本的には島内で人生を完結されるということでしょう。そういう方もおられるだろうという感覚の島です。
上島(かみしま)と下島(しもじま)があって、わたしが最初に島を離れた1965年ごろの昔は(昭和40年)、まだ橋はありませんでした。その後、天草五橋(あまくらごきょう)という橋がかけられました。番組の映像にもありますがとても美しいところです。
橋がなかったころは、冒頭に出てくる富岡城のそばにある港から長崎県へフェリーが出ていました。今もあると思います。自分はまだ幼かったのですが、乗船して、船酔いをした記憶があります。
7人姉妹が登場します。子だくさんの島というイメージがわたしにはあります。しかし、7人のこどもさん全員が女子というのは珍しい。にぎやかで華やかで明るいご家庭でしょう。
タンカーの船員でペルシャに行っていたという男性と奥さんのところがおもしろかった。
奥さんが、愚痴をこぼします。
定年退職後、家にずっといるだんなさんは奥さんにとってはやっかいものです。昼ごはんのしたくもたいへんです。(昼ごはんは、だんなさん自身で、自分で用意して食べてほしい。当然片付けも自分でしてほしい)
だんなさんには、昼間はどっかに行ってほしいそうです。お気持ちはわかります。定年退職後、男は、奥さんに負担をかけないようにしましょう。
お肉がおいしそうでした。
カルビ、ハラミ、牛タン、すき焼きもいい。
出川さんたちメンバーが、七年前に泊まった民宿に泊まります。
優しい(やさしい)おかみさんです。
仲良しのご夫婦とたぶんお孫さんたちでしょう。
『出川さんが、来らしたとよーー(こらしたとよーー)』
テレビで観た記憶がある食堂の部屋です。
朝食でカワハギ料理のことが話に出ます。
60年ぐらい前、わたしも現地でカワハギをよく食べました。
朝早く、行商の人が魚を売りに来ていた記憶があります。
乾かしたカワハギの皮で鉛筆の芯(しん)をけずって、とんがらせていたことも思い出しました
島は自然に包まれています。
海の反対側は山で、出川さんたちは、山の中の道を電動バイクで走って進みます。
全国の地方を走り回って、電動バイクの走行距離も相当伸びていることでしょう。
電池が切れてからの『充電させてください』の声かけは勇気がいります。
人気者の出川さんなら、話がすっと受け入れてもらえますが、ゲストが声をかける場合は、微妙なときもあります。
今回の田村亮さんは、かなりがんばられました。
映像を見ていて、島では、全体的にお年寄りとこどもさんが多い。
中間層の年齢の人たちはどこかで働いている時間帯なのでしょう。
農林水産業、観光業で生活していく島です。
2023年05月11日
よるのあいだに 文・ポリー・フェイバー
よるのあいだに みんなをささえる はたらく人たち 文・ポリー・フェイバー 絵・ハリエット・ホブデイ 訳・中井はるの BL出版
第一印象は、きれいな絵だなあです。
読み終えてみて思うのは、絵はきれいでしたが、文章の内容は、どうかなあという感想です。
つっこみどころがあります。(指摘したい部分)
昼間働く人が『ふつう』で、夜働く人は『例外』という扱いで、夜働く人たちに感謝しましょうというテーマでした。
なんというか、働くということは、昼働いても夜働いても同じです。どちらが楽で、どちらが楽ではないとか、区別はありません。苦痛の代償が賃金です。自分で、どの苦痛だったら自分は耐えられるかを基準にして、自分の仕事を選ぶのです。この絵本の文章は、そこのところの基本を踏まえていない理屈の本です。
サービス業というものは、人が休んでいるときに働いて、人が働いているときに休むものです。
自分も四十代のころ、五年間ぐらい、土日出勤、火水休みの仕事をしていたことがあります。
家族たち、とくにまだ小学生低学年だったこどもには、かわいそうなことをしました。土日にいっしょに遊んでやれませんでした。
しかたがないのです。生活費を得るためには、家庭より仕事を優先させなければならないときがあります。
祝日に働いたり、夜中に働いたりもしました。年末年始やゴールデンウイークも働いて、お正月が過ぎてから休みをとったりもしました。それなりに、いいこともあるし、イヤなこともありました。
そんなことを思い出しながら、この絵本を読み始めました。
きれいな絵の表紙です。
黄色い窓の灯り(あかり)に温かい(あたたかい)人の気持ちが感じられます。
絵本の舞台は外国です。作者と絵を描いた人がイギリス人ですから、イギリスのどこかの都市のイメージでしょう。さしあたって、首都ロンドンです。
夕映えの空に鳥が飛んでいます。
鳥が飛ぶ影が、なにかしらわびしさを感じさせます。
登場する家族のいまのようすです。
パパ:主夫? 食器の洗い物をしています。
ママ:行ってきますと、出勤して行きました。(夜のお仕事? 水商売とか風俗業を想像します(違っていました))
こども:声だけします。女の子かな?
サミー:女性です。ビルのフロアーで床ふきの作業をしています。
夜、働く人に感謝しましょうという趣旨での文章が書いてあります。(夜働いている人は、昼間休んでいるからだいじょうぶですよ。静かな夜に淡々と働くことが好きな人もいます)
自分が不思議に思ったことです。絵本の絵では、かなり広いフロアーをサミーひとりで、モップをもって、床をこすっています。広い区域を清掃するときは、チームで行動します。3人なり、5人なりで、班長がいて、班長の指示に従って作業を進行させていきます。
清掃を依頼する側は、備品類を壊したり、盗んだりされないよう気をつけます。(世の中は厳しいのです。お互いの信頼関係は重要で大事です)
ビルの警備員の仕事が紹介されます。モニター監視です。警備員の名前は、ジョルジオです。モニターを長時間監視し続けるのは苦痛な仕事です。異常があったら、駆けつけるなり、警備会社本社や警察に通報しなければなりません。
ビルに迷い込んで来た鳥を助けた話が紹介されますが、微妙な事象です。助けたというよりもビルの敷地から排除した。鳥のことをかまっていられないときもあります。
警察官の話が出ます。ハッサンとアミーナ(女性)のふたりの警官が夜間パトロールで、ごみ置き場がキツネに荒らされている現場に出くわします。
都市部にキツネがいることにおどろかされます。
警察が、ごみの後片付けをするとは思えません。役所のごみ担当の部署に仕事をふるか、何もしないでしょう。
夜働く登場人物と仕事内容の紹介が続きます。
テレビ局です。
熊じいさんは、朝が早いのですが、テレビをつけて思うのは、ニュースキャスターの人たちは、今この時間(午前6時前とか)に生放送でニュースを読みあげているということは、今よりも二時間以上前ぐらいにはテレビ局に出勤して、放送内容の打合せをして、そして、今、仕事をしているということです。テレビ局内で寝泊まりしているのか、テレビ局のそばにあるホテルで寝泊まりしているのではないかと推理してしまうのです。
いまどきは、二十四時間営業のところがたくさんあります。交代制勤務もあります。働く時間帯は個々でバラバラです。
ミュージシャンです。アーチストの働く時間は、観客が見に来ることができる時間帯です。
絵本の中は、夜です。
「レムさん」という男性がステージ上でサックスホーンを吹いています。
(物語では、登場人物に「さん」の敬称はつけないほうが読みやすいです)
昼夜逆転の仕事を続けていると健康に良くないということはあります。毎年健康診断を受けましょう。
大多数の人たちは、昼間働いています。
夜、働く人は、夜じゃないと働けない事情をかかえている人もいます。夜、働くことが好きな人がいます。
人と話すことがにがてで、夜、なるべく人と話をしないでやる仕事を選択する人もいるでしょう。
夜間の車の運転(物資の輸送)なんかは、該当する気がします。ひとりでやる仕事です。
道路や鉄道の作業を夜間行う仕事があります。
人や車両が減る夜間が仕事をしやすい。
給料がいいということもあります。
夜間の労働は割増の賃金があったりもします。
救命救急士の仕事が出てきます。
交代制勤務の労働時間です。
自分自身の生活管理をしっかりしないと、自分が病気になったり、ケガをしたりします。
夜の仕事を継続していると、睡眠時間を十分とれなかったりもします。
短命につながるような気がします。
命をお金に変えているという実感があります。
病院では、夜間も医師や看護師が働いています。
医師だから長寿とは限りません。むしろ心身を酷使して、平均寿命よりも早く亡くなることが多いと医師が書いた別の本で読んだことがあります。
いまどきは、夜中に出産があるとは聞かなくなりました。まったくないとは言えませんが、事例としては少ないのではないか。
出産の時間帯をコントロールできるような気がします。
絵本では、夜中に生まれるあかちゃんのことが書いてあります。
絵本のページをめくると、朝焼けの風景が広がりました。
最初にもどって、昨日夕方出勤した女性の職業が紹介されます。ママのお仕事です。
『…… バスの運転をするのが、わたしのママ。』(始発のバスだろうか。いやいや流れとしては、長距離高速バス。夜通し走るバスではなかろうか。されど、それなら、帰宅するのは、出勤した翌々日ではなかろうか。遠方から戻ってくるのにもう一日がいります。ちょっとつじつまが合わず、わかりません)
次のページに『みんなのために、よるのあいだ、バスを運転するママ。』と出てきました。夜中じゅう市内を走る路線バスがイギリスにはあるのだろうか。わかりません。
ちっちゃい女の子が帰宅したママに感謝しています。そばにパパが立っています。パパは仕事に行かないのだろうか。(どうも、パパは主夫のようです。それとも、小説家かもしれません)
ママは、太陽光線が入ってくる部屋で、めかくしをして、おやすみをして、寝てしまいました。
なかなかすんなり喜べる内容でもありませんでした。
うわべだけの『感謝』のお話でした。
こどもさんは、学校へ行くから、母と娘はすれ違いの生活です。
母子関係として好ましいとは思えません。
絵を楽しむ絵本でした。
第一印象は、きれいな絵だなあです。
読み終えてみて思うのは、絵はきれいでしたが、文章の内容は、どうかなあという感想です。
つっこみどころがあります。(指摘したい部分)
昼間働く人が『ふつう』で、夜働く人は『例外』という扱いで、夜働く人たちに感謝しましょうというテーマでした。
なんというか、働くということは、昼働いても夜働いても同じです。どちらが楽で、どちらが楽ではないとか、区別はありません。苦痛の代償が賃金です。自分で、どの苦痛だったら自分は耐えられるかを基準にして、自分の仕事を選ぶのです。この絵本の文章は、そこのところの基本を踏まえていない理屈の本です。
サービス業というものは、人が休んでいるときに働いて、人が働いているときに休むものです。
自分も四十代のころ、五年間ぐらい、土日出勤、火水休みの仕事をしていたことがあります。
家族たち、とくにまだ小学生低学年だったこどもには、かわいそうなことをしました。土日にいっしょに遊んでやれませんでした。
しかたがないのです。生活費を得るためには、家庭より仕事を優先させなければならないときがあります。
祝日に働いたり、夜中に働いたりもしました。年末年始やゴールデンウイークも働いて、お正月が過ぎてから休みをとったりもしました。それなりに、いいこともあるし、イヤなこともありました。
そんなことを思い出しながら、この絵本を読み始めました。
きれいな絵の表紙です。
黄色い窓の灯り(あかり)に温かい(あたたかい)人の気持ちが感じられます。
絵本の舞台は外国です。作者と絵を描いた人がイギリス人ですから、イギリスのどこかの都市のイメージでしょう。さしあたって、首都ロンドンです。
夕映えの空に鳥が飛んでいます。
鳥が飛ぶ影が、なにかしらわびしさを感じさせます。
登場する家族のいまのようすです。
パパ:主夫? 食器の洗い物をしています。
ママ:行ってきますと、出勤して行きました。(夜のお仕事? 水商売とか風俗業を想像します(違っていました))
こども:声だけします。女の子かな?
サミー:女性です。ビルのフロアーで床ふきの作業をしています。
夜、働く人に感謝しましょうという趣旨での文章が書いてあります。(夜働いている人は、昼間休んでいるからだいじょうぶですよ。静かな夜に淡々と働くことが好きな人もいます)
自分が不思議に思ったことです。絵本の絵では、かなり広いフロアーをサミーひとりで、モップをもって、床をこすっています。広い区域を清掃するときは、チームで行動します。3人なり、5人なりで、班長がいて、班長の指示に従って作業を進行させていきます。
清掃を依頼する側は、備品類を壊したり、盗んだりされないよう気をつけます。(世の中は厳しいのです。お互いの信頼関係は重要で大事です)
ビルの警備員の仕事が紹介されます。モニター監視です。警備員の名前は、ジョルジオです。モニターを長時間監視し続けるのは苦痛な仕事です。異常があったら、駆けつけるなり、警備会社本社や警察に通報しなければなりません。
ビルに迷い込んで来た鳥を助けた話が紹介されますが、微妙な事象です。助けたというよりもビルの敷地から排除した。鳥のことをかまっていられないときもあります。
警察官の話が出ます。ハッサンとアミーナ(女性)のふたりの警官が夜間パトロールで、ごみ置き場がキツネに荒らされている現場に出くわします。
都市部にキツネがいることにおどろかされます。
警察が、ごみの後片付けをするとは思えません。役所のごみ担当の部署に仕事をふるか、何もしないでしょう。
夜働く登場人物と仕事内容の紹介が続きます。
テレビ局です。
熊じいさんは、朝が早いのですが、テレビをつけて思うのは、ニュースキャスターの人たちは、今この時間(午前6時前とか)に生放送でニュースを読みあげているということは、今よりも二時間以上前ぐらいにはテレビ局に出勤して、放送内容の打合せをして、そして、今、仕事をしているということです。テレビ局内で寝泊まりしているのか、テレビ局のそばにあるホテルで寝泊まりしているのではないかと推理してしまうのです。
いまどきは、二十四時間営業のところがたくさんあります。交代制勤務もあります。働く時間帯は個々でバラバラです。
ミュージシャンです。アーチストの働く時間は、観客が見に来ることができる時間帯です。
絵本の中は、夜です。
「レムさん」という男性がステージ上でサックスホーンを吹いています。
(物語では、登場人物に「さん」の敬称はつけないほうが読みやすいです)
昼夜逆転の仕事を続けていると健康に良くないということはあります。毎年健康診断を受けましょう。
大多数の人たちは、昼間働いています。
夜、働く人は、夜じゃないと働けない事情をかかえている人もいます。夜、働くことが好きな人がいます。
人と話すことがにがてで、夜、なるべく人と話をしないでやる仕事を選択する人もいるでしょう。
夜間の車の運転(物資の輸送)なんかは、該当する気がします。ひとりでやる仕事です。
道路や鉄道の作業を夜間行う仕事があります。
人や車両が減る夜間が仕事をしやすい。
給料がいいということもあります。
夜間の労働は割増の賃金があったりもします。
救命救急士の仕事が出てきます。
交代制勤務の労働時間です。
自分自身の生活管理をしっかりしないと、自分が病気になったり、ケガをしたりします。
夜の仕事を継続していると、睡眠時間を十分とれなかったりもします。
短命につながるような気がします。
命をお金に変えているという実感があります。
病院では、夜間も医師や看護師が働いています。
医師だから長寿とは限りません。むしろ心身を酷使して、平均寿命よりも早く亡くなることが多いと医師が書いた別の本で読んだことがあります。
いまどきは、夜中に出産があるとは聞かなくなりました。まったくないとは言えませんが、事例としては少ないのではないか。
出産の時間帯をコントロールできるような気がします。
絵本では、夜中に生まれるあかちゃんのことが書いてあります。
絵本のページをめくると、朝焼けの風景が広がりました。
最初にもどって、昨日夕方出勤した女性の職業が紹介されます。ママのお仕事です。
『…… バスの運転をするのが、わたしのママ。』(始発のバスだろうか。いやいや流れとしては、長距離高速バス。夜通し走るバスではなかろうか。されど、それなら、帰宅するのは、出勤した翌々日ではなかろうか。遠方から戻ってくるのにもう一日がいります。ちょっとつじつまが合わず、わかりません)
次のページに『みんなのために、よるのあいだ、バスを運転するママ。』と出てきました。夜中じゅう市内を走る路線バスがイギリスにはあるのだろうか。わかりません。
ちっちゃい女の子が帰宅したママに感謝しています。そばにパパが立っています。パパは仕事に行かないのだろうか。(どうも、パパは主夫のようです。それとも、小説家かもしれません)
ママは、太陽光線が入ってくる部屋で、めかくしをして、おやすみをして、寝てしまいました。
なかなかすんなり喜べる内容でもありませんでした。
うわべだけの『感謝』のお話でした。
こどもさんは、学校へ行くから、母と娘はすれ違いの生活です。
母子関係として好ましいとは思えません。
絵を楽しむ絵本でした。
2023年05月10日
余命一年、男をかう 吉川トリコ
余命一年、男をかう 吉川トリコ 講談社
先日見たテレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で紹介された病気で余命宣告を受けたので、毎日キャバクラ通いをしている男性のような女性版の小説だろうかと憶測しながら読み始めましたが、少し違っていました。
テレビ番組内の男性は、キャバ嬢である相手を変えながらの複数女性対応でしたが、小説を読み始めたところ、四十歳独身女性である、あと一年ぐらいで、がんで死んでしまうらしき片倉唯(かたくら・ゆい)が、病院待合所で、偶然出会ったホストクラブのホスト(片倉唯よりだいぶ年下)瀬名吉高(せな・よしたか)ひとりに、気持ちを入れ込む内容になっているようです。(まだ62ページまでしか読んでいません。全体で315ページあります)
おもしろそうです。お金はある。寿命はない。そんな設定です。男は女をかう。女は男をかう。かった異性に対して『愛』はあるのだろうか。
読み続けます。
出始めは、投資のすすめのようでもあります。つみたてNISA(ニーサ)ほか、銭を貯める話が続きます。
片倉唯(かたくら・ゆい):お給料を節約してお金を残したいひとり暮らし四十代未婚、機械商社勤務の女性です。採用後二十年がたつ営業職です。今はひとり暮らしですが、父親がいて、継母がいて、歳が離れた腹違いの弟がいて、実母は病気で亡くなっています。実母もがんだったような書きぶりです。愛称ゆいぴ。父親は税理士事務所経営の税理士です。自分の子どもだからといって、お金に詳しい女性である主人公に税理士事務所のあとを継いでもらいたい気持ちはないようです。父には男尊女卑の意識があります。
ホストに対する偽名が「ともみ」ですが、すぐに本名がばれます。
片倉唯の夢は『一生を路頭に迷うことなく過ごしたい』
片倉唯は、メガネをかけている。メガネの奥には、鳩の目のような目がある。
瀬名吉高(せな・よしたか):ホストクラブ『デメトリアス(ギリシャにあった古代都市の名称か?)』のどちらかといえば売れっ子のほうのホスト。顔はいい。ゲゲゲの鬼太郎みたいに、シュガーピンク色(ぼんやりとしたピンク色)をして、片方に寄った長い髪で片目を隠しているそうです。髪は、アシンメトリー(左右非対称)にカットされている。青魚色のスーツ。わたしは、天国からの妖精である男子をイメージしました。お店での源氏名(げんじな)は『リューマ(坂本龍馬からきている)』です。
瀬名家での家族間の愛称は『たか兄(にい)』です。
父親は、一葉亭という洋食店を三十年間近く営んでいたがコロナ禍で客が減り、さらに脳梗塞で倒れた。麻痺の後遺症がある。老いた母親がいる。お金がない。父親の入院費が払えない。(72万3800円)離婚した妹がこどもを連れて実家に帰って来た。元だんなはDV男。コロすけというのが、いまのところだれなのかがわかりません。(わかりました。コロすけというのは、コロナウィルスのことです)
妹のこどもは保育園児:名前は『実稲(みいな。呼ぶときはミーナ)』もうすぐ6歳です。家で飼っている犬の名前が『コロ丸(コロッケみたいな色で丸っこい)』
瀬名吉高の母親:夫の病気入院で、自営の洋食店が開けないので、近所の横井さんのところに行ったら、パチンコ屋のまかないの仕事を紹介されたそうです。
那智(なち):瀬名吉高の妹。実稲の母親
丸山:片倉唯の同僚女性。ふたりの子持ち。上の子は男子高校生
生山課長(いくやまかちょう):ふたりめのこどもができる。
恭也(きょうや):片倉唯の異母弟
時代設定は、2020年(令和2年)です。
コロナ禍の話が出ます。
片倉唯のひとり語りが続きます。
お金をいかにして節約して貯め続けるかの話です。こういうタイプの女性はこの世に多い。
会社から支給された定期券代をポケットに入れて、じっさいは交通機関を利用しません。(歩きです)この場合、うそがわかると会社の規則で処分されます。交通費は不当利得になるので返還しなければなりません。
この設定で主人公としての魅力はあるのだろうか心配になりました。(その後の展開でだいじょうぶだということがわかりました。逆の意味での主人公らしさがあります。『負(ふ。マイナスイメージ)』の意味での主人公です。おもしろい)
主人公の片倉唯は、自分のことしか考えない人です。いざというときは、知らん顔をする人です。
『ゆいぴって、なにが楽しくて生きてるの?』と問いかけられる主人公です。
質問に対して『楽しくなくちゃ、生きてちゃいけないんですか?』と返答する主人公です。
周囲の見立てとして『貧乏くさい節約飯を持参する行き遅れのかわいそうな女子事務員』(出勤するのがつらそうです)
主人公の楽しみは、一日の終わりに資産管理アプリで、資産総額を確認することだそうです。
二十歳で中古分譲マンションを購入しています。(あと少しでローンが終わるそうです。購入した時は築13年の1LDK。7階建ての3階。都心に近い。現時点では築33年。専有面積は40㎡ぐらい)
課金(かきん):自分はそういうものをしないので実感がないのですが、お金を支払うことだろうと思っています。
推し(おし):応援することだと受け取っています。アイドル、俳優に好感をもつ。
『恋愛はコスパが悪いからしたくない。』『結婚も出産も同様の理由でパス。』だそうです。
熊じいさんは、たまに、考えることがあります。
結婚生活の苦労を知らない。子育てのたいへんさを体験したことがない。親の介護の苦痛を知らない。そんなふうにして、歳をとった人は、どんなふうなのだろうと。男の人もいますし女の人もいます。
そして、導き出した答は、少年であり少女のままの意識で、老齢期を迎える人たちだと。
いいともよくないともいえません。それぞれが、それぞれの判断で選択した人生です。
配偶者がいてもいなくても、片方が死ねば、最後はひとりであり、最初からひとりであった人と環境は同じだと考えたことはあります。
困るのは、自分の入院時の連絡先ではなかろうか。片倉唯の場合は、さしあたって父親か。入院中の看護とか介護のこともだれに頼むのかと悩みが発生します。
『守銭奴(しゅせんど)』と中学の同級生にそう言われた主人公です。
18ページまで読んできましたが、すごい書きぶりです。
リベラル:自由主義の。
お金の話が続きます。
片倉唯には、たくさんのお金があるようです。
でも、医師からがん宣告を受ける日が訪れました。
余命一年です。
がん発見のきっかけは、満四十歳がん検診無料クーポンの利用でした。
どうも主人公は、もともと長生きをする気はなかったようです。
この世にいることに嫌気がさしていた。むしろ短命は歓迎する。『これでやっと死ねる』
がんの治療はいっさいしないという主張があります。
23ページにある「手紙」のような文章は、天国で書いているようでもあります。過去のふりかえりになっています。
子宮がん:頸がん(けいがん。さらに、扁平上皮がん(へんぺいじょうひがん)と腺がんがある。腺がんがやっかい)と体がん(たいがん)の二種類がある)
喜平ネックレス(きへいねっくれす):喜平は、鎖のつなぎ方。鎖の輪をつないでつぶした昔からあるシンプルなデザイン
タイトルの『男をかう』は、誇張が過ぎるような気がします。(おおげさ。読者の目につくような作戦)ポルノ小説みたいです。
プチプラ:プチプライスの略称。値段が安いを意味する。
会話の文章がうまい。
読みやすい。
この本のことをお茶の間の話題にしたら、うちの家族が作者が書いた中日新聞のコラムがいいとほめていました。
龍馬パイセンのヴァイブス:坂本龍馬。「先輩」のさかさ読み。のり、テンション、雰囲気
ああ、東野&岡村『旅猿』メンバーのうちのひとりの不祥事のことが書いてあります。まあ、見た目が小柄で可愛らしいから世間が誤解するのです。もともと性風俗通いをしていたそういう人なのです。男の頭の中はそんなものです。結婚して、今ではあかちゃんのいるパパになりました。過ぎた過ちです。寛容にいきましょう。
歳をとってくると気づくのです。人間は、どうしてこんなことをするのだろう。結局、こどもをつくるための本能行為であった。愛情の確認ならハグだけでもできると。
こどものころの主人公を亡くなった実母が『貯金屋さん』と呼びます。ちょっとせつない思い出です。
55ページまで読みました。作者はこの先、どんなふうに話をころがしていくだろう。
ホストくんは、あんがいいいやつです。
主人公は、自分の余命をホストに告げ、貸した金(父親の入院費用72万円ぐらい)をホストらしく返済してみせてよと要求します。
なんだか、ノウハウ本みたいになってきたと感じます。(いかにしてなにかを成しとげるか)
(つづく)
HPV感染:ヒトパピローマウイルス。性感染症、皮膚病の原因になるウィルス
片倉唯さんは不倫体験ありです。相手は職場の上司です。(実態は、上司の性欲処理の相手だった)長らく関係があったあと、片倉さんが絶対拒否をしています。それでも相手は今も上司として職場にいます。生活していくためになんとしても、給料をもらわなければなりません。『女』を『モノ』と考える上司です。
逆の立場の女性として(本妻の立場として)最近読んだ『じい散歩 藤野千夜(ふじの・ちや) 双葉社』を思い出します。浮気ばかりを続けた自営建設会社明石新平さん(89歳)が、認知症になってしまった奥さん明石英子(あかしえいこ)さん88歳に家の中で追いかけられて、ズボンを脱がされて、パンツをひきはがされます。奥さんは夫の不倫を怒っているのです。(おこっているのです)
ここらあたりまで読んで、この小説は、私がファンの窪美澄さん(くぼみすみさん)のジャンルの小説なのだろうとわかりました。女性の体と健康を扱う小説です。
主人公の二十代には夢も希望もありませんでした。
そして、今はもうすぐ41歳です。
がんで、余命一年です。
読んでいてさみしくなります。
人間の体から『心』が失われている状態です。
ホストの父親の入院費用の立て替え払いをした70万円ぐらいを、労働奉仕をしてもらって、ホストから取り戻す作戦です。
お金を『労働奉仕時間』で返済してもらうのです。
一時間が一万円だそうです。
70時間ぐらいあります。
89ページ。片倉唯は『エンディングノート』を書くことにしました。リアルな、エンディングノートです。病気で本当に死んじゃいます。
海外旅行に行きたかった:コロナ禍で行けません。
国内旅行でさえ、コロナ禍で行けそうにない。
あと何回なになにができるだろうという自問自答が続きます。
片倉唯さんは、41歳になってしまいました。
『帰りたいな』の心のつぶやきは、場所ではなくて、過去に帰りたいのでしょう。(病死した母親が生きていた時代に帰りたい)
(つづく)
今同時進行で読んでいるのが『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』なのですが、かぶる部分があるのです。
宙ごはんのほうは、本日読んだ部分では宙ちゃんとやっちゃん(宙の実母の中学同級生)が『ホットケーキ』をつくっていました。対してこちらの余命一年のほうは、ホストクラブでホストをしているたか兄(にい)が、オムライスをつくっています。
宙ごはんのほうは、主人公小学一年生女児川瀬宙(かわせ・そら)の実母川瀬花野(かわせ・かの)に異父妹が出てきます。(宙の育ての親)。こちらの余命一年は、主人公の片倉唯に異母弟がいます。なかなかややこしい。だんだん自分の頭の中が混乱してきつつあります。メモをしてしっかり正確に把握(はあく)しなければなりません。
ホストである瀬名吉高と片倉唯の契約時間が終了しました。72時間、72万円分の奉仕が終了しました。お別れです。(とはいきませぬ)
片倉唯のがんで死去するための準備が進みます。
オキシトシン:ホルモン。出産するときに胎児を外に出す働きがある。乳児への授乳を可能にする。
COVID-19:2019年に発生した新型コロナウィルス感染症の正式名称
結婚するのか。ふたりは。いいのか。それで。愛情はあるのか。うーむ。
妻41歳、ホストの夫は、二十代ではなかろうか。(31歳でした)
『専業主婦は、家政婦であり売春婦である』
(そんなこと言っていいのだろうか)
エンディングノートが、ウェディングノートになった。
(つづく)
片倉唯さんについて、亡くなった実母との思い出があります。
母を慕う気持ちは強い。
母の趣味として『キルト』(縫物。手芸。布と布の間に綿を入れて縫う手法)
母の死後、母がつくったキルトは、継母の手によって捨てられた。(当時、片倉唯は12歳です)
継母との対立があります。
自分のことは自分でやるんだという強い自立心が片倉唯に芽生えます。
166ページにいい文章があります。『音も光もにおいも遠のいて、すべての感覚が怒りに支配される……』
実父も憎しみの対象となります。実父は、継母をかばいます。
そして今、片倉唯は41歳、異母弟の恭也(きょうや)は28歳(父の後継ぎとして税理士資格取得のための勉強中)です。
継母の愛車は銀色のベンツ
継母は、23歳で片倉唯の実父と結婚した。当時片倉唯は12歳だった。
現在、片倉唯が41歳、継母が52歳か。
サプライズとして、継母の名前が『ともみ』です。
片倉唯の実母の墓前にて、
『このたび、金目当てで唯と結婚することになりました』(けして、瀬名吉高の本心ではない)
片倉唯は、家族にがんのこと、余命一年のことを話しません。
片倉唯は、病院を受診しません。がん治療を始めません。死ぬつもりです。
『ママが生きていたら、一人で死のうなんて思わなかったのに』
ひやおろし:秋に飲む日本酒の一種
さみしい話になっていきます。
生山モデル:214ページにこの単語がありますが、意味がわかりませんでした。(286ページでわかりました。不倫相手の上司である生山課長のお好みの女性ということでしょう)
瀬名吉高のピンク色の髪に関する考察があります。
『私が死ぬとき、だれか泣いてくれる人はいるだろうか。』
(つづく)
本の中で、分離があります。
『Ⅱ』の始まりです。
語り手は、瀬名吉高です。(そうか、そういうつくり(レイアウト)か。
片倉唯はもうあの世の人になっているのかもしれません。
219ページから始まります。
瀬名吉高(顔がいい男。イケメン。ハンサム)の悩み:見た目と中身は違うことで、女性ががっかりして離れていく。女性のほうから近づいて来るけれど、付き合ってしばらくすると『なんか思ってたのとちがう』と言われてサヨナラされる。(顔はいいけれど、しゃべると頭が悪いのがばれる)
瀬名吉高は、自分のピンク色の髪に誇りをもっている。髪を黒くすると、かなりのイケメンになってしまう。自分の個性(ばかっぽいけど明るい)を出すために、あえて、イケメンを封じている。
バリイケの経営者:ホストクラブのオーナーは四十過ぎの伝説的ホスト。元モデルの超美人の妻と二人の娘がいる。系列のホストクラブが市内に三店舗ある。
2020年に瀬名吉高は、片倉唯に父親の入院費を貸してくれてと声をかけた。コロナウィルス騒動が日本で始まった年です。(令和2年)
231ページにある『地方包括センター』は『地域包括支援センター』が正しいと思われます。瀬名吉高の父親について介護保険制度の利用が必要です。
22歳のときに父親の洋食店の後継ぎになることを拒否して家を飛び出した。現在、31歳。ホストクラブで働くホストをしている。
スワロフスキー:クリスタルのプレミアムブランド。オーストリア発祥
片倉唯が生きているのかはっきりしない文脈が続きます。
どうも唯は生きていて、ケンカ別れのようすが見えます。
(男がこういうふうに思考するだろうかという疑いをもちながらこの部分を読んでいます。女性の作家さんなので、男の考えの表現部分はむずかしいかもしれません)
霧也(きりや):瀬名吉高の後輩ホスト。コロナウィルス感染拡大後に店に入って来た。霧也は帰るところがない。
ハイク:ホスト
瀬名吉高は、ホストの寮で生活しています。結婚した片倉唯とは別居です。
時雨(しぐれ):ホスト
いいなあと思った文章です。『……沈黙を恐れるみたいに次から次へと話題をひねり出そうとしているのが伝わってきて……』
紅白なます:大根の白、にんじんの紅。酢で味付けする。おせち料理
鬼電(おにでん):瀬名吉高への母親からの電話。ひんぱんにかかってくる電話
ホストは、消耗品だと自虐的になっている瀬名吉高です。
先(さき。人生)は長い。今のもんもんとしている状態は、一時的なことでしかありません。
瀬名吉高は、家族のために(父親の入院、妹の離婚出戻りによる困窮)お金で片倉唯に買われた。
母と妹は、それが負い目である。(母と妹は片倉唯の病気と余命のことを知らない)
最初は金目当てだった。
オワコン:一時は栄えていたが飽きられた。
285ページ。うまい。
どういった流れになるのかと不審な思いで読んでいたらドンと厳しい場面に出会いました。
うまい。
片倉唯は、死にたい死にたいと言いますが、死にたい死にたいといいつつも、具合が悪いから病院に連れて行ってくれと言っていた高齢者の親族のことを思い出しました。『死にたい』は、自分をかまってくれなのだろうか。
カネカネカネのお金しか頼れるものがなかったこれまでの片倉唯の人生です。
『エピローグ』
読んだ人が、自分も結婚しようという意欲が湧いてくる本でした。
無聊(ぶりょう):なにもすることがなく退屈していること。
『男と女は、顔と金でくっつこうとする』ということはない。
桜か。
桜の花びらと命は、かぶる部分があります。
先日見たテレビ番組『家、ついて行ってイイですか?』で紹介された病気で余命宣告を受けたので、毎日キャバクラ通いをしている男性のような女性版の小説だろうかと憶測しながら読み始めましたが、少し違っていました。
テレビ番組内の男性は、キャバ嬢である相手を変えながらの複数女性対応でしたが、小説を読み始めたところ、四十歳独身女性である、あと一年ぐらいで、がんで死んでしまうらしき片倉唯(かたくら・ゆい)が、病院待合所で、偶然出会ったホストクラブのホスト(片倉唯よりだいぶ年下)瀬名吉高(せな・よしたか)ひとりに、気持ちを入れ込む内容になっているようです。(まだ62ページまでしか読んでいません。全体で315ページあります)
おもしろそうです。お金はある。寿命はない。そんな設定です。男は女をかう。女は男をかう。かった異性に対して『愛』はあるのだろうか。
読み続けます。
出始めは、投資のすすめのようでもあります。つみたてNISA(ニーサ)ほか、銭を貯める話が続きます。
片倉唯(かたくら・ゆい):お給料を節約してお金を残したいひとり暮らし四十代未婚、機械商社勤務の女性です。採用後二十年がたつ営業職です。今はひとり暮らしですが、父親がいて、継母がいて、歳が離れた腹違いの弟がいて、実母は病気で亡くなっています。実母もがんだったような書きぶりです。愛称ゆいぴ。父親は税理士事務所経営の税理士です。自分の子どもだからといって、お金に詳しい女性である主人公に税理士事務所のあとを継いでもらいたい気持ちはないようです。父には男尊女卑の意識があります。
ホストに対する偽名が「ともみ」ですが、すぐに本名がばれます。
片倉唯の夢は『一生を路頭に迷うことなく過ごしたい』
片倉唯は、メガネをかけている。メガネの奥には、鳩の目のような目がある。
瀬名吉高(せな・よしたか):ホストクラブ『デメトリアス(ギリシャにあった古代都市の名称か?)』のどちらかといえば売れっ子のほうのホスト。顔はいい。ゲゲゲの鬼太郎みたいに、シュガーピンク色(ぼんやりとしたピンク色)をして、片方に寄った長い髪で片目を隠しているそうです。髪は、アシンメトリー(左右非対称)にカットされている。青魚色のスーツ。わたしは、天国からの妖精である男子をイメージしました。お店での源氏名(げんじな)は『リューマ(坂本龍馬からきている)』です。
瀬名家での家族間の愛称は『たか兄(にい)』です。
父親は、一葉亭という洋食店を三十年間近く営んでいたがコロナ禍で客が減り、さらに脳梗塞で倒れた。麻痺の後遺症がある。老いた母親がいる。お金がない。父親の入院費が払えない。(72万3800円)離婚した妹がこどもを連れて実家に帰って来た。元だんなはDV男。コロすけというのが、いまのところだれなのかがわかりません。(わかりました。コロすけというのは、コロナウィルスのことです)
妹のこどもは保育園児:名前は『実稲(みいな。呼ぶときはミーナ)』もうすぐ6歳です。家で飼っている犬の名前が『コロ丸(コロッケみたいな色で丸っこい)』
瀬名吉高の母親:夫の病気入院で、自営の洋食店が開けないので、近所の横井さんのところに行ったら、パチンコ屋のまかないの仕事を紹介されたそうです。
那智(なち):瀬名吉高の妹。実稲の母親
丸山:片倉唯の同僚女性。ふたりの子持ち。上の子は男子高校生
生山課長(いくやまかちょう):ふたりめのこどもができる。
恭也(きょうや):片倉唯の異母弟
時代設定は、2020年(令和2年)です。
コロナ禍の話が出ます。
片倉唯のひとり語りが続きます。
お金をいかにして節約して貯め続けるかの話です。こういうタイプの女性はこの世に多い。
会社から支給された定期券代をポケットに入れて、じっさいは交通機関を利用しません。(歩きです)この場合、うそがわかると会社の規則で処分されます。交通費は不当利得になるので返還しなければなりません。
この設定で主人公としての魅力はあるのだろうか心配になりました。(その後の展開でだいじょうぶだということがわかりました。逆の意味での主人公らしさがあります。『負(ふ。マイナスイメージ)』の意味での主人公です。おもしろい)
主人公の片倉唯は、自分のことしか考えない人です。いざというときは、知らん顔をする人です。
『ゆいぴって、なにが楽しくて生きてるの?』と問いかけられる主人公です。
質問に対して『楽しくなくちゃ、生きてちゃいけないんですか?』と返答する主人公です。
周囲の見立てとして『貧乏くさい節約飯を持参する行き遅れのかわいそうな女子事務員』(出勤するのがつらそうです)
主人公の楽しみは、一日の終わりに資産管理アプリで、資産総額を確認することだそうです。
二十歳で中古分譲マンションを購入しています。(あと少しでローンが終わるそうです。購入した時は築13年の1LDK。7階建ての3階。都心に近い。現時点では築33年。専有面積は40㎡ぐらい)
課金(かきん):自分はそういうものをしないので実感がないのですが、お金を支払うことだろうと思っています。
推し(おし):応援することだと受け取っています。アイドル、俳優に好感をもつ。
『恋愛はコスパが悪いからしたくない。』『結婚も出産も同様の理由でパス。』だそうです。
熊じいさんは、たまに、考えることがあります。
結婚生活の苦労を知らない。子育てのたいへんさを体験したことがない。親の介護の苦痛を知らない。そんなふうにして、歳をとった人は、どんなふうなのだろうと。男の人もいますし女の人もいます。
そして、導き出した答は、少年であり少女のままの意識で、老齢期を迎える人たちだと。
いいともよくないともいえません。それぞれが、それぞれの判断で選択した人生です。
配偶者がいてもいなくても、片方が死ねば、最後はひとりであり、最初からひとりであった人と環境は同じだと考えたことはあります。
困るのは、自分の入院時の連絡先ではなかろうか。片倉唯の場合は、さしあたって父親か。入院中の看護とか介護のこともだれに頼むのかと悩みが発生します。
『守銭奴(しゅせんど)』と中学の同級生にそう言われた主人公です。
18ページまで読んできましたが、すごい書きぶりです。
リベラル:自由主義の。
お金の話が続きます。
片倉唯には、たくさんのお金があるようです。
でも、医師からがん宣告を受ける日が訪れました。
余命一年です。
がん発見のきっかけは、満四十歳がん検診無料クーポンの利用でした。
どうも主人公は、もともと長生きをする気はなかったようです。
この世にいることに嫌気がさしていた。むしろ短命は歓迎する。『これでやっと死ねる』
がんの治療はいっさいしないという主張があります。
23ページにある「手紙」のような文章は、天国で書いているようでもあります。過去のふりかえりになっています。
子宮がん:頸がん(けいがん。さらに、扁平上皮がん(へんぺいじょうひがん)と腺がんがある。腺がんがやっかい)と体がん(たいがん)の二種類がある)
喜平ネックレス(きへいねっくれす):喜平は、鎖のつなぎ方。鎖の輪をつないでつぶした昔からあるシンプルなデザイン
タイトルの『男をかう』は、誇張が過ぎるような気がします。(おおげさ。読者の目につくような作戦)ポルノ小説みたいです。
プチプラ:プチプライスの略称。値段が安いを意味する。
会話の文章がうまい。
読みやすい。
この本のことをお茶の間の話題にしたら、うちの家族が作者が書いた中日新聞のコラムがいいとほめていました。
龍馬パイセンのヴァイブス:坂本龍馬。「先輩」のさかさ読み。のり、テンション、雰囲気
ああ、東野&岡村『旅猿』メンバーのうちのひとりの不祥事のことが書いてあります。まあ、見た目が小柄で可愛らしいから世間が誤解するのです。もともと性風俗通いをしていたそういう人なのです。男の頭の中はそんなものです。結婚して、今ではあかちゃんのいるパパになりました。過ぎた過ちです。寛容にいきましょう。
歳をとってくると気づくのです。人間は、どうしてこんなことをするのだろう。結局、こどもをつくるための本能行為であった。愛情の確認ならハグだけでもできると。
こどものころの主人公を亡くなった実母が『貯金屋さん』と呼びます。ちょっとせつない思い出です。
55ページまで読みました。作者はこの先、どんなふうに話をころがしていくだろう。
ホストくんは、あんがいいいやつです。
主人公は、自分の余命をホストに告げ、貸した金(父親の入院費用72万円ぐらい)をホストらしく返済してみせてよと要求します。
なんだか、ノウハウ本みたいになってきたと感じます。(いかにしてなにかを成しとげるか)
(つづく)
HPV感染:ヒトパピローマウイルス。性感染症、皮膚病の原因になるウィルス
片倉唯さんは不倫体験ありです。相手は職場の上司です。(実態は、上司の性欲処理の相手だった)長らく関係があったあと、片倉さんが絶対拒否をしています。それでも相手は今も上司として職場にいます。生活していくためになんとしても、給料をもらわなければなりません。『女』を『モノ』と考える上司です。
逆の立場の女性として(本妻の立場として)最近読んだ『じい散歩 藤野千夜(ふじの・ちや) 双葉社』を思い出します。浮気ばかりを続けた自営建設会社明石新平さん(89歳)が、認知症になってしまった奥さん明石英子(あかしえいこ)さん88歳に家の中で追いかけられて、ズボンを脱がされて、パンツをひきはがされます。奥さんは夫の不倫を怒っているのです。(おこっているのです)
ここらあたりまで読んで、この小説は、私がファンの窪美澄さん(くぼみすみさん)のジャンルの小説なのだろうとわかりました。女性の体と健康を扱う小説です。
主人公の二十代には夢も希望もありませんでした。
そして、今はもうすぐ41歳です。
がんで、余命一年です。
読んでいてさみしくなります。
人間の体から『心』が失われている状態です。
ホストの父親の入院費用の立て替え払いをした70万円ぐらいを、労働奉仕をしてもらって、ホストから取り戻す作戦です。
お金を『労働奉仕時間』で返済してもらうのです。
一時間が一万円だそうです。
70時間ぐらいあります。
89ページ。片倉唯は『エンディングノート』を書くことにしました。リアルな、エンディングノートです。病気で本当に死んじゃいます。
海外旅行に行きたかった:コロナ禍で行けません。
国内旅行でさえ、コロナ禍で行けそうにない。
あと何回なになにができるだろうという自問自答が続きます。
片倉唯さんは、41歳になってしまいました。
『帰りたいな』の心のつぶやきは、場所ではなくて、過去に帰りたいのでしょう。(病死した母親が生きていた時代に帰りたい)
(つづく)
今同時進行で読んでいるのが『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』なのですが、かぶる部分があるのです。
宙ごはんのほうは、本日読んだ部分では宙ちゃんとやっちゃん(宙の実母の中学同級生)が『ホットケーキ』をつくっていました。対してこちらの余命一年のほうは、ホストクラブでホストをしているたか兄(にい)が、オムライスをつくっています。
宙ごはんのほうは、主人公小学一年生女児川瀬宙(かわせ・そら)の実母川瀬花野(かわせ・かの)に異父妹が出てきます。(宙の育ての親)。こちらの余命一年は、主人公の片倉唯に異母弟がいます。なかなかややこしい。だんだん自分の頭の中が混乱してきつつあります。メモをしてしっかり正確に把握(はあく)しなければなりません。
ホストである瀬名吉高と片倉唯の契約時間が終了しました。72時間、72万円分の奉仕が終了しました。お別れです。(とはいきませぬ)
片倉唯のがんで死去するための準備が進みます。
オキシトシン:ホルモン。出産するときに胎児を外に出す働きがある。乳児への授乳を可能にする。
COVID-19:2019年に発生した新型コロナウィルス感染症の正式名称
結婚するのか。ふたりは。いいのか。それで。愛情はあるのか。うーむ。
妻41歳、ホストの夫は、二十代ではなかろうか。(31歳でした)
『専業主婦は、家政婦であり売春婦である』
(そんなこと言っていいのだろうか)
エンディングノートが、ウェディングノートになった。
(つづく)
片倉唯さんについて、亡くなった実母との思い出があります。
母を慕う気持ちは強い。
母の趣味として『キルト』(縫物。手芸。布と布の間に綿を入れて縫う手法)
母の死後、母がつくったキルトは、継母の手によって捨てられた。(当時、片倉唯は12歳です)
継母との対立があります。
自分のことは自分でやるんだという強い自立心が片倉唯に芽生えます。
166ページにいい文章があります。『音も光もにおいも遠のいて、すべての感覚が怒りに支配される……』
実父も憎しみの対象となります。実父は、継母をかばいます。
そして今、片倉唯は41歳、異母弟の恭也(きょうや)は28歳(父の後継ぎとして税理士資格取得のための勉強中)です。
継母の愛車は銀色のベンツ
継母は、23歳で片倉唯の実父と結婚した。当時片倉唯は12歳だった。
現在、片倉唯が41歳、継母が52歳か。
サプライズとして、継母の名前が『ともみ』です。
片倉唯の実母の墓前にて、
『このたび、金目当てで唯と結婚することになりました』(けして、瀬名吉高の本心ではない)
片倉唯は、家族にがんのこと、余命一年のことを話しません。
片倉唯は、病院を受診しません。がん治療を始めません。死ぬつもりです。
『ママが生きていたら、一人で死のうなんて思わなかったのに』
ひやおろし:秋に飲む日本酒の一種
さみしい話になっていきます。
生山モデル:214ページにこの単語がありますが、意味がわかりませんでした。(286ページでわかりました。不倫相手の上司である生山課長のお好みの女性ということでしょう)
瀬名吉高のピンク色の髪に関する考察があります。
『私が死ぬとき、だれか泣いてくれる人はいるだろうか。』
(つづく)
本の中で、分離があります。
『Ⅱ』の始まりです。
語り手は、瀬名吉高です。(そうか、そういうつくり(レイアウト)か。
片倉唯はもうあの世の人になっているのかもしれません。
219ページから始まります。
瀬名吉高(顔がいい男。イケメン。ハンサム)の悩み:見た目と中身は違うことで、女性ががっかりして離れていく。女性のほうから近づいて来るけれど、付き合ってしばらくすると『なんか思ってたのとちがう』と言われてサヨナラされる。(顔はいいけれど、しゃべると頭が悪いのがばれる)
瀬名吉高は、自分のピンク色の髪に誇りをもっている。髪を黒くすると、かなりのイケメンになってしまう。自分の個性(ばかっぽいけど明るい)を出すために、あえて、イケメンを封じている。
バリイケの経営者:ホストクラブのオーナーは四十過ぎの伝説的ホスト。元モデルの超美人の妻と二人の娘がいる。系列のホストクラブが市内に三店舗ある。
2020年に瀬名吉高は、片倉唯に父親の入院費を貸してくれてと声をかけた。コロナウィルス騒動が日本で始まった年です。(令和2年)
231ページにある『地方包括センター』は『地域包括支援センター』が正しいと思われます。瀬名吉高の父親について介護保険制度の利用が必要です。
22歳のときに父親の洋食店の後継ぎになることを拒否して家を飛び出した。現在、31歳。ホストクラブで働くホストをしている。
スワロフスキー:クリスタルのプレミアムブランド。オーストリア発祥
片倉唯が生きているのかはっきりしない文脈が続きます。
どうも唯は生きていて、ケンカ別れのようすが見えます。
(男がこういうふうに思考するだろうかという疑いをもちながらこの部分を読んでいます。女性の作家さんなので、男の考えの表現部分はむずかしいかもしれません)
霧也(きりや):瀬名吉高の後輩ホスト。コロナウィルス感染拡大後に店に入って来た。霧也は帰るところがない。
ハイク:ホスト
瀬名吉高は、ホストの寮で生活しています。結婚した片倉唯とは別居です。
時雨(しぐれ):ホスト
いいなあと思った文章です。『……沈黙を恐れるみたいに次から次へと話題をひねり出そうとしているのが伝わってきて……』
紅白なます:大根の白、にんじんの紅。酢で味付けする。おせち料理
鬼電(おにでん):瀬名吉高への母親からの電話。ひんぱんにかかってくる電話
ホストは、消耗品だと自虐的になっている瀬名吉高です。
先(さき。人生)は長い。今のもんもんとしている状態は、一時的なことでしかありません。
瀬名吉高は、家族のために(父親の入院、妹の離婚出戻りによる困窮)お金で片倉唯に買われた。
母と妹は、それが負い目である。(母と妹は片倉唯の病気と余命のことを知らない)
最初は金目当てだった。
オワコン:一時は栄えていたが飽きられた。
285ページ。うまい。
どういった流れになるのかと不審な思いで読んでいたらドンと厳しい場面に出会いました。
うまい。
片倉唯は、死にたい死にたいと言いますが、死にたい死にたいといいつつも、具合が悪いから病院に連れて行ってくれと言っていた高齢者の親族のことを思い出しました。『死にたい』は、自分をかまってくれなのだろうか。
カネカネカネのお金しか頼れるものがなかったこれまでの片倉唯の人生です。
『エピローグ』
読んだ人が、自分も結婚しようという意欲が湧いてくる本でした。
無聊(ぶりょう):なにもすることがなく退屈していること。
『男と女は、顔と金でくっつこうとする』ということはない。
桜か。
桜の花びらと命は、かぶる部分があります。