2024年07月23日
ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 伊良湖岬~善光寺
ローカル路線バス乗り継ぎの旅W 第3弾 愛知県伊良湖岬(いらごみさき)~長野県善光寺 ネットもテレ東とかTVer(ティーバー)
前回の第2弾がひどかったので、もう観るのははやめようかと思っていたのですが(前回は、宿泊場所が見つからなくて、ラブホテル、それから、居酒屋の座敷にふとんを敷いてもらって泊まりました。加えて、バスに乗らずに歩いてばかりでした)、出発地の伊良湖岬もゴールの善光寺もわたしは行ったことがあるので、場所や地域に興味が湧いて観てみました。今回観て、なかなか良かった。途中のルートで、わたしが訪れたことがある場所がけっこうな数、観ることができました。そして、三人さんのチャレンジ精神が良かった。元気です。若いです。善光寺の手前で、乗れるバスがなくなって、ゴールはかないませんでしたが、なかなか良かった。拍手です。
三船美佳さん、たけうちほのかさん、髙木菜那さん(髙木さんは、太川陽介さんのほうのバス対決番組で拝見したことがあります。『ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in岩手盛岡駅~青森八戸櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)。朝ドラ女優VS金メダリストの頂上対決 陣取り合戦』
太川陽介チーム:紺野まひる(元宝塚歌劇団所属。NHK朝ドラ『てるてる家族』に出演) (Wエンジン)チャンカワイ
河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙木菜那(平昌ピョンチャンオリンピックスピードスケートの金メダリスト) 宮本和知(元プロ野球選手。みやもとかずともさん。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。そのときは、髙木菜那さんが属していた河合郁人チームの勝利でした。
伊良湖岬からだと、名古屋方面から木曽路(中山道なかせんどう)を使って、北上するといいのではないかと自分は考えました。
えびすさんと太川さんの時に、三重県松坂駅から長野県松本城をめざしたことがある記憶です。成功しています。
今回の三人さんは、愛知県岡崎市あたりから北上されました。
答え合わせのタビリスさんというキャラクターが出てくる番組も観ましたが、なかなか渥美半島の付け根あたりから北上するのは勇気がいります。(長距離の徒歩が含まれますが、そのルートのほうが良かったそうです)
『本宿(もとじゅく)』という地名が出たのですが、二十代のころにグループで、炭火焼バーベキューを食べに行きました。そのときのメンバーの何人かはもう亡くなりました。見ていてなんか、しみじみしました。人生は思い出づくりです。たくさん思い出をつくった人が人生において心残りが少ないのです。歳をとってくると、あの時、ああすればよかった。こうすればよかったと後悔しても、やれたはずのことはもうやれなくなっていくのです。
途中あれ?と思ったのは、三人さんが、足助(あすけ)には、泊るところがないかもしれないと迷ったことです。
旧足助町は、香嵐渓(こうらんけい)という紅葉がきれいな低い山がある観光地です。夏の今だと、川がきれいです。アユ料理も出ます。何度か行ったことがあります。地元では有名な観光地であり、泊るところもあるわけで、タレントさんも含めて足助町(あすけちょう)が一般的にあまり知られていないことが番組を見ていて不思議でした。今は豊田市と合併しましたが、豊田市さんは、もっとPRして、足助(あすけ)という観光地を全国に周知したほうがいいですよ。
足助で泊まるなり、タビリスさんのいうとおり、その先の、『どんぐりの湯(わたしは何度か訪れたことがあります)』まで行って、どんぐりの湯に泊まっていれば、その後のルートづくりでいい方向で動けました。善光寺まで、ゴールできていました。
『月瀬の大杉(つきせのおおすぎ)』の横に三人さんが立ちました。巨大な杉の木です。樹齢は1000年を超えています。わたしも見上げたことがあります。杉の木は、市街地からは遠くて、人が少ない山の中に位置しているので、1000年以上も生きていられるのでしょう。
髙木菜那さんだったかの言葉が良かった。
(バス案内業務の職員さんたちに向かって、自分たちが立ち去るときに)『なにか、みなさんが言い残したことはありますか?』、あとのふたりが、『逆でしょ』と返していました。おもしろい!
真剣です。
とくに、スピードスケート金メダリストの髙木菜那さんは、すごい気迫だ!!
いい仕事をしています。
『飯田まで行って、焼き肉食べよう!』(焼き肉、おいしそうでした)
木曽路は、西欧の外国旅行者が多い。日本の古い町並み、江戸時代の風景、馬籠(まごめ)、妻籠(つまご)、奈良井の宿(ならいのしゅく)などに深い興味が湧くのでしょう。
江戸時代の人たちは、中山道(なかせんどう)をじっさいに歩いて江戸日本橋から京都三条大橋まで行ったのですからたいしたものです。わたしは、たまたま先々週、東京日本橋あたりをウロウロしました。江戸時代は、江戸日本橋から京都三条大橋まで、人によりけりでしょうが、16日~17日間で歩いたそうです。
ロケでは途中で雨が降ったりもします。バス旅は人生に似ているのです。いいときもあれば、そうでないときもあるのです。それでも前へ進むのです。
しかし、すごいなあ。伊良湖岬から、ここまで(木曽の山奥)路線バスで来たのです。ゴールできなくても、それだけでもすごい!長野県の塩尻市という標識が見えました。
『木曽路はすべて山の中である』という島崎藤村の小説『夜明け前』を思い出しました。
三人は、夜の居酒屋で晩ごはんのときに、ビールをはでに床にこぼしました。
髙木菜那さんは、大量のビールを自分のズボンにこぼして、おしっこをちびったようなびちょびちょ状態になりました。髙木さんは、お店の大将のジャージを借りてはきました。まあ、なんというか、すごい! がんばれーーー
バスルートの選択で、2択(にたく)で迷うことが多かった。二者択一です。
髙木菜那さんの判断力と決断力、そして体力がすごい。さすが金メダリストです。現在地球上には、人類が81億人ぐらいいるわけで、その中でスピードスケートという競技で、人類で一番になったことがある人です。なのに、そんなふうに見えないざっくばらんな人です。おみやげを、ご両親と妹さんに買われていました。家族関係が安定されているのでしょう。
最後は、またやるぞーーーと盛り上がっていました。
前回よりも格段に良かった。
前回は歩いてばかりでした。
今回はちゃんとバスに乗っていました。
がんばってください。次回を楽しみにしています。
前回の第2弾がひどかったので、もう観るのははやめようかと思っていたのですが(前回は、宿泊場所が見つからなくて、ラブホテル、それから、居酒屋の座敷にふとんを敷いてもらって泊まりました。加えて、バスに乗らずに歩いてばかりでした)、出発地の伊良湖岬もゴールの善光寺もわたしは行ったことがあるので、場所や地域に興味が湧いて観てみました。今回観て、なかなか良かった。途中のルートで、わたしが訪れたことがある場所がけっこうな数、観ることができました。そして、三人さんのチャレンジ精神が良かった。元気です。若いです。善光寺の手前で、乗れるバスがなくなって、ゴールはかないませんでしたが、なかなか良かった。拍手です。
三船美佳さん、たけうちほのかさん、髙木菜那さん(髙木さんは、太川陽介さんのほうのバス対決番組で拝見したことがあります。『ローカル路線バス乗り継ぎ対決旅 陣取り合戦in岩手盛岡駅~青森八戸櫛引八幡宮(くしびきはちまんぐう)。朝ドラ女優VS金メダリストの頂上対決 陣取り合戦』
太川陽介チーム:紺野まひる(元宝塚歌劇団所属。NHK朝ドラ『てるてる家族』に出演) (Wエンジン)チャンカワイ
河合郁人(かわい・ふみと)チーム:髙木菜那(平昌ピョンチャンオリンピックスピードスケートの金メダリスト) 宮本和知(元プロ野球選手。みやもとかずともさん。ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。そのときは、髙木菜那さんが属していた河合郁人チームの勝利でした。
伊良湖岬からだと、名古屋方面から木曽路(中山道なかせんどう)を使って、北上するといいのではないかと自分は考えました。
えびすさんと太川さんの時に、三重県松坂駅から長野県松本城をめざしたことがある記憶です。成功しています。
今回の三人さんは、愛知県岡崎市あたりから北上されました。
答え合わせのタビリスさんというキャラクターが出てくる番組も観ましたが、なかなか渥美半島の付け根あたりから北上するのは勇気がいります。(長距離の徒歩が含まれますが、そのルートのほうが良かったそうです)
『本宿(もとじゅく)』という地名が出たのですが、二十代のころにグループで、炭火焼バーベキューを食べに行きました。そのときのメンバーの何人かはもう亡くなりました。見ていてなんか、しみじみしました。人生は思い出づくりです。たくさん思い出をつくった人が人生において心残りが少ないのです。歳をとってくると、あの時、ああすればよかった。こうすればよかったと後悔しても、やれたはずのことはもうやれなくなっていくのです。
途中あれ?と思ったのは、三人さんが、足助(あすけ)には、泊るところがないかもしれないと迷ったことです。
旧足助町は、香嵐渓(こうらんけい)という紅葉がきれいな低い山がある観光地です。夏の今だと、川がきれいです。アユ料理も出ます。何度か行ったことがあります。地元では有名な観光地であり、泊るところもあるわけで、タレントさんも含めて足助町(あすけちょう)が一般的にあまり知られていないことが番組を見ていて不思議でした。今は豊田市と合併しましたが、豊田市さんは、もっとPRして、足助(あすけ)という観光地を全国に周知したほうがいいですよ。
足助で泊まるなり、タビリスさんのいうとおり、その先の、『どんぐりの湯(わたしは何度か訪れたことがあります)』まで行って、どんぐりの湯に泊まっていれば、その後のルートづくりでいい方向で動けました。善光寺まで、ゴールできていました。
『月瀬の大杉(つきせのおおすぎ)』の横に三人さんが立ちました。巨大な杉の木です。樹齢は1000年を超えています。わたしも見上げたことがあります。杉の木は、市街地からは遠くて、人が少ない山の中に位置しているので、1000年以上も生きていられるのでしょう。
髙木菜那さんだったかの言葉が良かった。
(バス案内業務の職員さんたちに向かって、自分たちが立ち去るときに)『なにか、みなさんが言い残したことはありますか?』、あとのふたりが、『逆でしょ』と返していました。おもしろい!
真剣です。
とくに、スピードスケート金メダリストの髙木菜那さんは、すごい気迫だ!!
いい仕事をしています。
『飯田まで行って、焼き肉食べよう!』(焼き肉、おいしそうでした)
木曽路は、西欧の外国旅行者が多い。日本の古い町並み、江戸時代の風景、馬籠(まごめ)、妻籠(つまご)、奈良井の宿(ならいのしゅく)などに深い興味が湧くのでしょう。
江戸時代の人たちは、中山道(なかせんどう)をじっさいに歩いて江戸日本橋から京都三条大橋まで行ったのですからたいしたものです。わたしは、たまたま先々週、東京日本橋あたりをウロウロしました。江戸時代は、江戸日本橋から京都三条大橋まで、人によりけりでしょうが、16日~17日間で歩いたそうです。
ロケでは途中で雨が降ったりもします。バス旅は人生に似ているのです。いいときもあれば、そうでないときもあるのです。それでも前へ進むのです。
しかし、すごいなあ。伊良湖岬から、ここまで(木曽の山奥)路線バスで来たのです。ゴールできなくても、それだけでもすごい!長野県の塩尻市という標識が見えました。
『木曽路はすべて山の中である』という島崎藤村の小説『夜明け前』を思い出しました。
三人は、夜の居酒屋で晩ごはんのときに、ビールをはでに床にこぼしました。
髙木菜那さんは、大量のビールを自分のズボンにこぼして、おしっこをちびったようなびちょびちょ状態になりました。髙木さんは、お店の大将のジャージを借りてはきました。まあ、なんというか、すごい! がんばれーーー
バスルートの選択で、2択(にたく)で迷うことが多かった。二者択一です。
髙木菜那さんの判断力と決断力、そして体力がすごい。さすが金メダリストです。現在地球上には、人類が81億人ぐらいいるわけで、その中でスピードスケートという競技で、人類で一番になったことがある人です。なのに、そんなふうに見えないざっくばらんな人です。おみやげを、ご両親と妹さんに買われていました。家族関係が安定されているのでしょう。
最後は、またやるぞーーーと盛り上がっていました。
前回よりも格段に良かった。
前回は歩いてばかりでした。
今回はちゃんとバスに乗っていました。
がんばってください。次回を楽しみにしています。
2024年07月22日
おいしい話なんてこの世にはない TKO木本武宏
おいしい話なんてこの世にはない どん底を見たベテラン芸人がいまさら気づいた56のこと TKO木本武宏 KADOKAWA
不祥事があった芸人さんです。
わたしには、不祥事の詳しい内容はわかりません。投資詐欺で、仲間に大きな迷惑をかけたというぐらいしかわかりませせん。
ちらりとテレビのバラエティみたいな番組を見たときに、著者は悪いことをするような人間ではないと複数の芸人さんたちが話をしていました。
わたしの旅番組視聴記録を調べたところ、2022年(令和4年)に、『ローカル路線バス乗り継ぎ対決の旅 鬼ごっこ 茨城県日立市から福島県郡山市』で、太川陽介チームとエグザイル松本利夫チームが対戦しているのですが、木本武宏さんは、太川陽介チームで参加されています。このときは、太川陽介チームの勝利でした。
木本武宏さんの相方の木下隆行さんは、東野・岡村の旅猿でお見かけしたことがあります。木下さんは、東野・岡村のおふたりに振り回されていました。岡村隆史さんの名言がありました。『人の嫌なところがいっぱい見えてくるのが旅』。それをひっくるめて許してつきあうのが、『仲間』なのでしょう。
木下隆行さんもたしか不祥事がありました。パワハラだったと思います。
なんというか、人間に失敗はつきものです。
とくに、若い時は、考えが至らないものだから調子にのってしまいます。
だれにも失敗はある。本人が後悔して、再起できる環境は必要です。
人間としてとりかえしがつかないことは、自殺と殺人です。そこまでに至ってはいけません。(5ページに木本武宏さんも自殺を考えたと記事があります)
ただ、何回チャンスを提供しても立ち直れない人は、人が離れていきます。
TKO(ティーケーオー):ボクシングにおけるテクニカルノックアウト。10カウントのノックアウトシーンがなくても、ダメージを受けているボクサーの状態が危険なため、レフェリーが続行不能と判断する。あるいは、セコンド(ボクサーの世話をする人)がリングにタオルを投げ入れて降参する。
投資詐欺の話です。この世にうまいお金もうけの話はないのです。うまい話にのると、だまされます。わたしも株式投資をする人間ですので、読んでみたくなりました。
『はじめに』
TKOの、『じゃないほう』ではなく、『投資トラブル』のほうとして有名になったと自虐的な入り方です。
2023年1月からコンビとしての活動を再開した。
同年8月から全国ライブツアーをやっているそうです。
2022年(令和4年)7月、『FX(外国為替証拠金取引)』と『不動産』における約7億円の投資トラブルがあった。事実無根で正確ではない報道があった。
数えきれないほどたくさんの人たちに迷惑をかけてしまった。
現在負債の返済を続けている。
自分の常識は世間で通用しなかった。
文章の構成です。
第1章 身の程(みのほど)を知る、自分を知る
第2章 不安とどう向き合うか
第3章 成功体験の落とし穴
第4章 世の中とどうやってつき合うか
第5章 生き地獄からどうやって生還するか
おわりに
『第1章 身の程(みのほど)を知る、自分を知る』、『第2章 不安とどう向き合うか』
コンビ(木下隆行・木本武宏)の経過です。大阪府大東市での中学の同級生。19歳で松竹芸能事務所に所属。35歳で東京へ。
文脈の流れや書き方から、ご本人がじっさいに書いたものだと判断しました。
文章を書くことはむずかしいことなので、編集者の手は入っているかと思いますが、ご本人が書いた文章に間違いはないでしょう。
読みながら、『自分ちっさいなあ』の言葉の意味を理解できませんでした。
『自分の器(うつわ)の大きさ』という言葉づかいもあります。
以下は、読み続けながら、読み手である自分が理解したことです。
著者である木本武宏さんは、『コーディネーター(調整役)』としての意識と素質がある人です。
『ちっさいなあとか、器(うつわ)』とかは、(相方のコンビの主役として扱うべき木下隆行さんに対して)寛大であること、張り合わないこと、視野が広いことを意味しています。自分が目立たなくてもコンビとしてやっていけるならそれでよしなのです。それが、コンビです。助け合いです。お互いさまです。人間協同生活の基本です。
木下隆行さんのペットボトル投げつけパワハラ大騒動が、2019年(令和元年)10月だそうです。
当時のTKOのおふたりは不仲だったそうです。
木下隆行さんにはお笑いの才能があった。でも、日常生活を送る生活能力はなかった。自分で電車の切符を買う能力もなかった。(芸能人の人は、けっこう自分で電車の切符を買ったことがない、買い方を知らないという人が多いです)
木本武宏さんが、木下隆行さんをサポートしていた。それが、木本武宏さんは、イヤになった。
2022年(令和4年)8月、木下隆行さんから連絡があって、ふたりは久しぶりに再会した。木本武宏さんは、投資詐欺を起こしていた。木下隆行さんは、木本武宏さんに、厚い札束が入った封筒を渡した。木本武宏さんは、いまもその封筒をそのまま神棚に供えてある(そなえてある)。
木本武宏さんの習性として、自分が、「好きなもの」、「惚れ込んだもの(ほれこんだもの)」を、人に知ってもらいたいという、『おすすめグセ』がある。
木本武宏さんは木下隆行さんに嫉妬していた。
木下隆行さんが楽しそうにしていることがうとましかった。(イヤな感じだった)
木下隆行さんは、ドラマでいい役で出ていた。
確実に爪痕を残している:成果をあげる。従来は、災害の跡などを言った。
役割分担として、木本武宏さんが場を作って、木下隆行さんがそこを開拓するパターンがあったが、木本武宏さんが、木下隆行さんのサポートをすることがイヤになった。
理屈っぽい話が続きます。項目の数が多いので、マニュアル本(手引き)みたいになってきました。う~む。本としては、つまらない。
読んでいると、『芸人さん』は、『職人さん』だと悟ります。お笑いづくりが仕事です。空間に、笑いを生むのです。
おふたりは、ふたりなら成立するけれど、ひとりでは成立しない。夫婦みたいなものです。
暗号通貨(仮想通貨):わたしにはなんのことかわかりません。知らなくていいことだと思っています。木本武宏さんにやらないか、やりましょうと勧めてくる人間がいます。
自分で自分が付き合う相手を選ばなければなりません。だれでもウェルカム(ようこそ)だと、利用されてだまされます。
人を判断するときの物差しをもっていたほうがいい。参考にはならないかもしれませんが、わたしは、原則として次のように構えています。
タバコを吸う人に、いい人はいない。
ながらスマホをする人に、いい人はいない。
まわりの人に迷惑をかけても自分は許されると勘違いしている人です。
それから、大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいない。いろんな手段を使って、ライバルをつぶして上に昇った人です。
笑顔で近づいて来る人は警戒する。下心が(したごころ。利用してやろうという魂胆(こんたん。たくらみ、策略)があるから笑顔になる。人間は本来不愛想(ぶあいそう)なものです。
うそつきとか詐欺師(さぎし):瞬間的につじつまが合うウソをつける能力をもった人が存在します。一度そういう人にだまされたら、その人の唇(くちびる)から出てくる言葉はすべてウソだと判断します。
FX(外国為替証拠金取引):こちらにもわたしは興味がありません。ドルや円を売り買いしてもうける手法だと思っています。
本のほうは、木本武宏さんの自省の念が続きます。(じせいのねん:反省しようという気持ち。ふりかえり)
(つづく)
著者である木本武宏さんはまだ若い。
考えに深みが足りません。
だれだれが、こう言ったから、こうなのですというパターンで、説明がなされています。
失敗について書いてあります。
資金を預けて資金の運用を依頼していたAが、突然行方不明になったそうです。
『FXの取引』を依頼していたそうです。
預かった資金を投資せずに持ち逃げしたのだろうか? それとも取引行為で失ったのだろうか。有名な米国プロ野球選手の通訳であった男性の顔が頭にうかびました。有能に見える人は気をつけたほうがいい。
木本武宏さんは、自分を含めて10人の資金をAに預けたそうです。1億7000万円です。ひとり平均1700万円ですな。各自、ほかに有益な使い道があったような気がします。
まあ、読んでいて思うのは、木本武宏さんは、ばかたれですな。
なんとかなるとか、オレが間違えるはずがないとか、自信過剰の固まりです。
人生のふりかえりです。
木本武宏さんの母はまだ58歳で、がんで亡くなった。
親族のこととして、夫と死別した自分の妹のこどもたちへ資金援助をしていた。
根っこは、まじめな人です。
だけど、調子にのってしまうところがあります。
芸人は、さきゆきが不安定だから、第二のビジネスとして投資行為をしたおいたほうがいい。
たとえば、アパート経営です。たしか、コウメ太夫さん(こうめだゆうさん)がやっていました。
『投資はギャンブルではないと思っていた』
木本武宏さんは、投資はギャンブルではないという認識、理解だったそうです。それは誤解です。リスク(危険性)があります。のめりこんではいけません。
どうして、ギャンブルではないと言い切れるのかが不可解なのですが、読んでいると、失敗する前は、自信満々だったことがわかります。自分がやることに間違いはないという強烈な自信です。
最初に偶然のように大儲けをして、ギャンブルにはまるというパターンがあります。
わたしも二十代の若い頃に、友人の影響で競馬を始めて、数回目のときに大儲けをしたことがあります。人気馬が、ゴール前で鼻血を出して失速して、予想外の馬が1着2着に入りました。数千円が十万円ぐらいになって、(競馬を続ければ)これで家が建つ!と大喜びしました。結果、家は建ちませんでした。もうけた十万円ぐらいはみんな消えました。さらに損をしました。そういうものなのです。魚釣りのエサに食いついたお魚さんのようなものなのです。競馬はやめました。コツコツ貯金して、ローンを返済して家は建ちました。
木本武宏さんは、一番になりたい人です。一番になって自慢したい。二番以下の人を見下したい。この世はオレを中心にして回っている。
自分で自分を洗脳(せんのう。マインドコントロール(心を支配する))しています。自分は投資では損はしないという誤解と錯覚にひたっていました。
この本は、木本武宏さんの自分の弱さをさらけだす本です。
本が売れたら、本の利益を、お金を出してくれた人たちへの返済金にあてたほうがいい。
木本武宏さんは、問題の投資トラブルのあともだまされています。損失を埋めたいがために、怪しい不動産取引をやって失敗しています。ハゲタカみたいな人間がいます。とことんしゃぶられます。さらに、3回目の誘惑がありましたが、そこはなんとか耐えられました。それも詐欺でした。
悪いけれど、読んでいて、ばかだなあという気持ちになります。『孤独』はカモにされます。心のすき間につけこまれます。
ポンジスキーム:サギの手口。人から預かったお金をじっさいには投資に使用しない。持ち逃げする。読んでいると、金額は小さくても、実際に(見せかけの)友人関係でありそうなことです。オレが代わりに馬券を買っておいてあげるよとか。人のお金を預かって、どうせはずれるだろうからと馬券は買わずに自分のおこづかいにするのです。だましかたはいろいろあります。
読んでいると、ちゃんと働けと言いたい。芸人なら芸人の仕事をしなさい!です。
投資は、余裕資金でするものです。
気持ちの持ち方の基本として、投資で得た利益は、自分を支えてくれる家族や親族へ奉仕するお金にあてます。
『第3章 成功体験の落とし穴』
小学生のころ、ドラえもんをみんなに広めた話。こち亀、ブラックジャックも同様に勧めて、クラスの人気者になった話。
なつかしい言葉が次々と出てきます。たのきんトリオ、チェッカーズ、新しいものをみんなに広めて喜ばれることの喜びを知った。
渡辺美里さんの歌について、中学1年生でみんなに一押しします。
人生の成功体験が続きます。
バルミューダ:家電メーカー。アメトークの家電芸人で紹介してヒットした。グリーンファン(扇風機)の爆売れ。
自らが(みずからが)、広告塔になろうとする芸能人です。
営業があります。
相手から宣伝のためのお金は受け取らない。
自由で気楽であるためにお金は受け取らない。
お金を受け取ると、行動を拘束されます。こうそく:制限される。
お金を受け取ると、いいがかりをつけてくる人間や組織があります。
お金を受け取らない木本武宏さんは、潔い。いさぎよい:清らかですがすがしい。なのに、どうして、投資詐欺にまわりの人たちを巻き込んでしまったのか。そこが問題です。
金銭的な報酬は求めないけれど、『ありがとうの報酬』は欲しいそうです。感謝されたい。チヤホヤされたい。金もうけをさせてあげて、自分の人間の格付けを高めたい。そういうことか。
学んで真似て(まねて)、創り出す(つくりだす)。
『来るものは拒まず(こばまず)』の姿勢でいると、来てはいけないものまで来てしまう。投資トラブルの原因になる相手が来てしまった。
(なんというか、人生において、あの日あの時あの場所で、あの人に出会わなければこんなひどい目にあうことはなかったということは実際にあります。気をつけましょう)
『モノ(物やお金)を失っても辛くない(つらくない)。辛いのは、人(信用)を失うこと』とあります。そのとおりです。
木本武宏さんは、人(信用)を失いました。自分をよく思ってくれている協力者たちに迷惑をかけてしまいました。親戚に借金までしてお金をつくって木本武宏さんにお金を渡した人もいるそうです。ひどい。金融取引において、無資格の知人に人から預かったお金を渡してしまいました。(金融商品取引法の届出登録、違法な無登録業者)
『第4章 世の中とどうやってつき合うか』
マージン:差額の儲け(もうけ)
著者の個性として:おせっかい、お説教したがり。長男気質。オレがめんどうをみなければならない。(自分では相手に対して良かれと思ってやっても、逆に迷惑がられて嫌われるということはよくあるパターンです)
Aという男:FX(外国為替証拠金取引)で、木本武宏さんをだました男。
Bという男:不動産投資で、木本武宏さんをだました男。
もとはといえば、このAという男と、Bという男が悪人です。事件の原因をつくったのは、AとBです。木本武宏さんは、人付き合いがいいものだからだまされたのです。自分の友人知人にまで大迷惑をかけたのです。AとBは、いまごろ、どこでどうしているのやら。新たなターゲットを見つけて、何度も人をだまして生活していくキャラクターの人物でしょう。
河合さん:9ZLaboのスタッフさんのひとり。励ましてくれた。支えてくれた。
木本武宏さんの資質として、『仲介屋』、『コーディネーター(調整役。まとめ役)』がある人です。
気前がいい歯医者のドクターが出てきます。たいしたものです。木本武宏さんの応援者です。
へこんだときに応援してくれる人がいます。
奥さんです。
奥さんから言われます。
『なんとかすんねやろ』
その部分を読んだ時に思い出した一冊があります。
『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社』
2022年(令和4年)3月4日がんによる余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)
じぶんはもう死ぬのだと、あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)。『少しはジタバタしなよ』。あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。(その後治療に成功されています)
影響は本人だけではすまないのです。家族もまきこみます。ただ、生活していると、病気や事故・事件や自然災害にまきこまれて、ドタバタ騒ぎになることが、人生の常(つね。必ずあること)です。だから、家族は助け合いなのです。
『どんなお金持ちよりも、ふつうに生きている人が幸せだな』(同感です)
自殺しそうになったことが書いてあります。
昔わたしが若い頃に聞いた話ですが、自殺というものは、自殺しようとして自殺するものではないそうです。
たとえば、鉄道列車への飛び込みは、自分の意思で飛び込むのではなく、なんとなく、体がふわ~と浮いて、自分でもどうしたのかと思うぐらい、あれよあれよという間に、勝手に体が線路や電車の来る方向へ向かっていくそうです。
それだけ、思いつめているということです。精神的にきゅんきゅんに近い狭いところへ気持ちが閉じ込められて、自分で自分の頭脳をコントロールできなくなる。体は、その苦痛から逃れるために、自動的に死を選択する。そんな話でした。
当然、自分が死んだあとのおおぜいのひとたちや家族に対する迷惑のことは頭の中にはないし、自分が死んだあとの多額になるであろう賠償金のことも頭にはないのです。
だから、思いつめちゃいけないのです。リラックスリラックス、なんとかなる、なんとかなると思うのです。ゆっくり眠るのがいい。
一番悪いのは、だました人間なのです。あなたではない。
ふとしたことがきっかけで、立ち直られています。
きちょうめんな性格なのでしょう。テレビとハードディスクレコーダーのリモコンが、『ハの字』に置いてあることが気になって、まっすぐ並列に並べなおしたところから、整理整頓ができるようになって、ご自分の気持ちも整理できて、きちんとした日常生活ができるように復活されています。
この本に出てくる千原ジュニアさんからの励ましの記事の部分で、千原ジュニアさんが書いた本を思い出しました。昔、読んだことがあります。今回、木本武宏さんにヘルプの声掛けをされています。
『14歳 千原ジュニア 講談社』、以下は感想メモの一部です。
ひきこもりのお話のようです。いっき読みになりそうです。(12時に読み始めて、途中昼食をはさんで14時30分に読み終えました。)ピストルの弾丸になって、あっという間に的(まと)に命中した心境です。ひきこもりの理由は何? それがなかなかわかりません。母親との関係がよくありません。母親の愛情が足りなかったのか多すぎたのか。『ひきこもり』については長い目で見てあげたい。まだ14歳、先は長い。
189ページのうち、前半が8割で、残り2割でいきなりラストになりました。ラストには泣けました。最初の8割の経験があったからこそラストではじけることができる。8割は貯蓄だったのです。お兄さんの彼に対する姿勢もいい。答えを提示して従わせるのではなく、弟自身に考えさせて企画させる。上手な指導法です。
教えられたから、教える。助けられたから助ける。連鎖です。
木本武宏さんが、気がついたことです。
『人の話を素直に聞こう』
木本武宏さんは、仲介活動はできるけれど、何もないところに、何かをつくりだす、『創造』をできるタイプの人ではありません。
『わからん』と言えるようになった。
それまでは、なんとしても答えを言わなければならないと思いこんでいた。
『わかりません』と答えることで、話がつながる相談事、雑談事があることを知った。
自分は、人に相談しない人間だった。自己決定が基本だと思いこんでいた。それは、よくないことだった。人に相談することで、答えは出なくても、うまくいくことがあることを知った。
自分は詐欺師でもないし、犯罪者でもない。
『芸人はなんど倒れてもまたまっすぐ立てる』
失敗をした人にかけたい言葉があるそうです。
『あなたもきっと大丈夫』
挑戦したから失敗がある。
なんというか、もう投資はやらないか、頭の体操程度の趣味にしたほうがいい。
少なくとも、人を誘うのはもうやめたほうがいい。
不祥事があった芸人さんです。
わたしには、不祥事の詳しい内容はわかりません。投資詐欺で、仲間に大きな迷惑をかけたというぐらいしかわかりませせん。
ちらりとテレビのバラエティみたいな番組を見たときに、著者は悪いことをするような人間ではないと複数の芸人さんたちが話をしていました。
わたしの旅番組視聴記録を調べたところ、2022年(令和4年)に、『ローカル路線バス乗り継ぎ対決の旅 鬼ごっこ 茨城県日立市から福島県郡山市』で、太川陽介チームとエグザイル松本利夫チームが対戦しているのですが、木本武宏さんは、太川陽介チームで参加されています。このときは、太川陽介チームの勝利でした。
木本武宏さんの相方の木下隆行さんは、東野・岡村の旅猿でお見かけしたことがあります。木下さんは、東野・岡村のおふたりに振り回されていました。岡村隆史さんの名言がありました。『人の嫌なところがいっぱい見えてくるのが旅』。それをひっくるめて許してつきあうのが、『仲間』なのでしょう。
木下隆行さんもたしか不祥事がありました。パワハラだったと思います。
なんというか、人間に失敗はつきものです。
とくに、若い時は、考えが至らないものだから調子にのってしまいます。
だれにも失敗はある。本人が後悔して、再起できる環境は必要です。
人間としてとりかえしがつかないことは、自殺と殺人です。そこまでに至ってはいけません。(5ページに木本武宏さんも自殺を考えたと記事があります)
ただ、何回チャンスを提供しても立ち直れない人は、人が離れていきます。
TKO(ティーケーオー):ボクシングにおけるテクニカルノックアウト。10カウントのノックアウトシーンがなくても、ダメージを受けているボクサーの状態が危険なため、レフェリーが続行不能と判断する。あるいは、セコンド(ボクサーの世話をする人)がリングにタオルを投げ入れて降参する。
投資詐欺の話です。この世にうまいお金もうけの話はないのです。うまい話にのると、だまされます。わたしも株式投資をする人間ですので、読んでみたくなりました。
『はじめに』
TKOの、『じゃないほう』ではなく、『投資トラブル』のほうとして有名になったと自虐的な入り方です。
2023年1月からコンビとしての活動を再開した。
同年8月から全国ライブツアーをやっているそうです。
2022年(令和4年)7月、『FX(外国為替証拠金取引)』と『不動産』における約7億円の投資トラブルがあった。事実無根で正確ではない報道があった。
数えきれないほどたくさんの人たちに迷惑をかけてしまった。
現在負債の返済を続けている。
自分の常識は世間で通用しなかった。
文章の構成です。
第1章 身の程(みのほど)を知る、自分を知る
第2章 不安とどう向き合うか
第3章 成功体験の落とし穴
第4章 世の中とどうやってつき合うか
第5章 生き地獄からどうやって生還するか
おわりに
『第1章 身の程(みのほど)を知る、自分を知る』、『第2章 不安とどう向き合うか』
コンビ(木下隆行・木本武宏)の経過です。大阪府大東市での中学の同級生。19歳で松竹芸能事務所に所属。35歳で東京へ。
文脈の流れや書き方から、ご本人がじっさいに書いたものだと判断しました。
文章を書くことはむずかしいことなので、編集者の手は入っているかと思いますが、ご本人が書いた文章に間違いはないでしょう。
読みながら、『自分ちっさいなあ』の言葉の意味を理解できませんでした。
『自分の器(うつわ)の大きさ』という言葉づかいもあります。
以下は、読み続けながら、読み手である自分が理解したことです。
著者である木本武宏さんは、『コーディネーター(調整役)』としての意識と素質がある人です。
『ちっさいなあとか、器(うつわ)』とかは、(相方のコンビの主役として扱うべき木下隆行さんに対して)寛大であること、張り合わないこと、視野が広いことを意味しています。自分が目立たなくてもコンビとしてやっていけるならそれでよしなのです。それが、コンビです。助け合いです。お互いさまです。人間協同生活の基本です。
木下隆行さんのペットボトル投げつけパワハラ大騒動が、2019年(令和元年)10月だそうです。
当時のTKOのおふたりは不仲だったそうです。
木下隆行さんにはお笑いの才能があった。でも、日常生活を送る生活能力はなかった。自分で電車の切符を買う能力もなかった。(芸能人の人は、けっこう自分で電車の切符を買ったことがない、買い方を知らないという人が多いです)
木本武宏さんが、木下隆行さんをサポートしていた。それが、木本武宏さんは、イヤになった。
2022年(令和4年)8月、木下隆行さんから連絡があって、ふたりは久しぶりに再会した。木本武宏さんは、投資詐欺を起こしていた。木下隆行さんは、木本武宏さんに、厚い札束が入った封筒を渡した。木本武宏さんは、いまもその封筒をそのまま神棚に供えてある(そなえてある)。
木本武宏さんの習性として、自分が、「好きなもの」、「惚れ込んだもの(ほれこんだもの)」を、人に知ってもらいたいという、『おすすめグセ』がある。
木本武宏さんは木下隆行さんに嫉妬していた。
木下隆行さんが楽しそうにしていることがうとましかった。(イヤな感じだった)
木下隆行さんは、ドラマでいい役で出ていた。
確実に爪痕を残している:成果をあげる。従来は、災害の跡などを言った。
役割分担として、木本武宏さんが場を作って、木下隆行さんがそこを開拓するパターンがあったが、木本武宏さんが、木下隆行さんのサポートをすることがイヤになった。
理屈っぽい話が続きます。項目の数が多いので、マニュアル本(手引き)みたいになってきました。う~む。本としては、つまらない。
読んでいると、『芸人さん』は、『職人さん』だと悟ります。お笑いづくりが仕事です。空間に、笑いを生むのです。
おふたりは、ふたりなら成立するけれど、ひとりでは成立しない。夫婦みたいなものです。
暗号通貨(仮想通貨):わたしにはなんのことかわかりません。知らなくていいことだと思っています。木本武宏さんにやらないか、やりましょうと勧めてくる人間がいます。
自分で自分が付き合う相手を選ばなければなりません。だれでもウェルカム(ようこそ)だと、利用されてだまされます。
人を判断するときの物差しをもっていたほうがいい。参考にはならないかもしれませんが、わたしは、原則として次のように構えています。
タバコを吸う人に、いい人はいない。
ながらスマホをする人に、いい人はいない。
まわりの人に迷惑をかけても自分は許されると勘違いしている人です。
それから、大きな組織の上層部にいる人に、いい人はいない。いろんな手段を使って、ライバルをつぶして上に昇った人です。
笑顔で近づいて来る人は警戒する。下心が(したごころ。利用してやろうという魂胆(こんたん。たくらみ、策略)があるから笑顔になる。人間は本来不愛想(ぶあいそう)なものです。
うそつきとか詐欺師(さぎし):瞬間的につじつまが合うウソをつける能力をもった人が存在します。一度そういう人にだまされたら、その人の唇(くちびる)から出てくる言葉はすべてウソだと判断します。
FX(外国為替証拠金取引):こちらにもわたしは興味がありません。ドルや円を売り買いしてもうける手法だと思っています。
本のほうは、木本武宏さんの自省の念が続きます。(じせいのねん:反省しようという気持ち。ふりかえり)
(つづく)
著者である木本武宏さんはまだ若い。
考えに深みが足りません。
だれだれが、こう言ったから、こうなのですというパターンで、説明がなされています。
失敗について書いてあります。
資金を預けて資金の運用を依頼していたAが、突然行方不明になったそうです。
『FXの取引』を依頼していたそうです。
預かった資金を投資せずに持ち逃げしたのだろうか? それとも取引行為で失ったのだろうか。有名な米国プロ野球選手の通訳であった男性の顔が頭にうかびました。有能に見える人は気をつけたほうがいい。
木本武宏さんは、自分を含めて10人の資金をAに預けたそうです。1億7000万円です。ひとり平均1700万円ですな。各自、ほかに有益な使い道があったような気がします。
まあ、読んでいて思うのは、木本武宏さんは、ばかたれですな。
なんとかなるとか、オレが間違えるはずがないとか、自信過剰の固まりです。
人生のふりかえりです。
木本武宏さんの母はまだ58歳で、がんで亡くなった。
親族のこととして、夫と死別した自分の妹のこどもたちへ資金援助をしていた。
根っこは、まじめな人です。
だけど、調子にのってしまうところがあります。
芸人は、さきゆきが不安定だから、第二のビジネスとして投資行為をしたおいたほうがいい。
たとえば、アパート経営です。たしか、コウメ太夫さん(こうめだゆうさん)がやっていました。
『投資はギャンブルではないと思っていた』
木本武宏さんは、投資はギャンブルではないという認識、理解だったそうです。それは誤解です。リスク(危険性)があります。のめりこんではいけません。
どうして、ギャンブルではないと言い切れるのかが不可解なのですが、読んでいると、失敗する前は、自信満々だったことがわかります。自分がやることに間違いはないという強烈な自信です。
最初に偶然のように大儲けをして、ギャンブルにはまるというパターンがあります。
わたしも二十代の若い頃に、友人の影響で競馬を始めて、数回目のときに大儲けをしたことがあります。人気馬が、ゴール前で鼻血を出して失速して、予想外の馬が1着2着に入りました。数千円が十万円ぐらいになって、(競馬を続ければ)これで家が建つ!と大喜びしました。結果、家は建ちませんでした。もうけた十万円ぐらいはみんな消えました。さらに損をしました。そういうものなのです。魚釣りのエサに食いついたお魚さんのようなものなのです。競馬はやめました。コツコツ貯金して、ローンを返済して家は建ちました。
木本武宏さんは、一番になりたい人です。一番になって自慢したい。二番以下の人を見下したい。この世はオレを中心にして回っている。
自分で自分を洗脳(せんのう。マインドコントロール(心を支配する))しています。自分は投資では損はしないという誤解と錯覚にひたっていました。
この本は、木本武宏さんの自分の弱さをさらけだす本です。
本が売れたら、本の利益を、お金を出してくれた人たちへの返済金にあてたほうがいい。
木本武宏さんは、問題の投資トラブルのあともだまされています。損失を埋めたいがために、怪しい不動産取引をやって失敗しています。ハゲタカみたいな人間がいます。とことんしゃぶられます。さらに、3回目の誘惑がありましたが、そこはなんとか耐えられました。それも詐欺でした。
悪いけれど、読んでいて、ばかだなあという気持ちになります。『孤独』はカモにされます。心のすき間につけこまれます。
ポンジスキーム:サギの手口。人から預かったお金をじっさいには投資に使用しない。持ち逃げする。読んでいると、金額は小さくても、実際に(見せかけの)友人関係でありそうなことです。オレが代わりに馬券を買っておいてあげるよとか。人のお金を預かって、どうせはずれるだろうからと馬券は買わずに自分のおこづかいにするのです。だましかたはいろいろあります。
読んでいると、ちゃんと働けと言いたい。芸人なら芸人の仕事をしなさい!です。
投資は、余裕資金でするものです。
気持ちの持ち方の基本として、投資で得た利益は、自分を支えてくれる家族や親族へ奉仕するお金にあてます。
『第3章 成功体験の落とし穴』
小学生のころ、ドラえもんをみんなに広めた話。こち亀、ブラックジャックも同様に勧めて、クラスの人気者になった話。
なつかしい言葉が次々と出てきます。たのきんトリオ、チェッカーズ、新しいものをみんなに広めて喜ばれることの喜びを知った。
渡辺美里さんの歌について、中学1年生でみんなに一押しします。
人生の成功体験が続きます。
バルミューダ:家電メーカー。アメトークの家電芸人で紹介してヒットした。グリーンファン(扇風機)の爆売れ。
自らが(みずからが)、広告塔になろうとする芸能人です。
営業があります。
相手から宣伝のためのお金は受け取らない。
自由で気楽であるためにお金は受け取らない。
お金を受け取ると、行動を拘束されます。こうそく:制限される。
お金を受け取ると、いいがかりをつけてくる人間や組織があります。
お金を受け取らない木本武宏さんは、潔い。いさぎよい:清らかですがすがしい。なのに、どうして、投資詐欺にまわりの人たちを巻き込んでしまったのか。そこが問題です。
金銭的な報酬は求めないけれど、『ありがとうの報酬』は欲しいそうです。感謝されたい。チヤホヤされたい。金もうけをさせてあげて、自分の人間の格付けを高めたい。そういうことか。
学んで真似て(まねて)、創り出す(つくりだす)。
『来るものは拒まず(こばまず)』の姿勢でいると、来てはいけないものまで来てしまう。投資トラブルの原因になる相手が来てしまった。
(なんというか、人生において、あの日あの時あの場所で、あの人に出会わなければこんなひどい目にあうことはなかったということは実際にあります。気をつけましょう)
『モノ(物やお金)を失っても辛くない(つらくない)。辛いのは、人(信用)を失うこと』とあります。そのとおりです。
木本武宏さんは、人(信用)を失いました。自分をよく思ってくれている協力者たちに迷惑をかけてしまいました。親戚に借金までしてお金をつくって木本武宏さんにお金を渡した人もいるそうです。ひどい。金融取引において、無資格の知人に人から預かったお金を渡してしまいました。(金融商品取引法の届出登録、違法な無登録業者)
『第4章 世の中とどうやってつき合うか』
マージン:差額の儲け(もうけ)
著者の個性として:おせっかい、お説教したがり。長男気質。オレがめんどうをみなければならない。(自分では相手に対して良かれと思ってやっても、逆に迷惑がられて嫌われるということはよくあるパターンです)
Aという男:FX(外国為替証拠金取引)で、木本武宏さんをだました男。
Bという男:不動産投資で、木本武宏さんをだました男。
もとはといえば、このAという男と、Bという男が悪人です。事件の原因をつくったのは、AとBです。木本武宏さんは、人付き合いがいいものだからだまされたのです。自分の友人知人にまで大迷惑をかけたのです。AとBは、いまごろ、どこでどうしているのやら。新たなターゲットを見つけて、何度も人をだまして生活していくキャラクターの人物でしょう。
河合さん:9ZLaboのスタッフさんのひとり。励ましてくれた。支えてくれた。
木本武宏さんの資質として、『仲介屋』、『コーディネーター(調整役。まとめ役)』がある人です。
気前がいい歯医者のドクターが出てきます。たいしたものです。木本武宏さんの応援者です。
へこんだときに応援してくれる人がいます。
奥さんです。
奥さんから言われます。
『なんとかすんねやろ』
その部分を読んだ時に思い出した一冊があります。
『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記 小倉一郎(おぐら・いちろう) 双葉社』
2022年(令和4年)3月4日がんによる余命宣告を受ける。あと1年か2年の命と言われる。いろいろ葛藤があります。(かっとう:苦悩する心理状態)
じぶんはもう死ぬのだと、あきらめて静かになった小倉一郎さんを、友人や、とくに長女さんが鼓舞します。(こぶ:励まし振るい立たせる)。『少しはジタバタしなよ』。あきらめないのです。病院を変えます。がん治療の専門病院へ転院します。(その後治療に成功されています)
影響は本人だけではすまないのです。家族もまきこみます。ただ、生活していると、病気や事故・事件や自然災害にまきこまれて、ドタバタ騒ぎになることが、人生の常(つね。必ずあること)です。だから、家族は助け合いなのです。
『どんなお金持ちよりも、ふつうに生きている人が幸せだな』(同感です)
自殺しそうになったことが書いてあります。
昔わたしが若い頃に聞いた話ですが、自殺というものは、自殺しようとして自殺するものではないそうです。
たとえば、鉄道列車への飛び込みは、自分の意思で飛び込むのではなく、なんとなく、体がふわ~と浮いて、自分でもどうしたのかと思うぐらい、あれよあれよという間に、勝手に体が線路や電車の来る方向へ向かっていくそうです。
それだけ、思いつめているということです。精神的にきゅんきゅんに近い狭いところへ気持ちが閉じ込められて、自分で自分の頭脳をコントロールできなくなる。体は、その苦痛から逃れるために、自動的に死を選択する。そんな話でした。
当然、自分が死んだあとのおおぜいのひとたちや家族に対する迷惑のことは頭の中にはないし、自分が死んだあとの多額になるであろう賠償金のことも頭にはないのです。
だから、思いつめちゃいけないのです。リラックスリラックス、なんとかなる、なんとかなると思うのです。ゆっくり眠るのがいい。
一番悪いのは、だました人間なのです。あなたではない。
ふとしたことがきっかけで、立ち直られています。
きちょうめんな性格なのでしょう。テレビとハードディスクレコーダーのリモコンが、『ハの字』に置いてあることが気になって、まっすぐ並列に並べなおしたところから、整理整頓ができるようになって、ご自分の気持ちも整理できて、きちんとした日常生活ができるように復活されています。
この本に出てくる千原ジュニアさんからの励ましの記事の部分で、千原ジュニアさんが書いた本を思い出しました。昔、読んだことがあります。今回、木本武宏さんにヘルプの声掛けをされています。
『14歳 千原ジュニア 講談社』、以下は感想メモの一部です。
ひきこもりのお話のようです。いっき読みになりそうです。(12時に読み始めて、途中昼食をはさんで14時30分に読み終えました。)ピストルの弾丸になって、あっという間に的(まと)に命中した心境です。ひきこもりの理由は何? それがなかなかわかりません。母親との関係がよくありません。母親の愛情が足りなかったのか多すぎたのか。『ひきこもり』については長い目で見てあげたい。まだ14歳、先は長い。
189ページのうち、前半が8割で、残り2割でいきなりラストになりました。ラストには泣けました。最初の8割の経験があったからこそラストではじけることができる。8割は貯蓄だったのです。お兄さんの彼に対する姿勢もいい。答えを提示して従わせるのではなく、弟自身に考えさせて企画させる。上手な指導法です。
教えられたから、教える。助けられたから助ける。連鎖です。
木本武宏さんが、気がついたことです。
『人の話を素直に聞こう』
木本武宏さんは、仲介活動はできるけれど、何もないところに、何かをつくりだす、『創造』をできるタイプの人ではありません。
『わからん』と言えるようになった。
それまでは、なんとしても答えを言わなければならないと思いこんでいた。
『わかりません』と答えることで、話がつながる相談事、雑談事があることを知った。
自分は、人に相談しない人間だった。自己決定が基本だと思いこんでいた。それは、よくないことだった。人に相談することで、答えは出なくても、うまくいくことがあることを知った。
自分は詐欺師でもないし、犯罪者でもない。
『芸人はなんど倒れてもまたまっすぐ立てる』
失敗をした人にかけたい言葉があるそうです。
『あなたもきっと大丈夫』
挑戦したから失敗がある。
なんというか、もう投資はやらないか、頭の体操程度の趣味にしたほうがいい。
少なくとも、人を誘うのはもうやめたほうがいい。
2024年07月19日
体験格差 今井悠介
体験格差 今井悠介(いまい・ゆうすけ) 講談社現代新書
いろいろサブタイトルが本の帯に書いてあります。
『習い事や家族旅行は贅沢?(ぜいたく)』
『連鎖するもうひとつの貧困』
『体験ゼロの衝撃!』
『日本社会の課題』
『低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」』
『小4までは「学習」より「体験」』
『「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」』
『人気の水泳と音楽で生じる格差』
わたしは、実用書を読むときは、まず、ページをゆっくり全部めくりながら、なにが書いてあるのかをおおまかに把握します。
(1回目の本読み)
読む前に、先日読んだ別の本のことが頭に浮かびました。
『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修』
ちびっこの語録なのですが、昭和の時代の昔々はおもしろいのですが、現代に近づくにつれて、おもしろくなくなるのです。
ことばのしっぽは、1967年(昭和42年)から始まっています。
例として、2ページの、『たちしょん』では、『あ、おしっこが、たびにでた』とあります。ほほえましい。 4歳の男の子の作品です。
2010年(平成22年)ころから、こどもの生活が管理されて、豊かな生活体験が減って、まるで標準化された人工知能ロボットのような心もちのこどもが増えたのです。
そういうことも関係あるのではなかろうかと興味が湧き、こちらの本を読むことにしました。
目次です。
『第一部 体験格差の実態』
「お金」、「放課後」、「休日」、「地域」、「親」、「現在地」
『第二部 それぞれの体験格差』
「ひとり親家庭の子ども」、「私が子どもだった頃」、「マイノリティの子ども」、「体験の少ない子ども時代の意味」
『第三部 体験格差に抗う(あらがう。闘う。(相手に)負けないぞ)』
「社会で体験を支える」、「誰が体験を担うのか(になう。引き受ける。担当する)」
分析する本です。
調査のための資料を集めます。取材です。
お金の話ですが、お金がないから体験ができないというつながりはないように感じます。
わたしは、貧困なこども時代をおくりましたが、体験は豊富でした。
むしろ、お金があまるほどある家庭のこどもさんのほうが、親が、こどもをかばって、しなくてもいい体験はさせないようにするから、体験不足になるような気がします。
世の中にはいろんな人がいます。いい人がたくさんいますが、そうでない人もいます。きれいごとだけを教えると、こどもの心はへし折れます。まじめだけではやっていけません。社会のベースは(下地したじ)は、不合理・不条理・理不尽でできています。なんとか、心に折り合いをつけて、生活していきます。それが、現実です。
『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』という本があります。職場の不祥事を内部告発した本人とその家族・親族がぼろぼろになっていく記事がありました。世の中は、正しいか、正しくないかという基準だけで回っているわけではないのです。
まず大きな利益の固まりがあって、そこにたくさんの人たちが群がって利益を分けようとしているのです。利益の取得を阻む(はばむ)存在は干されるのが人間社会の厳しい現実なのです。
オギャーと生まれてから、一戸建ての実家暮らしで、ずーっと実家暮らしで、大学も自宅からの通学で、勤め先も自宅からの通勤でとなると、かなり人生体験が不足します。
衣食住の社会経験が薄くなります。アパートの借り方、電気・ガス・水道の契約のしかた、公共料金などの支払い方、洗濯機の使い方、おふろの洗い方、ごみの出し方、そういった雑多なことを知っているようで知らない人が多いのが実家暮らしをしている若い人の実情です。実家では、親や祖父母が生活に必要なことをやっているのです。
会社勤めになって、出張するときに、電車の路線も乗り方もわからない。切符も買ったり手配したりしたことがない。車の運転免許証はもっているけれど、実際に社用車を運転することはこわいからできない。仕事場では、役に立たない人間だと判断されてしまいます。
生活するにしても働くにしても、自分のことは自分でやる。人にやってもらうのではなくて、自分が主体的になって、計画を立てて実行するという意欲がいります。自立と自活です。がんばらないと、結婚も子育てもできません。人生体験が少ないと、いつもわたしはどうしたらいいのでしょうかと悩むことになります。
批判を受けるかもしれませんが、わたしが働いていた時は、大卒新入社員のありようで頭が痛かった経験があります。
どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかです。
いつでもどこでも誰かが自分の面倒を、ただでみてくれると思っている。
自分はどこにいっても、お客さん扱いをしてもらえると勘違いしている。
思うに、これまで本来こども自身が自分で体験してやっておくべきことを、親や先生が代わりにやってしまっていたのではないかと推測してしまうのです。
こちらの本に書いてあるのはこどもさんのことなので、年齢層が限られます。
主に(おもに)十代の少年少女のことが書いてあるようです。
人生は、成人式を迎えて、そこから先が長い。はるかに長い。
こどもでいられる時間はそれほど長くはありません。
(2回目の本読み)
サッカーをしたいけれど、(たぶん、習うお金がないから)サッカーができないというようなこどもさんがおられます。
不思議です。老齢者からみれば、自分たちの世代は、野球がメインで、野球しかなかったような時代で、どこでも野球をやれた時代でした。お金もいらなかった。お金を払って野球をするとかサッカーをするとか、そういう発想がありません。
同じく水泳も、身近な場所に海や川があって、小さいころから海や川で泳いでいました。習う必要もなかった。プールは学校や公民館付設のプールで無料でした。自己流で泳いでいました。
水が深いところで、立ち泳ぎもできたし、中学生の時に、遠泳で2kmぐらいは泳げました。
本の説明では、お金のあるなしが、体験のあるなしに関連していると考える。(そうかなあ。親やこどもの気持ちしだいで工夫はできます)
『体験』を、『管理』しようとする意識が感じられるこちらの本の雰囲気です。
『第一部 体験格差の実態』
「お金」「放課後」「休日」「地域」「親」というポイントで考察します。
裕福なこどもは体験が豊富で、裕福でないこどもは体験が豊富ではない。(そうかなあ。いちがいにそうとはいえません。お金があっても、ボードゲーム体験やテレビゲームの体験だけが豊富なこどももいそうです)
うーむ。これはこれと決めつけて対処方法を示すマニュアル本だろうか。
ふと思う。
大卒就職者と高卒就職者を比較してみる。
世間では、高卒者よりも大卒者のほうが、生涯獲得所得が多いなどといいますが、本当にそうだろうか。
大学生の学習期間はたいてい4年間です。
高卒者は、その4年間働いて、大卒者よりも早く給料をもらいます。4年後大卒者が社会に出るころに、堅実な高卒者は、それなりの貯蓄を蓄えています。
いっぽう大卒者は、4年間無職のようなものです。学費を支払う側の人間です。払った学費やひとり暮らしをした場合の住居費はばく大です。学費のために奨学金などの借金をする人もいます。大卒者は、就職した途端、給料をもらっても借金の返済から生活が始まります。
お金のことだけを考えたら、たとえば工業高校卒で、倒産のおそれが少ない堅実な会社に入って技術者として定年退職までコツコツと働いて、退職金を受け取って、定年後は再雇用で同じ会社で働いて、その後は年金をしっかり受けとってというパターンのほうが、経済的には、人生の勝利者といえるような気がするのです。
あと、思うのは、お金は働いて稼ぐのが基本ですが、本を読んでいるとどうも、よそからお金を支給すべきだというふうに読み取れます。
お金がほしかったら、こどもだろうが働くべきです。お金が欲しかったらまず働くことが基本です。心身に危険がない範囲での労働体験は必要です。昔は、農家や漁業、職人仕事の家のこどもは家の手伝い名目で働いていました。
学校外の体験がゼロのこどもが、全体の15%ぐらいいる。(放課後の体験、休日の体験、スポーツ系、文科系の習い事、地域の行事、お祭りなど)
自然体験とありますが、半世紀以上前であれば、身近に自然がたくさんありました。当時あった原野は開発され、コンクリートとアスファルト、金属とガラスの世界ができて、次々と空間を占めていきました。
野球遊びをできる空き地が姿を消しました。身近にある小公園には、野球はしないでくださいという看板が立っています。
こどもだけの集団で遊ぶ姿を見かけなくなりました。
昔は、親はこどもを放任して、子どもだけの縦型社会があって、小学生や幼児は、集団で固まって遊んでいました。缶けり、おにごっこ、かくれんぼ、お金がかかる遊びはありませんでした。そのなかで人付き合いを学びました。
いまは、おとなやお金がからむ遊びばかりで、ゲームはお金がかかる孤独な遊びです。
こどもが遊ぶ時は、民間事業者、地域のボランティア、学校のクラブ活動、自治体がらみです。こどもだけの自主的な世界が消えました。
こどもの送迎や親同士の付き合いがたいへんとか、遊ぶ場所が近くにないなどあれこれ事情や理由があって、こどもは、そばにおとながいないと、こどもだけでは遊べないことが多くなりました。
こちらの本は、お金がない家のこどもは体験ができないという考えで書いてあるように思いますが、違う切り口もあったのではないかと思いながら読んでいる40ページ付近です。
世帯の年収を、『300万円未満』、『300万円以上599万円以下』、『600万円以上』と、3分類してあります。
旅行と観光について書いてあります。
世帯年収が多い家のこどもは、旅行や観光に行くことが世帯年収の少ない家と比較して多い。
当然の状況だと思います。ほかのこともそうでしょう。
ただ、個別だと違う状況がピックアップされてくる気がします。お金をかけない旅のしかたもあります。車中泊とか、在来線や長距離バスで移動するとか。ぶっそうですが、テントで野宿もあります。親の趣味嗜好にこどもが引っ張られるのでしょう
中学のときに病気で亡くなったわたしの父には放浪癖があって、短期間で転職を繰り返しながら日本各地を転々と移動しました。ゆえにこどもであったわたしは、何回も転校を体験しました。引っ越し貧乏ですからお金はありませんでした。
どうしてこんな家に生まれてきてしまったのだろうと思い悩んだこともありましたが、歳をとってみると、あの体験があったから、むずかしい社会で生き抜いてくることができたと、いまでは父親をうらむ気持ちはありません。今も生きていたら、文句は言いたいから言いますが、あわせて、ありがとうとも言うことができます。
こちらの本を読んでいて、なにか期待していたものとは異なる記述が続きます。
問題点の指摘が延々と続きます。解決策の提示はまだうしろのページでしょう。
自力で稼ぐことが自活の基本です。
もし、足りない金額分を国や政府、自治体に求めるのなら、どうかなあと首をかしげます。
ピアノ、サッカー、水泳、登山、それらをやらねばちゃんとした社会人になれないということもありません。
『第二部 それぞれの体験格差』
体験格差の調査で、2000人の保護者から回答を得たそうです。
記述は、社会福祉の調査結果を読むようです。
シングルマザーが多い。母子家庭で育ったこどもがおとなになって、また母子家庭になる。親子で離婚が連鎖しています。離婚した親は、こどもの離婚を止めることができません。離婚するなと説得できません。
後半では、生活保護受給家庭の記録を読むようでした。
事例が、並べてあるだけです。著者の考えは明記されていません。
質問があって、相手からの答えがあります。答えは長い文章です。
片親母子家庭、夫から暴力を受けていた家庭、読んでいると、問題点の起点は、『男』にあるのではないかと判断できます。男が原因なのに、男ではない女やこどもが苦労、苦悩している現実があります。
家事をしない男も、家庭の平和と安定において、マイナス要因になっています。
こどものそばにいつも親がいっしょにいなければならない時期は、こどもが乳幼児・小学校低学年ぐらいまででいいと思います。
小学校4年生ぐらいになれば、友だちと4人ぐらいのグループで、小中学生は毎回無料の動植物園へ行くとか(名古屋の東山動植物園は中学生以下のこどもは無料です)、図書館に行くとか、お金がなくてもやりようがある気がします。
親がどこかに連れて行くのではなく、こどもが自分でできることは、おとなの付き添いなしで、なるべく自分でやらせることが体験です。
そうしないと、こどもが、あれもこれもできない、やれないと言い出します。パパ・ママ・先生やってということになります。
本の中にある、『体験』とは、料金を払って活動に参加するスポーツや文科系の習い事です。
学習塾に行かせたからといって、成績が上がるわけでもありません。わたしの経験だと、あれは(塾通い)何だったのだろうかと思ったことがあります。成績はさっぱりでした。塾が、こどもたちの社交場になっていたのです。スポーツも音楽も似たようなものです。
お金を払えば、いたれりつくせりの対応が待っていたりもします。
ディズニーランドに行けないことが不幸のように書いてあるのですが、うちは、ディズニーランド自体に興味がありません。こどもや孫たちも興味をもっていません。ディズニーランドを好きじゃないとだめだみたいな風潮があることが不思議です。
こどもはいつまでもこどもではありません。
こども時代は、過ぎてしまえばあっという間なのです。
『第三部 体験格差に抗う(あらがう)』
著者からの提案部分です。
1 教育支援、寄付金を原資とした、『スタディクーポン』の提供について書いてあります。
2 実態調査をする重要性について書いてあります。
3 費用負担を行政に求めることが書いてあります。
4 マニュアル(手引き)のようです。スタッフの心得があります。こころえ:心構え、心がけ。
5 公共施設の維持活用について書いてあります。
おわりにで、ご自身が、『体験格差の解消』に取り組むきっかけが書いてあります。
学生時代に行ったボランティア活動がきっかけです。
不登校、引きこもりの青年たちとの共同生活です。
体験することで、困難を克服することができることを知ったそうです。
まずは、親が考えることなのでしょう。
お金があろうがなかろうが、こどもに適度な体験ができる環境を提供したほうがいい。
体験というのは、日常生活における体験とか、祖父母や親戚、近隣の人たちとの交流をさすのかと思って本を読み始めましたが違っていました。お金を払っての習い事とか、旅行などの娯楽の体験でした。
いろいろサブタイトルが本の帯に書いてあります。
『習い事や家族旅行は贅沢?(ぜいたく)』
『連鎖するもうひとつの貧困』
『体験ゼロの衝撃!』
『日本社会の課題』
『低所得家庭の子どもの約3人に1人が「体験ゼロ」』
『小4までは「学習」より「体験」』
『「サッカーがしたい」「うちは無理だよね」』
『人気の水泳と音楽で生じる格差』
わたしは、実用書を読むときは、まず、ページをゆっくり全部めくりながら、なにが書いてあるのかをおおまかに把握します。
(1回目の本読み)
読む前に、先日読んだ別の本のことが頭に浮かびました。
『ことばのしっぽ 「こどもの詩」50周年精選集 読売新聞社生活部監修』
ちびっこの語録なのですが、昭和の時代の昔々はおもしろいのですが、現代に近づくにつれて、おもしろくなくなるのです。
ことばのしっぽは、1967年(昭和42年)から始まっています。
例として、2ページの、『たちしょん』では、『あ、おしっこが、たびにでた』とあります。ほほえましい。 4歳の男の子の作品です。
2010年(平成22年)ころから、こどもの生活が管理されて、豊かな生活体験が減って、まるで標準化された人工知能ロボットのような心もちのこどもが増えたのです。
そういうことも関係あるのではなかろうかと興味が湧き、こちらの本を読むことにしました。
目次です。
『第一部 体験格差の実態』
「お金」、「放課後」、「休日」、「地域」、「親」、「現在地」
『第二部 それぞれの体験格差』
「ひとり親家庭の子ども」、「私が子どもだった頃」、「マイノリティの子ども」、「体験の少ない子ども時代の意味」
『第三部 体験格差に抗う(あらがう。闘う。(相手に)負けないぞ)』
「社会で体験を支える」、「誰が体験を担うのか(になう。引き受ける。担当する)」
分析する本です。
調査のための資料を集めます。取材です。
お金の話ですが、お金がないから体験ができないというつながりはないように感じます。
わたしは、貧困なこども時代をおくりましたが、体験は豊富でした。
むしろ、お金があまるほどある家庭のこどもさんのほうが、親が、こどもをかばって、しなくてもいい体験はさせないようにするから、体験不足になるような気がします。
世の中にはいろんな人がいます。いい人がたくさんいますが、そうでない人もいます。きれいごとだけを教えると、こどもの心はへし折れます。まじめだけではやっていけません。社会のベースは(下地したじ)は、不合理・不条理・理不尽でできています。なんとか、心に折り合いをつけて、生活していきます。それが、現実です。
『勇気ってなんだろう 江川紹子 岩波ジュニア文庫』という本があります。職場の不祥事を内部告発した本人とその家族・親族がぼろぼろになっていく記事がありました。世の中は、正しいか、正しくないかという基準だけで回っているわけではないのです。
まず大きな利益の固まりがあって、そこにたくさんの人たちが群がって利益を分けようとしているのです。利益の取得を阻む(はばむ)存在は干されるのが人間社会の厳しい現実なのです。
オギャーと生まれてから、一戸建ての実家暮らしで、ずーっと実家暮らしで、大学も自宅からの通学で、勤め先も自宅からの通勤でとなると、かなり人生体験が不足します。
衣食住の社会経験が薄くなります。アパートの借り方、電気・ガス・水道の契約のしかた、公共料金などの支払い方、洗濯機の使い方、おふろの洗い方、ごみの出し方、そういった雑多なことを知っているようで知らない人が多いのが実家暮らしをしている若い人の実情です。実家では、親や祖父母が生活に必要なことをやっているのです。
会社勤めになって、出張するときに、電車の路線も乗り方もわからない。切符も買ったり手配したりしたことがない。車の運転免許証はもっているけれど、実際に社用車を運転することはこわいからできない。仕事場では、役に立たない人間だと判断されてしまいます。
生活するにしても働くにしても、自分のことは自分でやる。人にやってもらうのではなくて、自分が主体的になって、計画を立てて実行するという意欲がいります。自立と自活です。がんばらないと、結婚も子育てもできません。人生体験が少ないと、いつもわたしはどうしたらいいのでしょうかと悩むことになります。
批判を受けるかもしれませんが、わたしが働いていた時は、大卒新入社員のありようで頭が痛かった経験があります。
どうやったらこういう人間ができあがるのだろうかです。
いつでもどこでも誰かが自分の面倒を、ただでみてくれると思っている。
自分はどこにいっても、お客さん扱いをしてもらえると勘違いしている。
思うに、これまで本来こども自身が自分で体験してやっておくべきことを、親や先生が代わりにやってしまっていたのではないかと推測してしまうのです。
こちらの本に書いてあるのはこどもさんのことなので、年齢層が限られます。
主に(おもに)十代の少年少女のことが書いてあるようです。
人生は、成人式を迎えて、そこから先が長い。はるかに長い。
こどもでいられる時間はそれほど長くはありません。
(2回目の本読み)
サッカーをしたいけれど、(たぶん、習うお金がないから)サッカーができないというようなこどもさんがおられます。
不思議です。老齢者からみれば、自分たちの世代は、野球がメインで、野球しかなかったような時代で、どこでも野球をやれた時代でした。お金もいらなかった。お金を払って野球をするとかサッカーをするとか、そういう発想がありません。
同じく水泳も、身近な場所に海や川があって、小さいころから海や川で泳いでいました。習う必要もなかった。プールは学校や公民館付設のプールで無料でした。自己流で泳いでいました。
水が深いところで、立ち泳ぎもできたし、中学生の時に、遠泳で2kmぐらいは泳げました。
本の説明では、お金のあるなしが、体験のあるなしに関連していると考える。(そうかなあ。親やこどもの気持ちしだいで工夫はできます)
『体験』を、『管理』しようとする意識が感じられるこちらの本の雰囲気です。
『第一部 体験格差の実態』
「お金」「放課後」「休日」「地域」「親」というポイントで考察します。
裕福なこどもは体験が豊富で、裕福でないこどもは体験が豊富ではない。(そうかなあ。いちがいにそうとはいえません。お金があっても、ボードゲーム体験やテレビゲームの体験だけが豊富なこどももいそうです)
うーむ。これはこれと決めつけて対処方法を示すマニュアル本だろうか。
ふと思う。
大卒就職者と高卒就職者を比較してみる。
世間では、高卒者よりも大卒者のほうが、生涯獲得所得が多いなどといいますが、本当にそうだろうか。
大学生の学習期間はたいてい4年間です。
高卒者は、その4年間働いて、大卒者よりも早く給料をもらいます。4年後大卒者が社会に出るころに、堅実な高卒者は、それなりの貯蓄を蓄えています。
いっぽう大卒者は、4年間無職のようなものです。学費を支払う側の人間です。払った学費やひとり暮らしをした場合の住居費はばく大です。学費のために奨学金などの借金をする人もいます。大卒者は、就職した途端、給料をもらっても借金の返済から生活が始まります。
お金のことだけを考えたら、たとえば工業高校卒で、倒産のおそれが少ない堅実な会社に入って技術者として定年退職までコツコツと働いて、退職金を受け取って、定年後は再雇用で同じ会社で働いて、その後は年金をしっかり受けとってというパターンのほうが、経済的には、人生の勝利者といえるような気がするのです。
あと、思うのは、お金は働いて稼ぐのが基本ですが、本を読んでいるとどうも、よそからお金を支給すべきだというふうに読み取れます。
お金がほしかったら、こどもだろうが働くべきです。お金が欲しかったらまず働くことが基本です。心身に危険がない範囲での労働体験は必要です。昔は、農家や漁業、職人仕事の家のこどもは家の手伝い名目で働いていました。
学校外の体験がゼロのこどもが、全体の15%ぐらいいる。(放課後の体験、休日の体験、スポーツ系、文科系の習い事、地域の行事、お祭りなど)
自然体験とありますが、半世紀以上前であれば、身近に自然がたくさんありました。当時あった原野は開発され、コンクリートとアスファルト、金属とガラスの世界ができて、次々と空間を占めていきました。
野球遊びをできる空き地が姿を消しました。身近にある小公園には、野球はしないでくださいという看板が立っています。
こどもだけの集団で遊ぶ姿を見かけなくなりました。
昔は、親はこどもを放任して、子どもだけの縦型社会があって、小学生や幼児は、集団で固まって遊んでいました。缶けり、おにごっこ、かくれんぼ、お金がかかる遊びはありませんでした。そのなかで人付き合いを学びました。
いまは、おとなやお金がからむ遊びばかりで、ゲームはお金がかかる孤独な遊びです。
こどもが遊ぶ時は、民間事業者、地域のボランティア、学校のクラブ活動、自治体がらみです。こどもだけの自主的な世界が消えました。
こどもの送迎や親同士の付き合いがたいへんとか、遊ぶ場所が近くにないなどあれこれ事情や理由があって、こどもは、そばにおとながいないと、こどもだけでは遊べないことが多くなりました。
こちらの本は、お金がない家のこどもは体験ができないという考えで書いてあるように思いますが、違う切り口もあったのではないかと思いながら読んでいる40ページ付近です。
世帯の年収を、『300万円未満』、『300万円以上599万円以下』、『600万円以上』と、3分類してあります。
旅行と観光について書いてあります。
世帯年収が多い家のこどもは、旅行や観光に行くことが世帯年収の少ない家と比較して多い。
当然の状況だと思います。ほかのこともそうでしょう。
ただ、個別だと違う状況がピックアップされてくる気がします。お金をかけない旅のしかたもあります。車中泊とか、在来線や長距離バスで移動するとか。ぶっそうですが、テントで野宿もあります。親の趣味嗜好にこどもが引っ張られるのでしょう
中学のときに病気で亡くなったわたしの父には放浪癖があって、短期間で転職を繰り返しながら日本各地を転々と移動しました。ゆえにこどもであったわたしは、何回も転校を体験しました。引っ越し貧乏ですからお金はありませんでした。
どうしてこんな家に生まれてきてしまったのだろうと思い悩んだこともありましたが、歳をとってみると、あの体験があったから、むずかしい社会で生き抜いてくることができたと、いまでは父親をうらむ気持ちはありません。今も生きていたら、文句は言いたいから言いますが、あわせて、ありがとうとも言うことができます。
こちらの本を読んでいて、なにか期待していたものとは異なる記述が続きます。
問題点の指摘が延々と続きます。解決策の提示はまだうしろのページでしょう。
自力で稼ぐことが自活の基本です。
もし、足りない金額分を国や政府、自治体に求めるのなら、どうかなあと首をかしげます。
ピアノ、サッカー、水泳、登山、それらをやらねばちゃんとした社会人になれないということもありません。
『第二部 それぞれの体験格差』
体験格差の調査で、2000人の保護者から回答を得たそうです。
記述は、社会福祉の調査結果を読むようです。
シングルマザーが多い。母子家庭で育ったこどもがおとなになって、また母子家庭になる。親子で離婚が連鎖しています。離婚した親は、こどもの離婚を止めることができません。離婚するなと説得できません。
後半では、生活保護受給家庭の記録を読むようでした。
事例が、並べてあるだけです。著者の考えは明記されていません。
質問があって、相手からの答えがあります。答えは長い文章です。
片親母子家庭、夫から暴力を受けていた家庭、読んでいると、問題点の起点は、『男』にあるのではないかと判断できます。男が原因なのに、男ではない女やこどもが苦労、苦悩している現実があります。
家事をしない男も、家庭の平和と安定において、マイナス要因になっています。
こどものそばにいつも親がいっしょにいなければならない時期は、こどもが乳幼児・小学校低学年ぐらいまででいいと思います。
小学校4年生ぐらいになれば、友だちと4人ぐらいのグループで、小中学生は毎回無料の動植物園へ行くとか(名古屋の東山動植物園は中学生以下のこどもは無料です)、図書館に行くとか、お金がなくてもやりようがある気がします。
親がどこかに連れて行くのではなく、こどもが自分でできることは、おとなの付き添いなしで、なるべく自分でやらせることが体験です。
そうしないと、こどもが、あれもこれもできない、やれないと言い出します。パパ・ママ・先生やってということになります。
本の中にある、『体験』とは、料金を払って活動に参加するスポーツや文科系の習い事です。
学習塾に行かせたからといって、成績が上がるわけでもありません。わたしの経験だと、あれは(塾通い)何だったのだろうかと思ったことがあります。成績はさっぱりでした。塾が、こどもたちの社交場になっていたのです。スポーツも音楽も似たようなものです。
お金を払えば、いたれりつくせりの対応が待っていたりもします。
ディズニーランドに行けないことが不幸のように書いてあるのですが、うちは、ディズニーランド自体に興味がありません。こどもや孫たちも興味をもっていません。ディズニーランドを好きじゃないとだめだみたいな風潮があることが不思議です。
こどもはいつまでもこどもではありません。
こども時代は、過ぎてしまえばあっという間なのです。
『第三部 体験格差に抗う(あらがう)』
著者からの提案部分です。
1 教育支援、寄付金を原資とした、『スタディクーポン』の提供について書いてあります。
2 実態調査をする重要性について書いてあります。
3 費用負担を行政に求めることが書いてあります。
4 マニュアル(手引き)のようです。スタッフの心得があります。こころえ:心構え、心がけ。
5 公共施設の維持活用について書いてあります。
おわりにで、ご自身が、『体験格差の解消』に取り組むきっかけが書いてあります。
学生時代に行ったボランティア活動がきっかけです。
不登校、引きこもりの青年たちとの共同生活です。
体験することで、困難を克服することができることを知ったそうです。
まずは、親が考えることなのでしょう。
お金があろうがなかろうが、こどもに適度な体験ができる環境を提供したほうがいい。
体験というのは、日常生活における体験とか、祖父母や親戚、近隣の人たちとの交流をさすのかと思って本を読み始めましたが違っていました。お金を払っての習い事とか、旅行などの娯楽の体験でした。
2024年07月18日
出川哲朗の充電バイクの旅 茨城大洗海岸から福島ハワイアンズ
出川哲朗の充電バイクの旅 茨城県大洗海岸から福島県スパリゾートハワイアンズ ネットもテレ東
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 行くぞ茨城!絶景の海&絶品グルメ
街道110キロ!パワスポ“大洗磯前神社”からゴールは“福島のハワイ”でフラダンス!ですが初登場の本田望結(ほんだみゆ)と春日がルンルンすぎてヤバイよヤバイよSP
まず女性ゲストさんのお名前が読めませんでした。スケートの選手だろうか。ごきょうだいが多いようです。
番組内ではかなり苦労されていました。充電バイクの充電が切れて、充電させてもらえませんか?のお願いをしたのですが、断られ続けました。ようやく5軒目で、それもかなりのやりとりがあったあと(声をかけたお宅のご主人が高齢で耳が聞こえにくいようすでした)、ぼんやりした感じで、『出川さんに会いたい』とご主人が言われて充電OKになりました。本田望結さんがようやく充電の了解をもらってかなり涙ぐんでおられましたが、お気持ち、よくわかります。交渉が成立して良かった。
茨城県には、もう半世紀以上前になりますが、自分が10歳ぐらいのころに1年間ぐらい住んだことがあります。映像で出てくる大洗海岸も当時見たことがあります。
いまは、どんなふうかなあと思いながら充電バイクで走る風景を映像で見ました。
たんぼとたんぼの間を走る道が広がっています。
半世紀前と同じ風景の場所も残っていると思います。
以前、大分県の別府へ行ったときに、北九州小倉(こくら)から別府に向かう鉄道列車の車窓から外の風景を見ながら、もしかしたら、この風景は、江戸時代から変わっていないのではないだろうかと思ったことがあります。
自分が小学生の時ですが、福島の常磐(じょうばん)ハワイアンセンターは、小学校の冬休みになると、同級生たちが泊まりの家族旅行で遊びに行くというようなことを楽しそうに話していました。
うちはビンボーだったので、10歳ぐらいだった自分は、ハワイアンセンターというものがどういうものかもわからず、ただぼんやりとみんなが楽しそうに会話をしているのを見ているだけでした。
ハワイアンセンターで思い出す邦画が1本あります。南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代さんが出演された、『フラガール』です。
蒼井優さんも出演されていて、これが縁で、しずちゃんが仲立ちになり相方の山里亮太さんとご結婚されています。
山里亮太さんは、かなり細かく屈折した性格をもっておられると、ご本人が書いた本を読んだ時に思いました。かなりの文章量を書かれる方です。『天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫』。
以前テレビで、相方のしずちゃんが、山里亮太さんのことを人間のクズのように言っていたことを思い出しました。ひどいことを言うのだなあとそのときは思いました。でも、この本を読んだら、そのとおりだと共感しました。
ご自分でも書いておられます。72ページから73ページにかけて『僕は……クズなんです。』、さらに、74ページから75ページに『僕は最低の人間だった……。』そのとおりです。反省されています。
南海キャンディーズの暗黒期があります。山里亮太さんは、しずちゃんにずいぶんひどいことをしています。邦画『フラガール』へのしずちゃんの出演を断るようにマネージャーに告げています。(それでもしずちゃんは、映画に出演されました。自分は、映画は観ました。炭鉱が閉山して、さびれゆく街の産業を復興させるために炭鉱労働者の娘さんたちがフラダンスショーを始めるお話でした。
相方(あいかた)の出世を喜ばない山里亮太さんは、自分でも書いておられますが、本当に人間のクズです。
山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。
その後、いろいろあって、山里亮太さんは改心されています。
映像の途中で出てきた高萩市(たかはぎし)というところでは、自分の記憶だと、山のてっぺんに大きなパラボラアンテナがありました。宇宙と交信をしているというようなイメージで小学生だった自分はそのパラボラアンテナをながめていました。
『常陸牛(ひたちぎゅう)』の“常陸(ひたち)”を出川哲朗さんが読めなかったという話が出ます。“日立”と思ってしまうようです。
今年4月ごろ放送した、『北関東パワスポ街道 茨城御岩神社(おいわじんじゃ)→筑波山神社』のときでした。おもしろかったのは、土地の名産である『常陸牛(ひたちぎゅう)』の漢字を出川哲朗さんもミキティさん(藤本美貴さん)も読めなくて、メニューを見ながら、どこに、「ひたちぎゅう」があるのだろうかと不審に思っていたことが判明した時でした。
土方ディレクターはあいかわらずおもしろい。
食事を肉屋さんで注文するときに、ヒレ、サーロインときて、土方さんがハンバーグと言い、オードリー春日さんが土方さんに、『(あなたは)帰国子女ですか?』(まわりの雰囲気を読めない)と声をかけたのがおもしろかった。
オードリーの春日さんは、メチャクチャお金をもっているそうです。たしかにもう億単位の蓄えはあるでしょう。使わないそうです。
もう仕事を辞めても死ぬまで暮らしていけるだけの資産はあるでしょう。そうなるとあとは、死ぬまで生きるだけです。たぶん、仕事を趣味のように楽しみながら毎日を過ごされているのでしょう。
途中で立ち寄ったホテルがものすごく立派で感心しました。日本画家の横山大観さんがどうのこうのと説明をされていました。海が見える景色が絶景です。4名宿泊でひとり5万6000円ですから、一泊22万4000円のお部屋ですな。それだけの価値はあります。
演者の皆さんたちは、ペンションでカレーをいただきました。
偶然ですが、タレントさんの妹さんのお宅でした。
タレントさんは、アルコ&ピースの平子祐希(ひらこゆうき)さんでした。平子さんは、太川陽介さんと村井美樹さんのバスVS鉄道旅で拝見したことがあります。
2020年(令和2年)でした。『ローカル路線バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 観光地を巡るならどっちが早い!? 函館~小樽』で、鉄道チーム:村井美樹さん 井上咲楽(いのうえ・さくら)さん アルコ&ピース 平子祐希さんでした。平子祐希さんの番組評価が良かった。(この番組企画は)『人生の縮図』です。井上咲楽さんも同調されていましたが、幸せと苦しいことが順番に来る。サンサーラという曲が流れて、映像とぴったり合っていました。鉄道チームが有利だったのですが、鉄道の遅延があって、村井美樹さんは太川陽介さんに敗れました。大泣きでした。
カレーをごちそうしてくださった平子さんのご家族・ご親族は、上品な方たちでした。
番組の最後に、出川さんも春日さんも福島スパリゾートハワイアンズのステージにほかのダンサーさんたちと立って、元気よく、フランダンスを披露しました。途中、出川さんの来ていた衣装が下にずり落ちて、パンツが丸見えになったりして、観客のこどもたちは大爆笑で大喜びでした。サイコーでした。(最高)
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 行くぞ茨城!絶景の海&絶品グルメ
街道110キロ!パワスポ“大洗磯前神社”からゴールは“福島のハワイ”でフラダンス!ですが初登場の本田望結(ほんだみゆ)と春日がルンルンすぎてヤバイよヤバイよSP
まず女性ゲストさんのお名前が読めませんでした。スケートの選手だろうか。ごきょうだいが多いようです。
番組内ではかなり苦労されていました。充電バイクの充電が切れて、充電させてもらえませんか?のお願いをしたのですが、断られ続けました。ようやく5軒目で、それもかなりのやりとりがあったあと(声をかけたお宅のご主人が高齢で耳が聞こえにくいようすでした)、ぼんやりした感じで、『出川さんに会いたい』とご主人が言われて充電OKになりました。本田望結さんがようやく充電の了解をもらってかなり涙ぐんでおられましたが、お気持ち、よくわかります。交渉が成立して良かった。
茨城県には、もう半世紀以上前になりますが、自分が10歳ぐらいのころに1年間ぐらい住んだことがあります。映像で出てくる大洗海岸も当時見たことがあります。
いまは、どんなふうかなあと思いながら充電バイクで走る風景を映像で見ました。
たんぼとたんぼの間を走る道が広がっています。
半世紀前と同じ風景の場所も残っていると思います。
以前、大分県の別府へ行ったときに、北九州小倉(こくら)から別府に向かう鉄道列車の車窓から外の風景を見ながら、もしかしたら、この風景は、江戸時代から変わっていないのではないだろうかと思ったことがあります。
自分が小学生の時ですが、福島の常磐(じょうばん)ハワイアンセンターは、小学校の冬休みになると、同級生たちが泊まりの家族旅行で遊びに行くというようなことを楽しそうに話していました。
うちはビンボーだったので、10歳ぐらいだった自分は、ハワイアンセンターというものがどういうものかもわからず、ただぼんやりとみんなが楽しそうに会話をしているのを見ているだけでした。
ハワイアンセンターで思い出す邦画が1本あります。南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代さんが出演された、『フラガール』です。
蒼井優さんも出演されていて、これが縁で、しずちゃんが仲立ちになり相方の山里亮太さんとご結婚されています。
山里亮太さんは、かなり細かく屈折した性格をもっておられると、ご本人が書いた本を読んだ時に思いました。かなりの文章量を書かれる方です。『天才はあきらめた 山里亮太 朝日文庫』。
以前テレビで、相方のしずちゃんが、山里亮太さんのことを人間のクズのように言っていたことを思い出しました。ひどいことを言うのだなあとそのときは思いました。でも、この本を読んだら、そのとおりだと共感しました。
ご自分でも書いておられます。72ページから73ページにかけて『僕は……クズなんです。』、さらに、74ページから75ページに『僕は最低の人間だった……。』そのとおりです。反省されています。
南海キャンディーズの暗黒期があります。山里亮太さんは、しずちゃんにずいぶんひどいことをしています。邦画『フラガール』へのしずちゃんの出演を断るようにマネージャーに告げています。(それでもしずちゃんは、映画に出演されました。自分は、映画は観ました。炭鉱が閉山して、さびれゆく街の産業を復興させるために炭鉱労働者の娘さんたちがフラダンスショーを始めるお話でした。
相方(あいかた)の出世を喜ばない山里亮太さんは、自分でも書いておられますが、本当に人間のクズです。
山里亮太さんの手元に『地獄ノート』というものがあります。呪い(のろい)のノートです。邦画『デスノート』を思い出します。他人に対するうらみつらみが延々と、粘着質に書かれています。復讐心を叩きつけるように書いてあります。
その後、いろいろあって、山里亮太さんは改心されています。
映像の途中で出てきた高萩市(たかはぎし)というところでは、自分の記憶だと、山のてっぺんに大きなパラボラアンテナがありました。宇宙と交信をしているというようなイメージで小学生だった自分はそのパラボラアンテナをながめていました。
『常陸牛(ひたちぎゅう)』の“常陸(ひたち)”を出川哲朗さんが読めなかったという話が出ます。“日立”と思ってしまうようです。
今年4月ごろ放送した、『北関東パワスポ街道 茨城御岩神社(おいわじんじゃ)→筑波山神社』のときでした。おもしろかったのは、土地の名産である『常陸牛(ひたちぎゅう)』の漢字を出川哲朗さんもミキティさん(藤本美貴さん)も読めなくて、メニューを見ながら、どこに、「ひたちぎゅう」があるのだろうかと不審に思っていたことが判明した時でした。
土方ディレクターはあいかわらずおもしろい。
食事を肉屋さんで注文するときに、ヒレ、サーロインときて、土方さんがハンバーグと言い、オードリー春日さんが土方さんに、『(あなたは)帰国子女ですか?』(まわりの雰囲気を読めない)と声をかけたのがおもしろかった。
オードリーの春日さんは、メチャクチャお金をもっているそうです。たしかにもう億単位の蓄えはあるでしょう。使わないそうです。
もう仕事を辞めても死ぬまで暮らしていけるだけの資産はあるでしょう。そうなるとあとは、死ぬまで生きるだけです。たぶん、仕事を趣味のように楽しみながら毎日を過ごされているのでしょう。
途中で立ち寄ったホテルがものすごく立派で感心しました。日本画家の横山大観さんがどうのこうのと説明をされていました。海が見える景色が絶景です。4名宿泊でひとり5万6000円ですから、一泊22万4000円のお部屋ですな。それだけの価値はあります。
演者の皆さんたちは、ペンションでカレーをいただきました。
偶然ですが、タレントさんの妹さんのお宅でした。
タレントさんは、アルコ&ピースの平子祐希(ひらこゆうき)さんでした。平子さんは、太川陽介さんと村井美樹さんのバスVS鉄道旅で拝見したことがあります。
2020年(令和2年)でした。『ローカル路線バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 観光地を巡るならどっちが早い!? 函館~小樽』で、鉄道チーム:村井美樹さん 井上咲楽(いのうえ・さくら)さん アルコ&ピース 平子祐希さんでした。平子祐希さんの番組評価が良かった。(この番組企画は)『人生の縮図』です。井上咲楽さんも同調されていましたが、幸せと苦しいことが順番に来る。サンサーラという曲が流れて、映像とぴったり合っていました。鉄道チームが有利だったのですが、鉄道の遅延があって、村井美樹さんは太川陽介さんに敗れました。大泣きでした。
カレーをごちそうしてくださった平子さんのご家族・ご親族は、上品な方たちでした。
番組の最後に、出川さんも春日さんも福島スパリゾートハワイアンズのステージにほかのダンサーさんたちと立って、元気よく、フランダンスを披露しました。途中、出川さんの来ていた衣装が下にずり落ちて、パンツが丸見えになったりして、観客のこどもたちは大爆笑で大喜びでした。サイコーでした。(最高)
2024年07月17日
バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅 夏の伊勢志摩攻略スペシャル
バスVS鉄道乗り継ぎ対決旅20戦目 爽快!夏の伊勢志摩攻略スペシャル テレビ東京
太川陽介バスチーム:加藤紀子 須藤理彩
村井美樹鉄道チーム:高橋光臣 鈴木奈々
舞台となった愛知県知多半島とか、三重県伊勢志摩は、自分にとっては身近な地域です。
映像を観ていて、行ったことがあるところがたくさん出てきていました。
演者のみなさんたちが、歩いたり、バスや鉄道で移動したりされたところも、自分も鉄道や自家用車、フェリーで行ったことがあります。
長時間のロケをコンパクトにまとめてあって感心しました。
内容の企画づくりもていねいにされていて、たいしたものです。
太川陽介さんバスチーム8勝で、村井美樹さん鉄道チーム11勝で、ずいぶん勝ち負けの差ができてしまいました。
そして、今回も太川陽介さんが負けてしまいましたので、もう一年以上太川陽介さんには勝利がありません。
まあ、ここまでくると、勝っても負けてもどちらでもいいじゃないかという気分になります。過去の勝ち負けは忘れて、一戦一勝の気持ちで取り組むといいのでしょう。
いつものことですが、番組冒頭で、ゲストの人たちが、ご自身の体力自慢をされますが、番組の経過を見ていると、そうでもないのです。何十年も前の十代のときの体力は、今はもうないのです。とくに陸上競技で短距離が強かった人には、この番組は不向きです。長距離ランナーのほうが、この番組には向いています。なにせ、長時間歩きます。
芸能人の方は歩かない方が多い。運転手付きの車で移動が基本でしょう。そういう職業です。先日見た徹子の部屋で、暴れん坊将軍マツケンサンバの松平健さんが、自分は鉄道の切符の買い方がわからない。新幹線だけはわかると言っておられました。
身の回りのことは、まわりの人にまかせて、ご自身は芸を演じることに専念です。人を呼んで得た大きな収入のかたまりを、関係者のみんなでワケワケして生活していきます。
番組では、長距離を歩きますが、一般の人でも仕事の内容によっては、毎日のように長距離を歩く仕事があります。だから歩いて働くことはめずらしいことではありません。
海がメインの舞台でした。
日間賀島(ひまかじま)名物のタコ(タコの刺身、タコのまるゆで、タコめしなど)、伊勢のイセエビ、あわび、大あさり、みなおいしいです。途中、三重県内で鵜方(うがた)というところがありましたが、昔若い頃にそこで、うなぎ料理を食べたことがあります。自然の幸(さち)がいっぱいです。
番組内容は、都会的な競争社会ですが、競争意識の薄い田舎(いなか)もいいものです。
その後:動画配信サービスで、答え合わせを見ました。
なかなか厳しくむずかしい。太川陽介さんはルートづくりをよくやられました。
実行しなくてよかったこととして、中部セントレア空港から三重県津市へのフェリー利用がありました。料金が高くて利用はだめだそうです。そこを観ていて、そういえば昔、津のフェリー乗り場に行ったことがあるのを思い出しました。フェリーには乗りませんでしたが、どんなところか見た覚えがあります。あのころはよく家の車であちこち行きました。今は歳をとったので、交通事故の加害者になるといけないので、運転しなれた近所をうろうろするだけです。もう何か月も高速道路は走っていません。
自治体から支給された交通系ICカードの機能がある敬老パスを使用して移動しています。先日は、JRのスマートEXと敬老パスをつなげて、名古屋駅から敬老パスで新幹線に乗り、博多駅で在来線(ざいらいせん。新幹線以外の鉄道)に乗り換えて、敬老パス1枚だけで目的地の駅まで行けました。本当に便利なシステムです。スマホを使って予約席を簡単に押さえたり、変更したりすることができます。
バスはルート選択が複数あってむずかしい。鉄道はシンプルです。その代わり、鉄道は鉄道がない部分の長距離を歩かねばなりません。
勝つコツとして、タクシー代の温存とどこでタクシーを使うかがありまます。かなり細かい思考が必要です。
太川陽介さんが勝てたとしたら、知多半島の先端にある師崎港(もろざきこう)から日間賀島(ひまかじま)へ渡ってフェリー代金を節約して、翌日、スペイン村へ行くときにその節約したお金でタクシーを使えば勝てたという筋書きでした。(じっさいには、河和港(こうわこう)から日間賀島にフェリーで行って、師崎ルートよりも高いフェリー代を支払っています)
たしかに、師崎港(もろざきこう)からのほうがフェリーは距離が近いし、料金は、河和港(こうわこう)からよりは安い。地元の人間でも説明してもらわないとわからないルートでした。それでも、(負けはしましたが)、太川陽介さんのプランづくりはたいしたものです。勝つために、考える考える考えるです。
太川陽介バスチーム:加藤紀子 須藤理彩
村井美樹鉄道チーム:高橋光臣 鈴木奈々
舞台となった愛知県知多半島とか、三重県伊勢志摩は、自分にとっては身近な地域です。
映像を観ていて、行ったことがあるところがたくさん出てきていました。
演者のみなさんたちが、歩いたり、バスや鉄道で移動したりされたところも、自分も鉄道や自家用車、フェリーで行ったことがあります。
長時間のロケをコンパクトにまとめてあって感心しました。
内容の企画づくりもていねいにされていて、たいしたものです。
太川陽介さんバスチーム8勝で、村井美樹さん鉄道チーム11勝で、ずいぶん勝ち負けの差ができてしまいました。
そして、今回も太川陽介さんが負けてしまいましたので、もう一年以上太川陽介さんには勝利がありません。
まあ、ここまでくると、勝っても負けてもどちらでもいいじゃないかという気分になります。過去の勝ち負けは忘れて、一戦一勝の気持ちで取り組むといいのでしょう。
いつものことですが、番組冒頭で、ゲストの人たちが、ご自身の体力自慢をされますが、番組の経過を見ていると、そうでもないのです。何十年も前の十代のときの体力は、今はもうないのです。とくに陸上競技で短距離が強かった人には、この番組は不向きです。長距離ランナーのほうが、この番組には向いています。なにせ、長時間歩きます。
芸能人の方は歩かない方が多い。運転手付きの車で移動が基本でしょう。そういう職業です。先日見た徹子の部屋で、暴れん坊将軍マツケンサンバの松平健さんが、自分は鉄道の切符の買い方がわからない。新幹線だけはわかると言っておられました。
身の回りのことは、まわりの人にまかせて、ご自身は芸を演じることに専念です。人を呼んで得た大きな収入のかたまりを、関係者のみんなでワケワケして生活していきます。
番組では、長距離を歩きますが、一般の人でも仕事の内容によっては、毎日のように長距離を歩く仕事があります。だから歩いて働くことはめずらしいことではありません。
海がメインの舞台でした。
日間賀島(ひまかじま)名物のタコ(タコの刺身、タコのまるゆで、タコめしなど)、伊勢のイセエビ、あわび、大あさり、みなおいしいです。途中、三重県内で鵜方(うがた)というところがありましたが、昔若い頃にそこで、うなぎ料理を食べたことがあります。自然の幸(さち)がいっぱいです。
番組内容は、都会的な競争社会ですが、競争意識の薄い田舎(いなか)もいいものです。
その後:動画配信サービスで、答え合わせを見ました。
なかなか厳しくむずかしい。太川陽介さんはルートづくりをよくやられました。
実行しなくてよかったこととして、中部セントレア空港から三重県津市へのフェリー利用がありました。料金が高くて利用はだめだそうです。そこを観ていて、そういえば昔、津のフェリー乗り場に行ったことがあるのを思い出しました。フェリーには乗りませんでしたが、どんなところか見た覚えがあります。あのころはよく家の車であちこち行きました。今は歳をとったので、交通事故の加害者になるといけないので、運転しなれた近所をうろうろするだけです。もう何か月も高速道路は走っていません。
自治体から支給された交通系ICカードの機能がある敬老パスを使用して移動しています。先日は、JRのスマートEXと敬老パスをつなげて、名古屋駅から敬老パスで新幹線に乗り、博多駅で在来線(ざいらいせん。新幹線以外の鉄道)に乗り換えて、敬老パス1枚だけで目的地の駅まで行けました。本当に便利なシステムです。スマホを使って予約席を簡単に押さえたり、変更したりすることができます。
バスはルート選択が複数あってむずかしい。鉄道はシンプルです。その代わり、鉄道は鉄道がない部分の長距離を歩かねばなりません。
勝つコツとして、タクシー代の温存とどこでタクシーを使うかがありまます。かなり細かい思考が必要です。
太川陽介さんが勝てたとしたら、知多半島の先端にある師崎港(もろざきこう)から日間賀島(ひまかじま)へ渡ってフェリー代金を節約して、翌日、スペイン村へ行くときにその節約したお金でタクシーを使えば勝てたという筋書きでした。(じっさいには、河和港(こうわこう)から日間賀島にフェリーで行って、師崎ルートよりも高いフェリー代を支払っています)
たしかに、師崎港(もろざきこう)からのほうがフェリーは距離が近いし、料金は、河和港(こうわこう)からよりは安い。地元の人間でも説明してもらわないとわからないルートでした。それでも、(負けはしましたが)、太川陽介さんのプランづくりはたいしたものです。勝つために、考える考える考えるです。
2024年07月15日
東京 憲政記念館見学
東京 憲政記念館見学
国立国会図書館のお隣にありました。
近くに国会議事堂があります。
今は、一時的な建物のようで、小規模な展示でした。
近くに大きな記念館を建てる予定があるようです。
伊藤博文:1841年(天保12年)-1909年(明治42年)68歳暗殺により没。初代内閣総理大臣。
大隈重信:1838年(天保9年)-1922年(大正11年)83歳没。内閣総理大臣。早稲田大学創設者。(慶応大学の創設者が、福澤諭吉)
板垣退助:1837年(天保8年)-1919年(大正8年)83歳没。内務大臣。自由民権運動の創始者。国会を創った(つくった)男と称される。
時代背景として、わたしから見ると、わたしのひいおじいさんとか、ひいおばあさんの時代です。わたしの母方祖父が生まれたのが、1907年(明治40年)です。ひいおばあさんは、わたしが中学生のときに94歳で亡くなったので、明治時代を身近に感じることができます。
今年一月に国会の衆議院を見学したのですが、こちらの記念館に似たような形式の展示部屋がありました。次の写真です。
椅子は木製で、背もたれは垂直で、座りやすいとはいえず、長時間になるとたいへんだろうとお察しします。背もたれの部分はこすれて、布の表面が色落ちしていました。
ちょっとびっくりしたのは、次の写真の展示でした。
わたしは、小学生のときに数年間、栃木県の山奥にある足尾町(あしおまち。現在は日光市)というところで過ごしました。昔は銅山でした。
日本最初の公害発生地(1890年から1891年(明治23年から明治24年)だということは、足尾町を離れてからの中学校での学習で知りました。
中学生だったわたしは、とても不思議でした。
公害関連資料では、鉱毒事件とか、大気汚染で山がはげ山になったとか書いてあるのですが、わたしが知る足尾町は、自然が豊かで、山は緑多く、渓流はきれいでカジカという小魚が泳いでいました。ことに、夏の渓流遊びは楽しかった。紅葉もきれいでした。
おとなにとっては、暮らしにくいところだったかもしれませんが、冬は雪国のように雪が積もり、こどもたちは、雪遊びをしてずいぶんと楽しい思いをしました。土そり(どそり。手づくりのそり遊び)とか、スキーとか、屋外では、雪が積もって凍った生活道路でのスケート遊びとか、かまくらづくり、雪だるまづくり、雪合戦、小学校の教室は石炭ストーブで暖かく、トランプ、手芸、馬飛び、クリスマス会なんかをして遊びました。
成人してからも10年に1回ぐらいのペースで現地を訪れていましたが、すっかりさびれてしまい、今では思い出の地という記憶の中だけの町になりました。
ときおりテレビの旅番組やドラマで、わたらせ渓谷鉄道の映像を見ます。なつかしい。乗ったこともあります。わたしが住んでいたころは、蒸気機関車が走っていました。昔は、足尾線(あしおせん)と呼んでいました。
田中正造(たなかしょうぞう):1841年(天保12年)-1913年(大正2年)71歳没。衆議院議員。1901年(明治34年)明治天皇に足尾銅山鉱毒事件に関して直訴(じきそ。正式な手続きを経ずに(へずに)直接訴える)した。
もうひとつの出来事として、昨年7月に、東京三鷹市にある小説家の山本有三記念館を訪れたときに、山本有三氏が、足尾銅山で働いていたという展示を見ました。
山本有三(やまもとゆうぞう):小説家、劇作家、政治家。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。
同氏の作品、『路傍の石(ろぼうのいし)』は、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)が、恵まれない環境にあってもめげずにがんばるお話です。わたしは、中学生のときにその本を読みましたが、自分と吾一少年を重ね合わせながら、自分もがんばらなければと、ずいぶん励みになりました。
『路傍の石』は、昭和12年ころ(1937年ころ)執筆された作品で、時代背景は明治時代、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)は、丁稚奉公(でっちぼうこう。当時の小学校を出て、商家に住み込みをしながら、読み書き計算、商売のしかたについて学ぶ)に出されていろいろな苦労を重ねるという内容だったと思います。
さきほど少し書きましたが、自分の母方の祖父が明治40年(1907年)生まれで、吾一少年と同じような体験をした人でした。自分が中学生の時に、祖父からは、奉公先での苦労話などを聴きました。祖父はまじめな人でした。
自分の人生において、何年かに一回、ポイント(点)みたいに、『足尾銅山』という地名が自分の目の前に出てくるので縁を感じています。
山本有三氏は、1910年(明治43年)ご本人23歳の時に、栃木県の山奥にあった足尾銅山で労働体験をされて、その後、体験をもとにして、戯曲作品『穴』を書いておられます。
憲政記念館の窓口でいただいたパンフレットには、尾崎行雄氏のお名前が書いてありました。
尾崎行雄(おざきゆきお):1858年(安政5年)-1954年(昭和29年)95歳没。司法大臣、文部大臣、衆議院議員。尾崎記念会館が、衆議院に寄贈されて憲政記念会館になったと書いてあります。
そのこともここに書き添えておきます。
国立国会図書館のお隣にありました。
近くに国会議事堂があります。
今は、一時的な建物のようで、小規模な展示でした。
近くに大きな記念館を建てる予定があるようです。
伊藤博文:1841年(天保12年)-1909年(明治42年)68歳暗殺により没。初代内閣総理大臣。
大隈重信:1838年(天保9年)-1922年(大正11年)83歳没。内閣総理大臣。早稲田大学創設者。(慶応大学の創設者が、福澤諭吉)
板垣退助:1837年(天保8年)-1919年(大正8年)83歳没。内務大臣。自由民権運動の創始者。国会を創った(つくった)男と称される。
時代背景として、わたしから見ると、わたしのひいおじいさんとか、ひいおばあさんの時代です。わたしの母方祖父が生まれたのが、1907年(明治40年)です。ひいおばあさんは、わたしが中学生のときに94歳で亡くなったので、明治時代を身近に感じることができます。
今年一月に国会の衆議院を見学したのですが、こちらの記念館に似たような形式の展示部屋がありました。次の写真です。
椅子は木製で、背もたれは垂直で、座りやすいとはいえず、長時間になるとたいへんだろうとお察しします。背もたれの部分はこすれて、布の表面が色落ちしていました。
ちょっとびっくりしたのは、次の写真の展示でした。
わたしは、小学生のときに数年間、栃木県の山奥にある足尾町(あしおまち。現在は日光市)というところで過ごしました。昔は銅山でした。
日本最初の公害発生地(1890年から1891年(明治23年から明治24年)だということは、足尾町を離れてからの中学校での学習で知りました。
中学生だったわたしは、とても不思議でした。
公害関連資料では、鉱毒事件とか、大気汚染で山がはげ山になったとか書いてあるのですが、わたしが知る足尾町は、自然が豊かで、山は緑多く、渓流はきれいでカジカという小魚が泳いでいました。ことに、夏の渓流遊びは楽しかった。紅葉もきれいでした。
おとなにとっては、暮らしにくいところだったかもしれませんが、冬は雪国のように雪が積もり、こどもたちは、雪遊びをしてずいぶんと楽しい思いをしました。土そり(どそり。手づくりのそり遊び)とか、スキーとか、屋外では、雪が積もって凍った生活道路でのスケート遊びとか、かまくらづくり、雪だるまづくり、雪合戦、小学校の教室は石炭ストーブで暖かく、トランプ、手芸、馬飛び、クリスマス会なんかをして遊びました。
成人してからも10年に1回ぐらいのペースで現地を訪れていましたが、すっかりさびれてしまい、今では思い出の地という記憶の中だけの町になりました。
ときおりテレビの旅番組やドラマで、わたらせ渓谷鉄道の映像を見ます。なつかしい。乗ったこともあります。わたしが住んでいたころは、蒸気機関車が走っていました。昔は、足尾線(あしおせん)と呼んでいました。
田中正造(たなかしょうぞう):1841年(天保12年)-1913年(大正2年)71歳没。衆議院議員。1901年(明治34年)明治天皇に足尾銅山鉱毒事件に関して直訴(じきそ。正式な手続きを経ずに(へずに)直接訴える)した。
もうひとつの出来事として、昨年7月に、東京三鷹市にある小説家の山本有三記念館を訪れたときに、山本有三氏が、足尾銅山で働いていたという展示を見ました。
山本有三(やまもとゆうぞう):小説家、劇作家、政治家。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。
同氏の作品、『路傍の石(ろぼうのいし)』は、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)が、恵まれない環境にあってもめげずにがんばるお話です。わたしは、中学生のときにその本を読みましたが、自分と吾一少年を重ね合わせながら、自分もがんばらなければと、ずいぶん励みになりました。
『路傍の石』は、昭和12年ころ(1937年ころ)執筆された作品で、時代背景は明治時代、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)は、丁稚奉公(でっちぼうこう。当時の小学校を出て、商家に住み込みをしながら、読み書き計算、商売のしかたについて学ぶ)に出されていろいろな苦労を重ねるという内容だったと思います。
さきほど少し書きましたが、自分の母方の祖父が明治40年(1907年)生まれで、吾一少年と同じような体験をした人でした。自分が中学生の時に、祖父からは、奉公先での苦労話などを聴きました。祖父はまじめな人でした。
自分の人生において、何年かに一回、ポイント(点)みたいに、『足尾銅山』という地名が自分の目の前に出てくるので縁を感じています。
山本有三氏は、1910年(明治43年)ご本人23歳の時に、栃木県の山奥にあった足尾銅山で労働体験をされて、その後、体験をもとにして、戯曲作品『穴』を書いておられます。
憲政記念館の窓口でいただいたパンフレットには、尾崎行雄氏のお名前が書いてありました。
尾崎行雄(おざきゆきお):1858年(安政5年)-1954年(昭和29年)95歳没。司法大臣、文部大臣、衆議院議員。尾崎記念会館が、衆議院に寄贈されて憲政記念会館になったと書いてあります。
そのこともここに書き添えておきます。