2020年09月24日

きみに読む物語 アメリカ映画DVD

きみに読む物語 アメリカ映画DVD 2005年日本公開

 感想や評判がいい映画ですが、わたしには合わない映画でした。状況説明だけでストーリーに深みがありませんでした。

 始まって15分ぐらいが経過したところで、この映画は、アメリカ合衆国の白人の人たちが観る映画だと察しました。
 インディアンが池に投げ込まれるシーンを見て、やはり、人種差別があると敏感になりました。
 アメリカ白人中心主義の意識が映像の向こう側に見えます。白人の暮らしが一番なのです。
 カップルの周りにいる人間たちの判断基準においては、「お金」のあるなしが最高位にあるのです。貧富の格差で結婚できたり、できなかったりの話が出ます。
 
 恋愛映画というよりも高齢者福祉の映画でした。
 認知症の老いた女性がいて、同じ施設に入所している年配の男性がいる。男性が女性に物語を読むという設定から始まります。
 仕掛けとか、秘密の事項は、見ていて早い時間帯に気づけます。
 男女ふたりは、夫婦で、奥さんは認知症で、夫のことを忘れているのです。
 夫は毎日奥さんに自分たちの若いころの話をするのですが、奥さんは毎日記憶が消えていくのです。
 死が近い高齢者施設入所者の話です。なかなか死ねない高齢者の物語でもあります。
 過去にしばられることを美化してあって未来が見えません。
 経過とオチはたぶんこうだろうとわかるので、単調な鑑賞時間が過ぎていきます。

 ひとめぼれ(相手の外見だけ)で、即断で恋愛に走るパターンは好きではありません。それでは、人生の深みがありません。やることは、さかりのついた犬猫同然です。ハンサムで、おもしろくて、おしゃれで、チャーミング、実家は大金持ちだけでは、愛せません。
 わざとらしい演出が何度も続きます。つくり話の連続で、途中でもういいかなあという気分になりました。まずい構築手法で物語全体の構造がくずれました。小説の映画化がうまくいかなかったのではないか。
 やっていることはめちゃくちゃで、映画だから楽しそうに見えますが、実際に人間が同じ行為をしたらただ苦しいだけです。
 男性がノア、女性がアリ―ですが、男性も女性も、いわゆるDV(ドメスティックバイオレンス。恋人間、夫婦間暴力)の加害者のようでした。相手を激しく攻撃したあと、相手に優しくしたり、慰めたり、励ましたりして相手を逃がさないようにする手法です。
 
 映画の画面の構図が中途半端で不自然でした。ラブシーンで、意図的に胸から下が映らないようにしてありました。

 それから、「君に読む物語」というタイトルですが、それほど深く読む夫のシーンがありませんでした。別の映画で、「愛を読むひと」がありますが、そちらの映画では、しっかり読んでいました。
 ダスティン・ホフマンの映画「卒業」とか、三島由紀夫小説作品「潮騒」の影響を受けているような感じがしました。

 よかったところとして、アヒル池の景色がきれいでした。だけど、快晴のあんなにいい天気だったのに、いきなりのように豪雨になりました。ありえません。がっかりしました。

 気づいたこととして、夫婦というふたりは、両方が生きていても、両方が別々の病院なり施設に入ったときが、この世での永遠の別れになるのだろうということでした。  

2020年09月23日

LIFE! ライフ アメリカ映画DVD

LIFE! ライフ アメリカ映画DVD 2014年日本公開

 コメディファンタジー映画です。
 雑誌「ライフ」の休刊にあたって、最終号の表紙の写真のネガを失くしたネガ管理部社員主人公男性ウォルター・ミティが活躍する内容です。彼とバツイチ子持ち女性との恋愛もからみます。

 伝説的な報道写真家ショーン・オコンネルを演じるショーン・ペンさんの演技が好きなのですが、この映画での彼は普通の演技で拍子抜けしました。

 映像が途中で、主人公の妄想幻想シーンに何度か転換します。ただ、それを観ても心は動きませんでした。わたしには、面白みがわかりませんでした。わたしにとっては、残念な映画に仕上がっています。

 「ネガの25番がない」で最後まで貫きます。ヒントになる前後の写真が、①親指の写真②大部分が水のような(実際は海)部分で、そこに船の一部が映っている写真③曲線の板みたいなもの
 最終的には、「将来への夢」を大事にして人生を歩んでいこうというメッセージにつながります。
 
 ライフ誌の仕事に取り組む姿勢を鼓舞する標語が物語を引っぱっていきます。世界を見よう。危険でも立ち向かおう。壁の向こうをのぞこう。もっと近づこう(お互いを知ろう)。もっと感じよう。<それが人生の目標だから>というようにとれます。

 飛行機の窓からきれいな海と山の景色が見えました。
 「車を借りれますか?」に対して、レンタカー屋さんが、「ああ、青いのと赤いのがあります(同じ車種の色違いが二台だけ)」のシーンが記憶に残りました。
 グリーンランド、アイスランド、なかなか行けるところではない国の広い風景を映像で堪能できました。北極海に飛び込んでサメと闘う。アイスランドにある火山の噴火を体験する。
 自転車をこいで、ころんで、羊にメーと声をかけられる。
 アイスランドの自然が雄大です。

 「ユキヒョウ」を特別扱いしてあるのですが、ユキヒョウは、動物園に行くといます。
 地元住民のサッカー試合風景とユキヒョウの同時期映像は? ハテナでした。同じ場所に両者がいるとは思えません。

 次の映像は、アフガニスタンです。世界旅行の映画になってきました。
 厳しい山岳地帯の自然の中を歩く紀行映画です。

 写真のネガが入った財布を捨てたというくだりの展開はぱっとしません。
 財布が見つかるオチも予測できました。
 
 恋人とは会話不足による誤解を解消しましょうということで、「人生に誠実に」であっけなく終わってしまいました。  

2020年09月22日

「女生徒」「東京八景」 太宰治

「女生徒」「東京八景」 太宰治 新潮文庫「走れメロス」から

「女生徒」
 作者が女生徒になりきる文体です。一人称で、つぶやきが続きます。
 男が女子の気持ちを語る文章は、男が女子のことを語っているだけで、女子から見ると、その内容は女子の心理ではないと指摘があるのかないのかは、読み手が女子でないとわかりません。
 飼い犬が二匹います。ジャピイとカアです。女生徒は、ジャピイをうんと可愛がり、そのそばにいるカアの存在を無視する冷たい意地悪をします。えこひいきです。女生徒は、カアが悲しそうにするのを見て快感を得ます。これが女よと主張もします。(女生徒本人の気持ちとして、「涙のない女になったのかも知れない」)
 
 苦しみながら文章をひねりだしている作者の苦悩が伝わってきます。

 女生徒が乗車した電車の中という空間を活用して文章作成が重ねられていきます。名人芸です。
 政治的な発言に聞こえる部分もあります。「(上の世代の考え方は)やれ古い」という言葉は、当時は1939年(昭和14年)ころのことであり、2020年(令和2年)の今読むと不思議な感覚があります。いつまでたっても、下の世代は上の世代に対して、「やれ古い」と思うのです。
 電車の中にいる人々に対する考察がおもしろくて豊かです。「人間は、立っているときと、坐っているときと、まるっきり考えることが違ってくる」と記述があります。
 「愛国心」という言葉を久しぶりに見ました。

 唐突に「お父さん」のことを思い出す。空(そら)の話になって、「みんなを愛したい」と気持ちが高まっていきます。だいじょうぶだろうか。精神的に不安定な女生徒です。裸になってしまいたいそうです。美しく生きたいそうです。女生徒はだれか自分を支えてくれる人を求めている。結局猫のジャピイを可愛がる。

 母親に距離をおいて父親の愛情を求める。お父さんは亡くなってしまったそうです。

 流行作家が書く娯楽小説という雰囲気の作品です。

 文章にリズム感があり、かつ心地よいメロディのように充実しており、言葉数の多い流行歌を聴いているような気分で読み進みます。

 実際に作者が女学生から受け取った手紙がモチーフ(素材)となっているという話を読みましたが、それはそれとして、結局、幻想の架空である夢物語なのでしょう。

 印象的な文章表現として、
「肉体が自分の気持ちと関係なくひとりでに成長していくのが、たまらなく困惑する。いつまでもお人形みたいな体でいたい」

 調べたた言葉などとして、
厭世的(えんせいてき):人生を悲観して生きているのがいやになる。
げびた:下品な、いやしい。
たどん:炭燃料。作中では、たどんでつくった雪だるまの目みたいな女生徒の目
大童(おおわらわ):夢中になって暴れまわる。
ロココ料理:ロココは18世紀フランスの美術様式。料理は、書中では、女生徒が考案した料理で、皿一つ一つに、ハム、卵、パセリ、キャベツ、ほうれん草をのせて美しさを楽しむ。
クオレ:イタリアの小説作品。エドモンド・デ・アミーチスの1886年の作品。小学三年生エンリーコの一年間の日記
ケッセルの「昼顔」:ケッセルはフランス人作家。「昼顔」は、パリを舞台にした作品。退廃的官能小説


「東京八景」
 昭和15年7月3日、伊豆半島への小説創作目的の長期宿泊訪問滞在の記事から始まります。
 作品の内容の予定は、自らの22歳から32歳までの10年間、東京暮らしのことです。作者は今32歳です。
 伊豆の安宿に長期滞在して小説を書く。当時の東京市の大地図をながめながらこの10年間をふりかえる。
 読んでいると、筆名の太宰治という人と本名の津島修治という人は、別の人格の人で、津島修治という人が太宰治という人を演じようとしているように感じるのです。津島修治さんは普通の人です。太宰治さんは、屈折しています。心中事件を起こしています。相手の女性は死んで自分は生き残った過去があります。その後、自身単独での自殺企図もあります。病気治療をきっかけとして薬物依存の中毒にもなっています。資産家である青森の実家からの仕送りに頼って東京で生活していました。金に困る時期もあったし、小説が売れた時期もありました。津島修治さんは、太宰治であろうとして、人生が破たんしていきます。ついには、太宰治を演じきれなくなります。書いている小説群の作品タイトルは、まだ32歳なのに、「晩年」なのです。太宰治は、死ぬ気だったのでしょう。死ぬしか逃げ道を見つけることができなかった。書くことが苦しい。
 読者の好みが分かれる小説家でしょう。嫌いな人は嫌いでしょう。作品によって好き嫌いもあるでしょう。作品群のなかでは、わたしは、「津軽」が一番好みです。落ち着いた文章で淡々と書かれていました。津島修治さんが書いた作品なのでしょう。
 本作品は、日記小説のようです。32歳にして、遺書のような書き方をしてあります。
 将来作者の死地となる玉川上水のそばにある井の頭公園のことも書いてあります。武蔵野の夕日がきれいだそうです。

 調べた単語などとして、
幽かに:かすかに(読めませんでした)。ぼんやりとした。
ベエゼ:キス、接吻(せっぷん)。フランス語
無智驕慢(むちきょうまん):何も知らずおごりたかぶって人を見下す。
無頼漢(ぶらいかん):ごろつき。ならず者
兵隊丙種合格:身体において、欠陥が極めて多い。現役不適。国内での兵隊ならできる。  

Posted by 熊太郎 at 07:23Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年09月21日

「走れメロス」「富嶽百景」 太宰治

「走れメロス」「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」 太宰治 新潮文庫「走れメロス」から

 本棚の整理をしていたら、太宰治氏の大量の文庫が出てきました。しばらくは、ちょこちょこと同氏の短編を読みながら、ときおり感想を残してみます。
 すでに読んだことがあるものもありますし、読んでいないものもあります。読んだものにしても、もうずいぶん昔のことで記憶はおぼろげです。

「走れメロス」
 メロス:村の牧人。羊飼いが仕事です。
 セリヌンティウス:メロスの竹馬の友(ちくばのとも。幼なじみ。竹馬(たけうま)にのったころからの友だちで固い絆(きずな)ある)メロスの住む村から10里(40km)のところにあるシラクス市で石工(いしく。石を加工する仕事)をしている。
 デイオニス:自分にさからう人間、自分が気に入らない人間は殺すというシラクス市の王さま。暴君(人民を苦しめる君主。ワンマン)

 末尾に、「古伝説と、シルレルの詩から。」とあります。
 神話の世界です。現実にはありえない状況設定です。
 メロスが、暴君デイオニスを殺そうとして逆に捕まります。メロスは死刑です。
 メロスは、デイオニスに願いを申し出ます。死刑の刑は受ける。ただし、ひとり残る妹を信頼できる男と結婚させてから死刑にしてくれ。猶予は三日間でいい。メロスには、両親も妻もなく、身内は妹だけです。
 メロスはさらに、自分の人質として、竹馬の友のセリヌンティウスを差し出します。自分が三日以内に戻らない時は、自分の代わりにセリヌンティウスを処刑してもらっていい。
 セリヌンティウスは、メロスの申し出を受けて人質になります。
 王さまのデイオニスは笑います。笑いながら、メロスの申し出を受け入れます。そんな美談は成立しない。メロスは、自分の命を守るために逃げると断定します。
 しかし、美談は起こります。成立します。
 王さまのデイオニスは、ふたりともの命を救います。

 王さまデイオニスには、悲劇があります。彼は人間不信、親族不信があります。今自分がもっている権力を狙っているのは身近な親族です。だから、身内を殺します。殺さないと自分が殺されるという恐怖を抱いています。だから最初に、妹婿を、次に、自分の子どもを、それから妹も、妹の子どもも、妻も、自分を支えてくれていた家臣も、殺してしまいました。権力者というものは孤独なポジションです。おびえるオオカミのようです。権力者は権力を失ったときには、そばにはだれもいなくなります。対して、メロスは、妹思いで人間的な心をもっています。牛のような雰囲気です。

 メロスは、妹の結婚式のあと妹に、こう話をしています。自分の一番嫌いなものは、人を疑うこと、それから嘘をつくこと。
 三日間でシラクス市の処刑上に戻る予定のメロスに天候不順の不運が襲います。豪雨です。河川が荒れて渡れません。最後には、濁流の中を泳ぎとおして川を渡り切りますが、メロスはへとへとに疲れ切ります。さらに、三人の山賊にも襲われて身ぐるみをはがされそうになり、闘って三人の山賊を倒します。メロスの体はもう動けないほど力を失います。
 そして、メロスは、<もういいか。もう戻らなくてもいいか>と思います。
 このあたりから、太宰治氏の文章に熱い勢いが生まれきます。「信じること」に対する思い入れが強く表現されます。
 敵は、王さまのデイオニスではなく、自分自身の心の中にあるものなのです。メロスの言い訳が続きます。自分は、友のセリヌンティウスを救うことはできない。
 メロスは、岩の割れ目から湧き出ている清水(しみず)をひとくち飲みました。水は、「薬」みたいなものだろうか。メロスは心身ともに生き返ります。そして、「走れ! メロス」となるのです。友人のセリヌンティウスは、自分を信じてくれているので、その期待に応え(こたえ)なければならない。
 
 作品のなかに、「美」があります。読んでいて、すっきりした青い色の青磁器が思い浮かびました。

 メロスは友人のセリヌンティウスに遅くなったことと、そして、一度だけ帰還をあきらめようと思った過ちを告白します。
 セリヌンティウスもまたメロスに謝罪します。メロスは戻ってこないかもしれないと一度だけ疑ったそうです。
 ふたりのようすを見た王さまのデイオニスが改心します。ふたりを讃えます。対立を乗り越えて、三人で協力していこうと提案します。王さまはようやく人を信用できるようになったのです。

 「友情」というよりも、「信頼関係の構築」に重きをおいた作品だと感じました。

 さいごは、メロスががんばりすぎたので、まっぱだかだったというユーモアで終わっていたのは意外でした。

 調べた単語などとして、
憫笑(びんしょう):あわれんで笑う。
反駁(はんぱく):相手の意見などに反論すること。
腹綿(はらわた):人間の性根(しょうね。その人の基本的な心のもち方)
繫舟(けいしゅう):岸につながれた舟
ゼウス:神。ギリシャ神話の最高神
信実(しんじつ):正直、まじめ


「富嶽百景(ふがくひゃっけい)」
 富嶽:富士山のこと
 浮世絵話から、富士山の傾斜角度の観察が始まります。
 静岡県熱海市の北に位置する十国峠から見えた富士山のこと。
 東京のアパートから見る富士山のこと。三年前、昭和十三年の初秋に作者は甲州へ(山梨県へ)旅に出た。甲府市からバスで一時間、御坂峠(みさかとうげ)へ到着する。小説家であり、作者の師匠である井伏鱒二氏(いぶせますじ)と面談している。
 宿泊する茶店からは、風呂屋のペンキ画と同じ風景が見えた。作者はそれが嫌いだった。
 文章表現が豊かです。井伏鱒二氏が登山の途中で、放屁(ほうひ)されたそうです。そして、読みやすい。
 訪問の目的は、作者の見合いです。つまり結婚相手候補との面談です。
 
 太宰治氏は、自分はたいした人間ではないが、「苦悩」だけはしてきたと強調します。

 有名なフレーズとして、「富士には月見草がよく似合う」

 すべての文章が、遺書に思えてしまう。生きていたときの物悲しさがある。

 麓(ふもと)の遊女たちのバス観光がある。

 富士山に頼む。すべてあんばいよういくようによろしくと頼む。

 青森の実家からの援助はまったくなく、お師匠のお世話になって、なんとか結婚されたようです。
 
 太宰治氏は旅人です。このときは、富士山に守ってもらいました。

 これは、日記としての記録形式の小説です。

 調べた言葉などとして、
太宰さんはひどいデカダン:退廃的な態度をとる芸術家太宰治氏。あわせて、性格破産者とあり。(しかしそれはイメージで、じっさいは、まじめなちゃんとしたおかたという25歳の地元郵便局勤めをしている新田さんという一般人の話あり)
安珍・清姫伝説:あんちん・きよひめ伝説。安珍は僧侶。紀州和歌山県が舞台。平安時代。能、歌舞伎、浄瑠璃。安珍に一方的に恋する清姫が蛇になる。
悉皆(しっかい):ことごとく全部

 気に入った言葉の趣旨などとして、
「山は登ってもすぐに降りるだけ。つまらない」
「くるしい。仕事が」

(再読 短い文章なのでもう一度読んでみました)
 調べたこととして、
佐藤春夫:1892年-1964年 72歳没 小説家・詩人
井伏鱒二(いぶせ・ますじ):1898年-1993年 95歳没 小説家

 「昭和13年初秋」という設定で始まります。作者は、「昭和23年6月死去」ですので、あと10年の命と思いながら読みます。

 三ツ峠:河口湖を前におき、背景に富士山が美しいところ

 最後は、「走れメロス」と同様にユーモアで終わっています。
 若い娘さん二人にカメラのシャッター押しを頼まれて押すのですが、実は、ふたりの姿は写っておらず、富士山だけの風景なのです。  

Posted by 熊太郎 at 07:35Comments(0)TrackBack(0)読書感想文

2020年09月20日

レナードの朝 アメリカ映画DVD 

レナードの朝 アメリカ映画DVD 1991年日本公開

 昔、テレビで、一部分を見た記憶がぼんやりとあります。脳の病気で長い間眠っていた入院患者が、一時的に目覚めて活動して、再び病気で眠りにつくというようなストーリーの流れでした。類似の作品として、「レインマン」とか、「カッコーの巣の上で」とかがあります。

 医療ノンフィクションということで、アメリカで実際にあった事例だそうです。
 心身の活動行動が止まっていた入院患者、映画では15名が試験的に使用した新薬の効果が出て一時的に復活しています。

 ロバート・デ・ニーロさんの患者役は熱演でした。
 気弱な医師役のロビン・ウィリアムズさんも良かった。
 全体的に演劇を観ているような雰囲気でした。

 映像で、アメリカ合衆国の数十年前の雪景色の風景を見ることができて、時間旅行の旅気分を味わうことができました。

 さて、登校拒否ではなく、病気のために11歳から登校できなくなったレナード・ロウです。二十歳から入院して、実に30年がたちました。ほかの入院患者たちも1920年代から入院が続いています。無反応な状態です。1959年ぐらいの出来事だろうという時代設定です。

 調べた言葉として、
臨床医:患者の診察を行う医師

 映像を観ます。患者には、水と栄養を与えるだけ。静かに時間が流れていきます。人間の脳ってどうなっているんだろう。
 患者は人形のようです。医師や看護師役も含めて、俳優さんたちには、ゆったりとした演技が求められています。

 新薬(合成ドーパミン)のおかげで、みんなが目を覚ましました。
 ヒゲをそる。本を読む。太陽光線に当たる。階段を歩く。海につかる。自然と触れ合う。食べる。化粧する。歌う。踊る。
 「生きている」とか、「生(せい)」とか、「命」を考える映画です。
 
 レナードは、入院患者の娘である女性に恋をします。気持ちは盛り上がります。

 いろいろトラブルが発生します。
 何もしないのが、最善の手法なのか。しかし、そうではないという問答が続きます。
 病気のつらさ、悲しさがあります。
 普通の暮らしがいかに幸せかをみんなに知らせたいレナードは、そう状態です。
 レナードの母親も混乱します。「いまのあの子は、あの子じゃない」

 レナードの様子はおかしくなってきます。けいれんが激しくなってきます。薬が効かなくなってきました。

 記憶に残ったセリフなどとして、
(レナードが外出自由行動を認めてくれない医師に)「いちばん怪しくないのが、裏切り者だ」「眠っているのはあんたのほうだ」
(レナードの母親)「病気と闘っても、負け戦(いくさ)よ」
(レナードが恋する女性に)「これで会うのはよそう。きょうは、さよならを言いに来たんだ」そして、ラストダンスシーン
看護師のエレノアが医師のマルコム・セイヤーに「あなたは優しい人よ。(レナードと医師の)ふたりは友だちだ」純粋なものの触れ合いがあった。
素晴らしい夏でした。奇跡の夏でした。正しいかどうかは謎です。周囲の人たちも含めての人々の心の目覚めがあった。心の優しさは、良薬です。小さなぬくもりが良薬になりますというような趣旨のマルコム・セイヤー医師の語り。

 良薬話に合わせて、働くことの意味を考える。それから、ラスト付近の、「コーヒーをいっしょに飲む時間はありますか?」
 患者たちには、思い出の世界しかありません。1920年代、彼らが20代の頃の思い出です。
 いい人生は、思い出をつくること。死ぬ瞬間に、ああ良かったなと思えること。  

2020年09月19日

出川哲朗の充電バイクの旅 秋田から青森

出川哲朗の充電バイクの旅 秋田男鹿半島(おがはんとう)から美しき“五能線”沿いを秋田青森ズズっと北上180キロ! 白神山地にわさお! うひゃー~陣内も篠原も日本海がウマすぎヤバいよヤバいよ 3日間 2年前の放送のふりかえりスペシャル テレビ番組

 東北北部の西海岸沿いを堪能できた旅路でした。
 ゲストは、前半が、陣内智則さん、後半が、篠原信一さんでした。篠原さんが、柔道の先輩に偶然会えたのは劇的でご縁がありました。

 八郎潟(はちろうがた)は、遠い昔に小学校で習いました。あの頃はまだ、湖の部分が広かったような記憶が残っています。
 延々と続く黄色い菜の花畑が目にまぶしい。菜の花の群生を見ると、この先なにか、いいことがありそうな気持になれます。

 途中で立ち寄った障がい者の人がつくったものを販売する場所「ちょこっと」というところでの出川さんの充電協力にたいするお礼の窓ふき風景がおもしろかった。
 出川さんは背が低いので、大きな男の人に肩車をしてもらって窓ふきをされていました。

 料亭「カネユウ」というところは、立派な建物でした。室内照明がきれいです。杉の板もいい雰囲気です。
 出川さんと写真を撮りたい地元の人たちの熱気がすごい。

 いずこも、コンパクトなまちで、感じがいい。

 白神山地に関する地元の人のコメントが良かった。
「ただ単にのぼって疲れるだけ」というぼうやのセリフには笑いました。
「白神山地は、行くものではなく、ながめるもの」には、説得力がありました。

 久しぶりの出川さんの安産祈願シーンを見ました。
 無事誕生されて、二歳になられて良かった。

 おばあちゃんの食べ物屋さんでのおばあちゃんの言葉に笑いました。
 最初は、出川哲朗さんがよくわからず、「顔の大きい、(男ぶりの)悪い男」と言って、そのあと、しきりに謝っておられました。

 観光ホテルの露天風呂に陣内智則さんがちゃっかり先に入っていたのにも笑いました。

 ホテル前のお店でのマグロのステーキがおいしそうでした。

 夜の五能線を走る列車に乗客がひとりもいなかったそうです。
 それをヒントに童話の一本でも書けそうな気がしました。
 五能線:秋田県東能代駅から青森県川部駅
 
わさお:秋田犬(あきたいぬ) 2020年6月8日 13歳没 ぶさいくだけどかわいい犬で有名になった。

鶴の舞橋:青森県北津軽郡鶴田町。岩木山がきれいに見える映像でした。昔、五所川原市に行ったことがあるのでなつかしかった。

 長距離の電動バイク旅、お疲れさまでした。

(追記)
 その後読んでいた太宰治氏の小説「帰去来(ききょらい)」で、五能線ほか、青森地方の記述が出てきました。出川哲朗さんの番組を見たあとだったので、映像風景を頭に浮かべることができました。サンキューです。