2023年05月12日
出川哲郎の充電させてもらえませんか? 熊本県天草
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 熊本県天草(あまくさ)富岡城→永尾剱神社(えいのおつるぎじんじゃ) 東海地区放送4月8日と15日 テレビ東京
撮影地付近に幼児期と中学生のときに二か月ぐらいだけ住んでいたことがあります。
海の色が美しかったという記憶が残っています。番組では夕日の名所の話が出ますが、島の西側ならどこで見ても夕日が沈むころは絶景です。
朝方には、海面をたくさんのトビウオがロングジャンプをしていたのを路線バスのシートに座って見ていたことがあります。
天草下島(あまくさしもじま)へは、成人してからは二回訪問しました。二十歳のころと五十歳手前のころでした。
冒頭で番組の紹介がある富岡城は、二回目の訪問時に見学しました。
まだ自分がこどもだったころに歩いたり、路線バスに乗ったりした道が映像に映ってなつかしかった。当時の道路は、まだアスファルト舗装はされていなかったという記憶です。砂ぼこりが舞いあがっていました。路線バスには女性の車掌さんが乗っていて車内で紙券の切符を売っていました。たしかそんな幼い頃の記憶です。
ロケ隊の一行(いっこう)は、とっても遠いところまでロケに行かれました。途中で地元の人が「こんなところまで(来るのか)」と驚かれていましたが同感です。島のふちっこで、すみっこです。東京からはとても遠い。
ゲストは、前半が千秋(ちあき)さんでした。
小柄で童顔なので若く見られます。地元の人に二十代後半に見られますが51歳です。
『おっぱい岩』での、地元の女性とのやりとりがおもしろかった。丁々発止(ちょちょうはっし。激しく言葉で対抗戦をするようす)でした。
千秋さん『(おっぱい岩という表現に対して)やらしい!』
地元の女性『まァーー あなた! 現実ですよ!!』
千秋さん『やらしい!』
地元の女性『(なんたらかんたら)よかですよ!』
みんなで、ハハハハハ(笑い)
だれだったか忘れましたがだれかの声で『ご利益(りやく)! ご利益!』
隠れキリシタンの踏み絵見学あたりの映像では、小説で、遠藤周作作品『沈黙』を思い出しました。
たしか、神さまが信者に言うのです。『踏みなさい。わたしを踏みなさい』。江戸時代の踏み絵のシーンでした。踏めば命を失うかもしれません。生きてこその信仰です。
館長さんもそのように説明されていました。
この島で生まれ育ち働いていくためには、水産高校か農業高校をめざすというような意識が、ここで過ごした中学のときの自分にはありました。
映像のなかで、大工(だいく)の方が『自分はこの島から71年間出たことがない』とおっしゃいました。冠婚葬祭とか旅行で、島の外に出られたことはあると思いますが、基本的には島内で人生を完結されるということでしょう。そういう方もおられるだろうという感覚の島です。
上島(かみしま)と下島(しもじま)があって、わたしが最初に島を離れた1965年ごろの昔は(昭和40年)、まだ橋はありませんでした。その後、天草五橋(あまくらごきょう)という橋がかけられました。番組の映像にもありますがとても美しいところです。
橋がなかったころは、冒頭に出てくる富岡城のそばにある港から長崎県へフェリーが出ていました。今もあると思います。自分はまだ幼かったのですが、乗船して、船酔いをした記憶があります。
7人姉妹が登場します。子だくさんの島というイメージがわたしにはあります。しかし、7人のこどもさん全員が女子というのは珍しい。にぎやかで華やかで明るいご家庭でしょう。
タンカーの船員でペルシャに行っていたという男性と奥さんのところがおもしろかった。
奥さんが、愚痴をこぼします。
定年退職後、家にずっといるだんなさんは奥さんにとってはやっかいものです。昼ごはんのしたくもたいへんです。(昼ごはんは、だんなさん自身で、自分で用意して食べてほしい。当然片付けも自分でしてほしい)
だんなさんには、昼間はどっかに行ってほしいそうです。お気持ちはわかります。定年退職後、男は、奥さんに負担をかけないようにしましょう。
お肉がおいしそうでした。
カルビ、ハラミ、牛タン、すき焼きもいい。
出川さんたちメンバーが、七年前に泊まった民宿に泊まります。
優しい(やさしい)おかみさんです。
仲良しのご夫婦とたぶんお孫さんたちでしょう。
『出川さんが、来らしたとよーー(こらしたとよーー)』
テレビで観た記憶がある食堂の部屋です。
朝食でカワハギ料理のことが話に出ます。
60年ぐらい前、わたしも現地でカワハギをよく食べました。
朝早く、行商の人が魚を売りに来ていた記憶があります。
乾かしたカワハギの皮で鉛筆の芯(しん)をけずって、とんがらせていたことも思い出しました
島は自然に包まれています。
海の反対側は山で、出川さんたちは、山の中の道を電動バイクで走って進みます。
全国の地方を走り回って、電動バイクの走行距離も相当伸びていることでしょう。
電池が切れてからの『充電させてください』の声かけは勇気がいります。
人気者の出川さんなら、話がすっと受け入れてもらえますが、ゲストが声をかける場合は、微妙なときもあります。
今回の田村亮さんは、かなりがんばられました。
映像を見ていて、島では、全体的にお年寄りとこどもさんが多い。
中間層の年齢の人たちはどこかで働いている時間帯なのでしょう。
農林水産業、観光業で生活していく島です。
撮影地付近に幼児期と中学生のときに二か月ぐらいだけ住んでいたことがあります。
海の色が美しかったという記憶が残っています。番組では夕日の名所の話が出ますが、島の西側ならどこで見ても夕日が沈むころは絶景です。
朝方には、海面をたくさんのトビウオがロングジャンプをしていたのを路線バスのシートに座って見ていたことがあります。
天草下島(あまくさしもじま)へは、成人してからは二回訪問しました。二十歳のころと五十歳手前のころでした。
冒頭で番組の紹介がある富岡城は、二回目の訪問時に見学しました。
まだ自分がこどもだったころに歩いたり、路線バスに乗ったりした道が映像に映ってなつかしかった。当時の道路は、まだアスファルト舗装はされていなかったという記憶です。砂ぼこりが舞いあがっていました。路線バスには女性の車掌さんが乗っていて車内で紙券の切符を売っていました。たしかそんな幼い頃の記憶です。
ロケ隊の一行(いっこう)は、とっても遠いところまでロケに行かれました。途中で地元の人が「こんなところまで(来るのか)」と驚かれていましたが同感です。島のふちっこで、すみっこです。東京からはとても遠い。
ゲストは、前半が千秋(ちあき)さんでした。
小柄で童顔なので若く見られます。地元の人に二十代後半に見られますが51歳です。
『おっぱい岩』での、地元の女性とのやりとりがおもしろかった。丁々発止(ちょちょうはっし。激しく言葉で対抗戦をするようす)でした。
千秋さん『(おっぱい岩という表現に対して)やらしい!』
地元の女性『まァーー あなた! 現実ですよ!!』
千秋さん『やらしい!』
地元の女性『(なんたらかんたら)よかですよ!』
みんなで、ハハハハハ(笑い)
だれだったか忘れましたがだれかの声で『ご利益(りやく)! ご利益!』
隠れキリシタンの踏み絵見学あたりの映像では、小説で、遠藤周作作品『沈黙』を思い出しました。
たしか、神さまが信者に言うのです。『踏みなさい。わたしを踏みなさい』。江戸時代の踏み絵のシーンでした。踏めば命を失うかもしれません。生きてこその信仰です。
館長さんもそのように説明されていました。
この島で生まれ育ち働いていくためには、水産高校か農業高校をめざすというような意識が、ここで過ごした中学のときの自分にはありました。
映像のなかで、大工(だいく)の方が『自分はこの島から71年間出たことがない』とおっしゃいました。冠婚葬祭とか旅行で、島の外に出られたことはあると思いますが、基本的には島内で人生を完結されるということでしょう。そういう方もおられるだろうという感覚の島です。
上島(かみしま)と下島(しもじま)があって、わたしが最初に島を離れた1965年ごろの昔は(昭和40年)、まだ橋はありませんでした。その後、天草五橋(あまくらごきょう)という橋がかけられました。番組の映像にもありますがとても美しいところです。
橋がなかったころは、冒頭に出てくる富岡城のそばにある港から長崎県へフェリーが出ていました。今もあると思います。自分はまだ幼かったのですが、乗船して、船酔いをした記憶があります。
7人姉妹が登場します。子だくさんの島というイメージがわたしにはあります。しかし、7人のこどもさん全員が女子というのは珍しい。にぎやかで華やかで明るいご家庭でしょう。
タンカーの船員でペルシャに行っていたという男性と奥さんのところがおもしろかった。
奥さんが、愚痴をこぼします。
定年退職後、家にずっといるだんなさんは奥さんにとってはやっかいものです。昼ごはんのしたくもたいへんです。(昼ごはんは、だんなさん自身で、自分で用意して食べてほしい。当然片付けも自分でしてほしい)
だんなさんには、昼間はどっかに行ってほしいそうです。お気持ちはわかります。定年退職後、男は、奥さんに負担をかけないようにしましょう。
お肉がおいしそうでした。
カルビ、ハラミ、牛タン、すき焼きもいい。
出川さんたちメンバーが、七年前に泊まった民宿に泊まります。
優しい(やさしい)おかみさんです。
仲良しのご夫婦とたぶんお孫さんたちでしょう。
『出川さんが、来らしたとよーー(こらしたとよーー)』
テレビで観た記憶がある食堂の部屋です。
朝食でカワハギ料理のことが話に出ます。
60年ぐらい前、わたしも現地でカワハギをよく食べました。
朝早く、行商の人が魚を売りに来ていた記憶があります。
乾かしたカワハギの皮で鉛筆の芯(しん)をけずって、とんがらせていたことも思い出しました
島は自然に包まれています。
海の反対側は山で、出川さんたちは、山の中の道を電動バイクで走って進みます。
全国の地方を走り回って、電動バイクの走行距離も相当伸びていることでしょう。
電池が切れてからの『充電させてください』の声かけは勇気がいります。
人気者の出川さんなら、話がすっと受け入れてもらえますが、ゲストが声をかける場合は、微妙なときもあります。
今回の田村亮さんは、かなりがんばられました。
映像を見ていて、島では、全体的にお年寄りとこどもさんが多い。
中間層の年齢の人たちはどこかで働いている時間帯なのでしょう。
農林水産業、観光業で生活していく島です。