2024年07月27日

かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった 絵本

かいじゅうポポリはこうやっていかりをのりきった かいじゅうとドクターと取り組む2 怒り・かんしゃく 新井洋行 岡田俊・監修(児童精神科医) パイ インターナショナル

 ふだんはおとなしそうに見えるかいじゅうポポリですが、怒るとびゅーんと狂暴になるようすが、ぶあつい表紙をめくると描いてあります。

 赤い体に、頭の上に白い角(ツノ)を2本付けて、赤鬼みたいなかいじゅうポポリです。
 体はそれほど大きくはありません。幼稚園児のイメージです。

 ポポリのともだちなのか、そうでもなさそうなかいじゅうが、かいじゅう、『ゾムゾーラム』で、大きな体、白い体に水色の、せびれのようなものがついています。

 おこりんぼだと、人が離れていきます。(ポポリはかいじゅうだから、かいじゅうたちが離れていきます)
 おこりんぼは、最後はひとりぼっちになってしまいます。
 人間界にいるクレーマーみたいなものです。(しつこく苦情を言うお客さん。あきらめないことを善(ぜん。いいこと))だと勘違いしている)
 クレーマーは、自分が文句を言っても言い返せない立場の人に文句を言います。ほかに相手をしてくれる人がいないからです。典型的な弱い者いじめです。
 クレーマーは、さびしんぼです。しかたがありません。いつも文句ばかり言っているので、いっしょにいても楽しくないから人が離れていきます。
 さて、かいじゅうポポリは、クレーマーの類(たぐい)でしょうか。

 『ポポリのしっぽって、おもしろいかたちだねえ』、とゾムゾーラムが言っただけで、パポリは真っ赤になって、からだがビッグになって、がおおおおおお!と怒り狂います。(いかりくるいます)
 しっぽのことでばかにされたと思った。誤解です。
 ポポリは頭が悪いのです。考えが不足しているのです。
 さよならポポリです。ゾムゾーラムは、もうポポリには会いたくありません。
 
 公園に、かいじゅうギブラとパーパルとスミスーイがいます。水遊びをしています。
 ちょっと極端な設定で、お話がつくられています。
 通りがかっただけのくせに、自分を仲間はずれにしたなと三人におこるポポリです。
 (話のつくりすぎではなかろうか。おおげさです)
 ポポリと三人のケンカが始まりました。
 ポポリは自分勝手な人間(かいじゅう)なのです。
 ポポリの言葉、『ぼくなんか、いなくなればいいんだ!』は、意味がとおりません。
 (だれもいなくなればいいとは言っていません。迷惑だと言っているのです)
 ポポリは、おなかがすいているから怒る(おこる)んじゃないだろうか。
 おいしいごはんをおなかいっぱい食べればおこらなくなるんじゃないだろうか。
 読み手であるわたしはそう考えました。
 絵本の文字が、絵の役割を果たします。
 文字が大きくなって、絵のようです。文字が、絵にとけこみます。
 太くて大きな文字です。
 
 自分に自信がないから怒る(おこる)ということはあります。自信:自分の価値や能力を信じること。自分は自分だから大丈夫(だいじょうぶ)だと自分を信じる心。
 自信がないと不安になります。不安を吹き飛ばすために人に対して怒ります。(おこります)。力で自分の言うことをきかせようとします。
 
 プアイズ:『いかりのマスターかいじゅう』だそうです。怒り(いかり)をコントロールするということだろうか。頭に白い角(ツノ)が生(は)えているひとつ目の小さなかいじゅうです。
 
 この絵本では、『怒り(いかり)』を赤い色で表現してあります。赤色は怒りの色です。
 
 なぜ怒り(いかり)が生まれるのかを考えます。
 見開き2ページにわたって、とっても細かく、怒りが生まれる理由が絵付きで紹介されています。
 自分に対して被害(不利益)があったときに怒り(いかり)が生まれるようです。
 いろんな絵があって、ポケモンの種類みたいです。
 自分がされてイヤなことは、人に対してやってはいけないとも考えることができます。
 
 対策を考えます。
 すぐにカッとこないで、時間の間(ま)をもちます。
 いつも気持ちを100%に張りつめて(はりつめて)がんばっていると、予想外のことが起きたときに、そのことを受け止める余裕がなくなります。だから、力は常に100%発揮してはいけません。40%から60%ぐらいでいいのです。それで十分です。わたしはそう思います。

 なにがどうなろうと、なんとかなるさと考える。
 物事が行きどまりになることはありません。自分が損をするということはあります。損をしたり得をしたりしながら時は過ぎていきます。それはそうなるものだったと思えばいい。

 世の中では、ネバーギブアップとか言って、あきらめたらいけないみたいな教えとか指導や指示があります。
 あきらめてもいいのです。むしろ、じょうずにあきらめることを覚えたほうがいい。相手にじょうずに負けるのもこの世を生き抜く手段です。
 顔で泣いて、心で笑っていればいいのです。
 そういう人のまわりには人が集まります。孤独ではありません。

 なにがなんでも自分の思いどおりにならないと、カッとなって、大声でどなったり、机をたたいたり、イスをけったりする人がいます。暴力で相手に自分の言うことをきかせようとします。
 自分が悪いくせに、人が悪いと主張します。パワハラです。自分で自分の感情をコントロールできない人です。頭がおかしい。こどもです。案外、組織で有能だという人に多い。わたしは長いこと生きてきて、パワハラをする男の人や女の人を何人も見ました。あまりにもひどかったときに、『どうしてそんなに感情的になって怒鳴り続けるのですか。落ち着いて静かに話してください』と上司に言ったら、絶句されていました。(ぜっく。言葉が詰まって言い返すことができない)。本人の脳みそのなかに、想定していない状況が起きてしまったからなのでしょう。パワハラは心の病気です。薬はありません。本人自身が努力して自分の人格を変えようとしなければ治りません。(なおりません)。

 世の中はなんとでもなるのです。そうなるしかないのです。極端な話、あなたがいなくてもなんとかなる。なんとかなるしかないのです。

 おこりんぼのポポリと、ダーギーと、ペコバラスとが、ボードゲームをしています。
 ルールのことで、ポポリが怒り(おこり)だしそうです。
 なにがなんでも相手にゲームで勝つのではなく、じょうずに負けることも覚えたほうがいい。自分だけの幸せよりも全体の平和のほうが、自分にとっていいこともあります。そして、たかが、ゲームなのです。
 昔、プロ野球で怒ってばかりいる監督(ほしの監督)が言っていました。『気持ちは熱くはなるけれど、最後は、しょせん野球です。たかが野球の話です。(広い世の中にあっては)小さな話です』。ほしの監督は、寛大な人だったのです。

 だいじなことは、自分が勝っていい思いをするということではなく、みんなで楽しく遊べることなのです。あしたもまたいっしょに遊べるということは、気持ちがいいことなのです。

 今度は、ポポリの前に、かいじゅうソーサラスが出てきて、ポポリをからかいはじめました。
 怒り(いかり)をがまんする、がまんしたいポポリです。
 笑いたいときには笑って、泣きたいときには泣いて、だって、人間だから(かいじゅうだけど)。ぼくは、おこりんぼかいじゅうじゃない。そんな気持ちになりました。
 理屈(りくつ)はむずかしいけれど、この絵本をこどもに読んであげれば、こどもの気持ちは落ち着くでしょう。
 
 昔、クレーマーとクレーマーがぶつかったらどうなるのかと思ったことがありました。
 そうしたら、クレーマーとクレーマーがぶつかるシーンを見ました。
 クレーマーにも、強い弱いがあるのだと知りました。強いクレーマーにぶつかると、弱いクレーマーは身を引きます。
 もうひとつは、違うシーンでした。
 クレーマーを見たクレーマーが言いました。『あの人はひどいクレーマーだ』、その人は自分がクレーマーだとは自覚していないのだということがわかりました。
 もうひとつ付け加えると、クレーマーをじょうずに扱えるようになると、お金(お給料)が上がったり昇進(出世)したりすることもあります。そういうことができる人には、いい人が集まってきます。したたかに生きることでうまくいくことがあります。したたか:打たれ強くてしっかりしている。

 なんだか、アンガーマネジメントの研修本を読むようでした。(怒り(いかり)をコントロールする)  

Posted by 熊太郎 at 06:24Comments(0)TrackBack(0)読書感想文