2019年08月17日
洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい
洟をたらした神(はなをたらしたかみ) 吉野せい 中公文庫
有名な作品ですが読むのは初めてです。子どもさん向けの童話だと思っていましたが違います。貧しくも強く生きた日本民族の暮らしの記録集です。いまどきのエッセイです。そして長いこと、「よだれをたらしたかみ」と読み間違えていました。正しくは、「はなをたらしたかみ」なのです。作品を読み始めてようやくわかりました。お恥ずかしい限りです。
吉野せい(1977年78才没)、本の最初に学校教科書で旅行の随筆を読んだことがある串田孫一さんの紹介文があります。
同じ人でもうまい文章を書く時とそうでないときがあるけれど、吉野せいさんは、そういうことはない。いつも切れ味鋭いものを書かれるそうです。
共感した言葉は、「文章を書くことは、自分の人生を切って見せるようなものかもしれない」という部分です。
いまはじめの2本を読んだところですが、本作品集もノンフィクションがベースになっている短編だろうと察します。全体で16編の短編です。作成時期の時代背景は90年ぐらい前、大正末期から昭和初期、本の発行は50年ぐらい前です。
「春 (大正11年春の作品)」
ニワトリを巡るお話です。生命誕生の喜びが生き生きと書いてあります。
調べた単語として、「距離の一町:約110メートル」
「かなしいやつ(大正14年冬の作品)」
農耕民族である日本人の貧しい暮らしです。貧しさゆえの北海道移住話があります。移住希望者を、周囲が、飛翔ではなく逃避だと責めます。
NHK朝ドラ「おしん」の世界です。妻は北海道移住後早くに亡くなり自身も40歳で亡くなるもとは名家の家の男性のお話でした。それでも男性の人生は輝いていたのでした。自分の希望する道を進んで、人脈を広げて、自然とともに生きて、詩作に没頭したのでした。
文章描写が克明です。まじめで実直、細かいところまで力を入れて書いてあります。
「洟をたらした神(昭和5年夏の作品)」
やんちゃで元気な少年です。かぞえ6歳です。気が強い。芯が強い。人に頼らない。自立しています。童謡が生活を支えています。ノボルという名の少年ですが、当時の農村地帯には、彼のような少年がたくさんいたと思うのです。
「梨花(りか) (昭和5年冬のこと)」
りかと読むと思うのですが、女の赤ちゃんの名前です。書中では、「リーコ」と呼ばれています。1才を迎える前に病死しています。思い出のお話です。
最初に出てくる草野心平さんの1971年書画展のことから、実際にこの文章が書かれたのは、そのころなのでしょう。昭和46年、大阪万博の翌年です。
印象に残った表現として、友人を「年老いた童子(どうじ)」
41年前の遠い昔の思い出です。そのころはまだみんな若かった。
強烈な虐待事件が続くいま、この話を読むと胸にしみます。幼子を大切にするのですが、病気のために命が続きませんでした。
調べた単語として、「焚く:たく。燃料を燃やす」
しんどい生き方があります。思いつめた生きざまです。
「ダムのかげ」
親分がいて、子分がいる。集団の秩序に従えないとなると追放される。そんなことのあと、炭鉱の坑内事故で命を落とす。
命と高い賃金を交換するのが炭鉱仕事。
調べた単語として、「嚊ももらった:かかあ。妻」
「赭い畑 (あかいはたけ。赤土の畑。昭和10年秋)」
農業関係事務職員の話です。
貧しいのに子だくさんなのは、農作業における労働力の確保と、ほかに楽しみがなかったということだろうか。現代では、子どもにはお金がかかることもあって、少子化となりました。極端から極端に変化したい日本民族です。
記述からは、人は死んだら生まれ変わるという輪廻思想が日本人にはありません。
登場人物の言葉として、「人間は泣きながら歩いているうちにほんとうの自分をみつけてくる」
なにもかもが、せっぱつまっている文章内容で、少し読み疲れてきました。
特高(特別高等警察。国家維持が目的)に思想問題人物として目を付けられる。共産主義思想の否定です。
「公定価格」
官憲(官庁の権利をもつ者)から農作物のわいろを要求される。さからえない百姓のくやしさがあります。読んでいると暗い気持ちになってきます。くだものの梨を要求されます。くやしい思いをこらえながら権力に伏する。昭和17年のことです。昭和20年終戦。
「いもどろぼう」
番小屋で夜通し交代で農作物の見張りをする。どろぼうは命乞いをする。捕まえられた者も捕まえた者も貧しい。どろぼうはうそをついているかもしれない。
たべものは、盗むのではなく、自分の手で育てる。働いたお金で買うもの。安易な許しは相手の思うつぼということもある。されど、終戦後の昭和20年秋のことで、加害者も被害者も途方に暮れる。
「麦と松のツリーと (昭和19年冬)」
外国人捕虜のためのクリスマスツリーのことです。戦場のメリークリスマスという映画を思い出します。モミの木がないので松の木を代用する。
空襲の話があります。「(戦争に)負けたらどうなるのか」不安が広がります。
アメリカ兵に向かって、「ガム、くんちぇ(ください)」の少年たちが出現します。
敗戦した国民のみじめさがあります。
「鉛の旅」
昭和20年3月9日の出征兵士です。同年8月15日が終戦日です。登場人物が、「二度目の出征です」という。もう日本には兵士もいない。彼は妻を亡くして、幼子を63才の祖母がめんどうをみている。祖母にはもう10年は生きていて欲しいと願う。長寿となった今とはだいぶ違います。地の底で暮らす民の声が届いてきます。
「水石山 (昭和30年秋)」
山のぼりのお話です。鳥のヒバリの話も出ます。そういえば、小学生の頃ひばりをよく見かけましたが今は見なくなりました。まっすぐ飛び上がって、巣から離れたところへ降りる鳥でした。巣にいるヒナを守るためです。
「夢 (昭和46年春 作者72歳ぐらい 前年に夫を亡くし、この年から執筆活動をして、昭和49年75歳ぐらいで、この本「洟をたらした神」を出版しています。人生における出版時期に遅いということはないと勇気づけられます。昭和52年78歳で没)
山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)詩人、児童文学者の記事あり。1924年・大正13年40歳没。
作者について、時が流れて、生活が落ち着いて、平和が訪れて、文章は穏やかな文脈へと変化しました。このときは、自分のことを考える時期です。
「凍ばれる(冬、寒くて、しばれる) 昭和47年冬
80歳近い老人の気持ちです。印象的な文章表現として、「生誕の時の光りに反してこの終わりに暗さ」
「信といえるなら (昭和47年春)」
昔と今を比較して話すようになると人は歳を重ねたということ。どちらがいいもわるいもない。貧しい生活で切ない思いをしたことも今となっては思い出。「みじめでした」という言葉がつらいのですが、いつまでも「みじめ」な位置にいるわけにはいきません。長い人生のなかで、そういう時期がありましたという思い出として老いてからは語りたい。
印象的な文節として、「あんたは書かねばならない」
感情的、感情優先な内容でした。
「老いて(昭和48年秋)」
74歳ぐらいです。昔はもう老人扱いでしたが、今ではまだまだ若いといわれる年齢です。
「私は百姓女 (昭和49年春)」
書き方が変化して、日記のようです。
*かなり昔の時代の頃のことなので、読む人それぞれによって、内容に強い共感をもつひと、そうでないひとがいるのでしょう。好みが別れる作品群かもしれません。
有名な作品ですが読むのは初めてです。子どもさん向けの童話だと思っていましたが違います。貧しくも強く生きた日本民族の暮らしの記録集です。いまどきのエッセイです。そして長いこと、「よだれをたらしたかみ」と読み間違えていました。正しくは、「はなをたらしたかみ」なのです。作品を読み始めてようやくわかりました。お恥ずかしい限りです。
吉野せい(1977年78才没)、本の最初に学校教科書で旅行の随筆を読んだことがある串田孫一さんの紹介文があります。
同じ人でもうまい文章を書く時とそうでないときがあるけれど、吉野せいさんは、そういうことはない。いつも切れ味鋭いものを書かれるそうです。
共感した言葉は、「文章を書くことは、自分の人生を切って見せるようなものかもしれない」という部分です。
いまはじめの2本を読んだところですが、本作品集もノンフィクションがベースになっている短編だろうと察します。全体で16編の短編です。作成時期の時代背景は90年ぐらい前、大正末期から昭和初期、本の発行は50年ぐらい前です。
「春 (大正11年春の作品)」
ニワトリを巡るお話です。生命誕生の喜びが生き生きと書いてあります。
調べた単語として、「距離の一町:約110メートル」
「かなしいやつ(大正14年冬の作品)」
農耕民族である日本人の貧しい暮らしです。貧しさゆえの北海道移住話があります。移住希望者を、周囲が、飛翔ではなく逃避だと責めます。
NHK朝ドラ「おしん」の世界です。妻は北海道移住後早くに亡くなり自身も40歳で亡くなるもとは名家の家の男性のお話でした。それでも男性の人生は輝いていたのでした。自分の希望する道を進んで、人脈を広げて、自然とともに生きて、詩作に没頭したのでした。
文章描写が克明です。まじめで実直、細かいところまで力を入れて書いてあります。
「洟をたらした神(昭和5年夏の作品)」
やんちゃで元気な少年です。かぞえ6歳です。気が強い。芯が強い。人に頼らない。自立しています。童謡が生活を支えています。ノボルという名の少年ですが、当時の農村地帯には、彼のような少年がたくさんいたと思うのです。
「梨花(りか) (昭和5年冬のこと)」
りかと読むと思うのですが、女の赤ちゃんの名前です。書中では、「リーコ」と呼ばれています。1才を迎える前に病死しています。思い出のお話です。
最初に出てくる草野心平さんの1971年書画展のことから、実際にこの文章が書かれたのは、そのころなのでしょう。昭和46年、大阪万博の翌年です。
印象に残った表現として、友人を「年老いた童子(どうじ)」
41年前の遠い昔の思い出です。そのころはまだみんな若かった。
強烈な虐待事件が続くいま、この話を読むと胸にしみます。幼子を大切にするのですが、病気のために命が続きませんでした。
調べた単語として、「焚く:たく。燃料を燃やす」
しんどい生き方があります。思いつめた生きざまです。
「ダムのかげ」
親分がいて、子分がいる。集団の秩序に従えないとなると追放される。そんなことのあと、炭鉱の坑内事故で命を落とす。
命と高い賃金を交換するのが炭鉱仕事。
調べた単語として、「嚊ももらった:かかあ。妻」
「赭い畑 (あかいはたけ。赤土の畑。昭和10年秋)」
農業関係事務職員の話です。
貧しいのに子だくさんなのは、農作業における労働力の確保と、ほかに楽しみがなかったということだろうか。現代では、子どもにはお金がかかることもあって、少子化となりました。極端から極端に変化したい日本民族です。
記述からは、人は死んだら生まれ変わるという輪廻思想が日本人にはありません。
登場人物の言葉として、「人間は泣きながら歩いているうちにほんとうの自分をみつけてくる」
なにもかもが、せっぱつまっている文章内容で、少し読み疲れてきました。
特高(特別高等警察。国家維持が目的)に思想問題人物として目を付けられる。共産主義思想の否定です。
「公定価格」
官憲(官庁の権利をもつ者)から農作物のわいろを要求される。さからえない百姓のくやしさがあります。読んでいると暗い気持ちになってきます。くだものの梨を要求されます。くやしい思いをこらえながら権力に伏する。昭和17年のことです。昭和20年終戦。
「いもどろぼう」
番小屋で夜通し交代で農作物の見張りをする。どろぼうは命乞いをする。捕まえられた者も捕まえた者も貧しい。どろぼうはうそをついているかもしれない。
たべものは、盗むのではなく、自分の手で育てる。働いたお金で買うもの。安易な許しは相手の思うつぼということもある。されど、終戦後の昭和20年秋のことで、加害者も被害者も途方に暮れる。
「麦と松のツリーと (昭和19年冬)」
外国人捕虜のためのクリスマスツリーのことです。戦場のメリークリスマスという映画を思い出します。モミの木がないので松の木を代用する。
空襲の話があります。「(戦争に)負けたらどうなるのか」不安が広がります。
アメリカ兵に向かって、「ガム、くんちぇ(ください)」の少年たちが出現します。
敗戦した国民のみじめさがあります。
「鉛の旅」
昭和20年3月9日の出征兵士です。同年8月15日が終戦日です。登場人物が、「二度目の出征です」という。もう日本には兵士もいない。彼は妻を亡くして、幼子を63才の祖母がめんどうをみている。祖母にはもう10年は生きていて欲しいと願う。長寿となった今とはだいぶ違います。地の底で暮らす民の声が届いてきます。
「水石山 (昭和30年秋)」
山のぼりのお話です。鳥のヒバリの話も出ます。そういえば、小学生の頃ひばりをよく見かけましたが今は見なくなりました。まっすぐ飛び上がって、巣から離れたところへ降りる鳥でした。巣にいるヒナを守るためです。
「夢 (昭和46年春 作者72歳ぐらい 前年に夫を亡くし、この年から執筆活動をして、昭和49年75歳ぐらいで、この本「洟をたらした神」を出版しています。人生における出版時期に遅いということはないと勇気づけられます。昭和52年78歳で没)
山村暮鳥(やまむら・ぼちょう)詩人、児童文学者の記事あり。1924年・大正13年40歳没。
作者について、時が流れて、生活が落ち着いて、平和が訪れて、文章は穏やかな文脈へと変化しました。このときは、自分のことを考える時期です。
「凍ばれる(冬、寒くて、しばれる) 昭和47年冬
80歳近い老人の気持ちです。印象的な文章表現として、「生誕の時の光りに反してこの終わりに暗さ」
「信といえるなら (昭和47年春)」
昔と今を比較して話すようになると人は歳を重ねたということ。どちらがいいもわるいもない。貧しい生活で切ない思いをしたことも今となっては思い出。「みじめでした」という言葉がつらいのですが、いつまでも「みじめ」な位置にいるわけにはいきません。長い人生のなかで、そういう時期がありましたという思い出として老いてからは語りたい。
印象的な文節として、「あんたは書かねばならない」
感情的、感情優先な内容でした。
「老いて(昭和48年秋)」
74歳ぐらいです。昔はもう老人扱いでしたが、今ではまだまだ若いといわれる年齢です。
「私は百姓女 (昭和49年春)」
書き方が変化して、日記のようです。
*かなり昔の時代の頃のことなので、読む人それぞれによって、内容に強い共感をもつひと、そうでないひとがいるのでしょう。好みが別れる作品群かもしれません。
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