2024年07月12日

マツケンサンバを見に行く。東京明治座

マツケンサンバを見に行く。東京明治座

 昨年12月に松平健さんが大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を演じた忠臣蔵(ちゅうしんぐら)のドラマを毎日夜BS放送で観ていました。
 翌月1月に、東京品川駅の近く、高輪ゲートウェイ駅(たかなわゲートウェイ駅)から歩いて、四十七士(しじゅうしちし)のお墓がある泉岳寺(せんがくじ)に行き、志士の皆さんのお墓参りをしました。
 そのとき、松平健さんのマツケンサンバをじかに観てみたいという欲求が湧いてきました。楽しいだろうなあーーー
 ということで、今月7月に東京駅近く、明治座で松平健さんデビュー50周年記念公演があることを知り、チケットぴあの抽選に申し込みました。当たりました。前から6列目の席でした。夫婦で観てきました。よかったーーー サンバ棒(ペンライト)を振り回しながら、盛り上がりました。マツケンサンバーーー オレーー オレーー マツケンサンバーーーです。

 次の写真は、記念写真を撮るところで、開演前には長い列ができていました。
 終演後は入れなくなっていて、観客のみなさんはもうほとんど外へ出て行かれたあとです。そばにあるトイレを利用されるお客さんがウロウロされているだけでした。







 次のポスター写真、『明治座 暴れん坊将軍』は、建物の玄関入口横にありました。
 終演後、夜9時を過ぎて人は少なかったのですが、観劇を終えた人たちが、順番にポスターの前で記念写真を撮っておられました。
 わたしたち夫婦がスマホで慣れない自撮りをしていると、『撮りましょうか?』と、声をかけてくださる親切な方がいて、本当に助かりました。
 この日は、東京駅構内にある『一番街』というところで、ポケモンの絵が描いてある壁の前で自撮りの記念写真をとっていたら、そばにいた日本語を話す小学生高学年ぐらいの外国人の男の子や女の子たちが5~6人近づいてきて、非常にていねいな日本語で、写真をとってあげましょうかと声をかけられました。フランス人かスペイン人みたいな顔立ちをしたこどもたちで、彼らから見れば、私たち夫婦は、おじいさん・おばあさんなのですが、ゆっくり何枚も写真を撮ってくれました。ありがとう。
 東京では、どこへ行っても、写真撮りましょうか?と声をかけてくださるので助かります。ご親切に感謝します。



 自分自身は、写真撮影がにがてで、次のポスターも、天井の照明灯がまんなか付近に反射して写ってしまいました。



 次の写真が公演のタイムテーブルです。(時間割り)
 途中30分ずつ、計1時間の休憩をはさんで、演劇『暴れん坊将軍』の第1部・第2部、そのあと歌のショーという構成です。
 わたしたち夫婦は夜の部で、午後4時前に入場して、終わったのは午後9時ぐらいでした。
 夕ご飯は、劇場内でお弁当を売っていて、幕間休憩のときに席で食べておられる方がそこそこおられました。
 わたしたちは、劇場内で売っていた、きびだんごとか、お菓子のたぐいを食べました。
 晩ごはんは、終演後人形町駅のそばにある居酒屋で食べましたが、仕事を終えた若い男女の人たちがたくさんで、店内は話し声がざわざわと満ち足りていて活気がありました。
 日本橋人形町という場所柄、優秀な能力をもった有名な会社の社員さんたちが集まっているのだろうと勝手な思いをもちながら若い男女のサラリーマンの皆さんたちをながめていました。雰囲気に勢いがあります。もうずいぶん前のことになりますが、自分もああして働いていたのだなとなつかしかった。
 たくさんいる若い店員さんたちは外国人がほとんどのようすで、カウンター席の角にふたりで座ったのですが、厨房(ちゅうぼう)にあるホワイトボードには、アラビア語で業務に関する連絡事項が書かれていました。中東系の人やアジア系の人たちが働いておられましたが、みなさん業務処理能力が高そうな人たちで、てきぱきと働いておられたので感心しました。あんがい本国では、国立大学ぐらいで学ぶような人たちかもしれないと、これまた勝手な推測をしました。



 東京駅から明治座へは、路線バスで行きました。
 これまで知らなかったのですが、東京駅周辺を巡る無料の巡回バスがあります。ふたつのルートがあります。
 次の写真がバス停の位置にあって、メトロリンク日本橋eラインというバスに乗りました。バスは、前から乗って後ろからおります。
 バスの乗客は外国人観光客が多いのかなと予想しましたが、おもに地元の人たちが利用されているように感じました。
 バスの時刻表はなく、わたしたち夫婦が利用したルートは、一周40分ぐらいで2台がまわっているように見えました。ですので、20分ごとにバスがくるような感じです。専用のアプリをスマホに入れると、今バスがどこにいて、何分後に自分がいるバス停にバスが来るのかが、わかるようになっています。便利です。



 宿泊は、明治座のそばにあるホテルに泊まりました。道を隔てて(へだてて)建っていました。
 次の写真では、ちょっと手前のビルが重なっているのですが、部屋から東京タワーが見えました。
 
 ときどき、都内のホテルに泊まるのですが、朝食会場は外国人のかたばかりで、食事をしていると、なんだか外国にいるような気分になれます。欧米の人もアジアの人もいろんな国籍の人たちで、ちびっこ連れのファミリーから年配の人まで、老若男女がたくさんです。

 明治座の前の道路が、広い道路で、なおかつ一方通行だったのでびっくりしました。
 5車線ぐらいありました。一方通行だから歩行者にとっては安全です。



 さて、かんじんの暴れん坊将軍とマツケンサンバ歌謡ショーの感想を、思い出すままに書き落としてみます。

 『暴れん坊将軍』の演劇が始まる前に注意喚起のアナウンスが流れるのですが、その内容が笑えます。
 『上様から(うえさまから)お知らせがあります。守れない人は、成敗(せいばい)します……(せいばい:やっつける。こらしめる)』

 客層ですが、5月に愛知県半田市内のホールで見た綾小路きみまろさんの毒舌漫談のときには、ほぼみなさん高齢者とその付き添いの方たちでしたが、今回の松平健さんのショーは、老若男女がいて、ファンの年齢層が幅広い。若い男女の人たちもけっこう見かけました。

 まあ、すごい数の人です。自分たちの開演前に、昼の部を観た人たちの退出があったのですが、帰られる人たちが乗った観光バスが何台も出発していきました。
 たとえば、なにかの企業の顧客の人が招待されてきているような感じでした。
 けっこう長時間の公演なので、一日二回公演があるときは、運営する側の人たちはてんてこまいでしょう。

 演劇についてです。
 舞台装置がとてもきれいです。大道具さんとか、小道具さんの技術力が高い。
 途中、川のそばで演じるという設定があったのですが、川の水が本当に流れているように見えて不思議でした。
 全体をとおして、舞台芸術を見ているようでした。

 わたしは、自分が中学生だったお正月のときに母方の祖父に連れられて、福岡県の地元の劇場(嘉穂劇場かほげきじょうといいます)へチャンバラ演劇を観に行ったときのことを思い出しました。
 祖父ももうとうの昔に亡くなりましたが、いい思い出です。『暴れん坊将軍』のステージを観ながらそんなことを思い出しました。

 『照明の操作』がとてもおじょうずです。
 照明が、演者と会話をしているような感覚をもちました。
 たいしたものです。

 音楽もぴったり内容と一致しています。
 観ている人の感情を誘導したり、揺り動かしたりする力が音楽にはあります。
 長年の技術や知識の蓄積が重厚にあるのでしょう。

 松平健さんの色とりどりに変化する衣装がステキです。
 仮装大会のようでもありますが、派手で、観ていて気持ちがいい。
 松平健さんが、赤い色の着物姿になったときは、お笑い芸人のコウメ太夫(こうめだゆう)さんみたいになりました。わたしは、小梅太夫さんのファンなので嬉しかった。ギャグ、『チックショー』がセリフで出てもおかしくないようなお衣装でした。

 物語の柱は、暴れん坊将軍徳川吉宗の正義の味方とか、勧善懲悪(悪をこらしめる)、人情重視を下地にしてのカリスマ化(英雄扱い)があります。現実社会ではなかなか実現しない、こうだったらいいのになという理想です。

 登場する人物設定で、徳川吉宗に政策面で対立する相手は、尾張藩の徳川宗春のイメージなのでしょう。
 まじめに考えると、お金は節約して貯めるだけでは経済は回らないのです。お金は使って、経済を回転させて、景気を良くしていかねばならないのが基本です。

 ときおり、盆踊りとかパラパラダンスとかが入ります。いろんな踊り・ダンスが入ります。マツケンさんの衣装も、アラビア風(マハラジャ)、インド風に見えるときもあります。長崎県島原の乱のときの隠れキリシタン天草四郎時貞のような雰囲気の時もありました。多国籍であり、多数の時代にいたであろう人物像です。
 女性の演者の方たちは、ヘアースタイルが日本髪なので和風の踊りや洋風のダンスをするときはたいへんでしょう。ふつうのヘアースタイルでもかまいませんよ。

 舞台で目安箱が出てきます。入館時、劇場内に置いてあった目安箱です。
 開演前に観に来た人が、その目安箱へ投書することが可能でした。
 マツケンさんが、ステージ上で、目安箱から紙を取り出して投書を読み上げられました。リアルに観劇されている人の文章でした。なかなかいい。

 あとさきになりましたが、マツケンさんの冒頭の登場シーンは、白馬にまたがっている姿でした。かっこいい。うちの小学校低学年の男児の孫が観たら、そういう凛々しい(りりしい)姿が好きなので、きっと真似をしたがるでしょう。

 火消しチームのチームワークがいい演技でした。まとまっています。

 マツケンさんの刀さばき(かたなさばき)は、こどものときに映画館で観た『大魔神』のイメージで力強く豪快でした。見ごたえがありました。

 マツケンさんの歌唱は、声に伸びがあります。70歳という年齢を感じません。
 きちんとした正確な歌い方をされるので好感をもちました。力まず、リラックスして、なめらかに歌っておられます。
 
 とにもかくにも明るいのがいい。キラキラ輝いています。
 
 劇中の流れとか、歌の趣旨として、『きょうは、仕事にいきたくないなあとか、(雰囲気として)きょうは学校に行きたくないなあとか思ったとしても、いかなければならいこと、やらなければならないことは、気持ちに折り合いをつけて、ちゃんとやろう。うん。そうしよう……』というような意思が感じられる応援歌に聞こえました。(わたしなりの感じ方、受け止め方です)。それが良かった。劇中で流れた言葉として、『それでも明日(あした)はくるのです』があった記憶です。

 これだけの舞台を仕上げるのには、相当な時間と労力を費やして企画されたのであろうとお察しします。演劇・歌謡ショー企画チームと、表舞台には出てはこない裏方スタッフのみなさんのご苦労をお察しします。

 毎日のように何回も同じ内容で公演されるわけで、どうもそのときの客層で、反応が異なる時があるようです。
 松平健さんの最後のあいさつの内容として、今まで演じてきた中で、今回のお客さんは、一番ノリが良かったというようなお話があって、確かに、会場全体がまるで、若い人たちの音楽フェスティバルのような熱気と興奮で盛り上がっていました。まあ、それだけふだんたまっているものがあるのかもしれません。
 最後に舞台上でずらりと横に並んで、演者のみなさんがたからサヨナラのあいさつがあるのですが、涙ぐんでおられる演者のかたも複数おられて、やはり演者のみなさんは感受性が強い方が多いなと納得して安心しました。
 観ているこちらも、(これまでイヤなことがたくさんあったけれど)生きててヨカッターという気持ちになれました。

 自分は十代後半のころは、こういう舞台や脚本をつくるような仕事をしたいと思ったこともありますが、それでは食べていけないわけで(生活が成り立たない)、あきらめて地道に働いて歳をとりました。
 あと何年ぐらいこの世にいられるかわかりませんが、若かったころの夢を思い出しながら、これからもステージなどを観る側の立場で楽しませていただきます。

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