2019年08月20日

ふるさとって呼んでもいいですか ナディ

ふるさとって呼んでもいいですか ナディ 大月書店

 外見は外国人、中身は日本人、日本をふるさとと呼んでもいいですかという問い。①いいですよ②呼ぶのはあなたの自由です。だれかの許可を得るものではありません③だめですよ。①が答えになるのでしょう。
 イラン人1991年に来日した30代イラン人女性ですが、6才から日本育ちです。日本人同様の文章作成能力があります。
 子ども時代のつらい時期があります。子ども時代、日本人の子どもでもつらい時期があります。同じです。
 子どもが健やかに育つには「幸運」が必要です。
 見た目で外国人を怖いという偏見をもたないでくださいというメッセージがあります。
 いい人そうに見えるけれど、いじめる人は多いです。
 かっぱえびせんのえびの絵がむかでに見えたという思い出話には、そういう発想がないのでへーっと感心しました。
 ちょうど、イラン・イラク戦争の頃の誕生です。米軍等介入の湾岸戦争もありました。不法就労ファミリーなので、ルール違反なのはどうかという思いはありますが、未来の見えてこない難民・移民の困難さもあります。
 戦争がなければ、ずっとイランで暮らしていた人たちです。戦争や災害は人生を変えてしまいます。(後半部に、もし、日本に来ていなかったら自分は浮浪児になっていてもおかしくなかったとあります)
 別の本で、「10代の頃には負荷をかけたほうが、将来役に立つ」という記述を最近読みました。そのとおりだと思います。今は苦しくてもそれが将来役立つ時が来ます。
 今年読んで良かった1冊になりました。
 イランでは、「おしん」が人気だった。日本人役者は吹き替えでペルシャ語だったのですが、日本人はみんなペルシャ語をしゃべることができると勘違いしていた。「みなしごハッチ」を見て、日本のハチはしゃべることができると思っていた。こども時代の楽しいお話が続きます。
 来日時の暮らしぶりは悲惨なのですが、半世紀前の日本人の肉体単純労務者ファミリーの日常もそれと同じでした。読みながら思い出しました。
 イランを出国するファミリーは、もしかしたら親族とのこの世で最後の別れの瞬間です。こどもにはそれがわかりません。ご両親のご苦労が伝わってきます。
 奥さんはお金持ちのお嬢さまの出だったのに、旦那さんの商売の借金で人生が大きく変わりました。
 ようやく手に入ったテレビが日本語の先生だったをはじめとして、日本人にとっては、初めて聞くようなエピソードが続きます。
 いじめる人間もいますが、かばう人間もいます。差別する人もいるし、しない人もいます。
 ひらがな・カタカナを覚える喜びがあります。
 新入りはいつでもどこでも不安です。
 
(つづく)

 読み終えました。終わりに近い部分は理屈っぽくなって固い文脈で、最初のころのおもしろおかしい柔らかい感じがなくなっていますが、いたしかたありません。主人公である作者は6才から30代の人に成長しています。
 不法滞在外国人の扱いについては、読書の読み手としては対応のしようがありません。法令違反を容認することはむずかしい。実態もわかりません。専門機関、担当部署にお任せするしかありません。
 人種混在で社会を支え合っていくには、国籍差別問題を克服していかねばならないことと、多様化する人種構成社会のなかで、これまでの区別意識からは脱却しなければならないというメッセージはよく伝わってきました。

 小学校生活スタートにあたって、外国人こどもの日本語での学習は、学力的につらい。漢字でゆきづまります。楽しみなのは、図工と音楽と体育。
 サポートしてくれる日本人家族がいます。貴重な存在です。
 国語辞典と漢和辞典が宝物です。ファミリーに日本語文字がわかるのが、著者である小学生の娘しかおらず、彼女が学校からのお知らせや回覧板に書いてあることを解読していきます。
 黙々と辞書を引くイラン人の小学生女児です。勉強というものは、人の見ていないところで、ひとりで、黙々と取り組むものだと思っています。フードコートやファストフード店で、不特定多数の人に囲まれてテーブルに資料を広げている人を見ると、勉強をしているふりをしている人だという感想をもっています。
 イスラムの宗教のことが書いてありますが、かなり自由度が高い。信仰のしかたは自分で決めていい。
 興味深かった記述として、「日本風のお弁当をつくることができないお母さん」、「家の中で何語で話すか」、「在日28年で運転免許取得に挑戦」、「身体的特徴を無理に変えさせる校則は時代に合わない」、「初めての給料をもらって、宅配ピザでお祝いをした」、「イラン人のおとうさんが町内会長をしていたときがある。おまつりで、自分では食べられない焼き鳥をたくさん焼いて喜ばれた」、「お客さまがハッピーになるためには、まず、従業員がハッピーな気持ちにならなければならない」、「ますます多文化になる日本」、「内なる国際化」

 「CCS:学生主体の団体。世界の子どもと手をつなぐ学生の会 毎週土曜日にボランティアセンターで宿題をみてもらえる」

 様々なシーンで、人脈がきっかけになります。戸籍制度で身分保障されている日本国籍の人間とは違います。

 在留資格の取得をはばむものは犯罪歴なのでしょう。

 11年ぶりの祖国訪問のことが書いてあります。「歓迎」というものは、たいていは最初の感激だけで、時間が経つごとにお互いに嫌に思う面が出てくるものです。長年日本で暮らした彼らにとってはもうイランは祖国という感じがしない。居心地が良くない。かれらはもうイラン系日本人です。
 日本人はイラン人を見下す。イラン人はアフガニスタン人を見下す。
 
 「自分とは何者なのか=アイデンティティ」

 外国人だからバイトや就職試験に落ちているわけではなく、日本人も同じように落ちているという気づきは良かった。

 最後付近では、日本とか、日本人の良さがにじみ出てきて、日本人としてうれしくなります。  

Posted by 熊太郎 at 05:51Comments(0)TrackBack(0)読書感想文