2019年08月31日

出川哲朗充電バイクの旅 岩手県釜石から大沢温泉

出川哲朗充電バイクの旅 テレビ番組 岩手県釜石から大沢温泉

 ゲストは、陣内智則さんと石原良純さんです。
 芸能人さんの全国田舎めぐりという雰囲気の番組です。
 タレントさんが、どこへいっても愛想よくみなさんと写真におさまるところが好きです。
 蒸気機関車、遠野物語、宮沢賢治、カッパ、座敷わらしと続きます。
 地元の高齢の方たちは、出川哲朗さんも陣内智則さんを知らないと言います。ふたりが、その高齢者の孫と電話で話をした部分が良かった。
 泊まる場所に困って、たまたまキャンセルが出た旅館に泊まれたのはすばらしいタイミングでした。
 馬力大会という荷物運びの馬の競争は初めて見ました。馬もなかなか大変です。馬が身近にいる地域は珍しい。
 途中の雨は残念でしたが、全般的にいいお天気で、景色がきれいな映像でした。  

2019年08月30日

出川哲朗充電バイクの旅 鹿児島県屋久島一周

出川哲朗充電バイクの旅 テレビ番組 鹿児島県屋久島一周

 ゲストは、堀田茜さんです。
 ほかの回もふくめてですが、日本は、海、山、川の自然に恵まれて美しいところです。日本に生まれて良かったと映像を観ながらうれしさにひたれます。
 あわせて、電動バイクで林道をいけば、道にへびや、にほんざる、ヤクシカが出てきて、なおかつ逃げません。屋久島では動物と人間との共生ができています。
 精霊が宿るという「ガジュマル」の樹が立派でした。これまでに読んだことがある少年少女向けの何冊かの本で出てきていました。たしか、奄美大島にあったような。
 全体的にはおとなしい内容でした。

(追記 2019年11月)
 どうも前回は後半部分しか見ていなかったようです。再放送で、前半部分のゲストが具志堅用高さんでしたが、それを見たので感想を付け足します。
 ペットとしてヤギを飼う。路上でサルたちと出会う。トビウオ漁獲量日本一、ダイナミックなトビウオの刺身料理、港にはウミガメがいる。飛行機一日5便らしく、着陸風景。サバの刺身としゃぶしゃぶを楽しむ。盛りだくさんでした。具志堅さんはレポート上手です。あいかわらず、まちのひとたち、こどもたちの笑顔がいい。  

2019年08月29日

おっさんずラブ 映画館

おっさんずラブ 映画館

 平日の昼間とはいえ、観客のほとんどが女性でびっくりしました。20代から70代ぐらいまで、おばあちゃんたちは連れだって見に来ていて、観客席に横並びで並んで座っておられました。
 入場口前のスペースでは、夏休み中なので、こども向けの映画を観に来ているこどもたちもいっぱいで、これからの映画界を支えていくのは、女性とこどもたちの層だろうと予想した次第です。
 お話のほうは、ドラマは見ていないので、前知識なく映画を観ました。へんな映画でしたが、男性同士の恋の嫉妬が面白くて笑えました。あと、観終えてみると、筋書がよくわからない部分もありました。
 とっぴょうしもない出だしです。観ている人を笑わせようと狙っているのですが、次のベッドで起きたら横に男性が寝ているシーンも含めて、すべっていると受け止めました。
 ドラマの振り返りシーンがあるのだろうと予想していたら、やはりありました。
 前半は、シーンのパズルをくっつけたような流れで、ドラマというよりもバラエティを見せられているようで戸惑いました。あり得ないシーンの連続です。ギャグ連発みたいな感じで落ち着きません。
 男同士の恋心が発覚、判明したあたりからおもしろくなり、サウナのシーンは爆笑しました。おもしろくて、楽しい。気に入ったセリフの趣旨として、「人間の器(うつわ)がおちょこぐらいしかない男」
 ヒロイン?吉田鋼太郎さん演じる黒澤部長が記憶喪失になったあたりは、今度観に行こうと思っている映画「記憶にございません!」とかぶりました。あと、火災のシーンは、自分だけかもしれませんが、最近京都で起きたガソリン放火事件を思い出させるもので、観ていて苦しいものがありましたが、偶然のことなのでしかたがありません。
 男が男に恋をする不可解な世界です。正直キモイ部分もあります。「ちゃんとお付き合いしている?」というようなセリフがあったと思いますが、「ちゃんと」の水準に幅があります。いちばん広い幅は、愛があれば同性でもOKというところまで解釈は広がります。あわせて、別のシーンで出てきますが、かなり年上女性との若い男性との結婚したい恋愛があります。それもOKです。
 BGMのクラシック音楽がいい効果を出しています。志村けんのバカ殿様を観ているようでもありました。
 気に入ったせりふとして、「会議室で汗をかいているだけの人間に、なにがわかるんだ!」という抗議の声がありました。
 地上げの仕事自体の話には中身はないと感じました。
 バスケットボールシーンでは、男同士のピュアな(純粋な、けがれのない)恋の気持ちが伝わってきました。
 花火大会の夜空に打ちあがって大輪(だいりん)の菊のように開く花火がきれいです。
 時限爆弾シーンが予想外の展開でおもしろかった。
 靴が片方脱げたあたりは、伏線になるだろうと予想して、やはり、そういう展開になりました。
 エンドロールのあと、田中圭さんが左手薬指に結婚指輪をはめていたのは、意味をとれませんでした。
 あとは、ネクタイの色柄が目につきました。ネクタイ選びに熱中したようです。
 途中、スマホに「狸穴」の発信者表示が出て、それが「まみあな」と読む人の名前だとわかったのは、映画が終わってからでした。  

2019年08月28日

出川哲朗充電バイクの旅 三重県英虞湾で伊勢神宮まで

出川哲朗充電バイクの旅 テレビ番組 三重県英虞湾(あごわん)で伊勢神宮まで 関東地方で5月に放送した内容分


 ゲストは、小木博明さんと椿鬼奴さんです。
 湾の情景がきれいです。時期は桜の花が咲きほころぶ頃です。海のブルー、木々のグリーンが全編に渡って美しい。
 和具港(わぐこう)→賢島(かしこじま)→的屋(まとや)→相差(おうさつ)→鳥羽市→石鏡町(いじか町)→答志島(とうしじま)→伊勢神宮のルートだったと思います。
 志摩市にある横山展望台に登る、登らないでもめ、結局登ったのですが、そこまでのいきさつがおもしろかった。ふだんは歩かない芸能人だそうですが、やはり、体力と精神力は強いものをもっておられます。小木博明さんの嫌でもやるしかないというやけくそなようすがおもしろくて楽しかった。
 展望台のてっぺんで、新婚カップルをからかったり、おばちゃんにからかわれたり、近くで開催されていた桜まつりで、丸太切り大会に参加したり、なかなかにぎやかでした。ふたりとも積極的に周囲の人たちに声かけをして写真におさまるところでは、好感度が増しました。
 この番組は、「水戸黄門」のように、全国行脚(あんぎゃ、徒歩で巡る。番組は、電動バイクですが)ところが、現代の水戸黄門で受け入れられやすいのだろうと思いつきました。
 今浦の朝市(鳥羽市内)では、公民館みたいなところに飛び込みロケですごいなあと強い迫力が伝わってきました。
 椿鬼奴さんの伊勢神宮に関する知識には感嘆しました。
 海の幸が豊富で、カキ、アワビ、伊勢海老(巨大)、画面で見て目の保養になりました。
 石鏡町(いじかちょう)だったか、スナックのママが、取材拒否のお隣のお店のお刺身をお隣の奥さんを通じて手に入れてくれたところのシーンが胸にじんときました。まさに、人情旅番組です。
 出川さんが、小中学生に「少年!」とか、「少女!」と声をかけるのが気持ちいい。
 30年間の営業を終える牡蛎(かき)のお店の最後のお客さんになったロケーションが良かった。
 石鏡町(いじかちょう)のホテルの景色が広大・雄大で良かった。
 海女さんが原付バイクで移動しているのが、いかにも伊勢志摩の雰囲気が出ていました。  

2019年08月27日

孤愁の岸上・下 杉本苑子

孤愁の岸(こしゅうのきし) 上・下 杉本苑子(すぎもと・そのこ) 講談社文庫

 文庫の帯に、「濃尾三川水工事を命じられた薩摩藩」とあります。三川(さんせん)とは、木曽川、長良川、揖斐川、その交わる一帯を「輪中(わじゅう)」と学校で習いました。ずいぶん昔にテレビドラマでちょっとだけ見て、江戸時代に遠方の薩摩藩が、今でいうところの愛知県、岐阜県の河川工事をしているのだろうと疑問をもったことがあります。この小説はそのことを扱った内容です。詳しいことは知りません。これから読みます。

(つづく)

 主人公は、薩摩藩国老(家老)平田靱負(ひらた・ゆきえ)51才、小柄だが骨太がっしり。
 まだ、数ページ読んだだけです。江戸から治水の命令が鹿児島に届きました。

 「宝暦治水:薩摩藩士がたくさん亡くなった。1754年から1年間ぐらい」
 「江戸表:地方から見た江戸」
 「公儀:幕府」
 「普請:ふしん。建築工事」

(つづく)

 77ページぐらいまで読みました。
 官僚とか公務員世界、単身赴任がらみの大企業の世界、借財、財政とか、いわゆる国の機関の世界をみるようです。公共事業です。治水をしながら、地元住民の雇用確保もします。ただし、その費用は薩摩藩が負うのです。地元濃尾平野で暮らす人間はそれをどう見るのだろう。複雑な心理のからみあいになりそうです。
 タイトル「孤愁の岸」は、川岸にひとりぼっちで立っている総責任者侍平田靱負(ひらた・ゆきえ51才)の姿を思い浮かべます。最終的に彼は自害します。
 
 「米の石とは:1石は10斗。100升、1000合。1石は、成人一人の年間消費量。濃尾平野が64万5000石なので、64万5000人を養える。島津氏は、77万石」、「治水工事の費用30万両が現代ではいくらぐらいかわかりませんが、今の工事に換算したら、何百億円ぐらいだろうと考えます。ほとんどは人件費だろうに。自分なりに1両を30万円と換算して、当初の予算が30万両で900億円、ところがだまされていた。幕府は70万両2100億円を見込んでいたと解釈しました。薩摩藩はだまされた」
 
 関ヶ原の合戦で負けたほうで、外様大名になると、かなり厳しいものがあります。借金財政です。天下分け目の戦に負けたほうは代々みじめです。お金を大阪商人から借りて、担保を出して、別の高利貸しからも借りて、武士とはいえ貧乏です。特産物の砂糖は、いまどきのふるさと納税を思い起こさせます。
 武士は忍耐を強制されますが、恥辱(ちじょく。体面、名誉を傷つけられること)に対しては戦うという気構えです。されど、合戦となれば、負けてしまう。
 幕府から無茶な仕事を押し付けられて薩摩藩主は反旗を挙げたい。されど、藩主の島津重年26歳は藩がなくなるかもしれないことから幕府の命令に従うことを選択します。
 「(処分として」改易:現職者の任を解き、新しい人を任にあてる」、「大目付:幹部」
 政略結婚のごたごたもあったようです。
 悲劇です。されど、治水工事の結果は、現代にも役立っていると思います。「歴史」をつくったのです。
 小説ですから、虚構があると思います。
 鹿児島から濃尾平野へ行く13人の先発チームが組まれました。現代でいえば、家族持ちなので、単身赴任に該当します。
 桜島の影がさびしい。

(つづく)

 当時の川の流れです。東から木曽川が長良川と合流して、それが、揖斐川と合流して1本になる。さらに、2本に分かれて伊勢湾にそそぐ。現在は、3本に分かれて海につながっています。素人目にも治水のためには、川の分離が必要だと気づきます。
 川を治める。コントロールする。農業に生かし、水害を防ぐ。必要な工事です。
 されど、地元民の利益優先の思惑がからんでもめるのでしょう。十分今後が予測できます。ということは、当時の関係者ももめるとわかっていたはずです。水の取り合いは激しい争いになるでしょう。
 「殷賑:いんしん。活気があってにぎやかなこと」
 工事現場への出勤時刻は、午前7時から午後4時です。

 工事現場の説明として、工区が4区ある。
 一ノ手として、中島郡石田村庄屋金太夫方、羽島市
 二ノ手として、桑名郡西対海地大百姓平太夫方、木曽岬町(きそさきちょう)
 三ノ手として、安八郡大牧村鬼頭兵内方、安八町、大垣市
 四ノ手として、桑名郡金廻村庄屋源三邸内、かなまわりむら、海津市
 寝泊まりするところとして、工区ごとに『出小屋』をおく。本部として、三ノ手に『本小屋』をおく。

(つづく)

 お金の管理でもめそうです。
 現地でのおきてのような決め事として、節約目的だと思いますが、
1 ありあわせの物で一汁一菜
2 宿の手入れ無用
3 売買においては最低価格で。
 他の地方の治水事業で遠方から手伝いに来てくれて感謝されるはずなのに、薩摩藩の人たちは、濃尾平野(江戸幕府)「敵中」、敵地に乗り込む雰囲気です。
 ひとりひとりは、大きな組織の歯車のひとつひとつです。
 300年ぐらい前、薩摩藩の人たちが濃尾平野に来て木曽川、長良川、揖斐川の治水工事を薩摩藩の負担でやったという物語の形が見えてきました。そして、さまざまな困難があった。
 「天井川」川よりも住居地、農耕地のほうが、標高が低い。学校で習いました。
 もめごとをなかったことにする隠蔽工作が始まりました。薩摩藩の犠牲者は2名。自害して、状況を訴えようとしましたがまるで、むなしい自爆テロでしかなかった。
 百姓が働いてくれません。
 無駄金が多い。
 資材の不正入札。
 賄賂わいろ
 リーダーの平田靱負(ひらた・ゆきえ)の立場は苦しい。

(つづく)
 
 「村方請負い、町方請負い:町方のほうが財力がある。町人。村方は百姓。38か所を町方受けを請願して、6か所の水中工事のみ町方請けが許可される」、「果報者:幸せ者」、「据風呂:すえふろ。ひとりが入る家の中の風呂。工事現場では、多数が入れるように別棟の風呂小屋がある」、「杣夫:そま。伐採、製材の従事者」、「諸色の値上げ:しょしき。物価。米を除いた日常品」、「焙烙:ほうろく。素焼きの土製、平たいなべ」、「慰藉:いしゃ。なぐさめ、いたわる」

 梅雨時の工事をした河川部分から出水(予算をしぶったがための不十分工事が原因か)が起ります。
 まるで、タイムマシンにのって、過去のその時の現場を見ているかのような記述です。苦しい事情を緻密に積み重ねていく手法です。
 
 疫病がはやり、若き薩摩藩主の濃尾平野現地視察があります。出来事は続いていきます。
 これは、働いて報酬を得る「仕事」ではないのか。処罰のための労役のように表現してあります。

 言葉の違いで意思疎通がうまくいかない。江戸言葉、濃尾平野地域の言葉、薩摩言葉。

(つづく)

 下巻に移りました。
 事故やいざこざで責任を取る形での薩摩藩の自殺者が30人出ています。異常事態です。平和な時代のなかの戦です。
 老母が工事に従事する息子にあてた手紙が温かい。酒のみなされ、女抱きなされで、お金を送ってくれました。
 「宵時雨:秋から冬にかけて急に降ったりやんだりする雨。よいしぐれ」
 歴史小説と娯楽小説を兼ねたような内容です。300年も前のことなので、記述通りの情景があったとは思えませんが、供応、接待、賄賂に、融通という不正行為、どんどん予算が消えていきます。薩摩藩はたまったものじゃありません。もう耐え忍んではいられない。

(つづく)

 「川普請」、「水行普請:すいこうふしん。川の流れ」働くのは百姓で、農作業の片手間でやれるような工事内容ではない。川を切り離す。せき止める。新たな川をつくる。
 土木建築業にたずさわる人向けの小説です。あとは、合い見積もりとか、競争入札をする行政の人。300年かけても公正入札に取り組んでいる人間心理のむずかしさがあります。
 よその藩の人を雇って、薩摩藩の人の人件費を削減する。いろいろと苦しいお金の工面です。
 百姓内で、仲間割れが起き始めます。不正を許せない百姓が現れます。内部告発です。地元の問屋、村役、群代役所の馴れ合いがあります。利益を安定して分配するための腐れ縁です。支払うのは島津藩です。
 虚偽の見積もりが発覚します。
 「気色:きしょく。顔に現れた心の内面」、「断絃:だんげん。弦を切ること。死別」、「嬰児:やや。えいじ。生まれたばかりの子ども」
 『水』の有益さと、災害の怖さがあります。

(つづく)

 読み終えました。最後の解説にありますが、江戸幕府にとって、薩摩藩は脅威であった。ゆえに、薩摩藩が歴史上ときおり登場してくることがわかりました。

 「多度神社:三重県桑名市」

 薩摩藩のメンバーは不本意なまま働き続けます。その土地の人のため、後世の人のためと割り切ろうとするのですが、割り切れません。やはり、自分の藩のため、自分の家族・一族のために働きたい。
 戦っても勝てない幕府に対して反抗できないがまんの苦しさがあります。
 なのに、工事がうまくいかないときは責任を取って切腹です。ひとりの言葉として、「われわれは、はじめから負けている」

 「薩摩の衆は濃尾の冬はこたえる」、「洗堰:あらいぜき。ふたつの川の水位の調整部分」、「油島千間堤:岐阜県海津市海津町油島。長良川と木曽川を分ける堤。あぶらじませんげんつづみ。千間=1818m」

 最終的に薩摩藩の工事参加者は、「総従事者のうち、屠腹した者50名(とふく、せっぷく)、病死者202名となっています」従事者は数千人なのでしょう。
 責任者の平田靱負(ひらた・ゆきえ)も、同胞(どうほう。同じ薩摩藩の人間)の亡きがらを濃尾平野に残して薩摩へ帰ることはできず切腹しています。
 武士とはなにかを考える作品でもありました。「ご家老は、命を落とした人々とともに、この野に眠るお覚悟だったのだな」とあります。されど、思うに、武士であっても死にたくはなかった。ふるさと鹿児島に帰りたかった。帰って親族に会いたかった。無念であったと思うのです。  

Posted by 熊太郎 at 06:10Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2019年08月26日

白狐魔記(しらこまき) 源平の嵐 斉藤洋

白狐魔記(しらこまき) 源平の嵐 斉藤洋 偕成社

 妖怪白狐のお話みたいな感じで、源氏と平家の対立と戦の終末期を描くものだろうという予想で読み始めました。
 こういう児童文学作品があったことを初めて知りました。おもしろい。秀作です。
 ひとりだちのために、住み家から、母親ぎつねに、きつく追い払われたきつねの話から始まります。物語の3分の2ぐらいを読みましたが、彼にはまだ名前がありません。同じく追い出された弟らしききつねがいますが、その存在には詳しくは触れられていません。
 きつねの一人称、ひとり語りで物語は続いていきます。
 人間の復讐心の強さ、あきらめの悪さについて書いてあります。永遠に仕返しが続くことを源平合戦から引き出しています。
 「仕返し」を防ぐことはむずかしい。相手の仕返しから逃れて生きていくための手法として紹介されているのが、相手のそばにいるのだけれど、相手から「見えないような存在になる」
 だから、きつねは、人間に変身する。そのように話の流れを自分なりにつかみました。
 
 良書です。今年読んで良かった1冊です。以前読んだ同作者の「ルドルフとイッパイアッテナ」もおもしろかった。

 母親ぎつねに追い出されたきつねは決心します。
 東に60里(240km)いったところに白駒山(しろこまさん)という険しい山がある。そこには、きつねが人間に化けるための修行をしてくれる仙人がいる。その仙人に会って、人間を化かす神通力とやらを身に着けたい。
 そのときに、「縁(えん)」の話が出ます。縁があるかないかは、自分では決められませんが、縁がないと相手とは出会えません。

 場所が、白駒山(しらこまさん)で、そこにいるきつねは白いのか。そして、その仙人という扱いである白いきつねは、人間にもなれるし、馬にもなれる。いわゆる化け物か。妖怪なんとかへんげ。
 物語のなかでは、作者が、「若いきつね」になりきっています。仙人である巨大な白ぎつねは、変化が自由自在で魔界の妖怪を超えて神のようです。
 
 おもしろい展開が続きます。

 迫力のある平家と源氏の弓矢の応酬です。義経と弁慶が登場しました。一の谷の奇襲です。(平安時代末期1184年、ドラマチック(劇的、印象的、感動を呼び起こす)な記述です。でもきつねには、ふたりが、どんな人物かはわかりません。
 犬ときつねの格闘シーンも迫力に満ちています。猟犬7匹対きつね1匹です。
 
 「おかどちがい:本来の筋からずれている。場所が違う」

 仙人は老人ではなく若い男でしたが、そもそも仙人は人間ではない。

 掟(おきて。地域・集団の決まりごと。さからうと大きな被害をもらうことになる)のような、「白駒山と白駒山の頂上から見える場所での殺生(せっしょう、殺し)はいけない」の意味は、いずれ解き明かされるのだろうか。

 よくは知りませんが、ドラゴンボールみたい。「気」とか「念」とか。体内エネルギーを表現。

 相手の記憶を消すという高等技術。

 「無」と「空(くう)」の違い。

 ぐっときた表現などとして、「いちばん恐ろしい敵は人間だ」、「これからおまえは、字をおぼえるのだ(学習は字をおぼえるところから始まる)」

(つづく)

 師匠の仙人ぎつねは、気持ちや考えがまっすぐな人です。いや、きつねです。

 ようやく主人公のきつねに名前を付ける話が出てきました。148ページ付近です。
 いまいる山の名前からとって、「白駒丸(しらこままる)」、そこからさらに変化させて、「白狐魔丸(しらこままる)」すばらしい。かっこいい。人間は白い生き物を神の使いだという。

 きつねと義経、弁慶との再会シーンです。義経は、兄頼朝の懸賞金付殺害指令で追われている身です。

 「佐藤忠信:義経の身代わりになって平家に殺害された」
 「主君のために死ぬのは本望(ほんもう。本来の望み)でござる」の言葉があります。今は、そういうことを言う人はいなくなりました。
 佐藤忠信の言動には、「美」があります。自分の役割を果たす。自分の責任を果たす。潔い。(いさぎよい。清らか。汚れがない)

 この本を読む前に、直木賞作品「渦 妹背山婦人庭訓魂結び(いもせやまおんなていきんたまむすび)」を読んだのですが、浄瑠璃の舞台として、奈良県吉野が登場します。
 以前吉野に行ったとき、義経と静御前(しずかごぜん)が吉野に一時的にいたというところを見学した覚えがあります。
 たまたま2作品が重なり縁を感じました。  

Posted by 熊太郎 at 06:07Comments(0)TrackBack(0)読書感想文