2024年07月14日
国立国会図書館を見学する。
国立国会図書館を見学する。
今年の一月は、国会の衆議院を見学しました。
そのとき、国会の横にある国立国会図書館が見学できることを知りました。
事前に電話で国立国会図書館の担当者の方とやりとりなどをして、見学の予約がとれました。
以前、なにかのテレビ番組で、図書館内を紹介していました。NHKだったと思います。地下深くにある書庫の映像が出ていた記憶です。
次の写真で、右側の建物が、『新館』です。まずそこで利用者登録をしました。午前11時半ごろに入館しました。(4時間ぐらい滞在しました)
新規登録希望者は、自分たち夫婦しかいないだろうと思って行ったら、待合場所にたくさんあるベンチに若い人たちがたくさん座っていて、登録利用者カードの交付待ちをしていたのでびっくりしました。
運転免許試験場で、更新後の運転免許証を受け取るシーンに似ていました。ただし、ひとりずつ呼ばれて、名前の確認等がなされます。
登録利用者カードをもらって、駅の改札口みたいな入口を通って中へ入りました。新館と本館はつながっています。
お昼時だったので、本館6階にある食堂でランチを食べました。職員食堂みたいな雰囲気のところでした。お弁当持参の人が利用できるテーブルやイスの区域もありました。
今回訪問した目的は、もう二十年ぐらい前に自費出版した自分の本が国立国会図書館に所蔵されているので、見てみたかったのと、おそらく本のどこかに『国立国会図書館所蔵』みたいな表示があるに違いないと思い、記念に本の表紙と所蔵図書館名部分のコピーをもらおうというものでした。されど、目的の本を申し込んで受け取るまでに20分ぐらいかかりそうで、そのあと複写をお願いしてもまた順番待ちの時間がかかりそうでした。
国立国会図書館内の参観開始時刻が午後2時からだったので、自費出版した自分の本を確認するのはまた今度来た時でもいいかと思い、本館6階の食堂を出たあと、コーヒーでも飲もうと、本館3階の喫茶室へいきました。
行ってみて、そこで食事もできることを知りました。観光客の場合は、職員食堂の雰囲気がある本館6階の食堂よりも、こちらの本館3階の喫茶室のほうが、居心地がいいと感じました。観光中とみられる若い女性たちや少人数連れの外国人客の姿がありました。(その後、帰宅してから、新館の1階にも喫茶室があることに気づきました)
次の写真の左側にある建物が、『本館』です。
午後2時から予約してあった図書館内参観集合場所は、本館の南入口でした。写真にあるのは、本館東側にある一般利用者入口ですから、その前を通り過ぎて、右に曲がり、南側入口から中に入って、すぐ右にあるカウンターで警備員さんに話をして紙に名前を書きました。国会議員が図書館を利用するときはこの出入口から入るようです。
本館東側一般利用者入口のそばにあったオブジェです。(オブジェ:美術作品)
オブジェの反対側には、人間の像がありました。
やせたヨーロッパ人に見えました。男か女かの性別は判然としません。
妖精みたいなものだろうか。
参観では、ほかに申し込みをされた方もいっしょになって回り、職員さんに案内してもらいました。たくさんの質問などのやりとりもさせてもらいました。ご丁寧な説明をありがとうございました。
次の写真2枚は、地下30mの位置にある書庫の吹き抜け最下部から上方向を撮影したものです。
一番上の明るい窓が、地上の地面の位置にあります。外から見ると最上部は温室のようなつくりでした。
ここは、灯り(あかり)とりのための吹き抜けです。地下の書庫空間を照らす役目を果たしているそうです。地下書庫で仕事に従事される職員さんも、労働時間のほとんどを地下ですごすようですので、たまに、書庫から吹き抜け部分に出て、外の空気に触れると心身にいいでしょう。
次の写真で、正面、斜めになっている部分は階段です。
書庫の空間が、何層にも重なって、地下ビルの階層のようになっています。
いくつか、感想を並べてみます。
図書館ですが、利用者が利用する部分で、利用者が本を手に取れるような書庫とか書架、本棚がないことに驚きました。
たくさんパソコンが並べてあるスペースがあります。
パソコンで借りたい本を選んで申し込むそうです。
申し込んだあと、目的の本が受け取りカウンターに届いているのかをパソコンで確認してカウンターまで受け取りに行くそうです。
複写の依頼も同じようなやりかただと感じました。自分で、コピー機にコインを入れてコピーするのではなく、職員が事務室内でコピーしてくれたものを受け取るのです。
コピー代に1円未満の端数があるのが不思議でした。カラーA4だと1枚消費税込104.50円。白黒A4だと1枚税込27.50円、白黒A3だと1枚税込47.3円。支払う時、円未満が出ないような枚数を複写するのかなあと思いました。単位『銭(せん)』の支払いはできませんものね。
館内には、旅行バッグなどは持ち込めません。
ロッカーに預けて、ロッカー室にたくさんぶらさげてある透明のバッグに貴重品だけを入れて持ち歩きました。本の盗難防止のためなのでしょう。透明バッグには、ペットボトルを入れることができる部分がありました。
ロッカーを使用するときに100円玉がいります。100円玉は、使用後戻ってきます。
なんというか、地下書庫には、ものすごい量の本が保管されていました。
歴史があります。
明治10年(1877年)西南戦争のときの新聞を見せてもらいました。熊本県での激戦地田原坂の戦い(たばるざかのたたかい)の記事でした。去年12月に鹿児島市内観光に行ったのですが、西郷隆盛終焉(しゅうえん。命の終わり)の地あたりを見学したことを思い出しました。
地下書庫の通路から書架を見ただけですが、自分が二十代だったころに読んだマンガ本、『少年サンデー』が、本棚にずらりと並んでいて、背表紙を見て、西暦の数字が書いてあって、なつかしかった。心が不安定な若い時期に、マンガに支えられたということはあります。
国立国会図書館の仲間として、関西館(京都府精華町せいかちょう)と国際子ども図書館(東京上野公園内)があることを知りました。
今年の一月は、国会の衆議院を見学しました。
そのとき、国会の横にある国立国会図書館が見学できることを知りました。
事前に電話で国立国会図書館の担当者の方とやりとりなどをして、見学の予約がとれました。
以前、なにかのテレビ番組で、図書館内を紹介していました。NHKだったと思います。地下深くにある書庫の映像が出ていた記憶です。
次の写真で、右側の建物が、『新館』です。まずそこで利用者登録をしました。午前11時半ごろに入館しました。(4時間ぐらい滞在しました)
新規登録希望者は、自分たち夫婦しかいないだろうと思って行ったら、待合場所にたくさんあるベンチに若い人たちがたくさん座っていて、登録利用者カードの交付待ちをしていたのでびっくりしました。
運転免許試験場で、更新後の運転免許証を受け取るシーンに似ていました。ただし、ひとりずつ呼ばれて、名前の確認等がなされます。
登録利用者カードをもらって、駅の改札口みたいな入口を通って中へ入りました。新館と本館はつながっています。
お昼時だったので、本館6階にある食堂でランチを食べました。職員食堂みたいな雰囲気のところでした。お弁当持参の人が利用できるテーブルやイスの区域もありました。
今回訪問した目的は、もう二十年ぐらい前に自費出版した自分の本が国立国会図書館に所蔵されているので、見てみたかったのと、おそらく本のどこかに『国立国会図書館所蔵』みたいな表示があるに違いないと思い、記念に本の表紙と所蔵図書館名部分のコピーをもらおうというものでした。されど、目的の本を申し込んで受け取るまでに20分ぐらいかかりそうで、そのあと複写をお願いしてもまた順番待ちの時間がかかりそうでした。
国立国会図書館内の参観開始時刻が午後2時からだったので、自費出版した自分の本を確認するのはまた今度来た時でもいいかと思い、本館6階の食堂を出たあと、コーヒーでも飲もうと、本館3階の喫茶室へいきました。
行ってみて、そこで食事もできることを知りました。観光客の場合は、職員食堂の雰囲気がある本館6階の食堂よりも、こちらの本館3階の喫茶室のほうが、居心地がいいと感じました。観光中とみられる若い女性たちや少人数連れの外国人客の姿がありました。(その後、帰宅してから、新館の1階にも喫茶室があることに気づきました)
次の写真の左側にある建物が、『本館』です。
午後2時から予約してあった図書館内参観集合場所は、本館の南入口でした。写真にあるのは、本館東側にある一般利用者入口ですから、その前を通り過ぎて、右に曲がり、南側入口から中に入って、すぐ右にあるカウンターで警備員さんに話をして紙に名前を書きました。国会議員が図書館を利用するときはこの出入口から入るようです。
本館東側一般利用者入口のそばにあったオブジェです。(オブジェ:美術作品)
オブジェの反対側には、人間の像がありました。
やせたヨーロッパ人に見えました。男か女かの性別は判然としません。
妖精みたいなものだろうか。
参観では、ほかに申し込みをされた方もいっしょになって回り、職員さんに案内してもらいました。たくさんの質問などのやりとりもさせてもらいました。ご丁寧な説明をありがとうございました。
次の写真2枚は、地下30mの位置にある書庫の吹き抜け最下部から上方向を撮影したものです。
一番上の明るい窓が、地上の地面の位置にあります。外から見ると最上部は温室のようなつくりでした。
ここは、灯り(あかり)とりのための吹き抜けです。地下の書庫空間を照らす役目を果たしているそうです。地下書庫で仕事に従事される職員さんも、労働時間のほとんどを地下ですごすようですので、たまに、書庫から吹き抜け部分に出て、外の空気に触れると心身にいいでしょう。
次の写真で、正面、斜めになっている部分は階段です。
書庫の空間が、何層にも重なって、地下ビルの階層のようになっています。
いくつか、感想を並べてみます。
図書館ですが、利用者が利用する部分で、利用者が本を手に取れるような書庫とか書架、本棚がないことに驚きました。
たくさんパソコンが並べてあるスペースがあります。
パソコンで借りたい本を選んで申し込むそうです。
申し込んだあと、目的の本が受け取りカウンターに届いているのかをパソコンで確認してカウンターまで受け取りに行くそうです。
複写の依頼も同じようなやりかただと感じました。自分で、コピー機にコインを入れてコピーするのではなく、職員が事務室内でコピーしてくれたものを受け取るのです。
コピー代に1円未満の端数があるのが不思議でした。カラーA4だと1枚消費税込104.50円。白黒A4だと1枚税込27.50円、白黒A3だと1枚税込47.3円。支払う時、円未満が出ないような枚数を複写するのかなあと思いました。単位『銭(せん)』の支払いはできませんものね。
館内には、旅行バッグなどは持ち込めません。
ロッカーに預けて、ロッカー室にたくさんぶらさげてある透明のバッグに貴重品だけを入れて持ち歩きました。本の盗難防止のためなのでしょう。透明バッグには、ペットボトルを入れることができる部分がありました。
ロッカーを使用するときに100円玉がいります。100円玉は、使用後戻ってきます。
なんというか、地下書庫には、ものすごい量の本が保管されていました。
歴史があります。
明治10年(1877年)西南戦争のときの新聞を見せてもらいました。熊本県での激戦地田原坂の戦い(たばるざかのたたかい)の記事でした。去年12月に鹿児島市内観光に行ったのですが、西郷隆盛終焉(しゅうえん。命の終わり)の地あたりを見学したことを思い出しました。
地下書庫の通路から書架を見ただけですが、自分が二十代だったころに読んだマンガ本、『少年サンデー』が、本棚にずらりと並んでいて、背表紙を見て、西暦の数字が書いてあって、なつかしかった。心が不安定な若い時期に、マンガに支えられたということはあります。
国立国会図書館の仲間として、関西館(京都府精華町せいかちょう)と国際子ども図書館(東京上野公園内)があることを知りました。
2024年07月13日
靖国神社見学
靖国神社見学
訪問は二回目です。
前回の見学は、記録を見ると、2014年(平成26年)3月ですから、10年ぐらい前です。
前回は小雨が降っていました。今回は炎天下の夏です。
前回は、沿道では、バザーをやっており、外国人の売り手もいて、なんだか外国のストリートに来ているようでした。同行したわたしの妻の記憶では、バザーで、わたしの靴下を買ったそうです。わたしはもうそのことは覚えていません。そのとき、わたしの靴下がなにかしらで濡れたか汚れたかしていたので買ったらしいです。
今回の沿道では、7月13日土曜日から数日間開催される行事の準備をされていまいた。掲示物には、『みたままつり』と書いてあった記憶です。
沿道では、作業員の方々が、人や組織の名前が書いてある小型のちょうちんをたくさん吊り下げる作業をされていました。
次の写真にある屋根の下につりさげてある紙でつくられた球体をした装飾(そうしょく)工芸品のようなものがきれいでした。手毬(てまり)を意味しているのかもしれません。
次の写真で、左右にずらりと並んでいるのが小型の黄色いちょうちんです。中は電球です。夜に来ると風情(ふぜい)が湧くでしょう。
ちょうちんには、わたしが知っている全国各地の地名が書いてあり、身近に感じました。戦没者の遺族会とかが関係しているのかもしれません。
帰宅してから気づいたのですが、次の写真の右にある石の柱に先日落書きがされて問題になっています。
記事を読むと、落書きをするためにわざわざお金を払ってスプレー缶を購入しています。お金を使って、時間を使って、労力を使って落書きという行為をしたことにあきれました。
人の物を傷つけたり壊したりすることは犯罪です。そんなこともわからない人の脳みそは、まだこどもの脳みそです。
なにか主張があるようですが、口実でしょう。こうじつ:つくった理屈(りくつ)。真相は、ただやってみたかった。おもしろそうだった。やんちゃな幼児か、人に迷惑をかけて目立ちたい年頃の中学生みたいです。
靖国神社には、戦争で亡くなった人たちの霊(れい。魂たましい)が祀られています。(まつられています:尊敬し心をなぐさめ感謝する)。政治的にはいろいろ考えの対立もあるようですが、関係者遺族にとっては、心休まる場所でしょう。さかのぼれば、太平洋戦争の時に、うちの親族にも若くして兵隊に行って亡くなった人はいました。夏の暑い時期、お墓参りに行ったときに、父方の祖父母が、戦争で亡くなった自分たちのこどもの名前をしきりにつぶやいていました。
訪問は二回目です。
前回の見学は、記録を見ると、2014年(平成26年)3月ですから、10年ぐらい前です。
前回は小雨が降っていました。今回は炎天下の夏です。
前回は、沿道では、バザーをやっており、外国人の売り手もいて、なんだか外国のストリートに来ているようでした。同行したわたしの妻の記憶では、バザーで、わたしの靴下を買ったそうです。わたしはもうそのことは覚えていません。そのとき、わたしの靴下がなにかしらで濡れたか汚れたかしていたので買ったらしいです。
今回の沿道では、7月13日土曜日から数日間開催される行事の準備をされていまいた。掲示物には、『みたままつり』と書いてあった記憶です。
沿道では、作業員の方々が、人や組織の名前が書いてある小型のちょうちんをたくさん吊り下げる作業をされていました。
次の写真にある屋根の下につりさげてある紙でつくられた球体をした装飾(そうしょく)工芸品のようなものがきれいでした。手毬(てまり)を意味しているのかもしれません。
次の写真で、左右にずらりと並んでいるのが小型の黄色いちょうちんです。中は電球です。夜に来ると風情(ふぜい)が湧くでしょう。
ちょうちんには、わたしが知っている全国各地の地名が書いてあり、身近に感じました。戦没者の遺族会とかが関係しているのかもしれません。
帰宅してから気づいたのですが、次の写真の右にある石の柱に先日落書きがされて問題になっています。
記事を読むと、落書きをするためにわざわざお金を払ってスプレー缶を購入しています。お金を使って、時間を使って、労力を使って落書きという行為をしたことにあきれました。
人の物を傷つけたり壊したりすることは犯罪です。そんなこともわからない人の脳みそは、まだこどもの脳みそです。
なにか主張があるようですが、口実でしょう。こうじつ:つくった理屈(りくつ)。真相は、ただやってみたかった。おもしろそうだった。やんちゃな幼児か、人に迷惑をかけて目立ちたい年頃の中学生みたいです。
靖国神社には、戦争で亡くなった人たちの霊(れい。魂たましい)が祀られています。(まつられています:尊敬し心をなぐさめ感謝する)。政治的にはいろいろ考えの対立もあるようですが、関係者遺族にとっては、心休まる場所でしょう。さかのぼれば、太平洋戦争の時に、うちの親族にも若くして兵隊に行って亡くなった人はいました。夏の暑い時期、お墓参りに行ったときに、父方の祖父母が、戦争で亡くなった自分たちのこどもの名前をしきりにつぶやいていました。
2024年07月12日
マツケンサンバを見に行く。東京明治座
マツケンサンバを見に行く。東京明治座
昨年12月に松平健さんが大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を演じた忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のドラマを毎日夜BS放送で観ていました。
翌月1月に、東京品川駅の近く、高輪ゲートウェイ駅(たかなわゲートウェイ駅)から歩いて、四十七士(しじゅうしちし)のお墓がある泉岳寺(せんがくじ)に行き、志士の皆さんのお墓参りをしました。
そのとき、松平健さんのマツケンサンバをじかに観てみたいという欲求が湧いてきました。楽しいだろうなあーーー
ということで、今月7月に東京駅近く、明治座で松平健さんデビュー50周年記念公演があることを知り、チケットぴあの抽選に申し込みました。当たりました。前から6列目の席でした。夫婦で観てきました。よかったーーー サンバ棒(ペンライト)を振り回しながら、盛り上がりました。マツケンサンバーーー オレーー オレーー マツケンサンバーーーです。
次の写真は、記念写真を撮るところで、開演前には長い列ができていました。
終演後は入れなくなっていて、観客のみなさんはもうほとんど外へ出て行かれたあとです。そばにあるトイレを利用されるお客さんがウロウロされているだけでした。
次のポスター写真、『明治座 暴れん坊将軍』は、建物の玄関入口横にありました。
終演後、夜9時を過ぎて人は少なかったのですが、観劇を終えた人たちが、順番にポスターの前で記念写真を撮っておられました。
わたしたち夫婦がスマホで慣れない自撮りをしていると、『撮りましょうか?』と、声をかけてくださる親切な方がいて、本当に助かりました。
この日は、東京駅構内にある『一番街』というところで、ポケモンの絵が描いてある壁の前で自撮りの記念写真をとっていたら、そばにいた日本語を話す小学生高学年ぐらいの外国人の男の子や女の子たちが5~6人近づいてきて、非常にていねいな日本語で、写真をとってあげましょうかと声をかけられました。フランス人かスペイン人みたいな顔立ちをしたこどもたちで、彼らから見れば、私たち夫婦は、おじいさん・おばあさんなのですが、ゆっくり何枚も写真を撮ってくれました。ありがとう。
東京では、どこへ行っても、写真撮りましょうか?と声をかけてくださるので助かります。ご親切に感謝します。
自分自身は、写真撮影がにがてで、次のポスターも、天井の照明灯がまんなか付近に反射して写ってしまいました。
次の写真が公演のタイムテーブルです。(時間割り)
途中30分ずつ、計1時間の休憩をはさんで、演劇『暴れん坊将軍』の第1部・第2部、そのあと歌のショーという構成です。
わたしたち夫婦は夜の部で、午後4時前に入場して、終わったのは午後9時ぐらいでした。
夕ご飯は、劇場内でお弁当を売っていて、幕間休憩のときに席で食べておられる方がそこそこおられました。
わたしたちは、劇場内で売っていた、きびだんごとか、お菓子のたぐいを食べました。
晩ごはんは、終演後人形町駅のそばにある居酒屋で食べましたが、仕事を終えた若い男女の人たちがたくさんで、店内は話し声がざわざわと満ち足りていて活気がありました。
日本橋人形町という場所柄、優秀な能力をもった有名な会社の社員さんたちが集まっているのだろうと勝手な思いをもちながら若い男女のサラリーマンの皆さんたちをながめていました。雰囲気に勢いがあります。もうずいぶん前のことになりますが、自分もああして働いていたのだなとなつかしかった。
たくさんいる若い店員さんたちは外国人がほとんどのようすで、カウンター席の角にふたりで座ったのですが、厨房(ちゅうぼう)にあるホワイトボードには、アラビア語で業務に関する連絡事項が書かれていました。中東系の人やアジア系の人たちが働いておられましたが、みなさん業務処理能力が高そうな人たちで、てきぱきと働いておられたので感心しました。あんがい本国では、国立大学ぐらいで学ぶような人たちかもしれないと、これまた勝手な推測をしました。
東京駅から明治座へは、路線バスで行きました。
これまで知らなかったのですが、東京駅周辺を巡る無料の巡回バスがあります。ふたつのルートがあります。
次の写真がバス停の位置にあって、メトロリンク日本橋eラインというバスに乗りました。バスは、前から乗って後ろからおります。
バスの乗客は外国人観光客が多いのかなと予想しましたが、おもに地元の人たちが利用されているように感じました。
バスの時刻表はなく、わたしたち夫婦が利用したルートは、一周40分ぐらいで2台がまわっているように見えました。ですので、20分ごとにバスがくるような感じです。専用のアプリをスマホに入れると、今バスがどこにいて、何分後に自分がいるバス停にバスが来るのかが、わかるようになっています。便利です。
宿泊は、明治座のそばにあるホテルに泊まりました。道を隔てて(へだてて)建っていました。
次の写真では、ちょっと手前のビルが重なっているのですが、部屋から東京タワーが見えました。
ときどき、都内のホテルに泊まるのですが、朝食会場は外国人のかたばかりで、食事をしていると、なんだか外国にいるような気分になれます。欧米の人もアジアの人もいろんな国籍の人たちで、ちびっこ連れのファミリーから年配の人まで、老若男女がたくさんです。
明治座の前の道路が、広い道路で、なおかつ一方通行だったのでびっくりしました。
5車線ぐらいありました。一方通行だから歩行者にとっては安全です。
さて、かんじんの暴れん坊将軍とマツケンサンバ歌謡ショーの感想を、思い出すままに書き落としてみます。
『暴れん坊将軍』の演劇が始まる前に注意喚起のアナウンスが流れるのですが、その内容が笑えます。
『上様から(うえさまから)お知らせがあります。守れない人は、成敗(せいばい)します……(せいばい:やっつける。こらしめる)』
客層ですが、5月に愛知県半田市内のホールで見た綾小路きみまろさんの毒舌漫談のときには、ほぼみなさん高齢者とその付き添いの方たちでしたが、今回の松平健さんのショーは、老若男女がいて、ファンの年齢層が幅広い。若い男女の人たちもけっこう見かけました。
まあ、すごい数の人です。自分たちの開演前に、昼の部を観た人たちの退出があったのですが、帰られる人たちが乗った観光バスが何台も出発していきました。
たとえば、なにかの企業の顧客の人が招待されてきているような感じでした。
けっこう長時間の公演なので、一日二回公演があるときは、運営する側の人たちはてんてこまいでしょう。
演劇についてです。
舞台装置がとてもきれいです。大道具さんとか、小道具さんの技術力が高い。
途中、川のそばで演じるという設定があったのですが、川の水が本当に流れているように見えて不思議でした。
全体をとおして、舞台芸術を見ているようでした。
わたしは、自分が中学生だったお正月のときに母方の祖父に連れられて、福岡県の地元の劇場(嘉穂劇場かほげきじょうといいます)へチャンバラ演劇を観に行ったときのことを思い出しました。
祖父ももうとうの昔に亡くなりましたが、いい思い出です。『暴れん坊将軍』のステージを観ながらそんなことを思い出しました。
『照明の操作』がとてもおじょうずです。
照明が、演者と会話をしているような感覚をもちました。
たいしたものです。
音楽もぴったり内容と一致しています。
観ている人の感情を誘導したり、揺り動かしたりする力が音楽にはあります。
長年の技術や知識の蓄積が重厚にあるのでしょう。
松平健さんの色とりどりに変化する衣装がステキです。
仮装大会のようでもありますが、派手で、観ていて気持ちがいい。
松平健さんが、赤い色の着物姿になったときは、お笑い芸人のコウメ太夫(こうめだゆう)さんみたいになりました。わたしは、小梅太夫さんのファンなので嬉しかった。ギャグ、『チックショー』がセリフで出てもおかしくないようなお衣装でした。
物語の柱は、暴れん坊将軍徳川吉宗の正義の味方とか、勧善懲悪(悪をこらしめる)、人情重視を下地にしてのカリスマ化(英雄扱い)があります。現実社会ではなかなか実現しない、こうだったらいいのになという理想です。
登場する人物設定で、徳川吉宗に政策面で対立する相手は、尾張藩の徳川宗春のイメージなのでしょう。
まじめに考えると、お金は節約して貯めるだけでは経済は回らないのです。お金は使って、経済を回転させて、景気を良くしていかねばならないのが基本です。
ときおり、盆踊りとかパラパラダンスとかが入ります。いろんな踊り・ダンスが入ります。マツケンさんの衣装も、アラビア風(マハラジャ)、インド風に見えるときもあります。長崎県島原の乱のときの隠れキリシタン天草四郎時貞のような雰囲気の時もありました。多国籍であり、多数の時代にいたであろう人物像です。
女性の演者の方たちは、ヘアースタイルが日本髪なので和風の踊りや洋風のダンスをするときはたいへんでしょう。ふつうのヘアースタイルでもかまいませんよ。
舞台で目安箱が出てきます。入館時、劇場内に置いてあった目安箱です。
開演前に観に来た人が、その目安箱へ投書することが可能でした。
マツケンさんが、ステージ上で、目安箱から紙を取り出して投書を読み上げられました。リアルに観劇されている人の文章でした。なかなかいい。
あとさきになりましたが、マツケンさんの冒頭の登場シーンは、白馬にまたがっている姿でした。かっこいい。うちの小学校低学年の男児の孫が観たら、そういう凛々しい(りりしい)姿が好きなので、きっと真似をしたがるでしょう。
火消しチームのチームワークがいい演技でした。まとまっています。
マツケンさんの刀さばき(かたなさばき)は、こどものときに映画館で観た『大魔神』のイメージで力強く豪快でした。見ごたえがありました。
マツケンさんの歌唱は、声に伸びがあります。70歳という年齢を感じません。
きちんとした正確な歌い方をされるので好感をもちました。力まず、リラックスして、なめらかに歌っておられます。
とにもかくにも明るいのがいい。キラキラ輝いています。
劇中の流れとか、歌の趣旨として、『きょうは、仕事にいきたくないなあとか、(雰囲気として)きょうは学校に行きたくないなあとか思ったとしても、いかなければならいこと、やらなければならないことは、気持ちに折り合いをつけて、ちゃんとやろう。うん。そうしよう……』というような意思が感じられる応援歌に聞こえました。(わたしなりの感じ方、受け止め方です)。それが良かった。劇中で流れた言葉として、『それでも明日(あした)はくるのです』があった記憶です。
これだけの舞台を仕上げるのには、相当な時間と労力を費やして企画されたのであろうとお察しします。演劇・歌謡ショー企画チームと、表舞台には出てはこない裏方スタッフのみなさんのご苦労をお察しします。
毎日のように何回も同じ内容で公演されるわけで、どうもそのときの客層で、反応が異なる時があるようです。
松平健さんの最後のあいさつの内容として、今まで演じてきた中で、今回のお客さんは、一番ノリが良かったというようなお話があって、確かに、会場全体がまるで、若い人たちの音楽フェスティバルのような熱気と興奮で盛り上がっていました。まあ、それだけふだんたまっているものがあるのかもしれません。
最後に舞台上でずらりと横に並んで、演者のみなさんがたからサヨナラのあいさつがあるのですが、涙ぐんでおられる演者のかたも複数おられて、やはり演者のみなさんは感受性が強い方が多いなと納得して安心しました。
観ているこちらも、(これまでイヤなことがたくさんあったけれど)生きててヨカッターという気持ちになれました。
自分は十代後半のころは、こういう舞台や脚本をつくるような仕事をしたいと思ったこともありますが、それでは食べていけないわけで(生活が成り立たない)、あきらめて地道に働いて歳をとりました。
あと何年ぐらいこの世にいられるかわかりませんが、若かったころの夢を思い出しながら、これからもステージなどを観る側の立場で楽しませていただきます。
昨年12月に松平健さんが大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を演じた忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のドラマを毎日夜BS放送で観ていました。
翌月1月に、東京品川駅の近く、高輪ゲートウェイ駅(たかなわゲートウェイ駅)から歩いて、四十七士(しじゅうしちし)のお墓がある泉岳寺(せんがくじ)に行き、志士の皆さんのお墓参りをしました。
そのとき、松平健さんのマツケンサンバをじかに観てみたいという欲求が湧いてきました。楽しいだろうなあーーー
ということで、今月7月に東京駅近く、明治座で松平健さんデビュー50周年記念公演があることを知り、チケットぴあの抽選に申し込みました。当たりました。前から6列目の席でした。夫婦で観てきました。よかったーーー サンバ棒(ペンライト)を振り回しながら、盛り上がりました。マツケンサンバーーー オレーー オレーー マツケンサンバーーーです。
次の写真は、記念写真を撮るところで、開演前には長い列ができていました。
終演後は入れなくなっていて、観客のみなさんはもうほとんど外へ出て行かれたあとです。そばにあるトイレを利用されるお客さんがウロウロされているだけでした。
次のポスター写真、『明治座 暴れん坊将軍』は、建物の玄関入口横にありました。
終演後、夜9時を過ぎて人は少なかったのですが、観劇を終えた人たちが、順番にポスターの前で記念写真を撮っておられました。
わたしたち夫婦がスマホで慣れない自撮りをしていると、『撮りましょうか?』と、声をかけてくださる親切な方がいて、本当に助かりました。
この日は、東京駅構内にある『一番街』というところで、ポケモンの絵が描いてある壁の前で自撮りの記念写真をとっていたら、そばにいた日本語を話す小学生高学年ぐらいの外国人の男の子や女の子たちが5~6人近づいてきて、非常にていねいな日本語で、写真をとってあげましょうかと声をかけられました。フランス人かスペイン人みたいな顔立ちをしたこどもたちで、彼らから見れば、私たち夫婦は、おじいさん・おばあさんなのですが、ゆっくり何枚も写真を撮ってくれました。ありがとう。
東京では、どこへ行っても、写真撮りましょうか?と声をかけてくださるので助かります。ご親切に感謝します。
自分自身は、写真撮影がにがてで、次のポスターも、天井の照明灯がまんなか付近に反射して写ってしまいました。
次の写真が公演のタイムテーブルです。(時間割り)
途中30分ずつ、計1時間の休憩をはさんで、演劇『暴れん坊将軍』の第1部・第2部、そのあと歌のショーという構成です。
わたしたち夫婦は夜の部で、午後4時前に入場して、終わったのは午後9時ぐらいでした。
夕ご飯は、劇場内でお弁当を売っていて、幕間休憩のときに席で食べておられる方がそこそこおられました。
わたしたちは、劇場内で売っていた、きびだんごとか、お菓子のたぐいを食べました。
晩ごはんは、終演後人形町駅のそばにある居酒屋で食べましたが、仕事を終えた若い男女の人たちがたくさんで、店内は話し声がざわざわと満ち足りていて活気がありました。
日本橋人形町という場所柄、優秀な能力をもった有名な会社の社員さんたちが集まっているのだろうと勝手な思いをもちながら若い男女のサラリーマンの皆さんたちをながめていました。雰囲気に勢いがあります。もうずいぶん前のことになりますが、自分もああして働いていたのだなとなつかしかった。
たくさんいる若い店員さんたちは外国人がほとんどのようすで、カウンター席の角にふたりで座ったのですが、厨房(ちゅうぼう)にあるホワイトボードには、アラビア語で業務に関する連絡事項が書かれていました。中東系の人やアジア系の人たちが働いておられましたが、みなさん業務処理能力が高そうな人たちで、てきぱきと働いておられたので感心しました。あんがい本国では、国立大学ぐらいで学ぶような人たちかもしれないと、これまた勝手な推測をしました。
東京駅から明治座へは、路線バスで行きました。
これまで知らなかったのですが、東京駅周辺を巡る無料の巡回バスがあります。ふたつのルートがあります。
次の写真がバス停の位置にあって、メトロリンク日本橋eラインというバスに乗りました。バスは、前から乗って後ろからおります。
バスの乗客は外国人観光客が多いのかなと予想しましたが、おもに地元の人たちが利用されているように感じました。
バスの時刻表はなく、わたしたち夫婦が利用したルートは、一周40分ぐらいで2台がまわっているように見えました。ですので、20分ごとにバスがくるような感じです。専用のアプリをスマホに入れると、今バスがどこにいて、何分後に自分がいるバス停にバスが来るのかが、わかるようになっています。便利です。
宿泊は、明治座のそばにあるホテルに泊まりました。道を隔てて(へだてて)建っていました。
次の写真では、ちょっと手前のビルが重なっているのですが、部屋から東京タワーが見えました。
ときどき、都内のホテルに泊まるのですが、朝食会場は外国人のかたばかりで、食事をしていると、なんだか外国にいるような気分になれます。欧米の人もアジアの人もいろんな国籍の人たちで、ちびっこ連れのファミリーから年配の人まで、老若男女がたくさんです。
明治座の前の道路が、広い道路で、なおかつ一方通行だったのでびっくりしました。
5車線ぐらいありました。一方通行だから歩行者にとっては安全です。
さて、かんじんの暴れん坊将軍とマツケンサンバ歌謡ショーの感想を、思い出すままに書き落としてみます。
『暴れん坊将軍』の演劇が始まる前に注意喚起のアナウンスが流れるのですが、その内容が笑えます。
『上様から(うえさまから)お知らせがあります。守れない人は、成敗(せいばい)します……(せいばい:やっつける。こらしめる)』
客層ですが、5月に愛知県半田市内のホールで見た綾小路きみまろさんの毒舌漫談のときには、ほぼみなさん高齢者とその付き添いの方たちでしたが、今回の松平健さんのショーは、老若男女がいて、ファンの年齢層が幅広い。若い男女の人たちもけっこう見かけました。
まあ、すごい数の人です。自分たちの開演前に、昼の部を観た人たちの退出があったのですが、帰られる人たちが乗った観光バスが何台も出発していきました。
たとえば、なにかの企業の顧客の人が招待されてきているような感じでした。
けっこう長時間の公演なので、一日二回公演があるときは、運営する側の人たちはてんてこまいでしょう。
演劇についてです。
舞台装置がとてもきれいです。大道具さんとか、小道具さんの技術力が高い。
途中、川のそばで演じるという設定があったのですが、川の水が本当に流れているように見えて不思議でした。
全体をとおして、舞台芸術を見ているようでした。
わたしは、自分が中学生だったお正月のときに母方の祖父に連れられて、福岡県の地元の劇場(嘉穂劇場かほげきじょうといいます)へチャンバラ演劇を観に行ったときのことを思い出しました。
祖父ももうとうの昔に亡くなりましたが、いい思い出です。『暴れん坊将軍』のステージを観ながらそんなことを思い出しました。
『照明の操作』がとてもおじょうずです。
照明が、演者と会話をしているような感覚をもちました。
たいしたものです。
音楽もぴったり内容と一致しています。
観ている人の感情を誘導したり、揺り動かしたりする力が音楽にはあります。
長年の技術や知識の蓄積が重厚にあるのでしょう。
松平健さんの色とりどりに変化する衣装がステキです。
仮装大会のようでもありますが、派手で、観ていて気持ちがいい。
松平健さんが、赤い色の着物姿になったときは、お笑い芸人のコウメ太夫(こうめだゆう)さんみたいになりました。わたしは、小梅太夫さんのファンなので嬉しかった。ギャグ、『チックショー』がセリフで出てもおかしくないようなお衣装でした。
物語の柱は、暴れん坊将軍徳川吉宗の正義の味方とか、勧善懲悪(悪をこらしめる)、人情重視を下地にしてのカリスマ化(英雄扱い)があります。現実社会ではなかなか実現しない、こうだったらいいのになという理想です。
登場する人物設定で、徳川吉宗に政策面で対立する相手は、尾張藩の徳川宗春のイメージなのでしょう。
まじめに考えると、お金は節約して貯めるだけでは経済は回らないのです。お金は使って、経済を回転させて、景気を良くしていかねばならないのが基本です。
ときおり、盆踊りとかパラパラダンスとかが入ります。いろんな踊り・ダンスが入ります。マツケンさんの衣装も、アラビア風(マハラジャ)、インド風に見えるときもあります。長崎県島原の乱のときの隠れキリシタン天草四郎時貞のような雰囲気の時もありました。多国籍であり、多数の時代にいたであろう人物像です。
女性の演者の方たちは、ヘアースタイルが日本髪なので和風の踊りや洋風のダンスをするときはたいへんでしょう。ふつうのヘアースタイルでもかまいませんよ。
舞台で目安箱が出てきます。入館時、劇場内に置いてあった目安箱です。
開演前に観に来た人が、その目安箱へ投書することが可能でした。
マツケンさんが、ステージ上で、目安箱から紙を取り出して投書を読み上げられました。リアルに観劇されている人の文章でした。なかなかいい。
あとさきになりましたが、マツケンさんの冒頭の登場シーンは、白馬にまたがっている姿でした。かっこいい。うちの小学校低学年の男児の孫が観たら、そういう凛々しい(りりしい)姿が好きなので、きっと真似をしたがるでしょう。
火消しチームのチームワークがいい演技でした。まとまっています。
マツケンさんの刀さばき(かたなさばき)は、こどものときに映画館で観た『大魔神』のイメージで力強く豪快でした。見ごたえがありました。
マツケンさんの歌唱は、声に伸びがあります。70歳という年齢を感じません。
きちんとした正確な歌い方をされるので好感をもちました。力まず、リラックスして、なめらかに歌っておられます。
とにもかくにも明るいのがいい。キラキラ輝いています。
劇中の流れとか、歌の趣旨として、『きょうは、仕事にいきたくないなあとか、(雰囲気として)きょうは学校に行きたくないなあとか思ったとしても、いかなければならいこと、やらなければならないことは、気持ちに折り合いをつけて、ちゃんとやろう。うん。そうしよう……』というような意思が感じられる応援歌に聞こえました。(わたしなりの感じ方、受け止め方です)。それが良かった。劇中で流れた言葉として、『それでも明日(あした)はくるのです』があった記憶です。
これだけの舞台を仕上げるのには、相当な時間と労力を費やして企画されたのであろうとお察しします。演劇・歌謡ショー企画チームと、表舞台には出てはこない裏方スタッフのみなさんのご苦労をお察しします。
毎日のように何回も同じ内容で公演されるわけで、どうもそのときの客層で、反応が異なる時があるようです。
松平健さんの最後のあいさつの内容として、今まで演じてきた中で、今回のお客さんは、一番ノリが良かったというようなお話があって、確かに、会場全体がまるで、若い人たちの音楽フェスティバルのような熱気と興奮で盛り上がっていました。まあ、それだけふだんたまっているものがあるのかもしれません。
最後に舞台上でずらりと横に並んで、演者のみなさんがたからサヨナラのあいさつがあるのですが、涙ぐんでおられる演者のかたも複数おられて、やはり演者のみなさんは感受性が強い方が多いなと納得して安心しました。
観ているこちらも、(これまでイヤなことがたくさんあったけれど)生きててヨカッターという気持ちになれました。
自分は十代後半のころは、こういう舞台や脚本をつくるような仕事をしたいと思ったこともありますが、それでは食べていけないわけで(生活が成り立たない)、あきらめて地道に働いて歳をとりました。
あと何年ぐらいこの世にいられるかわかりませんが、若かったころの夢を思い出しながら、これからもステージなどを観る側の立場で楽しませていただきます。
2024年07月11日
ぼくはうそをついた 西村すぐり
ぼくはうそをついた 作・西村すぐり 絵・中島花野(なかじまかの) ポプラ社
(1回目の本読み)
とりあえず、ページを全部めくってみて、どんなことが書いてあるのかを把握します。はあく:(おおまかに)理解する。
出てくる人たちです。時代設定は、2005年(平成17年)になっているようです。
舞台は広島県広島市です。
ひいおじいさん:リョウタのひいおじいさんのこと。94歳で今年初めに亡くなったそうです。リョウタの祖父であるシゲルさんとそのひいおじいさんは一緒に暮らしていましたが、ひいおじいさんが亡くなったので、おじいさんは、リョウタの家族といっしょに暮らすようになったそうです。ちょっとややこしい。この物語は、おじいさんやおばあさんなどのお年寄りがいっぱいです。おじいさん・おばあさんに加えて、ひいおじいさん・ひいおばあさんが出てきます。
レイ:リョウタより1歳上の女子。ヘロウばぁ(レイのひいおばあさん)のひ孫娘。物語の途中で、長い髪を切って、ショートヘアに変えます。
シゲル少年:リョウタの祖父シゲルの少年時代でしょう。
カープ:プロ野球チームの広島カープでしょう。
ミノル:リョウタの祖父であるシゲルじいちゃんの3歳年上の兄。原爆に被爆したため13歳で亡くなったそうです。
タヅ(レイのひいおばあさん):90歳代の高齢女性。去年の夏、家を出ていなくなったことがある。認知症の徘徊(はいかい。さまよい歩き)があるのでしょう。今は在宅しているようです。(数日前にニュースで、認知症のために家を出たまま行方不明になって警察に届け出があった高齢者が日本国内で1万9000人ぐらいいるようなことをいっていました。そのうちの何割かはその後発見されているのでしょう)。
タヅは、アメリカへ渡った日本人移民のこどもとして生まれた。(アメリカというのは、アメリカ合衆国ではなく、移民先だった南米の国ということでしょう。ブラジルとかペルーとか)。貧しくて生活できず、一家で帰国したというように書いてあります。認知症のためか、自分で、『(自分は)12歳です。男の子をさがしとります(自分のこども)』と言ったそうです。
リョウタ:小学5年生の夏という設定です。広島市内を流れている太田川のむこうに住んでいた母方祖父シゲルじいちゃんが来て、家族四人の同居になった。両親がいる。ほかに家が二軒建っている。リョウタの家(普通車2台の駐車スペースあり。庭なし。父の普通車と母の軽自動車、シゲルじいちゃんの軽自動車、合計3台を2台分のスペースに無理やり停(と)めている)、隣に広い庭付きの古家(ふるや)がある。リョウタは、ジュニアバレーボール部員で、『大田川プルムス』というチームに所属している。夏休み中は、週に3回練習がある。話の始まりでは小学5年生だが、途中で6年生に進級する。
シゲルじいちゃん:リョウタの母方祖父とあります。
(伝説の)ヘロウばぁ:リョウタの一学年上の女子レイのひいおばあさん。認知症があるように見えます。原爆で子どもさんを亡くしているそうです。
太田川をはさんで家が2軒ある。小学5年生のリョウタとリョウタの母方祖父であるシゲルじいちゃんが住んでいる一戸建てがある。
広島原爆を扱った反戦ものの児童文学でしょう。
原爆投下から時が流れて、世代が変わりました。
以前の物語だったら、祖父母で良かった設定が、令和の今は、ひいおじいさん・ひいおばあさんの時代を設定しての話になりました。広島原爆の投下が1945年(昭和20年)ですから、あれから79年です。ただ、この物語の場合は、西暦2005年ころの設定になっています。平成17年ころです。当時だと、原爆投下は60年ぐらい前です。
序章:いただきます
第一章:ひいおじいさんのたからもの
第二章:猫のタオルハンカチ
第三章:レイのゆううつ
第四章:シゲル少年四年生の夏
第五章:わしらのカープ
第六章:レイのゆううつ2
第七章:ミノルがめざした場所
第八章:たずねびと
終章:タヅさんのぞうり
あとがき
以上の構成です。
昔大きな戦争があった。第二次世界大戦。1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)9月2日。
日独伊(日本、ドイツ、イタリア)と連合国が戦って、連合国が勝利した。
広島市への原爆投下:1945年8月6日午前8時15分に投下された。人類史上初の核兵器による都市攻撃だった。
56万人ぐらいが放射能に被爆した。投下された年に約14万人が亡くなった。
当時の広島市の人口は約35万人だった。
広島市には軍事施設があったので原爆投下の候補地に選ばれたという文章を以前読んだことがあります。
横川駅:原爆ドームの北方向にあるJRの駅(昔は国鉄の駅だった。日本国有鉄道)
あたらしい球場:昔あった広島市民球場でしょう。わたしは広島見物に行ったときに、野球場のスタンドからグランドを見たことがあります。そのときはもう新しいマツダスタジアムができていたような時期で、広島市民球場のグランドでは、中学生同士が試合をしていました。
あとがき:作者西村すぐりさんのおかあさんの戦争体験をもとにして、この児童文学をつくられたそうです。お名前から性別がわからなかったのですが、作者は女性です。
(2回目の本読み)
(魚釣りをするときの)鑑札(かんさつ):リョウタと祖父のシゲルがアユ釣りをします。釣るための権利としてお金を支払うともらえる。漁業組合に払う。漁業組合が川や魚の管理をしている。環境維持のための費用を負担している。
祖父と小学生5年生男児の孫とでおとり鮎を使った釣りをしています。祖父と孫のペアという、あまりそのような光景は見かけなくなりました。
アユ釣りのやり方の講習本のようでもあります。
河川敷で三角ベースの野球遊びをするこどもも見かけなくなりました。
正式なチームに入って野球をするこどもばかりです。時代が変わりました。
シゲルじいちゃんが持っている小さな箱:もともとは、シゲルじいちゃんの父親(シゲルのひいおじいさん)の遺言書が入っていた。ひいおじいさんは、一年前に亡くなった。一周忌の法要があった。今は、箱の中には、原爆で亡くなったシゲルじいちゃんの3歳年上の兄ミノルの遺品が入っている。さきっぽが折れた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)と、つくりかけの木の彫刻が入っている。兄は、学徒動員の勤労奉仕で家屋を倒す作業をしていて原爆の犠牲者になった。遺体は見つからなかったが、さきほどのミノルさんが使っていたナイフは見つかった。
話の途中でときおり、遊びの、『だるまさんがころんだ』が出てきます。なにか意味があるのでしょう。伏線かも。(あとで感動を生むためのしかけ)(読み終えてとくに伏線らしきものはありませんでした)
出てくる人の名前がカタカナ表記ばかりです。なにか配慮があるのでしょう。
リョウタのひいおじいさんは、息子のミノルさん(シゲルさんの3歳年上の兄)を原爆で亡くした。遺体は見つからなかった。持っていた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)だけが見つかった。
カイト:レイのいとこでレイの家の隣の家に住んでいる。レイより1歳下ですから、リョウタと同じ学年でしょう。将来バイオリニストになりたい。
カイトの妹:生まれたばかりだそうです。
ミドリ先生:1945年(昭和20年)8月広島に原爆が投下された当時、17歳の女子で先生をしていた。戦争で教員不足となり、代用教員として働いていた。原爆投下後、袋を縫って、亡くなった人の遺品を入れる作業をした。袋には亡くなっていた人の情報を書いた。
ユキワリイチゲ:多年草。野山に自然に咲く。作者はこの花になにかこだわりがあるようです。
なんというか、説明の文章が多いので、こどもさんにとっては、読みづらいかもしれません。人間関係も続き柄がややこしい。
これから、原爆投下のことを知らない世代へと交代していく経過の中で、表現のしかたをシンプルにする手法に転換する術(すべ。やりかた)を発想していくことが必要でしょう。
時系列的な表現のしかただと、今はひいおじいさんやひいおばあさんが体験したといえますが、ひいひいおじいさんやひいひいおばあさんとなると伝承のためのインパクト(強調点)が薄くなります。
リョウタの祖父シゲルが小学四年生だったときの話が出ます。
広島菜:漬物(つけもの)にできる野菜でしょう。
シゲルからリョウタに、広島市に原子爆弾が投下されたときについての話があります。
空襲警報発令です。
わたしは、広島市は軍都だったから、原爆投下の目標地に選ばれたと聞いたことがあります。
シゲル少年は当時、広島市内の爆心地から10kmぐらい離れた小学校の校庭にいたそうです。
原爆投下後、救護活動に従事した。
6年生は、8人で、ほとけさん(遺体)をのせた戸板(といた。引き戸に使う板)を運んだ。四年生は体がちいさいので、手伝わせてもらえなかった。
松根油(しょうこんゆ):松の根っこにある油。飛行機の燃料にするそうですが、ちょっと考えられません。無理でしょ。
94ページまで読みましたが、いまだにタイトルの意味がわかりません。『ぼくはうそをついた』の意味です。主人公の小学6年生リョウタはまだうそをついていません。
リョウタは、『原爆ドーム』を見学に行きます。ちなみにわたしは二度見学したことがあります。最初の時と二度目とは印象が異なりました。
最初見たときは、次のような感想メモが残っています。
『第一印象は、建物の色が思っていたものとずいぶん異なることでした。わたしは壁が濃厚な緑がかった暗い雰囲気の構築物を想像していましたが、実際は正反対で、淡いパステルカラーでした。話は脱線してしまうのですが、以前名古屋市東区の徳川美術館で、源氏物語絵巻の再製版を見たことがあるのですが、そのときも深い色の水彩画をイメージしていたのですが、パステル(クレパスのようなもの)で描いたような明るい色調でした。話を戻すと、この広島ドームを見学した前日に京都の同志社大学横の道を歩いていたのですが、同大学の建物と原爆ドームの建物のレンガ色が同一で、かつ両者ともに洋風建築でわたしにとってはいずれも不思議なことでした。ながめていて、原爆ドームについては、建築されたときにこの姿になることが運命づけられていたのではないかと神がかりのように思えました』
次が、二度目の時の感想メモです。
『夏の暑さで視野がぼやけてしまいました。4年前に来たときは秋でした。パステルカラーの明るい建物に感じましたが、今回は暗い雰囲気を感じました。季節や朝・昼・晩で印象が変わるのでしょう。(こちらの本に紹介がある平和公園にある折り鶴を上にかかげた少女像を見て)この像を長い間ながめていました。胸にぐっとくるものがありました』
原爆ドーム:広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)
物語の設定では2005年(平成17年)のことですから、プロ野球広島カープスの本拠地は、広島市民球場です。現在はマツダスタジアム広島(2009年竣工、供用開始)に変わっています。先日、九州博多へ行ったときに、新幹線の車窓から見えました。
広島市民球場だったときのことが書いてあります。『たる募金』。たるの中に募金を入れてもらい球場のために使用する。広島カープは、ほかの球団のように、スポンサーとして、特定の企業をもたない市民球団としてスタートしています。
相生橋(あいおいばし):原爆投下のときの目標地点だった。原爆ドームとか昔の広島市民球場の近くにあります。
物語は、平和公園内の説明が延々と続きます。
建物疎開(たてものそかい):空襲が来る前に建物をあらかじめ壊して、火事が延焼しないようにしておく。
この物語は、原爆の話と、超高齢者の認知症の話が並べてあるような印象です。
ミノル:リョウタの祖父シゲルの兄。
平和公園あたりを中心において、広島市街地を背景に、超高齢者であるレイのひいおばあさんタヅ(別名ヘロゥばあさん)の記憶の中にある原爆投下時の世界が広がります。
タヅは、原爆で亡くなった自分の息子の小学一年生タケタショウタ(リョウタの祖父シゲルの兄ミノルと同級生。シゲルも原爆で亡くなった)を探しているのです。(さがしている)
149ページで、この本のタイトル、『ぼくはうそをついた』の意味がわかります。
お盆の時期が近づいています。
たまたまこの本を読み終える前日に、わたしたち夫婦は東京見物で、東京九段下(くだんした)の駅から出て、靖国神社(やすくにじんじゃ)へと歩いていました。
靖国神社には、戦争で亡くなった人たちの霊(れい。魂たましい)が祀られています。(まつられています:尊敬し心をなぐさめ感謝する)。政治的にはいろいろ考えの対立もあるようですが、関係者遺族にとっては、心休まる場所でしょう。わたしたちが訪れたときは、全国各地から寄せられた個人名や組織名などが書かれた小型の黄色い提灯(ちょうちん)をたくさん取り付ける作業をされていました。戦没者の遺族会が関係しているのかもしれません。7月13日土曜日からなにか行事が開催されるようすでした。
戦争とは違いますが、邦画、『異人たちとの夏』の内容も、ご先祖様を大切に思ういい映画だったことをふと思い出しました。亡くなった若き日のおとうさんおかあさんが、息子である片岡鶴太郎さんの目の前に現れて、おまえもなかなかたいへんだなあとなぐさめてくれるのです。しみじみしました。状況としては、異人たちとの夏ではなく、死人たちとの夏です。こわくはありません。だって、親子なんですもの。
こちらの物語では、リョウタは、タケタショウタになり、レイは、ミノルになったのです。
(1回目の本読み)
とりあえず、ページを全部めくってみて、どんなことが書いてあるのかを把握します。はあく:(おおまかに)理解する。
出てくる人たちです。時代設定は、2005年(平成17年)になっているようです。
舞台は広島県広島市です。
ひいおじいさん:リョウタのひいおじいさんのこと。94歳で今年初めに亡くなったそうです。リョウタの祖父であるシゲルさんとそのひいおじいさんは一緒に暮らしていましたが、ひいおじいさんが亡くなったので、おじいさんは、リョウタの家族といっしょに暮らすようになったそうです。ちょっとややこしい。この物語は、おじいさんやおばあさんなどのお年寄りがいっぱいです。おじいさん・おばあさんに加えて、ひいおじいさん・ひいおばあさんが出てきます。
レイ:リョウタより1歳上の女子。ヘロウばぁ(レイのひいおばあさん)のひ孫娘。物語の途中で、長い髪を切って、ショートヘアに変えます。
シゲル少年:リョウタの祖父シゲルの少年時代でしょう。
カープ:プロ野球チームの広島カープでしょう。
ミノル:リョウタの祖父であるシゲルじいちゃんの3歳年上の兄。原爆に被爆したため13歳で亡くなったそうです。
タヅ(レイのひいおばあさん):90歳代の高齢女性。去年の夏、家を出ていなくなったことがある。認知症の徘徊(はいかい。さまよい歩き)があるのでしょう。今は在宅しているようです。(数日前にニュースで、認知症のために家を出たまま行方不明になって警察に届け出があった高齢者が日本国内で1万9000人ぐらいいるようなことをいっていました。そのうちの何割かはその後発見されているのでしょう)。
タヅは、アメリカへ渡った日本人移民のこどもとして生まれた。(アメリカというのは、アメリカ合衆国ではなく、移民先だった南米の国ということでしょう。ブラジルとかペルーとか)。貧しくて生活できず、一家で帰国したというように書いてあります。認知症のためか、自分で、『(自分は)12歳です。男の子をさがしとります(自分のこども)』と言ったそうです。
リョウタ:小学5年生の夏という設定です。広島市内を流れている太田川のむこうに住んでいた母方祖父シゲルじいちゃんが来て、家族四人の同居になった。両親がいる。ほかに家が二軒建っている。リョウタの家(普通車2台の駐車スペースあり。庭なし。父の普通車と母の軽自動車、シゲルじいちゃんの軽自動車、合計3台を2台分のスペースに無理やり停(と)めている)、隣に広い庭付きの古家(ふるや)がある。リョウタは、ジュニアバレーボール部員で、『大田川プルムス』というチームに所属している。夏休み中は、週に3回練習がある。話の始まりでは小学5年生だが、途中で6年生に進級する。
シゲルじいちゃん:リョウタの母方祖父とあります。
(伝説の)ヘロウばぁ:リョウタの一学年上の女子レイのひいおばあさん。認知症があるように見えます。原爆で子どもさんを亡くしているそうです。
太田川をはさんで家が2軒ある。小学5年生のリョウタとリョウタの母方祖父であるシゲルじいちゃんが住んでいる一戸建てがある。
広島原爆を扱った反戦ものの児童文学でしょう。
原爆投下から時が流れて、世代が変わりました。
以前の物語だったら、祖父母で良かった設定が、令和の今は、ひいおじいさん・ひいおばあさんの時代を設定しての話になりました。広島原爆の投下が1945年(昭和20年)ですから、あれから79年です。ただ、この物語の場合は、西暦2005年ころの設定になっています。平成17年ころです。当時だと、原爆投下は60年ぐらい前です。
序章:いただきます
第一章:ひいおじいさんのたからもの
第二章:猫のタオルハンカチ
第三章:レイのゆううつ
第四章:シゲル少年四年生の夏
第五章:わしらのカープ
第六章:レイのゆううつ2
第七章:ミノルがめざした場所
第八章:たずねびと
終章:タヅさんのぞうり
あとがき
以上の構成です。
昔大きな戦争があった。第二次世界大戦。1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)9月2日。
日独伊(日本、ドイツ、イタリア)と連合国が戦って、連合国が勝利した。
広島市への原爆投下:1945年8月6日午前8時15分に投下された。人類史上初の核兵器による都市攻撃だった。
56万人ぐらいが放射能に被爆した。投下された年に約14万人が亡くなった。
当時の広島市の人口は約35万人だった。
広島市には軍事施設があったので原爆投下の候補地に選ばれたという文章を以前読んだことがあります。
横川駅:原爆ドームの北方向にあるJRの駅(昔は国鉄の駅だった。日本国有鉄道)
あたらしい球場:昔あった広島市民球場でしょう。わたしは広島見物に行ったときに、野球場のスタンドからグランドを見たことがあります。そのときはもう新しいマツダスタジアムができていたような時期で、広島市民球場のグランドでは、中学生同士が試合をしていました。
あとがき:作者西村すぐりさんのおかあさんの戦争体験をもとにして、この児童文学をつくられたそうです。お名前から性別がわからなかったのですが、作者は女性です。
(2回目の本読み)
(魚釣りをするときの)鑑札(かんさつ):リョウタと祖父のシゲルがアユ釣りをします。釣るための権利としてお金を支払うともらえる。漁業組合に払う。漁業組合が川や魚の管理をしている。環境維持のための費用を負担している。
祖父と小学生5年生男児の孫とでおとり鮎を使った釣りをしています。祖父と孫のペアという、あまりそのような光景は見かけなくなりました。
アユ釣りのやり方の講習本のようでもあります。
河川敷で三角ベースの野球遊びをするこどもも見かけなくなりました。
正式なチームに入って野球をするこどもばかりです。時代が変わりました。
シゲルじいちゃんが持っている小さな箱:もともとは、シゲルじいちゃんの父親(シゲルのひいおじいさん)の遺言書が入っていた。ひいおじいさんは、一年前に亡くなった。一周忌の法要があった。今は、箱の中には、原爆で亡くなったシゲルじいちゃんの3歳年上の兄ミノルの遺品が入っている。さきっぽが折れた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)と、つくりかけの木の彫刻が入っている。兄は、学徒動員の勤労奉仕で家屋を倒す作業をしていて原爆の犠牲者になった。遺体は見つからなかったが、さきほどのミノルさんが使っていたナイフは見つかった。
話の途中でときおり、遊びの、『だるまさんがころんだ』が出てきます。なにか意味があるのでしょう。伏線かも。(あとで感動を生むためのしかけ)(読み終えてとくに伏線らしきものはありませんでした)
出てくる人の名前がカタカナ表記ばかりです。なにか配慮があるのでしょう。
リョウタのひいおじいさんは、息子のミノルさん(シゲルさんの3歳年上の兄)を原爆で亡くした。遺体は見つからなかった。持っていた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)だけが見つかった。
カイト:レイのいとこでレイの家の隣の家に住んでいる。レイより1歳下ですから、リョウタと同じ学年でしょう。将来バイオリニストになりたい。
カイトの妹:生まれたばかりだそうです。
ミドリ先生:1945年(昭和20年)8月広島に原爆が投下された当時、17歳の女子で先生をしていた。戦争で教員不足となり、代用教員として働いていた。原爆投下後、袋を縫って、亡くなった人の遺品を入れる作業をした。袋には亡くなっていた人の情報を書いた。
ユキワリイチゲ:多年草。野山に自然に咲く。作者はこの花になにかこだわりがあるようです。
なんというか、説明の文章が多いので、こどもさんにとっては、読みづらいかもしれません。人間関係も続き柄がややこしい。
これから、原爆投下のことを知らない世代へと交代していく経過の中で、表現のしかたをシンプルにする手法に転換する術(すべ。やりかた)を発想していくことが必要でしょう。
時系列的な表現のしかただと、今はひいおじいさんやひいおばあさんが体験したといえますが、ひいひいおじいさんやひいひいおばあさんとなると伝承のためのインパクト(強調点)が薄くなります。
リョウタの祖父シゲルが小学四年生だったときの話が出ます。
広島菜:漬物(つけもの)にできる野菜でしょう。
シゲルからリョウタに、広島市に原子爆弾が投下されたときについての話があります。
空襲警報発令です。
わたしは、広島市は軍都だったから、原爆投下の目標地に選ばれたと聞いたことがあります。
シゲル少年は当時、広島市内の爆心地から10kmぐらい離れた小学校の校庭にいたそうです。
原爆投下後、救護活動に従事した。
6年生は、8人で、ほとけさん(遺体)をのせた戸板(といた。引き戸に使う板)を運んだ。四年生は体がちいさいので、手伝わせてもらえなかった。
松根油(しょうこんゆ):松の根っこにある油。飛行機の燃料にするそうですが、ちょっと考えられません。無理でしょ。
94ページまで読みましたが、いまだにタイトルの意味がわかりません。『ぼくはうそをついた』の意味です。主人公の小学6年生リョウタはまだうそをついていません。
リョウタは、『原爆ドーム』を見学に行きます。ちなみにわたしは二度見学したことがあります。最初の時と二度目とは印象が異なりました。
最初見たときは、次のような感想メモが残っています。
『第一印象は、建物の色が思っていたものとずいぶん異なることでした。わたしは壁が濃厚な緑がかった暗い雰囲気の構築物を想像していましたが、実際は正反対で、淡いパステルカラーでした。話は脱線してしまうのですが、以前名古屋市東区の徳川美術館で、源氏物語絵巻の再製版を見たことがあるのですが、そのときも深い色の水彩画をイメージしていたのですが、パステル(クレパスのようなもの)で描いたような明るい色調でした。話を戻すと、この広島ドームを見学した前日に京都の同志社大学横の道を歩いていたのですが、同大学の建物と原爆ドームの建物のレンガ色が同一で、かつ両者ともに洋風建築でわたしにとってはいずれも不思議なことでした。ながめていて、原爆ドームについては、建築されたときにこの姿になることが運命づけられていたのではないかと神がかりのように思えました』
次が、二度目の時の感想メモです。
『夏の暑さで視野がぼやけてしまいました。4年前に来たときは秋でした。パステルカラーの明るい建物に感じましたが、今回は暗い雰囲気を感じました。季節や朝・昼・晩で印象が変わるのでしょう。(こちらの本に紹介がある平和公園にある折り鶴を上にかかげた少女像を見て)この像を長い間ながめていました。胸にぐっとくるものがありました』
原爆ドーム:広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)
物語の設定では2005年(平成17年)のことですから、プロ野球広島カープスの本拠地は、広島市民球場です。現在はマツダスタジアム広島(2009年竣工、供用開始)に変わっています。先日、九州博多へ行ったときに、新幹線の車窓から見えました。
広島市民球場だったときのことが書いてあります。『たる募金』。たるの中に募金を入れてもらい球場のために使用する。広島カープは、ほかの球団のように、スポンサーとして、特定の企業をもたない市民球団としてスタートしています。
相生橋(あいおいばし):原爆投下のときの目標地点だった。原爆ドームとか昔の広島市民球場の近くにあります。
物語は、平和公園内の説明が延々と続きます。
建物疎開(たてものそかい):空襲が来る前に建物をあらかじめ壊して、火事が延焼しないようにしておく。
この物語は、原爆の話と、超高齢者の認知症の話が並べてあるような印象です。
ミノル:リョウタの祖父シゲルの兄。
平和公園あたりを中心において、広島市街地を背景に、超高齢者であるレイのひいおばあさんタヅ(別名ヘロゥばあさん)の記憶の中にある原爆投下時の世界が広がります。
タヅは、原爆で亡くなった自分の息子の小学一年生タケタショウタ(リョウタの祖父シゲルの兄ミノルと同級生。シゲルも原爆で亡くなった)を探しているのです。(さがしている)
149ページで、この本のタイトル、『ぼくはうそをついた』の意味がわかります。
お盆の時期が近づいています。
たまたまこの本を読み終える前日に、わたしたち夫婦は東京見物で、東京九段下(くだんした)の駅から出て、靖国神社(やすくにじんじゃ)へと歩いていました。
靖国神社には、戦争で亡くなった人たちの霊(れい。魂たましい)が祀られています。(まつられています:尊敬し心をなぐさめ感謝する)。政治的にはいろいろ考えの対立もあるようですが、関係者遺族にとっては、心休まる場所でしょう。わたしたちが訪れたときは、全国各地から寄せられた個人名や組織名などが書かれた小型の黄色い提灯(ちょうちん)をたくさん取り付ける作業をされていました。戦没者の遺族会が関係しているのかもしれません。7月13日土曜日からなにか行事が開催されるようすでした。
戦争とは違いますが、邦画、『異人たちとの夏』の内容も、ご先祖様を大切に思ういい映画だったことをふと思い出しました。亡くなった若き日のおとうさんおかあさんが、息子である片岡鶴太郎さんの目の前に現れて、おまえもなかなかたいへんだなあとなぐさめてくれるのです。しみじみしました。状況としては、異人たちとの夏ではなく、死人たちとの夏です。こわくはありません。だって、親子なんですもの。
こちらの物語では、リョウタは、タケタショウタになり、レイは、ミノルになったのです。
2024年07月10日
蛇イチゴ 邦画 2003年
蛇イチゴ 邦画 2003年(平成15年) 1時間48分 動画配信サービス
先日動画配信サービスで別の邦画を観終えるころに、次はこの映画ですと画面右下に小さく出てきたのがこの映画です。
『蛇イチゴ』、わたしは小学一年生の頃に、下校する道ばたになっていたイチゴをその場で食べることが楽しみでした。粒が大きい野イチゴでした。たぶん蛇イチゴとは違う種類なのでしょう。食べられなさそうな見た目がぺたんとした感じのイチゴも帰り道にありました。まあ、舗装もされていない土のいなか道でした。
映画を観終えて、ああ、もう22年も前の作品だとふりかえりました。
ひさしぶりに、昭和の(公開は平成ですが)多人数家族のお話、泣き笑い、お金の貸し借りとか、ぼけ老人とか、そんなこんなのドラマっぽい映画を観た気分になりました。
登場する詐欺師の長男は、その後、闇営業で事務所ともめて、地上波に出ることができなくなったお笑い芸人さんで、なんというか、この映画でのキャラクターと現実での出来事が重なるような形になっていることが不思議なめぐりあわせだと感じ入りました。
うわべは、仲良し大家族です。
『この世は誤解と錯覚で成り立っている』
『この世はゼニカネで動いている』
そんな話です。ウソで固めてある大家族です。
葬式シーンがありますが、親族は自分の負担になることから逃げます。
親の介護は嫁まかせで、嫁は泣きます。
決めゼリフは、『それとこれとは別』です。
香典泥棒がいます。
仕事をしているはずのご主人はいつの間にか職を失っています。
長年不明だった長男は詐欺師です。
妹だけが、小学校教師をしていてまともでまじめなのですが、この家族の中では浮いた存在になっています。
話の流れはおもしろい。悪事が成立していきます。
詐欺師である長男の大活躍です。
お父さんは破産宣告を受けたうえに、土地家屋などの財産を長男にだまされて奪われそうです。妹が猛然と親や兄に抗議しますが、両親は長男に洗脳されています。妹のほうがおかしいなどと両親に言われてしまします。もうめちゃくちゃですな。
詐欺師である長男を映像で見ていてのことです。
わたしは、長いこと生きてきたのでわかることがひとつあります。
この世には、瞬間的につじつまが合うウソをつける人がいます。生まれもっての能力です。それを、才能とは言いたくない。善人は、だまされます。
だから、そういう人間に、ひとつウソをつかれたら、こう考えて相手と対応したほうがいい。
その人間の唇から出てくる言葉は、すべてウソだと断定して間違いない。
長い間生きてきてのわたしのにがい体験です。よくだまされました。
相手の肩書なんぞ、信用しちゃだめです。職業もあてになりません。
さて、映像の中にいるご両親は、自分が詐欺師の長男に洗脳されていることに気づけないと家庭が崩壊するというのに、こんな家、どうにでもなれという勢いです。
ご主人がどなります。『うちはもうとっくにおしまいになっているよ』
家庭崩壊の状態でこの映画は終わるのだろうか。
それでも人は生きていくしかありません。死ぬまでは生きるしかありません。自殺はだめです。
そのうちいいこともあるだろうと、力を抜いて生きていかねばなりません。
まじめな妹が、両親や兄に責められます。
間違っているとか、正しいとか、そういう基準で人間は生きているわけではないという両親の主張です。
家族の気持ちはバラバラです。
両親も長男も生活能力が足りない人たちです。
詐欺師の長男は、自分で自分のことはわかっているけれど、自分で自分をコントロールできない人です。
詐欺師の兄について、妹から、蛇イチゴにまつわる話が出ます。こどものころ、わたしは、おにいちゃんによくだまされた。
妹は、兄に蛇イチゴがあると教えてもらった場所に行ったが、蛇イチゴはそこにはなかったと主張します。そして、迷子になって恐ろしい思いをしたイヤな記憶を抱えているそうです。兄は、妹が場所を間違えただけだと反論します。
そして今から、蛇イチゴを探しに行こうと、ふたりは山に入ります。
暗くなっていて、不気味な雰囲気です。
妹は兄を殺してしまうのではないかと思いました。(違っていました)
暗い映像内の光景です。
話を幻想の世界にもっていくのは、ずるい手法です。そう思っていたら、ラストはそのようになりました。残念。ありきたりです。
妹は、蛇イチゴがあるところまで、遠回りして行くのか、それとも帰るのか、そのあたりのシーンがはっきりしませんでした。
がっかりする終わり方でした。
先日動画配信サービスで別の邦画を観終えるころに、次はこの映画ですと画面右下に小さく出てきたのがこの映画です。
『蛇イチゴ』、わたしは小学一年生の頃に、下校する道ばたになっていたイチゴをその場で食べることが楽しみでした。粒が大きい野イチゴでした。たぶん蛇イチゴとは違う種類なのでしょう。食べられなさそうな見た目がぺたんとした感じのイチゴも帰り道にありました。まあ、舗装もされていない土のいなか道でした。
映画を観終えて、ああ、もう22年も前の作品だとふりかえりました。
ひさしぶりに、昭和の(公開は平成ですが)多人数家族のお話、泣き笑い、お金の貸し借りとか、ぼけ老人とか、そんなこんなのドラマっぽい映画を観た気分になりました。
登場する詐欺師の長男は、その後、闇営業で事務所ともめて、地上波に出ることができなくなったお笑い芸人さんで、なんというか、この映画でのキャラクターと現実での出来事が重なるような形になっていることが不思議なめぐりあわせだと感じ入りました。
うわべは、仲良し大家族です。
『この世は誤解と錯覚で成り立っている』
『この世はゼニカネで動いている』
そんな話です。ウソで固めてある大家族です。
葬式シーンがありますが、親族は自分の負担になることから逃げます。
親の介護は嫁まかせで、嫁は泣きます。
決めゼリフは、『それとこれとは別』です。
香典泥棒がいます。
仕事をしているはずのご主人はいつの間にか職を失っています。
長年不明だった長男は詐欺師です。
妹だけが、小学校教師をしていてまともでまじめなのですが、この家族の中では浮いた存在になっています。
話の流れはおもしろい。悪事が成立していきます。
詐欺師である長男の大活躍です。
お父さんは破産宣告を受けたうえに、土地家屋などの財産を長男にだまされて奪われそうです。妹が猛然と親や兄に抗議しますが、両親は長男に洗脳されています。妹のほうがおかしいなどと両親に言われてしまします。もうめちゃくちゃですな。
詐欺師である長男を映像で見ていてのことです。
わたしは、長いこと生きてきたのでわかることがひとつあります。
この世には、瞬間的につじつまが合うウソをつける人がいます。生まれもっての能力です。それを、才能とは言いたくない。善人は、だまされます。
だから、そういう人間に、ひとつウソをつかれたら、こう考えて相手と対応したほうがいい。
その人間の唇から出てくる言葉は、すべてウソだと断定して間違いない。
長い間生きてきてのわたしのにがい体験です。よくだまされました。
相手の肩書なんぞ、信用しちゃだめです。職業もあてになりません。
さて、映像の中にいるご両親は、自分が詐欺師の長男に洗脳されていることに気づけないと家庭が崩壊するというのに、こんな家、どうにでもなれという勢いです。
ご主人がどなります。『うちはもうとっくにおしまいになっているよ』
家庭崩壊の状態でこの映画は終わるのだろうか。
それでも人は生きていくしかありません。死ぬまでは生きるしかありません。自殺はだめです。
そのうちいいこともあるだろうと、力を抜いて生きていかねばなりません。
まじめな妹が、両親や兄に責められます。
間違っているとか、正しいとか、そういう基準で人間は生きているわけではないという両親の主張です。
家族の気持ちはバラバラです。
両親も長男も生活能力が足りない人たちです。
詐欺師の長男は、自分で自分のことはわかっているけれど、自分で自分をコントロールできない人です。
詐欺師の兄について、妹から、蛇イチゴにまつわる話が出ます。こどものころ、わたしは、おにいちゃんによくだまされた。
妹は、兄に蛇イチゴがあると教えてもらった場所に行ったが、蛇イチゴはそこにはなかったと主張します。そして、迷子になって恐ろしい思いをしたイヤな記憶を抱えているそうです。兄は、妹が場所を間違えただけだと反論します。
そして今から、蛇イチゴを探しに行こうと、ふたりは山に入ります。
暗くなっていて、不気味な雰囲気です。
妹は兄を殺してしまうのではないかと思いました。(違っていました)
暗い映像内の光景です。
話を幻想の世界にもっていくのは、ずるい手法です。そう思っていたら、ラストはそのようになりました。残念。ありきたりです。
妹は、蛇イチゴがあるところまで、遠回りして行くのか、それとも帰るのか、そのあたりのシーンがはっきりしませんでした。
がっかりする終わり方でした。
2024年07月08日
優等生サバイバル ファン・ヨンミ
優等生サバイバル -青春を生き抜く13の法則- ファン・ヨンミ作 キム・イネ訳 評論社
韓国の青春文学です。
韓国は勉強の競争が厳しく激しいらしい。日本よりもきついと聞いたことがあります。
韓国の若い人たちは勉強に追われている。
本のカバーに、『テスト、課題、進路、SNS……』とあります。一日24時間では足りなさそうです。 体を壊したり、心が折れたりしなればいいのだけれどと心配になります。
青春時代は、長い人生の中では短い期間です。人生は、社会人になってからがはるかに長い。
青春時代にいられるは、一時的な期間です。やがて、その時期を抜けるべきときがきます。おとなになったら、やりたくないことでもやるべきことは、気持ちに折り合いをつけてやらねばなりません。そうしないと食べていけません。(生活ができません)。やりたくないことをやらないのはこどもです。
さて、この本には、どんなことが書いてあるのだろうかと楽しみにしながら読み始めます。
勉強、勉強ですが、まわりのおとなを見渡すと、あんがい読み書き計算が十分にできないまま働いている人はたくさんいます。英会話ができない人などは山ほどいます。大卒の人でも、文字は毎日手書きなりで書いていないと漢字も文章もかけなくなってしまいます。歳をとると、住所氏名を書くだけでも大変になります。漢字をたくさん書ける人は少ない。ましてや、文章を書くことはとてもハードルが高い。
それでもみんな働いて稼いでいます。なにか、得意なことを生かして働くのです。
わたしは、仕事は、才能と努力、そして、人間関係だと思っています。
サバイバル:厳しい条件の世界で生き残ること。
パン・ジュノ:作中では、『ぼく』のこと。高校1年生で優等生。トゥソン高校に通っている。人当たりよく、ルックスもそこそこいい。シミン中学校卒業。『ぼく』が語りながらストーリーを進行します。両親と離れて叔父と暮らしている。両親は、父親が大腸がんの新薬治療のため夫婦で別の土地にいる。パン・ジュノは、ヴィラと呼ばれる低層集合住宅の201号室に住んでいる。リビングでゲームをする叔父さんがいる。ジュノと同級生男子のキム・ゴヌは、女子と付き合ったことはない。けっこうジュノのことを好きな女性は多いが、本人はそのことに気づいていないそうです。
パン・ジュノの父親は医者です。医療系ボランティアの仲間たちと病院をつくった。大金を稼ぐ医者ではない。無料診療、内戦地域での医療活動などをしていた。
父親は今、大腸がんのステージ3(ステージ4が最も重い)で闘病中だそうです。仕事はしていない。母親と父は、忠清道(チュンチョンド)というところでがんの治療に専念している。
パン・ジュノは、叔父と都市部(たぶんソウル)で暮らしている。パン・ジュノは、女子に対する片思いを力に変えて耐えてきたそうです。
パン・ジュノは、医師をめざしていたが、今は、歴史を学んで職業にしたいと思っている。
学校での教室は、校舎の3階にある。
チョ・ハリム:女子。高校生。可愛い。中学時代に芸能事務所の練習生になったことがある。演劇スクールを中途でやめている。なにか、問題がある女子らしい。アイドルになりそこねているのか。プロアナ(拒食をライフスタイルにしている。死ぬほどダイエットすること。チョ・ハリムは、死ぬ寸前までいって、医者に止められたようです)だそうです。なんのことかわかりません。
読んでいて、ルックス(見た目)だけがいい女子という印象があります。本人は自分のルックスがいいことに自信をもっていて、男からふられると激高します。
別の本の小説で読んだことがありますが、イケメンの男と付き合ったら、『なんか違う』という感覚が女子に生まれて女子が去ったというパターンがありました。自分が理想とした頭脳が、イケメンの脳みその中にありませんでした。
キム・ゴヌ:ジュノの同級生男子。マンション住まい。正読室のメンバーには選ばれなかった。
サブタイトルが、『青春を生き抜く13の法則』ですから、13の法則が目次のように提示されています。
1 名前を呼ばれても慌てないこと(あわてないこと)
2 強風に備えること
3 曲者(くせもの)の登場に動揺しないこと。
なんだか、NHK朝ドラ、『虎に翼』の週ごと毎週提示されるテーマのようです。
4 トッポキは食べて帰ること
トッポキ:餅(もち)を使用した韓国料理。餅炒め(もちいため)。日本語では、トッポギと表記されることが多い。
5 どれもダメだった時は、ひと眠りすること
6 どうしてもダメな時は、思い切って白旗をあげること
7 敗北にもくじけないこと
8 目の前にあることを、「ただやる」ってこと
9 メニューが今ひとつの時はパスすること
10 元気のない友達には、おかゆを持っていくこと
11 思いを口に出すこと
12 大海原を想像すること
13 猫かと思った時は、もう一度見ること
(読み終えてみると、ピントこない項目が多い。韓国人と日本人の受け止め方の感覚が異なるのかもしれません)
さて、どんな話だろうか。
シチュエーション:場所、状況、立場、情勢
正読室(「せいとくしつ」と読むのでしょう):図書室のことらしい。なにやら選ばれたメンバーが利用するような書き方がしてあります。(その後読み進んで違っていました。自習用の教室で、本作品の場合は、選抜された30名が使用できる。自習のために室内環境と設備が充実している部屋だそうです)
パン・ジュノは、チョ・ハリムに誘われて、土曜日にどこかへ行くらしい(デート?)
なお、正読室は、建物の3階にある。3年生用の正読室は図書室の隣にある。1・2年生用は、廊下の行き止まりにある。
夜間自習:放課後学校に残って自習すること。
恋愛において、『行動派』と『自然派』があるらしい。
発情する男ふたりです。こういうときは、空振りになるパターンです。
(つづく)
古色蒼然(こしょくそうぜん):長い年月がすぎて、ひどく古びて見えるようすのこと。
スティーブ・ジョブズ:アメリカ合衆国の起業家。Appleの共同創業者のひとり。1955年-2011年。56歳で病死。
バラク・オバマ:アメリカ合衆国第44代大統領。1961年生まれ。62歳。
ヴィラ:戸建てタイプの宿泊施設。
チャン・ジョン・ファン:家庭教師。テスト問題を予想する名人。
ミン・ビョンソ:男子高校生。幼稚園と小学校が、ジュノと同じだった。学校では、2組。正読室の30人のメンバーに選ばれる能力をもっているが、そこは利用せずに、帰宅して家庭教師から学んでいる。
コア部(時事討論サークルの名称)に入部申請をした。母親とこどものころ、カナダに移住歴あり。主人公のパン・ジュノとは学習面ほかでのライバル関係となっている。模試では学年トップ、癒し系のイケメン、おしゃべりじょうず、性格良さそう。ボランティア活動は、総合病院でするつもり。医師になることが目標。
パン・ジュノに、こどものころに誕生日のプレゼントであげた、『ティモン(ライオンキングに登場するミーアキャットの人形)』を返してくれと要求する。ちょっと頭がおかしい。知能は高度でも、思考に幼稚な面あり。
成績は学年トップ。
父親の不倫で、家庭は一度壊れて、現在は継母が家にいる。実母はカナダにいる。
レベル・マックス:よくわかりませんが、ゲームで、最高地点というような意味のようです。
オフ講:オンライン講座の逆。普通の面と向かってする講義ということか。
ソシオ・パス:けんか、攻撃、怒りやすい。(おこりやすい)。無責任。
25ページまで読んで、韓国の青春時代とは、学力競争のなかにあって、息が詰まるほど狭苦しい感じがします。
(つづく)
水曜ステージ:音楽のリズムに合わせて生徒が五人踊っている。毎週水曜日の高校の昼休みに中央昇降口で、ミニステージを開催することがトゥソン高校の伝統だそうです。バンド部、ダンス部、器楽部などが演技を披露している。
コア:時事討論サークルの名称。入部申請をして入部する。部員となる。大学進学率が高いメンバーである。選抜方式。クラス分けテストの成績表と読書感想文の評価で入部が決まる。課題図書は、『これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル(パン・ジュノが選んだ)』か、『すばらしい新世界 オルダス・ハクスリー』、『二重らせん ジェームス・D・ワトソン(キム・ゴヌが選んだ)』のいずれかの本から選ぶ。
いまどきの高校生は、読書感想文は、ノートパソコンでつくるのか。
原稿用紙に消しゴムをごしごしさせながら、鉛筆書きをしていた昔がなつかしい。
なんでもかんでもデジタル化で、人間はこのさき幸せになれるのだろうか。デジタル事業推進で金銭的に豊かになるのは、デジタル産業のトップだけのような気がします。
読んでいると、異様な世界が目の前に広がります。
学力優先の空間です。
成績で上下関係ができます。
成績が上位の者が、下位の者を見下します。
弘大(ホンデ):街の名称。若者に人気がある。
ジュノは、チョ・ハリムとデートしますが、カップルとしての実感は湧かないままデートは終わりました。
スムージー:野菜やくだものを組み合わせてつくるドリンク(飲み物)。
コンセプト:概念。基本的な観点、考え方。
コアの入部最終審査に、チョ・ハリムとキム・ゴヌのふたりは合格します。ふたりとも、シミン中学出身です。新入生の合格者は全員で9人です。活動は2週間に1回のペースです。
レンギョウ:落葉低木広葉樹。黄色い花がたくさん咲く。
物語の中で咲いています。季節は、春が近づくころです。
ノ・ユビン:新入生女子。時事討論サークルである『コア』の部員。水曜ステージでダンスを踊っていた。警備員のおじさんの脚立(きゃたつ)を支えていた。どうも、この先、パン・ジュノは、このノ・ユビンが好きになるようです。学校での教室は校舎の2階にある。
(つづく)
バリー:両親が飼っている犬の名前。父親は、抗がん剤治療をしている。
パン・ジュノとチョ・ハリムの恋人関係が消滅します。
チョ・ハリムの話を一方的に聞かされる関係に、パン・ジュノが切れました。(怒った(おこった))
(つづく)
パク・ボナ先輩:『コア(時事討論サークル)』の会長。高校2年生女子(韓国名は性別がわかりにくいです)。予備校街にあるスタディカフェで、2週間に一度のコアの活動がある。パク・ボナのファミリーは、エリート一家で、父親は実業家、母親は弁護士、親戚には教授や国会議員もいる。勉強に厳しい。ソウル大学のロースクールに行くよう強制されている。ロースクール:大学院課程。法曹(ほうそう。裁判官、検察官、弁護士など)を養成する。この女性は、将来に向けて、わが道をいく人です。
チョン・ホビン:サッカー選手。ユビンが、ファンクラブに入っている。背番号は29。
ヒョウンジュン:中学2年生のころ学力がトップだった男子。
サークルのグループチャット:複数人が参加するチャンネル内でのチャット(おしゃべり。文字を入力して会話をかわす。わたしは、そんなものはキライです。声を出すならまだしも、文字だけのやりとりはむなしい。ばかばかしい)。みんな、人工知能ロボットになろうとしているように見えます。
“無気力な世代と嫌悪”
昭和40年代に、若者について、『三無主義』という言葉があったことを思い出します。『無気力、無関心、無責任』です。時代が変わっても課題は同じですな。その後、三無主義に無感動も加わった記憶です。
ポン・ジュノ:韓国の映画監督、脚本家。作品として、『パラサイト 半地下の家族』。1969年(昭和44年)生まれ。54歳。
ピエール・ブルデュー:フランスの社会学者、哲学者。2002年(平成14年)71歳没。
ポリコレ:ポリティカル・コネクトネス:不快感や不利益を与えないための中立的な表現。政治的正しさ。政治的妥当性。
ヤマボウシ:落葉中香木。白い花が咲く。
カシワ:落葉高木。
ロウル:タヌキの昔の呼び方。(伏線になります)。見ると幸運が訪れるそうです。学年トップになれる。
勉強することの話が延々と続きます。つまらない。
ゴヌが、恋をしたいと訴える。今年のクリスマスは絶対に彼女と過ごすとアピールする。カノジョとかカレシとか、なんだか、所有物のようです。
学年トップコレクター:89ページにこの単語がありますが、ちょっと意味をとれません。収集家ではない様子です。
(つづく)
オ・セジュン:ゴヌのクラスメート。兄がいる。兄が、パク・ボナ先輩と同じクラスだった。
Kリーグ:韓国のプロサッカーリーグ
いろいろ考えて、パン・ジュノは、将来の目標について、医師から歴史学者のような仕事に進路変更をしたい。
父母の日に、離れて住む両親に会って話をしたい。そして、両親といっしょに暮らしたい。両親がいる土地の高校へ転校したい。
同じように、ノ・ユビンは、こちらは転校することが確定しています。1学期の8月までで終わり。実業系の高校に転校する。大学へは行く気はない。もともと実業系の高校にある観光学科へ行きたかったが父親が反対していた。ようやく父親を説得できたとのこと。旅行会社勤務を経て、自分の旅行会社をもちたい。大学へ行っても、将来の仕事のことを考えるといいことないと考えています。
いっぽうゴヌは、パク・ボナ先輩と付き合いたい。パク・ボナ先輩が好きだそうです。いろいろあります。
ゴヌはさしあたって、勉強をしたい。
ブブゼラ:南アフリカの楽器。口で吹く。こちらの話では、サッカーの応援で使用する。プラスチック製。
韓国の学期制:2学期制。1学期は3月スタート。入学式は3月にある。2学期は9月からスタートする。
わたしが思うに、仕事というのは、才能と努力と人間関係です。
自分の生まれ持った才能が、どの分野だったら発揮できるのかを考えてがんばれば、仕事は続くと思うのです。自分はこれしかできないから、これを仕事として続けていますという人は多い。
学校というとても狭い世界の中でのことが詳しく書いてあります。とても狭い。
転校についての不安などが書いてあります。
わたしなんぞは、転校は何回も体験したし、仕事を始めてからも、人事異動による転勤は何度も体験しました。だから、読んでいて、転校はイヤですなどという雰囲気で書いてあると、そんなことは問題にはならない。イヤだなどと考える余地もないという気持ちになってしまうのです。
人によって違うのかもしれませんが、わたしは変化することをなんとも思わない人間です。
どこでどうなろうが、やるしかないのです。
包菜(サンチュ):葉物野菜で焼き肉包んで食べる。
競争に勝った人に、案外、いい人は少ない。むしろ、負けた人に、いい人が多い。
民間のスタディルーム:レンタルできる自習室。
このころの恋愛で(青春時代)、カレシとかカノジョというのは、『人間』ではなく、『商品』のようなものという感覚があります。装飾品のような、所有物であったりもする。
そんなことより、まず、仕事に就(つ)かなければなりません。経済的な支えがなければ、恋愛の先にある結婚までとどりつけません。
(つづく)
ペーパーテストの問題を解く能力と、実際に仕事をしてお金を稼ぐ能力は違います。
そして、お金がなければ、生活していくのに困ります。
韓国においては、学力重視に非常にかたよっている社会背景があって、個々の高校生たちの将来に対する希望とか夢があって、この小説は、韓国における教育現場の社会背景と学ぶこどもんもの将来への希望が一致していないことを題材にしてある物語です。
いまどきの若い人は、SNSがないと生活できないのか。
SNSの歴史はまだ浅く、2010年(平成22年)ぐらいから社会に浸透した記憶です。
SNS世代はある意味、しんどい時代を生きているように見えます。
SNSにのめりこむと、人としての創意工夫に満ちた空間が壊れていくではなかろうか。
物語の中では、自分に対して従順でなかった異性の同級生に対して、ストレートではなく、暗喩(あんゆ。たとえ。この物語の場合、『鳩の目玉(をした女)』)を用いてねちねちと痛めつけるようなことをSNSに投稿をする学力優秀者が現れます。
オギャーとこの世に生まれたとたん、お金や有価証券や不動産などがからだにくっついてくる富豪のところに生まれたあかちゃんがいます。生まれたとたん、一生働かなくて生活していけるのです。いっけん、うらやましいのですが、それは、不幸なことです。夢のない人生だからです。この物語の中では、そういうこどもはドラッグ(薬物)中毒になっていきます。お金があってもむなしいのです。
『統制の所在』:すんなり意味をとれないのですが、学校の教師の対応を指しているのでしょう。学習について、やる気のない生徒を置き去りにするのです。成績が優秀ではない生徒は学校にとってはいらない存在なのです。
主人公のパン・ジュノが、自己主張を始めました。
正読室の利用をやめると宣言します。
教師たちからは何の反応も返ってきません。やめたい奴はやめればいいのです。引き止めはありません。
学力優秀な特定の生徒だけが人間扱いです。
主人公は、『自分のことを自分で判断して、決定して、実行する。そして、ふりかえりをして、また前へ進む』という一連(いちれん)の行動ができるようになります。
『……だれかが決めた基準で流されている限り、ぼくは永遠に不安の奴隷として生き続けるしかない……』
正解自販機:登場人物のうちのだれかのこと。
言葉の聞き間違いについて書いてある部分があります。
韓国の言語であるハングルだから起きる意味のとりかた間違いなのだろうと推察しました。
どちらにもとれる言葉があるということには、不安定さがつきまといます。
書いてある内容はおもしろいけれど、ちょっと怖い(こわい)です。
本アカ・サブアカ:SNSで、ひとりの人間がふたつのアカウントをもつ。アカウント:個人認証情報。IDとパスワードをもつ。本アカが主に利用するもの。サブアカが、補助的に利用するもの。
シールド:守って保護してくれるもの。
釜のふた:パン屋の店名。ベーカリー(パン・洋菓子販売店)
自由の海:社会のことだと受け取りました。人生は、学校を出てからがはるかに長い。もうすぐこの本のラストですが、青春時代のこういったことは、何十年も先に思い出すものです。もう、とおーい過去になっています。そして、青春時代のあのときに約束したラブは、たいていかなっていないのです。
韓国の青春文学です。
韓国は勉強の競争が厳しく激しいらしい。日本よりもきついと聞いたことがあります。
韓国の若い人たちは勉強に追われている。
本のカバーに、『テスト、課題、進路、SNS……』とあります。一日24時間では足りなさそうです。 体を壊したり、心が折れたりしなればいいのだけれどと心配になります。
青春時代は、長い人生の中では短い期間です。人生は、社会人になってからがはるかに長い。
青春時代にいられるは、一時的な期間です。やがて、その時期を抜けるべきときがきます。おとなになったら、やりたくないことでもやるべきことは、気持ちに折り合いをつけてやらねばなりません。そうしないと食べていけません。(生活ができません)。やりたくないことをやらないのはこどもです。
さて、この本には、どんなことが書いてあるのだろうかと楽しみにしながら読み始めます。
勉強、勉強ですが、まわりのおとなを見渡すと、あんがい読み書き計算が十分にできないまま働いている人はたくさんいます。英会話ができない人などは山ほどいます。大卒の人でも、文字は毎日手書きなりで書いていないと漢字も文章もかけなくなってしまいます。歳をとると、住所氏名を書くだけでも大変になります。漢字をたくさん書ける人は少ない。ましてや、文章を書くことはとてもハードルが高い。
それでもみんな働いて稼いでいます。なにか、得意なことを生かして働くのです。
わたしは、仕事は、才能と努力、そして、人間関係だと思っています。
サバイバル:厳しい条件の世界で生き残ること。
パン・ジュノ:作中では、『ぼく』のこと。高校1年生で優等生。トゥソン高校に通っている。人当たりよく、ルックスもそこそこいい。シミン中学校卒業。『ぼく』が語りながらストーリーを進行します。両親と離れて叔父と暮らしている。両親は、父親が大腸がんの新薬治療のため夫婦で別の土地にいる。パン・ジュノは、ヴィラと呼ばれる低層集合住宅の201号室に住んでいる。リビングでゲームをする叔父さんがいる。ジュノと同級生男子のキム・ゴヌは、女子と付き合ったことはない。けっこうジュノのことを好きな女性は多いが、本人はそのことに気づいていないそうです。
パン・ジュノの父親は医者です。医療系ボランティアの仲間たちと病院をつくった。大金を稼ぐ医者ではない。無料診療、内戦地域での医療活動などをしていた。
父親は今、大腸がんのステージ3(ステージ4が最も重い)で闘病中だそうです。仕事はしていない。母親と父は、忠清道(チュンチョンド)というところでがんの治療に専念している。
パン・ジュノは、叔父と都市部(たぶんソウル)で暮らしている。パン・ジュノは、女子に対する片思いを力に変えて耐えてきたそうです。
パン・ジュノは、医師をめざしていたが、今は、歴史を学んで職業にしたいと思っている。
学校での教室は、校舎の3階にある。
チョ・ハリム:女子。高校生。可愛い。中学時代に芸能事務所の練習生になったことがある。演劇スクールを中途でやめている。なにか、問題がある女子らしい。アイドルになりそこねているのか。プロアナ(拒食をライフスタイルにしている。死ぬほどダイエットすること。チョ・ハリムは、死ぬ寸前までいって、医者に止められたようです)だそうです。なんのことかわかりません。
読んでいて、ルックス(見た目)だけがいい女子という印象があります。本人は自分のルックスがいいことに自信をもっていて、男からふられると激高します。
別の本の小説で読んだことがありますが、イケメンの男と付き合ったら、『なんか違う』という感覚が女子に生まれて女子が去ったというパターンがありました。自分が理想とした頭脳が、イケメンの脳みその中にありませんでした。
キム・ゴヌ:ジュノの同級生男子。マンション住まい。正読室のメンバーには選ばれなかった。
サブタイトルが、『青春を生き抜く13の法則』ですから、13の法則が目次のように提示されています。
1 名前を呼ばれても慌てないこと(あわてないこと)
2 強風に備えること
3 曲者(くせもの)の登場に動揺しないこと。
なんだか、NHK朝ドラ、『虎に翼』の週ごと毎週提示されるテーマのようです。
4 トッポキは食べて帰ること
トッポキ:餅(もち)を使用した韓国料理。餅炒め(もちいため)。日本語では、トッポギと表記されることが多い。
5 どれもダメだった時は、ひと眠りすること
6 どうしてもダメな時は、思い切って白旗をあげること
7 敗北にもくじけないこと
8 目の前にあることを、「ただやる」ってこと
9 メニューが今ひとつの時はパスすること
10 元気のない友達には、おかゆを持っていくこと
11 思いを口に出すこと
12 大海原を想像すること
13 猫かと思った時は、もう一度見ること
(読み終えてみると、ピントこない項目が多い。韓国人と日本人の受け止め方の感覚が異なるのかもしれません)
さて、どんな話だろうか。
シチュエーション:場所、状況、立場、情勢
正読室(「せいとくしつ」と読むのでしょう):図書室のことらしい。なにやら選ばれたメンバーが利用するような書き方がしてあります。(その後読み進んで違っていました。自習用の教室で、本作品の場合は、選抜された30名が使用できる。自習のために室内環境と設備が充実している部屋だそうです)
パン・ジュノは、チョ・ハリムに誘われて、土曜日にどこかへ行くらしい(デート?)
なお、正読室は、建物の3階にある。3年生用の正読室は図書室の隣にある。1・2年生用は、廊下の行き止まりにある。
夜間自習:放課後学校に残って自習すること。
恋愛において、『行動派』と『自然派』があるらしい。
発情する男ふたりです。こういうときは、空振りになるパターンです。
(つづく)
古色蒼然(こしょくそうぜん):長い年月がすぎて、ひどく古びて見えるようすのこと。
スティーブ・ジョブズ:アメリカ合衆国の起業家。Appleの共同創業者のひとり。1955年-2011年。56歳で病死。
バラク・オバマ:アメリカ合衆国第44代大統領。1961年生まれ。62歳。
ヴィラ:戸建てタイプの宿泊施設。
チャン・ジョン・ファン:家庭教師。テスト問題を予想する名人。
ミン・ビョンソ:男子高校生。幼稚園と小学校が、ジュノと同じだった。学校では、2組。正読室の30人のメンバーに選ばれる能力をもっているが、そこは利用せずに、帰宅して家庭教師から学んでいる。
コア部(時事討論サークルの名称)に入部申請をした。母親とこどものころ、カナダに移住歴あり。主人公のパン・ジュノとは学習面ほかでのライバル関係となっている。模試では学年トップ、癒し系のイケメン、おしゃべりじょうず、性格良さそう。ボランティア活動は、総合病院でするつもり。医師になることが目標。
パン・ジュノに、こどものころに誕生日のプレゼントであげた、『ティモン(ライオンキングに登場するミーアキャットの人形)』を返してくれと要求する。ちょっと頭がおかしい。知能は高度でも、思考に幼稚な面あり。
成績は学年トップ。
父親の不倫で、家庭は一度壊れて、現在は継母が家にいる。実母はカナダにいる。
レベル・マックス:よくわかりませんが、ゲームで、最高地点というような意味のようです。
オフ講:オンライン講座の逆。普通の面と向かってする講義ということか。
ソシオ・パス:けんか、攻撃、怒りやすい。(おこりやすい)。無責任。
25ページまで読んで、韓国の青春時代とは、学力競争のなかにあって、息が詰まるほど狭苦しい感じがします。
(つづく)
水曜ステージ:音楽のリズムに合わせて生徒が五人踊っている。毎週水曜日の高校の昼休みに中央昇降口で、ミニステージを開催することがトゥソン高校の伝統だそうです。バンド部、ダンス部、器楽部などが演技を披露している。
コア:時事討論サークルの名称。入部申請をして入部する。部員となる。大学進学率が高いメンバーである。選抜方式。クラス分けテストの成績表と読書感想文の評価で入部が決まる。課題図書は、『これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル(パン・ジュノが選んだ)』か、『すばらしい新世界 オルダス・ハクスリー』、『二重らせん ジェームス・D・ワトソン(キム・ゴヌが選んだ)』のいずれかの本から選ぶ。
いまどきの高校生は、読書感想文は、ノートパソコンでつくるのか。
原稿用紙に消しゴムをごしごしさせながら、鉛筆書きをしていた昔がなつかしい。
なんでもかんでもデジタル化で、人間はこのさき幸せになれるのだろうか。デジタル事業推進で金銭的に豊かになるのは、デジタル産業のトップだけのような気がします。
読んでいると、異様な世界が目の前に広がります。
学力優先の空間です。
成績で上下関係ができます。
成績が上位の者が、下位の者を見下します。
弘大(ホンデ):街の名称。若者に人気がある。
ジュノは、チョ・ハリムとデートしますが、カップルとしての実感は湧かないままデートは終わりました。
スムージー:野菜やくだものを組み合わせてつくるドリンク(飲み物)。
コンセプト:概念。基本的な観点、考え方。
コアの入部最終審査に、チョ・ハリムとキム・ゴヌのふたりは合格します。ふたりとも、シミン中学出身です。新入生の合格者は全員で9人です。活動は2週間に1回のペースです。
レンギョウ:落葉低木広葉樹。黄色い花がたくさん咲く。
物語の中で咲いています。季節は、春が近づくころです。
ノ・ユビン:新入生女子。時事討論サークルである『コア』の部員。水曜ステージでダンスを踊っていた。警備員のおじさんの脚立(きゃたつ)を支えていた。どうも、この先、パン・ジュノは、このノ・ユビンが好きになるようです。学校での教室は校舎の2階にある。
(つづく)
バリー:両親が飼っている犬の名前。父親は、抗がん剤治療をしている。
パン・ジュノとチョ・ハリムの恋人関係が消滅します。
チョ・ハリムの話を一方的に聞かされる関係に、パン・ジュノが切れました。(怒った(おこった))
(つづく)
パク・ボナ先輩:『コア(時事討論サークル)』の会長。高校2年生女子(韓国名は性別がわかりにくいです)。予備校街にあるスタディカフェで、2週間に一度のコアの活動がある。パク・ボナのファミリーは、エリート一家で、父親は実業家、母親は弁護士、親戚には教授や国会議員もいる。勉強に厳しい。ソウル大学のロースクールに行くよう強制されている。ロースクール:大学院課程。法曹(ほうそう。裁判官、検察官、弁護士など)を養成する。この女性は、将来に向けて、わが道をいく人です。
チョン・ホビン:サッカー選手。ユビンが、ファンクラブに入っている。背番号は29。
ヒョウンジュン:中学2年生のころ学力がトップだった男子。
サークルのグループチャット:複数人が参加するチャンネル内でのチャット(おしゃべり。文字を入力して会話をかわす。わたしは、そんなものはキライです。声を出すならまだしも、文字だけのやりとりはむなしい。ばかばかしい)。みんな、人工知能ロボットになろうとしているように見えます。
“無気力な世代と嫌悪”
昭和40年代に、若者について、『三無主義』という言葉があったことを思い出します。『無気力、無関心、無責任』です。時代が変わっても課題は同じですな。その後、三無主義に無感動も加わった記憶です。
ポン・ジュノ:韓国の映画監督、脚本家。作品として、『パラサイト 半地下の家族』。1969年(昭和44年)生まれ。54歳。
ピエール・ブルデュー:フランスの社会学者、哲学者。2002年(平成14年)71歳没。
ポリコレ:ポリティカル・コネクトネス:不快感や不利益を与えないための中立的な表現。政治的正しさ。政治的妥当性。
ヤマボウシ:落葉中香木。白い花が咲く。
カシワ:落葉高木。
ロウル:タヌキの昔の呼び方。(伏線になります)。見ると幸運が訪れるそうです。学年トップになれる。
勉強することの話が延々と続きます。つまらない。
ゴヌが、恋をしたいと訴える。今年のクリスマスは絶対に彼女と過ごすとアピールする。カノジョとかカレシとか、なんだか、所有物のようです。
学年トップコレクター:89ページにこの単語がありますが、ちょっと意味をとれません。収集家ではない様子です。
(つづく)
オ・セジュン:ゴヌのクラスメート。兄がいる。兄が、パク・ボナ先輩と同じクラスだった。
Kリーグ:韓国のプロサッカーリーグ
いろいろ考えて、パン・ジュノは、将来の目標について、医師から歴史学者のような仕事に進路変更をしたい。
父母の日に、離れて住む両親に会って話をしたい。そして、両親といっしょに暮らしたい。両親がいる土地の高校へ転校したい。
同じように、ノ・ユビンは、こちらは転校することが確定しています。1学期の8月までで終わり。実業系の高校に転校する。大学へは行く気はない。もともと実業系の高校にある観光学科へ行きたかったが父親が反対していた。ようやく父親を説得できたとのこと。旅行会社勤務を経て、自分の旅行会社をもちたい。大学へ行っても、将来の仕事のことを考えるといいことないと考えています。
いっぽうゴヌは、パク・ボナ先輩と付き合いたい。パク・ボナ先輩が好きだそうです。いろいろあります。
ゴヌはさしあたって、勉強をしたい。
ブブゼラ:南アフリカの楽器。口で吹く。こちらの話では、サッカーの応援で使用する。プラスチック製。
韓国の学期制:2学期制。1学期は3月スタート。入学式は3月にある。2学期は9月からスタートする。
わたしが思うに、仕事というのは、才能と努力と人間関係です。
自分の生まれ持った才能が、どの分野だったら発揮できるのかを考えてがんばれば、仕事は続くと思うのです。自分はこれしかできないから、これを仕事として続けていますという人は多い。
学校というとても狭い世界の中でのことが詳しく書いてあります。とても狭い。
転校についての不安などが書いてあります。
わたしなんぞは、転校は何回も体験したし、仕事を始めてからも、人事異動による転勤は何度も体験しました。だから、読んでいて、転校はイヤですなどという雰囲気で書いてあると、そんなことは問題にはならない。イヤだなどと考える余地もないという気持ちになってしまうのです。
人によって違うのかもしれませんが、わたしは変化することをなんとも思わない人間です。
どこでどうなろうが、やるしかないのです。
包菜(サンチュ):葉物野菜で焼き肉包んで食べる。
競争に勝った人に、案外、いい人は少ない。むしろ、負けた人に、いい人が多い。
民間のスタディルーム:レンタルできる自習室。
このころの恋愛で(青春時代)、カレシとかカノジョというのは、『人間』ではなく、『商品』のようなものという感覚があります。装飾品のような、所有物であったりもする。
そんなことより、まず、仕事に就(つ)かなければなりません。経済的な支えがなければ、恋愛の先にある結婚までとどりつけません。
(つづく)
ペーパーテストの問題を解く能力と、実際に仕事をしてお金を稼ぐ能力は違います。
そして、お金がなければ、生活していくのに困ります。
韓国においては、学力重視に非常にかたよっている社会背景があって、個々の高校生たちの将来に対する希望とか夢があって、この小説は、韓国における教育現場の社会背景と学ぶこどもんもの将来への希望が一致していないことを題材にしてある物語です。
いまどきの若い人は、SNSがないと生活できないのか。
SNSの歴史はまだ浅く、2010年(平成22年)ぐらいから社会に浸透した記憶です。
SNS世代はある意味、しんどい時代を生きているように見えます。
SNSにのめりこむと、人としての創意工夫に満ちた空間が壊れていくではなかろうか。
物語の中では、自分に対して従順でなかった異性の同級生に対して、ストレートではなく、暗喩(あんゆ。たとえ。この物語の場合、『鳩の目玉(をした女)』)を用いてねちねちと痛めつけるようなことをSNSに投稿をする学力優秀者が現れます。
オギャーとこの世に生まれたとたん、お金や有価証券や不動産などがからだにくっついてくる富豪のところに生まれたあかちゃんがいます。生まれたとたん、一生働かなくて生活していけるのです。いっけん、うらやましいのですが、それは、不幸なことです。夢のない人生だからです。この物語の中では、そういうこどもはドラッグ(薬物)中毒になっていきます。お金があってもむなしいのです。
『統制の所在』:すんなり意味をとれないのですが、学校の教師の対応を指しているのでしょう。学習について、やる気のない生徒を置き去りにするのです。成績が優秀ではない生徒は学校にとってはいらない存在なのです。
主人公のパン・ジュノが、自己主張を始めました。
正読室の利用をやめると宣言します。
教師たちからは何の反応も返ってきません。やめたい奴はやめればいいのです。引き止めはありません。
学力優秀な特定の生徒だけが人間扱いです。
主人公は、『自分のことを自分で判断して、決定して、実行する。そして、ふりかえりをして、また前へ進む』という一連(いちれん)の行動ができるようになります。
『……だれかが決めた基準で流されている限り、ぼくは永遠に不安の奴隷として生き続けるしかない……』
正解自販機:登場人物のうちのだれかのこと。
言葉の聞き間違いについて書いてある部分があります。
韓国の言語であるハングルだから起きる意味のとりかた間違いなのだろうと推察しました。
どちらにもとれる言葉があるということには、不安定さがつきまといます。
書いてある内容はおもしろいけれど、ちょっと怖い(こわい)です。
本アカ・サブアカ:SNSで、ひとりの人間がふたつのアカウントをもつ。アカウント:個人認証情報。IDとパスワードをもつ。本アカが主に利用するもの。サブアカが、補助的に利用するもの。
シールド:守って保護してくれるもの。
釜のふた:パン屋の店名。ベーカリー(パン・洋菓子販売店)
自由の海:社会のことだと受け取りました。人生は、学校を出てからがはるかに長い。もうすぐこの本のラストですが、青春時代のこういったことは、何十年も先に思い出すものです。もう、とおーい過去になっています。そして、青春時代のあのときに約束したラブは、たいていかなっていないのです。