2019年08月19日

ぼくは気の小さいサメ次郎といいます 岩佐めぐみ

ぼくは気の小さいサメ次郎といいます 岩佐めぐみ 偕成社

 最初に気になることがあります。「次郎」です。サメ次郎とカメ次郎が出てきます。「太郎」は出てきません。ということは、つまり、これは、次男の物語なのです。長男の世界と次男以下の世界は異なります。読み終えましたが、そのことは、物語とは関連がありませんでした。
 クヨクヨしているサメです。サメのくせに。怖い顔をしているくせに、とんがった歯が口に並んでいるくせに。気が弱いサメです。友だちがいなことを苦にしています。
 「手紙」が仲介役のともだちづくりです。
 うつのサメです。名前をさいとうサメ次郎といいます。
 サメくんが、自分のもつ強い力に気づけていないところが残念です。
 友だちになってもらう候補として、ラッコのプカプカさんが浮上します。ふたりは、手紙でやりとりをして交友を深めるのです。
 今では、メール発信・受信、ラインなどのソーシャル・ネットワークが普及したので、今後、「手紙」を素材にした物語は生き残れるのかということが頭に浮かびます。
 38ページの絵はおもしろい。サメ次郎の自宅に郵便ポストができました。カメ次郎作です。
 幼子の素直な悩みに対してていねいに回答してあげる優しさがある物語です。
 アザラシ配達員には、しっかり働くという精神論と倫理観が備わっています。
 仲介役・交渉役であるカメ次郎の存在が大きい。
 「ザラシー」というアザラシもどきの配達員の存在意味がちょっとはっきりしません。偽物より本物になりなさいなのか。偽物は偽物のままで生きていく人生もあります。  

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2019年08月18日

おしいれのぼうけん ふるたたるひ

おしいれのぼうけん ふるたたるひ 童心社

 お化けが出てくるようなこわい話で子どもさん向けです。
 でだしがいい。「さくらほくえんには、こわいものがふたつあります。おしいれとねずみばあさんです」 これだけで、小さな子どもには恐怖心が生まれます。
 こわくなる犠牲者は、4歳に近い3歳ぐらいのさとしとあきらで、最初はちいさなことをきっかけにして、少しずつ、世界が広がりをみせていきます。
 みずのせんせいが、いろいろと世話をやいてくれる進行役です。さわいで注意しても言うことをきかないさとしとあきらをおしいれに入れます。ふたりのこどもは先生に注意されてもあやまりませんが、今の時代だと、押し入れに入れる行為は、体罰だと言われるかもしれません。
 上の段にさとし、下の段にあきら、閉じ込められた押し入れのなかで、ふすまの穴から外をのぞくふたりですが、みずのせんせいが、両手であなを押さえて目隠しをします。おもしろい。
 じょうききかんしゃとミニカーがふたりを助けてくれます。時代を感じさせてくれるふたつの乗り物です。
 57ページにあるビルのてっぺんに座るねずみばあさんの姿がこわい。迫力があります。
 物語は、けっこう豪快で、空間に広がりがあります。戦いは壮絶です。ついにふたりはつかまってしまいました。65ページの絵は、エンマ大王の前に引っ張り出された罪人ふたりです。エンマ大王がみずのせんせいに見えるのは失礼なことなのでしょう。でも、ふたりは、ねずみばあさんにあやまりません。
 強い者の上には上がいる。ひとつの世界はひとつの箱の中にあって、その箱はまた別の箱の中にある。そんなことを考えました。
 おしいれひとつで、壮大な冒険話ができあがっています。最後は、友情です。良い行為もそうでない行為も「仲間」で保たれます。人はひとりでは生きられないというところまで到達します。
 さいごは、こどもをおしいれに入れるしつけみたいな行為は中止されました。
 ラストは最初の記述に戻りますが、「さくらほいくえんには、たのしいものがふたつあります。それは、おしいれとねずみばあさんです」の結びがいい。こどもたちは、じぶんたちからわーっとおしいれに入るようになります。ねずみばあさんに会えるかもと期待してのことです。気持ちがいい終わり方でした。
 おしいれの上の段と下の段の世界、蒸気機関車とミニカーというふたつの道具、さとしとあきら、みずのせんせいとねずみばあさん、二面性をからめながらの複雑さがあるもののよく考えられてつくられた物語です。
 1974年発行の絵本です。おしいれのなかにあった高速道路の水銀灯は、いまはLED灯でしょう。いまのこどもたちがどう反応するのか読んであげてみるといいと思います。  

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2019年08月17日

洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい

洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい 中公文庫

 有名な作品ですが読むのは初めてです。子どもさん向けの童話だと思っていましたが違います。貧しくも強く生きた日本民族の暮らしの記録集です。いまどきのエッセイです。そして長いこと、「よだれをたらしたかみ」と読み間違えていました。正しくは、「はなをたらしたかみ」なのです。作品を読み始めてようやくわかりました。お恥ずかしい限りです。
 吉野せい(1977年78才没)、本の最初に学校教科書で旅行の随筆を読んだことがある串田孫一さんの紹介文があります。
 同じ人でもうまい文章を書く時とそうでないときがあるけれど、吉野せいさんは、そういうことはない。いつも切れ味鋭いものを書かれるそうです。
 共感した言葉は、「文章を書くことは、自分の人生を切って見せるようなものかもしれない」という部分です。
いまはじめの2本を読んだところですが、本作品集もノンフィクションがベースになっている短編だろうと察します。全体で16編の短編です。作成時期の時代背景は90年ぐらい前、大正末期から昭和初期、本の発行は50年ぐらい前です。

「春 (大正11年春の作品)」
 ニワトリを巡るお話です。生命誕生の喜びが生き生きと書いてあります。
 調べた単語として、「距離の一町:約110メートル」

「かなしいやつ(大正14年冬の作品)」
 農耕民族である日本人の貧しい暮らしです。貧しさゆえの北海道移住話があります。移住希望者を、周囲が、飛翔ではなく逃避だと責めます。
 NHK朝ドラ「おしん」の世界です。妻は北海道移住後早くに亡くなり自身も40歳で亡くなるもとは名家の家の男性のお話でした。それでも男性の人生は輝いていたのでした。自分の希望する道を進んで、人脈を広げて、自然とともに生きて、詩作に没頭したのでした。
 文章描写が克明です。まじめで実直、細かいところまで力を入れて書いてあります。

「洟をたらした神(昭和5年夏の作品)」
 やんちゃで元気な少年です。かぞえ6歳です。気が強い。芯が強い。人に頼らない。自立しています。童謡が生活を支えています。ノボルという名の少年ですが、当時の農村地帯には、彼のような少年がたくさんいたと思うのです。

「梨花(りか) (昭和5年冬のこと)」
 りかと読むと思うのですが、女の赤ちゃんの名前です。書中では、「リーコ」と呼ばれています。1才を迎える前に病死しています。思い出のお話です。
 最初に出てくる草野心平さんの1971年書画展のことから、実際にこの文章が書かれたのは、そのころなのでしょう。昭和46年、大阪万博の翌年です。
 印象に残った表現として、友人を「年老いた童子(どうじ)」
 41年前の遠い昔の思い出です。そのころはまだみんな若かった。
 強烈な虐待事件が続くいま、この話を読むと胸にしみます。幼子を大切にするのですが、病気のために命が続きませんでした。
 調べた単語として、「焚く:たく。燃料を燃やす」
 しんどい生き方があります。思いつめた生きざまです。
 
「ダムのかげ」
 親分がいて、子分がいる。集団の秩序に従えないとなると追放される。そんなことのあと、炭鉱の坑内事故で命を落とす。
 命と高い賃金を交換するのが炭鉱仕事。
 調べた単語として、「嚊ももらった:かかあ。妻」

「赭い畑 (あかいはたけ。赤土の畑。昭和10年秋)」
 農業関係事務職員の話です。
 貧しいのに子だくさんなのは、農作業における労働力の確保と、ほかに楽しみがなかったということだろうか。現代では、子どもにはお金がかかることもあって、少子化となりました。極端から極端に変化したい日本民族です。
 記述からは、人は死んだら生まれ変わるという輪廻思想が日本人にはありません。
 登場人物の言葉として、「人間は泣きながら歩いているうちにほんとうの自分をみつけてくる」
 なにもかもが、せっぱつまっている文章内容で、少し読み疲れてきました。
 特高(特別高等警察。国家維持が目的)に思想問題人物として目を付けられる。共産主義思想の否定です。

「公定価格」
 官憲(官庁の権利をもつ者)から農作物のわいろを要求される。さからえない百姓のくやしさがあります。読んでいると暗い気持ちになってきます。くだものの梨を要求されます。くやしい思いをこらえながら権力に伏する。昭和17年のことです。昭和20年終戦。

「いもどろぼう」
 番小屋で夜通し交代で農作物の見張りをする。どろぼうは命乞いをする。捕まえられた者も捕まえた者も貧しい。どろぼうはうそをついているかもしれない。
 たべものは、盗むのではなく、自分の手で育てる。働いたお金で買うもの。安易な許しは相手の思うつぼということもある。されど、終戦後の昭和20年秋のことで、加害者も被害者も途方に暮れる。

「麦と松のツリーと (昭和19年冬)」
 外国人捕虜のためのクリスマスツリーのことです。戦場のメリークリスマスという映画を思い出します。モミの木がないので松の木を代用する。
 空襲の話があります。「(戦争に)負けたらどうなるのか」不安が広がります。
 アメリカ兵に向かって、「ガム、くんちぇ(ください)」の少年たちが出現します。
 敗戦した国民のみじめさがあります。

「鉛の旅」
 昭和20年3月9日の出征兵士です。同年8月15日が終戦日です。登場人物が、「二度目の出征です」という。もう日本には兵士もいない。彼は妻を亡くして、幼子を63才の祖母がめんどうをみている。祖母にはもう10年は生きていて欲しいと願う。長寿となった今とはだいぶ違います。地の底で暮らす民の声が届いてきます。

「水石山 (昭和30年秋)」
 山のぼりのお話です。鳥のヒバリの話も出ます。そういえば、小学生の頃ひばりをよく見かけましたが今は見なくなりました。まっすぐ飛び上がって、巣から離れたところへ降りる鳥でした。巣にいるヒナを守るためです。
 
「夢 (昭和46年春 作者72歳ぐらい 前年に夫を亡くし、この年から執筆活動をして、昭和49年75歳ぐらいで、この本「洟をたらした神」を出版しています。人生における出版時期に遅いということはないと勇気づけられます。昭和52年78歳で没)
 山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)詩人、児童文学者の記事あり。1924年・大正13年40歳没。
 作者について、時が流れて、生活が落ち着いて、平和が訪れて、文章は穏やかな文脈へと変化しました。このときは、自分のことを考える時期です。

「凍ばれる(冬、寒くて、しばれる) 昭和47年冬
 80歳近い老人の気持ちです。印象的な文章表現として、「生誕の時の光りに反してこの終わりに暗さ」

「信といえるなら (昭和47年春)」
 昔と今を比較して話すようになると人は歳を重ねたということ。どちらがいいもわるいもない。貧しい生活で切ない思いをしたことも今となっては思い出。「みじめでした」という言葉がつらいのですが、いつまでも「みじめ」な位置にいるわけにはいきません。長い人生のなかで、そういう時期がありましたという思い出として老いてからは語りたい。
 印象的な文節として、「あんたは書かねばならない」
 感情的、感情優先な内容でした。

「老いて(昭和48年秋)」
 74歳ぐらいです。昔はもう老人扱いでしたが、今ではまだまだ若いといわれる年齢です。

「私は百姓女 (昭和49年春)」
 書き方が変化して、日記のようです。

*かなり昔の時代の頃のことなので、読む人それぞれによって、内容に強い共感をもつひと、そうでないひとがいるのでしょう。好みが別れる作品群かもしれません。  

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2019年08月16日

コンビニたそがれ堂 村山早紀 

コンビニたそがれ堂 村山早紀 ポプラ文庫ピュアフル

 短編6本です。

「コンビニたそがれ堂」
 ファンタジー神がかり(お稲荷さん神社関係)ショートショート(不思議物語)です。はじめて読みました。ロマンチック(男女の愛をからめて情緒的)です。ミステリーっぽく、読後感は胸がすく(すっとした心持ち)ような感じです。
 コンビニたそがれ堂は、きつねの神社のそばにあり、常にそこに存在するわけではなく、必要な時に必要な人のために存在する。店員はキツネ顔の銀髪で目は金色に輝いている。
 江藤雄太小学5年生が今回の登場人物です。児童文学だろうか。雄太には、アメリカ合衆国へ転校した美音(みおん)に未練がましい(あきらめきれない)思い出があります。そこをキツネ店員が解決してくれます。
 コンビニのマークは、「稲穂」
 猫好きにはたまらない(すばらしい)話なのでしょう。
 定義は、「探しものが必ずある不思議なコンビニ」です。
 秀作でした。

「手をつないで」
 ことし読んでよかった1冊になりそうです。
 うまくいかない母子関係にある小学3年生です。母親自身も母親から冷たくされたのでしょう。だから、自分の娘にもあたります。娘のリカちゃん人形を捨てます。
 えりかは、不安になり、迷い、さまよい、たどりつくのが、きつねさんが神社のそばで営業しているコンビニたそがれ堂なのです。悲しい時のコンビニたそがれ堂です。導かれるのです。
 作品「コーヒーが冷めないうちに」の雰囲気です。
 どうなるのか、推理小説の面もあります。
 えりかのセリフが深刻さを増します。「おうちに帰りたい。でも、帰りたくないよ…」
 神社の「人形供養」という言葉を思い出しました。
 ママは、「孤独」というストレスがたまっている。
 作品には、優しさが満ちています。
 印象的だった文節として、「ママは、心がぐるぐるして、苦しくなっちゃうときがある」
 結末を予想できませんでした。意外な結末でしたが良かった。

「桜の声」
 この1本は好みではありません。民放ラジオ局女性アナウンサー、未婚もうすぐ30歳の不思議な体験記になっています。戦時中の過去、月旅行ができるくらいの未来が出てきますが、肝心のコンビニたそがれ堂から離れてしまいました。力は入っていますが、うわべの事象で構築された物語という感じがしました。
 気に入った表現としては、「おなかのあたりがからっぽで、落ち着かない感じ」
 30歳をまじかにして、これから先、結婚しないで、仕事一筋でいくか、結婚・妊娠・出産・子育ての道を選択するか、迷いがあります。ただ、縁のものなので、男性との出会いがいまのところないようです。
 物語の途中で、以前、タイで、洞窟のなかに多数のサッカー少年たちが、豪雨のために洞窟に入って来た水のために出られなくなった事故のことを思い出しました。
 調べた単語として、「わたしのPDA:パーソナル・デジタル・アシスタント。携帯情報端末」

「あんず」
 猫娘(猫が人間になる)あんずの物語です。もう、彼女の余命が尽きそうなのです。
 このパターン、既視感があります。コンビニ堂で人間になれるものをもらって、いくつかの約束事を言い含められて、飼い猫あんずは、きれいな少女に変身します。
 作者の想像世界に誘われます。
 セミをとるために木に登るあんずです。猫だからできることです。その部分を読んでいるときにちょうど窓の外でセミが鳴いていました。
 力作です。エネルギーがこめられています。
 「死」の話です。猫の死でもあるし、一家の飛行機事故で亡くなった父親の話でもあります。男の子が中学生の頃に父親が亡くなっています。
 非常にむずかしい世界に入っていきます。過去を大事にするのですが、いつまでも過去にしばられている。過去を忘れられない。過去を捨てられない。過去に感情がひきずられている。そうなると明るくて遠い未来が見えなくなります。物の片づけ作業と似ています。本人は思い出がある大切なものに囲まれているつもりですが、人から見れば、家の中がゴミだらけのごみ屋敷です。
 人はあっけなく死んでしまいます。そして、永遠に生き続けることはありません。だれもがかならずいつか死にます。その時期が早く来る人もいますし、遅く来る人もいます。
 
「あるテレビの物語」
 心をもつテレビの話です。こちらもさきほどの「あんず」と共通するテーマ「死」があります。テレビは壊れて映りませんが声は出ます。さて、どうしようです。もったいない。テレビの擬人化がありますが、少々無理があります。物は物であって、生き物ではありません。道具です。物に感情を付加すると生きにくい状況が生まれてきます。商業用家畜に名前を付けて育てたのに、やむなく食べなければならないという苦しみを味わう行為と重なります。
 別れはつきものですが、別れることができません。未練のかたまりです。せつせつとその心情が語られます。過去の呪縛から逃れられない。
 反発を受けるかもしれませんが、そういう自分に恋をしている。

「いくつかのあとがきから」
 2006年の日付です。もう15年ぐらいが経ちます。
 基本は児童書だそうです。それが、おとなも読める、読む、児童書に発展しています。やはり、むかしのことを忘れられない人は多い。ただ、あのとき、あのことがあったから、今の不幸があるというようには考えたくありません。むしろ逆であってほしい。
 失わないと得られないのが人生の流れです。なにもかもすべてを手にすることはできません。  

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2019年08月15日

おしん 少女時代 DVD1巻~4巻

おしん 少女時代 DVD1巻~4巻 1983年 昭和58年

 有名なドラマですが、放映時間中は、働いていたので見たことはありません。いまさらですが、初めて見ます。

第1巻
 「おしん」という名前の人だと思っていたら違っていました。「しん」でした。田倉しん(たのくら・しん)83才から映像はスタートします。山形県最上川上流にある寒村の生まれ育ちを回顧します。
 嫁姑のごたごたした力争いがあるようです。スーパー田倉の躍進の影に地元商店街の閉店不満もあるようです。さらに、大規模スーパーマーケットの進出がからんでいるようです。
 あれやこれやで、田倉家は、ドラマのなかの現代である昭和58年も明治33年の昔も大所帯です。
 ちょっと予想とは違っていました。最初は、満6歳の子ども時代だけで、子役さんだけの登場だと思っていました。ドラマのなかで、昭和58年と明治40年がいったりきたりします。
 銀山温泉のさらに山奥にある故郷を訪れます。雪に埋もれて、ボロボロのあばら家になっている家がおしんの生まれ育った家です。
 昭和58年の電話機はダイヤル式で黒電話です。
 内容が、理屈っぽい。
 明治時代のほうは、貧乏なのに子だくさんです。子どもは労働力の時代です。描かれている奉公は、今の時代から見れば、児童虐待だし、人間扱いされていないし、学校教育の権利を奪っています。半世紀ぐらい前は、読み書きができない人は表立ってはわかりませんでしたが、そこそこいた記憶です。
 おしんの気持ちの強い反発が涙につながります。
 ドラマなので、話をつくってあると思うのですが、学校に行きたいというおしんの希望はかなえてあげたい
 おしんの父親役の伊東四朗さんが若い。娘を売りに出したので憎まれ役、悪者役です。
 山形名物の「こけし」が83歳のおしんが家出をしたときの伏線になります。
 このドラマが放映されてから30年以上が経過しました。地域によりけりですが、三世代家族、四世代家族は減りました。おじいさん、おばあさんとの触れ合いがないままおとなになる人も増えました。高齢者が増えた今、高齢者サービスの提供をする若い人たちが老人とのふれあい不足で、うまく仕事をやれない部分もあるのだろうと観ながら思ったりしたのでした。

 調べた単語などとして、「むつこい:山形弁でかわいそう」、「口入れ屋:奉公人のあっせん業」、「ごしゃがれる:方言。しかられる」、「めらし:女、おなご」、(このあと肝心なところで方言のセリフが出るのですが、聴いていて意味をとれませんでした。方言使用は逆効果ではないか)、「もっけでがんす:ありがとうございます」、「じょっさねなっし:なんてことない、簡単」、「ぼんぼ:あかんぼう」、「ほんてん:どうして、なぜ」、「大根飯:だいこんめし。米と大根を同量ずついれて炊く」

 あんなに奉公人をいじめたら、奉公人がメンタル病になってしまう。病気になった奉公人はどうなったのだろう。違約金支払って実家へ戻しなのでしょう。

第2巻
 数え7歳で奉公先のあかちゃんを背中におぶって小学校へ登校です。奉公先のあかちゃんの母親がどうして乳飲み子のめんどうをみないのかが不思議でした。それでも、理解ある教師のおかげで登校できて良かったと思いつつ、教室であかちゃんのめんどうをみることは無理ではないかと心配していたら予想どおり他の児童から迷惑だと抗議がありました。
 奉公先の材木店奉公人女性おつねさんが厳しい。ただ、彼女自身もそう教育されたのでしょう。
 おしんは、よく働きます。かぞえ7歳とは思えません。気も強い。ドラマ北の国からの黒板蛍ちゃんのイメージでいましたが、ぜんぜん違います。
 おしんを突き放す人がいれば、拾う人がいます。男優先、女は卑下、長男優先、次男以下は追い出し、いろいろと不平等な社会制度です。
 せんべつに祖母からもらった50銭銀貨はいずれもめるもとになると思っていましたが、予想どおりそうなりました。ただし、おしんが奉公先を勝手に出てしまうことは予想できませんでした。人から人へと渡り歩きながら成長するロードムービー方式だろうか。
 おしんを助けた中村雅俊さんは憲兵に撃ち殺されてしまいました。
 古いものの考え方から脱却することは大変です。いくら反対してもがんこに拒否されますが、たいていは、やがて、新しい考え方に変わって、古い考え方は過去のことになります。時勢にはだれもさからえません。
 ドラマとしては、悪役をどう描くのか(父親、おつねさん)で、内容が引き締まります。

第3巻
 つくり話なのでおおげさなところもあります。誇張のため、観る人によって、好き嫌いの評価が分かれるような気がします。
 時代錯誤的な部分、児童虐待とおもえるほどのいたぶり、あまりにも悲惨で目をそむけたくなるシーンもあります。
 昔の人は教育に関心が薄かった。目の前の日銭をどれだけ稼げるかが主目的の日々を送っていた。いちにもににも、「カネ・カネ・カネ」です。こどもを上級の学校へ通わせることはむだなこと、とくに女子の教育には反対だった。
 ブラジル移民の話が出ます。移民すれば幸せに暮らせると主張する伊東四朗さんはこの当時よくこの役を引き受けたと思います。移民は過酷だったと思います。船でブラジルに行くまでにおおぜいが亡くなったと本で読んだことがあります。役柄とはいえ役者個人のイメージが悪く思われるのではないかと心配になります。このあと出てくる米問屋の自分の娘を甘やかすばか夫婦の役者さんも好演です。
 米問屋のおかみさんのセリフ、「(おしんを)いたわってやれ」の温情に胸が熱くなります。
 おしんは、まっすぐな性格設定で気持ちがいい。
 「こけし」が伏線です。身代わりこけし。こけしを母ちゃんだと思え。

 おしん役の子役さんは上手です。

 昔の食生活がよくわかります。

第4巻
 最底辺の生活を体験したおしんが、奉公先で、最上級クラスの生活を体験します。おしんにとっては、驚きの連続です。身分差別があります。教育を受けることの不平等があります。男女差別があります。奉公先の同い年の跡取り娘と学力競争です。
 おしんのど根性には感心しました。
 対立する相手との共生があり、そこには、仕返しという言葉や行為はありません。
 少女時代全体を通して、昔は確かにあったけれど、今の日本人に欠けている心持ちが表現されていたと感じました。なにもかもがマニュアル化されてしまいました。
 むかしむかしは、「あきらめるしかない生活」がありました。

*少女時代だけを見終わったところですが、理屈で物語を考える訓練になる作品だと受けとめました。登場人物のみなさんが、自分の思っていることをしっかり話されます。現実にはなかなかそういうことはありません。

(その後)
 イラン人女性が書いた本を読みました。おしんは、イランでも放映されていた人気ドラマで、子どもの頃におしんを観て、ふき替えなので、日本人がアラビア語をしゃっべいて、日本人はアラビア語をしゃべれると誤解していたそうです。また、アニメの「みつばちハッチ」を見て、日本のハチはしゃべるんだと思っていたそうです。  

2019年08月14日

炎天下の東山動物園 2019年夏

炎天下の東山動物園 2019年夏

幼稚園が夏休みの平日に孫たちと訪れました。
たしか、昨年の夏もシロクマくんは、この姿をしていました。



コアラ来日、来園35周年の今年です。個体の数が増えました。この日は、8頭が、展示されていました。うち何頭かはよく動いていました。



コアラ舎のそばにいたソマリノロバ「サクラ」が亡くなりました。17才。老衰でしょう。



在りし日の「サクラ」です。2018年5月ごろ撮影しました。



インドサイ。左方向から水浴びをしながら、同時に右方向へ、おしっこをしていました。緑色したおしっこで、草を食べるからだと思いました。かなり大量の排尿でした。



 炎天下の平日のためか、園内は閑散としていました。動物園はシーズンオフの時期なのかもしれません。
 見学者は、外国人ファミリーが多い。東洋人に混じって、聞いたこともない言語、中近東のアラブ人のような民族の小さな子どもたちを連れたご家族が目立っていました。

(その数日後 週末の休みの日にまた訪れました)
 とても暑いので、建物のはしごをしました。スカイタワー無料休憩所、自然動物館、世界のメダカ館、北園、カフェ、ゴリラ・チンパンジー舎などです。やはり、園内は来園者が少なくて閑散としていました。
 ゾウガメ



 ナイルワニ



 グリーンイグアナ



 インドシナウォータードラゴン



 ドピンドピンメダカ



 アメリカバイソン



 オグロプレーリードッグ しぐさも見た目もかわいいので大好きです。




(翌週 ナイトズーを観に行きました)
 大盛況で、熱気ムンムンでした。



 真夏のクリスマスみたい。















こないだ水浴びをしながら、おしっこをしていたサイです。



また来るね。バイバイ

(2020年5月10日追記)
 一番上にある写真のホッキョクグマのサスカッチが、2020年5月7日に亡くなりました。推定30歳、人間でいうと80歳ぐらいでした。彼は、ここに来てから30年間ぐらいずっと東山動物園暮らしでした。こどもたちや、孫たちも見学に連れて行きました。
 展示室のガラスをへだてたすぐそばで、幼い孫とじっとみつめあっていたときの、彼のあたたかくて、優しいまなざしが思い出されて残念です。永い間、見学させてくれてありがとう。ご冥福をお祈りします。
 これで、東山動物園には、ホッキョクグマがいなくなりました。この記事にある亡くなったソマリノロバのサクラも含めて、動物も世代交代の時期を迎えているようです。









(追記 2022年12月24日土曜日)
 『フブキ』という名前のホッキョクグマ2歳男の子が、秋田県男鹿水族館(おがすいぞくかん)から、来年の3月に東山動植物園に来てくれることになったそうです。歓迎します。秋田県のみなさんありがとう。
 両親のもとを離れて、最初はひとりぼっちでさみしいと思いますから、孫たちと励ましにいくつもりです。  

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