2020年09月22日
「女生徒」「東京八景」 太宰治
「女生徒」「東京八景」 太宰治 新潮文庫「走れメロス」から
「女生徒」
作者が女生徒になりきる文体です。一人称で、つぶやきが続きます。
男が女子の気持ちを語る文章は、男が女子のことを語っているだけで、女子から見ると、その内容は女子の心理ではないと指摘があるのかないのかは、読み手が女子でないとわかりません。
飼い犬が二匹います。ジャピイとカアです。女生徒は、ジャピイをうんと可愛がり、そのそばにいるカアの存在を無視する冷たい意地悪をします。えこひいきです。女生徒は、カアが悲しそうにするのを見て快感を得ます。これが女よと主張もします。(女生徒本人の気持ちとして、「涙のない女になったのかも知れない」)
苦しみながら文章をひねりだしている作者の苦悩が伝わってきます。
女生徒が乗車した電車の中という空間を活用して文章作成が重ねられていきます。名人芸です。
政治的な発言に聞こえる部分もあります。「(上の世代の考え方は)やれ古い」という言葉は、当時は1939年(昭和14年)ころのことであり、2020年(令和2年)の今読むと不思議な感覚があります。いつまでたっても、下の世代は上の世代に対して、「やれ古い」と思うのです。
電車の中にいる人々に対する考察がおもしろくて豊かです。「人間は、立っているときと、坐っているときと、まるっきり考えることが違ってくる」と記述があります。
「愛国心」という言葉を久しぶりに見ました。
唐突に「お父さん」のことを思い出す。空(そら)の話になって、「みんなを愛したい」と気持ちが高まっていきます。だいじょうぶだろうか。精神的に不安定な女生徒です。裸になってしまいたいそうです。美しく生きたいそうです。女生徒はだれか自分を支えてくれる人を求めている。結局猫のジャピイを可愛がる。
母親に距離をおいて父親の愛情を求める。お父さんは亡くなってしまったそうです。
流行作家が書く娯楽小説という雰囲気の作品です。
文章にリズム感があり、かつ心地よいメロディのように充実しており、言葉数の多い流行歌を聴いているような気分で読み進みます。
実際に作者が女学生から受け取った手紙がモチーフ(素材)となっているという話を読みましたが、それはそれとして、結局、幻想の架空である夢物語なのでしょう。
印象的な文章表現として、
「肉体が自分の気持ちと関係なくひとりでに成長していくのが、たまらなく困惑する。いつまでもお人形みたいな体でいたい」
調べたた言葉などとして、
厭世的(えんせいてき):人生を悲観して生きているのがいやになる。
げびた:下品な、いやしい。
たどん:炭燃料。作中では、たどんでつくった雪だるまの目みたいな女生徒の目
大童(おおわらわ):夢中になって暴れまわる。
ロココ料理:ロココは18世紀フランスの美術様式。料理は、書中では、女生徒が考案した料理で、皿一つ一つに、ハム、卵、パセリ、キャベツ、ほうれん草をのせて美しさを楽しむ。
クオレ:イタリアの小説作品。エドモンド・デ・アミーチスの1886年の作品。小学三年生エンリーコの一年間の日記
ケッセルの「昼顔」:ケッセルはフランス人作家。「昼顔」は、パリを舞台にした作品。退廃的官能小説
「東京八景」
昭和15年7月3日、伊豆半島への小説創作目的の長期宿泊訪問滞在の記事から始まります。
作品の内容の予定は、自らの22歳から32歳までの10年間、東京暮らしのことです。作者は今32歳です。
伊豆の安宿に長期滞在して小説を書く。当時の東京市の大地図をながめながらこの10年間をふりかえる。
読んでいると、筆名の太宰治という人と本名の津島修治という人は、別の人格の人で、津島修治という人が太宰治という人を演じようとしているように感じるのです。津島修治さんは普通の人です。太宰治さんは、屈折しています。心中事件を起こしています。相手の女性は死んで自分は生き残った過去があります。その後、自身単独での自殺企図もあります。病気治療をきっかけとして薬物依存の中毒にもなっています。資産家である青森の実家からの仕送りに頼って東京で生活していました。金に困る時期もあったし、小説が売れた時期もありました。津島修治さんは、太宰治であろうとして、人生が破たんしていきます。ついには、太宰治を演じきれなくなります。書いている小説群の作品タイトルは、まだ32歳なのに、「晩年」なのです。太宰治は、死ぬ気だったのでしょう。死ぬしか逃げ道を見つけることができなかった。書くことが苦しい。
読者の好みが分かれる小説家でしょう。嫌いな人は嫌いでしょう。作品によって好き嫌いもあるでしょう。作品群のなかでは、わたしは、「津軽」が一番好みです。落ち着いた文章で淡々と書かれていました。津島修治さんが書いた作品なのでしょう。
本作品は、日記小説のようです。32歳にして、遺書のような書き方をしてあります。
将来作者の死地となる玉川上水のそばにある井の頭公園のことも書いてあります。武蔵野の夕日がきれいだそうです。
調べた単語などとして、
幽かに:かすかに(読めませんでした)。ぼんやりとした。
ベエゼ:キス、接吻(せっぷん)。フランス語
無智驕慢(むちきょうまん):何も知らずおごりたかぶって人を見下す。
無頼漢(ぶらいかん):ごろつき。ならず者
兵隊丙種合格:身体において、欠陥が極めて多い。現役不適。国内での兵隊ならできる。
「女生徒」
作者が女生徒になりきる文体です。一人称で、つぶやきが続きます。
男が女子の気持ちを語る文章は、男が女子のことを語っているだけで、女子から見ると、その内容は女子の心理ではないと指摘があるのかないのかは、読み手が女子でないとわかりません。
飼い犬が二匹います。ジャピイとカアです。女生徒は、ジャピイをうんと可愛がり、そのそばにいるカアの存在を無視する冷たい意地悪をします。えこひいきです。女生徒は、カアが悲しそうにするのを見て快感を得ます。これが女よと主張もします。(女生徒本人の気持ちとして、「涙のない女になったのかも知れない」)
苦しみながら文章をひねりだしている作者の苦悩が伝わってきます。
女生徒が乗車した電車の中という空間を活用して文章作成が重ねられていきます。名人芸です。
政治的な発言に聞こえる部分もあります。「(上の世代の考え方は)やれ古い」という言葉は、当時は1939年(昭和14年)ころのことであり、2020年(令和2年)の今読むと不思議な感覚があります。いつまでたっても、下の世代は上の世代に対して、「やれ古い」と思うのです。
電車の中にいる人々に対する考察がおもしろくて豊かです。「人間は、立っているときと、坐っているときと、まるっきり考えることが違ってくる」と記述があります。
「愛国心」という言葉を久しぶりに見ました。
唐突に「お父さん」のことを思い出す。空(そら)の話になって、「みんなを愛したい」と気持ちが高まっていきます。だいじょうぶだろうか。精神的に不安定な女生徒です。裸になってしまいたいそうです。美しく生きたいそうです。女生徒はだれか自分を支えてくれる人を求めている。結局猫のジャピイを可愛がる。
母親に距離をおいて父親の愛情を求める。お父さんは亡くなってしまったそうです。
流行作家が書く娯楽小説という雰囲気の作品です。
文章にリズム感があり、かつ心地よいメロディのように充実しており、言葉数の多い流行歌を聴いているような気分で読み進みます。
実際に作者が女学生から受け取った手紙がモチーフ(素材)となっているという話を読みましたが、それはそれとして、結局、幻想の架空である夢物語なのでしょう。
印象的な文章表現として、
「肉体が自分の気持ちと関係なくひとりでに成長していくのが、たまらなく困惑する。いつまでもお人形みたいな体でいたい」
調べたた言葉などとして、
厭世的(えんせいてき):人生を悲観して生きているのがいやになる。
げびた:下品な、いやしい。
たどん:炭燃料。作中では、たどんでつくった雪だるまの目みたいな女生徒の目
大童(おおわらわ):夢中になって暴れまわる。
ロココ料理:ロココは18世紀フランスの美術様式。料理は、書中では、女生徒が考案した料理で、皿一つ一つに、ハム、卵、パセリ、キャベツ、ほうれん草をのせて美しさを楽しむ。
クオレ:イタリアの小説作品。エドモンド・デ・アミーチスの1886年の作品。小学三年生エンリーコの一年間の日記
ケッセルの「昼顔」:ケッセルはフランス人作家。「昼顔」は、パリを舞台にした作品。退廃的官能小説
「東京八景」
昭和15年7月3日、伊豆半島への小説創作目的の長期宿泊訪問滞在の記事から始まります。
作品の内容の予定は、自らの22歳から32歳までの10年間、東京暮らしのことです。作者は今32歳です。
伊豆の安宿に長期滞在して小説を書く。当時の東京市の大地図をながめながらこの10年間をふりかえる。
読んでいると、筆名の太宰治という人と本名の津島修治という人は、別の人格の人で、津島修治という人が太宰治という人を演じようとしているように感じるのです。津島修治さんは普通の人です。太宰治さんは、屈折しています。心中事件を起こしています。相手の女性は死んで自分は生き残った過去があります。その後、自身単独での自殺企図もあります。病気治療をきっかけとして薬物依存の中毒にもなっています。資産家である青森の実家からの仕送りに頼って東京で生活していました。金に困る時期もあったし、小説が売れた時期もありました。津島修治さんは、太宰治であろうとして、人生が破たんしていきます。ついには、太宰治を演じきれなくなります。書いている小説群の作品タイトルは、まだ32歳なのに、「晩年」なのです。太宰治は、死ぬ気だったのでしょう。死ぬしか逃げ道を見つけることができなかった。書くことが苦しい。
読者の好みが分かれる小説家でしょう。嫌いな人は嫌いでしょう。作品によって好き嫌いもあるでしょう。作品群のなかでは、わたしは、「津軽」が一番好みです。落ち着いた文章で淡々と書かれていました。津島修治さんが書いた作品なのでしょう。
本作品は、日記小説のようです。32歳にして、遺書のような書き方をしてあります。
将来作者の死地となる玉川上水のそばにある井の頭公園のことも書いてあります。武蔵野の夕日がきれいだそうです。
調べた単語などとして、
幽かに:かすかに(読めませんでした)。ぼんやりとした。
ベエゼ:キス、接吻(せっぷん)。フランス語
無智驕慢(むちきょうまん):何も知らずおごりたかぶって人を見下す。
無頼漢(ぶらいかん):ごろつき。ならず者
兵隊丙種合格:身体において、欠陥が極めて多い。現役不適。国内での兵隊ならできる。
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