2023年05月09日
太川&えびすのバス旅 北海道洞爺湖-知床半島羅臼 再放送
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 北海道洞爺湖(とうやこ)-知床半島羅臼(らうす) 2015年6月(平成27年)放送分の再放送 BSテレ東
最近、じぇじぇじぇの『あまちゃん』再放送を楽しんでいます。
なかなかいい感じでおもしろい。セリフ回しもじょうずにつくってあります。
定年退職後、レンタルビデオを使って以前『あまちゃん』全部の内容を見ました。いつかはロケ地である三陸海岸へ行ってみたいという夢はもっています。
昭和時代に生きた人間にとっては、筋はわかっていても昔のドラマを見るとほっと落ち着きます。
歳をとってきて、内容を忘れている部分もあって、新鮮な感じもしたりもします。
さて、こちらの感想は、以前に細かく書きました。
されど、もう一回見て、いろいろ思いつきました。
北海道バス路線の特徴を発見しました。
本州以南だと『県境(けんざかい)』で、つながるバス路線がなくて苦労しました。
北海道には、県境がありません。県ごとにバス会社が違うということがありません。ゆえに、移動に有利です。
ふたつめの特徴は、乗車時間が長い。合わせて、バスの待ち時間も長い。
一回当たりの乗車時間が一時間以上、二時間半とか、三時間近くがざらにあります。いっぽう待ち時間のほうも一時間以上、一時間半、三時間のときもありました。
これはですね、歩かなくてもいいぶんは助かるのですが、運動不足、長時間の座り姿勢が足腰にこたえます。そして、やることがないから車内で寝てしまうわけです。生活のリズムがくずれます。けっこうつらい移動です。
(その後、思いついたのですが、鉄道路線が廃止になって、代替えとして、長時間乗車のバス路線ができたのではないかと推測しました)
太川陽介さんがアイドルをしていた時代に、プラベートで訪れた浦河(うらかわ)というところの喫茶店で見せてもらった三十年ぐらい前の古い写真が良かった。
北海道ですから、車窓には馬とか、牛の姿が見られます。
自分たち家族は、もう三十五年前ぐらいに、日高ケンタッキーファームという所のロッジに泊まりました。ひと家族が宿泊できる小さな小屋でした。食事は、ほかの人たちと食事小屋でラム(羊。ジンギスカン)のバーベキューを食べました。
それから、今回のバス旅の映像に出てきた『阿寒湖』にも行きました。まりもの入った瓶(びん)をおみやげに買って長いこと自宅の洗面所に飾ってありました。
自分たちはまだ三十歳代の夫婦でした。ふたり目のこどもは、まだ生まれていませんでした。
もう日高ケンタッキーファームの宿泊施設はないと思います。
時は流れて、今では、自分の人生の半分以上が過ぎてしまい、人生の終わりのほうが見えてきました。
映像では、広大な景色が続きます。
白樺並木が北海道の道らしい。道はまっすぐです。
人がいない。人口が少ない。
なにもないといえば、なにもない。
海岸あたりの漁業の場所では、自然と人間が共存しながら生活していることがわかります。
気温は、4℃ですが、冬は、マイナス30℃だそうです。なのに、夏は30℃だそうです。たいへんです。
バスの中で、高校生が言います。
『雪かきは、生きるためにやる!』
北見の喫茶店のモーニングが良かった。
肉じゃが、あったかい食べ物です。バタートーストたくさんとホットコーヒーです。
遠いなあ。根室から納沙布岬(のさっぷみさき)です。
夕食です。アルコールを飲めないえびすさんの声が良かった。
『やっぱりコーラーはうまいなあ』
『ときしらず』というシャケトロのようなお魚をいただきました。
知床半島の羅臼岳(らうすだけ)が雪をかぶって美しい。
半島の向こう側では、昨年4月23日に遊覧船が沈没するという悲しい事故がありました。ひどい話です。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
あとから思い出しましたが『エンルム岬』というところは、訪れたことはありませんが、イメージが、韓国済州島(ちぇじゅとう)にある『城山日出峰(ソンサンイルチュルポン)』というところに似ていてきれいで感じかいいところだなと思いました。
(2022年2月に観たときの感想です)
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 北海道洞爺湖(とうやこ)-知床半島羅臼(らうす) 2015年6月(平成27年)放送分の再放送 BSテレ東
観終えて、また、北海道に行きたいという気分になりました。三十歳代の頃に、二度家族旅行で訪れました。
番組は、ずいぶん前の再放送ですが、観たのは初めてです。
働いていた四十代、五十代の時は、仕事優先で、ニュースと天気予報以外、テレビはほとんど見ませんでした。リタイアしてから、再放送を見て、知らずに通り過ぎた過去の出来事をさかのぼる作業を続けています。
北海道は、車での移動に時間がかかります。
以前レンタカーで回ったとき、結局車内にいた時間が一番長かったと、あとで気づきました。
今回の番組でも、一乗車が2時間から3時間、次のバスまでの乗り換え待ち時間が1時間以上のところが多かった。
その代わり、歩く時間帯はなかったという北海道旅行の特徴がありました。とても歩けるような距離ではありません。
三人は、三泊四日で、路線バスを使って、1120kmを移動されました。ちなみに、東京都庁から九州の福岡市役所までが、車で、1089kmぐらいです。三人とも長時間のバス乗車で足腰が痛いと嘆いておられました。
ゲストは、森尾由美さんでした。日曜日の朝の番組で、松居直美さんと磯野貴理子さんと、三人でなんだかんだよもやま話をされているのを見かけます。(この部分を書いたその後のことですが、2月6日日曜日の番組を朝の着替えをしながら見ていたら、松居直美さんが、こちらのブログで1月に紹介した本『ワケあり!?なるほど語源辞典 監修・冨樫純一 絵・さがわゆめこ 編者・グラフィオ 金の星社』に書いてある語源のお話をされていたので縁を感じました)
えびすよしかずさんは気づかいをしない人なので、森尾由美さんに向かって『けっこう歳とってるね』と言葉をぶつけます(森尾由美さんが、当時48歳)
森尾由美さんは、バスの車内で、登校途中の女子高生たちに『何時入り?』と質問します。笑いました。女子高生は芸能人ではありません。
名言として、森尾由美さんが『15分しかない』えびすよしかずさんが『(バス旅の乗り換え時間の場合は)15分あれば、何でもできる』
北海道はどこも雄大な景色が広がっています。
なにもないのがいい。
歳をとると、何もない景色を見て愛おしい(いとおしい)という気持ちが湧き、何もない風景の中に自分の身をおいて、ゆったりとした気分になって、十分満足できます。
海が見えて、山があって、原野や森林が広がる。それだけでいい。
登別(のぼりべつ)のクマ牧場には『ヒトのオリ』があって、人間が檻(おり)に入って、ヒグマやツキノワグマのみなさんを見学します。
えびすよしかずさんが『くまもんを想像していたらだめだね(本物のクマは間近で見ると相当怖い(こわい)』
苫小牧(とまこまい)の喫茶店に入ったら、そこは、三十年前、太川陽介さんが22歳のときにプライベートなひとり旅で訪れたお店だったということがわかりました。
お店のご夫婦はそれから三十年間、喫茶店経営を続けながら子育てをされたわけで、当たり前のこととはいえ、たいしたものです。学校を卒業して、同じ仕事を、歳をとるまでずっと続ける時代でした。
ご夫婦と太川陽介さんとは縁がありました。素敵な出会いでした。縁のある人とは、いつでもどこでも何度でも出会います。旅先で、偶然知り合いとばったり会うこともあります。どうして、今ここにいるの? ということがあります。
襟裳岬(えりもみさき)へ向かうバスの中で、えびすよしかずさん『森進一さんが、なにもない(襟裳岬という歌で)と歌っていたから、(自分たちが泊る)ホテルもないよ』
車窓に見える牧場の建物を見ながら三人でワイワイお話をします。
えびすよしかずさんに対して『アルプスのおっさん ハイジジー(ハイジ)』
えびすよしかずさんは、『ウェリントンホテル』のことを『クリントンホテル』と連呼します。
太川陽介さんが、昔のアメリカ大統領の名前だと指摘します。
なかなか楽しい。
路線バスで通学している小学生たちが車内にいます。海を見ながら、あれが『親子岩』とか『エンルム岬』と教えてくれます。
低学年のこどもたちです。男の子も女の子も可愛い。
途中の案内所での女性とえびすよしかずさんの、とがったやりとりがおもしろかった。ごみ箱はないですか? とか、(予定のバスに乗り遅れそうになったら)バスを止めといて! とか。
そのあと、砂浜に寄せる海の波でたわむれていたら、こけて、ズボンが濡れてしまったえびよしかずさんでしたが、リュックから替えのズボンを出して、太川陽介さんと森尾由美さんが目隠し代わりの壁になって、ズボンをはきかえていました。 えびすさんは、お笑い芸人ではないのに笑いを誘います。
さらに、襟裳岬にある『風の館(やかた)』風速25mの強風体験のようすは、テレビ番組「アメトーク」での、強風に吹かれながらアクションをするアンガールズ田中卓志(たなか・たくし)さんののびきった顔みたいで笑えました。
えびすよしかずさんは魚介類が苦手なので味噌ラーメンを何度も食べます。
森尾由美さんがする、スクールメイツのバックダンスのお話はなつかしい。
鉄道が廃線になって、路線バスが廃線になって、北海道もなかなか大変です。
都市部に人と経済力が集約されています。
路線バスの中で、将来医師になりたいという中学生がふたりで塾通いです。
片道2時間かけて塾まで路線バスで往復しているそうです。がんばれ! (もう6年間ぐらいが経っているので、今はどこかの大学生でしょう)
えびすよしかずさんが中学生ふたりに、そんなにがんばっても思いどおりにはいかないよというような後ろ向きなことをしゃべろうとしたので、森尾由美さんが止めました。まだ夢をみることができる年齢です。おとなはこどもの夢を壊さないようにしましょう。
知床半島にある雪をかぶった羅臼岳(らうすだけ)の美(び)の風景があります。
いつか観てみたい。
三人は、昼前に目的地にゴールしました。
それまでで、最速時間、最長移動距離の旅だったそうです。
(その翌日)
録画でNHKの番組『72時間』を見ました。そちらも再放送でした。
舞台が、根室の大きなコンビニで、串カツ弁当がメインのインタビュー番組でした。
登場された方が、これから中標津(なかしべつ)へ行くと言われて、太川陽介チームと同じルートで縁を感じました。
最近、じぇじぇじぇの『あまちゃん』再放送を楽しんでいます。
なかなかいい感じでおもしろい。セリフ回しもじょうずにつくってあります。
定年退職後、レンタルビデオを使って以前『あまちゃん』全部の内容を見ました。いつかはロケ地である三陸海岸へ行ってみたいという夢はもっています。
昭和時代に生きた人間にとっては、筋はわかっていても昔のドラマを見るとほっと落ち着きます。
歳をとってきて、内容を忘れている部分もあって、新鮮な感じもしたりもします。
さて、こちらの感想は、以前に細かく書きました。
されど、もう一回見て、いろいろ思いつきました。
北海道バス路線の特徴を発見しました。
本州以南だと『県境(けんざかい)』で、つながるバス路線がなくて苦労しました。
北海道には、県境がありません。県ごとにバス会社が違うということがありません。ゆえに、移動に有利です。
ふたつめの特徴は、乗車時間が長い。合わせて、バスの待ち時間も長い。
一回当たりの乗車時間が一時間以上、二時間半とか、三時間近くがざらにあります。いっぽう待ち時間のほうも一時間以上、一時間半、三時間のときもありました。
これはですね、歩かなくてもいいぶんは助かるのですが、運動不足、長時間の座り姿勢が足腰にこたえます。そして、やることがないから車内で寝てしまうわけです。生活のリズムがくずれます。けっこうつらい移動です。
(その後、思いついたのですが、鉄道路線が廃止になって、代替えとして、長時間乗車のバス路線ができたのではないかと推測しました)
太川陽介さんがアイドルをしていた時代に、プラベートで訪れた浦河(うらかわ)というところの喫茶店で見せてもらった三十年ぐらい前の古い写真が良かった。
北海道ですから、車窓には馬とか、牛の姿が見られます。
自分たち家族は、もう三十五年前ぐらいに、日高ケンタッキーファームという所のロッジに泊まりました。ひと家族が宿泊できる小さな小屋でした。食事は、ほかの人たちと食事小屋でラム(羊。ジンギスカン)のバーベキューを食べました。
それから、今回のバス旅の映像に出てきた『阿寒湖』にも行きました。まりもの入った瓶(びん)をおみやげに買って長いこと自宅の洗面所に飾ってありました。
自分たちはまだ三十歳代の夫婦でした。ふたり目のこどもは、まだ生まれていませんでした。
もう日高ケンタッキーファームの宿泊施設はないと思います。
時は流れて、今では、自分の人生の半分以上が過ぎてしまい、人生の終わりのほうが見えてきました。
映像では、広大な景色が続きます。
白樺並木が北海道の道らしい。道はまっすぐです。
人がいない。人口が少ない。
なにもないといえば、なにもない。
海岸あたりの漁業の場所では、自然と人間が共存しながら生活していることがわかります。
気温は、4℃ですが、冬は、マイナス30℃だそうです。なのに、夏は30℃だそうです。たいへんです。
バスの中で、高校生が言います。
『雪かきは、生きるためにやる!』
北見の喫茶店のモーニングが良かった。
肉じゃが、あったかい食べ物です。バタートーストたくさんとホットコーヒーです。
遠いなあ。根室から納沙布岬(のさっぷみさき)です。
夕食です。アルコールを飲めないえびすさんの声が良かった。
『やっぱりコーラーはうまいなあ』
『ときしらず』というシャケトロのようなお魚をいただきました。
知床半島の羅臼岳(らうすだけ)が雪をかぶって美しい。
半島の向こう側では、昨年4月23日に遊覧船が沈没するという悲しい事故がありました。ひどい話です。
亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。
あとから思い出しましたが『エンルム岬』というところは、訪れたことはありませんが、イメージが、韓国済州島(ちぇじゅとう)にある『城山日出峰(ソンサンイルチュルポン)』というところに似ていてきれいで感じかいいところだなと思いました。
(2022年2月に観たときの感想です)
太川&えびすのローカル路線バス乗り継ぎ人情旅 北海道洞爺湖(とうやこ)-知床半島羅臼(らうす) 2015年6月(平成27年)放送分の再放送 BSテレ東
観終えて、また、北海道に行きたいという気分になりました。三十歳代の頃に、二度家族旅行で訪れました。
番組は、ずいぶん前の再放送ですが、観たのは初めてです。
働いていた四十代、五十代の時は、仕事優先で、ニュースと天気予報以外、テレビはほとんど見ませんでした。リタイアしてから、再放送を見て、知らずに通り過ぎた過去の出来事をさかのぼる作業を続けています。
北海道は、車での移動に時間がかかります。
以前レンタカーで回ったとき、結局車内にいた時間が一番長かったと、あとで気づきました。
今回の番組でも、一乗車が2時間から3時間、次のバスまでの乗り換え待ち時間が1時間以上のところが多かった。
その代わり、歩く時間帯はなかったという北海道旅行の特徴がありました。とても歩けるような距離ではありません。
三人は、三泊四日で、路線バスを使って、1120kmを移動されました。ちなみに、東京都庁から九州の福岡市役所までが、車で、1089kmぐらいです。三人とも長時間のバス乗車で足腰が痛いと嘆いておられました。
ゲストは、森尾由美さんでした。日曜日の朝の番組で、松居直美さんと磯野貴理子さんと、三人でなんだかんだよもやま話をされているのを見かけます。(この部分を書いたその後のことですが、2月6日日曜日の番組を朝の着替えをしながら見ていたら、松居直美さんが、こちらのブログで1月に紹介した本『ワケあり!?なるほど語源辞典 監修・冨樫純一 絵・さがわゆめこ 編者・グラフィオ 金の星社』に書いてある語源のお話をされていたので縁を感じました)
えびすよしかずさんは気づかいをしない人なので、森尾由美さんに向かって『けっこう歳とってるね』と言葉をぶつけます(森尾由美さんが、当時48歳)
森尾由美さんは、バスの車内で、登校途中の女子高生たちに『何時入り?』と質問します。笑いました。女子高生は芸能人ではありません。
名言として、森尾由美さんが『15分しかない』えびすよしかずさんが『(バス旅の乗り換え時間の場合は)15分あれば、何でもできる』
北海道はどこも雄大な景色が広がっています。
なにもないのがいい。
歳をとると、何もない景色を見て愛おしい(いとおしい)という気持ちが湧き、何もない風景の中に自分の身をおいて、ゆったりとした気分になって、十分満足できます。
海が見えて、山があって、原野や森林が広がる。それだけでいい。
登別(のぼりべつ)のクマ牧場には『ヒトのオリ』があって、人間が檻(おり)に入って、ヒグマやツキノワグマのみなさんを見学します。
えびすよしかずさんが『くまもんを想像していたらだめだね(本物のクマは間近で見ると相当怖い(こわい)』
苫小牧(とまこまい)の喫茶店に入ったら、そこは、三十年前、太川陽介さんが22歳のときにプライベートなひとり旅で訪れたお店だったということがわかりました。
お店のご夫婦はそれから三十年間、喫茶店経営を続けながら子育てをされたわけで、当たり前のこととはいえ、たいしたものです。学校を卒業して、同じ仕事を、歳をとるまでずっと続ける時代でした。
ご夫婦と太川陽介さんとは縁がありました。素敵な出会いでした。縁のある人とは、いつでもどこでも何度でも出会います。旅先で、偶然知り合いとばったり会うこともあります。どうして、今ここにいるの? ということがあります。
襟裳岬(えりもみさき)へ向かうバスの中で、えびすよしかずさん『森進一さんが、なにもない(襟裳岬という歌で)と歌っていたから、(自分たちが泊る)ホテルもないよ』
車窓に見える牧場の建物を見ながら三人でワイワイお話をします。
えびすよしかずさんに対して『アルプスのおっさん ハイジジー(ハイジ)』
えびすよしかずさんは、『ウェリントンホテル』のことを『クリントンホテル』と連呼します。
太川陽介さんが、昔のアメリカ大統領の名前だと指摘します。
なかなか楽しい。
路線バスで通学している小学生たちが車内にいます。海を見ながら、あれが『親子岩』とか『エンルム岬』と教えてくれます。
低学年のこどもたちです。男の子も女の子も可愛い。
途中の案内所での女性とえびすよしかずさんの、とがったやりとりがおもしろかった。ごみ箱はないですか? とか、(予定のバスに乗り遅れそうになったら)バスを止めといて! とか。
そのあと、砂浜に寄せる海の波でたわむれていたら、こけて、ズボンが濡れてしまったえびよしかずさんでしたが、リュックから替えのズボンを出して、太川陽介さんと森尾由美さんが目隠し代わりの壁になって、ズボンをはきかえていました。 えびすさんは、お笑い芸人ではないのに笑いを誘います。
さらに、襟裳岬にある『風の館(やかた)』風速25mの強風体験のようすは、テレビ番組「アメトーク」での、強風に吹かれながらアクションをするアンガールズ田中卓志(たなか・たくし)さんののびきった顔みたいで笑えました。
えびすよしかずさんは魚介類が苦手なので味噌ラーメンを何度も食べます。
森尾由美さんがする、スクールメイツのバックダンスのお話はなつかしい。
鉄道が廃線になって、路線バスが廃線になって、北海道もなかなか大変です。
都市部に人と経済力が集約されています。
路線バスの中で、将来医師になりたいという中学生がふたりで塾通いです。
片道2時間かけて塾まで路線バスで往復しているそうです。がんばれ! (もう6年間ぐらいが経っているので、今はどこかの大学生でしょう)
えびすよしかずさんが中学生ふたりに、そんなにがんばっても思いどおりにはいかないよというような後ろ向きなことをしゃべろうとしたので、森尾由美さんが止めました。まだ夢をみることができる年齢です。おとなはこどもの夢を壊さないようにしましょう。
知床半島にある雪をかぶった羅臼岳(らうすだけ)の美(び)の風景があります。
いつか観てみたい。
三人は、昼前に目的地にゴールしました。
それまでで、最速時間、最長移動距離の旅だったそうです。
(その翌日)
録画でNHKの番組『72時間』を見ました。そちらも再放送でした。
舞台が、根室の大きなコンビニで、串カツ弁当がメインのインタビュー番組でした。
登場された方が、これから中標津(なかしべつ)へ行くと言われて、太川陽介チームと同じルートで縁を感じました。
2023年05月08日
おしっこちょっぴりもれたろう ヨシタケシンスケ
おしっこちょっぴりもれたろう ヨシタケシンスケ PHP
絵本です。
5歳ぐらいに見える男の子です。
幼稚園の年長さんぐらいか。ことし6歳になるぐらいです。
はいているパンツに、ちいさなおしっこのしみがついています。
自分がこれくらいの年齢のときに、こういうことがあったろうか。
歳をとったので、もう思い出せません。
あっても、気にしなかった。
ページをめくると、
『ぼく、おしっこちょっぴりもれたろう。』です。
(なんというか、年寄りになると、もれたろうになります。男でも女でもです。イケメンでも美女でもです。あんがい、しゅっとしたかっこいいお年寄りでも、紙パンツをはいていたりもします)
おかあさんにおこられるそうです。
おこるおかあさんって、いるのだろうか。
そんなママは、いやだなあ。(ママだって、お年寄りになって、介護を受けるようになったら、もれたろうになるのです)
絵本の中にいるママに、絵本の中にいるもれたろうの息子さんをおこらないでくださいと言いたくなるのです。(あんまりおこると、しかえしされますよ。ねたきりになったとき、西日の強い部屋に寝かされるかもしれません)
『…… これ、しばらくするとかわくんだ。』
なんだか、「安心してください。はいてますよ」の安村さんみたい。(とにかく明るい安村(やすむら)さん。芸人さんです。最近外国で演技をほめられて有名になられました)
ちょっぴりなら、もれても困らない。
たくさんだと困る。
ユーモラスな絵です。(人の心をなごませる。笑える)
この男の子には『自信』と『勇気』が必要です。
男の子が、あなたも漏らしていませんか? と聞いて、返答を拒否する人は、きっともらしているに違いない。
(そういう、理屈か)
邦画『ぼくらの七日間戦争』みたいな絵が出てきました。
(ぼくらの七日間戦争 宗田理(そうだおさむ) 角川文庫)
こどもたちが、おとなに戦いをいどむのです。
その後、ちょっと意外な方向性で、お話は進んでいきます。
それぞれ、そういうことってあるあるという出来事です。
ハハハ(笑い) しょせん人間の体は、そのようにできている。
かっこつけてもしょうがないのです。
見た目(外見がいけん)の良さを維持することはたいへんです。
以前『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』という趣旨で書かれた旅行記を読んだことがあります。恐れなくてもいいものを恐れていたという内容だった記憶です。(インパラの朝 中村安希 集英社)
外からの情報を信じやすいのが人間です。何者かに加工されて(意図をもってつくられた)できている世界にわたしたちはいるのです。わざとだまされているふりをするか、真実を暴くか(あばくか)は、自分次第です。(きのうは、同作者の『りんごかもしれない』を読みました。りんごのようでりんごではないのです。同趣旨が流れていると感じました)
赤いシャツを着て、ズボンにおしっこをつけた少年登場です。
この子が『もれたろうくん』なのか。いままでの子は『おしっこちょっぴりもれたろうくん』で、こんどの子は『おしっこけっこうもれたろうくん』です。
股間付近に(こかんふきんに。両足の付け根あたりに)少し大きなしみができています。
木に登ったり、ぶらさがったりして遊ぶふたりの姿は、妖精のようです。
共通の行為をもつことで、友だち同士になりました。
出会いがあれば、別れがあるのが人生です。
工夫(くふう。いいやりかたを考えること)された設定があります。
先日読み終えた本『方舟(はこぶね) 夕木春央(ゆうき・はるお。男性) 講談社』の設定を思い出しました。(内容は、なかなか良かった)
おちんちんのさきっぽが濡れていると、パンツにしみがつくのですよ。
『ぼく、いつまでもれたろうなんだろう…』(へんな言い方ですが、なにが、むけたらだいじょうぶです。パパに聞いてごらん)
おじいさん登場です。
ほらね。
そうだよ。あんがい、おばあちゃんももれたろうなんだよ。
いや、女子の場合は、もれ花子というのだろうか。(今どきのお名前ではありませんが……)
絵本です。
5歳ぐらいに見える男の子です。
幼稚園の年長さんぐらいか。ことし6歳になるぐらいです。
はいているパンツに、ちいさなおしっこのしみがついています。
自分がこれくらいの年齢のときに、こういうことがあったろうか。
歳をとったので、もう思い出せません。
あっても、気にしなかった。
ページをめくると、
『ぼく、おしっこちょっぴりもれたろう。』です。
(なんというか、年寄りになると、もれたろうになります。男でも女でもです。イケメンでも美女でもです。あんがい、しゅっとしたかっこいいお年寄りでも、紙パンツをはいていたりもします)
おかあさんにおこられるそうです。
おこるおかあさんって、いるのだろうか。
そんなママは、いやだなあ。(ママだって、お年寄りになって、介護を受けるようになったら、もれたろうになるのです)
絵本の中にいるママに、絵本の中にいるもれたろうの息子さんをおこらないでくださいと言いたくなるのです。(あんまりおこると、しかえしされますよ。ねたきりになったとき、西日の強い部屋に寝かされるかもしれません)
『…… これ、しばらくするとかわくんだ。』
なんだか、「安心してください。はいてますよ」の安村さんみたい。(とにかく明るい安村(やすむら)さん。芸人さんです。最近外国で演技をほめられて有名になられました)
ちょっぴりなら、もれても困らない。
たくさんだと困る。
ユーモラスな絵です。(人の心をなごませる。笑える)
この男の子には『自信』と『勇気』が必要です。
男の子が、あなたも漏らしていませんか? と聞いて、返答を拒否する人は、きっともらしているに違いない。
(そういう、理屈か)
邦画『ぼくらの七日間戦争』みたいな絵が出てきました。
(ぼくらの七日間戦争 宗田理(そうだおさむ) 角川文庫)
こどもたちが、おとなに戦いをいどむのです。
その後、ちょっと意外な方向性で、お話は進んでいきます。
それぞれ、そういうことってあるあるという出来事です。
ハハハ(笑い) しょせん人間の体は、そのようにできている。
かっこつけてもしょうがないのです。
見た目(外見がいけん)の良さを維持することはたいへんです。
以前『世界は、誤解と錯覚で成り立っている』という趣旨で書かれた旅行記を読んだことがあります。恐れなくてもいいものを恐れていたという内容だった記憶です。(インパラの朝 中村安希 集英社)
外からの情報を信じやすいのが人間です。何者かに加工されて(意図をもってつくられた)できている世界にわたしたちはいるのです。わざとだまされているふりをするか、真実を暴くか(あばくか)は、自分次第です。(きのうは、同作者の『りんごかもしれない』を読みました。りんごのようでりんごではないのです。同趣旨が流れていると感じました)
赤いシャツを着て、ズボンにおしっこをつけた少年登場です。
この子が『もれたろうくん』なのか。いままでの子は『おしっこちょっぴりもれたろうくん』で、こんどの子は『おしっこけっこうもれたろうくん』です。
股間付近に(こかんふきんに。両足の付け根あたりに)少し大きなしみができています。
木に登ったり、ぶらさがったりして遊ぶふたりの姿は、妖精のようです。
共通の行為をもつことで、友だち同士になりました。
出会いがあれば、別れがあるのが人生です。
工夫(くふう。いいやりかたを考えること)された設定があります。
先日読み終えた本『方舟(はこぶね) 夕木春央(ゆうき・はるお。男性) 講談社』の設定を思い出しました。(内容は、なかなか良かった)
おちんちんのさきっぽが濡れていると、パンツにしみがつくのですよ。
『ぼく、いつまでもれたろうなんだろう…』(へんな言い方ですが、なにが、むけたらだいじょうぶです。パパに聞いてごらん)
おじいさん登場です。
ほらね。
そうだよ。あんがい、おばあちゃんももれたろうなんだよ。
いや、女子の場合は、もれ花子というのだろうか。(今どきのお名前ではありませんが……)
2023年05月06日
週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録
週刊文春 シリーズ昭和④哀悼篇 昭和の遺書 魂の記録 生きる意味を教えてくれる91人の「最期の言葉」 文春ムック 平成29年12月11日発行 2017年11月27日電子版発行 Kindle Unlimited 電子書籍
胸にぐっとくるものがありました。
読書メモを残しておいた方がいいと思ったので、いくつかをピックアップして感想を添えます。
最初は、もうずいぶん前に亡くなってしまった人たちが遺した(のこした)言葉であり、もう済んでしまったことと、今はいない人たちのことを未来に向かって、なにかをどうすることもできないと、消極的な気持ちで読み始めました。各自の年齢は死没時のものです。
『手塚治虫』 1989年2月9日(平成元年) 60歳 胃がん
なんというか、仕事の鬼です。仕事中毒でもある。
娘さんの本を読んだことがあります。『ゲゲゲの娘、レレレの娘、ラララの娘 水木悦子 赤塚りえ子 手塚るみ子 文藝春秋』
ご本人の日記の最終ページに「……仕事をさせてくれ」という叫びのような文字が残されています。
『美空ひばり』 1989年6月24日(平成元年) 52歳 間質性肺炎
東京ドームでのコンサートにかける気迫がすごい。
5万人の観客の前で熱唱されています。
死期が近づいて、栄光の時が遠ざかっていくというように書かれています。
『逸見政孝(いつみ・まさたか)』 ニュースキャスター 1993年12月25日(平成5年) 48歳 がん
人気者のアナウンサーの方でした。
息子さんに気持ちを伝えておられます。
ママのことを気にかけてやってくれ。
『青島幸雄』 東京都知事・タレント・作家 2006年12月20日(平成18年) 74歳 骨髄異形成症候群
ママ(奥さん)のことを慕っておられました。
*長寿社会と言われていますが、短命で亡くなる方も多い。体力・精神力の限界線を超えて働きすぎて、体が壊れたのだろうか。
『田中好子』 歌手キャンディーズメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳 乳がん
もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。
『川島なおみ』 女優 2015年9月24日(平成27年) 54歳 胆管がん
だんなさんに向けて、再婚はしないでねとお願いされています。
重松清小説作品『その日の前に』では、がんで亡くなる奥さんが『(わたしのことは)忘れてもいいよ』と言葉を遺して亡くなります。『忘れないで』ではなくて、遺されるご主人のこれから先の幸せのために『忘れてもいいよ』(再婚してもいいよ)と表現したとわたしは受け止めました。そして『忘れてね』(再婚してください)ではないのです。本当は、忘れてほしくないのです。
どちらがどうなのか、他人が判断することはむずかしい。
夫婦のことは夫婦にしかわかりません。
『色川武弘(いろかわたけひろ)』 作家 1989年4月10日(平成元年) 60歳 心臓破裂
わたしは、別名、阿佐田哲也としての雀士(プロ麻雀士)としてのご本人の本をよく読みました。
若い死です。
ご本人は、うまく死ねるように、死に方を研究したいと記されています。
『寺山修司』 劇作家、歌人 1983年5月22日(昭和58年) 47歳 敗血症
自分のお墓はいらないと意思表示をされています。お仲間たちも短命だったようです。7名の知人の死が列挙されています。
『湯川秀樹』 ノーベル賞受賞物理学者 1981年9月8日(昭和56年) 74歳 肺炎・心不全
死んだ後のことはわからないというような悟りを開かれています。
『梨本勝』 芸能レポーター 2010年8月21日(平成22年) 65歳 肺がん
恐い(こわい)と言われ、奥さんにありがとねと感謝され、その後お亡くなりになっています。
『筑紫哲也』 ジャーナリスト 2008年11月7日(平成20年) 73歳 肺がん
最後にご本人が、ボールペンで紙にメモされた言葉は『Thank you』
『井上ひさし』 作家 2010年4月9日(平成22年) 75歳 肺がん
戦争や災害でおおぜいといっしょに死ぬよりも、ひとりひとりがそれぞれの死に方で死ぬというのは、幸せなことなんだよと奥さんにお話されています。
『杉原輝夫』 プロゴルファー 2011年12月28日(平成23年) 74歳 前立腺がん
インタビューで、一生懸命やることがファンサービスなのだと力説されています。
『五味康祐(ごみ・やすすけ)』 小説家 1980年4月1日(昭和55年) 58歳 肺がん
ご本人は、自分は長生きできる。自分は長生きしなければならないとアピールされています。
『佐野洋子』 絵本作家、エッセイスト 2010年11月5日(平成22年) 72歳 乳がん
絵本『100万回生きたねこ』の作者さんです。
余命宣告を受けて文章を遺されています。思い残すことは何もない。こどももいない。楽に死にたい。自分はものすごく貧乏をした。貧乏からすべてのことを学んだ。一番大事なものはお金では買えない。自分にとって一番大事なものは『情(じょう。気持ち。思いやり)』だったと結んでおられます。
『鶴田浩二』 俳優 1987年6月16日(昭和62年) 62歳 肺がん
わたしは、当時の水谷豊さんとか桃井かおりさんがいっしょに出演していたNHKドラマ『男たちの旅路』のファンでした。
最後の言葉は、男とはこういうものだということが色紙に書かれています。主題は『忍耐』です。
(追記:この文章を作成後、ドラマ『男たちの旅路』が5月12日金曜日夜にNHKBSプレミアムで再放送されることを知りました。観てみるつもりです。最近は、朝は、岩手県三陸鉄道がらみ、じぇじぇじぇの『あまちゃん』を観て、火曜日の夜はBS日テレで、昔の太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ旅の再放送を観て、今回この本を読んだことがきっかけで、この、「男たちの旅路」を観て、自分はいったい今、いつの時代に生きているのだろうかと不思議な気分になります。日曜日のお昼にNHKの「のど自慢」も観ているのですが、自分が若かったころのなつかしい昔の歌が流れることが多く、やはり、昔の歌のほうが歌いやすく気持ちをこめやすいとうなずくのです)
『円谷幸吉(つぶらや・こうきち)』 オリンピックマラソンランナー 1968年1月8日(昭和43年) 27歳 自死
フォークソングの歌にもなった人です。悲しい結末でした。
親族への感謝と「(がんばりすぎて)もう走れません」という切ない内容のお手紙が遺されています。みんなのそばで、みんなと一緒に暮らしたかったと結ばれています。悲劇です。必勝優先の孤独な位置に追い込まれています。
『尾崎豊』 ミュージシャン 1992年4月25日(平成4年) 26歳 自死
共働きで子育てと仕事の両立に追われる生活をしていた頃なので、自分はあまり知らない人なのですが、職場の若い人が熱狂的なファンでした。
文章には、宗教的な記述もあり、なにかしら、なにかに憑(と)りつかれていたのではないか。(とりつかれて:のりうつられた)
『田宮二郎』 俳優 1978年12月28日(昭和53年) 43歳 自死
こどものころよくテレビで拝見した俳優さんです。
奥さんに言葉を遺されています。お子さんはおふたりおられます。
死の理由がわかりません。
*自死の有名人が続きます。気が滅入ってきたので自死者の感想はとばします。
死なないでほしい。うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。それが人生です。
会社の秘密を守るために自死した商社の幹部がいます。『会社の生命は永遠です』とあります。違います。不祥事から会社の秘密を守るために56歳で会社のビルから飛び降りて亡くなっています。犯罪を立証するための生き証人だったのでしょう。
『向田邦子』 脚本家、作家 1981年8月22日(昭和56年) 51歳 飛行機墜落事故(台湾にて)
遺書というか遺言書を遺されています。1979年(昭和54年)に財産分与等についての遺言書を作成されています。
『金子光春』 詩人 1975年6月30日(昭和50年) 79歳 心不全
わたしが高校生のときに心酔した詩人です。東京吉祥寺にあったご自宅で亡くなったことは、この部分を書きながら調べて初めて知りました。吉祥寺駅(きちじょうじえき)の北です。今年3月末に同地を訪れたばかりなので縁を感じました。
遺される奥さんへの感謝と、財産はすべて奥さんに渡すというような内容の遺言になっています。死の二か月前ぐらいの時期に書かれています。
『河口博次(かわぐちひろつぐ)』 大阪商船三井船舶神戸支店長 1985年8月12日日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者 墜落していく間、社員手帳に書かれた家族あての遺書 52歳没
(要旨として)こどもたちに対してママを頼む。パパは残念だ。きっと助からない。原因はわからない。もう飛行機には乗りたくない。神さま助けてください。ママに対して、こどもたちを頼む。
(胸を突かれるような記述です。これを読んで自分が思い出したことがあります。わたしの父が病気で死ぬ前々日ぐらいにわたしに『(自分が死んだら)お母さんのことを頼む』と言いました。当時中学生の反抗期だったわたしは、父親とたいていケンカをする毎日であり、なに言ってるんだ! と怒っていました。(おこっていました)。40歳で病死した父の遺体を見た時は「(自分たち家族は)これからどうやって生活していくんだ!」と、やっぱり怒っていました。今思うに、父は気が短い人間でしたが、自分も気が短い人間でした。
そのあとのページには、第二次世界大戦で散っていかれた方々の遺書や手紙が続いて掲載されています。戦争は異常です。だれのために、なんのために命を落としていくのか。不明朗です。人間全体が、錯覚という世界につかっているようです。
一昨年の秋に、高齢だった義父を亡くし、翌月に義母も亡くし、たて続けのお葬式の段取りやその後の手続きで忙しく、あっという間に月日が過ぎました。
義父母は遺言書を遺してくれていたので、それに従ってその後の手続きをしていきましたが、なかなかたいへんな作業でした。
ひと息ついたところで、九州に住むもう九十歳近い実母に何回か会いに行き、実母の死後のことについてまじめに話をしました。なにをどうするのかを聞き、どこに何があるのかを聞き、計画をまとめ終わるまでには、かなり時間がかかりました。遺言書の話をしたら『(弟に向かって)あんたが書いてくれればいい』みたいなことを言うので、しかたがないなと笑いながら、きょうだいと、葬式は、こんな感じでとか、財産はこんなふうに分けようと相談して話がまとまりました。
自分自身もきちんとしておかなければならないと考えて、公証人役場に行って、公正証書遺言の手続きをしました。あわせて、家族へのメッセージも残しました。
こどもには、まだ早いのではないかと笑われましたが、今書いても数年後に書いても内容は変わらないと説明して、内容はこんなふうにしてあると伝えました。
すっきりしました。
あとは、長生きするだけです。
胸にぐっとくるものがありました。
読書メモを残しておいた方がいいと思ったので、いくつかをピックアップして感想を添えます。
最初は、もうずいぶん前に亡くなってしまった人たちが遺した(のこした)言葉であり、もう済んでしまったことと、今はいない人たちのことを未来に向かって、なにかをどうすることもできないと、消極的な気持ちで読み始めました。各自の年齢は死没時のものです。
『手塚治虫』 1989年2月9日(平成元年) 60歳 胃がん
なんというか、仕事の鬼です。仕事中毒でもある。
娘さんの本を読んだことがあります。『ゲゲゲの娘、レレレの娘、ラララの娘 水木悦子 赤塚りえ子 手塚るみ子 文藝春秋』
ご本人の日記の最終ページに「……仕事をさせてくれ」という叫びのような文字が残されています。
『美空ひばり』 1989年6月24日(平成元年) 52歳 間質性肺炎
東京ドームでのコンサートにかける気迫がすごい。
5万人の観客の前で熱唱されています。
死期が近づいて、栄光の時が遠ざかっていくというように書かれています。
『逸見政孝(いつみ・まさたか)』 ニュースキャスター 1993年12月25日(平成5年) 48歳 がん
人気者のアナウンサーの方でした。
息子さんに気持ちを伝えておられます。
ママのことを気にかけてやってくれ。
『青島幸雄』 東京都知事・タレント・作家 2006年12月20日(平成18年) 74歳 骨髄異形成症候群
ママ(奥さん)のことを慕っておられました。
*長寿社会と言われていますが、短命で亡くなる方も多い。体力・精神力の限界線を超えて働きすぎて、体が壊れたのだろうか。
『田中好子』 歌手キャンディーズメンバー 2011年4月21日(平成23年) 55歳 乳がん
もっと生きていたかったという思いが切々と伝わってきました。
『川島なおみ』 女優 2015年9月24日(平成27年) 54歳 胆管がん
だんなさんに向けて、再婚はしないでねとお願いされています。
重松清小説作品『その日の前に』では、がんで亡くなる奥さんが『(わたしのことは)忘れてもいいよ』と言葉を遺して亡くなります。『忘れないで』ではなくて、遺されるご主人のこれから先の幸せのために『忘れてもいいよ』(再婚してもいいよ)と表現したとわたしは受け止めました。そして『忘れてね』(再婚してください)ではないのです。本当は、忘れてほしくないのです。
どちらがどうなのか、他人が判断することはむずかしい。
夫婦のことは夫婦にしかわかりません。
『色川武弘(いろかわたけひろ)』 作家 1989年4月10日(平成元年) 60歳 心臓破裂
わたしは、別名、阿佐田哲也としての雀士(プロ麻雀士)としてのご本人の本をよく読みました。
若い死です。
ご本人は、うまく死ねるように、死に方を研究したいと記されています。
『寺山修司』 劇作家、歌人 1983年5月22日(昭和58年) 47歳 敗血症
自分のお墓はいらないと意思表示をされています。お仲間たちも短命だったようです。7名の知人の死が列挙されています。
『湯川秀樹』 ノーベル賞受賞物理学者 1981年9月8日(昭和56年) 74歳 肺炎・心不全
死んだ後のことはわからないというような悟りを開かれています。
『梨本勝』 芸能レポーター 2010年8月21日(平成22年) 65歳 肺がん
恐い(こわい)と言われ、奥さんにありがとねと感謝され、その後お亡くなりになっています。
『筑紫哲也』 ジャーナリスト 2008年11月7日(平成20年) 73歳 肺がん
最後にご本人が、ボールペンで紙にメモされた言葉は『Thank you』
『井上ひさし』 作家 2010年4月9日(平成22年) 75歳 肺がん
戦争や災害でおおぜいといっしょに死ぬよりも、ひとりひとりがそれぞれの死に方で死ぬというのは、幸せなことなんだよと奥さんにお話されています。
『杉原輝夫』 プロゴルファー 2011年12月28日(平成23年) 74歳 前立腺がん
インタビューで、一生懸命やることがファンサービスなのだと力説されています。
『五味康祐(ごみ・やすすけ)』 小説家 1980年4月1日(昭和55年) 58歳 肺がん
ご本人は、自分は長生きできる。自分は長生きしなければならないとアピールされています。
『佐野洋子』 絵本作家、エッセイスト 2010年11月5日(平成22年) 72歳 乳がん
絵本『100万回生きたねこ』の作者さんです。
余命宣告を受けて文章を遺されています。思い残すことは何もない。こどももいない。楽に死にたい。自分はものすごく貧乏をした。貧乏からすべてのことを学んだ。一番大事なものはお金では買えない。自分にとって一番大事なものは『情(じょう。気持ち。思いやり)』だったと結んでおられます。
『鶴田浩二』 俳優 1987年6月16日(昭和62年) 62歳 肺がん
わたしは、当時の水谷豊さんとか桃井かおりさんがいっしょに出演していたNHKドラマ『男たちの旅路』のファンでした。
最後の言葉は、男とはこういうものだということが色紙に書かれています。主題は『忍耐』です。
(追記:この文章を作成後、ドラマ『男たちの旅路』が5月12日金曜日夜にNHKBSプレミアムで再放送されることを知りました。観てみるつもりです。最近は、朝は、岩手県三陸鉄道がらみ、じぇじぇじぇの『あまちゃん』を観て、火曜日の夜はBS日テレで、昔の太川陽介さんとえびすよしかずさんの路線バス乗り継ぎ旅の再放送を観て、今回この本を読んだことがきっかけで、この、「男たちの旅路」を観て、自分はいったい今、いつの時代に生きているのだろうかと不思議な気分になります。日曜日のお昼にNHKの「のど自慢」も観ているのですが、自分が若かったころのなつかしい昔の歌が流れることが多く、やはり、昔の歌のほうが歌いやすく気持ちをこめやすいとうなずくのです)
『円谷幸吉(つぶらや・こうきち)』 オリンピックマラソンランナー 1968年1月8日(昭和43年) 27歳 自死
フォークソングの歌にもなった人です。悲しい結末でした。
親族への感謝と「(がんばりすぎて)もう走れません」という切ない内容のお手紙が遺されています。みんなのそばで、みんなと一緒に暮らしたかったと結ばれています。悲劇です。必勝優先の孤独な位置に追い込まれています。
『尾崎豊』 ミュージシャン 1992年4月25日(平成4年) 26歳 自死
共働きで子育てと仕事の両立に追われる生活をしていた頃なので、自分はあまり知らない人なのですが、職場の若い人が熱狂的なファンでした。
文章には、宗教的な記述もあり、なにかしら、なにかに憑(と)りつかれていたのではないか。(とりつかれて:のりうつられた)
『田宮二郎』 俳優 1978年12月28日(昭和53年) 43歳 自死
こどものころよくテレビで拝見した俳優さんです。
奥さんに言葉を遺されています。お子さんはおふたりおられます。
死の理由がわかりません。
*自死の有名人が続きます。気が滅入ってきたので自死者の感想はとばします。
死なないでほしい。うまくいくときもあれば、うまくいかないときもある。それが人生です。
会社の秘密を守るために自死した商社の幹部がいます。『会社の生命は永遠です』とあります。違います。不祥事から会社の秘密を守るために56歳で会社のビルから飛び降りて亡くなっています。犯罪を立証するための生き証人だったのでしょう。
『向田邦子』 脚本家、作家 1981年8月22日(昭和56年) 51歳 飛行機墜落事故(台湾にて)
遺書というか遺言書を遺されています。1979年(昭和54年)に財産分与等についての遺言書を作成されています。
『金子光春』 詩人 1975年6月30日(昭和50年) 79歳 心不全
わたしが高校生のときに心酔した詩人です。東京吉祥寺にあったご自宅で亡くなったことは、この部分を書きながら調べて初めて知りました。吉祥寺駅(きちじょうじえき)の北です。今年3月末に同地を訪れたばかりなので縁を感じました。
遺される奥さんへの感謝と、財産はすべて奥さんに渡すというような内容の遺言になっています。死の二か月前ぐらいの時期に書かれています。
『河口博次(かわぐちひろつぐ)』 大阪商船三井船舶神戸支店長 1985年8月12日日航ジャンボ機墜落事故の犠牲者 墜落していく間、社員手帳に書かれた家族あての遺書 52歳没
(要旨として)こどもたちに対してママを頼む。パパは残念だ。きっと助からない。原因はわからない。もう飛行機には乗りたくない。神さま助けてください。ママに対して、こどもたちを頼む。
(胸を突かれるような記述です。これを読んで自分が思い出したことがあります。わたしの父が病気で死ぬ前々日ぐらいにわたしに『(自分が死んだら)お母さんのことを頼む』と言いました。当時中学生の反抗期だったわたしは、父親とたいていケンカをする毎日であり、なに言ってるんだ! と怒っていました。(おこっていました)。40歳で病死した父の遺体を見た時は「(自分たち家族は)これからどうやって生活していくんだ!」と、やっぱり怒っていました。今思うに、父は気が短い人間でしたが、自分も気が短い人間でした。
そのあとのページには、第二次世界大戦で散っていかれた方々の遺書や手紙が続いて掲載されています。戦争は異常です。だれのために、なんのために命を落としていくのか。不明朗です。人間全体が、錯覚という世界につかっているようです。
一昨年の秋に、高齢だった義父を亡くし、翌月に義母も亡くし、たて続けのお葬式の段取りやその後の手続きで忙しく、あっという間に月日が過ぎました。
義父母は遺言書を遺してくれていたので、それに従ってその後の手続きをしていきましたが、なかなかたいへんな作業でした。
ひと息ついたところで、九州に住むもう九十歳近い実母に何回か会いに行き、実母の死後のことについてまじめに話をしました。なにをどうするのかを聞き、どこに何があるのかを聞き、計画をまとめ終わるまでには、かなり時間がかかりました。遺言書の話をしたら『(弟に向かって)あんたが書いてくれればいい』みたいなことを言うので、しかたがないなと笑いながら、きょうだいと、葬式は、こんな感じでとか、財産はこんなふうに分けようと相談して話がまとまりました。
自分自身もきちんとしておかなければならないと考えて、公証人役場に行って、公正証書遺言の手続きをしました。あわせて、家族へのメッセージも残しました。
こどもには、まだ早いのではないかと笑われましたが、今書いても数年後に書いても内容は変わらないと説明して、内容はこんなふうにしてあると伝えました。
すっきりしました。
あとは、長生きするだけです。
2023年05月05日
出川哲朗の充電させてもらえませんか 宮城県鳴子峡から松島
出川哲朗の充電させてもらえませんか 宮城県 テレビ東京 ついに宮城県で全国制覇! 絶景の紅葉街道“金色の鳴子峡”から“日本三景松島”までズズーっと108キロ! きゃりーぱみゅぱみゅが初登場で飯尾も絶好調!ヤバいよ2
去年11月下旬に宮城県の仙台、松島海岸、塩釜に行きました。
この番組は、そのときの11月上旬にロケが行われています。自分たち夫婦が訪れた松島遊覧船乗り場あたりの映像を見たい。
録画してあったものをようやく観ました。全国各地での放送日はまちまちのようです。関東地区は今年の1月14日だったそうです。こちらの東海地区は、3月4日と11日の2回に分けて放送がありました。
鳴子峡からのスタートでは、紅葉風景がすばらしい。ドローンによる色づいた葉っぱと橋の映像に広がりがありました。
ちっちゃな男の子の声『じゅうでんがきたーぁ』がかわいい。
人がいっぱい集まってきます。
絶景です。
前半のゲスト『ずん 飯尾さん』が、前乗り(前日宿泊)で寝坊は考えられません。昨夜、飲みましたね(お酒)。
こけし資料館とか公衆浴場とか、見ているだけで、自分のその場にいて旅行気分を味わうことができます。
地元の人が優しい。48℃もある露天風呂のお湯の熱さが、見ている者にも伝わってきました。
『充電させてもらえませんか?』と一般人宅の玄関ドアを開けて、家の中から出て来た小学生少年が、「親がいない」とびっくりして駆けだして、お向かいの家にいた祖母に声をかけて、それから祖父が出て来てという流れが良かった。いなかは、親族、一族で固まって暮らしていることが多い。助け合いが必要なのです。
奥さんが出してくださった、ひじきの煮つけは、しらたき、にんじんなどが入っていておいしそうでした。飯尾さんは料理上手で、包丁さばきがうまかった。
鍋料理のお店の前で出会った母子のあかちゃんがかわいかった。
一行は鴨せり鍋を召し上がりました。
飯尾さんはここでおしまい。
翌日、おもち屋でずんだもちを食べます。
熊じいさん夫婦も仙台で、ずんだもち、ぶ厚い牛タンなどを楽しみました。
きゃりーぱみゅぱみゅさんが、生れて初めて原付バイクに乗ると言われたのでちょっと驚きました。でも、このまえ、昔の太川さんとえびすさんの路線バスの旅では、ゲストのマルシアさんが、生れて始めて路線バスに乗ると言われたのでたいそう驚きました。どういう人生を送ったらそうなるのだろう。庶民とはかけ離れた世界です。
いいお天気で良かった。
田んぼの景色が続きます。
次に訪れた『充電していいよ』のお宅も親族が実家のまわりに集まって住んでおられました。
ふだんからきちんと暮らしておられるお宅では、いつでも人を迎え入れられるwellcome(ウェルカム)な体制が整っています。
73歳と69歳のご夫婦でお孫さん10人です。どこの家も壁には家族写真、親族写真が飾られています。うちもそうです。
いなかには、ちいさなお子さんがたくさんいます。いなかは、少子化の今にあって、こどもがたくさんいる地域です。親族で子育てや介護をやります。
きゃりーぱみゅぱみゅさんには華(はな)があります。
きゃりーぱみゅぱみゅさんは、地元の人たちや出川哲朗さんとじょうずにおしゃべりができる人だなあと感心しました。
わたしは、申し訳ないけれどきゃりーぱみゅぱみゅさんという人をよく知りません。電子的な音楽でコンピューターがつくったような声で歌を歌う女性だなとテレビを見ていて思ったことがあるぐらいです。まあ、稼がねば(かせがねば)なりませんから、タレントさんというものは、自分ではないアイドル像(個性)を演じることが職業ということはあるだろうと思っています。人皆(ひとみな。だれでも)家の外(職場)では自分ではないだれかを演じている部分はあります。
昨年の秋に、ああ自分たち夫婦も歩いたなあという、宮城県松島遊覧船乗り場あたりにある道の映像がテレビ画面に出てきました。
親近感が湧きます。
メンバーは、松島湾巡りの船を貸し切りで頼みました。わたしたちは、大きな遊覧船に乗って島回りをしましたが、テレビで岩の名称のアナウンスを聞きながら、島の名前の復習ができました。
船に乗る前に桟橋(さんばし)で、不思議な少年に出会いました。小学生です。もしかしたら何年後かに、彼がお笑い芸人で表舞台に出てくるかもしれません。
地元のお肉屋さんで食事です。
食事のあと、出川さんもきゃりーぱみゅぱみゅさんもサイン用のお皿にじょうずにサインをなさっていました。
暗いなか、ライトアップされたお寺さんのそばを自分たち夫婦も昨秋昼間に歩きました。そのお寺のお隣にある瑞巌寺(ずいがんじ)のほうを見学しました。
土地勘があるので、映像を楽しめました。テレ東さん、ありがとう。
去年11月下旬に宮城県の仙台、松島海岸、塩釜に行きました。
この番組は、そのときの11月上旬にロケが行われています。自分たち夫婦が訪れた松島遊覧船乗り場あたりの映像を見たい。
録画してあったものをようやく観ました。全国各地での放送日はまちまちのようです。関東地区は今年の1月14日だったそうです。こちらの東海地区は、3月4日と11日の2回に分けて放送がありました。
鳴子峡からのスタートでは、紅葉風景がすばらしい。ドローンによる色づいた葉っぱと橋の映像に広がりがありました。
ちっちゃな男の子の声『じゅうでんがきたーぁ』がかわいい。
人がいっぱい集まってきます。
絶景です。
前半のゲスト『ずん 飯尾さん』が、前乗り(前日宿泊)で寝坊は考えられません。昨夜、飲みましたね(お酒)。
こけし資料館とか公衆浴場とか、見ているだけで、自分のその場にいて旅行気分を味わうことができます。
地元の人が優しい。48℃もある露天風呂のお湯の熱さが、見ている者にも伝わってきました。
『充電させてもらえませんか?』と一般人宅の玄関ドアを開けて、家の中から出て来た小学生少年が、「親がいない」とびっくりして駆けだして、お向かいの家にいた祖母に声をかけて、それから祖父が出て来てという流れが良かった。いなかは、親族、一族で固まって暮らしていることが多い。助け合いが必要なのです。
奥さんが出してくださった、ひじきの煮つけは、しらたき、にんじんなどが入っていておいしそうでした。飯尾さんは料理上手で、包丁さばきがうまかった。
鍋料理のお店の前で出会った母子のあかちゃんがかわいかった。
一行は鴨せり鍋を召し上がりました。
飯尾さんはここでおしまい。
翌日、おもち屋でずんだもちを食べます。
熊じいさん夫婦も仙台で、ずんだもち、ぶ厚い牛タンなどを楽しみました。
きゃりーぱみゅぱみゅさんが、生れて初めて原付バイクに乗ると言われたのでちょっと驚きました。でも、このまえ、昔の太川さんとえびすさんの路線バスの旅では、ゲストのマルシアさんが、生れて始めて路線バスに乗ると言われたのでたいそう驚きました。どういう人生を送ったらそうなるのだろう。庶民とはかけ離れた世界です。
いいお天気で良かった。
田んぼの景色が続きます。
次に訪れた『充電していいよ』のお宅も親族が実家のまわりに集まって住んでおられました。
ふだんからきちんと暮らしておられるお宅では、いつでも人を迎え入れられるwellcome(ウェルカム)な体制が整っています。
73歳と69歳のご夫婦でお孫さん10人です。どこの家も壁には家族写真、親族写真が飾られています。うちもそうです。
いなかには、ちいさなお子さんがたくさんいます。いなかは、少子化の今にあって、こどもがたくさんいる地域です。親族で子育てや介護をやります。
きゃりーぱみゅぱみゅさんには華(はな)があります。
きゃりーぱみゅぱみゅさんは、地元の人たちや出川哲朗さんとじょうずにおしゃべりができる人だなあと感心しました。
わたしは、申し訳ないけれどきゃりーぱみゅぱみゅさんという人をよく知りません。電子的な音楽でコンピューターがつくったような声で歌を歌う女性だなとテレビを見ていて思ったことがあるぐらいです。まあ、稼がねば(かせがねば)なりませんから、タレントさんというものは、自分ではないアイドル像(個性)を演じることが職業ということはあるだろうと思っています。人皆(ひとみな。だれでも)家の外(職場)では自分ではないだれかを演じている部分はあります。
昨年の秋に、ああ自分たち夫婦も歩いたなあという、宮城県松島遊覧船乗り場あたりにある道の映像がテレビ画面に出てきました。
親近感が湧きます。
メンバーは、松島湾巡りの船を貸し切りで頼みました。わたしたちは、大きな遊覧船に乗って島回りをしましたが、テレビで岩の名称のアナウンスを聞きながら、島の名前の復習ができました。
船に乗る前に桟橋(さんばし)で、不思議な少年に出会いました。小学生です。もしかしたら何年後かに、彼がお笑い芸人で表舞台に出てくるかもしれません。
地元のお肉屋さんで食事です。
食事のあと、出川さんもきゃりーぱみゅぱみゅさんもサイン用のお皿にじょうずにサインをなさっていました。
暗いなか、ライトアップされたお寺さんのそばを自分たち夫婦も昨秋昼間に歩きました。そのお寺のお隣にある瑞巌寺(ずいがんじ)のほうを見学しました。
土地勘があるので、映像を楽しめました。テレ東さん、ありがとう。
2023年05月04日
うまれてくるよ海のなか 高久至 かんちくたかこ
うまれてくるよ海のなか しゃしん・高久至(たかく・いたる) ぶん・かんちくたかこ アリス館
熊じいさんは、毎週日曜日午前10時から始まるNHKラジオ番組『子ども科学電話相談』を楽しみにしていて、いつも聴いています。(きいています)
ぺらぺらとじょうずにお話ができるこどもさんもいますが、たいていは、途中で言葉が続かなくなって、自分の頭の中にあることをうまく言葉で表現できないちびっこのほうが多いような気がします。
どうなるのだろうかと聞いているほうは心配になるのですが、女性のアナウンサーさんが根気よく、ゆっくりと時には言い方を変えるなりして、こどもさんに優しく話しかけておられます。
質問に答える先生方は、たぶん、科学好きだった自分がこどもだったときのことを思い出しながら、苦労しながらも答えをこどもさんに教えてあげています。
こどもさんとアナウンサーさんと先生という組み合わせのコンビネーション、それから、声は聴こえませんが、番組を支えている裏方のスタッフさんたちの姿勢がとてもいい番組です。
こどもさんの質問は『恐竜』『昆虫』『草花』『生きもの』など多彩です。
好奇心旺盛なちびっこたちには、知りたいことがいっぱいあります。
活発な会話のやりとりがあって、活気がある雰囲気のときもあります。
この写真絵本の表紙をながめながら、そんなことを考えました。
表紙をめくります。
きれいな小魚たちがいっぱいです。
水中が、銀色に光っています。
名古屋港水族館では『マイワシのトルネード』というマイワシが渦巻きになっているところを見学する機会があります。その光景に似ています。同館の水槽にはマイワシが3万5000尾(び)もいるそうです。すごいなあ。
さらにページをめくりました。
かわいいカニの写真です。
ちょっと変わったカニです。シマシマもようの足とオレンジ色の体です。
『がんばれー』って、カニの声が言葉にしてあります。
ほんとうにそう言っているみたいです。
次のページをめくって、さいしょは、なんの写真だかわかりませんでした。
写真に添えられている文章を読みました。
おさかなである『クマノミ』が正面を向いて2匹います。(なるほど)
二匹のクマノミのおなかの下にはオレンジ色のちいさなツブツブがいっぱい広がっています。
卵です。そうするとクマノミは、ご夫婦ですな。若夫婦です。
最初はなんの写真かわかりませんでしたが、しっかり見ると、そうなのかと納得できます。
被写体の構図が一般的でないところが、おもしろみにつながって成功しています。魚の正面からの構図です。
クマノミ夫婦と、ふたりのこどもといってもいい卵です。家族です。表現手法が秀逸です。(優れていて抜きんでている)
さきほどのクマノミファミリーの物語が始まります。
夫婦は若いパパとママです。
卵の中に目が現れて、小さな細長いあかちゃんの姿が見えてきます。
お魚の子育ては、卵からあかちゃんが産まれるまでなのでしょう。
生まれてきたあかちゃんたちは、自力で海の中で生き抜いていくのです。がんばれーー
この写真絵本の最初のほうのページにいたカニが応援していました。『がんばれーー』
次の卵は『アイナメの卵』だそうです。
アイナメは体が大きい魚です。写真にあるアイナメの顔は怖そうです。(こわそうです)
アイナメの口は大きいので、食べられてしまいそうです。恐怖感があります。
アイナメの顔を撮影した時の被写体の角度がいい。独特です。
アイナメの母性本能が強い。(もしかしたらパパかもしれませんが)
卵を食べようと近づいてきたヒトデをパクっと自分の口の中に入れてしまいました。(やっぱり怖い)
自分のこどもたちが生きるために、親が、こどもたちを食べようとするほかの生き物を食べます。
(人間もそういうことってあるのでしょう。自分のこどもを守ることが親の役目です)
写真に出てくるお魚の名前は『サビハゼ』『カモハラビンポ』『チャガラ』『ウバウオ』『シモフリタナバアウオ』初めて聞く名前ばかりです。
みんないっしょうけんめい生きています。いっしょうけんめい卵を育てています。
魚の卵を食べる生き物から卵を守るために親はいろいろ工夫します。
シワイカナゴ:細長いメダカみたいな魚です。擬態です。(ぎたい。真似まね)卵を海藻にくっつけて、卵が海藻の一部に見えるようにします。
ホシカゲアゴアマダイ:親魚の口の中に卵を入れて保管する。口の中で命を守る。親が卵を食べているように見えるけれどじっさいは違うのです。
卵から小魚が生れる時には、親の口の中からどーっと、ちっちゃなオタマジャクシみたいな姿のあかちゃんさかなが湧きだしてくるのです。昔洋画で観た『グリーンマイル』のシーンを思い出しました。あれは、卵じゃなかったけれど(たしか、難病の原因になる悪いばい菌みたいなものでした)
キンセンイシモチ:ママが卵を産むとパパが卵を口に入れました。口にくわえて卵を守るそうです。ごはんはどうやって食べるのだろう? 卵がかえるまで食べないのかもしれません。やせてしまいます。
タツノオトシゴの親子の写真が出てきました。
親のおなかにある袋からこどもの顔がちょこんと出ています。
オーストラリアにいるカンガルーのこどもみたいです。有袋類(ゆうたいるい)です。
この写真絵本には『学び』があります。
へー タツノオトシゴのママは、パパのおなかのふくろに卵を産むそうです。初めて知りました。そうなんだ。
甲殻類(こうかくるい)です。カニです。
エビもそうです。
かたい殻(から)の間にたくさんの卵をくっつけるそうです。
ベンケイガニ。ママのおなからちびっこカニがいっぱい出てきます。
ワレモドキ:初めて見ました。宇宙人みたいな姿をした生き物です。
親子の話。種の継続(しゅのけいぞく。子孫をつないでいく)を意識します。
『美』があります。文章と写真で表現する『美』があります。
なんだか、夜空に輝く星のようでもあります。
タコのママ:卵を産むのは一生に一回しかないそうです。初めて聞きました。つまり、産んだら死ぬということです。自然の厳しさがあります。産んで、何も食べずに卵の世話をして、タコのあかちゃんが生まれる頃に亡くなるのです。おかあさんありがとう。おかあさんからしてみれば、こどもたちに対して、命をつないでくれてありがとうです。
『ゴブダイ』『ミヤケテグリ』『カエルアンコウ』たくさん卵を産んで、たくさん赤ちゃんがかえるけれど、ずっと生き残れるのはごく少数のようです。たくさんの中から生き残るためには『運』が必要です。
親たちは自分を犠牲にしながら卵を守ります。
『ギンポ(卵にうなぎのような体を巻き付けて卵を守る)』『ムシャギンポ(自分より大きな貝のなかに隠れる夫婦です)』『アオスジテンジクダイ(口の中に卵を入れる)』『ルリホシスズメ(卵の前で敵を威嚇する(いかくする)』いろんなパターンで、親はこどもを守ります。
写真絵本の中で、ちっちゃな命がたくさん生まれてきます。
人間よりも愛情が深いのではないか。(そもそもの理由は、生物の本能(ほんのう。生まれもった性質)なのでしょう)
いろんな魚類がいます。『クマノミ』『アイナメ』『サビハゼ』『シワイカナゴ』『タツノオトシゴ』『ミヤケテグリ』『ルリホシスズメ』『フリンデエビ』『ヤリイカ』『ベニワモンヤドカリ』『キツネベラ』『カモハラビンポ』『シモフリタナバタウオ』『チャガラ』『ヒメダンゴイカ』『カエルアンコウ』『コブダイ』『モンガラカワハギ』『マダコ』『オビアナハゼ』『ミナミハコフグ』『キンセンイシモチ』みんな、いまはまだ小さいけれど、無事に成長して、大きなおとなになって、また、卵を産んでほしい。ちびっこたちを新しい未来に送り届けてほしい。
みんなで共存。戦争反対。地球を大切にしよう。自然環境を守ろう。そんなメッセージが聞こえてくる写真絵本でした。
最初のほうのページにもどってカニさんが『がんばれー』
生き物の世界では、こどもが育つには、パパとママの協力が必要です。人間も同じですが、人間の場合は、パパとママがうまくいかないこともあります。そのときは、ちびっこが自分でがんばるしかないときもあります。がんばれーー
自分が大きくなったら自立と自活で、新しい自分の家族をつくりましょう。
写真絵本では、海の生き物たちの卵の色と形がきれいでした。
裏表紙の手前の写真は、ミノカサゴの仲間の卵でした。ブルーに輝いています。
熊じいさんは、毎週日曜日午前10時から始まるNHKラジオ番組『子ども科学電話相談』を楽しみにしていて、いつも聴いています。(きいています)
ぺらぺらとじょうずにお話ができるこどもさんもいますが、たいていは、途中で言葉が続かなくなって、自分の頭の中にあることをうまく言葉で表現できないちびっこのほうが多いような気がします。
どうなるのだろうかと聞いているほうは心配になるのですが、女性のアナウンサーさんが根気よく、ゆっくりと時には言い方を変えるなりして、こどもさんに優しく話しかけておられます。
質問に答える先生方は、たぶん、科学好きだった自分がこどもだったときのことを思い出しながら、苦労しながらも答えをこどもさんに教えてあげています。
こどもさんとアナウンサーさんと先生という組み合わせのコンビネーション、それから、声は聴こえませんが、番組を支えている裏方のスタッフさんたちの姿勢がとてもいい番組です。
こどもさんの質問は『恐竜』『昆虫』『草花』『生きもの』など多彩です。
好奇心旺盛なちびっこたちには、知りたいことがいっぱいあります。
活発な会話のやりとりがあって、活気がある雰囲気のときもあります。
この写真絵本の表紙をながめながら、そんなことを考えました。
表紙をめくります。
きれいな小魚たちがいっぱいです。
水中が、銀色に光っています。
名古屋港水族館では『マイワシのトルネード』というマイワシが渦巻きになっているところを見学する機会があります。その光景に似ています。同館の水槽にはマイワシが3万5000尾(び)もいるそうです。すごいなあ。
さらにページをめくりました。
かわいいカニの写真です。
ちょっと変わったカニです。シマシマもようの足とオレンジ色の体です。
『がんばれー』って、カニの声が言葉にしてあります。
ほんとうにそう言っているみたいです。
次のページをめくって、さいしょは、なんの写真だかわかりませんでした。
写真に添えられている文章を読みました。
おさかなである『クマノミ』が正面を向いて2匹います。(なるほど)
二匹のクマノミのおなかの下にはオレンジ色のちいさなツブツブがいっぱい広がっています。
卵です。そうするとクマノミは、ご夫婦ですな。若夫婦です。
最初はなんの写真かわかりませんでしたが、しっかり見ると、そうなのかと納得できます。
被写体の構図が一般的でないところが、おもしろみにつながって成功しています。魚の正面からの構図です。
クマノミ夫婦と、ふたりのこどもといってもいい卵です。家族です。表現手法が秀逸です。(優れていて抜きんでている)
さきほどのクマノミファミリーの物語が始まります。
夫婦は若いパパとママです。
卵の中に目が現れて、小さな細長いあかちゃんの姿が見えてきます。
お魚の子育ては、卵からあかちゃんが産まれるまでなのでしょう。
生まれてきたあかちゃんたちは、自力で海の中で生き抜いていくのです。がんばれーー
この写真絵本の最初のほうのページにいたカニが応援していました。『がんばれーー』
次の卵は『アイナメの卵』だそうです。
アイナメは体が大きい魚です。写真にあるアイナメの顔は怖そうです。(こわそうです)
アイナメの口は大きいので、食べられてしまいそうです。恐怖感があります。
アイナメの顔を撮影した時の被写体の角度がいい。独特です。
アイナメの母性本能が強い。(もしかしたらパパかもしれませんが)
卵を食べようと近づいてきたヒトデをパクっと自分の口の中に入れてしまいました。(やっぱり怖い)
自分のこどもたちが生きるために、親が、こどもたちを食べようとするほかの生き物を食べます。
(人間もそういうことってあるのでしょう。自分のこどもを守ることが親の役目です)
写真に出てくるお魚の名前は『サビハゼ』『カモハラビンポ』『チャガラ』『ウバウオ』『シモフリタナバアウオ』初めて聞く名前ばかりです。
みんないっしょうけんめい生きています。いっしょうけんめい卵を育てています。
魚の卵を食べる生き物から卵を守るために親はいろいろ工夫します。
シワイカナゴ:細長いメダカみたいな魚です。擬態です。(ぎたい。真似まね)卵を海藻にくっつけて、卵が海藻の一部に見えるようにします。
ホシカゲアゴアマダイ:親魚の口の中に卵を入れて保管する。口の中で命を守る。親が卵を食べているように見えるけれどじっさいは違うのです。
卵から小魚が生れる時には、親の口の中からどーっと、ちっちゃなオタマジャクシみたいな姿のあかちゃんさかなが湧きだしてくるのです。昔洋画で観た『グリーンマイル』のシーンを思い出しました。あれは、卵じゃなかったけれど(たしか、難病の原因になる悪いばい菌みたいなものでした)
キンセンイシモチ:ママが卵を産むとパパが卵を口に入れました。口にくわえて卵を守るそうです。ごはんはどうやって食べるのだろう? 卵がかえるまで食べないのかもしれません。やせてしまいます。
タツノオトシゴの親子の写真が出てきました。
親のおなかにある袋からこどもの顔がちょこんと出ています。
オーストラリアにいるカンガルーのこどもみたいです。有袋類(ゆうたいるい)です。
この写真絵本には『学び』があります。
へー タツノオトシゴのママは、パパのおなかのふくろに卵を産むそうです。初めて知りました。そうなんだ。
甲殻類(こうかくるい)です。カニです。
エビもそうです。
かたい殻(から)の間にたくさんの卵をくっつけるそうです。
ベンケイガニ。ママのおなからちびっこカニがいっぱい出てきます。
ワレモドキ:初めて見ました。宇宙人みたいな姿をした生き物です。
親子の話。種の継続(しゅのけいぞく。子孫をつないでいく)を意識します。
『美』があります。文章と写真で表現する『美』があります。
なんだか、夜空に輝く星のようでもあります。
タコのママ:卵を産むのは一生に一回しかないそうです。初めて聞きました。つまり、産んだら死ぬということです。自然の厳しさがあります。産んで、何も食べずに卵の世話をして、タコのあかちゃんが生まれる頃に亡くなるのです。おかあさんありがとう。おかあさんからしてみれば、こどもたちに対して、命をつないでくれてありがとうです。
『ゴブダイ』『ミヤケテグリ』『カエルアンコウ』たくさん卵を産んで、たくさん赤ちゃんがかえるけれど、ずっと生き残れるのはごく少数のようです。たくさんの中から生き残るためには『運』が必要です。
親たちは自分を犠牲にしながら卵を守ります。
『ギンポ(卵にうなぎのような体を巻き付けて卵を守る)』『ムシャギンポ(自分より大きな貝のなかに隠れる夫婦です)』『アオスジテンジクダイ(口の中に卵を入れる)』『ルリホシスズメ(卵の前で敵を威嚇する(いかくする)』いろんなパターンで、親はこどもを守ります。
写真絵本の中で、ちっちゃな命がたくさん生まれてきます。
人間よりも愛情が深いのではないか。(そもそもの理由は、生物の本能(ほんのう。生まれもった性質)なのでしょう)
いろんな魚類がいます。『クマノミ』『アイナメ』『サビハゼ』『シワイカナゴ』『タツノオトシゴ』『ミヤケテグリ』『ルリホシスズメ』『フリンデエビ』『ヤリイカ』『ベニワモンヤドカリ』『キツネベラ』『カモハラビンポ』『シモフリタナバタウオ』『チャガラ』『ヒメダンゴイカ』『カエルアンコウ』『コブダイ』『モンガラカワハギ』『マダコ』『オビアナハゼ』『ミナミハコフグ』『キンセンイシモチ』みんな、いまはまだ小さいけれど、無事に成長して、大きなおとなになって、また、卵を産んでほしい。ちびっこたちを新しい未来に送り届けてほしい。
みんなで共存。戦争反対。地球を大切にしよう。自然環境を守ろう。そんなメッセージが聞こえてくる写真絵本でした。
最初のほうのページにもどってカニさんが『がんばれー』
生き物の世界では、こどもが育つには、パパとママの協力が必要です。人間も同じですが、人間の場合は、パパとママがうまくいかないこともあります。そのときは、ちびっこが自分でがんばるしかないときもあります。がんばれーー
自分が大きくなったら自立と自活で、新しい自分の家族をつくりましょう。
写真絵本では、海の生き物たちの卵の色と形がきれいでした。
裏表紙の手前の写真は、ミノカサゴの仲間の卵でした。ブルーに輝いています。
2023年05月03日
東野&岡村の旅猿23 小籔プロデュース京都?の旅
東野&岡村の旅猿23 小籔プロデュース京都?の旅 BS日テレとTVer(ティーバー)とhulu(フールー)
これまでは、動画配信サービスで観ていましたが、BS日テレで火曜日の夜に観ることができることがわかったので、録画するなりして観てみることにしました。(わたしは、年寄りなので早寝早起きです)
(1回目の放送から BS日テレ録画)
オール阪神巨人さんたちが優しい。
ゲストは、吉本の小籔千豊(こやぶ・かずとよ)さんです。
『なんばグランド花月』の楽屋での雰囲気がとてもよかった。いやされました。
オール阪神巨人のおふたりが、この番組のために、笑いの空間をつくろうと配慮されていることが肌で伝わってきました。おもしろい。なごやかです。
映像を観ながらふと思うのですが、自分が二十歳ぐらいのころにいっしょに遊んでいて泊りの旅行にも行ったメンバーが、六十代になった今も付き合いがあります。若い時の仲間は、利害関係なく、組織上の上下関係もなく、気兼ねなく話ができるので気楽です。なんばグランド花月での楽屋の風景映像を見ながらそう感じました。みなさん若い時から交流があるのでしょう。
今回の旅では、小籔さんがしたいことをする。
①クレープを焼きたい。
②『フォートナイト』を体験してほしい(わたしには何のことかわかりません。調べたら暴力を素材にしたオンラインゲームでした)
③大阪に行きたい。NGK(なんばグランド花月)に行きたい。新喜劇座長を勇退する川畑泰史さんにお疲れさまでしたのあいさつをしたい。
④京都の一流料亭の味を楽しむ。(番組取材申し込みを断られないだろうとの読みがあります)
鴨川のほとり付近の風景に出てきたピンク色のたぶん彼岸桜がきれいでした。
京都から大阪へと東野さんが運転するレンタカーの中での小籔さんの語りに笑いました。
若井みどりさんが、舞台でチンチン電車に乗っていて、鼻毛を出して『よしもとのキョンキョンでーす(小泉今日子さん)』と言葉を発して『なぎさのハイカラ人形……』と歌ったという部分がとてもおもしろかった。(最近、BSプレミアムで放送されているNHK朝ドラ『あまちゃん』の再放送を見て楽しんでいるのですが、主人公の母親役で小泉今日子さんが出てくるので、ついつい番組「旅猿」の話を思い出してほほえんでしまいます)
小籔さんは、腹が立っているときはしゃべらないそうです。拒否ですな。
小籔さんの『ロングマネーがほしい』の発言は、意味がわかりませんでした。
家賃を死ぬまで払えるぐらいのお金があるといいという説明でしたが、賃貸ではなくて、買って住んで維持していけば安くすむのにと思いました。
小籔さんなら即金で戸建てを購入できるでしょう。住宅ローンがなければ、固定資産税と十数年に一回ペースの外壁塗装代金、ときおりの修繕代金ですみます。大事に維持管理すれば家は長持ちします。
学歴の話が出ます。吉本の社員さんは高学歴だけれど、素行がきちんとしているわけでもないそうです。学歴ときちんと生活のコントロールができることとは違います。
白ごはんがおいしい。三人で遅い朝食を食べておられます。
以前この番組で見た時の長崎県、秋田県のときの朝食とはちがって、都会の街中での朝食です。それはそれでいいと思いますが、やはり、地方で食べる朝食のほうが、郷土色があって風情があります。
(3回目の放送分から TVer)
TVerでこの番組を見ることができることを知りさっそくテレビをつけてみました。
2回目の放送はもうやっていないようで、2回目を飛び越して3回目を観ました。
話は前後しますが、3回目の感想を先に書いて、2回目はBS日テレの放送を観てから書きます。
京都市内立ち飲み居酒屋で飲食を楽しんだあと、市内を出て、京都府亀岡市に向かました。
『フォートナイト』というゲームに三人がワンチームになって挑戦です。
小籔さんはゲームおたくのように熱中していました。
あとのふたりは、なんとかついていきながら楽しまれていました。
ゲーム前の小籔さんの説明ではなにかと制限が多いゲームだという先入観をもちましたが、禁句を発言するようなシーンはありませんでした。「殺す」とか言っちゃだめだそうです。
岡村さんが操作するキャラクターが銃を持とうとするのですが、いつも銃じゃなくて、救急箱を持って走り回っていたところがおもしろかった。
(4回目の放送から fuluフールー)
テレビをさわっていたら、偶然フールーで4回目の放送を見てしまったので感想を書きます。京都の最後の回です。順番が前後しますが、このあと2回目の放送の感想を書きます。
料亭で三人そろって、晩ごはんです。
かなり高級なところでした。
無難に撮影が進んでいたのですが、お店の人とのやりとりの中で、以前、東野幸治さんがこのお店に来たことがあることが判明しました。東野さんは覚えていません。(タレントさんのよくあるパターンです。その場限りの仕事の撮影なのです。自分で企画したわけではなく、連れてこられて演じるだけなので仕事が終われば忘れます)東野さんはたいへん恐縮されていました。
宿泊した旅館もいいところでした。
柚子(ゆず)がたくさん浮かんでいるおふろでした。
朝食も京都らしく立派な内容でした。
みなさんの雑談のなかで、吉本の先輩から生前贈与で、いろいろなものをもらいたいというお話が楽しかった。
池乃めだかさんからキンキラ金の衣装をいただきたいと岡村隆史さんがメッセージを送っていました。
1回目の映像に池乃めだかさんが映っていましたが、優しそうな人でした。
芸能人の方たちは舞台の上ではにぎやかでも楽屋では静かな雰囲気です。好感をもちました。
次回は、シンガポールの旅で、ゲストは、メッセンジャーの黒田さんが出るようです。
楽しみです。
京都の番組を見て思ったことです。
仕事のロケ、話題づくりのためにあちこち転々と移動します。
たいへんそうです。
本来なら、同じ場所で、ずーっとリラックスするのが旅の醍醐味だと思います。(醍醐味:だいごみ。本当の楽しみ方)
目的が仕事のためのロケですからしかたがないのでしょう。この番組のサブタイトルは、プライベートでごめんなさいですが、やはりカメラが回っているあいだは仕事です。(ロケ―ション:外での撮影)
(2回目の放送から BS日テレの録画)
西川きよしさんを久しぶりにお見かけしました。
NGKの楽屋風景です。(がくや。なんばグランド花月です)
西川さんの三点倒立(さかだち)を東野さんと岡村さんと小籔さんで手伝います。
西川さんは芸能生活60周年を迎えるそうです。たいしたものです。
漫才をされていたころを思い出します。破天荒だった故横山やすしさんは乱暴者でしたが爆発的なおもしろさがありました。(1996年平成8年没)
息子さんの本を読んだことがあります。
『父・横山やすし伝説 木村一八(きむらかずや) 宝島社』(以下は感想メモの一部です)
親父さんはギャンブルはやらない人でした。イメージと実物がずいぶん違うのです。演じていた。最後に、演じきれなくなって、疲れ果てた。たいてい芸能人は、仕事場では、素(す)の自分ではない仕事用のキャラクター(個性)を演じています。
もう一冊笑点の林家木久扇(はやしやきくおう)さんの本にも横山やすしさんが登場します。
『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』(こちらも感想メモから)
横山やすしさんも三遊亭小圓遊(さんゆうてい・こえんゆう)さんも、お酒飲みです。おふたりともお亡くなりになっています。気迫満々のお酒飲みです。アルコール依存があったようにみうけられます。林家木久扇さんは、けっこう苦労されています。(横山やすしさんに振り回されています) 不条理(常識はずれ)、不合理(理屈に合わない)な世界を忍耐と努力、そしてばかになりきることでのりきっておられます。暴れん坊であっても、芸人は、繊細(せんさい。感情や感覚が細かい)な人が多い。
番組では、西川きよしさんの前立腺がん治療の話が出るのですが、東野幸治さんが書いた本にそのことが書いてあったことを思い出しました。
『この素晴らしき世界 東野幸治 新潮文庫』
西川きよしさんの前立腺がん治療話が目を引きました。前立腺を全部摘出です。術後は尿漏れに苦しみますが、尿を人工的に調節してくれる機械を埋め込む手術をされています。「人工尿道括約筋」の手術だそうです。睾丸に(こうがん。なんとか玉)に機械が埋め込まれました。小さなボタン電池ぐらいの大きさだそうです。快適だそうです。(ほーっ。そんなことができるのか)
座長をおりられる川畑泰史さんのギャグはおもしろかった。
そばにいた池乃めだかさんも笑っておられました。
Mr.オクレさんも映像に出ていて、なごやかな雰囲気が良かった。
小籔さんが町のクレープ屋さんで、クレープづくりに挑戦されました。
最初はうまくいきませんでしたが、だんだんじょうずになられました。
なぜ、小籔さんがクレープを焼きたい希望が強いのかが最後までわかりませんでしたが、焼きたいから焼くが理由でいいのでしょう。人間の動機とか意欲とかは、そういうものなのでしょう。脳みそが、やりたいと言っているからやるのです。
岡村隆史さんの自分はおなかがいっぱいだからクレープは小さいものでいいという女性店主への申し出に『キッズサイズがあります』の返事が良かった。その場で、おもしろおかしくうけていましたが、以前の旅猿で、旅館のゆかたのサイズが岡村さんは『特小(とくしょう)』だったのですが、そのときのゲストのジミー大西さんが笑いのツボにはまってしまって、一晩じゅう笑っていたという話を思い出しました。
岡村隆史さんと池乃めだかさんはお互いに小柄で、誕生日が同じだということを知りました。
池乃めだかさんは、こどものころから貧困でたいへんご苦労されています。
これまでは、動画配信サービスで観ていましたが、BS日テレで火曜日の夜に観ることができることがわかったので、録画するなりして観てみることにしました。(わたしは、年寄りなので早寝早起きです)
(1回目の放送から BS日テレ録画)
オール阪神巨人さんたちが優しい。
ゲストは、吉本の小籔千豊(こやぶ・かずとよ)さんです。
『なんばグランド花月』の楽屋での雰囲気がとてもよかった。いやされました。
オール阪神巨人のおふたりが、この番組のために、笑いの空間をつくろうと配慮されていることが肌で伝わってきました。おもしろい。なごやかです。
映像を観ながらふと思うのですが、自分が二十歳ぐらいのころにいっしょに遊んでいて泊りの旅行にも行ったメンバーが、六十代になった今も付き合いがあります。若い時の仲間は、利害関係なく、組織上の上下関係もなく、気兼ねなく話ができるので気楽です。なんばグランド花月での楽屋の風景映像を見ながらそう感じました。みなさん若い時から交流があるのでしょう。
今回の旅では、小籔さんがしたいことをする。
①クレープを焼きたい。
②『フォートナイト』を体験してほしい(わたしには何のことかわかりません。調べたら暴力を素材にしたオンラインゲームでした)
③大阪に行きたい。NGK(なんばグランド花月)に行きたい。新喜劇座長を勇退する川畑泰史さんにお疲れさまでしたのあいさつをしたい。
④京都の一流料亭の味を楽しむ。(番組取材申し込みを断られないだろうとの読みがあります)
鴨川のほとり付近の風景に出てきたピンク色のたぶん彼岸桜がきれいでした。
京都から大阪へと東野さんが運転するレンタカーの中での小籔さんの語りに笑いました。
若井みどりさんが、舞台でチンチン電車に乗っていて、鼻毛を出して『よしもとのキョンキョンでーす(小泉今日子さん)』と言葉を発して『なぎさのハイカラ人形……』と歌ったという部分がとてもおもしろかった。(最近、BSプレミアムで放送されているNHK朝ドラ『あまちゃん』の再放送を見て楽しんでいるのですが、主人公の母親役で小泉今日子さんが出てくるので、ついつい番組「旅猿」の話を思い出してほほえんでしまいます)
小籔さんは、腹が立っているときはしゃべらないそうです。拒否ですな。
小籔さんの『ロングマネーがほしい』の発言は、意味がわかりませんでした。
家賃を死ぬまで払えるぐらいのお金があるといいという説明でしたが、賃貸ではなくて、買って住んで維持していけば安くすむのにと思いました。
小籔さんなら即金で戸建てを購入できるでしょう。住宅ローンがなければ、固定資産税と十数年に一回ペースの外壁塗装代金、ときおりの修繕代金ですみます。大事に維持管理すれば家は長持ちします。
学歴の話が出ます。吉本の社員さんは高学歴だけれど、素行がきちんとしているわけでもないそうです。学歴ときちんと生活のコントロールができることとは違います。
白ごはんがおいしい。三人で遅い朝食を食べておられます。
以前この番組で見た時の長崎県、秋田県のときの朝食とはちがって、都会の街中での朝食です。それはそれでいいと思いますが、やはり、地方で食べる朝食のほうが、郷土色があって風情があります。
(3回目の放送分から TVer)
TVerでこの番組を見ることができることを知りさっそくテレビをつけてみました。
2回目の放送はもうやっていないようで、2回目を飛び越して3回目を観ました。
話は前後しますが、3回目の感想を先に書いて、2回目はBS日テレの放送を観てから書きます。
京都市内立ち飲み居酒屋で飲食を楽しんだあと、市内を出て、京都府亀岡市に向かました。
『フォートナイト』というゲームに三人がワンチームになって挑戦です。
小籔さんはゲームおたくのように熱中していました。
あとのふたりは、なんとかついていきながら楽しまれていました。
ゲーム前の小籔さんの説明ではなにかと制限が多いゲームだという先入観をもちましたが、禁句を発言するようなシーンはありませんでした。「殺す」とか言っちゃだめだそうです。
岡村さんが操作するキャラクターが銃を持とうとするのですが、いつも銃じゃなくて、救急箱を持って走り回っていたところがおもしろかった。
(4回目の放送から fuluフールー)
テレビをさわっていたら、偶然フールーで4回目の放送を見てしまったので感想を書きます。京都の最後の回です。順番が前後しますが、このあと2回目の放送の感想を書きます。
料亭で三人そろって、晩ごはんです。
かなり高級なところでした。
無難に撮影が進んでいたのですが、お店の人とのやりとりの中で、以前、東野幸治さんがこのお店に来たことがあることが判明しました。東野さんは覚えていません。(タレントさんのよくあるパターンです。その場限りの仕事の撮影なのです。自分で企画したわけではなく、連れてこられて演じるだけなので仕事が終われば忘れます)東野さんはたいへん恐縮されていました。
宿泊した旅館もいいところでした。
柚子(ゆず)がたくさん浮かんでいるおふろでした。
朝食も京都らしく立派な内容でした。
みなさんの雑談のなかで、吉本の先輩から生前贈与で、いろいろなものをもらいたいというお話が楽しかった。
池乃めだかさんからキンキラ金の衣装をいただきたいと岡村隆史さんがメッセージを送っていました。
1回目の映像に池乃めだかさんが映っていましたが、優しそうな人でした。
芸能人の方たちは舞台の上ではにぎやかでも楽屋では静かな雰囲気です。好感をもちました。
次回は、シンガポールの旅で、ゲストは、メッセンジャーの黒田さんが出るようです。
楽しみです。
京都の番組を見て思ったことです。
仕事のロケ、話題づくりのためにあちこち転々と移動します。
たいへんそうです。
本来なら、同じ場所で、ずーっとリラックスするのが旅の醍醐味だと思います。(醍醐味:だいごみ。本当の楽しみ方)
目的が仕事のためのロケですからしかたがないのでしょう。この番組のサブタイトルは、プライベートでごめんなさいですが、やはりカメラが回っているあいだは仕事です。(ロケ―ション:外での撮影)
(2回目の放送から BS日テレの録画)
西川きよしさんを久しぶりにお見かけしました。
NGKの楽屋風景です。(がくや。なんばグランド花月です)
西川さんの三点倒立(さかだち)を東野さんと岡村さんと小籔さんで手伝います。
西川さんは芸能生活60周年を迎えるそうです。たいしたものです。
漫才をされていたころを思い出します。破天荒だった故横山やすしさんは乱暴者でしたが爆発的なおもしろさがありました。(1996年平成8年没)
息子さんの本を読んだことがあります。
『父・横山やすし伝説 木村一八(きむらかずや) 宝島社』(以下は感想メモの一部です)
親父さんはギャンブルはやらない人でした。イメージと実物がずいぶん違うのです。演じていた。最後に、演じきれなくなって、疲れ果てた。たいてい芸能人は、仕事場では、素(す)の自分ではない仕事用のキャラクター(個性)を演じています。
もう一冊笑点の林家木久扇(はやしやきくおう)さんの本にも横山やすしさんが登場します。
『バカのすすめ 林家木久扇(はやしや・きくおう) ダイヤモンド社』(こちらも感想メモから)
横山やすしさんも三遊亭小圓遊(さんゆうてい・こえんゆう)さんも、お酒飲みです。おふたりともお亡くなりになっています。気迫満々のお酒飲みです。アルコール依存があったようにみうけられます。林家木久扇さんは、けっこう苦労されています。(横山やすしさんに振り回されています) 不条理(常識はずれ)、不合理(理屈に合わない)な世界を忍耐と努力、そしてばかになりきることでのりきっておられます。暴れん坊であっても、芸人は、繊細(せんさい。感情や感覚が細かい)な人が多い。
番組では、西川きよしさんの前立腺がん治療の話が出るのですが、東野幸治さんが書いた本にそのことが書いてあったことを思い出しました。
『この素晴らしき世界 東野幸治 新潮文庫』
西川きよしさんの前立腺がん治療話が目を引きました。前立腺を全部摘出です。術後は尿漏れに苦しみますが、尿を人工的に調節してくれる機械を埋め込む手術をされています。「人工尿道括約筋」の手術だそうです。睾丸に(こうがん。なんとか玉)に機械が埋め込まれました。小さなボタン電池ぐらいの大きさだそうです。快適だそうです。(ほーっ。そんなことができるのか)
座長をおりられる川畑泰史さんのギャグはおもしろかった。
そばにいた池乃めだかさんも笑っておられました。
Mr.オクレさんも映像に出ていて、なごやかな雰囲気が良かった。
小籔さんが町のクレープ屋さんで、クレープづくりに挑戦されました。
最初はうまくいきませんでしたが、だんだんじょうずになられました。
なぜ、小籔さんがクレープを焼きたい希望が強いのかが最後までわかりませんでしたが、焼きたいから焼くが理由でいいのでしょう。人間の動機とか意欲とかは、そういうものなのでしょう。脳みそが、やりたいと言っているからやるのです。
岡村隆史さんの自分はおなかがいっぱいだからクレープは小さいものでいいという女性店主への申し出に『キッズサイズがあります』の返事が良かった。その場で、おもしろおかしくうけていましたが、以前の旅猿で、旅館のゆかたのサイズが岡村さんは『特小(とくしょう)』だったのですが、そのときのゲストのジミー大西さんが笑いのツボにはまってしまって、一晩じゅう笑っていたという話を思い出しました。
岡村隆史さんと池乃めだかさんはお互いに小柄で、誕生日が同じだということを知りました。
池乃めだかさんは、こどものころから貧困でたいへんご苦労されています。