2024年07月11日

ぼくはうそをついた 西村すぐり

ぼくはうそをついた 作・西村すぐり 絵・中島花野(なかじまかの) ポプラ社

(1回目の本読み)
 とりあえず、ページを全部めくってみて、どんなことが書いてあるのかを把握します。はあく:(おおまかに)理解する。

 出てくる人たちです。時代設定は、2005年(平成17年)になっているようです。
 舞台は広島県広島市です。

ひいおじいさん:リョウタのひいおじいさんのこと。94歳で今年初めに亡くなったそうです。リョウタの祖父であるシゲルさんとそのひいおじいさんは一緒に暮らしていましたが、ひいおじいさんが亡くなったので、おじいさんは、リョウタの家族といっしょに暮らすようになったそうです。ちょっとややこしい。この物語は、おじいさんやおばあさんなどのお年寄りがいっぱいです。おじいさん・おばあさんに加えて、ひいおじいさん・ひいおばあさんが出てきます。

レイ:リョウタより1歳上の女子。ヘロウばぁ(レイのひいおばあさん)のひ孫娘。物語の途中で、長い髪を切って、ショートヘアに変えます。

シゲル少年:リョウタの祖父シゲルの少年時代でしょう。

カープ:プロ野球チームの広島カープでしょう。

ミノル:リョウタの祖父であるシゲルじいちゃんの3歳年上の兄。原爆に被爆したため13歳で亡くなったそうです。

タヅ(レイのひいおばあさん):90歳代の高齢女性。去年の夏、家を出ていなくなったことがある。認知症の徘徊(はいかい。さまよい歩き)があるのでしょう。今は在宅しているようです。(数日前にニュースで、認知症のために家を出たまま行方不明になって警察に届け出があった高齢者が日本国内で1万9000人ぐらいいるようなことをいっていました。そのうちの何割かはその後発見されているのでしょう)。
タヅは、アメリカへ渡った日本人移民のこどもとして生まれた。(アメリカというのは、アメリカ合衆国ではなく、移民先だった南米の国ということでしょう。ブラジルとかペルーとか)。貧しくて生活できず、一家で帰国したというように書いてあります。認知症のためか、自分で、『(自分は)12歳です。男の子をさがしとります(自分のこども)』と言ったそうです。

リョウタ:小学5年生の夏という設定です。広島市内を流れている太田川のむこうに住んでいた母方祖父シゲルじいちゃんが来て、家族四人の同居になった。両親がいる。ほかに家が二軒建っている。リョウタの家(普通車2台の駐車スペースあり。庭なし。父の普通車と母の軽自動車、シゲルじいちゃんの軽自動車、合計3台を2台分のスペースに無理やり停(と)めている)、隣に広い庭付きの古家(ふるや)がある。リョウタは、ジュニアバレーボール部員で、『大田川プルムス』というチームに所属している。夏休み中は、週に3回練習がある。話の始まりでは小学5年生だが、途中で6年生に進級する。

シゲルじいちゃん:リョウタの母方祖父とあります。

(伝説の)ヘロウばぁ:リョウタの一学年上の女子レイのひいおばあさん。認知症があるように見えます。原爆で子どもさんを亡くしているそうです。

 太田川をはさんで家が2軒ある。小学5年生のリョウタとリョウタの母方祖父であるシゲルじいちゃんが住んでいる一戸建てがある。
 
 広島原爆を扱った反戦ものの児童文学でしょう。
 原爆投下から時が流れて、世代が変わりました。
 以前の物語だったら、祖父母で良かった設定が、令和の今は、ひいおじいさん・ひいおばあさんの時代を設定しての話になりました。広島原爆の投下が1945年(昭和20年)ですから、あれから79年です。ただ、この物語の場合は、西暦2005年ころの設定になっています。平成17年ころです。当時だと、原爆投下は60年ぐらい前です。

 序章:いただきます
 第一章:ひいおじいさんのたからもの
 第二章:猫のタオルハンカチ
 第三章:レイのゆううつ
 第四章:シゲル少年四年生の夏
 第五章:わしらのカープ
 第六章:レイのゆううつ2
 第七章:ミノルがめざした場所
 第八章:たずねびと
 終章:タヅさんのぞうり
 あとがき
 以上の構成です。

 昔大きな戦争があった。第二次世界大戦。1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)9月2日。
 日独伊(日本、ドイツ、イタリア)と連合国が戦って、連合国が勝利した。
 
 広島市への原爆投下:1945年8月6日午前8時15分に投下された。人類史上初の核兵器による都市攻撃だった。
 56万人ぐらいが放射能に被爆した。投下された年に約14万人が亡くなった。
 当時の広島市の人口は約35万人だった。
 広島市には軍事施設があったので原爆投下の候補地に選ばれたという文章を以前読んだことがあります。

横川駅:原爆ドームの北方向にあるJRの駅(昔は国鉄の駅だった。日本国有鉄道)

あたらしい球場:昔あった広島市民球場でしょう。わたしは広島見物に行ったときに、野球場のスタンドからグランドを見たことがあります。そのときはもう新しいマツダスタジアムができていたような時期で、広島市民球場のグランドでは、中学生同士が試合をしていました。

あとがき:作者西村すぐりさんのおかあさんの戦争体験をもとにして、この児童文学をつくられたそうです。お名前から性別がわからなかったのですが、作者は女性です。

(2回目の本読み)
 (魚釣りをするときの)鑑札(かんさつ):リョウタと祖父のシゲルがアユ釣りをします。釣るための権利としてお金を支払うともらえる。漁業組合に払う。漁業組合が川や魚の管理をしている。環境維持のための費用を負担している。

 祖父と小学生5年生男児の孫とでおとり鮎を使った釣りをしています。祖父と孫のペアという、あまりそのような光景は見かけなくなりました。
 アユ釣りのやり方の講習本のようでもあります。
 
 河川敷で三角ベースの野球遊びをするこどもも見かけなくなりました。
 正式なチームに入って野球をするこどもばかりです。時代が変わりました。

 シゲルじいちゃんが持っている小さな箱:もともとは、シゲルじいちゃんの父親(シゲルのひいおじいさん)の遺言書が入っていた。ひいおじいさんは、一年前に亡くなった。一周忌の法要があった。今は、箱の中には、原爆で亡くなったシゲルじいちゃんの3歳年上の兄ミノルの遺品が入っている。さきっぽが折れた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)と、つくりかけの木の彫刻が入っている。兄は、学徒動員の勤労奉仕で家屋を倒す作業をしていて原爆の犠牲者になった。遺体は見つからなかったが、さきほどのミノルさんが使っていたナイフは見つかった。

 話の途中でときおり、遊びの、『だるまさんがころんだ』が出てきます。なにか意味があるのでしょう。伏線かも。(あとで感動を生むためのしかけ)(読み終えてとくに伏線らしきものはありませんでした)

 出てくる人の名前がカタカナ表記ばかりです。なにか配慮があるのでしょう。

 リョウタのひいおじいさんは、息子のミノルさん(シゲルさんの3歳年上の兄)を原爆で亡くした。遺体は見つからなかった。持っていた小刀(こがたな。鉛筆を削るための折り畳み式ナイフ)だけが見つかった。

カイト:レイのいとこでレイの家の隣の家に住んでいる。レイより1歳下ですから、リョウタと同じ学年でしょう。将来バイオリニストになりたい。

カイトの妹:生まれたばかりだそうです。

ミドリ先生:1945年(昭和20年)8月広島に原爆が投下された当時、17歳の女子で先生をしていた。戦争で教員不足となり、代用教員として働いていた。原爆投下後、袋を縫って、亡くなった人の遺品を入れる作業をした。袋には亡くなっていた人の情報を書いた。

ユキワリイチゲ:多年草。野山に自然に咲く。作者はこの花になにかこだわりがあるようです。

 なんというか、説明の文章が多いので、こどもさんにとっては、読みづらいかもしれません。人間関係も続き柄がややこしい。
 これから、原爆投下のことを知らない世代へと交代していく経過の中で、表現のしかたをシンプルにする手法に転換する術(すべ。やりかた)を発想していくことが必要でしょう。
 時系列的な表現のしかただと、今はひいおじいさんやひいおばあさんが体験したといえますが、ひいひいおじいさんやひいひいおばあさんとなると伝承のためのインパクト(強調点)が薄くなります。

 リョウタの祖父シゲルが小学四年生だったときの話が出ます。
 広島菜:漬物(つけもの)にできる野菜でしょう。
 シゲルからリョウタに、広島市に原子爆弾が投下されたときについての話があります。
 空襲警報発令です。
 わたしは、広島市は軍都だったから、原爆投下の目標地に選ばれたと聞いたことがあります。
 シゲル少年は当時、広島市内の爆心地から10kmぐらい離れた小学校の校庭にいたそうです。
 原爆投下後、救護活動に従事した。
 6年生は、8人で、ほとけさん(遺体)をのせた戸板(といた。引き戸に使う板)を運んだ。四年生は体がちいさいので、手伝わせてもらえなかった。

松根油(しょうこんゆ):松の根っこにある油。飛行機の燃料にするそうですが、ちょっと考えられません。無理でしょ。

 94ページまで読みましたが、いまだにタイトルの意味がわかりません。『ぼくはうそをついた』の意味です。主人公の小学6年生リョウタはまだうそをついていません。

 リョウタは、『原爆ドーム』を見学に行きます。ちなみにわたしは二度見学したことがあります。最初の時と二度目とは印象が異なりました。
 最初見たときは、次のような感想メモが残っています。
 『第一印象は、建物の色が思っていたものとずいぶん異なることでした。わたしは壁が濃厚な緑がかった暗い雰囲気の構築物を想像していましたが、実際は正反対で、淡いパステルカラーでした。話は脱線してしまうのですが、以前名古屋市東区の徳川美術館で、源氏物語絵巻の再製版を見たことがあるのですが、そのときも深い色の水彩画をイメージしていたのですが、パステル(クレパスのようなもの)で描いたような明るい色調でした。話を戻すと、この広島ドームを見学した前日に京都の同志社大学横の道を歩いていたのですが、同大学の建物と原爆ドームの建物のレンガ色が同一で、かつ両者ともに洋風建築でわたしにとってはいずれも不思議なことでした。ながめていて、原爆ドームについては、建築されたときにこの姿になることが運命づけられていたのではないかと神がかりのように思えました』
 次が、二度目の時の感想メモです。
 『夏の暑さで視野がぼやけてしまいました。4年前に来たときは秋でした。パステルカラーの明るい建物に感じましたが、今回は暗い雰囲気を感じました。季節や朝・昼・晩で印象が変わるのでしょう。(こちらの本に紹介がある平和公園にある折り鶴を上にかかげた少女像を見て)この像を長い間ながめていました。胸にぐっとくるものがありました』
 原爆ドーム:広島県産業奨励館(ひろしまけんさんぎょうしょうれいかん)

 物語の設定では2005年(平成17年)のことですから、プロ野球広島カープスの本拠地は、広島市民球場です。現在はマツダスタジアム広島(2009年竣工、供用開始)に変わっています。先日、九州博多へ行ったときに、新幹線の車窓から見えました。
 広島市民球場だったときのことが書いてあります。『たる募金』。たるの中に募金を入れてもらい球場のために使用する。広島カープは、ほかの球団のように、スポンサーとして、特定の企業をもたない市民球団としてスタートしています。

相生橋(あいおいばし):原爆投下のときの目標地点だった。原爆ドームとか昔の広島市民球場の近くにあります。

 物語は、平和公園内の説明が延々と続きます。
 建物疎開(たてものそかい):空襲が来る前に建物をあらかじめ壊して、火事が延焼しないようにしておく。

 この物語は、原爆の話と、超高齢者の認知症の話が並べてあるような印象です。

ミノル:リョウタの祖父シゲルの兄。

 平和公園あたりを中心において、広島市街地を背景に、超高齢者であるレイのひいおばあさんタヅ(別名ヘロゥばあさん)の記憶の中にある原爆投下時の世界が広がります。
 タヅは、原爆で亡くなった自分の息子の小学一年生タケタショウタ(リョウタの祖父シゲルの兄ミノルと同級生。シゲルも原爆で亡くなった)を探しているのです。(さがしている)

 149ページで、この本のタイトル、『ぼくはうそをついた』の意味がわかります。
 
 お盆の時期が近づいています。
 たまたまこの本を読み終える前日に、わたしたち夫婦は東京見物で、東京九段下(くだんした)の駅から出て、靖国神社(やすくにじんじゃ)へと歩いていました。
 靖国神社には、戦争で亡くなった人たちの霊(れい。魂たましい)が祀られています。(まつられています:尊敬し心をなぐさめ感謝する)。政治的にはいろいろ考えの対立もあるようですが、関係者遺族にとっては、心休まる場所でしょう。わたしたちが訪れたときは、全国各地から寄せられた個人名や組織名などが書かれた小型の黄色い提灯(ちょうちん)をたくさん取り付ける作業をされていました。戦没者の遺族会が関係しているのかもしれません。7月13日土曜日からなにか行事が開催されるようすでした。
 戦争とは違いますが、邦画、『異人たちとの夏』の内容も、ご先祖様を大切に思ういい映画だったことをふと思い出しました。亡くなった若き日のおとうさんおかあさんが、息子である片岡鶴太郎さんの目の前に現れて、おまえもなかなかたいへんだなあとなぐさめてくれるのです。しみじみしました。状況としては、異人たちとの夏ではなく、死人たちとの夏です。こわくはありません。だって、親子なんですもの。

 こちらの物語では、リョウタは、タケタショウタになり、レイは、ミノルになったのです。

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