2024年06月28日
東野・岡村の旅猿25 福島でラーメンと風呂巡りの旅
東野・岡村の旅猿25 プラベートでごめんなさい 福島でラーメンと風呂巡りの旅 Hulu(フールー)
ゲストは、NHK大河ドラマに出ているロバート秋山(秋山竜次)さんです。相方(あいかた)の歴史好きなロバート山本さんはすでに複数回この旅猿番組でゲストとして登場されています。戦国時代とか、幕末・明治維新のことについて博学な方でした。
今回は、いわゆる銭湯のような地元の共同浴場巡りと喜多方ラーメンをはしごしながら楽しむ内容だそうです。ゲストのロバート秋山さんの提案に沿った企画です。
岡村隆史さんはいやがります。足のアキレスけんを切って治療が終わったところですので、おふろですべってころんでまたアキレスけんを切ってという展開になりたくない。
ロバート秋山さんが、そこのところに気づいていて、すべり止めのために足裏にはるシールを持参してくれました。じっさいこのあとおふろで使いましたが、湯につかるときは、ほかのお客さんに迷惑だからと、足裏のシールをはがしていました。たいへんです。
まあ、にぎやかです。
ロバート秋山さんは福岡県の人で、以前お父さんが船でお店をやっているというシーンを映像で見たことがあります。明るいのはお父さん譲りでしょう。(お店は今はやっていないみたいです)
共同浴場での三人は、こどものようにはしゃぎます。年齢を感じさせない若さがあります。
入浴前に東野幸治さんが、のれんをめくるようにして、店内に声をかけるしぐさがとてもおもしろくて笑えました。
そばにいる岡村隆史さんが、『それは、のれんちゃいますよ』と声をかけます。
のれんに見えたのは、タオルが並べて干してあったのでした。とうぜん、タオルのむこうは窓口ではなく、板塀です。
脱衣所でのロバート秋山さんがする梅宮辰夫さんギャグがおもしろかった。
梅宮辰夫さんももう亡くなってしまいました。
毎年、毎月のように、自分たちと同じ時代を過ごした歌手や俳優さんが亡くなっていきます。
谷村新司さんも八代亜紀さんも亡くなりました。谷村新司さんは自分がまだ若い頃沖縄に旅した時に、ホテルのロビーにあるソファーで、たまたま休んでおられるところをお見かけしました。八代亜紀さんは、三重県長島温泉に昔あったステージでショーを見学しました。そんなことももう半世紀ぐらい前のことになりました。
喜多方ラーメンの本店に行って、ロバート秋山さんお目当てのお店をPRする歌が店内に流れていなかったことが意外でした。本店以外のチェーン店で流しているそうです。車の中のトークで、ロバート秋山さんはお店のテーマ曲を聴くことをとても楽しみにされていたので残念でした。
三人は、シナソバ、ニクソバを楽しみます。チャーシューがいっぱい麵(めん)の上にのっていておいしそうです。
岡村隆史さんが、『このあと風呂に入るのは無理(さっき入浴したばかりですが、きょうは、共同浴場を次々と入ることが旅の目的です)です』といいますが、このあと、たくさん共同浴場に入りました。6か所か、7か所でした。すごい勢いでした。
福島県にある主要な市の人口です。
福島県全体の人口が、184.8万人。その内訳となる市の人口です。
1位 いわき市:33万人ぐらい 2位 郡山市(こおりやまし)同じく33万人ぐらい 3位 福島市28万人ぐらい 4位 会津若松市12万人ぐらい 県庁所在地がもっとも人口が多いわけではないのですね。
(次回の放送に続く)
奇想天外なロケになっています。
ラーメンと入浴の繰り返しです。
入浴場所の共同浴場のつくりが、思いつくこともできないびっくりするようなつくりです。
入口は、男湯と女湯に分かれてはいますが、中に入ると、実質、男女別はないようなつくりです。
まず、着替えるところが、布のカーテン1枚で区分けされているだけです。男女お互いの裸が丸見えです。男女の区分けといっても、右側の脱衣所も左側の脱衣所も通路から丸見えなのです。
さらに扉を開けて中に入ると、浴槽部分の男女を分けるタイル壁の高さが低い。壁の上から向こう側にある異性の浴槽がお互いに丸見えです。笑いました。さらに、壁の境目の一部分は、布一枚のカーテンで区分けされています。シャワーを浴びる部分だそうです。シャワーは、男女共用なのだろうか。まあ、すごい。
共同浴場の入口に、本日は日本テレビのロケがありますと注意書きがあって、浴室内には旅猿の演者三人だけが入浴しています。
三人で、ロバート秋山さんが地元の人という設定で、小芝居のようなコントをやってとても楽しそうでした。
場所は日本国内ですが、旅猿が始まったころのインド旅行の雰囲気似ていて笑いました。すごいロケです。
あとさきになりましたが、アキレスけんを切って治療後で、足をかばいたい岡村さんが、ロバート秋山さんの足の甲の上に自分の足をのせて濡れた浴槽方向へ移動したのですが、ふたりともすっぱだかで、向かい合って抱き合って、お互いのオ〇ン〇ンをくっつけあって移動したので見ていて爆笑しました。ロバート秋山さんが、先輩のオ〇ン〇ンが自分のオ〇ン〇ンにくっついてどうのこうのと、こんなことをしていいのかと説明のような話をまじめにされるのがおかしかった。基本的にばかなことをやっていても、みなさんまじめです。
(思うに、世の中には、コソコソ隠れて盗撮をする病的な脳みそをもっている人がいますが、これだけあけっぴろげにやれば、エロもエロではなくなります。エロ:性的欲求)
昼食がまたラーメンです。2時間ぐらい前の朝食もラーメンでした。
えらい極端な旅行のしかたです。まだ午後1時ぐらいです。
ラーメンとフロを繰り返す。おいしい、おふろにつかって気持ちがいいの連続です。
都会とは違う、日本のいなかの風情を楽しむことができます。
深く考えると、もう仕事や学業での比較とか競争がいっぱいの生活のしかたはやめて、人間らしくのんびりと、おおらかに、食と入浴を楽しみましょうという気持ちになれます。
(次回、湯ノ花温泉に続く)
まあ、すさまじい。
共同浴場を4か所回って入浴を繰り返します。大騒ぎです。
さいしょは、名称がきちんとしない放送だったのですが、神社でお参りをしました。演者の三人は、『湯泉神社(ゆせんじんじゃ)』と口々に言っていましたが、テレビ映像では、『温泉神社(おんせんじんじゃ)』とナレーションが出ていました。三人が見た掲示には、筆で、湯泉神社と書かれているように見えました。まあ、どちらでもいいです。
①湯端の湯(ゆばたのゆ)
担当は町役場の人でした。いなかです。
②天神湯
ここで大騒ぎです。
おさるさん(岡村隆史さん)と阿弥陀菩薩(あみだぼさつ。ロバート秋山さん)が狭い浴槽につかって、そこに東野幸治さんが裸のおおまたびらきで無理やり入りこんで、東野さんのオ〇ン〇ンの袋がロバート秋山さんの頭を何回もこすって、もう、小学生の男児たちが、修学旅行とかクラブ活動の合宿で、大風呂ではしゃぎまわるような大騒ぎです。精神年齢が若い。仕事とはいえ、エンジョイされています。ロバート秋山さんは、東野さんのナニを<幸せ袋>と命名しました。
③弘法の湯
広い。ロッカーあり。気持ちいいお湯かげんだったそうです。
④石湯
大きな岩の一部が、おふろの小屋の中に突き刺さっている状態のお風呂小屋です。
お湯が熱いから、水を入れて混ぜるのですが、どうも追いつかないようで、冷水を頭からかぶって瞬間的に熱い湯に飛びこんで飛び出します。バラエティ番組で出川哲朗さんたちがやっていた熱湯風呂(ねっとうぶろ)ですな。
たいていどこの湯も温度が熱いから、自分たちで水を入れてお湯の温度を整えてから入浴するようです。
三人とも元気がいい。
岡村隆史さんが、アフリカ原住民の儀式のようなショートコントをやります。東野幸治さんが楽器代わりに柱をたたいて、ロバート秋山さんは自分の腹をたたいて場をもりあげます。なかなかうまかった。
短時間で、つめこみロケで、大騒ぎです。体力いりますなあ。カメラが止まったあとは、ぐったりされている姿が目に浮かびます。
次回の放送で、今回企画の福島は終わりだそうです。
(つづく)
喜多方市内で晩御飯です。
ロバート秋山さんは、もうラーメン以外のものを食べたいと言われますが、馬刺しとソースかつ丼を食べた後、しめにラーメンを食べておられました。
ロバート秋山さんの、『おいしい』というリアクションがすごかった。
ホテルに宿泊したあと、翌朝は、また朝ラーメンです。白河ラーメンだそうです。
ラーメンのあと、また共同風呂に入浴して、三人ともすごい体力です。<体をだいじにしてください>
おふろは、きれいなお風呂で、三人は、ぬるいことが嬉しいようすでした。(熱湯風呂が続きました)
次回からは、マカオで世界遺産見まくりの旅だそうです。ゲストは、ダイアンのユースケさんのようです。
自分はマカオというところに死ぬまで行くことはないだろうということで放送を楽しみにします。
映像を観ているだけだ、自分もその場にいるような気分になれています。最近は、どの旅番組を見ていても、自分がその場にいるような気がしてなりません。歳をとって、ぼけがはじまりつつあります。
ゲストは、NHK大河ドラマに出ているロバート秋山(秋山竜次)さんです。相方(あいかた)の歴史好きなロバート山本さんはすでに複数回この旅猿番組でゲストとして登場されています。戦国時代とか、幕末・明治維新のことについて博学な方でした。
今回は、いわゆる銭湯のような地元の共同浴場巡りと喜多方ラーメンをはしごしながら楽しむ内容だそうです。ゲストのロバート秋山さんの提案に沿った企画です。
岡村隆史さんはいやがります。足のアキレスけんを切って治療が終わったところですので、おふろですべってころんでまたアキレスけんを切ってという展開になりたくない。
ロバート秋山さんが、そこのところに気づいていて、すべり止めのために足裏にはるシールを持参してくれました。じっさいこのあとおふろで使いましたが、湯につかるときは、ほかのお客さんに迷惑だからと、足裏のシールをはがしていました。たいへんです。
まあ、にぎやかです。
ロバート秋山さんは福岡県の人で、以前お父さんが船でお店をやっているというシーンを映像で見たことがあります。明るいのはお父さん譲りでしょう。(お店は今はやっていないみたいです)
共同浴場での三人は、こどものようにはしゃぎます。年齢を感じさせない若さがあります。
入浴前に東野幸治さんが、のれんをめくるようにして、店内に声をかけるしぐさがとてもおもしろくて笑えました。
そばにいる岡村隆史さんが、『それは、のれんちゃいますよ』と声をかけます。
のれんに見えたのは、タオルが並べて干してあったのでした。とうぜん、タオルのむこうは窓口ではなく、板塀です。
脱衣所でのロバート秋山さんがする梅宮辰夫さんギャグがおもしろかった。
梅宮辰夫さんももう亡くなってしまいました。
毎年、毎月のように、自分たちと同じ時代を過ごした歌手や俳優さんが亡くなっていきます。
谷村新司さんも八代亜紀さんも亡くなりました。谷村新司さんは自分がまだ若い頃沖縄に旅した時に、ホテルのロビーにあるソファーで、たまたま休んでおられるところをお見かけしました。八代亜紀さんは、三重県長島温泉に昔あったステージでショーを見学しました。そんなことももう半世紀ぐらい前のことになりました。
喜多方ラーメンの本店に行って、ロバート秋山さんお目当てのお店をPRする歌が店内に流れていなかったことが意外でした。本店以外のチェーン店で流しているそうです。車の中のトークで、ロバート秋山さんはお店のテーマ曲を聴くことをとても楽しみにされていたので残念でした。
三人は、シナソバ、ニクソバを楽しみます。チャーシューがいっぱい麵(めん)の上にのっていておいしそうです。
岡村隆史さんが、『このあと風呂に入るのは無理(さっき入浴したばかりですが、きょうは、共同浴場を次々と入ることが旅の目的です)です』といいますが、このあと、たくさん共同浴場に入りました。6か所か、7か所でした。すごい勢いでした。
福島県にある主要な市の人口です。
福島県全体の人口が、184.8万人。その内訳となる市の人口です。
1位 いわき市:33万人ぐらい 2位 郡山市(こおりやまし)同じく33万人ぐらい 3位 福島市28万人ぐらい 4位 会津若松市12万人ぐらい 県庁所在地がもっとも人口が多いわけではないのですね。
(次回の放送に続く)
奇想天外なロケになっています。
ラーメンと入浴の繰り返しです。
入浴場所の共同浴場のつくりが、思いつくこともできないびっくりするようなつくりです。
入口は、男湯と女湯に分かれてはいますが、中に入ると、実質、男女別はないようなつくりです。
まず、着替えるところが、布のカーテン1枚で区分けされているだけです。男女お互いの裸が丸見えです。男女の区分けといっても、右側の脱衣所も左側の脱衣所も通路から丸見えなのです。
さらに扉を開けて中に入ると、浴槽部分の男女を分けるタイル壁の高さが低い。壁の上から向こう側にある異性の浴槽がお互いに丸見えです。笑いました。さらに、壁の境目の一部分は、布一枚のカーテンで区分けされています。シャワーを浴びる部分だそうです。シャワーは、男女共用なのだろうか。まあ、すごい。
共同浴場の入口に、本日は日本テレビのロケがありますと注意書きがあって、浴室内には旅猿の演者三人だけが入浴しています。
三人で、ロバート秋山さんが地元の人という設定で、小芝居のようなコントをやってとても楽しそうでした。
場所は日本国内ですが、旅猿が始まったころのインド旅行の雰囲気似ていて笑いました。すごいロケです。
あとさきになりましたが、アキレスけんを切って治療後で、足をかばいたい岡村さんが、ロバート秋山さんの足の甲の上に自分の足をのせて濡れた浴槽方向へ移動したのですが、ふたりともすっぱだかで、向かい合って抱き合って、お互いのオ〇ン〇ンをくっつけあって移動したので見ていて爆笑しました。ロバート秋山さんが、先輩のオ〇ン〇ンが自分のオ〇ン〇ンにくっついてどうのこうのと、こんなことをしていいのかと説明のような話をまじめにされるのがおかしかった。基本的にばかなことをやっていても、みなさんまじめです。
(思うに、世の中には、コソコソ隠れて盗撮をする病的な脳みそをもっている人がいますが、これだけあけっぴろげにやれば、エロもエロではなくなります。エロ:性的欲求)
昼食がまたラーメンです。2時間ぐらい前の朝食もラーメンでした。
えらい極端な旅行のしかたです。まだ午後1時ぐらいです。
ラーメンとフロを繰り返す。おいしい、おふろにつかって気持ちがいいの連続です。
都会とは違う、日本のいなかの風情を楽しむことができます。
深く考えると、もう仕事や学業での比較とか競争がいっぱいの生活のしかたはやめて、人間らしくのんびりと、おおらかに、食と入浴を楽しみましょうという気持ちになれます。
(次回、湯ノ花温泉に続く)
まあ、すさまじい。
共同浴場を4か所回って入浴を繰り返します。大騒ぎです。
さいしょは、名称がきちんとしない放送だったのですが、神社でお参りをしました。演者の三人は、『湯泉神社(ゆせんじんじゃ)』と口々に言っていましたが、テレビ映像では、『温泉神社(おんせんじんじゃ)』とナレーションが出ていました。三人が見た掲示には、筆で、湯泉神社と書かれているように見えました。まあ、どちらでもいいです。
①湯端の湯(ゆばたのゆ)
担当は町役場の人でした。いなかです。
②天神湯
ここで大騒ぎです。
おさるさん(岡村隆史さん)と阿弥陀菩薩(あみだぼさつ。ロバート秋山さん)が狭い浴槽につかって、そこに東野幸治さんが裸のおおまたびらきで無理やり入りこんで、東野さんのオ〇ン〇ンの袋がロバート秋山さんの頭を何回もこすって、もう、小学生の男児たちが、修学旅行とかクラブ活動の合宿で、大風呂ではしゃぎまわるような大騒ぎです。精神年齢が若い。仕事とはいえ、エンジョイされています。ロバート秋山さんは、東野さんのナニを<幸せ袋>と命名しました。
③弘法の湯
広い。ロッカーあり。気持ちいいお湯かげんだったそうです。
④石湯
大きな岩の一部が、おふろの小屋の中に突き刺さっている状態のお風呂小屋です。
お湯が熱いから、水を入れて混ぜるのですが、どうも追いつかないようで、冷水を頭からかぶって瞬間的に熱い湯に飛びこんで飛び出します。バラエティ番組で出川哲朗さんたちがやっていた熱湯風呂(ねっとうぶろ)ですな。
たいていどこの湯も温度が熱いから、自分たちで水を入れてお湯の温度を整えてから入浴するようです。
三人とも元気がいい。
岡村隆史さんが、アフリカ原住民の儀式のようなショートコントをやります。東野幸治さんが楽器代わりに柱をたたいて、ロバート秋山さんは自分の腹をたたいて場をもりあげます。なかなかうまかった。
短時間で、つめこみロケで、大騒ぎです。体力いりますなあ。カメラが止まったあとは、ぐったりされている姿が目に浮かびます。
次回の放送で、今回企画の福島は終わりだそうです。
(つづく)
喜多方市内で晩御飯です。
ロバート秋山さんは、もうラーメン以外のものを食べたいと言われますが、馬刺しとソースかつ丼を食べた後、しめにラーメンを食べておられました。
ロバート秋山さんの、『おいしい』というリアクションがすごかった。
ホテルに宿泊したあと、翌朝は、また朝ラーメンです。白河ラーメンだそうです。
ラーメンのあと、また共同風呂に入浴して、三人ともすごい体力です。<体をだいじにしてください>
おふろは、きれいなお風呂で、三人は、ぬるいことが嬉しいようすでした。(熱湯風呂が続きました)
次回からは、マカオで世界遺産見まくりの旅だそうです。ゲストは、ダイアンのユースケさんのようです。
自分はマカオというところに死ぬまで行くことはないだろうということで放送を楽しみにします。
映像を観ているだけだ、自分もその場にいるような気分になれています。最近は、どの旅番組を見ていても、自分がその場にいるような気がしてなりません。歳をとって、ぼけがはじまりつつあります。
2024年06月27日
図書館がくれた宝物 ケイト・アルバス
図書館がくれた宝物 ケイト・アルバス・作 櫛田理恵・訳 徳間書店
イギリスが舞台の児童文学です。
時代は第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)6月で、ロンドンから始まります。
両親を亡くして祖母に預けられていた三人きょうだいがいるのですが、親代わりだった祖母が亡くなってしまいました。祖父はいません。こども三人が家政婦さん付の屋敷に残されました。
弁護士が出てきて、空襲を避けるためにいなかへ疎開するという流れのようです。学童疎開です。とりあえず、18ページまで読みました。
登場する家族は、ピーアス家(け)です。
ウィリアム:男児12歳。5歳のときに両親が死亡した。7年前のことです。両親の死因は出てきません。
エドマンド:男児11歳。4歳のときに両親死亡。
アンナ:女児9歳。2歳のときに両親死亡。三人とも読書が好きなようすで、アンナは今、『メアリー・ポピンズ』を読んでいます。物語の中には、メアリー・ポピンズとジェインとマイケルがいます。学校で寄宿舎生活を送っているような話が出ます。
ケジア・コリンズ:ピーアス家のお手伝いさん。40年間以上ピーアス家でお手伝いをしている。歳をとった女の人。祖母の死亡により雇用契約は解除となる。三人の子どもたちが学童疎開したあと、ロンドンの北西25キロのところにあるワトフォードで、自分の妹と暮らす。
エリナー:三きょうだいの亡くなった祖母
エンガーソル:祖母の弁護士。耳から毛がぼうぼうと生えている。あたまのてっぺんには毛がない。
こどもたちの後見人決めとか、遺産とかの話があります。
学童疎開先にある図書館に助けられるという流れのようです。
(さて、お話です)
祖母のお葬式の日から始まります。
イギリスですから、教会でお葬式です。
祖母は、外の人たちからは立派な人と思われていたようですが、三人のこどもたちにとってはそうでもないようすです。あんまり悲しくなさそうです。
次男のエドマンドは祖母のことを、あのいやなばあさんと言います。祖母はこどもたちに向かって、『イライラさせる子たちだね』と言っていたそうです。
いまいましいドイツ人:(第二次世界大戦)今回の戦争をしかけてきたのは、ナチス・ドイツです。
(ふと気づいたこと)
本のタイトルは、『図書館がくれた宝物』ですが、本の裏表紙を見ると、『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
読みながら、タイトルの意味を考えてみます。
セント・マイケル小学校:疎開先の小学校。ロンドンの北のほうにある。
ジュディス・カー先生:学校疎開の責任者。攻撃的で厳しい姿勢がある。裏では、こどもたちがばかにするように、『バーカラス』と呼んでいる。
フランシス:女生徒。三きょうだいの長男のウィリアムに気があるようです。
ウォーレン先生:いい人。優しい。疎開先の小学校で、ピーアス家のこどもたち三人のクラス担任になる。お話の途中で、北アフリカに行っていた(たぶん戦争の兵隊として)夫が亡くなり、夫のもとへ行って小学校からいなくなります。
どうも三人きょうだいは、お金持ちのこどもたちです。大きな遺産があります。
お金はありますが、両親も祖父母もいません。お金があっても、まだこどもです。
遺産目当てに、悪いおとなたちに利用されるわけにはいきません。
遺産のことは秘密にして生きていかねばならないこどもたち三人です。
祖母の遺言に、三人のこどもたちの後見人をだれにしたらいいかの事柄が書かれていればいいのですが書いてありません。適任者がいなかったから書けなかったということもあるでしょう。
こどもたちとお手伝いさん、弁護士の関係者は、疎開先で、後見人になってくれそうな人を探せないかと考えています。だれかの養子になれないかということです。されど、こども三人いっぺんに養子にしてくれるような人はなかなか見つからない。三人バラバラ、ひとりずつなら養親になってくれる人が見つかる可能性が高い。だけど、三人はバラバラにはなりたくありません。
長男ウィリアム:『つまりね、ぼくらにはお金はあるけど、世話をしてくれる人がいないってことだよ』
疎開する少年少女は、25万人もいます。
疎開先へ移動するための荷物の準備をします。
お気に入りの本を一冊だけ持って行くこと。
候補として、『ピーターパンとウェンディ』、『アルプスの少女ハイジ』、『小公女』、『ブリタニカ百科事典第四巻(かん。全体だと24巻ある)』、『モンテ・クリスト伯(はく)』
1940年(昭和15年)の話ですから、もうずいぶん前のことです。
現実のことなら、ピーアス家(け)の3きょうだいはもうこの世にはいないでしょう。
生きていれば、
ウィリアムが、96歳
エドマンドが、95歳
アンナが、93歳です。
日本人ならもしかしたら生きている平均寿命ですが、イギリス人だと平均寿命が、80.70歳です。
シラミの検査:シラミは、大きさ数ミリの小さな虫。人間の血液や体液を吸う。
『ハーメルンの笛吹男』:ドイツの伝説。ハーメルンは町の名称。笛の音で、こどもたちを町から連れ出した。
キングス・クロス駅:ロンドンの主要ターミナル駅。昔、わたしがオーストラリアのシドニーに行ったとき、同じ名称の駅がありました。オーストラリアは、イギリスの人たちがつくったということがわかります。たしか、そこで二泊しました。帰国してから、そのとき泊まった場所が繁華街で、ちょっとぶっそうな場所だったと知りました。実際はそんな感じはしませんでした。でも今思うと、ホテルのエレベーターは利用するときにカードキーがいりました。キングス・クロス駅で切符を対面販売で買って乗車しましたが、切符を買わずに自動改札機を力づくで足でストッパーの板を押して通って列車に乗り込む人がいて、すごいなーーと思ったことを思い出しました。
宿舎:学童疎開先のセント・マイケル小学校のある町でお世話になるお宅のことを『宿舎』という。宿舎の提供者にはお金が出る。宿舎には、終戦まで一時的に滞在する。(だけど、この三きょうだいは、終戦後、どこの家に行くのだろう。これまでのロンドンにある家は空襲で燃えてなくなるかもしれません)
『モンテ・クリスト伯』:貧しい少年たちのヒーロー、エドモン・ダンテスの物語。日本での題名は、『岩窟王(がんくつおう)』。
イヴリン・ノートン夫人:婦人奉仕団の代表。学童疎開の担当で、いばった感じの女性。
ネリー・フォレスター:ピーアス三きょうだいの疎開受け入れ先の奥さん。明るくおしゃべり。三きょうだいの長女であるアンナ・ピアース9歳を気に入った。夫婦ともに人柄は良さそう。
ピーター・フォレスター:フォレスター家のご主人。優しそう。家は、肉屋を営んでいる。
サイモンとジャック:12歳フォレスター家の双子の兄弟。ピーアス三きょうだいに対して冷たい。いじわるをする。まあ、無理もありません。自分たちの寝室にウィリアム12歳とエドマンド11歳が入ってきて寝るようになりました。もとからいた双子にとっては、侵略されているようなものです。
ネリー・フォレスター(受け入れ先の奥さん)は、もともと、9歳のアンナ・ピアースだけを預かりたかったが、まあしょうがないかというようなようすで、ウィリアムとエドマンドもついでで預かった。
キャベツとナメクジ亭:パブ(飲み屋)
アンダーソン・シェルター:家庭用の防空壕(ぼうくうごう)。ドイツの飛行機が空襲に来たら隠れるところ。
村の公会堂:学童疎開に来たこどもたちを見て、地元の人がどの子を預かるか見に来た場所。
(日本の学童疎開だと、地元のお寺さんとか旅館で、いちどに全員を預かっていたと思います。集団生活、集団行動でした)
ヒュー:学童疎開できた児童。小さい男の子。エドマンドがチョコレートをあげた。
アルフィー:地元のこども。
フランシス:同じく地元のこども。
イギリスは、6月ぐらいから夏休みで、本来なら学校で勉強はないのですが、このときは、学校が開かれています。疎開に来た児童は、夏休み中ではありますが、午前中9時から12時まで地元の小学校で授業を受けます。
アンナ9歳は、自分が地元の人たちにとって、『負担扱い』されていることがおもしろくありませんでした。
フォレスター宅の建物がチューダー様式:建物のデザインなど。イギリス風のデザインの戸建て。
この物語のポイントは、両親がいないけれど、両親が残してくれた財産がたくさんあると、こどもたち三人の未来はどうなるかという点にあります。
財産を三人の幸せのために、じょうずに生かさなければなりません。亡くなったご両親の願いです。
他人の家に居候(いそうろう)するとき、心はブルーになります。若かったころ、自分も何度か体験があります。親戚の家だったり、知り合いの家だったりでした。
気を使います。たいてい、いやがられます。狭くてもいい。汚くてもいい。自分が好きにすごせる空間がほしい。
相手は、最初はウェルカム(ようこそ)という態度でも、だんだん、やっかい者扱いされます。
宿泊先の奥さんのネリーさんはいい人なのでしょうが、彼女の希望は、『かわいい女の子がほしかった』であり、アンナ9歳の兄のウィリアムとエドマンドは、しかたなしのおまけなのです。(話の設定として無理があります。現実には、このパターンはまずないでしょう)
戦争はひどい状況を生みます。戦争はしてはいけないのです。対立しても武力行使はせず、話し合いで解決を図るのです。
作者は、アメリカ合衆国の児童文学作家です。年配の人かと思ったら若い女性でした。意外です。物語の中身は、現在80代後半ぐらいから90代はじめの人たちが体験したことです。あわせて、場所はイギリスロンドンの郊外です。
居候先の家族とギクシャクしそうな不穏な雰囲気がただよっています。わざといじわるをするようにつくってある話なら、わたしは流し読みに入ります。つくったじめじめ話を読まされることは読み手にとっては苦痛です。不快な思いはしたくありません。
疎開野郎(そかいやろう):差別用語。双子のサイモンとジャック12歳が使う言葉。
お金の話です。
お金があるといいことのひとつに、優位な気持ちに立つことができるということがあります。
たとえば、クレーマーみたいな人にひどいことを言われても、心の中で、(ああ、自分はこの人よりもお金をもっているから、この人よりも自分のほうが幸せだ)と思うと、優越感が余裕になって、相手に対する怒りの気持ちが(いかりのきもちが)おさまるということはあります。
物語の中のこどもたち三人は、まだそういうことが理解できないことが残念です。
おそらく、こどもたち三人は、本を読むことでつらい境遇に耐えるのでしょう。
がっしりとした石造りの建物があった。
『図書館』と書いてある。
アンナは…… ここがあれば、なにがあってもだいじょうぶ、と思った。
ひとつの教室で、複数の学年の児童が勉強します。自習が多い。
9歳と10歳が教室の前のほうで先生の話を聞く。11歳と12歳は、そのうしろで自習です。
ヨーロッパは、はるか昔から、多くの災害や戦争に見舞われてきた。いっぽう日本は、第二次世界大戦のときに初めて戦闘機や爆撃機の空襲を受ける戦地になりました。
89ページまで読んで思い出した本があります。
『としょかんライオン ミシェル・ヌードセン・さく ケビン・ホークス・え 福本友美子・やく 岩崎書店』以下は、感想メモの一部です。
孤独なライオンはどこから来たのだろう。孤独なライオンはだれかのそばにいたかった。
ライオンは自分のために本読みをしてほしい。自分のために本をもっと読んでほしい。ライオンは人にかまってほしい。甘えたい。甘えるだけでなくて、だれかの役に立ちたい。
もう一冊あります。
『わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック 新日本出版社』こちらも感想メモの一部です。
わたしのとくべつな場所がどこなのかが秘密としてスタートします。登場したのは、おそらく12歳の女の子、パトリシアです。彼女は、とくべつな場所に向かう途中、いくつかの人種差別を体験します。彼女は黒人です。差別するのは、アメリカ合衆国の白人です。
バスの中のパトリシアは怒っています。黒人席はこっちという案内サインに憤り(いきどおり)を感じているのです。
公園のベンチには白人専用という表示がありますが、じゃあ、黒人専用のベンチがあったかというとなかったでしょう。白人以外は人間ではなかったのです。絵本の時代設定は、1950年代、今から60年ぐらい前のアメリカ合衆国の社会です。
この本でパトリシアが行きたいとくべつな場所とは、『公共図書館』を指します。『だれでもじゆうにはいることができます』で結ばれています。
(つづく)
ミュラー夫人(ノラ):図書館の司書。栗色の髪、細かい花柄模様のワンピースを着て、もこもこした毛糸のカーディガンを羽織っている。読書をとおして、三人のきょうだいの心の支えになってくれる。
フローレンス:白髪(しらが)のおばあさん。
図書館には、<子どもの本>コーナーがあります。
寄宿学校:イギリスの全寮制の学校。公立と私立があって、男女共学。寮は男女別。初等教育(4歳または5歳から13歳)、中等教育(11歳または13歳から16歳)、そのあとは、16歳から18歳が対象となっている。
三人きょうだいの家では、こどもは、寄宿学校に通っていた。
乳幼児のときは、乳母(うば)がいた。
乳母とは別に、家政婦のコリンズさんがいた。
でも、両親はいなかった。家族は、きょうだい三人だけだった。
愛書家:あいしょか。書籍という物体を愛する者。読書家は、本の内容とか読書という行為が好きな者をいう。
本がたくさん出てきます。書き並べてみます。
『ブレインストーム教授大あわて』、『きいろの童話集』、『むらさきいろの童話集』、『しっかり者のスズの兵隊』、『火打ち箱』、『魔法の森』、イギリス人は魔法が好きなようです。『小公女』、『赤毛のアン』、なにかと孤児の話が多い。『砂の妖精』、たのしい川べ』、『はなのすきなうし』、『野生の呼び声』、『バスカビル家の犬』、『アンナ・カレーニナ』、『クリスマスのまえのばん』、『ホビットの冒険』、『アラビアンナイト』、『ビロードうさぎ』(最後まで読んで、373ページに、この物語に登場する本を列記してあるページがありました。わたしが読んだことがある本が何冊も含まれています)
ウィリアムとエドマンドは、ふたりにいじわるをする双子の兄弟サイモンとジャックともめて、彼らの部屋を出ます。ふたりは、アンナの部屋ですごすことにしました。三人きょうだいが同じ部屋です。三人で悩みます。お金があっても、行くところがないこども三人です。
双子の兄弟の母親であるネリー・フォレスターは、いい人ですが、きちんと自分のこどもが何をしているのかが見えていません。こどもに甘い親です。そして、双子はずるがしこい。
ラディッシュ:ダイコンのこと。
フランスがナチス・ドイツの手に落ちた。フランスの領土にドイツ軍がいる。
『小公女』に出てくるセーラーはお金持ち。こどもなりに判断したのは、ミンチン先生がセーラーに優しくするのは、セーラーがお金持ちだからに違いないそうです。
戦争対策として、家庭菜園を使って、野菜をつくる。食糧不足なので、自給自足をする。
聡明(そうめい):賢い(かしこい)ということ。
図書館にドイツ人が書いた本を置くことはけしかんことなのか。(グリム童話を書いたグリム兄弟はドイツの人)
1940年(昭和15年)7月、ドイツ軍がイギリス西部の町や、港を攻撃した。
イギリスのチャーチル首相はドイツ軍とまだまだ戦う気持ちが強い。けして、ナチス・ドイツには屈しない。(ウクライナの大統領を思い出しました)
映画館で、『ピノキオ』を観た。
映画のタイトルがいろいろ出てきます。『ランカシャーのラッシー(おとな向けのミュージカル・コメディ)』、『オズの魔法使い』、『白雪姫と七人のこびと』
153ページまで読んで、(全体は、372ページです)、ふと思ったのです。
この三きょうだいは、最終的には、図書館で司書をしているミュラー夫人が、三人きょうだいの後見人になってくれるのではないか。(予想が当たるかどうか、これから先を読むことが楽しみです)
コヴェントリー:イギリスにある都市の名称。航空機とか弾薬とかの工場がある。三きょうだいが学童疎開しているところから40キロの位置にある。のちのちドイツ軍から空襲される場所です。
夏休みが終わり、村のこどもたちが小学校に戻って来て、村のこどもたちと疎開で来ているこどもたちの間に溝が生まれています。
ふと思い出したのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の時に、各地へ避難した東北のこどもたちが、避難先で苦労したことです。(原発の)放射能がうつるとか、ばいきん扱いするとか、賠償金をもらっただろうとか、国を問わず、人間の現実のありようとして、いじめがなくなりません。残念なことです。人をばかにしたり、いじめたりして、うれしがる人がいます。
1940年(昭和15年)9月7日、ロンドン大空襲。
戦争というのは、国民と国民が戦うのではなく、独裁者とそのグループの判断でするものだと理解できます。
国民は、権力闘争に巻き込まれるのです。独裁者に反対すると、拘束されたり、殺されたりするのです。
エリザベス王女(1940年当時のこととして本に記述があります):エリザベス二世。1926年(大正15年)-2022年(令和4年)96歳没。女王としての在位期間:1952年(昭和27年)-2022年(令和4年)70年間。
地元のこどもと疎開で来ているこどもが対立します。やられたらやりかえします。仕返しとか、復讐です。混乱します。
ミュラー夫人の家庭菜園講演会に人が集まりません。集まったのは、講師のミュラー夫人を入れてもたった6人です。
いばりんぼうの婦人奉仕団所属イヴリン・ノートンが月間に政府関係者を呼んで、盛大に家庭菜園の講演会を開くからだそうです。だから、人が集まらない。
いろいろあって、エドマンドが、双子きょうだいの罠(わな)にはまって、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されそうです。たいへんだ! フォレスターのおじさんもおばさんも、結局は自分たちのこどもであるいじわるな双子兄弟の味方です。ピーアス家の三きょうだいは、他人です。
ああ、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されてしまいました。
次に見つかった家は、かなり貧困そうです。
三人きょうだいのめんどうをみるともらえる手当目当てで、こどもを預かる女性宅です。夫は、戦争に行っています。
サリー・グリフィス:こどもが3人いる母親で主婦。住所は、リビングストーン横丁四番地。
ペニー:サリーの長女。ちょっと大きい子と書いてあります。5歳か6歳ぐらい。
ヘレン:サリーの次女。2歳か3歳。
ジェイン:サリーの三女。1歳ぐらいか。
ロバートジュニア:まだあかちゃん。サリーの長男。
三人きょうだいを預かると国からもらえる手当の金額。
1人目:10シリングと6ペンス。
2人目以降:8シリングと6ペンス。
3人分の配給(食べ物を支給してもらえる)
こども3人の昼食は学校給食で支給される。
生活習慣として、月曜日は洗濯、金曜日の夜はおふろ、おふろは週に一回しか入れない。トイレは屋外にあって汚い。虫がいそうです。
さあ、たいへんだ。(だけど、わたしがこどものころの日本のいなか暮らしもそんなものでした)
司書のミュラーさんにお世話になることはできないそうです。
なにか、事情があるようですが、まだその理由は明かされません。
婦人奉仕団代表のイヴリン・ノートン夫人が言います。『ノラ・ミュラーは、子どもを預かるのにふさわしくありません』
デヴォン:イギリス南西部の地域。
三人きょうだいの亡くなった両親の話がときおり出ます。
長男のウィリアムが、末っ子のアンに話してくれます。たぶんつくり話です。
18ページ:母さんが小さかったころ、友だちがローラースケートで走ってきて、母さんの足の小指にぶつかったんだって。それで、折れちゃったんだ。
106ページ:父さんはラディッシュ(ダイコン)がきらいだったんだ。
171ページ:母さんはこどものころ、タクシーの運転手になりたかったんだ。
190ページ:結婚したとき、父さんと母さんは、それぞれのタオルに刺繍(ししゅう)で名前をいれてたんだ。
ウォーレン先生のご主人が北アフリカで亡くなってしまいました。たぶん戦死でしょう。ウォーレン先生はしばらく学校には来ることができないそうです。優しい先生がいなくなって、厳しい先生が残ってしまいました。カー先生のことです。
三きょうだいは、お金持ちの家のこどもだったので、こどもたちだけで買い物をしたことがありません。ロンドンの家にいたときは、お手伝いのコリンズさんがそばにいてくれていました。残念ですが、三きょうだいには、生活能力に欠けた部分があります。
以前お世話になっていた肉屋のフォレスター家に買いものに行って、父親が、自分の息子たちが三きょうだいにひどいしうちをしたことを知っていて、三きょうだいを家から追い出したことがわかりました。失望するアンナたちです。それが、人間界の現実なのです。寛容になって、心に折り合いをつけるしかありません。しかたがないのです。
三きょうだいはみじめですが、将来のためにしておくべき経験です。三人はお金持ちの家に生まれて、これまで甘やかされていたのです。
入浴の話が出ます。
わたしは、外国人は、日本人のように浴槽につかることはないと思いこんでいました。
外国人はたいていシャワーだけの利用です。
でも、この本には、浴槽に入浴すると書いてあるので意外でした。
あたたかいお湯にゆったりつかれるお風呂ならいいけど…… と書いてあります。
お手伝いだったケジア・コリンズさんは、リウマチだそうです。リウマチ:関節の炎症で、関節の機能が失われる。放置しておくと関節が変形してしまう。
この時代の人たちは苦労されています。
アルフィー:すでにお話に登場している地元のこども。男児。
アーネスト:疎開に来ている男児。アルフィー宅で世話になっている。
土曜日です。
アンナは、グリフィスおばさんが買い物に出ている間に、三人のちびっこのめんどうをみます。
ウィリアムとエドマンドは、集落であるネズミの駆除に参加します。やっつけたネズミの数だけお金をもらっておばさんに渡します。でもふたりとも、気が優しいというか、気が弱いというかで、苦戦します。ちょっと、男としては情けない。お金持ちのおぼっちゃんだからなのか、考えが甘い。ネズミは害獣(がいじゅう)です。ディズニーのミッキーマウスとは違います。もっと強くなれ! もっと強い気持ちをもて! くそっ、負けてたまるか思え! と応援したくなりました。
わたしも小学生だったこどものころ、海が近い福岡県の炭鉱住宅で、集落のネズミ退治に参加したことがあります。おとなたちが木造家屋の床下に罠(わな)をかけて捕まえて、麻袋にたくさんのネズミを入れて、こどもの集団でネズミの息の根を止めました。う~む。あまりそういうことは、ここには書かないほうがいいな……
似たようなことが、こちらの本に書いてあります。
物語の中で、ネズミ狩りを指導してくれるのはおじいさんたちです。戦争に行かなくていい年齢の人たちが集落に残っています。
つらい体験をして、ウィリアムとエドマンドは成長しました。
とくに、エドマンドは、『ありがとう』が言える人間になりました。
『ありがとう』が言えない人間はダメ人間です。
両親を亡くした三人の疎開児童たちは、母(というもの)を知らない。父(というものも)知らない。図書館司書のミュラーさんが、母親代わりになっています。
この本を読み始めて10日ぐらいが経過します。
自分の頭の中で、ふだんから、主人公のウィリアムとエドマンドとアンナが動いています。本当に生きているみたいに動いています。読書の心地よさがあります。
本の中では、疎開を始めてから半年がたち、12月、ヨーロッパイギリスは冬を迎えています。
寒い。1940年(昭和15年)です。終戦は、1945年(昭和20年)ですから、終戦まではまだ遠い。
アンナ9歳が、グリフィス家にいる4人のちびっこたちのお母さんみたいです。アンナは、ちびっこたちに本の読み聞かせをしています。
降誕劇(こうたんげき):イエス・キリストの誕生を祝う劇。
エドマンドが、星の役を演じます。
ウィリアムは、フランシスに好かれているので、フランシスがウィリアムとヨセフとマリアの夫婦役をやりたいとささやかれますが、どうもウィリアムは、フランシスがお好みではないようです。だんだん女の子は、色気(いろけ。異性を意識した言動)づいてきましたな。
長頭(ちょうとう):『バスカビル家の犬』に出てくる言葉。人間の風貌(ふうぼう。身なり、顔かたち)として、長頭蓋(ちょうとうがい)。頭の形。頭の前後が長い形をしている。
シラミ:小さな虫。かゆくなる。
婦人奉仕団による服の交換会でもらったコートにシラミがいたようです。アンナの髪の毛にシラミがわきました。
図書館司書のミュラーさんが、薬を提供してくれました。
ミュラーさんの事情がミュラーさんから語られます。
ミュラーさんのだんなさんは、敵国であるドイツ人だそうです。だから、近隣の人たちからミュラーさんは、よく思われていないそうです。
ふたりは、イギリスノーザンプロンにある本屋で知り合って結婚したそうです。
ドイツで独裁者が誕生して、軍事化がすすんで、だんなさんは、ドイツにいる両親と妹のことが心配で、ドイツの実家へようすを見に行って、以降行方不明になってしまったそうです。だんなさんがいなくなってから、もうじき3年たつそうです。だんなさんは、ナチス党の人間ではなさそうです。
人生、いろいろあります。
エドマンドが言います。ぼくらは、疎開児童で、地元の人間から嫌われる。
司書のミュラーさんは、夫がドイツ人だから、地元の人間から嫌われている。
おんなじだ。
読んでいて思ったことです。
シーンとはぴったりきませんが、むかしのことにしばられて今を生きる必要はないのではないか。今は、今なのだから。
いろいろトラブルがあって、三きょうだいは、グリフィス家を追い出されるように出て行きました。
悲惨です。
いくところがありません。今夜泊るところがありません。
しかたなく、教会へ行くのです。
不吉な物語を思い出しました。パトラッシュという犬が出てくる児童文学、動画アニメでした。犬と少年が最後に死んでしまうのです。
三きょうだいに助け舟を出してくれたのはやはり、図書館司書のノラ・ミュラー夫人でした。
雪が降り、クリスマスイブなのに、すったもんだがあります。
おなかいっぱい食べ物を食べたい。
サンタクロースにプレゼントをもらいたい。
三きょうだいとグリフィス夫人の間でトラブルのもとになる本、『はなのすきなうし』は読んだことがあります。『はなのすきなうし おはなし/マンロー・リーフ え/ロバート・ローソン やく/光吉夏弥(みつよし・なつや) 岩波書店』、闘牛なのに、闘志がなく、心優しい闘牛用の牛の話でした。お母さん牛がその牛を守ってくれます。
途中、三きょうだいは、図書館で暮らすことを考えます。(無理でした)
そんな本が二冊ありました。
村上春樹氏の「海辺のカフカ 新潮文庫上・下」では、カフカくんが、四国の図書館で寝泊まりの暮らしをします。もうひとり、ナカタさんという人が、東のほうからカフカくんの図書館を目指す内容だったと思います。わたしには好みの設定でした。
もう一冊が、『図書室で暮らしたい 辻村深月(つじむら・みずき) 講談社』で、エッセイ集でした。
クリスマスイブに住む場所をなくした三きょうだいです。
ミュラー夫人の夫がドイツ人、もしかしたら、夫は、ナチス・ドイツの党の味方で、連合国軍の敵ではないか。
ミュラー夫人自身はイギリス人で、ドイツ人ではないし、ナチスの人間でもないのに、夫婦は一体に見られます。犯罪加害者の親族が冷たい目で見られるのに似ています。自分がやったわけでもないのに、犯罪をおかした親族と同類のように見られます。それが人間世界の現実です。
読んでいて不思議なのが、宗教です。
戦時中で、都市部では空襲があるのに、疎開地のいなかでは、クリスマスイブでイエスキリストの生誕を祝います。
宗教の異様さがあります。クリスマス休戦という言葉がありますが、平和を望むのなら、クリスマスだけではなく、いつだって殺し合いをする戦争はやめるのではないかと思うのです。
なにか、考え方の基本がおかしい。
だれも知らないようで、だれもが知っています。
三きょうだいが、預けられた先で、差別のような扱いを受けていたことを、ご近所さんたちは知っていても、知らぬふりをしているのです。
世の中には、ひどいことをする人もいますが、優しい人もいます。
親子で会話がない家が多い。
家族内での話し言葉は、親から子への命令とか、指示だけになっている。
気持ちのこもった言葉でのキャッチボールが親子の間でないから、こどもの心がすさみます。
親の役割はただひとつ、こどもに食べさせることです。
小説そして映画になった、『東京タワー -オカンとボクと、時々、オトン- リリー・フランキー 新潮文庫』では、母親役の樹木希林さん(きききりんさん)が、息子のことをいつも気にかけています。実家は九州福岡で、息子は東京へひとりで出て行くわけですが、いつも息子に、『ちゃんと食べてるか?』とたずねます。息子が、『食べてるよ』と返事をすると、母親は安心するのです。母親にとってのこどもに対する役割はただ一点なのです。食べさせることだけなのです。
ミュラー夫人と三きょうだいの食事風景があります。
幸福があります。
マーティン:ミュラー夫人の行方不明になっている夫の名前。
外国は寝るときはベッドなので、日本のように和室でふとんで固まってというようなスキンシップがしにくいやり方です。
こどもは寝る前に、おとなに本を読んでほしい。
本の中身というよりも、そういう時間帯が、こどもは好きです。
クリスマスの朝は、ひとりだけでは迎えたくない。
ミュラー夫人の家には本がたくさんあります。
本のプレゼントがあります。紙の本です。いまどきの電子書籍だと渡しにくい。
ラジオ放送があります。まだ、このころ、テレビは普及していなかったのではないか。
新年が近づいています。
以前の家に置いてきた三きょうだいの荷物を取りに行かねばなりませんが、グリフィス夫人とけんか別れしたので三きょうだいは、グリフィス夫人宅へ行きにくいのです。
ミュラー夫人がひとりで行ってくれることになりました。ありがたい。
ミュラー夫人は優しい。長男に声をかけてくれました。『……特にあなたの場合、がんばりすぎたと思うの…… もうがんばらなくていいいから』
ときおり出てくる言葉が、『比喩(ひゆ)』です。
-あることを、別の言葉でたとえること-
ラバ:オスのロバとメスの馬の交配種。北米、アジア、メキシコに多い。
セントポール大聖堂:ロンドンにある。
涙なくしては読めない316ページです。
長男ウィリアムと、次男エドマンドの会話です。
長男が9歳の長女をかばって、両親についてのつくり話をしていることを次男が長男に指摘します。
母親の話として、ひとつだけ本当の話があります。この本の原題に関するものです。
『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
母親が、三きょうだいは、夜空に輝く、『月』みたいだと言っていたそうです。
でももう、母親はこの世にいません。
次男のエドマンドが言います。『…… ぼくらのこと、お月さまみたいだって思ってくれる人に、お母さんになってもらうんだ』
そして、『…… これまで、いろいろとありがとう。兄さん』
(考え方、感じ方として、三きょうだいだから月が3つあるのではなく、三きょうだいを一体のものとしてとらえて、ひとつの大きな月を思い浮かべたほうがいい)
(以前疎開に来た時にエドマンドがチョコレートをあげた)ヒューからエドマンドにチョコレートのお返しがあります。
バチがあたります。(悪いことをすると、悪いことをした人に、神さまや仏さまが罰(ばつ)を与えること)
人をいじめた人間にはバチがあたります。
わたしは長いこと生きてきて、バチが当たった人を何人か見たことがあります。うまくいかないことが起きます。
『……竜がそばにいる以上、竜に気を配るしかないってね?』(ホビットの冒険から)
ベティ・バクスター:元教師。園芸好き。ノラ・ミュラー夫人の協力者。
ノラ・ミュラー夫人のドイツ人夫マーティン・ミュラー氏が亡くなっていたことが判明します。
ドイツベルリンで8月に空襲があったそうで、空襲のときに亡くなったそうです。
1940年(昭和15年)8月にドイツのベルリンで空襲があった。
調べたら、8月24日にドイツ軍がイギリスロンドンを爆撃して、8月26日にイギリス軍がベルリンを報復爆撃しています。仕返しです。イギリス人妻ノラ・ミュラー夫人とドイツ人夫マーティン・ミュラー氏のつながりを考えると複雑な気持ちになります。
やられたらやりかえす。人類が大昔からやっていることです。これから先もなくなることはないのでしょう。そして最後に核戦争になって、人類は滅ぶというのは映画や小説のテーマになる素材です。
三きょうだいにとっての今の目標は、自分たちを養育してくれる親探しです。
両親から受け継いだ相続財産というお金はあっても、親がいません。
『…… ぼくらのことを、お月さまみたいだって思ってくれる人が、お母さんになる人なんだ』
363ページに答えがあります。ノラ・ミュラー夫人の言葉、『わたしにはあの子たちが、暗闇をてらしてくれるお月さまみたいに思えるのよ』
ウィリアムは誕生日(1月11日)を迎えて13歳になりました。(人生は、まだまだはるかに長い)
誕生日祝いに自転車のプレゼントがあります。
こどもたちが思う自分たちの母親になってほしいノラ・ミュラー夫人は、三きょうだいが、親なし子であることを知りません。
ノラ・ミュラー夫人は、空襲がおさまって、戦争が終わるころに、三きょうだいは、ロンドンにいる親の元へ帰るものだと思いこんでいます。
『勝利のための菜園運動』(食糧不足の戦時中のこととして、食料を自給自足で確保するために庭や公園を畑にする運動)日本と似ています。日本でも空いた(あいた)土地を畑にして野菜や穀物をつくっていました。
『ミュラーさんとエドマンドは、それぞれやるべきことにもくもくと取り組んだ……』
ホビットの冒険に出てくる竜のような人物→ジュディス・カー先生。おこりんぼさん。本では、こわい年寄り魔女と表現があります。
ドイツ人の夫がイギリス空軍によるドイツベルリンの空襲で死んだから、イギリス人であるノラ・ミュラー夫人に対するまわりのイギリス人たちの気持ちがノラ・ミュラー夫人を許す方向へ気持ちが変化したという皮肉があります。ひにく:遠回しに、敵国ドイツを嫌い、自国イギリスを愛す。
野菜を育てて食べる。農業を賛美するメッセージがあります。
『疎開児童たちの勝利のための菜園』
『…… ぼくは、きたない疎開野郎さ!』
お金はある。でも、親はいない。
親になってくれる人が見つかった。
こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
あと、10年もたてば、三人とも自立・自活をしていく年齢になります。
そのときは親代わりになってくれたノラ・ミュラー夫人に感謝してほしい。
ありがとうが言える人であってほしい。
最後まで読んで思い出した本が二冊あります。
『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』
おいしいごはんを食べながら、なんだかんだと会話をすることが、人間であることの楽しみなのです。
読み始めて終わるまで2週間ぐらいかかりましたが、読みごたえのあるいい本でした。
イギリスが舞台の児童文学です。
時代は第二次世界大戦中の1940年(昭和15年)6月で、ロンドンから始まります。
両親を亡くして祖母に預けられていた三人きょうだいがいるのですが、親代わりだった祖母が亡くなってしまいました。祖父はいません。こども三人が家政婦さん付の屋敷に残されました。
弁護士が出てきて、空襲を避けるためにいなかへ疎開するという流れのようです。学童疎開です。とりあえず、18ページまで読みました。
登場する家族は、ピーアス家(け)です。
ウィリアム:男児12歳。5歳のときに両親が死亡した。7年前のことです。両親の死因は出てきません。
エドマンド:男児11歳。4歳のときに両親死亡。
アンナ:女児9歳。2歳のときに両親死亡。三人とも読書が好きなようすで、アンナは今、『メアリー・ポピンズ』を読んでいます。物語の中には、メアリー・ポピンズとジェインとマイケルがいます。学校で寄宿舎生活を送っているような話が出ます。
ケジア・コリンズ:ピーアス家のお手伝いさん。40年間以上ピーアス家でお手伝いをしている。歳をとった女の人。祖母の死亡により雇用契約は解除となる。三人の子どもたちが学童疎開したあと、ロンドンの北西25キロのところにあるワトフォードで、自分の妹と暮らす。
エリナー:三きょうだいの亡くなった祖母
エンガーソル:祖母の弁護士。耳から毛がぼうぼうと生えている。あたまのてっぺんには毛がない。
こどもたちの後見人決めとか、遺産とかの話があります。
学童疎開先にある図書館に助けられるという流れのようです。
(さて、お話です)
祖母のお葬式の日から始まります。
イギリスですから、教会でお葬式です。
祖母は、外の人たちからは立派な人と思われていたようですが、三人のこどもたちにとってはそうでもないようすです。あんまり悲しくなさそうです。
次男のエドマンドは祖母のことを、あのいやなばあさんと言います。祖母はこどもたちに向かって、『イライラさせる子たちだね』と言っていたそうです。
いまいましいドイツ人:(第二次世界大戦)今回の戦争をしかけてきたのは、ナチス・ドイツです。
(ふと気づいたこと)
本のタイトルは、『図書館がくれた宝物』ですが、本の裏表紙を見ると、『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
読みながら、タイトルの意味を考えてみます。
セント・マイケル小学校:疎開先の小学校。ロンドンの北のほうにある。
ジュディス・カー先生:学校疎開の責任者。攻撃的で厳しい姿勢がある。裏では、こどもたちがばかにするように、『バーカラス』と呼んでいる。
フランシス:女生徒。三きょうだいの長男のウィリアムに気があるようです。
ウォーレン先生:いい人。優しい。疎開先の小学校で、ピーアス家のこどもたち三人のクラス担任になる。お話の途中で、北アフリカに行っていた(たぶん戦争の兵隊として)夫が亡くなり、夫のもとへ行って小学校からいなくなります。
どうも三人きょうだいは、お金持ちのこどもたちです。大きな遺産があります。
お金はありますが、両親も祖父母もいません。お金があっても、まだこどもです。
遺産目当てに、悪いおとなたちに利用されるわけにはいきません。
遺産のことは秘密にして生きていかねばならないこどもたち三人です。
祖母の遺言に、三人のこどもたちの後見人をだれにしたらいいかの事柄が書かれていればいいのですが書いてありません。適任者がいなかったから書けなかったということもあるでしょう。
こどもたちとお手伝いさん、弁護士の関係者は、疎開先で、後見人になってくれそうな人を探せないかと考えています。だれかの養子になれないかということです。されど、こども三人いっぺんに養子にしてくれるような人はなかなか見つからない。三人バラバラ、ひとりずつなら養親になってくれる人が見つかる可能性が高い。だけど、三人はバラバラにはなりたくありません。
長男ウィリアム:『つまりね、ぼくらにはお金はあるけど、世話をしてくれる人がいないってことだよ』
疎開する少年少女は、25万人もいます。
疎開先へ移動するための荷物の準備をします。
お気に入りの本を一冊だけ持って行くこと。
候補として、『ピーターパンとウェンディ』、『アルプスの少女ハイジ』、『小公女』、『ブリタニカ百科事典第四巻(かん。全体だと24巻ある)』、『モンテ・クリスト伯(はく)』
1940年(昭和15年)の話ですから、もうずいぶん前のことです。
現実のことなら、ピーアス家(け)の3きょうだいはもうこの世にはいないでしょう。
生きていれば、
ウィリアムが、96歳
エドマンドが、95歳
アンナが、93歳です。
日本人ならもしかしたら生きている平均寿命ですが、イギリス人だと平均寿命が、80.70歳です。
シラミの検査:シラミは、大きさ数ミリの小さな虫。人間の血液や体液を吸う。
『ハーメルンの笛吹男』:ドイツの伝説。ハーメルンは町の名称。笛の音で、こどもたちを町から連れ出した。
キングス・クロス駅:ロンドンの主要ターミナル駅。昔、わたしがオーストラリアのシドニーに行ったとき、同じ名称の駅がありました。オーストラリアは、イギリスの人たちがつくったということがわかります。たしか、そこで二泊しました。帰国してから、そのとき泊まった場所が繁華街で、ちょっとぶっそうな場所だったと知りました。実際はそんな感じはしませんでした。でも今思うと、ホテルのエレベーターは利用するときにカードキーがいりました。キングス・クロス駅で切符を対面販売で買って乗車しましたが、切符を買わずに自動改札機を力づくで足でストッパーの板を押して通って列車に乗り込む人がいて、すごいなーーと思ったことを思い出しました。
宿舎:学童疎開先のセント・マイケル小学校のある町でお世話になるお宅のことを『宿舎』という。宿舎の提供者にはお金が出る。宿舎には、終戦まで一時的に滞在する。(だけど、この三きょうだいは、終戦後、どこの家に行くのだろう。これまでのロンドンにある家は空襲で燃えてなくなるかもしれません)
『モンテ・クリスト伯』:貧しい少年たちのヒーロー、エドモン・ダンテスの物語。日本での題名は、『岩窟王(がんくつおう)』。
イヴリン・ノートン夫人:婦人奉仕団の代表。学童疎開の担当で、いばった感じの女性。
ネリー・フォレスター:ピーアス三きょうだいの疎開受け入れ先の奥さん。明るくおしゃべり。三きょうだいの長女であるアンナ・ピアース9歳を気に入った。夫婦ともに人柄は良さそう。
ピーター・フォレスター:フォレスター家のご主人。優しそう。家は、肉屋を営んでいる。
サイモンとジャック:12歳フォレスター家の双子の兄弟。ピーアス三きょうだいに対して冷たい。いじわるをする。まあ、無理もありません。自分たちの寝室にウィリアム12歳とエドマンド11歳が入ってきて寝るようになりました。もとからいた双子にとっては、侵略されているようなものです。
ネリー・フォレスター(受け入れ先の奥さん)は、もともと、9歳のアンナ・ピアースだけを預かりたかったが、まあしょうがないかというようなようすで、ウィリアムとエドマンドもついでで預かった。
キャベツとナメクジ亭:パブ(飲み屋)
アンダーソン・シェルター:家庭用の防空壕(ぼうくうごう)。ドイツの飛行機が空襲に来たら隠れるところ。
村の公会堂:学童疎開に来たこどもたちを見て、地元の人がどの子を預かるか見に来た場所。
(日本の学童疎開だと、地元のお寺さんとか旅館で、いちどに全員を預かっていたと思います。集団生活、集団行動でした)
ヒュー:学童疎開できた児童。小さい男の子。エドマンドがチョコレートをあげた。
アルフィー:地元のこども。
フランシス:同じく地元のこども。
イギリスは、6月ぐらいから夏休みで、本来なら学校で勉強はないのですが、このときは、学校が開かれています。疎開に来た児童は、夏休み中ではありますが、午前中9時から12時まで地元の小学校で授業を受けます。
アンナ9歳は、自分が地元の人たちにとって、『負担扱い』されていることがおもしろくありませんでした。
フォレスター宅の建物がチューダー様式:建物のデザインなど。イギリス風のデザインの戸建て。
この物語のポイントは、両親がいないけれど、両親が残してくれた財産がたくさんあると、こどもたち三人の未来はどうなるかという点にあります。
財産を三人の幸せのために、じょうずに生かさなければなりません。亡くなったご両親の願いです。
他人の家に居候(いそうろう)するとき、心はブルーになります。若かったころ、自分も何度か体験があります。親戚の家だったり、知り合いの家だったりでした。
気を使います。たいてい、いやがられます。狭くてもいい。汚くてもいい。自分が好きにすごせる空間がほしい。
相手は、最初はウェルカム(ようこそ)という態度でも、だんだん、やっかい者扱いされます。
宿泊先の奥さんのネリーさんはいい人なのでしょうが、彼女の希望は、『かわいい女の子がほしかった』であり、アンナ9歳の兄のウィリアムとエドマンドは、しかたなしのおまけなのです。(話の設定として無理があります。現実には、このパターンはまずないでしょう)
戦争はひどい状況を生みます。戦争はしてはいけないのです。対立しても武力行使はせず、話し合いで解決を図るのです。
作者は、アメリカ合衆国の児童文学作家です。年配の人かと思ったら若い女性でした。意外です。物語の中身は、現在80代後半ぐらいから90代はじめの人たちが体験したことです。あわせて、場所はイギリスロンドンの郊外です。
居候先の家族とギクシャクしそうな不穏な雰囲気がただよっています。わざといじわるをするようにつくってある話なら、わたしは流し読みに入ります。つくったじめじめ話を読まされることは読み手にとっては苦痛です。不快な思いはしたくありません。
疎開野郎(そかいやろう):差別用語。双子のサイモンとジャック12歳が使う言葉。
お金の話です。
お金があるといいことのひとつに、優位な気持ちに立つことができるということがあります。
たとえば、クレーマーみたいな人にひどいことを言われても、心の中で、(ああ、自分はこの人よりもお金をもっているから、この人よりも自分のほうが幸せだ)と思うと、優越感が余裕になって、相手に対する怒りの気持ちが(いかりのきもちが)おさまるということはあります。
物語の中のこどもたち三人は、まだそういうことが理解できないことが残念です。
おそらく、こどもたち三人は、本を読むことでつらい境遇に耐えるのでしょう。
がっしりとした石造りの建物があった。
『図書館』と書いてある。
アンナは…… ここがあれば、なにがあってもだいじょうぶ、と思った。
ひとつの教室で、複数の学年の児童が勉強します。自習が多い。
9歳と10歳が教室の前のほうで先生の話を聞く。11歳と12歳は、そのうしろで自習です。
ヨーロッパは、はるか昔から、多くの災害や戦争に見舞われてきた。いっぽう日本は、第二次世界大戦のときに初めて戦闘機や爆撃機の空襲を受ける戦地になりました。
89ページまで読んで思い出した本があります。
『としょかんライオン ミシェル・ヌードセン・さく ケビン・ホークス・え 福本友美子・やく 岩崎書店』以下は、感想メモの一部です。
孤独なライオンはどこから来たのだろう。孤独なライオンはだれかのそばにいたかった。
ライオンは自分のために本読みをしてほしい。自分のために本をもっと読んでほしい。ライオンは人にかまってほしい。甘えたい。甘えるだけでなくて、だれかの役に立ちたい。
もう一冊あります。
『わたしのとくべつな場所 パトリシア・マキサック 新日本出版社』こちらも感想メモの一部です。
わたしのとくべつな場所がどこなのかが秘密としてスタートします。登場したのは、おそらく12歳の女の子、パトリシアです。彼女は、とくべつな場所に向かう途中、いくつかの人種差別を体験します。彼女は黒人です。差別するのは、アメリカ合衆国の白人です。
バスの中のパトリシアは怒っています。黒人席はこっちという案内サインに憤り(いきどおり)を感じているのです。
公園のベンチには白人専用という表示がありますが、じゃあ、黒人専用のベンチがあったかというとなかったでしょう。白人以外は人間ではなかったのです。絵本の時代設定は、1950年代、今から60年ぐらい前のアメリカ合衆国の社会です。
この本でパトリシアが行きたいとくべつな場所とは、『公共図書館』を指します。『だれでもじゆうにはいることができます』で結ばれています。
(つづく)
ミュラー夫人(ノラ):図書館の司書。栗色の髪、細かい花柄模様のワンピースを着て、もこもこした毛糸のカーディガンを羽織っている。読書をとおして、三人のきょうだいの心の支えになってくれる。
フローレンス:白髪(しらが)のおばあさん。
図書館には、<子どもの本>コーナーがあります。
寄宿学校:イギリスの全寮制の学校。公立と私立があって、男女共学。寮は男女別。初等教育(4歳または5歳から13歳)、中等教育(11歳または13歳から16歳)、そのあとは、16歳から18歳が対象となっている。
三人きょうだいの家では、こどもは、寄宿学校に通っていた。
乳幼児のときは、乳母(うば)がいた。
乳母とは別に、家政婦のコリンズさんがいた。
でも、両親はいなかった。家族は、きょうだい三人だけだった。
愛書家:あいしょか。書籍という物体を愛する者。読書家は、本の内容とか読書という行為が好きな者をいう。
本がたくさん出てきます。書き並べてみます。
『ブレインストーム教授大あわて』、『きいろの童話集』、『むらさきいろの童話集』、『しっかり者のスズの兵隊』、『火打ち箱』、『魔法の森』、イギリス人は魔法が好きなようです。『小公女』、『赤毛のアン』、なにかと孤児の話が多い。『砂の妖精』、たのしい川べ』、『はなのすきなうし』、『野生の呼び声』、『バスカビル家の犬』、『アンナ・カレーニナ』、『クリスマスのまえのばん』、『ホビットの冒険』、『アラビアンナイト』、『ビロードうさぎ』(最後まで読んで、373ページに、この物語に登場する本を列記してあるページがありました。わたしが読んだことがある本が何冊も含まれています)
ウィリアムとエドマンドは、ふたりにいじわるをする双子の兄弟サイモンとジャックともめて、彼らの部屋を出ます。ふたりは、アンナの部屋ですごすことにしました。三人きょうだいが同じ部屋です。三人で悩みます。お金があっても、行くところがないこども三人です。
双子の兄弟の母親であるネリー・フォレスターは、いい人ですが、きちんと自分のこどもが何をしているのかが見えていません。こどもに甘い親です。そして、双子はずるがしこい。
ラディッシュ:ダイコンのこと。
フランスがナチス・ドイツの手に落ちた。フランスの領土にドイツ軍がいる。
『小公女』に出てくるセーラーはお金持ち。こどもなりに判断したのは、ミンチン先生がセーラーに優しくするのは、セーラーがお金持ちだからに違いないそうです。
戦争対策として、家庭菜園を使って、野菜をつくる。食糧不足なので、自給自足をする。
聡明(そうめい):賢い(かしこい)ということ。
図書館にドイツ人が書いた本を置くことはけしかんことなのか。(グリム童話を書いたグリム兄弟はドイツの人)
1940年(昭和15年)7月、ドイツ軍がイギリス西部の町や、港を攻撃した。
イギリスのチャーチル首相はドイツ軍とまだまだ戦う気持ちが強い。けして、ナチス・ドイツには屈しない。(ウクライナの大統領を思い出しました)
映画館で、『ピノキオ』を観た。
映画のタイトルがいろいろ出てきます。『ランカシャーのラッシー(おとな向けのミュージカル・コメディ)』、『オズの魔法使い』、『白雪姫と七人のこびと』
153ページまで読んで、(全体は、372ページです)、ふと思ったのです。
この三きょうだいは、最終的には、図書館で司書をしているミュラー夫人が、三人きょうだいの後見人になってくれるのではないか。(予想が当たるかどうか、これから先を読むことが楽しみです)
コヴェントリー:イギリスにある都市の名称。航空機とか弾薬とかの工場がある。三きょうだいが学童疎開しているところから40キロの位置にある。のちのちドイツ軍から空襲される場所です。
夏休みが終わり、村のこどもたちが小学校に戻って来て、村のこどもたちと疎開で来ているこどもたちの間に溝が生まれています。
ふと思い出したのは、2011年(平成23年)の東日本大震災の時に、各地へ避難した東北のこどもたちが、避難先で苦労したことです。(原発の)放射能がうつるとか、ばいきん扱いするとか、賠償金をもらっただろうとか、国を問わず、人間の現実のありようとして、いじめがなくなりません。残念なことです。人をばかにしたり、いじめたりして、うれしがる人がいます。
1940年(昭和15年)9月7日、ロンドン大空襲。
戦争というのは、国民と国民が戦うのではなく、独裁者とそのグループの判断でするものだと理解できます。
国民は、権力闘争に巻き込まれるのです。独裁者に反対すると、拘束されたり、殺されたりするのです。
エリザベス王女(1940年当時のこととして本に記述があります):エリザベス二世。1926年(大正15年)-2022年(令和4年)96歳没。女王としての在位期間:1952年(昭和27年)-2022年(令和4年)70年間。
地元のこどもと疎開で来ているこどもが対立します。やられたらやりかえします。仕返しとか、復讐です。混乱します。
ミュラー夫人の家庭菜園講演会に人が集まりません。集まったのは、講師のミュラー夫人を入れてもたった6人です。
いばりんぼうの婦人奉仕団所属イヴリン・ノートンが月間に政府関係者を呼んで、盛大に家庭菜園の講演会を開くからだそうです。だから、人が集まらない。
いろいろあって、エドマンドが、双子きょうだいの罠(わな)にはまって、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されそうです。たいへんだ! フォレスターのおじさんもおばさんも、結局は自分たちのこどもであるいじわるな双子兄弟の味方です。ピーアス家の三きょうだいは、他人です。
ああ、三人きょうだいは、フォレスター家から追い出されてしまいました。
次に見つかった家は、かなり貧困そうです。
三人きょうだいのめんどうをみるともらえる手当目当てで、こどもを預かる女性宅です。夫は、戦争に行っています。
サリー・グリフィス:こどもが3人いる母親で主婦。住所は、リビングストーン横丁四番地。
ペニー:サリーの長女。ちょっと大きい子と書いてあります。5歳か6歳ぐらい。
ヘレン:サリーの次女。2歳か3歳。
ジェイン:サリーの三女。1歳ぐらいか。
ロバートジュニア:まだあかちゃん。サリーの長男。
三人きょうだいを預かると国からもらえる手当の金額。
1人目:10シリングと6ペンス。
2人目以降:8シリングと6ペンス。
3人分の配給(食べ物を支給してもらえる)
こども3人の昼食は学校給食で支給される。
生活習慣として、月曜日は洗濯、金曜日の夜はおふろ、おふろは週に一回しか入れない。トイレは屋外にあって汚い。虫がいそうです。
さあ、たいへんだ。(だけど、わたしがこどものころの日本のいなか暮らしもそんなものでした)
司書のミュラーさんにお世話になることはできないそうです。
なにか、事情があるようですが、まだその理由は明かされません。
婦人奉仕団代表のイヴリン・ノートン夫人が言います。『ノラ・ミュラーは、子どもを預かるのにふさわしくありません』
デヴォン:イギリス南西部の地域。
三人きょうだいの亡くなった両親の話がときおり出ます。
長男のウィリアムが、末っ子のアンに話してくれます。たぶんつくり話です。
18ページ:母さんが小さかったころ、友だちがローラースケートで走ってきて、母さんの足の小指にぶつかったんだって。それで、折れちゃったんだ。
106ページ:父さんはラディッシュ(ダイコン)がきらいだったんだ。
171ページ:母さんはこどものころ、タクシーの運転手になりたかったんだ。
190ページ:結婚したとき、父さんと母さんは、それぞれのタオルに刺繍(ししゅう)で名前をいれてたんだ。
ウォーレン先生のご主人が北アフリカで亡くなってしまいました。たぶん戦死でしょう。ウォーレン先生はしばらく学校には来ることができないそうです。優しい先生がいなくなって、厳しい先生が残ってしまいました。カー先生のことです。
三きょうだいは、お金持ちの家のこどもだったので、こどもたちだけで買い物をしたことがありません。ロンドンの家にいたときは、お手伝いのコリンズさんがそばにいてくれていました。残念ですが、三きょうだいには、生活能力に欠けた部分があります。
以前お世話になっていた肉屋のフォレスター家に買いものに行って、父親が、自分の息子たちが三きょうだいにひどいしうちをしたことを知っていて、三きょうだいを家から追い出したことがわかりました。失望するアンナたちです。それが、人間界の現実なのです。寛容になって、心に折り合いをつけるしかありません。しかたがないのです。
三きょうだいはみじめですが、将来のためにしておくべき経験です。三人はお金持ちの家に生まれて、これまで甘やかされていたのです。
入浴の話が出ます。
わたしは、外国人は、日本人のように浴槽につかることはないと思いこんでいました。
外国人はたいていシャワーだけの利用です。
でも、この本には、浴槽に入浴すると書いてあるので意外でした。
あたたかいお湯にゆったりつかれるお風呂ならいいけど…… と書いてあります。
お手伝いだったケジア・コリンズさんは、リウマチだそうです。リウマチ:関節の炎症で、関節の機能が失われる。放置しておくと関節が変形してしまう。
この時代の人たちは苦労されています。
アルフィー:すでにお話に登場している地元のこども。男児。
アーネスト:疎開に来ている男児。アルフィー宅で世話になっている。
土曜日です。
アンナは、グリフィスおばさんが買い物に出ている間に、三人のちびっこのめんどうをみます。
ウィリアムとエドマンドは、集落であるネズミの駆除に参加します。やっつけたネズミの数だけお金をもらっておばさんに渡します。でもふたりとも、気が優しいというか、気が弱いというかで、苦戦します。ちょっと、男としては情けない。お金持ちのおぼっちゃんだからなのか、考えが甘い。ネズミは害獣(がいじゅう)です。ディズニーのミッキーマウスとは違います。もっと強くなれ! もっと強い気持ちをもて! くそっ、負けてたまるか思え! と応援したくなりました。
わたしも小学生だったこどものころ、海が近い福岡県の炭鉱住宅で、集落のネズミ退治に参加したことがあります。おとなたちが木造家屋の床下に罠(わな)をかけて捕まえて、麻袋にたくさんのネズミを入れて、こどもの集団でネズミの息の根を止めました。う~む。あまりそういうことは、ここには書かないほうがいいな……
似たようなことが、こちらの本に書いてあります。
物語の中で、ネズミ狩りを指導してくれるのはおじいさんたちです。戦争に行かなくていい年齢の人たちが集落に残っています。
つらい体験をして、ウィリアムとエドマンドは成長しました。
とくに、エドマンドは、『ありがとう』が言える人間になりました。
『ありがとう』が言えない人間はダメ人間です。
両親を亡くした三人の疎開児童たちは、母(というもの)を知らない。父(というものも)知らない。図書館司書のミュラーさんが、母親代わりになっています。
この本を読み始めて10日ぐらいが経過します。
自分の頭の中で、ふだんから、主人公のウィリアムとエドマンドとアンナが動いています。本当に生きているみたいに動いています。読書の心地よさがあります。
本の中では、疎開を始めてから半年がたち、12月、ヨーロッパイギリスは冬を迎えています。
寒い。1940年(昭和15年)です。終戦は、1945年(昭和20年)ですから、終戦まではまだ遠い。
アンナ9歳が、グリフィス家にいる4人のちびっこたちのお母さんみたいです。アンナは、ちびっこたちに本の読み聞かせをしています。
降誕劇(こうたんげき):イエス・キリストの誕生を祝う劇。
エドマンドが、星の役を演じます。
ウィリアムは、フランシスに好かれているので、フランシスがウィリアムとヨセフとマリアの夫婦役をやりたいとささやかれますが、どうもウィリアムは、フランシスがお好みではないようです。だんだん女の子は、色気(いろけ。異性を意識した言動)づいてきましたな。
長頭(ちょうとう):『バスカビル家の犬』に出てくる言葉。人間の風貌(ふうぼう。身なり、顔かたち)として、長頭蓋(ちょうとうがい)。頭の形。頭の前後が長い形をしている。
シラミ:小さな虫。かゆくなる。
婦人奉仕団による服の交換会でもらったコートにシラミがいたようです。アンナの髪の毛にシラミがわきました。
図書館司書のミュラーさんが、薬を提供してくれました。
ミュラーさんの事情がミュラーさんから語られます。
ミュラーさんのだんなさんは、敵国であるドイツ人だそうです。だから、近隣の人たちからミュラーさんは、よく思われていないそうです。
ふたりは、イギリスノーザンプロンにある本屋で知り合って結婚したそうです。
ドイツで独裁者が誕生して、軍事化がすすんで、だんなさんは、ドイツにいる両親と妹のことが心配で、ドイツの実家へようすを見に行って、以降行方不明になってしまったそうです。だんなさんがいなくなってから、もうじき3年たつそうです。だんなさんは、ナチス党の人間ではなさそうです。
人生、いろいろあります。
エドマンドが言います。ぼくらは、疎開児童で、地元の人間から嫌われる。
司書のミュラーさんは、夫がドイツ人だから、地元の人間から嫌われている。
おんなじだ。
読んでいて思ったことです。
シーンとはぴったりきませんが、むかしのことにしばられて今を生きる必要はないのではないか。今は、今なのだから。
いろいろトラブルがあって、三きょうだいは、グリフィス家を追い出されるように出て行きました。
悲惨です。
いくところがありません。今夜泊るところがありません。
しかたなく、教会へ行くのです。
不吉な物語を思い出しました。パトラッシュという犬が出てくる児童文学、動画アニメでした。犬と少年が最後に死んでしまうのです。
三きょうだいに助け舟を出してくれたのはやはり、図書館司書のノラ・ミュラー夫人でした。
雪が降り、クリスマスイブなのに、すったもんだがあります。
おなかいっぱい食べ物を食べたい。
サンタクロースにプレゼントをもらいたい。
三きょうだいとグリフィス夫人の間でトラブルのもとになる本、『はなのすきなうし』は読んだことがあります。『はなのすきなうし おはなし/マンロー・リーフ え/ロバート・ローソン やく/光吉夏弥(みつよし・なつや) 岩波書店』、闘牛なのに、闘志がなく、心優しい闘牛用の牛の話でした。お母さん牛がその牛を守ってくれます。
途中、三きょうだいは、図書館で暮らすことを考えます。(無理でした)
そんな本が二冊ありました。
村上春樹氏の「海辺のカフカ 新潮文庫上・下」では、カフカくんが、四国の図書館で寝泊まりの暮らしをします。もうひとり、ナカタさんという人が、東のほうからカフカくんの図書館を目指す内容だったと思います。わたしには好みの設定でした。
もう一冊が、『図書室で暮らしたい 辻村深月(つじむら・みずき) 講談社』で、エッセイ集でした。
クリスマスイブに住む場所をなくした三きょうだいです。
ミュラー夫人の夫がドイツ人、もしかしたら、夫は、ナチス・ドイツの党の味方で、連合国軍の敵ではないか。
ミュラー夫人自身はイギリス人で、ドイツ人ではないし、ナチスの人間でもないのに、夫婦は一体に見られます。犯罪加害者の親族が冷たい目で見られるのに似ています。自分がやったわけでもないのに、犯罪をおかした親族と同類のように見られます。それが人間世界の現実です。
読んでいて不思議なのが、宗教です。
戦時中で、都市部では空襲があるのに、疎開地のいなかでは、クリスマスイブでイエスキリストの生誕を祝います。
宗教の異様さがあります。クリスマス休戦という言葉がありますが、平和を望むのなら、クリスマスだけではなく、いつだって殺し合いをする戦争はやめるのではないかと思うのです。
なにか、考え方の基本がおかしい。
だれも知らないようで、だれもが知っています。
三きょうだいが、預けられた先で、差別のような扱いを受けていたことを、ご近所さんたちは知っていても、知らぬふりをしているのです。
世の中には、ひどいことをする人もいますが、優しい人もいます。
親子で会話がない家が多い。
家族内での話し言葉は、親から子への命令とか、指示だけになっている。
気持ちのこもった言葉でのキャッチボールが親子の間でないから、こどもの心がすさみます。
親の役割はただひとつ、こどもに食べさせることです。
小説そして映画になった、『東京タワー -オカンとボクと、時々、オトン- リリー・フランキー 新潮文庫』では、母親役の樹木希林さん(きききりんさん)が、息子のことをいつも気にかけています。実家は九州福岡で、息子は東京へひとりで出て行くわけですが、いつも息子に、『ちゃんと食べてるか?』とたずねます。息子が、『食べてるよ』と返事をすると、母親は安心するのです。母親にとってのこどもに対する役割はただ一点なのです。食べさせることだけなのです。
ミュラー夫人と三きょうだいの食事風景があります。
幸福があります。
マーティン:ミュラー夫人の行方不明になっている夫の名前。
外国は寝るときはベッドなので、日本のように和室でふとんで固まってというようなスキンシップがしにくいやり方です。
こどもは寝る前に、おとなに本を読んでほしい。
本の中身というよりも、そういう時間帯が、こどもは好きです。
クリスマスの朝は、ひとりだけでは迎えたくない。
ミュラー夫人の家には本がたくさんあります。
本のプレゼントがあります。紙の本です。いまどきの電子書籍だと渡しにくい。
ラジオ放送があります。まだ、このころ、テレビは普及していなかったのではないか。
新年が近づいています。
以前の家に置いてきた三きょうだいの荷物を取りに行かねばなりませんが、グリフィス夫人とけんか別れしたので三きょうだいは、グリフィス夫人宅へ行きにくいのです。
ミュラー夫人がひとりで行ってくれることになりました。ありがたい。
ミュラー夫人は優しい。長男に声をかけてくれました。『……特にあなたの場合、がんばりすぎたと思うの…… もうがんばらなくていいいから』
ときおり出てくる言葉が、『比喩(ひゆ)』です。
-あることを、別の言葉でたとえること-
ラバ:オスのロバとメスの馬の交配種。北米、アジア、メキシコに多い。
セントポール大聖堂:ロンドンにある。
涙なくしては読めない316ページです。
長男ウィリアムと、次男エドマンドの会話です。
長男が9歳の長女をかばって、両親についてのつくり話をしていることを次男が長男に指摘します。
母親の話として、ひとつだけ本当の話があります。この本の原題に関するものです。
『A PLACE to HANG the MOON』と書いてあります。それが、この本の原題ではなかろうか。
直訳すると、『月を吊るすための場所』です。
母親が、三きょうだいは、夜空に輝く、『月』みたいだと言っていたそうです。
でももう、母親はこの世にいません。
次男のエドマンドが言います。『…… ぼくらのこと、お月さまみたいだって思ってくれる人に、お母さんになってもらうんだ』
そして、『…… これまで、いろいろとありがとう。兄さん』
(考え方、感じ方として、三きょうだいだから月が3つあるのではなく、三きょうだいを一体のものとしてとらえて、ひとつの大きな月を思い浮かべたほうがいい)
(以前疎開に来た時にエドマンドがチョコレートをあげた)ヒューからエドマンドにチョコレートのお返しがあります。
バチがあたります。(悪いことをすると、悪いことをした人に、神さまや仏さまが罰(ばつ)を与えること)
人をいじめた人間にはバチがあたります。
わたしは長いこと生きてきて、バチが当たった人を何人か見たことがあります。うまくいかないことが起きます。
『……竜がそばにいる以上、竜に気を配るしかないってね?』(ホビットの冒険から)
ベティ・バクスター:元教師。園芸好き。ノラ・ミュラー夫人の協力者。
ノラ・ミュラー夫人のドイツ人夫マーティン・ミュラー氏が亡くなっていたことが判明します。
ドイツベルリンで8月に空襲があったそうで、空襲のときに亡くなったそうです。
1940年(昭和15年)8月にドイツのベルリンで空襲があった。
調べたら、8月24日にドイツ軍がイギリスロンドンを爆撃して、8月26日にイギリス軍がベルリンを報復爆撃しています。仕返しです。イギリス人妻ノラ・ミュラー夫人とドイツ人夫マーティン・ミュラー氏のつながりを考えると複雑な気持ちになります。
やられたらやりかえす。人類が大昔からやっていることです。これから先もなくなることはないのでしょう。そして最後に核戦争になって、人類は滅ぶというのは映画や小説のテーマになる素材です。
三きょうだいにとっての今の目標は、自分たちを養育してくれる親探しです。
両親から受け継いだ相続財産というお金はあっても、親がいません。
『…… ぼくらのことを、お月さまみたいだって思ってくれる人が、お母さんになる人なんだ』
363ページに答えがあります。ノラ・ミュラー夫人の言葉、『わたしにはあの子たちが、暗闇をてらしてくれるお月さまみたいに思えるのよ』
ウィリアムは誕生日(1月11日)を迎えて13歳になりました。(人生は、まだまだはるかに長い)
誕生日祝いに自転車のプレゼントがあります。
こどもたちが思う自分たちの母親になってほしいノラ・ミュラー夫人は、三きょうだいが、親なし子であることを知りません。
ノラ・ミュラー夫人は、空襲がおさまって、戦争が終わるころに、三きょうだいは、ロンドンにいる親の元へ帰るものだと思いこんでいます。
『勝利のための菜園運動』(食糧不足の戦時中のこととして、食料を自給自足で確保するために庭や公園を畑にする運動)日本と似ています。日本でも空いた(あいた)土地を畑にして野菜や穀物をつくっていました。
『ミュラーさんとエドマンドは、それぞれやるべきことにもくもくと取り組んだ……』
ホビットの冒険に出てくる竜のような人物→ジュディス・カー先生。おこりんぼさん。本では、こわい年寄り魔女と表現があります。
ドイツ人の夫がイギリス空軍によるドイツベルリンの空襲で死んだから、イギリス人であるノラ・ミュラー夫人に対するまわりのイギリス人たちの気持ちがノラ・ミュラー夫人を許す方向へ気持ちが変化したという皮肉があります。ひにく:遠回しに、敵国ドイツを嫌い、自国イギリスを愛す。
野菜を育てて食べる。農業を賛美するメッセージがあります。
『疎開児童たちの勝利のための菜園』
『…… ぼくは、きたない疎開野郎さ!』
お金はある。でも、親はいない。
親になってくれる人が見つかった。
こどもは、いつまでもこどもでいるわけではありません。
あと、10年もたてば、三人とも自立・自活をしていく年齢になります。
そのときは親代わりになってくれたノラ・ミュラー夫人に感謝してほしい。
ありがとうが言える人であってほしい。
最後まで読んで思い出した本が二冊あります。
『おいしいごはんが食べられますように 高瀬準子(たかせ・じゅんこ) 講談社』
『宙ごはん(そらごはん) 町田そのこ 小学館』
おいしいごはんを食べながら、なんだかんだと会話をすることが、人間であることの楽しみなのです。
読み始めて終わるまで2週間ぐらいかかりましたが、読みごたえのあるいい本でした。
2024年06月26日
シュシュシュの娘 邦画 2021年
シュシュシュの娘 邦画 2021年(令和3年) 1時間27分 動画配信サービス
観始めてからしばらくは、(? ハテナ)の連続です。
わけがわかりません。
そのうち、だんだんわかるようになります。
なかなかおもしろかった。
つくりも、現代劇→時代劇→西部劇のような流れがあり、独特で、それはそれで勢いと迫力があって良かった。
タイトルがまず?です。
(最終的に、わたしは、忍者が投げる手裏剣(しゅりけん)が飛ぶ音、『シュシュシュ』だろうと意味付けしました。わたしがこどものころ観たどれかの忍者ドラマかマンガに、『手裏剣シュシュシュ……』、という歌詞があった記憶です。(調べたら、『仮面の忍者 赤影 主題歌 忍者マーチ』でした。何十年ぶりかで動画配信サービスで忍者マーチを聴きました。なつかしい)
こちらの映画の主人公である娘さんが忍者の血筋なのです。
鴉丸未宇(からすま・みう):25歳女性未婚。福谷市役所職員。介護が必要な祖父吾郎とふたり暮らしです。ヤングケアラーみたいです。彼女本人は、ダンス好きのようです。毎朝、ラジオ体操のようなダンスを踊ります。
お昼のお弁当に、朝、あっためたあとの竹輪(ちくわ)数本を入れて食べることが好き。(この竹輪が? でしたが、その後の経過で、忍者が使用する吹き矢と竹輪を重ねてあることがわかりました)
防犯カメラの白黒映像:市役所における公文書改ざん指示シーンが録画されています。見ていて、以前、国会で問題になった公文書の改ざんを命じられて自殺した公務員の事件をモチーフ(着想ちゃくそう。思いつき、アイデア)にしていることがわかりました。現実の関係者は、もう表舞台からはいなくなりました。いろいろありました。
移民排除条例(工場で働く外国人を追い出すための条例):福谷市議会で成立します。ちょっと考えられません。人種差別です。条例として成立するわけがありません。平等を根っことした日本国憲法に違反します。この条例のことで、市役所全体と市役所職員である主人公の祖父が対立します。祖父には、関東大震災のときのデマ(いいかげんな話、わざとあおるためにウソを流す)で多くの朝鮮人が殺傷された記憶があります。
山と川と橋と畑が広がるいなかの風景です。
『秘密を墓場までもっていく(わけありの秘密は絶対に口外しない)』→むかしは、そういうこととよく言いましたが、最近は、ベラベラしゃべる人が増えてきました。
映画は復讐劇です。無念を晴らします。むねん:くやくしてたまらない気持ち。
タイトルのシュシュシュについて、最初は手裏剣ではなく、ミシンで布を縫う音かと思いました。主人公女子は、黒い生地(きじ)を買ってきて、ミシンを使って、忍者の衣装をつくりました。そのときのミシンの針の音が、シュシュシュでした。
奇妙な話です。
原作はマンガかと思いましたが違っていました。オリジナルの脚本でした。
吹き矢の練習があります。
わたしは、吹き矢で大きな動物を眠らせるシーンをじっさいに見たことがあります。
吹き矢ごときで、と思っていたのですが、すばらしい技術で、効果がありました。すごい。吹き矢はあなどれません。あなどる:ばかにする。みくびる。
暴力が起きます。手を出したほうが負けです。両方が手を出すと、ややこしくなります。
行政がもつ権力が表現してあります。
強烈な権力者は、強大な力をもっています。
事実をゆがめるし、あったことをなかったことにもできます
おそろしいことです。
役所の権利濫用(らんよう)があります。らんよう:むやみやたらに使う。
主演女優さんは(福田沙紀さん)、コミカルなときもあります。コミカル:こっけい、喜劇みたい。
正義の味方が、『忍者』です。
国も県も、公文書の改ざんをやっている。だから、市もやっていいのよという自己肯定の雰囲気があります。
国も県も市も、表向きは国民や県民や市民にいい顔をして、裏では悪いことをわからないようにやっているという主張があります。関係者だけがいい思いをするのです。
いまどき、『非国民(ひこくみん)』という言葉が出ます。
関東大震災の朝鮮人虐殺では、警察も加担した。かたん:力添えをして仲間になった。
たくさん咲いている深紅(しんく)のヒガンバナが死を意味します。
今の市長になってからひどいもんです。(市長を表に出す人間たちがいます)
観ていて、島国JAPAN(ジャパン)だと思う。排他的です。
外国人観光客の迷惑行為があります。
円安だから、安い日本をめざして、それほど所得が多くもない外国人が日本へ旅行に来て、地元の人間の日常生活空間に入ってきて、地元に迷惑をかけて、知らん顔で帰国していきます。
解決のひとつが、円高になることです。(銀行株を保有しているので円高が)待ち遠しい。日銀はこの円安を、いつまで放置しておくのだろう。そんなことがこの映画を観ていて頭をよぎりました。
ダンス、拳法(けんぽう)、野草から薬をつくる。
忍者になる!!
口がうまい人間が出世する。
まわりの人間たちが、口がうまいその人間を、自分の利益のために利用する。
忍者がかれらを成敗する。せいばい:悪をやっつける。
勧善懲悪の映画でした。(かんぜんちょうあく:悪人をやっつける)
胸がすく時代劇みたい。
『ざまあみろ』なのかなあ。
暴力による解決です。合法的な手段ではありません。
真の悪党は、表には出ない。
なんともはや、奇想天外です。きそうてんがい:予想もつかない展開。
破壊で終わりました。
西部劇みたい。
観始めてからしばらくは、(? ハテナ)の連続です。
わけがわかりません。
そのうち、だんだんわかるようになります。
なかなかおもしろかった。
つくりも、現代劇→時代劇→西部劇のような流れがあり、独特で、それはそれで勢いと迫力があって良かった。
タイトルがまず?です。
(最終的に、わたしは、忍者が投げる手裏剣(しゅりけん)が飛ぶ音、『シュシュシュ』だろうと意味付けしました。わたしがこどものころ観たどれかの忍者ドラマかマンガに、『手裏剣シュシュシュ……』、という歌詞があった記憶です。(調べたら、『仮面の忍者 赤影 主題歌 忍者マーチ』でした。何十年ぶりかで動画配信サービスで忍者マーチを聴きました。なつかしい)
こちらの映画の主人公である娘さんが忍者の血筋なのです。
鴉丸未宇(からすま・みう):25歳女性未婚。福谷市役所職員。介護が必要な祖父吾郎とふたり暮らしです。ヤングケアラーみたいです。彼女本人は、ダンス好きのようです。毎朝、ラジオ体操のようなダンスを踊ります。
お昼のお弁当に、朝、あっためたあとの竹輪(ちくわ)数本を入れて食べることが好き。(この竹輪が? でしたが、その後の経過で、忍者が使用する吹き矢と竹輪を重ねてあることがわかりました)
防犯カメラの白黒映像:市役所における公文書改ざん指示シーンが録画されています。見ていて、以前、国会で問題になった公文書の改ざんを命じられて自殺した公務員の事件をモチーフ(着想ちゃくそう。思いつき、アイデア)にしていることがわかりました。現実の関係者は、もう表舞台からはいなくなりました。いろいろありました。
移民排除条例(工場で働く外国人を追い出すための条例):福谷市議会で成立します。ちょっと考えられません。人種差別です。条例として成立するわけがありません。平等を根っことした日本国憲法に違反します。この条例のことで、市役所全体と市役所職員である主人公の祖父が対立します。祖父には、関東大震災のときのデマ(いいかげんな話、わざとあおるためにウソを流す)で多くの朝鮮人が殺傷された記憶があります。
山と川と橋と畑が広がるいなかの風景です。
『秘密を墓場までもっていく(わけありの秘密は絶対に口外しない)』→むかしは、そういうこととよく言いましたが、最近は、ベラベラしゃべる人が増えてきました。
映画は復讐劇です。無念を晴らします。むねん:くやくしてたまらない気持ち。
タイトルのシュシュシュについて、最初は手裏剣ではなく、ミシンで布を縫う音かと思いました。主人公女子は、黒い生地(きじ)を買ってきて、ミシンを使って、忍者の衣装をつくりました。そのときのミシンの針の音が、シュシュシュでした。
奇妙な話です。
原作はマンガかと思いましたが違っていました。オリジナルの脚本でした。
吹き矢の練習があります。
わたしは、吹き矢で大きな動物を眠らせるシーンをじっさいに見たことがあります。
吹き矢ごときで、と思っていたのですが、すばらしい技術で、効果がありました。すごい。吹き矢はあなどれません。あなどる:ばかにする。みくびる。
暴力が起きます。手を出したほうが負けです。両方が手を出すと、ややこしくなります。
行政がもつ権力が表現してあります。
強烈な権力者は、強大な力をもっています。
事実をゆがめるし、あったことをなかったことにもできます
おそろしいことです。
役所の権利濫用(らんよう)があります。らんよう:むやみやたらに使う。
主演女優さんは(福田沙紀さん)、コミカルなときもあります。コミカル:こっけい、喜劇みたい。
正義の味方が、『忍者』です。
国も県も、公文書の改ざんをやっている。だから、市もやっていいのよという自己肯定の雰囲気があります。
国も県も市も、表向きは国民や県民や市民にいい顔をして、裏では悪いことをわからないようにやっているという主張があります。関係者だけがいい思いをするのです。
いまどき、『非国民(ひこくみん)』という言葉が出ます。
関東大震災の朝鮮人虐殺では、警察も加担した。かたん:力添えをして仲間になった。
たくさん咲いている深紅(しんく)のヒガンバナが死を意味します。
今の市長になってからひどいもんです。(市長を表に出す人間たちがいます)
観ていて、島国JAPAN(ジャパン)だと思う。排他的です。
外国人観光客の迷惑行為があります。
円安だから、安い日本をめざして、それほど所得が多くもない外国人が日本へ旅行に来て、地元の人間の日常生活空間に入ってきて、地元に迷惑をかけて、知らん顔で帰国していきます。
解決のひとつが、円高になることです。(銀行株を保有しているので円高が)待ち遠しい。日銀はこの円安を、いつまで放置しておくのだろう。そんなことがこの映画を観ていて頭をよぎりました。
ダンス、拳法(けんぽう)、野草から薬をつくる。
忍者になる!!
口がうまい人間が出世する。
まわりの人間たちが、口がうまいその人間を、自分の利益のために利用する。
忍者がかれらを成敗する。せいばい:悪をやっつける。
勧善懲悪の映画でした。(かんぜんちょうあく:悪人をやっつける)
胸がすく時代劇みたい。
『ざまあみろ』なのかなあ。
暴力による解決です。合法的な手段ではありません。
真の悪党は、表には出ない。
なんともはや、奇想天外です。きそうてんがい:予想もつかない展開。
破壊で終わりました。
西部劇みたい。
2024年06月24日
じゅげむの夏 最上一平
じゅげむの夏 最上一平(もがみ・いっぺい) マメイケダ・絵 佼成出版社
小学4年生のメンバーです。小学校の夏休み前の時期で、場所は天神集落です。雨傘川(あまがさがわ)が流れています。川には、天神橋がかかっています。天神橋を右に回ると、筋ジストロフィーという病気にかかっているかっちゃんの家があります。
4人の少年たちが、ひと夏の冒険をします。
アキラ:誠蔵の孫の明。『ぼく』という一人称で、この物語を引っ張っていきます。ぼくのひとり語りのお話です。
山ちゃん:喜一郎の孫の大輔(だいすけ)。両すねに、けがをしたあとにできた血のかさぶたがあります。用水路をとびこそうとして失敗して、けがをしたのです。
かっちゃん:筋ジストロフィーという病気です。筋肉が動かなくなってやがて動けなくなる病気です。保育園だった時はふつうだった。
今は、ひっくりかえりそうになるぐらい体を左右にふって歩く。松葉づえや車いすを使うこともある。かっちゃんの家の部屋が、4人の少年のたまり場になっている。かっちゃんは、将来、落語家になりたい。落語の演目(えんもく)である、『じゅげむ』の練習をしている。
シューちゃん:政彦の孫の修一。どこでも寝っ転がる(ころがる)。きたないスニーカーをはいている。スニーカーの側面にシューちゃんがペンで、ナイキのマークを書いている。ニセナイキのスニーカーである。
熊吉つぁん:本当の名前は千吉という、へんくつじいさん。じいさんはひよこを飼い始めた。ひよこをニワトリにして卵をとる。卵を産まなくなったら、殺して食べる。
熊吉つぁんは、40歳のときに、熊とばったり会って、柔道の一本背負いで、熊を投げた。熊は逃げ出した。それから、集落の人たちに熊吉と呼ばれるようになったそうです。
周囲からへんくつ者といわれているが、それは誤解で、人付き合いがにがてなだけだそうです。
熊吉つぁんが、熊とたたかったときのことが書いてあります。熊吉つぁんは、無我夢中だったそうです。
参考までにわたしが、以前読んだ本を紹介します。
『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』、感想メモの一部です。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
さきほども書きましたが、ベルトを振り回すのは有効です。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようです。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのことです。
話を戻します。こちらの本のもくじを見ると、章がみっつあります。
少ない章の数だと思いました。
1 『ひよことパインサイダー』を読み終えて、ああ、短編3本のつくりかと理解しました。
2 『じゅげむの夏』
3 『おばけのトチノキ』です。
『1 ひよことパインサイダー』
4年生の夏休みです。
わたしが小学4年生の時は、夏休み中に引っ越しと転校を体験しました。
そんな夏があったことを思い出しました。
物語の中の4人の少年の冒険先は、熊吉つぁんの家へ行くところです。
ドウダンツツジ:落葉低木。庭木や公園にある。
ひよこを飼う話が出ます。
熊吉つぁんが、ひよこを成長させて、ニワトリにして、卵とか鶏肉(とりにく)を食べるために買うのです。
ここで思い出した一冊があります。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』 以下、感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
また、話はこちらの本に戻ります。
少年たちも熊吉つぁんも心がやさしい。
38ページの熊吉つぁんの顔はこわいけれど、勝手に人の家に忍び込んだら、だれでもおこります。
『おめえはどこのだんじゃ?』→『おまえたちは、どこのだれだ?』
熊吉つぁんの家は、山で湧く清水(しみず)を利用しています。
半世紀ぐらい前、わたしがこどものころも、いなかでは、水道設備がまだ十分ではなく、井戸や山の湧き水を利用していました。つるべ式の井戸や、手押しポンプ式の井戸がありました。
熊吉つぁんは、4人の少年たちに、楽しく遊べと声をかけてくれました。熊吉つぁんは、心がやさしい。井戸で冷えたパインサイダーをこどもたちにごちそうしてくれました。
『2 じゅげむの夏』
7月31日。自転車に乗っての冒険・探検です。
浮き輪持参です。川で泳ぎます。川の水はきれいで、鮎(あゆ)もいます。
ときおり筋ジストロフィー症の落語家志望かっちゃんが、落語話(らくごばなし)じゅげむの長ったらしい名前をとなえます。
『じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、すいぎょまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やうらこうじのぶらこうじ、パイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーの、ポンポコナーの、ちょうきゅうめいの、ちょうすけ』(自分がこどものころに、本で、この話を読んだことを思い出しました)
小学3年生とか4年生、この年頃のこどもたちは、ギャグのような文章を言っておもしろがります。
うちの小学生の孫たちがときおりくりかえして言っている言葉があるので、ここに落としてみます。
『ごめんごめん いったんごめん』、それから、『ゴーケツ、ゴーケツ、カンゼンムケツのダイシュウケツ』(わたしには、意味はわかりません。マンガが関係しているようです)
こどもは遊ぶのが仕事です。遊びながら、社会を学びます。
さし絵がおもしろい。なんまいかありますが、どれも雰囲気があって楽しめます。
小学生のときの思い出がいっぱいです。
天神橋からの飛込み:岐阜県郡上八幡市での吉田川への飛込みを思い浮かべます。夏の風物詩です。
筋ジストロフィー症のかっちゃんも川に飛び込みたい。
本人はやる気です。
出川哲朗さんの、『ヤバイよ、ヤバイよ』が出ます。
飛んだーーー
70・71ページ、見開き2ページに、かっちゃんのジャンプシーンの絵があります。
ダイナミックです。
ドボーン!
大成功でした。安堵(あんど。安心)しました。
かっちゃん『いいなあ。今年の夏はいいなあ』
ふつう、小学四年生だったら、そこから先の人生は長い。
だけど、筋ジストロフィー症のかっちゃんは、そうではないかもしれない。
1リットルの涙という本を思い出しました。動けていたのに、だんだん動けなくなってしまうのです。
『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』、感想メモの一部です。
体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.(ドクター。医師)に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。(日記を書いていたご本人は、脊髄小脳変性症という病気で、25歳で亡くなっています)
『おばけトチノキ』
こちらも一冊思い出す本があります。
『怪物はささやく パトリック・ネス あすなろ書房』、感想メモの一部です。
主人公コナー・オマリーは書中で13才とありますが、読んでいる本の途中では小学校5年生ぐらいの男子です。
コナーの両親は6年前に離婚しています。そして今、同居している母親は末期癌で死につつあります。コナーとおかあさん、そしてかれらと別居のおばあさんはイギリスで生活しています。コナーは学校でいじめに遭っています。
コナーの心理状態は精神病の症状のようです。幻覚が見えます。幻聴も聞こえます。家の外にある「イチイの木」がしゃべったり歩いたりするのです。そして、イチイの木は怪物です。イチイの木がどんな木か知らなかったので調べてみました。別名「アララギ」、なんだか聞いたことがあります。常緑針葉樹、高さ20mぐらい。コナーは常に恐怖感を抱いている。(この小説はその後、映画化されています)
さて、こちらは明るい少年4人組です。
いかずち山のトチノキ=おばけトチノキ。いかずち山の棚田の上にある。
むかし、トチノキが村を救ったそうです。冷害があったときに、トチの実が村人の食料になったそうです。トチの実は、見た目が栗に似ています。
話ははずれますが、シューちゃんはたいていドラえもんのコミック本をねっころがって読んでいます。
うちもドラえもんのコミック本全巻を手に入れて、孫たちが楽しみに読んでいます。
ドラえもんの未来の道具は多種多様で驚かされます。
作者の藤子・F・不二雄さん(藤本弘さん)はたいしたものです。
屁八十のばっちゃん(へはちじゅうのばっちゃん):いまどきは、おならのことを屁(へ)とは言わなくなりました。昔はよく、へをこいたとか、へをしたとか言ったり聞いたりしましたが、屁という言葉をいまではほとんど聞かなくなりました。上品な社会になったのでしょう。
『生栗ひとつ、屁八十』と、シューちゃんのひいばあさんがこどもたちに教えたそうです。
『バカウケ』という言葉も出てきました。思い出すに、欽ちゃん(きんちゃん)こと萩本欽一さんが、欽ドン(欽ちゃんのドンといってみよう)というラジオ番組で、視聴者からのコントが書いてあるハガキを読み上げて、評価としての、『バカウケ、ヤヤウケ、ドッチらけ』、という格付けからきている言葉なのでしょう。
昭和40年代ぐらいのころのことでした。
『ドロドロドロは、ゆうれいだよ』
(最近は、幽霊が、ドロドロドロと出てくるという表現もしなくなりました)
おばけトチノキは、樹齢が千年。
今年2024年の1000年前は、1024年です。
NHK大河ドラマ、『光る君へ』みたいですが、清少納言の枕草子ができたのが1001年、紫式部の源氏物語ができたのが1007年ですから、おばけトチノキが芽を出した時代は平安時代ですな。ドラマに出てくる柄本佑(えもと・たすく)さんの藤原道長の寿命が、966年~1028年でした。
棚田のというのは、一般的に、景観が美しい風景の観光地というイメージがあるのですが、わたしはそうは感じません。昔の人たちの、『貧困』の象徴だと思っています。
土地がなかったから棚田形式で田んぼをつくって稲を育てて米を手に入れた。
棚田の上にまいた肥料は、雨風の自然現象で棚田の下に流れるから、下のたんぼのほうがいい米がとれた。下の者は裕福で、上のものはそうではなく、上の土地の耕作のほうが、下の土地の耕作よりもつらかった。そんな文章を読んだことがあります。『飢餓海峡(きがかいきょう) 上下巻 水上勉(みずかみつとむ) 新潮文庫』だったという記憶です。
棚田の上まで行くのに、筋ジストロフィーのかっちゃんは、体が不自由です。車いすで行くのは無理そうです。
ドラえもんのどこでもドアがあればいいのにねとシューちゃんが言います。
発想として、『ねこ』が登場します。建築工事現場などで使う一輪車のことを、『ねこ』といいます。なぜねこというのかは、わたしにはわかりませんが、わたしは高校生の頃、学校の長期休み中に、建築現場で肉体労働をしていました。その時の作業で使っていました。おもに生コンクリート(なまコンクリート)を入れて運んでいました。
その『ねこ』に筋ジストロフィーのかっちゃんをのせて、山の上まで、ほかの三人で運んで行くのです。いいアイデアです。
小学4年生というのは、体はまだ大きくもありません。いろいろなつかしい思い出がいつまでも残る年齢です。とくに男子にとっては、冒険心が燃え上がる年齢です。がんばれーー
バケット:三輪車である『ねこ』の物を入れる容器部分(皿、さら)。
山の上ですから、行きは登りでたいへんですが、帰りは下り坂です。ころばぬように気をつけてね。
97ページのこどもたちの絵からは、こどもたちによる、協力とか、無邪気とか、おもしろいこととか、笑えることに挑戦する気持ちが伝わってきます。
『ねこ』がひっくりかえって、筋ジストロフィーのかっちゃんがほおりだされませすが、かっちゃんは、よつんばいになって、ハイハイしながら、おーれは、不死身だとアピールします。
かっちゃんの不自由な体のことについて、胸が詰まる(つまる)ほかのメンバーたちです。
ただ、じっくり考えてみてください。
人間は歳をとるとたいてい、かっちゃんみたいな体になるのです。ころんで倒れて骨折して立って歩けなくなってやがて寝たきりになってあの世へ行くのです。
若い頃、どんなにスポーツマンでかっこよくても、男でも女でもそうなるのです。
物語全体の冒険は、洋画、『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて)』パターンです。
将来の夢について語り合う4人です。今はまだ全員10歳です。
大村勝利(おおむら・かつとし。かっちゃん):落語家、医学者、宇宙飛行士、歌手、画家
山本大輔(やまもと・だいすけ):冒険家
鈴木修一(すずき・しゅういち):世界中の大地に寝る人(寝っ転がる人)
細谷明(ほそや・あきら):橋をかける人
小学4年生のメンバーです。小学校の夏休み前の時期で、場所は天神集落です。雨傘川(あまがさがわ)が流れています。川には、天神橋がかかっています。天神橋を右に回ると、筋ジストロフィーという病気にかかっているかっちゃんの家があります。
4人の少年たちが、ひと夏の冒険をします。
アキラ:誠蔵の孫の明。『ぼく』という一人称で、この物語を引っ張っていきます。ぼくのひとり語りのお話です。
山ちゃん:喜一郎の孫の大輔(だいすけ)。両すねに、けがをしたあとにできた血のかさぶたがあります。用水路をとびこそうとして失敗して、けがをしたのです。
かっちゃん:筋ジストロフィーという病気です。筋肉が動かなくなってやがて動けなくなる病気です。保育園だった時はふつうだった。
今は、ひっくりかえりそうになるぐらい体を左右にふって歩く。松葉づえや車いすを使うこともある。かっちゃんの家の部屋が、4人の少年のたまり場になっている。かっちゃんは、将来、落語家になりたい。落語の演目(えんもく)である、『じゅげむ』の練習をしている。
シューちゃん:政彦の孫の修一。どこでも寝っ転がる(ころがる)。きたないスニーカーをはいている。スニーカーの側面にシューちゃんがペンで、ナイキのマークを書いている。ニセナイキのスニーカーである。
熊吉つぁん:本当の名前は千吉という、へんくつじいさん。じいさんはひよこを飼い始めた。ひよこをニワトリにして卵をとる。卵を産まなくなったら、殺して食べる。
熊吉つぁんは、40歳のときに、熊とばったり会って、柔道の一本背負いで、熊を投げた。熊は逃げ出した。それから、集落の人たちに熊吉と呼ばれるようになったそうです。
周囲からへんくつ者といわれているが、それは誤解で、人付き合いがにがてなだけだそうです。
熊吉つぁんが、熊とたたかったときのことが書いてあります。熊吉つぁんは、無我夢中だったそうです。
参考までにわたしが、以前読んだ本を紹介します。
『クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 聞き書き・片山龍峯(かたやま・たつみね) 筑摩書房』、感想メモの一部です。
さて、クマに出会ったら人間はどうしたらいいかの話です。
逃げてはいけない。逃げることは一番ダメ。クマに背を向けてはいけない。棒立ちに立つ。(姉崎さんは棒立ちでクマをにらみつけた経験が何度もあるそうです)クマの目をにらみつけて、ウォーとクマを威嚇する大きな声を出す。その繰り返し。クマは立ち上がるが、人を襲うために立ち上がるのではなく、自分の周囲の安全を確認するために立ち上がる。クマは安全な方向を見極めて自分の逃げ道にする。
クマの目をにらみ続ける。クマよりも人間のほうが弱いとクマに思わせてはいけない。
ほかにも、クマはヘビが苦手なので、ヘビのように見えるものを使って追い払うという手法が紹介されています。長いものをふりまわして追い払う。ベルトでもいいそうです。
クマから逃げるのではなく、逆に、クマを追いかけるぐらいの気迫をもつ。(なんだか、人生のあり方にも通じるものがあります。困難にぶつかっても乗り越えて克服するのです)
クマは、見た目は大きくても臆病な動物だから人間を恐れて逃げていくそうです。
立ち向かう時に『棒』は使わない。たくさん枝がついた『柴(しば)』を使う。クマの鼻の前で振ったことがあるそうです。クマが嫌がったそうです。
農機具のクワをひきずって逃げると、クマはクワを飛び越えてこない。なにか、物を引きずって逃げると引きずっている物をクマは飛び越えようとはしない。
さきほども書きましたが、ベルトを振り回すのは有効です。クマは、ベルトをクマがきらいなヘビと勘違いするようです。
ペットボトルを押してペコペコと音をさせるとクマは嫌がる。クマにとって、奇妙な音に聞こえるのだろうとのことです。
話を戻します。こちらの本のもくじを見ると、章がみっつあります。
少ない章の数だと思いました。
1 『ひよことパインサイダー』を読み終えて、ああ、短編3本のつくりかと理解しました。
2 『じゅげむの夏』
3 『おばけのトチノキ』です。
『1 ひよことパインサイダー』
4年生の夏休みです。
わたしが小学4年生の時は、夏休み中に引っ越しと転校を体験しました。
そんな夏があったことを思い出しました。
物語の中の4人の少年の冒険先は、熊吉つぁんの家へ行くところです。
ドウダンツツジ:落葉低木。庭木や公園にある。
ひよこを飼う話が出ます。
熊吉つぁんが、ひよこを成長させて、ニワトリにして、卵とか鶏肉(とりにく)を食べるために買うのです。
ここで思い出した一冊があります。
『ニワトリと卵と、息子の思春期 繁延あづさ(しげのぶ・あづさ) 婦人之友社』 以下、感想の一部です。
自立したいという、お子さんの反抗期の始まりがあります。
これまでは、おかあさんの言うことをきいてきた。でも、これからは、おかあさんのいうことをききたくないのです。母は母で、どう対応したらいいのかわからず悩みます。まっこうからダメと言えなくて、条件闘争になったりもします。(そうしたかったら、こういう条件をのみなさいというパターンです) 『お母さんがなんと言おうと、オレは放課後ゲームを買いに行く!』強い主張があります。オレの人生はオレのもので、お母さんのものではない。オレの人生をお母さんが支配することはできないというこどもさんからの強い主張が母親に対してあります。オレのことはオレが一番わかる。オレのことは、お母さんにはわからない。
ゲーム機を買うと吠えていた(ほえていた)ご長男が、ゲーム機ではなく、ニワトリを買ったというところがおもしろいエピソードです。理由は、卵がとれるからでした。
また、話はこちらの本に戻ります。
少年たちも熊吉つぁんも心がやさしい。
38ページの熊吉つぁんの顔はこわいけれど、勝手に人の家に忍び込んだら、だれでもおこります。
『おめえはどこのだんじゃ?』→『おまえたちは、どこのだれだ?』
熊吉つぁんの家は、山で湧く清水(しみず)を利用しています。
半世紀ぐらい前、わたしがこどものころも、いなかでは、水道設備がまだ十分ではなく、井戸や山の湧き水を利用していました。つるべ式の井戸や、手押しポンプ式の井戸がありました。
熊吉つぁんは、4人の少年たちに、楽しく遊べと声をかけてくれました。熊吉つぁんは、心がやさしい。井戸で冷えたパインサイダーをこどもたちにごちそうしてくれました。
『2 じゅげむの夏』
7月31日。自転車に乗っての冒険・探検です。
浮き輪持参です。川で泳ぎます。川の水はきれいで、鮎(あゆ)もいます。
ときおり筋ジストロフィー症の落語家志望かっちゃんが、落語話(らくごばなし)じゅげむの長ったらしい名前をとなえます。
『じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ、かいじゃりすいぎょの、すいぎょまつ、うんらいまつ、ふうらいまつ、くうねるところにすむところ、やうらこうじのぶらこうじ、パイポパイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイの、ポンポコピーの、ポンポコナーの、ちょうきゅうめいの、ちょうすけ』(自分がこどものころに、本で、この話を読んだことを思い出しました)
小学3年生とか4年生、この年頃のこどもたちは、ギャグのような文章を言っておもしろがります。
うちの小学生の孫たちがときおりくりかえして言っている言葉があるので、ここに落としてみます。
『ごめんごめん いったんごめん』、それから、『ゴーケツ、ゴーケツ、カンゼンムケツのダイシュウケツ』(わたしには、意味はわかりません。マンガが関係しているようです)
こどもは遊ぶのが仕事です。遊びながら、社会を学びます。
さし絵がおもしろい。なんまいかありますが、どれも雰囲気があって楽しめます。
小学生のときの思い出がいっぱいです。
天神橋からの飛込み:岐阜県郡上八幡市での吉田川への飛込みを思い浮かべます。夏の風物詩です。
筋ジストロフィー症のかっちゃんも川に飛び込みたい。
本人はやる気です。
出川哲朗さんの、『ヤバイよ、ヤバイよ』が出ます。
飛んだーーー
70・71ページ、見開き2ページに、かっちゃんのジャンプシーンの絵があります。
ダイナミックです。
ドボーン!
大成功でした。安堵(あんど。安心)しました。
かっちゃん『いいなあ。今年の夏はいいなあ』
ふつう、小学四年生だったら、そこから先の人生は長い。
だけど、筋ジストロフィー症のかっちゃんは、そうではないかもしれない。
1リットルの涙という本を思い出しました。動けていたのに、だんだん動けなくなってしまうのです。
『1リットルの涙 木藤亜矢 幻冬舎文庫』、感想メモの一部です。
体が不自由、歩き方を笑われる。自分を金食い虫と責める。頭が悪くてもいいから丈夫な体がほしい。本人もお母さんもつらい。Dr.(ドクター。医師)に病気を治してと訴える。生徒手帳と身体障害者手帳をもらう。修学旅行先で気持ちの悪いものを見るように見つめられる。ついに歩けなくなる。自分は何のために生きているのか。結婚したい。自分にできることは、自分の死体を医学に役立ててもらうことだけ。(日記を書いていたご本人は、脊髄小脳変性症という病気で、25歳で亡くなっています)
『おばけトチノキ』
こちらも一冊思い出す本があります。
『怪物はささやく パトリック・ネス あすなろ書房』、感想メモの一部です。
主人公コナー・オマリーは書中で13才とありますが、読んでいる本の途中では小学校5年生ぐらいの男子です。
コナーの両親は6年前に離婚しています。そして今、同居している母親は末期癌で死につつあります。コナーとおかあさん、そしてかれらと別居のおばあさんはイギリスで生活しています。コナーは学校でいじめに遭っています。
コナーの心理状態は精神病の症状のようです。幻覚が見えます。幻聴も聞こえます。家の外にある「イチイの木」がしゃべったり歩いたりするのです。そして、イチイの木は怪物です。イチイの木がどんな木か知らなかったので調べてみました。別名「アララギ」、なんだか聞いたことがあります。常緑針葉樹、高さ20mぐらい。コナーは常に恐怖感を抱いている。(この小説はその後、映画化されています)
さて、こちらは明るい少年4人組です。
いかずち山のトチノキ=おばけトチノキ。いかずち山の棚田の上にある。
むかし、トチノキが村を救ったそうです。冷害があったときに、トチの実が村人の食料になったそうです。トチの実は、見た目が栗に似ています。
話ははずれますが、シューちゃんはたいていドラえもんのコミック本をねっころがって読んでいます。
うちもドラえもんのコミック本全巻を手に入れて、孫たちが楽しみに読んでいます。
ドラえもんの未来の道具は多種多様で驚かされます。
作者の藤子・F・不二雄さん(藤本弘さん)はたいしたものです。
屁八十のばっちゃん(へはちじゅうのばっちゃん):いまどきは、おならのことを屁(へ)とは言わなくなりました。昔はよく、へをこいたとか、へをしたとか言ったり聞いたりしましたが、屁という言葉をいまではほとんど聞かなくなりました。上品な社会になったのでしょう。
『生栗ひとつ、屁八十』と、シューちゃんのひいばあさんがこどもたちに教えたそうです。
『バカウケ』という言葉も出てきました。思い出すに、欽ちゃん(きんちゃん)こと萩本欽一さんが、欽ドン(欽ちゃんのドンといってみよう)というラジオ番組で、視聴者からのコントが書いてあるハガキを読み上げて、評価としての、『バカウケ、ヤヤウケ、ドッチらけ』、という格付けからきている言葉なのでしょう。
昭和40年代ぐらいのころのことでした。
『ドロドロドロは、ゆうれいだよ』
(最近は、幽霊が、ドロドロドロと出てくるという表現もしなくなりました)
おばけトチノキは、樹齢が千年。
今年2024年の1000年前は、1024年です。
NHK大河ドラマ、『光る君へ』みたいですが、清少納言の枕草子ができたのが1001年、紫式部の源氏物語ができたのが1007年ですから、おばけトチノキが芽を出した時代は平安時代ですな。ドラマに出てくる柄本佑(えもと・たすく)さんの藤原道長の寿命が、966年~1028年でした。
棚田のというのは、一般的に、景観が美しい風景の観光地というイメージがあるのですが、わたしはそうは感じません。昔の人たちの、『貧困』の象徴だと思っています。
土地がなかったから棚田形式で田んぼをつくって稲を育てて米を手に入れた。
棚田の上にまいた肥料は、雨風の自然現象で棚田の下に流れるから、下のたんぼのほうがいい米がとれた。下の者は裕福で、上のものはそうではなく、上の土地の耕作のほうが、下の土地の耕作よりもつらかった。そんな文章を読んだことがあります。『飢餓海峡(きがかいきょう) 上下巻 水上勉(みずかみつとむ) 新潮文庫』だったという記憶です。
棚田の上まで行くのに、筋ジストロフィーのかっちゃんは、体が不自由です。車いすで行くのは無理そうです。
ドラえもんのどこでもドアがあればいいのにねとシューちゃんが言います。
発想として、『ねこ』が登場します。建築工事現場などで使う一輪車のことを、『ねこ』といいます。なぜねこというのかは、わたしにはわかりませんが、わたしは高校生の頃、学校の長期休み中に、建築現場で肉体労働をしていました。その時の作業で使っていました。おもに生コンクリート(なまコンクリート)を入れて運んでいました。
その『ねこ』に筋ジストロフィーのかっちゃんをのせて、山の上まで、ほかの三人で運んで行くのです。いいアイデアです。
小学4年生というのは、体はまだ大きくもありません。いろいろなつかしい思い出がいつまでも残る年齢です。とくに男子にとっては、冒険心が燃え上がる年齢です。がんばれーー
バケット:三輪車である『ねこ』の物を入れる容器部分(皿、さら)。
山の上ですから、行きは登りでたいへんですが、帰りは下り坂です。ころばぬように気をつけてね。
97ページのこどもたちの絵からは、こどもたちによる、協力とか、無邪気とか、おもしろいこととか、笑えることに挑戦する気持ちが伝わってきます。
『ねこ』がひっくりかえって、筋ジストロフィーのかっちゃんがほおりだされませすが、かっちゃんは、よつんばいになって、ハイハイしながら、おーれは、不死身だとアピールします。
かっちゃんの不自由な体のことについて、胸が詰まる(つまる)ほかのメンバーたちです。
ただ、じっくり考えてみてください。
人間は歳をとるとたいてい、かっちゃんみたいな体になるのです。ころんで倒れて骨折して立って歩けなくなってやがて寝たきりになってあの世へ行くのです。
若い頃、どんなにスポーツマンでかっこよくても、男でも女でもそうなるのです。
物語全体の冒険は、洋画、『スタンド・バイ・ミー(ぼくのそばにいて)』パターンです。
将来の夢について語り合う4人です。今はまだ全員10歳です。
大村勝利(おおむら・かつとし。かっちゃん):落語家、医学者、宇宙飛行士、歌手、画家
山本大輔(やまもと・だいすけ):冒険家
鈴木修一(すずき・しゅういち):世界中の大地に寝る人(寝っ転がる人)
細谷明(ほそや・あきら):橋をかける人
2024年06月21日
いつかの約束1945 山本悦子・作 平澤朋子・絵
いつかの約束1945 山本悦子・作 平澤朋子・絵 岩崎書店
『1945』は、西暦1945年で、昭和20年のことでしょう。
第二次世界大戦終戦の年です。日本が欧米を中心とした連合国軍に負けた年です。
いろいろありました。
わたしたちの上の世代は、とても苦労されました。
一部の権力者たちが暴走したために、多数の国民の命が犠牲になりました。
独裁国家反対です。
本の帯に、『あたし、いろんな人のひとりになる』と書いてあります。
どういうことだろう。
あたしが、いろんな人、ひとりひとりにのりうつるのだろうか。(憑依(ひょうい)です。青森県恐山(おそれざん)のイタコみたいです。(これから本を読み始めます。読んでみないとわかりません。読みながら感想をつぎたしていきます)
『1』、から、『9』までの章になっています。
目次を読むと、まいごのおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは、どこに行ってしまったのだろう? でしょう。
すずちゃんというのは、おばあちゃんのお名前でしょう。たぶん。
すずちゃんおばあちゃんが、若い時にもどるようです。
そして最後に、だれかとだれかがした約束が披露されるのでしょう。(ひろう:公表すること)
さて、読み始めます。
みく:麦わら帽子をかぶっている。みくのひいおばあちゃんが介護施設に入所している。(82ページにみくのお父さんはパイロットと書いてあります。わたしは、飛行場のそばにあるホテルに泊まったときに、朝食会場で、パイロットという人は見たことがありますが、パイロットのこどもは見たことがありません)。
みくの家族は、13階建てマンションの最上階に住んでいます。
ゆきな:野球帽をかぶっている。みくとゆきなは同級生の友だち。小学四年生ぐらいに見えます。(あとから73ページに書いてあって、3年2組、教室は校舎の二階であることがわかりました)
市立図書館があって、その向かいに時計屋があって、ふたつの間にある横断歩道のむこう、時計屋のそばに、88歳ぐらいの(たぶん認知症の)おばあさんである関根すずがいて、すずさんは、自称9歳で(自分で自分は9歳だと言う人です)、みくとゆきなは、関根すずを認知症だと思わずに、9歳のだれかと高齢者女性の心が、互いに体がぶつかったことが原因になって、入れ替わったのであろうと勘違いして、あれやこれや、たぶん戦争がらみの話に発展していくのだろうと思いながら読んでいるいまは71ページあたりです。
広島県尾道を舞台にした邦画、『転校生』パターンの勘違いですな。尾身としのりさんと小林聡美(こばやし・さとみ)さんの心が入れ替わる1982年(昭和57年)の映画でした。まだ結婚する前、奥さんと映画館で観ました。自分たちも含めて、俳優さんたちも歳をとりました。いい映画でした。男女の心が入れ替わって、お互いの苦労を知るのです。
そういえば、先日観た邦画、永野芽郁さん(ながのめいさん)主演の、『マイ・ブロークン・マリコ』で、尾身としのりさんが、アル中のDV(家庭内暴力)父を演じていました。暗い内容の映画でした。尾身くんも歳をとりました。がんばっています。
さて、最初のページに戻って感想を付け足します。
関根すずは、自分のことを、自分はおばあちゃんじゃない。自分は9歳と言います。
もうずいぶん昔、わたしが30歳なかばぐらいだった頃、そういうおじいさんを実際に見たことがあります。
外見はどう見ても80歳を超えているのに、ご自身は、自分の年齢を40歳と言っていた記憶です。わたしとそれほど年齢差がありません。冗談で言っているようすはなく、話をしていて、まあ、本人がそう言うのならそれでいいじゃないかという気持ちになったことを覚えています。
そのときは、その人とは短期間の付き合いで、どこかへ行かれてしまいました。本人はぼけていたのかなあ。よくわかりません。
その後、民族として、年齢にこだわるのは日本人ぐらいで、とくに東南アジアの人たちは、自分の生まれた年はわかるけれど、自分の誕生日は知らない人が多いと聞いて、そんなものなのかと世界の広さを知りました。
日本には、戸籍制度があるから生年月日にこだわれるということもあるのでしょう。外国のほとんどの国には戸籍はありません。外国には、日本でいうところの住民登録のようなものがあるだけだと聞きます。
みくもゆきなも小学生中学年だからか、『認知症』のことをほとんど知りません。『いろんなこと、わすれる病気なんでしょ?』、ぐらいしか知りません。
関根すずの住所は、『おいけのはた一丁目』だそうです。
昔あった住所で、現在は、町名変更とか、住居表示(街区と家に番号を付ける)がなされているかもしれません。
みくとゆきなのふたりは、誤解があるけれど、心は優しい。
関根すずを助けようとします。
話はややこしいけれど、9歳のときの関根すずを探すことになります。
おかっぱ(昔の表現):ヘアースタイルです。本では、『ボブ』と書いてあります。
『かっぱ』にこだわりがある作者です。
以前、こちらの作者さんの別の本を読んだことがあります。たしか、かっぱがからんでいました。
『がっこうかっぱのイケノオイ 山本悦子 童心社』
ブラジル人の男の子が、池にいる『カエル』のことを、日本語の発音がうまくできないせいなのか、『かっぱ』と言い、『イケノオイ』は、『池の匂い(におい)』ということで、カッパ(カエルのこと)の名前なのです。その本は、登校拒否を防ぐための本だった記憶です。作者は、こどもたちが、学校を好きになるようにという願いをこめて、この作品をつくりました。(そんなふうに、自分の読書メモが残っています)
『かっぱ、かっぱ、おかっぱすずちゃん』
駅が出てきます。
おばあさんの心と入れ替わった心をもつ9歳の女の子を探します。
読んでいて、絵本にあるその駅は、自分がまだ若かったころ、たまたま用事があって行ったことがある駅のことではなかろうかと思いました。
日本で一番古い駅舎と言われているそうです。愛知県半田市にある、『亀崎駅(かめざきえき)』です。
ほかの本で見たことがあります。絵本でした。
『でんしゃでいこう でんしゃでかえろう 間瀬なおかた ひさかたチャイルド』、次が、読んだ時の読書メモの一部です。
『うみのえき』の建物のモデルは、愛知県半田市にある、『亀崎駅』だそうです。わたしは、30年ぐらい前に用事があって何度か亀崎駅を利用しました。坂を下ったところにあった記憶です。まだ今も、木造のまま残っているらしくびっくりしました。
無人駅:半世紀以上前、わたしがこどもだったときには、無人駅というものはなかった記憶です。無人というのは、駅員がいない駅ということです。列車の運転手や車掌が切符を回収します。
老人クラブ:自主的な集まり。おおむね60歳以上がメンバー。
いろいろ勘定(かんじょう。計算)してみると、関根すずは、1936年(昭和11年)生まれで、2024年(令和6年)の今年、88歳になる計算です。
飲み物の自動販売機:昔はありませんでした。
アスファルト舗装(ほそう)の道路:これも昔はありませんでした。半世紀以上前、とくにいなかでは、道路面はまだ土でした。車自体が少なかった。自家用車をもつ人は少なかった。道は、こどもたちの遊び場でした。
路線バスは、土の上を走っていました。砂ぼこりが舞い上がっていました。
ぶうんちょうきゅう:武運長久。この言葉が、この物語の伏線になっていきます。(ふくせん:あとあと感動をうむしかけ(仕掛け))。戦時中の祈り。武人(ぶじん。兵士)としての命が長く続くこと。兵士としての役割を果たし続ける命が続くこと。勝利運があること。
同じ地域に何十年間も住んでいると、土地に、どのような建物が建っていたかの記憶が脳に残っています。
昔はあったけれど、今はもうなくなった建物があります。
そのあとに新しくできた建物が現在あります。
原野でなにもなかったところが、区画整理などで、道路や住宅や店舗やビルが密集する街になっているということもあります。
土地には、歴史があります。
七ツ木池(ななつぎいけ):読んでいてピンときたのですが、この池のモデルは、愛知県半田市にある、『七本木池』ではなかろうか。近くに用事があって、たまに車を運転してそばを通ります。
爆弾の話があります。
戦時中に空襲でたくさんの爆弾が落とされました。
まだ自分が十代後半だった頃、年配の人たちから聞いた話です。
『(まだ自分がこどものころ。10歳ぐらい)爆弾が空からどんどん落ちてくる中をぴょんぴょんはねながら逃げた記憶がある。火災が起きていた』
さらに別の人で、爆発しなかった爆弾がころがっていたので、家に持ち帰って庭に飾ったという人もいました。(今考えるとびっくりです。人間って、精神的に、たくましくて、強い面をもっています)
90ページに、戦後食糧難の時代に、野生の鳥や魚を食べた話が出ます。
たしかに、わたしが幼児、小学校低学年のときは、集落の人たちは、山にワナをかけて野鳥を捕って(とって)焼いて食べたりしていました。今はやっちゃいけないのでしょう。
戦後はみんなおなかをすかしていました。先日のNHK朝ドラ、『虎に翼』で、お弁当につめるごはんがないというような話をしていました。
ヤミ米の話です。ヤミ米(闇米):違法な取引で流通するお米のこと。たてまえとしては売買してはいけない米です。食糧管理法の規制がありました。
ヤミ米を手に入れてはいけないという法律を守った裁判官が、栄養失調で亡くなったという出来事がドラマ、『虎に翼』に出てきました。
たしか、わたしが中学生の時に、先生からそういうことがあったと教わった記憶が脳みそに残っています。
事実なのです。あのころ、戦争で中国や東南アジアの戦地に行って兵隊として戦った体験のある先生が、中学や高校に何人かおられて、戦時中のことや戦後まもなくのことを授業中に話されていました。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの話です。そうして、戦争はもうやっちゃいけないと教わりました。
広島市の平和公園にあるような銅像の絵が93ページにあります。わたしは、広島の平和公園には二度行ったことがあります。千羽鶴を上にかかげる、『原爆の子の像』を見たときには、胸にグッとくるものがありました。原爆で、たくさんのこどもさんたちが亡くなりました。犠牲者多数です。戦争においては、ひどいことをする人たちがいます。
以前読んだ反戦の本で、強く記憶に残った写真本があります。
『ヒロシマ 消えた家族 指田和(さしだ・かず 女性) ポプラ社』
おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。おかあさんが、フジエさん。英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、原子爆弾の投下(とうか)で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
さて、こちらの本に戻ります。
関根すずの体には、戦争、おそらく空襲のときにできたやけどの傷が残っています。
114ページ、『決めた。あたし、いろんな人になる』(関根すずの言葉)
『じゃあ、あたし、いろんな人のひとりになる!』
わたしは、その部分の表現がピンときません。
この部分では、関根すずの心は、自分が7歳のときの心になっています。
同一人物の過去と現在で完結している状態なので、ほかの人の心をもつということは、意味が異なるのではないかと感じるのです。
みくのマンションの前の道で、関根すずのひ孫が現れます。中学生女子です。
舞台は、時計屋→図書館→駅→小学校→七ツ池→みくの家(マンション)と移動してきました。
旧姓が、『関根』で、結婚して、現在は、『後藤すず』だそうです。
124ページの小学生女子3人の絵を見て、若さが輝いていたと気づくのは、歳をとってからだと思います。若い時は、若いことのありがたさに気づけません。歳をとると、若い時は良かったなとしみじみするのです。
昔は、『米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)』というものがありました。自分がこどものころに見たことがあります。1981年(昭和56年)に廃止されています。
戦後、お米は、配給制だったそうです。はいきゅう:家の家族の人数ごとに割り当てられた分のお米が支給された。
歴史をふりかえって、人間のおかした過ち(あやまち)を二度と繰り返さないように学ぶ。
されど、現実には、大昔から、戦争とか戦いの歴史は繰り返されています。
世代が入れ替われば、戦時中の苦労を知らない世代になって、また、戦争が起きます。それが人間のありようです。戦争になると、たいていは、体力が弱い者が犠牲になります。こどもや女性、年寄り、そして障害がある人たちです。敵の攻撃から逃げきれません。
物語では、後半のクライマックスになって、胸が熱くなるものがあります。
本のタイトル、『いつかの約束』は、絵のタイトルでもあるのです。
『1945』は、西暦1945年で、昭和20年のことでしょう。
第二次世界大戦終戦の年です。日本が欧米を中心とした連合国軍に負けた年です。
いろいろありました。
わたしたちの上の世代は、とても苦労されました。
一部の権力者たちが暴走したために、多数の国民の命が犠牲になりました。
独裁国家反対です。
本の帯に、『あたし、いろんな人のひとりになる』と書いてあります。
どういうことだろう。
あたしが、いろんな人、ひとりひとりにのりうつるのだろうか。(憑依(ひょうい)です。青森県恐山(おそれざん)のイタコみたいです。(これから本を読み始めます。読んでみないとわかりません。読みながら感想をつぎたしていきます)
『1』、から、『9』までの章になっています。
目次を読むと、まいごのおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんは、どこに行ってしまったのだろう? でしょう。
すずちゃんというのは、おばあちゃんのお名前でしょう。たぶん。
すずちゃんおばあちゃんが、若い時にもどるようです。
そして最後に、だれかとだれかがした約束が披露されるのでしょう。(ひろう:公表すること)
さて、読み始めます。
みく:麦わら帽子をかぶっている。みくのひいおばあちゃんが介護施設に入所している。(82ページにみくのお父さんはパイロットと書いてあります。わたしは、飛行場のそばにあるホテルに泊まったときに、朝食会場で、パイロットという人は見たことがありますが、パイロットのこどもは見たことがありません)。
みくの家族は、13階建てマンションの最上階に住んでいます。
ゆきな:野球帽をかぶっている。みくとゆきなは同級生の友だち。小学四年生ぐらいに見えます。(あとから73ページに書いてあって、3年2組、教室は校舎の二階であることがわかりました)
市立図書館があって、その向かいに時計屋があって、ふたつの間にある横断歩道のむこう、時計屋のそばに、88歳ぐらいの(たぶん認知症の)おばあさんである関根すずがいて、すずさんは、自称9歳で(自分で自分は9歳だと言う人です)、みくとゆきなは、関根すずを認知症だと思わずに、9歳のだれかと高齢者女性の心が、互いに体がぶつかったことが原因になって、入れ替わったのであろうと勘違いして、あれやこれや、たぶん戦争がらみの話に発展していくのだろうと思いながら読んでいるいまは71ページあたりです。
広島県尾道を舞台にした邦画、『転校生』パターンの勘違いですな。尾身としのりさんと小林聡美(こばやし・さとみ)さんの心が入れ替わる1982年(昭和57年)の映画でした。まだ結婚する前、奥さんと映画館で観ました。自分たちも含めて、俳優さんたちも歳をとりました。いい映画でした。男女の心が入れ替わって、お互いの苦労を知るのです。
そういえば、先日観た邦画、永野芽郁さん(ながのめいさん)主演の、『マイ・ブロークン・マリコ』で、尾身としのりさんが、アル中のDV(家庭内暴力)父を演じていました。暗い内容の映画でした。尾身くんも歳をとりました。がんばっています。
さて、最初のページに戻って感想を付け足します。
関根すずは、自分のことを、自分はおばあちゃんじゃない。自分は9歳と言います。
もうずいぶん昔、わたしが30歳なかばぐらいだった頃、そういうおじいさんを実際に見たことがあります。
外見はどう見ても80歳を超えているのに、ご自身は、自分の年齢を40歳と言っていた記憶です。わたしとそれほど年齢差がありません。冗談で言っているようすはなく、話をしていて、まあ、本人がそう言うのならそれでいいじゃないかという気持ちになったことを覚えています。
そのときは、その人とは短期間の付き合いで、どこかへ行かれてしまいました。本人はぼけていたのかなあ。よくわかりません。
その後、民族として、年齢にこだわるのは日本人ぐらいで、とくに東南アジアの人たちは、自分の生まれた年はわかるけれど、自分の誕生日は知らない人が多いと聞いて、そんなものなのかと世界の広さを知りました。
日本には、戸籍制度があるから生年月日にこだわれるということもあるのでしょう。外国のほとんどの国には戸籍はありません。外国には、日本でいうところの住民登録のようなものがあるだけだと聞きます。
みくもゆきなも小学生中学年だからか、『認知症』のことをほとんど知りません。『いろんなこと、わすれる病気なんでしょ?』、ぐらいしか知りません。
関根すずの住所は、『おいけのはた一丁目』だそうです。
昔あった住所で、現在は、町名変更とか、住居表示(街区と家に番号を付ける)がなされているかもしれません。
みくとゆきなのふたりは、誤解があるけれど、心は優しい。
関根すずを助けようとします。
話はややこしいけれど、9歳のときの関根すずを探すことになります。
おかっぱ(昔の表現):ヘアースタイルです。本では、『ボブ』と書いてあります。
『かっぱ』にこだわりがある作者です。
以前、こちらの作者さんの別の本を読んだことがあります。たしか、かっぱがからんでいました。
『がっこうかっぱのイケノオイ 山本悦子 童心社』
ブラジル人の男の子が、池にいる『カエル』のことを、日本語の発音がうまくできないせいなのか、『かっぱ』と言い、『イケノオイ』は、『池の匂い(におい)』ということで、カッパ(カエルのこと)の名前なのです。その本は、登校拒否を防ぐための本だった記憶です。作者は、こどもたちが、学校を好きになるようにという願いをこめて、この作品をつくりました。(そんなふうに、自分の読書メモが残っています)
『かっぱ、かっぱ、おかっぱすずちゃん』
駅が出てきます。
おばあさんの心と入れ替わった心をもつ9歳の女の子を探します。
読んでいて、絵本にあるその駅は、自分がまだ若かったころ、たまたま用事があって行ったことがある駅のことではなかろうかと思いました。
日本で一番古い駅舎と言われているそうです。愛知県半田市にある、『亀崎駅(かめざきえき)』です。
ほかの本で見たことがあります。絵本でした。
『でんしゃでいこう でんしゃでかえろう 間瀬なおかた ひさかたチャイルド』、次が、読んだ時の読書メモの一部です。
『うみのえき』の建物のモデルは、愛知県半田市にある、『亀崎駅』だそうです。わたしは、30年ぐらい前に用事があって何度か亀崎駅を利用しました。坂を下ったところにあった記憶です。まだ今も、木造のまま残っているらしくびっくりしました。
無人駅:半世紀以上前、わたしがこどもだったときには、無人駅というものはなかった記憶です。無人というのは、駅員がいない駅ということです。列車の運転手や車掌が切符を回収します。
老人クラブ:自主的な集まり。おおむね60歳以上がメンバー。
いろいろ勘定(かんじょう。計算)してみると、関根すずは、1936年(昭和11年)生まれで、2024年(令和6年)の今年、88歳になる計算です。
飲み物の自動販売機:昔はありませんでした。
アスファルト舗装(ほそう)の道路:これも昔はありませんでした。半世紀以上前、とくにいなかでは、道路面はまだ土でした。車自体が少なかった。自家用車をもつ人は少なかった。道は、こどもたちの遊び場でした。
路線バスは、土の上を走っていました。砂ぼこりが舞い上がっていました。
ぶうんちょうきゅう:武運長久。この言葉が、この物語の伏線になっていきます。(ふくせん:あとあと感動をうむしかけ(仕掛け))。戦時中の祈り。武人(ぶじん。兵士)としての命が長く続くこと。兵士としての役割を果たし続ける命が続くこと。勝利運があること。
同じ地域に何十年間も住んでいると、土地に、どのような建物が建っていたかの記憶が脳に残っています。
昔はあったけれど、今はもうなくなった建物があります。
そのあとに新しくできた建物が現在あります。
原野でなにもなかったところが、区画整理などで、道路や住宅や店舗やビルが密集する街になっているということもあります。
土地には、歴史があります。
七ツ木池(ななつぎいけ):読んでいてピンときたのですが、この池のモデルは、愛知県半田市にある、『七本木池』ではなかろうか。近くに用事があって、たまに車を運転してそばを通ります。
爆弾の話があります。
戦時中に空襲でたくさんの爆弾が落とされました。
まだ自分が十代後半だった頃、年配の人たちから聞いた話です。
『(まだ自分がこどものころ。10歳ぐらい)爆弾が空からどんどん落ちてくる中をぴょんぴょんはねながら逃げた記憶がある。火災が起きていた』
さらに別の人で、爆発しなかった爆弾がころがっていたので、家に持ち帰って庭に飾ったという人もいました。(今考えるとびっくりです。人間って、精神的に、たくましくて、強い面をもっています)
90ページに、戦後食糧難の時代に、野生の鳥や魚を食べた話が出ます。
たしかに、わたしが幼児、小学校低学年のときは、集落の人たちは、山にワナをかけて野鳥を捕って(とって)焼いて食べたりしていました。今はやっちゃいけないのでしょう。
戦後はみんなおなかをすかしていました。先日のNHK朝ドラ、『虎に翼』で、お弁当につめるごはんがないというような話をしていました。
ヤミ米の話です。ヤミ米(闇米):違法な取引で流通するお米のこと。たてまえとしては売買してはいけない米です。食糧管理法の規制がありました。
ヤミ米を手に入れてはいけないという法律を守った裁判官が、栄養失調で亡くなったという出来事がドラマ、『虎に翼』に出てきました。
たしか、わたしが中学生の時に、先生からそういうことがあったと教わった記憶が脳みそに残っています。
事実なのです。あのころ、戦争で中国や東南アジアの戦地に行って兵隊として戦った体験のある先生が、中学や高校に何人かおられて、戦時中のことや戦後まもなくのことを授業中に話されていました。生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの話です。そうして、戦争はもうやっちゃいけないと教わりました。
広島市の平和公園にあるような銅像の絵が93ページにあります。わたしは、広島の平和公園には二度行ったことがあります。千羽鶴を上にかかげる、『原爆の子の像』を見たときには、胸にグッとくるものがありました。原爆で、たくさんのこどもさんたちが亡くなりました。犠牲者多数です。戦争においては、ひどいことをする人たちがいます。
以前読んだ反戦の本で、強く記憶に残った写真本があります。
『ヒロシマ 消えた家族 指田和(さしだ・かず 女性) ポプラ社』
おとうさんは、鈴木六郎さんで、床屋さんです。おかあさんが、フジエさん。英昭おにいちゃんがいて、本のなかにいる『わたし』が、公子(きみこ)さん、いっしょに写真に写っているのが、和子ちゃんです。その全員が、原子爆弾の投下(とうか)で亡くなります。つらいです。原爆のバカヤローです。
ペットのネコのクロとイヌのニイも写真の中にはいます。でもきっと、原子爆弾が爆発したあと、二匹とも、この世には、もういなかったと思います。
さて、こちらの本に戻ります。
関根すずの体には、戦争、おそらく空襲のときにできたやけどの傷が残っています。
114ページ、『決めた。あたし、いろんな人になる』(関根すずの言葉)
『じゃあ、あたし、いろんな人のひとりになる!』
わたしは、その部分の表現がピンときません。
この部分では、関根すずの心は、自分が7歳のときの心になっています。
同一人物の過去と現在で完結している状態なので、ほかの人の心をもつということは、意味が異なるのではないかと感じるのです。
みくのマンションの前の道で、関根すずのひ孫が現れます。中学生女子です。
舞台は、時計屋→図書館→駅→小学校→七ツ池→みくの家(マンション)と移動してきました。
旧姓が、『関根』で、結婚して、現在は、『後藤すず』だそうです。
124ページの小学生女子3人の絵を見て、若さが輝いていたと気づくのは、歳をとってからだと思います。若い時は、若いことのありがたさに気づけません。歳をとると、若い時は良かったなとしみじみするのです。
昔は、『米穀配給通帳(べいこくはいきゅうつうちょう)』というものがありました。自分がこどものころに見たことがあります。1981年(昭和56年)に廃止されています。
戦後、お米は、配給制だったそうです。はいきゅう:家の家族の人数ごとに割り当てられた分のお米が支給された。
歴史をふりかえって、人間のおかした過ち(あやまち)を二度と繰り返さないように学ぶ。
されど、現実には、大昔から、戦争とか戦いの歴史は繰り返されています。
世代が入れ替われば、戦時中の苦労を知らない世代になって、また、戦争が起きます。それが人間のありようです。戦争になると、たいていは、体力が弱い者が犠牲になります。こどもや女性、年寄り、そして障害がある人たちです。敵の攻撃から逃げきれません。
物語では、後半のクライマックスになって、胸が熱くなるものがあります。
本のタイトル、『いつかの約束』は、絵のタイトルでもあるのです。
2024年06月20日
マイ・ブロークン・マリコ 邦画2022年
マイ・ブロークン・マリコ 邦画2022年(令和4年) 1時間25分 動画配信サービス
テレビでたまたま女優の永野芽郁(ながの・めい)さんをお見かけしました。
四国香川県小豆島(しょうどしま)ロケの様子で、中学校を訪問されていました。
永野芽郁さんは、小豆島出身だと誤解しました。(東京都出身です)
小豆島には行ったことがあるので、島の映像を観たいと思いました。
『モニタリング』という、なんというか、相手をびっくりさせる内容のテレビ番組でした。現地の中学生たちが大喜びしていました。小豆島を舞台にした映画の宣伝が目的でのテレビ出演でした。
永野芽郁さんをNHKの朝ドラで見たことがあります。『半分、青い。』でした。自分が行ったことがある岐阜県の地域がロケ地だったので関心をもって見ていました。舞台が東京に移ってからはほとんど見ませんでした。主人公が、漫画家になるような話だった記憶です。
基本的にわたしは、地理に興味をもって、ドラマやバラエティを観る人間です。
さて、そのつながりで、永野芽郁さんが出演している映画を観たいと思いました。
こちらの映画はかなり暗い内容でした。小豆島の映画はだいじょうぶだろうか。
『からかい上手の高木さん』という映画で、暗い映画ではなさそうです。よかった。
シイノ・トモヨ(永野芽郁):料理はできない。幼いころから知っているイナガワ・マリコのことを、『ダチ(友だちのだちでしょう)』と呼ぶ。
イナガワ・マリコ(奈緒):とてもかわいそうな設定です。母親は父親が原因で死んでいるようです。アル中の暴力父親から虐待や暴行を受けて育ちます。シイノ・トモヨの存在が心の支えです。シイノ・トモヨが、イナガワ・マリコの父親に立ち向かっていきますが、いかんせんまだこどもだったりもします。
イナガガワ・マリコは、暴れる(あばれる)父親の存在や、すさんだ生活に耐えきれなくて、住宅の5階から転落死します。自殺です。シイノ・トモヨの心に、イナガワ・マリコを死に追いやった彼女の父親への復讐心が燃え上がります。
回想シーンで、ふたりの子役さんたちがけっこうな回数出てきます。幼児期、小学生とか、中学生とか、時間帯が長く、見ていて、主役は子役さんたちではなかろうかと思うことがありました。
クソ上司が出てきます。自分の会社はブラックだと大声で公言します。退職させてくれません。よくいうパワハラ上司です。もはやそれは犯罪行為です。脅迫、恐喝、権利侵害、いろいろあります。逮捕してもらいましょう。
主役の永野芽郁さんにながながと、タバコを吸わせる映画だとあきれました。最初から最後までタバコと手紙でつなぎます。この映画は、タバコと手紙でできあがっています。昭和40年代・50年代の表現手法です。
(葬儀・火葬における)直送(ちょくそう):お寺や親族一同を呼んでの葬式をあげない。挙げても簡単なもの。お坊さんは来ないか、来ても形だけの短時間、あるいは、葬儀社の職員がお坊さんの代わりに手を合わせるだけ。そんなイメージです。棺桶に入れて、一晩安置して、火葬場へ運んで焼いて、骨はほんの少しだけ拾うだけでしょう。
あとでパワハラ上司が出てくるのですが、葬式よりも仕事が大事だとクソ上司がほえます。仕事よりも葬式のほうが大事です。お金よりも気持ちが大事です。それが人間です。おかしな世の中になってしまいました。
虐待オヤジが壊れています。
こういうオヤジっています。
あんがい、ふだんはあいそがよくて、近所づきあいや仕事場では、協調性があったりもします。外面(そとずら)がいいのです。自分の精神的なストレスは家族にぶつけて解消します。家族は大迷惑です。
気が弱いからアルコールを飲みます。アルコール中毒になります。自分で自分をコントロール(管理)できない。そういう人には、近づかないほうがいいけれど、それが、自分の父親だと最悪です。しなくてもいい苦労を体験することになります。映像にある状態までくると、児童相談所が対応する事例でしょう。
親の役割を果たす能力をもっていない親っています。
だから、こどもは大きくなると家を出て、自活する能力を身につけることができるとはいえます。
この映画は、不幸を並べていく映画なのか。
復讐劇です。永野芽郁さんは熱演です。
ユーモラスな演技も鬼気迫る演技もじょうずです。
なかほどまで観て、どうなっていくの、この映画という気持ちになりました。
なぜ、そんなに、『海』に行きたいのだろう?
映画やドラマだと、登場人物は、海に行きたがります。
あまり海を見たことがないのでしょう。
わたしは幼児期に海のそばに建つ家で暮らしたことがあります。
毎日海が見えました。
毎日、富士山が見えるところにいるようなものなのでしょう。
わたしは、海はたまに見るだけでかまいません。目を閉じれば海の記憶がよみがえります。
親友である自殺したイナガワ・マリコのお骨(おこつ)が入った箱があります。
う~む。人生体験が薄い人にはわからないと思いますが、火葬場直送葬儀形式の場合、映像で出てくるような、立派なお骨箱に骨を入れるとは思えません。小さくて簡易的な骨箱です。骨箱には、ほんの少しの骨しか入っていません。なにせ、葬式代を最小限に抑えるための火葬場直送なのですから。
まあ、全体的に、話をつくってある映画です。世の中は映像のようになっているとは思わないほうがいい。現実と映画は別物です。
長距離深夜バスで移動します。
イナガワ・マリコの骨を海に散骨するようです。
男に支配される人生を送る女がいます。(それでいいのか)
男の収入に依存する女がいて、女を母親代わり、家政婦がわりに使う男がいます。(女は、それでいいのか)
映像は東北青森八戸(はちのへ)あたりなのに、登場人物の年配男性のセリフが九州弁です。『どこからきたと?』、不思議でした。
リストカット(死にたくて手首を切るが、ためらうので、かすり傷になる。たくさん切り傷ができる)のシーンがありますが、演技だと思って見ているので、怖くはありません。演技がじょうずか、そうでないかを基準にして観ています。
歯磨きとか、タバコとかの映像が出ます。まあ、タバコは薬物依存という、心、そして脳みその病気であり、治療が必要です。
だめな男に依存するという女の生き方を問う作品です。
観ていて、気が重くなってくる映画です。
今放送されていているNHK朝ドラ、『虎に翼』の伊藤沙莉さんみたいに、気持ちを強くもって前進した方がいい。男に頼るな!です。女は、男のしもべ(召使い。めしつかい)になるなです。
女性同士の同性愛のような面があるのだろかと思って観ていましたが、そういうことは感じられませんでした。
死んだ人を、今も生きているかのように扱うのには、無理があります。
非現実的です。
近しい身内を亡くすことは珍しいことではありません。病気や事故、自然災害や事件など、人間は簡単に死にます。きょう隣にいる人が、あしたも隣にいるという保証はどこにもありません。だから、なにげない毎日は大切なのです。
映画にメッセージがありますが、死んだ人のことを思い続けたいのなら、『(自分が)生きているしかない』のです。死んだ人のことは、自分の記憶の中にしか存在していないからです。
鉄道駅のシーンが出てきます。
跨線橋(こせんきょう。上り下りの線路が、空中に浮いた状態にある歩道橋のような形状の部分を通って移動する)の映像が、昔、北海道に行ったときに見た駅舎の風景に似ていました。今はもう廃線になったと思いますが、足寄駅(あしょろえき)だった記憶です。
『シイノ・トモヨ、はずかしながら、帰ってまいりました』
グアム島から帰還した横井正一さん(よこいしょういちさん)みたいな言葉づかいです。(1972年(昭和47年)帰還。終戦を知らずに、何十年間もグアム島のジャングルに潜んでいた(ひそんでいた))。今どきの若い女性がそんな言葉づかいをするとは思えないのです。
線香花火です。
映画の定番、終わり付近で、打ち上げ花火とか、線香花火のシーンです。う~む。平凡かなあ。
イナガワ・マリコから、保護猫の話が出ます。自分と捨て猫を重ねてあるのでしょう。
シイノ・トモヨの親子・きょだいのことは話が出てきませんでした。かたよったつくりで変です。
イナガワ・マリコの父親と暮らしていた田村恭子という女性(吉田羊)からシイノ・トモヨに手紙が届きました。封筒の中に、自殺したイナガワ・マリコからシイノ・トモヨあての手紙が入っていました。
遺書だと思うのですが、手紙の内容は映像に出てきませんでした。内容を出すべきです。つくり手の力量がないと感じました。
テレビでたまたま女優の永野芽郁(ながの・めい)さんをお見かけしました。
四国香川県小豆島(しょうどしま)ロケの様子で、中学校を訪問されていました。
永野芽郁さんは、小豆島出身だと誤解しました。(東京都出身です)
小豆島には行ったことがあるので、島の映像を観たいと思いました。
『モニタリング』という、なんというか、相手をびっくりさせる内容のテレビ番組でした。現地の中学生たちが大喜びしていました。小豆島を舞台にした映画の宣伝が目的でのテレビ出演でした。
永野芽郁さんをNHKの朝ドラで見たことがあります。『半分、青い。』でした。自分が行ったことがある岐阜県の地域がロケ地だったので関心をもって見ていました。舞台が東京に移ってからはほとんど見ませんでした。主人公が、漫画家になるような話だった記憶です。
基本的にわたしは、地理に興味をもって、ドラマやバラエティを観る人間です。
さて、そのつながりで、永野芽郁さんが出演している映画を観たいと思いました。
こちらの映画はかなり暗い内容でした。小豆島の映画はだいじょうぶだろうか。
『からかい上手の高木さん』という映画で、暗い映画ではなさそうです。よかった。
シイノ・トモヨ(永野芽郁):料理はできない。幼いころから知っているイナガワ・マリコのことを、『ダチ(友だちのだちでしょう)』と呼ぶ。
イナガワ・マリコ(奈緒):とてもかわいそうな設定です。母親は父親が原因で死んでいるようです。アル中の暴力父親から虐待や暴行を受けて育ちます。シイノ・トモヨの存在が心の支えです。シイノ・トモヨが、イナガワ・マリコの父親に立ち向かっていきますが、いかんせんまだこどもだったりもします。
イナガガワ・マリコは、暴れる(あばれる)父親の存在や、すさんだ生活に耐えきれなくて、住宅の5階から転落死します。自殺です。シイノ・トモヨの心に、イナガワ・マリコを死に追いやった彼女の父親への復讐心が燃え上がります。
回想シーンで、ふたりの子役さんたちがけっこうな回数出てきます。幼児期、小学生とか、中学生とか、時間帯が長く、見ていて、主役は子役さんたちではなかろうかと思うことがありました。
クソ上司が出てきます。自分の会社はブラックだと大声で公言します。退職させてくれません。よくいうパワハラ上司です。もはやそれは犯罪行為です。脅迫、恐喝、権利侵害、いろいろあります。逮捕してもらいましょう。
主役の永野芽郁さんにながながと、タバコを吸わせる映画だとあきれました。最初から最後までタバコと手紙でつなぎます。この映画は、タバコと手紙でできあがっています。昭和40年代・50年代の表現手法です。
(葬儀・火葬における)直送(ちょくそう):お寺や親族一同を呼んでの葬式をあげない。挙げても簡単なもの。お坊さんは来ないか、来ても形だけの短時間、あるいは、葬儀社の職員がお坊さんの代わりに手を合わせるだけ。そんなイメージです。棺桶に入れて、一晩安置して、火葬場へ運んで焼いて、骨はほんの少しだけ拾うだけでしょう。
あとでパワハラ上司が出てくるのですが、葬式よりも仕事が大事だとクソ上司がほえます。仕事よりも葬式のほうが大事です。お金よりも気持ちが大事です。それが人間です。おかしな世の中になってしまいました。
虐待オヤジが壊れています。
こういうオヤジっています。
あんがい、ふだんはあいそがよくて、近所づきあいや仕事場では、協調性があったりもします。外面(そとずら)がいいのです。自分の精神的なストレスは家族にぶつけて解消します。家族は大迷惑です。
気が弱いからアルコールを飲みます。アルコール中毒になります。自分で自分をコントロール(管理)できない。そういう人には、近づかないほうがいいけれど、それが、自分の父親だと最悪です。しなくてもいい苦労を体験することになります。映像にある状態までくると、児童相談所が対応する事例でしょう。
親の役割を果たす能力をもっていない親っています。
だから、こどもは大きくなると家を出て、自活する能力を身につけることができるとはいえます。
この映画は、不幸を並べていく映画なのか。
復讐劇です。永野芽郁さんは熱演です。
ユーモラスな演技も鬼気迫る演技もじょうずです。
なかほどまで観て、どうなっていくの、この映画という気持ちになりました。
なぜ、そんなに、『海』に行きたいのだろう?
映画やドラマだと、登場人物は、海に行きたがります。
あまり海を見たことがないのでしょう。
わたしは幼児期に海のそばに建つ家で暮らしたことがあります。
毎日海が見えました。
毎日、富士山が見えるところにいるようなものなのでしょう。
わたしは、海はたまに見るだけでかまいません。目を閉じれば海の記憶がよみがえります。
親友である自殺したイナガワ・マリコのお骨(おこつ)が入った箱があります。
う~む。人生体験が薄い人にはわからないと思いますが、火葬場直送葬儀形式の場合、映像で出てくるような、立派なお骨箱に骨を入れるとは思えません。小さくて簡易的な骨箱です。骨箱には、ほんの少しの骨しか入っていません。なにせ、葬式代を最小限に抑えるための火葬場直送なのですから。
まあ、全体的に、話をつくってある映画です。世の中は映像のようになっているとは思わないほうがいい。現実と映画は別物です。
長距離深夜バスで移動します。
イナガワ・マリコの骨を海に散骨するようです。
男に支配される人生を送る女がいます。(それでいいのか)
男の収入に依存する女がいて、女を母親代わり、家政婦がわりに使う男がいます。(女は、それでいいのか)
映像は東北青森八戸(はちのへ)あたりなのに、登場人物の年配男性のセリフが九州弁です。『どこからきたと?』、不思議でした。
リストカット(死にたくて手首を切るが、ためらうので、かすり傷になる。たくさん切り傷ができる)のシーンがありますが、演技だと思って見ているので、怖くはありません。演技がじょうずか、そうでないかを基準にして観ています。
歯磨きとか、タバコとかの映像が出ます。まあ、タバコは薬物依存という、心、そして脳みその病気であり、治療が必要です。
だめな男に依存するという女の生き方を問う作品です。
観ていて、気が重くなってくる映画です。
今放送されていているNHK朝ドラ、『虎に翼』の伊藤沙莉さんみたいに、気持ちを強くもって前進した方がいい。男に頼るな!です。女は、男のしもべ(召使い。めしつかい)になるなです。
女性同士の同性愛のような面があるのだろかと思って観ていましたが、そういうことは感じられませんでした。
死んだ人を、今も生きているかのように扱うのには、無理があります。
非現実的です。
近しい身内を亡くすことは珍しいことではありません。病気や事故、自然災害や事件など、人間は簡単に死にます。きょう隣にいる人が、あしたも隣にいるという保証はどこにもありません。だから、なにげない毎日は大切なのです。
映画にメッセージがありますが、死んだ人のことを思い続けたいのなら、『(自分が)生きているしかない』のです。死んだ人のことは、自分の記憶の中にしか存在していないからです。
鉄道駅のシーンが出てきます。
跨線橋(こせんきょう。上り下りの線路が、空中に浮いた状態にある歩道橋のような形状の部分を通って移動する)の映像が、昔、北海道に行ったときに見た駅舎の風景に似ていました。今はもう廃線になったと思いますが、足寄駅(あしょろえき)だった記憶です。
『シイノ・トモヨ、はずかしながら、帰ってまいりました』
グアム島から帰還した横井正一さん(よこいしょういちさん)みたいな言葉づかいです。(1972年(昭和47年)帰還。終戦を知らずに、何十年間もグアム島のジャングルに潜んでいた(ひそんでいた))。今どきの若い女性がそんな言葉づかいをするとは思えないのです。
線香花火です。
映画の定番、終わり付近で、打ち上げ花火とか、線香花火のシーンです。う~む。平凡かなあ。
イナガワ・マリコから、保護猫の話が出ます。自分と捨て猫を重ねてあるのでしょう。
シイノ・トモヨの親子・きょだいのことは話が出てきませんでした。かたよったつくりで変です。
イナガワ・マリコの父親と暮らしていた田村恭子という女性(吉田羊)からシイノ・トモヨに手紙が届きました。封筒の中に、自殺したイナガワ・マリコからシイノ・トモヨあての手紙が入っていました。
遺書だと思うのですが、手紙の内容は映像に出てきませんでした。内容を出すべきです。つくり手の力量がないと感じました。