2019年08月16日

コンビニたそがれ堂 村山早紀 

コンビニたそがれ堂 村山早紀 ポプラ文庫ピュアフル

 短編6本です。

「コンビニたそがれ堂」
 ファンタジー神がかり(お稲荷さん神社関係)ショートショート(不思議物語)です。はじめて読みました。ロマンチック(男女の愛をからめて情緒的)です。ミステリーっぽく、読後感は胸がすく(すっとした心持ち)ような感じです。
 コンビニたそがれ堂は、きつねの神社のそばにあり、常にそこに存在するわけではなく、必要な時に必要な人のために存在する。店員はキツネ顔の銀髪で目は金色に輝いている。
 江藤雄太小学5年生が今回の登場人物です。児童文学だろうか。雄太には、アメリカ合衆国へ転校した美音(みおん)に未練がましい(あきらめきれない)思い出があります。そこをキツネ店員が解決してくれます。
 コンビニのマークは、「稲穂」
 猫好きにはたまらない(すばらしい)話なのでしょう。
 定義は、「探しものが必ずある不思議なコンビニ」です。
 秀作でした。

「手をつないで」
 ことし読んでよかった1冊になりそうです。
 うまくいかない母子関係にある小学3年生です。母親自身も母親から冷たくされたのでしょう。だから、自分の娘にもあたります。娘のリカちゃん人形を捨てます。
 えりかは、不安になり、迷い、さまよい、たどりつくのが、きつねさんが神社のそばで営業しているコンビニたそがれ堂なのです。悲しい時のコンビニたそがれ堂です。導かれるのです。
 作品「コーヒーが冷めないうちに」の雰囲気です。
 どうなるのか、推理小説の面もあります。
 えりかのセリフが深刻さを増します。「おうちに帰りたい。でも、帰りたくないよ…」
 神社の「人形供養」という言葉を思い出しました。
 ママは、「孤独」というストレスがたまっている。
 作品には、優しさが満ちています。
 印象的だった文節として、「ママは、心がぐるぐるして、苦しくなっちゃうときがある」
 結末を予想できませんでした。意外な結末でしたが良かった。

「桜の声」
 この1本は好みではありません。民放ラジオ局女性アナウンサー、未婚もうすぐ30歳の不思議な体験記になっています。戦時中の過去、月旅行ができるくらいの未来が出てきますが、肝心のコンビニたそがれ堂から離れてしまいました。力は入っていますが、うわべの事象で構築された物語という感じがしました。
 気に入った表現としては、「おなかのあたりがからっぽで、落ち着かない感じ」
 30歳をまじかにして、これから先、結婚しないで、仕事一筋でいくか、結婚・妊娠・出産・子育ての道を選択するか、迷いがあります。ただ、縁のものなので、男性との出会いがいまのところないようです。
 物語の途中で、以前、タイで、洞窟のなかに多数のサッカー少年たちが、豪雨のために洞窟に入って来た水のために出られなくなった事故のことを思い出しました。
 調べた単語として、「わたしのPDA:パーソナル・デジタル・アシスタント。携帯情報端末」

「あんず」
 猫娘(猫が人間になる)あんずの物語です。もう、彼女の余命が尽きそうなのです。
 このパターン、既視感があります。コンビニ堂で人間になれるものをもらって、いくつかの約束事を言い含められて、飼い猫あんずは、きれいな少女に変身します。
 作者の想像世界に誘われます。
 セミをとるために木に登るあんずです。猫だからできることです。その部分を読んでいるときにちょうど窓の外でセミが鳴いていました。
 力作です。エネルギーがこめられています。
 「死」の話です。猫の死でもあるし、一家の飛行機事故で亡くなった父親の話でもあります。男の子が中学生の頃に父親が亡くなっています。
 非常にむずかしい世界に入っていきます。過去を大事にするのですが、いつまでも過去にしばられている。過去を忘れられない。過去を捨てられない。過去に感情がひきずられている。そうなると明るくて遠い未来が見えなくなります。物の片づけ作業と似ています。本人は思い出がある大切なものに囲まれているつもりですが、人から見れば、家の中がゴミだらけのごみ屋敷です。
 人はあっけなく死んでしまいます。そして、永遠に生き続けることはありません。だれもがかならずいつか死にます。その時期が早く来る人もいますし、遅く来る人もいます。
 
「あるテレビの物語」
 心をもつテレビの話です。こちらもさきほどの「あんず」と共通するテーマ「死」があります。テレビは壊れて映りませんが声は出ます。さて、どうしようです。もったいない。テレビの擬人化がありますが、少々無理があります。物は物であって、生き物ではありません。道具です。物に感情を付加すると生きにくい状況が生まれてきます。商業用家畜に名前を付けて育てたのに、やむなく食べなければならないという苦しみを味わう行為と重なります。
 別れはつきものですが、別れることができません。未練のかたまりです。せつせつとその心情が語られます。過去の呪縛から逃れられない。
 反発を受けるかもしれませんが、そういう自分に恋をしている。

「いくつかのあとがきから」
 2006年の日付です。もう15年ぐらいが経ちます。
 基本は児童書だそうです。それが、おとなも読める、読む、児童書に発展しています。やはり、むかしのことを忘れられない人は多い。ただ、あのとき、あのことがあったから、今の不幸があるというようには考えたくありません。むしろ逆であってほしい。
 失わないと得られないのが人生の流れです。なにもかもすべてを手にすることはできません。

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