2024年07月15日

東京 憲政記念館見学

東京 憲政記念館見学

 国立国会図書館のお隣にありました。
 近くに国会議事堂があります。
 今は、一時的な建物のようで、小規模な展示でした。
 近くに大きな記念館を建てる予定があるようです。



伊藤博文:1841年(天保12年)-1909年(明治42年)68歳暗殺により没。初代内閣総理大臣。

大隈重信:1838年(天保9年)-1922年(大正11年)83歳没。内閣総理大臣。早稲田大学創設者。(慶応大学の創設者が、福澤諭吉)

板垣退助:1837年(天保8年)-1919年(大正8年)83歳没。内務大臣。自由民権運動の創始者。国会を創った(つくった)男と称される。

 時代背景として、わたしから見ると、わたしのひいおじいさんとか、ひいおばあさんの時代です。わたしの母方祖父が生まれたのが、1907年(明治40年)です。ひいおばあさんは、わたしが中学生のときに94歳で亡くなったので、明治時代を身近に感じることができます。



 今年一月に国会の衆議院を見学したのですが、こちらの記念館に似たような形式の展示部屋がありました。次の写真です。
 椅子は木製で、背もたれは垂直で、座りやすいとはいえず、長時間になるとたいへんだろうとお察しします。背もたれの部分はこすれて、布の表面が色落ちしていました。



 ちょっとびっくりしたのは、次の写真の展示でした。
 わたしは、小学生のときに数年間、栃木県の山奥にある足尾町(あしおまち。現在は日光市)というところで過ごしました。昔は銅山でした。
 日本最初の公害発生地(1890年から1891年(明治23年から明治24年)だということは、足尾町を離れてからの中学校での学習で知りました。
 中学生だったわたしは、とても不思議でした。
 公害関連資料では、鉱毒事件とか、大気汚染で山がはげ山になったとか書いてあるのですが、わたしが知る足尾町は、自然が豊かで、山は緑多く、渓流はきれいでカジカという小魚が泳いでいました。ことに、夏の渓流遊びは楽しかった。紅葉もきれいでした。
 おとなにとっては、暮らしにくいところだったかもしれませんが、冬は雪国のように雪が積もり、こどもたちは、雪遊びをしてずいぶんと楽しい思いをしました。土そり(どそり。手づくりのそり遊び)とか、スキーとか、屋外では、雪が積もって凍った生活道路でのスケート遊びとか、かまくらづくり、雪だるまづくり、雪合戦、小学校の教室は石炭ストーブで暖かく、トランプ、手芸、馬飛び、クリスマス会なんかをして遊びました。
 成人してからも10年に1回ぐらいのペースで現地を訪れていましたが、すっかりさびれてしまい、今では思い出の地という記憶の中だけの町になりました。
 ときおりテレビの旅番組やドラマで、わたらせ渓谷鉄道の映像を見ます。なつかしい。乗ったこともあります。わたしが住んでいたころは、蒸気機関車が走っていました。昔は、足尾線(あしおせん)と呼んでいました。

田中正造(たなかしょうぞう):1841年(天保12年)-1913年(大正2年)71歳没。衆議院議員。1901年(明治34年)明治天皇に足尾銅山鉱毒事件に関して直訴(じきそ。正式な手続きを経ずに(へずに)直接訴える)した。

 もうひとつの出来事として、昨年7月に、東京三鷹市にある小説家の山本有三記念館を訪れたときに、山本有三氏が、足尾銅山で働いていたという展示を見ました。

山本有三(やまもとゆうぞう):小説家、劇作家、政治家。1887年(明治20年)-1974年(昭和49年)86歳没。

 同氏の作品、『路傍の石(ろぼうのいし)』は、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)が、恵まれない環境にあってもめげずにがんばるお話です。わたしは、中学生のときにその本を読みましたが、自分と吾一少年を重ね合わせながら、自分もがんばらなければと、ずいぶん励みになりました。
 『路傍の石』は、昭和12年ころ(1937年ころ)執筆された作品で、時代背景は明治時代、主人公の吾一少年(ごいちしょうねん)は、丁稚奉公(でっちぼうこう。当時の小学校を出て、商家に住み込みをしながら、読み書き計算、商売のしかたについて学ぶ)に出されていろいろな苦労を重ねるという内容だったと思います。
 さきほど少し書きましたが、自分の母方の祖父が明治40年(1907年)生まれで、吾一少年と同じような体験をした人でした。自分が中学生の時に、祖父からは、奉公先での苦労話などを聴きました。祖父はまじめな人でした。

 自分の人生において、何年かに一回、ポイント(点)みたいに、『足尾銅山』という地名が自分の目の前に出てくるので縁を感じています。

 山本有三氏は、1910年(明治43年)ご本人23歳の時に、栃木県の山奥にあった足尾銅山で労働体験をされて、その後、体験をもとにして、戯曲作品『穴』を書いておられます。


 
 憲政記念館の窓口でいただいたパンフレットには、尾崎行雄氏のお名前が書いてありました。
尾崎行雄(おざきゆきお):1858年(安政5年)-1954年(昭和29年)95歳没。司法大臣、文部大臣、衆議院議員。尾崎記念会館が、衆議院に寄贈されて憲政記念会館になったと書いてあります。
 そのこともここに書き添えておきます。  

Posted by 熊太郎 at 07:00Comments(0)TrackBack(0)東京